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1953-07-10 第16回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年七月十日(金曜日)     午前十時五十五分開議  出席委員    委員長 山下 春江君    理事 青柳 一郎君 理事 庄司 一郎君    理事 臼井 莊一君 理事 柳田 秀一君    理事 亘  四郎君       逢澤  寛君    小平 久雄君       佐藤洋之助君    中川源一郎君       長谷川 峻君    柴田 義男君       田中 稔男君    大石ヨシエ君       辻  文雄君    堤 ツルヨ君       有田 八郎君  出席政府委員         外務省参事官         (大臣官房戦犯         室長)     広瀬 節男君         厚生政務次官  中山 マサ君         厚生事務官         (引揚援護庁次         長)      田邊 繁雄君  委員外出席者         総理府事務官         (恩給局審査課         長)      城谷 千尋君         厚生事務官         (引揚援護庁援         護局援護課長) 大崎  康君     ――――――――――――― 七月六日  委員小平久雄君及び高橋等辞任につき、その  補欠として長谷川峻君及び安井大吉君が議長の  指名委員に選任された。 七月十日  委員受田新吉君及び木村文男辞任につき、そ  の補欠として堤ツルヨ君及び小平久雄君が議長  の指名委員に選任された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  派遣委員調査報告聴取の件  連合審査会開会申入の件  外地における戦犯抑留同胞に関する件  留守家族援護に関する件  遺家族援護に関する件     ―――――――――――――
  2. 山下春江

    山下委員長 これより会議を開きます。  初めに、外地における戦犯抑留同胞に関する件について、マヌス島における戦犯受刑者内地送還についての経緯の説明を聴取することといたします。広瀬参事官
  3. 広瀬節男

    広瀬政府委員 御説明申し上げます。マヌス島の戦犯引揚げ要望につきましては、二回ばかり今までの経過を申し上げておきましたが、今回急速にマヌス島よりの戦犯者引揚げ実現いたすことと相なりましたので、ごく最近のところをつけ加えて申し上げます。  七月八日朝、濠州大使外務大臣を官邸に訪問いたしまして、公文書をもちまして次の通り申して参りました。日本政府は濠州軍事法廷の科した判決を十分誠実に執行するということと、それから、日本政府は、送還せられる戦犯者に対しては、日本政府の法律一〇三号を、九条と十一条を除いて全面的にこれを適用を継続すること、第三といたしましては、九条と十一条、あるいはこれにかわるべき規定は、濠州政府の事前の承諾を得て適用すること、それから、四といたしまして、日本戦犯マヌスよりの送還費用日本政府が負担すること、この四つの条件を日本政府において同意するならば、可及的すみやかに日本戦犯者内地に送還することに同意する、こういう文書でございます。これはさつそく閣議に出しまして、閣議承諾を得まして、昨日外務省から濠州大使に正式の回答をいたしまして、さつそく引取りの交渉に入りしまた。こちらからは、日本船舶を差向けて至急引取りたいから、乗せて行きます人員とか、そういう点をつけ加えまして、大至急本国政府の了解を得てもらうように、あるいは何日ごろに港に入つたらよいかとか、その他の打合せについて、さつそく打電してもらいました。一方、そういう申込みをいたしますと同時に、私の方では、八日の日から運輸省の方と相談いたしまして、船舶手配を研究いたしております。目下のところ、御承知のように、船腹もなかなか払底いたしまして、引揚船に充当すべき船舶はほとんど中共方面に充当しておりますし、さらにそのうちの一隻の白山丸は、昨日マニラに向けて出航したようなぐあいでございます。従つて、どの船を充用いたすようになりますか、きようも、私たちはちよつと途中から出て参りましたが、まだ研究を続けております。直線距離にいたしまして、何分にも横浜からマヌスまでは、赤道南三度のところでありますから、二千三百十海里、これは相当の距離でございますし、モンスーンの時期に入つておりますので、引揚船石炭を使つておるような船でありますと、途中燃料補給をしなければならない状態が起つて参ります。十ノットの速力をもつて行けば、全然直価して途中何ら寄港せずしても九日十九時間かかります。十三ノットでも七日と十時間かかりますから、結局石炭船で行きますれば、途中グアム辺補給をいたしますと、往復最低二十日を要するわけです。重油船でありますれば補給しないで行けるそうでありますから、何とか重油船を配当してもらうように今交渉している最中であります。もし重油船の方の配当でもありますれば、非常に早く出られると思いますし、また早く帰つて来られると思います。  現在マヌスにおられる方は、百七十二名おつたのでございますが、そのうちの六名は六日にナンキン号という向うの船で出帆しておるのでありまして、もし六日にすでに出帆しているとすれば、現存者は百六十七名、このうち高砂族が五十三名、そのうち五名が今船に乗つていて、いないものとして、残留者四十八名、こういうことでございます。日本人の方は、もし船に乗つているとすれば百十九名でありますし、まだ日本の船が来るという予想のもとに残つているとすれば、百二十名がおるわけであります。この中には、最高終身から、二十年、十五年、十年、七年、こういうふうな割合でありまして、高砂族の方は、終身刑が二名ぐらいに、あとみな十五年以下、こういう状態でございます。病人も相当いるらしいので、こちらから船を送ります場合には、万全の措置を講じますように、医療関係者も乗せますし、また精神病的の人もおるようで、この人たちの看病と万全なる護送のためには、相当の関係の人数を乗せなければならないと思つて、二十五、六名前後はこちらから送還用に乗船しなければならないような状態でございます。もし白山丸を使うすれば、二十一日に横浜に入港しますが、それから修理したり、追加積込みをしたりして、八月の半ばばということになりますが、その前にほかの船の手配ができれば、もつと早く帰れるという状態であります。  大体の経過はそういうことであります。
  4. 山下春江

    山下委員長 お諮りいたします。マヌス島における戦犯受刑者内地送還については、去る六月ニ日委員長名をもつて次のような請願書を濠州大使ウオ―カ―閣下を通じて英国女王陛下に提出いたします。請願文を朗読いたします。  御威徳高く仰ぐ女王陛下歴史と伝統に輝く大英帝国の元首として、四海の民その御盛徳を讃えて聖寿の無窮を祈り奉る女王陛下戴冠式の盛儀に方り、私は今なお濠州政府の権内にお置かれている日本人戦  犯の日本移管に関し、日本国民の意  思を代表してその御仁慈万邦に溶き  女王陛下に請願し奉るの光栄を有す  るものであります  先に桑港において締結せられました  平和条約の発効後既に一年を経過し  た今日において日本国民の最も憂い  とし最大の関心をもつ一つ日本人  戦犯日本政府への移管の問題であ  ります この問題について濠洲政府  においても人道的見地より好意的に  考慮中の由でありますが、その実現  の要望は現にロス・ネグロス島に服  役する日本人戦犯並にその留守家族  はもとより今や全日本国民の悲願と  なつて居ります  御仁愛あつき英明なる女王陛下、こ  のたび盛典の慶びを広く世界に頒つ  思召を以てこの日本国民の熱願に応  えられますならば真に「和解と信頼  の講和」の精神を顕現し世界平和  に寄与するところ多大なるものあり  と信じます  翼くは陛下何卒聖鑑を垂れ給わんこ  とを   一九五三年六月二日    日本国東京      衆議院海外同胞引揚及び遺      家族援護に関する調査特別      委員会委員長 山下 春江 以上であります。かような次第で、今回の公電に対しては、家族はもちろん本委員会といたしましてもまことに喜びにたえないところでありまして、オーストラリア政府にこれについて感謝の意を表したいと思いますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 山下春江

    山下委員長 御異議なしと認め、さよう決定いたします。  なお、オ―ストラリア政府に対する感謝の意を表する文案及び伝達等については委員長に御一任願います。     ―――――――――――――
  6. 山下春江

    山下委員長 次に、舞鶴状況について、派遣委員より事情を聴取することにいたします。有田委員
  7. 有田八郎

    有田(八)委員 それでは、私からごく簡単に御報告を申し上げます。  私は、七月六日の晩東京を立ちまして、七月七日の朝舞鶴に着いたのであります。その前日に白山白龍の両船が舞鶴に到着いたしておりましたので、私ども舞鶴に到着した朝午前からして、これらの二船の帰還者代表が、要求事項があるというので、援護局長面会を求めて参りました。十時半ごろからその会談があるから、代議士にもそれに参列して話を聞いてもらいたいということがあつたのであります。その前日から来ておられた参議院の数氏の議員もおりましたが、衆議院では臼井代議士中川代議士、それに私と、三人でありました。そこで、この帰還者代表はほぼ三十一名でありますが、十三項にわたる要求書を提出いたしたのであります。その各項は、ほとんどいずれも今までしばしば要求されたところと大差ないものであるというふうに思つております。この十三項の要求のうちで最も代表が力説をいたしましたのは、帰還手当を、今まで大人が一万円、子供が五千円であつたのを増額して、大人は三万円、子供が一万五千円ということでありまして、これだけはぜひ支給してもらいたい、こういうふうなことを熱心に主張いたしておつたのであります。その次は、帰郷後三箇月の間全国に通用する無料乗車券を発行してもらいたい、これは就職のためにも必要であり、また久しく郷土へ帰らないがために、そういう方面への旧交をあたためるためにも必要であるから、ぜひ全国的のパスをもらいたい、国鉄ばかりでなく私鉄についても同様である、こういうふうなことであります。それから三は、だれもが非常に心配しておりまする職業の問題と住宅の問題であります。第四は、援護局内民間団体代表者を自由に出入せしめて、帰還者面会をする機会を与えてもらいたいということと、もう一つは、この前問題になつておりました、共産党員小松勝子君が入局を禁止されておるから、その入局禁止を撤回してもらいたい、こういう点であつたのであります。局長からは、これらの点について一々、話はわからないことはないけれども、今すぐどうこう言つて決定さるべき問題ではないのである、あるものは国会に諮らなければならないものもありますし、また他の問題といえどもそう簡単に行くものではないものであるからということを説明したのであります。またこの小松勝子氏の入局禁止を撤回することは、援護局立場としてはどうしてもできない、こういうことを厳重に言つてつたのであります。ところが、この代表者がこの十三の問題について一々説明をして、それに対して局長が非常に丁寧に説明を与えておつたために、十時半に始まつた話が午後に引続きまして、三時半まで継続いたしたのでありますが、十分に納得することができなくて、一応その話を中止いたしたのであります。ところが、先方から、舞鶴へ来ておる代議士会つて話をしたい、こういう申出がありましたので、臼井代議士と私とで、五時半ごろからでありますが、約二時間近くこれらの者と会つて話をしたのであります。そのときには、帰還者代表ばかりではなく、ほかの、たとえば二団体関係者等が相当入つてつたのであります。帰還者代表は六、七名でありますが、それとほぼ同じ数の者が二団体関係者であつたのであります。午前から午後へかけての援護局長との話の際には、帰還者代表態度は相当穏和であつたと私は思うのでありまして、ずいぶん生活の保障というふうな問題についていろいろ質問をいたしておりましたけれども、これは一に、彼らが引揚げて来て、一体どういうふうな生活ができるのであるか、生活し得るのか、し得ないのかという心配をほんとうに内心持つてつたという、その衷情は、われわれが外からも看取するにかたく宏かつたのであります。しかるに、われわれと一緒話をすることになつたときには、外部団体の者がこれに加わつてつたためであることは確かでありますが、非常に強硬な態度をとつてつたのであります。これに対しましては、われわれから、その気持はよくわかるけれども、それぞれいろいろな関係があるのであるから、そう簡単に話はつかない、であるから、まずゆつくりとひとつ帰郷して、おもむろに対策を講ずるよりほかなかろうということを話したのであるけれども、それには承服をいたさなかつたのであります。そのままものわかれの状況に立ち至つて、私どもは六時半か七時半ころ宿舎帰つたのであります。そうすると、ほぼ時を同じうして、電話が援護局からかかつて参りました。小松勝子というのは、局内へ立入りを禁止されておりましたけれども援護局の入つてすぐのところに、外から入つて来た人と引揚者たちとの面会所がありまして、その門のすぐそばにあつたところの待合所だけには入ることを許されておつた。そこで、私ども宿舎引揚げるとほぼ時を同じうして、百名余りの帰還者が突然この面会所に来て、小松勝子氏を拉して、守衛等阻止をも聞かないで、どんどんと寮の方に入つて来た。そこで、こういうふうなやり方に対しまして、援護局長は相当強硬な手段をもとらざるを得ないという決心をしておつたようでありますけれども小松勝子氏は帰還者の中にまぎれ込んでしまつて、その所在がわからないというようなために、警察の方の退去の命令というか、そういうふうなものも手渡しすることができず、従つて、それに基くべきいろいろな行動というものはとり得なかつたのであります。それに引続きまして、その晩の八時過ぎから、たくさん白龍帰還者が集まりまして大会を開いて、それは翌八日の未明まで継続されたというふうな状況であります。その結論は、自分らの要求が達せられないうちは帰還手続を一切しないという強硬な決意を固めた、こういうことなのであります。それで、八日の朝はさらに白山白龍の二船に引続いて高砂丸及び興安丸が相次いで入港する予定になつておりまして、まず第一に高砂丸が入り、そして午後でありましたか興安丸が入つて来たのであります。これらの帰還者を合計いたしますと、昨晩は約四千七百名くらいですか、要するに五千に近い数が集まつたわけです。少くとも一晩はそういう多数の者があの局内におる、こういうことになつたのであります。それで、局の者はもちろん、また外部におります人たちも、ゆうべは相当大きな大会が持たれて、そしてその気勢は相当すごいものがあるのじやなかろうかということは、みな気にしておつたようであります。今舞鶴自分肉身を迎えに行つております家族は約一千名あるのであります。主として森寮という寮に宿泊いたしておるのであります。それから、各県からの世話人も行つておるようであります。そういうふうな人たちが、今のような状況で、一日も早く家へ帰りたいという帰還者自分の心にもなく圧迫されてあそこにとどまつておらなければならないという状況をそのままにしておくことはできないから、何とかして帰還を促進せしめる手段をとらなければならぬが、それには、家族が主となつて自分肉親を説いて、個々に連れ出す、あるいは集団的に連れ出すという方法を講ずるよりほかはないというので、援護局とも相談をいたしまして、できるだけ簡単な手続で済まして、機を見て救出する、こういう手はずをきめたのであります。けさ方までに、つまりゆうべ夜おそくまでに手続が済んだ者が二百五十から三百名くらいには達するという話でありまするが、きようそういうふうな呼びかけがどの程度に成功しますか、これはまだわからないのであります。この三百という数をきよう相当多く超過るというふうなことになつて来れば、やや有望ということになるのであります。それで、昨日は出迎え家族が、今のような状況自分らの肉親帰郷が遅れるということは家族としてとうてい忍び得ないことであるからというような声明を出したということでありまするし、また一方、各県の駐在員が行つておるのでありますが、この駐在員立場から二団体代表交渉をしておるということもあるのであります。ところが、一方白龍白山のほかに、入つて来た高砂並びに興安の二船の代表が集まつて、今までは二船であつたのが、今度は四船代表闘争委員会というものをつくつて、大いにやろう、こういう意思を発表しておるそうであります。  こういうふうなことが、私どもの帰りますころまでの大体の状況であります。
  8. 佐藤洋之助

    佐藤(洋)委員 派遣委員有田委員臼井委員中川委員、まことにごくろうさまでありました。ただいま詳細な報告を承つて、愁眉を開いたのですが、今度引揚げた団体が十三箇条の要求をされた。もつとも、今まで引揚げた都度において必ず要求書は出すようでありますが、今度出した十三箇条というものは、かなり今までとは違つておるようです。しかも、帰還手当の増額のような問題、これはもちろん予算措置を要する問題であるし、また国内の三箇月分無料パスなんということは、これもやはり立法措置を要するという問題であつて、非常にこれは困難な問題である。こういう当面解決できない問題をひつさげて、非常に紛糾するということは、まことに遺憾であると思う。われわれが第一班として参りましたときに、四船が一どきに入つて来て非常に混乱するのではないかということを実は憂えておつたのですが、はたせるかな、あとから入つた高砂興安というものを迎えて五千人近くの者があの援護局内において問題を起しておる。まことに遺憾なんです。平素は到着船に対しては三泊四日で帰すのですが、もはや四、五日を経過しているような状態であつて、これを出迎えの千七百の家族森寮においてほんとうに一日千秋の思いで待つておる。まことにこれは残念なんです。しかも、今日まで引揚げに対して三団体が非常な努力をせられ、しかもそのうちの二団体が何か背後において指導しておるやに私どもは見受けるんです。これは、二団体に対して遺憾に思う。今までの努力に対して、九仞の功を一簣に欠くと言えないこともない。しかも、この引揚げ手続を完了しないで強行に脱出した代表者が上京して、そして総評の大会に合流して、何かそれぞれの機関に陳情するというようなことを聞いているんですが、なおまたこの委員会に対して陳情もあるやに聞いておりますが、委員長としては、これに対してどういう態度をとるか。それからまた、この際かかることを続けていることはまことに遺憾でございますから、援護局当局がこれに対してできるだけ手を尽して、すみやかにそれぞれの郷里に帰られるようにせられることがいいのではないか。委員長を通じて、こういう面について政府を督励鞭撻されることを希望いたして、派遣委員の方方に対して感謝すると同時に、一応申し上げておきます。
  9. 田中稔男

    田中(稔)委員 有田委員の御報告を私は全部お聞きすることができませんでしたが、私のお聞きしたところでも、大体事情がわかりました。新聞等の報道もありまして、私ども舞鶴における事態を憂慮しておるものであります。佐藤委員のお話もありまして、きよう舞鶴の方から帰国者代表東京に来ております。なお、第三次の帰国船乗船代表も来ておりますが、これが国会陳情に参りましたならば、まず本委員会に呼んで、詳しく彼らの言い分を聞いてやることが私は必要だろうと思う。なお、彼らの要求十二箇条というものがあるそうですが、私はこれは詳細に存じておりませんけれども、今佐藤委員のおつしやるような問題につきましては簡単に実現はできない点もあると思いますが、しかし軍事情報調査が行われており、これに対する阻止要求ということもあるやに聞いておるのでありますが、こういうことは当然なことでありまして、こういうことが行われておるならば、これはけしからぬことである。援護庁は、そういうことはしないと、長官の責任においてかつて言明したことがある。だから、十三箇条の要求につきましても、これはやはり援護庁責任者を呼びまして、その要求のうち、非常に無理なことならば別でありますが、要求に道理があるというものにつきましては、たとい今までの取扱いがどうあろうとも、この際改めるということが当然と思いますが、委員長は、この際、午後にでも代表者を呼んで、また援護庁の方を呼んで、ここで懇談的に問題を処理する、そうして、数千名の帰国者帰郷しないで舞鶴にたまつているということはともかくおもしろくないことでありますから、一日も早く円満にそれぞれ郷里に帰れますように、あつせんの労をとる、こういうことについていかが考えられるか、そのことをお聞きしたい。
  10. 辻文雄

    ○辻(文)委員 議事進行について。第三班の総合的な御報告を今明らかにされますが、それをお聞きいただいた後にそういうことに入つていただきたい。
  11. 山下春江

    山下委員長 佐藤委員田中委員の御発言に対しての扱いを暫時保留いたしまして、第三班の総合的報告長谷川委員より承ることにいたします。
  12. 長谷川峻

    長谷川(峻)委員 第三班は辻、安井長谷川、この三人で参りました。ちようど前日白山白龍が入つて高砂興安が入る日に私たち参つたのですが、われわれ三人として、前日来残つておられる有田臼井委員とともにお迎えして感じたことを御参考までに申し上げて、将来の対策の一示唆になればけつこうだと思うのであります。  第一に、母船からランチで引揚げ引揚者諸君、これが桟橋に着くところに、数百名の赤旗を振つておる連中が迎えている。そうして赤旗を振り、インターナショナルを歌い、今から天皇島敵前上陸だ、労働者は闘つてつているんだというその声の中に日本の土地を踏む。上陸第一歩がそういうところへ入つて来ている。これは、迎えに出たわれわれ国会議員としては、大勢の留守家族が、一、二町離れたところに、雨の降る中で小旗を振りあるいは名前を書いたものを持つてつているのに、その人たちに迎えられずして、赤旗を振つている諸君のところに入つて来る姿というものは、私は非常に遺憾だと思いました。船の中で組織され、統制された諸君が、上陸第一歩日本の土を踏んだ瞬間に、そういうふうな雰囲気において迎えられる。これがまず非常な印象として残つていることでありまして、なぜ一体留守家族の方々が快く迎えられるところに入るような施策をしないのか、これがあと対策にも残つて来ると思います。それから、有田委員が全般的に御説明されたようでありますが、今度帰つて来た諸君態度と申しますか、感情として現われている一つの例を申し上げたいと思います。それは、白龍丸諸君声明文を出している。その声明文の一部を読んでみます。「人道友好に基く在日華僑帰国並びに遺骨送還について、三団体及び民主団体の熱烈な要望にも拘らず、日本政府の頑迷なる態度は、中国人民と紅十字会に対し非常な失望を与えた。白山白龍丸出港遅延は、かかる日本政府に反省をうながし、中国人民と紅十字会の要望実現すべく、我々三団体乗船代表が一致して人道友好のためにとつた措置である。中国紅十字会は、四十余日間にわたり、帰国を熱望する日僑に対し物心両面援助のみならず二回にわたり多額の金銭的の援助を与え、日僑は何等不安のない生活を送つていた。この一事を見ても、日本政府華僑帰国並遺骨送還についてとつた態度人道的に追及されなければならない。我々三団体代表は、中国人民と紅十字会の帰国日僑に対する肉親も及ばぬ援助に感泣し、今後在日華僑帰国並びに遺骨送還について全力を尽す決意である。」こういうふうな声明であります。これから見ても、三団体によつて指導され、組織されて来ておつた雰囲気というものは非常に濃厚なのでありまして、上陸した子供たちに話しかけても、だれ一人として答える者がない。新聞記者が取材しようとすれば、班長が取囲んで、大勢の前で聞けと言うもんですから、答える者もない。そこで、われわれ四名の委員は、一度母船の中に入つてみようというので、興安丸の中に雨の降る中をランチで入つてみたのであります。今までそうして入つた人はあまりなかつたようにも聞いておりますが、とにかく一番硬化している興安丸がどんな状況であるか、行つてみたのであります。行つて、四人で、国会代表してお迎えに上りました、長い間御苦労さんでした、われわれも一生懸命やりますから、希望を失わないであなた方もやつてくださいということを、各部屋心々をまわつて申し上げておりました。若い人人の中には、何を言うんだという感じの表情をしておる者もありましたけれども、年とつた人の中には、ありがとうございます、御苦労さんですと言つて逆にわれわれにおじぎをされる。ランチでわれわれが出ますときには、ほとんど大部分でしよう、船の中から首を出しながら、手を振りつつ私たちにこたえてくれた。われわれもまた、ランチの上から、雨にぬれながら、すぐそこに日本の土があるんだ、もうあなた方はあと五分もすれば日本の士を踏まれるんだから、ぜひひとつしつかりがんばつてください、肉親が雨の中にみんな待つていますよ、というあいさつをしながら帰つて来たのでありますが、そういうふうに、気持をたたきつけて訴えればわかるんじやないかという感じがいたしました。そのあと森寮に参りまして、留守家族が七百名も荏苒と自分肉親がいつ自分の手に帰つて来るかといつてつている気持を聞いたのでありまして、われわれ四人で行つて、これもまたマイクを通じ、あるいはまた各部屋々々に入りまして、現在業務がとられずして皆さんのもとに帰つていない実情を訴えて、ぜひひとつここは円満に片づけたいものである、現地において金額の問題、あるいはまた香港ドルの問題、あるいは小松勝子女史の問題等々、幾らがんばつても、一援護庁の長官が全部片づけられる問題じやないんだ、ですから、皆さんの肉親の愛情によつて、早く帰る意思のある人は、その意思のままに帰国されることも将来のためにいいんじやないかというようなことを、こもごも申し上げて来たのであります。これらのことを見ましても、またきのうの朝留守家族の方々がトラック十台くらいでしやにむに自分の故郷に帰してもらうという態度をとられたことなども、あるいはまた、留守家族の方々が大会を開き、ほんとうに早く連れもどしたいという気持をもつてそれぞれ工作されていることなどからも、われわれはそういう線を十二分に生かしてやることが必要なんじやないか。――考えてみれば、七年も八年も戦争前に向うにおつて働き、そのあと八年もああいうところで苦労されている人々でありまして、日本の実情もわからないのが最大の原因だと思います。しかして、残つた留守家族も、敗戦の日本で七、八年にわたつて悪戦苦闘しながら、とにかくここまで持つて来た。この実情を少しでも早く知らしてやる方法をとることが何よりも必要であろうと思うのであります。  今後、この特別委員会において、ああいうふうに、おそらく第四次船が一番最高潮を呈したと言われるゆえんのものに対して、これに対する方策は種々あり得ると思います。まず第一に、留守家族諸君言つておりましたが、なぜ自分たちが埠頭のところに迎えに行けないで、赤旗の連中が行けるか、これをまず私どもとしても考えたいのであります。それから、大きなマイクロフォンで趣旨を徹底させようとすれば、マイクの線を切つてしまう。こういうことなどについても、向うが班長を通じて、要求したことや経過報告をすぐ流すのに、援護庁なり役所の方では流す機関がない。マイクがだめになるし、だれも向うの中に入つても行けないだろうし、家族といえども自分帰国者に会えない。これは、私は十分考えなければならないと思う。こうしたことを分折されて、今から先第五次、第六次というものもあるのでありますから、委員会としてそれに対する方策を考えて、摩擦なく帰国手続が済むようにしたいものだと思うのであります。せつかく長い間苦労して日本に着いた瞬間に、ごたごたして日本の土を踏めないなどというに至つては、せつかく中国が引揚げによつて日本国民の気持を友好的なものにしようとしているそのこと自体に逆効果を来しているんじやないか、私は大きな政治的な問題もそこに出て来るんじやないかということも考えるのであります。  なお、私の足らざるところは、辻、安井委員から御報告願いますが、受けたる感じを率直に申し上げて、御報告の一部にかえます。
  13. 辻文雄

    ○辻(文)委員 今詳細に御報告を願つたのでありますけれども、私も御一緒に参りましたから、根本的にそういう原因がどこから起るかというようなことを申し上げます。  ちようど今の御報告のように、駅でおりて、まつすぐ、ただちに埠頭に参りましたところが、女の若い人たちが多くて、それに男のリーダーあるいは女のリーダーの人たち赤旗を振つて、そうしてその言葉の中には、徳田盟主万歳というような極端な言葉もあつた。かようなことが第一印象で、私は今の御報告のような感じを受けたのであります。しかも、家族人たちは、その埠頭の――埠頭は埠頭ですけれども、次のところに並んでおられる。こういう状況であります。これはどういうことかということを第一印象に受けた。しかし私は、個人としても一委員としても考えたことは、こういうことならば、あるいは本元の援護局自体でいかなる受入れ方をしているか、そつがあるようなことがありはしないか、いわゆる落度があるようなこともありはしないか、あるいはこちらに帰還するのを、お迎えしてお連れするその間でも、船内の待遇その他にあるいは不満に思われるようなことがありはしないか、まず根源的にはかようなことを一応腹に入れて、しかも事実においてお帰りになる大半がどういう考えを持つておられるか、向うの状況というようなもの、あるいは向うの慣習というようなもの、もう一つは、一部の人たちがどういう教育を受けておられるか、かようなことものぞき得るものならばのぞいて、誤たないところの善処をしなければならぬということを第一印象に受けたのであります。  そこで、まだ私どもが行つたときは白龍の方々がお上がりになつておるところで、私ども三班の範囲ではなかつたのでありますけれども、お迎えをいたして、援護局の方に参りました。そうして、援護局局長その他の方々からいろいろな事情をお伺いすると同時に、第二班の代表の方々もおいででございましたので、御一緒に、第二班の有田さんから御報告があつたようなことも参考にお伺いを申し上げて、そうして私ども援護局内を拝見したのであります。ところが、援護局としては、帰還者の待遇あるいは将来の子弟の教育問題というようなことについても、単行本などもこさえておられますし、まことに親切であつた。職業紹介のごときも、ちやんとそごに各係がおられまして、そうしていかにやるかという手段もできておつた。かような状態のものに対して業務拒否をしておるということは、――私なんかは、御存じのように、党の性格としても、本来ならばもつとやれ、なぜせぬかと言う方でありますけれども、一応これには少々の疑問を持たざるを得ないというような感じを持つたのであります。ですから、船の方に行きたいということも申し上げたところが、先ほどの御報告のように、あなた方がおいでになつたら、ひよつとしたらまた代表を出せとかなんとか言つて、お困りになりませんかということでしたから、お互いに話上合つて、そんなことは平気じやないか、われわれは何しに来たのか、しかも国家の金を使つて来たのだから、そのくらいのことはやるのが当然だ、暴力に訴えられるのならば、そのときはそのときの話だからといつて、参つたのであります。まず男一に代表の方方にお会いして、御苦労さんでしたということを申し上げて、そうして船内の待遇その他を見たのですが、一番底の方におられる方々が少々熱いので、この方々がそういう不満の感じを受けられたのではないかというような感じもしたのですけれども、炊事をすることも自治的にやられたそうでして、すべてのそういうことはやはり尽せるだけのことは、まず今の国内情勢から申し上げたら、できておつたという感じが私はいたしました。そこで、先ほど御報告のように、私どもは部屋々々を歩きまして、御病人がどうであるか、どういう御病人であるか――新聞に出ておりましたように、めでたい御病人もおりましたけれども、大半は肺を冒されておる方々が多い。しかも若い方々が多い。これらの方々にも将来に対する光明を失われないような言葉をかげながら、皆さんに御苦労さまでございましたということを申し上げて来た。ところが、さつきの御報告のように、さらにつけ加えて申し上げるならば、非常に感謝のまなざしで私どもを迎えてくれた。その中のごく少数の人たちは、やはりものも言わない、そつぽを向いているという形であつたということは事実であります。埠頭でさような赤旗を振つておられる併合に、私が小さな子供の人に、あなたは日本から行つた人か、向うで生れた人かということを聞きましても、決して返事をしない。おとなの人はむろん、青年諸君に言えばむろん返事をしない。ここで私どもが考えたのは、やはり二つの道に考えなきやならぬ、たとえば、共産教育を受けて、さようなことで腹に用心をして言わない人と、それから、そういう小さな人は、向うの国情によつて一つの恐怖を持つておる、もし自分が何か言つたら、非常にひどい目にあう、――リンチを受けるとかなんとかいうことから、親が何にも言うなということを言いつけておるから言わぬのだ、かような二つの印象を私は深く受けたのであります。船内でも、それに即して私が御婦人の方にお聞きいたしますと、やはり郷土のなつかしいということは、中年以上の方はみなそうです。しかしながら、一つ団体行動としてさような訓練と申し上げるか、申合せと申し上げるか、船内からすでに引続いてさようなことがあつたことは事実なんですから、こういうことで御一緒にやつておられるという印象を非常に深く受けた。  そこで、今のようなことで、私どもは、まず十三分とは申し上げられないけれども、一応の予備知識を受けましたので、一足お先にというよりも、並行して私どもははとばの方に帰つて、そうして援護局の方に行つて、さらにいろいろの事情をお聞きして、そのあとに感じたのは、それではお迎えをしておる方々はどんなお考えを持つておられるかということになりまして、一応そこまで私どもはお聞きしてみようということで、そろつてつたのであります。最初各部屋々々で三、四お聞きしたところが、その家族の中に、極端に申し上げれば、あす帰りたいと思つてこの雨の中で待つているんだが、あす汽車が出るかしらんというようなことまでも心配しておられた。そこで、私どもは、形式的じやなしに心から国会代表してお迎えに来ておりますので、何らあなた方の行動について干渉すべきところはないのである、またその他の権限を持つておらぬ、委譲されておらぬのですから、私どもが現地でかような要望があつたからといつて個人の考え方をお話するわけにも参りません、それは越権のさたである、こういうことで、さつきの御報告のようにお話をしてみたところが、実に皆さんが、ぜひ帰らしてほしい、何とかわれわれを早く会わしてそうして故郷に帰してもらうような方法はないかということでございましたから、事務的なことはできるだけ簡素にやれるようにすることは局長にも私どもは念を押しておきましよう、こういうことで、率直にそういうことがありましたので、これでは全体的に話が通じているか通じていないかの問題も考えられましたので、マイクで、おのおのお迎えをしたということと、現実に数年間向うさんに置かれて、誤つた軍国主義であろうとも御苦労をされた、また残つておる方々もその通りである、それに対する感謝と、私どもが将来どうしなければならぬかというような問題を、お互いに特別委員までつくつて検討をしておりますということで、皆さん、そういうことですから、まず早くお帰りになりたいという方は、ゆがめられないように、温情で抱いてお連れ帰りになつた方がよろしいでしようということを放送したのであります。決して干渉ではございません。またわれわれがこうしなさいと、役所とつないでいいかげんなことをしたのでもないのであります。同時に、さようなことを言つたところが、各部屋々々から、今度は分割的に、船の中の話を聞きたい、ですからみんな来いということで、手わけをしてお話に参りました。参りましたら、その中に、やはり組合出身の方々で一、二は、この要望についてもその他についても当然であろうというようなことを言つておられた方もあつたのですが、大半は、ぜひ連れて帰りたい、向うの国情とは違うし、連れて帰つてふところに抱いたら、日本の様子もわかつて日本が戦後どうなつているかということもわかつて、みんなそれぞれ立ち上ることを考えるであろうという御希望でしたから、これはそういうふうになすつたらよろしかろうということで、私も引揚げた。  こういうことを総合して考えますと、先ほどの御報告のように、援護局としても十分諸般の細部にわたるまで神経を使つて、そうしてあやまちのないようにしていただきたいということが一つであります。それから、もう一つは、田中委員からさつきお話になつてつたようなことも私が気がついておりました。援護局で聞いたそういう疑いを受けるよな仕方、あるいは捜査の仕方をやるようなことはないのか、これは私聞いたのです。ところが、これは占領下ではさようなことはございました、しかしながら現実としては私どもはさような誤解を受けないように業務執行の場合もやつておりますので、その点は御安心ください、こういうことでございました。しかし、この一万円を三万円にする要求に対してはどういう気持を持つておられるか、またどこに根底があつて算定をされたかということも一応知りたいと思いましたので、それも私、引揚げた方、それから援護局、あるいは日赤の工藤さん、こういう方々にも念のためにお聞きをいたしましたところが、これは今後の問題でありますから、お互いに委員の方々も考えてくださらなければならぬことがあるということでした。それは、向うで乗船するまでの期間ずいぶん滞在をさせられた。その場合にやはり相当の金がいつたことは、これはもう工藤さんたちのお話の中にもあつたようであります。今後こちらでどうして暮すかというのみでなく、そうなりますと、ただちに乗船できなかつた原因がどこにあるかということをさらに深く私どもは研究してみなければならない。ただいま決議文のようなものも読まれた。これは、日赤は別ですけれども、三団体の中の二団体の方々は、純真に物事を運んでおられるでありましようが、その中に、あるいは運営あるいはその過程において、心になくても、現実の運営の上に間違つたことになつておらぬかということは、私どもは真剣に考えなければならぬ。ですからこの問題については、今後各委員の方々も心されて、さような方々を再びここにお呼びいただいて、忌憚なく、懇談の姿でもよいし、あるいは場合によつては、記録に残しておかなければならぬ場合は、さようにとりはからいくださいまして、今後に備えていかに私どもがするかという、確実な誤らないところの善処すべき根底をひとつつくつていただきたいと希望申し上げる次第であります。  ただいまの御報告に補足をいたすつもりで、気持の上の問題も加えて申し上げましたので、御了承願いたいと思います。
  14. 山下春江

  15. 臼井莊一

    臼井委員 ただいま二班、三班の方から詳しく御報告がございました。私も二班として参つたのでありますが、幸い三班の方とも一緒に行動することができたのであります。今御報告にもありましたように、援護居のやり方を全体的に見ますと、大体において、帰国者の方に対しては、はれものにさわるというか、何というか、非常に今慎重にしている、こういう点はよくうかがえるのであります。ただ、あまりにも慎重過ぎるために、その虚に乗ぜられるというようなことがあるのではなかろうかというふうに見られるのであります。今御報告にもありましたように、高砂丸興安丸が入つて来ると、白山白龍帰国者の人が、革命歌を高唱し、赤旗を振つて、棧橋の突端に出て迎えるということでありますが、そうすると、上陸するときに非常に業務にじやまになるわけであります。従つて、そこには係員以外は入れないことになつておるにもかかわらず、隊伍を組んでそこに入つて、そういう行動に出る。それがために、肉親出迎えられる方々がそこまで行くことができなくて、岸にみんな群をなして待つている。中には、肉親のわれわれをあそこに入れないでなぜああいうことをさせるのかというような不平を漏らす親族の出迎者の人もあるという状態であります。これに対して、局としては、一応阻止したけれども、あまり刺激を与えてはどうかと思つて、大体において黙認しているという形である。私どもは、上陸第一歩の印象から言つて、桟橋の突端において、船からよく見えるところでそういう赤旗と革命歌で迎えるという状況は好ましくないというふうに考えるので、どうも目の丸の旗が少し足りないじやないかというふうに感じた。もう少し日の丸の旗を持つて行くべきであつて、わずか一本くらいの日の丸の旗では心細いのではないかというふうに感じたが、木村長官は、これらに対抗するというようなことに出ることはかえつてどうかと思うからということで、遠慮されておるようです。その後日の丸の旗が二本ばかり大きなものがふえました。もちろん陸上においては、日の丸の旗で迎えている隊伍の人たちもあるにはあつたのであります。そういうふうに非情に慎玉であるということはいいと思うのでありますが、ただ、その虚に乗ぜられる。また宣伝というか、援護局の意思というもの、また出迎えをする君の意思というものを、もう少し徹底させるような方法を臨機に講ぜられるような方法をとることが必要ではないかと思う。ところが、逆に、われわれのその場において得た情報においては、白龍白山丸が入港する、そうすると、各新聞社の報道班のランチが出て船へ行く。それに、平連とか日中の三団体の人だと言われておりますが、これらがそれに便乗して行つて、そして高砂丸興安丸という船にいち早く入り込んで、それは了解を得たのでありましようが、マイクを占拠して、これによつて、目百十三要求を出しているから、これに対してひとつ諸君も合同して闘争しろというようなことをマイクで呼びかける。あるいは、各班長に集まつてもらつて、同様の行動をしたというようなことだとか、これらに対しては、運輸当局がはたしてそういうことを公然と許しておるのかどうか、今後問いただしてみたいことの一項目でありますけれども、なお、局内においても、もう少しく代表の方と打合せる、交渉する、懇談するばかりでなく、直接引揚者の方に援護局の意思を伝えるような方法をマイクでやつたらよかろうというふうにも考えたのであります。ところが、様子を聞いてみると、マイクの線を切られてしまうということです。もしそういう状況ならば、今後は、たとえば放送力でも用意しておいて、随時移動的にこれが徹底できるような方法をとるということも必要ではなかろうかと思うのです。いずれにしても、あまり大事をとり過ぎるために、こちらの方の史伝が圧倒されるというきらいがあるように思つたのであります。従つて、今後、先ほど有田委員からお話がありましたように、十三項目の要求については、私と三人、特に懇談を求められていたしたのでありますが、小松勝子女子の問題にしても、これは今後委員会で正式にひとつ真相を究明するから、この場合においていろいろなことを言うとこんがらがりますから、これはひとつまかせてくれ、こういうことを言つて了解を求めて、そうして引揚げて来たところが、そのあとで、先ほどお話のように、百人から百四、五十人の人に、この小松勝子女子が拉致されたといいますか、引揚者の中にひつぱり込まれて、行方がわからなくなつてしまつた。こういうような状態で、はなはだその点は遺憾であります。ただ、帰国者の全部が全部そういうふうに団結しているというのではなくて、一部の者の指導により、ある程度強要によつて要求の貫徹を期すべく行動しているというふうにも架せられるのであります。なぜかならば、寮の入口にはピケを張つて、局員も入れない。われわれも入れさせない。それから、新聞報道班に対しては、もとより入れない。肉親の者が面会に行つても、なかなか入れない。こういう隔離の方法をとり、非常に帰国者の自由というものを束縛している。こういう点からも相当察知せられるのでありまして、私たちも、こういうことがあまり広く新聞等に出ますと、一番帰国者の心配している就職の問題についても影響することをおそれて、すみやかにひとつ郷里に帰られて、日本の情勢をよく見てから、われわれもその後において陳情も受けましようということを申し上げて来たのです。  八日の夜、日赤の工藤さんから、在日華僑の中国への送還のことについていろいろ御報告を受けしましたが、これらは、ひとつ機会を見て、直接本委員会においで願つて報告願うとともに、また小松勝子とか、あるいは先ほど長谷川委員からお話のありました、白山白龍声明書の問題等についても、当委員会でひとつ取上げて、事実の真相をきわめる必要があろうと思いますので、機会を見てこの三団体の方にもおいでいただいて、われわれも詳しくお伺いしたいということを申し上げて、補足的な御報告といたします。
  16. 佐藤洋之助

    佐藤(洋)委員 有田委員及びその他の方々の詳細な報告を承つたのですが、先に私がそれに対して意見を申し上げたように、白山白龍は四日以来もう一週間にもなる。大体三泊四日というように制限してあるのが、もう一週間にもなり、家族出迎えが千七百人も森寮に合宿しているというような状態でありまして、これはすみやかにそれぞれの郷里に帰すことがいいのだけれども、先ほど、次官及び次長さんがおいでにならなかつたものですから、委員長を通じて、政府にこれらの問題についてすみやかに処置するように実は要望しておいたのです。ここに御両所が見えたから、重ねて申し上げますが、もはや一週間になり、われわれの懸念したように、四船一緒になつて、五千人近くの人があの局内にいるわけです。だから、思わざるいろいろな事態が起るのです。従つて、できるだけ手を尽して、すみやかに出迎え家族に引渡して、帰られるように、ひとつ政府は特段の心配をしてもらいたい。  それから、今言われた十三箇条というものは、これはなかなか問題です。ことに交法を要することもあるし、予算にも関係があつて、大きな問題をはらんでいるわけですし、これはのむわけには行かない。要するに、既定方針においてこれを迎えるがいいと思う。従つて、この引揚げ手続を完了しない人が面会を求めて陳情するという話であるが、これは私は面会する必要はないと思う。そういう人に面会すると、これはいつまでも遷延するのみであつて、非常に悪例を残すと思う。今田中委員が言われた第三次船で引揚げた人と会見することはいいでしようし、陳情を聞くこともいいでしよう。あるいはまた臼井委員が言われたように、三団体の意見を求めることはいいだろうが、しかし四次船団で引揚げて来て、抜けがけ的に東京に来てそうして当局に陳情するということは、これは法を無視したものである。そういう人々と委員会が会見する必要は毛頭ないと思う。その点は、委員長もいかなる考えを持つているか、委員長にもひとつお伺いすると同時に、政府にもこの点はつ言伺いたい。今後ろく事態がかわつて来るから、帰還手当を増す事情があるなら、それはまた別に聞いて、今後いろいろ相談をして処置すればいいと思うのであつて、四次船団がかかる事態に追い込んだということはまことに遺憾に思う。私は、政府がどう善処されるかということと、委員長の考え方をお聞きしたいと思う。
  17. 山下春江

    山下委員長 まず委員長よりその態度を明らかにいたしておきます。佐藤委員の仰せの通り、今川上京されたと聞くそれらの代表者は、舞鶴援護局の許可を得たものでないことは確実のようでありますから、さような非合法的な団体に対しては、委員長及び本委員会面会をいたす意思を持つておりません。
  18. 田邊繁雄

    ○田邊政府委員 ただいま佐藤委員からいろいろお話を承りましたが、まつたく同感に存ずるわけでございます。実は、四船が同時にあそこに入つて来るという問題につきましても、当初から私の方は、業務上いろいろ支障があるということで、北京に交渉に行くときから、その点は十分代表の方にも話して、リレー式に入つていただくように、その方が引揚げ業務も円滑に行くし、結局帰つて来られる方の利益にもなるし、あらゆる点からいいということで、みな了解し、努力して参つたわけであります。今度だけが、こういうようないろいろな事情がありまして、出発の際のごたごたもあつて、同時に着いたような形になつたわけでございます。実は、興安丸帰還につきましては、帰りの船が調整できるように努力万を日赤を通じて工藤代表に依頼したのでございますが、先方の都合があつたと見えまして、結局同時に入港するような結果になつたわけであります。われわれとしては、帰つて来た以上、船で待たせるというわけに参りませんので、できるだけ業務を簡素化し、こういう方々を早く郷里に帰すことができるようにということを研究させまして、高砂丸帰還者については十一日、興安丸帰還者については十二日、それぞれ舞鶴を出ることが厄きるようにということを研究いたしまして、運輸省と連絡をいたしたのでございます。順調に参りますれば、すでに昨日、白龍白山帰還者舞鶴を出発いたすように、高砂丸興安丸帰還者は、十一日、十二日にそれぞれ舞鶴を出発するように手配をいたし、また連絡船等の関係もございますので、十分この点は運輸省とも連絡いたしまして、手配を整えておつたのでございます。ところが、こういう事態になりまして、白龍丸は入港したのが六日でございますから、従つて昨日出発の予定が、今日に延びておるという状況でございます。  出しておる十三項目は、実は先般第三次船を迎えに参りましたときも、これとほとんど同じような要求がありました。私も二日にわたつて長時間引揚者及び二団体代表の方と十分懇談いたしました。帰つた方々は、今後の生活、ことに就職の問題について非常に不安を持つておられます。この点は、われわれもまことに同情いたすのでありまして、引揚援護庁としても、就職と住宅の問題については当初から非常に力を入れて努力して参つたのであります。住宅についても、従来の引揚者に比べて相当いい率の住宅予算をとつてございます。それから、就職の問題についても、労働省においてソ連の引揚げの場合以上に優先的にやつていただいております。今日就職の申込みをした者の中で、すでに四五%の就職率を示しておるわけであります。これは相当努力した結果の現われだろうと思います。もちろん、それで満足するのではないのであつて、就職した人はともかく、就職されない人の身になれば、だれも同じでございますので、この点は、労働省とも密接な連絡をとつて、できるだけ本人の御希望に沿うような職種及び場所をあつせんするように努力いたしております。しかしこれは、舞鶴援護局の現場において、一切あなた方の就職と住宅は保証するということを言つても無意味なことでありまして、この点は、十分事情説明して、了解を得たのでございます。  それから、帰還手当の問題等もございますが、私はその際よく申し上げたのでございます。引揚げの問題でわれわれの一番苦労したのは、厚生省は占領下において無差別平等の原則というものをずつと通されておつた、一切生活保護並の援護しかできないという際に、何とかその原則のからを打破つて特殊性のある引揚者のための援護をしようということで、今日まで非常に努力して来た、住宅の問題も、就職の問題も、一切の問題がそうであつたが、逐次向上して来ておるということを申し上げたのであります。また、今日引揚援護庁としては、こういうような方方が立ち上つて行くために必要なものを差上げたい、従つて、就職、住宅その他のことは、これは、いつまでも生活保護のような、国から金をもらうことによつて暮すというやり方は好ましくない、しかし、できるだけの援助をするという方針である、こういうことで、その際いろいろ御希望があつたのでありますが、これはことにソ連その他の場合の引揚げと違いまして、先方で一定の職業と住宅を持つておられた方々が帰つて来られたわけでありますから、その点特に苦しいだろうということを考えまして、何とかそこに特殊性のある援護をしたいということで苦心した結果、帰還手当という制度を創設したのであります。これは、できてしまえば何でもありませんが、財務当局とこれを折衝する場合には非常に苦労いたしたのであります。生活保護法という一般的の保護があるほかに、何でこれだけの金がいるかということで、財務当局は相当渋つたのでありますが、いろいろ事情説明し、こういう一万円、五千円という線を無差別平等に出す、金を持つているから差引くとかなんとかいうことはとりやめまして、遡及して最初からこういう制度にいたしたのでありますが、これによつて、他にいろいろのことはあろうけれども――たとえばパスの問題等もございますが、これは実際問題としてはなかなか困難でございます。従つて、帰つた直後就職その他の問題でお金がかかるだろうと思うから、それを含めて一万円、五千円というものをきめたのであります。これが多ければ多いほどという御希望は皆様におありだろうけれども引揚げの方といえども、帰つて来られればやはり一般国民であつて、特権を持つておられる方じやないと思う。あまりのことを要求すると、かえつて国民の反感を買うということも考えなければならない。われわれの判断でも、今日の国家財政その他との振合いから考えて、これがよいところではないかと考えておるのでありまして、それを今日すぐに増額するということは、舞鶴援護局長としても、また長官としても、現場で確言できないことは当然であろうと思います。  それから、直接税の免税の問題等につきましても、これは法律を要することであります。また開拓団員等に対する特別手当三万円と申しましても、すべて予算及び法律を要することでありまして、これを通さなければ云々といつてあそこにがんばることは、まつたく理由のないことであろうとわれわれは考えておるわけであります。  その他、いろいろの問題をあげておりますが、これも当初からの問題でありまして、これが入れられなければ舞鶴から帰ることはできないといつてがんばることは、どうしてもわれわれの納得できないことであります。舞鶴では非常に苦労いたしております。われわれは、できるだけ円満に穏便に事態を解決したいと思つて、十分しんぼういたしております。いろいろ先ほど来お話がございましたが、用心し過ぎるくらいの用心じやないかと言われますが、国内の事情にうとい方々でございますので、われわれとしては、できるだけ事情説明して納得していただくようにということで努力しておるわけでございます。今日の事態は、前の引揚げの第三次船までとは違つて、非常に様子が強硬のようでございますが、お話の通り、許可を得ないで上京されても、そういうことを理由にがんばつておられる方々を代表して東京に来られても、われわれとしては一日も早く郷里に帰るようにということ以外には何にも申し上げることがないわけでありをす。現地の人々とも十分連絡をいたしますが、できるだけ早く事態を円満に解決するように、あらゆる努力を払つておる次第であります。
  19. 田中稔男

    田中(稔)委員 私は、帰国者代表なり乗船代表なりが上京して来ているならば、本委員会に呼んで実情を聞いた方がよい、そういうことについて委員長とつごあつせん願いたいということを申し上げたのでありますが、委員長はその私の希望を拒否された。このことは非常に遺憾だと思いまして、一言ここに記録にとどめておきたいと思うのであります。彼らが上京して総評の大会に訴える、しかし国権の最高の機関として国会があり、それが開会中であり、特別委員会があるのに、そこに訴えることができないということになると、これはやはり国会に対する国民の期待を裏切り、あるいは国会の権威を汚損するものだと思うのであります。陳情の内容が、これは取上げることができないということになれば、それはそれでよい。取上げるか取上げないかは別問題として、訴えたいという場合にこれを聞くというのが、私はふさわしいことだと思うのであります。委員長が拒否されましたので、私は非常に遺憾であるということを申し上げておきます。  引続いて次長に御質問申し上げたいと思います。次長のお言葉によりますと、帰国者要求というものは全然問題にしないで、ただ早く帰つてもらいたいということですが、現在舞鶴における事態の詳細については、私は現地に行つておりませんからわかりませんけれども、御視察の結果、報告があつた通り、それから新聞などを読んでおりましても、非常に強硬のようであります。一体援護庁としましては、今おつしやつたように簡単に郷里に帰つてもらうことができると考えているかどうか。何かそこに特別な措置、たとえば警察力でも行使するというようなことをお考えになつておるのか。ただ帰つてくれ、帰つてくれでは、私はなかなか帰らぬのじやないかと思うのでありますが、それについてどうでありますか。御自信がおありであるかどうかお聞きしたい。
  20. 田邊繁雄

    ○田邊政府委員 舞鶴援護局といたしましては、あそこに上陸され、お宅にお帰りになるまでのお世話をする機関でございます。従つて順調に参りますれば、援護を受けてお帰りになるのが普通でございまするが、こういう要求を出して、これが通らなければ帰らないと言つておるので、これは非常に異常の事態であります。私は、これは常識から考えて少しおかしいと思います。国へ帰るために帰つて来られたのでありますから、要求要求として別途方法があるものと思うのであります。役所がだめなれば、御承知の通り国会陳情する道も残されておるわけでございます。あそこでがんばつて、それを背景として威嚇的事態に出るということは、私は望ましくないと考えております。しかし、私が先ほど申しました通りに、われわれとして、できるだけ事態を円滑に解決したい。中には、内地の実情も知らないでおやりになつた方もあるかもしれませんが、これは、できるだけ内地の実情を説明して納得してもらいたいと考えております。われわれは、目下のところ、積極的にこちらから警察力を行使して、追い出すという考えは持つておりません。できるだけ、留守家族の方々その他の方々の応援を受けまして、各人を説得し、御了解をいただいて、早くお帰りいただくように努力するのが、一番上策だと考えます。
  21. 長谷川峻

    長谷川(峻)委員 佐藤委員が言われて、委員長がきめられた態度に、私、満腔の賛意を表します。ということは、業務手続をしない諸君が上京して、もしこの委員会などで話を聞いたり折衝していると、その間帰国者はさらに業務手続をしないで向うに長くいることになる。すでにきのうなど、援護局は米が足りなくなつて農林省に陳情しているわけです。これらを見ても、予算の問題も出て来ますし、せつかく中共が送つてくれた人たちですから、早く国に帰るように各党が説得してこそ、初めて政治家としての矜恃があるのではないかと思うのです。その点について、業務手続をしないで来ている連中に対して、それに会おうとかなんとか言うこと自体がおかしいと思われます。  それから、十三項目の要求についてですか、われわれは何も援護団として行つたのでも何でもない。国会議員団として、どういう手続をされつつ彼らが快く祖国に帰つて来るかということを見に行つたのです。今からどちらにも苦言を呈することが多々あるのでありますが、十三項目の要求について、私は現地の新聞記者諸君と会つて聞いてみたのです。彼らの意見にいわく、従来もこういう意見は出しておつた、しかしながら今度は非常に強い、その中には政治的な要求が入つているために強いということもあるのだ、そこで援護局としては、もし今度の要求を、一万円が三万円、五千円が一万五千円というように通せば、第三次船までに引揚げ諸君はどうなるというような点など、はつきり意思を表示しながらあの諸君を納得させるようにしなければならぬということを言つておりました。これは非常に大きな参考になると私は思うのであります。  それから、渡邊さんが就職、住宅の問題も話されておりましたが、特に一つの現象といたしまして、今度の引揚者の中には、名簿を見合つて聞いた実例からいたしますと、非常に二人妻が多い。子供を四人も五人もかかえて帰つて来まして、自分の細君は国に待つているけれども自分は今度連れて来た細君の方に行くべきか、あるいは待つている細君のところに行くべきかというような問題が非常に多いと私は思います。これなどにしても、新しい厚生施設なり、対策などが社会的に必要になつて来るということを私は痛切に考えておるのでありまして、この際あそこに何日もとめられておつたのでは、せつかく中国が送つてくれた温情が日本国民にもしみ込まぬし、あの諸君も祖国の大空を見、大地を踏みつけながら、肉身が待つている国に帰れない。十五歳の子供が、どうしたら自分のお父さんを連れ出すことができますかということを委員のわれわれに聞いております。自分は初めておやじを見た、しかし連れ出す手続がわからない、こういうことになつておる。私は、人情的に、ヒューマニティでもつて帰してやりたい。要求要求として、自分たちの支持している党の代議士もおろうし、選挙区の代議士もおろう。そういう人々によつて解決するように持つてつて、この際は各党協力一致して、あの人たちを説得して帰すように努力していただきたい。これは委員会の決議でもやつてもらわなければ、これから第五次、第六次と来るときには、もつともつとああいうふうな無用のトラブルが起つて、国民全体も、ある団体などに対して、あるいはある政党などに対して疑惑の目をもつて見るような向きが出て来るのではないかと思います。この点、ひとつ委員会として善処をお願いする次第であります。
  22. 辻文雄

    ○辻(文)委員 私どもも、現地に行つていろいろそういう実感を受けて来て、今お話の子供なんかにも泣かされた方ですが、さらに、ただいまの三人妻の逆のことがありますから、一応補足しておきたいと思います。ことに、政務次官は女ですから、深く心にとめておいていただきたい。  今度の引揚者の中には、向うの人にお嫁に行つている人がある。先ほど申しましたように、若い婦人が赤旗をどうしてあんなに振つてつているのか疑問だつたから、私は口を入れてみた。あとで工藤氏の話では、それほど大人数はいないということでありましたが、私の聞いた話では相当いるようです。中共の人と結婚をして、その間に子供もある人がこちらに帰されているということがあるわけなんです。そういう人が、今後の光明を失つているから、赤旗の先頭に立つて、われらの盟主徳田球一万歳を言つている。政務次官は、こういうことも心の中に深く置かれまして、いかにして救うかを考えていただきたい。なお、補足しますが、その中に、自分の行く先もないという人があるらしい。だから、むしろあそこで門戸するのかよろしいんだということを言つておりました。さような点もひとつ御参考にしていただいて、十分善処していただくようにお願いしておきます。
  23. 中山マサ

    ○中山政府委員 帰つて見えます前のいろいろな情報を聞きましたときにも、希望する者を帰すという話を聞いておりました。ところが、あちらの地元の様子をある方、面から聞きましたら、今のお話のように、向うの人を夫として、子供もあるのに、その妻に帰れ帰れと言われて、非常に困つておるというようなことも聞いております。それで、いかなる最後の結論からそういう御婦人方が帰つて来たかを私どもはまだ聞いておりませんのでございますけれども、たとい国は違つても、夫に対する愛情は同じであろうと思います。その人たちが、子供を置き、夫を置いて、いくら自分の国といえども、帰つて来たら、少しは心がひねくれると申しますか、妙なぐあいになるであろうと思いまして、赤旗も振りたくなるのかもしれないと、私もそぞろ同情にたえないのでございますが、いろいろの状態を見ておりますると、ちようど初めて引揚げて参りましてソ連の人たちが、京都の駅で強制的に下車をして、あそこの駅前で騒動をしたことを、今私は思い出しておるのでありますが、そういう人たちも、一旦家へ帰れば、おのずから、赤だいこんも中は白かつたというようなことになつておりますので、今皆様方のお説の通り、早く国へ帰すということが一番よい解決ではなかろうか、――国のいろいろな法律もあり、また援護庁も、やはり厚生省の一部として、国の原則を守つて向うに出張しておるのでございますから、国会の審議も経ないで、独断的にいろいろの要求をいれるということが不可能なことはもう了承ができると思います。私が最もおそれますることは、こういうふうな引揚者ならば、もう引揚げてもらわないでもよいじやないかというようなことを言つて来た人がありましたので、国民の感情がそういうふうに向くということを非常におそれている者の一人でございまするので、皆様方の御要望の通り、何とかして了解をしてもらいたい。そうして、家族自分の帰つて来た人に会えないようにピケラインを張られたということは、いかなる観念に立つてこういうことがなされるか、私はどうしても了解ができないことでございまするが、政府といたしましても、早く帰つて来た人もさることながら、長い日にちを最後まで置かれた人たちに対する非常なる同情と、何と申しましようか、いわゆるいろいろな点から、できるだけ穏便にという立場で、今はやつておるような次第でございます。私自身としても、もう少し強硬な態度をとつてはどうかしらんと、これは私個人の考で考えたこともあるような次第でございまするが、何とかひとつ、相互的の理解の上に立つて、この問題の解決をされることを希望いたしますが、御要望の通りそういう二人夫と申しますか、あるいは向うの人に別れて来た人たちのためには、できるだけの善処を、私も婦人の立場から、しなければなるまいと存じております。     ―――――――――――――
  24. 山下春江

    山下委員長 時間がございませんので、次に、留守家族援護に関する件、及び遺家族援護に関する件について議事を進めますが、本件の骨子というべき未帰還者留守家族等援護法、戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部を改正する法律案・及び恩給法の一部を改正する法律案の三法案が本院に提出され、厚生委員会及び内閣委員会で審議されておりますが、本委員会調査上、この三法律案の概要を政府当局より聴取いたしたいと思います。  初めに未帰還者留守家族等援護法案について概要説明をお願いいたします田辺次長。
  25. 田邊繁雄

    ○田邊政府委員 今度の国会に、未帰還者留守家族等援護法案が掲出されまして、月下衆議院の厚生委員会において審議中でございます。ここに簡単にこの法律案の趣旨及び内容を御説明申し上げたいと存じます。  現在未帰還者のうちで未復員者、つまり元軍人軍属でありますが、これらの方々には未復員者給与法が適用されておりまして、本人に対する月給千円と、それから留守家族に対する扶養手当六百円ないし四百円が、その一定の親族に前渡しされております。これによつて留守家族の援護が行われております。それから、特別未帰還者、つまりソ連及び中共地域におきまして、ソ連の未復員者と同じような状況にある人人に対しましては、特別未帰還者給与法が適用されまして、未復員者とまつたく同じ処遇がなされておるわけであります。それから、未帰還政府職員につきましては、一般職の職員の給与に関する法律が適用されるのでございますが、扶養親族のある方に対しましては高い月給が支給されておりまして、月額二千四百円から一万八百円までの俸給に加えて扶養手当が留守家族に支給されておるのであります。こういうような一定の扶養親族のない方の俸給は、過去の低いベースにストップされて今日に及んでおるわけであります。今日この二つの未復員者給与法、特別未帰還者給与法の運用につきましては、いろいろの点で無理ができておりまして、今度の軍人恩給の復活に伴いまして、この二つの法律をどういうふうにするか、また留守家族援護の見地からどういうふうにするかということにつきまして、われわれと言たしましてはずいぶん苦心もし、研究もいたしました結果、やはり未帰還者留守家族援護立場から、ここに法律をつくることが一番望ましい、妥当であるという結論に達しましたので、かような法律案を立案いたした次第であります。月給という制度は、終戦後長年月を経ました今日、当を得ないのでありまして、いろいろの点でぐあいの悪い点がたくさん出ております。月給ならば月給らしく相当の金額に上げなければならない。そうすると、どのくらいの金額が妥当か、階級別にでもしなければならぬか、こういう問題が出て来るわけでありまして、いろいろな点を考察いたしまして、留守家族援護につきまして統一して実施をいたすことにいたしたのであります。  この法律案の内容につきましては、まず未帰還者の範囲は、未復員者と未復員者以外の一般未帰還者とにわけますが、一般未帰還者につきましては、ソ連、中共地域における一般邦人であつて、終戦後生存の資料があつたと認められる者全部を含んでおります。今までは、ソ連における未復員者と同等の事情にある者という一定の制限か置かれたわけでありますが、今度の法律におきましては、さような制限は撤廃いたしまして、死亡の資料のない限り、すべてこの未帰還者の範囲に包含せしめたのであります。もつとも、未帰還者の中で、自分の意思で残つておるという資料のはつきりしている者は、この未帰還者の範囲から除外することは当然であります。  次に、留守家族の範囲でございますが、これは、一方遺族援護法との均衡を考えまして、これと均衡をとつております。同じ援護という立場でございますので、その範囲はまつたく同じにいたしておりますが、多少遺族援護法と趣を異にします点は、遺族援護法は、一定の条件に該当する者は画一的に年金を差上げるということにしておりますが、留守家族援護法につきましては、従来からの経緯もあり、またこの立法の理念が留守家族生活援助するという経済的な援助ということに重点を置いている関係上、また従来の未復員者給与法及び特別未帰還者給与法の運用もそうであつたのを踏襲いたしまして、主として未帰還者の俸給によつて生計を維持していたと認められる者に限つておるわけであります。この運用は、いろいろ従来非難がございますが、これはあくまでも立法の精神に即し、実情に対応いたしまして認定すべきことでありまして、従来とかく言われておるような、画一的一定の基準によつてやるということは、今後といえども避けて行きたいと考えております。金額は、遺族援護法等の関係も考慮いたしまして、一世帯当り二千百円、これを先順位者に渡す、但し他に留守家族があります場合には、一人につき四百円ずつを加算するということになつております。  なお、本法による留守家族手当の支給につきましては、永久に留守家族手当を支給するということもどうかと考えられます。これは、今日未帰還者となつておりまする方々の中には、終戦以来状況不明となつておりまして、杳として行方のわからない方が相当多数入つておられますので、こういう方々に対しまして永久に留守家族手当を支給するということはいかがであろうかと考えられますので、これは期限をつけまして、この法律施行後三年間は無条件に支給する、但し三年を経過し、しかも状況不明となつてから七年を経過した場合におきましては、一応この留守家族手当を打切るという建前にいたしたのでございます。従いまして、一方政府といたしましては、この法律の中に、未帰還者状況の下調査につきましては万全を期して努力するようにということをうたいまして、この調査究明と相まちまして、かような状況不明の未帰還者の問題を将来の問題として解決して行きたいと考えておる次第でございます。これは、今後の問題として、こういつた方々の身分の問題をどういうふうにするかということにつきましては、われわれ非常に頭を悩ますのでありますが、結局国民全体の良識ある最後の判断にまつほかはなかろうと考えておるのでございまして、今後とも、この点につきましては、政府としてはできるだけ努力をし、状況を明らかにするように努めたいと考えております。  なお、この法律に基く援護といたしましては、未帰還者が帰つて来た場合におきますいろいろの援護の規定がございます。たとえば、帰郷旅費の支給であるとか、あるいは療養費の給付であるとか、身体障害を残しておる場合におきます障害一時金の支給であるとか、あるいは埋葬費、こういうものの規定がございますが、これは全部従来未復員者給与法に規定されておりますものをそのまま踏襲いたしたのであります。  なお、この留守家族等援護法の制定によりまして、従来の未復員者給与法、特別未帰還者給与法及び未帰還政府職員に対する給与の支給というものは廃止または停止になるわけでございまするが、その結果、従来俸給または扶養手当の前渡しを受けておつた方々であつて留守家族の範囲から除外される方々炉あるのであります。たとえば、兄弟姉妹、あるいは配偶者の両親、これは、未復員者給与法におきましては、配偶者の両親まで俸給の前渡しを受けることになつております。また六十歳未満の方々で留守家族手当の対象にならない方がございまするが、こういつた方々も、現在俸給の前渡しを受けておつた方々がございますが、こういう方々に対しましては、やはり援護という見地から、今までこういう方々にそれだけの手当が前渡しされておるわけでございますので、これを今日打切つてしまうわけに参りません。従つて、これらの方々に対しましては、従来の実績をそのまま保障するということにいたしておる次第でございます。  なお、この法案を立案しますと同時に、われわれといたしましては、本法の中に未復員者も含めての未帰還政府職員の立場を考慮いたしまして、いろいろ特別の規定を設けてもらつた次第でございます。たとえば、現在ソ連に抑留されております方々で、すでに恩給年限に到達しておられる方があります。こういう方々に対しましては、留守家族手当よりも恩給を差上げる方が、留守家族の方々にとつて非常に有利であることは言うまでもないことでございますので、恩給年限に到達した方々に対しましては、その留守家族に対しまして、恩給をかわつて受領できるようにいたしたのであります。それから、まだ恩給年限に到達しない未復員者、未帰還政府職員につきましては、恩給年限に到達するまで、これを在職期間と見まして、今後もずつと恩給法上取扱うようにいたしたいと考えまして、こういうような規定を設けてもらつた次第でございます。  次に、恩給年限に到達しましても、まだ帰つて来ない間に、もし万一けがをされたり、あるいは病気のために不幸死亡されるような方があつた場合、これは、実は恩給法では、恩給年限に到達した人であつて、そのときに一応退職というふうにみなされるのでございますから、公務員として扱わないのが原則でございますが、こういう特殊な方々でありますので、恩給年限に到達したあとでの負傷疾病につきましても、恩給法上の在職期間内の負傷疾病と同じように扱つてもらう、こういうような特別な規定を盛つてもらつたのであります。従つて、今後帰還される未復員者その他の方々の大部分は、少くとも恩給その他一時恩給の対象になるものと考えております。  概要をかいつまんで申し上げたのでございますが、漏れました点等につきましては、御質問に応じて御説明申し上げることにいたします。
  26. 山下春江

    山下委員長 次に、戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部を改正する法律案の概要説明を聴取いたします。
  27. 田邊繁雄

    ○田邊政府委員 戦傷病者戦没者遺族等援護法の改正にあたりまして、まず私どもの方で一番強く考えましたのは、昨年この法案が国会に提出されました際に最も強く要望いたしました船員の問題であります。船員は、甲船員、乙船員、C船員の三つにわかれております。甲船員、乙船員は、すでに恩給法上軍属として恩給の対象にいたしておりますが、C船員は、船舶運営会の運航する船に乗つてつた船員でございますが、これらに対しましては、援護法による援護の手が差延べられてなかつたのでございます。しかしながら、いろいろ研究いたしますと、船舶運営会というものは国家総動員法に基いて設立された機関であつて、国が使用権を設定した船舶を運航する任務に当つていたのでございまして、いわば一種の国家機関たる性格を持つものであると考えられるのであります。しかも、これに乗り込んでいる船員は全部徴用でございまして、従つて、国家権力によつてこの国家機関たる船舶運営会との間に強制的な従属関係が設定されたという方々でございまするので、この点、軍人の場合と非常に近い性格を持つております。しかも、その任務は、当時の戦局から考えまして、兵員、軍人の輸送に当り、また第一線の作戦に参加する等、軍人、軍属と同様の任務に服しており、従つて、その危険の程度も非常に高かつたのでございまして、第一線に参加しております兵、軍人以上にその戦死率がなつているということが、その事情説明していると思うのでございます。いろいろの点を総合いたしまして、これは他の徴用されたいわゆる徴用工、学徒その他の方々と非常に性格を異にし、むしろ有給の軍属に入れることが妥当であると考えまして、少くともこれだけはすみやかに取上げるべきであるという見地から、この法律の対象にこれを加えた次第でございます。  第二は、軍人恩給の復活に伴いまして、軍人に対する傷病恩給、公務扶助料が恩給法によつて支給されるわけでございますので、これと均衡をとりまして、援護法における障害年金と遺族年金を増額いたしたのでございます。障害年金につきましては、不具癈疾の程度に応じまして、従来九万円から二万四千円でありましたのを、十八万一千円から二万四千円までに増額いたしたのでございます。遺族年金につきましても、年額二万五千二百円を第一順位にお渡しする、第二順位者以下には五千円、この二万五千二百円というのは、一等兵の公務扶助料に概略該当するものでございます。  なお、軍人恩給の復活に伴いまして、現在遺族年金を受けられている方方がどういうふうになるかという点は、非常に複雑なことになるのでございますが、原則として、軍人に関する限り、障害年金及び遺族年金は恩給法によるという考え方をとつております。ただ、たとえば内縁の妻であるとか、あるいは離籍された妻のごとく、恩給法上受給権のない方々に対しましては、従来通り一万円の年金をそのまま支給することにいたしておるのでございます。なお、第二順位と申しますか、妻があつてあと子供あるいは両親という場合には、妻が第一順位として公務扶助料を恩給法上もらうわけですが、そうすると、子供及び両親は恩給法では四千八百円の扶養手当の対象になる場合もあり、ならない場合もあるわけであります。援護法ではすべて五千円の年金をもらつておるわけでありますので、これを全部落してしまうというわけに参りませんので、この点は、調整規定を設けまして、御本人の選択にまかす、恩給法を選んだ場合においては五千円の年金はなくなるけれども、恩給法では四千八百円の扶養手当の対象になる、あるいは将来恩給の受給権を生ずるということになるわけでございます。もし五千円を選んだ場合におきましては、恩給法上の受給者たるの資格を失うことになりまして、従つて将来受給権は発生しないということになるわけでございます。かような選択の道を残したわけでございます。その他、軍人恩給との間にいろいろな調整規定を設けておる次第でございます。  その他、印紙税の免除の問題であるとか、あるいは遺族年金を担保にして金を借りる場合の規定であるとか、その他所要の規定を設けまして、遺族国債現金化の措置に対応するごとき改正をなした次第でございます。  たいへん簡単でございますが、以上が遺族援護法の改正でございます。
  28. 山下春江

    山下委員長 次に、恩給法の一部を改正する法律案についてお願いいたします。
  29. 城谷千尋

    城谷説明員 恩給法の一部を改正する法律案につきまして、その改正の主要な事項について御説明申し上げます。これにつきましては、すでに私の方の局長が内閣委員会におきまして説明いたした次第でございますので、その線に沿いましてここで御説明申し上げる方が、いわば御了承願う上によろしいのではないかと考えますので、さよういたしたいと考えております。  まず第一に改正しようといたします点は、在職年に対する加算の制度でございます。加算制度は、実際在職しなかつたにもかかわらず在職したものとしまして取扱い、いわば想像上の在職年を実際の在職年に加えてこれをふやして行こう、こういうふうにするのがその趣旨でありまして、その結果、恩給が早くもらえることになりますので、短期、若年退職者に恩給を支給するような結果になるのでございます。しかしながら、今日のような脆弱な日本の財政のもとにおきましては、かかる制度を残しておきまして旧軍人軍属に恩給を給することは、非常な困難があると考えるのであります。そこで、これらの事情その他いろいろの事情を考えまして、旧軍人軍属及びその遺族に恩給を給するにあたりましては、加算はすべてつけないこととし、その在職年は実在職年のみをもつて計算することといたそうとするのであります。かかる事情からいたしまして、現在存しておるところの加算制度も、条理上残しておくべき理由のないもののようにも思われますばかりでなく、現在加算がつけられております業務とか、あるいは在勤に対しましては、従来一般的に俸給のほかに手当が給せられ、その手当は恩給金額計算の基礎俸給には算入されていなかつたのでありますが、最近の公務員の給与におきましては、これらの業務に従事する人々や、これらの在勤者に対しましては、一般公務員に対し適用される俸給号俸よりも幾らか割のよい俸給号俸が適用され、これらの人々に対する給与が改善されました結果、一般公務員に比して割よい俸給がこれらの人々の恩給金額計算の基礎俸給になつておるのが通例であることを考えますと、加算を存置する理由はいよいよ少くなつて来たように思われます。これらのいろいろの事情を考えまして、今後在職年に対する加算はこれを廃止しまして、恩給の基礎在職年は実在職年のみをもつて計算することとし、ただ、すでに恩給を給せられている者、及びこの法律施行の際に現に在職している者のこの法律施行後六箇月までの在職年につきましては従来通りの取扱いをいたそうとするのが、改正案の第一点でございます。  次に、現行の恩給法におきましては、公務員の外国勤務の実勤続在職年が十七年以上の場合、あるいはまた警察監獄職員とか教育職員の勤続在職年が普通恩給所要最短在職年限を越える場合におきましては、普通恩給年額を計算する場合に、その越える年数に応じ、通例の場合に比し、若干の恩給加給の取扱いをいたしておるのでありますが、外国実勤続というような事例は、いろいろの事情の変化等によりまして、その事例も乏しいように考えます。また、警察監獄職員あるいは教育職員につきましては、その当時この制度が設けられましたところから考えますと、一般公務員に比較しまして、その給与が相当改善されまして、これを存置するところの理由の消滅したこと等も考えられますので、この際この取扱いを廃止しまして、ただ、すでに退職してこの加給を受けている者、及びこの法律施行の際に現に在職している者のこの法律施行後六箇月までの在職年につきましては従来通り加給することといたそうとするのが、改正案の第二点でございます。  次に、現行恩給法におきましては、普通恩給は、これを受ける者が四十歳未満の場合はその全額、四十歳以上四十五歳未満の場合はその半額、四十五歳以上五十歳未満の場合はその三割の額を停止することになつておるのでありますが、最近の公務員の退職時の年齢の上昇及び国家財政の現状等を勘案しまして、この停止の基準年齢を五歳ずつ引上げることにしました。しかも、この停止に関する取扱いは旧軍人軍属についても適用することとし、ただ、現に普通恩給を受けている者及びこの法律施行後六箇月以内に退職する者につきましては従来通りの停止をいたそうとするのが、その第三点であります。  次に、現行恩給法におきましては、恩給年額が六万五千円以上で、恩給外の所得年額が三十三万円を越える場合には、恩給年額と恩給外の所得年額との合計額に応じまして、普通恩給年額の一部を停止することになつておるのでありますが、昨年十一月、公務員の給与水準が引上げられたこと、及び経済事情等の変動に伴いまして、右金額を若干引上げることとし、恩給年額八万円以上で、恩給外の所得年額が四十六万円を越える者について、従来の方法に準じて恩給年額の一部を停止することとし、この停止に関する取扱いは旧軍人、軍属にも適用することといたそうとするのが、その改正の第四点でございます。  次に、現行恩給法におきましては、いわゆる公務傷病恩給または公務扶助料につきましては、特殊公務による場合と、普通公務による場合とに区別しているのでありますが、特殊公務と申しますのは、軍人恩給が昭和二十一年の二月一日に廃止になりましたが、その当時の恩給法に規定された戦闘公務あるいは準戦闘公務という公務の種類に相当するものでありまして、もともとこれは戦闘に原因するものでありますので、今回恩給法の一部を改正するにあたつてこの区別を撤廃いたそうとするのが、第主点であります。  次に、現行恩給法におきましては、不具、廃疾者に対する増加恩給年額は、退職当時の俸給年額に、傷病の程度により定めた一律の割合を乗じて計算することになつているのでありますが、今回これを改めまして、軍人恩給廃止制限当時の恩給法の例にならいまして、退職当時の俸給年額により数個の区分を設けまして、その区分ごとに傷病の程度によつて定めた定額の増加恩給を給することとし、その年額は、傷病の程度の高い者に割よく、また同程度の傷病者については、俸給年額の少い者ほど、従つて旧軍人にあつては階級の低い者ほど、割よくなるようにいたそうとするのが、その第六点であります。  次に、現行恩給法におきましては、公務扶助料年額は、普通扶助料年額に一律の割合を乗じて計算することになつているのでありますが、今回これを改めまして、軍人恩給廃止制限当時の恩給法の例にならいまして、公務員死亡当時の俸給年額により数個の区分を設け、その区分ごとに定めた割合を普通扶助料の年額に乗じて計算することとし、その割合は、俸給年額の少い公務員の遺族ほど、従つて、旧軍人の遺族にあつては階級の低い者の遺族ほど、割よくなるようにいたそうとするのが、その第七点であります。  次に、現行恩給法におきましては、公務傷病者に対しましては、特別項症及び第一項症から、第七項症までの増加恩給並びに第一款症から第四款症までの傷病年金が、年金たる恩給として給されているのでありますが、増加恩給第七項症及び傷病年金程度の傷病者に対しましては、昭和八年九月以前の恩給法においては、一時金、つまり傷病賜金が給されていたのでありますから、現在の国家財政等を考慮しまして、この程度の傷病者に対しましては一時金たる傷病賜金を給することといたそうとするのが、その第八点であります。  以上か一般的なことでございますが、その他に、旧軍人軍属の恩給について申し上げるならば、今回の改正法律案の附則が主としてこれに関する規定をいたしておるのでありますが、そのおもなるものを申し上げますと次のごとくであります。  すなわち、旧軍人軍属またはその遺族に今後給する普通恩給及び扶助料につきましては、改正後の恩給法の趣旨により、実在職年によつて計算した基礎在職年と退職当時の俸給年額をいわゆるベース、アップした仮定俸給年額とによつて恩給金額を計算することとしまして、ただ、すでに軍人恩給廃止制限前、すなわち昭和二十一年二月一日前に恩給を給せられ、恩給をもつてその生活の資に供していた人々に対しましては、この事実に照し、実在職年のみをもつて計算し恩給年限に達したい場合においても、恩給を給することとしまして、その金額は、最短在職年限の場合に給される恩給金額から、その年限に不足する年数に応じ、一定の割合をもつて減額したものとすることとし、また、軍人恩給廃止制限当時恩給を給されていなかつた者に対しましては、国家財政の現状を考慮しまして、恩給給与の公平な上取扱いを期する等のため、その恩給の基礎在職年に算入される旧軍人軍属としての在職年は、原則として旧軍人軍属としての引続く七年以上の実在職年に限ることといたそうとするのが、その第一点であります。  次に、旧三人軍属またはその遺族の一時恩給または一時扶助料につきましては国家財政の現状を考慮し、恩給給与の公平な取扱いを期する等のため、引続く実在職年が七年以上しかも普通恩給所要最短在職年限未満の者またはその遺族にこれを給することとし、また、兵たる旧軍人またはその遺族に対しましては、従来一時恩給または一時扶助料は給されていなかつたのでありますが、在職年に対する加算年を除いて実在職年のみによつて在職年を計算することといたしますため、もしも在職年に対し加算がつけられたとすれば年金恩給を給せられた者も少くないことを考慮いたしまして、これらの者に対しましても、一時恩給または一時扶助料を給することとし、これらの恩給は、国家財政の現状にかんがみまして、昭和二十九年、三十年、三十一年の各一月の三回に分割文給することとし、年六分程度の利子を付することといたそうとするのが、その第二点であります。  次に、公務傷病者たる旧軍人軍属は、昭和「十一年勅令第六十八昇恩給法の特例に関する件によつて、現在、増加恩給、第六項症以上の症状の者は増加恩給のみを、またそれ以下の症状の者は傷病賜金を給されているのでありますが、今後は、他の公務員と同じように、これらの者に対しまして、改正後の恩給法の規定によつて増加恩給または傷病賜金を給し、増加恩給を給する場合には、一般公務員と同様に普通恩給を併給することとし、また下士官以下の軽度傷病の旧軍人で傷病賜金第一目症及び第二目症に該当する者には、その傷病程度に応ずる傷病賜金を給することといたそうとするのが、その第三点であります。  次に、すでに退職し、または死亡した一般公務員またはその遺族のうちには、昭和二十一年勅令第六十八号恩給法の特例に関する件によりまして、旧軍人軍属としての在職年を除算されて、少い額の恩給を受け、または恩給を受ける権利を失つた者も少くないと思われますが、このたび、旧軍人軍属及びその遺族に恩給を給しようとするのに伴いまして、これをも旧に復するのが適当であると考えられますので、これらの者については、旧軍人軍属としての在職年を通算して、新たに恩給を給し、または現に受ける恩給を改定いたそうとするのが、その第四点であります。  以上のほか、連合国最高司令官により抑または逮捕せられ、有罪の刑に処せられた者及びその遺族は、昭和二十一年勅令声六十八号恩給法の特例に関する件によりまして、現在恩給を受ける権利または資格を失つているのでありますが、旧軍人軍属及びその遺族に対し恩給を給しようとするにあたりまして、これらの者の恩給をそのままに放任して置くことは適当でないと考えられますので、旧軍人軍属その他一般公務員及びこれらの者の遺族の例により恩給を受ける権利または資格を与えることとし、ただ、現に拘禁中の者につきましては、諸般の情勢からこの際その支給を停止することとし、また、この法律案は、本年八月一日から施行されることになつていますが、旧軍人軍属及びその遺族等に給される年金恩給につきましては、実質的に木十四月分から給されたと同じことになるような取扱いをすることとし、また、ソ連その他の外地に抑留されたまま、いまだ帰還していない人々に対しましては、その留守家族の実情にかんがみまして、この際一定条件のもとに恩給を給し、当該留守家族の請求に応じて支給するようにいたし、また、旧軍人軍属及びその遺族に対し恩給を給しようとするに伴いまして、現在実施されていまする戦傷病者戦没者遺族等援護法による給付との引継ぎ等の経過措置を講じております。なお、恩給受給者の恩給を担保にして金を借りる道を講ずる、並びにこまかい制度の改正及び法令の改廃に伴いまして、若干の改正を加えようとするものであります。  以上が、このたび恩給法に改正を加えようとする主要な事項であります。  次に、予算について概略を説明申し上げます。  本年度予算に旧軍人等の恩給費として計上されました金額は四百五十億円であります。その内訳は、普通恩給三十九億二千六百五十万円、増加恩給二十二億六千五百万円、公務扶助料、すなわち戦没者の遺族等に給される扶助料でありますが、これが三百六十九億一千五百万円、普通扶助料、すなわち普通恩給受給資格者が在職中死亡しましたり、あるいはまた普通恩給を受ける資格がある者が在職中死亡したりしました場合の、その遺族に給せられる扶助料の額が十一億九千九百二十五万円でありまして、以上が年金恩給の金額であり、年金恩給の総額は四百三十三億五百七十五万円であります。ただいま申し上げました増加恩給と公務扶助料につきましては、これらの恩給を給される者に扶養家族あるいは扶養遺族があります場合には、その恩給金額に四千八百円を加給することになつておりまして、ただいま申し上げました年金額は、すべてこれらの加給金額を含んだ数字として御了解願いたいのであります。  以上申し上げましたのは年金恩給についてでございますが、このほかに、先ほども申し上げましたように一時金たる恩給があるのでありますが、これを申し上げますと、一時金たる傷病賜金が一億四千百万円、一時恩給、一時扶助料の両方の金額が十五億五千三百二十五万円でありまして、以上総計いたしまして四百五十億円となつでおるのであります。  次に、右に申し上げました年金恩給受給者の推定人員について申し上げますと、普通恩給受給者推定人員二十万二千人、増加恩給受給者推定人員四万五千人、公務扶助料受給者推定人員百五十万四千人、普通扶助料受給者推定人員十七万三千人であり、総計百九十二万四千人であります。これらの数字から見ていただきましも、あるいは金額から見でいただきましても、公務扶助料がその中で大都分の金額を占めているのでございます。  以上が大体の説明でありますが、こまかいことは、御質問がありますれば御答弁いたします。     ―――――――――――――
  30. 山下春江

    山下委員長 この際お諮りいたします。未帰還者留守家族等援護法案及び戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部を改正する法律案は現在厚生委員会に、恩給法の一部を改正する法律案は内閣委員会に付託されて審議されておりますが、本委員会としてこの三法案は密接な関連を有しますので、未帰還者留守家族等援護法案及び戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部を改正する法律案については厚生委員会に、恩給法の一部を改正する法律案については内閣委員会に、連合審査会の開会を申し入れることといたしたいと思いますが、御異議ありませんか。     〔「異議恋し」と呼ぶ者あり〕
  31. 山下春江

    山下委員長 御異議なきものと認めます。それでは、厚生委員会及び内閣委員会に連合審査会の開会を申し入れることといたします。なお、開会の日時等につきましては、当該両委員長と協議いたしますから、委員長に御一任願いたいと思います。  次会は公報をもつてお知らせいたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後一時十六分散会