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1953-07-03 第16回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年七月三日(金曜日)     午後一時三十五分開議  出席委員    委員長 山下 春江君    理事 庄司 一郎君 理事 高橋  等君    理事 臼井 莊一君 理事 柳田 秀一君    理事 亘  四郎君    逢澤  寛君       小平 久雄君    佐藤洋之助君       柴田 義男君    帆足  計君       安藤  覺君    有田 八郎君  出席政府委員         外務参事官         (大臣官房戦犯         室長)     廣瀬 節男君         厚生政務次官  中山 マサ君         引揚援護庁長官 木村忠二郎君         建設事務官         (大臣官房長) 石破 二朗君  委員外出席者         運輸事務官         (海運局海運調         整部外航課長) 岡田 良一君         建設事務官         (住宅局住宅企         画課長)    前田 光嘉君     ————————————— 六月二十六日  委員岡田春夫君辞任につき、その補欠として有  田八郎君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した事件  中共地区残留胞引揚に関する件  外地における戦犯抑留同胞に関する件  派遣委員調査報告聴取の件     —————————————
  2. 山下春江

    山下委員長 これより会議を開きます。  本日は中共地区残留胞引揚に関する件について議事を進めますが、その前に、先月二十九日より中共地区引揚者受入れ援護状況実地調査のため舞鶴に参りました派遣委員より、その報告を聴取することにいたします。佐藤洋之助君。
  3. 佐藤洋之助

    佐藤(洋)委員 ただいま委員長から御報告がありましたように、舞鶴現地視察に参りました、その御報告を簡単に申し上げます。なおまた、私の報告以外にお気づきの点は、同行の諸君から補足を願いたいと存じます。  ちようど第一班でございまして、山下委員長亘委員帆足委員、それから私、個人の資格で柳田秀一君と、委員部一課から鎌田君、この一行で参つたのでありますが、われわれ議員団として、中共引揚げ以来初めての公式の派遣団でございます。そこで、まず順序といたしまして、三十日の日に森寮、これは御承知のように中共引揚げ出迎え方々が一時そこに宿泊するという宿泊所であります。それを視察いたしました。これは、ただいま使用いたしておりますのは、むね三つであります。約千人収容されるのであります。それから、第二に視察いたしましたのが国立病院でございます。この国立病院は、引揚げた方々が病気になられた場合、一時援護局の医局に収容をしますが、長い方に対しましては、国立病院収容する。一応二むね、百四十五ベツド準備しておりまして、これに収容いたしております。ただいままでに一番多く入つたのが二百二十三人という数字が出ておるのであります。大体聞いたところによりますと、多くは子供でございまして、発疹が多いようでございますから、付添人がありますので、多数のべツドを使いまして収容がしきれず困難をするというような状況でございました。最後援護局に参りました。宇野次長以下四百名の職員が懸命に中共引揚げについて努力せられております姿を拝見いたしまして、私ども深く感謝をいたしたのでございますが、援護局環境はまことによろしゆうございます。船着場にいたしましても、あるいは周囲の風物にいたしましても、まことにいい環境だと思うのであります。ただ、私どもが今度現地派遣として使命を帯びて参りました第四次船団の入港の問題ですが、ちようどわれわれが参りました三十日においても、出港の通知に接しない。従つて、われわれの第一の使命は一応見限りまして、国会開会中でありますから、もつぱら援護施設援護事務状況調査の重点を置いたのでございます。従いまして、きわめて詳細、念入りにいろいろ調査し、説明を聞いたのでございまして、援護局事務について順を追うて宇野次長から説明を聴取いたしたのでございます。まず上陸第一歩からわれわれは承りまして、税関の検査あるいは引揚証明書の交付、帰還月日、それから、問題になつております例の帰還手当件——これは、御承知のように、おしなべておとな一万円、子供五千円を全部に差上げることになつております。それから、援護物資の支給でございますが、これは一人当り約三十六点ばかり出すのでございましてこれを一応全部とりそろえてもらいまして、青年男女に給する物資、あるいは婦人に給する物資子供に出す物資、そういうものを一々つぶさに拝見いたしました。それから、復員の業務がございますので、これらの状況について伺つたのであります。なお、身の上相談のことについて、いろいろいきさつを承りました。  それから、持帰り金交換の問題ですが、これは御承知のように一応香港ドルで持つて参りますので、さきには、香港ドル交換に際してあるいはにせ札があるのではないかというので、そういうことになると香港から交換して送還されて来るのには約半年を要するという予想でございましたが、にせ札は一枚もなかつたので、きわめてスムーズに交換が行われ、短時日の間に交換の実行ができたというのでありますし、一番多く持参した人は、邦貨に換算して三百五十万円あつたというようなことも聞かされたのであります。こういう持帰り金交換状況について拝聴いたし、それぞれの事情を聞いたのであります。  それから、応急医療の問題ですが、前に申しましたように、一応患者は援護局内の三十ベツドがありますところに応急に入れまして処置することをやりまして、さらに重患者国立病院の方に移送するわけであります。  次いで荷物の託送ですが、荷物は無制限でございます。中共の方では一人五十キロまで無賃で、それ以上は無制限でございましたために、多い人は二トン持つて来たような状況でありまして、すべての荷物日通に請負わせまして検査所まで持つて来る。さらに日通に請負わせて託送する、こういうこまかな点までわれわれは見て来たのであります。それから、帰郷される途中の食糧、帰郷についてのいろいろの注意、こういうようなものを承りました。  大体におきまして、援護局のこまかな注意は、中共地区三万人の引揚げの問題につきまして、政府も、委員会におきましても、十分論議を重ねてこれに対する方針をきめましたから、うまく行つているのではないかという感じがいたしました。他の委員諸君もこの点は同感であつたようでございます。ただ、この場合特に御注意を願わなければならぬことは、今までは四船一度に入らなかつた。ところが、今回の第四次船団は四隻一時に入るという憂いがございまするので、非常な混乱を予想されておるのであります。収容能力といい、あるいは援護局職員の数といい、これは相当にウエイトがかかるのではないかと思うのであります。今までは三泊四日で帰郷したのでありますが、船団が一時に入りますと、どうしても四泊五日を要すると考えられますので、これに対し、いかにして混乱を避けてスムーズにさばくかという問題は、実務の方々にとつてかなり苦労の種だと思うのであります。  さらに、私どもが参りまして特に心配いたしましたことは、九州水害に関連してでありまして、一時に四船が入りましたときに、従来も大体において引揚者の四〇%の方々九州地区に帰られるので、この方々がまず一千人は予想せられるのであります。その場合に、現在交通機関も杜絶をいたしており、住宅も水浸しであり、食糧も困るだろう、こういうふうに水害地でみな避難をされておるのであるから、それぞれ帰宅をされる方が非常に困難を感ずるのではないか、こういう意味合いにおきまして、現地へ参りましたわれわれの考え方から、一応援護局内委員が協議をいたしまして、この処置をどうするかという問題になつたのでございますが、それでは、一応交通がスムーズになり、避難者も元それぞれ家にもどるまで、九州に帰られる方々長期にわたつて援護局内にとどめ置くかというような問題が出たのであります。しかし、援護局内にはその設備がないのでありますから、出迎え人宿泊所に充てておりました森寮を活用いたしまして、これに九州に帰る人を長期にお置きしたらいいということになりまして、いろいろ当局とも現地で研究いたしました結果、森寮は四むねあるのですが、現在三むね使つておるのをフルに四むね使用する、それから炊事施設の完備、ふろ場をつくるということになりますと、どうしても応急施設費として百万円はいるだろう、かりに九州地区に帰られる一千人の方々を一箇月とどめ置くということになりますると、現在引揚げて参りました方方食糧は一日百四十五円、三食六百グラムとして約三千カロリーに近い熱量が出るのでありまするが、それで計算して参りますと、どうしても一箇月一人五千円はかかる、千人ですと五百万円ぐらいの金を臨時措置として政府に要求しなければならぬのじやないか、それと森寮の修繕と合せて約六百万円、それじやわれわれは帰つてさつそく政府のそれぞれの機関に要求しようじやないかということで、われわれの相談は一致したのでありますが、帰つて参りまして、さらに当局とも打合せをし、あるいは水害状況を視察いたしました方々から聞きまして、私も本朝農林政務次官や何かといろいろ話をいたしました結果が、各県の一時引揚寮が無事だから、これに一応お入れしたらどうかということになつて意見がほぼ一致しました。森寮に長くとどめるということは一応中止して引揚げて来た人としては一日も早く郷里に帰りたい、水害ならばよけい早く帰つて手伝いたいというのが当然の人情だろうと思うので、それじや一日も早くお帰しするということにして、われわれが現地において相談した六百万円の予算措置は一応中止しておこうじやないかということになりまして、速急にやはり中共から引揚げた方九州にお帰しして、各県にそれぞれ心配をしてもらう、こういうふうな点に一致したわけでありましてこれは重ねて御報告を申し上げておきたいと思います。  それから最後に、過日華僑帰還及び遺骨送還というようなときにおきまして、かなりいろいろなトラブルが起きたのであります。その間において暴行事件が数回行われた。その暴行事件も実はこまかに聞いて参つたのでありますが、ここで一々こまかな点の報告は避けます。要するに、これらはかなり行き違いがあつたと思うのです。従つて今後華僑送還というようなことがさらに再び起ることもあると思うのですが、こういう場合におきましては、援護局として、三団体とやはり十分打合せをなさつて、こうしたトラブルがないように、ひとつ注意を願いたいと思うのでございます。  以上、とりとめもございませんが、一応派遣団代表といたしまして、これだけを申し上げておきます。
  4. 山下春江

    山下委員長 他に補足される点はございませんか。
  5. 佐藤洋之助

    佐藤(洋)委員 ちよとつけ加えて、水害による家屋の流失状況にかんがみ、各県における住宅を急速にふやすということを委員長を通じて強く当局に要望していただきたい、これだけ申し上げておきます。
  6. 山下春江

    山下委員長 今の佐藤委員報告に対して、援護庁長官から、最も最近の、われわれが帰りましてから後の情報で何かございましたならば、お聞かせを願いたいと思います。——なければ質問に移ります。臼井委員
  7. 臼井莊一

    臼井委員 ただいま佐藤委員からいろいろ御説明を伺いまして、施設の概略はわかりましたが、まことに御苦労さまだつたと思います。第一船、第二船、第三船と逐次入る予定が、遺骨等関係にもよるのでございましようが、たいへん遅れて、いまだにいつ入るかわからぬという状況であります。従つて、私たちも、第二班でお出迎えかたがたお伺いすることになつておりますのが、予定がわからぬということになつておるのであります。これについての模様、どういうふうに入つて参りますか、その点をちよつと伺いたいと思います。
  8. 木村忠二郎

    木村(忠)政府委員 大体新聞等に出ておりますので、御承知かと思うのでございますが、第四次の船は、白龍白山が一番早く上海に着いております。上海に着きますときに、港に出る船がとまつておりまして入れないという電報が入つております。その後三団体へ来ております電報は、上海におきまして、こちらに帰つて来る帰国者代表の人が、三団体華僑送還並びに遺骨送還について大いに闘つておることを賞揚している、大いにやれという電報が参つておりまして、同時に、外務省に対しましては、これも私は、聞いたところでございまするから、正確なことは知りませんけれども吉田政府引揚げを妨害しているのはけしからぬというような意味の電報が入つておるというふうに聞いております。そのほかには何ら連絡がないようでござまして、われわれといたしましては、この点非常に憂慮いたしております。それから、高砂丸は、秦皇島に着きまして、その後何ら連絡はございません。興安丸は、入港いたします前に、船に乗つております日赤の工藤代表から電報が入つております。それから入港いたしました電報が入つております。その後様子はわかりません。これは入つたばかりでありますから、まだ何ともわかりません。われわれといたしましては、すでに入りました船が、逐次帰還者を乗せましてなるべく早くこちらへ引揚げて参りますことを期待いたしております。これに対しまする消息が一日も早くわかることを希望いたしております。なお、日本赤十字社におきましては、これらの船団が逐次こちらに急速に入つて参りまするように、あらゆる国内的な問題は解決しておることを先方に申しまして、その点の了解を得るように工藤代表電報でもつて連絡をいたしたのでありまするが、その後それに対しまする連絡はまだ全然聞いておりません。従いまして、先ほどお話がありましたように、向うから船を出しまする出し方によりましては、四船が同時にこちらに入港するということも考えられるのでありますけれども、こちらといたしましては、大体少くとも中一日あるいは中二日を高砂興安との間はあけてほしいということは、前からたびたび先方に三団体を通じ申入れをさせておりまして、これにつきましては先方も十分了解しておるということでございますので、こちらの混乱を避けることのできるように措置をとつて参るものと考えております。大体向うを同じ日に乗船を始めましたならば、帰つて来ます船は、上海が一番早く、その次に秦皇島最後が天津ということになろうと思います。ただ、その点につきましては、向うを出まする場合に、同時に仕事を始めるかどうかという点で若干違うのであります。われわれとしましては、できますれば、各三船団——高砂と、興安と、白山白龍三つが、中一日あるいは二日をあけまして入りますることを希望いたしております。ただ白山白龍は小そうございますからして、これが興安高砂のどちらかと一緒になることにつきましては、われわれとしては、これは仕事の上におきましては何とかなるものというふうに考えております。  それから、三泊四日の予定でやつておりまして、四泊五日にしたらどうか、この点につきましては、予算としては四泊五日で準備をいたしておりますので、四泊五日になりましても、仕事の上におきましてはさしつかえないように思います。
  9. 臼井莊一

    臼井委員 そういたしますと、万一四船一緒にぶつかるということもあり得るのでございますが、そういう際でも、万端の準備はさしつかえないというふうに伺つてよろしゆうございますか。
  10. 木村忠二郎

    木村(忠)政府委員 四つの船が同時に入りますれば、どうしてもこれが下船をいたしますのに相当支障があるのではないかというふうに考えます。また、どれかの船で帰りました人の舞鶴におきます業務あとまわしになるのでありまして、われわれとしては、やはり中一日あるいはできれば中二日あけてほしいのでありますが、やむを得なければ中一日あけるということになるようにいたすことを期待いたしまして、この点につきましては、前々から三団体の方に申し上げてあります。そうして現地における交渉の際にこの点を向うに申し入れて向うはできるだけこの点に協力するということを申されていることを聞いておりますので、われわれとしては、そういうことは万々なかろうと思つております。
  11. 臼井莊一

    臼井委員 私たちもそういうことのないことを望んでおるのでありますが、どうも今までの経過から見ると、何かそこに、ことさらに混乱を起すということではないのでしようが、起るような状態に立至る場合が多い。あちらの意図は、どういうつもりだか、わかりませんが、そういうふうに、ぶつかつて来るような場合も予想されると考えます。これに対して、十分用意をしておいて、混乱のないようにしなければならぬと考えております。船の中でといいますか、たとえば、上らないで一日、二日とどまつておるようなことは、過去にあつたのでしようか。そういうこともできるのでしようか。
  12. 木村忠二郎

    木村(忠)政府委員 船の中にとどめておきますることは、適当ではないのじやないかと私は考えております。援護局設備といたしましては、五千人入ることはできるのでございます。ただ、業務を進めます上におきまして、現在の陣容をもちましては、五千人の人を同時に業務を進めることはできません。従いまして、業務を進めることがその関係上どうしても延びざるを得ないのでございます。ですから、早く上つた人が先になりまして、あとから上つた人業務は少し延びる。従つてあとから上りました人の滞在期間が若干延びることになるのではないかと思います。船の中で待機をいたしますることは、日本の土地を目の前に見ながら上れないという気持になりまして、われわれとしては、そういうことがあつてはならぬと考えております。でき得る限り上るようにしたいと考えております。もちろん、夜おそく、暗くなつてから船が着きました場合には、海上で、危険がございますので、あくる朝まで待つていただくということになるのでありますが、昼間の明るいうちに着きましたものは、できるだけその日のうちに上げるようにしなければならないと考えております。
  13. 臼井莊一

    臼井委員 もしも同時に着くというような場合があつたときに、施設に一応あるようですが、結論として、人手が足りない、こういうことも考えられるのでありまするから、そういう際には、別に熟練を要しないでやれる業務については、できるだけひとつ他から応援でも求めて、迅速にやるようにお願いしたいと思うのです。  それから、次にもう一点お願いしたいのは、明日の本会議感謝決議をいたすことになつておりますが、フイリピン戦犯者が今釈放になつて引揚げられるということは、まことにわれわれとしても喜びにたえないのでありまして、新聞紙等で見ますと、引揚げ方法等について、船でするとかあるいは場合によつて飛行機でやる、こういうふうに聞いておるのでありますが、これはいずれでやることに決定いたしましたのですか。あるいは、まだその点きまらないのでありますか。その点をちよつとお伺いしておきたい。
  14. 木村忠二郎

    木村(忠)政府委員 ただいまお話がありましたフイリピンのモンテンルパから日本内地に移送される人々、並びに釈放になりまして帰還される人々につきましての船の手配等につきましては、この通知がございましてただちに各関係省打合せをいたしまして、その結果、一番早い方法といたしましては、飛行機で帰すのが一番早い、それから、割に時間が早くできて、そうして経費も割にかからなくてしかも安全であるという方法によりますとすれば、ちようど七月の十三日にマニラに入りますプレジデント・ラインのクリーヴランド号がありまして、これが神戸、横浜に寄港いたしますので、これに乗つて帰つてもらうのがよかろうと思つて、大体そういう二つの案をもちまして御相談をいたしたのでありますが、飛行機はやはり万が一のことがありますと、長らくの間お待ちになつた留守家族方々にとりましても非常に御不満であろうというふうの御意見が非常に強うございました。そういう関係から、なるべくならば、最も安全な、できるだけ安全度の高い船によることにしよう、そのためにはクリーヴランド号がいいのではないかということでもつて外務省の方におきまして、フイリピンの方に連絡をいたしたのであります。これに対しまして、先方から連絡がございまして、フイリピンの側におきましては、日本から日本船を仕立てて迎えに来ることを期待するというような御連絡がございましてクリーヴランド号は適当ではなかろうというような御意見があつたように承つたのであります。いろいろと事情を考えてみますれば、帰られます方方外国人の中に入つて帰りになるよりは、日本人だけでもつてお迎えするという方が、お気持の上におきましてもいいのじやないかということも考えられまするし、また先方の方の御注意に、なるほどと思われる点もございまするので、われわれとしましては、それでは日本船でもつてこちらから迎えに行くとすればどうすればいいかという点につきまして検討いたしたのであります。その点につきましては、運輸省の方がおられますから、そちらから申し上げた方がいいかもしれませんが、いろいろ検討いたしました結果、一番早い方法でもつてうまく行きましたならば、二十日ごろまでに日本船をもつて向うに迎えに行くことができるだろう、——これは、やり方としましては、現在中共からの引揚げに使つておりまする船、これが順調にこちらに帰つて参りまして、そうして帰りましたものをただちに一隻フイリピンに向けまして、そうしてこれが次の配船までに間に合うように帰れるかどうかという点を検討いたしました結果、第五次で華僑向う送還いたすといたしましたならば、その期間が相当かかりますので、第五次配船向うに派遣いたしまするまでに大体帰れるだろうという見通しがつきますので、そういうようなことでもつてやりますと、二十日までに船が派遣できるだろう、これが一つの案でございます。しかしこれは、中共に行つております船が順調に今後帰つて来ることを前提に考えなければなりません。それから、それ以外の考え方としますれば、お客が乗れる船で現在動いております船、しかし外洋の航海にたえるものということになりますと、現在の日本にはそうたくさんないのであります。結局、現在沖繩航路に就航いたしております船をそちらにまわすよりほか方法がないのであります。そこで、現在白山白龍の二隻を沖繩航路から引抜いておりまして、先般黒潮丸が災害を起しておりますので、現在沖繩行きは非常に少いのであります。しかし、その少い中からでも一隻そちらにかわつてもらおうということにいたしたならばどうかということを考えますと、現在の状況におきましては、大体二十四、五日ごろ以後におきましてマニラに着くように配船ができるのじやないかということなのでございます。そこで、二十日ないし三十日の間におきまして日本から向う配船ができるという結論を得まして、これを先方通知してあります。これでいいかどうか、先方事情等もよく考えた上で、これでだめならば、結局飛行機で迎える以外にはないのではないかというふうに考えております。大体いろいろな情勢から見ますれば、やはり船でお迎えする方がいいのじやなかろうかと一応考えておりますが、そういう状況でございますので、まだどちらとも決定いたしていないのであります。
  15. 臼井莊一

    臼井委員 この間新聞に、やはり今長官からお話のように、早く引揚げるには飛行機がいいが、飛行機は危険だからというようなことがありましたが、これは、現在の日本航空の飛行機で帰るとすれば危険かどうか、どうもこれは運輸大臣に聞いてみなければわからぬのでありますが、現在政府が十億出資して飛行機外国まで飛ばそうとする際に、日本飛行機がまだ不安全だというようなことであつては、これは私ども非常に遺憾でありますが、私たちはそうは考えないのでありまして、費用の点も、たとえば日にちが遅れれば、これはフイリピン政府でお持ちになるのかどうか知りませんが、やはり相当費用がかかると思いますし、第一、そうきまれば一日も早く一刻も早くというのが、こちらの家族の方にしても、また御本人にしても、そういう気持だろうと思うのでありまして、そういう点で考慮するならば、まああまり遅れるというようなことであれば、むしろ飛行機でこの際急いで迎えに来たという方が、国民感情の上から言つても非常によろしいのではなかろうかというふうに思う。これは私の考えでありますから、立場でいろいろ違うと思いますが、希望といたしましては、できるならばそうした方がいい。もちろん、事故ということは予測できないのでありまして、船でも不慮の火災を起すとか、あるいはまたその他の事故というものはあり得るのでありまして、そういう点になれば、もうわれわれの言う権限以外のことになります。しかし私は、そうあぶながるというほどの必要はなかろうし、また日本の現在の航空機がそうあつてはならぬと考えますので、私の意見を申し上げておるのですが、先方の御方針をよくひとつ打合せをして、おそくても船の方がよろしいということであれば、これはむろんそれでけつこうでありますが、もし一日もすみやかにというならば、むしろそういう方法をとる方が、国民の熱意の上、感情の上から言つてよかろうと考えます。
  16. 木村忠二郎

    木村(忠)政府委員 飛行機が危険だというのではないのでございまして、万一のことがあつた場合に何とも申訳がないから、できるだけ安全な方法の方がいいじやないかということが、このお考えをおきめになつた根本にあるように私は承つております。これは、私がきめたのではないのでありまして、上の方できめた気持はそうであるというように承つております。それから、日本飛行機はもう向うへ行けるかどうかという点につきましては、日本航空の問題については若干疑問があるのでありまして、われわれ最初は、今定期にあそこの道を走つておりまする飛行機をお願いしたらどうだろうかということを一応考えたのであります。これは、どちらにするかということは、飛行機ということになつた場合に十分考えなければならぬと思いますが、いずれにいたしましても飛行機が高いから飛行機を避けるわけではありません。むしろ船を仕立てて行きますよりは、飛行機を出す方が、金の上から言いますと安くできます。クリーヴランド号で来ますのが一番安く、その次は飛行機、その次は新しく船を出すということになります。従いまして、経済的の面で渋つておるというよりは、むしろこちらに残つております留守家族方々のお気持が、できるだけ安全な方法で、できるだけ早く、こういうお気持のように聞いております。昨日もモンテンルパの会でお集まりがあつたように聞いておりますが、そこにおきまする留守家族方々も、今まで待つたのであるから、万一のことがあつては困る、できるだけ安全な方法でという声が強かつたように聞いております。われわれとしましては、そういう留守家族方々のお気持も察しまして、できるだけ安全な方法でやるのがいいと考えております。これにつきましては、先方のこともありましようから、外務省の方で在外事務所に連絡いたしまして、その返事を待つて正式にきめたいと考えております。
  17. 佐藤洋之助

    佐藤(洋)委員 この際木村長官ちよつとお尋ねしたいのですが、第四次船団中共引揚げが終了するものかどうか、これについて何か情報でも入つておるのかどうか。
  18. 木村忠二郎

    木村(忠)政府委員 この前に共同通信の宍戸記者が北京から報告をいたしました通報につきまして、中国紅十字会から三団体事務局に参りました電報によりますと、貴会の二十二日の電報——これは、あの電報によりましてこちらからこういうことを照会しております。六月二十日北京発の共同通信特派員の報道によれば、貴会副秘処長林士笑氏は帰国申請の在華日本人は二万余人であり、従つて日本人の集団帰国は第四次の四船をもつてほぼ終了するかもしれぬと言明されておる由であります。本件についても事情を御通報をいただきたいと思います。という電報を二十二日に出したのでありますが、この電報に対しまして、貴会の二十二日の電報は宍戸共同記者の報道に関するものでありますが、この報道は中国紅十字会副秘処長林士笑氏が宍戸記者に与えた談話のほんとうの意味と違つておることを特に申し添えます、こういうように言つて参りましたので、そういうことはないのではなかろうかと一応考えております。
  19. 佐藤洋之助

    佐藤(洋)委員 今の情報については、何か訂正するようなことを言つて来た、かように承つたのでありますが、最初は三万人引揚げるという目標であつた。今度第四次船が入つても、二万に達しないでしようね。従つて、実は一日も早く帰りたいのでしようし、また新聞を見ると、これは満州からのたよりですけれども、第五次船でハルピンから五百人くらい帰国するというようなこともある。それから、その後において、集団帰国は一応七月で打切られるけれどもあとは帰国希望者はその都度日本の三団体連絡をして帰すというようなことがあるのですね。帰ろうと思えばいつでも帰れるのだというようなことが新聞記事にあるのですが、これをどの程度まで信用していいかどうか。もちろん第三回の国連の委員会における調査、一九五二年八月二十七日ですか、この発表による中共における残つたたちの数から見て、それを差引いてもまだ相当な数がある。こういうものについて、できるだけ外務省を通じて調査を進める、あるいは何らかの手を打つて、ひとつこの前のようなトラブルの起きないような意味で、調査でなしに、聞き込みとか、いろいろ総合したもので調べるとか、何人くらいどういう人が残つておるというようなことを調ベるのに今どういうふうにすればいいか、お考えを聞きたいことと、それから帰還に対する今後の大体の見通しを一応承りたい。
  20. 木村忠二郎

    木村(忠)政府委員 帰還の今後の見通しの問題でございますが、私たちといたしましては、できるだけこの際集団帰国でお帰りになることを希望いたしております。現在帰国は希望しないが、将来帰国を希望するという程度の考え方というものは、帰国を熱望しておるという意味から申しますと、少し話がおかしいわけでありましてわれわれといたしましては、帰国を希望される方につきましては、この際若干向うの方におきまする主張がございましても、ぜひともこの際に、帰国を希望する人は帰していただきたいというふうな気持を持つております。それがまたこちらにおられます留守家族方々のほんとうのお気持じやないか、またお帰りになりたい方々におきましても、ほんとうのお気持じやなかろうかと考えております。ですから、そういうふうになることを希望いたしております。ただ、将来の問題といたしまして、帰国を希望しておつたけれども、どういう事情かわかりませんが帰れなかつたというような方々が、お帰りになることができるようになつて帰られる場合につきましては、これは集団帰国がございましたあとにおきましても、日本政府におきましては、昨年の三月以来実施いたしておりますところの個別引揚げの援護の方法によりまして、これを援助しなければならないというふうに考えております。個別引揚げの援護の方法は、従来やつておりますのと同じようにやるわけでございまして、こちら側の受入れ態度はいつでもできておるわけであります。ただ、それにつきましては、ほんとうに現在帰国を希望しておつて帰さないという事情は、先方におきまする従来の声明とは少し違うのじやないかというふうに考えます。もし従来の先方の声明が正しいといたしましたならば、今後新たに帰国の意思が出て来て帰りたいという者が出て来ましても、現在帰国の意思があるにもかかわらず帰らなかつたじやないかということにならざるを得ないのでございまして、この辺につきましては、そういうような事情について今後十分に調査してみなければならないというふうに考えております。政府におきまして今後の引揚者に対します援護の方針をきめるにつきましては、これらの点につきまして明確に調査をいたしておかなければならないと思つております。  それにつきましても、先方に残留いたしておりまする人々調査というものはきわめて必要なのでありまして、中国の国情の調査はわれわれとしましては何ら必要はございませんけれども先方に残留しております方々の実情というものは、できるだけ正確にとらえておかなければならぬというふうに考えております。これにつきましては、今度帰還されました方々によりまして、できるだけその資料を得るようにいたしたいと考えて、従来から努力いたしておるのでありまするが、今後もその努力は続けたいと思つております。ただ、先般申し上げました通りに、この調査につきましては、その調査の手がかりをつくつておく必要があるのでございますが、その手がかりをつくることにつきましては、この前申し上げましたような状況でもつて、相当妨害があり、現在まで相当の困難があるということを申し上げておきます。
  21. 佐藤洋之助

    佐藤(洋)委員 残留者の調査ですが、これは目下、軍人、軍属は復員局、一般邦人は外務省というように、ばらばらになつておりますが、これでは支障があると思うのです。やはり一本にして、残留者をできるだけ早く、できるだけ正確に把握していただきたいと思うのです。  それから、今後も引揚げがあると思うのですが、引揚援護局には相当の物資がありますね。そこで、水害に対してその物資の転用などということは考えておりませんか。
  22. 木村忠二郎

    木村(忠)政府委員 現在援護局にありました物資の一部を水害の方にまわしておりますが、これは転用いたしたものではないのでありまして、大体現在の見通しのもとにおきまして、余分になりましたものが相当ございましたので、そういうような災害その他のためにこれを用いることに決定いたしまして、その方に目的をかえて舞鶴に保管してあるのでございます。これを先般向うへまわしたわけで、こちらといたしましては、今後の引揚げに必要なる物資については、現在他の方に転用する意思は持つておりません。
  23. 佐藤洋之助

    佐藤(洋)委員 大体わかりました。委員長、この際、今まで帰国して来た方々の現在の就職の状況、それからその後の生活の状態というふうなものを実は知りたいのですが、何か機会を見て、この人方をここに証人としてお呼びしてもいいし、またそういつた調査を、たとえば議員連盟の手を借りるとかいうようなことでしてみたらどうでしよう。承るところによると、大ざつぱに四〇%ぐらいは就職したということですが、そういつたのはどういうふうに就職したか、相当優秀な人もあると聞いておりますが、そういうようなことも少し知りたいのです。そういうようなことを委員長としても手続してくれませんか。  なお、この際伺いますが、建設省の官房長と住宅画課長はいらつしやいますか。——この際、引揚者住宅の問題と、それから今度の風水害による住宅の問題、これらに対する今後の一連の考え方、こういつたものについて一応の御報告を承りたいと思うのです。
  24. 前田光嘉

    ○前田説明員 ただいまのお尋ねでありますが、まず第一点の引揚者住宅に関してでございますけれども、私の方といたしましては、引揚者であるといなとを問いませず、住宅不足の状況に応じまして、公営住宅なり住宅金融公庫の資金をまわしておるような状況でございます。従いまして、公営住宅に関しましては、都道府県知事あるいは市町村長におきまして、引揚者その他いろいろの事情を勘案の上、最も住宅不足の方々に優先させて貸し付けておることと考えております。住宅金融公庫の貸付につきましては、実は引揚者に関してあるいは特別のわくを設定するとかいうことも、方法としては考えられるかもしれませんけれども、現在のところ、一般の方々と同じ標準で、つまり住宅に困つておる他の方々と同じやり方で、抽籤によつて貸し付けて差上げておる、かような状況でございます。  それから、水害の模様でありますが、先般の北九州——一部中国、四国にもかかつておりますが、あの災害によりまして、どの程度の被害を受けたかという詳細確実な情報はまだ受けておりませんけれども、手元に七月二日午前六時現在の国家警察の報告を持つてつておりますので、これを御参考までに御報告いたしておきたいと思います。建物の状況でございますが、福岡、佐賀、長崎、熊本、大分、それに山口、広島、愛媛、こういうところが主でございますが、全壊千九百九十六一戸半壊が六千九百四十一戸、流失二千四百八十四戸、一部破壊が二万三千三百十五戸であります。そのほか床上浸水、床下浸水を加えますと、莫大な被害をこうむつた次第でございます。これに対しまして、対策でございますが、予算との関係もありますし、また被害の確実な報告もまだ参つておりませんので、はつきりしたことは申し上げかねますけれども、現在建設省の事務当局で考えておる程度のことを申し上げてみますれば、第一は、公営住宅法によります公営住宅の建設でございます。これは、法律の規定に基きまして、五百戸以上の住宅が全壊もしくは流失あるいは焼失した場合には、その失われた戸数の三割を越えない範囲内において都道府県知事もしくは市町村長が公営住宅を建てます。建てて貸す場合に、政府におきましてはその三分の二を補助するという規定がございます。これによりまして、大体市町村長、府県知事の方で、おそらく規定一ぱいのところを建ててくれることと期待しておりますが、そうしますれば、約二億程度の災害対策費を必要とするであろうと考えております。もう一つは、住宅金融公庫は、年間予算が通りますれば、二十八年度におきましては百八十億円の資金を貸し付ける予定にいたしておるのでございますが、このうち若干を、現地の方に厚く、いわば特別のわくをつくりまして、特に罹災者の方々に多く家が建つようにしで差上げたい、かように考えております。大体これは法律に基くものでありませんので、今後政府におきましてどの程度金をまわすか、それは十分検討されることと思いますが、かりに今度こわれた家の総数の三割に特別に貸し付けるということにいたしますれば、四億円程度の資金が必要ではなかろうかと考えます。従いまして、先ほど申し上げました公営住宅の法律の規定による最高限の三割と、それからかりに流出戸数の三割を特別融資をいたしますれば、六割程度の復旧は年度内に可能であろうと考えております。  大体住宅対策といたしまして考えておりますのは以上の通りでございます。
  25. 佐藤洋之助

    佐藤(洋)委員 大体御報告でわかりましたが、今度の九州の災害は優先的にやらなくちやならぬと思うのですが、引揚者住宅は、私の記憶するところで九千戸要求したんですが、三千数戸に削られたのだと思います。これは、七坪でしたか、十一万何千円かの家なんでして今度の風水害にかんがみましても、ぜひひとつ大いに増額して、増設するということに持つてつていただきたいと思うのですが、一応意見を申し上げて、私の質問を打切つておきます。
  26. 前田光嘉

    ○前田説明員 ただいまの御質問でございますが、私、詳しく承知いたしておりませんけれどもお話の問題は、厚生省所管の方でお取扱いになつておるのではないか、かように承知しております。
  27. 小平久雄

    ○小平(久)委員 私は、簡単な点を一、二伺います。先ほど同僚委員諸君から舞鶴の視察をされた御報告があつたのでありますが、その報告によりますと、今回の第四次の引揚げが四船同時に帰着する可能性もあるわけなのですが、それにつきましても、われわれが非常に心配いたしますことは、従来しばしば舞鶴において業務の遂行上トラブルがあつたということであります。しかも今回は、同時に四船も入つて来るということになると、なおそういう心配があると考えられるわけであります。その間また従来は、話の行き違いからかは存じませんが、中には扇動的な言辞あるいは行動等もあつたやに聞くのでありますが、そういう面に対して、当局としては何か特段の配慮をいたしておられるかどうか、具体的にどういう点に意を配つて対策を講じられておるか、この点をまず承りたいと思います。
  28. 木村忠二郎

    木村(忠)政府委員 四次の船団で同時に入つて来るかどうかという点につきましては、先ほど申しましたように、特に悪意を持たない限りは、同時に入るようなことはなかろうと私の方では考えております。また向うを同時に出港いたしました場合には、こちらには同時には入らないのでございます。従いまして、われわれとしては、この間できれば中二日、興安高砂の間があくようにしてもらいたいという希望を持つております。興安が出まする天津の港は非常に出入が困難でございますので、同時に人を乗せますれば、もちろん高砂の方が早く帰るわけでございます。できるだけその間の間隔があきますことを希望いたしておりますが、万一相次いで入つて参りましたような場合におきましては、これは、われわれとしては、先ほどお話がありましたようなことでございますので、局内におきまして、業務のやり方等におきまして十分くふうをこらすようにいたしたいと考えております。しかし、いずれにいたしましても、帰港いたしました場合には、局内に少し長くとまらなければならないような人が出て来るのはやむを得ないのではないかと思つております。局内におきます各種の混乱等につきましては、先般華僑向うに送り帰しましたときにはいろいろと非常なごたごたがあつたようでございます。これにつきましては、言葉が通じない点等にも原因がありましたでございましようし、その他いろいろな事情があつたようでありまして、ああいう特別なる暴行事件等がありましたのは特殊の事情によるものというふうに一応考えられます。一般の日本人の中国からの帰国の場合におきましては、ああいつたような混乱はまず起ることはないというふうに考えております。ただ、従来の経験にかんがみまして、各種団体かいろいろな方法をもちまして局内に潜入をいたして、いろいろな扇動等をやつておるようでございます。いろいろなる印刷物を配布してはならないということになつておりますが、非常に多数の種類の印刷物が局内に配布せられまして、また局内におきまする会合等にも、そういうような人々が招待されて出られまして、いろいろなことを申されておるようであります。これらにつきましては、われわれとしては、そういうような適当ならざる行動を抑止するようないろいろな方法を逐次講じて参つておりまして、第一次から第二次、第二次から第三次と、だんだんと、表向きこういうようなことをいたす者は減りまして、やり方はだんだんと陰性になつてつておるようであります。今後その陰性のものをどの程度押えるか、われわれとしては、害にならないものは別として、害のありますものは、これを押えるようにしたいと思つて、逐次手を打つてつておるような次第であります。われわれは、あそこにおきまして、できるだけ早く帰国業務が行われまして、一日も早く郷里にお帰りつていただく、それに必要なる援護は十分行われるようにするということを念願いたしまして、その業務ができるように努めておるわけであります。
  29. 小平久雄

    ○小平(久)委員 ただいまのお答えのように、だれもが、業務がスムーズに行われて、一日も早く帰られることを望んでおられると思います。その点は当局の対策に信頼するといたしまして、次に承りたいことは、先ほど佐藤委員お話の中にも、九州方面に向つて引揚げる者も、なるべく早く出生地の方面に帰す、しかもその際各県の引揚者寮に水害を受けた者は一時収容してもらうというように話ができたそうであります。たいへんいろいろご心配いただいていることは感謝いたしますが、当局としましては、九州各県の引揚者のいろいろな実情等につきまして、千人からの人が九州に参るということになりますと、県によつても違いましようが、一県当りにしても相当の数が行くわけでありますが、現在そういう点はさしつかえありませんか。
  30. 木村忠二郎

    木村(忠)政府委員 ただいま御指摘がありましたように、九州帰ります方々が相当多数帰国者の中にあることは承知いたしております。なお、九州水害が非常に大きな被害でございますが、主としてこの水害に見舞われましたところは、福岡、熊本、佐賀の三県、それに大分県が相当ひどいようであります。他の県につきましては、それほど大きな被害ではないように承つております、また熊本も、南の方は被害が大してないように聞いております。大体宇土半島の線から北の九州が災害に見舞われている。従つて、そこに出ております罹災戸数等から勘案いたしますと、帰還者の中で留守宅その他関係の者がおりまして、それらの方方の家が住めないような事態になつているというものは、そう大きな数ではないというふうに考えられます。つまり、全戸数からの割合で言えば、大体平均でとつてみますと、千人帰られました中で、そういうような行先のない、あるはずの家が流れてしまつた、こわれてしまつたというようなものは、そう多くはないということになるのです。しかも、先ほど申し上げましたように、鹿児島、宮崎、あるいは熊本の南半分、大分の大部分でありますとか、あるいは長崎の方に行きますと、被害はないようでございますから、全体といたしまして、そんなに多くの人が困ることはないと思います。これらの方々は、大体郷里と連絡をとりまして、帰るか帰らないかをおきめになると思うのでありますが、お帰りになる場所がないということで舞鶴におりたいという御希望の方には、できるだけそうしなければならぬと思いますが、やはり郷里に帰りたいというお気持は、皆さんおありだろうと思う。ですから、できるだけ郷里の方に早くお帰りになれるよう方途を講じて行きたい、鉄道が開通いたしますれば、できるだけ早くお帰しするようにしなければならぬというふうに考えております。現在の鉄道の状況によりますれば、この期間に特別列車が鳥栖まで出ますのは、これは若干遅れるかもしれませんが、汽車を通しますことにつきましては、これはそう困難ではないように伺つております。従いまして、われわれといたしましては、受入れの方の状況はどうかという点でございます。ただいま御指摘がございましたが、一時収容所の方は、建物がなくなつた場所は全然ありません。熊本は、浸水いたしまして、畳、建具等をかえなければなりませんが、ただちにそれをかえるように措置を講じさせるようにいたしております。現在のところ、一時収容所に入つておられる方は、九州地区では非常に少いのでございます。ほとんどお入りにならない。従つて、今後若干そういう方がありましても、現在の施設でもつて、まず一応さしつかえないのではなかろうかと考えております。これにつきましては、十分今後注意を払いまして、遺憾のないようにいたしたいと思つております。
  31. 小平久雄

    ○小平(久)委員 次に、先ほどフイリピンからの引揚者のことにつきましてお話がありましたので、私もこの点念のために承つておきたいのでありますが、私の記憶が間違いなければ、ずつと以前ですが、長官の話によると、戦犯者というものは、現地において除隊した上で、あらためて逮捕されたといつたような解釈で援護庁ではやつていると言われたように記憶しておるのであります。そこで、フイリピンから今回あるいは釈放され、あるいは死刑から無期に減刑されて帰つて来られる諸君でありますが、これらの諸君がこちらに帰るということにつきまして、大体死刑囚であつた人で今度無期になつたという人がこちらに引揚げて来たならば、そのまま巣鴨に収容する、またすでに釈放された人というのは、現地釈放されてしまつて、一般邦人という姿において帰つて来られるということになるのじやないかと思いますが、その点よく御説明を願いたいことと、それから、そういうことになりましても、先ほど来の御説明等によりますと、帰つて来る費用等は国で見てやるというようでありますが、それが今回の中共からの引揚者と待遇上相違がないのかどうか、また、今回釈放になつて帰つて来られる諸君は、内地における上陸にしましても、一定の手続があるかもしれませんが、それと同時にすぐ故郷に帰るのか、そういう点についてひとつ説明願いたいと思います。
  32. 山下春江

    山下委員長 この際、外務省より戦犯室長廣瀬参事官が見えておりますので、フイリピン戦犯抑留同胞釈放並びに内地送還発表の事情について御説明を求めることにいたします。廣瀬戦犯室長。
  33. 廣瀬節男

    ○廣瀬政府委員 もう新聞等の報道で十分御承知のことと存じますが、今回のフイリピンの戦犯に対する恩赦、これは、六月二十六日に加賀尾教誨師が大統領に呼ばれまして、これには在外事務所の金山参事官が同道して参りまして、その席で大統領から、七月四日の独立記念日を期して恩赦を行いたい、さきに自分が申請に対して署名を了した五名の釈放以外に、まだ釈放希望があるかというようなことで、加賀尾教誨師から、さらに二十一名の人名を羅列しまして、これも釈放していただきたい、こういうことを申し入れまして、大統領はそれを承諾せられた。同時に、他の人々は全部内地へ送還して服役せしめる、こういうことを大統領が申されたわけです。その後、この加賀山、金山両氏が大統領のところに行きました後に、さらに大統領のところの会におきまして事件が進展しまして、死刑の判決を受けた者は全部無期に下げる。そしてそのうち釈放の恩典も出まして、結局無期、有期を通じまして釈放される者が五十二名、それから無期刑に処せられて巣鴨に収容すべしという向うからの要求が出ました者が五十六名、計百八名というものは全部内地に帰れるようになつたのであります。その際、最初に得ました電報では、死刑から無期に下げられたこの人たちは年内に帰すという電報がありました。これは発表があつて御存じかと思いますが、年内という点がはつきりしませんので、当方としては、国民全部、ごとに家族の方々の熱烈なる要望で、とにかく即刻同時に帰してもらいたいという強い要望をこちらから訓電しましたところが、これはもちろんのことである、同時に帰す、心配ないということでございましたので、かたがたさつそく引取りの手続をしなければなりませんので、援護庁と法務省とに連絡をとりました。援護庁の方ではとりあえず、七月十三日にクリーヴランド号が出るから、これが一番手取り早い、早く船室を留保してもらうようにということで、こちらからもマニラにそう言いましたところが、マニラから来ました公電では、フイリピン政府日本から配船があることを期待している。また中川所長からも、あらゆる事情から考えても、外国船に乗せて帰すということは忍びない、ことに彼らの気分の上から言いましても、食事その他万般から申しまして、外国船に乗せるのは忍びないから、中共引揚げ等で逼迫しているであろうが、向けられる船をまわしてくれということでございまして、さつそく運輸省の方でも船舶の手配をいたしましたが、現在のところでは、マニラに到着するのはどうしても二十日以後三十日の間で、そうしますと、四日から大分日がずれます。それでありますから、飛行機の点も考えまして、飛行機の点も相談しましたが、これは、岡崎大臣としましても、八年の長い間フイリピンで服役された方が帰つて来るときに、こちらから飛行機を向けておいて飛行機に万一事故があつたら何とも申訳ないから、できれば船でということでありました。どうしても現地の方が一刻も早く飛行機でいいから帰してほしいという要望がありますれば、飛行機もこちらからチヤーターして出してお迎えしよう、こういう二段構えで、目下マニラの中川所長の判断に一任しております。特に飛行機の乗入れ許可も得なければなりませんし、もつぱら現地における裁量によりまして、どつちかきまり次第、どつちも準備しておりまして、飛行機の方は、現在は九州の災害で日航機はほとんど全部出払つておりますが、私ども聞きました話では、日航機も三日以後はいつでも飛行機を出せるということでありますから、飛行機ときめますれば、さつそく二機をこちらから出したい、こういう考えであります。また、こちらの内地側から一つの要望がございますのは、釈放される人と巣鴨に収容される人と一緒にしたくない、これは人情上でございますが、そうかといつて、二隻の船を出すことは、船腹払底の折柄、事実不可能でございますから、船を一緒にしましても、上陸港をかえまして、今のところ、相談の結果は、釈放者は神戸に上陸する、神戸で全部帰国手続をしまして、それぞれ現地に帰られる、出迎えの方は東京の方も神戸に行く、巣鴨に服役される方は横浜に入港して、横浜からすぐに自動車で巣鴨に行く、こういう二方向を考えております。これは、一にマニラの方の決定によりまして、どつちかにきまると考えております。援護庁の方とも十分連絡をとります。予算の点は、援護庁の方から大蔵省に折衝しで、大体了解がついております。
  34. 木村忠二郎

    木村(忠)政府委員 先ほどの御質問でございますが、外地に服役いたしておられます方々の身分は、一応手続上復員したということになつておりますので、軍人軍属たる身分あるいは未復員者たる身分はないということになつております。ただ、去年の法律改正によりまして、これらの方々全部に特別未帰還者の扱いをするということになつておるのであります。従いまして、これら拘禁されております方々は、特別未帰還者たる身分をもつて特別措置が講ぜられると考えております。なお、外地で釈放されましてこちらに帰られます方々は、外地から引揚げるのと同じような形になるわけであります。これはやはり外地からの引揚げでございますので、引揚げとしてこちらに帰ることがでるきようになつて帰つて来るのでありますから、それは本人の意思によらずして向うに拘置されておつた、それがこちらに帰つて来たということになりますので、これらの方方につきましては、一般引揚げと同じような形でお扱いしておるわけであります。従いまして、もし個別に船で帰ります場合には、たとえばクリーヴランド号で帰る場合は、日本政府の個別の扱いで帰りますし、別に船を出して帰ります場合には、引揚者として集団引揚げの手続によつて帰つて来るということになります。それから、釈放されませんでこちらの巣鴨の方へ移管されます方々は、やはりそういうような未釈放のままで帰還されるということになるわけであります。これは、法務省の方でそういうふうに受取られて、こちらへそのまま一緒帰つて来る、こういうことになるわけでございますが、これらにつきましては、やはり引揚船で帰つて来られるという点におきましては、引揚者と全部同じような処遇をされる——途中におきます処遇はそんなふうに考えております。
  35. 小平久雄

    ○小平(久)委員 その点は大体わかりましたが、フイリピンからの引揚げができるにいたしましても、あとわれわれの心残りというか、関心事は、マヌスに残つておられる方々だと思います。そこで、フイリピン事情がこうなつたのに対して、その後何かマヌス島関係の情報はございませんか。
  36. 廣瀬節男

    ○廣瀬政府委員 マヌスには現在百七十三名おります。そのうち高砂族が五十三名含まれておりますから、ほんとうの日本人は百二十名でございますが、このうち、昨日濠州大使館から受取りました文書によりますと、五名、これは全部高砂族でありますけれども、それから日本人鍵山鐵樹、これは十四年の刑を受けた人ですが、この六名を、七月六日マヌスを出発して十七日四日市に着くMMのナンキン号で送還するということになつております。さらに年内を含めまして、満期者三十八名は帰す、こういうようなことでございます。このマヌスにおきまする戦犯の内地送還ということは、従前から幾たびもこちらからも要望いたしました。ことに、濠州大使館が開設されまして、西大使が赴任しましてから、大使は熱心に現地でもつばら内地送還に努力を注いで交渉しております。諸般の情勢、ことに濠州の政治情勢から、いまだに確たる返答を受取つておりません。このフイリピンの特赦がありましたのを機会に、釈放、内地送還について一段の努力をするように訓令を出しました。また昨日は、UPの電報で、濠州のメンジス首相が、新聞記者会見で、マヌス島における日本人の内地送還問題に対して考えておると語つたという電報がございましたので、さつそくこちらからも真実を問い合せまして、同時にこれに対する促進方を訓令いたしておりますが、今までのところ、まだ返事が参つておりません。われわれとしましては、こういうふうな、フランス、フイリピンと、相次ぎ特赦がございまして、ことにフイリピンなどは、まだ日本とは正常な国交関係がないにもかかわらず、第一着手としてこういう手を打たれました以上、正常関係のある濠州政府がいつまでもこの状態を続けることはできないであろうという観測も西大使から言つて来ております。私どもも、まつたく同感でありまして、この点、一日もすみやかに解決できるよう念願しておる次第でございます。
  37. 安藤覺

    ○安藤(覺)委員 ただいまフイリピン、濠州等からの戦犯の送還あるいは釈放等の情勢について承つたのでありますが、この際お尋ねいたしておきたいのは、ソビエトにおきましては、一般邦人の帰還については一段落つけておるようでありますが、ソビエトに抑留されておる戦犯者等の数については明確な数字があげられておるのでありましようか、それをちよつとお尋ねしておきたいと思います。
  38. 廣瀬節男

    ○廣瀬政府委員 私、最近戦犯担当を命ぜられて、この六月七日からいたしておるわけでございますが、従来、戦犯の事務といたしましては、中国、ソビエトの戦犯というのは戦犯の部類に入れていないわけでありまして、戦犯者として取扱つておりません。一般引揚げの中の列に入つておりまして、これは、私の方は職掌柄関知しておりませんので、全然存じませんが、元来アジア局が引揚げとしてやつておりまして、遺憾ながらここでは数を申すことはできないのであります。もし御必要とありますれば、またアジア局その他の各担当官にお尋ねを願いたいと思います。
  39. 安藤覺

    ○安藤(覺)委員 最近得ました情報によりますと、山口県下の、こうしたことに関係して努力しておる団体の世話人が、ソビエト代表部を訪問したときに、ソビエトにおいても近く戦犯関係者を釈放して帰還させるということの回答をしたということが、山口県下の団体の世話人の口から漏れまして、巣鴨に現在入つている人の耳にまで達しまして、非常に大きな期待を持つに至つているようであります。ただいまもお話がありましたように、正常な国交を持つていないフイリピンにおいても特赦が行われ、難関とざれたところのソビエトにおいてもしこういうことがほんとうに行われる曙光が見えるとしたならば、他の正常な国交を持つておる国々に与える影響、また正常な国交を持たない他の国々に与える影響も非常に大きなものがあろうかと存じます。もし室長がこのことに関して責任的地位におられないということであるならば、あえて委員長にお願いいたしますが、こうした情報のあることをさらに外務省の責任の地位にあられる人にお伝えくださつて、これに対する私の疑惑についての御処置を願いたいと存ずるのであります。次いで、このことは中共においても同様なことが言えると思うのであります。どうかこの点について委員長の善処方を要望いたします。
  40. 廣瀬節男

    ○廣瀬政府委員 ただいまの御質問の件ですが、私は、巣鴨に参りましたときも、巣鴨の委員連からも承りました。今朝、全国戦争受刑者世話会の会合で、全国の方々が集まつた席でも、山口県の方から承りましたので、私はその点は存じておりますが、私がソビエトに在勤しておりました経験から申せば、何ら公式の資格も持つていない一ソビエトの事務所の人が、ソビエト政府は戦犯を釈放するなんということを言うということは、私としては考えられないことであります。よしんば言つたとしても、これは一場の言葉でありまして、後にそういうことを質問した場合、おそらくそんなことを言つた覚えはないと言うだろうと思います。もしほんとうにそういうことがありますれば、もつと権威ある筋を通じて言つて来るだろうと思います。それから、ソビエトと交渉ができませんのは、フイリピンとソビエトも正常関係にない点においては同じでありますが、フイリピンの方は、正常関係はないと申しながらも、お互いに在外事務所を置きまして、代表がおりまして、公式な話もしておるわけでありますが、ソビエトに関する限りは、こちらには過去の占領時代の代表部の在員がおりますが、日本側としては何らソビエトには機構を持つておりません。公の立場において独自に話し得る道は一つもないわけであります。もつぱら国連を通じ、そういう手を打つて、ソビエトからの日本人の引揚げを一日も早くするように従来頼んでいるのが、いきさつでございます。中共もしかりであります。
  41. 安藤覺

    ○安藤(覺)委員 ただいまの御答弁に対しては、いささか疑問を持つものであります。あなたがどんなに長いソビエトの滞在の御経験であつたか、どんなに深刻な御体験をお持ちになつているか知りませんが、しかしながら、そのあなたの長い、あるいは深刻なる御体験を、またひつくり返すような事実がないとは言えないではありませんか。ことに、ソビエトが、スターリン時代においてあんなにまで激しい軍事攻勢をして来ておつたのに、マレンコフにかわつてから今日のごとく外交攻勢に出て来て、世界の資本主義諸国あるいは自由主義諸国がことごとく今までの考えをでんぐり返さなければならぬ現実が来ているではありませんか。あなたがどんな体験をしておられるか知りませんが、こうした山口県の名もなき民間人に対して言つたことは取上げないとおつしやつても、それは大きなソビエトの一流の手の打ち方でないと、だれが保証できるでありましようか。私は、そういつたマンネリズムの物の考え方をあなた方が脱却されてこそ、この困難な外交問題が解決して行くものだと思う。日本と正常なる国際関係にない限り、それは国際連合なり、あるいは万国赤十字社なりを通してやられることは当然であります。それは、直接ソビエトに対して日本外務省が手を打たれようと、国際連合を通されようと、万国赤十字社を通されようと、どこを通されてもいい。そのとらえられている人々釈放されて帰つて来るのが目的で、それが外務省の功労になろうとなるまいと問題ではない。そういつた考えをあなた方が捨てられない限り、ほんとうにわれわれの夢にも忘れることのできないこの問題を、一日も早く、より多く解決するということは困難である。私は、ただいまのあなたの御答弁に対しては、限りない不満を持つものです。
  42. 廣瀬節男

    ○廣瀬政府委員 ただいまの私に対するお言葉は、少し見当違いと思います。私はそういう意味で申し上げたのではありません。一館員が申しましたその言葉が、それがただちに権威があるとは思えないということを言いましただけで、ソビエト側が根本的に帰そうという意思を持つていることを否定した言葉は、私は一言も言つておりません。私はむしろそれが実現することを希望しておるものであります。ただ私は、ソビエトの一館員が申したこと自体が真実性があるかどうか、権威があるかどうかを疑うということを申したので、ソビエト政府が腹の中に帰すという意思を持つているということに対して、私は疑いの言葉を申し上げた覚えはございません。現に私の実弟自体が、ソビエトからいまだに帰つて来ません。従つて、私としては、あらゆる方途を通じて、一日も早く帰つて来ることを希望する気持は、何人にも劣りません。私は断じてソビエトの誠意を疑うとかなんとかいう言葉を申し上げたのでなく、あなたからお叱りを受ける覚えはないと思いますので、ちよつと私に対するお言葉は見当違いではないかと思います。
  43. 安藤覺

    ○安藤(覺)委員 それでは、いずれ速記録を調べた上で、さらに質問を継続しますが、もう一言つけ加えておきます。あなたの弟さんがソビエトにとらわれているか、どこにとらわれているか、それは別問題だ。あなた自身が肉親的な感情を持つておられることと、あなたが現在持つておられる職責とは、関連性はあるかもしれないけれども、それだけにとらわれて、どうこうするということをわれわれがあなたに対して判断するわけには行かない。このことをはつきり申し上げておきます。
  44. 廣瀬節男

    ○廣瀬政府委員 議論にわたりますが、どういう意味でおつしやるか、私にはわかりませんけれども、私としては、日ソ間の国交が、ことに世界の大国であり、日本と切つても切れない一衣帯水にあるソビエトと、永久にたもとをわかつて行けるとは思いません。日ソないし日中の国交が一日も早く開けて、世界全般と日本との国交が開けるということは、私個人としても熱願しておるのでありまして、ソビエトの一館員が山口県の代表者にそう言つたからといつて、ただちにそれが権威的なものではないという意味で申し上げたことを、私は繰返して申し上げておきます。また、全般的にソビエトからの引揚げ問題が、官の道を通すにしろ、民間の道を通すにしろ、それが実現することに対して満腔の賛意をするということを申し上げておきます。前言において、もし私の言葉の言いまわしが悪くて誤解のあるような言葉がありましたら、それは取消します。
  45. 山下春江

    山下委員長 安藤委員の御熱意、また委員長に要望されました点は、まつたく同感であります。あらゆる努力を傾けて、安藤委員の御熱意にこたえるべく努力することを、委員長からも誓うものであります。
  46. 臼井莊一

    臼井委員 ちよつとこの機会に伺つておきたいのですが、ソ連はしばらく別といたしまして、中共におりましてなくなつた日本人の遺骨、あるいはその引揚げなど、どういう状況になつておりますか。その遺骨をこちらへお持帰りになられるのは、親族の方が持つて帰られるのでしようか、それとも別の方々が持つて帰られるのでしようか、その点を……。
  47. 木村忠二郎

    木村(忠)政府委員 その間の交渉がどういうことになつておるかということにつきましては、先般三団体の方が向うにおいでになりまして御交渉になつたのですが、それは何ら報告を受けておりません。従つて、どういうことになつておりますか、全然存じません。ただ、お持帰りになつている状況を見ますれば、堂々と持つて帰つておられるのではないように見受けられます。今までお持帰りになつた状況では、そういうふうに感ぜられます。ただ、われわれとしましては、親戚の方あるいはその他の方々がお持帰りになつている遺骨は、できるだけ御丁重にこちらでは扱うようにしております。現在のところはそういう状況であります。われわれの希望といたしましては、向うで死没された方々状況等については、適当な方法をもつて向うと折衝して、これが明らかになるということは希望いたしております。
  48. 山下春江

    山下委員長 他に御質疑もないようでございますから、ちよつとお諮りいたしますが、比島戦犯同胞の釈放並びに内地送還について、比島当局に対して感謝の意を表明する決議をいたしたいと思うのであります。つまり、外地における戦犯抑留同胞について調査いたして参つた委員会といたしまして比島戦犯同胞の釈放並びに内地送還の発表は、長い間の国民の熱願でもあり、まことに喜びにたえないところでありますので、この比島当局に対して感謝の意を表明いたしたいと思う次第でありますが、これについて各委員意見を承りたいと存じます。
  49. 小平久雄

    ○小平(久)委員 過去の第何国会でありましたか、記憶しませんが、本委員会で、やはり委員長名で比島政府に要請文を送つたことがありましたので、委員長の発言はたいへんけつこうだと思いますので、賛成いたします。
  50. 臼井莊一

    臼井委員 本問題につきましては、本会議で一応謝意を表することになつておりますが、しかし当委員会の従来のいきさつ並びに使命から言つても、この機会にあらためて謝意を表するということは非常にけつこうだと思います。賛成いたします。     〔「賛成々々」と呼ぶ者あり〕
  51. 山下春江

    山下委員長 それでは、本委員会といたしまして、フイリピン当局に対して感謝の意を表明することに御異議ないものとして、さよう決定いたします。  なお、案文並びに伝達の方法については、委員長に御一任願いたいと存じます。  それでは、本日はこれにて散会いたします。     午後三時十分散会