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春日委員 ただいま次官の御
答弁によると、正直者がばかを見ないように、公正な
課税ができるようにというような御
答弁でございました。これは、当然かくあるべきでありましよう。けれ
ども私は、ものの本体は、やはりお互いがそのものをのみ込こんでいろいろ判断せなければならぬと思います。いろいろな税学者の理論を聞いてみましても、法へと個人との
課税の対比でありますが、これは法人体にすれば二、三百万は安くなる、ちよつと操作すれば五割方も安くなるのだ、いずれにしても法人体は安くなるのだ、こういうようなことであります。従いまして私は、その
名義人がその
事業に参画しておるという形の中には、特に、ときに消極的ではあるが、税を少しでも軽くできるようにという作為も込められておるであろうと思います。けれ
どもこれは、何も陰険な方法によ
つて脱税をはかるというつもりで作為しているのではなく、こういう
名義人の参画を得れば、利潤の分散等によ
つて、
課税率も減
つて来るとかなんとかいうような
意味で、
法律の恩典を
自分が行使しよう、こういうことであ
つて、あたかもそれは、個人が法人体に切りかえた場合に、税負担が軽くなるのだが、しかしながらそこまで行かなくとも、こういうので
名義人課税と個人
課税との間を縫
つてそういうような便宜な手段も行われておるのであるが、このことは、別に
脱税を目的とするのでなく、税の負担をなるべく軽くしようというきわめて素朴な
納税者の希望、潜在意識が、そういうような
事業経営の考慮をなさしある場合があるのであ
つて、これは悪党だ、こういうふうに断定してしまうことは、私は早計であろうと思うのであります。そこで私は申し述べたいのでありますけれ
ども、国民というもの、
脱税者だとか疑わしいものだという概念で事に臨まないで、いろいろとゆとりがあ
つてゆとりの
範囲内で皆が善意の努力をしておるのだ、なかなか賢く立ちまわ
つているな、こういう
程度に解釈して、ある
程度は胸を開いてもらいたい。国民というものは敵じやない。
税務署は外国から
日本へ集金に来ておられるのではない。これは、国民がお互いに費用がいるので、だれかがとらねばならぬから、われわれの仲間から、ひとつあなた方
税務職員にな
つて、と
つてちようだいな、こういう
程度の申合せで、あなた方は
徴税に臨んでおられるのだから、国民に対して、何もそう敵視して、一概にこれは
脱税を目的としておるものだとか、あるいは四角ば
つて、これは負担の公平とか、正直者がばかを見ないようにとか、そういうことでなく、税が重くて
経営が困難だから、あらゆる手段を合法的に講じて、なるたけその暮しと
事業経営を楽にしよう、こういう
考えでおるところの庶民の願いというものは、やはりそのままくんでやるべきであ
つて、重箱の底を楊枝でほじくるということわざがあるが、あたかも今回の第
三条の二項の改正というようなものは、それをほうふ
つたらしめるような
立法であろうと私は思うのであります。さらに私が指摘をいたしたいことは、実際この
立法が行われれば、
ほんとうに
実質課税をしなければならないことが義務づけられて来るのであります。現在の
社会情勢、それから
事業経営の
実態の上に立
つては、これを画然と
一つもあやまちなく
区わけすることは、神わざであり、超人的な
能力である。こういうものでなければ、そういうあやまちを犯すことなく、この
法律を
執行することができないのだから、そうであるとすれば、今まで政治的な慣行、
社会的な慣行ということで、あまりひどく世間の指弾を受けることなく
徴税秩序というものも保たれて行き、しかもあなた方が必要とするところの財源もほぼ弁じられて来たのです。一方大企業においては、大きな減税が行われており、その名目は企業の資本椿積といわれておる。また零細
所得者に対しても、生活の安定をはかるというので減税が行われておる。さすればこれらの
諸君に対して、この
法律の改正によ
つて所得するところの税額が何ほどのものであるかは知らないけれ
ども、私はある
程度こういう零細
所得者に対しては、今まで長年にわた
つて行われて来た
社会慣行であり、しかもそのことは、
徴税行政におけるいろいろな混乱というようなものを来さしては来なか
つた。このことがあるがために、
徴税行政が行えなか
つたというような支障にぶつか
つたということはない。ただ軽やかにこれをあしら
つて、意見をしたり、今後そういうことをしたらいかんですよ、なるたけそういう
名義人は
本人にかえてくださいよというような、あなたの方の行政的指導によ
つて、そういうような局面は大いにこれを調整することができて、今日に至
つておると思うのであります。従いまして私は、全国の愛。細業者たちのこのような大きな反対の声を無視して、あくまでもこの
立法をしようというようなことは、まさにこれは必要を越えたところの
立法措置であろうと思う。しばしば申し上げておるように、法は
三条をも
つて足りるというが、これは必要にして十分という措置さえあれば、度を越えた苛斂誅求は行うべきではない。これは
愛知さんは不本意でしようが、聖書の中に、なんじ収税吏、石をもてこれをぶち殺せということわざがあります。(笑声)いいですか。これは実際問題として、
税務吏員が国民から愛されることのためには、その本元である
立法府において、こういうような国民に怨嗟の声を巻き起すような
立法をしてはならぬ。それは昔ユダヤの国において、王様が無事の国民にものすごい苛斂誅求を
行つて来たから、
税務吏員と見れば、石でぶち殺しにしたいというような声が国民の中にわいて来たのである。ところが今
日本において、あなたは片一方においては減税をしておる、大企業においては、外国支店をつくるときには、さあ償却だというようなことで、償却の名のもとに、いろいろ減税やなんかの措置を認めたりしていらつしやる。だから大企業はわが世の春をうた
つておる。自由党様々なんです。ところが
零細業者たちは、これはあなたの手元にも陳情が来たでしようが、この十五国会以来何十回となく陳情してお
つて、しかもその切々たる声は、全然あなた方には通じていない、一片の感動だに与えるには至
つていない。こういうようなことでは、なんじ収税吏というこの聖書のことわざが、やはり国民の口をついて出るおそれなしとはしない。私がここで申し上げたいことは、あらゆる
立法にあた
つて、税に関与するところの公務員、このことは、あなた方とわれわれ
立法府をも含めてのことであるが、なんじ収税吏、石をもてこれをぶち殺せというこのことわざこそは、座右の銘でなければならぬと思う。そういう
意味合いにおきまして、民主政治は輿論政治である。輿論の声は、そういう零細
所得の追求を求めてはおらぬ。のみならず、名目
課税と
実質課税によ
つて、
社会的な混乱はいささかも起きてはいない。のみならず、今日の
徴税行政の均衡を保つゆえんともな
つておる。だから、本日までこれでできたことが今後できないというはずはない。
従つて、どうかひとつあなたの大きな努力によ
つて、しかも同僚議員各位のよき理解によ
つて、こういう特別の条項は削除されるという方向へ努力を願いたいと思うのであるが、これに対して次官は、何とかしてひとつ誠意の限りを傾けた御
答弁を願いたいと思う。