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川島(金)
委員 たいへん時間がたつたあと質問を申し上げて恐縮でございますが、この
委員会にもいろいろと
法案が山積して参りましたので、私の今お尋ねしたいと思いますことを述べる
機会が、今後はなかなかないのではないかと思いまして、恐縮でございましたが、総裁の御出席も求めたわけでありますので、その点をひとつ御了承願いたいと思います。
国鉄にとりましても、
運輸大臣にとりましても、忘れることのできない近来の事件の
一つでありました昨年の六月中旬に発生いたしました日暮里における椿事、この事件が発生いたしまして、今日すでに一年を経過しようとしております。しかるところこの日暮里事件の発生の後におきましては、
大臣も総裁も御
承知の
通り、当面の
責任者といたしましては日暮里の助役でありまする中山鹿之助氏ほか建築
関係の人も加えまして、四名の職員がいずれも業務上過失致死罪によ
つて訴追をされまして、目下御
承知の
通り審理が続行されておるのであります、ことに承るところによりますれば、毎週一回という頻繁な公判が開廷せられまして、それぞれ裁判当局において慎重なる審理を進めておるように承
つております。この事件で不幸にして一命をなくしました方々及びその遺族、あるいはまた当時負傷せられました多くの乗客の各位に対しましては、われわれは総裁、
大臣とともそれに
国民の一人として弔意を表し、お気の毒の意を表さざるを得ないのでございますが、そこでこの問題自体を私はここで掘り下げてあらためてお尋ねをしようというのではございません。ただこの際総裁に特にお尋ねをしておきたい問題の焦点は、現場におけるこの種の事故の発生の都度、私が見て参りましたところによりますと、まつたく名もなき、力もなき一職員が、全身にその
責任を浴びて訴追をされ、そのあげくのはてには刑に処せられて、永年勤続して参りました職員が心ならずも無念の涙をのんで退職を命ぜられ、しかもその事故によ
つて退職を命ぜられるのでございますから、その後における待遇といえ
ども一般の人とはおのずから異なるような待遇を受けるのやむなきに至るという、実に気の毒な職員が今日まで多数おられるということは、総裁もよく御存じのことと思うのであります。そこで私は特に総裁にお尋ねいたしたいのは、こうした国鉄の現場における事故の発生によ
つて訴追されまする
責任者として、こうした者だけが全
責任を負わなければならぬという建前をも
つてよろしいとするのかどうか。この点につきまして私は疑問を持
つておる一人であるのであります。
さらに
運輸大臣はもちろん、総裁もすでに御
承知と思うのですが、去る四月の十三日には鴻ノ巣、吹上の間におきまして、荷扱いの人がその繁忙な仕事にまぎれている間にこんろから発火をいたしまして、その一車がまつたく焼失をするという事件が起りました。そのためにその当日の乗務員であつた一人の荷扱いが訴追をされました。これまた最近二、三日前でございまするけれ
ども、略式命令によ
つて少からざる罰金が来ておるようなありさまであります。日暮里の事件といい、今回のこの事件といい、相当善良な管理をされておつたといたしましても、この事故が起るべくして起つたのではないかという感じがわれわれはいたすのであります。かりに日暮里の当時における駅長とか助役が、何十人の乗客が一ぺんにその陸橋の突き当りに殺到するなんということは、普通の常識においては想像も及ばないことであります。
従つて平常の場合においてはこの
程度の陸橋であれば、不測の事件を起して乗客に対してたいへんな迷惑を与えることはなかろうというような、一種の良心的な管理の
立場でものをながめておろうと思うのであります。しかも駅長などは建築の専門家ではさらにないようでありますから、いわんやそういうことに専門的な心配りをするなどということは思いも及ばないことではないかと思う。ところが事故が発生いたしますと、駅長あるいは助役が、お前が
責任者であるということでたちまち検挙され、訴追されて、しかも究極においてはこれらまつたく少数の人々が、その
責任を負わなければならない。こういうことになることは、まことに私は遺憾なことではないかと感じております。
吹上、鴻ノ巣間における六〇一号列車事件も、総裁は詳細な報告を受けて全部御
承知だと私は推察申し上げるのでございますけれ
ども、総裁は学校を出て現場にもおられたのですから、少くとも現場の実情というものは知られておるはずであります。荷扱いの車の中の
状態は、われわれしろうとが外目で見ましても想像に絶するのでありまして、ほとんど車一ぱい、天井に届くまで荷物を満載し、しかも満載した荷物のまん中には、人一人ようやく横にならなければ通れないような細い間隙を設けまして、その中で荷扱手は働いておる。あまつさえそればかりでは足りないで、荷扱手のいこいの場所、仕事の場所、同時に
監督の場所であります車掌室と申しますか、小さい部屋がありますが、そこにも荷物を載せなければならない、そういう過剰な積載をいたしまして、輸送力の増強という名のもとに過大な労働をしいられ、しかもその過大な労働に対しても易々諾々として
日本経済再建のために働いておるというのが、乗務員の現在の実情であるということも、私が申し上げるまでもなく総裁よく御存じだと思います。しかるにその結果起つたのがこの間の六〇一号列車事件でありまして、この方はたちまち訴追され、莫大な罰金刑に処せられております。かりにこの罰金が他の
方法で支払われたといたしましても、本人に課せられた一生涯ぬぐうべからざる刑罰というものは、精神的には断じて抜けないというところに追い込められておるということも、また想像にかたくないのであります。そういう観点からこのような末端の善良な官吏のもとにあ
つてもなおかつ起るべき事態であつた。
責任はむしろ他にある。ただ事件が発生いたしまして、末端の名もなき薄給の者が、全
責任を社会的にも内部的にも負わなければならぬという
責任体制が、はたして国鉄の
発展のためにしかるべき姿であるかどうかということは、大いにこの際再検討をしなければならない
事柄ではないかと思うのでありますが、これらの問題につきまして総裁はどのようなお考えを持たれておるか、その基本的な総裁の
考え方をこの
機会にお尋ねしておきたい、かように思うわけであります。