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1953-06-24 第16回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年六月二十四日(水曜日)     午前十時四十一分開議  出席委員    委員長 山下 春江君    理事 庄司 一郎君 理事 高橋  等君    理事 臼井 莊一君 理事 柳田 秀一君    理事 受田 新吉君 理事 亘  四郎君       小平 久雄君    佐藤洋之助君       中川源一郎君    福田 喜東君       帆足  計君    大石ヨシエ君       辻  文雄君    岡田 春夫君  出席政府委員         厚生政務次官  中山 マサ君         引揚援護庁長官 木村忠二郎君  委員外出席者         外務事務官         (アジア局第五         課長)     鶴見 清彦君         外務事務官   淺田 泰三君         参  考  人         (日本赤十字社         副社長)    葛西 嘉資君         参  考  人         (東京華僑総会         々長)     康  鳴球君         参  考  人         (中国人俘虜殉         難者慰霊実行委         員会委員長)  大谷 瑩潤君     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  参考人招致に関する件  中共地区残留同胞引揚に関する件     ―――――――――――――
  2. 山下春江

    山下委員長 これより会議を開きます。  本日は、引続き中共地区残留同胞引揚に関する件について議事を進めます。中共地区残留同胞引揚げに関する中国人俘虜遺骨送還の問題について、昨日に引続き参考人より事情を聴取することにいたしますが、昨日御出席願えなかつた日本赤十字社より副社長葛西嘉資君が御出席くださいましたので、本日の参考人と一緒に本委員会参考人として事情を聴取するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 山下春江

    山下委員長 御異議なきものと認め、さよう決定いたします。  ただいまお見え参考人は、日本赤十字社社長葛西嘉資君、東京華僑総会会長康鳴球君、中国人俘虜殉難者慰霊実行委員長大谷瑩潤君でありまして、他の参考人はいまだお見えになつておりませんが、御出席次第進めることにいたします。  それでは、これより参考人から事情を聴取いたしますが、その前に一言ごあいさつ申し上げます。昨日御出席参考人には、本日も御出席を願い、厚くお礼を申し上げます。また葛西社長には、御多忙中のところ御出席くださいまして、厚くお礼を申し上げます。  では、葛西参考人より事情を聴取いたします。葛西参考人
  4. 葛西嘉資

    葛西参考人 どういうことをお話したらよろしいのでしようか。
  5. 山下春江

    山下委員長 要するに、今度の遺骨送還華人送還に関して、いろいろな紛争がありましたので、その紛争を究明したいというのが、本委員会がきのうから行つております問題の意図でございます。そこで、最もその中心になられております日赤側代表意見をお聞きする機会をきのう持ちませんでしたので、本日までのあらましの経過と、本日新聞等で見ますれば、幸いにも、非常に御努力の結果、解決いたしたようでございますが、そのいきさつを簡単に御説明を願いたいと思います。
  6. 葛西嘉資

    葛西参考人 御期待に沿うかどうかわかりませんけれども、大体のことを御説明申し上げまして、その足りないところは、また御質問等によつてお答えをすることにさせていただきます。  重複するかもしれませんが、在華邦人引揚げの問題と在日華僑引揚げの問題との関係でございますが、北京に代表団行つておりまして、会議が済みましたときに、向うの廖団長から日本代表である島津団長に、日本におる華僑を引揚船によつて帰すようにしてもらいたいということのお話が、第三次会談だと思いますが、そのときにあつたそうでございます。そしてそのときに、特にこのことは日本赤十字社お願いをしたいというお話があつたそうであります。島津団長から、これは帰つてから関係の者とよく相談をさせぬことには、はつきりしたことは言えないけれども、できるだけひとつ尽力をしたいと思いますというようなお話があつたそうでございます。それで、政府の方にもいろいろお話をいたしました結果、在日華僑引揚げということをひとつやりたいというわけで、いろいろ折働をしおつたのでございますが、なかなからちが明かぬということで、そのうちに、いつでありましたか、日ははつきり覚えておりませんが、中国紅十字会の方から、第一次、第二次、第三次の引揚げが済んだけれども、まだ在日華僑その他についてのお話の公電が来ないことは非常に遺憾である、どういうふうになつておるか、その模様をひとつ知らせてもらいたい、第四次の引揚げの船については、その電報受取つてからひとつお知らせをしたいと思う、というような画報が来たのでございます。これは、正式には交換条件ではないのですけれども、事実上その問題を解決しないと、在華邦人引揚げということができないような状態になつたのでございます。そこで、いろいろ政府の方でも御心配をいただき、われわれも政府にいろいろ御相談などいたしました結果、ここに赤十字船ということが出たのでございます。政府の方から承るところによりますと、いろいろ相談の結果、この在日華僑を送ることにつきましては、日本赤十字社輸送とかなんとかいうようなことを委託をして、そうして赤十字船を仕立てて、これに在日華僑を入れて送るということに、六月の六日だと思いますが、御決定がありて、私どもの方にお話があつたのであります。私どもの方も当初、それを受ける、そういうことでやるよりほかにないだろうというようなことで、赤十字社におきましても、六月十三日でございますか、私どもの方の意思を決定する機関である赤十字社常任理事会にかけまして、そういうふうなことで、ひとつ赤十字船でやろうということに決定したのでございます。私どもは、この赤十字船の問題にしましても、中国にいろいろ交渉をいたしますためには、やはり三団体ということで、日本赤十字社日中友好協会並びに日本平和連絡会の三つの団体相談をして電報を打つのではないとぐあいが悪いということになつております。向う側からの電報も三団体あてに来ておりますので、返事は三団体でしなければならない。しかし、国内的と申しましようか、政府と間では、赤十字社委託をするというようなことになつて、そこで、赤十字社におきましては、そういうような特殊な関係がありますところから、私どもはお引受けをしてやりますが、しかし他の二団体日中友好協会並びに平和連絡会の人の御協力お願いしたいということでやつて参つたのでございます。従つて、私どもの方の赤十字社責任におきまして、二団体協力のもとにやつて来ておるわけでございます。その後も、中国紅十字赤十字船について数回の電報の応答がありましたが、これも三団体として、他の二団体協力を求めて電報を打つたり何かして参つておおるわけでございます。  その後、今現実の問題になつておるのは、中国人遺骨の問題でございます。私の承知しておるところにおきましては、在華邦人引揚げはもちろん、在日華僑の引き揚げの問題も、一番最初遺骨の問題と関連がなかつた、私どもはこう思います。それが、最近になりまして、日ははつきり覚えておりませんが、遺骨も送りたい、――これは間違わないように、もう一ぺんはつきり申しますが、遺骨遺骨で送るべきだ、お送りせねばいかぬ、こう思つてつたのであります。しかし、第四次にするかどうか、そこらのところは、実ははつきりしておらなかつたのであります。私どもの方は、遺骨送還の問題も、邦人引揚げ期間中に、いつかは行わなければならない、こういうふうに考えまして、外務省当局等とも寄り寄りお話をして、遺骨送還という問題は考えておつたのでございます。今大谷先生もおいででありますが、これは送らなければならぬと言われておる。ただ、しかし、この遺骨の問題というものが、だんだん在華僑をお送りするということの問題と同時に起きて来まして、送らなければならぬというようなことになつておるときに、――委員長、これはもし都合が悪ければ速記を中止していただいて御説明いたしますが、一番最初は、遺骨を送るという問題がだんだん盛んになつて来たときに、外務省の方からして、実は遺骨を送る方法としては、第四次船で送る場合においては、三団体代表並びに帰つて行く中国人たちが、自分がこつそり荷物のようにして――そうは言わないのですけれども荷物ということになるのですが、ごく簡単にやるというようなことで、国民政府等関係でさしつかえない程度で送ることができるものならばよかろうというようなことを言い、それから、それに要する費用とか、あるいは大谷先生の方から出ます慰霊実行委員会の捧送団といいますか、宗教家やその他の人たちがこれを持つて行くというようなことについても、これはいけない。その範囲内でできることであるならば、四次によつてもさしつかえなかろう。こういうことでございました、そこらの点は、もしさしつかえがあれば削つていただきたいと思います。そういうふうなこと、で起きて来たのであります。そうすると、これは日本赤十字社も他の二団体も、慰霊実行委員会と同様に、荷物としてと申しますか、そういうことは、遺骨であれば、やはりお経をあげたり、あるいは朝夕水を供えるというような丁重な儀式をしながら持つて行くべきものである、それを何だかわからぬようにして持つて行くというようなことでは、一任をされてもなかなかできないというようなことで、その問題は私どもの方ではできませんというようなことになつたのであります。そこで、そんなようなときからだんだん遺骨の問題というものが今回の在日華僑の問題と関連をして来たように私は思います。現に、この間、いつでありましたか、東京駅で華僑を送るときにああいうふうな状態なつたことも、遺骨を持つて行かなければ、われわれだけでは行けないというようなことになつて関連ができて来たものである、こういうふうに思います。私どもの方としましては、赤十字船にいたしましても、たくさんの生命を積んで行く問題であります。いやしくも安全保障のないような送り方というもは、これは責任あるものとしてはできないという見解でございます。そこで、これは大谷先生が非常に御尽力になつて、この点は私ども非常に感謝しておるのでございますが、政府の副総理以下三大臣などとお会いになつたと聞いております。そうして、一番いい方法というものは、一番最後の便でやつて行くことが適当であろうというふうなことで、政府の間とも円満に話がついて、私どもは最近までこの方法が最も適当な方法であるということで、日本赤十字社としては終始主張をし続けて参つたのでございます。しかしながら、東京駅にああいう事件が起き、それから舞鶴にもああいうふうな気の毒な事件が起きて来ておるというようなことになつて、なかなか話がうまく行かぬというようなことで、私どもとしては、実は案がなかつたのであります。もうそうなれば、四次なり何なりのこの次の船でやるということは安全が保障できない。しかし六次はいやだということになつて、どうも何とも方法がないということで、その対案に困つておつた。そこで、赤十字社も、他の二団体も、あるいは遺骨の方の慰霊実行委員会の方におきましても、何とかいい方法はないものか、そのいい方法というのは、国民政府等ともつばら外交交渉を持つておられる政府にお尋ねをして、その辺のニユアンスその他もお考えいただくことが私どの適当であろうというようなことで、日はごつちやになつてはつきりいたしませんが、きのうの朝でありますか、官房長官やあるいは岡崎さんにもお目にかかつて実情を訴えて、何かいい方法がないかというようなことになつてつたのであります。その前までには、帰る華僑人たちは、どうしても第四次船でなければならぬ、それから他の二団体人たちも第四船次を主張するのであります。私どもは、安全保障のとれない第四次船に乗せるということは、責任あるものとしてはどうしてもできません。このままで行けば六次船よりほかはないというようなことで、どうもそこに妥協点が見出されなかつたのであります。ところが、昨日になりまして、岡崎外務大臣から、遺骨については別の船を仕立てるという新しい提案がありまして、昨晩もおそく三団体協議をしまして、昨日――ちよつと日の方はこんがらかりましたが、朝の四時ぐらいになりまして、ひとつ岡崎さんの出したあの案をのもうということになりまして、三団体としては南明が出たのであります。ちよつとそれを読みますと、「中国人俘虜殉難者遺骨送還の問題につき二十二日、三団体代表及び慰霊実行委員会代表は、福永官房長官及び岡崎外相と会見し、問題の急速な解決のために種々な角度から熱心に検討した。その結果遺骨のための別途仕立ての船舶によりできるだけ早い期日に輸送する新たな一案をもつことになつたので、三団体としては、第四次船で遺骨送還することを切望し続けている帰国華僑に右の具体案を十分説明し、安全保障その他の見地からいかんなく検討する手続をとる。その上で三団体は、在華同胞及び在日華僑の円満且つ早急な帰国を念願しつつ事態決定的解決のために努力する。」こういうような、意見の一致したものを書きものにしたのでありますが、昨日になりましてから、別途仕立の船とはいかんというようなことが問題になつておりますので、私どもはまた岡崎さんにお目にかかりまして、ひとつあなたの御提案なつたその案を具体的にしてもらいたいということをお願いをしたのでございます。外務省では、運輸省等と御相談の上で、昨日の午後五時に具体的の案のお示しがありました。東海汽船の八丈島定期船をやつておる五百トンばかりの黒潮丸という船を出す、しかも一等室遺骨の奉安のために改装をして、そうしてそれは赤十字船にしてやる、しかも七月の二日または三日ごろその船は門司を出れるであろう、こういう予定の御提案があつたのでございます。三団体は、ゆうべまた集まりまして相談をいたしまして、この具体的な提案を持つて舞鶴行つて、帰る在日華僑人たちに、こういうことになつたから、あなた方は安心してお帰りを願いたい、今度の第四次の興安丸に乗つて帰つてもらいたいということを、ひとつ説得をしようじやないかということになつたのであります。赤十字は、民間に説得するという文字を使つたのでありますが、二団体の人は、説得というとぐあいが悪い、われわれは事態説明行つて華僑人たちに託をしてもらう、その辺のニユアンスは少し違うが、了解してもらいたい、――それはいろいろ立場があろうから、私ども異議ございません、といつたようなことで話をして、ゆうべ赤十字工藤外事部長舞鶴にやつて、もう舞鶴についているはずでございます。そういうことで、また、三団体相談をして、とにかくこの問題は、遺骨の問題と関連はございませんが、すでに新聞で御承知のように、二、三日前に出る予定でございました高砂丸が、門司でまだ待機しておるというような状態で、――これははつきり申し上げますが、日本赤十字社代表は全部船に乗つて、いつでも出られるということになつてつたのでございます。しかし、高砂丸に乗つておりました他の二団体代表は、遺骨問題が解決しなければ立てないというようなことで、乗船を拒否しておつたのでございますが、迎えに行く三団体代表者というものは、向う行つて向うにおける中国紅十字会と折衝をすること、及び帰つて来る日本人を船の中で保護する、この二つの任務を持つたものであります。この代表人たち乗船をしないということは、私はどうも了解ができないのであります。日本赤十字社代表は、そういう意味で、早く出ませんかといつて、船に乗つて、いつでも出られることになつておる。それは余談でありますが、そういうようなことで、これに対しても言つてやろうということになつて、昨日向う電報を打つた。新聞によると、高砂丸は出たというのですが、まだ確報はありませんが、出ようじやないかという相談は昨日いたしたのでございます。  そんなわけで、私どもは、早く舞鶴におる華僑人たち引揚げ手続を完了されて、それができ次第興安丸で出る、そうして早く日本の待つておる同胞帰つて来るということを切望しておるわけでございます。どうも、どんなことを申し上げてよいかわかりませんので、ざつと申し上げました。
  7. 山下春江

    山下委員長 本日は、昨日お見えになりました日中友好協会平野さん、それから日本平和連絡会阿部さんは、ただいままだ御出席になるかならないかわかりませんが、一刻千秋の思いで内地に帰つて来ることを待つておる者のために、この紛争はたいへん遺憾であると思いますので、どうか、政府及びただいまお見え参考人に遺憾なき御質問を願いまして、この問題の真相を御究明願いたいと思います。  では、質疑の申出がありますから、順次これを許します。佐藤委員
  8. 佐藤洋之助

    佐藤(洋)委員 昨日及びきようにわたりまして、参考人各位は御繁忙のところをお繰合せ願つて委員会としても感謝いたしております。昨日平野君及び阿部君から、参考人としていろいろ意見を拝承したのですが、ことに平野君から、三月五日のコミユニケ華僑送還遺骨送還は含みであるというような話があつたのですが、われわれは、実は三月五日のコミユニケはそう承知していなかつた。また阿部さんも、参考人意見として、人道上の問題だと、るるお述べになつた。観念的に人道上の問題だということは承知されるのでありますが、かなり行動的にいろいろの行き過ぎがあるように思つておるのでして、この点は非常に遺憾に思うのです。そこで、私は、この華僑送還に対する問題について、まず一応参考人側意見は拝聴しましたが、政府側としてどういう意見を持つておるか、一応これから伺いたいと思う。  昨日の本委員会において、呉参考人の発言によりますと、日本在日華人送還する義務があると主張されておるように拝聴したのであります。われわれ承知するところによれば、中国人を含む在日外国人は、終戦直後においては、本人自由意思に基いて帰国せしめたのでありまして、今回帰国希望しておるのは、その当時帰国を望まず、引揚げ権利を放棄したものであるというふうに実は承知いたしておつたのであります。ゆえに、今日わが国がこれらの者を送り帰す義務はないと思うものであるが、引揚援護庁長官のこの間の事情に対する所感を承りたいと思うのであります。そうして、このような帰国者に今回特別の援護をする理由をあわせて一応まず政府側から承つておきたいと思います。
  9. 木村忠二郎

    木村(忠)政府委員 終戦直後におきまする在日華僑送還関係でございまするが、昭和二十年十一月一日に、連合軍司令部におきまして、日本政府あて覚書を出したのであります。これによりますると、在日華僑の中で北本州にある炭鉱労務者を最も優先的に取扱つて、おそくとも昭和二十年十一月十四日から一日一千人の割合送還すべし、それから北支向けの送還者は月に一万人、中支向送還者は月に二千人、これを越えない割合北支諸港または上海にこれを送還せよ、それから、輸送船日本の商船、海軍艦船または米国船のLSTによつてこれを輸送する、このような方法によりまして、昭和二十一年三月末日までに還送をした華僑が大体総数四万一千人余りになつておるのであります。なお、その当時におきます在日華僑総数は、推定いたしまして約五万六千ということになつてつたのであります。なお、連合軍最高司令部におきましては、昭和二十一年二月十七日付の指令と、さらに同年の四月九日付の指令をもちまして、日本国政府あてに、重ねて華僑朝鮮人台湾人本国送還に関する覚書を出しておるのであります。これは、内容は次のようなものでありまして、昭和二十一年三月十八日現在をもつてこれらの人々を登録する、その登録する際には、帰国希望するかどうかということをこれに記載してもらう、その結果帰国希望しない者、それから登録をしない者、それからさらに、昭和二十一年五月十三日までに日本を出国しない者は、帰国権利を喪失するという旨を本人に通知するようにということを、日本政府塩てに覚書が出されまして、これによつて政府におきまして、これに必要たる措置を講じまして、その結果登録いたしましたの数が一万四千九百四十一人、これはみな入つておりますが、そのうちで帰国希望者が二千三百七十二人ございました。そうして三月末日までに帰国いたしました者が実は六百七十三人しかなかつたのであります。その他の者につきましては、一応その当時の状況として、帰国を断念したものと考えられるのであります。日本政府といたしましては、以上のような状況でありまして、大体帰国希望される方々につきましては、そのときまでに一応帰国送還責任については果したものと考えたのであります。この後におきましては、その自発的意思による帰国につきまして何ら妨害いたしたことはありままんし、これらの人々について日本政府として留用いたしたこともないのであります。従いまして、政府といたしましては、華僑送還についての一応の義務はこれでもつて果しているというふうに考えております。今回の華僑送還の問題に関しまして、これを集団的に便宜を与えて帰国させなければならぬというのは、これらの現在残つておりまして帰国希望いたしておりまする華僑方々が、国内において生活に困難をいたしておられるという実情にかんがみまして、これらの方々援護をいたし、集団的にこれを送り帰す便宜をはかるのが人道上適当であるというふうに考えまして、この送還につきましての援護措置を決定いたした次第でございます。
  10. 佐藤洋之助

    佐藤(洋)委員 ただいま木村長官の御説明によりまして、大体わかりました。一応政府としては送還義務はたかつたのだ、今度の問題は人道政府が特別にやつたのだという、その間の事情はよくわかりましたが、なお昨日康さんの話で、舞鶴引揚援護局内における在華僑送還に関するいろいろの業務について、政府側に手落ちがあつた、というふうに私は聞いたのです。また政府側華僑側との話合いが十分ついてなかつたために不要の混乱が起つたものというふうな説明があつたのですが、引揚援護庁長官からその辺の事情を一応承つておきたいと思います。
  11. 木村忠二郎

    木村(忠)政府委員 今回の在日華僑送還の問題につきましては、赤十字社からの引揚援護庁に対する御要望もございまして、先ほど申したようなことで、政府といたしましても、これらの帰還に至りまする輸送船までの援護をいたさなければならないというふうに考えたのであります。これらの事務につきましては、政府としては、現在の各団体実情から申しまして、経理の点において十分な責任を持つことができる、また事務的にいたしましても、その事務をする能力があると認められまする日本赤十字社に、この援護仕事について、政府がみずからいたさない部分については委託いたしたい、かように考えたのであります。これにつきましては、いろいろな団体におきまして御協力になろうという御希望があるのでありますが、われわれといたしましては、その御希望は十分に了といたし、これを拒否するものではないのでございますけれども、送り帰しまするについての援護仕事については、やはりわれわれといたしましては、一つの国費を使う仕事でございますので、国費を使う仕事については、その経理並びに事務内容が明確になるということが必要なのでございます。従いまして、これらの責任を負うものといたしまして、政府といたしまして、現在各種の仕事委託しておりまする日本赤十字社にこれを委託するのが適当であろうと考え、これに委託したような次第であります。日本赤十字社政府とは、この問題に関しましていろいろと協議をいたし、連絡をいたしまして、その事務の詳細なる内容について、政府の予算の使い方、あるいは仕事の進め方というものについて、相談いたしまして、その結果、日本赤十字社としては、華僑総合と連絡をとりまして、その協力を得てやるのが適当であろうというふうにお考えになつたようであります。これらにつきまして、華僑総会と日本赤十字社との間に御交渉があつたようであります。それらの内容につきましては、われわれの方では、赤十字社の方から話を承り、大体話がつきまして、こういう内容でもつて実施をいたします、政府としてはこれだけの援護をいたします、これだけのサービスをいたしますという話をいたし、これについては日本赤十字社におきまして華僑総会との間に話合いがついた、こういうことでもつてこの仕事が始められたわけであります。  しかるに、舞鶴に参りましてから後の状況を承りますと、そのときに話合いがすでについておりました事項以外の新しい事項が持ち出されまして、これにつきましての要求にこたえられなければ汽車からおりないというような状況になつているというような話があつたのでありますけれども政府といたしましては、現在のわれわれの予算をもつてしましては、そういうことはできませんので、できないことはできませんとお答えするよりはかなかつたのであります。そういうようなことでもつて、この間がうまく行かなかつたのではないかというふうに考えるのであります。ただその間に、御承知の通りの東京駅におきまする事件がございまして、その関係をもつて華僑方々におきましては相当興奮された傾きがありまして、そういうような関係から、この事件の処理につきまして、普通ならば問題が起らないはずのところに若干問題が起つたということがあるのではないかと考えております。政府といたしましては、舞鶴援護局におきましてとりました措置につきまして、個々の具体的な問題につきましてはまだ詳細に承知しておりませんが、舞鶴からの報告と昨日康さんから承りましたお話とは相当異なつておる点がございます。従つて、これらにつきましては、今後十分取調べまして、適当な機会にまた御報告いたすのが適当ではないかと考えております。
  12. 佐藤洋之助

    佐藤(洋)委員 今度の事件はまことに遺憾でございます。そこで、大体政府側の考え方は今わかりましたが、一応一、二点康さんにお伺いしたい。第四次船で華僑が帰還するということ、あるいは遺骨を持つて行くということは、在日華僑の総会の意思であるか、あるいは個人的の意思引揚げ、また送還するのか、どういうことであるか、そういう点を伺いたい。
  13. 康鳴球

    ○康参考人 それは個々の華僑の考え方です。それが総会に要請されまして、そうして総会が政府お願いをしたわけであります。
  14. 佐藤洋之助

    佐藤(洋)委員 遺骨の問題は、遺骨が一緒に行かなければ帰らないというような強い意思であるのですか。
  15. 康鳴球

    ○康参考人 そこに非常に相違があると考えるのであります。ということは、昨日もちよつと申し上げましたように、日にちはよく覚えておりませんが、新聞にも出されたものであります。この新聞については、二回出されたように記憶いたしております。第一回は、遺骨を一緒に送還するのでなければ乗船を拒否するであろうという大会における決議、という新聞記事であります。それから、その翌々日に、ちようど東京華僑総会の役員会がありまして、役員会の決定といたしまして新聞に報道されたのが、要するに、一緒に持つて帰らなければならぬというのではなくして、そういうように決定さえしてもらえばよいということです。遺骨送還するという確定的な日本政府の決定があれば彼らは帰るのだということは、役員会の決定においても明らかでありますし、また帰国華僑と同時に遺骨送還しなければ帰国しない、乗船を拒否するという帰国者大会の決議があつたその晩、毎日新聞社から夜中の十二時に私の自宅に電話がありまして、本日の帰国者大会において、一緒に送還するのでなかつたら乗船を拒否するということについて、東京華僑総会はどういう意見かという話がありましたので、東京華僑総会としてはまだ意見はない、そういうような帰国者意見は重大だと考えておりますので、翌々日の役員会において総会の決定をなしたいということを申し上げてありまして、それでは会長個人としての意見はどうかという御質問に対しましても、私は同様な回答をしてあるのであります。
  16. 山下春江

    山下委員長 臼井莊一君。
  17. 臼井莊一

    ○臼井委員 大体昨日からのいろいろの御意見で、大体のトラブルの経過や何かはわかつたのであります。結局、私たち伺つたところによりますと、最初団体の北京においての正式会談においては、条件として在日華僑帰国とか、あるいは遺骨というような問題には触れてなかつた、そのあとで、特に日赤にというようなお話で、しかも昨日お伺いしたところによつても、六月六日になつて政府とこの折衝が正式に始められたというふうに伺つたのですが、その前に殉難慰霊祭の方の会からはお話があつたように聞いております。従つて、これらの問題だんだん終りに行くに従つて非常に問題が強くなつて来て、遂に遺骨と一緒でなければ帰らぬというところまで来たように思うのであります。従つて、今後再度こういう問題が起らぬように、はつきり連絡の間違いのないように、政府におかれても、また三団体におかれても、特に日赤はこの面については責任を持たれておるのでありますから、お話を願いたいと思うのです。  そこで、一つお伺いしたいことは、帰国協力会というものが三団体において構成されておるように伺つたのですが、事実は三団体だけでこれができておるのでございますか、それを一点お伺いしたいのです。
  18. 葛西嘉資

    葛西参考人 帰国協力会のことについてのお話ですが、あるのは私が答えるのはちよつと適当でないかもしれませんが、だれもおりませんから、私の知つていることだけお答えいたします。  その前に、ちよつと、たいへん失礼でございますが、私の申し上げ方が悪かつたために、あるいは誤解があるのではないかという点を申し上げたいのであります。在日華僑引揚げの問題で、六月の六日になつて初めて政府交渉したと申し上げたか、そういう印象を与えたとすれば、これは私の説明が悪かつたのです。これは、代表団が帰りましたときに、すぐ羽田飛行場から外務省へ行きまして、そうして関係各省お集まりになつておるところで、いろいろ話をしたのです一話の途中になつて、大分新聞社の人たちが待つているということで、そのうちに内山完造さんがまだかというようなことになつてしまつて、報告がみな済まぬうちに、その報告会がやめになつてしまつた。その後正式に代表団が全部行くというようなことは実はできませんでした。ただ、しかし、この在日華僑送還の問題なり、あるいは遺骨の問題なりというものは、今も言つたように、自分としては何とか考えて行かなければならぬ問題だというようなことで、これは随時外務省なりあるいは政府の当局にもいろいろお願いをしておつたわけです。私ども、聞くところによりますると、政府におかれても、国民政府その他とは、公式、非公式にいろいろ折衝があつたように聞いております。なかなか困難な問題でありますために、解決が十分でなかつた。実は、私ども団体の側、特に日本赤十字社としては、特に日本赤十字社に頼むと言われたことがあり、日本の一万五千人足らずの人たち帰つておるというようなことかな考えて、徳義的にもこの問題は誠意を持つてやらなければななぬということで、あせつたことがあるのです。いろいろ先ほど申し上げましたように、六月の六日になりまして、日本赤十字船を仕立ててやるという決定が出た、こういうわけであります。申し上げ方が悪かつたということでありますれば、そういうことでございます。御了承を願いたい。  それから、帰国協力会というのは、実は二月ごろでしようか、はつきり知りませんが、できまして、そうして、いろいろ民主団体人たち――団体も入つておられると思いますが、そういうふうないろいろな団体でつくるということで、赤十字社もひとつ加盟せいということの依頼があつたわけです。しかし、私どもは、そのときに申したのでありますが、日本赤十字社はあらゆる広い意味の基礎の上に立つ団体であるので、民主団体の人あるいはその他の人の意見も、たくさんな各階層の広い視野から聞かなければならなぬ、そういう立場に立つ団体である。従つて、ある一派の人だけの集まりというようなものには私どもは関与すべきでないというようなことから、協力会のメンバーにはなつておりません。赤十字は入つておりません。帰国協力会は、今仮事務所を日本赤十字社の中に実は置いているわけであります。私どもは、これを置くことを承認したことは実はないのでございます。ただ、北京に代表団が行くときに、いろいろ二団体等と連絡関係がありますので、北京の代表団の留守業務をいろいろやるために、日本赤十字社内の一室に、三団体連絡事務局というものを置いたことは置いたのです。そうしたところが、三団体連絡事務局の中に、いつの間にか協力会ができて、仮事務所が入つてしまつた。今は三団体の北京での代表が帰りましたので、三団体のそのための事務所はいらなくなつた。しかし事務連絡をする必要があるというようなことで、日赤外事部の中に三団体連絡の机などを置いてあるわけなんですが、協力会がまだ入つておる。五月一日ごろ、私ども部内においても、非常に赤十字社の建物が狭いにもかかわらず、そういうものを置いては困るではないかというようなことが、部内の理事会等でも質問がありまして、ひとつ早く出てもらいたいということを言うたのですが、現在まだ協力会の仮事務所が赤十字社の中にあるわけです。政府の方からも、ちよつとおかしいではないかというおしかりも受けて、出てくれくれということを言つたのですが、これも、なかなか事務所がないとかなんとかいうことで、現在まだこの仮事務所があるということは、私どもとしてもまことに遺憾でございます。まあそんなような、いらぬことも申し上げました。
  19. 臼井莊一

    ○臼井委員 昨日は日赤の代表がお見えにならぬし、きようは他の二団体がお見えにならぬので、お伺いしたいことがお伺いできないことは遺憾ですが、今日は御出席ができないとい通知があつたのでしようか。
  20. 山下春江

    山下委員長 メーデー裁判の弁護人に平野さんが御出席だそうでございます。それから阿部平和連絡会代表は、遺骨送還船の件についてただいま相談中だという連絡でございまして、ただいま間に合わないと思いますが、昨日のお諸等もございますから、どうもこれは困つたことですけれども、しかしどなたかこれをこれを御存じの方から御答弁を願うことにして、御質問はさしつかえないと思います。
  21. 臼井莊一

    ○臼井委員 実際に日本人が中共から帰国されるその折衝と、それから船中のいろいろな援護といいますか、もちろん船長が責任を持つてつておられるのでしようが、それが三団体の大体の職務であられるように聞いておるのであります。従つて、国内問題の在日華僑送還する、あるいは遺骨の問題等は、これは、先ほどお伺いすると、政府責任は一応済んでおるわけです。しかし、やはりできるだけ便宜をはからい、また人道上の立場から種々の方策を講ずるというのは、これは国内問題でありまして、政府がこれをやられるのが当然であり、従つてこの問題についてはまた日赤に委託された、これらも適当だと私たちは考えております。ただ、その三団体というものが、きのうお話を伺うと、すべての行動はこの三団体とともでなくちやできない、こういうようなお話のように伺つたのですが、日赤におかれては、こちらから在日華僑をあちらはお送りするということについては、日赤単独ではできないので、やはり三団体意見の一致、会議の上でなくてはできないのでしようか。その点ちよつとお伺いしておきます。
  22. 葛西嘉資

    葛西参考人 簡単に申し上げたので、御了解ができなかつたかと思うのでありますが、この在日華僑を送ります件につきましては、政府でやる仕事は別として、赤十字船を仕立てるとか、あるいはさつき木村長官からも言われましたような国内における華僑総会との連絡とか、いろいろな仕事は、日本赤十字社が国内的には受けたのでございます。赤十字責任でございます。ただ、赤十字船を出すにいたしましても、中国紅十字会に電報を打つて、いつ着いて、どうするということや、いろいろなことが必要なのでございます。そういう点についてのことは、先方の中国紅十字会から三団体連絡事務局あてで電報が来ている。従いまして、中国の方に対しましては、対外的には三団体相談して会議の上でなければできないわけであります。言葉をかえて申しますと、かような関係になつておりますので、私どもといたしましては、政府から赤十字責任において華僑送還するという委託を受けた範囲の仕事はいたしますけれども、もちろん、汽車をやつたり何かする政府の直接おやりになる仕事もある。しかし、対外的には三団体で行かなければなりませんから、協力が得られなければできないわけであります。そこで、端的に申し上げますれば、国内的には赤十字責任において、三団体協力を求めてやる、対外的には三団体でやる、こういう非常にデリケートなものであります。そこで、いろいろなことも全部三団体意見を徴しないと動かないようなことになつておる次第であります。しかし、対政府関係におきましては、日本赤十字社が国内外に責任をもつて委託を受けたことはする、かような関係だと思つております。
  23. 臼井莊一

    ○臼井委員 大体了承いたしましたが、ただ、三団体方々が、第三次引揚げについて、またその以前の交渉等について、非常にお骨折りをいただいて、第三次までは、非常に円満にで身た。その他帰国者についてのいろいろな船内等の問題もうわさには聞いておりますが、それらについてはまだよく承知しておりませんけれども、一応円満に行つたにかかわらず、第四次にたりまして、非常にこれがこんがらがつて、三団体方々も世間から疑惑を持たれておる――誤解を持たれておるような面が実はあるのでありまして、その点、われわれとしては非常にお気の毒でもありますとともに、またその間のいろいろな打合せ等において、あるいは責任等において、誤解があるのじやなかろうかと考えるので、できるだけこの機会にはつきりしておきたいと思うのであります。  最後に、一点だけお伺いいたしますが、一応十九日に在日華僑の方が向うへお帰りになることになつて、汽車にも乗られたのでありまして、その点は他の二団体の方も了承して、絶対に遺骨と一緒でなければ行かれないのだ、また行くのだという前提のもとにそれを了承されたのでないと思うのですが、その点、いかがなものでございましようか。
  24. 葛西嘉資

    葛西参考人 今のお尋ねの点は、実は非常にデリケートな関係になつておりまして、決定が六月六日なのであります。それから予算だのいろいろ政府との折衝をやつたり何かして、とにかく十九日に出るのだということは、もう三団体も御了解になつている。ところが、遺骨送還の問題については、先ほども説明申し上げましたように、私どもはぜひ送らなければならぬと思つておつたけれども、国府の関係上、なかなか安全保障は得られないということで、実はごたごたしているわけです。そのうちに大谷先生は、各大臣とも御折衝になつて、ああいう線を打出してくれるというようなことで御折衝をいただく。また私どもは、そういう問題は、第四次船が安全保障を得られないものならば、生命をあずかつて行く問題だから、これは絶対に安全でなければ困るということで、大谷先生などに御折衝願つた方が一番よいということでやる。二団体の方は、そんなことを言つても無理だというようなことで、そこらのところは多少食い違いのまま在日華僑東京駅に送つたということはあつたろうと思います。これは、日などは私比べてみませんものですから、こんがらがつておるかもしれませんが、正確にそのときに、一緒でなければならぬということでやるということは私どもには了解ができておりませんでした。
  25. 臼井莊一

    ○臼井委員 きようは呉さんは御出席にならないようですが、昨日御意見を伺うと、政府責任があつて政府はけしからぬというようなことがありましたが、私どもは、もし政府において非常な手落ちがあるのであつてけしからぬということであれば、とがめるのに、また責めるのにやぶさかではないのであります。しかし、今までの事情を聞くと、必ずしもそうではなくて、ただ行き違い――打合せ以上のことが起つたり、あるいは外交上の機微な問題があつたために、政府の立場としてやりにくかつた点が、誤解に誤解を生んで、いろいろできたと思いますが、今後は、ひとつ政府におかれても、また日赤におかれても、そういう誤解が起つて将来日本と中共あるいは国民政府との間に妙な関係が起らぬように御努力をいただきたいということをお願いするとともに、今までの御努力に対しては厚く御礼申し上げる次第であります。
  26. 山下春江

    山下委員長 高橋委員
  27. 高橋等

    ○高橋(等)委員 私は、昨日日中友好協会代表の方、日本平和連絡会代表の方に質問を試みたいと考えて、平野さんに若干の質問をいたしまして、あとは阿部さんに聞いてくれ、こういうことであつたのでありますが、本日は御出席がなくて、まことに遺憾に存じます。船が門司を出たそうでありまして、これは非常にわれわれは喜んでおります。おそらく留守家族の人々もお喜びでしようし、向うにおられる方も非常にお喜びのことと思うのでありますが、たとえば、この遺骨簡題、あるいは白竜丸の問題について政府が陳謝しなければ乗船しないというようなことをこの二団体人々が主張されるというようなことを見ておりますと、どうもこの二団体の人は何か同胞の帰還を故意に妨害をしておるのではないかというふうな疑惑を国民とともに私は持つております。そこで、この華僑方々のお帰り、あるいはまた遺骨送還という問題は非常に重要な問題でありますが、とりあえず、それはあとにまだ船が出るのであるから、まかせておいて、この二団体の人はまず乗船をして、自分らが向うから同胞を迎えるという任務の遂行を果してもらえばよいのではないかというふうに考えまして、平和連絡会日中友好協会責任をただしますとともに、その反省を促したいと考えておつた。  そこで、日赤の葛西さんに、もう一度重ねてお尋ねするのでありますが、二団体乗船代表門司で下船しております。ところが、あなたの方は乗つておられるとかいうような御説明だつたようですが、そこの見解をひとつもう一度はつきりさせておいていただきたいと思います。
  28. 葛西嘉資

    葛西参考人 先ほども申し上げましたように、三団体代表が一名ずつ乗つて行くということにつきましては、共同コミユニケにも書いてありますように、向うの紅十字会との連絡をはかるということが一点、それから、帰つて来る人が千人も船の中におつて、それにだれも乗つて行かぬわけでありますし、船長や船の人だけなので、政府の役人は乗つて行つてはいかぬということでありますから、お世話をするという人がいる、そういう意味でお世話をするという、二つの目的を持つて乗るということになつておるわけであります。それで、日本赤十字社としましては、船が出るということが決定しましたならば、かような任務を持つためには、まず乗つて行かなければならない、乗つて行くということが当然のことだ、まあ私どもはそう思うのであります。日本赤十字門司におる代表にも、かような意味で、船に乗つて行けということを命じておつたのであります。あとの二団体代表人たちは、御承知のように――これは間違つておれば、人が言つていることですから、あれですが、向うの二団体人たちは、遺骨の問題というのが非常に大事だ――それは、天津などに行つたときには、前に行つた人たちも、やはり遺骨は持つて来てくれましたかということを聞かれることは事実なのです。そういうことで、もし聞かれたときに、もう混乱しておつて何とも答えができないようなこことでは、自分たちは乗つて行けぬ、その問題が解決するまでは乗れない、こういう御主張であつたように私は聞いております。しかしこれは、私ども日本赤十字社が乗つておるということ、あるいは乗れと言つたのは、そういう問題は、乗船代表に聞かれても、しかたがないわけなのです。それは本部の方において、政府なりあるいは私どもの方で相談をしてきめて行けばいいことだ、こういう見解で、赤十字代表はひとつ二人だけ乗つておれということで、現在まで乗せて来ておつたことを承知しております。
  29. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 議事進行について。ちよつと確かめておきたいのですが、遺骨の問題についても、きようの新聞によれば、新しく発展しておるのであります。そこで、外務省関係政府委員出席は、現在までのところアジア局長あるいは課長の出席がないということで、今事務局から聞くと、アジア局の第五課の首席事務官の淺田という人が見えているそうであります。それで、淺田という人にちよつと伺つておきたいのですが、責任ある外務省としての答弁ができるかどうか。答弁ができないとするならば、具体的に責任のある答弁のできる者の出席を、委員長としても至急手配して要求していただくように、この点お願いしたい。
  30. 山下春江

    山下委員長 淺田事務官は今ちよつと室外に出たのでありますが、岡田委員も御承知の通り、局長及び第五課長は、日米合同会議を今開催しておるので、そつちに出席しておるそうでございます。手配はいたしておりますが、この間のアジア局長のお話では、責任ある答弁をさせる代理をよこすという御回答でありましたから、そのように了承してよかろうと思いますが……。
  31. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 それに関連してですが、この問題は単に事務的な問題ではないのです。むしろ政治的な問題を多分に含んでいるのであるから、局長にかわつてその下の課長で、事務的なものの責任を負えるという程度では困る。むしろ外務大臣か、あるいはそれにかわるような人の出席を要求したいと思います。事務次官はおるはずです。特に事務次官は遺骨の問題には相当関連があるはずです。この点は必要があればまたあとで言いますが、事務次官の出席を至急お願いしたい。
  32. 山下春江

    山下委員長 手配をいたさせます。
  33. 高橋等

    ○高橋(等)委員 大谷さんにちよつと念のために承つておきます。遺骨送還につきまして、外務大臣から、引揚船が最後に出るまでに何とかしたいし、もしそれができなければ別仕立ての船を考えてもよろしいという話があつて、これは大谷さんがとりなしてそういう話をされた、そてで、それについて華僑総会の会長あるいは役員の方で一応了承されたが、その後様子がかわつたのだというように昨日承つたのですが、誤解があるといけまんからその点もう一応……。
  34. 大谷瑩潤

    大谷参考人 これは、昨日申し上げました通り、十八日の晩に、今おつしやつた問題に対しまして、最後の船までに必ず御選骨を送還する、もしもわが同胞引揚げが二万人で打切られて、今度の第四次船でもつて終局になるというような場合が起つたときはは、たとい新しい別の船を仕立てでも御遺骨は必ず先方に丁重にお届けをする、もしもそういう点について同意をしてくれるならば、十五名以内の捧送団をもつてお送りするということに対してはよろしいということを外務大臣並びに運輸大臣が私におつしやつてくだされたので、この案ならば、華僑総会におきましても、またその他の実行委員会のメンバーの方々におきましても了承してていただける、こう考えました結果、十四日にその提案を諮りましたるところ、それならばよいということに決定いたしたのであります。
  35. 高橋等

    ○高橋(等)委員 今の最後の点なんですが、これは華僑総会の方では承知をなさつたわけですか。
  36. 大谷瑩潤

    大谷参考人 華僑総会の陳副会長がわれわれの方の実行委員会委員でもありますし、また会長の留守の間は常に陳副会長がわれわれと同じように相談に乗つておられましたので、陳副さんに来ていただきまして、そうして同意を求めたのであります。それで了承をされたのであります。
  37. 高橋等

    ○高橋(等)委員 康さんに伺うのですが、そこまで華僑総会として話がついておつたものならば、どうして途中でごたごたしたのだろうか、この点、ちよつと実情を承らしていただきたいと思います。
  38. 康鳴球

    ○康参考人 この点につきましては、徹底されていないようですから、特に明確にしたいと思います。帰国華僑遺骨と一緒でなければ乗船できないということは、さつきも触れましたように、今大谷先生から申されました話のずつと前に、帰国者大会において決議をした一回のみで、その後いまだかつて現在に至るまで――東京における紛争も、また舞鶴駅における紛争遺骨と一緒でなければ乗船できないということが原因でないのであります。帰国着たちも、また東京華僑総会も、別仕立ての船でやつていただくということは毛頭考えてもいないし、お願いしようともしなかつたのであります。要するに、確実に最終船で日本政府遺骨送還していただくのであるならば、もちろん帰国君たちも同意されるのであります。そこで、それでは何ゆえ東京駅において遺骨の問題について紛争があつたかということは、それに対する同時の乗船を要求するのが原因でないように私は真相を帰国者代表たちからも聞いておりまするが、要するに、今大谷先生から申されましたところの別仕立船あるいは最終船という話については、陳副会長は聞いておつたのでありまするけれども、何分にも、決定されたのは十九日であります。すなはち東京駅を出発する日でありますがゆえに、帰国者たちはそれぞれの出発したくのために東京華僑総会には参つていないのであります。帰国者が最後に東京華僑総会に集合されたのは、たしか十六日のように考えております。十七日から十八日は荷物の託送で、十九日は出発ということになつておりまする関係上、東京華僑総会において集会する機会がなかつたので、陳副会長からそういう報告をすることも、またそういうとりはからいをすることもできなかつたし、さらに実行委員会の方からもそういう話を得られなかつたので、いよいよ東京駅を出発するまぎわに――私が東京駅を出発したのは十時半でありますので、その後ですから、おそらく十一時ごろ、ほとんど乗車するまぎわではないかと思われますが、帰国者のうちから、遺骨送還はどうなつたかという質問が起つたように聞いております。これは、もつと時間的に集会する余裕があつたら、おそらくは東京駅においてかかる紛争は生じなかつたと思いまするけれども、先ほど申し上げましたように、彼らに知らせることができなかつたために、かかる質問が発端になつて、しかも、話によりますと、すでに乗車の時間が切迫しておりまして、それが非常に紛糾したために、結局は実行委員会から代表に一緒に舞鶴駅まで来ていただいて、そこで報告をしていただき、その上で帰国者の態度を決定するということになつた結果、慰霊実行委員会から三名の代表が一緒に乗車していただいたように聞いております。これが東京駅における紛争、すなわちその報告を受けなかつたために、事情を知らないために、遺骨送還はどうなつたかという質問が結果においこ紛争になつてしまつたのであります。  それから、東舞鶴駅における紛争であります。ここにおいては、まつたく遺骨の遺も口に出しておりません。これはまつたく援護局の取扱いが問題となつたのであります。すなわち、関西組が先に入寮したのでございます。すなわち援護局の寮に先に入つたのであります。その後に関東組が東舞鶴駅に入りまして、下車しようとしたときに、関西組がかけ込んで来まして、とても監獄のような取扱いだから、下車するのは待つてくれととめられために、そこでさらに、数名の者が下車したのがまた汽車に入りまして、実情報告を聞いたのでございます。この関西組の第一のトラブルは、世話人が援護局のバスに乗るときに、一部の者は援護局の腕章をいただたのでありまするけれども、不足したために、一部の者が腕章をいただけなかつた。そのときに、舞鶴駅に参りました援護局の係員が、腕章がなくても援護庁から発行された証明書によつて入局できる、すなわちその帰国者たちを局内に送り込むことができる、同時に世話することができると言われたので、そのお話によつて援護局のバスに乗り込んだのでありますけれども援護局の門衛のいわくには、そうようような連絡はないから、入門することはならぬ。そうすると、世話人たちは一体だれの言うことが正しいのか、だれの言うことを聞いていいか、われわれはいやしくも遠いところから――この世話人の性格については後ほど申し上げますが、遠いところから世話して参つたのに、片方はこのままで入り、片方は入れられないということがトラブルとなり、さらに、いよいよ入つてみたところが、見送り人――この見送り人は全部親族であります。ぼとんどが親たちであります。この親たちに、表門のすぐそばの約五坪のバラック、このバラツクが一般面会所なつております。戸も一枚もありません。その設備は、幅九寸、長さ二間の六分板でつくつた腰かけが二つ、幅約九寸に長さ二間の六分板でつくつたこういう長いテーブルが一個、そこで待つてもらいたいということであつたのであります。     〔高橋(等)委員「きのうとダブる発   言はいいのじやないか」と呼ぶ〕
  39. 山下春江

    山下委員長 康参考人、簡潔にお類いいたします。
  40. 康鳴球

    ○康参考人 そこで、要するに、見送り人に最も問題になるのは、日本人の面会人を森寮に入れておるのに、これら華僑の見送り親族は森寮に入れることができないということ、それから食事が悪いのであります。この食事の悪いのも、帰国者は決して予算をふやしてくれというのでもなければ、日本人より以上にりつぱなものを食べさせてくれというのでもない。話によりますと、一日の食事が百四十五円で、御飯が六百グラムだそうでありますけれども帰国者のうちの数名は料理業者でありまして、はたしてその食事が一日百四十五円に値しておるかいなか、御飯が六百グラムあるかいなかということを知つておるので、百四十五円はかかつていない、もし百四十五円なら、われわれ料理人がたくさんおるから、われわれに百四十五円の範囲内でつくらしてくれぬかという話があつたのであります。
  41. 山下春江

    山下委員長 質問の要点だけを御回答願います。
  42. 康鳴球

    ○康参考人 そういつたような問題が原因となつて、東舞鶴駅で紛争を起したので、遺骨のことについては全然触れておりません。
  43. 高橋等

    ○高橋(等)委員 その後遺骨の問題でごたごたして問題も起つておるのですが、東京駅から舞鶴においでになる汽車の中で、陳さんが承諾された案件について、あなた方のお帰りになる方々にその事情を話して了解工作をなさつたようなことはないのでありますか。
  44. 康鳴球

    ○康参考人 その話は聞いておりません。それは、さつさ申し上げましたように、無鶴に着いてから帰国者大会を開いて、同乗していただいた慰霊実行委員会の方が報告され、そうしてみながそれによつて意見をまとめるということであつたためだろうと思います。
  45. 高橋等

    ○高橋(等)委員 そうすると、問題は、時間がなかつたために、陳さんは承諾をされたのだけれども、内部の方の事情で、連絡が不十分であつた、こういうふうに考えていいのでございますか。
  46. 康鳴球

    ○康参考人 そうも言えるようではありますけれども、結局は、余裕の時間は当然必要であるはずでありますから、かかる集会の余裕のまつたくない決定をなされたためにそうなつたというふうに考えます。
  47. 高橋等

    ○高橋(等)委員 そこで、この問題についての最後の質問ですが、今度決定をされました線で皆さん方は納得されるとお考えになりますか。これは総会長としてのあなたの立場で御判断をお聞かせ願いたいと思います。
  48. 康鳴球

    ○康参考人 これは、帰還着たちときよう三団体の方がお合いすることでありますから、私は予想がつかないのであります。
  49. 高橋等

    ○高橋(等)委員 これは特に康さんにもお願い――お願いと言つてはいけませんが、ちよつと申し上げておきたいのであります。さきに大谷さんが政府と折衝されて出された結論を、一応あなたの代理である陳さんがそれでよかろうということになつた。その線を今度はもう少し正確にした線が出ておるわけです。ですから、華僑総会の方では、おそらく御異議はないことだと私は考えます。もし誤解があつてはいけませんから、ひとつとりまとめの御努力をぜひお願いいたしたいと思います。  それから、舞鶴におきましてのいざこざの問題が出たのですが、これは政府の方にまず伺うのですが、何か引揚げの方以外の世話人とか何とかの数の一応連絡があつたと思うのです。そういうような点について、何か内部で日赤あるいはその他の団体との間で行き違いでもあつたんではないだろうかということを私は懸念するのです。先ほど何かそういうような意味合いをお話なつたように思うのですが、もう一度はつきりひとつ……。
  50. 木村忠二郎

    木村(忠)政府委員 この点につきましては、私たちの方は直接華僑総会とは一度もお打合せをいたしたことはございません。この問題につきましては日赤が責任を持つておやりになることになつておりますので、われわれといたしましては、日本赤十字社方々とは十分お話をいたしましたが、日本赤十字社におかれまして事務的に華僑総会の陳さんとお話合いをしたということは承つておりますが、お話合いの結果そういうふうにやるということになつてつたのでございます。問題になりましたのは、私たちが電話でその当日聞きましたところで申し上げますと、その当日電話で聞きましたのは、帰国者方々舞鶴に入局された――関西の方々は大体すぐ入局されたのであります。そのときに、その入局と一緒に世話人の人及び見送りの人を、ともに局内に入れて宿泊をさせてもらいたいという御要求があつたようであります。これは、初め本に日赤十字社お話合いをいたしました際に、あの施設は帰国者の方だけを宿泊させる、あそこではほかの方には食事を提供しないということにお話をいたしておつたのであります。これにつきましては、局としてはお断りするのは当然であろうと思います。つまり、あそこの設備はああいうふうになつており品ますので、やはり今後も国の施設はそういうふうにしなければならぬというふうに考えておるのであります。そこで、そういうふうにお断りしましたところが、面会のために行きたいということでございましたので、それでは門前でバスをおりまして、面会所で面会してもらうことになつたのでありますが、面会所でどなたにお会いになるかとお聞きしましても、どなたにお会いになるという具体的な御趣旨でなくて、どうも局内に入りたい、ただ全般的に面会したいんだ、単なる面会でなく、局内の寮内に入りたいんだという御希望のようだつたと思います。そこで、どなたにお目にかかりたいということがないと、うちの方では面会としては扱えないということでありました。つまり、寮内では、いろいろな方々が入られましたばかりでありまして、これからいろいろ準備をいたさなければいけない、そういうようなことでごたごたいたしておりましたので、お断りいたした次第であります。そのうちに、帰りのバスがなくなるということでありましたので、御注意いたしたのでありますが、やはり面会所の中におりまして、今度は寮内に宿泊させてくれということで、どうしてもお帰りにならなかつた。それで、とうとう面会所でもつて夜明けまでおられたのでございます。その点はそんなことでございまして、ただ一部の者が出迎えに出られたのであります。そのときのことは、私の方ではその間どういうふうな話をされたかということにつきましては、具体的なお話は伺つておりません。ただ関東から舞鶴に行きました方々の御要求といたしまして、やはりそれと同じように、世話人も見送り人もともに局内に宿泊させるようにという御要求がありました。これは、われわれといたしましては、初めからお断りいたしておつたのであります。初めから舞鶴擁護局は世話人の方々は森寮に、その他の方々につきましては、これは話合いが全然なかつたのでございます。その他の方々がおつきになつて来るというお話は全然なかつたのでございます。その辺の点につきましては、援護庁といたしましては、そういう方々を森寮におとめするということにしていない。御承知の通り、あそこは施設が非常に不完全であります。これは完全な施設ではございません。舞鶴市内の旅館にとまれないという場合に、やむを得ず人をおとめすることになつております。あの施設につきましては、きわめて不完全でありますので、これについては原則として人をとめない。どうしてもやむを得ないという約束をした者だけをおとめすることになつております。それで一応お断りしたのでありますが、いろいろ話し合いの結果、最後に、それでは見送りの人は森寮にとめてもよろしかろうということになつたのであります。あとでそういうふうになりました。  それから、食事のことにつきましては、これはいろいろ誤解があるようであります。私の承つておりますところでは、舞鶴援護局におきましては、局内の食事については、そういうふうに申しておりません。ほかの食事を時つて来まして、こんなものは食えるかという話があつたように聞いております。それで、あとで私の聞きますところでは、舞鶴援護局ではこういうものを食べさしておるのだと言つてごらんに入れました際に、これに対しては何らお答えがなかつたというふうに聞いております。これは、私は聞いておりますので、康さんは向う行つてごらんになつたのでありますから、私と康さんとの話は水かけ論になります。あとで十分ただいまの御意見につきまして調査いたしました上で、皆さんに御報告いたしたいと考えております。
  51. 高橋等

    ○高橋(等)委員 私は、昨日東京華僑総会の副会長の方の参考人としてのお話を承りまして、非常に実は不愉快な感じといいますか、われわれが考えておることとはるかに違う、特別の、曲つたと言つてはおかしいのですが、そういう気持を持つて発言された、しかもわれわれの政府のなすことがすべて悪意であるというような御発言があつたことについては、実に私は残念に思います。これは、帰国される人の皆さんがそういうお考えを持つてお帰りになつておるのかどうかということを康さんにお尋ねすることも失礼かと思うので、申しませんが、おそらく、この副会長さんの話は、私は一応個人の方の話として承る方がいいんじやないかと思うのですが、特に康さんにお願いしておきたいと思うことは、先ほど、権利であるとか義務であるとかいうような問題については佐藤さんがいろいろ話されましたが、安全に皆さん方に気持よく帰国してもらいたいということがわれわれの考え方でもあり、日赤を初め、大谷さんあたりが非常な努力をなさつておられた点で、完全に帰つていただきますために、遺骨をともにするか別にするかはデリケートな問題があつた。ところが、この安全に帰つていただくことについて、呉さんは、遺骨が乗ろうが何しようが、われわれはもう安全に帰れるにきまつているんだ、こういう前提のもとに立たれて、とにかく日本政府が故意に遺骨の問題をこじらかし、東京駅あるいは舞鶴において援護庁あたりが故意に問題をこじらかして、そのためにわれわれの帰国を遅らしているのだ、これは日本政府に悪意があるからだ、こういうような御発言がきのうは確かにあつた。速記にもあります。そういうことは非常にわれわれ遺憾にたえない。私たちは、とにかく、万一間違いが起つたら、あなた方の故郷におられる同胞方々にどうしておわびができるか、この重大な責任を考えるときには、どうしても安全に帰つてもらわなければいかぬということで、非常に苦しんでおるわけであります。舞鶴における問題、東京駅における問題等を考えますと、いろいろ誤解をしている。たとえば、貨物列車のあとへ箱をつけることが皆さんの方は不愉快だ。われわれ日本人の方では、貨物のあとについてもとにかく客車であれば、別にわれわれは何とも思わないのです。その思わないところをやはり不愉快に思われる。たとえば、関西側が舞鶴はどうも監獄のようなところだ、こう言つたことから行かなかつたという。監獄のようなところかどうかということは確めてみてもらいたかつた。そして一応入られても、出られるのですし、現に出ておられる。一応は入つたらよいのではないかと思うのですが、その他いろいろな手違いの問題があると思います。いずれにしましても、お互いに長い間日本の国でいろいろなうれしいこともあつたでしよう、悲しいこともあつたでしよう。私たちの側から言いましても、不愉快なこともあつたし、愉快なこともあつた。こうやつて長い共同生活をしたこのお互いが、ここでわかれて、皆さんは国へ帰られるのであります。そこで、われわれは非常に善意な立場で、先はど言いますように、気持よく帰つていただきたいということを考えておる。ところが、一部思想的な背景を持つ人々がその中へ入りまして、そうして皆様方にいろいろな扇動的難工作をやるということは、われわれは実に残念に思いますが、どうぞひとつ康さんから皆さん方に、われわれの善意のあるところを十分お伝えくださいまして、今後ともに仲よくやつて行かねばならない国々でありますので、気持よくお帰り願う、そうして一日も早くこの紛争をやめて御乗船になることを希望いたしまして、私の質問を終りたいと思います。
  52. 康鳴球

    ○康参考人 ただいま援護庁から食事のお話がありましたが、食事は間違いないのであります。食事が間違いないということは、所長さんが自分でその食事を見て、場所長さんが言うのには、それに魚がついておるはずだ。ところが、現実には持つて来たものにはついていない。その魚というものはだれか持つて行つてしまつたということで、事実その日の食事に魚がついていないことは確認されておつたのであります。  それから、この貨車の問題。この貨車に箱をつけることはけしからぬというのですが、これは華僑側から文句は一つも出ていない。要するに、華僑側から出たのは、乗り切れないから乗り切れるように連絡をしてもらいたいというお願いがあつただけで、あとのことはみな、そのときに見送りに来ていただいた日本人、なかんずく日僑――中共からお帰りになつた人が、これでは自分たちが送られたときと日本から送るときとの相違があまりにもひど過ぎるから、もつと改善してもらいたいというふうに言つたということを私は聞いております。  なお、呉副会長のきのうの発言について、皆さんが不愉快に思われたということは、私は非常に遺憾に思います。呉副会長は、ことしの五月初めて副会長に就任され、それまではまつたく東京華僑総会関係のなかつた者であります。ですけれども、この方は大陸出身者で、特に今日本にありまする大公使館とか領事館と何らかの関係を有するように聞いておりまするので、そのために、それら大公使館の気持、なかんずく帰国者の気持もよく聞いておられる。きのうの発言は、口まわしの不完全なために、そういうふうに解釈されましたけれども、自分としての理由はこうらしいのです。国民政府としては決して安全保障をしないとかいうのでなしに、結局は日本政府がそれを口実にしているということについて、彼は彼自身の理由で解釈を持つているようでありますけれども、これは何も議論する必要はないと思います。華僑総会としては、帰国華僑輸送についても、また遺骨送還についても、日本政府責任があるとか、あるいは義務があるということは考えておりません。むしろやつていただきたいとお願いするのみであります。
  53. 山下春江

    山下委員長 葛西日赤副社長より、三団体関係について記憶の薄れていた点を補足したいという申出がありますから、簡単に補足をしていただきます。
  54. 葛西嘉資

    葛西参考人 先ほど、十九日の晩東京を出るときに、遺骨を送る問題について三団体の間でどんなふうな了解であつたかというような御質問がありました。ざつと大体申し上げたことは間違いではなかつたのでありますが、今いろいろ大谷先生などのお話を伺つておると、少しはつきりして参りましたので、それを補足してひとつ申し上げさせていただきたいと思います。  大谷先生が非常に御尽力なつた、第六次船によつて送ることが最もいいという案、これは、私どもも、これがよいということで、持ち帰つて団体相談をしたのでございますが、そういうことで遺骨問題は解決したなあという話を三団体でいたしたことはあるのであります。ただ、東京駅へ送つて行きますときに、三団体人たちと一緒に乗つたときに、あれで解決できるかどうかわからぬぞという話を三団体の一人の人が私に車の中でしたことを覚えております。従つて、六次船でやる――六次船でやるということは、お帰りになるときには御一緒には遺骨は持つて帰れぬけれども、とにかく中国帰つて聞かれたときには、われわれのいる間にいろいろこういう問題ができたということで、大谷先生のこの案ならまずまずということで行ける案である、こういうことで、遺骨は一緒でないけれども、確定した話をおみやげにしてやるということは、三団体の間で話合いました。そうして私どもは、これでよいじやないかということを言つたことがあります。しかし、それが完全にそれで了解が得られるかどうかという点について、三団体の一人の人が私に車の中で、あれで行けるかどうか自信がありませんよという念を押されたことは記憶しております。  それから、もう一つ木村長官が言われた点につきまして、赤十字委託されておつた点に関連してですが、今の華僑総会との連絡につきましては、今長官からお話がありましたように、赤十字の方で連絡をせよというようなことで、見送り人その他の関係につきましては、当初華僑総会の方としましては、要求の事項としては、十五人について見送り人一人というような話がありました。それから、どうせいろいろ出国の手続等をします場合には、顔を知らないというようなことで、赤十字がそこでいろいろやるということはできないので、この人は何という人だ、この人は何という人だ、というようなことを言つて、そのところで調べなければならぬ、そういうふうな事務手伝いをする人と見送り人というものをわけて、何人にするかというような相談が実はありました。これは、華僑総会の陳さんとか、名前は忘れましたが、二、三人の人たちともいろいろ相談をしまして、そうして大体四十人ということで、政府の方はそんなにいらぬじやないかと言うけれども、四十人の人を汽車に乗せる、その汽車に乗せてやる切符は赤十字で世話せよということで、政府お願いして添乗証を出すということにし、そういう了解をもつて赤十字側は事務をやつたり何かする者を九名入局させる、合計で四十九名の人を入れて仕事をしてもらうというようなことで、大体そんなふうな話をして、そうして汽車の添乗証を出して乗つていただくというようなことで進んだのでございます。その以後は長官の言われた通りであります。
  55. 康鳴球

    ○康参考人 重大な解釈の相違について、一点注意されましたから、釈明したいと思います。私が昨日からきようにかけて申し上げておりまする日僑というのは、中国におられます日本人という意味で申し上げたので、これは日本共産党のことではありませんので、御了承を願います。
  56. 山下春江

    山下委員長 岡田春夫君。
  57. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 まず第一に伺いたいのは、外務省責任を負う答弁ができるかどうか。課長のかわりに来ておるそうですから……。
  58. 山下春江

    山下委員長 津田事務官にお尋ねいたしますが、外務省としての御答弁をしていただくのにさしつかえのない資格でおいでになりましたでしようか、どうでしようか。
  59. 淺田泰三

    ○淺田説明員 その通りでございます。質問に対して御説明申し上げます。
  60. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 それでは、いろいろな遺骨の問題のその後の発展についても御存じですね。責任を持つて答弁できますね。
  61. 淺田泰三

    ○淺田説明員 その点につきましては、現在進行中のものでございまして、私まだよく存じておらないのでございます。
  62. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 今委員長の言われたのは、――外務省の人だから、外務省として答弁できるのはあたりまえなんで、そうじやなくて、私の言うのは、問題がその後非常に大きく発展しているので、そういう問題を責任を持つて答弁できるかどうかということを伺つたのです。その点を答弁してもらわないと、この遺骨の問題の新たな発展を新しい立場から質問できないのです。今までのいざこざの問題は解決しちやつて遺骨の問題は新たに発展しているのだ。その問題について、あなたでは不十分ならば、至急その担当で答弁してもらえるような人に来てもらいたい。そういう点はどうですか。
  63. 淺田泰三

    ○淺田説明員 私、現在存じておる限りにおいては、責任を持つて答弁をいたします。
  64. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 それでは、あとで第五課長も来るそうですから、それまでほかの問題を伺いたいと思います。  まず第一に、これは遺骨関係ですが、大谷さんにお伺いしたいと思います。きのうの証言の中でもお話のように、花岡事件遺骨を何か荷物扱いにして向うの方へ帰すというような外務省の態度であつたようにわれわれは聞いております。特に、十二日であつたと思いますが、慰霊実行委員会代表外務省に行つたときに、遺骨については日赤の裁量によつてこれを捧持して行くことに対しては、外務省は関知しないということで、小荷物の制限キロ数を十キロふやして六十キロにした、荷物で持つて帰るなら、かつてに持つて帰つたらいいだろう、こういうような扱いにしたということを聞いておりますが、そういう事実がありますか。
  65. 大谷瑩潤

    大谷参考人 そのときは、今おつしやつた通りで、御遺骨として捧持団がついて興安丸の第四次船に乗せるということは、安全保障がとれてないからできない、しかし、華僑方々が、どうしても自分の同胞遺骨をこの際故国に持つて帰りたいという人間的な心情でお持帰りになるということならば、自分の持つて帰られる荷物とともにお持帰りになることには外務省としては何もさしつかえがない、こういう答弁であつたのでございます。そのために五十キロのものがもう十キロふえて六十キロになつても、これは万やむを得ぬであろうということであつたように聞いております。
  66. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 それに関連して、その翌日は、そんな荷物のような扱いをするのでは困るじやないかというので、再度交渉をされたときに、外務省のある局長――名前は私言いませんが、ある局長は、帰国する華僑は歯みがきや歯ブラシを持つて行くじやないか、それで、そういうことで適当に考えたらいいじやないか、――いかにも歯みがきや歯ブラシと一緒に遺骨の扱いをするかのごとき答弁をされたという話も聞いておる。こういうような事実があつたかどうか、この点もお伺いしたい。
  67. 大谷瑩潤

    大谷参考人 今の、御遺骨荷物として持つて行くというような点に対しましては、われわれ実行委員会としては絶対反対したのであります。数年間仏教徒がこの御遺骨を奉安しまして、毎年御命日には丁重なる法要を営んでお守りをして来たにもかかわらず、そういう形で手荷物としてお持ちになるというようなことは、われわれ仏教徒として絶対に反対いたします、こう申し上げたのでありまして、それには外務省も別にお答えは何もなかつたわけであります。それから、そのあとで、歯ブラシとかなんとか言われたというようなことでありますが、ちようど私、そのときは、ほかの方に用事がございましたので、その席に列席いたしておりません。ですから、はたしてそういうことを外務省の方が言われたかどうか、私存じません。
  68. 木村忠二郎

    木村(忠)政府委員 先ほど五十キロ、六十キロのお話がございましたが、五十キロは、中国の方で日本人が向うから帰つて来る場合に無賃にしてくれたのが五十キロであります。日本政府最初から六十キロ――三十キロが一個の限量で、それが二つ。六十キロに最初からいたしております。
  69. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 それで、二、三、これはあまり時間をかけるといけないので、能率的に伺つて行きたいと思いますが、昨日の参考人の御証言その他によりまして、特にこれは康さんにもお伺いしたいのですが、花岡事件による遺骨というのは、きのうのいろいろな御説明によつても、これは当法、俘虜を虐待したために起つて来た事件として、日本所府として送還しなければならぬ義務があると私は思う。こういう点について、きのういろいろ詳しい話があつたのですが、中には八路軍もいるからこれは相手にできないのだというような意見もあつたそうであるが、私の調べた限りにおいても、国民政府の正規軍もずいぶんいるわけです。こういう人たちは、八路軍にしても国民政府軍にしても、どちらにしても、これは当然軍隊であり、捕虜なんである。この捕虜をそういう虐待をして、そのために軍法会議も起きておるというのが事実であつて日本政府としては、当然この遺骨を集めて、そうしてお帰しをしなければならぬ私は義務があると思う。ところが、この点については、今聞いた限りにおいては、日本政府としては全然知らぬ顔をして、ほおかむりをして、大谷さんの話によると、法要の際にも、いつも日本政府代表は法要もしない、ほうりつぱなしの態度でやつておるというような点を実は伺つたわけです。こういう点も、私は、国際法的に見ても、そういう俘虜を虐待したための遺骨ならば、お帰しをしなければならぬ義務日本政府にあると考えておりますので、この点いかがお考えになつておりますか、もう少しお伺いしたいと思います。
  70. 康鳴球

    ○康参考人 東京華僑総会としては、今の段階においては法律的に申したくないような考えを持つているのであります。それは、日本政府とわが国との間の関係からでありまして、かりに日本政府において義務なり責任なりがあるとしましても、そういうことを主張する根拠において、円満に行けばいいのでありますけれども、もしそれがためにかえつて感情的になると困ると考えるがために、もちろんわれわれは今までお願いしたいという態度であつたのであります。さらに、虐待、虐殺等のことについては、これはすでに軍事裁判において明らかにされているのでありますから、間違いないと信じております。
  71. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 今度遺骨として向う送還されろのは約五百柱以上ですね。
  72. 康鳴球

    ○康参考人 そうです。
  73. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 それで、それだけですべてじやないと思うのです。大体遺骨として集め得る可能性ありと実行委員会あるいは華僑の方でお考えになつている見込み数はどれくらいになつていますか。
  74. 康鳴球

    ○康参考人 東京華僑総会の得た、確実な証拠と考えておりますのは、日本政府の調査によるもだけでも確かに遺骨は七千あるというふうに記憶しております。
  75. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 現在まで民間団体として遺骨を集められたのはどれくらいありますか。
  76. 康鳴球

    ○康参考人 現在東京華僑総会慰霊実行委員会の手にありますが、花岡関係――秋田関係が五百六十、新潟関係が百四十七送られて来ております。それから、横浜にたしか百六十三あると記憶しております。
  77. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 そうすると、約六千近くのものがまだ集まらないことになるわけでありますが、これは当然集めなければならないのだし、これを集めるためには、華僑総会あるいは慰霊実行委員会の方で、残る六千のものを民間団体だけでお集めになる自信というか、そういう見込みがおありになるか。その際やはり政府に積極的に協力を要求して、政府自身がこれをやるべきじやないかと思うのですが、こういう点について華僑総会並びに慰霊実行委員会からのお話をお伺いしたいと思うのです。
  78. 大谷瑩潤

    大谷参考人 昨日も申し上げました通りに、これに要します費用が非常に伴いますので、この点に対しましても厚生大臣に直接お願いをいたしましたのでございます。しかし、厚生省としてもそういう予算はお持ちにならないそうでありますがために、結局日赤の方に責任を持つていただいて、その費用を出すようにいたして参ろうということにお話をいただきまして、日赤社長さんにそのことをお願い申し上げてあるという程度であります。なお、あとの六千体というものは、実はこのリストは華僑総会の方でお特ちになつていて、実行委員会の方にはないのであります。それを写さしていただいたものは、私ここに持つておりますけれども、これがはたして確実にどれほどどこに埋葬されているかということになりますと、やはり華僑方々にも協力を求め、日赤さんの方にも協力を願い、政府の方にもいろいろ便宜をはかつてもらい、みんなに協力していただきまして、中にはずいぶん寺にそのままに奉安してあるものもあるようでありますから、そういうような宗教方面にも協力をしてもらいまして、そうして誠意ある方法でこれを集めて参るということよりほかに方法はないのではないか、かように考えております。
  79. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 これは、われわれの考えから言えば、当然政府に全面的にやつてもらわなくちやならないことだと思う。日赤の方では、予算もずいぶんいろいろな面にお出しになつているわけで、そつちの方にもどんどんお出しになることを御了承になつたのだろうと思います。政府の方から別段日赤として予算ももらわなくても、そういうような遺骨の収集について十分予算があつて、おやりになるお見込みがあつたから承諾されたのだろうと思いますが、副社長もお見えでしようから、この点ずばりとお話を願いたいと思います。
  80. 葛西嘉資

    葛西参考人 大谷先生からそういうお話があつたのは、先生のおつしやる通りでありますが、日赤もなかなか経費多端でございまして、政府なり、いろいろな方面から御援助を願わないと、ただいま収集に要する経費は、ざつと見ても、どんなにやつても百五十万以上かかるだろうということなので、そういう金はちよつと出す余裕がないのが現在の日赤の財政の状態でございます。従いまして、政府なり何なりから御援助を仰ぐとかなんとかいうようなことでありますならば、ひとつ私どもの方でも、事柄がそういうことであるから、一緒にお手伝いを申し上げます、こういう状態になつております。
  81. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 そうすると、日赤としてはその金がない。とすれば、当然厚生省から出してもらわなければならない。そこで、きようは厚生省の引揚関係の人もおられるのですが、中山さんは大分さつきから黙つて聞いておられて、たいくつでしようから、(笑声)ひとつ答弁していただきたいのですが、これは単なる事務関係ではないので、またきようおいでの方の中では、中山さんは政府委員として一番上の人ですから、厚生省としてもはつきりとした処置を講じていただくように、あなた御自身としても努力されるお考えがあるかどうか。――厚生省としてその措置を講ずる余裕があるかどうか。
  82. 木村忠二郎

    木村(忠)政府委員 一応事務的に御説明申し上げます。遺骨の問題につきまして厚生省で金を出せというお話でございますけれども、私ども引揚援護庁で、厚生省そのものではございませんが、厚生省の現在の職務権限というものの中には、骨を拾つて集めるという権限は全然入つておりません。従いまして、日本政府といたしましてどこでやるかは知りませんけれども、厚生省がいたさなければならないということにはならない。どこでいたさなければならないかということは、私は存じませんが、事務的に言いますと、厚生省ではこれをしなければならないということには職務上なつておらないということを申し上げておきます。
  83. 中山マサ

    ○中山政府委員 ただいま事務的にお話がございましたが、私、考えますに、わが同胞の骨も相当中共にあるだろうと思うのであります。わが同胞を帰していただいたと同じように中共からもまた骨が参りました節には、十分この点も考えて行かなければならぬ、――いわゆる、こういう立場にあるわが同胞を帰すから、そういう人も帰したがよかろうという道義的観念によつてこれを行われるということになりますれば、私ども同胞の骨が帰りまずような予算を、向うでとつていただいて、また、まだ多々あると思います生存者もあることでございましようから、その際に私どもは考えてもおそくはないかと、こう考えております。
  84. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 それでは、あなた御自身としては、遺骨に関する予算の問題については今のところ考える必要はない、こういうお考えなんですね。そのときになつてから考えよう、向うの方で遺骨を出そうというときまでは私は考えないのだ、というのですか。
  85. 中山マサ

    ○中山政府委員 御案内の通り、まだ暫定予算々々々々で今行つている立場でございますので、まあ予算を審議いただくお方様方に御相談を申しまして百五十万円の予算がとれれば別でございましようけれども、今のところでは、暫定予算で行つています関係上、お金がなければ、これもできない。日赤さんの方も責任は感ずるけれども金がないということですから、これは方々相談して、できるときにさせていただこう、こう考えております。
  86. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 中山さんによくはつきりしておいてもらわなければならぬ。議員は予算の提出権はないのですから、政府が予算を出さなければ、われわれに出せと言われても出せない。この点をはつきりしてもらわなければならないのです。だから、あなたも、政府の一機関として、政府自身がそういう予算を出す考えがあるかどうかということを私は伺つておる。  第二の点は、今南方あるいはアツツ、キスカ方面、あちらの方へ遺骨をとりに行こうというような動きがあるようですが、これはどこの所管ですか。
  87. 木村忠二郎

    木村(忠)政府委員 この仕事引揚援護庁がいたしております。これはなぜいたしておるかということは、従来陸海軍の戦没者の御遺骨は、その送還、つまり持つて帰りますことは陸海軍当局がいたしておりましたが、その仕事を復員局が引継ぎましたので、従いまして、現在では復員業務の一つといたしまして復員局がやつておるということでございます。
  88. 中山マサ

    ○中山政府委員 ただいま、政府が予算を出すから、これは政府責任だ、こういうことをおつしやいましたが、むろん予算を提出するのは政府責任でございますけれども、これと議員は何も関係のないことはないのであります。予算委員会が存在しておるということは、政府が提出いたしましたこの予算案を修正する権利が各議員に与えられておるのでございますから、あなたの党からも必ずや予算委員が出ていらつしやることと思いますから、どうぞ、十分に御審議の上で、修正すべきところは御修正をくださいまして、目的にお沿いくださいますようになさることを希望いたします。
  89. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 そんなABCみたいなことは言わでもわかつております。国会に委員会があることはだれでも知つておるじやありませんか。だからみんな委員会に集まつておるのです。そんなわかりきつていることは言わぬでもいい。あまりつまらぬことは言わぬでおきましよう。  次に、私は伺いますが、遺骨の問題に関連して、ちようど鶴見第五課長が見えられましたので伺いますが、遺骨送還については新しい発展をしておるようであります。この問題がこのようにもめたということ自体、ざつくばらんに言うと、日本政府が、今まで言つたことについて、こうしましようと言いながら、あとになつて話がかわつてしまう。特に外務省はもそういう事実が二、三あるのでありますが、私は今そういうこまかいことは言わない。しかし、今度新たに何とかいう船で遺骨をお帰しになる方針をきめられたということであるならば、ここではつきりお話願つて、それではつきりしてくれれば、今度のこの問題の解決も急転直下解決できると思う。そこで、この点について詳細に第五課長から御答弁を願いたいと思う。外務省としての責任のある御答弁を願いたい。
  90. 鶴見清彦

    ○鶴見説明員 この点に関しましては、三団体代表の方が二十二日の夕刻に国会内で外務大臣に面会されまして、その際に外務大臣が、今度の赤十字船遺骨を乗せて行くことについては特別の関係で非常に事態が憂慮されるから、別の船でお送りすることにしたいということを言われたと私は承知いたしております。その大臣の言明に従いまして、私ども事務的に、それでは具体的にどういう船がいつごろの時期に出し得るのかということの検討を命ぜられまして、昨日午後、船の方を所管しておられる運輸省の事務当局と連絡いたしまして話をした結果、もうすでに御承知かと思いますが、東海汽船の黒潮丸という、現在八丈島航路に就航しております貨客船でありますが、それが六月二十八日に東京港に帰つて来る。それから以後、七月の二日、三日ごろには、門司から、現在判明しております約六百体近くの遺骨輸送して中国の大陸の方へ持つて行くことができるということも連絡ができましたので、その旨を昨日日本赤十字社の方に伝えたわけであります。さらに、この七月二日ごろに黒潮丸によつて遺骨を還送するという際の具体的な実行計画と申しますかは、現在検討中でありまして、これも至急に関係のところと連絡いたしまして、進めたいと考えております。
  91. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 七月二日に第一回として送還する計画の概略は一応わかつたとしまして、先ほどいろいろ参考人から御証言を伺うと、これだけで遺骨送還は終りじやない。あと全部集めれば六千人になるわけなんで、第一回としては、とりあえず現在あるものをお帰しするので、そのあとあとは、集つて来れば、当然政府としてはこれをお帰ししなければならないことになつて行くと思うのですが、これについてどういうふうにお考えですか。
  92. 鶴見清彦

    ○鶴見説明員 その点に関しましては、私まだ上司の方の指示を得ておりませんし、どういうふうに事が運んでおりますか、現在申し上げられません。
  93. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 だから、もう少し責任のある人に来ていただきたいと言つたのだけれども、それじや話にならないのですが、まあいいでしよう。  その次に、日赤の副社長葛西さんにお伺いしたのですが、二、三日前の委員会の際、引揚援護庁長官は、今度の華僑帰国は、日赤に船も一切まかした、日赤が船をチヤーターして、日赤がかつてに――簡単な話が、日赤の責任において帰すんだ、こういうことを言つておられる。そこで、日赤は、その場合に公海上の安全の保障問題が出て来ると思うのです。安全保障については、私もいろいろ聞いおりますけれども、この点については日赤としてどのようにお考えになつておりますか。
  94. 葛西嘉資

    葛西参考人 今お尋ねのありました安全保障という点は、たくさんの人を積んで行くことでございまするので、この問題の一番大事な点であつたのでございます。その点で外務省当局といろいろ御相談をしたり、あるいは御意見を聞いたりいたしまして、この程度ならよかろうということで、お引受けをすることになつたのであります。先ほども申し上げましたように、今月の十三日の理事会等町にも今の問題が出まして、これは安全と思う、――もし万一というふうなことがあれば、赤十字政府その他にいろいろと責任を負わなきやならぬというようなことで、これは安全といつてもいろいろありますが、とにかくわれわれ考え得る程度の最も安全な方法――赤十字船になつたのも、そういう点からだと思いますが、私ども万全を期しまして、まずこの程度の安全率をもつてやれば、赤十字政府委託を受けてやり得るというところまで結論をしたわけであります。
  95. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 これは、われわれも今後ぜひとも安全に帰つていただきたいということを望んでおるし、安全であろうかと思いますけれども、しかし、事故というものは今から予測のできることじやないのですから、やはりこの際万が一ということも、責任を負われた限りにおいて考えなければならぬと思うのです。そうした場合、万が一ということになると、責任を当然日赤が負わなければならない。こういう点は、日赤の責任においてやられるという際には、最悪の事態も一応考えてやらないといけないと思うのです。特に民間の団体として、そういう最悪の事態においても責任を負われてやられるというようなことを、理事会なりで、そういう点でも決定をされて正式におきめになつているのですか、どうですか。
  96. 葛西嘉資

    葛西参考人 重ねてのお尋ねでございますが、私どもは、さつきも申し上げましたように、この点は非常に重要な、一番大事な点だと考えております。従いまして、遺骨を第四次船に乗せることはむずかしいということで、私ども、先ほど御説明しましたように、大谷先生の六次案がいいということを何と言つても主張したのは、もつぱら安全保障という点からでございました。理事会等におきましても、万一の場合があるということを予想しまして、これは政府の方にも緊密に連絡をして、まずこの程度なら赤十字責任を負えるということで、やつたのであります。
  97. 山下春江

    山下委員長 岡田委員ちよつとお諮りしますが、非常に時間が遅れていて、他にまだお二人おりますから、簡単にお願いします。
  98. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 簡単にやります。  先ほどの葛西さんの証言の中にもあつたのですが、華僑帰国の問題については、これはきのう、実際に北京に行かれて、向うで共同コミユニケあるいはその他の問題について具体的にきめて来られました平野さんからも、具体的にお話があつたのです。あなたはおいでになつておられないけれども、工藤さんや社長がおいでになつておられますので、伺いたいのですが、華僑帰国問題は、これは当然三団体責任を持つてやるべきものと考えるべきだと私は思うのです。ところが、先ほどの葛西さんのお話では、対外的には三団体、対内的には政府が日赤と言つて来たという、きわめて複雑微妙な関係にあるというようなことを言われております。しかし、これは本来対外的な問題が主体なんであつて、海を渡つて向うへ行かなければならないという関係から言つても、国内的な規制だけで問題を解決すべきじやないと思うのです。特に赤十字船ということになつて、船が日赤だけに委託されたということになつて参りますと、国内法の及ばざる範囲の関係にまで当然及んで来るわけですが、その場合、当然これは三団体責任を負つてお帰しをするのが筋じやないかと私は思う。これは、北京のあの会談、その他の前後から見て、これが筋じやないかと私は考える。先ほどのあなたのお話等を聞いてみても、そういうように私は考える。それなのに、何ゆえか知らないが、政府が二団体は除外して日赤だけにこれをまかせるのだというやり品をとつているのは、私は理解に苦しむのですが、何か、きわめてデリケートな関係でございまして、ということだけでは、私たちはちよつと納得が行かない。特に、これは対外的な問題としては公的関係ですから、内輪の方はこうでございますから、なんて言つても、話は通らないと思うのです。こういう点を、もう少し具体的にお話を願いたい。
  99. 山下春江

    山下委員長 ちよつとお諮りいたしますが、大谷参議院議員は、十二時半からの委員会で呼びに来ておるそうでございますが、大谷参考人に対する御質疑はもうないでございましようか。大谷参考人にお帰りを願つてもさしつかえないでございましようか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  100. 山下春江

    山下委員長 それでは、大谷参考人にはまことにありがとうございました。
  101. 葛西嘉資

    葛西参考人 重ねてのお尋ねでございますが、政府から委託を受けたのは赤十字社でございます。しかし、赤十字社委託を受けて送るということになつて参りますると、今の港の関係なり、あるいはまたいろいろな点で、これは赤十字社ひとりだけで強がつていてはできないことでございますので、私どもは、他の二団体の人に非常な強力な御協力お願いして、その御協力でやつて参りたい、こういう建前であります。ただ、電報を打つとか、そういうときは、これは三団体で一緒に打たなければなりませんので、同じ責任を負つてもらつておる、こういう関係だと私は了解いたしております。
  102. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 ちよつと、私の質問が悪かつたのですが、具体的に電報を打つたり何かするのでも、公的な関係は当然三団体なんでしよう。とすると、政府が日赤だけに頼むというような方法をとらなければいいじやないですか。大筋とすれば、三団体責任を負うという形になつていた方がいいのであつて、北京会議のいきさつから言つても、そういうことになつて来るのじやありませんか。それなのに、日赤だけに頼まれて、そしてなおかつ公海上の安全保障まで日赤が心配されて、そうまでして日赤がやらないでも、三団体が今までの北京の打合せの精神に基いてやつて行けばいいんじやないかと私は思う。それを、ことさら日赤だけが責任を負うと言われなくてもいいのじやありませんかと、私は申し上げたのです。
  103. 葛西嘉資

    葛西参考人 今岡田委員のお尋ねですが、昨日代表団の一員であつた平野さんからどういうお話があつたか、御無礼をして、聞きませんでしたが、ただ、同じ代表団であつた団長の島津さん、外事部長の工藤さんから聞いたところによりますと、この問題は、一番最初に申し上げましたように、一応の議題が済んだあとで、在日華僑もひとつ帰してもらいたい、この問題は特に日に赤依頼したということで在日華僑関係は共同コミユニケにも書いてないわけであります。そういうようなことで、政府が日赤に委託する、しかし、私どもは、これをやる場合には、日赤単独ではとてもできませんので、御協力願つてやる、こういうふうな建前でやらざるを得ない。こういうふうになつておるわけでありますが、日赤の責任でやる、こういうふうなことで進めているわけであります。
  104. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 それじや、時間もないようでありますから、次に進みますが、先ほど大分華僑舞鶴におけるいろいろな関係が出たようですが、こういう関係は、国内の援護も日赤にまかしてあるということは、たしか二、三日前の長官の答弁にあつたようです。そうすると、食事の関係その他は、やはり日赤の責任においてやつておいでになるのか。
  105. 葛西嘉資

    葛西参考人 その関係は、政府が直接いろいろやられる業務があるわけであります。そういうことで、食事かなんとかということは、赤十字ではございませんで、政府の方の、援護庁の系統でやつております。ところが、入るまでの問は、華僑に対する支払いの事務便宜ども委託されているわけであります。おとなには一人一万円、子供には三千五百円を帰国雑費というような形で出している。これは、いろいろなしたくもありましようが、途中で弁当などを御自分で買うというようなこと。その事務をこまかくわけますと。今のように、金を支払う事務委託するというようなこと、それから、船をチヤーターして向うへやる、これは赤十字船としてでございますから、赤十字日本郵船等と契約して、その船を借りる、経費は政府が直接支払うから、無料で赤十字が借りるというような契約をして、政府と緊密な関係赤十字船を仕立てている、こういうかつこうであります。
  106. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 これで終りますが、どうもいろいろ話を聞いていると、役人というものは、自分の所管の関係のことについては、その責任については十分やつておりますと言うが、都合の悪いところは、ほかの省の関係でしようと言つてしまうというようなことですが、実際問題として出て来る遺骨送還の問題、華僑帰国の問題等については、これは日本政府責任がないとは私は言えないと思う。特に、先ほど何か、法律的には出入国管理会等によつて中国人は一応帰つているのだから、このあとはむしろ恩恵的にやつているんであるから、ぐずぐず言うな――そういう意味ではないにしても、と言わんばかりに聞えるような節のお話もあつたんだが、しかし、実際に中国から帰つて来る場合でも、法律的に一応日本の捕虜の物合には帰つているわけでありますが、そのあとは好意によつて向うから集団的に帰国させてやろうと言つている。こちらもやはりそれにこたえるだけの好意をもつてやらなければならないと思う。特に、中国関係は、われわれの聞いている限りでは、向うから帰つて来ている日本人はいろいろな点で待遇をされておるじやありませんか。たとえば、招待所というようなホテルの中でいろいろな待遇を受けている。ところが、これに対して、日本政府の側で今度やつていることは非常に不十分だと思う。やはりこの際日本政府の側としても、それに対応するようなやり方をしなければ、私は日本としてはずかしいのではないかと思う。ざつくばらんの話が、こういうところについても、やはり今後の問題として十分努力していただきたいと思うわけです。  いろいろまだ質問があるんですが、はかの人に迷惑をかけるといけないので、これで私の方は終ります。
  107. 木村忠二郎

    木村(忠)政府委員 今の御質問は、われわれといたしましても、大体先方でいたしました処遇をやることにつきまして何ら異存があるわけではないのであります。私たちが帰国者全体から承つておりますいろいろな状況――帰国者の中には、向うで留用されておつた人もあります。政府機関にとめ置かれた人も相当あるようであります。それらの方々に対します処遇というものと、そうでない人に対する処遇とは異なつております。いろいろな処遇があつたわけでございますが、それらの処遇を参考にいたしまして、日本政府としていたすのが適当であろうと思いますことをいたしているわけであります。招待所に相当すをものといたしまして、従来日本の引揚者がこちらに帰りましたときに処遇いたしております舞鶴引揚援護局におきまして、宿泊並びにこれに対する給食をいたしておりますし、それから列車等につきましても、乗車券はこちらでもつて発行いたしまして、無料で乗せる、貨物につきましても、先方では五十キロでありますが、私の方は六十キロということにいたしております。それから、帰ります船の船賃並びに船の方の給食というものは、先方は日本の負担にいたしておりますけれども、われわれの方ではこれは日本政府でもつて負担して向うへお送りするようにいたしおります。従いまして、私どもといたしましては、別段酷遇したとは思つていません。  それから、先ほど、今までに日本政府責任は出入国管理会でとおつしやいましたが、出入国管理令は何ら関係がないのであります。それは、前のスキヤツプの命令もありまして、そのときに早く帰すようにということで、ああいう措置がとられたのであります。それでもつて一応は済んでおるのではないかと考えますが、今回それだからほうつておいていいというのではないと思うのでありまして、みな人道的な立場から、お帰りになりますことを御援助しなければならないということを考えまして、われわれとしては御援助申し上げている次第であります。  なお、誤解のないように申し上げておきたいと存じますが、この問題につきまして、従来日本政府は、華僑向うにお帰りになります場合に、何らこれに対する阻害行為はいたしておらないのであります。この点につきましては明瞭に申し上げておきます。
  108. 受田新吉

    ○受田委員 時間が迫つておりますので、ごく簡単に質疑をいたします。平野さんと阿部さんがいらつしやらないので、関連したお尋ねができないのですが、新たに葛西さんがおいでになりましたので、葛西さんに、ことにあちらのコミユニケの問題とその後における遺骨問題との関連質問したいと思うのです。  きのう平野さんは、私の質問に対して、コミユニケにはうたつてないが、あちらの交渉の際に日本側の代表者よりこの遺骨及び華僑送還については特に好意的に申し出た、そうしたら、向の方もそれを歓迎してくれた、その際の話合いには、今の二つの送還については、こちらの三団体、特に日赤とうたつておられる、それで、別に日赤だけという意味ではなくて、三団体が原則であつて、それに色がちよつと日赤についておる程度だということで、この点は何回も繰返してお答えがあつたのです。そしてその際に、三団体が国内の問題を取扱うのが原則であるのだから、日赤がそれをやるということは不当であるという意味のお話があつたわけです。きようの葛西さんのお話では、日赤が国内、対外的には三団体というはつきりした区別があつたのですが、私は、この点、日赤としても、こういう重大な代表でいらつしやつたのでして、民間代表であつても、国から金が出、国民を代表する意味で中共地区の残留者にお帰りいただくという重大な使命をもつてあちらへいらつしやつたのであるから、その責任としても、政府に対しても国会に対しても、また国民一般に対しても、あとからごたごた問題が起らぬように、はつきりした線を打出して、帰国直後に帰朝報告として経過報告をしておかれる必要があつたのではないかと思うのです。ことに六月六日になつて初めて遺骨の問題を政府に正式に申し出られたと、きのう平野さんのお話があつたのです。もう三月にお帰りになると同時に、はつきりしたあちらでの申合せを記録にとめて、三団体責任者がこれをはつきりと確認して、なぜ書類としてお出しいただかなかつたか。これが今日こういう問題を起す大きな禍根であると私は心配いたしておるのでおりますが、いかがお考えでありましようか。
  109. 葛西嘉資

    葛西参考人 コミユニケと今度の遺骨ないし在日華僑の問題ですが、これは、昨日平野さんがどういうふうな御説明であつたか存じませんが、私ども向うへ行つた島津団長並びに工藤外事部長から聞いたところでは、やはり今回の会談は昨年十二月一日の北京放送から始まるわけでありまして、この問題は、日本人で中国にいる人を今度帰すという問題だけが議題の中心であつた、共同コミユニケにもそれだけがある、たまたま代表団が向かうに行つてつたので、そういうようなことを御依頼になつた、こういうふうに私ども聞いております。そういうような了解をしているわけであります。そういうことで、委託関係等は先ほど申し上げた通りなのです。これは、気持の上から申しますれば、今の事務委託とかは、もつぱら法律的といいましようか、そういうような厳格な意味ではつきり打出したわけなのでありますけれども、ただこれも二団体はもう知らぬのだ、赤十字だけがやるので、お前らはほうつておくというような態度は、今日までも一度もいたしてありません。従いまして、両団体意見がまとまるまで、六月六日から今日まで――私のことを申して失礼でありますが、私は十二時前に帰つたことは一度もありません。三時、四時になりますことが数回ございます。それくらい二団体の人と協力してやつているのでありますが、この関係は、表現はどつちでもいいようになりますが、一生懸命やつてもらつている点は、これは私は、特別に日赤だけがやつて、二団体はこうやつているというような感じは持つておりません。一緒になつてやらなければならぬということは、電報打つだけと申しますけれども、あるいは華僑方々の問題から言えば、赤十字だけで治めるということはできません。そういうことになると、自然常時緊密なる連絡も必要になるし、非常な協力願つているということは事実であります。そういう意味で、平野さんなりほかの二団体の人の御協力をいただいているし、また心持の上ではぜひそういうふうに今後もしていただかなければならぬと、私は確信をいたしております。ただ、契約というふうなことになりますると、これは、政府が御決定になつたの赤十字委託するということで、赤十字社がこれを受けるかどうかという点を決定して、二団体人たちも、赤十字が受けて赤十字の船で出すというのは、これはまた御異議がないわけであります。ですから、何といいますか、実際問題とすれば三団体とほとんど一致してやつている、こういうふうに御了解を得て私はさしつかえないと思う。  それから、今日こんなごたごたが起きたのは、使節団が帰つてからほつたらかしにしておつて、六月六日になつて初めて問題が起きたという意味の――違つておれば、あとで訂正いたしますが、そういうふうに私は印象を受けたのでありますが、私はそういうことはないと思います。最初の報告の際にそれは言えなかつたけれども、その後私は、大臣にも外務次官等にもお会いし、引揚援護庁長官には毎日々々わあわあとやつておりました一厚生大臣にもお目にかかつており、やつておる。しかし、なかなかむずかしいというようなことで、初めて問題が赤十字船ということになり、これは国府の関係もいろいろあつて政府赤十字船でやる、そのやり方はどういうふうにしてやるかということを、数項目にわたつて政府で御決定になつたのが六月六日、それから実際の問題が起き出したというようなことであります。従いまして、遺骨の問題にしましても、在日華僑の問題にしましても、使節団が帰りましたのは三月十月でありましたが、そのころから常に、これは私どもも使節団も加わつて、日赤社長にも外事部長にも、二団体の人にも、そういうことで御心配を願つてつたので、そういうことをやらぬで、突然六月六日に起きたわけじやない。もう長い間の折衝で、外務省等にも、いろいろ外交上の交渉等もその間になすつたように漏れ聞いております。
  110. 受田新吉

    ○受田委員 私は、お帰りになられた直後に、あちらでの会談の内容等を詳細に日本政府並びに国会、国民各位にこれを記録としてお出しいただきたかつた。そうでないと、あそこでどういう申合せをしたのか、コミユニケは情報としてこちらに入つておりますが、そのほかには詳細にわかつていない。政府遺骨のことでどうということは、国民は承知していない。国会でもそのとき論議になつていなかつた。しかも、六月六日ごろになつて初めて正式にそれが取上げられて、大問題であるということで、国民の知らざる間にこういう問題が紛糾しておるようなことになつておるので、この点、向うでの会談の筋というようなものを、はつきり記録にして、三団体が確認をして、その書類が政府の方にも国会の方にも出て、われわれの方にもそれがほしかつた。そうしないと、あとから、三団体特に日赤という意見が出たり、国内的には日赤、対外的には三団体というような解釈が出たりして、非常に国民を迷わしておるし、きのうときようの三団体代表の方のお言葉を聞いても、その間の統一を欠いているのです。こういうふうに、あとからごたごたが起らぬように、はつきりと記録をとどめて、それが政府にも出ておるかどうか、何かそこで、帰朝報告のような形で、国費で出られた責任において何らかのそうした状況報告はされておるかどうか、これを最後に確かめておきたいのであります。
  111. 葛西嘉資

    葛西参考人 私は、代表団の一人でございませんので、代表団がどういう報告をしたかということは、この際知りませんが、口頭なり、あるいはまた外務省方面に公文的な参書面をもつて、いろいろなことを願いしたりしたことはあります。ただ、今お話のように、国民全体に、かようなことがあつて、かようないきさつになつているということは、私の承知している限りは、赤十字社でも、他の二団体でも――二団体のことはよく知りませんが、赤十字社に関する限りはやつておらぬのでございます。
  112. 受田新吉

    ○受田委員 三団体代表で出た方々意見が一致して国民に報告されていなければならないのです。それがばらばらにされておる。きのう平野さんの説によると、遺骨のことで正式に外務省交渉を始めたのは六月六日だというようなお話もあるし、そこで、何だか帰朝後の怠慢をきのうはおわびしておられたようでありますが、こういうところは、三団体の共同責任において、確認した意思表示が願いたい。これがとにかく紛糾の一番の原因になつていると私は思うのです。その点を、もう一度よく御相談をしていただいて、三団体代表者として出られた方々向うでどういうような確認をして帰られたのか、それを国会にもはつきり意思表示をしていただきたい。きのうの平野さんのお説とあなたのお説とが違つておりますので、これをもう一度三団体代表者によつて国会にきちつとした線で御発表いただきたいと思うのであります。  それと、二団体代表が突如として乗船を拒否したのでありますが、この二団体代表者のとつた行為は、きのうの平野さんのお話では、別に三団体関係なしにやつたようなお話があつたのですが、日赤の場合は三団体との連絡の立場もございましようが、乗船代表は日赤の代表として出ておられますか、あるいは別の資格で出ておるのでしようか。
  113. 葛西嘉資

    葛西参考人 今の国費を使つて行つた代表団が国会なり政府なりに報告をしないというふうなおしかりでございますが、私どもはむしろ、六月六日までの間に、使節団として行つた二団体方々も、すぐやはり実情政府の方へ言つておいてくれればよかつた、こうすら実は思つてつたのであります。私どもは、外務省なり政府なりに、ほんとうに何回も打合せをいたしております。その都度、政府の報告はこうだというわけで、帰つて団体に報告をいたしております。  それから、二団体代表乗船拒否の問題に関連して、どういう資格かということでありますが、これは、御承知のように、共同コミユニケには、さつきも言つたように、中共の赤十字との連絡並びに船に乗つて帰つて来る日本人たちの世話のために三団体から一人ずつ代表を出して、それが船に乗つて来い、こういうことが共同コミユニケに載つておりますので、乗つて行かなければならぬと思つております。そこで選ぶのですが、これは赤十字代表でも何でもございません。それぞれ三団体代表です。赤十字赤十字責任においてこれを選んで、お互いに通報し合つて、三団体の名において向うに出します。それから平和連絡会平和連絡会日中友好協会日中友好協会責任においてその代表を選んで、そうして乗つておるのであります。従いまして、だれを選んで来るかということは、選ばれて来るまでわかりません。今日まで赤十字が他の団体代表について容喙もしたことがありませんし、それから文句を言つたことももちろんありませんし、出て来るまで知らぬので、出て来たのをそのまま出しておる。これは赤十字というものと他の団体との性格が若干違うようなこともありまして、お互いに自主的に選ぶ。その点について何らの打合せもなしに選んだ。当初一回、二回、三回までの間は、きまつたら行くまでに打合せをしようじやないかということにもなつてつたのですが、それを実はいたしておりません。しかし、一回、二回のときに、大分向う行つているいろいろな事務上の不都合等もありますから、一ぺんやつてみるかということで、きまつたあとで打合せを一回やつたことがあります。そんなような程度で、これは全然別に選んで、その別に選んだ三人が船で初めて顔を合わすというような状態です。
  114. 受田新吉

    ○受田委員 各団体の性格の違いという、ことにもなるわけだと思うのですが、とにかく、すでにこちらからこの四つの船を出して、あちらの同胞にお引揚げいただくということになつたものが、しかも実行委員会はつきり了解がついたものが、突如としてこの二団体乗船拒否という事態となつて現われたということは、これは残念だつたのです。しかし、昨夜それが一応解決しておるので、きのうであつたら大いに論究するところだつたのですが、きようは非常に喜ぶべきことであるので、その方のお尋ねを終ります。  ただ、残された問題として、康さんにちよつとお尋ね申し上げておきたいのですけれども、きのうから二団体方々も、華僑送還及び遺骨送還については華僑交渉するからというので、いろいろ言つておられたのですけれども華僑方々は、二団体協力して相談してからものをきめるということでなくして、華僑の主張はこうだ、華僑はこういう結論を出したのだというようなはつきりした線で結論をお出しいただいたら、非常に解決が早いのじやないかと思うのですが、この点いかがでしようか。
  115. 康鳴球

    ○康参考人 華僑側としては、別に二団体と、あるいは三団体とではなしに、いろいろ御相談あるいはお願いすることは三団体を通じてお願いしているものであります。さらに、いろいろ問題が生ずる場合においても、東京華僑総会としては、むしろあつせん的に、なるべくべく円滑に行くように帰国君たちに対してなしているのであります。
  116. 小平久雄

    ○小平(久)委員 時間が大分経過しておるようですから、ごく簡単に御質問申し上げます。ただ、念のため私は申しておきますが、今回の華僑遺骨送還の問題が本委員会で取上げられましたことは、本委員会は申すまでもなく在外同胞引揚特別委員会で、在外同胞引揚げの見地から審議しているのでありますが、たまたまこの華僑遺骨送還の問題が起きて、同胞引揚げが遅れては困るという気持から、このように熱心にこの問題が取上げられておる。しかし華僑遺骨送還を促進することが当委員会の本来の問題ではない。さらにまた、過般の第十三回国会だつたと思いますが、当委員会の決議に基き、本院といたしましても、この邦人の異例の送還に関する決議まで院議をもつていたしておるのであります。たまたまその際私は提案理由の説明者でもありましたので、そういう立場から私はお尋ねするのでありますが、まず日赤の葛西社長さんにお尋ねをいたしたいのでありますが、今回の引揚げに関してのいわゆる共同コミユニケ華僑遺骨引揚げとの関係、これらについては昨日来いろいろお話を承つておるわけであります。一言にして申しますならば、コミユニケには直接入れなかつた、入れなかつた理由は、むしろ道義的なというか、人道的な立場からやる方がよかろうというような考え方から入れなかつたので、実際は交換条として同時に扱うべきものである、こういうふうな御説明のようでございました。しからば、邦人の引揚げ問題で三団体代表が行かれた際に、一体中共地区にある邦人の遺骨につきましては何らのお話がなかつたのでありましようか。その点、どう御承知でありましようか。
  117. 葛西嘉資

    葛西参考人 邦人の遺骨の問題が議題にはつたかどうかということは、実際は私は聞いておりませんが、ただ、向うへ行きまして、今度の代表団は、先ほども申しましたように、昨年十二月一日の北京放送から、在華同胞引揚げ、その具体的な方法相談に行くんだ、こういうことになつたらしい。そこで、われわれが最も関心を持つておる安否調査だとか、あるいは行方不明者を将来どうするかというようないろいろな問題があつて、そういう問題を代表団の方から持ち出したらしいのであります。私は代表団の団員じやありませんから、これはまた聞きでありますが、そういうものを持ち出したときに、今回のこの会談は在華同胞引揚げの具体的方法相談会議である、従つてそういう問題は議題外だというような、大体そういう話だつたようであります。私の承知するところでは、在日華僑の問題にしましても、あるいは遺骨の問題は平野さんからですか、こちらから出したというふうに私は聞いておりますが、そういうときにも、議題の外でお話なつたということで、これは、はつきり言えば、全然別個のものであると私どもは思います。しかしながら、これは別個であるが、人道的に、あるいは徳義的にやらなければならぬ、ことにこの間の紅十字会から来た電報で、これは数回向うから督促があつたのですが、なかなか政府の方の御都合もあつて、確定的なことが言つてやれないというときに、どうなつたか、そのことを聞いてから四次船の配船の返事をやるという電報受取つて、そこで、それをやらぬとじやまになつて、次のやつが出ないということになつて、事実上これを解決しなければならないことになつた、こういうふうに了解しております。
  118. 小平久雄

    ○小平(久)委員 その点は、いずれ機会を得て、直接あちらに出向いた方からお聞きいたします。  そこで、冒頭私が申しましたような立場において、この華僑遺骨送還の問題を伺うのでありますが、先ほど来た質疑によりましても明らかになりましたように、まだわが国内に華僑遺骨が約六千体も残つてあるんじやないかというお話のようであります。そうなりますと、今回の事件は、いろいろ紆余曲折がありましたが、一応解決を見て、お互いに喜ばしいことでありますが、今後の引揚げにつきまして、おそらくこれは、どうなるかわかりませんが、あるいは第五次、第六次というような引揚げ、またわが国からも行くことになるかも存じませんが、そういうたびに今回のような問題が起きたのでは、お互いまことに困ることであります。そこで、この点に関しまして、日赤なり華僑総会なりにおいて、今からそのときの見通しはどうかと言われても、あるいはわからぬとおつしやるかもしれませんが、今後こういう不祥事というか、ごたごたを起さぬで行きたいものだというお考えか、――先ほど来の厚生省当局のお話を聞いておると、六千体から集めるということはなかなか容易じやないようであります。従つて、私ども心配するのでありますが、その点に関する日赤あるいは華僑総会としての心構えなり、見込みなりをこの際念のために承つておきたいと思います。
  119. 葛西嘉資

    葛西参考人 遺骨の問題がこんなふうに紛糾して来ましたことは、わが国同胞引揚げと、それから華僑の方の帰る問題等のために、実に残念なことだと思いまして、再びかかることのないようにしてもらいたい。これは華僑総会の方にもぜひお願いをしたいと思います。  それで、遺骨の問題は、今大谷先生も言われましたように、あるいは華僑総会の人たち思つておられるように、掘つて丁重におまつりをしたいということは、赤十字の立場としても実はやりたいことなんで、ごたごたが起るから掘るのはやめたというのでは、まことに申訳ないことであります。そういうことがあればしたい。これは、大谷さんからも御依頼があつたものですから、やりたいと考えておりますが、実際の問題になると、金の点で、赤十字としても、政府なりそのほかのところから適当なる御援助を願わなければ、事実上できなくなる。五次あるいは六次なんかの場合には、私ども、もう大分なれて来ましたし、間違いのないようにぜひしたいと思うのですが、これには、どうしてもやはり華僑総会の方々に十分理解を持つてもらうということが必要だと思います。三団体人たちもそうで、三団体としても円満に行くように協力をしてもらわないと、これはなかなかたいへんなんで、私どもは実は弱つておる。もしごたごたが起きたら弱るなという心持なんです。できるだけ円満にやつてもらうように関係の方たちの御協力というか、お力添えというか、それをぜひお願いしたい。これがなければ、幾ら赤十字なり政府なりがどうだといつても、できない。そうすることがやがてはこの委員会の御関心であるわが同胞引揚げということに結局なるので、そういうことにぜひしたいものだと思つております。
  120. 康鳴球

    ○康参考人 今度の華僑帰国及び遺骨送還について紛争の起つた点については遺憾に思うものであります。結局は、このような紛争の生じたのは、要するに、第一回目であることと、決定されてから実施するまでの間の時間が非常に短かかつたために生じたものというふうに考えます。従つて、現地において援護局の方にも私から申し上げたのでありますけれども、おそらくは、第二回目においては、もつとお互いに理解を持ち、連絡を密にして、基本方針を決定して行われるならば、かような問題は生じないだろう、――この次の帰国者の性格と第一回の性格と違いますので、おそらく将来かかる問題は生じないというふうに考えております。それから、今日は援護庁長官もお見えになつておりますので、お願いしたいと思いますことは、最も問題になつたのは、やはり世話人という性格についての見解だと思うのです。これは、御承知のように中国には十三、四種類も言葉がありますので、従つて、これらを六百人もお世話をする場合においては、援護局が幾ら一生懸命やつても、あるいは日赤さんが幾ら一生懸命やつていただいても、非常に不便を感じていると思われる。そこで、実情を知つております東京華僑総会が世話人を出して、そういうような不便のないように援助しようという気持からなされたと思いますけれども、どうも援護局では、世話人はなくてもいいようなものに考えられているように思う。結局舞鶴駅における紛争が起つて、これじやとてもわれわれ引受けられないといつて世話人は辞退した。ところが、援護局の方では、それでは業務開始ができないからというので、あべこべに何とか世話してくれということになつたのであつて、すべての実情をお互いに知つて来れば、こんな紛争はないと思います。  最後に、一点、中国における遺骨送還にお触れになつたのでありますが、もしも中国にあります日本人の遣骨がおわかりでありますならば、華僑総会も、中国政府あるいは諸機関に対してその送還について実施していただくことに責任を持ちます。ただ、遺骨に二つの種類がありますから、一般民間人の遺骨と、今の送還される遺骨との性格はおのずから違いますので、そういつたようなことがあれば、すなわち同様な性格のものでありますならば、当華僑総会は、いつでも日本政府あるいは日本国民の申出に対して全面的の協力と援助をしたいと思います。
  121. 小平久雄

    ○小平(久)委員 今後の引揚げにつきましては、ただいま御両所からお話のように、ぜひ円滑にやつていただくことを強くお願いをいたしておきます。なお、私がお尋ねしようかと思つている点を、最後に康さんから触れられたのでありますが、私は、この点について、ひとつ日赤の副会長さんからもお考えを承つておきたいと思うのです。在日華僑遺骨の問題がこれほど真剣にわが国の国会においてこうして取上げられるというほどにまでなつておるこの際でありますので、さきに三団体代表が北京におもむかれた事情がどうであつたかは不明でありますが、ひとつあらためて三団体として、在華邦人遺骨の問題について、これはただちにとは申しません、適当な機会でけつこうでありますが、ひとつ三団体もこの際積極的に何らかの処置に出ていただくことが望ましいことではないかと私は考えるのでありますが、この点についてどうお考えになりますか、この点を承りたいと思います。  なお、時間がありませんから、続いて援護庁長官に一、二伺つておきたいのですが、二、三日来華僑遺骨送還に関しまして、その取扱い方その他について、いろいろここで真相が明らかにされたのでありますが、先般来同胞引揚げの際に、多少同胞遺骨も帰られたやに聞いておるのでありますが、一体幾柱くらいお帰りになつたのか、その取扱い等はどんなぐあいで行われたか、――われわれが聞くところによると、これは申し上げるのもどうかと思いますが、あきカンなどに入れられて、荷物同様でお帰りになつたということも聞いておる。そういう点について、援護庁としては実情をどう把握されておるかという点、さらにまた、当局においても、太平洋の諸島における遺骨引揚げにつきましては、その後着々として御努力を願つておるようでありますが、中共地区の御遺骨はどうなつておるか、それは前に御報告いただいたかと思いますが、記憶が薄れましたから、あらためて伺いますが、一体何体ぐらいまだあちらに遺骨があるのか、さらにまた、先ほど日赤の副会長さんにお尋ねしたと同様に、政府当局としても、これらの遺骨送還にしましては、やはり太平洋諸島にある関御遺骨と同様に今後努力すべきだと思いますが、政府当局として今後どのような方法で御努力なさるお考えか、この機会に承つておきたいと思います。
  122. 康鳴球

    ○康参考人 在華同胞遺骨をどうするかというようなことでございますが、これは、引揚げが第六次くらいでおそらく完了するだろう、あるいはまた、二、三日前の北京からの共同通信によりますと、三万と言つてつたのが二万くらいになつて、あるいはもう少し早く終るかもしれない、こういうことで、そんなことになつて、一応の引揚げが済んだ後に残る問題というのは、行方不明者と申しますか、あるいはこつちで推定しておつたある程度の数というものとの食い違いというような問題は、やはり引続いて折衝をして行かなければならぬ問題だ、かように私どもは考えております。従いましてまた、在華同胞遺骨の問題等も今も御注意がありましたように、言うてやる時期というものが慎重を要すると思います。そういう適当の時期に交渉して何とかしなければ申訳ない、かように考えております。
  123. 木村忠二郎

    木村(忠)政府委員 現在まで向うから引揚げの際に持つております遺骨の数につきましては、別に正確な数をあとでお知らせいたします。これらの持帰りにつきましては、正式に持帰りをいたしておりますものはあまりないようでありまして、これにつきましては、ただいまのお話のような点もあつたように承つております。これにつきましても、詳細に当局といたしましても調査いたしまして、後ほど御返事申し上げます。  それからなお、南方の遺骨でございますが、これは、御承知の通りに、先般南方の各島におきます遺骨の収集並びに慰霊のため派遣団が参りまして、南方に散華されました方々の慰霊を向うで行い、できる限りの収集をいたして参つたのであります。何を申しましても、各島に滞在する期間を一日以内、あるいは一番長い例は二日でございまして、従つて、その範囲内でもつていたしたのでございますし、また人員も大体十五名という数字で限定されておりましたので慰霊に従事いたします宗教家、あるいは御遺族の方、政府職員、みな一緒になりまして参つたのでございますけれども、その全部が収骨されておるというわけではないのでありまして、従いまして、先方におきまして主として慰霊を行う、それからできる限りの収骨を行うというわけで、幾ら残つているということについては、それはお答え申し上げることはできないと思います。今後行いますところのアツツ島につきましても、同様なことではなかろうかと思います。その他のについては、そういう計画は折衝している途中でございますので、何とも申し上げることはできません。  それから、今後の中共本土からの遺骨の問題でございますが、われわれといたしましては、早く正常な国交関係ができまして、慰霊なりあるいはそういうようなことができる機会が得られますことを非常に待望いたしてあります。ただ、現在の情勢で、どうして具体的にするかということでございますけれども引揚援護庁といたしまして、現在の段階におきまして、直接どうするという方策を持ち合せておりません。  最後、私が今までいろいろ皆さんの御質問に対してお答えいたしました点におきまして、若干誤解があるといけませんので、便宜釈明を一つ二つさしていただきたいと思います。それは、いろいろ申し上げました中で、中国におきましては、中国の紅十字会がこちらの帰国者に対していろいろお世話をしていただきましたことでございますが、これにつきましては、われわれは非常によくやつていただいていると思つております。中国紅十字会の方々が非常によく丁寧にやつていただいている。われわれといたしましてはそれと同じようにやりたいと考えているということを申し上げておきたいと思います。それからなお、華僑総会の方々が、今度の華僑向うへの送還につきましては、業務上私どもの方は直接連絡はいたしておりませんけれども赤十字社を通しまして御連絡いたしました関係から見ますと、非常にむずかしい仕事を、なれないところでもつて熱心に御協力願つており、われわれといたしましては華僑総会の方々が御協力願いましたことにつきまして、非常に感謝の意を持つております。しかも、今度の送還につきましては、いろいろのことから非常に急速に事がきまりまして、急速にやらなければならぬ困難な状態にありました。先ほど康会長もおつしやつたのでありますが、その通りであります。非常にむずかしい状態で、われわれとしましてはもう少し余裕を持つてやる方がいいというふうに考えたのでありますが、非常に急がれた関係上、やむを得ず急速に華僑総会の方々に無理をお願いしなければならなかつたということの事実があつたのであります。従いまして、われわれといたしましては、こういうような事態なつたことを非常に遺憾と思いますけれども、先ほど康会長がおつしやつたように、今後はこういう混乱が起ることはあるまいというように確信いたしております。
  124. 受田新吉

    ○受田委員 関連質問ちよつとお尋ねしたいのですけれども、康さんにお願いしたいのです。今度の御帰還についてなみなみならぬ御苦労をかけていることを申訳なく思つており、またわれわれとして全力を尽して御帰国に御協力したいと思つております。と同時に、ただいまお言葉の中に六千くらいの遺骨が残されていることを申されたのですが俘虜としてなくなられた方々の御遺骨は、慰霊実行委員会で出されたこの資料に書いてある数字だけでしようか。あるいは、今の六千体の中には大多数俘虜がおられるのか、俘虜でない人と俘虜との比率というようなものの御調査がありましたら、御発表いただきたいと思うのであります。
  125. 康鳴球

    ○康参考人 さつき委員の方から在日華僑というお話があつたのでありますが、今度送還していただく遺骨には、在日華僑というものは一つもない。在日華僑遺骨は、今度帰国される方が手荷物として幾ばくか自分で持つて帰られると思います。今送還していただく遺骨というものは、直接戦争に関係を有する、すなわち戦争中に、東条内閣の閣議決定によつて、当時の汪精衛政権と協議なされて、中国から連れて来られた戦争捕虜の遺骨あるいは強制労働をさせるための労務者として無理やりに日本にひつぱつて来られ、そして日本においていろいろな条件で死亡された者の遺骨でございます。在日華僑遺骨は一つも入つておりません。
  126. 受田新吉

    ○受田委員 六千人の中には……。
  127. 康鳴球

    ○康参考人 入つておりません。
  128. 山下春江

    山下委員長 他に御質疑がなければ、これにて参考人よりの事情聴取を終ることといたします。  参考人方々には、二日にわたりまして御多忙中御出席くだされ、いろいろ御親切なる御説明をいただき、委員長より厚くお礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。なお、次会は公報をもつてお知らせいたします。     午後一時四十二分散会