○佐藤(達)
政府委員 これは
予算委員会においても、御
説明を申し上げたところでございますが、今まで資料の要求について問題が起つたことは、実はおそらく、
鈴木先生も長い国会の生活をされ、
政府側の地位にお立ちになりましても、私はそういう御経験はなかつたと思いますが、これはみな各
委員会と
政府との話によ
つて、円滑にお出しできるものならお出しいたしますし、お出しできないものは、かようかくかくの事情とおわび申し上げて、それではやむを得ないということで参
つておつたと思います。従いまして、今御指摘の義務があるとか権利があるとかいう点については、私は一回も今まで問題に
なつたことはないと思います。そこで今憲法六十二條の條文なり、国会法の條文をお引きにな
つてのお話のようでございますけれ
ども、私自身率直に言
つて、その点について断定的な
意見は持
つておりません。むしろ今まで私が先輩から教えられ、オーソドツクスなりとされておつたところからみますと、憲法で「両議院」ハウスという言葉を使
つておるのは、これはいわば院議をも
つて行動する場合をいうのである。たとえば定足数は三分の一以上という規定がありますけれ
ども、憲法は
委員会というものは予想しておらぬのでありまして、本会議のことしかきめておらぬ、
委員会の方の定足数は、御
承知のように、国会法でありましたか、二分の一とある。憲法が
委員会の分までもカバーしておるとすれば、
委員会の定足数を三分の一ときめたことは、憲法違反ということになる。というようなことで、大きく言いまして憲法に言
つております。両議院というのは、ハウスのことであると解釈しております。そして国会法にありますのは、そういう要求があつたら応じなければならないという規定であ
つて、これはもちろん憲法を受けておりますから、応じなければならぬということは、憲法六十二條から来るものをい
つておるのであります。そこで
委員会の要求権というものはどこにあるかというと、これは衆議院規則にある。これは国会の内部規則として、
委員会にそういう要求権をお設けになることは自由でありますが、そういう意味で衆議院規則があるのではないか。しかしそれには応じなければならぬという規定はないというような気持を持
つておりまして、院議をも
つて出された場合に応ずる義務があるのではないかというふうにと
つておるわけです。しかしこれは今申しましたように、今まで何もそんなことは表ざたの問題に
なつたこともありませんし、これはまた国会の御解釈にまつべき部面がありますから私はそういう考えを持
つて来たということだけで、むしろ法の関係の大先輩であらせられる
鈴木先生の、お教えを伺わなければならぬと思
つております。
そこで問題は、むしろ義務があるとか何とかいう問題じやなくて、こういう場面があ
つて、
政府のよりどころとするところは、結局お出しできないということは事実である。またその要求されている資料は、こういう資料であるということもきま
つているわけであります。しかし照して見る條文としては、今の衆議院規則でもよろしゆうございますし、国会法でもよろしゆうございますが、みな「記録」という文字が使われておりますし、今回の御要求でも、記録を求めておられるのであります。そこで心ならずもではありますけれ
ども、こういう問題が表ざたに
なつた以上は、この記録というものはどういう意味を持
つているかということは、これは冷静な法律判断で断定を下さなければならない。そこでわれわれが今まで立法に携
つており、幾多の立法例がございますが、そういう立法例と照し合せ、かつ社会通念からい
つて、記録という意味を探
つてみますと、結局その定義と思われるのは、これは
役所の場合だから
役所について申し上げますと、
役所の文書として整理保存の対象とされ、たとえばその手段として文書簿に登録されているというようなものが、一般に今まで記録と観念され、立法例にも使われて来ている。私はそのものずばりであるという狭いことは申しませんけれ
ども、それを中心の観念とすることは、これは誤りないと思います。しこうして今回御要求のものは何かと申しますと、先ほど
保安庁長官から申しましたように、その本質というものはまだ部内においても全然固ま
つておらぬので、もちろん整理保存の対象になるものじやないわけであります。それで今の観念からいうと、この御要求の件はほど遠いものである。その御要求にあたるものは、
政府といたしましては持ち合せておりませんと言わざるを得ないと存ずるのであります。