○大達国務大臣 具体的な岸田教授のされたことについては、事実を確かめておりませんので、その点は何んとも申し上げかねます。この点は局長から申し上げた
通りであります。ただ私は
大学教授として、たとえば清水市と設計に関する契約が、
大学もしくは
大学の研究室との間にとりかわされて、その結果岸田教授が設計したり、あるいは監督されるというようなことであれば、これはまた話が違うと思うのでありますが、
大学教授といえ
ども、もちろん個人の面があるのでありますから、個人としてさような契約をしてや
つたということであれば、これは社会的の批判ということは別といたしまして、
法律的にこれをどうこうというわけには参らない。むろん、それほどめんどうな先生であれば、そういう人に頼まなければいいじやないかと言えば、それまでのことでありますが、やはり権威者であれば、そういう先生にや
つてもらいたい。こういうことも、もつともであります。その場合にその教授が、もちろん個人として設計を引受け、また監督を引受けられたことと思うのでありますが、それが一般的に社会では、学者というものはただ学問、技術の上においてすぐれておるのみならず、
大学の教授というものは人格的にもりつぱであるはずだ、こういうふうに思
つておるし、また尊敬もしておるのでありますから、それが事実、世間の批判を招くようなことがないことを私は強く
希望するのであります。しかし、ただいまのように、社会的な批判は別といたしまして、それを
法律的に、
大学の教授たる職務をそれがために怠たる、自分の本来の仕事にさしつかえを生ずる、あるいはその仕事をなげう
つてしま
つて、個人的な契約の仕事ばかりに没頭しておるとかということになれば、
大学の教授との仕事の間に間隙が生ずるわけであります。しかし個人としてや
つたということであれば、これは社会的な批別は別といたしまして、それをも
つてただちに学者の権限とか、教授の権限とかいう問題ではないのでありますから、これはそういうことのないことを要望したい。やはり
大学の先生は、人格においても、学問においても、社会の師表になるような人であ
つてほしい。こういうことを念願するのでありますが、その点は一口にいうと、どうしようもない問題であります。御
承知の
通り、
大学には
大学の自治というものがありまして、文部大臣が、その教授に対してただちにやめろとか、あるいは譴責するとかいうようなことは、今日の制度の上では許されないのであります。一般的に、そういう
大学の先生が、社会の師表であるような行動をとられるということは、むろん私は
希望してやまぬのでありますが、しかし問題の岸田教授につきまして、その事実はもちろんまだはつきりしたわけでもなし、かりにその事実を調べた結果、
大学教授という職責の上において、そういう仕事をしたということであれば、これは確かに問題である。しかし、教授の肩書きを持
つた個人が、さようなことをしたということであれば、これは社会の批判にまつということ以上に、これをすぐ監督するとか、責任を問うとかいうところまでは、現在の制度の上においては行けないのじやないか、こう思
つております。