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伊藤修君 あなたの
考え方は便宜の目的を主にしてお
考えにな
つて、
立法論を無視していらつしやるのです。私はそういうあり方はとるべきじやないと思うのです。飽くまで我々は
立法技術的において先ず
考えなくちやならんと思うのです。目的のためにはそうした基本
観念を曲げても差支えないと、それが
国民に利益になるのだからというお
考え方は、それは私はとるべきじやないと思う。
国民に利益、不利益になるかならんかは、その受けるものによ
つて定まることであ
つて、いやしくも
基本人権に影響を及ぼすような
事項は、即ち
立法事項である、これは憲法の示す
ところであります。これをゆるがせにして各
行政官庁にこれを委ねて、政令によ
つてこれを羈束しようという
考え方は、延いて
日本の全
立法体系を紊すものであると思う。私はこの
衆議院のお
考えにな
つておる
ところの
趣旨には全面的に
賛成です。ただこれによ
つてこうしたことをも政令に委ね得るという
考え方がここに現われて参りますと、今後各種
立法をなされる場合においてこういうことが頻々として行われたならば、
日本の
立法体系というものは崩れてしまうのです。この点を憂えるから今御指摘申上げるわけです。先ほども御
答弁中に相手国があるから、
外交交渉の点を考うるならば、どうしてもこうしなければならんというお
考え方、それは御尤もです。併し条約の第十一条の先ほど御指摘いたしました
日本国の取得しておる勧告権というものは、これは独立国として、当然今日我々の自由
意思によ
つて定められるのです。だからこの条件を緩和するということが、
日本の
国民の独自の
考え方によ
つて定めても差支えないと思うのです。それが相手国に響きが多いか少いかということは、次の段階において、
外交交渉によ
つて賄うべき筋合いのものであると思います。例えば一年の
期間経過によ
つて仮釈放の条件ができると極端に
日本法律で定める場合において、あえて
決定権を持つ相手方において、さような甘い
考え方で
日本国民がおるということに対しては承服しがたいとして、これの勧告を拒否するということはあり得るでしよう。そうした極端な
考え方でない以上は、今日の世界の情勢から
考え合せまして、又アメリカその他の
各国が、アジアにおける
日本国民の地位というものを
考え、
日本国民の少くとも同意を得ておらなくてはならない、
日本国民の協力を得なければ、アジアの平和は保ち得ない。延いて以て世界の平和を保ち得ないということは、彼ら自身が十分認識しておる今日の国際情勢下において、何を好んで我々が卑屈な
態度をとる必要があるのです。極端な、彼らの常識に悖るような条件を我々が
国内立法でする場合は、そういうそしりを受けても止むを得ない。併し少くとも我が刑法典で定めるがごとき条件、例えば十六条のこの第一号の場合はそれと相応しております。併し第二号の場合は、
国内法にいう
ところの無期の場合若しくは死刑に相当する場合に相当するのですが、これまでの
日本国民の
法律生活においては、曾
つて経験していない四十年とか五十年とかいうような
長期であるから、これは当然
国内法にこれを照応いたしますれば、無期懲役に相応するものとして
考え、これを刑法の二十八条の第二号のいわゆる無期の場合に相当するものとすると
考えて、十年に引下げるということは当然彼らに主張して、教えて差支ないことです。それとも政令に委ねまして、一年、二年とか、或いは半年で釈放するというような政令を定めるというお
考えがあれば、これは別です。そうでないならば、全世界の人々に向
つて容易に納得し得るような常識的なものであれば、正々堂々として
国民がこう期待するということを
国内立法の上に表現して、何も私は差支えないと思う。それが相手方との
外交交渉の上に差障りがあるもとのは
考えられない。さような卑屈な
考え方を持つこと自体が、今日まで戦犯の問題に対する処理ができないという
政府の軟弱な
態度から出て来るものです。いやしくも
衆議院のかたがたがこの問題に対し取組んで御協力をなさるという以上は、進んでそれまでの強い信念を
国民の名において表現すべきものであると思う。それが相手方の感情を害する
程度のものであるならば、それは止むを得ません。併しそれは避くべきでありましよう。そうでなく、当然我々の
法律生活の上において認め得られる
程度のものであるならば、あえて
立法体系、
立法技術と「うものを破壊してまで、ここに政令に委ねるという便宜法をおとりになる必要はないと思う。私はこの場合において堂々と第十六条の第三号ですか、有期懲役に相当する
ところの二十年以下のものは、刑期四分の一、或いはそれ以上のもの、四十五年なんと言わなくてもいい、それ以上のものは四十五年ですか、
長期に亘るものは、十年にするとか、或いは七年にするとかいうことを端的に表現しても差支えないと思うのです。
従つて政令で定める場合においても、そういうような傾向に行かれると思うのです。何も私はかような政令に委ねるというような、頬かむり式で逃げてしまうということは、我我国会としてとるベき
態度ではない、かように思うのですが、重ねてその点に対する所信を伺います。