○
山本(勝)
委員 ただいまの
質問に関連して
質問をいたしますが、ただいま
佐伯委員から、まことに深刻な
質問がありました。安定
委員会というものはなくてもいいと思うというほどの
質問がありましたが、私はやはり安定
委員会及び
経済審議庁というものは、非常に大きな役割を果しておると実は思
つております。
委員会ごとにまことにぶしつけな
質問もいたしましたけれ
ども、私は正直に申しまして、これだけの
経済白書をまとめ上げて出されるということだけでも、ほかの官庁に劣らぬだけの仕事をしておられるように思います。この
白書は過去及び現状に至る分析でありますが、それでこそ科学的な分析が可能に
なつたと私は思う。あまりに策を急いで、ああしたい、こうしたいということが主にな
つて調査をされたのでありますと、かえ
つて私
どもとしてはその分析に信頼を置けない、むしろ私はこういう分析は、もう少し政治性を抜いてや
つてもらいたいとすら思うのであります。たとえば
国民所得の算定にいたしましても、いろいろ
大蔵大臣なんかの説明の
材料になる、財政規模と
国民所得との
関係というような場合でも、財政規模は
国民所得に比べると昨年よりも小さく
なつたというようなことを言
つて、国民に安心をさせようとするのでありますが、そういう場合に、もし
国民所得の計算にいささかでも水増しのようなものがあつたとしたら、それこそ国の財政
経済を誤ることになる。ですから私は、
経済審議庁というものは厳然たる
経済の審判官の立場に立
つて、時の
政府などというものに動かされないで、正直に過去及び現在の分析をや
つてもらいたい。この分析自身が正確で完全なものとは私はまだ思いません。その点も二、三申し上げましたけれ
ども、しかしとにかくことまでまとめ上げたのであります。もう一息正確にや
つていただければ非常にありがたいと思うのであります。この中に過去分析のほかに、将来の
自立経済に対する諸条件というふうなものを出しておりますが、これは私から見ると、いらざることで、かえ
つてこの分析を傷つけておるとすら思うのです。話は多少順序を欠きますけれ
ども、この四十五ページに、まことに文学的な表現で、「当面病状が覆いかくされ、痛みの少い時においては、苦痛を伴う手術を納得させることは困難である。けれ
ども特別の外貨
収入がなくな
つて、手術をするより仕方がなくな
つてからでは手遅れである。手術をうける体力がある時には、受ける決心がつかない。病勢が悪化して手術をうけるより仕方がなく
なつた時には体力がない。これがわが国の
経済の当面する最も深刻な矛盾である。」というような表現までありますが、私はこの
自立経済ということについてはこういうふうに
考えておるのです。御参考にそういう
考え方もあるという
意味でお聞き取り願いたいのですが、もちろん
自立経済というものが、自給自足、
アウタルキーを
意味する人もありますけれ
ども、そうでないことは、次官からも先ほど申されました。結局
自立経済というのは、正常の
貿易収入ないしは正常なる
貿易外収入というもので、つまり
特需のような一時的なものでなしに、そういう
収入で
国際収支の均衡をとるというだけのことだろうと思うのです。何ゆえに今日
輸出入の
バランスがあのように大きく離れておるか、それが回復しないかということの一番大きな原因は、
特需があるということなのです。
特需があるから、つまり親からの仕送りがあるから、むすこが
ほんとうに
自分の月給で食
つて行かない。
自立しないのです。これがなかつたら
日本民族は手遅れとは私は決して申しません。これで見ると、体力がなくな
つて死んでしまうようにちよつと思いますけれ
ども、決してそういうものではない。なかつたらなかつたで必ず切り抜けている。これは戦争の末期あるいは終戦直後のあの
状況でも
日本人は切り抜けて来たのでありますから、先ほど来
佐伯委員長も申されました通り、
生活程度は国力以上に高ま
つておる。この国力以上に高ま
つておる
生活程度が、二割や三割下りましても、それは政治的にやり方を間違えたりいたしますと、社会的混乱も免れぬかもしれませんが、しかし
方法よろしきを得れば、
生活水準と申しますか、正確に言うと
消費水準が実力相当、つまり正常の
貿易収入もしくは正常なる
貿易外収入の
程度において生活して行く。あるべき
程度に下つたために、もう手遅れで参
つてしまうなどとは私は思いません。それで私は先ほ
ども申したように、
ほんとうに
貿易外収入があるものを断るという理由もありませんから、特別
会計でもつく
つて、これはわれわれの日常生活にはまわさぬ。経常的な
支出に向けないので、
賠償の支払い、それから異常なる
災害の復旧、ないしは今日の
災害予防のための差迫つた
治山治水というようなことにのみ使う。こういうふうに別
会計にした方がいいのじやないかと思うのであります。そのことは先ほど申したのでありますけれ
ども、そういうことが何もかもできなくても、さてそれがなく
なつたらなく
なつたときで必ず切り抜けて行きますから、それを心配していろいろと間
違つた計画などを立てて、そうして途中でやめねばならぬというような
計画などは立てぬようにしてもらいたい。先ほど
佐伯委員長と私との
考えが非常に違うように
佐伯委員長は思
つておられるかもしれませんが、私はじつと
佐伯委員長のお話を聞いておりまして、独占禁止法の場合における
価格カルテルの問題で感じたと同じように、幾多の傾聴すべき点を実は了解しているつもりでありまして、そう隔たりはないと思うのでありますが、
佐伯委員長が長期
計画々々々々と言うのも、私が憂えているような長期
計画でなしに、むしろ
治山治水とか、道路とか、その他のそういうことにおいて百年の大計を立ててほしいということを言
つておられるらしい。あの五箇年
計画のように、ビニールを何万ポンドかつく
つて、そうして綿の
輸入代金を減らすなどということは、私から言うと、絵に描いたもちみたいなものだ。こんなことをや
つてビニールをつく
つてみても、国民が買わなかつたらどうしますか。綿以上のりつぱなものができれば
けつこうですけれ
ども、非常に金をかけて——あれはほんの議会で説明する
材料としてこうも
考えているという
程度ならいいですけれ
ども、もし真剣にな
つてあれをや
つて、予算の裏づけをして実行するということにな
つて、五億ドルの節約をするためにしやにむに押して行くということに
なつたときの
状況を私は
考えてみますと、これはゆゆしい問題にぶつかるだろう。外交上だ
つて、これまで買
つておつた綿が買われなく
なつた国々との間にも起るだろうし、
日本内地でも、ビニールを
国内でつくつたから、いやだと言つた
つて何と言つた
つて、みな配給で割りつけてやるというようなことでもやらぬことには、こなせぬような場合も起り得るのでありますから、やはりもう少し
状況を見ながら推進して行く。
治山治水とか、要するに提防が切れかけている、これが切れると何万町歩の田畑がどろの中に入
つてしまう、人間も死ぬというような場合に、そういうことは先般来の風水害でもはつきりわか
つている、こういうことに対して、幾ら一方で生産をや
つて行
つても、一度に水が切れて参
つてしまうようなことでは復興などできませんから、今度できる
治山治水委員会というものはどこに属するか知りませんけれ
ども、ぜひとも
経済審議庁において——これからつくるのも大事ですけれ
ども、すでにあるものが破壊されて行くのを防止する
計画、これもなかなか
治水なんということになりますと、応急措置は別といたしまして、少くとも五年、十年の、あるいはもつと長い
計画を立てなければ、とてもや
つて行けません。ですからそういうことにはうんと力を入れてもらいたい。
山本は古典的な自由主義者だというようなことを、二言目にはみんな言いますけれ
ども、私は決してそういう、国は手ぶらで見ておいたらいいなんということを
考えておりません。石炭でも、石炭は基本的な
産業だから、これはぜひとも増産せなければならぬなんというのは、うそなんです。電気は基本的だなんということもそうだ。およそ世の中に基本的なんというものがあるわけのものではないので、たまたま
バランスの上において立ち遅れておるものを、人間が基本的と意識するだけです。ですから交通輸送機関はそろ
つておるのに、石炭がないというときならば、それは石炭が足らぬから石炭々々と言いますが、今度は石炭を山のごとく積み上げて、輸送の機関がないためにどうにも運べぬということになりますと、今度は輸送機関こそ基本的だといつたようなことを言い出す。今度は輸送機関もできましたけれ
ども、その荷揚げ人足が欠乏してお
つてどうにもならぬということに
なつたら、人足が大事だということになるにきま
つておる。要するに
バランスの問題でありますから、今の
治山、
治水とか、あるいは道路をよくする、あるいは病気をなくする、そういうふうなことですと、いくら努力いたしましても、その努力が過ぎるということはありませんけれ
ども、ある具体的に現われた
品物を増産したら、必ずほかのものとのつり合いがくずれて来て、過ぎたるはなお及ばざるがごとしということにな
つて来ますから、その
バランスを絶えず
考えて行かなければならぬから、あまり先の
計画を立ててお
つても、必ず行き過ぎて来たときにはとめねばならぬ。予算にありましても、ほかのものより行き過ぎたときには必ずそれをとめて、足らぬ分を今度は進めなければ、全体の
バランスがくずれて来る。たとえ話にありますけれ
ども、汽車ができた、機関車もできた、それに運転手もできた。しかしながら、石炭をくべるスコップがないために、その汽車がシベリヤの曠野で古鉄のかたまりと同じような
状況で横たわ
つておつたということを
報告しておるものがありますが、
一つ足らぬでも、残りのせつかくつくつたものが、全部古鉄のかたまりと同じようなことになる。もう苦い経験がある。戦争中物動
計画というものを立てて、それから今度は生産拡充四箇年
計画、五箇年
計画というものを立てて、そうして
経済安定本部の前の企画院——御承知でありましようが、企画院の発表を聞きますと、予定
計画には及ばなかつたけれ
ども、しかし昨年よりはいい、こういうふうな
報告を毎年やられた。そのときに私
どもが痛切に感じたのは、
バランスがとれておるのかとれてないかということを無視して、
算術平均を出して、そうして生産はここまで来たというようなことを言
つても何もならぬ。極端な例を申し上げれば、ずいぶんにくまれ口もたたきましたが、左のくつを百倍にしても、右のくつが元のままであつたとしたら、結局それはけない。平均してみると五十倍に
なつたとか四十倍に
なつたとかという数字は出るかもしれぬけれ
ども、両方の
バランスがとれていなければ、つくり過ぎたものは、将来は役に立ちますけれ
ども、そこに至るまでの間は、結局倉へ入れて保管する、その倉までつくらなければならぬということになる。ですから、私は長期の
計画に反対するのではありませんけれ
ども、そういう
バランスをくずさぬような
計画でなければならぬ。その
バランスをくずさぬところの
計画と申しますと、今申しましたような
治山、
治水、道路、通信とかいつたような、アダム・スミス以来国家がなすべき仕事としてはつきりしておるような仕事をおろそかにしておいて、そうして
政府がやらなくても、自由にまかしておいてもやれるようなことに力こぶを入れておる現状である。むしろ
経済審議庁などは全体を見渡してお
つて、そうして全体の総合調整に当る。
経済審議庁が企画院のような役割で立てた
計画にの
つて各官庁が動くというふうなことになりますと、まことに
けつこうのようですけれ
ども、そういうことをしたら、各官庁が死んでしまいます。各官庁が人に立ててもらつた
計画ができ上
つて来るまでじつとしてお
つて、ただでき上つたらそれだけで押して行くということでは、それではどこの官庁も死んでしまう。ですから、やつぱり官庁は官庁で動いて行くのを、ずつと全体を見渡すのが、
審議庁の役割である全体を見渡してお
つて、お前のところは行き過ぎた、そつちへ行くとどぶがある、こつちに行けば橋があるというふうなことを、全体の
バランスから
考えて調整して行く。過去及び現在の科学的な分析と、それから行政官庁の活動に対する総合調整ということの役割を果して行かなければ、私はその存在の価値がないと思うのであります。ことに
計画を立てろ立てろ、何しているのだと攻め立てられますと、各省ともそうでありますが、作文みたいなものをすぐつくりたがりますけれ
ども、有機的総合的
計画なんという、言葉としては有機的ということは一言で申しますが、なかなか有機的ということはむずかしい。総合的というようなこことも、神様なら別ですけれ
ども、真の
意味の総合というようなことはできるものではない。結局は全体の
経済というものは、原則として自然の調節によ
つて動いて行くという大前提の上に、何かのものを選んで、そこに国家が力を入れて行く、自動的に動いて方く、生産
消費の
バランスがとれて行く、その大原則の上に、それでもなお足らぬところを国家の力で補
つて行く。あるいは自然にまかしておいてはどうしてもできぬものがあるのです。国家でなればなやれぬものがある。御承知かもしれませんが、城崎で大地震があつたときに、京都府の府庁ではみんな集ま
つて、何を持
つて行つたらいいかということで、最も大事なのは食い物だというので、米を用意して持
つて行つた。ところがその時分は
自由経済でありまして、配給じやございませんから、城崎に米がないとなると、米の値が上るから隣の村からどんどん米を持
つて行く、その村で米の値が上れば、またその隣から持
つて行くから、米はあり余
つておつた。ただ陸軍はスコップを持
つて行つた。これは道路が大事だというので、スコツプを持
つて行つたのでありますが、そのあとで私は友人である京都府庁の官房主事に聞いたが、陸軍の方が頭がよかつた、それは着物が大事だの何が大事だのと言
つて持
つて行きましても、
自由経済では値が上るから、日に夜を継いで入
つて来るから、持
つて行かなくても自然にととのう。ただ道路というものは、
自分だけのものなら直しますけれ
ども、皆が歩くものですから、なかなかだれも直さぬ、人間は欲なものでありますから、みんな歩くところだから直さない。これは一例にすぎませんけれ
ども、そういうものこそは国家公共の力でしつかりや
つてもらいたい、そういうふうに
考えるのであ
つて、決して手ぶらで自然の成行きにまかしておいたらいいというわけではないのであります。
審議庁に対しては、私は初めてこの
委員会に出まして、実はいらぬどころか、私が
考えておつたよりも非常に多く仕事をされておることを感謝いたします。なおこの上とも今申しましたような
意味で努力を願いたいというふうに希望する次第であります。