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1953-06-23 第16回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年六月二十三日(火曜日)     午後三時五十六分開議  出席委員    委員長 山下 春江君    理事 高橋  等君 理事 臼井 莊一君    理事 受田 新吉君       逢澤  寛君    小平 久雄君       佐藤洋之助君    田中 龍夫君       中川源一郎君    福田 喜東君       吉川 久衛君    柴田 義男君       田中 稔男君    帆足  計君       辻  文雄君    安藤  覺君       岡田 春夫君  出席政府委員         厚生政務次官  中山 マサ君         引揚援護庁長官 木村忠二郎君  委員外出席者         外務事務官   浅田 泰三君         参  考  人         (日中友好協会         代表)     平野義太郎君         参  考  人         (中国人俘虜殉         難者慰霊実行委         員会委員長)  大谷 瑩潤君         参  考  人         (東京華僑総会         会長)     康  鳴球君         参  考  人         (東京華僑総会         副会長)    呉  普文君         参  考  人         (日本平和連絡         会代表)    阿部 行蔵君     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  参考人招致に関する件  中共地区残留胞引揚に関する件     ―――――――――――――
  2. 山下春江

    山下委員長 これより会議を開きます。  たいへんお待たせいたしました。本日は中共地区残留胞引揚に関する件について議事を進めます。  中共地区残留胞引揚げに関して、現在中国人俘虜死没者遺骨送還が問題となつておりまして、昨日も本委員会において論議されましたが、これについて、本日、この問題の事情を、遺骨送還の当事者より聴取いたしたいと思うのであります。つきましては、昨日委員より参考人招致の御要求がありました通り、本日ここに中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会委員長大谷瑩潤君東京華僑総会会長康鳴球君、同副会長呉普文君、日中友好協会代表平野義太郎君、日本平和連絡会代表阿部行蔵君の出席をお願いいたしました次第でありまして、この際ただちに本委員会参考人として事情を聴取するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 山下春江

    山下委員長 御異議なきものと認め、さよう決定いたします。  それでは、これより参考人から事情を聴取いたしますが、その前に一言ごあいさつ申し上げます。  参考人の皆様には、御多忙のところ御出席くださいまして、委員長より厚くお礼を申し上げます。中国人俘虜遺骨送還問題は中共地区残留胞引揚げ配船と密接な関連があり、本委員会といたしましては、この問題が早急に解決して、帰還船がすみやかに出港することを願うものであります。この意図をおくみとり願いましてお話くださるよう、お願いいたします。  では、平野義太郎さんよりその事情お話願います。
  4. 平野義太郎

    平野参考人 ちよつとお伺いいたします。どの点をしぼつて申し上げたらよろしゆうございますか。遺骨……。
  5. 山下春江

    山下委員長 その事情をお願いいたします。
  6. 平野義太郎

    平野参考人 それでは、私が在華同胞帰国打合代表団平野でございます。この三月五日に在華同胞帰国打合せコミユニケをつくりました一人であります。その間の北京における事情をまず申し上げたいと思います。  もともと、いまだ国交が開けておりません日本中国との間柄において、中国におられる日本人帰国に関する打合せがもつぱらの主題であつたのでありましたが、同時に、これはやはり民間団体同士の話合いではありますものの、結局戦争の跡片づけの一端になることでありますので、従いまして、在日華僑帰国ということについても、三団体、特に日本赤十字願つて日本におります華僑帰国方についても御協力を願いたいということが発言せられました。三団体、特に日本赤十字ということでありまして、三団体の中の二団体を除いて特に赤十字という意味では決してありませんでした。それからまた、同じよう機会におきまして、――中国人たち日本におきまして戦争中にいろいろな原因から虐殺を受けてお骨になつておる事件が、花岡、新潟、東京、北海道、あるいは小坂鉱山、木曽谷などでございましたが、特に今まで骨壷に入れて奉安しておりましたのが、浅草本願寺の隣の棗寺にございました。昨晩五百五十九柱舞鶴に送りましたが、その件について、やはりこの機会中国の方に丁重に敬意を表してお送りすることにいたしたいということを、日本人側代表から発言をいたしました。その間の事情は、決して在華同胞帰国引きかえとか交換という意味ではございません。しかしながら、戦争の跡片づけの道義的な責任ということから考えますれば、こちらもすることはする、同時にあちらもすることはしてもらうということが、お互い同士間柄におきまして大事なことでるという意味において、決して交換条件とか引きかえという問題ではございません。けれども、道義的な問題としては、やはり密接不可分関係にあるものとして、在日華僑帰国及び中国人浮虜殉難犠牲者のお骨をあちらに丁重に敬礼をもつてお送りすべきことを約束いたしましたのが、三月五日のことであつたのであります。  以上が大体の経過でございます。特に遺骨につきましては、御承知のことと思いますが、今までお骨を拾いました件は花岡鉱山事件でありまして、この花岡鉱山は、一九四五年、昭和二十年の、もう戦争も終りに近づくころに、事の発端は、当時食糧不足であつたという事柄から、食糧不足をかこつ不平が原因であつたのでありましようが、とにかくここで鹿島組の組頭が、もう今日明らかになりました通り、五百以上の中国人を虐殺した事件であつたのです。このことは、横浜軍法会議ですでに裁判を受けて、私も昭和二十一年には横浜軍法会議に訴人として出ましたから、はつきりしておる事件でございます。このお骨は敬礼をもつて丁重にお扱いすべきであると考えておりましたが、しかしながら、残念なことには、一九五〇年の十二月一日に浅草本願寺追悼会を催すまでは、なおお骨が現場に散乱して、拾つて骨壷に入れるということすらもやつておらなかつたような次第であつたのです。一九五〇年の十二月一日に、お骨を拾い、骨壷に納め、丁寧に浅草本願寺に持つて参りまして、ここで追悼会を開きました。かようにいたしまして、東京華僑総会が主になり、また日中友好協会ども応援をいたしまして、奉安して棗寺に納めてございます。ぜひ何らかの機会を得てこのお骨を丁重に中国にお送りすべきである、――どこの民族でもお骨は大事なものでありますが、ことに中国人の場合におきましては、郷土の故山に骨を埋めるということが古来民族感情となつております以上、一層のこと丁寧にお送りすべきものであると考えておりましたところ、ちようど邦人帰国が問題になりまして、この機会にぜひこれをお送りすべきである、よい機会であると考えておつたわけであります。  ところが、この間の事情はいろいろ経緯がありましたが、日本外務省は、華僑帰国よりももつときつく国民政府がこれに対して反対を唱えておるという理由で、華僑が御帰国になるよりももつとむずかしい問題となつて今日まで来ておるのであります。しかしながら、常識をもつていたしましても、お骨を送り返すということであつて、その間に何らの特別な政治的な問題も――無論一方から言えばあるかもしれませんが、ともかくお骨を敬意をもつてお送りすべきだということであります以上、さしたる反対もないでしようし、それは宗教的な儀礼をもつてとり行うという意味で、十分に日本政府が考えてもらつてしかるべきものであると私どもは考えております。ところが今日の状況では、華僑帰国は曲りなりにも興安丸でお帰りになる段取りに参りましたが、華僑帰国よりももつと反対が強いという理由で、今日までこの興安丸にお乗せすることができないでおりました。ようやく昨日、岡崎外相会談をいたしました結果、特別仕立てで、遺骨だけを特別にお乗せするという船でこの遺骨送還するというところの一応の案が出されたのであります。しかしながら私どもは、今までの経過から、すなわち、一応送ると言つて、またあとで送らなくなるような模様の変更や、あるいは大臣がそう言つても、外務省当局としてそうでなかつたと言うようなこともあつた経緯から、具体的に何丸でいつという御返事をはつきりと伺わないことには、ここで安心して、この案に対して、もうすべてこれでよろしいというふうにも思えないのが、今日の現状でございます。この際に、ぜひ帰国華僑相伴つて遺骨送還儀礼をもつてしていただくように、御支持をいただきたいと思う次第であります。  なお、こまかい点につきましては、御質問があればお答えいたします。
  7. 山下春江

    山下委員長 ありがとうございました。次は大谷さんの順でございますが、たいへん恐縮でございますが、平野先生のお時間の関係がありますので、平野先生に対する御質疑があれば、先にいたしたいと思います。
  8. 高橋等

    高橋(等)委員 それでは、私は平野さんと阿部さんにお伺いをいたしたいと思つたのでありますが、大体平野さんにお伺いを申し上げれば事足りるかと思いますので、簡単に二、三の問題についてお伺いいたしたいと存じます。  今朝の新聞紙によりますと、白龍白山丸等日中友好協会あるいは日本平和連絡会乗船代表方々が、遺骨問題の解決白龍丸スパイ事件に対しまする政府陳謝がなければ乗船をしない、こう言つておられるという記事が実は見受けられました。それらについて、これは団体としての御意見と拝察してよいのか、あるいは個人としての御意見として承つておけばいいのか、その辺からちよつとお伺いいたしたいと思います。
  9. 平野義太郎

    平野参考人 事の状態を十分に御理解いただくために申し上げておきたいのは、初め遺骨の問題が出ましたときには、国民政府関係はよくわかりますが、歯みがきかシヤボンを持つて行くということはあり得るのだから、手荷物として持つて行くならばという御発言すらわれわれはき居ておりました。すなわち、そういうような形ならば関知せないというのが外務省意見つたような場合、やはり儀礼をもつてお骨は送還すべきものであると考えておりました多くの人々にとつては、非常にその点が問題化して来ておつたということは、その前にあつた事柄であります。それから、華僑帰国されるとき、東京駅において貨物列車うしろに客車をつなぐということも、華僑感情から言えば――日本人仲間でなく、華僑感情から言えばやはり問題化したごとくに、そういう問題がだんだんとこじれて今日に至つて来ているということが、今日までの経過のあらましであります。そういう意味で、第一に華僑が、この遺骨を携えて帰るのでなければ何の面目があつて中国に上陸できようかという強い感情が現われており、またそれをお送りするという乗船代表の側におきましても、そういう感情が出て来ておつたということは、今日までの事情から想像できることであります。しかしながら、日本中国友好協会とか平和連絡会が特に会として――この遺骨送還をなすべきであるとは考えておりますけれども乗船せないというようなことについては、乗船代表意思あるいはまた華僑の御意思がわれわれの想像できないほどに今日は激化していることをわれわれは知らなければならぬと思います。そういう事情から来ているということが今日大事なことであります。こまかい点は、むしろ阿部さんから聞いていただく方がよろしいと思います。
  10. 山下春江

    山下委員長 阿部さんに対する御質問は、阿部さんの御説明を聞いた後に願いたいと思いますので、そのようにお願いいたします。
  11. 高橋等

    高橋(等)委員 それでは、少し話が徹底をしにくくなるかと思いますが、お時間の関係もおありですし、ほかに質問者もおられることですから、ごく簡単に申し上げたいと思います。  私たちは、だれしも、一日も早くわれわれの同胞を迎え入れたい、これは日本国民の全部が念願しておることであります。またこれに関連して、日本におられる華僑方々送還も無事に終ることを希望いたします。しかし、現地における代表が、たとえば、すでに済んだ事件ですが、白龍丸事件、そういうようなものについて、政府陳謝をしなければ乗船をしないと言つておる。われわれといたしましても、やはりいろいろな問題があると思いますが、何か問題が片づきかけますと、次に新しい問題を持ち出されまして、われわれ国民が一日も早くこちらに迎え入れたいと考えておる同胞、しかもそれは向うの現地でも、こちらの内地の華僑の人と同じ気持で早く帰りたいという熱望を持つておられる方々、こうした方々帰国を故意に遅らしておる行動をしておるのじやないかというような疑問を国民とともに持たざるを得ないのであります。ところが、ただいま承りますと、そうした現地代表のやることは現地乗船代表にまかせてある、会としてはこれは知らないというようお話であるのでありますが、そんなものなんでしようか。日中友好協会なり日本平和連絡会なりは、それぞれ乗船代表と緊密な意思疏通連絡をとつて、一つの行動をとつてほしいと思います。またそうなければうそだと思いますが、その点をもう一ぺん伺つておきたいと思います。
  12. 平野義太郎

    平野参考人 今の事の端は、さよう状態でありますが、これのよつて来るところは非常に遠くかつ深いわけであります。そもそも北京で三団体コミユニケを出しましたのは、三団体民間代表としてやつたのであつて政府がやらない、またやろうとしてできなかつた、そのことについての民間代表であるがゆえに、この邦人帰国がスムーズに進んで来た以上は、やはり三団体をそのまま認めて、事実上船が運航しておりまするごとくに、その帰国事務を助け、便宜を与え、そうしてスムーズに行くよう政府がなさるのが必要で、このような困難な、国交の開けていない国柄同士のこの問題の解決には、どうしても政府の援助がなければなりません。三団体みな緊密なる連絡をとつて今日までやつて来ておりますが、同時に、政府もやはり、すべてにわたつて同胞帰国事務にせよ、また舞鶴でのあの仕事につきましても、やつていただかなければ、できない仕事であります。ところが、やはり今日の政府やり方は、三団体をわけようとする、あるいは日赤と二段体とをわけようとする。そうして、乗船代表の問題にしても、乗船代表は認めないというような御発言もあつた。しかし、事実上は、乗船代表が乗らなければ、結局この帰国事務が円滑に行きませんからして、乗つて行き来しておる状態でありますので、そういうようなことから、――政府陳謝を申し出たかどうかについての事実は、あと阿部さんから詳しく述べていただきたいと思いますが、政府やり方は、むしろ帰国事務を円満にうまく早くやらせるようにするのではなくて、あべこべに、三団体を離間し、あるいは三団体乗船を拒み、あるいは舞鶴における援護局の構内に阿部さんなどが入らないように立入り禁止をするとかいうようなことであれば、これこそが、むしろこの帰国事務を遅らせ、あるいはじやまをしておることになるのでありまして、ぜひとも官民一体となつて、できるだけ円滑に円満にやつてくださるようにしさえすれば、こういう問題は起きなかつたと思います。ところが、ここに遺骨ような問題が生じました場合には、やはり華僑帰国とともにそれを携えて行かなければ上陸できないと思つておる心構を察しますときには、やはりそれと一緒に乗せて行きたいものだと乗船代表が思うのも、私どもは当然だと思つております。しかしながら、それよりも、もつと早く手を打つて、どんどんと計画的にやつておれば、こういうことは起きないのであります。やはり帰国の業務及び今度の華僑帰国、あるいは遺骨送還というようなことは、民間代表だけの問題でありませんから、官民が一致してスムーズに円滑にやるようにさえしていただけばこういう問題は起きないということを考えておるに相違ないと思います。それは三団体、われわれ日中友好協会赤十字もそのつもりでおることには違いない。また、皆さんが、どなたも早く日本に帰つて来てほしいと思う、そのように、華僑人々も早くあちらに帰りたいと思つておりますから、両方が円滑にスムーズに行くよう政府が積極的に協力さえしてくだされば、これはどんどんと円滑に進んで行く問題だと思います。そこに今のようなことが生じましたところに、今日のまことに遺憾な状態があるのであります。
  13. 高橋等

    高橋(等)委員 私が非常に時間をとることを、ほかの委員の方に対して恐縮しておるのでありますが、あなたも時間がおありにならないということで、私も急いでおりますから、率直に簡単にお答えを願いたいと思うのであります。  お尋ねしておる点は、今朝の新聞によりますと、遺骨問題の解決と、白龍丸事件に対しまして政府陳謝がなければ、白龍白山丸乗船代表乗船しない、こういうことが出ております。これらの行動につきましては、あなた方は責任をおとりになる立場にあるかどうか。すなわち、あなた方のこの協会なり連絡会なりの一体行動として私たちは考えて行くべきものであるかどうか、その点をお伺いしたのです。ところが、あなたは、それは現地代表がすることで、こちらとはそんな連絡もないとかなんとかいうようお答えがあつたように最初に承つたものですから、もう一度その点をはつきりと念を押しておるわけであります。それによつて私はこの問題についてのあなたに対する質問を打切るかどうかということも考えなければならぬ、こういうわけです。
  14. 平野義太郎

    平野参考人 私は、一番大事な点だけを申し上げる方が大事だと思います。すなわち、日本政府が、遺骨敬礼をもつてお送りすべきものである、荷物などとして扱うべきでないということをはつきり考えて、そのように努力していただく限りは、こういう問題は起きない。そうでなくて、手荷物等に準ずるとか、あるいは華僑帰国に対してあちらがしたと同じような丁重な扱いをこちらではしないというところに、今言つたよう乗船代表などの問題が起きておるのであります。なお、その裏のこまかいと申しますか、きようの事実についてのお話は、阿部さんから後にお答え願いたいと思います。
  15. 高橋等

    高橋(等)委員 こまかいことはと言われますが、一口でおつしやればいいのです。私はちよつと委員長要求いたしたいと思います。参考人は、参考人としてお出ましになつた問題につきまして良心的にひとつここで御返答いただきたい。そうしてお尋ねしないことはお答え願わないでいいのでありますから、その点をよろしくお願いします。
  16. 山下春江

    山下委員長 ただいま高橋委員からの要求もございましたが、先ほど申しましたようにわれわれは何とかこの問題がスムーズに行くことをともに念願いたしておりますがゆえに今日おいでをいただいたのでございますから、その意味において、簡潔に、納得の行くような、しかもこの問題がこんがらないような御答弁を賜わりたいと、委員長からもお願い申し上げる次第であります。
  17. 平野義太郎

    平野参考人 きようの事実につきましては、阿部さんが事務局長をやつておられますし、阿部さんのお名前をさつきお出しになりましたから、阿部さんからお答えを願うのが具体的事実に合つておると思います。
  18. 山下春江

    山下委員長 ちよつと申し上げます。ただいまのような御答弁もありますし、一応参考人方々のそれぞれの関連もあると思いますから、事情を聴取いたした後に、阿部さんにひとつ納得の行くような御答弁を願いたいと思います。
  19. 高橋等

    高橋(等)委員 平野さんに伺いますが、日中友好協会日本平和連絡会というのは、それぞれ違う団体でありますね。
  20. 平野義太郎

    平野参考人 そうです。
  21. 高橋等

    高橋(等)委員 そこで、二つの団体乗船代表がなされた行為について便宜上あなたにお伺いしたのですが、阿部さんのお答えになつたことについてはあなたが責任を負われる、こういうことでよろしゆうございますか。
  22. 平野義太郎

    平野参考人 よろしゆうございます。平和連絡会日赤日中友好協会とが帰国協力会を構成しておりまして、阿部さんがその帰国協力会事務局長とされておりますので、阿部さんのお答えが最も事実によく合つていると思います。
  23. 高橋等

    高橋(等)委員 これでよろしゆうございます。
  24. 山下春江

  25. 受田新吉

    受田委員 平野さんがお帰りをお急ぎでありますので、平野さんに関する分だけお尋ねしておきたいと思います。なお、他に平野さんに対して質疑のある方にも、平野さんの場合はごく一、二問だけということでもけつこうですから、質問を許していただきたいと思います。  平野さんは中国で御苦労いただいたのですが、今仰せられたお言葉の中で、そのコミユニケを出された当時、遺骨をお送りすること、それから在日華僑のお帰りになること等の申合せをなさつた、そういうことを日本側代表から発言をされたと仰せられたのですが、この点、日本側代表としてどなたが発言をされて、それがその会の決定とされたのか、あるいはそれがコミユニケに含まれて発表されたのか、あるいはその遺骨送還在日華僑方々がお帰りになることについて、こちらにお帰りになつた直後に、その当時の事情をとくと全国民にお示しになつて、このたびの会談では遺骨送還在日華僑の問題もあわせてわれわれは約束して来たのであるということを、委員会等での発言とか、あるいは国民全部に知らせるようないろいろな方法をおとりになつていただいたであろうか。これが今日非常に紛糾している根源の問題に関するので、特にその当時の事情を御承知平野さんからお答えいただきたいと思います
  26. 平野義太郎

    平野参考人 華僑帰国の問題と遺骨送還は、当然にこの問題とからまつた問題でありますので、私どもが一月二十六日に北京に立ちます以前に、外務省のアジア五課と交渉いたす場合にも出しました。そうして、華僑帰国についても、また遺骨についても、御了解を得ておりました。また、北京におりますときも、華僑帰国に関する外務省の見解――中国側がこれを受入れるやいなやということについての電報を受けております。ですから、外務省との関係は、その当時の新聞にも出ておつたよう状態で参りました。あちらでのコミユニケは、日本人の帰るということに関するコミユニケとして発表されておりますが、それが済んだ直後に、その席で、華僑帰国については、あちらの団長から、三団体、特に日赤に対して御協力を願いたいと述べ、また次の遺骨については、日本側の私が、遺骨について送還したいが君の方はどう思うかということを述べ、それに対して、あちらは受入れたいということを答えたのであります。それから、華僑帰国の方は、島津団長が三団体代表し、また日赤代表して、華僑帰国については最善の努力を払うということを申し述べたよう状況であります。帰りました以後は、行きますときからこの問題は新聞にも出ておりましたのと、日中友好協会などは前からよく取扱つておりましたが、なお周知徹底するという点については十分ではなかつたかもしれないと思います。しかし、またある見方からすれば、これは相当大問題であつたわけでありますから、十分な御理解や御支持を受けているかのごとく思つて来たということも事実だつたように思いますが、結果において、十分に多くの方々の御理解に訴えるほどまでに十分になされていなかつたことも事実だつたかもしれないと思つております。
  27. 受田新吉

    受田委員 これは、国民の多くは、在日華僑送還遺骨のお帰りについては、当時周知徹底を欠いていたうらみがあつたと思うのです。できれば、平野さんのように御苦労をいただいた方々が、あちらで御交渉なさつた経過及び申合せ事項というようなことを、何らかの形で会談記録というようなものによつて、事実上民主的な立場に立つ国民代表としておいでになつたのと同じことですから、その意味国民に公表していただくことを、私たちは期待しておつたわけです。その点、当時の会議録とか、あるいは皆様の御感想などを盛つた、そういう記録物の何か御用意というものはないでしようか。こういう点は、国民周知徹底されることが非常に大事なことで、あとで悶着が起つてから、あのときはああだつた、こうだつたと言うのでは、一層紛糾するので、できれば一挙に国民周知徹底させ、この帰還を双方とも完了するということが、この委員会の願いなのでありますが、その点について御意見をお伺いしたいと思います。
  28. 平野義太郎

    平野参考人 おつしやる通りでありまして、私どもはかなり骨折つたつもりでもあり、また花岡事件の記録なども。パンフレツトに出し、また日本中国という機関誌にもしばしば載り、相当やつてつたつもりでありましたけれども、今から考えれば、これはやはりなお小範囲なものにほかならなかつたわけで、その点は、もつとこれからいろいろな機会を通じて御理解に訴えたいというふうに考えます。
  29. 小平久雄

    ○小平(久)委員 私も平野さんに一、二点お伺いいたしますが、まず最初に、先ほど平野さんから、高橋委員質問に対しまして、乗船代表行動に関しては帰国協力会というものを三団体でつくつている、その事務局長日本平和連絡会代表である阿部さんであるから、阿部さんに聞いてほしい、こういうお話がありましたが、帰国協力会帰国というのは、言うまでもなく華僑帰国だと思いますが、その帰国協力会なるものは、いつどういう事情でできて、またそれには日赤も含めて、友好協会及び平和連絡会、この三者が加入しておるものかどうか、この点をお伺いしておきます。
  30. 平野義太郎

    平野参考人 違います。帰国協力会は、日本人中国から日本に帰るための事務を、本来は外務省がなすべきであるが、外務省が当面の主体でないものでありますから、従つて、電報一つ打つにも、日本におきますオフイスからあちらにどんどん電報が来なければならないよう状態でありますので、一月十八日の大会を期しまして、日本人中国から帰るその帰国協力という意味でできましたのが、この帰国協力会であります。従いまして、これは、三団体連絡事務局――日本赤十字日本中国友好協会平和連絡会の三つで構成されておりました連絡事務局が事務連絡をいたしますが、それだけでは不十分でありますから、ありとあらゆる団体がこの中には構成されているのです。帰国協力会の中には、労働組合団体もあれば、文化人団体もある。いろいろな大衆団体が、日本人帰国事務を円滑ならしめ、またこちらへ帰つてから就職やら何やら、政府が十分にやらなければならぬ仕事がありますが、それを推進して行くために、これを組成して帰国協力会というものができておりますので、帰国団体連絡事務局とまた違うのです。
  31. 小平久雄

    ○小平(久)委員 そういうことになると、ただいま受田委員からも御質問があつたわけでありますが、この点は皆さんの考えと若干違うかもしれませんが、一応われわれ国民が受けている印象は、あの発表になつたコミユニケ等からいたしましても、邦人帰国という問題と、それから華僑帰国という問題とは、一応別個の問題というふうにわれわれは解しておつた。先ほどの御説明によりましても、これは別段交換条件というわけではなかつたが、そういう申合せか話合いをしたということであります。従つて、この華僑帰国ということについてもこの帰国協力会というものが責任をもつてつておるやの今の御発言だと思うのでありますが、一応それは建前としては別個のものであるというふうに考えている。従つて、今回の乗船代表の下船問題等について帰国協力会ですか、これの事務局長さんから説明を聞くということは、われわれからすれば、ちよつと筋が通らぬように思う。高橋委員の御質問の点も、それぞれの団体として一体どうなのかということを聞いておられる。その点をもう少し御説明願いたい。
  32. 平野義太郎

    平野参考人 非常にいろいろな団体がなければこの大事業はできませんものですから、団体の数が非常に多いので、その点ひとつ理解を願いたい。日本中国友好協会平和連絡会日本赤十字、これが打合代表団を組成いたしまして、その連絡をいたしますために三団体連絡事務局が日赤の中にあります。それから、今申し上げましたよう帰国協力会がございます。この乗船代表乗船代表で、一つの団体性をもつて行動しております。また、それから遺骨送還については、中国人殉難犠牲者の遺骨送還の実行委員会ができて、大谷先生が委員長になつている。これはまた別個の団体であります。みなそれぞれの団体ができて動いているのが実情であります。今、当面の問題は、そういうふうにしてそれぞれの団体団体性をもつて討議をして事を進めているわけであります。
  33. 小平久雄

    ○小平(久)委員 私の言うのは、先ほど、乗船代表乗船しないで下船してしまつているという間の理由を聞いてくれというお話がありましたね。ところが先ほどの平野先生の御答弁によると、この帰国協力会というのは邦人が帰つて来ることの協力会なんだ。ところが今度は、乗船しないというのは、これは華僑が向うへ帰ることについての問題なんだ。その間どういうことなんですか。
  34. 平野義太郎

    平野参考人 この点は、どこの団体でもおそらく共通だと思いますけれども、先ほど説明申し上げた通りに、日本人の帰つて来るということと、華僑帰国したり、遺骨送還したりするということは、交換条件ではありません。それだけに、日本人の義務としては、日本人が円満に帰つて来れるように、あちらと同じような待遇でこちらの遺骨なり在日華僑をお送りするのが義務だと思つております。あちらとこちらとは別問題だとおつしやいますが、その通りであります。しかし、道義的な責任感から言えば、やはり不可分密接の関係があるものとして、帰国協力会でも、友好協会でも、平和連絡会でも、日赤でも、そう思つて今まで事に当つておりますので、すつかり別問題だというわけでもないのであります。事柄は一応、邦人帰国中国人が帰るということとは交換条件ではありませんから、別問題でけつこうなのでありますけれども、道義的な責任感から言えば、やはりこちらはやるべきことはやつて、あちらからやるべきことはやつてもらうというのが、それが道義的に不可分の関係だと思うわけでありますから、そういう意味で今日のいろいろな問題が出て来ているということを御理解いただきたいと思います。
  35. 小平久雄

    ○小平(久)委員 昨日当局に質疑いたしたところによれば、華僑帰国という問題につきましては、これは直接は、日赤の方に依頼したというか、まかしたというか、直接の当事者は日赤だという趣旨の答弁があつたのであります。そこで、本日は日赤の方は見えておらないのでありますが、そうしますと、ああいう下船という問題が起きていることも、これは日赤も含めた三団体協力会が、この中心なんですが、日赤も含めてああいうことが妥当なんだという見解のもとにおやりになつているわけですか。そこをどうお考えになつているのですか。
  36. 平野義太郎

    平野参考人 その乗船代表乗船するかせぬかということは、今言いました通りに、こちらがなすべきことをしていないというと、あちらがなすべきことをしてもらえない、そういう道義的な責任において考えてやつていることだと思います。そういう意味乗船代表はそのようにきめているのだと思います。ですから、今の不可分であるという関係をご理解いただければ、――その結果、つまりやつていることの判断は別として、不可分な問題である、道義的には不可分の問題として行動しているということを御理解いただきさえすれば、今までの間の事情はおわかりいただけると思います。
  37. 小平久雄

    ○小平(久)委員 一点だけ伺いますが、先ほどから邦人の帰還と向うの華僑の帰還とが少くも道義的には不可分のものだということで、ただいまも繰返して申されたようでありますが、その点は、われわれも理解が行かないと言うのじやないのです。しかしながら、例のコミユニケには、先ほどあなたがお話通り邦人の帰還のことだけうたつている。それほど不可分のものであつたならば、なぜあの際にコミユニケの中に華僑の帰還の問題、さらに最近起つてつた遺骨の問題、これらまでも含めてコミユニケにしなかつたか。何かこういう点について事情があつたわけですか。その点をひとつ御説明願いたい。
  38. 平野義太郎

    平野参考人 遺骨の問題を先に申し上げますと、こういうことは、ああいうコミユニケなどという公文書に出すことすら日本人としておかしいことでありまして、日本人がむしろ進んで、かような公文書なくしてもやるべきことであるという考え方であつたわけです。ですから、あちらから要求がましいことは決していたしません。むしろ、こちらから発言すればあちらは大歓迎だというような仕組になつております。華僑帰国については、いろいろと日本の方にはやつかいにならなければならないから、そこで三団体、特に日赤には御協力を願いたい、これはお願いをしてくれているような実情であります。これを特にコミユニケというものの中に麗々しく、いかめしく書かない方が、かえつて後日問題をさばいて行くに適当ではないかという考え方に立つているのであります。
  39. 臼井莊一

    ○臼井委員 ちよつと一、二点伺いたいのですが、このお骨の送還につきまして、政府の方に、こういうわけで送還しなければいかぬということを、いつごろ申し入れたのでございますか。
  40. 平野義太郎

    平野参考人 岡崎外相と正式に会見をいたしましたのは六月の六日午後十一時から零時四十分まで。それから、それに対応して倭島アジア局長がさらにそのことについて私どもと会見いたしましたのは六月十一日の夜であります。それからずつと引続き昨日までわたつております。
  41. 臼井莊一

    ○臼井委員 そういたしますと、その以前には、このお骨の送還云々の問題についての三団体中国紅十字との間の話合いというような問題は政府お話にならなかつたわけですか。
  42. 平野義太郎

    平野参考人 これは、先ほども申しました通り、三団体北京に行きます前に、一月中にもうすでに外務省には出しております。それから、先ほど申しました通り、この遺骨送還はむしろ遺骨送還の実行委員会が主体なのでありますから、実行委員会の方は、こちらでその以前から交渉に当つて来ております。
  43. 臼井莊一

    ○臼井委員 それから、お骨は五百何体棗寺に安置してあつたということですが、それ以外にたくさんのお骨もやはりお送りするということになるのですか。
  44. 平野義太郎

    平野参考人 五百五十九柱が花岡事件遺骨でございます。そのほかに、新潟から百幾つか、東京都では一週間ほど前に発表いたしました約百柱、木曽谷、小坂鉱山、そのほかにもあると聞いております。これらは、やはり氏名を明らかにし、本籍もできれば明らかにした上で、丁重にお送りすべきものだと思います。
  45. 受田新吉

    受田委員 今お答えになつた中で、私がお尋ねしたことと矛盾したことが出たので、たいへん相済みませんが、コミユニケとあわせてそうした人道的な申合せをしてお帰りになつたことに対して、私は大いに敬意を表します。と同時に、それを直接に政府に通告していただいたとさつきお聞きしたと思つたのですけれども、一月に外務省に通告しただけで、お帰りになつてコミユニケ連絡でなくして、そういう人道的な申合せ事項があつたことを、直後に政府に報告をされはしなかつたのですね。その大事な問題は。
  46. 平野義太郎

    平野参考人 報告はもう新聞にも出ていることであります。三月の五日のコミユニケ新聞にも出、コミユニケのほかに、この遺骨及び華僑帰国についての発言があつたということは新聞にも出ておりますし、報告というよりは、むしろ私の申しましたのは交渉であります。事態の経過から申しますと、何にせい一万五千人お帰りになるということは大事業であります。それからまた、華僑帰国ということが、またこれ非常に大事な問題で、なかなかむずかしい問題である。それから遺骨というように、順を追うて一つ一つ問題を片づけて行かなければならなかつたというのが実情の経過であります。しかしこの問題は、一月に出ますときから、初めから出ておりますし、新聞にも出ておつたことだし、もう皆さん方一般にも、外務省でも、十分御承知の問題だとわれわれは考えておつたのであります。
  47. 受田新吉

    受田委員 せつかくそういう用意周到に御交渉なさつた皆さんとして、これはたいへん残念だと私は思うのですが、そのお帰りになつた直後に、交渉記録とかいうものを、少くとも政府のお金でおいでいただいた立場からも、好意的に政府に、コミユニケのほかにこういう申合せをしているから、同時にこれについて善処するようにという要望を即時にやつていただくべきであり、また国民全部にも同時にこれを報告さるべきではなかつたか。それが大月六日に初めて政府に要望されたようなことになるので、非常に遅延する結果になつたと私は思うのですが、解散などもつて、われわれなども十分皆様に連絡する間がなくて失礼はありますが、あなた方として、少くとも国費でおいでいただいたという立場からも、好意的に政府にその状況報告を詳しくし、同時に会談模様を国民全部にも周知徹底させるという方法、それをとらないで、六月になつて初めて政府に要望されるということが、これが今日解決を非常に遅延した事情ではないかと思いますが、その直後に政府に正式に通報するという努力をどうしてされなかつたのでしようか。そして会談記録というようなものは、たいていこうした会議の際には、帰国国民全部に訴えるというようなことで出されるのですけれども、そういうものを三団体としてどうしておやりにならなかつたのですか。きよう日赤がおいでにならないので、たいへんあなたには失礼ですが、ひとつ責任あるお答えをいただいたらと思うのであります。
  48. 平野義太郎

    平野参考人 まことにごもつともなことでありますが、三月十日に帰りまして、もう三月二十日には第一次船があちらを出港して、三月の下旬には到着する、その次には十五日置いてまた到着する、それにまた電報を打つ、またあちらから来るというわけで、この帰国事務をやるだけでも、少数の人数ではなかなかやれない。これは民間でやつておるのであります。これに対しては、援護庁は援護の事務はしてくださつておりますが、中国との関係事務だけでもたいへんなことでありました。おつしやる通りで、もつとあのコミユケの内容、会談の記録などは、早くこれは印刷に付しておまわしすべきであると考えますけれども、実際上不眠不休で、ほんの数少い人が立ち働いて、みな次々と倒れて行くというよう状況にあつたわけであります。
  49. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 平野さんもお急ぎでしようから、簡単にお伺いいたしますが、今までのお話で大分明らかになつて参りました点は、中国からの邦人帰国関連しては、日本にいる華僑帰国を促進させるというのは、これは道義的な問題としても当然だ、コミユニケの上には明確になつておらないけれども、この点と遺骨の問題は道義的な意味においてもできるだけ早くやらなければならないという精神で北京会談が終つていると大体了承していいと思うのであります。そこで、これに関連して、華僑帰国並びに遺骨送還は、北京会談のそういう精神に基いて行くならば、当然三団体責任を持つてやるべきものであるとわれわれも考えておるのであります。ところが、これに対して、昨日の政府委員答弁等を聞きますと、特にここに列席いたしておりますが、木村援護庁長官は、日赤華僑送還は依頼したのだというよう意味のことを言つて、ことさらに三団体の中で二団体を除外するかのごとき態度をとろうとしている。こういうことでは、実際問題として、在留邦人帰国という問題も、その原因のためにかえつて阻害されて遅延しておるという結果になつている。そうすると、これは政府責任であると言わざるを得なくなつて来る。こういう点を平野参考人としてはどういうようにお考えになるかということと、もう一つは、一括してお伺いしておきますが、先ほど、横浜軍法会議において花岡事件について参考人として御出席になつたというお話があつたようでありますが、この花岡事件軍法会議にまわつたというのは、おそらく俘虜の虐待とか何とか、そういうよう事情でもなければ、ことさらに占領軍のもとにおける戦犯の裁判が行われるわけはないと思うのであります。その間の事情をもう少しお伺いいたしておきたいと思いますし、これはまたあと華僑関係の皆さんにも詳細に実は伺いたいと思つておりましたのですが、特別弁護人として御出席になつた平野さんとして、その間の事情をもう少し伺つておきたいと思います。その二つだけです。
  50. 平野義太郎

    平野参考人 第一点は、日赤平和連絡会及び日中友好協会、この三団体政府関係、あるいは三団体相互の関係に帰着いたすと思うのでありますが、これは木村長官もはつきりと御理解をいただきたいのでありますが、先ほど申しました通りコミユニケの、華僑帰国に関するあの申合せにおきましては、三団体、特に日赤という申合せなんであります。従つて、二団体を除いて日赤というなら、「特に」と入れる必要はないのであります。三団体、特に日赤というふうにして日赤に頼んで来ておつたというような実情であり、真相であります。ですから、華僑帰国、あるいは遺骨についても同様でありますけれども日赤だけにすべて委任するというお考えは、中国での申合せの真相に適合しておりませんし、中国でのあの申合せを、特に二団体を除いたと御理解になるのであつたら、それは誤つております。事実に反しております。同時にこれはどうしても三団体が一緒にやらなければやれない仕事であります。その点は大事であると思います。但し、国民政府との関係があるから、その関係日本赤十字船をチヤーターするというよう事情がありましたことはよくわかります。そういう意味で、チヤーターする船は赤十字船で行くということは、私どもよくわかるのでありますけれども、それをさらに拡大して、華僑帰国を一から十まで、遺骨についてもすべて、二団体を取際いて、そして日赤だけに委任するかのごとくお扱いになるとすると、これは全般的にみなで協力してやつてもなかなか十分なことができない問題でありますので、そのような御理解ではなしに、三団体が今までも緊密にやつておりまするごとくに、みなでやるというふうに運営して行かなければ、なかなかむずかしい問題であるわけであります。それから第二の、花岡事件は、事実上軍法会議が行われました。秋田県の花岡で事実虐殺が行われたからこそ軍法会議になつたのでありまして、原因は、当時のことでありましたから、いろいろありましたでしようが、ともかくそういうよう事件であつて、はなはだ気の毒な、またわれわれとしては済まない、これはどうしても敬礼をもつてお送りすべきよう事情のもとであの事件が起きたことは、当時の裁判記録でも、それからまた諸種の文書でも明らかになつている事柄であります。
  51. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 今の点で、もう少し伺つておきたいのですけれども、時間もありませんから、この程度にしますが、花岡において虐殺されたという事実に基いて、私の聞いている限りでは、その中には相当多数の俘虜もおつたということになつて参りますと、国際法上の日本の国としての義務関係にもなつて来ると思う。また俘虜でない場合においても、日本の国内において虐殺を行つたとするならば、単にこれは人道的の問題ばかりではなくて、日本政府としては、これを丁重な態度をもつてそれぞれの郷土にお送りするのが政府の義務でもあろうと私は考える。こういう点について、軍法会議のその場における状況から判断なさつて、この点をどういうようにお考えになるか。これは日本の国の義務ではないか。これを具体的に進めるには、当然三団体が対中国関係において進めて行くべきであろうと私は考えるのですが、この点、もう一度お聞きいたしたいと思います。
  52. 平野義太郎

    平野参考人 私は、この事件が、ただ問題それ自体として見ても、もうすでに明らかになつておるよう事柄でありますから、やはりどうしても日本国民全部が敬礼をもつて御焼香すべきである。同時に、あちらでこういうことが起つたとすれば、われわれもやはり困るのでありますし、どこの国でも困るのだから、やはり気の毒であり、また悪かつた、もうこういうことは二度と起らないようにしたいという、それを宗教家はざんげと言いましようが、われわれとしては反省と言つてもいいでありましようし、ともかくそういう敬虔な気持をもつてお送りすべきものであると考えます。さらに進んでは、どうしても、浅草本願寺でお焼香をするような場合には、政府の方のお役人も来て、お焼香ぐらいはぜひともやつていただくべき事柄であろうと思う。それをもう一歩進めますと、お焼香もそうでありますし、見送りばかりでなくて、やはりそういつた敬虔な心持をもつて、二度とこういうようなことが起らないようにという祈りをもつて遺骨をお送りすべきであり、進んで言えば、今申しました通り、いろいろな政治的な問題もむろんここにあるに相違ないと思つておりますが、当面遺骨送還の問題としては、政府の方方も敬虔な心持をもつてお焼香、お見送りをし、そして進んでこれの送還事務が遺憾なく円滑に行くように――お骨を集めるだけでも相当の費用がかかつたのでありますが、みんな民間団体が負担しておるのでありますから、こういつた調査をするということでも、国費をもつて調査をして、事柄をただして行くということが、われわれにとつて必要ではないかと思います。
  53. 山下春江

    山下委員長 平野参考人には御多忙のところ長時間まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  次に、大谷瑩潤さんよりお話伺いたいと存じます。
  54. 大谷瑩潤

    大谷参考人 私から実行委員会経過について御報告かたがたお話を申し上げたいと存じます。  実行委員会なるものが今日非常にすべての点で混乱を来しましたことは、まつた委員長の私の不徳のいたすところではございまするけれども、なぜこの実行委員会がかように混乱いたすかという点について、その委員会の構成分子が多岐多様にわたつておりますことを説明いたしまして、そうして、御意見が互いに錯雑するよう事情においでになる方も多いということをまず最初に御了解を願つておきたいと思うのであります。大体実行委員会のメンバーは、団体そのものがメンバーでございまして、常にその団体から選出されて参りまする代表の方を委員として扱つて来たのでありまして、約二十名の方が、この会議に御列席をしてくださるのであります。その団体と申しまするのは、日本赤十字社、日本平和連絡会日本中国友好協会日本労働組合総評議会、日本仏教連合会、日本宗教連盟、日中貿易促進会議日本仏教鑚仰会、在華同胞帰国協力会日本平和推進国民会議日本国民救援会、海外戦没者慰霊委員会棗寺東京華僑総会中国留日同学総会、これらの団体から見えまする方々によつて構成されておりまするので、まことにお話をまとめまする私の力がないのではございまするけれども、常に対立的な意見が出て、かように紛糾いたせましたことは、まことに申訳のないことと私は深くざんげをいたしておる次第でございます。  つきましては私がなぜ委員長をお引受けいたしたかということについて、もう一つ御了解を願いたいと思いまするが、この御遺骨に対しまする送還という問題は、あるいはまたこの御遺骨を宗教的儀礼の上におきまして尊厳を傷つけないようにいたして参るという点におきましては、どうしても宗教の立場から常に真心をこめて扱つて参らなければならないという点から、実は参議院議員としてではなく、宗教の面における私の地位から、この委員会委員長を引受けよというところのお勧めをこうむりましたので、私は虚心坦懐、真に人類といたしましてのこの御遺骨に対するすべての扱いを手落ちなくやりたいという心から、それでははなはだ至らない私でありまするけれども、この問題に対しましては宗教的儀礼の面にだけお手伝いさせていただきましようということで、三月の二日に委員長をお引受けいたしたのであります。しかしながら、この遺骨というものに対しましては、いろいろのときに法要を営まれておりまするが、それは現地において各地で行われて参つたのでありまして、すでに戦争後、昭和二十五年から引続いてずつと、仏教者の手によつて現地で、毎年七月一日のこの殉難の日をトしまして、法要が行われて参つたのであります。しかるところ、いよいよ東京にお迎えを申し上げまして、そうして浅草本願寺、これは私の方の別院であります。また棗寺も私の方の末寺であります。ここにお迎えした関係をもちまして、私にもぜひこの法要の準備委員となつて、そうして四月一日盛大に法要を営みたいということになりました結果、私も、国際的に考えて、人道上から、できますだけのお手伝いをいたすという考えで、この法要を営んだのであります。先ほど平野先生がおつしやいましたが、実はこの法要に対しまして、先ほど申しました各団体の方はそれぞれ御焼香をいただいたのでありますが、残念ながら、公平なる立場におきまして、わが政府の面からはどなたも御焼香に来ていただかなかつたということに対しましては、私、非常に残念に存じておるような次第でございます。かようにいたしまして、この四月一日の法要は終つたのでありますが、その後、これで宗教的儀式は済んだので、私、委員長を辞任いたしたいと申したのであります。しかるところ、各団体の方方から、ぜひこの遺骨を本国にお送り届けをするまで委員長としてその職責を全うしてもらいたいと、切なるお勧めがございましたので、不敏をも顧みず、再び委員長の職を汚し、今日まで続けてお手伝いをさしていただいておるような次第であります。  そこで、申し上げたいことは、この御遺骨は、花岡山ばかりでなく、日本国中至るところにいまだ埋没されておる箇所がございますので、その数は相当数に上るのであります。ただ問題は、この花岡鉱山の御遺骨だけは早くからこれが発見せられ、そうしてそのなくなつた原因が非常に残虐性を帯びておつたというところから、われわれ日本国民として、どうしてもこれをおろそかにしてはならないというところから、御遺骨代表的な面といたしまして、この花岡鉱山の御遺骨が常に問題の中心になつて来た次第でございます。  ところで、私の聞いております事柄を皆さん方に申し上げて、その当時をしのんでいただきたいと思うのでありまするが、私の聞いておりますところでは、非常に戦争の末期でありまして、昭和十八年から二十年の春にかけて、東条内閣時代に、この殉難者の方たちが、食糧の面においても、被服の面においても、その他の種々なる事情の上に非常に不足を生じ、きゆうくつな面があつたために、遂に暴動的行為に出られまして、その当時の鹿島組の監督をしておつたたち四、五名に対しまして、殺傷の挙に出たのであります。ところが、その後その俘虜の首魁者とも申すべき十四、五名の方は、その当時の警察の力でもつて捕縛いたされまして、秋田刑務所に収監されたのであります。しこうして二十年の八月に遂に終戦と相なりました結果、今まで収監されておつたこれらの方々は、いわゆる敗戦の結果、無罪になりまして、釈放されることになりましたが、それと同時に、その暴動をいたしたということによつて多くの人たちをあやめましたところの鹿島組責任者の三、四名というものは、遂に逆に刑務所に収監されまして、先ほど平野先生がおつしやつた通り横浜の裁判において死刑の宣告を受けた方もおりまするが、いまだに執行はされずに刑務所に服役をしておられる方が三、四名あるのであります。かような次第でこの花岡鉱山事件が発生いたしたのでありまして、戦争中とは申しながら、われわれ人類の上から申しますれば、まことに不幸なる事件と申さなければならないと思うのであります。  かような次第で、私が委員長をさしていただくということは、結局。こういう事態が発生して、多くの中国方々が非常なる迷惑をこうむられたということに対して、せめて宗教的な心情でもつて一日も早く故国にお送り届けをし、安らかに故国の山河に眠つていただきたいという念願にほかにないのであります。  しかるところ、この御遺骨がどうしてこういうぐあいに送還ということが盛り上つて来たかと申しますると、初めは、わが同胞が向うから三万人お帰りになるということは、先ほどのお話ように、三団体代表によつて北京においていろいろ交渉が進められて決定いたしました。その後において、華僑方々、いわゆる日本に在留しておられる留学生あるいはまた商業に従事しておられるところの華僑方々で、本国に帰りたいという人が相当出て来たので、それを日本同胞の引揚げの船に乗せるかどうかというところに、いろいろ議論が起つたようであります。しかるところ、安全保障という面において、どうしても日本人同胞の引揚げの船にお乗せするということができないので、いろいろ外務省がお骨折りをされまして、遂に赤十字船というものを出すことになりまして、これが今度の二十四日、明日出るはずになつてつたところの興安丸であります。しこうして、この興安丸華僑方々が乗られるのであるからして、この御遺骨も何とかしてこの船にお乗せをしてお帰ししたいという気持、これは華僑方々も持たれましたが、われわれ実行委員の者といたしましても、それを考えたのであります。そうして政府の方に、どうかこの興安丸に乗せていただきたいと申し込んだのでありましたが、政府の方では、華僑の帰られるということに対してはほぼ台湾政府と暗黙のうちに黙認したようなことにまで了解はついていたけれども遺骨を乗せるということについては今まで何ら台湾政府との間に話合つたことがないからして、それは困るということになりまして、どうしてもそれは不可能だということになつたのであります。しかしながら、華僑人たちは、どうしてもこの御遺骨を持つて帰らなければ、自分たちが故国に帰つて約束を果すことができないからして、ぜひ持つん帰りたいと言われる。それ自体からが、そろそろ問題がこがてらかつて来たのであります。そこで、時間がございませんので、簡単に申し上げまするが、十八日に赤十字社の広間におきまして実行委員会の者が集まりまして、そうして最後案を練つたのであります。それは、華僑総会はこの実行委員会の決定した案にどうか同意をしてもらいたいということに対して、華僑方々は、実行委員会の決定に従うとお答えになつたわけであります。また、最後の帰国船、わが同胞帰国の最後の船までには送還するという日赤の社長及び実行委員長である私の言を信じていただきたいということに対しましても、華僑の総会の方では同意をするということに御異議がなかつたのであります。それとともに、実行委員会の方もそれに対して異議はなかつたわけであります。それから、その次には、送還の時日までの間に、まだそこらに散在しておりまするところの御遺骨をできるだけすみやかに東京に集結いたしまして、その遺骨送還の船に全部をお乗せしてお帰しする、但し、これには時日がないので相当の金がかかりまするから、どうかこれは政府において負担してもらいたいということを申込みましたところ、政府はこれに対して、金を出すことはできない、しかし日赤においてそれに援助するということであるならば、われわれは何らそれに対して異議は申さぬというお言葉がありましたので、約百五十万円ほどかかりますこの費用の件に対しては、日赤にこの責任を持つていただくことに話がきまつたのであります。それから、もう一つは、この御遺骨を送りまするのには、興安丸ならば手荷物として持つて行け、いわゆる遺骨として持つて行くならば安全保障の問題にひつかかるけれども、ただ手荷物として華僑の人が持つて行くならば、これは政府において何ごとも言わぬ、こういうことでありましたが、たとい手荷物といたしましても、御送還することには間違いはないのでありまするし、またこの遺骨手荷物としてお帰しするということは、われわれ仏教者が数年間奉仕して参りました精神から申しましても忍びないことでありますので、どうしてもこれは宗教的儀礼の上においてこれをお送りするという手段をとつていただきたい、それには僧侶が約五名、諸団体代表者が十名、いわゆる十五名の捧送団が御遺骨を捧持いたしまして、丁重に中国の方に御送還するということに、どうか政府の方でも認めてもらいたい、こう申しましたるところ、政府の方では、どうしても、十五名という教字は多過ぎる、ことに何のために十五名行かなければならぬかという理由はつきりせぬ、こういうことで、なかなかもみつつもまれつしたわけであります。しかしながら、最後に、どうしても十五名以内という点で妥協していただかなければ治まりませんからということを私から関係の大臣の方々にお願いを申しましたるところ、遂に、それならば十五名以内ということによつてそれは承諾しよう、しかしそれは最終の船になるか、あるいは最終の船までの間になるか、あるいは華僑方々の乗つて帰られる赤十字社船の第二船、三船になるか、その点ははつきりすることができない、こういうお言葉であつたのであります。しかし、遂にこの十五名ということがいれられましたので、われわれも非常に喜びまして、言うてみますれば、われわれの実行委員会から出した条件がすべて政府の方で御承認願いたものであるというところに私どもも安心をいたしまして、そうして十九日の日を迎えたのであります。そうして、帰つて行かれる華僑にもこの点を十分に華僑総会責任者からお話置きを願うということによつて、まつた解決をいたしたものと実は考えておつたのでありました。ところが、十九日の晩であつたと思いまするが、華僑方々東京をいよいよ離れるというときに、どうしても遺骨を一緒に持つて行かなければ立たないということに、がらりと話がかわつてつたのであります。その結果は、遂に汽車の箱を二等車を二つ増結するとか、あるいはまたこの解決するまでは発車をさせないというような大混乱が駅頭において起つたのでありました。しかし、幸いにして、関係者の方々がいろいろなだめていただきました結果、遂に、それではとりあえず舞鶴まで乗つて行こうということになつて、お立ちになつたのでありましたが、舞鶴に着いてから後のことは、ここにおりまする華僑総会会長がともに行かれましたので、その方からお聞きとりを願いたいと思うのであります。  しこうして、この問題がだんだんこんがらがつて参りましたが、要するに、私といたしましては、今も申し上げまする通り、何とかしてこれを早くお帰しをいたすということを円満に解決いたして参りたいと存じまして、その後外務省及び厚生省の方面においていろいろお願いを申して参つておるのでありまするが、しかし、実行委員会といたしましては、言うてみますれば、こちらから申し上げた条件が政府でとりあえず取上げられた後のことでありますので、私としては、これ以上のお願いをするのに、まことに苦しい立場に立つておるような次第であります。これをよく考えてみますると、わが同胞帰国という問題と、華僑の方方が故国に帰るという問題と、遺骨中国送還するという問題と、非常にこんがらがつて来ておるように考えるのでありまして、十九日門司を出帆しなければならぬ高砂丸の代表の二人の方が、遂に下船をされて、高砂丸がいまだに繋船されており、また昨日は白山丸白龍丸が門司に入りましてこの船に乗ります二団体代表方々が下船をされた。ただ乗つておるのは、日赤代表者だけが三船に乗つて出帆を待つておられるということに対しましては、私どもとしては、帰国のわが同胞の心情を察し、また留守家族の方方の御心中を思いますると、立つてもいてもたまらない気持がいたすのであります。そのことは、要しまするのに、先ごろ中国紅十字会の林副秘書長から、日本人帰国者数はすでに二万人ぐらいに減つたというような電報が来ましたために、もう興安丸で最後だ、われわれの日本から迎えに行きます船は、今度のこの四次船が帰つて来たならば、これですべてが終つてしまうのだというような印象を華僑方々に与えたというところに、どうしてもこの興安丸で持つて行かなければならぬということを強く主張される原因があると思うのであります。しかしながら、政府の方の御意向を伺えば、決してそうではない、華僑方々は今五百人帰られるけれども、またあと千人帰られるのか千五百人帰られるかわからないのであるから、赤十字第二船、第三船を出して、そして華僑方々を向うへお送りするのだから、そのときに同乗して宗教的儀礼をもつて丁寧にこの御遺骨を送り届ければ、それでいいではないか、それをどうか華僑の人に了解してもらつたらどうだという点を、安全保障の問題から外務大臣は昨日数時間にわたつてわれわれ代表団に対して御説得になつたのであります。私どもといたしましては、そのことを承りますとともに、外務大臣はまた、もしもそれが不可能ならば、別の船を仕立ててでも丁寧に扱うということをここで確約するから、今度の安全保障のない興安丸は一日も早くわが同胞か迎えに出るように、どうか納得してくれと言われましたけれども、どうしてもその話が結末まで参らないのであります。ゆえに、今では、二団体方々赤十字社の方々と、また実行委員会の中でも、その二団体に属する方の団体と、そして赤十字社の方の意向を了としておるその方面の者と、常に対立的な状態に立ち至つておるということは、まことに私ども申訳のないことであると存じますが、どうかその辺の事情は、皆さん方もひとつほかの方々お話を聞いていただきまして、そしてよき解決方法があるならば、ぜひ皆さん方のお知恵を拝借いたしまして、国際的なこの問題を円満に、かつまた丁寧に、満足の行く方法でもつてお帰しのできますように御支援あらんことを、私からも切にお願い申し上げます。
  55. 佐藤洋之助

    ○佐藤(洋)委員 ただいま大谷参考人からるるお述べになりまして、遺骨の問題についてつまびらかにすることを得ました。ことに大谷さんは、その立場上からとはいいながら、遺骨問題に対しまして非常な御労苦を払われた。これに対しましては、国民の一人として深い敬意を表し感謝をいたします。そこで、ただいまお述べになりました、最終段階の交渉におきまして十五人という捧送団をこしらえたという、その構成メンバーをひとつお話願いたいと思うのです。
  56. 大谷瑩潤

    大谷参考人 それでは、ただいま政府に提出いたしましたメンバーを申し上げます。中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会委員長大谷瑩潤、同事務局長菅原恵慶、日中友好協会赤津益造、国民救援会難波英夫、平和推進国民会議津田正登、日本労働組合総評議会柳本美雄、日本仏教仰会・仏教界代表中山理理、婦人団体連合会大沼ハナ、平和連絡会帰国協力会阿部行蔵日本赤十字代表工藤忠夫、儀式執行主任・仏教連合会壬生照順、儀式執行委員・日中親善曇鸞大師奉鑽会佐々木晴雄、花園慰霊実行委員会代表金一秀、華僑遺族代表華僑総会代表、この十五名でございます。
  57. 佐藤洋之助

    ○佐藤(洋)委員 次に、もう一点だけ簡単に伺いたい。今の十五名はわかりましたが、華僑総会からはどなたか、名前はわかつていますか。
  58. 大谷瑩潤

    大谷参考人 まだ姓名は出ておりません。
  59. 山下春江

    山下委員長 次に、康鳴球さんからお願いをいたします。
  60. 康鳴球

    ○康参考人 ただいま大体諸先生たちから御報告がありましたので、簡単に要点につい、て申し述べたいと思います。  今生存者から聞いておりますこれら労務者の性格について申し上げたいと思います。日本政府では、これら殉難者に対して、政府との間の契約による労務者という表現をされております。しかし、中国政府及びわれわれが生残りの人たちから聞いたところによりますると、契約上ならば、本人の希望あるいは募集によつてなされたものであろうと考えられるのでありまするけれども、これらの人たちは、日本政府軍による当時の捕虜であり、また一部は強制的にひつぱつて来られた住民であることが明らかになつているのであります。  それから、東京華僑総会日本政府に対してこれらの遺骨送還をお願いしましたのは本年の一月初旬でありまして、当時外務省と折衝の結果、陳副会長に対しまする外務省の回答が、日本政府としては送還については問題はないだろうということであります。しかし、これは人民政府の承諾がなければならぬ問題であるからというお話がありましたので、東京華僑総会はさつそく中華人民政府僑務委員会に対して電報で照会しましたところ、三月十九日に、花岡の犠牲者に対しては重大なる関心を持つており、そうしてこれらの遺骨がもしも日本人の皆さん及び華僑の努力によつて送還していただけるならば、まことに感激するものであるから、これについてはすでに三団体代表、すなわち日僑の帰国について北京においでになりました三団体代表打合せをした通りであるから、日僑を乗せるためわが国に来る、すなわち中国に行かれまする船舶を使つて送還してよろしいこと、遺骨送還する船舶が出港する前に、あらかじめ電報で到着の日時あるいは数について知らせてもらいたい、かかるときに自国の人民は荘厳なる儀式をもつてこれを安置するであろうという返電を得たのであります。  それから、今の中国に帰られまする華僑帰国者の遺骨に対する考えであります。御承知ように、新中国は、人民大衆に対して権利を与えるかわりに、人民また社会的の責務を負わなければならぬという状態にありまする関係上、彼らが帰る前に、もうすでに、日僑の帰国について乗船代表中国へ行かれまするたびごとに遺骨を持つて来ていただいたかどうかという質問を受けていることを、耳にしているのであります。その関係上、同じ中国人であり、同じよう日本に滞在しているために、自分たちだけ帰ればいいというわけには行かないし、必ず自分たち帰国したあかつきにおいては、遺骨の問題について聞かれるであろうという考えを持つておるのであります。その場合、遺骨がどうなつておるかわからない、あるいは遺骨がいつ帰るかわからないということになりますと、おそらくはその責を問われるであろうという考えを持つているのであります。そのために、彼らは、少くとも自分たちが帰るときには、その遺骨も同じ船に乗せていただきたいという考えを持つてつたのであります。  それからさらに、この遺骨送還について、日本政府として最も困難を生じているという理由は、国民政府の強い反対があるということで、それを新聞あるいはいろいろな人たちから耳にしておりますが、この遺骨の収集、さらに慰霊祭等についても、特に東京華僑総会、また中国政府においても、日本人の皆さんに感謝しており、東京においてすでに一九五〇年から毎年慰霊祭を執行していただいておるのでありますが、特に強く反対されましたのは、一九五一年における慰霊祭の執行であります。このとき、総評を初め日本の民主団体あるいは労組その他の団体によつて慰霊祭の執行をしていただいたのでありまするが、当時の駐日代表団は、この慰霊祭の執行さえも強く反対されたのであります。その反対された理由は、これらの犠牲者は中共軍であるからということであります。しかし、この遺骨の調査によりますと、ごくわずかではありますが、一部国府軍の捕虜も含まれているのであります。それについて、われわれが代表団数次交渉をした結果、代表団もやむを得ずして、慰霊祭の執行を妨害しなくなつたのであります。従つて、五一年以来慰霊祭を毎年執行されておりますけれども、もちろん代表団からは何ら焼香も得ていないし、またお供物もいただいたようなことのない状態で、いまさら国民政府がこれらの遺骨送還について関心を有すること自体が、われわれにも納得のできないようなものであります。  それから、本月十九日、帰国華僑東京駅を出発するにあたつての紛争であります。私は、当日、最終列車の十時三十分で先に出発しまして、京都で落ち合つて舞鶴へ一緒に参りましたので、この駅における紛争の模様は直接見てはおりませんが、翌二十日の朝京都新聞によつて紛争のあつたことを知り、乗車してから実情調査したところ、ただいま大谷先生からもお話がありましたが、二等車の連結云々について、これは誤解があつてもいけませんので、特にこの点に触れたいと思うことは、確かにこの問題については、東舞鶴駅における紛争のときにおいても、交渉の係であります陳副会長援護局の方との話もあつたのでありますが、帰国華僑送還については、日本政府日赤に委託し、日赤東京華僑総会に委託するというような方針でなされたのであります。その通知は、御承知ように本月の十四日に北京から日僑帰国配船についての電報がありまして、東京華僑総会日赤から通知を受けたのは月曜日の十五日であります。そうして十九日東京駅出発ということでありますが、御承知ように、全国から集まつて来る帰国者でありますので、非常に無理はあつたのでありますけれども、もともと東京華僑総会は、この華僑帰国について円滑に努力したいという考えであつたので、ただちに電報あるいは速達をもつてそれぞれに通知をしたのであります。また帰国華僑においても、これに全面的に協力したいという意思があるがために、通知を受けてわずか二、三日あるいは一日のみの余裕しかないのにかかわらず、極力準備をして、十九日に間に合うべく努力なされて参つておるのであります。そうして、日赤からのこの汽車に関する通知は、特別急行列車に四両を連結するということであります。十八日に至つて、ある帰国者から、東京華僑総会へ、特別急行列車ということでありまするけれども東京駅に照会したところが、貨物車だということを回答されたのだが、どういうものかということであつたので、陳副会長は、ただちに日赤貨物列車であつては困ると思うから、何とかその点は心配してもらいたいというお願いをしたのでありますけれども、何しろ時間が切迫しておつたので、そのままになつて当日が参つたのであります。そこで、いよいよ乗車になりましたところが、四両の連結で三百五十名の乗車をするのであります。計算上から行きますと、あるいはあの汽車の定席に相当する人員であるかもしれませんけれども、ここでお考え願いたいことは、乗車するときに至つて、はしかの患者が二名も出たのであります。このうち一名は、八人家族で帰国なさるのであります。日赤は当時救急車で運んで東京駅に参つたのであります。そこで、どうもぐあい悪そうだから、第二次船に延期をしてもらえないかというお医者さんの意見でありましたけれども、その家族は八人でありまして、しかも帰国するにあたつて、自分の住んでいた家屋を家主にお返しして、そうして乗ろうと思つて来た。これはバラツクの建物であつたために、もうすでにこわされておる。家に帰ることもできない。だれに聞いても、八人家族で、世話することができないために、相談した結果が、ある程度隔離して乗車するようなことになつたそうであります。かかる状態であつたために、小さい赤ん坊とか、小さい子供をたくさんかかえ、とうていそういつたような定席だけの列車では乗り切れません。しかも北多摩郡の悦来荘というところにおりまする約百名の帰国者が、遠方なるがために、おそく参りまして、来てみたところが、みんなに腰かけられまして、すわるところもないということが問題の発端となりまして、これでは困るじやないか、乗るところがないじやないかということをお話しているところへ、中国からお帰りになつた日本人の方がそれを聞いて、われわれが中国から帰るときは官民から非常に好意ある歓送を受けたのに対して、日本政府の今度のこの輸送状態はあまりにも礼に失する、これではいけないというので、われわれはすわり込んでもとにかく帰してやるというので、その日本人たちがすわり込んだのであつて華僑は一人もすわり込んでいないという実情で、私、きよう舞鶴から帰るときにも、当時見送りに行つた華僑が、何か朝日新聞に出ていた在留華僑帰国された日僑がすわり込んだという記事に対して不平を言つておるような次第であります。そして、日僑がそこで交渉した結果連結されたのでありますが、私の聞いた範囲内においては、二等車を連結してくれという要求ではなくて、結局は車庫に問い合せたところが、残つた箱がそれだけだつたので、つまり三等車が不足のために二等車を持つて来たのであるというふうに報告を受けております。  それから、乗車の前に歓送会がなされたのでありますが、この遺骨については、新聞で御承知と思いますが、帰国者大会のときに、遺骨も自分たちの乗る船で一緒に送還するのでなければ乗船することはできないであろうという決議をしようとしたのでありますけれども東京華僑総会としては、そういう決議をすることによつて日本人の皆さんに誤解があつてもならぬから、決議をするなというので、せつかく帰国者大会で作成されました決議文を、決議させないでおいたのであります。その後実は何らの報告も受ける時間的余裕もなかつたので、先ほど大谷先生から、東京華僑総会は、大谷先生と日本政府間における約束と申しますか、それについては同意するというお話があつたのでありますけれども、時間的に余裕もなかつたので、遂に帰国たちに報告し、了解を受けることができなかつたために、東京での歓送会において帰国者から質問があつたのでありますが、慰霊実行委員会の方からの報告もあつたのでありますけれども、何分にも乗車時間が迫つたので、これを十分なすことができず、結局舞鶴で報告を具体的に聞かして、その上で帰国者の態度を決定するということで、慰霊実行委員会代表の方が一緒に乗車されたということを聞いております。これが東京駅における紛争状態であります。  さらに、東舞鶴駅における紛争状態であります。私が京都で一緒に乗つてから、何ら問題は生じておりません。そうして東舞鶴駅に、六時一分と記憶しておりますが、到着をしまして、帰国者とともにわれわれが降車しかかつたところ、関西組――これは、一応計画としては、京都で落ち合つて一緒に舞鶴に参ることになつてつたのでありますけれども、関東方面が遅れたために、関西関係が先に行かれて、援護寮に入られたのであります。それで、関東組が降車しかかつたときに、関西組がかけつけて参りまして、降車は待つてくれ、もう監獄より待遇はひどいから、とにかく待つてくれということを言われたので、一旦降車しかけた者も、さらにまた入つたのであります。そうして、その報告は――そのとき見送人が関西の方からたしか十六名か十八名一緒に参つたのであります。この帰国者の状態を申し上げたいと思いますが、今度の帰国者のうち単身帰国される方で二十以下の者が相当数ありまして、最年少者が九つになる子供であります。そこで、そういつたような単身で帰国されます方について親たちが見送つてつたのであります。ところが、関西組が援護局の寮に入つたのでありますけれども、これらの見送人の親たちあるいは兄弟は旅館へとまつてもらいたいという援護局お話つたのであります。しかし、当日は雨が降つておりまするし、御承知でしようと思いまするが、駅から援護局のバスで往服して四、五十分かかるところであります。その他の便も全然ないのです。私たちも、向うにおりまして、かけずつてまわるについて、タクシーを拾おうと思つても、タクシーは全然ないというよう状況でありますが、雨の中を歩くわけには行かない。そうして六時一分に着いて、そこでごたごたしておるうちに、雨がどしや降りとなりまして、非常に困つておりまして、われわれが、とにかく見送人の親族のために何とか心配をしてもらいたいとお願いしましたところが、全然ならぬ、とにかく旅館でとまつてもらいたい……。それで、東京華僑総会としては、帰国者の世話人として世話委員会がつくられておりまして、東京からは約三十名、関西の方から約二十名一緒に参つたのでありますが、事前に、森寮という所がありまして、その森寮にこれらの人たちをとめるというお話があつたので、それでは、これらの世話人と一緒に森寮にとめさしてもらえないかと交渉したところが、そこは絶対にとめるわけに行かぬ、日本人でさえもとめたことがないのであるから、とめることはできぬということであつたのであります。これは援護局の次長さんと業務部長さんの主張がそれであつたのであります。ところが、その交渉の席上、この話をしておるときに、そばで聞いておりました舞鶴のある日本人から、それはうそだ、森寮というのは日本人帰国者をお迎えする留守家族のとまる寮であるのだ、一切そこに日本人はとめないということはうそかということを聞かされたので、ますます帰国者が憤慨されまして、それでは差別待遇ではないかという話をしておるときに、さらに関西組から、これぐらいのアルミニウムのおわんに盛つたおかずを持つて来られたのであります。そこで帰国者がそれを見て、これだけではとても話にならぬじやないか、量が少な過ぎて、そうして全然われわれの口に合わないようなものでは困りますということで、かけ合つていたところへ、次長の話では、確かに角がついているはずだということであつたのでありまするけれども、調査した結果、結局は魚は一切れもついていない事実を知り、そこで交渉しておるうちに夜の三時になりまして、雨がどしや降りとなり、御飯は食べることもできないし、買いに行こうと思つても、ほとんどかさを持つていないし、また舞鶴市は初めてであるがために、どこで売つているかもよくわからない。ところで、ようやつとある新聞社が、みじめな状態に同情してくれまして、自動車を陳副会長に貸してくださいまして、その新聞社の自動車で、とにかくパンでもうどんでも握り飯でも、何でもいいから、ありとあらゆるものを集めなければ、三百五十人分の食事はとうてい得られないということで、その新聞社の車でかけずつてまわつた結果、ようやつと、たしか二時半か三時ごろになつて、第一回の握り飯が来まして、全員の食事が済んだのが、到着した翌朝の午前九時ごろであつたのでございます。ところが、汽車の中がむし暑いので、最初の約一時間に八名の病人が出まして、そうして親たちが疲れている関係もあつたと思いまするが、お乳の出ない者が出まして、赤ん坊が乳を吸つたところが、乳が出ないものですから、その乳首をかじつて、しまいには親も子供も泣き出し、まるで修羅場のような大騒ぎになり、もう一人の、これはおとなしい男であつたのでありますけれども、とてもこの状態ではたいへんだというので、やけ酒を飲んであばれ出しました。駅のありとあらゆる食べものは売り尽してしまうというような非常な混乱を来しまして、遂に日赤の方も心配してくれまして、午前の三時に援護局の次長と業務部長が参りました。それは本庁に照会した結果の指示だという回答であります。もつとも、その前の交渉においても、本庁からの指示がありますから絶対に曲げることはできない、すなわち、さきに申し上げましたような条件以外にはもう絶対に譲ることはできないということでありましたので、三時の会見は三時十分に終つたのでありますが、やはり本庁の指示がある。すなわち、夜中であつても、見送り人等についても、また、さつき申し上げましたように、帰国者に対して遺骨問題を報告すべく慰霊実行委員会から代表が三名一緒に参つたのでありますが、これらの人たちについても、一緒に寮に入れるわけに行かないということが、中央の指示なりとして報告されたのであります。しかし、それでは困る。日赤のそのときの希望にも、もうとにかく夜中でありますから、一応今晩はこのまま森寮に収容して、そうして翌朝解決することにしようじやないかということまで強調されたのでありますけれども援護局の方は、もう絶対ならぬということで、遂に、それではもう一ぺん照会してもらいたいということで、大体の時間を聞いたところが、三十分以内にはできるという話であつたので、三時四十分に再会見をしたのであります。そのとき、再照会をしましたところが、絶対に相ならぬということであつたので、関東、関西世話委員会の全委員たちは、とうていこれではわれわれはこの帰国者の収容はできないことであるし、また世話をする自信がないから、それでは世話委員としてもう辞退するというので、出張して来ておられました関西組も、もらわれた援護局の入門腕章を援護局の次長にお返しをして、そうして関東組に同調しまして、もうとうていこれでは世話委員会委員たちは世話をするところの自信がないということで、辞退したのであります。そうしますると、結局はあの舞鶴駅における下車のできない状態がそのままとなり、また世話委員会が世話委員の辞退によつて解散をするということになると、とうていこの問題は円滑に運ぶことは不可能であろうというふうに私は考えたのであります。実は、あるいは新聞等によつてお知りになつたことかと思いまするけれども、この交渉段階においては、東京華僑総会としては、あくまでも、多少の悪条件があつても譲歩して解決せんとして、世話委員代表とともに援護局の方と昼のうちに交渉したのでありまするけれども帰国たちの考えでは、どうも東京華僑総会は譲歩をしたがるからだめだという話もありまして、そうして、交渉するときには必ず帰国者の代表を入れてもらわなければならぬという要求をされたのでありまするから、本来ならば私は単独で援護局とさらに交渉することはできない状態であつたのでありまするけれども、収拾しなければならない責任を痛感したので、四時ちよつと過ぎに援護局へ参りまして、次長に面会を申し入れて、再交渉を私が単独でひそかにやつたのであります。そうして、援護局の多少譲歩されました案を帰国たちに提示し、また私が援護局へひそかに行くときに、陳副会長に話をして、帰国者の説得を頼んで参つたので、帰つた後には割合に静かになつたのであります。その案というのは、それまではどつちかというと命令的な、また非常にかた苦しいところがあつて、結局問題の起りは、自由に帰国できる彼らではないという援護局の見方が紛争の原因だというふうに考えられておりましたので、彼らがさらに案をつくりましたが、要するに私が提示した案に基いてつくられた。すなわち、彼らは強制送還されるものでなくして、自由に帰国するのであるから、そういう精神にのつとつて援護局で扱つてもらいたいということで、そういう字句にかえられまして回答を得たのであります。すなわち援護局の方が全面的にその要求をのんだわけであります。何分にも、輸送中においては帰国者が自弁で当然食事をしなければならぬのでありまするから、東京華僑総会としてはそのつもりで参つたのでありまするけれども、弁当がないというので、結局は三百五十人分の弁当を注文しまして、翌朝と昼、弁当を注文したところが、金がない者が過半数ありまして、ほんの一部の弁当代だけしかもらえなかつたために、遂に費用が欠乏したよう状態に相なつたのであります。援護局として、世話委員会委員も、森寮にとめるけれども、食費は自分持ちだということであつたのでありまして、世話委員のほとんどが、それぞれ事業を持つている者で、その人たちが犠牲的に世話をするという条件で行かれたのでありまするけれども、弁当代まで自弁ということになると、とうていそれだけの金も持つて来ていないし、東京華僑総会もそれだけの準備金は持つてつていなかつた。それで、援護局としては、いずれにしても東京華僑総会、要するに世話委員の世話がなくても、自分たちによつて帰国業務の手続ができるという考えであつたので、われわれは帰国たち援護局に送り込んで、みなそれぞれ帰ることに決定したのであります。それがきのうまでの事態であつて、昨晩私東京へ帰つてつたので、その後の模様は、まだ報告を受けていないからわかりません。
  61. 山下春江

    山下委員長 阿部行蔵さんにお願いいたします。
  62. 阿部行蔵

    阿部参考人 私は、参考人として参りました平和連絡会阿部行蔵であります。  帰国を円満かつ迅速に行うためにはどうしたらよいか、これは皆様方もいろいろとお考えいただいておるところと思いまするが、私どもも、この点については日夜心を痛め、また知恵をしぼつておるのであります。特に今回、中国へ帰られる方々遺骨送還の問題とがからまりまして、三団体と紅十字会を通じてとりかわしておりました配船計画がくずれるに至りました。また、先ほどから御質問のありましたような、乗船代表乗船できないというふうな状態も起り、長い間お待ちになつておられた留守家族の方々のお心に大きな憂いを与えておると思うのでありますが、こうした大事な、また困難な問題の起つておりますときに、私どもは、もう一度、今回の同胞諸君の帰国を円満かつ迅速になし遂げるためにはどうしたらよいかという点を考えてみる必要が特にあるのではないかと考えるのであります。私は、その点につきまして三つのことを申し上げてみたいと思うのであります。   一つの点は、日本人中国から帰国なさることと、国内におられるいわゆる在日華僑方々中国へお帰りになることと、花岡鉱山その他の遺骨送還するということは、別々なものではない、互いに深い結びつきと申しますか、関連を持つておる、この点を私どももう一度はつきり理解することだと思うのであります。確かに、コミユニケでは、中国におられる同胞諸君の帰国についてのさまざまな具体的な方法が研究されまして、その結果がうたわれておるのでありまして、コミユニケの中に特別在日華僑諸君の帰国の問題は規定されておりませんし、遺骨送還の問題も規定されておらないのであります。しかし、先ほど平野先生が言われましたように、今回中国から日本へ、長い間の生活から解き放たれてお帰りになる日本人、この事実が起りましたのは、何と申しましても中国側からの好意あるとりはからいによつて始まつておるのであります。これは事実でございます。中国に対して政治的ないろいろな観点をお持ちになる方々から見まして、いわゆる政治的に中国がきらいだとか、きらいでないとか、思想的に好ましくないとか、好ましいというふうな問題を離れまして、今度の中国からの帰国の問題が中国側から始まつたというこの事実は、私は承認しなければならないと考えるいであります。この中国から帰国の問題を投げ出してくれた、問題を解く一つの端緒を与えてくれたということについて、本来考えますと、こういう大きな集団帰国というふうな問題は、国家と国家との間のとりはからい、協定、協力というふうなものによつてなし得るのでありまして、民間の小さな団体などが、幾つ集まりましても、できることではないと思うのであります。ところが、御承知ように、日本中国との両政府の間には、いまなお戦争状態が継続しておる。この特殊な事態のために、中国政府日本政府との間に正常な形でこの問題の話合いを進めることができない。それならば、長年にわたる留守を大陸と日本とでお互いにかこち合つておる在華邦人日本におられる留守家族との方々の問題をそのまま放置しておいたらよいか、これは人道から申しましても、また道義上から申しましても、許されないことであります。そこで、こういう困難な問題があるにもかかわらず、人道的な立場、道義的立場でこの問題を処理して行こうと決意をし、手を伸ばしたところに、今回の問題が開かれたのでありまして、私は、その意味では、政治的な立場とか思想的な立場を越えて、人道的な立場でこの問題を処理しようとした中国政府国民の気持と申しますか、決心と申しますか、それはすなおに認めてよいと思うのであります。こうした非常に困難な条件にあるものを、人道的立場解決ようと決意してやつてくれたこの中国の出方に対しては、これもまた、私ども、政治的、思想的立場を越えて、率直に受取つて感謝してしかるべきではないかと思うのであります。人道的な立場でお互いがこの問題を解決して行こう、こうして始まつたのが今回の帰国問題の半年にわたる長い歴史でございまして、私は、この点をまずお互いに、民間の団体も、また政府も、留守家族の方々も、国民も、再確認してみる必要があるのではないかと考えるのであります。  それで、向うから日本方々が、帰つて来られる、これに対して私たちは非常な喜びを感じますし、特に留守家族の方々の喜びは格別のことと考えるのでありますが、私どものまわりを見ますと、日本におられる中国人たち、特にこの戦争のために無理に日本に連れて来られた方々とか、あるいは戦争のために帰りたくても帰れなかつた方方とか、そういう同じ条件の中におられる中国方々が私どものまわりにおられる。そして一日も早く中国帰りたいという気持を持つておられる。また中国の中では、その留守家族の人たちが、同じ気持で、一日も早く会いたいと願つておる。この事実を見ますると、私ども中国から帰つて来られる日本人を迎えて喜ばしく思えば思うほど、この人たちをぜひ帰してあげなければならぬ、そして帰してあげることが中国の人道的な発意に対するお礼である。こう考えるのも、またこれは人情のしからしむるところではないかと思うのであります。その意味で、今回中国から帰つて来られる日本人の問題と、日本から中国へ帰られる方々の問題とは、コミユニケの上ではうたわれておりませんけれども、その情操においては実に密接に結びついておる、これが一つでございます。  いま一つ、遺骨の問題でございますが、この遺骨のことも、今華僑総会の方からお話になりましたように、なぜこの遺骨ができたか、これは今回の戦争の犠牲によつて生れたものでありますし、また日本へ来て死んで行かれた方々の多くが捕虜労働者として来られた方々である。今回生き残つて中国へお帰りになる華僑方々の中にも同じ経験をなさつた方々がいる……。
  63. 山下春江

    山下委員長 阿部さんにちよつと御相談いたします。今日赤の副社長から、至急にあなたに連絡したいことがあるのでお会いしたいということですから、お会いするという返事だけいたしましてあと御簡潔に願つて、おいでいただくようにしたいと思いますが、いかがでしよう
  64. 阿部行蔵

    阿部参考人 けつこうです。
  65. 山下春江

    山下委員長 では、そういたします。
  66. 阿部行蔵

    阿部参考人 その意味で、今回華僑の方を中国へお帰し申し上げますためには、遺骨と御一緒にという形が、これもまた人道の立場から見まして必然的に生れて来ることでありまして、中国方々もそれを願つておられる。私は、その意味で、華僑を送り帰す問題と遺骨を送り帰す問題とは別だというような御意見を持つておられる方々に対して、御反省を願いたいと思うのであります。これは二つであると同時に一つである。また、先ほど申しました、中国から帰国される日本人の問題とあわせまして、これは三つであるけれども、今回の帰国運動という、あるいは帰国問題を解決するという大仕事の中には一つに結びついておるものだ、離れがたく結びついておるものだということを申し上げたいと思うのであります。これが第一の基礎でございまして、この基礎の上に立つてどもは御遺骨を送り帰す問題、あるいは華僑を送り帰す問題、日本人を故国に送り帰す問題を解決して行かなければならない、ばらばらであつてはならないと考えるのであります。  もう一つ、第二に申し上げたいことは、この仕事中国と、いわゆる国際的なつながりにおける立場から引受けましたものは、これは、私どもが引受けたのではなくて、引受させられたのでございますが、それは日本赤十字日中友好協会平和連絡会の三団体でございます。この三団体がここにこの仕事を進めて行きます場合に、これもまた離れがたく結びつかされておるのであります。これはばらばらになつてはならない。またそれぞれの歴史とか、それぞれの特色から考えますと、結びつかない面、意見の合わない面もございますが、帰国問題を解決するという事柄については、歩調をそろえて、お互いに話合つて理解をし、納得し合つて、ほんとうにしつかり結びついて行かなければならない。これがやはり三団体の性格でありますし、任務であろうと私は思うのであります。そこで、今回の華僑を送る場合に、日本赤十字政府との間に結びつきができまして、他の二団体関係を持たない、排除されるというふうな形式は、今回の帰国問題を片づける場合に呼び出されました三団体の本来の性格に反するのではないか、この華僑帰国の問題を政府が三団体になぜ委託しないのか、そうして配船とか、あるいは社船をチオーターするとか、あるいはそれを動かして行くという面で、団体の中の協議を経て日赤がこれを負担する、こういう形になぜできないだろうか。私はその点を、これは今回の措置に対して私の日ごろ考えております批評といたしまして、皆様方の前に出したいと思うのであります。  第三の点は、それでは、こうした互いに離れがたく結びついた三つの団体がこの帰国問題を処理いたしますが、政府との関係はどうなるのだ、この点でございますが、私は、最初に申げましたように、日本政府中国政府とは、表を切つて政府政府という形でこの問題を解決する立場にない、できないのだ、ここに一つの無理がございますし、問題がございます。その意味で、今の政府当局の方として、今回の帰国問題を処理なさるなさり方の中に、いろいろなむじゆんもございましようし、困難をお感じになることもありましようし、また気持を悪くなさるような面もあると思うのであります。これは、今回の問題が人道的、道義的な立場から発し、そうしてこの立場に立つて解決を急がれておるというところに徹していただきまして、お互いにこの立場で結びついて具体的な問題は解決し合つて行こうじやないか、これがやはり政府が三団体に対しておとりになる態度ではないかと私は思うのであります。この基本的な態度がきまりますならば、あとはお互いに話合いで片づくのではないか。もとより、三団体の側においては、政治的な一つの立場でこれを動かして行くというふうなことは厳重に私は避けねばならないと思いますし、してはいけないことだと思うのであります。なぜなら、帰国問題に携わつておる三団体は、その基礎に人道的な基礎がございまして、この上に立つてこそなし得るのでありまして、日赤が独自の立場に立つて行うことも、この問題を片づけるという道ではございませんし、平和連絡会日中友好協会が独自の立場であつても、これはできないことなのであります。そうしたお互いの立場を越えた、人道というもつと広い立場、深い立場に立つてこそ、初めてなされるのでありますから、私は、民間の二つの団体が、ある特殊な政治的運動にこれを持つて行こうというふうなことは誤りであるし、またそれは、この運動をしております者が絶えず自戒しておる点であることを、ここに申し上げておきたいと思うのであります。  今回の遺骨の問題につきまして、私どもはこの精神に立つて考えまして、留守をしていらつしやる方々の御心配を一日も早く解決したい、中国帰国を待つていらつしやる方々日本帰りたいという御心持を一日も早く実現したい、またそれと深い結びつきにある日本にいる中国人を送り帰す、それと結びついた遺骨を送り帰す、この四つの仕事と申しますか、気持と申しますか、願いと申しますか、それをどうしたら実現して行くことができるか、これが、今回の帰国問題で政府もさらに考えなければならぬことでありますが、三団体もお互いに考えなければならぬことだと思うのであります。私どもがやつておりますことの中で、いろいろな御不審の点や何かがあると思うのでありますが、そうした点は、ひとつ皆様方の率直な御質問、御意見を承りまして、私どもの足りない点を改めることができれば、たいへん仕合せだと思うのでありますが、これで私の参考人としての発言を終りたいと思うのであります。
  67. 山下春江

    山下委員長 どうもありがとうございました。ちよつとお尋ねいたしておきます。明日本委員会を続行いたしたいのでありますが、いろいろ質問があると思いますが、御出席を願えるでありましようか。御都合はいかがですか。
  68. 阿部行蔵

    阿部参考人 明日のことを、私、ここで御確約できないのでございますが、三団体事務局と打合せましたあとで御返事を申し上げたいと思います。それでいかがでございましようか。
  69. 山下春江

    山下委員長 けつこうでございます。どうもありがとうございました。では、次に呉普文さん。会長お話に補足されることがございますならば、お願いいたします。
  70. 呉普文

    ○呉参考人 先ほど会長からお話がありましたことで大体尽きたのでありますが、私は、時間もないので、われわれ華僑はこの問題に対してこういう気持であるということを皆さんの御参考に率直に申し上げたいと思います。  まず第一に、今皆さんが、華僑帰国とか遺骨送還につきましては、ほとんど人道上と道義上のことを言つておられるようでありまするけれども、私たち華僑といたしましては、単に道義上、人道上のことではなくて、日本政府としては送還する義務があるのではないかと思つておるのです。なぜかというと、新聞またはいろいろのパンフレツト、プリントを皆さんに差上げました通り、たとえば遺骨のことに関しましては、戦時中、あの当時の日本政府に連行されて来た者もありますし、また一部捕虜もおります。それは十七歳から五十八歳までの人間でありました。十七歳ということは、中国では普通は満でなくて数え年なのです。要するに、十五、六の子供まであの当時の日本政府は連行して来たものでありまして、今になつたら帰してくれる相当の義務があるのではないかと私は思うのです。その責任の問題はわれわれは追究しません。その問題は前の政府のやつたことであるかもしれませんけれども、しかし、いかに新しい民主日本政府ができても、これを送還しなければならぬ義務があるとわれわれ華僑は認識しております。しかし、いろいろ国際事情もありましたので、道義上でもよろしい、人道上でもよろしいが、とにかく、このかわいそうな彼らを一応帰してくれればいいだろう。そこでわれわれは、今までそういう道義上のこと、あるいは人道上ということだけにそのまま沿つて来たわけなのです。その点、われわれはほとんど教育も何もないのであるから、ただわれわれの主観的な、常識的な観点からして、これは単に道義と人道上のことでなくて、まつた日本政府の義務であるとわれわれ華僑理解しております。  もう一つは、このたびの日本政府の態度でありますが、華僑帰国でも、遺骨送還でも、今まで長い間交渉されたのでありますが、日本政府としては、たとえば華僑帰国のことについても、あるいは遺骨の問題についても、台湾政権との安全保障問題をすぐ持ち出しますが、この問題については、あなた方日本人としてはどういうふうに理解しておるか、われわれはわからぬけれども華僑としましては、こんなことはあり得ないと認識している。なぜならば、まずその遺骨のことについて少し説明しますが、一九五〇年十二月一日あのときは華僑遺骨を集中して、そうして浅草本願寺で第一回の慰霊祭をやつたわけなんです。そのとき、その当時の代表団の僑務処長劉増加が出席したわけなんです。彼がそのときたといどういう気持であろうが、一旦集積した以上は遺骨に対してある程度まで考えがあつたこととわれわれは解釈します。しかし翌一九五一年十一月ごろの第二回目の慰霊祭のときは、あのときの代表団が反対しました。その反対理由としましては、われわれが聞いたところでは、ちようどあのときは日本とアメリカが講和をやろうとしていたときで、中国遺骨を云々したら日本としては非常に困るだろう、日本は台湾と講和しないじやないかというような、そういう立場からして一応反対したわけです。だから、台湾の反対というものは、日本のために反対させられたということをわれわれは感じております。もう一つは、講和の問題を参考までに一応申し上げますが、あのときのアメリカとの講和について、台湾は一生懸命になつて講和に参加したいと思つてつた。しかし、台湾はすでにボイコツトされてしまつた。そのとき台湾は反対している。しかしやはり反対し切れない。日本はそのまましてしまつた。台湾としては、あの大きな問題さえ日本に対して発言権がないのでありますから、この遺骨の問題に対しても反対していないことで、最初は日本の講和のために反対せざるを得なかつたとするならば、もし日本政府にここで送還する誠意があるならば、その点については台湾は安全保障問題は云々しないだろうと思います。ところが、日本政府は、あくまでも台湾の安全保障の問題を言いながら、しかしわれわれが台湾のいかなる人間といつ交渉したのかと聞くと、この問題は全然言つていないのであります。新聞にどう発表したところで、われわれはこういうふうに理解する。要するに、これは口実にすぎない。日本政府としてはこれは帰そうと思うていない。なぜかというと、その中に裁判の問題とか、あるいはいろいろの費用の問題とか、また責任問題とか、日本政府はそういう問題をできるだけ避けたいのじやないか。われわれ華僑はそれくらいのことは認識しておる。  最後に、私一点言いますけれども、その華僑帰国ということと遺骨送還ということとは、われわれ華僑はどういうふうに理解しているかというと、これは同じ問題であると理解している。なぜならば、今の華僑は、帰国者のリストを調査してもわかる通り、ほとんど二十、三十くらいの若い者でありますから、戦争前あるいは戦争日本へ連行されて来た者であるということは明らかである。ただ問題は、死んでいない。幾ら虐待されても死んでいないだけのことでありまして、もし自分らも死んだとすれば遺骨である。生きているならばこのたびの帰国者であるということです。この点は、日本政府の方はもう少し認識してもらいたい。それをいかにも別個の問題であるかのごとく解釈する。だから、そういうよう華僑の考え方との間に、このたび問題になつたわけなんです。帰国者に言わせると、この遺骨問題は一番最初日本で提起したものでありまして、華僑帰国というものはごく最近のことであります。しかも、もし帰すならば、何よりもまず遺骨送還するのが当然じやないかとわれわれ華僑は了解しておる。生きてる人間はあとで帰つてもよろしい。これは人情でありますし、当然のことであります。もしどうしても最初に遺骨送還ができなければ、少くとも一緒に送つてくれということが華僑の気持なんです。従つて、この問題は今日非常に発展しているわけなんです。  もう一つ、私たち言いたいことは、日本政府やり方は、いかにもわれわれ理解できないところがある。あくまでも、われわれ華僑は野蛮である、乱暴であるというようなふうに、日本国民大衆に悪い印象を与えようとしている。たとえば、華僑帰国させるのに、汽車のことでは、最初は何も言つおりませんでわざわざ貨物車を置いて、結局先ほど会長も言われた通り、そのために帰国者が非常に憤慨してすわり込んだ。要するに、すべてやるべきことをやらないで、因縁をつけて、逆に日本国民大衆に華僑はいかにいばるかという印象を与えようとしておるんじやないかと私どもは考えておる。特に、帰国者の四十名の世話人のことについては、十七日の晩、私と陳副会長日赤に行きまして、四十名の添乗証明をもらいまして、大体日本政府の了承を得た。その添乗証明を持つて乗車券を購入して舞鶴へ行つたわけである。ところが、援護庁はこれを認めないと言う。一応日赤が認めたにもかかわらず、援護庁は認めない。ぼくたちに言わせると、わざわざ何とか因縁をつけて、もめさせるようにしておるのは日本政府じやないかと解釈する。特に四十名の世話人の問題にしても、貨車も提供し、乗車券も提供し、バスの出迎えも提供しておる。ところが、食べものを提供しないということは、われわれの常識から考えられないことなんです。これもやはり提供すべきものであるにもかかわらず、わざわざ提供しないで、われわれ帰国華僑を憤慨させて、紛糾を起さすようにして、もつて日本大衆に中国人がいかに乱暴であるかという印象を与えようとしておるのではないか、これこそ日本政府の政治的な仕掛であるということをわれわれは認識しておる。その点、よろしくその真相を考えられて、私は詳しいことを言うことを遠慮いたしますが、大体こういう根本の問題を皆さんは認識し直して、この問題を解決していただきたいと思います。
  71. 山下春江

    山下委員長 お諮りいたします。本日は時間もおそくなりましたので、参考人事情聴取はこの程度にいたし、明日引続いて参考人の方に御出席を願い、事情を聴取いたしたいと思いますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  72. 山下春江

    山下委員長 御異議ないものと認め、さよう決定いたします。  なお、ただいま御出席の方には、明日引続いて御出席をお願いいたします。たいへん長い時間ありがとうございました。深くお礼を申し上げます。  本日はこれをもつて散会いたします。     午後六時三十九分散会