○田上
参考人 今回の
放送法の
改正法案につきまして、実は私は
放送協会の実情をあまり存じませんので、はたして
経営委員の選任
方法、ないしはその人数でありますとか、そういう問題につきまして、今回の
改正法案が適当であるかどうか、そういう点はあまり
意見を申し上げる資格がないのでございます。従いまして、私は主として問題にな
つております
法案の四十九条の三の問題につきまして、簡単に
意見を申し上げたいと思うのであります。
郵政大臣が
放送協会に対しましてどの
程度に
監督権を持つのかということについて、従来の
規定ではまだ不十分である。今回の四十九条の二、三、ことに三でありますが、こういう
公共の
福祉を
増進するため特に必要があると認めるときは、
監督上必要な
命令を準ずることができる、このような
規定をはたして設ける理由があるかどうか。この点に関しまして、私はまず第一に、
日本放送協会は特殊な
法人ということにな
つておりますが、歴史的に見て元来社団
法人である、そして資本の
関係からも
政府とは一応
独立に
経営されている。これは確かに一般の
国鉄その他いわゆる
公共企業体と異なるもののように思われます。たとえばその結果としてこの新しい四十九条の三によりまする
命令は、
協会に対しまして経済的な負担を伴うような場合は、やはりむずかしいのではないかと
考えるのでございますが、それだけでなくて、第二に、これもすでに
お話があつたと思いますけれ
ども、
放送協会の
事業の
性格から申しまして、特に
番組編集の自由と申しますか、これが
憲法第二十一条の
言論、
報道の自由に
関係を持
つており、重大な意義がある。その点ではこの
公共企業体に対する
政府の
監督とは、やや趣を異にする必要があると
考えるのであります。
これは
先ほども御
指摘があつたと思いますが、
放送協会に対する
政府の
立場といたしまして、第一には
放送によりまして、
国民に周知、徹底、
普及せしめるという、
放送の
全国に対する
普及義務につきまして、かなり積極的な
監督、
政府側の要請が
考えられると思うのであります。この点は私は民間の
放送についても準じて
考えてよいかと思うのでありますが、しかし直接
法律的には
義務はないので、もつぱら
日本放送協会に負わされた一つの
使命である。この点では積極的な
監督を
考えてもよかろうかと思うのであります。ただしかしこれも
先ほどの
放送協会が
政府の資本によ
つていないということから、おのずからそこに
郵政大臣の
監督上の
命令にも
限度があると
考えるのでありますが、この点は積極的にいわゆる
公共の
福祉を
増進するための
命令が認められるかと思うのであります。
しかしながら第二に、
放送事業の特色としまして、一般公衆に対する
影響がきわめて大である。
従つて特に
報道の
真実性と申しますか、この点で
政府の特に政治的な
影響から
独立でなければいけないという点は、特に重んぜられなければならないと思うのであります。もちろん
報道の
真実性というふうなことも、見方をかえますと、今度は
放送協会がかりにこの点で態度をあやま
つて、現在の
放送法の四十四条の第三項にあるような、公安を害しない、政治的に公平でなければいけない、その他こういう点でもし
放送協会の
編集の方針が誤るといたしますと、やはり
政府としても
監督を加える必要がある。もちろんそういうことはほとんどないと思いますけれ
ども、かりにそういう事実を仮定いたしますと、消極的な
監督は必要であろうと思うのであります。しかしながらその点では、ひとり
日本放送協会のみならず、一般の
放送事業者に対しましても、同様なことが言われるのでありまして、
言論報道は自由であ
つても、
公共の
福祉に反する場合には、
最小限度において
政府は規制することができるし、またその必要があると思うのであります。しかしながら
法案にございます、一般に「
公共の
福祉を
増進するため」という表現は、今の
報道の
内容あるいは
番組の
編集そのものにつきましても一単にこれが常軌を逸しない、政治的に公平な
立場を守るように、そういうような消極的な
監督ではなくて、さらに進んで積極的にある政治的な注文をつけるというふうになりますと、これは
放送法の根本精神に反するし、また
憲法二十一条の精神にも反すると思うのであります。積極的に
公共の
福祉を
増進するための
監督でありまするから、
放送協会に対しては特に制限をする必要がある。もう一度申し上げますと、
放送の
全国普及義務というか、そういうふうな面におきましては、積極的な
監督も
考えられると思うのでありますが、しかしながら
報道の
内容についてこれが不偏不党、そして
番組の編成などにつきましても、特に政治的に
影響を受けないという点におきましては、
政府の
監督は消極的でなければいけないというふうに
考えるのでありまして、そのあとの点においては、
公共の
福祉の
増進という
言葉が少し強過ぎる、むしろ
公共の
福祉に反するような場合に、これを是正するといいますか、防止するような消極的な
監督になるべきではないかと思うのであります。
第三に、
日本放送協会の
運営が
経営委員会によ
つて行われておる。この実情は、
政府が直接
会長に対しまして
命令をするという場合にも、当然
考慮されなければならないと思うのであります。
経営委員会の議決
事項につきまして、その結論を
郵政大臣の方から
会長に対して示すということになりますと、結局議決をすることが無
意味になるのでありまして、
経営委員会はその
限度で浮き上
つてしまう。そういうことは、やはり
放送法の現在の十四条その他の
規定に違反すると思うのであります。従いまして四十九条の三による必要な
命令と申しましても、今の
経営委員会の主として議決
事項、これについては、当然に
放送協会側の自主性が認められなければならない。しかしこれは私
どもでは特に
条文に明記しませんでも、
経営委員会という会議
機関を置いて、
法律でその議決を要するとな
つておりますると、
解釈上も当然に
郵政大臣の
監督権が制限されるように
考えるのであります。これはもちろん行政
委員会という場合とは違いますが、しかしながら会議制の
機関が多数決に上
つてきめるその結論を、
委員会に付議する前に、あらかじめ
政府が提示するということは、
委員会を認めたこの
法律の
趣旨に反するものと
考えるのでありまして、この点においても、現在の
法案の
解釈上、当然に
監督権の限界があるように思うのであります。
なお蛇足を加えますると、
憲法上行政権が内閣に属するとか、あるいは内閣はこの
法律を誠実に執行する
義務があるとかいうような
規定がございますが、この点だけからただちに、
郵政大臣が
日本放送協会に対して当然一般的な
監督権を持つというふうに言えるかどうか。私は今申しました
放送法の現在の
規定から申しまして、
政府の
監督権に幾つかの限界がすでに設けられておるように
考えるのであります。
郵政省設置法では、
放送協会に関する
事項を分担管理するということが出ておりまするが、設置法の
規定は、直接
監督権
そのものを認めたものではなくて、むしろ
放送法その他によ
つて、実体的な
規定で
権限が認められておる、これを前提とするものでありまして、
郵政省設置法のみで
監督権を持つというふうにはとれない。これは
郵政省設置法の明文でも明瞭でありまして、
法令の定めるところによ
つて協会に対して
監督を行うというようにな
つているのであります。
以上申しましたところでは、四十九条の三の
規定があるから、当然に、いわば無制限に
監督が行われるというのではなくて、現在の
放送法の
規定から、そこに幾つかの当然
解釈上
法案のままでも一
監督についての限界は
考えられると思うのであります。もし四十九条の三の
規定自体に何ら
但書がないから、
従つて法理上はいかなる
監督でもできる。
公共の
福祉を
増進するために特に必要があれば、できるというふうな
解釈でありますると、これははなはだ不都合と申しますか、
放送法の基本原則に反するように思うのでありますが、私はこの
法案の字句から見ましても、当然
放送法の他の
規定によ
つて、
監督の範囲が制限されておるように
考えるのであります。もちろん四十九条の三の
規定も、
放送法の一つの
条項でありますから、他の
条項に対していずれがまさるかということは一概に言えませんが、しかしながら
法律全体を通じまして、その基本原則は、四十九条の三の
監督の
命令によ
つてくつがえすことができなかろうというふうに思うのであります。
なうそのほかに、しばしば申されますが、たとえば罰則が用意されておるような
条項については、特に
監督上の必要な
命令を出すことはおかしい。あるいは罰則がなくても、
義務違反に対しては
経営委員または
会長に対して罷免の
方法があるから、
従つて特にあらかじめ
義務違反を防止するとか、あるいは
義務違反に対してその結果を是正するような行政
監督上の措置は、必要がなかろうという御
意見がしばしばあるのでありますが、私はこの点は必ずしもそうではなくて、罷免ということは第一これは容易ならぬことであります。実際にはそう簡単にできない。
経営委員につきましては両議院の
同意も必要のようでありまするし、またわずかな
義務違反を理由として、常に罷免権を発動するというようなことはできないのでありまして、これはかなり重大な
義務違反の場合に限られることは当然であります。従いまして罷免の理由がない、あるいは罷免の必要がないような場合でありましても、軽微な
義務違反ということは
考えられるのでありますから、そういう場合にも
監督の
方法手段がやはりあつた方がよろしい。もちろんこれは
法律の
規定を要するのでありますが、そういう点ではやはり四十九条の三の第一項の
規定は、無
意味ではなかろうと思うのであります。
また
公共の
福祉に適合するかどうか、これを
増進するということは
放送協会が自主的に判断をするし、あるいはまた輿論の調査によりまして、
国民自身にその判定はまかさるべきであるという御
意見がございますが、もちろんこれは立法政策としてそういう
方法も私は
考えられると思うのでありますが、また
反対に
政府がこの点でやはり
公共の
福祉について判断をし、そしてその
増進あるいはこれを害されないように、
政府がある
程度の規制を加えるということ、これは必ずしも立法論としては許されないことではないと
考えるのであります。この点は私は
言論とか
報道の自由、広く申しまして
憲法二十一条の自由が絶対に取締れないのであるという見方も一部にはございますけれ
ども、これはやはり「
公共の
福祉に反しない限り」という限定を当然私
どもは
考えるのでありまして、一部の者の極端な自由を主張し、その結果大多数の一般民衆が同様な自由を失うようになる。そういつた行き過ぎ、自由の濫用に対しては、これは一般公衆の利益のために、
政府はある
程度最小限度においては
監督ができる。それは
憲法二十一条のような
言論、
報道その他の自由につきましても同様であろうと
考えるのであります。しかしながらその場合には、繰返し申し上げまするが、
公共の
福祉を
増進するというふうな、そういう積極的な広い範囲の
監督はもちろん許されないのであ
つて、これは明らかに
公共の
福祉に反するという事態が起きたときに、たとえば
先ほどの四十四条の例で申しますと、ある特殊な政治的な
立場、そしてこれが他の政治的な
立場に対しまして著しく不公平になる。そういう一党一派に偏するような極端な
放送に対しましては、もちろんある
程度の
最小限度におきましては
監督を加えることができるし、またあるいはその必要があるというふうに
考えるのであります。従いまして四十九条の三の
規定が当然に許されない、無条件にこれは削除すべきであるというような
意味には
考えないのでございます。
けれ
ども、それならばこのままでよろしいかと申しますると、初めにお断りいたしましたように、
放送の
全国普及義務というような面におきまして、つまり
放送法の第七条にうたわれております
趣旨でありますが、こういう
意味においては積極的に
政府が援助をし、またこれを推進し、
監督を加えることができるかと思いますが、しかし第三条に示されるような、そういう
放送番組編集の自由という問題につきましては、むしろこれは消極的な
監督でなければいけない。ところが四十九条の三の方では、その点の区別が示されてないのでありまして、広く
公共の
福祉の
増進という積極的な
目的のための
監督もできるように思えるのであります。この点はやはり
法案の表現が十分でないと申しますか、あるいは訂正を要するのではないかと思うのであります。私
どもの方では、
公共の
福祉に反する場合に取締るということと、
福祉を
増進するために必要な場合
監督を加えるということとは、かなり区別をしているのであります。
福祉の
増進ということになりますと、これは消極的ではなくて積極的な注文をつける。だからこの
条文を切り離して
考えますと、たとえば
政府の政策に有利なように、
放送に対して注文をつけるということも
考えられるのであります。もちろん現在の
郵政省はそういうお
考えでないと思いますが、四十九条の三だけを私
どもが文字について判断いたしますと、そういう場合も出て来ると思います。従いまして、あるいは「
公共の
福祉を
増進」というような
言葉を、かりに「この
法律を執行するため特に必要があるとき」というようなことにすればよほど穏やかになり、また第七条の方ですでに「
公共の
福祉のため」ということが出ておりまするから、格別
提案の御
趣旨には反しないのではないかと思うのであります。
また私
どもの一つの疑問は、やはりこの第三条との
関係でございまして、
現行法の第三条には「
法律に定める
権限に基く場合でなければ、」という
言葉が出ております。これはもちろん他の
法律も含まれますが一この
放送法自体の
規定で定ま
つておる
権限ももちろん含まれるわけでありまして、国際
放送に関する
条文のごとき明白であろうと思います。その場合新しく加えられます四十九条の三の
規定が、第三条における「
法律に定める
権限に基く場合」に該当するかどうかと申しますと、私は
条文の字句から
考えまして、この三条の「
法律に定める
権限に基く場合」に含まれるように
考えるのであります。言いかえますると一、三条の
規定によれば、四十九条の三によ
つて郵政大臣が
監督上必要な
命令を出しますると、それによ
つて放送番組が規制されるようになる、少くともそういう事態が起きたときに、これが
放送法違反であるという二とはいえなかろうと思うのであります。もし
政府の方のお
考えが、そうではない、第三条の
番組編集の自由には何ら手をつけるものではないということでありますと、その点はやはり
法案の
解釈上は無理でありまして、一応
但書か何かで、第三条の場合の
編集の自由に手をつけると申しますか、妨げるものではないというような断り書きをつけなければ、無理であろうと思うのであります。
その他、
先ほど申し上げましたように、特に
法案の字句を
修正しないでも、
解釈上すでに私
どもはこういう
法律に対しましては一定の限界がある。
監督は決して無制限ではない。もう一度申しますると、
放送協会の従来の
性格が社団
法人であり、また現在におきましても
政府の資本とは
独立であるというふうなことから、財政的には会計検査院の検査、
予算における
国会の審議、そういうような
監督はありますが、そのほかに特に行政上の
監督を加えるということはあまり適当でなかろう。これも全然不可能とは思いませんけれ
ども、著しく
放送協会に負担をかけるようなことになりますと、あるいはその点で
事業に対する負担というか、圧迫を加えるようになるのでありまして、私はその点全額
政府の出資による
国鉄その他とは、
監督の
程度、範囲がおのずから異なる。第二は
番組編集の自由に現われておりまする
言論、
報道などの自由、こういう点は特に尊重されなければいけない。第三は、
経営委員会による
運営でありまして、こういう会議制の
機関が一応
責任を持つ。少くともその議決を要するような
事項については、当然
監督が制限される。もつともこれは絶対に
監督ができないという
意味ではないのでありまして、少くとも
法案四十九条の三の第二項にありまするような
報告を徴することは、格別さしつかえはないと思いますが、必要な
命令を発するような点におきましては、
経営委員会の議決を不必要ならしめるような
監督は本来許されない。この三点であります。しかしそういう
解釈をいたしましても、なお最後に申し上げましたように、
法案の字句では
公共の
福祉の
増進という
言葉がありますから、これは少し広過ぎて、特に
番組編集の自由などにつきましては無理がある。むしろ率直に申しますると、
憲法の自由に
影響を与える点で不適当であるように
考えます。また第三条との
関係におきまして、第三条は字句の上から申しますと、ほとんど新しい四十九条の三による
命令によ
つて自由に、この自由を動かすことができるようであります。そういう点ではやはり明文で断り書きを加えることが必要であろうと
考えます。
以上をもちましてはなはだ簡単でありますが、主として
監督上の
命令を出す
規定についての
考えを申し上げまして、私の
意見を終ります。