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1953-07-16 第16回国会 衆議院 文部委員会 第12号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年七月十六日木曜日     午前十時五十五分開議  出席委員    委員長 辻  寛一君    理事 天野 公義君 理事 坂田 道太君    理事 原田  憲君 理事 田中 久雄君    理事 辻原 弘市君 理事 前田榮之助君    理事 世耕 弘一君       大久保武雄君    尾関 義一君       竹尾  弌君    山崎  猛君       今井  耕君    町村 金五君       高津 正道君    野原  覺君       山崎 始男君    大西 正道君       松平 忠久君    北 れい吉君       小林 信一君  出席国務大臣         文 部 大 臣 大達 茂雄君  出席政府委員         文部事務官         (初等中等教育         局長)     田中 義男君         文部事務官         (大学学術局         長)      稲田 清助君         文部事務官         (社会教育局         長)      寺中 作雄君  委員外出席者         文部事務官         (大臣官房総務         課長)     福田  繁君         専  門  員 石井つとむ君        専  門  員 横田重左衞門君     ――――――――――――― 七月十五日  委員山中貞則君及び山崎始男辞任につき、そ  の補欠として大久保武雄君及び武藤運十郎君が  議長指名委員に選任された。     ――――――――――――― 同月十六日  委員武藤運十郎辞任につき、その補欠として  山崎始男君が議長指名委員に選任された。     ――――――――――――― 七月十四日  私立学校教職員共済組合法案内閣提出第一六  一号)  教職員給与準則制定に関する請願堤康次郎君  紹介)(第三六三三号)  指導教諭設置に関する請願坂田道太紹介)  (第三六三四号) 同月十五日  老朽危険校舎改築促進に関する請願高津正道  君紹介)(第三九六八号)  学校給食に対する国庫補助増額請願高津正  道君紹介)(第三九六九号)  福岡県に公立学校共済組合病院設置請願(熊  谷憲一紹介)(第三九七二号)  公立学校施設整備費国庫補助増額に関する請願  (高橋圓三郎紹介)(第四〇〇三号)  高等学校定時制教育及び通信教育振興法制定  に関する請願高橋圓三郎紹介)(第四〇〇  四号)  学校給食法制定等に関する請願外五件(大村清  一君紹介)(第四〇〇五号)  同外二件(橋本龍伍紹介)(第四〇〇六号)  学校給食法制定に関する請願外五件(星島二郎  君紹介)(第四〇九三号)  同外一件(小枝一雄紹介)(第四〇九四号)  鹿児島県立大学を国立に移管の請願山中貞則  君紹介)(第四〇〇七号)  公立学校施設戦災復旧費国庫負担法制定請願  (鈴木茂三郎紹介)(第四〇八七号)  戦災都市義務教育施設整備復旧等に関する請  願(鈴木茂三郎紹介)(第四〇八八号)  理科教育振興に関する請願藤枝泉介紹介)  (第四〇八九号)  義務教育費国庫負担確保に関する請願山花秀  雄君紹介)(第四〇九〇号)  学校図書館法制定に関する請願天野公義君紹  介)(第四〇九一号)  学校給食費国庫補助等に関する請願宇都宮徳  馬君紹介)(第四〇九二号) の審査を本委員会に付託された。 同日  学校給食強化拡充に関する陳情書  (第八四七  号)  公立学校施設戦災復旧費国庫負担法早急制定に  関する陳情書(  第八四八号)  危険校舎改築費補助増額等に関する陳情書  (第八  四九号)  同  (第八五〇号)  私学教職員共済組合法制定促進に関する陳情  書  (第八五  一号)  町村教育委員会設置に対する財源措置陳情書  (第八五二号)  私学教職員共済組合法制定促進に関する陳情  書  (第八九〇号)  同  (第八九一号)  教育委員会法の改正に関する陳情書  (第八九二号)  教員給与三本建案反対に関する陳情書  (第八九三号)  中学校教育充実強化に関する陳情書  (第九一一号)  同(第  九一二号) を本委員会に送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  文部行政に関する件     ―――――――――――――
  2. 辻寛一

    辻委員長 これより会議を開きます。  文部行政に関する件を議題とし、文部大臣に対する質疑を許します。山崎始男君。
  3. 山崎始男

    山崎(始)委員 大臣に少しばかりお尋ね申し上げます。なるべく同僚先輩皆さんがお尋ねになつたことと重ならぬようにしたいと思います。  文部大臣自由党党籍を持つていらつしやいまするが、私は、文部行政というものは他の大臣立場違つて、その心の持ち方というものにおいて、非常に純粋性を要求される面が多いのじやないか、言いかえますると、個人としては文部行政の厳正な立場の上においてかくかくありたいと思いながらも、党人であるという立場から、ややもすると自分信念を曲げさせられることが多々起つて来る場面があると思うのであります。前の岡野文部大臣就任早々自分文部大臣ではあるが、あくまで自由党の党員であるということを申しておられる。何だかわけのわかつたようなわからぬような印象を私たち受けたのでありますが、文部大臣はこういう点について、どのようなお気持文部行政に当つていらつしやるでしようか、これをお聞きしたいと思います。
  4. 大達茂雄

    大達国務大臣 むろん文部大臣としては国家利益ということを中心にして仕事を進めなければならぬことはもちろんであります。しかしやはり党派に所属しておりますれば、その党が教育に関する政策を持つておるのでありますから、それを推進して参る。ただ今御指摘の通り文部行政が、政党内閣のもとに、内閣がかわるたびに文教根本がぐらぐらすることはきわめて望ましくないことであろうと思います。でありますから、政党としての政策を進めて行くことはもちろんでありますけれども、ただ何と申しますか、通俗に言つて政党立場利害という見地から文部行政が左右せられないように、こういうことは私として念願をしておるのであります。
  5. 山崎始男

    山崎(始)委員 私は心ひそかに考えまするのに、政党に籍を持つていらつしやる方が大臣になられて、——ちようど前の岡野文部大臣からこの方でありますが、ややもいたしますると、文部行政は、ただいま大臣はできるだけ公正を保持すると言われますが、世間一言に申しますると、中立性を欠いておるという印象を持つておるのであります。また当局大臣立場としては、教育中立性というものを要求されておられますが、私は教育行政中立性というものがない以上、教育中立性というものはない、このように考える。世人はこの教育行政中立性ということに対して非常に疑惑を持つておる。この点について大臣はどういうふうな御所見を持つていらつしやいますか。
  6. 大達茂雄

    大達国務大臣 教育行政中立性ということが、具体的にどういうことでありますか、ちよつと私すぐ頭に入りかねる点があるのでありますが、教育自体中立性、これは厳重に維持せられなければなららぬ、かように確信をしておるのであります。しかしながら文教政策あるいは教育行政、これは政党内閣のもとにその政党文教政策従つて推進せられるのであります。これはひとり文教行政にとどまらず、万般の政治行政というものは、政党内閣下にありまして、その政党の主張する政策に基いて推進される、これは当然であろうと思います。この場合におきましても、教育そのもの政治的な中立性、これは厳重に維持せられなければならぬ、かように思つておるのであります。
  7. 山崎始男

    山崎(始)委員 私の言葉が足りなかつたかもしれませんが、教育行政中立性ということは非常に誤解がありまするが、結局ここ数年来の吉田政府教育行政の基本的なあり方というものは、一言で申しますると、教育はだれのためにやるのかということを疑わしめるような教育行政が行われていやしないか、この点を申し上げるのであります。なるほどその政党としての性格というものは、ひとり教育行政だけが除外されるということはあり得ません。その政党性格教育行政にも流れるということは理の当然でありまするが、そこに私は非常に問題があると思うのでありまして、いわば程度の問題と申しますか、私はあくまで教育というものは数千万の児童、数十万の教員、もつと端的に言いますれば、国民のための教育でなければならない、それがややもいたしますると、その教育行政が極端に申しますれば、いわゆる自由党のための教育行政、こういう印象を実に強く世人は持つておるのであります。でありますから、教育行政中立性という言葉は妥当でないかもしれませんが、まあいわば教育行政の公正と申しまするか、その点が非常に欠けておる、この点なのでございます。大臣党人であるという立場から、こういう御質問を申し上げることはいささか当を得ないかもしれませんが、あなたがここ数年来の吉田政府教育行政というものをごらんになつてどのような感じがいたしますか。私がこのように申し上げることが違いますか、違いませんか。いささか国民のための教育行政ということから中心点がはずれておるような印象と強く受けるというこの一点であります。
  8. 大達茂雄

    大達国務大臣 私は党人と申しますか、党籍を持つて政治に志しておる者として、一倍国家利害休戚国民利害休戚を念とすべきものであると思います。すべての国の政治国民利益のために、国家利害休戚のために推進せらるべきものである。ただその政策について、どうしたらばそれがいいという点につきましては、それぞれの政党において最善と考え政策があろうと思います。ただそうでなしに、国民のため国家のためという線を離れて、ただ党のためということで行われることはこれはひとり文教行政に限らず、すべての政治国民のために行われる政治でありますから、これはそういうことがあれば好ましくないということは言えるであろうと思います。
  9. 山崎始男

    山崎(始)委員 先ほど大臣は、大達文相としての四つの基本要綱をお出しになりましたが、これはもとより文部事務当局自由党皆さんとも御相談なさつてつくられたものだということは申し上げるまでもないと思うのであります。文部大臣に御就任になりまして、自分としてはぜひこういうことをやつてみたい、ああいうことをやつてみたいという信念と申しますか、抱負と申しますか、そういうものがおありだろうと思うのであります。あの基本要綱なるものは、もとより御相談の上つくられたとはいうものの、どなたかが強く考えられた点がその中に織りまれておる、いわば会議をしたといつても、その比重の問題があると思うのでありますが、大臣自身の着想があれに多分に織り込まれておるのか、それとも吉田政府の強い要望が織り込まれておるのか、それとも文部事務当局の強い考え方が織り込まれておるのか、お聞かせを願いたいと思うのであります。
  10. 大達茂雄

    大達国務大臣 先日お答えいたしました点は、私が文教政策に対してどう考えておるか、こういう御質問に対してお答えとして申し上げたのであります。従つてこれはもちろん自由党政府考え方、それから文部省事務当局考え方、これと背馳するものとは思つておりませんが、別にこれを形式的に相談をして、党の方とも、あるいは内閣の閣議の方とも相談をした上で御返事を申し上げたのではありません。御質問に対して私としての考えを申し上げたのであります。
  11. 山崎始男

    山崎(始)委員 どうも私はあの要綱を見まして、先ほどから私が申し上げておりますように、何ら新しい教育政策も打出されていない。また一般質問の時間がありまして、大臣のいろいろな答弁をお聞きしておりますのに、まことにぶしつけな言葉で失礼でありますが、これが今日の教育の危機を乗り切るところの大臣の御信念としては、非常に物足りないという印象を実は持つて来たのであります。基本要綱自体が、われわれか覚ますといわゆる前の岡野さん時代からの焼直しで、それが多少具体性を持つて来た程度にしか見えないのであります。  一体吉田政府行政の中で、外務行政文部行政くらい吉田内閣性格を露骨に出しておるところの分野は私はないと思う。言いかえましたら、外交方針教育方針というものは、いわば吉田さん自身好みが、多分にこれに反映されておるような気がするのであります。この基本要綱を見てみましても、そのにおいが非常に強烈にいたします。愛国心道義高揚、ひいては教育勅語の礼賛をやられる。前のときにもそうでありました、今度もそうでございます。地歴復活、ややもすると修身課復活がぼつぼつ頭をもたげて来ておる。そうしていまひとつは、その裏には必ず日教組対策というものが織り込まれておる。ちようど天野文部大臣が去られまして以来、政党人大臣になられたころから、教育行政の基本的な性格というものは、その一党に集約されておる。かように申しても過言でないと思うのであります。先ほど私が申し上げましたように、外交政策文教政策というものは、いわゆる吉田首相個人好みというものが、強烈に出ておるのじやないか。今回基本要綱をお出しになりました。これにつきまして、文部大臣吉田首相自身と、何かお打合せあるいはお話を、とくとおやりになつたかどうか。この点を先にお聞かせ願いたいのであります。
  12. 大達茂雄

    大達国務大臣 ひとり文教行政だけではありませんが、個人的な好みとか趣味ということで、国政が行われるということがあつてはならない、私はかようにかたく信じておるのであります。その好みの現われとして、愛国心振起、あるいは国民道義高揚、こういう点が、特殊の人間の特別な趣味であるとか、好みであるというふうにおつしやつたと思うのでありますが、私は道義高揚愛国心振起はきわめて重大である、それに関連して、地理、歴史の教育をもう少し徹底させるようにする、これが一般人間考えることでなしに、特定の個人の特殊な好みである、このようには毛頭考えておらぬのであります。ことにそれがただちに日教組対策という——これはどういうことであるか知りませんが、それと結びつくということに至つては、ますますもつて私は了解苦しむのであります。だれが考えても、今日わが国の現状を見まして、国民道義高揚し、愛国心振起する、これがきわめて重要であり、また文教根本でなければならぬということは、大部分の人がそう思つておると思う。愛国心高揚しなくてもよろしい、道義がすたれてもよろしいということは、あり得ないのであります。さような意味におきまして、これを言うたから、何か日教組対策として言うのであろうとか、それは吉田総理好みに偏しておるのであろうというような意味のお言葉は、私としていささか了解に苦しむのであります。
  13. 山崎始男

    山崎(始)委員 私が申し上げました言葉が、いささか誤解されておるのでありますが、あの基本要綱を通して見ますときに、その基本要綱の中に流れておるところのものは、いわゆる吉田首相好み考え方が流れておるのだ。愛国心といい、道義高揚といい、その方法として、地歴あるいは修身科復活というようなことを歴代考えておられた。同時に教育行政というものの中には、必ず日教組対策というものが何か織り込まれておる、かように私は申し上げたのです。愛国心道義高揚、このことに対して、私たちは何もそれを否定するものではございません。問題は、いわゆる吉田首相好みによるところの道義高揚であり、愛国心高揚であるならば、私たちはそこに方法論の問題として、非常な異議があるのであります。そのことにつきましては、もうすでに先輩同僚皆さんから今まで言われたので、私は申し上げる気持はございませんが、私が日教組対策があると言つたのは、愛国心道義高揚、そのことのうちに日教組対策があると申し上げたのではございません。その点は、ひとつ誤解のないようにお願いしたいと思います。ただ文教政策自体の中に、必ず日教組対策が織り込まれておるにおいがする、私はかように申し上げたのでございます。文部大臣が御就任になりました当時のお気持のほどはよくわかりましたが、日教組に対して、先日来からのたびたびの皆さんの御質問に対して、ちようど文部省へのすわり込みの件がありましたときに、現在の法制においてはいかんともすることができないが、何とか他の方法によつて処置をしたいという御意思を表明されていらつしやいますが、その処置内容、どういうようなお考えが、その処置という言葉の中に織り込まれておりまするか、御所見を伺いたいと思います。
  14. 大達茂雄

    大達国務大臣 この前に、この文部委員会質問がありましたときに申し上げましたように、私は日教組に対して融和する考え方で進む、あるいはこれに対しては強硬な態度をもつて臨む、あらかじめかような態度をきめて日教組に臨むつもりはないのであります。公正な態度をもつて臨みたい、こういうふうに考えておるのであります。そこで、日教組の現在のあり方がどうであるか、こうであるかということは、そのときどきの日教組やり方についての話でありますから、私は一概にはここで申し上げることができないと思うのでありますが、少くともこの間のすわり込み、世間ですわり込みと言つているその問題だけをかりに取上げてみますと、これは日教組の諸君の方に、はなはだ遺憾な点があつたと思う。これは教職員としては、まことに望ましからざることでありました。反省を促すとともに、今後学校教職員が、そのとうとい教育の使命というものを自覚して、勤務してもらいたい。もしそうでなければ——この間の人のことを言つているのではありませんが、そうでない教職員に対しては、これをなるたけそうでないようにして行きたい。こういう考えのもとに、この前申し上げたのであります。前日また、御質問の対象になりました最近の教育中立性維持に関する通牒のうちにも、教員勤務の状態をよく見て、いやしくも勤務不良の教員が絶無になる——これは必ずしもその人間を免職にするとか、首を切るという意味ではありません。そう教員がなくなる、そういう不良の勤務というものがなくなるようにしてほしい。こういうことを、文部大臣として、地方教育委員会に対して指導助言をしたのであります。御承知の通り、ただいま文部大臣は、この前も申し上げましたが、この点がいけない、この先生がはなはだよくない、こう思つても、それに対して直接何らの権限はないのであります。指導助言によつて、それぞれ権限のある機関の注意を喚起して、その活動を促す、現在の法制下においては、こういうことしかできない。それが先日の通牒と申しますか、通達を発したゆえんであります。
  15. 山崎始男

    山崎(始)委員 そういたしますと、過日のすわり込みに対して、世耕委員からこれに対する大臣の所信のほどを尋ねられたときの御返答で、現在の法制上ではどうすることもできないから、他の方法を何か考えておると言われました。ただいま大臣が申されました公正な方法による云々、その公正ということは、勤務ぶりが悪い者はよくしなければいかぬという、いわゆる合法性とでもいいますか、あるいは教育中立の問題ならば、教育基本法の第二項による中立性とでもいいますか、そういう意味の公正なる点を強く要求するというのがあの当時の御返答処置の中に入つておる、それが今回の次官通牒となつて出ておるところの、あの教育中立性云々のあれに該当するのでありますか。どうでありますか。
  16. 大達茂雄

    大達国務大臣 ただいま申し上げましたように、現在の制度下におきましてはあれ以上の方法がとり得ないのであります。今お話になりましたように、この間の通牒は、そういう意味におきまして指導助言をして、実際地方教職員人事権を握つておるところの機関に対しましてその活動を促した、こういうわけであります。但し将来どうしてもそういう風が非常に瀰漫して、わが国義務教育が危うくなる——さようなことはないけれども、万々一にもさような事態が起つて、これが現在の制度において収拾のできない事態であるならば、制度そのものをかえて行かなければならぬということは、将来の問題として万々一そういう場合があれば考え得ることである、かように思つております。
  17. 山崎始男

    山崎(始)委員 そういたしますと、重ねてお聞きいたしますが、新しい事態が発生しない限り、現在の段階においては日教組に対する先日の御所見処置という、この処置内容というものは、これ以上は発展しないというふうに理解していいのでありますか、その点いかがでありますか。
  18. 大達茂雄

    大達国務大臣 大体お話通りであります。あれ以上の処置は、ただいまは実はとり得ないのであります。私はある通達によつて実際教職員に対する人事権を持つておるところの府県、あるいは市町村教育委員の方の厳正な活動を促したい、それを期待しております。
  19. 山崎始男

    山崎(始)委員 私考えますのに、文部大臣が御就任になりまして、文部大臣の御答弁を通し、あるいはかりに今の日教組に対するあの当時の交渉というものをつらつら見てみまして、心憂える気持が非常に多いのであります。なぜかと申しますと、文教最高責任者であられるところの文部大臣が、あのような事態が起きたことに対しては、ただいま文部大臣は非常に日教組に対して遺憾な点が多い、かように申されておられましたが、私はこまかいよし悪し、どちらに遺憾な点があつたかないかというこまかい点は詮索の要はないと思うのであります。いさかいのあるものは必ずどちらにも五分と五分との理があるということはこれは真理でございます。ただ私は一国の文教最高責任者である文部大臣が、ただああいう事態が起きたからというて、一概に相手に非があつたのだということだけを考えていらつしやるとしたならば、非常に私は遺憾だと思うのであります。文部大臣という立場から考えますると、何と申しましても、それは多少行き過ぎな人もたくさんな先生の中にはあるだろうということを私は想像もできます。できますが、何と申しましても文教最高責任者から見れば、数千万人の学童並びに数十万人の教師というものは、いわば一言で申しますれば子供みたいなものじやないか、かように思うのであります。そういうような責任者であられるところのあなたに、もしそういうふうなお気持があるならば、当時だつて進んでおれがひとつ会つてみてやろうという気持は、人間であるならばこれは必ず起きるのではないかと思うのであります。それが会わせろ、いや会わぬという、これはもう世の中の熊公や八公のけんかと何らかわらない、かように思うのであります。また同時にただいま申し上げましたような親心があるといいますか、おれは教育を守るのだという強い信念があつて大臣になつていらつしやるならば、ああいう問題は未然に防げるといいますか、そういうふうになるのじやないかと私は思うのであります。それがああいう事態が起きて、その結果が処置するとかしないとか、教育中立性を守るとか守らぬとか、こういうことでは日本の文教行政というものは一歩も進展して行かない。決して文教行政のためにプラスになるゆえんじやない、いつまでたつたところでそれは平行線で、作用があれば反作用があるという、これはもう絶対の原理でございます。あなたがそういうふうなお気持で、形式一点張りやり方でもつて、あれは不都合なんだからこういうふうな処置をやるのだということになれば、必ず反作用があるのはきまつております。過日の本会議で改進党の田中委員——田中委員言葉を借りますならば、今日のような日教組があるということは自由党の責任じやないか、吉田政府文教政策やり方が悪いからこういうことになつたのじやないか、こういうふうなことを本会議の席上で言われたと私は思うのでありますが、この考え方も半面の真理を持つておると思う。かように実は承つたのであります。現在のような文部大臣のああいうふうな形式的な考え方では進まない、教育にとつてプラスになるどころではない、むしろ逆な方向に行くのじやないか、まことに一般論でございますが、私はこういうふうに考えるのであります。従つて当時文部大臣が、いま少し大きな気持でもつて、おれがひとつ会つてみてやろう、どんなことを言うか何人でもやつて来い、自分らの子供たちだというようなお気持でもつてお会いになつたら、ああいう事態は起きてない、かように思うのであります。今ごろになつて教育中立性云々でもつて次官通牒を出すなどということで行くならば、よい結果は出て来ない、私はこのように思うのであります。この点についてどういうふうなお考えでありましようか。
  20. 大達茂雄

    大達国務大臣 初めにお断りしておきますが、私はこの間の事柄につきまして、何も感情的に動いておるつもりは毛頭ありません。その点は誤解のないようにしていただきたいと思います。  それからすべていさかいというものは、お互いに五分々々のりくつがあるものだということでありますが、私はこの間のできごとに対していさかいをしたとは思つておりません。私の方は何もけんかをしたつもりもなければ、何もいさかいをしたというつもりはない。まつたく日教組の諸君が一方的に乗り込んで来て、一方的に文部大臣の部屋を占領して、一方的に騒がれたというふうに思つております。初めから会えばいいじやないかというお話でありますが、むろん私は初めから会わないとは言つていないのであります。ただ御承知の通り国会も開会中でありまして、無制限な時間で、日教組の指定する場所において無制限な人間に会う、これはだれが見ても非常識であります。私はからだが一つしかないのでありますから、国会の方に出ながら無制限の時間を日教組の諸君と会つておるひまがないのであります。でありますから私の都合のでき得る限りにおいて会うとこう言つた、それをそういうことはいかぬということではねつけて、それでひとりで騒いでいる。私の方は一緒になつて、騒いでいない、その点は誤解のないようにしていただきたいと思うのであります。
  21. 山崎始男

    山崎(始)委員 そういう御答弁は、実は私大臣からきようまでたびたび聞いておるのであります。聞いておればこそ、ただいま申し上げたような御質問を申し上げたのであります。大臣の御答弁を聞いておりますと、形式的には実にりつぱな御答弁をなさるのであります。しかし私は個々のその当時の会う会わぬの小さな問題を申し上げているのではないのであります。大臣文教政策最高責任者としてそういう形式的なものの考え方をしておつたのでは、教育は進んで行かない、これを私は申し上げておるのであります。いかに五十万の先生に対して憎らしいやつだと思つたところで、結局あなたが大臣でいらつしやる以上は縁は切れないのであります。切れないどころではない、よきにつけ悪きにつけ、手をとつて日本の教育のために進んで行かなければならないと私は思うのであります。そのことを申し上げておるのでございまして、大臣の御答弁はお聞きしておりますと実にりつぱでございます。りつぱではございますが、まことに形式的な御答弁で、はなはだ遺憾だと私は申し上げるのであります。わが党の高津委員から大臣は御就任になつて道徳教育を特に強く主張していらつしやるが、吉田内閣には二人の選挙違反容疑者がおるじやないか、これに対してあなたは個人としてでも吉田首相に対して諌言をなさつたことがあるかどうかという質問に対しても、大臣は、刑の判決がきまつたならばおのずと処置されるのであろう、こういうような御答弁をなさつた。これは尋常一年生に聞いても私はそういう答弁をすると思うのであります。高津委員が道徳教育を主張されるあなたの信念を尋ねられたのに対する返答としてまことにりつぱでございます。しかしあまり形式主義的であるという印象は免れません。私はその質問をした高津委員自体の気持もわかるのでありますが、それと同じように、ただいまの日教組対策におきましても、あなたのお気持は実によくわかる。法律さえ守つていればいいのだ、公正なる処置をする、だから先生も公正でありさえすればいいのだ、こういうような御答弁に聞えるのでありまして、あまりにもそれは形式的であり過ぎはしないか、こう申し上げておるのであります。  大臣に他の観点から一点申し上げたいことがあります。日教組に対して自分は何らそんな感情を持つていないと言われますが、文教行政の中には多分日教組対策が私たちから見るとあるのであります。前国会に出ましたところの義務教育職員法案に対しまして——今国会におきましては出なかつたのでありまするが、大臣は御就任中に、自分信念においてこういう法律案は出さないというお気持がありますか、これについてお伺いをいたしたい。
  22. 大達茂雄

    大達国務大臣 くどいようでありますが、私は先ほど申し上げたように、感情的に日教組の諸君に対しているということは自分としては毛頭ないのでございます。決してそれを憎いとか、いわんや全国五十万、六十万にわたる教職員が憎いとか、そんなばかげたここは絶対に考えたことはないのでございますから、この点はただいまそういう意味のお言葉があつたようでありましが、くれくれも誤解のないようにしていただきたい、こう思うのであります。  それから前国会において提出せられました職員法につきましては、これは内閣はかわつておりますけれども、自由党内閣として提出した案であります。御承知の通り、当時国会の方面におきましても相当論議がかわされておる、それらの点にかんがみまして、私はもちろん自由党員でありますけれども、しかし文部大臣就任をいたしました以上、私としての責任もまた感ずるのでありますから、私として十分検討を加え、そうして態度をきめたい、ように考えております。
  23. 山崎始男

    山崎(始)委員 十分検討を加えて態度をきめられるというのでありますが、あなた個人のお気持として——日教組対策の話が出ましたから私は一言申し上げますが、端的に申しますれば、あの法律案は御承知のように先生国家公務員に縛りつける、いわんや日教組対策というものが多分に含まれているということは、申すまでもなく国民すべてが知つていることである。だからあなた御自身が在任中はこういう法律案はおれの気持ではどんなことがあつても出さないのだというお気持がおありになるかどうか。イエスかノウかでけつこうでありますから、あなたの御決心のほどを聞きたい。
  24. 大達茂雄

    大達国務大臣 私はただいま申し上げましたように、十分検討を加えて、山崎さんのお尋ねに対するイエス、ノーをきめたい、こう申しておるのであります。ただいまはまだ申し上げられない。検討をしているのであるから結論が出ておらぬのであります。ただ、かりに教員政治活動を制限するというような場合におきまして、これを私は日教組対策思つておらぬのであります。日教組は私の了解するところでは政治団体ではないのじやないかと思うのでありまして、これをすぐいわゆる日教組対策としてお受取りになるのはどうか、こう思つております。
  25. 山崎始男

    山崎(始)委員 大分時間もたちましたので、私だけ申し上げてもまことに失礼でありますが、今文部大臣は、義務教育職員法案は日教組対策でないと言われましたが、これはくどくは申しません、世間はみんな日教組対策思つているのであります。ちようど現在行われておりますところの地方教育委員会制度そのものがこれまた日教組対策である。今ここで申し上げるのもどうかと思いますが、教員の三本建の給与の問題も日教組対策だ。これは内容を見た場合はみなそうなるのであります。私はあなたの言葉じりをつかまえて申し上げるつもりはありませんが、世間はそう思つております。余談になりましたが、職員法案に対する大臣の御答弁まことにお苦しいようでありますが、これ以上追究するのもどうかと思いますから、この程度にとどめておきます。
  26. 辻寛一

    辻委員長 次に町村金五君。
  27. 町村金五

    町村委員 私はこの場合文部行政につきまして大臣の御所見を数点伺いたいと思います。  大臣に伺いたいと思いますることは、御承知の通り、今日わが国の青年は前途に対しまして何らの理想も希望も持つことができないという状態になつているのであります。その結果があるいは無気力になりまして虚無的な思想のとりこになつて行つたり、あるいは自暴自棄になりまして、現状破壊にのみ盲進しようとするようなまことに嘆かわしい状態になつているのであります。これはもとより敗戦がもたらしました重大な結果であると思うのでありまして、青年諸君にはまことに同情を禁じ得ないのでありますが、すでに戦後八年を経過いたし、わが国もまがりなりにも独立が実現いたしました今日、もはや敗戦の名におきましてかような風潮を坐視いたしていることはできないと考えるのでございます。この憂うべき事態を打開いたして参りますのに、もちろん一つには強力な施策を行いまして、社会的、経済的条件の改善に万全を期する必要があるのであります。これにはもちろん今日のわが国の情勢はすこぶる困難な制約があるのでありまして困難をきわめるのでありますが、この困難を克服いたしまして、青年の前途に明るい希望を見出し得るような日本を再建いたしますことが、今日の日本の政治に課せられました最大の任務であると考えるのであります。また一面この多難な現状から逃避をし、あるいは現実を否定しようとすることにのみ専念いたしております青年に対しまして、ただ手をこまねいて放置いたしているというようなことを避けまして、青年諸君が責任を自覚し、困難なうちにも大きな誇りを持つて日本の再建に当るという強固な精神力と生活態度を持たせますことは、教育行政にとりましてもきわめて重要な課題であると私は考えるのであります。かような点につきましての文部大臣の御所見を伺いたい。
  28. 大達茂雄

    大達国務大臣 ただいま町村委員の御意見には私はことごとく同感であります。まつたく仰せの通りであると思うのであります。今日はまことに終戦後敗戦の結果によりまして人口は多過ぎるし非常な窮乏にあり、また社会的な混乱の事態がまだ継続していると思うのであります。多数の青少年は前途に容易に生活の上において希望と光明を見出すことができない。従つて現状に対して安定した気持を持ち得ないということはむりのないことでありまして、従つてややもすれば現状を破壊すると申しますか、現状を変革しようとする、そういう方向に走りやすいということもこれは実際むりのないことであると思うのであります。これは根本的にそれぞれその所を得て、気持の上の安定をとりもどして、一家のこと、社会的なことに進んで行くということは、御指摘の通りまつたく第一にはわが国の経済というものが回復して、わが国政が力強く歩み出すということに結局尽きるのではないかと私は考えているのであります。もちろん文部省といたしましては、この青少年の動向につきましてはきわめて重大な関心を持たざるを得ないのでありまして、今日のごとく経済的な窮乏のさ中においては、文部省としてなし得る最も有効な最大限のことは、私は青少年の道義高揚され、愛国心振起されることであると思うのであります。個人でいえば、貧困に屈せざる一種のさとりを開く、こういう境地が与えられるということが、文教政策の上においてとられる最も重大な点であるのではないかと思います。せつかくその意味において今後これには一生懸命の努力をして参りたい、かように思つております。
  29. 町村金五

    町村委員 ただいま青少年対策につきまして大臣の御所見を伺つたのでありますが、御承知の通り今日少年の犯罪というようなものは戦前に比べてみますと非常な勢いをもつて増加いたしているのであります。まことに前途暗澹たる気持にならざるを得ないのであります。この点は先ほども申し上げました通り、社会的、経済的条件を改善いたすということが先決問題であることは言うまでもないのであります。これはなかなか一朝一夕に今日のわが国情のもとにおきまして実現をいたしますことは非常に困難な制約があると考えます。ぜひともこれは文部行政の上におきましても、青年の精神的基盤を強固にするというような点について、一段の御努力を願わなければならないと思うのであります。  さらに第二点について伺いたいのでありますが、御承知の通り連合軍によりますわが国の占領政治の目的というものが、日本の経済力を弱体化するということにありますと同時に、日本人を精神的にも無力化しまして、いわゆるバツク・ボーンを抜き去るということにあつたことはいまさら言うまでもございません。しかもこの占領政治に対しまして、日本人は政治家といわずあるいは教育者といわず、きわめて従順でありましたがために、心あるものはかような状態を心配しながら、しかも多くの者は無意識のうちに、ほとんど骨抜きにされてしまつたというのが今日の現状であると考えます。この結果、わずか数年にいたしましてわが国民性の長所と目されますようなものが急激に失われてしまつたのであります。たとえて申し上げれば、勤勉の美徳というようなものは、今日国家が窮乏しております場合かえつて影をひそめてしまい、競輪であるとか麻雀であるとかパチンコであるとかいうようなもののたぐいにうつつをぬかしまして、その射倖的な風潮は今日ほとんど世界の嘲笑の的となつているような状態であります。しかも寒心にたえませんことは、この傾向が堅実なるべき青年諸君において特にはなはだしいという事実であります。また今日のわが国におきましては、みずからの権利と自由を主張すること、これがはなはだしくて、その反面であるところの義務と責任を没却して何ら反省するところがないというのが今日のとうとうたる風潮であります。  さらに、ただいまもお話が出ましたが、正しい愛国心というものまでもなくなりまして、逆にわが国をみずから軽蔑し、いたずらに外国の文物を謳歌しようとする気風が随所に見られるのであります。私は、国家の存立の根本は申すまでもなく強力な民族精神を根底といたさなければならないと考えるのであります。今日日本はまさに精神的にも四等国民たるの様相を呈するに至つている。まことに残念な状態であります。現内閣は占領政治の行過ぎを是正するということをしばしば言明されているのでありますが、私は寡聞にいたしまして、今日のこの憂うべき風潮に対処いたしまして、国民精神を振起するといいましようか、民族繁栄の根本策について、高い見識に基いた適切な措置が講ぜられたという事実をあまり聞いておらないのであります。政府は道義の頽廃をいたずらに嘆かれるのみでありまして、民主国家国民としてみずから奮起するところの機運を醸成するという点において、進んで適切な施策を講ぜられる必要があると考えるのでありますが、さような点につきましてほとんど私どもには見るべきものがないように感ぜられるのであります。かような点につきまして文部大臣の御所見を承りたい。
  30. 大達茂雄

    大達国務大臣 今日のわが国の青少年がきわめて動揺をしておる、これはただいま御指摘の通りであります。むろん敗戦による影響、窮乏と混乱のみならず、戦時中また戦後にかけまして、わが国教育は遺憾ながら一時中絶をいたしたと思うのであります。その意味におきまして、今日の青少年諸君というものはまことに気の毒な状態である。これが先ほど申し上げましたように前途に希望、光明がなく、従つて目標とするところ、理想とするところがない結果は、みずから軽んじ、自信を失つて、刹那的な感覚を追つかけて、その日暮しをしておる、これが偽らざる状態であると私もさように思うのであります。ことに今日は民主主義社会であつて、個々の尊厳ということが強く叫ばれておりますけれども、事実はほんとうにわが国を民主国家として仕上げなければならぬ次代を背負う青少年の間に、これまで個々の尊厳どころではない、自分に対する自信というものさえ失つている、ただいまもお話がありましたように、自分の国さえも軽蔑しておるこの青年の風潮を、かくのごとく持ち来したことにつきましては、これは私は社会各方面にその責任があると思うのであります。今日なおそういう意味において、わが国の青少年にその風潮をつのらせるようなことをしておる人もたくさんあるのであります。私はこの事態はまことに遺憾であると考えるのであります。御指摘の通り、今日までわが国の青少年のこの風潮に対しまして何ら適切な、力強い措置は講ぜられておらぬと思うのであります。これはしかしながら先ほども申し上げました全体の問題でありまして、それじやどういう方法があるか、どうやればうまく行くか、こういう簡単な問題ではなくて、全体のからだが弱つておるから、一々の面に不健康な状態が現われておる。からだ全体がその健康を、元気を回復しなければ、部分的な点を、そこだけをうまくやるということは、私はなかなかできないことであろうと思うのであります。しかしながらこれにつきましては、先ほども申し上げましたように、文部省文部省の分野として、しかも最も根本的な分野を担当しておると思うのでありますから、今後ともただ形式的な、いわゆる社会教育であるとか学校教育であるとか、これはむろん大事なことでありますが、——もつと深い見地から、何とかこの風潮に対して、力強い、祖国を愛し、自分を重んずる——むやみに自由とか権利とかいう主張をすることは、これは個我を重んずるゆえんではないのであります。今日放縦懶惰の生活が行われておる。自分つてのことばかり言つておる。これは決して個我の尊厳を発揚するゆえんではないと私は思うのであります。これらの点につきまして、私はしかしながらわが国の前途に対して悲観はしておらぬのであります。過去においわが国は敗戦の歴史をこそ持ちませんけれども、社会的の混乱に直面したことはしばしばあるのであります。国民の健全な良識によつていつの間にか理知をとりもどし、民族の光栄を持続し来つたと思うのであります。私は今日、決してわが国の前途に悲観はいたしませんが、しかしながら今日のこの風潮に対しましては、あらゆる努力を払わなければならぬ、かように考えます。
  31. 町村金五

    町村委員 私も、今日の憂うべき状態を見まして、これがいつまでもわが国の姿である、日本民族の前途は悲観すべきものであるというふうには考えておりません。従いましてその点につきましては大臣所見を同じくするのでありますが、ただ今日の現状にかんがみまして、文部大臣のお立場から、さらに一段と高い、あるいは国務大臣立場として、この問題はぜひ真剣にお取上げを願いたいと私は思うのであります。  次に私が伺いたいと思いますことは、私も教育のことはまつたくしろうとでありまして、何もわからないのでありまするが、私の見るところによりますれば、教育において最も大切なことの一つは、日本人であるならば、その国民性の長所と短所をよく弁別、検討しまして、その長所はあくまでも伸ばすことに務めまするとともに、短所は矯正をいたしますために、あらゆる方途が講ぜられなければならないと思うのであります。私は、日本人は長所もたくさん持つていると存じまするが、同時にまた短所も多いということもわれわれは自覚いたさなければならないと思うのであります。たとえて申しまするならば、いわゆる島国根性というものは私は依然として日本民族の弱点であると考えます。その結果あるいは寛容の精神が欠けて、とかく他人の欠点をあげつらい過ぎるというようなことは、まさに日本の国民性の欠陥ではないかという感じがいたします。あるいはまたただいま大臣の言われた個我の尊厳と申しましようか、個人的意識の自覚が非常に乏しい。従つてややもいたしますると、事大主義となつて、いたずらに附和雷同するというような性癖が多いのであります。正しいこと、正義に対して毅然としてこれを貫き通すという信念とか勇気が日本人には非常に乏しいように私には感じられるのであります。かような点は一刻も早く矯正をしなければ、私は日本民族は世界に誇るべき大民族にはなり得ないのではないかということを懸念いたすのであります。また今日の日本人は、あるいは昔からそうであるかもしれませんが、どうも物事に対する見方なり判断なりというものが、ややともすれば観念的であつて、科学性に乏しい、いわば足が大地を離れて、非現実的な状態でものを考える傾向が非常に強いように考えられます。これは国家百年の大計を立てる上におきまして、非常に大きな障害をなしていると私は考えるのであります。私は、学校教育といわず、社会教育といわず、教育はかような点について深く着目をいたしまして、わが日本人の国民性の欠陥を是正し、他民族に誇り得るような国民性を育成して参りますために、一貫した大きな方針がなければならないと思うのであります。かような点について文部省はすでに一定の大方針をもつて進んでおられるかもしせませんけれども、かような点につきまして今日まで文部省はいかなる努力をなされたか、また今後いかなる努力をなさろうとしているのか、さような点について伺いたいのであります。
  32. 大達茂雄

    大達国務大臣 わが民族が一面において非常な長所を持つている、同時にまた短所もたくさんある、これは私も同感であります。たとえばただいま御指摘になりました附和雷同、わが国国民に通有する附和雷同性というものが幾たびか国に非常な不幸をもたらしたという事実は争えないことであると思うのであります。戦争前あるいは戦争を通じまして、わが国民が長いものに巻かれる、附和雷同、これがわが国を未曽有の災厄に陥れたことは明らかな事実であると思うのであります。私は今日新しく日本が民主国家として出発しているにもかかわらず、依然としてこの附和雷同というものが今日とうとうとして風をなしているこの点は実は非常に憂えておるのであります。形をかえた災厄がわが国に何どき襲来するかわからぬとさえ思つておるのであります。これは長い間の国民の長所、短所でありまして、これをためるには、国民の自覚、ことに政治家といいますか、国民の儀表であり、国民指導という言葉は語弊がありますが、指導階級に立つ人の信念的な行動が非常に大切なことであると私はかたく信じておるのであります。その意味において、国の政治がきわめてまじめに健全に行なわれる、また個々の人々が国民の大多数のために信念を持つて行動をすることが非常に大切なことであると思うのであります。文部省としては、新憲法あるいは教育基本法、これは形式的な説明になるかと思いますけれども、それに掲げるところの教育基本というか、教育目的、この精神に沿つて従来も参つておるのでありますが、今後もこの教育基本法に掲げられておる教育目的に沿うて、わが国が新しい事態に対処して行く、旧来の長所を生かすと同時に新しい美徳、新しい勇気を涵養することができるようにやつて参りたいと思います。
  33. 町村金五

    町村委員 大臣答弁を伺つたのでありますが、ただいま申し上げました日本の国民性には幾多の欠陥がある。お話にもございました通り、私は過去において日本が戦争に突入した場合を考えましても、当時の政治家にして国際的の視野に立つた知識と、同時に戦争の結果について十分な認識を持つており、この認識を貫き通すだけの勇気を持つておつたならば、おそらく今日日本がかような悲境に陥るようなことはなかつたのではなかろうかと考える次第であります。従つて、さような点を考えて参りますと、過去における間違つた国家の行動を再現することがないようにいたすための教育、かような点に特に注意を払つていただかなければならぬと考えておる次第であります。  次に申し上げたいと思いますことは、私は、教育というものは、申し上げるまでもなく、国民の知的水準を向上させることにあると考えるのであります。戦後六三制が実施され、あるいは教育の機会均等という名のもとに義務教育年限が延長され、あるいは多数の大学が新設をされ、また生徒の創造的精神を養うという見地のもとに、自学自習の教授法が採用されるという新しい教育事態が起つてつたのであります。その趣旨においてはまことにけつこうなことと思いますが、この結果は、一般的にいつて、今日小学校の生徒あるいは中学校高等学校の生徒は、いわゆる話の泉式の知識を広く持ち合せることにはなつたのでありますが、国語であるとか、数学であるとか、理科であるとか、外国語というような基礎的知識を涵養する学問を系統的に勉強することが非常に欠けておるのではないか。従つて、大学生などについて考えてみても、物事に対して深く思索をこらすということに非常に興味を失つてしまつておる。その結果大学の卒業生などにいたしましても、学識のごときは一般にすこぶる幼稚であり、中途半端であり、高度な専門的知識を身につけていないという状態であると申しても、私は過言でないと考えます。すなわち学力の低下というものは随所に発見をされるのであります。前途まことに憂うべきものがあると考えるのであります。  ここで私は中、小、高等学校の問題について大臣の御所見を伺つてみたいと思うのであります。教科内容あるいは教授法というものに非常な変化が加えられたのでありまして、これをりつぱに完成して参るためには、新しい教育理念を体得し、新しい教科を教えるに足るだけの人格なり識見なり知能なりを身につけた教員が十分に確保された後でなければ、私は決して効果を奏しないと思う。にもかかわらず、これは占領軍の強要によつたとは申しながら、無準備のままにこれに突入いたしたことは、まことに遺憾しごくのことといわなければならないのであります。新教授法は生徒の自律、自発的な勉学態度を要求しておる。従来のような詰込み主義を排し、むしろ生徒に対していろいろな疑問を抱かせつつ、一つずつ解決して行くという方法がとられておるのでありますけれども、これは従来と違つて教員が非常に高い知識と広い視野を持ち合せていない限りは、とうていその目的を達し得ないのであります。しかるに教員の素質は今日依然として低調をきわめておる。生徒の疑問に対して答え得るどころか、基礎的知識を与えることすら非常に困難な状態にあると申しても決して過言でないと思うのであります。ことに中学校においてはこの傾向が著しいように考えられます。これは教員の大部分が、従来の小学校先生が中学校先生なつた結果であると考えます。大都市はともかくとしても、地方において中学校で理科や外国語を満足に教える先生が非常に少いという状態に相なつておるのであります。かようなことではせつかくの大事な中学校の時期において、基礎的な教養を身につけさせることがほとんど不可能になつておる。この事実はとうてい私は黙過いたすことができないと考えます。かような点について文部大臣の御意見を伺いたいのであります。  さらにまた私はこの際伺つておきたいと思いますことは、今日文部省がお定めになりました学習指導要領によりますと、中学校においては外国語は選択科目になつております。高等学校においても社会科では日本歴史、西洋史、人文地理、時事問題のうちの一つだけを選択すればよいということになつておるのであります。また理科においても物理、化学、生物、地学のうちの一科目を履修すればさしつかえがないということに相なつておるのであります。また外国語は中学校と同様高等学校においても選択科目になつております。これではあまりに生徒の興味中心主義に過ぎておると思います。日本の歴史や日本の地理を一つも覚えていない、あるいは物理、化学、数学で頭脳の訓練を受けていない、まつたく理科的な教養を持たない国民が非常にふえて参る、外国語の単語一つさえも知らない高等学校の卒業生もできるというようなわけであります。まだ年端もいかない少年に広汎な教科の選択を行わせ、自分の興味のみに甘えさせて、安易な学習態度で浅薄な知識を持たせて参るということは、日本の文化の創造に何らプラスすることがないと考えるのであります。かような点につきまして、ぜひとも是正をいたして参り、そうして国民の学力の向上をはかつて参らなければならないと思うのであります。こういつた面におきます今日の一般の学力低下の問題、ことに中、小、高等学校の学力低下の問題につきまして、文部大臣の御意見を伺つておきたい。
  34. 大達茂雄

    大達国務大臣 今日学校を卒業いたしましても、非常に学力が従来と比べて落ちておるということは、しばしば世間で言われておることであり、また大学等につきましても、卒業生を受入れる業界方面におきましても、特にその声が強いのであります。なるほど確かに学力が低下しておる面もあると思うのであります。ことに小、中学校高等学校等につきましては、御指摘の通りまつたく準備も何もなくて、しかも非常な窮乏な状態にあり、非常な社会的混乱のうちにしやにむに制度が発足したのでありますから、従つてすべてがうまく行つていない。今日に至るもなおその状態が整つていない、こういうのが実情であると思います。施設の点につきましてもそうでありますし、それから学校のかんじんの子供に教える先生方におきましても同様である。先生の方がすでに素質が下つておるのでありますから、これはまことに困つたことである。申すまでもなくわが国はこの大戦争におきまして、多数の優秀な青年、壮年を戦場において失つておるのであります。そうして今日若い小、中学の先生たちは、先ほど申し上げましたように非常な戦争という特殊の環境に育つて、そうして一時教育が中絶した状態にちようどあたつておる人が多いのであります。従つてその素質が低下しておる。ことに大がかりな義務教育制というものが、いさいかまわずきめられました関係上、適切な教職員が得られないということは当然なことであります。そこで文部省といたしましては、鋭意職員の素質の向上と申しますか、再教育に力を尽しておるのではありますけれども、しかしもちろん十分ではありません。また今度の教科の内客におきましても、教え方につきましても、これはやはり戦後の新しい制度による新教育方法として、それぞれねらいどころのあることと思います。また教育の専門化の面におきましては、やはり相当りつぱなりくつのあるものであろうとは思いますが、御指摘の通り現在の小、中学、高等学校における基礎的な知識と申しますか、その方面が欠けておる、そういうことは私個人としては非常に感じております。これはなかなか私どもしろうとにはわからないいろいろむずかしいりくつもあるようでありますが、何と申しても昔でいえば読み、書き、そろばん、今日でいえば国語、数学、それから自分考え方を書き表わすところのつづり方というか、あるいは広く知識を求めるための外国語の習得であるとか、そういう基礎的な方面の教育がどうも不十分である、私自身もそう思うのであります。これは今後教科の内容につきまして、それぞれ専門家の方面にもその気持を伝えまして、できるだけ基礎的な学力というものをもう少し水準を高めて行きたい。ただ今日の世の中の目先の事柄をおもしろ半分に会社に行つたり何かしてやる、これもけつこうでありますけれども、これはそのときそれの、たとえば輸出貿易はどうであるとか、米の生産が何ぼであるとかいうことは、大きくなればわかることでもありますし、新聞を十分に読破することができればわかることでありますから、どうしても基礎的な学力をつけてやらなければならない。私は昔からどこでもそうだと思いますが、どうも混乱というようなことを——文部大臣としてそこまで言つては言い過ぎかもしれませんが、私としてはそう感じておるのであります。できるだけそういうことは改めて参りたい、かように考えております。
  35. 町村金五

    町村委員 戦後日本では窮乏の中にもかかわりませず、非常に大学がたくさん設けられることになつたのであります。おそらく世界有数の大学国家なつたと思うのであります。これは一見まことに喜ばしいことでございますけれども、ただいまも申し上げました通り、これによつてわが国の知的水準がだんだんと向上するということであるならば、まことにわれわれとして喜んで参らなければならぬのでありますが、また大学ができましてからきわめて期間も短いことでありますから、この功罪をこれによつてただちに決定することはいささか早計にすぎる点があるかとも考えるのでありますが、少くとも今日までの現状におきましては、大学卒業生の知的水準というものも非常に低下しておることは、一般の定評になつておるようであります。たとえば今年の一月三十日付の朝日新聞の「論壇」におきまして、三井鉱山の人事部長という人が次のようなことを書いておるのであります。自分の会社では過去三回にわたつて新制と旧制の大学の卒業生を同じ基準によつて選考する機会を持つたのであるが、その結果は筆記試験においてあるいは面接試験において、ほとんど多少の例外を除いては、新制卒業生は旧制の卒業生に比べてみて非常に成績が悪いということを痛感した。こう言つておるのであります。新制度におきましては、古い学校制度に比べまして一番すぐれておる点として、しばしば指摘されておる一般の教養というような点につきましてさえも、むしろ旧制高等学校から旧制大学を終つた者に比べてみると、はなはだしく浅薄に感じられたということを言つておるのであります。また他の団体におきましても、昨年の末組織的な採用試験をいたしております大会社から資料をとりまして調査をいたしたそうであります。それによりますと、語学、数学などの基礎的知識が非常に劣つておる、専門的知識の学力あるいは論文等に表われました常識などにおきましても、旧制大学に比べて全面的に低下しておる結果になると報告をいたしておるのであります。これでは大学がふえて、かえつて日本文化の水準が下るというまことに皮肉な結果に相なつたと申さなければならないのであります。私はかような点につきまして、短い期間の経験をもつてただちにかような論断を下すことはいささか早計であるということは先ほども申し上げましたが、大体そういう点についてその原因はどこにあるとお考えになりますか、ひとつこの際伺つてみたいのであります。  私などはこの際はなはだ乱暴な議論かもしれませんけれども、むしろ大学の数を少くして、その集約化によりまして教授内客を向上させ、設備を充実して、重点的な教育をはかるという必要があるのではないかというふうにも考えるのであります。かような点についても御意見を伺つてみたいと思います。  また私は特色のある昔の専門学校というものを復活させるということによりまして、むしろ今日の社会的、経済的の要請にこたえるようなことが必要なのではなかろうかというふうに考えられるのであります。  なおこの機会に一言触れておきたいのは、いわゆる大学院の制度でございます。学術の深奥をきわめる機関として大学院が許けられたのでありますが、昨年あたりの例をかりに東大の場合によつてつてみましても、優秀な学生はほとんど民間の会社に就職してしまい、主として就職にあぶれたできの悪い者が大学院の試験を受けておるというような関係からいたしまして、大学院の学生いうものの質はきわめて悪いのである。採用される機会を待つておるにすぎないというような状態であります。しかも定員のごときもわずかにその半数に満たないというような状況であると言われておるのであります。これではせつかく大学院を設置した趣旨というものが完全に裏切られたことに相なると私は思うのであります。私はこれは文部省が大学を中途半端にしてしまつた是正策として、この大学院を設置せられたように承知いたしておるのでありますけれども、ここに問題があるのであります。むしろ大学院を含めた大学制度全般について再検討する必要があると考えるのでありますが、かような点につきましての御所見を伺いたい。
  36. 大達茂雄

    大達国務大臣 大学卒業生の学力、ことに新制大学の卒業生の学力が非常に低下しておるということは、業界の方面からの非難でありまして、そういう事実も実際あろうかと思うのであります。何分にも御承知の通り、戦後新しい制度によりまして、とにかく大学というものが非常にふえて参りました。従来の大学、専門学校、それから各種の養成機関、そういうものをひつくるめて、ことごとくわが国の高等教育制度を大学にしてしまつた。むろん従来の沿革等がありまして、それぞれの大学に入る学生の素質の上にも相当甲乙があるのじやないかという点もあり、従つて旧制大学と申しますか、元の大学から引継いでおるところは出ても成績がよろしいという点もあろうかと思いますが、とにかく十把一からげといつては語弊があるけれども、これは一種の玉石混淆も大分ある。それでいい水準の方にみんなの水準が平均すればこれはけつこうなのでありますが、必ずしもそうは行かない。場合によれば元の一番高い水準のところが幾分悪いところに近づいているということも、これは私は実情は知りませんが、あり得ることと思うのであります。しかしただいまもお話がありましたように、今これでもつてすぐに昔のいわゆる旧制大学といいますが、昔の大学あるいは専門学校、そういうものに返すというようなことをきめるのは一むろん今日はその時期ではないのでありまして、今日の大学における教え方なり、教科の内容なり、その科目についての年限の振当てなり、そういう点は十分考究せられて、そうして新しい制度の大学として内容が充実されるように私どもとしては期待をしておるのであります。また大学院でありますが、これはまつたくお話通り、大学院をせつかくつくりましても、むしろ優秀な学生は出て他の職業につき、比較的そう優秀でない人が残る、こういうことはあつたようであります。これも実際は困つたことでありますが、これは社会事情から来る点があるのでありまして、今後ともこの大学院の内容、設備の改善、また大学院へ入る学生についての、たとえば育英事業等においての優遇の方法というようなことも講じまして、とにかく大学院がその設置された使命に沿うように努力して参りたいと思います。
  37. 町村金五

    町村委員 大学の増設問題と関連をいたしまして、私は大学卒業の就職難の問題につきまして一言つてみたいと思うのであります。多数の大学ができまして、大量の大学卒業生が出始めましたために、二、三年前から今日のわが国の経済的不況とも相まちまして、非常な深刻な失業問題が起つているわけであります。昨年は特にこれが深刻でありまして、統計によりますと、全国の大学卒業生総数は約十三万三千人に上つております。新制大学の卒業いたしません前年度に比べて約六万二千名、約二倍の卒業生に相なつておるのであります。しかもこの就職率を見ますと、大体平均六、七割程度ということに相なつておるのであります。今後毎年十万以上の大学卒業生をわが国の貧弱な産業、経済機構が受入れることができるかどうかということを考えてみますと、まことに前途暗澹たる気持に襲われざるを得ないのであります。卒業者自身は申すまでもなく、大学を卒業する以上は将来各界の幹部になるんだという考えを持ちまして、親も無理をして多額の学資をかけて大学を卒業させておるのであります。しかも今日わが国の経済力がはたしてこれだけの幹部を必要とするような経済機構を持つておるかどうかということを考えてみますと、私はとうていこれだけの多くの者を幹部として受入れる余地はなかろうと思うのであります。従いましてここに新制大学の普及によります大学卒業生の増加ということ、わが国の産業、経済計画の不一致というものを、これから一体どうして解決して行くお考えであるか。かような点はまことに重大な問題であると思うのでありますが、この点につきましてもひとつ御意見を伺いたいと思います。従いまして今日の学生が、先ほども申しましたように、前途に希望を持つていないということ、卒業してみても、とうてい昔のように大学の卒業生にふさわしいような適当な就職先が得られないというようなところに、彼らといたしましても勉学に一生懸命にいそしむという気持になれないところがあるのではなかろうかと私は考えます。就職できない結果は、先ほども申しました通り、あるいは虚無的な考え方になり、あるいは破壊的な思想のとりこになるという現状はどうしてもこれを避け得られないと私は思うのであります。ここに大学増設問題について深刻なる再検討の必要があるのではなかろうかという感じがいたしておるのであります。さらにまたこの大学をただちに減らす、あるいは卒業生を減らすということは実際問題として困難であるとするならば、この卒業生が安んじて新たな職業分野に進んで喜んで行けるというように、大学の仕組みもそういうふうにかえる、世間の大学卒業生に対する考え方も、大学卒業生自身もまたそういうような気持にかえて行く必要があるのではないか。たとえば中小企業というようなものには大学の卒業生は喜んで行かない。しかしながら今日の日本の中小企業のきわめて弱体であるということの原因にはいろいろな面もあると思いますが、一つには人的要素においてすこぶる弱体であるということも、また今日の日本の中小企業が非常に弱体化している一つの大きな原因である。たまたまこの大学の卒業生がたくさん出て参つたのでありますから、いわゆる一流の会社に入らなければだめなんだといつたような旧来の観念を何とかして一掃して参る。そうして中小企業にこれらの方々が、その修得したところの学識をここに生かすということに相なつて参りますれば、これはまさに日本の中堅階級、中産階級というものに再び新しい蘇生の息吹きを与えることができるのじやないか、かような点につきまして、私どもは文部省といたしましても何とか深く御検討なさる必要があるのじやないかという感じがいたします。
  38. 大達茂雄

    大達国務大臣 大学の卒業生の数と、社会的需要と、この両面を調整する意味におきまして、今年度におきまして相当程度の規模の調査をいたしまして、この点についての再検討をしたいと思つておるのでありますが、現在におきましてもこの大学側と、そうして受入れる業界との間に連絡協議をすることにいたしまして、最近におきましてももはやそろそろ採用期というか、試験期が迫つて参りますので、会合いたしまして、業界の考え方を十分に取入れて大学側でも考える、こういうことでせつかく協議会等を東京でも大阪でも開催して、私どもそこに臨んでおるのであります。そこで今文部省でわかつております数字は、ここで申し上げますと、ことしの三月に卒業した大学生の数が十一万五千、そのうちで七〇%までは就職ができておりまして、この数字からいうとそう悪い就職率でもない、かように考えております。失業した者は一七%以下であろうと想像されるのであります。そこでこの就職者はどういう方面に就職しているかというと、その就職者のうちで六〇%は中小企業の方に吸収されておるようであります。これは大会社、大工場の方面にはそれだけの吸収力がないのでありまして、自然そういう結果を来しておると思うのであります。そうして同じ年齢の青年層に比べますと、この十一万五千という大学卒業生の数は、大体千人について七人、一%に欠ける数字でありまして、その点から言いまして、また国民全体の教育水準、教養学問の水準の点から申しましても、これは多過ぎる数字とは思つておらぬのであります。これは世の中の景気、不景気も関係いたしますし、相当困難な点はあるのでありますが、文部省といたしましては、この点は特に十分力を入れまして、常に業界の方にも呼びかけまして、最近、御承知のようにいい学生をとるために会社の採用試験というものがどんどん各社競争して早くするときりがないというようなこともありまして、これを十月ということにきめてもらつて、あまり抜けがけのことのないようにするというように相当骨を折つておりますが、ただいまの状況はさような状況になつております。
  39. 町村金五

    町村委員 あと二点だけ伺いたいのでありますが、今度の文部省の予算には、科学技術の振興につきまして新たに予算を増額せられておるのであります。私どもはその足らざることを非常に憂えておるのでございまするが、いまさら私がここで申し上げまするまでもなく、この困難な日本の現状を打開して参りまするのには、私は、日本人の頭脳を最大限に活用するという以外に、日本の再建の道はないのじやないかというふうに考えるのであります。御承知の通りわが国と同様に国土も狭小であり、そうして山国でありまするところのスイスが、今日非常な精密工業を世界に誇るというようなことに相なつておりまするその原因も、またかれらが子供のときからいわゆる科学教育というものを国策として実施して参つた結果であると私は聞いておるのであります。すなわち私どもはこの現状を考えて参りますときに、はたして一体今日、日本は子供のときから理科教育なり科学教育なりというものに十分力が尽されて来て参つておるかどうかということを考えると、はなはだ現状はそれと相去ること遠いような感じがいたします。従いましてこの問題については、政府としても今回科学技術振興費を予算に組まれましたが、大いにこの点についてはさらに一段の御努力を願わなければならぬと思うのであります。  そこで私はここで一つ伺いたいと思いますことは、大学のことであります。わが国の大学の状態は、先ほど一つ触れておるのでありますけれども、貧乏な結果もございましようが、大学の実験施設というようなものが非常に貧弱である。湯川博士のような非常に世界的な学者が生れたのでありますが、これも高価な実験施設を必要としない理論物理学の分野でああいうような学者が出ておるのでありまして、実験的な方面におきましては、遺憾ながら日本の工業技術の水準というものは、欧米の諸国に比べてみますれば、少くとも二十年なりあるいは数十年の懸隔があるということはおおいがたい事実であると考えます。従いましてかような点につきましては、政府としても一段と恒久的な、抜本的な計画をお立てにならなければならないと思うのでありまするが、ややもいたしますと、どうも大学の予算というものが非常に貧困でありますために、十分な研究ができないということを大学の学者がひとしく嘆いておるというのが現状であると思うのであります。たとえて申しますれば、東大の例をとつて考えてみましても相当の金がかかる、理工科方面において一講座でもつて純粋に使い得る一年間の経費はわずかに二十万円にすぎないと言われておるのであります。これで教授、助教授、あるいは数人の助手が研究をしようといたしましても、金がないために何一つ大きな研究ができない。本一つ買えない。外国から優秀な機械を買いたくてもどれも買えない。老朽化した研究設備で、ただおざなりのことをやらざるを得ないというのが私は現状であると聞いておるのであります。従いまして今日大学の先生方はぶらぶら遊んでおるわけにも行かないというので、民間の会社からいわゆる研究の委託というものをかなり受けておるようであります。しかしながらこの委託をいたします方としてはただちに商売に利用のできるようなものしか委託いたさないのでありますから、研究の根本に触れたようなことはできない、こういうのが現状であると考えるのであります。従いまして私は、いつまでもこの大学の研究機関が、民間会社の委託研究の地位に甘んずるというようなことをひとつ解消していただきたい、まず私は科学技術振興の第一着手はこの辺からお始めになる必要があるのではないか、また今回の予算を拝見いたしておりますと、あるいは応用徴生物研究所であるとか、あるいは宇宙線観測所であるとか、二、三の科学研究所を新設しようというので、予算を御要求になつております。これはまことにけつこうなことでありまするが、一方既設の研究所は荒廃してしまつて、その研究すら十分に行われていない現状であるにもかかわらず、研究所の数をふやしてみたところが、私は決してりつぱな結果があげられるとは考えられないのであります。さような点から、今日あえて文部省とは申しませんけれども、政府全体の科学振興に関しての方針というものはすこぶる計画性に乏しいという感じがいたす、同時にまた少くともこれに対する予算獲得の力というものが非常に足りないような感じがいたします。先ほど申しました通り、今後日本の再建をいたして参りますところの唯一の道は、日本の科学技術の振興をはかつて、日本人の持つている優秀な頭脳によつて日本の再建をはかる以外に道はないと考えるのであります。さような点について、私は今日国事多端のときでありますけれども、ぜひとも政府としては科学技術振興の長期の計画を樹立される必要があると思うのであります。かような点について特に私は文部大臣の格別な御努力を煩わしたいと考えるのであります。  なお私はこれに関連いたしまして、原子力研究のことについてひとつ伺つておきたいのであります。先般天野委員の御質問に対しまして、福井政務次官から非常に御懇切な御答弁がございましたが、その際文部省としては、特に原子力を問題として取上げることは、何か文部省が戦争科学に力をいたしておるというような懸念があるというような意味の御返事もあつたのであります。またそのあとで特に原子力すなわち戦争という考え方から文部省は原子力の研究を敬遠しておるのではないという弁解のお言葉もあつたのでありまするが、私は学術会議などにおいても一部の左翼系の学者から、原子力の研究は戦争科学に奉仕する可能性があるというような反対論が出されまして、結局研究所設置の件がとりやめられたということを聞いておるのであります。しかしながら私は今日の日本の経済力をもつていたしましては、数千億円の金を必要とする原子爆弾の製造施設というようなものができないことはわかり切つておるのでありまして、むしろこの原子力を平和的に使うということでありまするならば、必ずしも今日の日本の財政はこれを許さないはずはない。今日の世界の先進国においては、原子力を平和的に各方面に活用いたしております。これを日本が戦争につながるというただ一片の形式論をもつて放置し去ることは、将来日本の科学技術の振興、進歩は一層外国に劣つて参ると思います。私はこの点文部省としては十分御検討いただきますと同時に、ウラニウム鉱の調査あるいは海外事情の文献の収集ないしは原子力の研究所というものをすみやかに設置する必要があると思う。この点について御意見を承りたい。
  40. 大達茂雄

    大達国務大臣 科学技術の振興が今日では朝野を通ずる世論となつております。これは当然のことでもあり、また非常にけつこうなことであると思うのであります。文部省の関係いたしまする程度においては、御指摘の通り、この点についての予算その他の点はまことに貧弱であります。御承知のように、各省を通じてこの問題はあるのでありますが、できることならば、政府全体としてこの科学技術の振興についての根本的な長期的な計画が樹立されることを私どもも望んでおる次第であります。今後できるだけさようなことに努力をして参りたいと存じます。また大学における研究所の実情あるいは委託研究に関する件その他につきましては、大学局長からお答えいたします。
  41. 稲田清助

    ○稲田政府委員 御質疑の後段にあります原子核研究所の点でございます。これは学術会議から本年政府に対して勧告がされましたのは、原子力でなく、原子核研究所の創設の件でございます。これを科学行政協議会において審議いたしました結果、基礎的研究として文部省所管において考究するようにという決定でございますので、文部省といたしましては研究所長あるいは東大、阪大、神戸大学その他の専門家と目下委員会を組織いたしまして研究中でございます。構想がまとまりましたら予算化いたしたいと念願いたしております。
  42. 町村金五

    町村委員 大分長くなりましたので、最後に一点だけ伺いたいのでありますが、私はこの機会に国立大学の教授、助教授等の給与についてお尋ねをしてみたいのであります。最近、東大の中野教授が、大学では食えないという声明を発して辞任をされまして、各界にセンセーシヨンを起しましたことは御承知の通りでございまするが、事実、私も大学教授の給与というものを多少調べてみたのでありまするが、あまりにも不当に低いという感じが私はいたしたのであります。すなわち助教授の本俸は一万一千円から三万一千九百円ということである。教授は一万七千百円から四万六千三百円ということである。一般公務員の俸給とこれを比べてみますると、助教授は本省の係長クラスから課長クラス程度であり、老教授にいたしましても課長補佐クラスからせいぜい局長クラスまでに相当をしておる。しかもこれらの教授、助教授は一般の公務員の役づきなどとは違いまして、本俸以外には少額の家族給と地域給がつくだけでありまして、特別執務手当というようなものもつかなければ、課長から部長、部長から局長にというような昇任の道もないのでありまするから、昇給もきわめておそいのであります。ここに具体的な例を一つ助教授の例でとつてみますると、三十四才の助教授で、五年前助教授に就任した人、家族は奥さんと子供一人、税込みで二万六千円、それで税金や社会保険費などを差引きますると、手取りは二万一千円、その上書籍費としてどうしても五、六千円のものは買わなければならない、残る一万四、五千円で社交費、子供の教育費、生活費全体をまかなわなければならないというのであります。これでは将来わが国の最高の知性がおちついて研究ができないということは、これはだれしも容易に了解のできることであると私は思うのでございます。従いまして今日の大学の先生方の状態を見ますると、まことにつつましい生活をしながらも、なおかつあしたの米びつを心配するというような状態で、おちついて勉強ができないというのが私は必ずしも誇張した言葉ではないという感じがいたすのでございます。従いまして今日大学教授というものは、大学を出まするときには最も優秀な成績を持つた人たちであり、他の社会へ出ますれば、もつと早く出世もできれば、経済的に恵まれる状態におられる人が多いのであります。にもかかわらずかような状態でおるということは、一旦先生になつてしまつたという惰性もございましようし、あるいは彼らのその地位にとどまつておる唯一の理由は、大学教授という世間的な看板、名誉という以外の何ものでもないように私は考えるのであります。これでは現在の教授なり助教授が真剣に研究に取組んで行くことができないことは当然である。自分の衣食の問題あるいは子供の教育費の問題に頭を悩ませながら、あるいは原稿書きや講演などの内職あさりに汲々としているというような状態で、どうして学問に深く身を打込むことができるであろうかということを、私は考えさせられざるを得ないのであります。今日一般的に申しまして、大学教授の思想がややもいたしますると左傾をしているということが言われるのでございまするが、その一半の理由は、私は食うことに非常に困難を感じているということに現実に由来をいたしているのではないかと思うのでございます。私はかように不当に低い、しかも不合理な待遇を何とかして改善して行かなければ、とうてい大学が大学らしい面目を発揮することはできないのではなかろうかと考える次第でございます。小、中学校先生方のように、団体交渉も行うことができない大学教授には、私は少くとも官吏としての最高の待遇を与えることに御努力願いたいと思うのであります。私はさような点につきまして、特に文部大臣の御努力をお願いいたしまして、質問を終ることにいたします。
  43. 辻寛一

    辻委員長 本日はこの程度で散会し、次会は公報をもつて御通知いたします。     午後零時五十二分散会