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山崎(始)
委員 場所の
範囲はよくわかりました。ただ私たちのおそれますことは、
青年学級という
一つの
社会教育の立場から見た
場所というものが、実際問題とすると、非常にあいまいになることがたびたび起るだろうと思う。ただいまも局長から述べられましたが、
お寺でも行われることがあるだろうということでありますが、これは当然でありまして、あるいは天気のいい日には、
受講者を連れて山へ
行つて、そこで
講義といいますか、グループをつく
つて話合いをするという
ような場合も起るでありまし
よう。あるいは川へ
行つてやる
ような場合も起ると思うのでありますが、そういう点で、この十一条の
場所という問題が、ほんとうに
教育の
中立性を侵害したかしないか、どこでしたかという問題が起
つた場合に、かなりあいまいな問題が相当含まれておるだろう。私はこの
ように思うのであります。まあ
場所の点は、比較的はつきりいたしましたが、結局山であろうと、川であろうと、
お寺であろうと、
学校であろうと、
教育の
中立性を侵害する
ような
危険性が、いわゆる
学校教育とは
違つて、起り得るおそれがあるということに、私も了解するわけであります。それで先ほ
ども、たまたま
憲法九条の問題が起りましたが、昨日の
文部大臣の御
答弁によりますると、
憲法を数えるときに、
憲法九条を、再
軍備をや
つてはならぬのだ。
日本の
憲法というものは、いわゆる
基本的人権と、平和と、そうして
主権在民の三つが骨子なんだ、とこう言う場合に、再
軍備をや
つてはならぬのだ、と言うことはさしつかえがない。しかしながら、
憲法の
講義をやるとき以外において、再
軍備をや
つてはならぬという
言葉は、これは
政治的な
言葉だ、だからそれは
教育の
中立性の侵害である。こういう御
答弁であ
つたのでありますが、私は、
教育の
中立性の問題が起
つたときに、
大臣の
ようなお
考えであ
つたならば、あらゆる面において、時の
政治問題あるいは
経済問題を取上げて
講義をする場合、その講師が話をすることが、実際問題としてできぬ、この
ように私は思うのであります。たとえて申しますれば、
日本の
経済の話を何
一ついたしましても、必ずそれは
政治につなが
つております。アメリカのごとく、非常に
経済力のゆたかな国であるならば、そういう
政治と
経済の問題の
接触点というものが遠い。しかし
日本の国は、御
承知の
ように非常に
経済力というものが底が浅い。だから
経済の話をいたしておりましても、必ずその底を割
つて突き詰めて行くと、いわゆる学問の探究というものをや
つているうちには、底が浅いだけに、
政治の面と接触する部面が多いと思うのであります。ところが
受講者の年齢というものは、先ほ
ども申しあげました
ように、
義務教育の児童生徒のごときものではない。講師がこうなんだ、ああんだと言えば、そうですがで聞き流す年ごろの者ではありません。ホワイあるいはウオツトという
ような、疑問なり、
質問というものが、たびたび出て来る。すなわち教える立場から言いますると、かなり手に負えない、教えにくい、ややもすると、
教育の
中立性の侵害になりそうだという分野へ相当入
つて行く
危険性が、実際問題としてあると思う。ただ単に、再
軍備の問題を話をするのでも、
憲法九条の
講義をするときだけに話をするのは、それは学問上
教育の
中立性の侵害にはならぬと言われまするが、私がただいまも申しました
ように、
経済の問題を説いてお
つても、
受講者の年齢などから申しまして、再
軍備の問題へ入らざるを得ない
ような
講義内容にな
つて来るおそれがある。あるいはまた軍事基地の問題をとらえて、先生は一体軍事基地の問題をどう思うか、こういう
ような問題が常に課題となりたがるだろうと思うのであります。そういうときにも、軍事基地に対しいいのか悪いのか、とことんまで突き詰めて来る、
質問をして来るおそれがあると思うのであります。
従つて私は、先ほど
文部大臣もおつしや
つたように、
教育の
中立性の限界。
解釈の根本的な
考え方というものを、
大臣みずからがはつきりと持
つていらつしやらないと、私は、
義務教育の場合の
教育の
中立性の紛争問題とは
違つて、この
青年学級をや
つた場合には、多分にこれが出て来る、この
ように思います。同時にまた、
大臣の昨日の御
答弁の
ような
憲法を教えるときにおいては、再
軍備をしてはいかぬのだ、
日本の
憲法はそうな
つておるのだと言うことはかまわぬが、
憲法を教えるとき以外で再
軍備を論ずることは、これは
政治問題だ。たまたま再
軍備問題というものが、現在の
政治の課題として大きく浮び上
つておるから、それは
政治問題だ。だからそれを教えることは
教育の
中立性の侵害である、こういう妙な論理というものは、とうていわれわれには容認できないのであります。また同時に、そういう論理でも
つて、この
青年学級振興法の第十七条を適用されたならば、教える先生というものは、これはもう罰金だらけ、体刑だらけの問題が起
つて来る。か
ように思うのであります。受講生の年齢その他から見て、実際問題として憂慮にたえぬから申し上げるのでありますが、そういう
危険性があるかないか。
大臣はさつき、それは
地方の
教育委員会がやることなんだからと、こういう御
答弁でありまするが、いわゆる文教政策の最高責任者であるところの
大臣みずからのお
考えというものが、確立されていない
——確立されておるのでありますが、いわば非常に狭義のお
考え方、
一つも弾力性のない
——弾力性のないどころではない。何だかあなた御自身が再
軍備に
賛成をしていらつしやるかのごとき
印象を与える
ようなお
考え方、これに対しては、私たちはとうてい満足することができないのであります。ただいまの
ような
危険性が、私は多分にあると思うのでありますが、
大臣は
危険性があるとお思いになられますかどうか。あるとお思いになられますならば、第十七条の
罰則規定は大いに
考えなければならぬ。この点について、私はお伺いいたしたい。