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我妻参考人 この問題は、今一、二、三と
お尋ねでありましたが、いずれも関連しておりますので、相関的に考えなければならぬ問題だと思いますそれから、問題が相当込み入
つておりますので、
意見のわかれるところかとは思いますけれども、何と申しますか、一般的な
考え方に多少食い違いがあることが、問題をさらにこんがらかせておるように思われますので、はなはだ恐縮ですけれども、初めに
民法の講義のようなことを言わせていただきたいと思います。と申しますのは、ある人が他の人に
事務を委託する、
ダイヤモンドの
買上げとか、
株券の
買上げ、あるいは家屋の売買、何でもよろしゆうございますが、ある
取引をすることを頼む、広い
意味で委任するという場合には、その頼む人と頼まれた人との間の
関係、いわば
内部の
関係、それと頼まれた人がその頼まれた
事務を
処理するために相手方と、あるいは
第三者と申しますか、そういう人と
取引をする
やり方、いわば
対外関係、この
対内関係と
対外関係とを
はつきり区別して考えることが必要で、もちろん、この
二つの
関係は
あとで互いに関与して参りますけれども、しかし、
事柄の筋としては一応離して考えなければならないということが
はつきりしておりませんと、議論をいたずらにこんがらかせるのではないかという感じがするのであります。そこで、そのある人に
取引を頼んだ場合の
内部関係と
外部の
関係ということを、恐縮ですけれどもこの際初めにお話申し上げたいと思います。
その場合に、
内部の
関係と申しますのは、人にものを委託するのでありますから、こうこういうことをや
つてくれ、それをうまくや
つたら報酬を出すのだ、あるいは、まずくや
つたら
損害賠償をとるというような普通の
契約者間の
債権、債務の
関係が生じます。これが
内部の
関係になります。それから、
外部の
関係と申しますのは、頼まれた人か、外から物を買い入れる、そして
自分のものにして、
自分の
手元にそれを引取る、その場合の
資金がもし必要ならば、
資金を頼んだ
本人からもらえなければ、どこからか借りる、そうした、
事務を
処理するために頼んだ人でない他の人と
取引をしなければならないという、
二つの
関係が生ずるのであります。そこまでは普通の場合で
はつきりわかると思いますが、実は頼まれた人が物を
買つた場合の
所有権がどこに
帰属するかという問題は、ただいま申し上げました対外的の
関係と対内的の
関係と
両方にまたがる。その
両方にまたがるということが
はつきりしないものですから、
所有権の
帰属についてどつちかにきめてしまおう、あるいは
内部関係が委任であれば
所有権は
営団のものになるのではないか、あるいは
国家のものになるのではないかというように、割切ろうとするので問題がこんがらかるのであろう、こういうように考えるのであります。
そこで、
所有権が一般的に
言つてどういうように
帰属するかと申しますと、私の考えるところと申しますか、
民法で普通考えているところによりますと、
所有権の
帰属が三通りあります。
一つは、ま
つたく頼まれた人のものになる。ま
つたくと申しますのは、
そのものがこわれたら頼まれた人の損になる、
そのものが値上りすれば頼まれた人の利益になる、ま
つたく
経済上の
計算まで頼まれた人がやる。
名実ともに頼まれた人の
所有になるという
やり方をするのが第一の場合であります。
株券を買
つてくれというようなことを頼むときには、あるいはこういうことになる場合が多いかとも思われます。それから、第二の場合は、
名実ともに頼んだ人のものになる。この場合には、
法律の形で言いますと、頼まれた人が
代理人としてやる。
代理人としてやりますと、
名実ともに
所有権は
本人に
帰属しますから、こわれたときの
損失も、値上りしたときの
利得も、全部
本人に
帰属する。ところが、もう
一つ第三の形がある。これが往々見落されているのではないかと思います。第三の
やり方と申しますのは、外に対する
関係では頼まれた人のものになるが、内の
関係では頼んだ人のものになる。これを比喩的に申しますと、
所有権は対内的には頼んだ人のものになりますが、対外的には頼まれた人のものになるという
関係があり得るのであります。その適例は、御
承知の
売渡し抵当、売
渡し担保という場合にその事例が現われて参ります。金を借りて、その
担保にする場合には、御
承知の通り普通は
質権とか
抵当権を設定するのが普通でありますが、ときによりましては、売
渡し担保と申しまして、金を貸した人に
所有権を移転してしまう場合がある。その場合に、大審院の判決なんかでも、
所有権はいわば対外的には金を貸した人、
担保にと
つた人のものになる、しかし対内的には金を借りた人の方に残
つているというような
説明をしているのであります。対外的には金を貸した人のものになるということをもう少し
説明いたしますと、たとえば、金を借りた人が
破産をしたという場合に、金を貸した人はそれを
自分の
所有物だとい
つて破産財団からそれをとりもどすことができる。あるいはまた、金を借りた人の
債権者がそれを差押えたような場合には、金を貸した人は
自分の
所有物であると
言つて異議を述べることができる。それから、金を貸した人がそれを人に売る。人に売りますと、
買つた人は
無条件に
所有権花取得する。そうい
つたような
意味で、金を貸した人、借りた人以外の者から見ますと、
所有権はま
つたく金を貸した人の
手元にあると考えていい。その
意味で、対外的には売
渡し担保物の
所有権は金を貸した方の人のものになる。しかし、
内部の
関係ではなお金を借りた人の
所有に残る。
——という
意味はどういう
意味かと申しますと、期限に金を返さなか
つたときにどうするか。そのときには、
元利を合計したその金と
目的物の
評価価格とを清算いたしまして、その
差額があればそれを返す。それから、
そのものが非常に値打のないものであ
つたとか、あるいは不可抗力でそれがなくな
つたというような場合には、金を借りた人の
責任になる。つまり、貸した人と借りた人との間では、
そのものの
価格というものと
債権関係とは常に
見合つて、そして
無条件で金を貸した人の
所有といいますか
利得にはならない。そういう
考え方をしているわけであります。これがつまり、外に対する
関係では
所有権は頼まれた人の
所有に属するけれども、
内部の
関係では頼んだ人の
所有に属しているのだということが考えられ得る。
普通民法学者はそれを
所有権の
信託的譲渡というようなことを
言つております。あるいは信託的に
所有権が相方に移るというふうに
言つております。
そこで、この
事件について私の
結論を
最初に申し上げますと、第三番目の場合であるのではないか。つまり形式的な
第三者に対する
関係は
営団の
所有にな
つているであろう、しかし
そのものについての
利得は全部
国家に
帰属している。さらに申しますと、
営団がだれかに売る。これは売れないことにな
つているわけですから、売れば
信託違反ということになります。しかし、とにかく売れば
国家との間には
信託違反の
責任を生ずるけれども、
所有権は
第三者のものになる。そういう
意味でまた
営団の清算と
関係しましようが、もし
営団が破算でもして、
債権者が差押えるということになりますと、これは
債権者の
所有権に属し得る。しかし、そうした
第三者が
関係しない限りは
国家に保有されている。
従つて、売り渡したという
関係で言うと、
元利を
計算することをしなければならない。そして
評価額と
元利計見との
差額は
国家にもどる。そうした
関係から、つもり、もし
営団がその
ダイヤモンドを買うためにある銀行から数十億の金を借りている、それについて利息を払わなければならぬということであれば、これはみんな
国家が清算して渡してやらなければならぬ。しかし、なおかつ
利得が
残りますと、その
利得は
営団に
帰属するものではなくて
国家に
帰属する。そうした
意味において、
内部関係においては
国家の
所有になると考えていいのではないかというのが私の
結論なんであります。
そこで、さようなことを一般的な
考え方と
結論を一緒に言
つてしまつたわけでありますが、今
委員長の
お尋ねに
一つ一つ答えて参りますと、第一の問題は
営団の
性格ということでありましたが、どうも
営団の
性格というものは、あの当時の日本の
政治機構といいますか、あるいは
法律機構がかなり異常な状態を示しておりましたので、
はつきりつかむことは相当困難だと思います。のみならず、私に言わせますと、これが公法的なものだとか、あるいは
国家の
一部分だというか、そういうことによ
つて問題が一律に割切
つてしまえるものじやない。
国家的な
性格と申しましても、やはり濃い薄いがあ
つて、あの当時できたいろいろな広い
意味での
国家政策の
代行機関というものにも、
国家的色彩、あるいは
公法的色彩の薄いものと濃いものとが非常にたくさんありますので、これが公法的なものであるか、あるいは
国家の
一部分であるかということを言いましたところで、それから問題がすぐ解けて来るものではないというふうに考えますので、
営団の
性格ということは、むしろ第二、第三の問題を考えるときに、それを吟味して行けばいいのではないかこいうふうに思うのであります。
岸国務大臣の
説明をここで承
つておりますけれども、これも
法律的に申しますと、
あまり筋が通
つていないので、やはりその当時の
気持を現わしているのだ。相当
国家的色彩が強い、しかしある
意味において独立している
機関だというようなことになるのではないかと思います。もし
言葉じりをとらえますと、
岸国務大臣のお話で「
政府の
方針と一致して
一つの
交易という
事柄を
自分の
責任でやる、」ということを書いております。もし私が申しましたように
損失も
利得も全部
自分が背負う、
経済的財政的意味において
責任を負担するという
言葉にとりますと、私の
先ほど申しました
結論と違
つて行くように思われますけれども、
岸国務大臣は、すぐその
あとで、いわば大きな
交易省ということを
言つておられるので、もし
経済的にも
法律的にも
自分の
責任であるならば、
交易省ではあり得ない。
交易省は
国家の
一部分でありますが、
自分の
責任と言われていても、そうした正確な
意味ではない。
国家の
一部分とも言うべき、しかしある程度の
独立性のあるものというくらいに考えてお
つていいのではないかというふうに思います。
それから、第二の問題は、当該の
ダイヤモンド買上げということについての
国家と
営団との
関係ということでありますが、これは、どうも当時の
法律関係を正確に研究しておりませんので、確信を持
つて申し上げますことは困難でありますけれども、いろいろ御
調査の結果などを拝見いたしますと、これは特定の
法律に基いてや
つているのではなく、
営団のなし得る事項の中に来るという前提で、特に
ダイヤモンド買上げということを
国家が頼んだというふうに見るのが正しいじやないか。そうしますと、私がさつき申しました広いお
意味における
委託関係があると考えていいと思います。
先ほど一般的なものの
考え方として
最初に申し上げました、そのある人がほかの人にある
取引を頼んでこう申しましたが、広い
意味で頼むということの中に入
つているというふうに考えるのでございまして、それで少しも支障がない。それが私法的のものであるか、公法的のものであるかということを議論することは大した意義のあることじやないものと考えています。
そこで、三番目の
所有権は国か
営団かということでありますが、これは何といいましても、
買上げてありますから
売つた人のものでなくなることは確かである。いまさら
売つた人が返してくれと言うことはできないことだと思う。
売つた人の
所有でないことは、これはごく明らかなことであると思う。そこで、
買つた営団のものか、それとも国のものか。それが、
先ほど三つの場合があると申しましたが、そのうちの第三の場合だろうと申しましたが、
名実ともに
国家のものにな
つたということを
言つても言えないことはない。そういう
余地さえあるのじやないかということも考えられるのであります。と申しますのは、
名実ともに
国家のものになるということは、つまり、
代理人としてやるということを申しまして
代理人としてやる、
——形式的に申しますと、
取引をやる
人自身の
名前で
取引をやるのか、それとも頼んだ人、すなわち
本人の
名前でやるのかということが、
法律的に申しまして代理の場合になるじやないかと思います。そうしますと、ここに
営団の名において
買つたのであ
つて、国の
名前で
買つたのではないだろうということになると、そうすると
代理人ではなか
つたということに一応なると思いますが、しかし、
代理人が
本人の名を示すということは、必ずしも甲何がしの
代理人、乙何がしの
代理人と
はつきり言わなければならないものでもない。周囲の
事情から
本人のためにや
つているということがわかれば
代理人が成立するということは、
民法百条の
規定からわかるし、ことに、
商法では、
代理人が
取引をするときは
本人の
名前を示す必要がないということを
商法五百四条で
言つております。そうした
取引の場合には、
本人がだれであるかということはあまり
関係がないから、そういう
商法の
規定ができているのでありまして、この場合には必ずしも適切ではありませんが、しかし、ただ、
本人の名でや
つたか、頼まれた人の
自分の名でや
つたかということは、それほど形式的にやかましいものじやないということ、これは
民法の
規定からも
商法の
規定からも言えるであろうと思う。そうしますと、あの当時
国民全体が
——一体交易営団というものが、
岸国務大臣が言われるような、初めから
性格の
はつきりしないものでありますから、それを
国家からは独立した
別個の
計算をする、
法律上
別個の
人格者だというようなことを
国民全体がどこまで意識していたか。あの当時は、
国家がおやりになるのだろう、だからしかたがないから売るという
気持が非常に強い。結果論をするようでありますが、もしそれが処分できなくて残
つたときには、その
買つた営団が
利得をするのだということを
知つたならば、おそらく売らなか
つたろう。これは結果論から
言つても何人も承認するところであろうと思う。結果論をするようでありますが、それを逆に言いますと、当時の
国民の
気持を考えて行きますと、
交易営団というものはやはり
国家の
一部分だ、
国家が買うのだというふうに考えたとも言えるのじやないか。そうすると、
営団が
買つたというのは、なるほど形式的に見ると
営団の名において買
つているけれども、
取引全体から見ると、なるほど
国家の名において
買つたと解釈する
余地さえあるのだろう。もしそう解釈しますと、もう
代理人であ
つて、
所有権は
名実ともに
国家のものになるということになると思います。ただ、しかし、今私が申しましたのは相当結果論も含まれておりますので、虚心坦懐に考えますと、それは多少無理かもしれない。そこで、やはり
営団という
法律的に
別個の
人格を持
つたものが
買つたのであ
つて、特に
国家にかわ
つてということを示さなか
つたのだから、
営団の
所有になるということが解釈としては穏やかだろう。ただ、私が申しましたのは、しいて言えばそこまでりくつをつけられないこともないだろうとさえ考えるということを申し上げたわけであります。そこで、
名実ともに
国家のものにな
つたのではない、
営団のものにな
つたということを認めるのが妥当であろう。しかし、
営団の
所有でありましても、
先ほどから
一般論として申しましたように、
買上実施要綱なんかを見ますと、手数料をやるのですから、もしあやまちがあ
つたらその危険は
国家が負担して、それに対して補償をするということをきめております。それから、
買つたものをどこにどれだけ売るかということも全部きま
つております。そうしたわくの中で動くのであれば、
所有権を取得すると申しましても、その
所有権についての実体と申しますか、価値と申しますか、それまでが
営団に
帰属するという
意味ではない。その実質は
国家に保留されている。
——先ほどの
言葉で言いますと
内部的に
国家に
帰属ている。
外部的に
所有権は
営団に
帰属するだろうが、
内部的に
所有権は
国家に
帰属しているというふうに考えることが至当なのじやないか。もつとも、この判定を誤
つた場合の
危険負担というようなことについては、
一定の率を定めているようであります。もしほんとうに
国家が
利得の
責任を負うということになりますと、これは、誤
つた場合に個別的に
損害を負担するということが一層徹底しているのでありましようが、しかし、こうした
取引の場合には、それをあらかじめ
見積つて、そうして
一定の率でやるということをや
つても、これは少しもさしつかえない。ですから、
危険負担を
国家が負うているということは、たといそれを
一定の率でや
つてお
つても、決して
利得をも
営団に
帰属せしめるという趣旨と解釈する根拠にはならないというふうに考えるわけであります。
それから、
先ほどもちよつと申しましたように、そのために
借入金をしたというような場合には、この
借入金の
債権者は
内部関係における
国家の
債権に優先するということを考えなくてはならない。
先ほども申し上げましたように、売渡した場合に、その金を貸した方の者、対外的にはその人の
所有にな
つているのでありますから、その人が
破産をし、その人の
債権者が差押えたというふうなときには、その方が優先すること当然でありますから、それと同じように考えていただきまして、この
ダイヤモンドについて
借入金をしている、その
債権者が
ダイヤモンドから弁済を受けたいといういようなことを
言つている場合には、これはむろんその方が優先をする。そしてそれらに払
つてやる。そうして
残りがあれば
国家に属するというふうに考えます。もう簡単に
結論を申し上げますと、その
ダイヤモンドについての
損失を
営団に負担させるということはできない。それはすべてを清算した上で、
残りがあれば、これは
国家のものになるというのが私の考えであります。
以上の三点につきまして公述を終ります。