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佐藤(洋)
委員 ただいま
委員長から御
報告がありましたように、
舞鶴の
現地視察に参りました、その御
報告を簡単に申し上げます。なおまた、私の
報告以外にお気づきの点は、同行の
諸君から補足を願いたいと存じます。
ちようど第一班でございまして、
山下委員長と
亘委員、
帆足委員、それから私、個人の資格で
柳田秀一君と、
委員部一課から鎌田君、この一行で
参つたのでありますが、われわれ
議員団として、
中共引揚げ以来初めての公式の
派遣団でございます。そこで、まず順序といたしまして、三十日の日に
森寮、これは御
承知のように
中共引揚げの
出迎えの
方々が一時そこに宿泊するという
宿泊所であります。それを視察いたしました。これは、ただいま使用いたしておりますのは、
むねは
三つであります。約千人
収容されるのであります。それから、第二に視察いたしましたのが
国立病院でございます。この
国立病院は、
引揚げた方々が病気になられた場合、一時
援護局の医局に
収容をしますが、長い方に対しましては、
国立病院に
収容する。一応二
むね、百四十五
ベツドを
準備しておりまして、これに
収容いたしております。ただいままでに一番多く入
つたのが二百二十三人という数字が出ておるのであります。大体聞いたところによりますと、多くは
子供でございまして、発疹が多いようでございますから、
付添人がありますので、多数のべツドを使いまして
収容がしきれず困難をするというような
状況でございました。
最後に
援護局に参りました。
宇野次長以下四百名の
職員が懸命に
中共引揚げについて努力せられております姿を拝見いたしまして、私
ども深く
感謝をいたしたのでございますが、
援護局の
環境はまことによろしゆうございます。
船着場にいたしましても、あるいは周囲の風物にいたしましても、まことにいい
環境だと思うのであります。ただ、私
どもが今度
現地派遣として
使命を帯びて参りました第四次
船団の入港の問題ですが、
ちようどわれわれが参りました三十日においても、出港の
通知に接しない。
従つて、われわれの第一の
使命は一応見限りまして、
国会開会中でありますから、もつ
ぱら援護施設、
援護事務の
状況に
調査の重点を置いたのでございます。従いまして、きわめて詳細、念入りにいろいろ
調査し、
説明を聞いたのでございまして、
援護局の
事務について順を追うて
宇野次長から
説明を聴取いたしたのでございます。まず
上陸第一歩からわれわれは承りまして、税関の
検査あるいは
引揚証明書の交付、
帰還月日、それから、問題にな
つております例の
帰還手当の
件——これは、御
承知のように、おしなべておとな一万円、
子供五千円を全部に差上げることにな
つております。それから、
援護物資の支給でございますが、これは一人当り約三十六点ばかり出すのでございましてこれを一応全部とりそろえてもらいまして、
青年男女に給する
物資、あるいは婦人に給する
物資、
子供に出す
物資、そういうものを一々つぶさに拝見いたしました。それから、復員の
業務がございますので、これらの
状況について
伺つたのであります。なお、
身の上相談のことについて、いろいろいきさつを承りました。
それから、
持帰り金の
交換の問題ですが、これは御
承知のように一応
香港ドルで持
つて参りますので、さきには、
香港ドルの
交換に際してあるいはにせ札があるのではないかというので、そういうことになると香港から
交換して
送還されて来るのには約半年を要するという予想でございましたが、にせ札は一枚もなか
つたので、きわめてスムーズに
交換が行われ、短時日の間に
交換の実行ができたというのでありますし、一番多く持参した人は、邦貨に換算して三百五十万円あ
つたというようなことも聞かされたのであります。こういう
持帰り金交換の
状況について拝聴いたし、それぞれの
事情を聞いたのであります。
それから、
応急医療の問題ですが、前に申しましたように、一応患者は
援護局内の三十
ベツドがありますところに
応急に入れまして処置することをやりまして、さらに
重患者は
国立病院の方に移送するわけであります。
次いで
荷物の託送ですが、
荷物は無制限でございます。
中共の方では一人五十キロまで無賃で、それ以上は無制限でございましたために、多い人は二トン持
つて来たような
状況でありまして、すべての
荷物は
日通に請負わせまして
検査所まで持
つて来る。さらに
日通に請負わせて託送する、こういうこまかな点までわれわれは見て来たのであります。それから、帰郷される途中の
食糧、帰郷についてのいろいろの
注意、こういうようなものを承りました。
大体におきまして、
援護局のこまかな
注意は、
中共地区三万人の
引揚げの問題につきまして、
政府も、
委員会におきましても、
十分論議を重ねてこれに対する方針をきめましたから、うまく行
つているのではないかという感じがいたしました。他の
委員諸君もこの点は同感であ
つたようでございます。ただ、この場合特に御
注意を願わなければならぬことは、今までは四船一度に入らなか
つた。ところが、今回の第四次
船団は四隻一時に入るという憂いがございまするので、非常な
混乱を予想されておるのであります。
収容能力といい、あるいは
援護局の
職員の数といい、これは相当にウエイトがかかるのではないかと思うのであります。今までは三泊四日で帰郷したのでありますが、
船団が一時に入りますと、どうしても四泊五日を要すると考えられますので、これに対し、いかにして
混乱を避けてスムーズにさばくかという問題は、実務の
方々にと
つてかなり苦労の種だと思うのであります。
さらに、私
どもが参りまして特に心配いたしましたことは、
九州の
水害に関連してでありまして、一時に四船が入りましたときに、従来も大体において
引揚者の四〇%の
方々が
九州地区に帰られるので、この
方々がまず一千人は予想せられるのであります。その場合に、現在
交通機関も杜絶をいたしており、
住宅も水浸しであり、
食糧も困るだろう、こういうふうに
水害地でみな
避難をされておるのであるから、それぞれ帰宅をされる方が非常に困難を感ずるのではないか、こういう意味合いにおきまして、
現地へ参りましたわれわれの
考え方から、一応
援護局内で
委員が協議をいたしまして、この処置をどうするかという問題にな
つたのでございますが、それでは、一応
交通がスムーズになり、
避難者も元それぞれ家にもどるまで、
九州に帰られる
方々を
長期にわた
つて援護局内にとどめ置くかというような問題が出たのであります。しかし、
援護局内にはその
設備がないのでありますから、
出迎え人の
宿泊所に充てておりました
森寮を活用いたしまして、これに
九州に帰る人を
長期にお置きしたらいいということになりまして、いろいろ
当局とも
現地で研究いたしました結果、
森寮は四
むねあるのですが、現在三
むね使
つておるのをフルに四
むね使用する、それから
炊事施設の完備、ふろ場をつくるということになりますと、どうしても
応急施設費として百万円はいるだろう、かりに
九州地区に帰られる一千人の
方々を一箇月とどめ置くということになりますると、現在
引揚げて参りました
方方の
食糧は一日百四十五円、三食六百グラムとして約三千カロリーに近い熱量が出るのでありまするが、それで計算して参りますと、どうしても一箇月一人五千円はかかる、千人ですと五百万円ぐらいの金を
臨時措置として
政府に要求しなければならぬのじやないか、それと
森寮の修繕と合せて約六百万円、それじやわれわれは
帰つてさつ
そく政府のそれぞれの
機関に要求しようじやないかということで、われわれの
相談は一致したのでありますが、
帰つて参りまして、さらに
当局とも
打合せをし、あるいは
水害状況を視察いたしました
方々から聞きまして、私も
本朝農林政務次官や何かと
いろいろ話をいたしました結果が、各県の一時引揚寮が無事だから、これに一応お入れしたらどうかということにな
つて、
意見がほぼ一致しました。
森寮に長くとどめるということは一応中止して
引揚げて来た人としては一日も早く郷里に
帰りたい、
水害ならばよけい早く
帰つて手伝いたいというのが当然の人情だろうと思うので、それじや一日も早くお帰しするということにして、われわれが
現地において
相談した六百万円の
予算措置は一応中止しておこうじやないかということになりまして、速急にやはり
中共から
引揚げた方も
九州にお帰しして、各県にそれぞれ心配をしてもらう、こういうふうな点に一致したわけでありましてこれは重ねて御
報告を申し上げておきたいと思います。
それから
最後に、過日
華僑の
帰還及び
遺骨送還というようなときにおきまして、かなりいろいろな
トラブルが起きたのであります。その間において
暴行事件が数回行われた。その
暴行事件も実はこまかに聞いて
参つたのでありますが、ここで一々こまかな点の
報告は避けます。要するに、これらはかなり行き違いがあ
つたと思うのです。
従つて今後
華僑送還というようなことがさらに再び起ることもあると思うのですが、こういう場合におきましては、
援護局として、三
団体とやはり
十分打合せをなさ
つて、こうした
トラブルがないように、ひ
とつ御
注意を願いたいと思うのでございます。
以上、とりとめもございませんが、一応
派遣団の
代表といたしまして、これだけを申し上げておきます。