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1953-09-03 第16回国会 衆議院 農林委員会農業共済制度に関する小委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年九月三日(木曜日)     午前十時五十九分開議  出席小委員    小委員長 足鹿  覺君       足立 篤郎君    佐藤洋之助君       綱島 正興君    中澤 茂一君       安藤  覺君    久保田 豊君  小委員外出席者         農林委員長   井出一太郎君         議     員 松野 頼三君         議     員 金子與重郎君         議     員 芳賀  貢君         議     員 川俣 清音君         農林事務官         (農林経済局         長)      小倉 武一君         農林事務官         (農林経済局農         業保険課長)  久  宗高君         農 林 技 官         (農林省農業総         合研究所)   山内 豊二君         参  考  人         (三重食糧農         政課長)    奧井亮三郎君         参  考  人         (大阪市立大学         経済学部教授) 近藤 文二君         参  考  人         (全国農業共済         協会顧問)   松村眞一郎君         参  考  人         (元農林中央金         庫理事)    南  正樹君         専  門  員 難波 理平君         専  門  員 岩隈  博君         専  門  員 藤井  信君     ————————————— 本日の会議に付した事件  農業災害補償制度の根本問題に関する件     —————————————
  2. 足鹿覺

    足鹿委員長 これより会議を開きます。  審議に入ります前に、参考人各位に対し一言ごあいさつ申し上げます。  本日は御多用中遠路を本小委員会まで御出席いただき恐縮に存じます。先般来の災害等に見ましても、農業災害補償制度の不備を痛感いたしております。これが根本的な問題につきまして御意見を承り、今後の委員会審議の資といたしたいと存ずる次第であります。  次に、この際参考人の御紹介を申し上げます。山内豊二君は、農林省農業総合研究所研究員として、昭和二十四年以降農業災害研究に従事され、特に農業経営から見た農業保険について真摯な研究を行われ、この方面に関する著書、論文も発表されておる少壮学者であります。本日もこの点を中心お話を願うことといたします。  次に奥井亮三郎君でありますが、奥井さんは現在三重県の食糧農政課長として、農業共済制度の実施について直接末端の市町村組合を指導されておる方でありまして、特に組合の監査の面から見た共済事業実態について具体的な分析を行い、制度裏表両面にわたつて客観的に観察せられておる方であると承つております。本日は実態面から見た本事業について忌憚のないお話を聞いてみたいと思います。  次に近藤文二氏。近藤さんは大阪市立大学教授をなされておりまして、社会保障制度について御研鑽を積まれておる学者でありますが、最近農業共済保険制度につきましても理論的な研究を行われ、共済保険社会保障との関係につきまして具体的な研究を御発表になつておるやに承つております。本日はこのような問題を中心として御高見を拝聴できるものと思つております。  次に南正樹君。南さんは戦前家畜保険法の実施せられておりました当時、家畜保険課長として保険行政にタッチされ、最近は大陽生命保険会社の要職にあつて一般保険事業に深い御関係があり、また農業保険についての研究も相かわらず御熱心に継続されておるように承つております。一般保険事業より見ました農業共済保険事業特質そのあり方等に関しまして、御所見を伺つてみたいと思います。  次に松村眞一郎氏。松村さんにつきましてはもはや御紹介の必要もないかと思いますが、前参議院議員であり、第二代の農業共済協会の会長として現制度の確立に貢献され、また現に協会顧問として御活躍になつておられます。その豊富な御体験に基く制度改正につきまして、御高見をお漏らしくだされば仕合せに存ずる次第であります。  これより参考人各位の御発言を願うわけでありますが、今御紹介申し上げました順序でお願いをいたします。委員会審議の都合もございますので、御発言は三十分以内程度お願いをいたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。  それでは最初山内豊二君にお願いいたします。
  3. 山内豊二

    山内説明員 御紹介にあずかりました山内でございます。私は一研究者といたしまして本制度を今まで研究いたして参りましたことについて、若干の私見を述べさしていただきます。  私の述べようとすることは、農業災害補償法の持つておる基本的な問題、そしてその問題の起つて来るゆえんを日本農業構造面から理解をいたしまして、それからその次に今まで災害補償制度が果して参りました役割につきまして、他の政策との関連において若干述べまして、そして最後にその結論として若干の私見を述べたいと思います。  第一の問題点でありますが、現在農業災害補償制度が持つております問題は、すでに御承知のように、一つ保険収支のアンバランスということであります。政府特別会計あるいは連合会におきましては常に赤字が累積をしておる、こういう一つの問題であります。もう一つは、制度自体に対する農民立場から見た問題であります。それは強制加入前提といたしました現在の災害補償制度に対しまして、無災害地不安定地いわば災害地農民利害矛盾であります。この二つの問題が基本的な問題であると私は考えております。  それでなぜこういう問題が生れて来るか。すなわちなぜ赤字が生れるか。そしてまたそれに対する農民利害がなぜ対立するのであるか。この問題を考えて参ります。  一つは、まず日本農業を構成いたしておりますところの農業者と、いわゆる補償法に対する関係であります。補償法と申しましても基本的には保険的性格を持つております、いわばその関係は、日本小農とそれから作物保険——私主として作物保険の問題に言及いたしますが、作物保険との関係ではないか、こういうふうに私は思います。作物保険は各国においてはなかなか困難な運営を続けて参つておりますことは、わが国の保険制度と同様であります。特に日本農業者を見ますと、御存じの通りにきわめて零細な規模小農であります。そして所得構造を見ますと、農業経営をやつている経営のいわゆる企業部門と申しますか、その面と家計というものが分離いたしておりません。常に入つて来るものはそのまま家計にまわして行く、こういうふうな形であります。経営規模も小さいわけでありますから、所得は当然少いわけであります。保険ということに対しましては、農家立場から見ますと、所得が少いわけでありますからなるべく生活にまわしたい、災害といつたことに対する第二次的な間接的な効用に対しては、関心が少いというふうに思います。もしこれが企業でありますならば、危険ということが企業立場から見ますと最も恐しい問題でありますから、当然保険効用というものは大きなものであります。しかしながら小農立場から見ますとそういう立場に置かれております。かりに災害が起りますと、どういうふうなことになるかと申しますと、日本小農はまず生活水準を切り下げて参ります。そういたしましてできるだけじつとこらえて行こう、こういう立場を持つております。また小農をめぐりまして、地域的なぐるりの人々からの若干の援助もございますし、また経営それ自体でもやはり若干の危険分散をやつている状況が見られるのではないか、こういうふうに思います。そのことが保険に対する関心というものを日本農民が持ちがたい性格ではないか、私はこういうふうに思います。それがゆえにそれを強制して保険料共済金の形においてとつているということ、いわば非常に所得の少いうちから間接的な効用に対して金を出すということが非常に苦しい、こういうふうな小農立場はあるのではないか、こういうふうに思います。  もう一つ日本農業災害というものがどういう形で、またどういう構造を持つて現われて来るか、こういうことでありますが、私は災害を大体二つにわけて考えていいのではないかと思います。一つは過日北九州に起りました大災害、あるいは二、三年前でありますか、利根川が決壊をいたしまして大災害が起つておりますが、ああいう大災害一つ形態であると思います。これは今盛んに論ぜられておりますように治山、治水の問題として考えらるべき、いわば国民経済全体として見るべき問題ではないかと思います。  それからもう一つの問題でありますが、これは特に日本農業災害の大きな特質であると思うのでありますが、日本土地利用の結果から生れて来る災害ということであります。それは、日本災害地域性を持つているということであります。たとえば日本災害を見ますと、大体風水害あるいは旱害、特に風水害が最も大きい比率を占めております。それから冷害が散発をいたします。そして病虫害どういう形で出ておりますが、主として日本災害は、水田農業でありますから、稲作災害が最も大きく、しかも水の利用をめぐるところの水の災害というものが大きな比率を占めております。特にそのうちにおける風水害、それから周期的と言われますか、散発する冷害におきましては東北北海道に出て参ります。しかしながらこの災害をしさいに検討をいたしますと、たとえば冷害を見ますと、必ずしも東北北海道一面に起るのではなくして、かりに東北に例をとりますと、青森、岩手、それから宮城の北部というふうな所が強くなる。しかもその中をさらに見て参りますと、いわゆる冷たい東風、やませと申しますか、それが直接当る山間部太平洋沿岸農村、さらにまた奥羽山脈上つた山間部農村というふうに、地域性を持つております。しかもさらにその村の中を見ますと、冷害と水の関係を見ましても、同一の村の冷害が非常に激甚な村であるという地帯調査いたしましても、やはり水がかりの非常に強い所が非常にはげしくふれるというふうに、一つ地域性がございます。それが最も明白な形で出ておりますのは旱魃でございます。水害ももちろんございますが、特に旱魃を例にとりますと、たとえば瀬戸内沿岸における旱魃は非常に強いということを申しましても、その中で、さらに郡によつて、さらに村によつてつて参ります。村の中を見ますと、部落によつて非常に大きい差が出て参ります。それからまた部落の中は、さらに極端に申しますと筆まで、一つ災害程度危険度というものがかわつて参ります。いわば地域性を持つて、さらにその中に危険度まで差が出て来ることが、日本の大災害に対比いたしまして地域性を持つた災害内容でないかと思います。  これはなぜこういう形で出て参るかと申しますと、御承知通り、過剰なる日本の人口と、きわめて狭小なる土地利用の結果であります。すなわち無理をして耕作を続ける、不安定な土地まで耕地を、水田をつくつて生活しなければならないという形における、自由のない土地利用という面から出て来ると思います。それからまた特に水をめぐりましては、各村における水利慣行というものが、村の内部の用水の配分を詳細に規定をいたしております。従つてそれから出て来る旱魃にいたしましても、水利権の弱い部落には、水利権の強い所に比べまして災害が強く出る、こういうふうな形で地域性はのがれることができない現状であります。  従つてこのことは、こういう形における災害は、無災害地帯不安定地の区分を明白にいたしております。このことはまた言いますと、強制前提にいたしましたところの日本保険制度というものと農民利害というものが矛盾する点であります。いわば無災害地農民立場からいたしますと、かけ捨てであるということになります。不安定地農民立場からいたしますと、補償法については、常に補償をされるわけですから、関心は当然強くなるし、有利なる政策であります。かけ捨てになるということは、さらに保険収支のバランスにも大きく作用をいたすように私は考えます。小農の場合に、先ほど申しましたように、零細な金を出すということが非常に苦しいわけでありますから、保険金を出しますと、これを一部でも回収をいたしたいというふうな気分にかられるのは当然の経済原則であります。それでかりに病虫害が出て参りますと、病虫害程度というものが、農民立場から見ますと、かりに被害が軽くとも、これを回収する一つの機縁という形になつて過大評価に導かれて行くという現象は起り得るのではないかと、私はこういうふうに思います。それでいわゆる日本災害補償法の持つている矛盾というものは、小農と、無理な土地利用という形で出て来るところの災害の、二つ構造から理解されるのではないかと思います。  しからば、日本災害補償法がはたして今までまつた機能を果さなかつたかということでありますが、私は日本食糧政策食糧構造という立場から大きな役割を果して来たのではないか。これはしかし完全な調査結論でございませんので、まだ疑問はございますが、理論的に申しますと、強制加入、そうして保険料は相当部分は国が持つ、しかも不安定地ほどたくさんな保険料を持つております。たとえば青森あたりになりますると、八割程度ですか、数字は少し間違いましたけれども、しかし比例的に見ますと相当部分であります。軽いところは少いという形で、国が国庫負担をいたしております。またそれから同一の村をとりましても、基準収量の筆を単位にいたしております関係上、基準収量の高い筆と、それから非常に低い筆がございます、極端な例を申し上げますと、反当り〇・三斗というような筆例もございます。そしてまた同じ村に二石以上の筆もあります。そういうところに一本の共済金額というものの形において保険をいたしておりますから、不安定地特にそういう低位な生産地帯におきましては、受ける回数も多くなるわけであります。このことは不安定地における自然変動に基くところの危険費用というものを国及び一部安定地農民負担をするということであります。このことは日本食糧の絶対的な不足という面を確保して行くという一つ機能がございます。それと同時に限界地において農産物価格が決定いたしますわけでございますから、不安定地限界地あるいはそれに近い準限界地と申しますか、そういう性格を持つております。そこにおける危険費用を国あるいは一部の農民負担をいたすことは、低米価政策と、期せずして一致しておるのではないか、こういうふうに思います。この意味において、日本保険制度不安定地における生産を維持し、同時に国民経済の要求する低米価政策と一致した一つ機能を果して来たように理論的には考えられます。しかしながら安定地農民立場から見ますと、当然の不平となりまして、常にこれが制度撹乱要素として存在をいたしております。  こういうふうに災害補償法というものを見て参りますと、問題解決の点は、いかにして日本災害発生構造というものと農民利害というものを一致さして行くかという点にあると思います。また不安定な土地利用を行わざるを得ない日本農民を、いかなる形で救済して行くかという点に問題が出て参ると思います。  そこで私は、私見を述べますならば、不安定地地区、いわば危険性というものを調査いたしまして、確定をいたします。いわば災害頻発地というものを確定いたしまして、この中にあるところの、この地帯における生産を維持されるような形において、いわばそこにつくつている農民生活を保護するといつた形において、相当手厚い保険料国庫負担いたしまして、そしてこれを強制作物保険の形で、この地域のみに限定して持つて行く方法があり得るように思います。  それから農業者といえども企業者性格は当然ございますから、その他安定地における農民は、もちろん病害もあるいは病虫害も受けるわけで、収量は変動いたしておりますから、その他の地区におきましては任意加入というものを前提にいたしまして、農家単位作物保険を実施するのが一つの案であると思います。その場合に現在三割以上というふうになつておりますけれども、総収穫高の一〇ないし最高、五〇%までの振れというものを完全に補填して行くということがとり得ますし、それからその場合に現金制度保険料徴収をやつておりますが、現金並びに現物の保険料徴収の両建てを持つことが、日本各種階層に対する利害に一致をするのではないか、私はこういうふうに思います。この方法一つあります。それから同時に任意と申しましても、私が先ほど申しましたように、小農というものは保険需要があります。しからばどうして保険需要を持たすかという形が、一つ金融制度とつながつて来るのではないかと思います。この点は十分考えておりませんのでお話することはできませんけれども、保険金融というものを密接な形において結びつけて行つて、そうして任意加入保険に加入しておる作物というものは、相当な金融制度のからみ合いがあるという形において解決する道があるのではないかと思います。  それから最初災害形態一つの大災害に対しましては、この場合には別途の問題がいろいろな形で起りますので、まさに生活を保障して行くといつた形で救済制度あるいは補償制度と申しますか、そういう道があるのではないか、以上三つの方法が私の私見でございます。終ります。
  4. 足鹿覺

    足鹿委員長 どうもありがとうございました。  それでは次に奥非亮三郎氏を御紹介いたします。
  5. 奧井亮三郎

    奧井参考人 私、ただいま御紹介いただきました三重農政食糧課長奥井であります。先ほど委員長お話にありましたように、府県庁におきまして、農業共済組合監督指導に当つておる者であります。従いまして共済組合に対する認識も、検査ないしは各種調査ということを通じまして、村の共済組合に触れておるわけでありますので、ただいまから、過去において私の県でいたしました検査の結果の実態を御報告申し上げまして、皆様方の御参考にいたしたいと、思うのであります。  まず第一に検査実情でございますが、私の方の県では、検査種類において常例検査精密検査特別検査の三種類にわけております。そのうち特別検査と申しますのは、特に何か不正事件でありますとか、特殊の事態が起りました場合の検査特別検査と称しております。それからモデル的に数箇村特により出しまして精密な検査をする場合に、精密検査と申しております。本日は常例検査の結果のみについて申し上げたいと思います。  その前に県の検査陣容と申しますか、それに簡単に触れてみたいと思います。農政食糧課農業共済の係がおりますが、六名であります。地方事務所に十一名の係がおります。本庁の農政食糧課の六名は専門共済の係でありますけれども、地方事務所の十一名は共済事業のみに携わつているものではございません。私どもの県の共済組合数は三百二十六組合でございます。この三百二十六組合に対しまして、先ほど申しました陣容でもつて総日数百十二日、延人員二百四十四名のものをもちまして百六十五の組合常例検査をいたした結果を申し上げるのであります。パーセントにいたしまして、全三百二十六組合に対しまして五〇・六%の検査を終了いたした結果であります。一日平均一・五組合検査をいたしております。その一・五組合を一日にやるということはもちろん無理なことでありまして、従つて必ずしも常例検査はすみそれまで精密に検査をいたしたものとは言えないと考えております。その点も御了承おき願いたいと思います。  検査の結果を順次申し上げたいと思います。第一に、組合役職員実情はどういうことであるか。役員総数は三千九百十二人であります。一組合当り十二人の役員を持つているわけであります。特に役員につきましては、専任兼任かということの調査をいたしたのでありますが、役員農業共済組合に対して専門役員をいたしているものはわずかに五%であります。農協役員兼務をいたしているものが八三%、村長兼務が二〇%、その他が二%であります。大部分のものは農協兼務ということに相なつております。  次に職員実情であります。職員総数六百九十名おります。一組合当り平均二・一名であります。この職員専任兼任の状態をながめますと、専任のものが七〇%、兼務のものが三〇%であります。三〇%の兼任者内訳を見ますと、六五%が農協職員兼務しており、三〇%が役場職員兼務いたしており、五%はその他の職員兼務している人たちであります。この職員専任兼任内訳は七〇%と三〇%に相なつておりますけれども、これは検査の表面に現われました数字でありまして、事実におきましては兼任比率はもつと大きいのではないかと推定いたしておるのであります。  それからただいま申しました六百九十九名の職員の前歴、過去において何をしておつたかということを調べてみますと、一番比率の大きいのは農業をうちでやつてつた、また学校の先生であつた会社員等であつたというきわめて種々雑多な経歴を有するものが五四・三%でありまして、大部分はこういう人たちであります。それから次に比率の大きいのは、農業協同組合なり、農業会なり、その他農業団体から共済組合に移つて参りましたものでありまして、これが二七・三%を占めております。農業会技術員をしておりました者が、次に一三・七%であります。これをお開き願いますと、職員素養ないし質的内容が経理に適したものであるか、技術的な問題に適したものであるかということがおわかりになると思うのであります。  それから職員学歴を見てみますと、半数以上、すなわち五六・五%は中等学校卒業者であります。それから四〇・五%は高等小学校卒業者であります。従いまして、全職員の九七%、ほとんど大部分中学校卒業者以下と申しますか、そういうような学歴なのであります。  次に職員年齢別内容を見てみますと、一番大きい比率を占めておりますのが、二十歳ないし二十五歳の者でありまして、三五・三%であります。二十六歳ないし三十歳が一七・五%、二十歳未満が一七・三%、二十歳未満に至りましては、ほとんど給仕と申しますか、その程度能力しかないのではないかと考えております。大体若い者が中心を占めておるということに相なつております。  次に職員の性別を調べますと、男子の数が六五%であり、女子が三五%を占めております。  以上の職員現状を見ますと、これらの職員素養能力、また村の有力者に対して、どこまでこの若い素養の低い職員共済制度の本質を貫徹し得るかというような点について、疑問のあることも明らかだと思うのであります。  次に事務所所在地でありますが、全組合農業協同組合の中に事務所を持つておるものが八三%、役場の中におるものが一三%、独立の事務所を持つておるのが二%、その他が二%となつております。これはおのずから役員の大部分農業協同組合役員兼務しておるという結果が、事務所所在地比率と大体同じになつておりますことも当然だと思うのであります。  それから組合実態といたしまして一、二例をあげますと、総会がございますけれども、総会は、こういうような協同組合といたしましては最高の機関でありまして、総会によつてその方針、過去の実績、計画等が検討される最も重要なものでありますけれども、この総会は、大部分農業協同組合総会の場合、しまいごろになつてから共済総会と切りかえて形式的に済ますというようなやり方が多く、また総会を開かないような組合さえもあるのであります。従いまして、組合員に対する農業共済組合制度説明なり認識を与えるチャンスも、きわめて少いといわなければならぬと思うのであります。  それから農業協同組合役場の援助も相当受けております。同時にまた農業協同組合ないし市町村役場の事務の限界と申しますか、その辺の点も役職員兼務事務所が同じ場所にあるというような点から考えまして事務の限界等についてもはつきりしない点が多分にあるのであります。  次に共済組合規模、すなわち大きさと業務財政の内客について申し上げたいと思います。業務財政の内容と申しますのは、申し上げるまでもなく事務その他の諸経費の部分であります。私の方の共済組合が、一組合当り大体どれくらいの引受げ面積を持つておるかと申しますと、この引受け面積が組合規模を判定する一番はつきりした要素であると考えますが、平均いたしまして水稲の引受け面積は二百町歩、麦の引受け面積が九十五町歩であります。この数字から割出しますと、掛金は、平均いたしまして水稲において二十一万八千円程度、麦において二万八千円くらいになつておるのであります。昨年の状況を見てみますと、これだけの掛金に対して受取りました共済金が、平均しまして水稲において五十三万三千円、麦において五万八千七百円になつております。それからただいま申し上げました水稲並びに麦の引受け面積から計算をしまして、賦課金は、これだけの引受け面積から大体どの程度集まつて来るかと申しますと、水稲において四万八千円、麦において一万五千円程度の賦課金が集まつて来るわけなのであります。この賦課金の約半分は、連合会の事務的な経費として連合会へ行きますから、約半分が組合に残るわけでありまして、この金を中心といたしまして国なり県なりの補助金を足しまして、一名ないし二、三名の職員が事務に当る諸経費をまかなつているという実情であります。  この業務財政の状況を、さらに私の方の県で各地域別に代表的な町村を選びまして、かつ組合員数、水稲の引受け面積、麦の引受け面積、蚕繭の引受けグラム数その他を点数で表わしまして、総点数を抽出いたしました代表的な組合ごとに勘定をいたしてみたのでありますが、抽出組合組合中、最高の点数が千五百点、最低は百点程度であります。  これらの抽出組合事業と申しますか、掛金総額に対する賦課金総額の割合、これを見てみますと、点数の非常に大きい、八百点ないし一千点の村におきましては、掛金総額に対する賦課金の総額の占める割合は、二八%ないし三二%程度になつておるのでありますけれども、先ほど申しました総合点数が二百点、百点というような小さい組合になりますと、掛金総額に対する賦課金総額の割合は、四〇%から四三%を占めるに至るわけであります。すなわち、非常にコストの高い事業であると申しますか、事務経費の比率事業分量に対しまして、非常に大きい部分を占めることに相なつておるのであります。  さらに、調査組合について収支の内容を調べてみますと、最も赤字の大きい組合は、引受け面積百町歩、ないし二百町歩の組合でありまして、職員数は一・五ないし二名を持つているのであります。これらの組合におきましては、七万五千円から八万一千円程度赤字を持つております。引受け面積がそれより下るに従つて、また引受け面積がそれより上るに従つて、漸次赤字が減つておりますが、引受け面積が少い組合におきまして赤字が減ると申しますことは、これは職員数が減つて行くためであります。しかしほとんど、私の方の県の最高の引受け面積を持つている地域にありましては、すなわち引受け面積八百町歩程度の村にありましては、赤字は五千円程度に減じている実情であります。これらのいかんともしがたい赤字に対しまして、組合が相当無理な借入金をいたしておりますとか、また無理な金の調達の仕方をしておりますことも、想像のできるところであります。  次に共済事業の各組合内容につきまして、共済事業そのものがどういうぐあいに行われておるかということにつきまして、二、三の項目を選び出して実態を申し上げてみたいと思うのであります。組合行つております共済事業の出発点と申しますか、第一は、引受け並びに掛金の問題であります。引受け面積は、一戸当りにいたしますと、私の方の県で平均いたしまして、水稲で五反三畝、それから麦で二反四畝、蚕繭で三十五グラム程度であります。組合員からの申込みに応じまして、引受けの記録をまず必要とするのであります。細目書が必要なのでありますが、検査の結果によりますと、共済事業のまず基礎になるべき引受け面積の細目書の不備な組合が三〇%あります。それからこの引受けに伴いまして、掛金徴収ということが起つて参りますが、掛金徴収の補助簿の不備な組合が三〇%ございます。それからきめられました期日までに掛金を徴収していない組合は九八%になつております。ほとんど全組合が徴収の時期に掛金が集まつていないという実態であります。翌年度へ未収として、掛金の未収繰越しをしている組合が二〇%に及んでおります。それから掛金の徴収の方法といたしまして、賦課金も同じような実情でありますけれども、現実に掛金を徴収しないで、共済金支払いと相殺しておるものが三五%ございます。それから掛金徴収が先ほど申しましたように遅れて参りますために、上級機関に対する保険料の支払いに支障を生じて来るのは当然でありますが、この場合農協等から借入れして上級機関へ保険料を払つておるものが一〇%であり、それから前年度の受取り保険金と一支払うべき保険料を相殺と申しますか、受取り保険金を支払うべき保険料に充当して支払つておるというような窮余の策をとつておりますものが、六〇%を占めておるという実態であります。  次に、損害評価の問題でありますが、損害評価は引受け掛金に次ぎまして、共済の成否を決する重要な作業なのでありますけれども、実態を見てみますというと、私の方の県で最高の水稲の筆数を持つておる村におきまして、一万七千九百筆からあるのであります。麦におきまして、一番多いのが一万八百四十五筆であります。こういうような多数の筆数を持つておる水田に対しまして、ただいま最高だけ申しましたけれども、平均をいたしますと、各組合水稲の引受け筆数は平均いたしまして三千六百七十三筆、麦におきまして二千五百四十七筆であります。これらの非常に医大な、小さいたんぼに対しまして、損害評価の的確を期することの困難なことは、おのずから想像されるのでありますが、損害評価にあたりまして、評価委員によつて実地に評価を行つていないのはほとんどございませんので、四%くらいに相なつております。もつともこの実地に行う損害評価は、米の供出問題等もにらみ合されまして、行われておることは事実であります。それから評価の野帳に基いて、正しく損害評価の行われていないと考えられるものが、約四〇%ございますし、また評価野帳と損害評価額の内容が一致していない、また被害程度別計算の行われていない、すなわち共済金支払いの最も正しい基礎となるべきものが不備であるという実態なのであります。こういうような組合が四五%を占めておるであります。  この機会に申し上げておきたいと思いますが、私の方の県の県で検査を漸次強行しておる関係上、組合役職員は、農家と監督官庁との間に立つていろいろ苦しい手段を講じ、これらのただいま申し上げておりますような数字におきましても、検査を受けるためにわざわざつくつたのではないかと思われるような帳簿さえも発見されるような実情であります。  次に、共済金の問題でございますが、共済金支払いと掛金徴収と相殺しておる組合が六〇%ございますし、組合員個々の共済金領収書を備えていないものが四〇%ございます。従つて領収書がないのでありますから、はたして組合員の個々に共済金がわたつておりますものか、また金額的にも示された正しい共済金額が支払われておるのかわからないという実情であります。  それから次に、経理の状態でありますが、これは先ほど申しましたように、職員中に会計経理の素養のある者の比率が非常に少いことを先ほど申し上げたのでありますが、それを反映いたしましてか、勘定科目の誤つておるものが七五%あり、資産表を誤つておるものが五〇%もあるという実情であります。  こういうような監査結果を総合いたしまして、Aクラス、Bクラス、Cクラス、Dクラスにわけてみたのでありますが、Aクラスのものは九%、Bクラスに属するものは五五%、Cクラスに属するものが二三%、Dクラスに属するものが二三%に相なつております。Aクラスの組合というものは、大体どういうような組合かというと、これはざつとしたとりまとめでございますけれども、比較的引受け対象耕地が多い。また中庸な農村でありましても、その地域内の役場なり農協の状態が非常によい、協力的であるというようなこと、それから職員が積極的であり、熱意がある、すなわち人的要素も何割かを占めていると思うのでありますが、このAクラスに属するものを調べてみますと、大体こういうような組合なのであります。Bクラスに属するものは、耕作地は中庸の農村組合でありますか、または山村漁村におきまして多少条件の悪い所でありましても、役職員が積極的に努力をいたすことによつて、悪条件をある程度克服しているというような組合がBクラスに属しておりまするC、Dになりますと、ほとんどが海岸並びに山村地帯で耕地の少いもの、また役職員の努力の足りないもの、そういうものがC、Dクラスに属しておるのであります。  以上申し上げましたような監査の実態から考えまして、われわれの悩みとするところと申しますか、そういうようなものを申し上げたいと思うのでありますが、検査をやります以上は、われわれはあくまでも法律に示された通り、また上級官庁から指示せられました通りを、未端の組合に対して実行を強要するのが当然であろうと思うのであります。従いましてわれわれは、監査の結果見出しましたいろいろな欠陥を指摘いたしまして、実行をしておるわけなのでありますけれども、これを徹底的に強行いたしました場合に、はたして先ほど申しましたような条件のもとにある共済組合が、どういうことになるかということに疑問を持つのであります。いいかえますと、共済制度そのものが、先ほども御説明になりましたような農村農家実態にどこか合わないところがあるのではないか。そしてさらに役職員の努力のみで到達し得ない程度のむずかしさと申しますか、制度的にも、また対象の農村のいろいろな実態から申しまして、役職員の努力で到達し得ないようなものがあるのではないか、従つて役職員は積極性ないしは熱意を喪失しがちなのであります。あえてわれわれが検査の結果を強行しようということになりますと、先ほどもちよつと触れましたように、検査のための書類をつくる、出すというような結果になる心配もありますし、また場合によりましては役職員が手をあげてしまうのではないかという心配もいたすのであります。しかしながら検査をルーズにやるというようなことは、検査の権威の失墜でありますので、あくまでも厳格にやりたいとは考えておりますけれども、今申し上げたような矛盾を痛切に感じておるのであります。  それから、共済制度農村実態とがどういうぐあいに合わないかという問題があるのでありますけれども、これらの問題は、保険制度自体のみの問題であるのか、農業政策ないし農業問題一般として解決すべき問題であるのか、そういうような疑問もあります。またそれらの問題を解決するということは、ある意味においては共済の問題を一つのテスト・ケースとして、農業問題一般の再検討を必要とするというようなことにもなるのではないかと思うのであります。農家のうちに、農業経営保険事業を必要とする農家もありますし、また保険の必要を感じていない農家もあります。掛金の能力の点におきましても、また受取る共済金農家の考えておるよりは少いというような点におきましても、また同じ稲作をやつておる農家におきましても、とれました米を大部分販売に供する農家もありますが、逆にその米をほとんど自家用にするというような農家もあるのであります。ことに麦などにおきましては、私の方の県では、麦の商品化率は全生産の三割にすぎないのであります。こういうような商品化しない農作物は、農家にとつて損がはつきりしないと申しますか、そういうような点から考えまして、この保険事業すなわち保険の必要を痛感していない農家も相当あると考えられますけれども、現在の制度におきましては、そういうような考慮なしに、強制加入に相なつておるのであります。  それから役職員能力の問題もございますが、これにつきましては待遇の問題も出て参りますし、また十分の職員を備えようとしますれば、現状においてはますます赤字を招来する結果に相なると思うのであります。これらの点にも、どうも身動きのできない点があるように考えられます。  それから業務財政の問題を当初申し上げましたが、こういうような業務財政の苦しい原因の第一としてわれわれが考えますのは、組合の立つておる区域内の経済的基盤の弱小ということであります。この問題は農業協同組合の運営とも共通の問題と思いますけれども、まだ農協の場合におきましては、経営技術と申しますか、役員経営上腕を発揮する余地があり、経営内容が多岐にわたつておりますから、区域内の経済的基盤の弱小ということをある程度補い得るとは思いませけれども、共済組合の場合におきましては、すみからすみまで法律で縛られてその通りに実行するということになりますれば、この経済的基盤の弱小ということは、そのままはつきりと経営の困難、赤字の増大という形で現われて来ておるのであります。これらの問題を解決しますためには、一組合内に包含する田畑の面積の多いということが必要でありますが、このために弱小組合の統廃合ということが考えられます。しかしながら統廃合したらどうなるかということを考えますと、先ほど申しましたように、役場農協に依存をしておる面が非常に多い。また人的要素におきましても共通的な面が非常に多い。これらの組合が村という行政区域を離れた場合におきまして、経済的基盤が多くなるというプラスと、それから農協なり役場と直接的なつながりを失うマイナスを差引してどうなるかということは、疑問に思つておるのであります。従いまして根本的にはやはり行政区域をまず広める、すなわち町村統合促進ということに、こういうような組合の運営という立場から、大きな期待をわれわれは持つておるものなのであります。  それからもう一つ考えられます点は、農家ないし保険対象の農作物に対しましては、国なり、県なりがいろいろな角度から補助、助成、融資等の援助を行つておるのであります。そうしてこれらの援助は、補助、助成というような援助の仕方が、農家にとりましてはきわめて端的に話がわかりやすい援助の受け方なのであります。それに比べますと保険による援助の仕方というものは非常にむずかしい、そしてまた場合によると時間にも相当ずれがあるというようなことも、また痛切に保険というものの必要を感じていない農家もある一つの理由ではないかと思うのであります。なおこの仕事が制度通りになかなか実行しにくい理由の中には、先ほど申しましたように、共済事業そのもの以外の、農村の中にありますいろいろな条件があると思うのであります。他の農業団体との関係でありますとか、政治的問題でありますとか、供出の問題でありますとか、いろいろな問題がからんで、共済制度制度通りに実行することをはばんでおる点があると思いますので、共済事業の改善をもしされるとしますならば、他の条件というものについても一応再検討を行う必要があるのではないかと思うのであります。  ただいま申し上げたような意味におきまして、総括しまして、現在の農村の段階、それから役職員素養、そういうようなものとにらみ合せまして、この制度が何かもう少し端的にわかりやすい——簡素化という言葉は語弊があると思いますけれども、端的にわかりやすい簡単なものになし得られないか。われわれ中間の立場にある者は、農村実態と上からのいろいろな詳細な御指示等の板ばさみになりながら、検査をやつておるような実態なのであります。実際にやり得る可能な、また役職員が少し努力すれば手の届き得る程度の、また農家を少し啓蒙しますれば得心の行くような程度のものになり得ないかというようなことを、ふだん考えておるようなわけであります。  なお共済制度を今後どうするかというような問題につきましては、何とぞひとつ対象農村実態、また組合内容につきましては十分の調査資料を積み上げなれまして、中途半端と申しますか、改正の結果が五十歩百歩ということになりませんように、十分の研究資料、調査資料を整え上げられました上で、御検討をお願いいたいたいと思うのであります。  以上で私の意見を終ります。
  6. 足鹿覺

    足鹿委員長 御苦労さんでした。  次に近藤文二氏にお願いいたします。
  7. 近藤文二

    近藤参考人 私、近藤でございます。大阪の市立大学で保険論の講座を担当いたしておりまして、保険の理論につきましては多少の知識を持つておるつもりでございます。また最近特に社会保障制度審議会の委員といたしまして社会保制度研究を続けておるものでございますが、この農業災害保障制度という名前で行われておりますわが国の農業保険につきましては、特に深い研究をしたというわけでございません。ただ最近農林省関係の雑誌に一、二所見を寄せましたところから、本日ここに参考人としてお呼出しを願つたのではないかと思うのでございますが、右のような次第でございますので、私は、委員長からも御紹介がございましたように主として社会保障制度研究いたしております者として、所見を述べさせていただきたいと考えております。  私の率直な考えを申し上げますと、今日の日本農業保険、特に農作物保険は、その機構があまりにも複雑でございまして、結局機構倒れになつておるのではないかというような感を深く受けるのでございます。日本農業保険共済保険というものを使いわけしておられるようでありますが、この二つのものの本質を明確にせずに、しかもこの二つのものを通じて同一災害を取扱つておられるところに、一つの出発点の誤りがあるのではないかと考えます。保険は、共済という制度が近代化されたものであることは間違いがないのでございますが、この近代化が行われます結果、必然的に共済制度におきましては欠くことのできなかつた相互扶助という精神が、ここに新しく個人主義的な精神に置きかえられずにはおかないものでございます。この相互扶助精神が、個人主義的精神に置きかえられることによつて共済保険にかわるのであるということを、まず最初に頭の中に入れておく必要があると私は考えるのであります。農業共済組合連合会行つておられます共済という事業を詳しく申しますと、共済組合負担しておりますところのその共済という責任を保険するところのもの、さらにはその保険を再保険いたします場合の政府の関係、こういうような共済組合連合会におきまする保険関係並びに政府が行います再保険関係におきましては。明らかに近代的な保険技術というものが取入れられてあるのでございますが、農家が直接に結びつけられております共済組合の仕事におきましては、必ずしも近代的な保険技術というものが入つていないのであります。すなわち保険技術の前提となりますところの大数の法則にたえ得る範囲に達しないところの小さな組合共済前提といたしまして、その共済組合共済責任の大部分保険技術によつて処理しようとしているこの機構は、なるほど巧みな仕組みであるとも一応は考えられるのでございますが、その巧みなる仕組みが、かえつて逆にこの制度そのものを混乱せしめる原因をつくつているのではないか。さらにはそのために農民の不平をつくり出す源になつているのではないかというのが、私の率直な感じでございます。もちろんこのような考え方に対しましては、反対の見解があるわけでございます。しかし農業共済組合が行います事業は、今申し上げましたような意味におきまして、共済事業であつて保険事業ではないのであります。保険事業行つておるのは農業共済組合連合会と政府であります。共済組合ではないのであります。このことは農業災害補償法を見ましても明らかに了解され得るのでありますが、さらに共済組合組合員負担いたします共済掛金と、組合員が受取ることのできます共済金との間の関係、それと共済組合連合会に対して負担する保険料保険金との関係、さらには政府が引受けます再保険における再保険料と再保険金との関係を比較いたしました場合に、はつきりとわかるのではないかと思います。すなわち組合連合会との間に見られます保険料保険金との間には、国庫負担を含めてではございますが、明らかに近代的な保険関係が存在いたしております。保険にとつて欠くことのできない収支相当の原則、すなわち一つ保険集団における収入保険料総額が支払い保険金総額にひとしくなるように保険料率が計算されているのであります。しかしながら共済組合が行います共済事業におきましては、こういうような関係は見られないのであります。もつとも、この場合、連合会によつて共済組合組合員に対して負担する共済責任が保険されているという関係がございますから、結果におきましては共済事業もまた近代的な保険関係の中に入り込んでいるというふうに考えられる節があります。共済組合共済責任は、その本質においてあくまでも共済責任でございまして、収支相当の原則を前提としておる保険責任ではありません。しかしながら、たとえば農作物保険につきましては、その共済責任の九割が連合会の方によつて保険されているのみではありません。その保険料率も共済掛金率と同じ率なのであります。しかもこの共済掛金率は、過去の被害統計を基礎として将来発生するであろうと予測された確率になつて算定されているのでありまして、一定期間には共済掛金と共済金がひとしくなるような計算がそこに行われているからであります。つまり形の上では責任保険でありますが、この共済責任が連合会に対する保険料率を通じて近代的保険関係を形づくつているとも考えられるからであります。つまり名前は共済掛金として共済組合に入るのでございますが、ここをトンネルにいたしまして、同じものが保険料と名前をかえて連合会に蓄積されているというふうに考えてもいいのではないかと思います。しかもこの保険料率、従つてまた共済掛金率は、本来は直接耕地一筆ことに、あるいは各農家ごとに定められることが理想的であるのでございますが、それは技術的に不可能だというので、都道府県別の被害統計を基礎とされまして、都道府県ごとに、まず平均的な掛金率を計算して、これを各都道府県がきめた共済目的別の市町村の危険階級指数に従つて割振るという方法をとつておられます。このようにして共済掛金の率がきまり、しかもその率は主務大臣が告示した標準掛金率を下つてはならないということになつております。こういうような事実を前提といたします限り、当局の方々や一部の学者の方が、現行の農業保険は、名前は共済といつてつても、中身は明らかに近代的な保険だと言われるのは、一応筋が通つておるとも思われます。しかし私は逆に、このような形をとり、構造をとつていること、すなわち責任保険という形を通じて明らかに一つの近代的保険関係に入りながら、事実においては責任保険を突き抜けて、直接に農家の災害連合会保険しておる、しかもその基礎を共済組合に求めているというこのやり方に疑問を持つのでありまして、この点に日本農業保険の出発点の誤りがあつたのではないかとさえ私は考えるのであります。なるほど御当局の方々が指摘しておられますように、家畜の場合とは異なりまして、農作物の場合には経験的な被害率を見出そうといたします場合、およそどの程度の被害率を示すと考えられる集団をどうして得られたということは、これは確かに技術的に困難でございます。またかりにこれを見出すことができ得たといたしましても、その集団の個々の間に発生いたします被害が相互に独立しているというようなことはほとんどないのであります。しかしながら、そういつた事実は実は海上保険等についても見られることでありまして、私は問題はむしろ農作物に関する災害が、その特異性のため全国的規模でも、なお大数の法則にたえ得る範囲とは言い得ないというこの点にあると考えるものでありまして、率直に申しますと、農作物の場合における災害は、本来保険の対象となり得るかどうかということが、すでに一つの疑問なのであります。つまり保険の対象となり得るところの危険というものは、すべての加入者に対して、同時にしかも同程度に発生するといつたようなものであつてはならないのであります。危険の独立性ということが必要なのであります。ところが農業災害につきましては、その災害の発生が一定の地域に限定され、しかも同時に発生するという場合が多いのであります。その限りにおきまして、保険の対象とはなりにくい要素をそれ自身が持つているのであります。農業保険が国庫の補助あるいは負担というものを絶対的に必要とする理由、さらにはこの保険が全国的の保険として強制されねばならないという理由、これは今申し上げましたところの、農作物についての災害特質ということから生じて来るのでありまして、この特質ということをよそにいたしましては、全国的規模で危険の分散をはかり、しかも強制加入国庫負担、こういつたようなことは理解ができ得ないと私は思うのであります。ところがこのような技術上に見られる困難を、日本農業保険共済精神というものによつて克服しようとしているかのごとくに考えられるのでありまして、ここに私はいろいろな問題を持ち込んだ一つの原因があるのではないかと考えます。たとえば同じ保険学をやつておられます印南教授も言つておられることでございますが、一般の人々のみではなく、保険学をやつておられる学者連中の中にも多く見受けられる誤りに、保険共済精神との関係に対する十分明確な理解を持つていないということがございます。共済精神といいますと、精神という言葉のためにおのずから保険加入者の主観としてのその共済観念が含まれるかのように解されやすいのでございますが、保険に入るということは、その本質におきまして個人主義的精神に立脚するものであつて、決してお互いに助け合おうというような意図を含むものではないのであります。すなわちわれわれが生命保険や火災保険に入ります場合、その人々はみんな自分の家庭や事業のためを考えて保険に入るのでありまして、他の加入者とお互いに助け合おうというような精神に基いて入つているのではないのであります。もしそういうふうに解釈するならば、それは事実をゆがめた一つの解釈であるというふうに私は考えるものであります。ところが日本農業保険は、この共済精神を共済組合という形を通じて強調して来られたのであります。しかもその内容は近代的保険という技術を持つているという、そこに矛盾が起つているのではないかと思います。もちろん私は今日日本農村におきまして、古い時代の共済精神というものが残つておるということは、これは否定しようといたしません。またこういつたような精神が農村において今日なおいい影響を及ぼしておるという面もあるであろうと思います。しかしながらこのいわば封建的なる共済精神が、はたし七いりまで続く可能性があるであろうか。農業保険に関する限りその技術は近代的技術がその基礎になつておるのであります。しかもその近代的技術に非常な困難があります。その困難を克服するために、ここにこの封建的なる共済精神を利用するというのが私は問題だと言いたいのであります。この考え方を改めない限り、農業保険制度の改革はいくらこれを試みられても、おそらくはそれは木によつて魚を求むるの類だと極言いたしたいのであります。率直に申しますと、農業保険において共済精神を説くことは無意義であります、むしろ有害でございます。しかもなおこれが強調されるゆえんは、さきにも付言いたしましたように、これによつて保険技術上の困難から生ずるところの農家の負担上の不公平をおおい隠そうとするからではないかと思います。なるほど災害のない地帯農民に、災害が常に起る地帯農民のために応分の掛金を積んで負担をさせようという場合、共済精神を説くことも一つ方法であろうと思います。しかしそういつた説き方をいたします場合に、その共済精神は紙一重の隔たりで、いわば慈善的な慈恵的な精神と同じように考えられるおそれがあるのではないかと思います。もし今日の日本の経済が資本主義を前提とした近代的な経済であり——農村においてはもちろん十分それは浸透しておらないのでございますけれども、やがてはそういつたものが浸透するのではないかというような前提を立てます場合において、この問題は個人主義の立場から考えて行くのが合理的ではないかと思います。しかもこの個人主義の立場をとりながら、こういつた農業保険の合理性を世に訴えようというのでありますれば、それはむしろ共済精神という古き考え方ではなくて農業災害に対する社会的責任というものを強調するという新しき考え方において解決をはかるべきではないかと思うのであります。そういう意味におきまして、私は農業保険社会保障化といつた考え方をここにひとつ提案してみたいと思います。もちろんこれはきわめて素朴な考え方でございますので、あるいは先生方からおしかりを受けるかもわかりませんが、門外漢の考え方として、もし何らかの御参考になりましたならばこの上もない仕合せと存じます。  従来労働力を収入の源泉として来た人々の生活につきましては、社会保険という制度がございます。日本農民は、その多くの人が実はもつぱらその労働力によつて収入を得て来た人々であるというふうに考えますならば、農民に対しましても社会保険があつてしかるべきではないかというような議論はもちろん可能であります。しかし従来の一般の学説では、社会保険と申しますものは労働力の保全ということを内容とするものであります。従いましてそれは常に人間の保険に限るというふうに考えられて参つたのであります。農作物保険というような、いわば物の保険は社会保険たり得ないというのが通説であつたのであります。そして今日なお社会保険という考え方を狭くとるならば、私もその通りだと考えます。けれども戦争中から戦後にかけまして、国際的な一つの動きとして社会保険から社会保障へという道が開かれて参つたのであります。すなわち社会保険の場合は、その対象が賃金をもらつて働く労働者であつたのでございますが、社会保障ということになりますと、その保険せられる対象が広く一般国民というふうに広められるのであります。同時に社会保険の場合におきましては、あるいは健康保険あるいは年金保険あるいは失業保険というふうに、それぞれの危険によつて保険制度がつくり上げられて来たのでありますが、これを全部総合いたしまして、ゆりかごから墓場までへの生活の保障というような形で、危険の総合化ということが行われるのが一つの特徴であります。このように社会保険社会保障に移りかわつて参るといたしますならば、私は農業保険もまた社会保障の一環として考えることができるのではないかと思うのであります。すなわち国民の健康で文化的な最低限度の生活を保障しようという憲法第二十五条の趣旨に従いまして、農業保険を考えるということも可能となるのではないか。いな積極的にそういつた考え方で、この保険を新しい道へ指導して行く方がいいのではないかというふうにさえ考えるのであります。農村の方々に対しましては、社会保障という観点からはまず何よりも国民健康保険というものを確立せしめる必要があるのでありますが、そしてまたさらには国民年金保険をも農村に及ぼす必要があるのでございますが、これと並んで農作物保険をも社会保障制度の一環として取入れることができるのではないか。実は昭和二十五年の十月十六日に、社会保障制度審議会が、わが国において行わるべき社会保障制度の構想をつくり上げ、これを政府に勧告したことがございます。その節その案をつくります前に、この農業関係災害社会保障の中に取入れるべきかどうかという問題が実は出たことがあるのでございますが、今日の段階においては、それは問題にするにはあまりにも広過ぎるというので、勧告の中では全然触れられておりません。のみならず勧告は、農村の人々に対しましてはきわめて不均等な扱い方にさえなつているのでございますが、私はこの際、もし農業保険の改革が意図されておるとするならば、その農作物保険を、従来の資本としての農作物の損害保険という考え方から、所得としての農作物収入の保険に置きかえるということによりまして、農民の農作物から受ける所得の最低線を保障する、しかも国が責任をもつてこれを保障するという考え方が成り立つのではないかと思います。十三国会のときでございましたか、大内教授が公聴会に来られて、この掛金負担の問題を根本的に解決するためには、一つは現行制度の中でも損害保険任意加入制度としてやれる部分があるのではないか。これは危険率の大きさに比例して保険として行つたらどうか。それから、低位生産地に対する価格補給的な役割を果す部分と、社会保障の対象となるべき大災害というものとを、また別に考えて対策を立てればいいのではないかというような意見を出しておられるようでございます。私はこの一般損害保険として行われ得るという範囲のものを除きまして、それ以外の価格補給的な役割、あるいは大災害、こういつたものに関連のある保険をここに社会保障的に取扱うべきだという主張であります。一般の、たとえば平年作の一割程度の減収といつたものをカバーするといたしますならば、これは任意加入保険として成り立つであろうと思うのであります。しかしそうしたものが今ここで問題になつておるのではないのでございます。むしろそれ以上の損害が起つた場合が問題になつているのだと私は思うのでありますが、そういう場合には、私はあくまでも所得保険立場から考えるべきだと思うのであります。その意味におきまして、御当局がすでに一筆単位補償から一戸単位補償、一筆単位共済から農家単位共済へ移行しようとされて来たことは、これは一つの前進だと思います。しかしこの方向をもつと思い切つて前進せしめる必要があるのではないかと思うのであります。もつともわが国の農家が、戦前のように、ある程度ではございますが、大農の存在を認めているというのであれば、これはまた話は別になるかもわかりません。しかし事実において五反ないし一町程度小農家が非常に多いというのでありますならば、農業保険を、農作物そのものの保険すなわち資本の保険としてよりは、農業所得保険とするべきではないかと思うのであります。しかしこれにつきましては、今日の日本の農家経営が、貨幣経済より実物経済の名残りを強くとどめておる、すなわち農作物が商品化されていないといつたような点、さらには農家の所得を分析いたしますと、農業所得よりも農業所得の方が多いといつた農家が少くないといつた点も、もちろん考慮する必要がございます。しかしながらこの農業所得の方が多いというその特異性、しかもこれは零細農において特にしばしば見られるところでございますが、こういう事実こそ私の主張をむしろ必要ならしめるのではないかと思うのであります。と申しますのは、こういうような零細な農業をやつておられます人々の所得に対しましては、今日ではあの健康保険に見られるような傷病手当金のような制度がございません。また一般労働者における失業保険の適用を受けているようなものも、きわめて少いのではないかと思うのであります。こういうような一般的な賃金で所得を得るところの人々が今日適用されておる社会保険を、その農業所得について見ますと適用されていないというお気の毒な人々が多いということを前提とする限り、そういう人たち所得を、農作物所得の面から社会保障的に保障をするということは、むしろこういう意味において必要になつて来るのではないかと思います。  ではどうすればそういつたような制度がつくり上げられるかということになりますと、これは簡単に申し上げられないかもわかりませんが、たとえば各農家の農業所得というものを調査いたしまして、一定の標準農業所得というものをつくります。そしてこれに対しまして、全国もしくは都道府県別の保険料率をきめまして保険料を徴収するという、すつきりした保険の形に置きかえます。そして農業所得が完全に入らないといつたような場合には、この年間標準農業所得の八割程度のものを保険金として支給する、その災害程度に応じましてこの割合に差等をつけるというような方法が考えられ得るのではないか。もちろんこの場合、この標準農業所得額というものは、農業の総所得で行くか、あるいは純所得で行くか、またその最高額と最低額をどういうふうにきめるかといつたような問題が、いろいろと起つて来るであろうと思います。それから保険金に振り当てます財源は、もちろんこれは保険料で全部まかなうのではなく、超異常災害と今日言われております大災害、あるいは先ほどお話の出ましたきわめて不安定な地域といつたような所におきましては、思い切つた国庫負担が必要となります。しかしそれ以外の所では、国庫負担は一割ないし二割程度で済むのではないかと思うのでありますが、こういう負担の問題につきましてもいろいろ問題があるわけであります。さらに私は、多少は都道府県にも負担せしむべきではないかと考えます。また事務費は全額国庫負担の原則を貫くべきではないかと思うのでありますが、こういつた具体的の問題になりますと、過去のいろいろな統計を十分慎重に調査研究していただき、さらにまた国庫負担額というものについての限界もあろうかと思いますから、そういう点をも十分慎重に考慮していただいてからこれをきめるべきでありまして、その点については、なお今後いろいろと私自身も研究したいと思うのでございますが、要するに今日行われておる農作物損害保険を農家所得保険に移行するというこの考え方が、私の提唱いたします農業保険社会保障化というもののねらいであり、これによつて農民の最低生活が少くとも農作物その他の農業所得について保障されるということになりましたならば、この保険に対する農家の不平といつたようなものは、今日ほどはげしく起るようなことがなくなるのではないかと思います。しかし事はきわめて重大でございますから、もしこのような私のような考え方で制度をお考え直されるといたしますならば、慎重によく統計的な材料を基礎にされまして、改正を行つていただきたいと考えます。  はなはだ率直なしかも素朴なことを申し上げまして、かえつて失礼であつたとも存じますが、この点はあしからずお許し願います。
  8. 足鹿覺

    足鹿委員長 次に南さんにお願いします。
  9. 南正樹

    ○南参考人 私南でございます。この問題について今あまり詳しい研究をいたしておりませんので、申し上げることが多小切れ切れになるかと思いますが、その点はひとつ御容赦を願いたいと思います。  一応私の考えておるところを申し上げてみたいと思います。この農業保険といたしましては、農業災害補償法になる前からの制度が続いておりますので、農業保険制度による時代と通算しますと、十五年の星霜を経ておるのでございますが、その間におきましていろいろとこの制度に対します批判が絶えず起つていたように思うのであります。最近に至りまして、それについてますますいろいろと御批判があるようでございますが、どういう点に、制度が予期しておつたところと違つておるのかということを、一応私が推測いたしてみますと、結局一つは、国の特別会計も、連合会の状態も、單位組合の状態も意外に赤字が多い、これで継続することははなはだおもしろくないじやないかというような考え方が一つ批判の点ではないかと思うのであります。また次にはこの保険金が非常に遅れて農家の手に渡るということに関連した非難であつて、かように遅れるようならば、この制度のありがたみはあまりない、非常に減殺されるという考え方であります。また無災害地農家にとりましては、まるで税を納めるようなものであつて、掛金ばかりとられておつて、自分たちは何も得るところがないのだという非難、また一面におきましては、掛金が非常に滞つておるということに対してどうすべきかというような——そのほかにもいろいろと非難があるようでありますが、これらはおそらく制度としてはあまり予期してなかつたことではないかと考えるのであります。この制度保険として実施するのが一体適当であるか、あるいは無理ではないかというようなことは、これは一面非常に論議の的となる点であると思いますが、現在の制度は、少くとも一つの計画としては、保険としてりつぱに成り立たせてあると考えるのであります。ただ保険として、実施に非常にむずかしい保険であるということは言えるのであります。損害の発生状况が、先ほど来いろいろ諸君からお述べになりましたように、わが国の気象のぐあい、また地勢の状況等から非常に集中的に大災害を持つて来る、それからまたへんぱな起り方をする。つまり比較的に災害のかからぬ所はかからぬでおるのに、かかる所は始終かかるというような状態になつております。それから、それを保険料として技術的に計算することにまた非常に困難が伴つてつて、一般保険制度として行われるような各種保険と比べますと、保険料率の点において非常にむずかしさがあるというようなことが考えられるのであります。でありますが、今日まで実施されて参りました制度といたしましては、一面においてこれによりましていろいろと農業災害補償しまして、農家に役立つた面は多々ある状態でございますので、結局におきましては、実施面において現在の制度がもつと生きて来るということに問題の点がありはしないかと思うのであります。  それで、いろいろと現在までの状况から考えまして問題となる点を考えてみますと、まず第一には、災害防止ということについてもつと徹底しなければ、この制度は結局においていつまでも芳ばしくない状態が続くのではないかという面があると思うのであります。その災害防止につきまして、現在の制度から申しますると、何が大きな災害部分を占めておるかということを見てみますと、一つには風水害であり、いま一つ病虫害であります。この風水害病虫害二つ災害につきましては、今日の状態におきましてはよろしくない。まず風水害につきましては、一応農業保険としては関係が間接になるような形になつておるかとも思いますが、風水害防止ということは最も大切なことでありまして、これが一面において徹底的に行われない限りは、現在の制度を持ち続けて行く上に常に赤字のつきまとうことが免れない。適当な改善策を立てるということも非常な困難があると思うのであります。でありますから、これについては徹底的に費用をかけてやる。きわめて平凡なことでございますが、実施がとかく年次別の計画になつて行われておりますと、そのうちにだんだん縮小されて行くようなことになりかねないのであります。風水害防止対策というものの徹底、これが農業保険の方に関連を持つ意味からしまして、農業保険といたしましても、風水害対策に対しては何らかの関連を持つていくということが必要だと思うのであります。  いま一つ病虫害につきましては、これは病虫害を防除するということに現在以上に力を注ぐべき必要があると思うのであります。病虫害農業災害の半分、あるいはそれ以上を占めそうな状態を示すということは、何としても放任することのできない事柄であると思うのであります。病虫害につきましては、一面におきまして損害評価の問題もからんで参ると思うのであります。病虫害の防除のために費用を出しておるが、それは払つてもらえない。従つて損害の方に少し水増しを認めてもらつて、埋め合せをつけるというようなことが自然と行われる余地があると思うのであります。病虫害に対します防除費用というものについて、何らかそこに損害防止費用を負担する制度を考えるべきでないかと思うのであります。保険法におきましても、農業保険でありませんが、一般の保険に関する商法の規定といたしましても、損害防止の費用は負担する建前になつております。実際においては、現在の保険会社は、これを違つたやり方にして、負担しないようにいたしておりますが、りくつといたしましては、損害防止のために使つた費用は、保険をしておる団体においてこれを負担することはむしろ筋道であるかと思うのであります。何らかの形において病虫害に対する損害防止費用は負担してやるという道を開かなければ、きわめてこれは解決のむずかしい問題になるおそれがあると思うのであります。  次には災害防止と違いまして損害評価という点になりますが、損害評価が今月以上に的確に行われるということが、制度として効果をあげて行く上に必要があると思うのであります。これにつきましては、どういうやり方をしたらいいかということは研究問題でございますが、統計調査機関をもつと活用するようなやり方もあるのじやないかというように考えるのであります。  次には保険料率、あるいは共済にすれば掛金率ということになりますが、この保険料率の今日以上に細分化をはかることが必要だと思うのであります。今日の立て方におきましては、無災害農家災害のある農家のために連帯責任を負つておるような保険料率になつておるのでございます。これはこの制度がすでに十五年の経験を持つて参りました以上、何とか改むべき点であると考えます。今日の火災保険保険料率をきめますのに、建物の等級別と所在地地域別、両面から見まして保険料率をきめておりますが、そういつたようなやり方にいたしまして、たとえば町村の共済組合の中の危険率は甲乙丙の三段階に区分する、あるいは甲乙丙丁の四段階に区分するといつたようなことが、ある程度の的確性を持つてやり得るのじやないか。むろんこれは絶対に動かすことのできないものではございませんで、将来にわたつてはだんだんかえて行くことはむろん必要でございますが、細分化をはかることはこの際研究すればでき得るものだと思うのであります。さようにいたしますと、だんだん共済の色彩は薄らぎますが、大体この制度を維持して行きますのには、名前はかりに共済という字を第一段階に使いますにいたしましても、実質においては保険であるというところに持つて行かなければ、制度としての成功はむずかしいものだと考えるのであります。無事もどしを加味してもらいたいというような意見もよく聞くように思いますが、無事もどしの制度もちようどこの保険料率の細分化と比較しますとうらはらになるような関係がございまして、むろん無事もどしの制度をやることもいいことには相違ございませんが、無事もどしをやるよりも、それに先立つて料率の細分化を断行するという行き方が必要ではないかと思うのであります。  次には、この共済の立て方を徹底して農家単位に改めて行くのが、筋道が通るのではないか。農家単位に改める一面におきましては、きわめて小さい副業農家のやつております農作物は、別途に社会保障の見地から何らか救いを立てるごとにいたしまして、この共済保険の分野からは除外することが、この制度を盛り立てて行く上に必要があるように考えるのであります。また滞納を整理する、掛金の滞納を取立てて行くという面におきましては、現在以上に監督制度を設けることもいいのではないかと思うのであります。そうして農家に対しましては、自分の立場から保険に入るという思想を養つて行く、名前は共済でありましても、実質は保険としてこれを理解させて行くというように仕向ける必要があると思います。いろいろかわるべぎ制度につきまして研究もなされておるようでございますが、保険という建前を無視して解決策を立てることは、今日の状態におきましては不適当だと考えます。この制度をいかに生かして行くかということに慎重なる研究を重ねる必要があるように思うのであります。なお農業災害補償制度におきまして、家畜共済とか任意共済の問題がございますが、家事共済につきましては、今日あまり問題にする必要がないかと思いますので触れないでおきます。任意共済につきましては、共済組合農協組合との間に摩擦があることは御承知通りでございます。これが解決も何とかいたすべきであると思いますが、これはしばらく第二段階の問題としてもいいのじやないかというように考えまして、一応触れないでおきます。  私の、大体の考え方といたしましては、この大きな農業保険制度を運営いたします上から、現在の機構と申しますものは小さ過ぎておるのではないか、必要な部分にはもつと国費を投ずることが、かえつてこの制度が将来むだな出費を省くことに役立つのではないかと思うのであります。従つてその見地から、たとえば農林省の機構にいたしましても、局の一課として農業保険課があつてこれを取扱つておるというような状態より、もう一段進みまして一つの局として処理する、問題を考えて行くというくらいの重要性が十分あるものと考えるのであります。中途半端の対策はよろしくないと思います。当分の間はなお思い切つた金をかけて、この制度の完備をはかつて行くということに重点が置かれることを希望いたします。  以上であります。
  10. 足鹿覺

    足鹿委員長 それでは最後に松村眞一郎氏にお願いいたします。
  11. 松村眞一郎

    松村参考人 農業災害補償法という一つの法律でまとめられておりますが、元来それぞれ別個の発達をして来たものであることを考えなければならぬと思うのであります。家畜保険の方面は損害保険として固まつて来ておつたのであります。農業全体の意味においてこれをまとめて災害補償法となつておりますが、元来今日目標になつておりまする主要食糧と蚕繭と家畜というものはそれぞれ別個に考えて、組織を完備して行くべきものであると考えるのであります。それぞれ特別の性質を持つており、それに対して農家の依存する程度もそれぞれ違つておるのであります。総合的に考えるということの前に、個別的にもう少し掘り下げてこれを固める必要があると思うのであります。それぞれの制度を完備するということがまず第一と思うのであります。従来農業災害補償制度というものに対するいろいろな動きは、制度それ自身の完成のための努力がよほど強く働いておつた、未完成なものを運営して行く上において、いろいろな欠陥が生じてそれが未完成であるということでなく、制度そのものを本体的に批判するような問題も生じておるのでありますから、それぞれ区分してこれを検討し盛り立てて行く必要があると思うのであります。その上でさらにそれを農家全体の方面からの観点に移すということは第二の段階であると私は思うのであります。まずそれぞれについて考えてみる、家畜保険につきましては、大体せんだつての法律の改正によつて死廃病傷の一元化ということになつたのであります。これでほぼ制度としては固まつておるのじやないかと思います。残るところは獣医師との調節問題、これは本質的の問題ではないのであります。そういうことのためにいろいろな問題を起しておるというのでありますが、これは別個の見地から適当に解決すべきものであると思います。蚕繭については別の立場で考慮していいと思いますが、今日農作物共済においての目標になつておるのは、水稲が中心になつておる。水稲それ自身が日本農業の根底をなしておるのでありますから、その主要食糧、すなわち水稲、陸稲、麦ということになつておりが、これは片方において主要食糧の供出制度と表裏の関係を持つておるのでありますから、これだけは別個に徹底的に制度を固めて行くということが、食糧政策との関連から考えましても必要であろうと思うのであります。そのほかに現在の制度としましては、任意共済という名のもとに各種の農作物なり、農機具なり、建物なりの共済家畜輸送の問題というものを取扱つておりますが、これは共済という意味で進んで行つた方がいいのか、純粋な保険の理論で固めた制度で進んだ方がいいのかということは、ごく単純に考えられ得る問題だと私は思うのです。ただ主要食糧に対しまする共済制度につきましては、単に保険だけの純保険料の分配という、アメリカなどのやつておりますような制度でこれは解決し得べき問題じやない。日本の特殊農業事情があり、米作ということに依存しておる農家の状態から考えましたならば、これだけは別に私は考えていいと思うのです。農作共済というようなものに重点を置いて、特に供出制度関係とも関連した徹底的な解決をいたさないと、ほかの共済制度にもいろいろな累を及ぼすというおそれを私は感じる。いろいろ損害評価の問題につきましても、その供出制度というようなものとからみ合つて、純粋な意味の農作の共済ということに徹底することができないようなはめにも陥ることを考えて、単に保険だけの関係でなく、社会保障であるとか、純然たる救済というような思想は、主要食糧の耕作という方面について特に重点を置いて考えるべきものであろうと思うのです。元来国家の要請として、主要食糧を無理にも耕作させておるという関係を考慮し、また農家は経済観念を離れて農作に従事しておるということをも考慮しましたならば、そしてまた米作から離れるということは、農業から離れる、没落するというようなこともそこに加味しておるということから考えまして、社会保障であるとか、純然たる救済であるとかいうような問題は、主要食糧に重点を置いた特別の深き考慮を必要とすると思うのであります。農業共済制度としては一本の法律になつておりますけれども、それぞれの経理は特別会計で別々に分離して考慮しておるのでありますから、その趣旨を徹底して制度の強化を考えていただきたいと思うのであります。従来農業共済全体につきまして、制度それ自身が未完成であつたために、何とかこれを整えたいという努力に年々追われておるのでありまして、農家もその方向に今までは懸命に要望をし、かつ制度それ自身について未完成な施設によつて生ずるいろいろな欠陥についての矯正というようなことも要望しておつたことは、御承知通りであります。それでこの農作物共済につきましても、共済事故というものを次々に追加いたしまして、今日においてはすべての事故に対して共済をするというところまで事故の法案を完成いたしておる。残るところは、国庫負担農家負担との割合というような問題が残ると考えるのでありまして、ことに損害の評価の問題、また損害の防除の問題というようなこともあわせて農作物共済、主要食糧共済については考えなければならぬと思うのであります。一本の保険の理論だけで徹底することのできないのが、これが主要食糧共済制度であると考えます。これには先ほど申しましたごとく、いろいろな要素を加えた制度に盛り上げなければならぬのであつて、一本の保険だけの理論、社会保障だけの理論では私はこれはまとまらないと思う。やはりそこにそういうことを離れた、救済というような思想も入つた、意味の広い、含蓄のある制度として主要食糧災害補償制度は固めていただきたいと思うのであります。米の耕作というものは日本の国始まつて以来の問題であるが、これに対する補償制度というものは、まだでき上つてほとんど間がないのであります。この制度の根底は今建設中である。建設の途上においていろいろな試みをすることはいいのでありますが、それに対してある目標を確かにつかんで進んで行く必要があると思うのであります。一筆単位農家単位の問題についても、やはりそういうような考慮を必要とすると思います。一方においては掛け捨てというようなことについての不満がある。そういうような不満を考えるならば、一筆単位であれば損害補償を受けられたものが、農家単位になるがために、災害の生じたときには多くの金をもらうけれども、もらう機会が少くなるという場合において、掛け捨ての思想がまた働いたならば、その制度に対してまた不満が生ずるというようなことも起つて来るのであります。いろいろな問題を総合し、あるいは複雑なことをも考えて、農家自身の喜ぶような、得心の行くような制度に持つて行くことが必要であろうと思うのでありますから、あるいは農家単位に画一的にやる必要もないと私は思う。場合によつては一筆単位制度もあり、農家単位制度もあるというようなことも、試みの段階としては行つてみてもよいのではないかというふうにも考のであります。結局するところ、農家全体が得心をして、喜んでこの制度に親しみを感じて来るようなぐあいのものに持つて行かなければならないのであつて農民の心理、農民の理解の程度認識の深さによりまして、それにちようど適合したような、それから少しずつ先に進むというような方向に持つて行きながら制度を固めて行く必要があると思うのであります。  先ほど申しましたごとく、農業保険にいたしましても、農業災害にいたしましても、まだ試みてから十数年とかいうようなことにすぎないのでありまして、これについていろいろな問題が起ることは当然のことである。これに対して、今建設の途上にあるのでありますから、いろいろな試験研究をすることはよろしいのでありますが、それは目標をはつきり認識して、はつきりそれに対する効果を得るようなぐあいの方向に考慮していただきたいと思うのであります。  損害防除の問題もまた非常に必要な問題であつて、元来損害が生じたから補償するというようなことよりも、損害の生じないというところに重点を置くことが非常に大切なんでありまして、農業災害補償法においても、損害防除について特に責任の規定を重きを置いて書いてあるのでありまして、普通の事故の場合の被保険者の損害防除に対する責任よりも、もう少し重いことを期待いたしておる法律の趣旨から見ましても、もう少し損害防除の方面についての考慮を加えた共済制度にする必要があると思うのであります。これはただ保険の貨幣経済から来るというの、よつて生じた損害を金で賠償行るというような意味の思想に持つてすくよりも、もつと進んでいない農家現状というものを考えて、現実に即した問題に力を入れて、防除というものと共済というものとをもう少し密接な関係を持つようにしていただきたいと思うのであります。それは家畜保険つてい一元化の場合に生じます傷病の診療を共済制度としてするというのもそういう意味であつて、診療を受けた後の金を払つてもらうというよりも、診療それ自身をやつていただくということの方が、損害防除としては一番適切である。それと同じようなぐあいに、農作物についても防除の方面にそんな意味の力を尽す意味において、もつと共済組合と防除の制度とを結び合せた意味においての指導が必要であると思うのであります。どうも役所の組織というものは非常に分化的になつておりまして、防除の問題になりますと、今の保険課では専門でないというような制度になつておる。そんなようなことの弊害はこの災害補償制度の方でむしろ打破していただくようにお願いいたしたいのであります。また現在の災害補償制度は、末端が組合員の相互組織になつてつて、この相互組織の思想に出発した制度保険制度、さらに国家の再保険制度で組織を固めておるのでありますが、この組織によつて現在の制度を運営し来つておるのでありますから、いましばらくはこの制度が一応遂行して行く方がいいのじやないかと私は思う。あるいは個々に市町村が主体でやるとか、国営でやるとかいう問題があると思いますが、これはまた一つの試みとなると思うのでありまして、国営にした場合において、これを任意制度にするか、強制にするという問題がまた起つて来るわけでありますから、現在の制度を、ともかくある程度までは見きわめをつけてから、根本的の改正に進んでいただきたいということを私は考えるのであります。  そういうような次第でありますから、損害防除につきましても、供出制度のつながりもあり、いろいろな問題がありますから、そういうような点についてももう少し——私の希望するところは、この制度農村に立脚して国の再保険というところに結びついておる関係かち、国がほとんど指導の重点をみずから背負つておる。地方公共団体の市町村なり都道府県というものは、国の指示によつて動いておるというような状態であつて災害補償制度そのものを実態的に担当いたしておらないというように私は考えるのであります。もう少し地方公共団体がこの制度実態の中に入つて、自分もその一部分をになうというようなぐあいになつて行くことが必要でないかと思うのでありまして、今日の地方公共団体は、災害補償制度に対しましていろいろな援助をすることもありますけれども、その援助の程度においても、分野においても、何ら画一した基準が設けられていない。それは制度それ自身の内容の中に地方公共団体が入つていないということを物語るものでありまして、もう少しこの問題は地方公共団体の仕事であるということの意味が入るようにしていただきたいのであります。この意味は今中央政府の持つておりまする国の監督権を地方に委任するというような意味ではない。別のことを地方公共団体としてはそこに考えなければならぬ立場にあるのじやないかと思うのであります。そんなようなことを大体考えておるのであります。なおいろいろ御質問に応じてお答えいたしたいと思います。
  12. 足鹿覺

    足鹿委員長 暫時休憩します。     午後一時十四分休憩      ————◇—————     午後二時十六分開議
  13. 足鹿覺

    足鹿委員長 休憩前に引続き会議を開きます。  これより参考人各位に対する質疑に入ります。足立篤郎君。
  14. 足立篤郎

    ○足立委員 参考人各位に対しまして、私は疑問とし、あるいはさらにつつ込んで御意見を伺いたいと存じます点を、一、二問ずつ発言されました順序に従つてお伺いしてみたいと思います。  まず山内さんにお伺いしてみたいと思うのでありますが、山内さん御説の不安定地区に対して、この地区というものを確定して、これに対しては国庫助成を厚くして強制をして行く、なおまた安定地区に対しては、任意加入前提として、農家単位共済を実施すればいいのではないかという御説です。これも私どもとしても考えないのではなかつたのですが、今まで正式には初めて伺つたような御意見で、非常に傾聴に値すると思うのでありますが、さて実際にこれを実施するということになりますと、なかなか問題があると思うのでありまして、特に安定地区に対しての問題が起つて来ると思うのであります。不安定地区は国庫助成も厚くし、これを強制するということになれば、これは現在でもあまり問題は少いようにも思いますが、現在問題になるのは安定地区であります。従つてこの安定地区に対してどのようなお考えを持つていらつしやるか、もう少しつつ込んでひとつ御説明を願えればまことに幸いです。特に安定地区に対して風水害等の異常災害等が起つた場合に、安定地区の人たちが日ごろ満足するということになると、これは掛金も安くしておかなければならぬ。またそれによつて初めて喜んで加入するということになるのでありますが、その反面異常災害等はやはり安定地区であつても起る可能性は、昨今の状況からいたしますと十分あるのでありますから、その場合にはどういうふうに持つてつたらいいかというような点につきまして、もう少し具体的につつ込んで御説明願えればまことに幸いです。
  15. 山内豊二

    山内説明員 それは非常にむずかしい問題でありますが、私の大体感じておりますことを述べさせていただきます。  まず不安定地区と安定地区の問題でございますが、私主として不安定地区と申しましたのは、水を中心といたしました不安定性、それから温度を中心といたしました不安定性、こういうふうに考えております。それからそのほかの安定地区にありましては、ひよう害もございますし、それからまた病虫害等も発生して参ります。従つてこの意味においては不安定地区と申すことはできません。ただ問題は、私が先ほど申しました地域性のある不安定性といいますのは、そういう意味の不安定性でありまして、その場合、私若干その地帯について調査をいたしますと、たとえば利根川沿岸地区等に参りまして、ただいま両総用水等で大規模な改良事業が行われておりますが、そういう所は保険の対象になつていないかと申しますと、当然そこは入つておるわけであります。また利根川治水工事が完成して完全な限り、そういう水に関する災害はないわけで、その地帯の水に関する災害と申しますと、ちようど利根川堤防ができまして、山から降つて来ます水が堤防のために排水ができなくて、結局堤防にさえぎられて、その付近に——利根川下流にはずいぶん大きい排水用地ができて参ります。この場合の被害形態は作付を当初、特に梅雨というものを契機にいたしましてずいぶん降雨がありますと数千町歩というものはその水の下にひたされてしまう、こういう形態を持つておるのであります。それからこういうところにおきまして、やはりそこの経営の状態は相当問題があるように思いますので、先ほど申し上げたような考え方を出したのであります。  それから安定地の問題でございますが、日本の水稲の少くとも作物の形から見まして、日本の集約的な経営で、しかも水というものはきわめて安定的な作用を果しておるように私は思います。ただその場合に病虫害その他の——病虫害は相等防除できますが、その結果コスト面から申しまして経営面から防除し得ない一つの変動がございます。またひよう害等も当然起つて参りますが、その前に、日本農業経営は山地経営をやつております。従つて相当分散した経営をやつておりますので、その総収量が変動して来る限界、いわゆる変動する範囲でございますね。それは五〇%以上を越します場合には、農家といたしましてはまさに大災害でございます。だけれども普通各町村の変異係数を見てみますと、日本の変異係数は一〇%から大体三〇%の範囲内に分布しておるように私は思います。これがアメリカ等へ参りますと、極端にはグレート・ブレーン地帯へ参りますと、七〇%あるいは八〇%程度まで変動いたしております。日本の水稲しかも山地経営をしている場合には起りやすいので、総収穫の面からいたしますと一〇ないし三〇%辺におちつくのではないか。最大起りまして五〇%程度ではないか、これは農産の場合でございます。そうするとそういう角度で見て参りますと、しかも変動の振れの度数から申しますと、大体一〇から二〇%前後が多いのではないか、これは勘でございますが、そういうふうな感じがいたします。それでその範囲ですと、料率の負担と申しましても非常に軽くなつて参ります。それから今後、負担いたします場合には、現金を出すことを農家には極端にきらうことは零細経営のしからしめるところであると思いますが、現物に対する希望というものがすでにございます。従つて現物を出すということは現金を出すこと以上に、経済の問題からいたしまして輸送費という面からも節約できるわけでございますし、また農家の現物に対する考え、そういう意味で保険料を現物の形に持つて行けば、ある程度のものはできるのではないか。それからもう一つ金融の問題でございますが、その程度の変動があります場合に、現在の補償法金融制度のつながりというものは、農業手形という節囲内においてのみ存在いたしておると思います。従つて保険加入をいたしておる場合に、何らかの形において金融との結びつきをもう少しぐつと強めましたならば、その問題が解決するのではないか、そうすれば、いわば一つのかりに保険といたしますならば、作物保険に対する需要というものはそういう形で出て来るのではないかと思います。  それからもう一つの御質問の大災害の場合でございますが、これは一つの別途の取扱いが可能ではないかと思います。これは大規模に起つて参りまして、とうてい保険財政において負担し得る範囲のものでないとすれば、それは治山治水というものが国家の責任においてなさるべきものであるとすれば当然国が負担し、そうして徹底的な生活保障という角度から次の生産行為がなされるまで維持すべきものであるのではないか、私は大体こういうふうに考えております。
  16. 足立篤郎

    ○足立委員 山内さんはこの問題を専門に御担当になり、またその後も御研究になつておるはずでありますから、他の参考人の方からの制度上の組織の問題等につきまして、たとえば単位共済組合の範囲が狭過ぎるとかいうような御意見もございましたが、こういう組織上の問題等につきまして、さらにお考えになり御研究なつた結果を御発表願えることがありますかどうか。もしありましたらおつしやつていただきたいと思います。
  17. 山内豊二

    山内説明員 私は組織までは考えておりません。今のところむしろ災害日本農家というものを一つ保険関係から見ました問題でございまして、組織までは考えておりませんが、しかし再保険形式というものは、保険が成立する以上当然必要ではないかというふうに思つております。
  18. 足立篤郎

    ○足立委員 今私、実は組織についてお考えがあればそれを伺つて、それとのかみ合せの上でさらに伺いたいと思つてつたのですが、最初に質問しました安定地区に対する対策がお考えのようにうまく行くということになれば、不安定地区についてはさらに国庫負担を増額するというような方法によつてなお簡単に行き、また場合によつては一元的に運営することもできるのではないかというふうにも考えるわけでありますが、これは今までの制度でもすでに相当加味されて、過去の実績というものが基礎になつてはじかれておりますので、安定地区、不安定地区に対する考え方は、最初制度が発足いたしました当時から見ると、はるかに合理化されておるということが言えると思うのであります。この安定地区に対して、特殊な異常災害については救済または補償というような考え方でやるというのですが、これは考え方としてはそういう二つにわけて考えられますが、制度として運営する面におきましては、やはり現在のような方法になるのではないか。国庫負担という線が強く出て来ると、みんな全額国庫負担というのでこれについて来るというようなことになるのではないかと思いますが、その点は厳格に区別してお考えになつておるのかどうか、その点もう少しはつきりお答え願いたいと思います。
  19. 山内豊二

    山内説明員 異常災害関係でございますが、この場合問題となりますのは、たとえば今度の災害なんかを見ますと、何もかも流されてしまうというような段階に入つておるのが相当あつたのですが、現在の補償法関係からいたしますと、少くとも作物のみが対象だ。ですからその場合に、その意味においてそういう範囲までどういうふうに拡大して織り込んで行くかという点には問題が残つておるように私は思つております。  それからもう一つ、やはりそういう保険収支としてバランスがとれない場合の一つの問題、それから一応とれると考えられる場合の問題とは、制度上と申しますか、少くとも保険会計、保険財政と申しますか、そういう意味において若干項目が別になるのじやないか、こういうふうに私は思います。ですから組織をどうするという問題ではなくて、バランスをどこまでとり得るかという範囲から組織は考えるべきだというふうに私どもは考えております。
  20. 足立篤郎

    ○足立委員 山内さんにもう一点お伺いいたしますが、さつきの保険金融と結びつけて考えるというのは、被害を受けた場合に営農資金を政府から低利で貸し付けるというようなことを保険と結びつけたらどうかという意見なんですか。
  21. 山内豊二

    山内説明員 そういう意味もございますし、それから相当保険に対する意義が徹底して参りました場合に、現行制度に無事もどし制度というのがございますが、現行制度が均一なる危険という問題を提起しておりませんので、そこに無事もどし制度が非常に困難な条件があると思う。ですからもし個人の意識が先ほど近藤先生がおつしやつたような形において解決されるとすれば、それは積み立てて行くというような形でもつて相当短期金融の道が開き得るのではないかという私の今の思いつきなのであります。
  22. 足立篤郎

    ○足立委員 次に奥井さんにちよつとお伺いしますが、御説明の中で、共済の掛金を、三重県においては前年度受取つた共済金を充当しているものが六〇%あるということを伺つて、実は私はびつくりしたのですが、これはどういう形において行われておるか、その内容について詳しく御調査になり、分析をなすつていらつしやるかどうか。私が特に伺いたいと思うのは、たとえば昨年不幸にして被害があつて、相当な共済金が来た。従つて苦しいときに共済金が来たのですから、本来農民にただちに渡すべきものでありますが、しかしあとまた掛金がたいへんだから、この際農協の当座等に共済掛金貯金というような名目で残しておいて、そして掛金の徴収を楽にしようというような善意でやつたものか、あるいは一部役員が、あるいは職員が、掛金を新たに徴収することがたいへんであるから、来た共済金の額を明らかにせずに、農民には伏せておいて、ただこれを保留しておいて、そつくりこれを充当したものであるか、その辺のこまかい点がもし御調査になつているならば、御発表願えますと非常に幸いであります。
  23. 奧井亮三郎

    奧井参考人 ただいまの御質問に対してお答えいたしますが、私先ほど申し上げましたのは、村の共済組合から連合会に対する保険料の支払いの問題でございます。これはその前に申しましたように、農家からの掛金の徴収が期日が遅延しておりますために、きまつた時期に上級団体である連合会保険料の支払いに支障を生ずるわけであります。その場合におきまして、不足分を農協から借入れて、上級団体の保険料を支払つておるものが一〇%、それから前年度に受取る保険金が、連合会から村の共済組合に参りますが、その金をただちに下に払わないで、一応保険料の未払い分に充当しておるものが六〇%、こういう事態であります。
  24. 足立篤郎

    ○足立委員 今御説明の前年度に受取る共済金保険料に充当している内容について私今伺つたのですが、そのやり方が、一応個人々々に対して支払いをすべき明細はつくつてあるけれども、個人々々に去年の共済金の支払いをしてまた今年の保険料を徴収するという煩を省くために、今年の保険料に充てるものは、個人々々の計算をはじいて、これから差引いて納めている。さつき申し上げたように掛金のための貯蓄をするというような意味で押えておいて払つた、というような善意のものであるか、まつたく個人には去年の共済金が幾ら来たか知らせずに、盲にしておいて、それをそつくりあたためておいて、運転資金の形で、個人から今年の保険料がなかなかとれないので、立てかえのような形で保険料として払う、個人々々には去年の共済金が幾ら来たかということの明細を全然知らさないというようなことでやつておるのか、その辺の御調査ができているかどうかということを伺つたのであります。
  25. 奧井亮三郎

    奧井参考人 ただいまの場合につきましては、個々のこまかい例の調査はないのでありますけれども、善意で、善意でと申しますか、やりくりのためにこういう手段をとつておるものが多いと思うのであります。それからもう一つ、これは個々の農家に対する共済金の支払い方と関連が出て参りますが、この問題は先ほども申しましたように、大部分のところでは個人々大の領収書の整理がないという事実は、一人々々に、正規の金を直接払わず、たとえば村の区長でありますとか、増産班長であるとか、そういうような人に一括して渡しておる例が相当多いのであります。従つて個々の農家におきましては、結局目分の受取つた金が、正規に参ります保険共済金であるのか、賦課金、それから掛金、そういうなようなものをすつかり差引いた差額であるのか、よくわからないという農家が相当あると思うのであります。それを知らしめるための手段といたしまして、やりくり上、支払うべき金と、こちらへとる金との時期的なずれは起つて参りますが、ある程度操作するということを認めるといたしましても、個々の農家に対しましては、当然受取るべき金が幾らで、組合の方へもらうべき金が幾らで、差引これだけあなたに渡す金があるということをはつきりさせるなよう手段をとつておるのでありますけれども、まだ末端へは徹底をいたしていないのであります。
  26. 足立篤郎

    ○足立委員 私が今この点に重点を置いて伺つておるのは、こういうことを監督官庁である農政課長が、三重県について国会を通じて発表なさいますと、相当大きな反響を呼ぶと思うのであります。前年度受取りの共済金を、そのままことしの掛金に充当をしたものが六〇%ということは、実は私もたまげたのでありますが、その明細について御調査なさらないと、それは相当無責任な発表というそしりを受ける場合もあると思うのであります。私は老婆心ながら申し上げる。なぜかといいますと、私さつき申し上げたように、この中には去年の共済金をもらつて、そのときにいずれまた掛金に困るのであるから、掛金の貯蓄の意味で一時農協の貯金にしておくということで、個人にも明細を知らして、奨励をしておる向きも現在ありますので、そういう善意で、掛金は現金としては個人の手に渡つていないが、農協の当座に共済掛金という意味の貯金ですえ置かれておるものもあると思うのであります。その反面悪質のものにつきましては、さつき私が申し上げたように、全然個人に共済金内容を知らせず、ただこれを押えてしまつて、請負制度のようになりまして、そうして農協から借りたりあるいは去年の共済金をもつて来年の保険料に充てるというようなことになりますと、個人が共済金に対する請求権を持つておるにかかわらず、これを末端の団体である単位共済組合が無視いたしましてやつたのでありますから、突き詰めて行くと、業務上横領というような事件が起ると思います。従いまして、これはよほど明細にお調べになつて、はつきりとした数字を御発表にならないと、波及するところが大きいと考えますので、ただいまのお答えでは納得ができませんし、また今お手元に十分御調査の結果がないようでありますから、これ以上私は申し上げません。  なお奥井さんにもう一ぺん伺いますが、共済地域が非常に狭いために、ABCDというようにランクを設けて組合を検討なさつてみると、非常に悪い組合が多いということになつておる。これは私もまつたく同感でありまして、もう少し単位を広げたい。それに対する御意見としては、町村合併等の促進が期待されるというような、まことに消極的な御意見でありますが、これについてさらに数郡をブロツクとする組合をつくるとか、あるいは郡単位で昔の郡農会のような形で共済責任を持つというふうな制度について、お考えになつたことがあるか。それに対して、何か試みにこうやつたらいいじやないかというような試案でもおつくりになつたことがありますかどうか。せつかくここまでこまかに御研究になりましたので、もしお考えがあれば、それを伺つておきたいと思います。
  27. 奧井亮三郎

    奧井参考人 ただいまお話の区域の問題につきましては、一郡または数郡の団体のことは考えておりませんので、一応現行の制度をやつて行く上において、どの程度組合の広さになれば経営が成り立つであろうかという考え方から行きますと、数箇村の合併、すなわち町村の合併促進という程度で、現行制度のものであれば経営が行くのではないかという程度のところであります。
  28. 足立篤郎

    ○足立委員 近藤先生に一ぺんお伺いしてみたいのですが、先生のお話はまことに学者的で、抽象的でございまして、御趣旨はよくわかりますが、具体的に伺うという点が少いのであります。特に私が伺いたいと思いますのは、先生のお説で、農業については、所得として社会保障の対象にする必要があるというお説、これは生活保障という意味で、社会保障の対象にすべきであるというふうに了解をしてよろしゆうございますか、どうでしようか。
  29. 近藤文二

    近藤参考人 生活保障と申します言葉の中におきましても、たとえば現在行われております生活保護法におきます生活保障という考え方がある。それで生活保障を社会保障という考え方に置きかえまして——今日の生活保護法の精神はそうでないというように説明は一応されておりますけれども、やはり慈恵的なものが残つておる。それをもつとすつきりとして、国民が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を持つておるという建前に置きかえた意味の生活保障でありましたならば、私は生活保障という考え方を取入れておるというようにお答えできるかと思います。しかし慈善的な意味の生活保障ではございません。従つて責任は国家が持ち、各国民の最低限の生活を保障する、こういう意味に御了解を願いたいと思います。
  30. 足立篤郎

    ○足立委員 近藤先生に伺いますが、今のお説明を聞きまして、私が考えられるのは、たとえば農家の働き手が病気をする。従つてこれにかわるべき労働者として他人を雇用いたしました場合に、これが出費としてかさむ。現在の農家におきましては、自家労力というものは、もちろん生産費計算をやるときには計算に入れますけれども、農家自身の感覚としては計算に入れていない。これを新たに現金支出をするということになりますので、これに対する補償という意味で、社会保障は私はぜひとも必要ではないかという気がするのでありますが、今先生のお説のように、非常に社会保障制度というものを拡大して参りますと、いろいろな矛盾が起つて来やしないか。私が今お伺いしていて、思いつきでありますから、まことに素朴な質問になりますけれども、まず私が気がつくことは、こういう農業経営ということは、ともかく事業でありますから、これに対して社会保障の理論を当てはめて参りますと、対象面積が狭い人の方がよけいの補償を必要とする。たとえば二町歩も三町歩もつくつておる農家においては、五割や三割の被害がありましても、今おつしやつたような意味からの生活保障、これはある程度レベルを上げまして、現行の線まで上げて参りましても、これはただちに補償を必要としない。事業については確かに損失をこうむつておりますが、現在の農業災害補償法では、これはもちろん対象になるわけであります。大体今のような線で行きますと、生活保障という意味では取上げるべきものではないということになりはしないか。その反面に、三反百姓、五反百姓で他に職業がなくて、副収入がないというお気の毒な方も、最近たくさんある。こういう人に対しては、フルに十分とりましても、なおかつ生保活障の必要が起つて来るというようなことになりまして、相当矛盾する線が出て来やしないかと思いますが、これに対して何か割切れるお考えはございますか。
  31. 近藤文二

    近藤参考人 これは一般的な問題かと思いますが、たとえばイギリスの場合の社会保障の給付を見ましても、その人に資産があるとかないとか、所得が多いとか少いとかいうことは、一応問題にいたしません。たとえば子供が一人あれば、月に千五百円というものを出すというかつこうになつておりまして、もちろん権利放棄はできますけれども、生活が困るから出すという形ではないのです。少くともそれだけのものは、そういう病気なら病気という一つの事故が起りますときに、国が出すという建前になつております。この点が生活保護法なんかの、資力を調査してから払う形のものと違うのであります。それで私の申し上げております所得保険という考え方で申しますと、農業、特に農作物から出て参ります所得というものをつかみまして、これは最高は押えるのでございます。そうしてある一定の標準の階級をつくつて、その階級の中で、災害の割合に比例いたしまして、一定率の保険料率をかけるという形で補償いたしますから、おつしやるような矛盾は出て来ないような感じを持つておるのでございます。これは数学的に具体的に御説明申し上げませんと、ちよつとおわかりにならないかと思います。従いまして、その最高をどの辺で押えるかということの問題が問題になるわけです。今の例の中に出ておりました、病気をして、自分の力で耕作ができないから、人を雇い入れた場合、その費用を補償するというような考え方が必要ではないかとおつしやつておりますが、これは普通の賃金労働者の場合で申しますと、傷病手当金に当るものだ。農民の方に対しましては、国民健康保険を通じて病気そのものの費用が出るのでございますが、傷病手当金に該当するものは出ない。特に他人の労働力を雇つて、それで生活をやつて行くという形で傷病手当金を扱うのは、これは非常に困難ではないか。というのは、本人が病気であつても、家族が手伝つてやられるということが、むしろ常に出て来るのじやないか。そんなに金を出すと、みな他人を雇うということになりますから、むしろ私の考えますのは、農業所得を農作物を通じて得るものとして、その範囲における所得補償するという意味で、先ほど来の御提案を申し上げておるのでございます。ちよつと回答になつておらぬかもしれませんが……。
  32. 足立篤郎

    ○足立委員 今の近藤先生のお答えの中で、はつきり伺つておきたい思いますのは、最高をきめるというお話でございましたが、これはもつともだろうと思います。私が御質問申し上げておる点も、そこにあるのでございまして、さつき申し上げた二町も三町もつくつておる農家も現にあるわけでありますが、こういつた農家につきましては、家族構成員その他を考えて、生活費あるいは再生産費というものをはじき出しましても、相当の被害がありましても、再生産ができない、あるいは生活ができないような窮境に立つことは、これは経済力が弾力性を持つておりますから、非常に耐える力を持つておる。三反とか五反とか、ほかに職業がなく、ほかに収入がなく、むしろを織るというような微々たる副収入しかないような農家も、相当あるわけであります。これに対しましては、その最高の限度を設けるという場合には、どういう場合にやろうというお考えであるか。三反歩、五反歩の農家は当然に生活程度が低いのである。その低い生活程度によつてはじき出して、そうして一応の線を引いて、それを割つた場合には国が補償するというようなやり方をお考えになつていらつしやるのか。また大農の場合でも、一定の歩合を割れば当然に政府は補償すべきものである、現在一筆ごとに三割以上の被害、農単の場合は二割以上の被害ということになつて、やはり同じような考え方でやるということになりますと、これは社会保障ということよりも、保険という性格の方が強くなつて来る。金の出どころによりまして、これは社会保障ということも言えないことはないと思うのでありますが、その辺を、話が抽象的でありますし、私もはつきり先生の御説をすみからすみまで承知した上での質問ではございませんので、私の質問自体も抽象的でお答えにくいかもしれませんが、その点もう少し割切れるようなお答えがいただけませんでしようか。
  33. 近藤文二

    近藤参考人 あとの方からお答えしたいと思いますが、社会保障というものは、基本的には保険料率を利用して補償するということになつておりますので、私の先ほど最高を押えると申しましたのは、たとえば健康保険の場合に、賃金の最高額を今回国会で修正されてできましたのでは三万六千円で押えております。つまり三万六千円以上の月収のある方も三万六千円で押えて、それを標準にいたしまして手当金を支給する、これと同じように、農家農業から生ずる所得というものの最高を、幾らに押えるかということは問題でございますが、一応押えまして、しかもその場合に、農業所得外の所得ということの考慮も必要になるのではないかと思いますが、その標準に対して保険料率が平等にかかるわけなのでありますから、たくさん所得のある方は、たくさん保険料を払われるわけです。たとえば平穏で、何も災害の起らないような土地の方に対しましては、非常に妙な、かけ捨てのさらにはげしいものになるのではないかというふうにお考えになるかわかりませんが、その保険料を出すことによつて、大災害が起つたときには、結局費用負担の面からいえば、全額国庫負担に近いようなものが出るというものもあるわけなのでございますから、そういうものも全部おしならべて考えていただいて——費用負担の方から申しますと、特別に災害がしよつちゆう起つておる所とか、あるいは大災害の場合の費用は、全部国庫負担する。それ以外のものは、都道府県単位あるいは全国単位で割切つた保険料率で、お互いに全体が分散して負担しておるというかつこうになりますので、標準的な農業所得というものを今申したようにきめて行きますならば、大体かつこうがつくのじやないかと私は思つておるのでございます。なおもう少し具体的に御質問をお願いいたしたいと思います。
  34. 足立篤郎

    ○足立委員 まことに質問も抽象的で申訳ございません。さつき申し上げたように、先生のお話も非常に抽象的だつたものですから、これ以上具体的にお伺いするよりどころがないわけですが、私の考えでは、現在の災害補償制度というものは、御研究くだすつたようでございますが、今先生のおつしやつたような線に近いところまで内容はすでに来ておるのじやないか。もともとこれは農業保険と言つた当時から、名前だけは農業災害補償法にかわりましたが、初めは国庫負担その他もまことに微々たるもので、情ない制度でございましたが、逐年改善されて参りまして、非常に今おつしやつたような線が強くなつておるのじやないかというふうにも考えますので、これを先生のおつしやる社会保障制度に切りかえて行くという段取りになりますと、制度的、組織的にかわつて来るものかどうか、またどうしたらいいかというような点につきまして、今後ひとつ御研究くだすつて、御意見等、御発表願えればまことにけつこうだと思います。これ以上は御質問申し上げません。  それから最後に、南先生、松村先生の御意見の中に、期せずして一致していることは、病虫害防除について特に強力にやれ、しかも組織についても、この際出し惜しみせずに思い切つて強化して、完全に仕事ができるようにすることが、かえつてこの制度に対してむだな経費を省き、信頼性を増すゆえんであるという御意見でありますが、これは昨今いろいろな批判を聞きますと、この制度が、機構が大きくなつて、頭でつかちで、機構の方に金がかかつて、実質的に農村に行く金が少くなるということは、実は本日農林省から資料が出ておりますが、そういう非難が非常に強い。それに逆行するような強い御意見で、私として非常にかわつた御意見を耳にすると思つて伺つてつたのであります。しかし病虫害防除対策のごときはまことにおつしやる通りで、やはり共済制度とうらはらの関係で、どこまでも徹底してやつてこそ、この災害補償制度の効果が現われる、またこれによつて農民にも喜んで参加してもらえるということになるのではないか。しかるに昨今セクシヨナリズムの関係から、機構も違う、従つてこれが県に流れ、町村に流れて参りますと、やはり違つたやり方でやつておりますために、本来国として一元化してうらはらの関係でやるべきものが、二元化されておる。これは家畜共済についても言える。家畜診療所と保健所というような対立も、結局セクシヨナリズムから来ておる。この際思い切つて機構上の対立あるいは二元化というものを防ぐのが、そうして一元化をはかることが、この制度のために非常に効果があるということは私も同感でございます。南先生のお話の、大いに拡大せよというお考えの中にも、今私が申し上げたようなこと、また松村先生のおつしやつたようなお考えも含まれておると思うのでありますが、この問題につきまして、南先生から最近あまり耳にしない強い御意見がありましたので、この点もう一ぺん、今私が申し上げた点も含まれておるかどうか、あるいはさらに別な点までお考えになつておるかどうかというような点につきまして、お話してもらえればまことに幸いでございます。
  35. 南正樹

    ○南参考人 機構の問題についてですが、これは結局現在の制度で、実施のこまかい点にまで十分機構が整備しておるかどうかということを見てみますと、整備していないということが言えると思うのであります。それに対しまして、機構を一元化の方向に持つて行くというねらいはけつこうであると思います。それに対しましては、結局もつと充実させる必要があるのではないか。先ほどはそこまで申し上げませんでしたが、農林省の関係におきまして、保険農業保険のほかに、漁船保険もあり、森林火災保険もあり、また共済の名で行われている農業協同組合側の共経事業もあります。それらのものを一つにまとめた組織にしまして指導奨励をして行くということが、この際必要じやないか。それに対しまして、農林省の現状の機構のわけ方は、物によつてわけてある。それを保険については、物による区分を廃しまして、保険という目で一つにながめられる方が、効果がありやしないかという考えであります。先ほど松村先生のお話にありましたが、水稲とほかのものをわけるというお考えは、私もしごく賛成でございますが、かりに現在の物による区分によりましてそれを実行いたしますと、蚕糸局は蚕繭共済を扱う、畜産局は家畜保険を扱うということになるのでありますが、そうではなく、むしろ現在わかれておるものを一つに持つて来るという方が効果的じやないか。それからまた、中央から組合まで一木に筋が通るようにいたしますのには、地方庁の関与というようなことを何とか制度の上に織り込むのが適当じやないかと考えております。
  36. 足立篤郎

    ○足立委員 最後に一点だけ松村先生に伺いたいのですが、地方公共団体を加入せしめて、真剣に協力するよう、場合によつては監督するようにというような御意見、まことに結構でございますが、その方法はなかなかむずかしとと思うのでありまして、さつきお話の中にあつた国営にするとかいうようなことはいけないという御意見とこの御意見とが、組織の上においては衝突をするのじやないかという面もちよつと考えられるわけでありますが、この具体的な方法について御研究になつていらつしやいますか。御意見がございましたら伺いたいと思います。
  37. 松村眞一郎

    松村参考人 私はこういうように考えておるのです。米については、災害補償は単純な保険という思想では、どうしても割切れないというのが、私の出発点であります。そういうわけでありますから、保険という、保険料をとつてそれでまかなうという、そういう収支計算を超越した思想が、どうしても米作については取入れられなければならないのではないか。それには、目的はどこにあるかというと、食糧を増産するということにあるので、損をしたときにそれをつぐなうということは、再生産の思想の問題にまで移る前に、損害が生じない方に重点を置いて、共済制度をもう少しさかのぼつて考慮する必要があるのじやないかというのが、私の考え方の要点であります。そういうわけでありますから、農業災害補償法というけれども、農業災害防除補償法という思想が盛り込まれておるのだということを、私は条文を読んで考える。そういうわけでありますから、家畜についての死廃補償に対して、傷病の補償が必然伴つておるものとすれば、それを類推すると、米ができないという前に、病気にかかつた場合にそれを直してやるということを考えるべきじやないか。この思想は、もうすでに共済関係しておる人の中にも生れておる。つまり家畜の傷病と同じようなぐあいに稲の傷病ということまでさかのぼつて考えなければならぬ。その場合にはどうしても防除ということを織り込んだ共済制度にしないと、ほんとうに農民の要望に適切に当らない。ことに防除の方を怠つておいて、凶作の方に入つて行つて共済金をもらうということは、弊害も起つておるわけでありますから、どうしても防除の方に重点を置くという考え方にすることが必要じやないか。そこで地方の職員は、防除であるとか損害評価というような方面の職員の事務費補助をするがいい、こういう考え方なのであります。農林省の方で共済組合職員の補助をいたしますが、それは一般的な仕事だけであつて、地方は地方で、もつと痛切なものを感じなければならぬ。それは何かというと、防除の問題、損害評価の問題であります。こういうものはすぐ供出にも関係するし、農民の信用にも関係する。道徳的な要素もそれに出て来るのです。それに地方の職員が入り込んでしまつてはいかぬじやないか、こういう要求があるわけであります。そういうわけでありますから、むしろ防除とか損害評価というような職員を目ざして、地方庁で職員を配置していただくというぐあいにして、防除や損害評価についての権能の行使については、農林省も地方の職員の行動を尊重する、こういう建前になつて来て、中へ地方庁の人が入つて来てもらう、こういう思想なんです。
  38. 足鹿覺

    足鹿委員長 川俣清音君
  39. 川俣清音

    ○川俣清音君 私、山内さんに二、三点お尋ねしたいのです。いろいろ御説明を聞いて非常に示唆を受けたのですが、御説明にありました安定地域あるいは不安定地域——抽象的な説明は非常によく了解できるのでありますが、これは現実に限界をどこに求めるのであるかという点が一点。また実際にこれを分類する場合の調査算定の基礎を何に置くか、この点をもう少し説明していただければ非常に幸いであります。
  40. 山内豊二

    山内説明員 これは非常にむずかしい問題でございます。今まで調査資料としてございますのは、農地局の方でやられました土地改良に関係いたしまして各種の低位生産地の資料がございます。しかしながら、それはその内容を見ますと二つ種類のものが入つておりまして、いわゆる秋落ち地帯というものも低位生産地になつておりまして、いわば非常に変動いたします。要するに用水不良地と申しますか、私が申しました意味のものも、これに二つのものが入つておりますが、要するにその調査がたつた一つじやないかと思います。しかしその場合に問題は、不安定地と申しましても、やはりその区域内で非常に多く被害をこうむる場合、用水不良地といいましても、浸水の時間あるいは深さも非常に大きいものがございます。それから浸水も浅くて短いところもございます。ですからそこには条件がございますけれども、そこまで詳細に見ますと非常にむずかしいと思います。ですからこの点はもう一度調査の必要があるかとも存じますけれども、何らかの形において変動というものをつかまえて行くというふうにして、少くとも水及び温度の点の問題は、何がしの前提を持てば調査ができるのではないかと思います。大体これで、これ以上は今のところ調査もございませんのでわからない点でございます。しかし個々の場所に行つて見ますと、その範囲は確定ができるように思います。たとえば両総用水地帯の佐原附近に湧水地帯がございますが、あそこに行つてみますと、その村にはやはりそういう地帯でございますから、それに応じて保険料などもわかれておるように見ております。ですからその意味においてはある範囲内は確定できる。ただ厳密には非常に問題がございます。
  41. 川俣清音

    ○川俣清音君 抽象的説明は非常によくわかるのです。もう一つのあなたの説明の中で、温度というのは多分水温だと思うし、水の湧水とか冷水とか、あるいは排水、用水というようなものも含まれており、土質も当然含まれるだろうと思うわけですが、土質の中でも、いわゆる湧水をするような土質も含まれるだろうと思うのです。これは思うだけですが、多分そういうことで不安定地域に指定されると思うのですが、しかし実際に掛金をする場合にどこで区別をするか。たとえば一筆で区別するのか。あるいは町村で区別するのか。もちろん今日におきましては、耕地整理されておるところの田は一反歩単位になつておりますけれども、まだかなり一筆単位の面積も地番の上には載つておるというような状態で、一体限界をどこに置くかというようなめどがございましたらお知らせ願いたいのであります。
  42. 山内豊二

    山内説明員 たとえば今の不安定地の場合、非常に小面積においてその無理が発生して来るけれども、非常に広範囲においても出て来る場合がある。ですから私が温度と申しましたのは、主として水温と冷害の場合の温度をさしておる。それも水の場合にはある程度の広範囲の用水不良地、それから広範囲における旱魃ということをさしております。その場合に問題になりますのは、かりに相当面積ありましても、その中に持つている農家の持ち方、これは数百筆ございましても、その中にはたくさん筆を持つておる農家もございます。それからわずかしか持つていない農家もあります。そういう意味におきまして、利害はやはりその面においては矛盾すると思います。しかしその点は、その場合にやはりそういう不安定地生産という面から問題を割つて行く方がいいのじやないかというふうに私は思つております。まだ少しそこのところ研究してみないとわかりません。
  43. 川俣清音

    ○川俣清音君 現在の農業状態をよく把握しておられて非常に敬意を表するのですけれども、もう少しそこのところを、実際の掛金とか、分類された掛金ということになりますと、一体どう処理すべきかという問題が残されているように思うのです。思想としては非常に敬意を表するのですけれども、実際の掛金、これはこの分は共済の領域を越えておる、こういうふうにお考えになつておりますから、その点も私は大体了承できるのです。そこで安定地域に対する掛金の問題が出て来る。安定地域というものは、おそらく掛金上いうものはないのじやないか、あるいはかけましても、それはごく軽度の掛金ということにお考えであろうかと思うのですが、それはそれにいたしましても、分類された場合の共済制度から除く、こういう意味にも解釈できるし、あるいは共済制度の中に軽度に入れておくのだというふうにも考えられますけれども、問題はそういうふうになつて、いずれにしましても掛金の度合が違つて参りますので、その限界点をもう少し御研究になつてお知らせいただければ非常に幸いだと考えます。  それから近藤先生にちよつとお尋ねいたしたいのですが、これは私よく理解できないでお尋ねするのですから、そのつもりで御答弁願いたい。近藤先生の、社会保障制度的に管理して行かなければ根本的な解決がつかないという点は、まつたく私も同感なんです。そこでその前にちよつとお尋ねしておきたいのですが、これは御研究の中にあるのだと思うのですが、今日の火災保険会社等で天災地変は保険から取除いておるわけです。これは一体どういうわけで天災地変を火災保険の対象から取除いておるのかという理論的な御説明が願えれば、ひとつお願いいたしたいと思います。
  44. 近藤文二

    近藤参考人 火災保険で天災地変を免責事項にしておる場合の具体的な例としては、たとえば地震というようなものがございます。これはやはり地震というものの性格が危険の独立性ということにならないで、非常に集中的に相当の地域に全面的に起ります。こういうような危険は保険の対象になり得ない。つまり民間企業行つております純粋の資本主義的な保険技術では対象になりにくいという意味で、保険会社の方でこれを免責にしておる。だからああいうものをやろうとするならば、戦争中に行われましたように、やはり国がやるという形でやるよりほかに方法がないのだ、こういうふうにお答えしたらいいかと思います。
  45. 川俣清音

    ○川俣清音君 了承できました。そうなりますと、やはり今日の農業災害も、非常に集中的に異常災害が起きた場合には、やはり公的企業とは言いながら、今日のような共済制度の対象としてはやはり不適当である、当然除外さるべきものであるというふうな理解の上に立つて社会保障制度的なものでなければならない。こういう結論が生れておるのでございますか。この点をちよつと……。
  46. 近藤文二

    近藤参考人 そこは非常に微妙なところなのでございまして、もし普通民間会社で全然引受けられないとはつきりしたようなものに当りますものを、農業保険界で申しますと、超異常保険と申しますか、あるいは大災害と申しますか、そういうものがそれに当るかと思います。それと普通保険が行えるものとの中間的なものがむしろ農業保険中心になつておるのではないか。この保険の費用負担のところへ国家補償の面が入り込んで参りまして、今日のような機構になつておるのではないかと思いますので、もし民間会社でもやり得るような程度の、たとえば平年作の一割内外というものだけを扱うというなら、保険技術的にやれるかもしれない。しかしながらそれ以外に、今申し上げましたようないろいろな保険の対象になりにくいようなものも含んでおるという形で、それをはつきり大災害だけ取上げますと、これは全部国が責任を持つようなかつこうが出て来るのでありますが、そうでなく、中間的なものがあるところに今日のような機構が出て来る原因があるのではないかと思います。ちよつとこれははつきりお答えできないかと思います。
  47. 川俣清音

    ○川俣清音君 そこでもう一つお尋ねしたいのであります。火災のような場合においては、これはある程度防禦施設と相伴いましてその拡大を阻止することができる。これは保険会社と独立いたしまして消防施設が行われておるわけであります。火災保険会社で消防施設を持つておるのではなくして、国家その他公共団体が別に火災予防施設を持つておるわけであります。ところが農業の場合には、この保険災害予防というものとがやはり切り離れておるわけであります。災害については一方の災害補償の団体と申しますか、共済団体——共済団体というのはちよつと無理だと思うのですけれども、村の共済ということになりますと、全地域が今の日本現状においては、水害は、異常水害でない、少量の場合にいたしましても、全面積の三分の二というような大きな被害を受けまして、農民の損害ばかりでなく、公共団体であるところの農業団体または自治団体である町村の財政にまで大きな影響を与えるようなことが起るわけであります。そういたしますと、これは共済でやるということが非常に無理だということになると思うのでありますが、この共済でやり得る限度を一体どの程度までに考えておられるか。現在日本農業災害というものは、共済で無理だというふうにやはりお考えになつておられるのではないかと思いますが、この点についていかがお考えでありますか。
  48. 近藤文二

    近藤参考人 お尋ねの共済で云々ということの意味がちよつとわかりかねるのでありますが、私は共済という考え方で行かないで、保険という考え方をさらに延長さして、社会保障という考え方を持ち込んでおるのでありますが、保険としてやり得る限界というような意味のお尋ねではないかと思います。具体的にはいろいろむずかしい問題があろうかと思いますが、私の仮の考えから申しますと、標準的な農業所得というものをきめまして、平年作の場合の所得中心にして、その所得が全部入らない場合は八割程度まで補償するという形で考えておりますので、二割程度のものは自己で負担するという一つの考え方も出て参ります。この二割程度のものをさらに任意保険にかけるか、かけないかということはこれは別個の問題になるわけでありますが、八割程度のものは、保険的なものと、それから国が責任をもつて補償いたしますものとを織りまぜたものとして、一つの機構でその災害に対する補償ができるのではないかという考え方でございます。ただ私の説明があるいは十分でないかもわかりませんか……。  それからもう一つの予防との関係でございますが、火災保険事業と消防隊との関係は、イギリスの歴史では、火災保険会社が最初に消防隊をつくりまして、それが後にイギリスのロンドンなんかの市の消防隊に編入されることになつたのであります。保険会社はさような仕事をやつたりして、火災を少くすることによつて事業をむしろ有利にしようという動きは昔からあるのであります。同じような意味におきまして、国がこの農業災害補償制度というものをやつております限りは、やはり国が責任をもつて災害の起らないようにする義務があると思います。同時に、先ほどから他の先生方もお話になつておりました病虫害の予防というような場合、保険の方からその費用が出せないかという問題でございますが、これは特に病虫害が蔓延しかかつているというような特別の、ちようど人間が病気になりかかつたと同じような状態の場合の費用は、保険から私は出すべきだと思います。しかしながら常に病虫害予防の費用というものを配つておくというようなところまでそれをやつていいのかどうか、多少私は疑問を持つております。従いましてこの予防の措置については、国が責任を持つてそういう制度をつくつたならば、まず第一に国が責任を持つてそれをやるべきであると同時に、保険に入る人たちもその責任がやはりあるので、もしその責任を十分にやつていなかつたならば、保険金は払わない。これは今日の制度もそうなつておるように私は理解しておるのですが、先ほどからお話を聞いておると、その点があやふやに思われるのですが、法律だけを見ますと、非常に厳重にそういうようになつておるように思うのです。これは民間の保険会社の場合におきましても、道徳的の問題と同じようなことになるので、ほうつておけば病虫害が起るのがわかつておりながらほうつておいて、非常に災害が起つたからその填補を保険の方に求めるというのは、民間の保険の場合においても払わないのが普通なのでありまして、自分の方でたとえば放火したと同じようなことになるのであります。そういうことが現在行われておるというように私のしろうと考えでは、法律だけからですが、感じを受けておるので、当然やるべきことをやつていないのではないかというように、極論でございますが、感ぜられるのであります。
  49. 川俣清音

    ○川俣清音君 今の説明で、別の意味におきまして私は非常によくわかつたのでありますが、私がお尋ねしたのは、結局共済の対象から保険の領域に入り、保険の領域から社会保障の領域に入つた過程については、その点はよく了承し理解したのであります。なお低位の被害についてはその掛金による保険でもやれるのではないかというような——聞き違いかどうか知りませんが、そういう点がありましたので、その点についてだけお尋ねしたのです。というのは、たとえば二割くらいの被害だと申しましても、今年稲の植付を終りましてから土砂が入つて、稲の成長並びに発育に影響いたしまして、二割くらいの被害があつた、こういうことがあり得るのです。ところが来年作付が不可能だという現象が起つて来るわけです。これは今年の収穫からいうと二割の収入減であるが、来年は皆無だ、こういうことになるのです。こういうことが農業災害の場合には起ることですが、この点はどういうようにお考えになつておりますか。この軽度の被害というのはおのおの掛金によつて満たさるべきだ、こういうお説なんですが、どうも掛金だけでは解決つかないように思うのです。
  50. 近藤文二

    近藤参考人 全額保険の方でフルに填補するべきかどうかという問題になると思うのでありますが、そこは多少は保険の部面を残しておいていいのではないか。そこまで国が責任を持つのはどうかという関係もございますし、それから全般の掛金の料率の問題もありますので、そう行きにくいのではないかというような気持から、理論的な根拠なしに、現在三割ということになつておるけれども、私は二割という線を出したのであります。もしおつしやるように、本年度はそういうような軽微な損害であるが、それに対して補償しておかなければ来年度に響くという場合には、来年度現実に損害が起つた場合に、その損害に対して八割を補償するというのが一応の考え方だと思うのであります。しかし実際の問題として、その前に二割分を出しておいた方がかえつていいんだというような話がありましたから——これは私ちよつとしろうとでわかりかねるのでございますが、適当なそういう例外的な措置が——来年度に、その二割を出さないために全然とれなくなるのだということがわかつておれば、特別な措置がそういう場合に限つて行われ得るのじやないかと思うのですが、その辺になりますと、ちよつとしろうとでお答えできかねるのです。
  51. 川俣清音

    ○川俣清音君 これはちよつと参考のために質問しておくのですが、実は私どうしてそういうことをお尋ねしたかということを申しますと、現在三割ですけれども、二割の保険金をとりますと、来年、そこへ土砂が入りましたために収穫がなくても、そこが保険の対象にならないことになるわけです。そういう結果が来るために、むしろ保険金をもらつていない方が、来年保険の対象になつて、もらうことによつて保険の対象から除かれるのが現在の取扱い方で、これは実は非常に不合理だと思うのでお尋ねする——お尋ねするというよりも研究の対象にしていただきたい、こういうことで申し上げたのです。
  52. 近藤文二

    近藤参考人 私その場合は標準農業所得で考えておりますので、前年度の標準の所得を割つた場合は、それだけ補償するという建前になつて参りますので、今お尋ねのその、土地が全然一年間収穫がないという場合に、その土地から普通ならば入るべきものが標準所得になると私は思うのです。だから当然そういう場合には填補されるべきじやないかという考え方です。これはちよつと私の申し上げるのは所得のとらえ方の場合、そういう田がありまして、その田が土砂のために使えないという場合に、その田が全然その人の耕作の対象にならないというふうに省いてしまうか、普通ならばそれが耕作できるんだが土砂のためにそうなつておるのだ。一年間だけそういう状態だという場合に、そこから平年作の場合ならとれるというものを標準所得の中に入れれば、そうおつしやるような矛盾は起つて来ないのじやないかと思うのでございますが……。
  53. 川俣清音

    ○川俣清音君 さらにその御研究のために、今の二割程度のものは保険の対象に残しておくというお話であつたから、その保険の対象になつたために、その社会保障的な意味で全部を解決されますと、今の問題は近藤さんのお説の通りでよろしいのです。現在の法の中に二割程度のものが残つておるといたしますれば、そういう矛盾ができるおそれがあるので御研究願いたい、こういうふうに申し上げておるのです。
  54. 近藤文二

    近藤参考人 よくわかりました。
  55. 足鹿覺

  56. 金子與重郎

    金子與重郎君 奥井さんにお伺いしたいのでございますが、この国の方のすべての統計を見すと、農業共済負担区分というものは、常に今のところ農民負担が四〇・四%、国庫負担が五九・六%、いわゆる四・六というふうに見ておりますが、これは今モデル組合というか、一つの先ほど御説明なつ調査組合調査から見て、この点が農家立場から見て、各単位共済組合の賦課金や何かを入れた場合も大体その程度になつておるのでありますか、実際国全体の出した数字と下から見た場合と違つておるかどうかをお伺いしたいのです。
  57. 奧井亮三郎

    奧井参考人 国の負担農家負担との負担区分の比率が、大体国の率と末端と同じになつておるかというお話でありますが、先ほど申し上げましたように、私の方で一組合当り平均掛金が、二十一万八千円であります。そして受取り共済金が、平均して、昨年の水稲でありますが、五十二万三千円でありますから、パーセントを見ておりませんが、大体三分の一ないし五分の二程度になつております。こういうかつこうになつております。これは昨年の全県下の平均であります。
  58. 金子與重郎

    金子與重郎君 それからその次は、実態調査した場合の、事務費の占むる部分、これは組合によつて非常に違うと思うのであります。従つて国全体で事務費がどれだけかかるということを発表しましても、規模の大きい組合、小さい組合というものに対して、非常に変化が出て来るんだ。従つて国全体から見て、事務費が何パーセントかかつておるということが、そのまま末端の組合の場合に適用できないのじやないかという考え方をしておりますが、その点はどういうふうにお考えになつておりますか。
  59. 奧井亮三郎

    奧井参考人 ただいまの御質問のように、事務費のアンバランスといいますか、これは組合々々によつて非常に大きいと思うのであります。特に末端の組合を見まして矛盾を感ずるところは、引受け面積の零細な不便な地帯ほど事務費がたくさんいるのであります。すなわち賦課金を徴収する基盤のないところにおいて、地方事務所に出て参りますとか、郡支部に出て参りますとか、そういうふうな旅費、経費がかえつて、かさみますので、そういうふうな基盤の小さい組合において、よけい経費がかかるという矛盾を感じておるのであります。先ほど申しましたように、経費のアンバランスは県下の各地の事情が相当違いますので、組合組合によつて相当な開きがあります。
  60. 金子與重郎

    金子與重郎君 次に南さんにお伺いしますが、先ほどあなたの方から、病虫害の防除問題が大きく取上げられたのでありますが、これは先ほど各参考人の公述された方々の御意見にもあつた通り、これが地域的な共済性格を持つておると同時に、上の方へは保険的な立場をとつておるということでありますから、地域的な一つ共済というものが集まつて、その線でずつと国の段階まで行つておる場合は、その地域ごとに防除態勢を強化すればするほど、その地帯で掛金が安くなるという制度であれば別でありますが、これは国家補償であるか、保険であるか、共済であるかというごちやまぜの今の態勢ですから、従つてその地区々々の方方が、自主的にこれを防除した方が得だというのは、いわゆる全体の被害を少くする意味から得だというのでありますが、保険というものの運用上得だという結果は出て来ないと思うのです。ということは、もつと例をかえてみますれば、一つ地域的な保険組合というものならば、予防衛生の面を強化することによつて保険料が下るということが可能でありますけれども、この場合は何ぼそれに努力しましても、別に保険料は下るわけではないということになりますと、最も個人主義的な立場から行きますれば、被害があつてもそれは被害に応ずるだけもらえるのだ、こういうような極論もできますので、そうなりますと、この防除という形はあくまで全部国家が責任をもつてやるということでないと、解決つかぬと思うのでありますが、そういう意味においての防除態勢の強化でありますか。それとも今県が防除態勢を持つておりますが、その防除態勢を持つたその費用が、保険経済とかみ合いになりますと、結局保険経済に食い入つただけ損だという結果が出ると思うのでありますが、二つの問題を考えたときに、保険経済というものと別な立場から国がやるべきだというふうな意味での強化策と思いますが、どうか。その点をお伺いします。
  61. 南正樹

    ○南参考人 その点につきましては、風水害の場合と同じような考え方をしてもよろしいと私は思つております。つまり国がいるだけの費用は出す、防除に要する費用は国が持つ。結局は国あるいは地方公共団体も参加して出すか、そういうところで解決すべきであると思うのであります。それで各組合が、それを負担した結果は組合としては損になるということをやめなければ、いつまでたつて病虫害というものは事実において少くならないのじやないかというように思つております。
  62. 金子與重郎

    金子與重郎君 そこでその点は、これが一つ組合なり連合会の形となつて地域的な一つ立場を末端がとつております関係上、重大な問題だと思う。将来の運営上、大いに考えなくちやならぬ問題だと思いますことは、もしこれは国全体の保険経済というか、この共済に対する支出を少くするために、この防除施設というものを強化するという立場になりますと、これは保険経済というものとはまつたく分離して考えるべきものであると思うのです。それから前者のような保険制度の中に、この予防的な一つの犠牲を払うことの方がいいのだというような結果が出るような、いわゆる保険経済と織り合せて行くか、かみ合した制度で行くか、かみ合さないで保険制度とはまつたく別個の国全体の立場からみて、この費用を少くするために防除態勢を強化するという二つの問題になつて参りまして、もし後者の国全体の費用を少くするためだということになると、共済の附帯事業としてこの仕事をするというところに一つの疑問が出て来るわけなのであります。その点に対してどういうふうにお考えになりますか。
  63. 南正樹

    ○南参考人 これに対しましては、損害防上の費用を団体がある程度負担するということは、やり得るものならばやるのが当然だと思います。やることが別段理論的によくないという点はないわけであります。ただ現在の段階から見ますと、おそらくそれが無理じやないか。そうすれば全部を国なり公共団体なりが持つか、あるいは一部持つて、一部組合に出さすか、それは別段国が出したからといつて保険の性質をなくすものとまでは私は考えておりません。先ほどもいろいろ問題が出ましたが、社会保障的な考え方とは少し違うかもしれませんが、一体農業保険の相手方になります農家というものが、非常に経済的に弱い立場に置かれているということから見ますと、そういう費用を国が負担することは、保険制度の中に織り込まれた国の一種の助成としてさしつかえないものだと思う。
  64. 金子與重郎

    金子與重郎君 それでは先ほどの私の質問の中で、少しあいまいな点がありましたので、これはお答えいただかなくてもけつこうでありますが、要するにやつたが悪いという意味じやなくて、その制度の中に織り込む場合は、その織り込んで行くその地域的な一つ組合が、防除態勢に犠牲を払つてもやつた方が、結果としてその地域の加入者が得なんだという結果ができたときに効果があるのであつて、ただそれに一応制度としてくつつけるというか、くつつけるというのが悪いというわけではない。それで効果があるのだ。そこに今のは関連性がないということを申し上げておるだけであります。  それから最後に、これは委員の全体の方々にはなはだ御迷惑でも、簡単に御答弁願いたいのでありますが、きようこういうふうにして小委員会を設けまして、こういう共済問題を根本的に掘り下げて行くというようなことは、過日の両院協議会の結果、また過去五箇年の経過から見まして、国会でもいよいよこの問題を抜本的に考え直さなくちやいかぬだろうということになつたということを委員長が申されたと思います。そこで今、国会の小委員会初め、当委員会といたしまして、陳述なさる方々によつて御意見もまちまちであると思いますが、結論において現行制度というものを検討いたしますのに、現行制度の不備な点を若干修正して行くという形でこの際行つて一つの期待が持てるか、ないしは日本農業生産あるいは農民の特異性だとかあるいは農業災害地域的なものあるいは農業災害の損害査定の困難性というようなことを考えて別な考え方に持つて行くこともあえて辞せず、抜本的にこれを再検討する時期が来ておるか、この二つの考え方に対して、簡単でよろしゆうございますが、山内さん、奥井さん、近藤さん——松村先生は、大体今のを修正してよりいいものをつくれということが前にあつたのでありますが、その方々から、それだけの結論的なものは、大体私が御想像すればできるのでありますが、想像することもどうかと思いまして、その点を結論的にお話願いたいと思います。
  65. 山内豊二

    山内説明員 現行制度を否定するとか、そういう立場からの問題を展開するのではなくて、先ほども申し上げました通り、現行制度の持つておる矛盾、そうしてそれからどういうふうな形において農業作物災害に対する保険のあり方があるかということを言つたわけでございます。ですから現行制度がはたして現在の——私が述べました範囲はあくまで経済理論の立場から述べておりますので、農村社会の実際の行動から見ますと、かりに私が提案いたしましたことをもつてしても、きわめてむずかしい問題がたくさんあると思います。ですから私は現行制度を否定するとか、そう言うのじやなくて、少くとも現行制度における問題がここにあるとすれば、私の述べた私見としては、ああいう解決の道があり得るように思うわけです。ですから否定も肯定もいたしません。ただ私見の範囲内にとどめたわけであります。
  66. 金子與重郎

    金子與重郎君 今山内さんのお答えで、現行制度の否定というようなお言葉が出ましたので、——私の言い方が悪かつたか知りませんが、否定という意味ではないのです。要するに現行制度をここまで苦労してやつて来たわけです。そこでこれはもう一歩、このようなことを続けて行く一つの見通しがあるか、それとも現行制度の経験は経験として別において、そうして抜本的に考え直すべき時期であるか。それともそういうような革新的な考え方でなくして、現行制度の不備の問題を補充したらある結末点に立至るのじやないか。どちらの要素をお考えになるかということでありまして、決してあたりをお考えにならないでどうぞ、ひとつ。
  67. 山内豊二

    山内説明員 私は少くとも、かりに根本的な問題を解決するということになりますと、相当にこれからの調査研究が必要だと思います。従つて現行制度は、少くとも現在は改正し得る範囲内において改正して持つて行く。そうして十分テストすべき問題点が残るわけでありますから、それを全面的にただちに改正することはできない。従つてかりに保険という形をとるにしても、他の政策もありますから全体の政策の連関において初めてこれが根本的に解決し得ると思うのであります。ですから災害補償のみが持つている矛盾日本の農政の一部、言いかえると災害補償の持つております矛盾というものは、むしろ日本の農政自体が持つているもののほかに計数をはじいているがゆえに出て来ている問題だと思います。ですからその意味において、徐々に一つの解決の道を求めて行くような形において解決して行くべきだと思います。
  68. 奧井亮三郎

    奧井参考人 午前中お話申し上げましたようなところでおわかりと思いますが、私らの立場は、中央でつくられました法律ないし行政と、それを実行する農家との境目に始終立つているものなのであります。従いましてわれわれの能力不足もあるかもしれませんけれども、現在の制度通りになかなか実行できにくい。実行できていない事実は申し上げましたが、実行できない実態と申しますか、それが相当あると思うのであります。しかし私はふだん組合役職員に対しましては、成り立つか、成り立たぬか、法律なり指示事項の示すところを徹底的にやらなければ——やらないうちに何とかしようというようなことではなしに、徹底的にやつて初めて一体どこに破綻が生ずるか、役職員負担という面で破綻が生ずるか、経済的な面で破綻が生ずるか、農家のボイコットにあうという形において破綻が生ずるか、どの面から破綻が生じて来るかというところまで一ぺん——行政上そこまで行くのか行かぬのかということは別問題であると思いますが、ほんとうに突き詰めるためには一ぺんやつて見ないことには何とも言えないのではないかという気がしている。私は保険専門家でありませんから、保険経済の問題、そういうようなことについての議論はありませんけれども、実際自分が法律ないし農業政策農家との境目に立つてつて見ている立場といたしましては、きめられたことを一ぺん徹底的にまずやらなければいかぬという気がしておりますので、これは農業保険だけでなくて、ほかの部面でもそうであります。まだ十分やらぬうちに編成がえとか改革とかいうようなことが最近多いような感じがいたしておりますので、はなはだあやふやなような気がしておりますが、御了承願います。
  69. 近藤文二

    近藤参考人 私の結論は、端的に申しますと、この制度は抜本的に改革すべきであるというふうに考えます。但し抜本的に改革すべきだと申しましても、新しい制度が今日の制度よりもすぐれているということがはつきり見通しがつかない限りは、非常に危険だと思いますので、たとえば私、しろうとの考えで、先ほどからかなり抽象的な提案をいたしたのでございますが、もしそれが具体化するならば、こういうような構想のものができるのではないか、これに対してはどういうふうに基礎的な数字が具体的に示されるのだという具体案をつくりまして、しかもそれが日本の今日の実際の農家の系統に当てはめて、うまく行くという見通しが一応立てられるかどうかという判断をしてから後に改革すべきだと思いますが、改革案を考えるべき段階に入つているのではないかと思います。と申しますのは、きめられたことはあくまでも徹底的にやるべきだが、まだそれがやられていないというお話でございますが、これは努力が足りないからやられないのか、やろうとしてもやり得ないのかというところに問題があると思います。むしろ非常にむずかしいからやれないので、今のままになつているのだとかりにいたしますならず、その意味におきましても抜本的に改革すべき時期が来ているのではないかと思います。何を申しましても私の議論は抽象的でありますので、さらにまた先ほど足立先生のお話ですが、私の考え方は、現在の制度を大体認めておるかのように判断しておられますので、そういう点も具体的に突き詰めてからでないと何とも申し上げかねるのでございますが、大体は私は、抜本的に改革すべき案をつくるべき時期に入つているのではないかという私見を持つております。
  70. 中澤茂一

    ○中澤委員 奥井さんにちよつとお伺いしますが、個人的な保険掛金が末端農民までに行つていない、災害補償地が末端農民までに行つていないのが四〇%近くも計算すればある、そういうお話がさつきあつたのですが、どういう理由で一体これは行かないのか、その原因の御調査の結果をお話願いたいと思います。
  71. 奧井亮三郎

    奧井参考人 そういうように実態にある理由の一つとしましては、事務的な面があると思います。事務的分量の面におきまして、先ほど申し上げましたように個人々々の能力、入手の不足というようなことから、事務員にしましてはできるだけ簡単な取扱いと申しますが、手のかからないような取扱いをいたしたいという気持が、相殺という形態一つ呼び起しているのではないかと思います。もちろんこの相殺ということが起りますことは、事務的な手間を省くということと、もう一つは掛金を徴収すべき時期と共済金を払うべき時期と当然違うのでありますけれども、いずれかのずれによつて、そういうものが結局一緒になるというのであります。そういうことが一つあると思います。  それから掛金の集め方にいたしましても、共済金の払い方にいたしましても、大体農村の習慣といたしまして、区長とか総代というような人を利用するという形があります。数百の組合員を一人々々共済組合職員が歩きまわつて金を払つてもらつたり、また集めてもらつたりというようなことはいたしません。部落長または部落の小使というような人を使つて金を払つてもらつたり、また集めてもつたりしております。従つてそういうような意味で、その際に一人々々領収証をとるとか、判をもらうということは実際は不可能な場合が多いのであります。家族が常に野外へ出ておりますとか、始終家におります場合が少いために、実際問題としてそういう事務がスムーズに行きにくいということが一つあると思うのであります。そういうような習慣が形の上におきまして四〇%というような数字に現われて参るのと、いま一つは、やはり他の事業面との関係といいますか、いろいろな末端の支払いにいたしましても、いずれ払うのでありますけれども、差引勘定になりますために、個々の農家に差引分だけが渡るというようなことがあるようであります。これに対しましては現金の受渡しは、差引金でありましても、受取るべき金と渡すべき金とをはつきりさせた上で、差引がこれだけだということを明らかにするように指導いたしておりますけれども、その点はまだ徹底していないようであります。いろいろな条件が重なりましてそういうような数字になつておりますが、これはあながち仕事をなまけておるとか、不誠意ということでこういうことになつておるわけではありませんで、農家実態と申しますか、農村そのものの慣習と申しますか、そういうふうなもののウエートが相当大きいのではないかと見ておるのであります。
  72. 中澤茂一

    ○中澤委員 実は共済の問題については相当スキャンダルがあるのです。私らも数多く聞いております。今某県においては一千数百万の問題が検察庁の手に移つておるというようなことを聞いておるのです。もちろん農家の事情はわかりますけれども、要するに末端に行かないで相殺するとか、そういうことから全国に多くのスキャンダルが出ておるのだ、こういうふうに考えるのです。それでこの点についてお宅の県で、不正があつた場合には特別検査をするとおつしやいましたが、その特別検査をやつた点について、何か共通的なスキャンダルになるような原因というものがおありになつたら、ひとつお聞かせ願いたいと思います。
  73. 奧井亮三郎

    奧井参考人 特別検査の例も一、三ございますが、精密な検査をしてみますと、結局役職員のふなれのために事務的な疎漏が、外部から見ますと不正のように見えておるというような場合が多いのであります。今までそういうような声がありましたところでは、職員行つてみますと、悪意よりもむしろ不熱心、事務能力の低いというようなことでありますとか、そういうようなことが経理のあやふやというようなことになつて現われて来ておる事実が多いのであります。私どもの県では、特に組合職員検査制度をしきまして、ある一定の講習に及第した者でなければ組合職員の資格を与えていないのであります。さらにその後の職員の異動が相当ありますために、その制度をしきまして三年目でありますが、三年目におきまして調べてみますと、約二百名の無資格職員が出ておる、すなわち三分の一くらいは入れかわつておるという実態をつかみましたので、さらに本年に入りましてから、約二百名の資格を持つていない職員に対しまして特別の講習をして、試験を通つた者に資格を与えて採用しておるというようなことをやつておるのであります。今申しましたような点につきましては、職員の素質の向上によつて防げる面が相当あるのではないかと考えております。
  74. 中澤茂一

    ○中澤委員 いま一点お尋ねいたしますが、先ほど検査権を強化したい、しかし現実において検査権の強化は非常に困難がある、こうおつしやられましたが、どういう理由で検査権を強化することが困難であるのか、それもこの際ひとつ承つておきたいと思います。
  75. 奧井亮三郎

    奧井参考人 一つの理由には人手の問題があると思います。これは県の定員というようなことに関係いたします、すなわち人手の問題と、もう一つは、検査能力の問題であります。農業協同組合にいたしましても、共済組合にいたしましても、相当専門的な知識と多年にわたる経験を必要といたしますが、そういうものが急に得られないという物理的と申しますか、そういう意味の欠陥が急激にカバーできないという事実が一つあります。それから末端に出かけまして、組合役職員に法律なり事項を指示する、これがなかなかやりにくいという面は、もう午前中から申しましたように、兼務が多い実態であつて、おそらく役職員にいたしましても、兼務である限りはこの仕事に専念できないと思うのであります。これに専念させようといたしますと、独立の事務所なり独立の職員なりを必要とする、そのためには多大の経費を必要とするのではないかと思いますし、またこの事業が始まりましてから、末端の農家に細大漏らさずこの事業の趣旨を普及する期間というものが非常に少かつたと申しますか、それともう一つ、あとからからと改廃というようなことも行われております。県の段階ないしは町村の段階の職員にとつては、この法律の改正は応接にいとまないと申しますか、理解を十分しないうちに、次にまたかわつたところが出て来るというようなことが相当頻繁であつたように思うのであります。そういうような意味で、上から降りて参ります制度なり趣旨なり、こまかい事項についての咀嚼が十分に行かない、それからそれを受取る末端の職員素養は、午前中申し上げました程度素養しか持つていないのであります。それからこの共済の基盤の弱さでありますとかその他は、先ほど来参考人の方々が申されました、いろいろな農村の現在の実態制度との間のずれと申しますか、矛盾というものがあるということが、いろいろな監査の結果に現われて来ていると思います。ほかの農業行政におきましては、共済事業ほどすみからすみまで法律できめられておりません。従つて農業行政と末端農村の労働者との間にずれがありましても、おそらく数字的にはつきりとこういう食い違いができているのだということが言いにくいと思いますけれども、共済事業におきましては、そういうニユアンスと申しますか、何がほとんどないのであります。むしろ数字的にはつきりとずれと申しますか、そういうものが現われているのではないかと思われるくらい、役職員能力と申しますか、運営によつてカバーするという面が非常に少いのであります。結局きめられたことをどこまできちきち押し通すかというところにかかつて来ると思うのであります。そういうような点が、この検査を励行して、検査の結果現われたことをしやにむに実行を強要するということが、なかなかやりにくい事情かと考えております。
  76. 中澤茂一

    ○中澤委員 次に近藤先生にちよつとお伺いいたしたいのですが、標準農業所得というものについて、いま少し先生が具体的にお考えになつていたら御説明願いたいのです。
  77. 近藤文二

    近藤参考人 残念ながらまだ具体的に調査するところまで行つておりません。実は私きわめて荒つぽい構想を持つておりましたところへ、本日お呼び出しを受けましたので、もう少し数字的に農家平均農業所得、それから農業外の所得というものを綿密に調べました上でございませんと、お答えできかねるのでございますが、これは民間の一般賃金労働者の最低賃金の問題なんかとのバランスも考えなければならぬと思います。農業所得の適正を考えなければなりません。それから最後に先ほどからお話を受けておりました、これは金銭で評価できる部面以外にやはり実物の保険金というような構想も出て来るかと思いますが、この辺をいろいろと考えた上で数字を出したいと思います。残念ながらここで幾らと金額的に申し上げかねますから、その辺はあしからず……。
  78. 中澤茂一

    ○中澤委員 近藤先生にいま一点お伺いしたいのですが、社会保障から所得保険という考え方は私も大賛成なのです。現在の日本の零細過小農業構造から考えるならば、一体農作物保険の対象になり得るかどうかということは、先生も疑問をお持ちになつておられるように、実は私も大きな疑問を持つております。社会保障への転換について、実はこういう反論もあるのです。労働者は失業ということはただちに生命、生活の問題になるから、社会保障の対象になる。農業は少くともある意味における資本、土地というものがあるから、社会保障の対象にはならない。こういう強い反論が一部にあるわけです。これについて、理論的に先生がどういうふうにこれを御説明になることによつて社会保障の対象として抜本的な改正が行えるか。その理論面について先生のお考えをちよつとお聞きしたい。
  79. 近藤文二

    近藤参考人 大分むずかしいお尋ねでございますが、農業形態が、いわゆるイギリスのフアーマーのような農業労働者を使つて、完全に農企業化されております場合は、これは土地を借りて企業経営するというかつこうになるわけです。そういう場合、またみずから土地を持つて経営します場合に、一つ企業としてこれが近代的な性格を持つているというように考えられる場合には、おつしやるような反論が成り立つと思います。ところが日本の場合の零細農というのは、ほとんど五反から一町歩というような範囲のところの人たちで、農業だけの収入で生活しているのでなしに、農業外の所得の労働力を中心にした収入が多いのではないかという統計的な数字を見るわけでございます。さらに潜在失業の形で農村に辛うじて生活をしております層が、補助的な役割でやはり農業所得の中に入り込んでいるのじやないか。これらの面を考えて参りますと、なるほどわずかな土地、わずかな資本に値するものを持つているといたしましても、それはちようど都会における中小企業の場合、特に小企業の場合と同じものに考えていいのじやないか。その小企業に対しましては、従来社会保険の段階においては対象にしなかつた。ところが社会保障の問題が出ましたのは、そういう都会における小企業の、実際は賃金労働者でない人たち生活も、国が責任を持つて保険の対象にしなければならないという新しい問題が、独占資本主義の段階に入つて出て参りまして、そこで社会保障という問題が出て来たわけでございますから、そういう点から見ますると、町の小売屋さんだとか、小さな人たちと同じように農家を考えまして、そうしてその人たち所得社会保障で扱うという意味において農家所得を扱つていいのじやないか。その場合にいろいろバランスの問題は起つて参ります。それでアメリカの場合も一九五〇年かう自営者年金制度がすでに確立されている。従来は自営者の年金というものはほとんど問題にされなかつた。ところが純然たる農家はアメリカの場合において除外されております。日本の場合は、都会におけるところの自営者年金制度というものがまだないわけなんです。従つてそういう年金制度のない過程において、幸いに農業保険というものがあるのだから、まずこの方向から農家所得というものを保障するやり方で進んだ方が、日本の現実からいえば進みやすいのではないかというのが、私の考え方です。一般の社会観念からいえば、おそらく私の言うような議論は、農業保険社会保障でやるという考えは反対されるだろう。むしろ年金保険とか国民健康保険の方からお考えになるかもしれません。私はこの制度が根本的に改革されるべきではないかというような議論が出ているそのチャンスに、私の考えをとり入れて、こちらの方から農家経済の安定ということをはかつて行くのが、一つの新らしいかどうか知りませんが、考え方としては筋の立つたやり方ではないかというように、今ざつとした形で提案申し上げた次第であります。
  80. 中澤茂一

    ○中澤委員 その理論づけに、先生、こういう理論は成り立たないものですか。賃金労働者は労働即賃金、こういう形が端的に出ているわけです。ところが日本農業構造から言うならば、少くとも家の主人なり何なりが遊んでおつて、要するに資本家的立場生活ができるという農家はほとんどないわけです。そこで農業労働が農作物に一応転換される、そしてそれが販売代金として現われたものが即農業労働賃金である、こういう考え方に立つならば、私は社会保障という面がもつと強力に出て行くのじやないか、こういうような考えを持つのですが、それに対する先生のお考えを承りたい。
  81. 近藤文二

    近藤参考人 基本的には今おつしやつたような考え方を実は私は持つてつたのでございますが、自作農の形が戦後出て来ておりますので、土地というものを考えますと、やはり資本という考え方が出ます。それに対して、種子、肥料その他いろいろなものを考えます場合に、戦前におきましては、青田売買のような形でほとんど肥料屋さんの賃金労働者であつたような実態があつたのじやないか。それが戦争後自作農という形になりましてからどうなつているかわかりませんが、おつしやつたような考え方が確かに出ていると思う。しかしそれを先生の言われたようにぐつと押し切つて行けるかどうか。私はまだ農業実態がそこまではつきりわかりません。おそらく土地を持つておるという事実だけからして、反論が出て来るのではないかという気がしますので、先ほど申し上げなかつたのですが、大体構想の底にはそういう考え方も持つておるのであります。
  82. 中澤茂一

    ○中澤委員 松村先生にちよつとお伺いしたいのですが、今農業共済保険に対して、現実にこれをやつておる農民が、どういう考え、どういう批判を持つておるかということについて、けつこうなものであるからやつてくれといつておるか、こんなものはやめてくれといつておる意見が多いのかどうか、その点についてお知りの範囲で、ひとつお答え願いたい。
  83. 松村眞一郎

    松村参考人 私は実は都会にばかり生活しておりまして、あまり農村の方と接触しておりません。それで農民諸君の多くの方がどういう考えを持つておられるかということは、私として自分の見聞した範囲の限られた限度しか申し上げることかできませんか、この制度に対してみんなが喜んでおるようには聞いておりません。この制度について不満を持つておられるという声は、折々聞くのであります。しかし満足しておられると申しますか、この制度を非難はされないまでも、この制度に同調しておられる方の声というものの方は、あまり聞かないのです。それが多数であるかもわかりませんが、声を聞きますのはどうも掛金のかけつぱなしであるとかいうふうなことの方の声をよく聞くのです。それは私が思いますのに、農民の諸君の、まだ保険とかいう思想についての御理解の及ばない点もあると思います。それから職員諸君も、強制的な分子のあるところに幾らか依存しておるようなことも私は感じるのです。たとえば任意共済という名前はあまりおもしろくないというような声があるのは、農民の諸君が、どうしてもやらなければならぬというような感じをまず抱いて、協調してくれた方が仕事がやりよいというような思想も、私は響くと思います。そのような関係から考えまして、私は必ずしもこの制度に対して全面的に不満であるということは感じないのであります。私の考えておりますのは、何としても農民諸君から盛り上つた制度にならなければいかぬというのが、根本の考え方であります。この制度のあり方としては、そういう組織でやつているのですから、農民組合という形で進んでいる。それを国の方でやるということになると、事業そのものが自分から離れてしまうことになるから、事業はやはり自分のものだということからスタートした方がよくはないか、こういう思想です。ですからできるだけ農家の御理解を得るようにするがいい。ところが農家の方でいやだからというので、解散の決議をするようなことも聞いている。それは別に私は、無理にそれをとめる必要はないというように考えております。場合によつては、どうしてもそれがほんとうの解散の声ならば、またもう一ぺんやり直してもいいわけでありますから、一応解散されてみてもいいじやないか。私はあまり無理はしないがいいという考えですが、根本は、やはり農民からスタートせぬと、国の方から圧迫するとか、公共団体から圧迫するというような考え方は、私はよくないと思います。わかなければわからない程度で進んだらいいじやないか、こういう思想なんです。
  84. 足鹿覺

    足鹿委員長 以上をもつて参考人各位に対する質疑は終了いたしました。  この際参考人の皆さんにごあいさつを申し上げます。本日はたいへん残暑のきびしい折から、また御多忙のところを本小委員会のためにわざわざ御出席をいただきまして、それぞれのお立場から蘊蓄を傾けていただき、たいへんありがたく存じている次第であります。今後の小委員会調査を進めて行く上におきまして、たいへん資するところが大きかつたと存じます。ここに厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。  本日はこれにて散会いたします。     午後四時十五分散会