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1953-07-21 第16回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年七月二十一日(火曜日)     午前十時四十九分開議  出席委員    委員長 吉武 惠市君    理事 塚原 俊郎君 理事 福田  一君    理事 中野 四郎君 理事 久保田鶴松君    理事 小林  進君 理事 松田竹千代君       倉石 忠雄君    長谷川 峻君       福田 篤泰君    山口六郎次君       岡部 得三君    北山 愛郎君       山田 長司君  委員外出席者         証     人         (元宮内省総務         局庶務課員)  佐野 惠作君         証     人         (株式会社三平         興業社長)   加島 平吉君         証     人         (元海軍技術研         究所会計部材料         係)      川崎 宗一君     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  接収解除貴金属及びダイヤモンド関係事件     ―――――――――――――
  2. 吉武恵市

    吉武委員長 会議を開きます。  この際御報告並びにお諮りをいたします。本日証人として本委員会に出頭を求めておりました元宮内省総務局庶務課長筧素彦君につきましては、医師診断書を添えて本日出頭できない旨の申出がありました。これにつきましては、正当の理由あるものと了承するに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 吉武恵市

    吉武委員長 御異議なければ、さよう決します。  では、前会に引続き接収解除貴金属及びダイヤモンド関係事件について調査を進めます。ただちに証人より証言を求めることにいたします。  ただいまお見えになつておりまする方は佐野恵作さんです。  この際証人に申し上げますが、戦時中多数国民諸君より供出されましたダイヤモンド、金、白金等は、平和条約の発効と同時に接収解除になりまして、現在日本銀行の地下金庫に収納されて、大蔵省により保管されているのであります。このダイヤモンドの収納、保管の経過、処理の方法等につきましては、世上大いに疑惑を持ち、関心を抱いている向きがございますので、これが真相を明らかにすることはきわめて意義あることと考え、本委員会本件調査を進めて参つた次第でございますが、証人におかれましては率直なる証言をお願いする次第であります。  それでは、ただいまより接収解除貴金属及びダイヤモンド関係について証言を求めることになりますが、証言を求める前に、証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことと相なつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が、証人または証人配偶者、両親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者、及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士公弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者が、その職務上知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応この上とを御承知なつておいていただきたいと思います。  では、法律の定めるところによりまして、証人宣誓求めます。御起立を願います。  宣誓書の御朗読を願います。     〔証人佐野恵作朗読〕    宣誓書  良心に従つて、真実を述べ、何事も  かくさず、また何事もつけ加えない  ことを誓います。
  4. 吉武恵市

    吉武委員長 それでは宣誓書署名捺印してください。     〔証人宣誓書署名捺印
  5. 吉武恵市

    吉武委員長 これより証言を求めることになりますが、証言証言を求められた範囲を越えないこと、また御発言の際には、その都度委員長の許可を得てなされるようお願いいたします。なお、こちらから質問をしておるときはおかけになつていてよろしゆうございますが、お答えの際は御起立を願います。  それでは、お尋ねをいたしますが、第一に証人の略歴をお述べ願いたいのであります。
  6. 佐野惠作

    佐野証人 静岡県富士宮市に生れまして、静岡県立静岡師範学校を卒業いたしました後、私立日本大学を卒業いたしまして、宮内省に大正十二年に入りました。それから昭和二十四年までずつと宮内省の方に勤務いたしておりました。昭和二十四年二月十一日、元の紀元節の日に退官いたしました。その翌日から現在の全国社会福祉協議会連合会というところに入つて、今施設部の方を担当いたしております。
  7. 吉武恵市

    吉武委員長 次にお尋ねいたしますが、終戦当時陸軍第一造兵廠からダイヤモンドその他を宮内省に持ち込んだようでありますが、その経緯についてお述べを願いたい。
  8. 佐野惠作

    佐野証人 それは、終戦当時で、非常にこんがらかつた時代のことでございますから、記憶はつきりいたしませんけれども、あの当時終戦の詔書が渙発せられました八月十四日の晩、私おりましたものですから、そのとき例の録音奪取事件があつて宮内省の中は非常に混乱をしたのであります。そりときのことと今度の場合と、ちよつと混乱しているようで、はつきりしないのですが、その点、あらかじめ御了承を願います。  多分これは、十五日が終戦で、それから一週間か十日くらいたつたのではないかと思いますが、そのときに、いつものように総務課部屋に出勤いたしておりましたら、時の筧総務課長がとびら越しに顔を出して、ちよつと来てくれぬかということで、何のことかと思つて参りましたところが、今陸軍の方からダイヤモンドを持つて来たのだが、ぼく一人では困るので、君がひとつ立ち会つてくれぬか、今目方をはかつているのだ、こういう話でありました。そこで私も、そうですかということで、筧総務課長部屋入りまして、そうして見たところが、軍人らしい人が、その時分は何か軍服の略服のようなものを着ておりましたが、もう一人確かにおつたと思います。それから、私は、これは記憶違いか、あるいはさつき申し上げた終戦の晩の間違いか、その点がわからないのですが、何でも兵隊が一人廊下に立つてつたような気持がいたしますが、これははつきりいたしません。多分終戦のときとこんがらかつているのではないかと思いますが、とにかく将校が部屋のまん甲に腰をかけておりました。その前のテーブルに、ふろしき包み二つございました。今、大いさはちよつとわかりませんが、とにかく片手でもつてひよつとぶら下げられる程度のものだつたかと思います。その大いさは、まあ、さらがございますが、そのさらも大きな方のさらでございますが、どんぶりよりちよつと小さい、小型のようなさら一ぱいぐらいの量ではないかと思います。それが二包みだと記憶しております。それで筧さんと私と立ち会つたのですが、その軍人さんがはかりを持つて参りまして、そうしてその包み一つを解いて順にはかり出したのであります。それから、一つ包みをはかり終つて、第二の包みを解いて、それから、それもはかり終つて、今度はそれを一包みにまとめておりましたが、一包みにいたしまして筧さんに渡されたのであります。筧さんは、右か左かの手にそれをぶら下げまして、廊下伝い内蔵寮金庫にでも預けようかなと言つて、ぶら下げておいでになりました。それだけが私の見た現状でございます。その前とか、そのあととかは、さつぱり私は関知いたしません。ただそれだけのことでございます。
  9. 吉武恵市

    吉武委員長 次にお尋ねをいたしますが、今のお話によりますと、あなたが立ち会われたのは一回のように言われておりますが、私どもの聞いたのでは、一応終戦後に持ち込んで、もう一度後の機会に検査に来たように言つておりますが、その間の事情をもうちよつとお聞かせ願います。
  10. 佐野惠作

    佐野証人 それは、私は記憶にないのでございますが、それが、呼び込まれたときが、あるいは二回目か、はかりに来たときが二回目だつたか、とにかく一ぺんしか私は立ち会つておりません。ですから、その持つて来たときにすぐはかつたのか、あるいは持つて来て筧さんに一応お預けになり、それから二度目にはかるときに私を立ち会わしめたのか、その点ははつきりいたしませんが、とにかく一度だけ私は立ち会つたのであります。
  11. 吉武恵市

    吉武委員長 わかりました。それから、次にお尋ねをいたしますが、そのダイヤモンドは、それからどういうふうに保管され、そうして、どういうふうに処置されたか、御存じないでしようか。
  12. 佐野惠作

    佐野証人 その点は、まつたく存じ上げません。ただ、廊下をぶら下げて行つた筧さんのうしろ姿だけ記憶にとどまつております。
  13. 吉武恵市

    吉武委員長 わかりました。それでは、委員長からお尋ねする事項は一応終りましたが、委員各位に……。中野四郎君。
  14. 中野四郎

    中野委員 いろいろお聞きしたいことがあるのですが、内蔵寮金庫のかぎは、当時だれが持つておりましたでしようか。
  15. 佐野惠作

    佐野証人 それは、御承知のように、内蔵寮というものが別にありまして、内蔵寮とか、総務課、それから大膳とか、侍従職とか、各部局にあそこはわかれておるのであります。そうして、内蔵寮の中のことは、やはり内蔵頭があり、主計課長があつて、多分その主計課長内蔵寮の方で保管しておられたと思います。私は総務課におつたものですから、その点については何ら関知しておりません。
  16. 中野四郎

    中野委員 終戦直前昭和十九年に、貞明皇后並びに皇后様から王冠が出されたり、王冠に似かよつたようなものが、白金ダイヤモンド供出奨励のおぼしめしをもつてお下渡しになつた。当時、宮内省でも、これは非常に問題でして、清水谷女官長などは、あまりに珍しいし、このままお出しになつてしまうと再び返つて来ぬかもしれぬというので、お庭で自分でかぶつてみて、写真にとつたのもあるのです。あなたは、庶務課おいでになつたのですから、供出された当時の状況御存じだろうと思うが、お聞き及びになつたことがあるかどうか。
  17. 佐野惠作

    佐野証人 そのことは、私はまつたく存じませんので、侍従職の方とかお内儀の方はまつた側近部局でありまして、私の方は外部的の総務課でございまして、行幸とか、献上とか、あるいは写真御下賜であるとか、御救恤とか、社会事業とかいうふうな、外部的のことばかり扱つておるので、そういつたような今のお話は、お内儀と申しまして、侍従職や、皇后職や、今お話女官長とか侍従長とかいう方が直接にお扱いになりますので、私どもあとで新聞で拝見して、ああこんなこともあつたのかなあというぐらいのことで、まつたく存じ上げておりません。
  18. 中野四郎

    中野委員 当時は御存じはなかつたか知らないけれども軍需省にこれがお下渡しになつた。その中の五粒ばかりのものが――一番大きなのはニカラツトちよつとあるのですが、これは工業用に使つてしまうのは置しいというので、実際上戦局がその段階に来るまで、宮内省にお預かりを願つておいた方がよろしいというので、当時の竹内軍需次官総務課に持つて参りまして、筧さんやあなたもおそらく御承知だろうと思いますが、当時の総務課にこの五つのダイヤ保管を頼んだことがあるのですが、ごらんになつたことがありますか、あるいは全然御関係がなかつたかどうかを伺いたい。
  19. 佐野惠作

    佐野証人 その点につきましては、私は全然知つておりませんので、関係もございません。おそらく総務課長あたりの高いところでやつたと思います。私は、そのときは属官というような位置でございまして、そういうような重要なことには立ち会つておりません。
  20. 中野四郎

    中野委員 そうしますと、本問題に入りますが、当時兵隊が二包みふろしき包みを持つて来たといたしますと、何がゆえに筧さんはあなたをお呼びになつたのでしようか。何か鑑識眼があるとか何かならばとにかくも、どういう意味であなたをお呼びになつたのでしようか、そうして立ち会わせたのでしようか、これをまず伺いたい。
  21. 佐野惠作

    佐野証人 それは、私は、筧さんが私を呼んだという気持はわからぬのでございます。けれども、おそらく想像するのに、私が首席属官であつたというような関係じやなかつたかと思います。
  22. 中野四郎

    中野委員 首席属官でいらつしやれば、総務課ダイヤを持つて来たそのときでなく、その前に五粒のダイヤを返したことを御存じないというのは少しおかしいのですが、もう少し詳しく申し上げると、当時入れて持つて来た箱は、総務課のいわゆる属官のどなたかの箱なんです。どこの机の上にあつたか知りませんが、昔の百本入りのタバコの箱に紙に包んで入れられた。これは、筧さんが入れ、そうして加藤さんのところに持つて行かれて、あるいは犬丸君の係の小林という属官がこれを預かつて金庫に入れたまでははつきりしておるのです。その後、あなたは、昭和二十四年までお勤めでして、宮内省では皇室経済の切りかえについてたいへん騒ぎまして、総務課おいでなつてこ事情を知らぬというのは、ちよつとおかしいと思えるのですけれども本件とは関係がありませんから、あえてこれは申し上げません。  そこで、伺つて行きたいのですけれどもダイヤ内容ごらんになつたというのですが、そのとき持つて来た森という少佐は、実際上においてこれを献上するために持つて来たのでしようか、預かつておくために持つて来たのでしようか、どういう意味か、そこのところがはつきりしないのですが、いかに宮城の中が混乱しておつても、多数のダイヤそのほかのものが入つております。そういうものを持つて来て、これをば筧さんがそのまま持つて行つて内蔵寮金庫にでも入れて置こうかというような簡単なものではなくて、どこから持つて来て、どういう意味で持つて来たものか、常識でも御判断ができると思うのです。当時の状況を、感じられたままでけつこうですから、少し具体的に御説明願いたいと思うのですが……。
  23. 佐野惠作

    佐野証人 お答えいたします。ただいま中野委員から、そんなことを知らないはずはないと申されますけれども、実際私は知らぬことはどうも、宣誓書誓つても申し上げられません。その点は、はつきりお答えいたしておきます。  それから、今の献上であつたか、あるいはどうであつたかということは、持つて来た人の森さんの意思に尋ねなければわからぬことだろうと思いますけれども、私が臆測するところによりますと、これは想像でございますが、献上であれば、もう少し形を整うべきだと思う。ところが、どうもあのきたないふろしき包みの中から出して、自分たち目方をはかるという点においては、私は献上じやないと思う。献上ねらば、献上らしい形をとつてやるべきが至当であろう。しかるに、ただ、自分らがはかりを持つて来て目方をはかつて、何匁々々というふうに封筒へ書き込んで、そうしてこれをまた一つ包みに包んで筧さんに預けて、たしかそのとき名刺か何かで受取りを出されたのじやないか、献上に受取りというのはおかしいじやないか、形式から考えてみて、これは献上じやないというふうに私は考えます。
  24. 中野四郎

    中野委員 あなたの御想像が正しいかもしれませんが、そこで、当時の宮内省状況はどうなんでしよう。あなたがおつしやつたように、八月十四日には陛下の録音盤を探すために兵隊が相当侵入しております。そうして宮内省の中は非常に混乱状態にあつたと思うのです。それから、特に、この持つて行つた日にちは八月二十三日ですね。それから、あなたがそれを再びごらんになつたのは二十九日の日ですね。六日間たつておりますね。そこで、問題になりますのは、大体宮内省の中に献上品にあらざるものをば預かつて置けるような状態であつたかどうか。ひとり陸軍ばかりの問題じやないのです。海軍からも物を持つて行つたのを、あなたは御存じかどうか知りませんが、それは一晩しか宮内省に置いてありませんでしたが、そして陸軍海軍、あらゆる方面のものがもつとほかにあつたかもしれないが、宮内省内蔵寮金庫に入れたり、あるいは次官が預かつておけるような体制にあつたのでしようか。宮内省の中は、あなたの先ほどのお話想像しても、相当混乱状態です。われわれが外部から想像しましても、今申し上げましたような、非常におちつきのないときなんです。それから当時の状況を勘案してみますと、宮内省にこういうような貴重なものを預けておくことは、決して私は安全なる方法じやないように考えるのですが、当時の状況はどうだつたのでしよう。
  25. 佐野惠作

    佐野証人 八月の十四日の晩から十五日のあかつきへかけて、御承知の通り、宮内省は、一晩のうちに歴史をつくつた、その混乱した状態想像以上のものでありました、けれども、その後は、軍部なりあるいは外部なりに移りまして、宮内省はずつとひき潮のような静けさを持つてつたのであります。それで、おそらく持つて来たのは、米国の、何か向うから来た人にとられるのじやないかというような考えで、宮内省へ預けるのが一番安全じやないかというふうな気持ではないか――これも私の想像でございますが、そんな気持で持つて来たのじやないかというふうに思つております。
  26. 中野四郎

    中野委員 そこで、中にふろしき包みがあつたと言われるのですが、ふろしき包みはどんな形の、色はどんなものですか。どうも、ここはちよつと食い違いがあるのです。あなたはふろしき包みだとおつしやるし、大金次官は紙の袋だと言い、森君は木の箱だと言つて、この三色にわかれているのですが、これはどういう色であつて、どのくらいのものであるか。あなたの先ほどのお話では、中ざらくらいのもの二包みだとおつしやるが、ちよつとここが食い違つているのです。しかし、あなたがごらんになつたものが現実であつて、ほかのものが違つているかもしれませんよ。あなたの見たままの実情をひとつお知らせを願いたい。
  27. 佐野惠作

    佐野証人 食い違つているかもわかりません。私も、実はその晩、映画で言えば一つのフイルムのカットくらいのことを見たわけでありまして、運んで来た入り品から見ておれば、今のことはりつぱに証言が立つのですけれども、とにかく、入つてから、筧さんがちよつとちよつと言つて私を呼びまして、入つたものですから……。入つたら、テーブルの上に二つふろしき包があるのです。今もし箱で持つて来たとおつしやるならば、それは箱で持つて来て、部屋のすみかどこかでふろしき包みを箱から出して、そして載せたのじやないかと思うんですがね。――これも私の想像ですが。載つかつたところは、ふろしきはあまり大したものじやなかつたのです。色はあまりはでな色じやなく、薄もえぎ色か何かの色をしていたと思いましたがね。それから、どつか端が切れていたような感じが今いたします。もう使い古した、それこそくたびれたふろしきだと思つております。
  28. 中野四郎

    中野委員 そうしますと、あなたは、昭和二十一年の十月二十一日にこの品物上月中将に渡すときには、この品物に全然関係はなかつたのでしようか。あるいはごらんになつたのですか。
  29. 佐野惠作

    佐野証人 その点は何も知りません。まつたく関知しません。
  30. 中野四郎

    中野委員 はかりを森君が持つて来てはかつたというのですが、一体はかりは宮内省のものか、本人が持つて来たものかということが一つ。それから、筧さんが片手で持つて行つて、きわめて軽いものだと言つたが、軽いというのにもいろいろ限界がありますので、そのあなたの言葉のはしはしを聞くと、きわめて少数のものだというふうに受取れるのですが、大体持つてみた勘で、どのくらいの重みがあつたでしようか。たとえば、佐野さんの横のところにいすがある。そのいすを持つていただいてけつこうですから、そのいすより軽いものか重いものかという、この二点をひとつ……。
  31. 佐野惠作

    佐野証人 一つは、はかりの問題ですが、そのはかりは、多分向うから持つて来たと思います。そのはかりのことにつきましても、私は、筧さんが借りてやつたのか何か、その辺はわかりませんが、私の見たところでは、――その森さんということも、またあと記憶によみがえりましたが、実は知らなかつたのであります。お持ちになつたというふうに記憶いたしております。  第二点の重みでございますが……。
  32. 中野四郎

    中野委員 ちよつと、そこにいすがあるから、持つてみてください。
  33. 佐野惠作

    佐野証人 これはとんでもない。目方が全然違います。  これは余分のことでございますけれどもちよとつけ加えて申し上げます。あるいは何かの御参考になるかもしれませんが、それは、そのこまかいつぶつぶ封筒に入れてあるのです。つまり、陸軍でそれを各地から受取つたまま何かへ保管していたのじやないかという形勢があるわけなんです。それは、印刷した黄色いハトロン封筒――たいていハトロンでした。裏に何々会社とか何とか印刷した封筒幾つ幾つもあるわけです。その封筒が合せて三十に満たないかぐらいじやないでしようか。そして、みな一々封筒から出して、はかつて、またその封筒の中に入れるのです。そしてその封筒目方を書いて、最後に総計して預けて行つたのです。またその内容は、私見ておりましたら、非常に小さな、砂粒くらいのものがあるのです。一つ封筒を見ますと、まつたくまつたくの砂粒で、何の役にも立ちそうもない。何だろうとあとで聞いたら、工業用ダイヤモンドだと言つておりました。それから、あるものは金歯で、歯がくつついているまま持つて来て献納しているわけです。それから、ネクタイピンですか、あれなど、飾りの玉がとれちやつて、穴があいたまま、ちよつと曲つて、色がかわつたようになつたのも、一緒に入つていたように記憶しております。
  34. 中野四郎

    中野委員 そのあと工業用ダイヤだということは、だれにお聞きになつたのですか。
  35. 佐野惠作

    佐野証人 それは、つぶつぶのものがきようあつたよと言つて総務課の者にいろいろ話したわけです。総務課の連中が七、八人おつたものですから、それは多分工業用だろうということで、その日のうちに総務課員と話合つたわけでございます。
  36. 中野四郎

    中野委員 はかるときに、内容ごらんになつたのですか。あなたが今粒のとれたようなものとおつしやるならば、内容は大体ごらんになつたはずですね。
  37. 佐野惠作

    佐野証人 見ました。
  38. 中野四郎

    中野委員 これは、森君も、全部見せたと言つているのですから……。ダイヤモンドはどのくらいの大きさがあつたでしよう。つい、石を見ますと、人情で、ああ大きいのがあるなというようなことを見るものなんですが、一番大きいものとか、あるいは記憶のある石はどんなものがあつたか、つぶさにお述べ願いたい。それから、ダイヤばかりでなく、金、白金があつたはずですが、それはどういう形をしておつたか……。
  39. 佐野惠作

    佐野証人 その内容は、さつき御参考までに申し上げた程度でありまして、その詳しいことは、ただ向うさんがはかりを持つて来て、向うさんではかつているので、別にこつちが監督しているとかいうような意味じやないのですから、はなはだ申訳ない話ですが、あまり関心を持つていなかつたものですから、はつきりしたことはわかりませんが、今言うように、つぶつぶのものと、それから歯がついた金歯――それは袋は別でございますよ。それから、ネクタイピン飾りのとれた、穴のあいたそのままのものなどもつておりました。一番大きなのと申しますと、今のお話のようなものは私は記憶にないのでございますが、私の見たのは、みな、そういつたものや、指輪からはずしたような小さなダイヤ、それから、何か切り立つたような――完全なものでないのですね。破損したか、砕いたか、原石と申しましようか、そういつたようなものもありました。それから、ほんとうに指輪へはまつたものをとつたようなのもあつたようでございました。それから、今お話の大きなものは、私は見ないのでございますが、あるいは、私はそれを気をつけなかつたのかもしれません。
  40. 中野四郎

    中野委員 佐野さんにあまりいろいろ言うては悪いのですが、率直に申し上げて、もう少し具体的に――私らはただ興味半分でこのダイヤの問題をば追究するのじやないことは、御承知の通りなんです。終戦当時に、非常に国家国民の品物が一部悪質な軍人によつて散逸をされて、そして正直者がばかを見るというような形になつておつたことは、もうすでに御承知の通りです。特にあなたは社会福祉協議会の方にいらつしやつて、先日来国会にも再再おいでなつて非常に御努力の方であるから、私は、私らの気持を十二分に察してくださると考えておるのです。決して、このことは、私は、宮内省に憂いを残そうとかなんとかいうつもりで、つつついておるのではないのです。少くとも私らの追究しておる面においては十二分に御了承願えると思うのですけれども、いろいろな面に婆及するというので、これは宮内省におられる方のみならず、だれでもそう考えるのですけれども、ついあまりよけいなことはしやべらぬ方がよいという感じが多いのです。ところが、大金さんの話も、あなたの話も、あるいは森という人にもおいでを願つて、――きようは残念ながら筧さんは病ですからおいでを願えませんが、いずれこちらから伺うか、書類をもつて伺うかということになりましようと思いますけれども、大分根本的な食い違いがあるのです。たとえて言えば、目方なんですが、これは、森さんの言うことと、大金さんの言うことと、あなたの言うことが、まるで違うのです。ちようどいいところにいすがあるものですから、それを持つて目方を鑑定したのですけれども、あなたはそれを持つて、とんでもない、こんなにないとおつしやる。ところが、持つてつた人は、これつばかしじやありません、問題じやないと言う。これはどれくらいありますか、二貫くらいある、そうすれば十貫くらいあると、持つてつた人が言うつている。大分食い違いがあるのです。それから、大金さんの話も、速記録をごらんになればわかりますが、大分違うのです。あなたがたは初めからしまいまで立ち会つたのではないのですから、とがめはいたしません。しかし、私の伺つたところでは、そのダイヤモンドの中に相当大粒のものがあつたはずであります。それが、あなたのお話では、まるで小さいこなごなという話ですが、日本でも相当珍しいダイヤモンドが中に入つてつたはずなんです。それが御記憶がないというのは、私はおかしいと思うんです。この一点なんです。つまり、袋の中に入つておりましたことはよくわかります。封筒の中に入れたこともよくわかるのです。あなたの今のお話は、接収された当時の状況と、そのままぴつた行つておるのです。ただ、残念ながら、その内容において少々違う。ダイヤモンドには相当大きいものがあつたはずです。大金さんの見た目でも、議員記章くらいの大きさ、すなわち十八カラツトになんなんとするようなダイヤモンドを見たと言う。しかも黄な色のものを見たということを、現実に出した本人が言つておられるのに、あなたは今、見られたダイヤ状況は、工業用ダイヤつたろうとか、あるいはこなごなのダイヤで大したものはなかつたろうというふうに簡単に片づけられますけれども、ことほどさように簡単なものではないのであります。それから、白金の問題などでも、私の調査の資料とは食い違いがありまするが、私がここで一点ふしぎに思えてしかたがないのは、献上でないということになりますならば、どう言つたつて、この品物をば預かり品と仮定をいたします。預かるといたしましても、筧さん一存では預かれるわけはないのです。あるいはその上にいる人とか、次官まで行くには、相当段階を経て行かなければならぬはずです。ところが、大金次官や森さんの証言を聞きますと、すでに宮内省総務課と緊密な連絡の上で持つてつたというのですから、総務課の方にははつきりした確証がなければならぬ。たびたび申し上げるようですけれども、私は近ごろ宮内省内容を調べてみて驚いていることなんですが、皇室のいわゆる民主化されようとする努力を、ややもすると、宮内省の職員が、封建的な性格そのままに、これをさえぎる傾向が多いのです。たとえば大金さんだつてそうなんです。宮内大臣には何らの進達もせず、自分一存をもつてそのような多数のものを一年間もほつたらかして忘れておつたということは、陛下の側近にはべる人としては決して正しい行動ではないと考えられる。一体、宮城というのは、あなた方の長屋じやないんですからね。いやしくも国家の象徴であるとこつの天皇のお住居なんです。側近にはべる人は、そのような気持の上に立つて行動をされなければならぬのですかり、一つのものをお預かりするのに、それをただ単に持つて来たから置いておこうか、倉の中の金庫にでも入れておこうかというような簡単なものではなかろうと思うのです。あなたが首席属官でいらつしやれば、筧さんは、大体お父さん以来の人ですから、そう独断でやる人ではありませんから、何か御相談があつただろうと思います。陸軍の方では、すでに十分な連絡があつたものと考えて、上官の命令で持つて行つたので、私は何も知らぬ、こう言うのです。ですから、そこに何かあなたの察しられる、ぴんと来るものがなければならぬと思うのです。そういう当時の感想でけつこうです。それは、もつとも八年も前の当時のことですから、正確に記憶を呼びもどすということは議かもしれませんが、われわれの苦心も察しられて、当時の状況において、陸軍省から宮内省にどういうような連絡があつたのか、あるいは筧さんがそういうふうな事前に話があつたように見えたかどうか、――ただ突然に持つて来たのじやなかろうと思うのですが、こういう点について、ひとつ御説明を願いたいと思います。
  41. 佐野惠作

    佐野証人 お答えいたします。非常に宮内省の痛いところをつかれたと申しますか、私どもも、そう言われて、日内省の過去の職員の一員といたしまして、はなはだ慚愧にたえない次第で申訳なく思つておるところでございます。私は、今お話申し上げました通り、宣誓書に従いまして述べておるのでありまして、決して粉飾もいたしませず、またなるべく正確なことを申し上げ、饒舌にわたつて、そうしてこれの枝葉の方にわたつて、せつかくのお調べも本流に沿わないことがあつてはいかぬということから、私自身といたしまして、なるべくお問いに沿うような返事を申し上げたわけでありまして、その点、あるいは中野委員には不十分な説明というふうにお聞き取りになつたのかもしれませんが、決して故意にそういうことを隠し立てをしたり、あるいは言葉少なにして、ほかにまぎらせるというような邪心は決してありませんということを、誓つてここに私は中野委員に申し上げます。今お問いになりましたことは、いろいろこんがらかつておりますが、私は、ちよつとメモいたしました点についてお答えを申し上げます。事前連絡のことでございますが、それは、私の想像するところでございますが、ああいうものを持ち運ぶに、黙つて運ぶこともないということは、それは常識上考えられることで、多分筧さんと電話くらいで前もつて連絡はあつたのじやないかと想像いたします。これは、別に私知つたことではありませんので、はつきり連絡したとかしないということは申しかねるのでありますが、ただ、常識的に考えまして、いきなり持ち運ぶということも考えられませんので、多分電話でも連絡を申し上げたのではなかろうか、――もう一つは、あるいは電話連絡がなくても、その時分の軍部といたしましては、非常に幅をきかした時代でございますから、軍服を着ておれば、門鑑を持つていなくても通すのであります。普通の者ならば門鑑を持たないと通さないのでございますが、軍人だと、軍服ということで証明されまして、無断で門衛が通したのでございます。あるいは急に持ち込んだのかもわかりませんが、その辺の事情は、私、はつきりいたしませんが、とにかく、私は、それに責任を持つてお答えすることができないのは、はなはだ遺憾といたします。  それから、白金があつたかどうかということは、白金は確かにあつたと思うのでございます。それもダイヤモンドとまぜてあつたように記憶いたしております。白金白金ダイヤダイヤというふうに区分してなかつたように記憶いたしております。  それから、大きさの問題でございますが、大きさは、もつと大きかつたのじやないかというようなお話がございましたが、これは、私は、多分あれは午前中だと記憶いたしておりますが、その間二時間くらいかかつたのじやないかと思います。その間に、便所へ行つたり、それから総務課の方に用事もありましたりして、時々席をはずしたのであります。二時間ぶつ通しで私がそばについていたというわけではございません。でありますから、そのはかつたうちに、あるいは大きいのがあつたかもしれません。ただ、私の時々寸断的に見た感想あるいは実際的のお話を申し上げたにすぎませんので、私の見ない間に、あるいはダイヤの存外大きいものが現われたかもわかりません。その点は御了承を願いたいと思うのでございます。  それから、総務課と連絡はということでございますが、私は総務課にはその当時直属していたわけではございません。当時宮内省の大膳課長を私は勤めておつた。大膳課長が本職で、総務課兼務でありました。それで、大膳課に主として行つてつて、時々総務課の方に、おもに社会事業の面で連絡に行つていたようなわけでございまして、そのときにつかまつたわけでございます。その点で、私にはあるいは一々その連絡がなかつたのかもしれないのでございます。ずつと総務課に専属しておるということであれば、あるいは筧さんも私にお話になつたかもしれませんが、私は、その前後は何も聞いておりません。それは筧さん自身にお聞きくだされば明瞭になると思います。
  42. 中野四郎

    中野委員 そのかんじんな筧さんが病気で出て来ないし、金庫のかぎを預かつた人が死んでしまつたし、どこに尋ねたらいいやら見当がつかないものですから、あなたにおいでを願つたわけですが、どうも、こういう問題を調べて行きますと、大分死んだ人におちついてしまつたりするような傾向が強いのです。  そこで、もう二点伺いたいのですが、とにかく、現実に筧さんとあなたが預けるときに見られたのですから、大金次官の手元に一年間あつたのですが、その間に、大金次官から、何かこれについてどうかしようと思うがどうかという相談があつたか、あるいは、あなたの方から次官に、あの品物はどうなりましたでしようかということを聞いたことがあるか、これが一つです。  それから、もう一つは、海軍の者が陸軍と前後して包みを持つて来たはずでありますが、その包みについては、あなたは関知しておられるかどうか、この二つの点を伺いたい。
  43. 佐野惠作

    佐野証人 二点についてお答え申し上げます。ただいま大金さんから何か連絡があつたかということでございますが、私は大金さんとは、ダイヤモンドについては今日に至るまで一ぺんも話したことはございません。それは、筧さんと大金さんとお話になつたか、――あとで承ると、大金さんの部屋にあつたとかどうとかいいますけれども、私は、そのことについては、まつたく大金さんからもお話がございませんし、私からも、そのダイヤモンドについて大金さんに対して別に申し上げることもありませんので、申し上げませんでした。そのことが今日こういうような重大な事件なつて来ると察知したならば、あるいは茶話にでも、どうなりましたかということを聞くのが常識だとあなたはお思いなさるでしようけれども……。
  44. 中野四郎

    中野委員 筧さんとも話したことはありませんか。
  45. 佐野惠作

    佐野証人 ございませんです。まだ病気見舞に行つておりませんので、きようでも帰りにちよつと寄つて、お見舞かたがたお話しておかなければならぬかと思つておるような次第でございます。この話については、まだ大金さんとも筧さんとも一ぺんもお話しておりません。そういうことで、ひとつ御了承願います。  それから、もう一つは、海軍の方でございますが、これも私は何も存じません。ただ、私が知つていたのは、今の陸軍の方の寸時の立会いということだけでございます。
  46. 中野四郎

    中野委員 ふろしきは、うこんですか、何か色のついたふろしきですか。
  47. 佐野惠作

    佐野証人 そうですね。こんなふうな薄い色のものです。はつきりしませんが……。
  48. 中野四郎

    中野委員 それがはつきりしていないと困るのですがね。どうも食い違いがあるのです。大体、ふろしきの色が違う、包みが違う、目方が根本的に違うのです。だから、この点明確にしておいていただきたいのです。あなたは、ふろしきについてどういう記憶があるかということも、もう一ぺん伺いたい。それから、目方について、もう一ぺんはつきりしておいていただきたい。この二点だけ伺つておいて、私はやめます。
  49. 佐野惠作

    佐野証人 まことに、繰返して相済まぬことでございますが、どうも、ふろしきの色はどうであつたかというふうなことを言われましても、それが今日のように問題になつて来るとわかつておれば記憶にとどめておいたのですが、封筒とか、そのダイヤモンドの中身の方にはよく気を配つたのですが、いれもののふろしきの方はどういう色であつたかということは、はつきりは覚えていませんですが……。大体、何という色ですか、こういうふうな薄い緑色のような一とにかく、はででなかつた。紫とか赤とかいうものではございません。
  50. 中野四郎

    中野委員 白とか……。
  51. 佐野惠作

    佐野証人 白ではございません。そうしたはつきりしたものではございませんということと、もう一つは、先ほど申しましたように、あまり新しいふろしきではなかつた。きつと、あれは、軍部で何か荷物を運搬するようなときにお用いになるような、常用の使い古したふろしきであろうという、この二点だけは申し上げられますが、そのあとは、遺憾ながら記憶にないのであります。  それから、目方であります。先ほども申しましたように、どうも、何貫目とか何匁とかいう記憶は、私にはないのでありまして、はなはだ申訳ないと思います。申訳ないと思いますが、まつた記憶を失つておりますので、ただ一つふろしきにとりまとめて筧さんが右手か左手にぶら下げて行つたところを見ますと、それはおそらく一貫目などにはならない、一貫目以内である、それも、ふろしき目方封筒目方、そういういろいろなものを全部入れた目方の私のおよその目安でありますが、まあ一貫目にはならないだろうというように考えられます。
  52. 中野四郎

    中野委員 あなたは持つてみたのじやありませんか。
  53. 佐野惠作

    佐野証人 持ちません。
  54. 中野四郎

    中野委員 そうすると、今このいすを持つてみて、こんなにありませんということが言えるのですか。
  55. 佐野惠作

    佐野証人 ダイヤモンドがあれくらいの量ならばそれくらいの目方があつただろうという大体の推量でありまして、決して、今その腰かけを持ち上げて、これで云々と比較するようなはつきりした意味で申し上げたのではございません。その点を御了承願いたいと思います。
  56. 吉武恵市

    吉武委員長 ほかに御発言はありませんか。――小林委員。
  57. 小林進

    小林(進)委員 少し承りたいと思うのですが、私は、その筧課長のお部屋でお会になつた当時の模様をいま少し詳しく伺いたいと思うのです。まん中に軍人が腰かけておつて、その前に机があつて、そこに包み二つつた、その二つ包み一つをほぐして目方をはかつたというのでありますが、一体だれがそれをはかる作業をやつたか。それから、あなたがお入りなつ行つて、その腰かけておる軍人と名刺の交換とか、名前を名乗るとかような一般的な行動を一体おやりになつたかどうか。第三には、大体二時間くらいの仕事をおやりになつておるのでありますから、その間しばしば部屋を出られたということも十分わかるのでありますが、筧さんとあなたと、それから軍人が二人でありますから、四人おるわけでありますが、この四人の間にかわされた会話などの内容について、もし御記憶があるならば、ひとつお聞かせを願いたい。それから第四に特にお聞きしたいことは、森という軍人についてでありますが、この前にもここへ来て証言をしていただいて、大分長い問いろいろお話を聞いたのでありますが、実は、率直に申し上げまして、いよいよ疑惑が深まつて来る。どうも行動に不可解な点が多いのであります。そういうことからお伺いしたいのでありますが、その二時間おつた間に、森さんという軍人の態度挙動について、あなたに何か不審を思わせるようなところがなかつたかどうかということから順次お聞きしたいと思います。
  58. 佐野惠作

    佐野証人 小林委員にお答えいたします。当時の模様にて、名刺の交換とか、二時間おつたその間の会話、それから森さんの態度というようなことにつて、初めからお答え申し上げます。当時の模様をもう少し詳しくということでございますが、総務課長の席は、奥の方で、窓側にありました。課長席の右側に四、五尺離れて応接用のテーブルがあるわけであります。丸テーブルであります。それに、いつもいすを四、五脚置きまして、そこが課長の応接所兼課長室ということになつておるのであります。そこで、私が入つてつたときは、森さんはその一ついすの上に腰かけておりました。筧さんは御自分の課長のお席から立つておられたような記憶があります。それで、見ましたところが、包み二つ並んでおりました、そこで、森さんということはあとでわかつたのでありますが、森さんが自分ふろしきをお解きになつて、自分ではかつて目方を書き込んでおつたようなことで、ほとんど私どもには手を触れさせないのであります。それが済みますと、自分一つふろしきにかためまして、それを包んで、そして筧さんに渡されたというわけなのであります。当時の模様は大体そんな程度でございました。そんなことで、従つて、名刺の交換は私はいたしません。それは、総務課長が責任者でございますから、課長ともう話をしたあとでありますから、当時もう課長は用談が済んで、名刺は交換されたと思います。私は、その交換後に、ちよつと来いというわけで呼び込まれたにすぎないので、名刺交換はいたしません。森さんという名前はあとで承つたのであります。  それから、第三点の二時間にわたる会話ですが、森さんという人はなかなか熱心な人と見えまして、そのはかりとダイヤモンドから目を離さないで、ほとんど品をききません。終始一貫黙々としてはかつておりました。暑いとか寒いということは、もちろん夏ですから寒くはなかつたでしようが、そんなことは一言も話はいたしません。森さんの態度でございますが、どうも、当時はもう、軍人はりつぱな方々がなつておりましたものですから、一点の疑念もさしはさまず、りつぱな軍人と考えておりましたので、その点に関しては何ら申し上げることはございません。大体以上でございます。
  59. 小林進

    小林(進)委員 そういたしますと、その席に四人いたことになるのでありますが、結局作業されたのは終始一貫森少佐がやつたので、他の三人は全然その包みには手を触れない、こういうことに解釈してよろしいのかどうか、いま一人の軍人も全然作業しなかつたのかどうか、それが一点であります。第二点として、一体どういうはかりではかられたか、そのはかりの構造を、知られる範囲でひとつ正確に承りたい。第三番目は、何かその目方の数字をそこで品にするなり、課長さんに受取りを出されたというのでありますが、そういう数字に対する御記憶があるかどうか、以上三点についてお聞したい。
  60. 佐野惠作

    佐野証人 今の三点についてお答え申し上げます。  一番最初の手を触れないということでありますが、もう一人の人は、私の見たところでは、作業に関知しないことはないでしよう。目方をメモしておりましたから、ダイヤモンドに触れたかどうはわかりませんが、総体的に見れば、関知して共同作業だということが、その点については言えると思います。筧さんも私も、その点については全然、はかり終るまでは手をつけておりません。あるいは筧さんは、私のおらない間ぐらいはしたかもしれません。ずつとついておれば詳細わかるのですが、ずつとついておりません。筧さんもちよいく用があつて部屋を出一られたこともあります。ずつと筧さんもそこにつき添つているというわけではありません。その点をひとつお答えいたします。  どういうはかりかということでありますが、これは、はつきり覚えております。まるいさらのついた、手盛りの、目方は分銅を寄せます、よく薬種商で使いますああいうものです。両方の親指と人さし指で囲つたくらいの大きさのさらが一方にある。綱を持つてはかるのです。ですから、その目方は分銅を寄せて目盛りを見ますから、相当時間がかかるわけです。一袋ずつはかるのに、寄せて一生懸命やつているわけですから、時間もかかるわけです。今のような、上に載つけるというのなら、すぐ目方が出るのですが、一つ一つ手ばかりでやつているのですから……。  それから、数字に対する記憶があるかないかというお尋ねでありますが、先ほど中野さんからもお尋ねがありまして、まことに申訳ないのですが、今言う通り、自分も手に触れませんので、概略の数字を申し上げただけで、私の記憶をたどつて、およそこれくらいではないかということを申し上げたのでありまして、その点が参考になりませんので、はなはだ申訳なく申つておりますが、それ以上のことは、私としてはお答えできないのであります。
  61. 北山愛郎

    ○北山委員 ちよお尋ねいたしますが、ちよつと私が変だと思いますのは、よそからの来客が、総務課のところにも通じないで、直接課長のところに参つたということですね。課長さんのところにお客があつた場合に、総務課の方ではわからぬような状態なつているのですか。そういうかつこうになつているのですか。森さんは初めて来られたのでしようが、森さんが課長の部屋を当然わかつているというふうに考えられないのではないか。そうすると、だれかが課長さんのところに案内したのではないかと思うのですが、案内したとすれば、だれが案内したのですか。
  62. 佐野惠作

    佐野証人 初めの点がはつきりいたしませんので、はなはだ失礼でありますが、もう一回言つていただきたいと思います。あとの問題は、課長の案内の問題ですか。
  63. 北山愛郎

    ○北山委員 みな関連があるわけです。普通、宮内省は役所ですから、課長のところにずかずか行くということはちよつと変ではないか。それでも、課長としよつちゆう会つている人ならば、これは格別ですが、初めて来たような人が、総務課の方にも通じないで、あるいは受付とか、そういうところを通じないで、課長の部屋に突然おつたということをあなたの方で発見したというような先ほどの御説明でしたから、ちよつと変ではないかと思うのです。
  64. 佐野惠作

    佐野証人 それはごもつともな御質問だと思いますが、宮内省には、玄関に受付係どいうものがあります。一旦門を通りますと、受付へさしかかるわけです。授受員というものがありまして、それが、たとえば主計課長部屋とか、あるいは次官部屋とか、秘書官の部屋とか、総務課部屋とか、おのおの案内することになつております。多分、そのときにも授受員が、課長の部屋に、総務課長に面会だということで案内したのではないかと思つておりますが、私は、ただ実際にテーブルの上に置かれた瞬間から入つたものですから、その前後の様子も知りませんが、おそらくそういつたような径路をたどつたものではないかと想像されます。
  65. 中野四郎

    中野委員 つき添つてつた人ですね、階級章をつけておるはずでありますから、すぐわかりますが、森君が少佐だということはすぐわかりましたか。つき添つておる人の階級は一体何ですか。名前にわからぬまでも、階級はすぐわかるはずです。
  66. 佐野惠作

    佐野証人 どうも、はなはだ申訳がないので、あなたに頭を下げなければならぬと思うのです。どうも、そういうようなことには、私、はなはだむとんちやくでございまして、私自身はことさらにこのことを糊塗するという意味では毛頭でございませんが、そういうようなことには、しかくうかつな男でございます。従つて、森さんが少佐だということを今初めて実は――前に森さんということは知つていたのですが、先ほどから少佐だ少佐だとおつしやいますから、少佐かなと思つておるので、はなはだ面目ないことを申し上げて、自分の恥をかくようでありますが、そんなことで、まつた記憶ございません。お許しを願いたいと思います。
  67. 中野四郎

    中野委員 兵隊を見れば、だれでも第一番に顔を見る。その次は肩章を見る。これは常識です。まあ、必ずしもあなたばかりでなく、だれしも、これは一般の人情のしかるしむるところですが、覚えがないとおつしやれば、やむを得ませんです。  今、当時のお話を聞いておりますと、宮内省には兵隊ならどんどん入れるというお話ですが、これはちよつと納得が行かないのです。というのは、坂下門から入るのでしようが、今は護衛官があそこに立つておりますが、昔は兵隊が立つておりました。従つて、これはなかなか簡単にはすつと入つて行かれない。特に、八月十四日の混乱状態の直後には、宮中の警備は非常にやかましくやつた従つて、どこの兵隊か、どこに所属する者かということが明確になるまでは、なかなか入れなかつたちようど八月の十四日から進駐軍が上陸いたしまして、あそこにMPが立つて、すつかりわかるまでは、兵隊といえども簡単に入れない状態であります。あなたは、軍服さえ着ておればどんどん入れるとおつしやるが、納得の行かぬ一つの点であります。これは大した問題ではありませんから、あえて申し上げません。  最後に一つつておきたいのですが、こういうことは言えるのではないですか。たとえば、終戦なつて、アメリカ軍が上陸して来る、そして何をやられるかわからぬというような気持はだれしも持つてつた。少しきりようのいい女房や娘を持つていた者は、野戦の元気なやつにめちやくちやにされては困るというので、みないなかに疎開させたというような笑えない事実がある。従つて、かりにあなたの想定そのままで行けば、これをこのまま置いておけば、本省なんかにどんどん向うが入つて来て、占領してしまう、その結果において貴金属などがどんどん持つて行かれてしまう、これはばかばかしい話だ、それから、陛下も今後の経済上の問題について非常に不安がある折からであるから――これを献上と言えば平素のように非常にやかましい手続をふまなければならぬから、献上という形でなく、預けるという形において、その後に適宜これを使つていただきたいという気持が多分にあつたのではないか。半分献上、半分預かるという以心伝心のうちにこれを宮内省に持つてつたものではなかろうかということは想像がつく。そのことは、国民感情からいえば、あるいは当時の国内状態からいえば想像にかたくないことでありまして、軍人のひとしく考えることでもあり、宮内省の方でも、そういう点においてはむずかしいことを言わず、預かつてくれと言うなら預かつておこう、そのうち適宜な方法で適宜に使つてよろしいということを了承の上においておつたのではなかろうかと推察ができるのです。というのは、あなたの方で扱われたその経過から考えても、あるいは森少佐の持つてつた経過から考えても、しかも、宮内省の中に相当数量のいわゆるダイヤモンド、金、白金というようなものが一年間も無責任に放任されて、しかも石渡宮内大臣は全然これを承知しない、報告もしない、大金宮内次官限りにおいてこれを持つておるというようなことを考えますと、そういうふうに考えられるのですが、あなたは当時の現況から考えてみて、常識上どういうふうにお考えになるか、伺いたいのです。どうも、私らが考えてみると、宮城の中でダイヤモンド五個がなくなつたという問題は、これは各方面でとりまぎれたかもしれないということでも解釈がつくかもしれませんけれども、こればかりは、数量が相当多い、しかも高貴な品です。貴重な品である。これほどたくさんの品物ダイヤモンドと未処理の白金が、とにかくも宮内省に一年間隠されておつて、出すときに至つては、もはやこれが進駐軍によつて摘発のおそれありとして、出している。当時、あれほどたくさんのダイヤをどこへ持つてつたというので、持つてつた先がわからない、いや宮内省に置いてある、宮内省に一緒に行つて、あるところの現場を見せろということで、兵隊を連れて行つている。あなたがたが立ち会つて見せるからには、そう一等兵、二等兵ではない。相当これに当るからには少佐とか中佐とか、あるいは大尉というような相当な位階の連中であると思うので、今襟章を聞いたのでありますが、そこで、今のお話を当時の現況から見て献上半分、預かる半分という状態にあつたのではなかろうかということが思えるのですが、この点についてはどういうふうに考えられますか。
  68. 佐野惠作

    佐野証人 当時、門に入る場合の門番の問題について御説明を申し上げますが、あれは、どさくさまぎれで、はつきりしたことを覚えておりませんが、なるほど、今中野さんがおつしやるように、あれは間もなくMPが二人ばかり立つた。あのMPは、外人を専門に取扱つたのじやないか、――国内人は絶対に取扱わない。こちらの兵隊でも巡査でも普通の方でも、それは扱わない、MPは向うの見物人が宮城に入るというようなことで困るというので、向うさんが専門に向うさんを取締るために置いたものじやないかというように解釈するのですが、それは、ある意味においてはそういうことで立つているのかもしれませんが、そういうふうに大体聞いておりました。  それから、次に、軍人はすぐ通すという問題は、これは長い間の慣例でありまして、平素そういうふうに取扱つているものでありますから……。そこへさしかかりますと、今でもそうですが、ひどいのになると、どこの者で、なぜかと、内容まで聞いてでなければ通さないというひどいやり方をやつているが、軍人になると素通しであつたということは事実なのです。でありますから、ちよつと常識では考えられないことでありますけれども、そういうような実情にあつたということをお話を申し上げて、それから、さつきの襟章の問題でございますが、あれは、そう言われますと、兵卒じやございませんということは事実です。たしか、何か随員か、そういつたような、副官のような、そういうような人だつたかもしれないと思います。ちよつと話のついでに申し上げます。  それから、一年間も宮内省に置いておいたということは、初めて聞くのでありますが、私は、すでに持ち出して帰つたものじやないかと思つてつたのですが、実際これは、宮内省の人間でありながらそういうことを申し上げるのは、まことに面目次第もございませんのですが、一年間もほうつておいたということは、私としては合点が行かないのでありまして、どういうわけでそういうふうに置いたか、大金さんの御心境もさることながら、常識的にはちよつと変に考えざるを得ない。――立ち入つたお話で、はなはだ恐縮であります。  そこで、献上であるかどうかということにつきましては、これは想像の問題でございまして、さきほどからるる述べました通り御推察を願うよりしかたがないと思うのであります。私の見た目は、ほんとうの佐野個人の私的の考え方でございますが、とにかく、献上であれば、それは、さつき申し上げましたように、何らかの形を整えて、あるいは献上の目録でなくても、献上というように紙へでも書いて、どんな倉卒の場合であつても、一枚紙でも何でもいいが、ちよつと書いたくらいの、書式を整えないでも、まあそういうようにやるべきが至当じやないかというように考えるのでございますが、いきなりああして入つて目方をはかつたり、また受取りを、筧さんから名刺か何かで受取つたのではないかと思いますが、そういうような受取りを、献上ならばとる必要はないのじやないかというふうに考えるのであります。とにかく、こういつたような観念じやございませんでしようか。――アメリカから、どやどやつと入つて来る。この大事な国の宝でありますから、この宝をアメリカに持つて行かれては、これは事だということで、献上ともつかず、預かりともつかず、安全な場所に運ぶというようなことで宮内省を選んだのじやないでしようか。これは私の想像でありますが、こんなふうに考えられます。
  69. 中野四郎

    中野委員 先日来、宮内省の方々に、大金次官おいでを願つたり、いろいろしますと、宮内官の紊乱というものは、この国会で遺憾なく暴露されたと言つても、私は決して過言でないと思うのです。まことに恐れ多い話ですが、陛下は、終戦と同時に、この戦災による一般国民の苦しみを体せられて、宮中にあるすべてのお手元品まで全部を投げ出して、国民の復興のために使つてくれというお言葉を二度も言つておられるということを、大金次官も述べておられるのです。この大御心に反するような宮内官みずからの怠惰の結果、こういうような品物宮内省の中に一年間も放任された。これはまだ表面に現われたものでありますから、言いかえれば、これは氷山の一角であつて、もつともつと多数のこういうような事件があつたかもしれない。何でも預かつたかもしれないですね。そうして、この品物をめぐつて、いわゆる天皇の袞竜のそでに隠れて、常に自分自分のかつてな行動によつて私腹を肥やしておつたかもしれない、こういうことも、私は考えなければならぬと思うのです。しかしながら、私は、ここで佐野さんを責めようとは考えませんが一われわれの調査の過程においては、宮内省の紊乱が遺憾なく暴露されたと言う以外には道がない。それから、これはあなたの記憶を呼びもどす一端になるかどうか知りませんが、MPが二名、宮内省の坂下門に立つたとおつしやいますけども、それはずつと後のことであります。米軍が日本に上陸して、米軍が日本を占領するにあたつて、一番われわれ国民の頭の中に悩みの去らなかつたものは、この宮城のあたりをことごとくアメリカの兵隊によつて囲まれたことなんです。たとい日本の兵隊であろうと――その時分は荒つぽい時代ですから、まだ向うの見物人なんか来ません。あの時分に、MPが厳重なる警戒と申しますか、皇居を取囲んで、言いかえれば天皇はMPの占領下にある、こういうような感じまでわれわれは持つて、非常に慨嘆たえなかつたことを記憶しておる。その八月の二十三日に、いわゆる混乱のまつ最中に、陸軍少佐と他の一人の者がダイヤモンドをひつかついで来るのに、何のとがめも受けずに、すつと入つて総務課に持つて来て、預かつておいてくれといつて、ぽんと置いて行つて、よろしいということで、一年の間どこにあるか、そんなことは気もつかなかつたということであるが、大金次官個人の責任において、ほつぽり出しておくこともあり得ないと思うのです。それから、私がもう一つふしぎに思うことは、これはあなたに関係することじやないが、たとえば、あなたは先ほど、筧さんが内蔵寮金庫にでも入れておくかと言つたとおつしやつたけれども内蔵寮金庫は、二重になつて、廊下を隔てて、もう一つとびらがある。廊下には鉄のロッカーが右、左にあります。その鉄のロッカーに最初入れたはずであります。そのときには、たしか箱に入れておる。森少佐もこの点は認めておる。われわれの調査によつても箱に入れておる。ところが、大金次官は、さような箱を知らぬと言うのです。紙の袋に入つた品物をロッカーからひつぱり出して、自分の手箱のうしろにほうり込んでおいたと言つている。その中には歴代の宮内次官の書類が入つているか何か知らぬが、そこに入れておいたと言つておる。まことに私は迂遠千万だと思うのですよ。このことは、あなたには関係がありませんから、重ねては申しませんけれども、当時の状況等を総合いたしますと、あなたの考えているような簡単なものではありません。あの兵隊がぽんと持つて来て、総務課に置いて行けるような、そんなものではありません。当時は八月の十四日のあの混乱のその月ですから、日本の軍隊が解散される以前においては、ここの警備というものは非常な警備力であつたと思う。米軍が上陸すると、先ほど申し上げましたように、MPの警戒厳重をきわめたところである。もう警戒じやない。まさにわれわれは宮城をあの人たちによつて取囲まれているというような感じを受けたのです。東京に長く住んで、毎日宮城の前を通るわれわれなんですから、もう忘れることのできないように脳裏にきざみ込まれておる。あなたのように、簡単な考え方で簡単に答弁しておられることは、どうも私は、当時の宮内官というようなものは、よほどだらしがなくて、めちやめちやをやつてつたんじやないかと思うのです。陛下といえば、とにかくわれわれが恐れをなす。そのかしこみ敬う気持の上に隠れて、宮内官が思う存分かつてなふるまいをしたと、こう申し上げても決して過言ではないという気がするのです。私は、これ以上のことをあえてあなたに申し上げはいたしませんが、きよう筧さんにお会いになりましても――おそらくいろいろなお打合せをなさるかもしれない。また、筧さんも御病気でいらつしやるなら、私はここへ無理に出頭しろとか、臨床尋問をしようというような、えげつないことはいたしませんかわりには、筧さんにあなたがお会いになつて――正式に委員長からも要求いたしまして書類を出しますけれども、そういう場合においては、当時の状況のありのままについて、委員会の審理が進みやすいように御協力を願うように、おことずけを願いたいと思うのです。これで終ります。
  70. 吉武恵市

    吉武委員長 ほかに御発言はありませんか。
  71. 小林進

    小林(進)委員 私も最後に一問だけお伺いしたいと思うのでありますが、佐野さんは、私どもも著書を通じて若干お知合い申し上げておる。「宮中を語る」という御本もお出しになりまして、非常に皇室観念の強い人であります。ですから、人格並びにその過去の経歴その他につきましては、私どもも非常に崇敬をいたしておりますので、佐野さん個人に対しては、私どもはいささかの疑惑の点も持つておるものでにないのであります。そういう人格者でありますから、願わくは、佐野さんを通じて、ダイヤの行方に対する真相を少しでもつかみたい、ほんとうのお話を承りたいということで、実は証人おいでを願つたのでありますが、おそらく、今まで一時間有余にわたつてお述べになつたお話は、これことごとく真実であると私は信じて疑わないのであります。おそらく、お知りにならないことは、お言葉の通り、お知りにならないのでございましよう。ただ、最後に私のお聞きいたしたいことは、ともかく持ち運ばれて行つたダイヤモンド包みは、現に運んで行つた森少佐みずからの証言から見ましても、そういう小さな包みではなかつたのであります。非常に大きな包みつた。それが、あなたのごらんになつたときには、もはや片手で軽くぶらさげられるような包みにかわつていたのであります。その間一週間と期間がないのであります。二十三日で、あなたがおはかりになつたのが二十九日でありますから、ざつと一週間であります。その一週間の間にそれだけ内容がかわつているのであります。それから、そのほかにも、せつかく皇后陛下が国民のためにお出しくださつたダイヤまでも、宮中の中でなくなつている。これは今の御証言を願う問題とは別でありますが、以上二つの宮中内部におけるダイヤの紛失事件を考え合せまして、だれが一体これをとつたか。これはほんとうに私は尊敬するあなたからお聞きしたいのです。一体宮中で陛下の側近者で、このようにダイヤを私するような者があるとあなたはお考えになつておるか、やはり外部から侵入して行つて終戦のどさくさまぎれに非常に悪いことをしたと巷間で言われている職業軍人の連中が、宮中を舞台にして、そのダイヤを悪いことをしたのか、この二つの問題であります。これについて、あなたの御意見があれば承つておきたいと思うのであります。
  72. 佐野惠作

    佐野証人 小林委員のただいまの質問は、ほんとうに聞きたいところであつて、かつ一番の急所であると思います。その急所に答えられないことは、はなはだ遺憾であります。さりとて、ここで宮内官の弁護をしてみたところが始まらないわけでございますけれども宮内省の官吏というものはまつたく今中野委員が述べられたように、一面だらしのない、ル―ズな点はございます。しかしながら、私が二十八年間宮内省に勤めました関係から類推したしまして、側近の宮内官には、そういうような、ダイヤをごまかすとか、あるいは白金をどうとかするとかいうような方は、私は絶体にないということを信じて疑わないわけでございます。しからば、なくなつたのはふしぎじやないかというお尋ねにかわるのでございますが、その点については、私は、どういうわけであろうかということを、今非常に疑念を持つておるわけであります。私といたしましても、この問題につきましては、なお今後、証人に立つたあとでも、できる限り個人として調べてみたい、そんな考えを持つております。ただいまのところ、そういう答弁しかできないことを、はなはだ遺憾に存じております。御了承を願いたいと思います。
  73. 北山愛郎

    ○北山委員 簡単なことですが、先ほど証人は、おそらくこれを宮内省に持つて来たというのは、進駐軍に没収されては困るから、隠すために持つて来たのだろう、こう判断するというようなお話がありましたが、そうしますと、あなたのところの元の筧課長は、あなたに立ち会せて、そのあとで課長が何とか言いましたでしようか。たとえば、この立会い検査は秘密にしてくれとか、そういうふうな何か御指示がなかつたでしようか。何かそのものについての説明がなかつたでしようか。
  74. 佐野惠作

    佐野証人 私は、そのときの情勢で考えますと、これは、別に秘密を守つてくれとかなんとかいうことは、口外には出さなくても、お互いの胸のうちには、これはとつさの場合であつて、さだめし軍も困つておるだろう、だからここに運んでおけば大丈夫だろう、それでここに持つて来たんだな、ということは、暗黙のうちに筧さんも了承しているだろうと思いますが、別に秘密事項であつたとかなんとかいうことは、筧さんの品からお聞きいたしませんでした。
  75. 吉武恵市

    吉武委員長 ほかに御発言ございませんか。――他に御発言がなければ、佐野証人に対する尋問はこれにて終了いたします。証人には御苦労さまでした。  午後は一時半より再開することとし、暫時休憩いたします。     午後零時十三分休憩     ―――――――――――――     午後二時二十五分開議
  76. 吉武恵市

    吉武委員長 休憩前に引続き会議を開きます。  ただちに証人より証言を求めることにいたします。   ただいまお見えになつておる方は加島平吉さんですね。
  77. 加島平吉

    ○加島証人 そうです。
  78. 吉武恵市

    吉武委員長 この際証人に申し上げますが、戦時中多数国民諸君より供出せられましたダイヤモンド、金、白金等が、平和条約発効ど同時に接収解除になりまして、現在日本銀行地下金庫に収納され、大蔵省によつて保管されておるのであります。このダイヤモンドの収納、保管の経過、処理の方法等につきましては、世上大いに疑惑を持ち、関心を抱いている向きもありまするので、これが真相を明らかにすることはきわめて意義のあることと考え、本委員会本件調査を進めて参つた次第であります。証人におかれましては率直なる証言をお願いいたしておきます。  それでは、これより接収解除貴金属及びダイヤモンド関係事件について証言を求めることになりますが、証言を求める前に証人に一言申し上げます。昭和二十六年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことと相なつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が、証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者、及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者が、その職務上知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上七年目下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知なつておいていただきたいと思います。  では、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓書を御朗読してください。     〔証人加島平吉君朗読〕     宣誓参書  良心に従つて、真実を述べ、何事もかくさず、また何事もつけ加えないことを誓います。
  79. 吉武恵市

    吉武委員長 それでは、宣誓書署名捺印を願います。     〔証人宣誓書署名捺印
  80. 吉武恵市

    吉武委員長 これより証言を求めることになりますが、証言証言を求められた範囲を越えないこと、また御発言の際には、その都度委員長の許可を得てなされるようお願いいたします。なお、こちらから質問をしておるときはおかけになつていてよろしゆうございますが、お答えの際は御起立を願います。  それでは、お尋ねをいたします。第一に、証人の略歴をお述べを願いたい。
  81. 加島平吉

    ○加島証人 といいますと、小学校時代から……。
  82. 吉武恵市

    吉武委員長 学歴は最終からでけつこうです。それに職歴。
  83. 加島平吉

    ○加島証人 最終は、安田保善商業学校を二年で退学いたしまして、それで、家庭の事情上、深川の今井商店という木材業に業務見習いに参りました。それから二年修業いたしまして、都合上実家の方へ帰りまして、実家で約三年、昭和九年の年まで実家の業務をやつておりましたが、現在の加島へ、親戚同士でありますが、そこへ求められまして、養子という形におきまして、現在神田材木町八番地の住所にあります加島の家へ参りました。それから、私は、二十四歳の年ですか結婚と同時に入籍いたしまして、現在に至つています。
  84. 吉武恵市

    吉武委員長 今の事業の内容は、どういう事業……。
  85. 加島平吉

    ○加島証人 事業は木材業であります。
  86. 吉武恵市

    吉武委員長 それから、次にお尋ねをいたしますが、証人は、終戦当時海軍技術研究所とどういう関係にあられたか、また技術研究所以外の海軍関係の官庁に交渉があつたかどうか、その点をお述べ願いたい。
  87. 加島平吉

    ○加島証人 海軍技術研究所は、先代からずつと出入り商人として出入りしておりまして、日露戦争以前からの、当時赤羽工廠と言つた時代から、ずつと出入りをさしていただいております。それから終戦に至るまでに、木材の統制までは、出入り商人として木材を納入しておりましたが、木材の統制がありまして、結局家業を廃業いたしまして、その後に、海軍技術研究所の都合上、私が木材の管理並びに集荷と同時に製材について、各指令に基いて、各メーカーにその木材の友払いの代行業務をやつておりました。それから、木材が統制になりまして以後、株式会社三平興業という名目におきまして、木工業の会社を設立いたしまして、その方では横須賀の海軍工廠の方に納入しておりました。それで終戦に至つたわけであります。
  88. 吉武恵市

    吉武委員長 次に、終戦直後海軍技術研究所に保管していたダイヤモンドその他のものを栃木県那須にある証人の別荘に疎開されたようでありますが、その経緯についてお述べを願います。
  89. 加島平吉

    ○加島証人 終戦の年の八月十六日と思いましたが、終戦を知るとともに、海軍の方へ、いろいろな始末の都合上出かけて参りました。そのときに、ほかの海軍にありました物資を、これを払下げ――当時はくれると言つておりましたが、あとで代金を回収になりまして、それがトラックに約一台ばかりのもので、綿布類、地下たび、そのような類のものを、軽くトラックに一合だけもらいまして、そのときにからみまして、当時ダイヤモンド並びに貴金属関係を、米軍が入つて来ると同時に没収されるという海軍の見解のもとに、これをいたずらに没収されることをおそれるという意味で、保管の任を受けまして、それで海軍からトラックを一台もらいまして、そのトラックに積んで那須の別荘の方へ運んで、そうして保管したのであります。
  90. 吉武恵市

    吉武委員長 それでは、次に、そのダイヤモンドなどは、証人の別荘においてどういうふうにして保管をされましたか。また、海軍から保管についてどういう指示を受けておりましたか。
  91. 加島平吉

    ○加島証人 海軍からの指示と申しますと、特にこれという指示はございませんが、一応厳然とした保管を依頼されましたのと、追つてしかるべく海軍から指示のあるまで完全に保管をしておいてもらいたいと、こういう趣旨のもとに預かつて参りました。当時、那須の手前に黒磯という駅、これは町ですが、そこに私ども工場がありましたものですから、十六日か十七日か、忘れましたが、黒磯の自宅の方へ一旦とめまして、その工場で箱をつくりまして、一切合財をそれに入れまして、那須の別荘の方へ運びました。そうして地下へ埋めて保管しておきました。
  92. 吉武恵市

    吉武委員長 それから、そのダイヤモンド保管中に、その一部を取出して、東京ダイヤモンド工具製作所等に譲渡したよう百でありますが、その事情についてお尋ねいたします。
  93. 加島平吉

    ○加島証人 それは、途中で、――日にちは、もう過去になつて、忘れておりますが、多分九月の月と思つておりますが、日本ダイヤでしたか、日本ダイヤと東京ダイヤじやなかつたかと思うのですが、川崎さんが見えられまして、ダイヤモンドの一部を、箱をあけまして、そのうちから必要のものをお持ちになつて行つたわけです。そのダイヤモンドは、穴の明いたダイス、そのもののようであつた記憶しております。それを出しまして、そのまま箱へしまいまして、それで元へ納めておいたように記憶しております。
  94. 吉武恵市

    吉武委員長 それから、二十年十月ごろ、連合軍が那須に来て、今のダイヤなどを接収したようですが、その事情を……。
  95. 加島平吉

    ○加島証人 これは、全然私ども何らの関知もせずに、当時の日にちはおわかりだと思いますが、夕景、黒磯の方へ神上園中佐、川崎さん、西澤工長、この三人で案内して見えました。それで、その晩に、いきなり来ると同時に、那須へ上りまして、夜、庭の先なのですが、まつ暗の中で、ろうそくをつけまして、それで掘り出したものであります。その見張りに当時来ましたのは、装申車一台、それからトラック、ジープ、この三台で参つたわけであります。武装兵が全部で約十何名くらいいたかと思うのですが。そのまわりを、全部実包を詰めまして、それで備えながら掘り出したことをよく記憶しております。
  96. 吉武恵市

    吉武委員長 一応お尋ねをしておきましたが、委員の方で御質問なりお尋ねがあれば……。
  97. 中野四郎

    中野委員 米軍により接収されたダイヤモンド内容なのですが、あなたがただいま委員長の質問によつてお答えになつたところを聞きますと、先代から技術研究所に出入りをしておられる関係上、あなたのうちへ疎開するということになつたのですが、一体どういう意味であなたの家へ持つて行かなければならなかつたものですか。ただいまの御説明を聞いておりますと、ただ米軍が上陸をして、その後においてすつかり持つて行かれるおそれがあるからというので持つてつたんでしようが、それなら、もつと完全な隠す方法が多々あつたと思います。特に出入り商人のあなたのところへ持つて行かねばならなかつた理由はなかつたと思うのだが、その当時の経緯はどういうふうであつたか。それから、ダイヤモンドをば海軍のトラックで持つて行かれるについては、ダイヤであるということが確認されていなければならぬ。それから、ダイヤ内容について相当詳細に知つておられるはずであります。これについて御説明を願いたいと思います。後ほど個々の問題について大分あなたには伺わなければならぬ点がありますが、まず順序を追つてつて行くことにいたします。
  98. 加島平吉

    ○加島証人 今のお尋ねによりますと、これは、今の現状におきましては非常に奇異に値するものと考えられますが、当時は終戦混乱時であり、この当時は、皆さん多分御存じのことと思いますが、特に軍部の状態というものは、ふだんと全然様子がかわりまして、あの状態は、おそらくどなたも――現在でごらんにならないで、一応は当時の状態を考えていただきたいと思つております。それと同時に、もつと完全な保管方法があるというお話ももつとも思いますが、これは海軍のとつた処置でありまして、同時に、私もそれだけの十分なる信用をいただける人間として、見込まれて保管を依頼されました。同時に、私もそれだけの十分な自信を持つて、それだけの信用に値する人間であるという確信のもとにそれを保管したわけであります。また、当時のものにはリストもあつたわけであります。あの当時のあの混乱時には、私どもへ預かつたことが一番適宜であつたような気もいたしております。現在になつては、私にとつて迷惑なことにはなつておりますけれども……。
  99. 中野四郎

    中野委員 内容は……。
  100. 加島平吉

    ○加島証人 内容は、ダイヤモンドと、それから白金、その程参度です。私どもには専門的な知識がありませんから、どのくらいの数のものであるかということは全然存じません。種類は、民間側から供用されたもの、同時にまた、買上げたもの、いろいろ混合していたように思つております。
  101. 中野四郎

    中野委員 私のお伺いしておるのは、結果において正しかつたか正しくなかつたかは別なんです。それから、あなたがおつしやる通り、今の一応安定した状態から当時のことをば割出そうなんということは考えていない。当然当時の状況のもとにわれわれは聞いておるのでありますから、そういう点の誤解のないように願いたい。そこで、あなたのところへ置くことがどうして安全であるかということを伺う理由を、まず申し上げないといけないが、当時航空機をつくるにいたしましても、あるいはあらゆる万般の面における態勢を確立する上において、兵器をつくるには、ダイヤ白金、金が必要であつたことは御承知の通りです。そうであればこそ、一般国民の貴重品であるダイヤを買い上げたんです。工業用ダイヤではとうていおつつかないから、一般国民の愛着心の強い装飾用ダイヤを買い上げたんです。しかるに、このダイヤの買い上げました総数量というものと、その後各方面に散逸いたしまして接収されました量との間に、たいへんな食い違いがあるのです。すなわち、終戦時における不正な軍人とか、あるいは不正な商人とか、ないしは不正な国民の一部が、そういう品物を、自分ががそういう職にあるのを機として、一面においては、ある一定の場所に疎開し、あるいはそのことを舞台の一つとして、自分がその間において利得をなすということは、たくさん例があります。委員会における調査の結果においても、これの証拠をあげるには枚挙にいとまがないほどあるのです。従つて、私の伺おうとする点は、あなたのところへ行つたのはほんの一小部分です。これは全部ではない。海軍の技術研究所の全部ならばけつこうですが、そうではないのです。そこで、あなたのところになぜ一部分を疎開することが妥当であつたかということがわからない。なるほど、黒磯というところへ行けば、空襲にもあわないでしようし、ああいうようなたいへん辺鄙なところへ行けば、隠すにはいい場所であつたかもしれないが、当然将来誤解を生みやすいところの出入り商人と結託し、これに預けたということが、私にはどうしてわからないのです。しかしながら、これは、ここで伺うよりも、筋を立てて伺つてつた方がいいと思うのだが、海軍技術研究所の保管しておつたダイヤモンドを疎開をするときに、直接あなたに依頼をした責任者はだれであるか、当時どういうような状況によつてこれを預かつてくれと言つたか、その当時の状況をつまびらかにしていただきたい。だれが頼んだか、どういう理由でこれを持つて行けと言つたか、内容はどういうものであるかということの話が当時あつたはずですから、これに対する御説明を願いたいと言うのです。
  102. 加島平吉

    ○加島証人 今のお話の大体のものは、私よりもむしろ海軍側の方にお間合せ願つた方がいいと思うのですが、これは、私の方から預かると言つたものでもなければ、結局海軍側の方でそういう話が出たものでありますから、その動機並びになした点は、海軍側からお聞きになつていただくことが一番当を得ておるのではないかと思います。これは、いわゆる私自体の所感としては述べられましても、どういうふうなつもりで海軍がなしたかということについては、自分としたは、ちよつとお答えできないと思うのです。  それから、責任者といいますのは、もちろん会計部長だと思います。
  103. 中野四郎

    中野委員 名前は何というのです。
  104. 加島平吉

    ○加島証人 当時は、内藤信利さん、それから青木大佐、それから一番の責任者としては神上園中佐じやないかと思いますが、末端の責任者として一番何しましたのは川崎さん、この四名の方の会議によることと解釈しております。
  105. 中野四郎

    中野委員 その当時、あなたのところに預けてくれと言つたときは、当然内容を示したはずだと思います。ただこの箱の中に入つたこれだけをお前のところに隠しておいてくれと言つたのではなく、内容がどういうものが入つておるか、当時ごらんになつたはずだと思うのです。内容を見ることなしに、何があるかわからないで、ただこれをこのままお前のところに持つて行つて隠せと言われたのか、あるいは、内容を示して、隠せと言われたか。それから、ただ暫定的にあなたのところに預かつておけと言われたか、これを相当長い間預かつておけと言われたか、あるいは受領証をあなたが出したか出さぬか、それを受取られたときに、そうしないと、いくら混乱のときだつて、将来わけがわかりませんから、こういう手続だけは一応踏んでおくべきだと思う。というのは、私とあなたの個人取引じやないから、国家国民のものだから、非常の場合において、占領軍が上陸する、これが散逸するおそれがある、持つて行かれるおそれがある、そこで、その前の一応の暫定処置としてあなたのところに預けたということになれば、ただいまお問いしたことがはつきりして来なければならぬはずだと思うのですが、どうで
  106. 加島平吉

    ○加島証人 今のお尋ねによりますと、海軍の貴金属の一部というお話でありますが、私は、技術研究所の全部のものをお預りした、このように考えておりました。それから、内容がどういうものであるかということは、漠としてはわかつておりますが、個々にそれを明示されて受入れをしたというここはありませんでした。それから、海軍にあります内容のリスト、これは、表するに海軍側で保管しておりまして、とりあえず急いでこれを保管するように、それと引合せに追つてだれかを出すからと言つて、そのままほおつておかれました。それだけで、中間で日本ダイヤか東京ダイヤか、両方であつたかと思いますが、一部分出しまして、その後引合せに来て正式にそのものを始末するというに至る前に、軍が接収に来たわけでありますから、御疑念の点はあろうかと思いますが、当時としては事実その通りであります。
  107. 中野四郎

    中野委員 受領証は……。
  108. 加島平吉

    ○加島証人 受領証は、もちろん出しておりません。従つて向う内容を書いたものも預かつておりません。
  109. 中野四郎

    中野委員 ずいぶんあなたは信用かあるのですね。国のものをお預かりになるのに、いくら非常の場合でも、内容も示さない。ごらんにもならない。その後あなたは自分の家に預かつておいて、開閉自由のものでありますから、当然ごらんになつたのでしようけれども、何ぼ何でも、そんなむちやな話はない。あなたが海軍からお預かりになるときには、その内容は何だ、装飾用タイヤがどれだけ、工業用ダイヤがどれだけ、金、銀、白金がどれだけで、いつまでどういうふうにして預かつておくのかを聞くのはあたりまえじやないですか。ただ持つて来て、承知しました、信用があるからいいということじやない。個人のものではないのです。それから、これに対して受領証をお出しになつておらぬと言うけれども会議の結果やつたからには、海軍に対してこれだけ預かつておきます、承知しましたというぐらいの受取りを出さぬということはない。これが出ていないというのは少し変だと思うのです。疑われるのは変だとおつしやるけれども、疑わざるを得ない。あなたのところで、海軍の技術研究所のものを接収されるまでお預かりになつておる間には、疑われる点が多々あります。釈然としない点が多々あります。今、黒磯のダイヤ事件というのは、国民が相当関心を持つておる事件なんです。ただ信用があつたから無条件で預かつたというりくつじや、なり立たない。私が逐次伺つて行きますけれども、少くとも、そういう大ざつぱなやり方は、決して妥当な方法でない。私は、ただ現状をもつて律しておりませんよ。当時いかなる混乱状態であつても、国家国民の重要なものなんだ。その当時の軍隊のあり方は乱脈をきわめましたから、あなたがトラック一ぱいに綿布や地下たびをもらつていらつしやつたり、――これは後に代金を幾らかとられているけれども、当時、軍の資材をすべて散逸して、かつてに処分してしまえということで、兵隊さんが背負えるだけ背負つてつた時代ですから、その点、私は決して無理解なことは言いませんが、貴重なダイヤモンド、今日をもつて回顧すれば、少くとも国民の生命に次ぐ財産を供出せしめたものです。愛国心の結晶です。このような貴重なダイヤモンドを、海軍がこの場合だからといつて、ただ一個人のあなたに無条件で、その内容も示さずに、すべてのものをゆだねるということは、私は少々納得ができません。しかしながら、これは後の問題にしましても、結局あなたが疎開品を那須の別荘の鶏舎の裏及び鶏舎の地下に埋めるまでの間、すべて証人の責任にゆだねられたようでありますが、技術研究所の者はなぜ証人と同行しなかつたのですか。こういう貴重なものを預けるのに、あなたのところへ持つて行つて、隠し場所を確認して来るべきだつたと私は思うのだが、そういうことは一切なかつたのですか。
  110. 加島平吉

    ○加島証人 私の知る限りでは、そういうことはありませんでした。それから、ごもつともなお話ではありますけれども、事実がその通りでありまして、私どもは、おつしやられれば何とも返答のしようがないのでありますけれども、ただそのまま保管し、後日におきましてそれを向うのリストと引き合せて、それでもつて正式なものにするというようなお話を承つたものでありますから、どうも私どもとしては、それ母上のことはお答えできないと思います。むしろ海軍側の方にそういう点はお問合せ願つた方が妥当じやないかと思います。
  111. 中野四郎

    中野委員 海軍海軍でいいんです。現にあなたのところに持つて行かれた川崎君があなたのところに雇われておる状態なんだから、いくらでも聞く方法はあります。当時の証人を呼べばいい。結局死んだ人にみんな背負わされておりますけれども、私が今伺いたいと思うのは、少くとも当時技術研究所側の人が海軍のトラックでついて行つて、処理をするのを見届けて来るのがあたりまえではないか。ただあなたにまかせつぱなしで、領収証もとらぬでほつたらかしておくどいうところを私は疑つたのです。  ところで、あなたは、ダイヤを接収されるときにダイヤ内容は全部ごらんになつたはずですが、中には何と何が入つてつて、どれくらいの個数があつたか。金、白金あるいはダイヤモンドで、海軍の技術研究所の分として接収されましたものが三万カラットあつたわけです。従つて、相当の数量のものです。現在日本銀行の地下室にありますダイヤは、十六万一千百五十八カラットと言われておる。その何分かを占める三万カラットが、接収当時あなたのところに隠してあつた。途中において日本ダイヤ、川崎ダイヤ等が相当持つて来ておりますから、こういうようなものを入れますと相当な数量になる。そのダイヤ内容であります。言いかえれば、装飾用ダイヤであれば相当大きなものがあつたはずであり、工業用ダイヤであればどれくらいの数があつたか、ないしは、どういう袋に入れて、どういう処置がしてあつたか、金、銀、白金等は処理品か未処理品か、それがどういうふうにしてあつたか、あなたは、これをあけて、御存じのはずですから、その内容について御説明を願いたいと思う。
  112. 加島平吉

    ○加島証人 私は、一部は見ましたが、全部を検討して、ふたをあけてみたりなんかしたというものはあまりありませんでした。ただ当然見えるべきものだけを見たにすぎないのです。それと同時に、ダイヤモンドそのものに知識もありませんし、価値並びに数量についても、むしろリストがあるから、私の方は頭に置いておりませんでした。
  113. 中野四郎

    中野委員 リストがついておつたのですか。
  114. 加島平吉

    ○加島証人 いえいえ、リストは海軍側にあつたのです。  また今の話にもどりますけれども、そういうふうなばかばかしい受け渡しをしたというお話はごもつともでありますけれども、アメリカ軍から接収を受けるとき、あるものはそつくり向うが持つてつたわけであります。そのときに、海軍側で何人か、おそらく技術研究所長まで行かれたのじやないかと思うのですが、それだけの偉い方がついて行かれておりながら、向うから受領証一つつていないという点から御判断願えば、これはしようがないんじやないかと思います。
  115. 中野四郎

    中野委員 それはよけいなことなんです。接収するときには国際法規によるとか、ポツダム宣言を受諾した条章によるとか、いろいろ方法がありまして、個人のものなれば、これの個数とか中味について明らかな受領証を出す。国家のもの、特に軍のものは、受領証を出しても、接収即没収なんです。これは国際法規並びに陸戦法規にあるのです。これは領収証を出す必要がない。だから、あなたは海軍が受領証をとつてないからとおつしやるが、少しも変じやない。よけいなことです。さような理由は一つもなり立ちません。  さらに、私は、続けて伺つて行きますが、あなたの別荘の地下に埋められた箱が、全部で十二個あつたわけですね。
  116. 加島平吉

    ○加島証人 そのように思つております。
  117. 中野四郎

    中野委員 その十二個全部、あなたは一時に埋められたのか、その方法はどういうふうにして埋められたか、たとえば、鶏小屋と鶏小屋の中に埋められたけれども、それが一番いいと思つて埋められたか、どういう気持つたかは知りませんが、一番最初に、十二箱をどういうような形でそこに埋めたかを聞きたい。
  118. 加島平吉

    ○加島証人 鶏小屋の裏に埋めましたのは、今記憶するところでは、あそこに防空壕があつたように思つております。その穴を利用して埋めたと記憶しております。もう一つの鶏小屋の下に埋めたというのは、中に金物の箱とかいろいろな箱が詰まつておりまして、各かぎがついておりました。そのかぎつきのまま箱へ納めてあるわけです。それから、みんな国民から供出されたと思われるような装飾品類がかなりあつたわけです。そういうものを一括しまして、わかりやすく鶏小屋の方へわけた。二口に置いたのはそういう理由です。
  119. 中野四郎

    中野委員 してみると、中に入つてつた大よそのものを御存じのはずでしよう。二通りにわけてあるからには、これは金であるとか、白金であるとか、ダイヤモンドであるとか、ダイヤモンドでも、これは工業用のものだ、装飾用のものだということが、あらかたあなたに見当がつくからには、内容をどこかで示されたか、見ていなければならぬわけですね。ただあてずつぽうで箱を二通りにわけるわけはないんです。それはどこで見られたのですか。
  120. 加島平吉

    ○加島証人 それは黒磯のうちに持つて来ましたときに見たわけです。しかし、見たといつても、全部を点検したわけではなく、要するに、持つてつたままを見たわけであります。持つて行くときには、向うの半地下の壕から、むしろのこも包みつたと思いますが、それに詰めて持つて行つたのですけれども、それを出したときに見たのでありまして、私の見たといいますのはこれだけのことです。
  121. 中野四郎

    中野委員 箱はどういう形であつたか。あなたのところに行つたときには、ダイヤモンドは手さげ金庫に入つて行つたのじやないですか。全部箱ですか。その形、十二の箱はどういうものであつたか、御説明を願いたい。
  122. 加島平吉

    ○加島証人 それは、一定したものに入つておりません。箱に入つてつたり、袋みたいなものに入つてつたり、いろいろでありました。おもに大きなもので、中ごろごろいつたのがありますけれども、それは白金じやないかと思つています。私の見た範囲内では、金というのは供出されたらしい装飾品、それだけしか見ておりません。それから、白金として見ておりますのは、金具の箱に入つておりますものです。それから、なにか線のようなものが入つて、これはむき出しになつておりましたから、別にわざわざ見なくても見えるものでした。その程度のものを見た記憶しか持つておりません。
  123. 中野四郎

    中野委員 その重さですね。いろいろあつたでしようけれども、十二箱ならば十二いろとか、あるいは中の五つはこういうふうであつてあとの七つはこうだつたという状況がわかるだろうと思います。ダイヤの入つてつたのは手さげ金庫、あるいはその中に入つていたのは金とか白金とか、袋に入つていたのはこうだという状況がわかるだろうと思います。それを御説明願いたいと思います。
  124. 加島平吉

    ○加島証人 いろいろなふうになつておりますが、重さそのものは、自分ではかつたわけではありません。また計量器もありませんし、同時にまたどのくらいの貫目であり、どのくらいの数量であるかということは、こちらでそれまでの意識を持たなかつたものですから、はかつておりませんです。同時に、結局そういうものの一切の控えは海軍側にあるものと聞いておつたし、確信しておりましたから、あまり自分のところで保管したものの内容を一々検討して、それでもつてどうこうするよりも、いずれ向うから追つて人を出して、それを再調査して始末する、こういう話を伺つておりましたから、それが来るまで私の方では意にとめておらなかつたわけです。それが整理されたあかつきであれば、おつしやつた通りに、受領証並びに保管証その他のものができたわけでありますけれども、それをやるといつて一日延ばしに延ばして、とうとういきなり進駐軍と一緒に来た、こういう状態でありますから、私の方では始末のしようがなくて、そのままほつぽりなげてあつたような状態であります。
  125. 中野四郎

    中野委員 十二箱全部あなたは防空壕に二通りにわけて入れられましたか。
  126. 加島平吉

    ○加島証人 そうです。箱の数は今記憶しておりません。
  127. 中野四郎

    中野委員 全部海軍から持つて来たから、そのまま二通りにわけて、鶏小屋の中と鶏小屋の外へ埋められたわけですか。間違いありませんか。
  128. 加島平吉

    ○加島証人 間違いありません。
  129. 中野四郎

    中野委員 ダイヤモンドの入つた二箱は、あなたのところの部屋の中に保管されておられたはずでありますが、どういうわけですか。二箱だけはあなたの部屋にたしかあつたわけですね。十二箱全部埋めたというなら、ダイヤだけ入つたものをあなたの部屋に持つて行くわけはないのですが、どういうわけですか。
  130. 加島平吉

    ○加島証人 そうしますと、今のお話ですと、あれは日本ダイヤと東京ダイヤですか、来ましたときに、その箱をしまわずに家に置いたのかもしれませんです。
  131. 中野四郎

    中野委員 かもしれないではなく、あなたは自分で思い出せばすぐわかることですから……。
  132. 加島平吉

    ○加島証人 私は、埋め返したように思つておりましたが、そのまま、あとで来るという話のまま座敷の方へ置いたのかもしれません。そういえば、あれは外で全部接収しましたとき、もうないかと言われたときに、たしか座敷の方に、一箱だつたか二箱だつた記憶しておりませんが、あるのを渡したやに記憶しております。
  133. 中野四郎

    中野委員 お宅の財産はどんなにあるのですか。金、銀、ダイヤをば座敷の中に二つもころがして忘れてしまうほどの大財産なんですか。天下の三井、三菱を向うにまわすほどの財産があつたつて、これほどのたくさんのダイヤが座敷の中にころがつているのはおかしい。どうもこの点は納得ができない。
  134. 加島平吉

    ○加島証人 今のお話によりますと、ダイヤ白金については、三井三菱以上の価値を持つていたのかもしれません。といいますのは、こちらは全然興味がなかつたからです。それを自分の方で非常に意に介しておつて、それをどうしようこうしようという気持があるならば別ですけれども、こちらの方としては、そのものに個人的な意識というものは全然なかつたことははつきりしております。ただ、保管方法が――結局来たときに、何でもすぐ来る、とにかくすぐ引合せに来るということだけ頭に入つておりますから、引合せに来れば問題ないというので、出しておいたのかもしれません。何しろ八年になりますから、決して私自身がとぼけるわけではありませんけれども、それほどのはつきりとした記憶のもとに――お話も大体はわかつておりますけれども、多少食い違う点はあつてもやむを得ない。
  135. 中野四郎

    中野委員 何の引合せに来るのですか。
  136. 加島平吉

    ○加島証人 向う保管したものと、それから向うの控えと、それでもつて向うではちやんと整理して、保管してもらう、そういう話になつておりましたから、そのままになつておつた
  137. 中野四郎

    中野委員 おかしいではないですか。日本ダイヤや川崎工業に渡してからですか。その整理に来る予定の前に、日本ダイヤなんかにダイヤをあけてやつたのですか。
  138. 加島平吉

    ○加島証人 前からです。前からやつておりました。そのとき、また近々に来るというので……。
  139. 中野四郎

    中野委員 前から箱の中からどんどん抜いて行つたのですか。
  140. 加島平吉

    ○加島証人 一回きりです。
  141. 中野四郎

    中野委員 そうすると、引合せに来るというのはどういうわけですか。
  142. 加島平吉

    ○加島証人 全部を、出してやつたものを、向うの控えと引合せにして整理する、その上でもつてきちんと保管してもらう、そういう話になつておりました。
  143. 中野四郎

    中野委員 二箱だけあなたの部屋にあるのはどういうわけですか。十二箱初め持つてつて二つに埋めたのに、ダイヤの入つてつた箱はどうしてあなたの部屋にあつたのですか。
  144. 加島平吉

    ○加島証人 掘り出して、そのままになつておつたということです。
  145. 中野四郎

    中野委員 引合せというのは、どういうわけですか。
  146. 加島平吉

    ○加島証人 引合せは軍と私の方の問題です。日本ダイヤ、東京ダイヤは、前から行くという話は聞いておつたが、来たから恥その箱を掘り出したわけです。ですから、掘り出して、あけて、向うの必要なものを向うへ受渡しをしました。だから、私の方でしまうのではなく、すぐ来るというので、出しつぱなしにしておつたのではないかと思います。
  147. 中野四郎

    中野委員 そのときは、ダイヤモンドは手さげ金庫の中に入れてあつたのですか。その金庫は持つてつたのですか。だれが来てあけたか。
  148. 加島平吉

    ○加島証人 私の言うのは木の箱を言うのです。
  149. 中野四郎

    中野委員 トランクは。手さげ金庫は。
  150. 加島平吉

    ○加島証人 入つてつたろうと思います。
  151. 中野四郎

    中野委員 あなたの座敷にあつたのはどうですか。
  152. 加島平吉

    ○加島証人 座敷にあつたのは、要するに日本ダイヤと東京ダイヤが軍から払下げといいましようか、受けるというために来たわけです。だから、それを掘り出して、座敷でもつて引渡したのです。
  153. 中野四郎

    中野委員 それでは、ちよつと伺います。かぎがなければあかぬのに、あなたは保管品の中にポンチャック酋長の王冠があつたのごらんになつたのはどういうわけですか、どうしてこれだけおわかりになつたか。
  154. 加島平吉

    ○加島証人 それは、かぎも何もなく、ケースに入つておりました。子供でもあけれるようになつておつたものです。
  155. 中野四郎

    中野委員 あけて見るというのは、興味があつたのでしよう。
  156. 加島平吉

    ○加島証人 見ることには興味があつたのです。一応簡単に見えるものを見たというのは、別に私だけではなく、だれでもおそらくそうではないかと思います。
  157. 中野四郎

    中野委員 あなたは、筋を立てて話していただけばよいのです。記憶になければ思い出していただいてよいのです。われわれは、荷も敵同士ではないし、お互いに事実を調査して行こうというのです。あなたは、最初、ダイヤなんかには興味がないから、そういう意味では三井、三菱よりしかもしれないとおつしやるから、それくらいあなたは気位の高い方だから、何を好んでダイヤをあけて見たか、聞いておるのです。しかしながら、興味がないのではなく、興味を持たぬということはおそらくないのです。海軍陸軍から預かつて、この中にダイヤが入つている、金が入つている、白金が入つているということになれば、人間ですから、実際上の人情は大したかわりがないので、見てみたいという気持は起る。しかしながら、これを見た、見ぬということを言うのではない。ただ、預けた当時とこれを接収された当時と、大分食い違いがあるが、それはあなたも認めておられる。日本ダイヤにしても、その他のものについても、持つてつたにしても、これがはたしてどういう理由で持つて行かれたか知らないと言うのでしよう。知らないとおつしやるのでしようけれども、かりにあなたのところに散逸をおそれて、しまつておいたものならば、一軍人がかつてにこれを処理することはできない、何か軍の証明を持つて、適当な預かり証を持つて、十二分に立証すべきものを持つて来るなら……。軍は混乱状態で、解散状態ですから、一部のこれを知つた軍人があなたのところに行つて軍の命令だから出せと言つて、あなたのところから一万カラット持つて行つても、文包の言えない状態だから、そこを言うのです。あなたが、疎開中の品物の中で全然見たことがない、こうおつしやつたから、ポンチヤック酋長の持つておられた王冠は見ておられるだろう、全然見ないということはないはずだということを申し上げたのです。  さらに、伺つて行きますが、技術研究所の川崎さんのところにおられる方が、東京ダイヤ、日本ダイヤの者を連れて那須に行きましたね。疎開品の中からダイヤモンドの一部を掘り出しましたね。どういうふうにするか知らぬが、そういう作業はどういうふうにしてやつたか。またそのとき、川崎さんは一体どこにおつたか。どういう態度をとつておりましたか。
  158. 加島平吉

    ○加島証人 そのときは、二人連れて見えまして、別荘のあれは六畳の部屋で、離れになつているのですが、そこで川崎さんと三人入つていただきまして、出すときに、たしか私と川崎さんと立ち会つて掘り出したと思つていますが、それで、箱をあけて、適当なものがその中にあるということを確認されて、一箱か二箱持つてつた。それで、座敷でもつて日本ダイヤ品物を一応中を点検してみました。何かめがねのようなものを持つて来て、このダイヤはどうのこうのと言つて、近々にまた来ると言つておりましたが、これはその後来ませんでした。それから、川崎さんが、近く整理に来ると言うものですから、私の方は、またしまつたりなんかするのはおつくうなので、そのままにしておいた。ずいぶんずさんな話ですけれども、そんなふうに私記憶しております。  それから、さつきの興味がなかつたということは、これは余談になりますけれども、三井、三菱と比較して申されたので、私もそういうふうにお話申し上げたわけですから、どうぞその点御了承願います。
  159. 中野四郎

    中野委員 あなたのところに一体どれだけのダイヤ白金があつて、そがリストになつてたしか海軍技術研究所にあるのですが、そのリストをあなたはごらんになりましたか。
  160. 加島平吉

    ○加島証人 見ません。
  161. 中野四郎

    中野委員 それで、リストのあることをどうして御承知ですか。
  162. 加島平吉

    ○加島証人 それは向う言つていました。川崎さん、神上園さん、みなそう言つておりました。
  163. 中野四郎

    中野委員 どこでお聞きになりました。
  164. 加島平吉

    ○加島証人 海軍の技術研究所で聞いております。
  165. 中野四郎

    中野委員 ちよつとわからぬですね。あなたのところにある品物を出したのすでね。箱を持つて行きましたね。――十二箱ですか。リストがあればそのリストに照して出すわけですね。その十二箱をあなたはその場で見なかつたのですか。
  166. 加島平吉

    ○加島証人 見ないです。
  167. 中野四郎

    中野委員 そうして、そのリストのあるということだけを聞いたのですか。
  168. 加島平吉

    ○加島証人 聞いたから、あるものと思つております。
  169. 中野四郎

    中野委員 ずいぶんずさんな話ではないですか。リストがあるということを承知しててだ、そうしてそのリストを見ないで、あの中に何と何があるはずだと言われて、そのまま持つて来て、そうして一川崎君が来れば自由に出し入れできる。日本ダイヤ、東京ダイヤのものをかつてに出し入れできるというのはおかしいじやないか。あの中には、工業用ダイヤか装飾用ダイヤかわからない、海軍はもはや当時解散状態にあつたのでしよう。してみれば、川崎さんがこの中からかつてにこれだけ持つて行つて、東京ダイヤや日本ダイヤにやるのは変じないか。リストを持つてたら、そのリストと照合して、何番の箱に入つているのかを見て、その中に何カラットダイヤモンドがあるからというんで、そのリストと照合して出さなければならなかつたはずです。そうしなければ、あなたが途中でかつぱらつたんだと言われ、その責任を問われたつて、文句を言えないじやありませんか。
  170. 加島平吉

    ○加島証人 何か書いた紙を持つて来たのを見ておりますけれども、実際問題としては、私自体はそのリストを見たわけでもありません。日本ダイヤが来たときに、何か紙を持つて来たように思いますが、それから、向うでも、おそらく受領証をとつたのじやないかというふうに考えております。
  171. 中野四郎

    中野委員 何の受領証ですか。
  172. 加島平吉

    ○加島証人 受領証は、こちらは受取つておりませんが、川崎さんが代行して受取つて来た、そんなふうに聞いております。
  173. 中野四郎

    中野委員 私の聞いているのは、そうじやないのです。あなたがもし疑われて海軍の連中が一応あなたのところに預けた品物は、内容もわからなければ、リストの写しも持つていない。それを見たこともない。そうしますと、途中で紛失した場合において、あなたは国民の立場から大いに疑いをかけられてもやむを得ない立場にあるが、それでもいいのかと聞いているのです。いくらあなたが堅いと自分だけで信用していても、はたはそういうふうに見てくれません。その品物は加島のところに持つてつたそうだ、それをごまかしているそうだ、証拠も何もないのだからかまいはしない、こう言われた場合に、あなたは釈然として説明し得るところの内容があるのか、それでもいいのか、これを聞いているのです。
  174. 加島平吉

    ○加島証人 それでもしかたがないのです。私にしますと……。
  175. 中野四郎

    中野委員 疑われてもしようがない立場にあるのですか。
  176. 加島平吉

    ○加島証人 もうしかたがないわけです。結局疑つて見れば、たといリストをこしらえてみたところで、そういうふうな悪だくみをするならば、どのようなことでもできるだろうと思いますし、またリストがなくても、やらないつもりの者はおそらくやらないだろうと思いますし、その点は結局見解の相違ということになります。要するに、手落ちの点は重々私も認めております。これは、いかようとも説明のしようがないので、同時にこれは、さかのぼつてやり直すことのできない現状としては、どのようにおつしやられてもしかたがないのです。但し、自分としては、全然公明正大であるという気持でもつてものを申し上げるだけのことであります。
  177. 中野四郎

    中野委員 それから、ちよつと参考に聞いておきますが、日本ダイヤ、東京ダイヤに持つて行かれたものが、あなたのところのが接収された後に、さらにそれを、途中から持つてつたからいけないということで、出させられましたね。
  178. 加島平吉

    ○加島証人 ええ。
  179. 中野四郎

    中野委員 この品物と、あなたのところから持つてつた品物と、食い違つているように見えますけれども、おたくから持つてつた品物と、それから、進駐軍が東京ダイヤ、日本ダイヤに向つて、お前これ加島のところから持つて来たんだろうと言つてつて来たものと、大分品質に食い違いがあるようですが、これについて、あなたどうお考えになりますか。
  180. 加島平吉

    ○加島証人 これは、あからさまは申しますけれども、私も違うように――決して穴の明いた点においては違つておりませんが、どうも違うぞと言われてみれば、私も専門家ではございませんから、そうじやないとは言えませんけれども、どうも違うような、そんなふうな気はいたしております。これも、要するに、自分が専門家でないだけに、確言としては申し上げられませんけれども……。
  181. 中野四郎

    中野委員 あなたはCPCで調査を受けられましたね。
  182. 加島平吉

    ○加島証人 はい。
  183. 中野四郎

    中野委員 このCPCで調査を受けられたときは、どういう点を主眼として聞かれたのですか。おもに調べられたのは……。
  184. 加島平吉

    ○加島証人 CPCの調べでは、何と申しましようか、要するに、私が軍の上の偉い方を何人か養つていると誤解しまして、それを軍と会議の上でやつたという見解のもとに結論を出した、そんなふうな方向に調べを持つてつたように思つております。ですから、全然私としては、ああいう調べに対しては、ばかげた話だ、そんなふうな記憶を持つております。
  185. 中野四郎

    中野委員 そうすると、当時の係官であつた、あなたのところに現にダイモンドを運ぶようにしていろいろと尽した、あなたと関係の深い川崎さんが、軍隊をやめられてから、どういう関係であなたのところに使われているのでしようか。どういう地位に使つておいでになりますか。
  186. 加島平吉

    ○加島証人 川崎さんは、当時軍が解散になりまして、それで、何か印刷会社ですか、あれは、会計部の何人かでもつて、軍から紙を二部払下げを受けたのだと思いますが、その人たちの名前で会社をつくりまして、謄写版刷りみたいな仕事をしておつたわけであります。多分三年か四年ぐらいやつてつたのじやないでしようか。とうとうそれがうまく行かなくて、行き詰まりまして、それで私のところに来た。その間にも、月給が不払いでもつて困るというので、大分奥さんの着物や何かを質に入れたりしまして、私のところにも質草なんかを持つて見えたりしましたが、こういうわけで流れそうなんだというので、私が何がしかのお金を出して受出してやつたことを覚えております。それで、どうにもならない、何とかしてもらいたいと言う。川崎さんにそういうような依頼をされまして、それで、私としても、まあ軍に出入り当時川崎さんにも大分お世話になつたので、――これは軍にお世話になつたのでありますが、しかし、人間と人間とのつながりですから、まあ川崎さんには非常に戦争中、終戦までお世話になつたという頭がありますから、それで、川崎さんの依頼に基いて、入社を承諾しました。それで、現在は会計の金銭の取扱いだけをやつてもらつております。
  187. 中野四郎

    中野委員 それから、ポンチヤツク酋長の王冠はどういうふうに処理をされたと思いますか。連合軍が接収して行つたきりですか。あるいはその後何か話を聞いたことがあるか。それから、もう一つ、先ほど三万カラットあることをお認めになりましたが、どうして三万カラットあることがわかつたかという、この二つです。
  188. 加島平吉

    ○加島証人 私は、三万カラットとは認めておりません。ただ、三万カラットとお話を承つて、三万カラットでないということは言えないから、黙つているだけでありまして、三万カラットありましたということを私の口から申し上げた覚えはないわけです。  それから、ポンチヤツク酋長のことは、あれも川崎さんから話がありまして、あのとき接収された中にポンチヤツク酋長のものが――ポンチヤツク酋長とは当時知りませんでしたが、南方から来た王冠言つておりました。王冠がなかつたかと聞かれたわけです。私は、入つてつたのは知つているのです。知つていますけれども、その後に進駐軍のあれが悪いことをして、本国に持ち帰つたという話も聞いておりましたから、あの中に入つていましたと言うこともできなければ、ないとも言えないわけです。ありましたと自分では確認しておりますけれども、それを言つた場合に、もし万一なかつたときにはどうするか。これは、進駐軍にでも持つて行かれてしまつたのでは、私は確かに入つているのを見たと言つても、結局水かけ論になつて、問題がうるさいと思つて、私は知らない、あのお預かりした中に入つていたものなら必ず中に入つていたわけですといつて答えて済ましたのです。その後新聞で見ますと、完全にありまして、向うに返されたというような話を聞いて、よかつたと考えております。
  189. 中野四郎

    中野委員 あなたがアメリカの兵隊がごまかして向うへ持つてつたということをお聞きになつたのは、いつなんです。ちよつと時期が違いやしませんか。マレー大佐がアメリカへ持つてつたというのは、ずつと時期のずれがあります。その後の後なんです。あなたのところでまだその時分に知るわけはないのです。何かそのほかに、アメリカの兵隊品物を持つてつたという事実があるのですか。
  190. 加島平吉

    ○加島証人 それは私存じませんけれども、アメリカの兵隊が持つて行つて、何か本国でつかまつたという話は聞いておりました。
  191. 中野四郎

    中野委員 それは後の話だ。
  192. 加島平吉

    ○加島証人 後の話ではないように思います。
  193. 中野四郎

    中野委員 混合していないかね。マレー大佐の問題は時期が一年も違う。
  194. 加島平吉

    ○加島証人 それは存じませんけれども王冠の問題は、多分それが頭にあつたからだと思つています。それは、私自身の考え違いであるかどうかは知りませんが、私はそのように考えています。
  195. 中野四郎

    中野委員 そうしたら、あなたは、接収されたときも、お預かりするときも、内容については一切知らぬ、ポンチャック酋長の王冠以外は知らぬ、こういうふうに了承してよろしいか。あるいは、途中において、日本ダイヤとか東京ダイヤに渡すときに、十二箱の内容を見た、見たときのダイヤが、装飾用がおよそどのくらい、工業用がどのくらい、ないしは金、白金がどのくらいということの記憶があるかどうか。この点は、はつきりここで記録に載せておいていただきたい。
  196. 加島平吉

    ○加島証人 ポンチヤツクのはなぜ知つているかといいますと、当時、大東亜戦が始まつてから、間もなくじやないかと思つておりますが、海軍技術研究所の会計部内で、みながあれを見ておつたのです。そこへちようど私行き合せまして、大したものですねと話をしながら見せてもらつたわけです。当時オランダの何とか言つておりました。それがむらさきのケースに入つていまして、王冠飾りですから、これくらいのものです。それで、あれは、保管する前に、一々その品物海軍の会計部内で持ちまわつて見ているのを、私見たのです。それで、はからずもあれがあつたので、箱に記憶がありますから、あけてみたというわけで、王冠飾りは特に印象が深いわけなんです。ほのかものは、保管を受けたときに初めて見たのですから、出ていたものはもちろん見ましたし、一応見えるものは見たのですけれども、それがどれだけの量であつたか、どういうものであつたかということを詳細に説明することは私はできない。その程度記憶しかないということで、王冠飾りだけは、とにかく印象が深かつたので覚えている、こういうことです。ですから、王冠だけを知つているのじやなくて、ほかのものは、見えるものは見ておりますよ。
  197. 中野四郎

    中野委員 どういうものを見ていますか。
  198. 加島平吉

    ○加島証人 ダイス、それから袋に入つたダイヤモンド・ハウダーですね。あけてみませんけれども……。
  199. 中野四郎

    中野委員 それは工具ですが、箱の大きさはどのくらいですか。
  200. 加島平吉

    ○加島証人 いえ、袋です。
  201. 中野四郎

    中野委員 ダイスとか、そういうものは工具なんだから……。私の言うのは、箱の大きさですね。工具と一緒に装飾用のダイヤが相当あつたはずですが……。
  202. 加島平吉

    ○加島証人 装飾用のダイヤは、ダイヤが来たときに向うで鑑定しておりました。参謀本部でなく、軍令部ですか、何かのあれだといつて、大体一つこのくらいのものじやないかと思うのですが……。
  203. 中野四郎

    中野委員 どうですか、この記章の大きさよりちよつと小さいですか。
  204. 加島平吉

    ○加島証人 そんなものじやありません。その中のより大きいですが……。これはりつぱなものだということは聞いております。それは、向うが接収したときに持つて行つたのです。そのほかにダイヤのいろいろな形をしたものが相当あつたのを見ております。向うで鑑定しておりましたから……。しかし、全部見たかといいますと、私は見ておりません。
  205. 中野四郎

    中野委員 箱の大きさですが、いろいろな箱がありましようが、一番大きな箱はどのくらいだとか、小さいのはどのくらいだというその大きさ。それから、白金なんかは棒になつておつたか、あるいはかたまりになつておつたか。
  206. 加島平吉

    ○加島証人 白金の見ましたのは、線くらいのものです。白金線とでも申しましようか……。
  207. 中野四郎

    中野委員 どのくらいの大きさに巻いてあつたのですか。
  208. 加島平吉

    ○加島証人 いろいろの形があつたと思いますが、量は覚えておりません。線と、それからごとごと中で音がするのが白金だということを聞いておりましたが、そういうことごとした箱がありました。あけてみませんから、棒が入つてつたのかどうか知りませんけれども……。そのほかには、白金類は、あまり箱をこわしませんでしたから、見ておりません。箱といいますのは、軍で入れて入つてつた箱と、それを全部入れるのに自分の方でつくつた箱と、両方ありますから、その点を区わけしてお聞き願いたいと思います。
  209. 中野四郎

    中野委員 あなたの方で箱に入れたから、内容がよくわかるでしよう。箱だけつつて、入つておるものを入れたわけではないのですから、わかつたはずなんです。わかつただけでいいですが、金や白金は、線ばかりじやないはずです。接収されたものはいろいろあります。線もたくさんありますけれども、そのほかのものもあつたわけです。そのほかのものも見られたかどうか。装飾用のダイヤはどのくらいあつたか。何トン積みのトラックに何台積んで来て、どのくらいあつたのですか。
  210. 加島平吉

    ○加島証人 量としてはわずかなものです。大きさとしては、大体ビール箱か、それよりも大きいと思いますが、よく覚えておりませんが、十二箱だつたと思います。
  211. 中野四郎

    中野委員 重量はどのくらいです。
  212. 加島平吉

    ○加島証人 重いのも軽いのもありました。
  213. 中野四郎

    中野委員 重量は、ひつくるめてどのくらいありましたか。
  214. 加島平吉

    ○加島証人 重量だけは全然記憶がございません。
  215. 中野四郎

    中野委員 あなたが持つて来たのだから、およそわかりましよう。
  216. 加島平吉

    ○加島証人 おそらく、どなたでも、よほど重量に敏感な人であれば別としまして、とにかく何貫目ぐらいあつたか――これぐらいあつたかと言われれば、そのぐらいあつたということはお答えできますけれども、何貫目あつたかと言われても、何ともお答えのしようがないと思います。これはまた箱に入れましたから、包装が二重にもなつておりますし、全部ではかつたわけではありませんから、私の方としては全然お答えのしようがないと思います。
  217. 中野四郎

    中野委員 伺つていると、あなたは良心的におやりになつたのでしよう。これは、善意な悪結果というのと、悪意な結果というのがあるだろうと思いますが、あなたの御説明を聞いておりますと、善意の悪結果でありましようが、今までのあなたの御説明を聞いていると、どうもわからぬ点だらけです。たとえば、受取つて来るのも、リストを合せて持つて来たのではない、いつの幾日まで保管しろと言われたのでもなし、ただ信用一点ばりです。それから、その後におけるあなたの保管状況等においても、かつてにあければあけられるし、持つて行こうとすれば持つて行かれるし、これはまことに釈然としないものがあります。そういうことについては、あなたは一切の責任を負う、どう言われてもしかたがないのだ、こういう一面は認めますか。
  218. 加島平吉

    ○加島証人 認めます。それが犯罪になるなら、私としてもやむを得ないと思います。同時にまた、いかに何としても、疑われれば疑われてもしかだがない立場にありますから、これは今おつしやつたように認めざるを得ないと思います。
  219. 吉武恵市

    吉武委員長 ほかに発言はございませんか。――他に発言がございませんければ、加島証人に対する尋問はこれにて終了いたします。証人には御苦労さまでした。     ―――――――――――――
  220. 吉武恵市

    吉武委員長 引続き、川崎証人より証言を求めることにいたします。  ただいまお見えになつておられる方は川崎宗一さんですね。
  221. 川崎宗一

    ○川崎証人 さようでございます。
  222. 吉武恵市

    吉武委員長 この際証人に申上げますが、戦時中多数国民諸君より供出されましたダイヤモンド、金、白金等は、平和条約の発効と同時に接収解除となりまして、現在日本銀行地下金庫に収納され、大蔵省によつて保管されておるのであります。このダイヤモンドの収納、保管の経過、処理の方法等につきましては、世上大いに疑惑を持ち、関心を抱いている向きもありますので、これが真相を明らかにすることはきわめて意義のあることと考え、本委員会本件調査を進めて参つた次第でありまするので、証人におかれましては率直なる証言をお願いをいたしておきます。  それでは、ただいまより接収解除貴金属及びダイヤモンド関係事件について証言を求めることにいたしますが、証言を求める前に、証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことと相なつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が、証人または証人の配遇者、四親等の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者、及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者が、その職務上知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一感このことを御了承になつておいていただきたいと思います。  では、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓書の御朗読を願います。     〔証人川崎宗一君朗読〕    宣誓書  良心に従つて、真実を述べ、何事もかくさず、また何事もつけ加えないことを誓います。
  223. 吉武恵市

    吉武委員長 それでは宣誓書署名捺印してください。     〔証人宣誓書署名捺印
  224. 吉武恵市

    吉武委員長 これより証言を求めることになりますが、証言証言を求められた範囲を越えないこと、また御発言の際には、その都度委員長の許可を得てなされるようお願いいたします。なお、こちらから質問をしておるときはおかけになつていてよろしゆうございますが、お答えの際は御起立を願います。  それでは、第一にお尋ねをいたしますが、証人の略歴をお述べを願います。特に海軍技術研究所における地位及び現職についてお答えを願います。
  225. 川崎宗一

    ○川崎証人 官は海軍書記、職は海軍主事でございます。
  226. 中野四郎

    中野委員 兵隊じやないんですね。
  227. 川崎宗一

    ○川崎証人 文官でございます。
  228. 吉武恵市

    吉武委員長 現在の職業は……。
  229. 川崎宗一

    ○川崎証人 現在は会社員です。
  230. 吉武恵市

    吉武委員長 どこですか。
  231. 川崎宗一

    ○川崎証人 三平興業株式会社です。
  232. 吉武恵市

    吉武委員長 それでは、次にお尋ねをしますが、海軍技術研究所会計部材料係において証人はどういう業務を担当しておられましたか。
  233. 川崎宗一

    ○川崎証人 私は、材料係官でありまして、材料の出納を預かつておりました。
  234. 吉武恵市

    吉武委員長 それでは、次にお尋ねをいたしますが、海軍技術研究所が取扱つたダイヤモンドの入手の径路及びその処分についての概略をお述べを願いたいと思います。
  235. 川崎宗一

    ○川崎証人 海軍技術研究所へ参りましたダイヤモンドは、海軍艦政本部からの指令によりまして参りました。海軍技術研究所は、その海軍艦政本部の指令によつて出納保管をしておつたわけであります。
  236. 吉武恵市

    吉武委員長 それでは、海軍技術研究所が終戦時に保管していたダイヤモンドの品質、数量、及び保管状況をお述べ願いたい。
  237. 川崎宗一

    ○川崎証人 もう前のことでございますから、はつきり数量などわかりません。保管状況ですが、その当時米軍が接収に参りましたときは、黒磯に疎開してありまして、その日はそれで引揚げられました。その翌日、――十一月の九日だつたと思います。黒磯に、米軍に護衛されまして一緒に連れられて行きまして、そして接収をされました、そこで一応仮の引渡しが行われました。そして持ち帰りまして、記憶では、明治生命ビルの倉庫の中と思います。米軍の手によつて倉庫の中に入れられて、私などは帰つたわけでございます。その後しばらくして――その間の日数はちよつと記憶しておりませんが、米軍の手で日本銀行の地下室に運ばれましたことを聞いております。そうして、そこで正式の受渡しがありましたことに聞き及んでおります。
  238. 吉武恵市

    吉武委員長 今の数量、品質ですが、正確にわからぬでも、あなたは実際に取扱つていたから、その当時大体どういう内容のもので、どれくらいのものというくらいのことはわかるでしよう。
  239. 川崎宗一

    ○川崎証人 ダイヤモンドに関しましては、書類が極秘の取扱いを受けておりましたので、終戦の当時、横鎮の長官から、極秘の書類は全部焼却しろという命令が出ましたために、焼却してしまいました。そして、私が手元に職務上控えだけを持つておりました。それがリストになりまして、米軍に引渡したわけでございます。それで、数量は、もう十年もたつておりまして、記憶でありますから、はつきりわかりませんが、大体二万五千カラットくらいじやなかろうかと思います。その当時、復員局で、割合に記憶が新しいときに何度も申し上げてありますから、復員局に私の陳述した記録があれば、それが正確に近いものであります。ただいま申し上げました通り、一つしかないリストを差上げたものですから、あとに控えも何も残つておりませんので……。
  240. 吉武恵市

    吉武委員長 終戦直後に、海軍技術研究所で保管しておつたダイヤモンドなどを那須の加島氏の別荘に疎開したのですね。
  241. 川崎宗一

    ○川崎証人 そうでございます。
  242. 吉武恵市

    吉武委員長 そのときの事情ちよつとお話願いたいと思います。
  243. 川崎宗一

    ○川崎委員 そのときは、これから米軍が上陸してどうなるかわからぬというような状況でありました。これは私自体の考えでありますが、あれだけの価値のあるものをそのまま引渡すことはもつたいない、それと同時に、終戦の月の十七日と思つておりますが、横須賀鎮守府長官の命令で、戦争はまだ継続されるかもしれぬ、それで作業はそのまま続行しろ、こういう御命令が参りました。そこで、ダイヤモンドは電探を生産するのに必要なものである、これがもし戦争が継続されるうちに、このまま置いて、日ならずして米軍が来てそのまま持つて行かれるというようなことがあつたりするとたいへんなことになるであろうということで、材料課長に申し上げ、材料課長から会計部長に申し上げ、会計部長から艦政本部に諮られて、そして、そういうことなら海軍技術研究所の思うところで保管するように、こういう御命令が出たと記憶しております。それによりまして黒磯へ疎開したわけであります。
  244. 吉武恵市

    吉武委員長 それから、疎開するときには、だれか研究所の者はついて行きましたか。
  245. 川崎宗一

    ○川崎証人 だれもついて行つておりません。米軍に対しては、私がついて行つたことになつておりますが、しかし、そのときはついて行つておりません。当時は、うちに帰りましても、ほとんど休むのもやつとで、朝も人一倍早く出て行きまして、今までの材料の整理でとても忙しいというような状況にありましたので、だれも海軍の者はついて行つておりません。
  246. 吉武恵市

    吉武委員長 そうすると、加島氏に託されるときには、どういうふうにせいという保管についての指示なり、将来はどうするというようなことの話合いはございましたか。
  247. 川崎宗一

    ○川崎証人 それはありません。また内容がどういうものであるかということも申し上げてないはずであります。大体記憶によりますと、かます八俵に納めて、これを保管していただくようにということでお願いしたように記憶しております。
  248. 吉武恵市

    吉武委員長 加島氏の話によると、十二箱というような話でしたが、十二箱というのと、かます八俵というのとでは、ちよつとと違いますが、どうでしようか。
  249. 川崎宗一

    ○川崎証人 両方ほんとうであります。包みますときには八俵で、地下に埋めますときには十二箱になつております。
  250. 吉武恵市

    吉武委員長 それから、疎開場所におけるダイヤモンド保管状況は、どういうふうに聞いておられましたか。
  251. 川崎宗一

    ○川崎証人 保管状況は、鶏小屋の下に埋められて、そのほかへも埋められたわけです。
  252. 吉武恵市

    吉武委員長 それは加島氏が帰つて報告したのですか。
  253. 川崎宗一

    ○川崎証人 そうであります。
  254. 吉武恵市

    吉武委員長 それから、昭和二十年十月八日に、ダイヤモンドについて連合軍の調査を受けて、その後同軍に接収されたようですが、そのときの状況をもう少し詳しくお話願います。
  255. 川崎宗一

    ○川崎証人 先ほど申しましたように、十一月八日に参りまして、そのときには黒磯にありましたが、米軍では役所にあると思つて来た様子でありました。そうして、黒磯に現物があるということでありましたので、その日はそのまま帰りまして、その翌日材料課長と私とそれから工長の三人が貨物自動車に乗せられて行つたわけです。その状況は、先頭のジーブには向うの隊長と副隊長と通訳が乗つていたようであり、貨物自動車には兵隊が十五、六人、それから、そのあとの装甲自動車には護衛として五、六人の兵隊が乗つていたようでありまして、この三台の行列で黒磯に向つたわけであります。
  256. 吉武恵市

    吉武委員長 加島氏はそのとき一緒に行つたのですか。
  257. 川崎宗一

    ○川崎証人 おりません。
  258. 吉武恵市

    吉武委員長 いなかつたのですね。
  259. 川崎宗一

    ○川崎証人 そうであります。
  260. 吉武恵市

    吉武委員長 そうすると加島氏は向うの別荘にいたのでありますか。
  261. 川崎宗一

    ○川崎証人 そうです。黒磯の加島さんのおられた別荘は、あそこの那須山にあります。
  262. 吉武恵市

    吉武委員長 それから、連合軍から接収に関して何らの証明書も受けていないようですが、それはどういうわけですか。
  263. 川崎宗一

    ○川崎証人 接収に対する証明書といいますと――あらかじめ、艦政本部の岩田大佐と記憶しておりますが、その人から技研に接収に来るかもしれないというお電話をいただいて、そうして、じかに海軍技術研究所の所長室に接収に行かれました。そして会計部長も呼ばれましたし、材料課長も呼ばれました。そして、そこで引渡すようにというようなことでしたが、私は、下の方ですから、その命令に服しただけであります。それで、その接収のための書類、そういうものは見ておりません。わかりません。
  264. 吉武恵市

    吉武委員長 それから黒磯へあなた方一緒に行かれたんでしよう。
  265. 川崎宗一

    ○川崎証人 そうです。
  266. 吉武恵市

    吉武委員長 そのときに、向うが接収して、トラックか何かへ積んで帰る、帰つてからか、そのときにか、領収証をくれというようなことはなかつたですか。
  267. 川崎宗一

    ○川崎証人 ありませんでした。
  268. 吉武恵市

    吉武委員長 それから、次に、証人は、その接収ダイヤモンドに関連してCPCから調査を受けたようですが、それはどういう調査を受けましたか。
  269. 川崎宗一

    ○川崎証人 私は、前後十六回くらい呼ばれております。
  270. 吉武恵市

    吉武委員長 今のダイヤモンドについてですか。
  271. 川崎宗一

    ○川崎証人 ダイヤモンドについてばかりです。
  272. 吉武恵市

    吉武委員長 大体どういうことがおもな調べですか。
  273. 川崎宗一

    ○川崎証人 おもなことは、二つに大体わかれます。一つは、日本銀行の地下室に収めてある間に紛失した、それで、まだ海軍技術研究所にはそれのリストがあるだろう、リストがなければ帳簿があるだろう、その帳簿をお前は隠しているんじやないか、それのお取調べと、それから、それに関連しますのでございますが、これは直接聞いたわけでもないし、ただあとで漏れ聞いただけでありますが、あれが小さいもので価値があるものでございますから、日本海軍再建のために何かあの保管中に取出しておりわせぬかというようなことを調べるために相当厳密に調べられた、大筋に申しますとこの二通りで、その間何回も調べられております。
  274. 吉武恵市

    吉武委員長 それで、途中で日本ダイヤと東京ダイヤですかの関係に譲るのだと言つて出しに行つた、それはいつごろですか。
  275. 川崎宗一

    ○川崎証人 行きましたのは九月の六日か七日であつたと思いますが、その三日くらい前に艦本から書類の連絡がありました。これこれ五社が行くと言つて来たけれども、実際一社だけ来ました。それはダイスだけであります。ダイスを出せということで、それを出して引渡して帰りました。
  276. 吉武恵市

    吉武委員長 それから、もう一つお尋ねしたいのですが、あなたは、加島氏のところに疎開しようということを上司に申し上げて、上司もそれがよかろうということで黒磯に疎開すると言つた、そのときに八つのこも包みにしたと言われた。その内容はあなたは御存じのはずですが、大体どういうものが入つておりましたか。
  277. 川崎宗一

    ○川崎証人 これの半分くらいの小さい金庫なつております。それが相当数ございました。
  278. 吉武恵市

    吉武委員長 大体同じ型の同じいれものですか。八つが十二になつておれば、その十二について、一つずつ特徴を話していただきたい。
  279. 中野四郎

    中野委員 判こ入れの箱みたいなものですか。
  280. 川崎宗一

    ○川崎証人 そうです。それは金属製であります。それと、のり箱みたいな、ぺちやんこの、ブリキでできましたもの一そういうものをいろいろとりまぜて……。
  281. 吉武恵市

    吉武委員長 それが、金庫みたいのが一つと……。
  282. 川崎宗一

    ○川崎証人 ずいぶんありました。全体で三、四十もありましたでしようか。その数はさつぱりわかりません。
  283. 吉武恵市

    吉武委員長 それは何が入つていました。
  284. 川崎宗一

    ○川崎証人 それにダイヤが入つていました。
  285. 吉武恵市

    吉武委員長 それから、今ののり箱は……。
  286. 川崎宗一

    ○川崎証人 のり箱もそうです。ダイヤと、ダイスにしたものも入つていたような気がします。
  287. 吉武恵市

    吉武委員長 そうすると、三十というのは、金庫やのり箱も合せまして……。
  288. 川崎宗一

    ○川崎証人 そうです。
  289. 吉武恵市

    吉武委員長 そのほかはどんなものがありました。
  290. 川崎宗一

    ○川崎証人 それから、白金の集められました小さい箱です。
  291. 吉武恵市

    吉武委員長 どれくらいの……。
  292. 川崎宗一

    ○川崎証人 白金の方は大きかつたのですが、これくらいの高さの板の箱です。そんなのが三つか四つ、まだあつたかもわかりません。
  293. 吉武恵市

    吉武委員長 それは何個……。
  294. 川崎宗一

    ○川崎証人 そういうのも一緒に入れまして、かます八個に入れましたわけです。そう記憶しております。
  295. 中野四郎

    中野委員 かますはいいが、何個くらいあつたですか……。
  296. 川崎宗一

    ○川崎証人 それが、記憶がないのです。それを西澤工長と私とで引渡したのです。一つ一つ詳しく書いておつたのです。そうして持つてつたのですが、そいつは焼却令命が出ました折に焼いてしまつたのです。あなた方は数量が一番お知りになりたい模様でございますが、私が米軍に引渡した数量は、それがこれくらいな表になつておりまして、すつかり数から何から全部出ておりました。どの箱には何が幾ら幾らと……。それを持つておりましたが、あれさえ持つておればというわけです。
  297. 中野四郎

    中野委員 中に入つておるものと帳簿と、ちやんと合わしてやつたのなら、全部中のものを知つておらなければならぬ。
  298. 川崎宗一

    ○川崎委員 そこのところを、今日になれば何でございますが、その最中でそこまでは……。
  299. 中野四郎

    中野委員 最中といつたつて、あなたはそういう役目だから、出し入れする品物を渡す限りはわかつておりましよう。
  300. 川崎宗一

    ○川崎証人 中の一つ一つは、私のリストでわかつておるわけです。
  301. 中野四郎

    中野委員 だから、何があつたのですか。
  302. 川崎宗一

    ○川崎証人 ダイヤモンドがあつたのです。
  303. 吉武恵市

    吉武委員長 もう一度証人に聞きますが、ゆつくり一つ一つについて答えてください。小さい金庫やのり箱が三十くらい入つてつたのでしよう。木箱は十二箱でしよう。
  304. 川崎宗一

    ○川崎証人 そうです。
  305. 吉武恵市

    吉武委員長 そうすると、それらをとりまとめて一つの大きな箱に入つてつたのですか。木箱十二箱しかないのでしよう。それに金庫やなんかが一つの木箱の中に三十ばかりあつた。一箱になつていたのか二箱になつていたか知らぬけれども……。
  306. 川崎宗一

    ○川崎証人 そうです。十二箱のうち、ダイヤだけは、ちよつと今日になつては記憶しておりません。しかし、十二箱のうちには白金も含まつておる。それで、この箱の中へ、どれとどれとがどれだけ……。
  307. 吉武恵市

    吉武委員長 荷づくりしたのでしよう。あなたは荷づくりしなかつたのですか。初めから倉庫にあつたものをそのままトラックに載せたのですか。
  308. 川崎宗一

    ○川崎証人 かますに入れて載せたのです。それを黒磯で木箱に納めた。
  309. 吉武恵市

    吉武委員長 かますのむしろで箱を縛つたというのではなくて、かますの袋の中に入れたのですか。
  310. 川崎宗一

    ○川崎証人 ええ。
  311. 吉武恵市

    吉武委員長 そうすると、これくらいのものがたくさんできたということですね。
  312. 川崎宗一

    ○川崎証人 ええ。
  313. 吉武恵市

    吉武委員長 委員長の質問は一応終りましたから、委員各位で御質問があつたらどうぞ。
  314. 中野四郎

    中野委員 あなたは記憶がいい方でしようか、悪い方でしようか。
  315. 川崎宗一

    ○川崎証人 それは比較問題ですから、ちよつとわかりません。そういうむちやな質問がありますか。
  316. 中野四郎

    中野委員 むちやじやないでしよう。記憶がよければ、あなたは当時の状況をつぶさに言えるわけなんです。悪いなら言えないでしよう。
  317. 川崎宗一

    ○川崎証人 記憶がいいか悪いかということはは、これは一般の人との比較問題でしよう。
  318. 中野四郎

    中野委員 あなたの感じですね。
  319. 川崎宗一

    ○川崎証人 中ぐらいでございましような。
  320. 中野四郎

    中野委員 やはり記憶がいいように伺いますから、それでは中ぐらいな観点から伺つて参りましよう。艦政本部にありましたダイヤモンド、これはどこから入つたものでしようか。少くとも、あなたが材料係としておれば、工業用ダイヤであるか装飾用のダイヤであるかはわかる。装飾用ダイヤならば、一般から買い上げたものか、あるいは略奪品であつたか。工業用ダイヤならば、海軍陸軍合せて、八万カットあつた従つて、艦政本部にあつた品物、あなたのところに渡された品物は、どこから買い上げた品であろうとおぼしめすか、お聞きしたい。
  321. 川崎宗一

    ○川崎証人 それは、大部分が南方と、それから北支から一部分来たもの、それから香港あたりのものもあるとか伺つております。入手径路は海軍技術研究所は表向きに知らないはずであります。また知らされておりません。ただ保管だけを艦本から言われておりますから、そこのところは海軍艦政本部の方にお尋ねくださるとわかると思います。
  322. 中野四郎

    中野委員 そうすると、あなたは材料係だから、すべてあなたの保管しておられるものの内容はあなたは御存じのはずです。リストに合せればわかる。従つて、その中に装飾用ダイヤが大よそどのくらい、工業用ダイヤがどのくらい、工業用は工具になつたものとなら零のがありますが、これは、材料係として、記憶がよい方だから、説明を願いたい。
  323. 川崎宗一

    ○川崎証人 大部分が一つ一つの粒でありました。それから、そのほかに、まだダイスにつくつてない、ただ穴だ万のがありました。米粒のようなものもあつた。その量はちよつと覚えておりません。それからハウダーがありました。これが一番先に技研に来ました。三千カラットありました。それからあと二回に来ましたものは、いくらかそれより少かつたと思います。
  324. 中野四郎

    中野委員 装飾用は。
  325. 川崎宗一

    ○川崎証人 装飾用というのは、一つ一つでみがいてあれば、それが装飾用だろうと思いますが、それが大部分であつたと思います。
  326. 中野四郎

    中野委員 どこから来たかわかりませんが、南方からこれを持つて来たとしますと、装飾用のダイヤが相当数あつた。その後これは、略奪品であるとかあるいは南方で買い上げたものであるとかいうことは明らかになつております。そこで、私は聞きたいのだが、あなたはリストを五通おつくりになりましたね。そのうちの三通を艦政本部の方へお出しになつた。二通は技研の方に、そうしてあなたはたしかそれに対する控えを持つておられたはずでありますが、それはどういうふうに処理をされましたか。
  327. 川崎宗一

    ○川崎証人 これが一番大事なところでございますが、五通つくつて、三通を艦政本部に差上げ、私の控えとして一つ、それから海軍技術研究所に表向きのものを一つ。それを、日は忘れましたが、横鎭長官の命令によつて焼却したわけであります。
  328. 中野四郎

    中野委員 十八日ですか。
  329. 川崎宗一

    ○川崎証人 そうです。それで、私の控えのリストをつくつたものとでございますが、これも、ほんとうならば焼却すべきであつたのですけれども、大事なものを外に出しておりますから、これは私がこつそり持つておりました。
  330. 中野四郎

    中野委員 その持つてつたものは、どうされましたか。
  331. 川崎宗一

    ○川崎証人 それは米軍が接収に参りましたときに、帳簿があるだろう、帳簿は爆撃でやられてすつかりなくなつてしまつた、何かあるだろう、こういうふうに、色をなして会計部長に言つたそうです。それから、会計部長から材料課長が呼ばれ、材料課長はないことはわかつておるものですから、私を呼びまして、こう言うてきつくいわれるが、どうだろう、これではただで済まぬ、こういう材料課長のお言葉で、そういうことだつたら、たつた一通しかありませんが、これはもうほんとうの全部がわかるものです、これを差上げることにしますか、それではそれにしようと材料課長が言われて、それをお持ちになつて、会計部長から向うに渡された模様です。
  332. 中野四郎

    中野委員 会計部長の名前と、会計部長が連合軍のだれに渡したか……。
  333. 川崎宗一

    ○川崎証人 会計部長は内藤信利主計大佐であります。米軍のだれかということは、私は存じません。中尉相当官の方が来たようであります。
  334. 中野四郎

    中野委員 内藤さんは生存しておられますか。
  335. 川崎宗一

    ○川崎証人 生存しておられるそうです。
  336. 中野四郎

    中野委員 これだけたくさんの技研にあつたダイヤ、金、白金をばどうして加島君の別荘に疎開した方が一番妥当だとお考えになつたのか。だれが発議したのですか。
  337. 川崎宗一

    ○川崎証人 材料課長から、目につかないところで、そして東京市外に何かよいところがないだろうかという御相談がありました。それで、それでは出入りしている加島さんがよくはなかろうかというのは私が申し上げました。それを上に申し上げられて決定されたわけであります。
  338. 中野四郎

    中野委員 そうするとあなたはもう現職中に加島君の別莊はしばしばお行きになつて、これは適当なところだと認めておいでになつたのですか。
  339. 川崎宗一

    ○川崎証人 別荘には一度も行つたことはありません。ただ加島さんの人物を私は知つておりました。
  340. 中野四郎

    中野委員 ちよつと、ここはむずかしいとこですね。いわゆる完全なる場所というのだから、人間本位で、完全なる人間というのなら、ひとり加島君のみならず、幾らもあるはずです。あなたでも完全なる方だから、あなたの家の縁の下へ埋めておいても完全だつたはずです。ところが、場所とあるからには、あなたがその現場を十二分に認めて、これなら完全無欠だ、ここなら大丈夫だというので持つて行かれたというなら話はわかるが、場所は一ぺんも見たことはない、人物を信用してやつたのだ……。対人関係ということになると、人間ですから、少し冷たいところもあれば、あたたかいところもある。人情も出る。たまに一ぱい飲んで、平素いろいろなユネクシーンでもあつて、これに頼んでおけばたいてい大丈夫だろう、おれなら大丈夫だということでやることもあるが、そういうことでやつたのですか。しかも場所をしつかり見きわめないでおいて持たしてやるということになると、もし加島さんが不届き者であつて、たとい長年海軍に入つてつたにしても、たくさん財宝を見れば、やはり気がかわつてちよつとその一部でもごまかすようなことがあつても、それは何も立証することができないのですから、現場を見ないということはちよつと変だと思う。ことに、あなたがやつたというのであれば、場所を見ないというのは変だと思う。あなたが向うにやつたのなら、ついて行つて、なるほどこれは完全な場所だといつて、あなたが見きわめておかなければ、あなたの役目は済まぬじやないですか。あなたの信用だけで、こういう国家の財宝、国民の財宝を、一川崎君のいわゆる主観だけで預けるというのは、少しおかしいじやないですか。どうですか、その当時のあなたの感想と状況は。
  341. 川崎宗一

    ○川崎証人 私は人間ですから……。
  342. 中野四郎

    中野委員 それはよろしい。あなたの信ずるのは自由です。
  343. 川崎宗一

    ○川崎証人 ええ、自由であります。
  344. 中野四郎

    中野委員 しかし、それでは不完全じやないですか。
  345. 川崎宗一

    ○川崎証人 これが不完全だとかなんとかいうことは、あなたがおつしやることで、私の上司がそれを決定されれば、それで私はいいと思います。
  346. 中野四郎

    中野委員 あなたの上司がどう決定しようと、あなたが進言したんだから、上司をして誤りなからしめるものはあなたでなくてはならぬでしよう。してみれば、あなたが上司に言つてそういうことを決定するにあたつては、あなたの責任上、現場を一ぺん確認するくらいの責任は果したつていいじやないですか。あなたの上司がかつてにきめたからといつて、あなたがその現場を見に行くのに何が悪いのです。そんなことは主観の相違だということは、あなたの独善じやないですか。あなたの品物じやないのです。日本の国家、国民のものです。たといいかなる非常の場合といえども、この金、銀、財宝という貴重なものを、散逸をおそれてこれを完全な場所にしまおうというならば――その気持はわかります。それから、あなたが加島さんを信じられたということも納得します。あなたが長年のつき合いをしていて、これがかたい人であると思えばよろしい。しかし、それでは独善じやないですか。あなたは場所も見ないし、完全な場所ではないものを、お前にまかすからかつてにしろということはおかしい。上司に対してあなたの責任を果していないと言われても、あなたは一言もないと思いますが、どうですか。
  347. 川崎宗一

    ○川崎証人 そう畳まれれば、自分も一言もありませんが……。
  348. 中野四郎

    中野委員 別に畳みませんけれども、あなたの考えはどうですか。
  349. 川崎宗一

    ○川崎証人 そういういとまがなかつたのです。1ほんとうを申し上げますと。
  350. 中野四郎

    中野委員 まあ、確かにそういう混乱状態ですから、今の治まつた段階からそのまま事を律して申し上げるような苛酷なことは言わない。当時の混乱状態はわかりますけれども、しかしながら、海軍品物が――多摩の技研の品物はともかくとして、それが一箇所加島君のところへ行つているし、場合によつては宮中まで持つてつた海軍から持ち出して宮中に一晩預けて、翌日将校が五、六人やつて来て、きようからほかへ預けるからというので持つて行つて、そのままどこへ行つたか行方不明のままになつておる。陸軍なんかに至つては、一年間も宮中にたくさんダイヤがほうり込んであつた。つまり、あの当時の軍人の心情というものは、将来の自分の身分の保障、生活の保障ということに大なる不安を感じていたのです。これは国民のひとしく感ずるところでありますが、特に職業軍人はひどかつた。だから、このどさくさまぎれに――どさくさまぎれにと言つては悪いが、当時の次官の命令でもそうだし、いわゆる横鎮の司令長官の命令もあつたでしよう。戦争を継続するかしないかわからない、場合によつては今日あるものをお前たち適当に処分してもよろしいというような司令まで出たというような混乱状態です。従つて将官の連中は、自分の身分あるいは自分の権力の及ぶ限りにおいて、国家の財宝をトラックに一ぱい、三ばいというように各方面に隠した。だから、片一方の将官がそうやれば、尉官もリヤカーに積めるだけ積んで、兵隊さんはかつげるだけかついでというように国家の財宝は相当散逸しました。しかし、私の言つているのはそういうことではない。ダイヤとか貴金属とかいうような一番高価な品物、量が少くて金額の多いもの、これらのものを、担当しておつた者が、好機逸すべからずということで隠匿したと言つても過言でないと思う。百のものを九十疎開させて、十のものをどうするというようなことを、あなたがやつたとは思わないが、断じてないということはあなただつて断言できないと思う。百のものを持つて行つて、五十を疎開させながら、あとの五十のものを適宜処分するということは、あの当時の状況から考えればあり得ると思う。そこが私は問題になると思う。あなたが相手を信じて持つて行かれることはけつこうだが、しかしながら、国家の貴重品なんだから、それを完全に隠退しておくというならば、それだけの場所を見きわめて、これならば完全無欠だ、間違いないという所を見きわめて、あなたを推挙したからには、当然これに対する責任を持つて上司に進達すべきであるにかかわらず、あなたは現場を見ておらぬと言う。ここが私らはおかしいと思う。私らだけではない、国民全部が釈然としない。さつきも、加島さんが来られたときに、釈然としないということで疑われるのはしかたがない、疑うならばかつてに疑つてくださいと言つていたが、これはふてくされな言葉で、ほんとうの民主主義国家のもとにおける国民の言葉じやありませんね。かつてにしろ、おれは何と思われてもしかたがないということになれば、お前はどろぼうした、確かに盗んだと言われてもあえてこれを反駁する何ものもないことになりますね。  そこで私は伺うのですが、問題は、小さい金庫ですね。先ほど委員長が言つたたくさんな、三十、四十の印箱のような手さげ金庫というか、あれにかぎか何かかかつてつたのですが、あのかぎはだれが持つてつたのでしようか。
  351. 川崎宗一

    ○川崎証人 そのかぎは材料課長が金庫の中に保管しておりました。会計部長のところの金庫の中だつたかと記憶しておるのでございますが、材料課長が保管をしておりました。
  352. 中野四郎

    中野委員 川崎さんは全然そのかぎを扱かつておりませんか。
  353. 川崎宗一

    ○川崎証人 扱かつておりません。
  354. 中野四郎

    中野委員 あなたが自由にあけることはできませんね。課長がみずから扱かつて、課長みずからあけるのですか。
  355. 川崎宗一

    ○川崎証人 課長が渡したときにはあけられます。
  356. 中野四郎

    中野委員 それは何度くらいありましたか。課長に、行つてあけて見て来いと言われて、かぎを預かつたことは何度ありますか。
  357. 川崎宗一

    ○川崎証人 一度あります。
  358. 中野四郎

    中野委員 それは何のときですか。日本ダイヤのときですか。
  359. 川崎宗一

    ○川崎証人 そうです。
  360. 中野四郎

    中野委員 そうしますと、ちよつと伺いますが、大体日本ダイヤと東京ダイヤに渡したときは、相当時日が遅れておりますね。戦争道具をつくる必要はもうありますせんでしたね。いわゆる横鎮の司令官が、戦争を継続するかもしれぬと言つたのは八月十八日のことでありました。あなたが日本ダイヤ、東京ダイヤから人を連れて行つてあけられたのは、もう戦争を継続していないときですね。それなのに、一体何がゆえにダイヤモンドを必要としたのでしようか。また艦政本部の方の方は、なぜ書類をもつてこういう者にダイヤモンドを渡してやれと言つたのでしようか。およそ想像がつくはずですね。
  361. 川崎宗一

    ○川崎証人 それは、私は存じません。
  362. 中野四郎

    中野委員 艦政本部のだれの命令ですか。艦政本部の責任者、あなたに命じた者を呼びますが、だれですか。
  363. 川崎宗一

    ○川崎証人 岩田主計大佐であります。
  364. 中野四郎

    中野委員 艦政本部の……。
  365. 川崎宗一

    ○川崎証人 そうであります。
  366. 中野四郎

    中野委員 その命令書には、どういうふうにしてどれだけ渡してやれと書いてあつたのでしようか。
  367. 川崎宗一

    ○川崎証人 記憶はもうさつぱりありませんが、大体ダイスが残つております。――全部ではなかつたろうかと思つておりますが、しかし、全部か一部分か、それはちよつと記憶がありません。全部のような記憶をしておりますけれどもはつきり記憶がありません。
  368. 中野四郎

    中野委員 ちよつと変なことがあるのですがね。あなたは工業用ダイヤ、装飾用ダイヤを鑑定する鑑定眼はないと言いましたね。工業用ダイヤと装飾用ダイヤを見わけるだけの鑑定眼はあなたはありますか。
  369. 川崎宗一

    ○川崎証人 装飾用ダイヤというのは、さいぜん申し上げました通り、すつかりきれいに仕上げて、みがかれたもの、これが普通装飾品と私は思つております。それから、ダイヤモンドでダイスにこしらえたもの、まるい真鍮のわくの中ヘマウントしたもの、それから米粒みたいなもの、それを工業用ダイヤというふうに私は思つております。
  370. 中野四郎

    中野委員 そこで、ダイスは一つの型にはまつたものなんです。金線、銀線、銅線を引いて、そうして電波兵器等のすべてのコイルをつくるためのそのダイスです。それがためにダイヤモンドを必要とする。これは小さいながらも一種の工具です。バイトとかダイスというものは一種の工具です。私の調べた範囲においては、日本ダイヤ、東京ダイヤにあなたがお渡しになつたものは必ずしも工具ばかりではないように私の方の調査が届いているのですが、一体どういう命令書が参りましたか。工業用ダイヤだけを渡せ、工具だけを渡せと言つて来たのか、装飾用ダイヤを渡せと言つて来たのか、何カラット渡せと言つて来たのか、その命令書の内容について伺いたいというのです。
  371. 川崎宗一

    ○川崎証人 九月の六日に渡したときの中身ですか。
  372. 中野四郎

    中野委員 はあ。
  373. 川崎宗一

    ○川崎証人 工業用ダイヤです。大体マウントしてあるものばかりと思つておりました。米粒みたいなものはやつたかどうか、今記憶ありません。それ以外のものはやつております。
  374. 中野四郎

    中野委員 目方はどれだけあるのです。どうしてはかつてつたのですか。ただどれとどれとどれを出してやれという命令はないはずでありますから、命令書には、バイトどれだけ、あるいはダイスどれだけ、何カラットとあるはずだから、そのカラット数とか、何か目印がなければならぬはずですが、いかなる計量をしてやりましたか。
  375. 川崎宗一

    ○川崎証人 米軍に渡したりストによつて渡しました。もしあのリストがここにでもありますれば、ちやんと朱書で入れて、わかつております。
  376. 中野四郎

    中野委員 ちよつと、わからないのですが、命令書はどういう命令書があつたかと聞いておるのです。つまり、どういうふうに渡してやれという……。
  377. 川崎宗一

    ○川崎証人 ダイスを渡せと電話で参りました。それから、あと書類は、九月の二十八日付の、さかのぼつた書類と記憶しております。それに、これこれの五社にダイヤモンド・ダイスを渡せ、こういうものでありました。
  378. 中野四郎

    中野委員 どれだけの数です。
  379. 川崎宗一

    ○川崎証人 そこのところは記憶がありません。残つておるものを全部渡したような記憶であります。
  380. 中野四郎

    中野委員 かんじんなところなのですが、そう記憶は悪い方じやないとあなたはおつしやつたのだから……。問題は、どれだけでもいいというわけはないのです。あなたに私が預けておきますわね。その場合は、あなたのところに、出してやつてもらいたい、――もちろん、その場合に、リストがあれば、きまつておりましよう。何か目安がなければならないから、これとこれとを何カラット出してやれ、何番の箱を出してやれということがなければならぬのですが、何を目安にしてあなたは出してやりましたか。
  381. 川崎宗一

    ○川崎証人 書類はそういうふうに簡単なものでありましたから、艦本の岩田大佐の下におります津田嘱託、その人から電話を受けて、リストのどれとどれとどれを渡せ、こういうとでありました。それだけは今思い出しました。
  382. 中野四郎

    中野委員 どうしてそのリストの通りわかりましたか。あなたは、先ほどの御説明で、小さい箱は三十か四十くらいあつたというのでしよう。かますの中に入れたというのでしよう。それから、十二箱の箱は、加島君がかつてにつくつて入れたもので、あなたのところでつくつた箱じやない、そうして鶏小屋に入れたというのでしよう。そうすると、ダイヤが入つている箱はどの箱だか知らぬでしよう。全部あけて見たのですか。
  383. 川崎宗一

    ○川崎証人 あのときは、記憶が……。全部じやないかと思つています。
  384. 中野四郎

    中野委員 それでは、わかるじやないですか。そうしたら、箱を全部あけてみれば、中に何が入つてつたか、どういうものを入れてあつたか、わかるはずなんです。従つて、あなたが出してやれという命令書によつて出したものは、いかなるものを出したか、何カラット出したか、何個出したか、その計量はどういうものによつてはかつてつたか。
  385. 川崎宗一

    ○川崎証人 それだから、リストによつて渡しましたと申し上げておるわけです。
  386. 中野四郎

    中野委員 箱のナンバーはあるのですか。
  387. 川崎宗一

    ○川崎証人 そのリストは、この箱には何個入つて、何カラット入つておる、それから、その番号もちやんとあります。そういうリストをこしらえてあつたのです。これとこれとこれを渡せ、こういうふうに記憶しております。そうしてその通りに渡した。
  388. 中野四郎

    中野委員 そこで伺いますが、あなたのところで出した品物は、さらにリストによつて、進駐軍によつて接収を命ぜられまして、日本ダイヤと東京ダイヤが進駐軍に持つて参りました。その持つてつたものと、あなたが渡したものは、ちよつと品物が違うようですか、どう思いますか。
  389. 川崎宗一

    ○川崎証人 そこのところは、私にはよくわからないのです。
  390. 中野四郎

    中野委員 あなたは、接収されて、東京ダイヤ、日本ダイヤが進駐軍に持つてつたダイヤを見ませんか。
  391. 川崎宗一

    ○川崎証人 進駐軍が持つてつたダイヤですか。
  392. 中野四郎

    中野委員 進駐軍に持つてつたダイヤ、つまりあなたが渡してやつたでしよう。渡してやつたものをば、さらに進駐軍がリストによつて見ると、それだけ足りないから、これだけのものはどこへ行つた、日本ダイヤと東京ダイヤに行つた、日本ダイヤと東京ダイヤにやつたのなら、すぐここへ持つて来いというので、日本ダイヤと東京ダイヤが持つてつたでしよう。あなたのところから出してやつたダイヤと、進駐軍に持つてつたダイヤは違うのですか。
  393. 川崎宗一

    ○川崎証人 そうですが。
  394. 中野四郎

    中野委員 そうですがじやない。あなたは認めませんか。
  395. 川崎宗一

    ○川崎証人 それは見たことがないのです。
  396. 中野四郎

    中野委員 加島君が認めておるのはどういうわけですか。加島君は認めておる。違うと言う。
  397. 川崎宗一

    ○川崎証人 知りません。
  398. 中野四郎

    中野委員 それでは、もうちよつと別の問題から聞いてみましようか、そうするとよくわかりますから。あなたが加島君のところへお預けになりました品は、リストでなくても全部わかるのです。――およそのものは。リストを持つて来れば一番文句はないのです。証拠物件をつきつければ、だれでも否定することはできないのです。あなたは、当時の材料係長として、しかも文官で当面の責任者であつた。しかも、あなたが発議して加島君のところに預けておつた。してみれば、あなたは内容を熟知していなければならぬ。従つて、この点についてどういうものがあつたかということ、ダイヤは最高のものはどのくらいの大きさがあつたか、どういうような形において渡したかということが、はつきりおわかりになると思うのですが、どうですか。
  399. 川崎宗一

    ○川崎証人 それは記憶が。たくさんありましたから。
  400. 中野四郎

    中野委員 およそでいいのですが……。
  401. 川崎宗一

    ○川崎証人 先ほども申し上げましたように、箱の中にこれくらいの紙が入つておりまして、一つ一つ、カラツト、大きさがずつと書いてありました。それで、急には覚えられません。
  402. 中野四郎

    中野委員 そうすると、日本ダイヤ、東京ダイヤは、有償でやつたのですか、無償でやつたですか。それから、あなたが考えて、あの時分兵器というものはつくてないのですから、何のために、海軍の大事な――あの中からそんなものを、幾ら艦政本部の命令だからといつて、おかしいじやありませんか。つくつてないところにダイヤをほおり出してやるというのはおかしいが、それはどういうわけですか。
  403. 川崎宗一

    ○川崎証人 それは私にはわかりません。
  404. 中野四郎

    中野委員 およそ想像がつきませんか。あなたは材料係長として。
  405. 川崎宗一

    ○川崎証人 ただ出し入れだけで、それ以上のことは言うことはならぬようになつておりました。
  406. 中野四郎

    中野委員 有償か無償か、わかりませんか。
  407. 川崎宗一

    ○川崎証人 それはは知りません。そういうことに立ち入れないわけです。
  408. 中野四郎

    中野委員 そのときに業者から受取りはとつておられるでしよう。受取りなしで渡すわけはないのだから……。
  409. 川崎宗一

    ○川崎証人 取りました。
  410. 中野四郎

    中野委員 どうしました、それは。
  411. 川崎宗一

    ○川崎証人 命令によつて焼却しました。
  412. 中野四郎

    中野委員 いつ焼いたのです。つまり、日にちが大分ずれておりますが、どういう命令で焼いたのです。どこで焼きました、あなた。
  413. 川崎宗一

    ○川崎証人 あれは、ちようど残務整理が終りまして、終りましたのは十二月の二十六日だつた記憶しております。その前の日だつたか、なんかよく記憶しておりませんが、課長に申し上げて、これはどういうことにいたしますかと言うと、これは焼翻しろ、こういうことで焼却しました。
  414. 中野四郎

    中野委員 どこでです。
  415. 川崎宗一

    ○川崎証人 役所です。
  416. 中野四郎

    中野委員 大事なものなんですが……。  あなたが岩田主計大佐に渡された書類、この人が進駐軍のだれに渡しておりますか。――それは、こちらで調べて取寄せますから、そうすればわかりますが。  それから、日本銀行において連合軍から正式接収を受けたときは、だれが立ち会つたかということ、それから、そのときの受領証を受取つておらないが、どういうわけで受領証をくれなかつたか、この二つの点について……。
  417. 川崎宗一

    ○川崎証人 それは私どもにはわかりません。私があとで聞かされましたのは、海軍技術研究所長、それから総務部長、第一課長、会計部長、この方々が行かれたというふうに聞かされております。そのときの受取りは、非常に詳細を要するからあとで届けるというようなことで、お持帰りがなかつたように聞いております。それで、あとで総務部長か会計部長からか、正式に何度も請求されたように記憶しております。しかし、とうとう来なかつたと伺つております。
  418. 中野四郎

    中野委員 つかぬことを伺うようだが、あなたと加島君とは昔から相当仲がよかつたのですか。在職中出入り商人としてごく親密の間柄にあつたのですか。
  419. 川崎宗一

    ○川崎証人 それは、あの人とは親密の間ではありましたが、あの人の性格を知りましたときは、いつでありましたか、ちよつと記憶がありませんが、まだ支那事変中であつたかと思います。倉庫係が電気銅をよけいに積み上げまして、そうして床が二、三尺ぐらいへこみました。それから壁に亀裂が入り始めた。それで、一時すぐ横に移して、それを修繕しなければならぬ急場の場合がありました。その場合に、移しますときの下敷に、こつき丸太を使おう、こういうふうに考えまして、出入りの材木屋を五軒か六軒頼んだのですけれども、そう急には間に合わないというので、みな断られました。加島さんを電話で呼びましたら、すぐ来てくれました。こういうわけで役所は困つている、何とかならぬか、それにや何とかしましようと言つてお帰りになりました。そうして自動車二台でこつき丸太を届けてくれました。そういうことがありました。この人はなかなか信頼ができるというようなことを、前からもいろいろなことで知つておりましたが、そのときに特に感じましたわけであります。なお、あとで聞いてみましたら、その日は徹夜で探して持つて来てくれた様子でございました。その代金の払いは、どういう処置をしたか、たしかいらんいらんと言つたようなことを記憶しております。
  420. 中野四郎

    中野委員 大体わかりました。あなたが加島さんを信用された理由はいろいろありましよう。人間ですから、感情の動物ですから、あの人はりつぱな人だと思えば思える場合もあるし、いやな人だと思えば思える場合もありましようが、それはよろしいとして、結局、占領軍の方で接収をいたしましたね。従つて、あなたの方でリストを示しましたが、そのリストの中には、日本ダイヤ、東京ダイヤ以外には抹殺した部分はありませんか。
  421. 川崎宗一

    ○川崎証人 ありません。
  422. 中野四郎

    中野委員 それで、占領軍がそのリストを中心にして、あなたを呼んで調べたことがありますか。リストと品物とを照し合せてみて、そしてそれは間違いないものだといつてあなたに言うたことがありますか。
  423. 川崎宗一

    ○川崎証人 ありません。
  424. 中野四郎

    中野委員 そうすると、このリストの通り、間違いなく、黒磯の加島君の別荘の鶏小屋の中には、あなたが疎開したときと同じものがあつたということが言えるのですね。
  425. 川崎宗一

    ○川崎証人 それは命にかけて言えます。
  426. 中野四郎

    中野委員 妙なときにいばらんでもいいのです。命になんかかけなくてもいいのです。もし加島君が途中で半分ごまかした、あるいは途中でなくなつた、その場合にあなたはどういう責任をとりますか。
  427. 川崎宗一

    ○川崎証人 それは、そういうことがない人に預けたのです。
  428. 中野四郎

    中野委員 あつたらどうしますか。
  429. 川崎宗一

    ○川崎証人 それは仮定じやありませんか。それには返事ができません。
  430. 中野四郎

    中野委員 もしあつたらどうしますか。
  431. 川崎宗一

    ○川崎証人 私は、そういうことは考えたことがありません。
  432. 中野四郎

    中野委員 そういう無責任だから戦争に負けたんですよ。そういう無責任な独善的な人間が軍にうんとおつたから戦争に負けたんだ。戦争に負けた原因はそういうところにある。あなたは、自分だけで、自分のやつたことは間違いないと思つている。そんなことは仮定論だと言われるが、そんな言いぐさはどこにありますか。あなたのやつたことは正しくないことなんだ。それをどうして正しいと言えるか。あなたが加島君のところに預けたことがどうして正しいか。個人を信用したことは自分つてじやないか。加島君に対する個人的感情によつて預けただけだ。これは国家国民の見地から言えば決して正しいことじやない。そういう間違つた感覚で大事な戦争に携わり、大事な物を預かつておるから、こういう敗戦の幻滅の悲哀を感じなければならない。あなたの態度はよくない。最初から今日まで一つもまじめなところがありやしない。どこにあなたが質問されてもりつぱに答えられるところのものがあるのですか。リストは渡さない、そして受取りもとつていない、自分だけがこれを見ておる、その人間に対しては自分だけが信用しておる……。だから私は聞くのです。これは仮定論でも何でもない。これがなくなつた場合にはどうするか。あなたは命にかけてもと言うが、なくなつた場合にはどうするか。自分が腹を切つただけじやすまぬことじやありませんか。これほど多数海軍技術研究所にあつた貴金属が、失われないとだれが保証しますか。人間のことだから、物によつては目がくらむかもしれない。くらまないということはあなたの認定であつて、くらむかもしれない。そういう場合の責任をだれが負うかと私は聞いておる。私はこれ以上あなたに聞こうとはしませんけれども、とにもかくにも、お互いがダイヤの問題については真剣に考えておるのです。そして、鶏小屋の中にあつて釈然としないままにダイヤが接収されたということは、どうしても了承できない。特に、あなたの方では、大事なものはみな焼いてしまつたと言う。自分が材料係でおりながら、渡したものは記憶にない……。私は、どうもそこのところがはつきりしない。自分がそれほどはつきり言い切れるなら、持つておるものをちやんと覚えておるはずである。何と何と、装飾用のダイヤの中にはどれほどのカラツトのものがある、そういう大事なところをあなたは全然説明しておらない。およそあつたろうと思うけれどもよくわからない……。かんじんなところは忘れておる。これでは私はよくないと思う。もし私の申し上げておるところが気に入らなかつたら、あなたは記憶を呼びもどされて、われわれの釈然としない点について明瞭に答弁をしてもらえばけつこうだと思うが、どうですか。
  433. 川崎宗一

    ○川崎証人 それは思い出しません。
  434. 中野四郎

    中野委員 思い出そうとはしませんか。
  435. 川崎宗一

    ○川崎証人 いや、思い出そうとは今までずいぶん――米軍からやられたときもずいぶん考え抜いたのです。あなたは機構を御存じないからそういうことをおつしやられるのですが、係の機構――記帳係、倉庫係、そういうところがあつて、そして一人があらゆるものを、監督までも頭の中に入れられるかどうかということ、これはちよつと困難でございます。もし立場をかえてあなたが私の立場におられましたら、私よりも詳しいかもしれませんが、やはり記憶はそんな程度だろうと思います。この件に対しましては、なお、あなたがそれを艦政本部のお方にでも、私よりも重大な責任を持つておられるお方、それから、ほかの材料課長にでも部長にでもお聞きになつてくださいますと、わかります。
  436. 中野四郎

    中野委員 それは当然聞きますけれども、聞けば、結局、担当者であるあなたが一番よくわかると言いますよ。リストはないでしよう。課長でも部長でも、一々ダイヤを見るわけじやありませんから、わからんと思う。当時の川崎が一番よく知つておると言う。その一番焦点にいる入が、機構がきびしければきびしいほど、よく知つてなければならない。機構の問題じやない。人の記憶の問題だ。私は、何カラットどれだけ入れてあるかど聞いているのじやない。それにおよそどのくらいのものがあるかということを説明してくれと言つておるのだけれども、あなたは、記憶がない、記憶がないと言う。だから、私は、一番最初に、あなたは記憶がいいですか悪いですかと聞いたら、中ぐらいだと言つた。中ぐらいの記憶なら相当思い出されるはずだ。だから聞いておる。これ以上あなたに聞こうとは思いませんが、ほかの方々を呼んで、しかる後、いわゆる物的証拠であるリストが出るならばよいし、――あなたは焼いてしまつたと言えばいいと思うだろうが、大体昔の軍人さんのやつたものは、焼いてしまつたとか、死んでしまつた人に押しつけるのがけりなんです。私はあえて追究いたしません。しかし、このことは、このままでは済まないのです。相当国民が釈然としないものがあるのです。黒磯の鶏小屋の底にそんなにたくさんのダイヤが隠してあつて無責任だ、だれかが責任を負つたのではなく、ほつたらかしておつたという状況においては、これは何かあつた……。何と思つたつていい、こういう先ほどの加島君のお話でしたから、何とでも思わざるを得ない。新聞でもラジオでも、こういう問題については疑惑はますますありますから、それは必ず書き立てると思うが、その責任はあげてそちらにあることだけは承知しておかなければならぬ。本日の証言において、何と言われてもしかたがないと言つたのだから、これは私の方で何をいろいろ議論をしようとも、あるいは新聞が何と書こうとも、この点についての責任はあげて本日の証人にあるということだけははつきりしておる。けれども、この点について川崎君にこれ以上申し上げません。私の質問はこれで終ります。
  437. 吉武恵市

    吉武委員長 他に御質問はありませんか。――北山君。
  438. 北山愛郎

    ○北山委員 簡単なことですが、先ほど箱のかぎの話がありましたが、その箱には全部かぎがかかるようになつていますか。
  439. 川崎宗一

    ○川崎証人 ダイヤモンドを入れた箱には全部かぎがかかるようになつていたはずでございます。
  440. 北山愛郎

    ○北山委員 ところが、先ほどのお話で、そのかぎは材料課長が預かつたと言われましたが、そうすると、箱の方は加島さんのどころへ預けて、かぎの方は材料課長がずつと持つてつたわけですか。
  441. 川崎宗一

    ○川崎証人 そうでございます。
  442. 北山愛郎

    ○北山委員 そうすると、あとで日本ダイヤに渡すときには、かぎを材料課長からあなたが受取つて、そうして加島さんのところへ行つて、あけてとつたわけですね。
  443. 川崎宗一

    ○川崎証人 ええ。
  444. 中野四郎

    中野委員 その節、二つの箱が座敷に置いてあつたというのはどういうわけでしようか。加島君の座敷にダイやの入つた小箱が二つころがつてつたのだが、これはどうしてころがつてつたのでしようね。たくさん三十、四十ある中で、あなたが担当官であるなら、かぎをかけてちやんとしまつておかなければならぬ。ところが、二つ加島君の部屋にころがつてつた。加島君もこれを認めております。私の方の調査もある。一体この二つだけがどうして置いてあつたのですか。
  445. 川崎宗一

    ○川崎証人 それは、かぎがかけてあつて……。
  446. 中野四郎

    中野委員 たといかぎがかけてあつてもなくても、鶏小屋の中に一旦納めてあつたのでしよう。必要なものだけ出してやつたら、当然あとのものは元のところへ完全にしまつておかなければならぬ。にもかかわらず、加島君の私用の座敷にダイヤの入つてある小箱が二つころがつてつたというのはどういうわけですか。あなたの責任じやありませんか。あなたは上官からかぎを預かつて来て、そのかぎをかつて元の倉庫にしまつておかなければならぬというのに、かぎをかけたかかけぬかしらぬが、二つだけ残してあつたというのはどういうわけですか。
  447. 川崎宗一

    ○川崎証人 少しあなたの考え違いが……。
  448. 中野四郎

    中野委員 考え違いはない。
  449. 川崎宗一

    ○川崎証人 箱はピール箱くらいの大きさ……。
  450. 中野四郎

    中野委員 私の言うのは、ダイヤモンドの入つておる手さげ金庫です。このあなたの言う箱が二つ置いてあつたが、それがどういうわけでそこに置いてあつたのですか。
  451. 川崎宗一

    ○川崎証人 そういうことは、私は、ありませんでした。
  452. 中野四郎

    中野委員 あなたは、良心に誓つて、ありませんと断言できますね。
  453. 川崎宗一

    ○川崎証人 できます。
  454. 中野四郎

    中野委員 加島君は、先ほどの証言で、おそらく日本ダイヤ、東京ダイヤに出したときに、それが忘れてあつたのであろうと言うておる。いいですか。あなたは断じてないと今言われたが、先ほどの宣誓によつて、良心に従つてあなたは述べておられるのだから、間違えば罰則のあることは御承知のはずである。そうすれば、加島君があと二つを取出して、かつてに座敷のところへ持つて来たということが言い得るが、それでもよろしゆうございますか。
  455. 川崎宗一

    ○川崎証人 ころがつてつたことは、私は絶対にないと思います。
  456. 中野四郎

    中野委員 あなたがなければいいのです。あなたはあくまでも正しいから、ない。あなたは当然日本ダイヤ、東京ダイヤに渡してやつたときに、あとはちやんと始末しておかれたいということですね。かぎは上官から預かつて来たなら、かぎをかつてあとのものはちやんとしまつて行かれたはずですね。その後あなたはちやんとしまつて行つたのでしよう。
  457. 川崎宗一

    ○川崎証人 ええ。
  458. 中野四郎

    中野委員 してみれば、そんな二つがころがつているわけは絶対にありませんね。
  459. 川崎宗一

    ○川崎証人 ないはずです。
  460. 中野四郎

    中野委員 ないはずじやない。あなたの責任上のことだ。
  461. 川崎宗一

    ○川崎証人 ありません。
  462. 中野四郎

    中野委員 そうすれば、二つがあの座敷にころがつておれば、これは、そのあとで加島君がかつてに取出したと言わざるを得ない。箱に足が出たり手がはえたりして、歩いて来たり、はつて来るわけはないから当然だれかの手によつてそこに運ばれて来たと言わなければならないが、あなたの現在の主人である加島君がそういう立場に追い込まれても一向支障ありませんかと聞いておる。
  463. 川崎宗一

    ○川崎証人 それは思い違いがあるようですね。座敷に、二つ幾つでしたか、まだ埋めてないやつがあつたのを、出しまして、くぎづけしてあつたやつをはずして、そこから出したやつをかぎであけて、また来てくぎづけして、そうしてこれは埋めるということで、私は帰りましたのですが、その取出した箱があそこの座敷に二つころがつていたということは、どうしても私には考えられません。
  464. 中野四郎

    中野委員 ならばいいのです。あなたは完全にしまつてつたと言う。加島君は、日本ダイヤ、東京ダイヤヘ出したときに置き忘れられたものであろう、二つつたと言うのです。私らの調査も、二つつたことは認めているのです。あなたは、あなたの責任において全部しまつ行つたと言う。先ほど委員の質問があつたように、かぎは上官から預かつてこられたのだから、必要なものを出されたあとのものは、かぎをかつて、ちやんとしまつてつたと言う。あなたのそれさえわかれば、あなたと加島君の意見は根本的に食い違うのだから、あとで引きずり出した犯人を調べればいいので、あなたは、全然間違いないという証言がこの速記の上に載つておればいいのです。もしあとで、いやあれは思い違いであつたと言われても、これは取消しませんよ。それをはつきり断つておきます。ようございますか。
  465. 川崎宗一

    ○川崎証人 ようございます。
  466. 吉武恵市

    吉武委員長 ほかに発言ございませんか。――御発言なければ、川崎証人に対する尋問はこれにて終了いたします。証人には御苦労さまでした。  次会は明二十二日午前十時より開会をいたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後四時四十八分散会