○
穗積委員 私は
日本社会党を代表しまして簡潔に私の
意見を申し上げたいと思います。
結論を先に申し上げますが、われわれは強い信念を持
つてこの
条約に反対をするものであります。
その
理由を申し上げますと、およそ
条約であるとか、
法律というものは、特にこういう
経済的、技術的な
条約につきましては、これを動かす
経済的な勢力というものを見なければなりません。そこで
アメリカと
日本との
経済関係でございますが、今まで
アメリカの
資本が
日本に入ることが
政府の期待に反して割合少かつたということによりまして、
アメリカ資本が今後
日本の
経済界を
支配して、
日本の
経済の
自主性を喪失せしめ、いわゆる
経済的植民地化を完了するということに対する危惧は少いという議論は成り立たないと思います。何となれば、世界の
経済をながめますならば、戦前におきましては、
アジア地区から
アメリカヘ、
アメリカ地区から
西ヨーロツパヘ、
西ヨーロツパ地区から
アジアヘと、輸出は非常に盛んに行われておりまして、それによ
つて経済的な
国際バランスが、どうかこうか保てて来たのでありますが、
終戦後におきましては、この
均衡状態がまつたく破れて、その
生産力におきましても、その
国際資本の
独占の率におきましても、圧倒的に
アメリカの
経済力が強化されたのであります。
従つてアメリカの
資本主義経済を維持いたしますためには、戦後の
自由主義諸国に対しまする
経済的援助の名をかりておりますが、実はこれらの
国々に対しまする軍事的または純
経済的な目的の
いかんを問わず、
対外投資を
行つて、そうして
経済的な
市場の確保をしなければ、
アメリカ資本主義経済自身がもう維持できない
段階に来ていることは明瞭でございます。今まで
終戦後
ソ連との対立がひどかつたので、あるいはまた一時におきましては戦争によ
つて被害を受けました
自由主義諸国間におきます
経済的の窮迫を救う必要上、そういう救済的な
意味と、あるいは
軍事的援助の
意味をもちまして
対外投資が行われて参りました。特に現
アイゼンハウアー政権が確立されます前後からは、この
軍事的援助の強化の線がしごく明瞭にな
つて参つたと思います。そうして現在の
情勢におきましては、幸いにして、朝鮮を中心といたします
平和攻勢のために、いわゆる平和的な機運が出て参
つております。そういたしますならば、もし幸いにして、このまま
国際政治並びに
経済情勢が前に進まれるといたしますならば、おそらくは
アメリカの
国内資本が、その
資本市場を確保いたしますためには、従来
軍備拡張経済に依存いたしておりましたものが、やがて
平和経済産業に転換をし、そうして新たなる
市場の開拓をしなければならない。そういうことになりますならば、必ず
日本もその有力なる
対外投資の目標の
国家とならざるを得ないと思うのであります。いずれにいたしましても、一方におきましては、現在はMSAの
軍事的援助を通じ、あるいは一方におきましては本
条約によりまして
民間資本あるいは
平和産業に対しまする
資本投下の道を開きまして、そうして全世界的な
資本の
対外投資、その場合におきまして、
アジアにおきましては最も有力なる
投資国家として
考えられることは当然であると思うのであります。
従つてそういう観点からいたしますならば、現在この
条約の
交渉に当られました
政府当局の今までの判断の主観の
いかんを問わず、今後
日米間の
経済情勢はそうならざるを得ない。しかも
岡崎外務大臣の御
答弁によりますと、われわれが
アメリカの
資本を導入する場合においては、相手が強くこちらが弱いので、多少
日本の
経済的支配を受ける
危険性はあるけれども、これからたとえば
東南アジア諸
地域に対して、われわれが
通商航海条約を結ぶ場合においては同様の
条約を結ぶ、すなわち自由の
原則によります
条約を結ぶことによ
つて、その損失をとりもどすのだということを意識してか、無意識の間にか言われておりますが、まさにそのことは大きな
意味を持
つておるのでありまして、おそらく
アジアにおきまする、唯一とは言いませんけれども、最も運んだこの
工業国家——しかしながらこれは
西ヨーロツパや
アメリカ、
ソ連地区の
工業に比べますならば、その
資本の
規模において、その
生産の技術において劣
つていることは申すまでもありませんが、
アジアにおきましては下請工場的な役割を果しめますために非常に適切なるところでございます。しかもその
資本の
規模が小さいので、
日本の
経済を
支配し、それを通じて
アジアの
経済を
支配するということが非常に安いコストによ
つて完了できるということを、今後の
情勢において
考えなければならない。もしそうでありますならば、この
条約というものは、まず
アメリカの
独占的な
資本主義経済が
日本を踏台といたしまして、もう一ぺん
アジアの
後進国経済を、
資本主義的、さらに
はつきり言いますならば
帝国主義的な方式において
支配いたしますそのレールになるということを、当然
考えなければならない。そういう危険をわれわれはまず第一に指摘しなければならないのであります。
さらにもう一点
政府に勧告をいたしておきたいと思いますことは、
東南アジア地域に対しまして、われわれの
経済的優位を利用してかの地の
経済を
支配し、あるいは搾取するというような希望を持
つて、その
条約を結ぶためにはまず
アメリカとの間においても自由な
条約を先例として結んで、これをスタンダード・ケースとして、
東南アジア諸
地域との自由なる
原則による
資本の
投下の可能な
通商航海条約を結ぼうという腹がおありのようでありますか、
アジアの戦後におきます
民族解放の
要求というものは、今の
政府が
考え、おらるるような、この
条約の中に盛られているような、そういう
先進国の貸本がか
つてに
後進国の弱い
経済の中に無
制限に入り込んで
行つて、これを欠配するようなことを許すほど、
東南アジア諸国におきます民族的な
抵抗が弱くはないということを、われわれは看取しなければならない。すでに
インドとの間における
通商航海条約の
交渉等にあたりましても、
インドはこの
投資条件について強い
抵抗を示している。すなわち長年英国の
帝国主義に
支配されて参りました
インドは、その
帝国主義的な
支配というものがいかに苛烈であり、いかにみじめなものであるかということを、長い歴史を通じて身をも
つて体験して参りましたので、強い
抵抗を示しているのであります。
従つて日本が今度
アメリカに許しましたことを
理由にして、同じ
内容の
条約を
インドを初めとする
東南アジア諸国に
要求して
交渉をされましても、おそらくは
政府が
考えておらるるような
交渉は成立しないとわれわれは思うのであります。そこで御
説明を伺いますならば、この
条約はすでに
国民政府あるいはイタリア、コロンビアその他の
国々と結んだのであ
つて、それに比べるならば特に第七条の
制限業種のごときは、広い
制限を加えて
日本の
民族資本の擁護の障壁が築いてあるということを得意にな
つて御
説明になりましたが、このような
国々と
アメリカとの
関係というものは、名目は一律でありますが、か
つての
日本と満
洲国との間におけるごとく、あるいはか
つての
上海経済における
関係のごとく、すべてが
経済的植民地の実績を持
つておるのであります。こういう
国々と結びました
友好条約をも
つて、われわれの
独立と繁栄を確保するための
経済的提携などという
説明はとうていできない。それが証拠に、
アメリカのこの
独占的な
ドル支配の
経済に対しまして、
西ヨーロツパ諸国は
民族資本の
独立の
要求を持
つております。そこでこれらの
国々はなぜ一体最も近い
アメリカと結ばないか。これは言うまでもなく、
アメリカは
資本主義以外のものの
考え方を知らない
国民であります。
政治家またしかりであります。
従つてほんとうの社会主義的な、協同主義的なそういう
国際経済の新しい建設ということに対して、まつたく無知なる
アメリカにその反省を促し手ためには、われわれはこの
市場協定を初めといたします、
ほんとうに民主的な、
ほんとうに強いものと弱い者との間における公平平等な
原則を打立てるための
協定をまずやる、その上に正しい
条約を結ぶということが当然のことであると思うのでありますが、今の
吉田内閣は、口ではどう
説明されましても、こういう
条約を結ぶことによ
つて表現されておりますことは、まさに
国際的な
アメリカの
独占資本主義の前に買弁
資本的な、あるいは軍官的な性格を示しておるものであると私は言わなければならない。これはそういう
意味におきまして、将来
日本の
経済に対しまして重要なる
意味を持
つておる。この
経済によ
つて支配されたる国が、外交あるいは国内政治におきまして
独立を完了することは、とうてい困難であります。これは各国の例を見まして明瞭なことである。私はそういう観点に立
つて、この
条約について特に次の諸点について反対の
理由を具体的に
はつきりしなければならぬのであります。
まず第一は、条文に
従つて申し上げますが、第六条の公用徴収に対します
アメリカ資本に対する不当なる優遇の条項でございます。これはわれわれの
考えで行きますならば、真に平等であるとするならば、この場合におきましても内
国民と同様に園内法によ
つて待遇を受けるということを言うのが当然であると思うのでありますが、しかしながらその賠償の額の算定において、あるいはまた賠償金支払いの時期におきまして、
日本国民が今まで
政府から公開用徴収されました場合に取扱われました事実よりは、はるかに手厚い待遇を与えておる、こういうことは形式的に見ましても決して平等なるものではございません。しかもこの条文は非常にずさんなものでございますから、
アメリカ籍を持
つております会社が、
日本国内において自由企業として営業を
行つてお
つて、たとえば非常の場合、あるいは社会主義的な政策が行われ、この会社に対して公用徴収を行われる場合に、この
規定が適用されるだけではなく、カナダ籍あるいはフランス籍あるいは英国の籍を持
つております名義の会社でありまして、実質的にその会社に対して
アメリカの
民間資本が多くのインタレストを持
つておる場合には、この条文の手厚い適用を受けることにな
つております。さらにわれわれが見落すことができないのは、
日本の買弁
資本家たちは、おそらくはそういう
情勢に立ち至りますならば、名義上
アメリカ人に名義を書きかえる、実際は
日本の
民間資本の会社でございましても、一時名義を
アメリカ人に切りかえまして、他の正直な良心的な
日本の会社が公用徴収の場合に受ける待遇より、さらに手厚い待遇を受ける、言いかえるならば、買弁
資本的性格を
はつきりして形だけ
アメリカ圏の
資本の中に逃げ込む、そういうことすら可能なことが
考えられるのであります。このようなことは、私が先ほど申しましたことが危惧ではなくて、まさに現実に現われて来ることであることを証明するものであります。
第二の点は次の第七条でございますか、ここにおいてもその性格は明瞭にな
つております。ここにおいては
アメリカ資本の自由なる
投下を許さない
制限業種があげられておりますが、これだけでも
つて日本の基幹産業と言うことはできない。
日本の産業の中枢を
支配せんとするならば、この業種以外のものについて実は投資が自由であるとするならば、それが可能でございます。たとえば鉄鋼業あるいは金融業の一部を占め将来ますますその比重を増すと
考えられます証券業について、あるいはまた
日本の
民族資本の中枢でありました繊維産業において、これらすべて
アメリカ資本の自由なる侵入と
支配を肝しておるのであります。さらにこの条文についての問題は、この
制限業種につきましても既得権が許されておる。この既得権の
考え方というものの中で最も問題になりますのは、占領中の
アメリカ会社の
日本国内におきます既得権を認めておることであります。この占領中の
状態というものは、
国家の主権が発動しない時期であります。しかも
アメリカと
日本との間における対等な
法律関係において、交わりもできない空白時代、そういう時代において
アメリカが事実上
日本の中へ入
つて来て金融業を開設し、その勢力を増して参りましたときに、それを既得権として認めるということは
考えられない。占領中のような
法律並びに主権の停止いたしました時代において、権利義務
関係が発生すべき性質のものではございません。そういうものについてすら、
アメリカの強い
要求がありますならば、唯々諾々として帯を解いてその侵入を許しておる。かくのごときことは、まさに買弁
資本的性格を示しておる最たるものであるとわれわれは
考える。しかもその場合においても問題になりますのは、この第七条の条文によりますと、
制限業種に対していかなるものを
制限するということは
規定してありません。すなわち国内の
法律によ
つて、この
制限業種に対して
アメリカ資本が入
つて来ることを、いかなる
方法をも
つて防ぐかということは、
日本政府の自主的な判断によ
つて決定されることにな
つている。そのことについて当
委員会においてわれわれがお尋ねいたしますと、そのことに対してはまだ何ら
考えていない。のみならず必要と認めるならば、または
日本の利益と認めるならば、これらの
制限業種に対しても、何らの
制限をすることなしに、
アメリカ資本の侵入と
支配を許すことができるということにな
つております。これは
制限業種の取扱いをする可能性を
規定しておるだけでありまして、現実の
内容を示しておりません。そのことに対してはさらに御用意がない。しかもこの条項は
批准書が交換されましてから、一箇月後に
効力が発生することになります。そういたしますと、順調に参りますならば、間近にこの
条約が
効力を発しますが、そのときにこの
制限業種に対する今後の国内法というものが
考えられていない。
法律が用意されていないだけでなしに、すでに基本的な政策すら、構想すら用意されていないというのが、現
政府の
状態でございます。かくのごときをも
つていたしますならば、第七条における
制限業種というものはあ
つてなきと同じでありまして、野放しの
アメリカ資本の侵入と
支配を許さざるを得ないのでございます。そういうことについて、われわれはどうしても承服することができないのであります。
さらに第九条の動産、不動産の取得権の問題でございますが、これにつきましては、従来の
日本の外資法、現行の外資法によりますと、外国
資本が
日本の旧株を取得する場合におきましては、大蔵省の許可を必要とすることにな
つておりますが、これに対しましては、ただ三箇年間の期間の
制限があるだけでございます。しかも当時
日本の買弁
資本的性格を持
つております財界代表者
諸君ですら、三年間ではとうてい資産の評価はできない。
従つてそうなりますと、現在、たとえば日鉄でありますとか、富土製鉄というような地位に立
つております巨大なる工場にいたしましても、二十億ないしは三十億程度の
資本金すら持
つていない。こういうものは
アメリカの巨大
資本の前にはまつたく一握の砂にすぎないのであります。
従つてそれの再評価を
考えましたときに、
日本の現在の特需
経済に依存して、その特需の綱が切れて、MSAにたよろうとしておるが、そのMSAの最初の
岡崎大臣の
答弁では、
経済的援助を主張されておつたのが、最近になりますと、これは
軍事的援助である、しかもその
内容の主たるものは、完成武器をも
つて補われるというようなことにな
つて参りますと、
日本の
経済界こそ、二、三年の将来は、もし今のままの
情勢が続くといたしますならば、大
資本を中心といたしました諸会社の再評価は非常に困難な
情勢すら予想される、そういうことにな
つて参りますので、これは決して保護
規定にはならぬのであります。
次に十二条でありますが、これまた
政府の御
答弁によりますと、
アメリカ資本が自由に入ることは入つたとしても、為替管理を通じてこれをコントロールすることができる、さらに議定書六項によりまして、入らんとして参ります外国
資本に対して審査権を残しておるということを
言つておる。さらに問題の起きたときには、二十四条を援用されまして、あらゆる場合において協議をすることができることにな
つておる協
議事項を残したということは、この
条約の中できめられた以外のもの、あるいは予想せざる事態が起きたときに、われわれの主張の通るという希望を与えるかのごときでありますが、実際はどうかというならば、この協
議事項に移されるということは、
法律をも
つて規定いたしましたより、弱者にと
つては、さらに食い込まれるということを
意味するのであります。為替管理の問題にいたしましても、保健あるいは福祉を守るために必要なりという漠然とした
規定にな
つておる。こういうことにな
つて参りますと、
アメリカとの協議によ
つて日本の
国民生活、保健または福祉を維持する最低限度がどこだとい
つても、必ずしも限度がないということにな
つて参りまして、このコントロールの権限すら、実はだんだんと食い込まれて来ざるを得ないのでございます。そういうことにな
つて参りますと、これまた防衛
規定だと
言つて説明されたことが、実際は防衛
規定にな
つていない。このことに関連いたしまして、さらに私が申し上げたいことは、本来から申しますならば、こういう
通商航海条約を特殊国との間において結ぶ前にガットに加盟する、そして
国際的な一つの基準と実績をつく
つて、しかる後にするのが当然であるにかかわらずこの問題に対して
政府はさらに弱腰のために、その実績を示しておりません。これまた
吉田内閣の外交的失敗の最たるものであると私は思うのであります。こういうことがこの問題と関連して指摘されておる。そして長いものには巻かれろでも
つてすべて
抵抗の弱いところへ向い、強いものには何らの
抵抗を示さない、こういうことでございます。これまたわれわれの断じて承服することのできない
理由の一つでございます。
さらに次には第十四条、関税並びに輸出入の
制限の問題についてでありますが、これまた実は、従来の慣例からながめますならば、
事前公表の制度をとり、あるいは協
議事項にかけられいたしまして、
日本の関税並びに貿易に対する自主権を失う
危険性を多分に含んでおる条項でございます。しかも
政府は対米輸出については、将来非常に有望であるかのごとき錯覚を持
つておられますが、戦前におきまして
アメリカとの輸出
関係は、御承知の
通り生糸が中心でありました。ところが戦争が済んでみますと、か
つての
アメリカとの
関係における輸出貿易の実績というものは、
日本の
アメリカに対する貿易の将来を律する何らの基準にはなりません。
情勢はまつたくかわ
つております。繊維産業に関しましては化学繊維が発達しておる。さらにその他機械、雑貨製品につきましては、品物がよくて安いのが
アメリカの
市場の製品であり、
日本の製品は悪くて高いという
関係にありますから、
従つて対米貿易におきましては、非常に困難である。しかもかすかに許されておるところの電気
関係、レンズあるいは農産物、水産物の加
工業の製品につきましては、すでに
アメリカ側は業者の強い
要求によりまして、
日本の輸出産業に対しましては、強い関税の障壁を設けておるのであります。このようなことは、これまた
日本の不利益なる、不平等なる条件といわなければならぬのであります。
これに引きかえまして、
岡崎外務大臣を通じて
吉田内閣の
経済外交について、さらにわれわれはこの
条約と関連して危惧を持ちますことは、
東南アジア貿易に対するまつたくのサボタージュであり、さらに中共あるいは
ソ連地区との貿易に対しますまつたくの意識的なるサボタージュであります。われわれは従来の歴史をながめ、将来の
国際経済の動向をながめましたときに、
日本経済の自立と
日本経済の繁栄を来しますものは、まさに
アジア地域との
経済的提携以外にない、かくのごとく思うのでありますが、この
条約を通じまして
政府はこの
条約をジヤステイフアイするために、対米貿易の将来の有望性を主張しておるのでありますが、まつたく逆であります。そういう点をあわせ
考えますならば、むしろこういう
協定を結ぶことは、何ら対米輸出
関係において有利な条件にならない、さらにこれは
東南アジアあるいは中共地区との貿易に対しましては、かえ
つて障害になり、トラブルを起すような
条約にならざるを得ないのであります。次に第十八条でございます。これ
はつまりMSA五百十六条とまつたく対応する条文でございます。すなわち今度の
通商航海条約の非常な特徴の一つでございます。すなわち従来の
日米間におきます
通商航海条約は、
資本の導入の問題を何ら
規定いたしてない。ところが、今度の
通商航海条約の中心点は、
アメリカ資本を
日本に導入する自由を与えるところにあります。しかも今入りますことについては、先ほど申しましたような
制限業種の
規定であるとか、あるいはまた為替管理、あるいは
資本の審査権等をも
つて対抗処置をすることは、対抗の武器にならないということを私は証明いたしました。さらに入つた
資本が強く
要求いたしますものは、MSAの五百十六条とこの十八条とはまつたく対応いたしまして、
日本国内における
アメリカ資本のまつたく自由無
制限なる活動を
要求するものとして、十九世紀的なアダム・スミス時代の
経済原理に立ちました自由の
原則、自由
経済の
原則、自由企業の
原則をここで
要求して、これを
日本で許しておるのであります。特に
アメリカは
独占禁止法の
独占行為につきましては、
日本が
考えるよりはるかにきびしい
考え方を持
つております。
日本の
政府並びに財界の
諸君は、おそらくは先ほど申しましたように、第九条の旧株取得権の場合に
制限を加えて、かたがた
日本の
資本の再評価をやり、さらに
独占禁止法を今度緩和いたしまして、それによ
つて日本の輸出産業あるいはまた
生産企業におきます
資本の
独占化をはか
つて、そしてそのことによ
つてアメリカ資本が入
つて参りましたときに、それに対抗することを
考えておるのでございましよう。ところがこの十八条の
規定によりまして、そういうような
日本の
政府やあるいはまた財界の人々が
考えておるような、
独占的な
資本の集中によ
つて、そして
アメリカ資本と対抗しようという
考え方は、まつたく絵に描いた作戦に終るのであろうということを言わざるを得ない。そのことがここに明瞭に書いてございます。まつたくの矛盾でございます。たとえば貿易の面につきましても、輸出入組合一つをと
つて見ましても、
日本の中小企業によりまする濫売、あるいは買いあさり、こういうような業者の同士打ちによ
つて、お互いが損をしようとしておるような
状態、これによりましては、どうしても輸出入組合をつく
つて価格維持、あるいはまた品質の統制をする、管理をするというようなことは、当然
日本としてはやる必要がある。そこで業界の人も
政府の諸公も、そのことはまさかこの十八条によ
つては禁止をされない。
アメリカ側に文句を言われないとお
考えにな
つているかもしれませんが、われわれの恐れますところは、もし
アメリカとの貿易において、
アメリカの業者に多少とも不利益を与えるという危険がありますならば、おそらく彼らは強い
要求を出し、彼らの強い政治力をも
つてこれもまた協
議事項にかけて、そしてこれらの集中的あるいは統制の
方法によりまして、巨大な
アメリカ資本に対抗しようとするような
日本の方策を、一挙にして粉砕するということは火を見るより明らかであります。
政府の御
答弁においてもそのことを肯定せざるを得ないような御
答弁が、この十八条の
解釈において今まで行われて参りました。このようなものについてわれわれは絶対に賛成するわけに行かぬのであります。
かくのごとくしてながめますならば、まさにこの
法律は今申しました
通り、
日本の
独立と繁栄のために道を開くものではなくて、それとはまつたく逆に、
日本の
経済が
アメリカの
資本主義経済を維持するための
対外投資の奉仕者とな
つて、そしてその
資本の前に
経済的植民地化される、その道を許す
条約であるといわざるを得ません。しかもそのことがこれからの長い
経済関係でながめますならば、おそらくは多くの変遷があるであろうと思う。
国際政治、
国際経済の変遷によ
つて変転きわまりない今日の
国際関係において、十箇年間という長い
条約期間を置いておるのであります。これからの将来の
情勢を
考え、そして
日本の将来の
独立と繁栄の方策を
考えますならば、この十箇年間というものはあまりに長いものである。この十箇年間こういうような
条約によ
つて、くぎづけということになりましたならば、これはゆゆしき問題である。あとにな
つて気がつきましたときには、もう取返しのつかない
関係にならざるを得ないと思うのであります。
しかもわれわれがここで付言いたしておきたいと思いますことは、今
交渉が
進行中でありますMSAとの
関係でございます。MSAは特殊
条約であり、
通商航海条約は一般
規定である。すなわち民法と商法との
関係のごときものであります。あるいは水と空気のごとき
関係であるというふうに御
説明になりました。しかしながら今まで
日本の
経済は、御承知の
通り国際収支におきましては特需にたよ
つております。すなわち軍需品の輸出あるいはまたか弱い婦女子の肉体を売りましたパンパン収入、これがいわゆる
日本の
経済支柱の三分の一を占めておる。それにかわるものとして買弁
資本家たちのパンパン
政府は、今度はMSAの軍事援助にたよ
つて行こうとしておる。
従つてMSAによります援助あるいは城外買付、こういうようなものは今申しました
通り特需だとはい
つても、その比重におきましておそらく今までの特需にかわる、すなわち
日本の重
工業生産の中心を占むる大黒柱であります。そういうような
日本経済の
国際的
関係からいたしましても、中枢を占めますようなこのMSA援助というものがもし結ばれるということが想定されて
考えますならば、それとの
関係と無
関係にこの
条約を
考えることはできません。条文の上におきましては何ら
関係がございませんでしよう。民法と商法のごとき
関係であるかもしれない。しかしながら実際の
経済的あるいは政治的
関係からながめますならば、これら特需にかわりまして
日本の重
工業経済の中枢を占めますMSA
経済との
関係を
考えましたならば、その
関係においてこの
通商航海条約というものがまつたく五百十六条と対応いたしまして、自由の
原則——無
制限なる
資本の導入と活動を
アメリカ資本に許しておるということは、まさに軍事的にも
経済的にも
日本を
アメリカの植民地化するゆえんの何ものでもないと私は思うものございます。そういう観点からいたしまして、われわれはこの
条約はまさに最初に申し上げましたごとく、
アメリカと
日本との間におきます
友好通商航海海
条約ではなくして、
アメリカの対日投資保護法という名前をつけるにふさわしいような
内容のものであるとわれわれは断ぜざるを得ない。そういう
関係からいたしまして、さらに先ほど申し上げましたように、こういう方式で
日本の
経済の再建を
考え、こういう物の
考え方でも
つてアジア経済への進出を
考えるならばおそらくは戦争前の
日本の
帝国主義的な進出の失敢を繰返す何ものでもないと思います。それが政治的な悪であるのみならず、戦争前の
東南アジア並びに中国の民族意識と違いまして、これら解放に向
つて強い
要求と実力を示しつつあります国国の前に、まつたくこういうものの
考え方で
経済政策、外交をいたし、こういう
条約をスタンダード・ケースとして中国なり
東南アジア諸国に臨みますならば、
日本はまさに武力によらずして、
経済、外交の上において
アジアから孤立し、
日本の
経済の自立と繁栄の道をみずから失うものである。か
つての
上海経済、従来のフィリピン
経済の二の舞をする、その道を開く先達であるといわざるを得ないのであります。
そういう観点に立ちまして、われわれ社会党は強い自信と信念を持
つて、本
条約に反対を表明するものであります。(拍手)