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1953-02-25 第15回国会 参議院 内閣委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年二月二十五日(水曜日)    午前十時二十四分開会   ━━━━━━━━━━━━━  出席者は左の通り。    委員長     竹下 豐次君    理事            上原 正吉君            横尾  龍君            松原 一彦君    委員            中川 幸平君            河井 彌八君            成瀬 幡治君            村尾 重雄君   政府委員    内閣総理大臣官    房賞勲部長   村田八千穗君   事務局側    常任委員会専門    員       杉田正三郎君    常任委員会専門    員       藤田 友作君   参考人    東京大学総長  矢内原忠雄君    日本済生会理事    長       川西 實三君    東京商工会議所    専務理事    岡松成太郎君    参議院議員   石黒 忠篤君    元南満洲鉄道株    式会社総裁   山崎 元幹君    評  論  家 阿部 靜枝君    国学院大学教授 瀧川政次郎君   ━━━━━━━━━━━━━   本日の会議に付した事件 ○栄典法案内閣送付) ○連合委員会開会の件   ━━━━━━━━━━━━━
  2. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) 只今から内閣委員会開会いたします。  栄典法案を議題にいたします。  先ず参考人のおかたに御挨拶申上げます。御存じの通り現行勅令によりまして定められてあります栄典に関する法令の施行が、現在は原則として運営をとめられておる状態でありまするが、時勢も大分変りまして、又新らしい栄典法をこしらえて適当にこれを運営して行くということが必要ではないかというような大体の政府側考えのようでありまして、栄典法案が提案されたようなことであります。ところがこの問題は、一度法律ができましたならば、相当に長い期間これを改正するということは甚だ望ましくないのであり、事実できないことであると思いますので、当委員公といたしましては、できるだけこれを慎重に審議して、本当に国民の期待に副うような立派な法律を作ろう、かように考えておる次第でございます。つきましては、各方面に高い見識を持つておられまする参考人のおかたの御意見を拝聴いたしまして私ども審議参考に供したいと、こういう考えで、お忙しいところを無理にお願いをいたしましたところ、心よくお引受け下さいまして誠に感謝に堪えません。これから御意見の御陳述をお願いいたします。  先ず矢内原さんにお願いいたします。
  3. 矢内原忠雄

    参考人矢内原忠雄君) 私の根本考えは、民主的な人間教育する、養成することが戦後日本の一番大切なことだと思つております。それでその点からこの問題を考えておるのでございますが、民主的人間というのは、人間それ自体値打ちでその人が認められることが根本だと思いますので、栄典というふうな飾りものといいますかは、成るべくないほうがよいというのが私の根本考えなんです。それで栄典というものは、一つ功労のある者に対して国家がその功労をほめる、顕彰するという意味がございましようが、私の考えておりますことは、国民が国に尽すのは当然のことなので、それで何か功績があつた功労があつたといつても、そのこと自体がその人の名誉になるのであつて、特に勲章とか位とを与えて表彰をする必要はない、当然のサービスである、国に対する務めであると考えます。なおその功労と申しましても、一人の個人仕事というのは殆んどないので、たくさんの人の協力によつて或る仕事がなされるのでありますから、その功労代表して或る特定の一人の人に栄典を授けられるということも少し妙な気もいたします。  それで第二点は、功労のある人、まあ平凡な言葉で言いますと、優れたかた目印として栄典を授けると、青少年教育に対して効果があるか、自分も発奮してえらい人になつて行こうという奨励になるという、そういうことも考えられますが、これは又半面から申しますと、青少年は例えば勲章を持つておるからえらいと、こういうふうに考え、それでその人の功績ということ、人その人の値打ちということによつて人間の品位とか功労とかいうことを考えないで、目印で判断するということは形式的な教育、形式的な精神教育になるように思うのでありまして、教育上も効果はない。例えば一例を申しますと、伊藤博文というかたがあつて大変明治時代功労者であつた。それで公爵になり、或いは大臣になられたといいますが、今から遡つて考えますと、公爵であつたとか、大勲位であつたとかいうことは大した問題でない。殆んど忘れておりまして、ただ伊藤博文というその人が記憶されている。そういうわけでありまして、栄典という言葉は、俗な言葉で言えば飾りものでございますので、飾りものによつて人を見るというのでなしに、人そのものを見るということが、これが教育という見地から言えば一番いいんだと思うのです。ですから功労に酬いるという点から言つても、又奨励になるという点から言つても、栄典はないほうがいいと私は考えるのですが、仮に一歩を譲りまして、栄典を制定せられるならば、その趣旨に基きましてできるだけ簡単なほうがいいと思うのです。  それでこの法案要綱並びに法案を頂きまして、一通り拝見いたしたのでありますが、私の印象では、ちよつと複雑過ぎるように思うのです。それで勲章は四種類ですか、簡単化したようでございますけれども、この法案そのものについて申しますと、もつと整理すること、整理して簡単化することが望ましい。  それで第三の点は少し具体的な、これは意見になりまして、御参考になるかどうか知りませんけれども、一番まあ私のその原則論から申しまして、勲章を作るとするならば、二種類くらいがよくはないか。それは外国の君主とか、大統領とか、外国人に対して贈与する。まあ儀礼用勲章一つ作る。国民に与えるのは一種類、それで、それは戦後文化勲章というのが制定されまして、かなり評判もまあよろしいように聞いておるんですが、文化勲章を少し範囲を拡張いたしまして、発明家産業上の発明のあつた人とか、そういう人に与える。それから新聞界ですか、言論界とかなんとか今の学問とか、文学、芸術よりちよつと幅を広くして与えれば、文化勲章でよくはないか。そうして政治家などはこれはまあ私の原則から言うと、国家に対するサービスでありますから、特に勲章は与えなくてもいいじやないかと思うのです。併し何か文化上の功労があるとするならば、その意味文化勲章を与える。まあ政治家には何といいますか、今申した公僕といいますか、サービス、奉仕という精神が非常に強い、特に強いものでありまして、政治家とか、官吏とか、国家公務員とかというものは特にこれは勲章は、そのために与えるような勲章はなくてもいいじやないか。それでそうしますと、外国人に与える勲章と、それから国民に与える勲章との二種類になつて、非常に簡単になつてよくはないか。旭日章というのがございますが、もう一段私の考えを下げまして、この原案通りで四種の勲章にするにしても、旭日章等級をつけるということはないほうがいいじやないか。文化勲章でも等級がないように、旭日章等級が要らない。功労章と褒章というのがございますが、これももう一本にできるんじやないかと思います。それで功労章言つてもいいし、言わなくてもいいのですが、これをやるにしても、一つでよくはないか。それから位階というのがございますが、位階はこれはないほうがいいと思います。それで、殊に十六に分けるなどということは、非常に複雑でありまして、人間を、位を小刻みにして十六にするのはおかしいことにも思われます。それで正何位とか、従何位とかいうあれは、ないほうがいいと思います。  もう一点附則の、今までの戦前に頂いておりました勲章とか位とかいうものの処置ですが、これは法案では効力があるように拝見をするのでありますが、あれは効力ないことにしたほうがよくはないか。つまり華族ですか、公侯伯子男爵が廃止されましたのと同じ趣旨で、戦前栄典は御破算にする、そうして若しこの制定せられる栄典があるならば、今後に限つてなすつたほうが私の最初に申しました民主主義的な人間を作るということが、……私は主として教育の面から申したのでありますが、よくないかと思います。  大体私の申上げたいと思つたのはそれくらいのことであります。
  4. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) 御質問がありましたら、この際お願いします。  それじや私ちよつとお尋ねいたしますが、先ほどのお話の中にもちよつとお触れになつたと思うのでありますが、勲章を或る程度に広く作つて、そうして国民一般に多少の刺戟を与える。そうしてまあ皆が勉強するようになるだろうというような気持ですね。そういうふうのことをこの勲章栄典の問題へ織り込んで考えるほうがいいのか。功労功労として、本当にお礼をする意味というか、そういうふうに考えるのがいいのか。その点についてはどういうふうにお考えでしようか。
  5. 矢内原忠雄

    参考人矢内原忠雄君) それはとにかく結果として刺戟奨励ということはありまして、いろいろ私ども自分でも経験がありますのですが、学校先生なり、小学校先生なり親なんかが、人を示しまして、こういう人は偉い、お前も偉い人になりなさいというときに、勲章が出るのですね、勲章とか位とかが……。勲章や位がそういう工合に使われますから、そういうことを使つて教育はよくないというのが私の意見なんです。それからこれはまあ多少余談的になりますが、位階勲章というのは等級がありまして、位も等級があり、勲章等級があり、だんだん上つて行くわけですね。今度どう運用なさるか存じませんが、戦前においては官立学校教員年功で以て上つて行くんです。次第に……。ところが私立学校教員は特別なことがなければ勲章も位も頂けない。頂くにしても非常に低いのを頂くのです。それで同じ教育なり学問従事していて、官吏であるのと、民間であるのと非常な違いができます。あんなことも私などはおかしかつたと思うのであります。それで勲章や位が小刻みになつておりますと、何らかやはり与えるほうになると、年功によつて与えるとか、まあ年功というのも一つ功労かも知れませんけれども、特に位階勲章で以て表彰するほどの功労でもないと思う。ただ長生きしたというだけのことである。それでこの官吏の、今の公務員と申しますか、それからそうでない人との区別とか、それから年功区別とか、そんなことは入つて来ないように制度作つておくことがいいと思います。栄典制度をお作りになるにしても……。そうしますと、今の文化勲章は非常に選考の範囲が広うございまして、慎重になさつておるようですがまあ一本の勲章で、視野を広くして選考するということが望ましいと私は思うのです。栄典を保存するにしても……
  6. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) それからもう一つお尋ねいたしますが、国会議員などはその仕事の性質上奉仕的なものであるからこれらのものに勲章授与の必要はないとの御意見がありましたが、それは国会議員等だけでなく、その他特別の仕事を持つておる人だけでなくて、国民全体が奉仕的な考えを持たねばならぬものと思わるるので、職業によつて色分けして、或る者には授ける、或る者には授けないという考え方はどうかという疑問を持ちますが、どうですか。
  7. 矢内原忠雄

    参考人矢内原忠雄君) その点は私少し説明が足りなかつたと思うのですが、妙なことを言うとお考えになるかも知れませんが、元来勲章というものは一つもないほうがよい。与えるならば、政治というもの、或いは官吏というもの、政治行政ですね、これは特に国の事務仕事といいますか、まあ国に関係することでありまして、おのずから私栄誉があると思うのです、その地位伴つた………。例えば大臣とか或いは国会議員とか、そのこと自体がまあ義務でもあると共に名誉でもあるのですね。ですからこれを特に、更にその上に勲章を以て表彰するということは必要ないのだと思う。ところが学問とか文化とかに従事している者は、まあそれ自身も名誉であると言えば言えますけれども、多くは埋もれる人もありますし、政治家公務員のように目立つ地位にはないと思います。ですから栄典を与えるならばそういう者に与える。産業はどうかと言いますと、実業界の人はお金は大体あるし、それから昔と違つて今は実業家言つて社会的な地位が非常に高いですから、これも特に栄典を与える必要はない。結局表彰すべきものは社会でとかく埋もれそうなものを主として考えるのがよいのじやないかというのが私の趣旨です。
  8. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) それでは矢内原先生に対するお尋ねはこれで終りたいと思います。  次に川西實三さんにお願いいたします。
  9. 川西實三

    参考人川西實三君) 私のような名もない者がこういう席にお呼び頂いて内心大変忸怩たるものがあります。  早速私の意見を申上げますが、私は今度の案に対しまして三つのことを申上げておきたいと思います。  その一つは、文字はちよつと腐心しておるのですが、どうも適当なのが見付からないのですが、要するに生涯の仕事として或る仕事従事或いは仕事がなくても研究従事する。要するに、この人生を如何なる仕事、如何なる態度で送るかということについて献身的に或る事柄従事した人を表彰するというその途を開くということが必要である。従つて勲章という名前に附ければどうすればよいか、ライフワークというものに対して……若し英語を使うとすれば、ライフワーク勲章、漢字で強いて当てはめるとすれば、献身……身を捧げる。つまり献身的に仕事をするという献身勲章というようなもの、即ち献身的に業務又は研究従事或いは専念して、国家又は公共に功労のある者に出す。これはできるだけ広くその功労程度に応じてこれを表彰するために勲章を授ける、いわゆる仮称で献身勲章というようなものを只今の案になつておりまする勲章のほかに、或いは場合によつて文化勲章とか、産業勲章はその中に含めてよいのじやないか、こういう感じがいたすのであります。それが一つ理由であります。献身勲章という制度一つ新たに設ける場合に、その中に文化勲章産業勲章を入れるということにしたらよくはないか。  それから第二番目は、従来の国民の受けた感じから言いますと、栄典を授ける場合に、お手盛り感じ感じさせておる。或いは一局部に偏しておるような感じをさせられる。従つてそういう感じを除くためにこの案にあります、例えば審議機関、この審議機関は抽象的な文句が書いてございまして、その文句から言えば何ら別に異議を申すことではないのでありますけれども、併し具体的に審議機関を構成し、人選をする場合には、そういう感じを与えないように、我々の代表といいますか、国民自体もと思うようなそういう構成、人選ということが必要であるということを一つ感ずるのと、もう一つは、この案では申出を町村長が申出て、そうして知事云々と、こういうことになつております。あれは法文の文句から言えば、町村長だけに限るという意味ではないかも知れません。ただ行政上の手続として町村長が申出るということを示しておるのであつて、それ以外のものが申出ちやいかんということにはなつていないのかも知れませんが、町村長と書いてありますから、とにかく文句はどうでもよい。実質的にはもとより行政をあずかつております、或いはそういう国家的のことには、町村長、府、県知事、こういうことになるのは当り前のことでありますけれども町村長以外の者もこれに栄典を授けたらよいという者がある場合には申出てよい。それは町村長なり、府県知事を経由する場合もあれば、場合によつては、この窓口で随分停頓するときには、町村町と府県とが何とかというようなことでありますと、折角国民として、或る人が優れたということが、どの方面からか出て来た場合に、そういうところで手間を取つたら阻止されるということがあるといけませんから、そういう正規のところを経ずとも、栄転審議会というものがあれば、よこへ直接申出るという途を塞がないようにしてもらいたい。もとより、それが表彰に値いするかどうか、こういうことを審査する場合に、府県知事に紹介し、或いは町村長に紹介するということは、当然のことであります。併し又、それをただ府県知事、ただ市町村長に紹介するというだけにとどめないで、果してそういう価値ある人なりや否やということについては、そのほかの方法も十分にとつて、要するにお手盛りであるとか、或いは或る行政機関等によつて塞がれないような明るい、風通しのいい、こういうようなものであるように手続上注意をすることが必要である。これが第二点。  もう一つは、やつぱり位階というのは十六等位に分けてございますけれども、私はこれは廃止するほうがいいと思います。もとより、その堅持をしようとするのに、それぞれの理由はありましようけれども、私はこの出直して栄転制考えるという今日のときに、又健全なる民主主義を育成して行くという意味から言うと、どうも私どものように古い時代に生れて、位階そのものの価値を十分に認めるという面を多分に持つておる者でも、どうもこの時代感覚として何か一種の封建的なものを、ちよつと雛壇を作り、宮中席次をきめて何かしておるような感じを与えるので、その意味において、私どうもこれは存続しないほうがいいと、こういうふうに思うのであります。  それで三つ述べましたうちの二番目と三番目に申述べましたことは、強いて、多く今申上げました以上に、私は申上げる必要を感じないのでありますが、第一の問題といたしましては、事柄が多少私自身の勝手なことを申上げるようで恐縮でございますけれども、実は私こちらの委員長も御存じ頂いておりますが、随分長く役人の生活を内外においていたしました。で、その実感からいたしまして、どうもこの日本の国におきましては、妙なことを申すようでありますけれども、栄てん、つまり栄えるという言葉には必ずてんずるというものがつくのであります。つまり仕事を変える、地位が変わる、こういうことにおいて、栄という字がつくのであります。従つてどもが官公の仕事をいたしておりましても、御栄転を祝すという電報をたびたび受け、又たびたび打つ、つまりホリゾンタルに、横に変る、今まで携つてつたのが、任期が変り、仕事が変つた場合に栄という字がつく。その同じ仕事において栄進というか、そこにヴアテイカルな、縦に、その仕事において栄という字がつく場合が極めて少ない。従つて、何か極端な場合のごときは、警察の中に刑事がおる。この刑事、或いはこの探偵は非常な名探偵であると、こういうように言われるような人であつても、その人に栄をつける場合において、どうもいつまでも刑事において置くわけに行かない、と言つて警部補とか、警部にするのにはこいつは向かん、署長より上というわけには行かないんだというようなことで首をひねる。そうかといつて刑事以外のことをやらせることは、これは能率の上から言つても極めて不都合だ。こういう例は実に多いのであります。  そういうことの具体的な例を申上げて御参考に供したいと思うのでありますけれども、例えば私はまあ数回国際労働問題のために、欧米に、殊にヨーロツパに派遣されまして、或るときに、三度目のときでありましたが、コロンボで一つ、もうあすこのキヤンデイー市だとか何とかに行くのでなしに、民情を、ずつとその土地の状況を見ようじやないかというので、一緒に行つた労働代表と、領事館に行つて、そうしてこういうわけだからここの土地の事情を詳しく話してもらいたいと言うと、丁寧に親切に案内してくれた。その書記生の言うことに、私はその書記生から聞いたが、君はここの国の言葉をよく覚えている、いや、多少……、何年おるか、十五年とかおる、併し私がこの国の言葉を非常よく知つているということが本省に知れますというと、私は出世ができないと言うのです。要するに栄進の途が開けておらないのみならず、或ることに非常に堪能であると、栄進というものの妨げになるという、事ほどさように……。私は或いはスウエーデンに行きましたら、スウエーデン言葉を勉強しているかというと、そういうところの言葉を勉強していると、やがてフランスとか、イギリスというものに行くことになるのが、ここの主になるとどうもちよつと出世ができない。こういうことはこれは官吏だけじやないと思います。ほかのところにおいてもある。官吏のときほど妨げになつてはいないけれども、併し或る専門家自身がぐんぐん伸びて行くというようなふうな制度というものが、日本においては私は足りない。もとより私が長くおりましたスイスのごときは、勲章一つありません。ないけれども、そこにおいては専門というか、それぞれの職業神聖という観念が、まあ国民性として徹底したあれはデモクラシーの国でありますから、健全なデモクラシー国民性になつておりますから、フオアマンフオアマンとして、職工服を着てそこに生涯をぶち込んで、何ら恥ずるところがないというので、職工であり、百姓であり、ミスター・プレシデント、大統領だからと言つて、一方の人間をそう軽蔑する意味ではくて、特別な人間ではないというのが、澎湃としてありますから、何らの献身勲章がなくたつて職業神聖観に徹して、そして各所に立派な個人個人がおりますからあんな小さい国で、あんなに資材に不足している国でも、御承知の通り世界的な繁栄を続けておる。又イギリスのごときは、この調べによりましても、たくさんの勲章種類がありますけれども、そういう勲章自身に無関係で、あそこの国民職業神聖観というものに徹底しておる。私は曾て松平大使、今は亡くなられたけれども松平大使イギリスの大使館に訪ねたときに、私がやはりその当時もそんなことを力説したときでありますが、川西、君の言う通りのことで僕は一つ恥をかいたことがある、というのはわしの門番で何十年勤めておる者で、えらい感心な男だが、これが息子がケンブリツジか、オツクスフオードか、とにかく大学に行くようになつた、こういうのだからいつまでも門番でもあるまいというので、ほかのほうに使うように出世させようと思つて、そう言渡しをしたところが、色をなして、それは私に何の過ちがありましたか、私は何十年ここに勤めておりましたが、未だ曾つて私が咎みられるような過ちをしたことはないのだと詰め寄られて、私は一つのところに仕事を得て、信頼を得て何十年そこにおる、これが私の誇りである、こういうことを言われて参つたよといわれた。私こんな例は挙げればたくさんあります。まあ京都に在任しておりましたときに、七・七禁令というものがあつて、そうして織物から何からすつかり潰されようとしたときに、あの七宝焼の……、そのときの、七宝焼の主人が嘆いておりました。こういう時勢の波には勝てませんから、だからしてそれは国策従つて七宝焼のような贅沢なものはこの際忍びますけれども、あの七宝焼を作る細い針金というものは、これは独特のものであつて、若し国家がこういう荒つぽい政治をしたために、そういう職工国策に反する職工を失うようなごとがあつたら、京都から、否日本から日本独特の芸術が滅びるということを心配しております、ということを私に愬えられたことがありました。こういうふうに細い針金自身に生涯をぶち込んで、それが日本産業の基になつているというようなときに、それを尊重する、生涯をぶちこんだものを尊重する。それは経済的その他の理由でこれを抑えなければならんという国策があるにしても、この人間献身勲章を持つておる人間である、或いはそれを誇りとして胸につける人であるというときに、その人は忍びやすいし、社会は又それらの人を迎える目がおのずから違つて来る、まあこういうふうな感じがいたすのであります。  従つてどもの申上げるような勲章は、実は位階は廃止するようにという意見を申上げ、又成るべくこういうものは、こういう栄典制度は複雑でないほうがいいという感じは確かに持つておりますけれども、この私の申上げる献身勲章だけはできるだけ範囲、巾を広くして、そうしてそういうふうに献身的にやつても、国家的、社会的にいわゆる功労として余り度合いが高くないものもあろうと思います。例えば道路工夫、道路工夫でも、私がほうぼうの任地におりましたときに、たまらなくそれこそ車に乗つて道路工夫に塵を浴せかけて通る知事自身が、車の中から、御苦労さまでございますと言つて礼を言い、且つその修理の仕方の上手なのに頭が下るような人もあります。そういう例が農夫にあり、漁夫にあり、或いは刑事にあり、今のような七宝焼のなんの人にありましよう。それらの人も褒める、それらの人の胸にちよつと献身勲章を下げておく、この生涯をどう送るかということに極めてまじめな態度をとつておるというふうに国民の広く各階層に亘らせようと思えば、相当私は範囲があつてよかろうと思います。文化勲章なり産業勲章を中に含めてもいいという意味は、そこでこういうのであります。立派に国家的に功績をあげたというような人は献身勲章の第一位、ずつと程度の低い人は、社会もそれで納得するのですから下のをあげる、こういうふうにして巾をできるだけ広く十六等あつてもいいと思います。こういうふうにして、要するに国民が本当にまじめな生涯を国家社会のために送つて……、そうしていろいろと無駄なことをする。見栄のためにやる、そのような空疎な……。殊に敗戦後の日本のように、私は敗戦前に強く各殆んど毎回の地方長官会議栄転制よりも栄進制度の確立ということをくどく申したものでありまするが、敗戦前でもその感じが強かつた。ましていわんや敗戦後の今日、殊に況んや健全なるデモクラシーを育成して日本国民に本当に我れらの国家という実感を持たせるためには、私はこういう栄典制度というものが設けられるということが必要じやないか。もとよりだんだんと、今日も毎日新聞の論説を見ましても、私が力説しようと思つてつたことが人事院で行われて、技術家に対する待遇を新らたに向上させるとか、或いはそういう身分を作るとか、これは私も実に嬉しいことであります。そのほかだんだん月給も必ずしも局長よりも上な月給を取る職員がいるというような制度も今の場合において行えんこともないと思います。私の昔役人をしておつたときのようなことはないでしようが、それはそれで待遇の向上で以て結構なことですが、同時にその国民が見て直ちにわかる表彰として献身勲章というものがあることが、どれくらいに打算的に言つて国家産業その他の発達に寄与するかわからない。  それからもう一つは私は思想問題として極めてよかないかと、私はこういう感じがするのであります。つまり本当の健全なデモクラシーというものは、まあ我流のようなことを申上げて恐縮ですが、私はスイスに長く住わせて頂いておつたから申上げるのですが、あすこにおいては各国民に銃器、鉄砲を預けておつて、みんながそれを磨いておる。自分で持つておる。ことほどさように、いわゆる国家国民を信頼し、国民が又国家というか……、国家国民とは一つのものなんです。我々が国家だ。昔は封建制度の封建君主はレタ・セ・モワ、国家自分だと言つて威張つたことがある。そういう意味でなしに逆な意味において各国民国民を離れて国家がないという実感を持つておるし、当局は又各国民を離れて国家がない。だから鉄砲を預けても、何を預けてもいい、こんな実感を持たせるまでにスイスにおいては健全なデモクラシーがあるように思うのですが、この日本の国において、若し今申上げたような献身勲章というようなものが認められて、そうして本当にどんな面でも国民がこの国家というものと一体になつて栄誉をも認められるというような組織ができれば、私は思想的にも非常に健全なものが生れて来はせんか。或る特権階級だけが特殊な何でというような感じを全然払拭するに足る力を持つていやせんか、つまり各界における能率を高める、そうして国の発展に寄与するし、それから社会不安とか、やれ技術者が下積みになつておるとか、やれ誰が下積みだ、俺らは顧みてくれないとか何とかいうような不満を除くという大きな力がこれから生れて来やしないだろうか。  まあ大変勝手な熱をあげたようなことで恐縮でございますが、この問題は、私が三十年余りの公的生活において内外の国情を見て痛感したことでありまするので、それでこういうことを申上げたわけでございます。甚だ勝手なことを申上げましたが……。
  10. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) 御質問ございましたらばお願いいたします。  次に岡松成太郎さんにお願いすることになつておりますけれども、まだお見えになつておりませんが、川西さん時間の都合は如何ですか。
  11. 川西實三

    参考人川西實三君) 別に時間はございません。
  12. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) いろいろ御質問がございましようが、この際お願いしたいと思います。  ちよつと速記をとめて下さい。    午前十一時七分速記中止    —————・—————    午前十一時二十八分速記開始
  13. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) それでは速記をつけて。  これから岡松成太郎さんに御意見の御陳述をお願いいたします。
  14. 岡松成太郎

    参考人岡松成太郎君) 私御諮問の意味が、必ずしもその範囲等についてはつきりいたしませんので、又御質問に応じてお答えをいたしたいと思いまして、最初は概括的にこの栄典法案に関しましてのいろいろな感じかた、特に私産業界におりますものでございますが、産業勲章のことに触れて申上げて見たいと存じます。  今回の栄典法案の御制定の趣旨は誠に結構だと思うのでございますが、問題は、菊花勲章の場合はこれはまあ特別の勲章といたしまして、話は別でございますが、旭日勲章とそれから文北勲章産業勲章とまあ種類が三種類にわかれておるという点でございますが、で元来私ども産業という道を通じて国家に勲功がありました人たちが表彰される機会が比較的、過去においてはございますが、比較的少なかつた。その機会に乏しかつた。勿論ないことはないのですが、乏しかつたように思いますが、産業の道を通じて国家に勲功があつた方々が栄典を授与される機会を多くするという意味産業勲章を制定せられたといたしますれば、その動機においては誠に私も賛意を表さして頂きたいと思うのでありますが、今一つつて考えてみますと、国家功労があるという人たちの中で、これはいろいろの職域なりいろいろの分野を通じて国家功労をいたし得るのでありますが、その中で特に文化面で勲功を立てた人々と産業の分野で勲功を立てた人々とを特別に取扱わなきやならんという理由がどこにあるのか知らん。若しも国家公共に勲功を立てるということについては、如何なる分野を通じてこれを行なつても、これはもう同じであるという思想が徹底をしておるならば、又それは私は本来はそうあるべきものだと思つておりますが、こういう思想が徹底をしておるならば、こういう文化勲章産業勲章というような差別を設ける必要はなかつたのじやないか。そこで現実の問題としてそういう思想が普及徹底しておらないのだから、今そういう理想論を言うても仕方がないじやないかというように私自身も反省をするのであります。従つてこの法案に対して絶対反対というような気持は毛頭ございません。産業勲章を制定されたことにつきましても、先ほど申しました通り産業人に対す栄典授与の機会がこれによつて開かれる、多くなるということ自体には何ら反対いたしません。併し私は素人考えかも知れませんが、こういう法律制度というものは、一般的に申せば、一つ国民の教化、というのは広い意味教育と申しますか、国民の観念の、かくの如き栄典制度に対する観念の教育的意義も持たねばならんのじやないかと思うのであります。私はこの法の実施に伴つて栄典審議会等が設けられるのでありますから、この栄典審議会等の運用のよろしきを得るならば、必ずしも文化勲章産業勲章という特別の勲章制度を設けなくとも、又文化産業の面のみならず、広い意味文化というのはかなり広い意味になると思いますけれども、実際の授与のあれを見ますと、相当にやはり文化でも限られておる、そう広い意味に解釈をされていないように思うのであります。そういうような難点もありますし、産業という言葉も、端のほうに行きますと、必ずしもそう明瞭な観念、しつかりした限界を持つておるものではない思います。いろいろの点において問題になつて来ると思うのでありまして、私はそういうことが皆さまのお考えで可能でありますならば、審議会等の運営によりまして、産業人、文化人、その他のかたがたに広くこの一般勲章が、ここで申せば旭日勲章が授けられる機会を十分に与えて頂くという運用が可能ならば、私は理想論としてはむしろそういう勲章は一本で行く、菊花勲章の場合はこれは別といたしまして、旭日勲章一本で行くというのがむしろ理想的な案ではないかと思います。一応勲章の点ではこのくらいにしておきます。  それから位階のことでございますが、実はこれは余談でありますが、私も官吏を長くいたしまして、私自身位階を持つてつた人間でありますけれども、現在において、これを何と言いますか、何か新時代国民としての気持にぴつたりと来ないものがある。その根拠はどこにあるかと自分でもいろいろと反省をしてみたのであります。勿論これを私は旧憲法時代宮中席次というようなものとは切り離して考えるべきものと承知はいたしております。これを切り離してみると、なお更この位階の観念がぴつたりと来ないのでありまして、いろいろ考えてみました結果、成るべく国民の間に階級的な差別観念のもとになるようなものは、これは如何なるものといえども、如何なる制度といえども何か同じ国民の間に階級を設定するような制度は願わしくないのじやないかという感じがいたすのであります。勲章の問題は、これは特別に功労のあつたかた国民としての栄誉を与えたいという気持から国民の象徴である天皇陛下によつて授与される。これは当然の国民として持つておる気持でありまして、この制度がありますならば、そのほかに位という制度は私はないほうがよいのじやないかと考える次第であります。
  15. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) 御質問がございましたならば、この際お願いいたします。
  16. 成瀬幡治

    ○成瀬幡治君 私は大変ポイントの違つたことを率直に御質問するわけですが、実際日常新聞などを通ぜられて、政府は栄典法案を作るとか、作らないとかいわれておるが、あなたの接せられる範囲内におきまして、一体国民はこの問題につきまして関心を持つておるのかどうか。ざつくばらんに申して、あなたに対して、参考に御意見を承わりたいという通知が行つて、あなたはこの法案をよく見られて、そうしてこのことをよく考えられたのか、新聞などを通じて承知しておられて一つの結論めいたものを持つて来られたのか、その点のところを一つお尋ねしたい。
  17. 岡松成太郎

    参考人岡松成太郎君) それは私も社会人として知らず知らずの間に新聞等の論調の影響等も受けておるのであります。併し正直なことを申しまして、戦後この栄典制度、特にこの勲章の問題につきまして、私自身、或いは私の周囲のものは関心を持つていたのは文化勲章制定のときであります。それ以外については殆んど栄典制度については私の周囲は無関心であつたと承知いたします。文化勲章が設けられたときに再びこの勲章問題に対する関心が湧き上つて来まして、このときの状況は、私どもの周囲のものの印象では皆喜んでいる。勲章制度が復活して、そうして文化人たちがこの勲章を授与されたということに明るい気持をもつている。皆これを喜んで迎えたという印象を持つております。今回の栄典法案が問題になつたということにつきましては、社会的にいろいろこの論議が錯綜して出て来ておりますが、文化勲章の制定のときの印象から申しまして、決してこれは国民全体とは申しませんが、私の接触している実業界の人たちの気持は決してこの制度に反対をするというような気持はございません。ただ卒直に申しますと、もう殆んど実業人の全体が勲章というものが又過去の日本のように役人や政治家や、まあ軍人というものは今はいませんけれども、そういう人たちのただ胸間を飾るところの道具であるというようなふうに運用されるならば、むしろこういうものはないほうがいい。非常に不賛成であるということがもう百人が百人までそういう気持を持つております。そこで先ほど申上げたように、勲章というものはできるならば、今後の勲章授与の運営の方法は戦前とは全然違つた考え方でやつてもらわなければならん。若しそれが徹底するならば、殊更に文化勲章なり産業勲章なりというものを別物にして、この人たちは別なんだというふうにとり分けて、一般の勲章のほうは相変らず従前のような官吏とか大臣をやつたとかいうような人たちのところに行くつもりじやないか。そういうような観念が基礎にあるならば、それは文化人や産業人に栄典を与えようというそのこと自体はいいけれども、相変らず勲章の本体はやはり立派な人たちのところへ行くので、こちらのほうはちよつと別な勲章を与えるのだというような感じが面白くない、こういう感じは皆あるのです、実際のところ……。私は若しそういう傾向があるということになれば面白くない、国民一般から非常な反撥が起きると思います。そこで是非ともこの栄典制度の運用につきましては、そういう点を深く考慮してやつてもらいたいということを考えます。そこでいま一歩切り込むならば、この運用さえよろしきを得るならば、文化勲章産業勲章というものの別建ては必要ない、そこまで徹底すべきじやないかというふうな気がするのであります。
  18. 成瀬幡治

    ○成瀬幡治君 私は実はあなたが産業文化を切離さずに一本にやつたほうがいいだろう。これは結論は早急に出ないでしようが、併しそれにしましてもあなたが前に位階を持つておいでになつたとおつしやるから、私は栄典について関心を持つてつたろうと思うのです。ところが実際の産業人はこれは案外無関心じやないか。特にあなたが言つたように産業というものは、これは資本と実際働いている人というふうに分けたらやはり使われている人、働いている人は全然対象にならないのでおよそ無関心だろう。そうするといわゆる資本の、産業の経営人のほうはそういう恩典に浴されるかも知れません。そういう人たちがどのくらい関心を持つているかというようなことが、実はあなたの理事などをやつておいでになるということから、どんなのかということを実は知りたかつたので……、大変失礼なことを申上げました。
  19. 中川幸平

    ○中川幸平君 そうしますと文化勲章はあつてもいいけれども産業勲章というものを別個にこしらえるということは一般勲章が従来のやはり役人や政治家を対象にした制限のように思われる。それだから産業勲章というものをなくして、そうして旭日一本にして、従来のような役人や政治家偏重のような考え方でなしに運営すべきである、文化勲章はあつてもいい、そういうお気持なんですか。
  20. 岡松成太郎

    参考人岡松成太郎君) 私の申しました点は、文化勲章産業勲章も同じようなんです。それでこれを特別勲章になおす。文化勲章だけを置いて産業勲章をなくするということは何も意味はない。それはもう無意味に帰すると思います。勲章一本で行く。そうして運用を先ほど申しましたような点でよろしきを得るのが理想的である。
  21. 中川幸平

    ○中川幸平君 我々もやはりそういう感じを持つております。
  22. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) ちよつと私からお尋ねいたしますが、承わつておりますと、まあ勲章栄典制等を設けるのはまあ大体よろしい。一本でやつたほうがいい。その範囲の点はどうお考えになりますか。非常に厳選しまして、本当にえらい功労のあられた人、極く少数の人に勲章を上げるということのほうがいいか。それとももう少し広く与えるということのほうがいいのか。その点についてはどういうふうにお考えですか。
  23. 岡松成太郎

    参考人岡松成太郎君) その点につきましては、勢い過去の旧憲法時代とまあ比較しなければちよつと比較論ができないのでございますが、旧憲法時代には範囲が非常に偏つておりまして、先ほど申しましたように、官界、政界、そういう政治的な面で勲功のあつた面に勲章が行く。産業とか、文化とか、その他の教育とか、社会施設とか、そういう面の功労者には行く面が少なかつた。ですからこの授章の範囲をそちらのほうにずつと持つて来て頂くという面については、産業文化というような面から見ればもつと広く勲章授与のあれを運用されていいのじやないかと思います。一方から言えば官吏、その他の面は余りに形式的に何年勤務したらばもう勲章が行くというようなことも非常に栄典制度の濫用じやないかと思うのでございます。ですから、感じとしてはもつと本当に国家に勲功があつたという点をはつきりしまして、ただ長年月まあ何したというようなことで必ずしも勲功の尺度にしないようにして頂く、こういう点については厳格に適用をして頂きたいと思うのであります。そういう面で見ますれば、一方その産業界に大きな功労をしたというような人に対しては、従来の慣行よりはよほど広く考えて行く。一例をとつて申しますならば、文化勲章の運用を見まして、私はあの程度のことは殆んど適当じやないか、あれについては狭すぎる、厳格過ぎるという感じもしません。あれはまあ余り濫用をして多く上げすぎているという感じもしないので、ですから、これはまあ一種の比較論で申上げるより言いようがないのでありますが、絶対にどのくらいな数だということを申上げられませんが、運用の面から見ますれば戦後の文化勲章の運用という程度で私はよろしいのじやないかと思います。
  24. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) そうしますと、この法案によりますると、旭日勲章のほうは五級に分けてそういう程度に運用するということになると、今の文化勲章の授与のこの厳選の程度に比べますると、よほど下つて行く場合が考えられ得るだろうと想像されるのですが、その点はどうお考えですか。文化勲章と大体同じような程度旭日章も授与するのだということになつたら、五つまでも勲等を分けて、ややともするというとかなり下まで下つて行く。そういうことは避けたほうがいいのじやないかというふうに考えるのですが、その点はどういうふうに……。
  25. 岡松成太郎

    参考人岡松成太郎君) いや、実は私はこういう国家栄典を現わすのに、皆国家功労者だから一つのあれでいつたほうが本当じやないかという意味で申上げたのです。それでは今のここにあります文化勲章産業勲章をやめまして全部五階級の旭日勲章に統一したらというところまで具体的に今考えておらなかつたのであります。若しそれを旭日勲章のほうに統一するということになりますれば、私は従つてその運用はもつと広範囲の人に、もつと下の人に上げるということに当然なると思います。私は今の文化勲章の運用のごときは国家功労の特に顕著なかたがたに行つておるように考えますから、従つていま少し下げる。それは階級のある以上は決してそれで勲章効果を減殺するということにはならんと思いますから、その点は差支えないと思います。  ただ、ちよつともう一つお断りしておきたいのであります。先ほど御質問もありましたので、私の言い方が、特に産業勲章をやめてくれ、現在においてですね、文化勲章はあつてもいいが、産業勲章はまずいからやめてくれという意味ではないのでありまして、文化勲章というものが残る以上は、これは産業勲章もあつて然るべきだというふうに考えるのであります。併しこの際考え方を改められて、文化勲章もやめる、産業勲章もやめる、そうして旭日勲章一本で、広く各界の人たちにその勲章を与えるという運用をするならば、一番勲章の本義に徹底したことになるのではないかということを申上げておるのでございます。その点は理想論と現実論を分けて申上げておるので、甚だ不明瞭な答弁のようにお聞きかも知れませんが、決して産業勲章そのものに反対いたすのではないので、文化勲章が残つて産業勲章が落ちるようなら、これは非常になお更辻褄が合わないものになつて来るのではないかというような感じがいたす次第であります。
  26. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) もう一つ伺いますが、文化勲章産業勲章を特別勲章として置くという前提の下に考えると、そのほかにも又特別勲章を設けなければならないものがありはしないかということはお考えでございますか。
  27. 岡松成太郎

    参考人岡松成太郎君) そういう考えがいたすのでございます。どうもそういう考えがいたすのでざいます。併しそういう考えでいろいろな特別勲章を設けて行けば、旭日勲章は一体どういうことになるか、これは本当に昔のように官吏とか、役人とか、政治家だけになつてしまう、それでは誠に困る結果になるという矛盾に逢着するわけでございます。そこにこの制度の一番何か割切れないところが存在いたすような気がしてならないのでございます。
  28. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) それでは御質問がございませんですか。……ないようですから、どうも有難とうございました。  それでは午後一時から開会いたします。それまで休憩いたします。    午前十一時五十四分休憩    —————・—————    午後一時二十分開会
  29. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) では午前に引続きまして参考人のお方の御意見を拝聴いたしたいと思います。参考人のお方にごあいさつ申上げます。本日はお忙しいところを御苦労様でございます。先ず石黒忠篤さんにお願いいたします。
  30. 石黒忠篤

    参考人(石黒忠篤君) それでは私から。私を公聴会にお呼出になりましたのは、恐らく内閣に官制でない審議会が栄典制度のために昨年の五月から設けられまして数回の審議をやりました、その審議会のメンバーは、有田八郎君、小泉信三君、加藤武男君、長谷川萬次郎君、如是閑君ですね、それと私という五人であつたのでありまして、そのことから今日多分お呼出にあずかつたことと存ずるのであります。それでありますから申上げることは私の考えは無論申上げますが、併しそれと同時にその審議会における審議の経過の大要を申上げることが必要なんじやないかと、こう考えますから、そういう範囲で申上げます。  この会議には吉田総理、木村法務大臣、池田大蔵大臣、それと官房長官というような方が加わられて、五月の二十一日が初回でございましたが、それから七月に至るまで六回でありましたか七回でありましたかの会合をいたしたのであります。それでそのときにその審議会の会合が催されました理由としましては、栄典については憲法の規定もあるように、いずれはこれを法制化して行かなければならん。今までは占領治下にあつて、これを議するに適当でなかつた、然るに講和が発効した今日その制度についての立案をしなければならん、それについてはどういうふうに考えるか、民間における考え一つ聞いてみたいということで設けられたのであります。そこで極めて自由に我々は意見を申したのでありましたが、大体栄典制度を設けるの良否、必要か否かはこれは憲法の規定にある以上は必要ということになるのであるけれども国家社会をなして行く上において先ずこれは実質上の必要も認めなければならん。そうしてこれを善用することは国家社会のために極みて有効でもあろうというところから、進んでこれを制定したらよかろうが、併しその方針としては成るべく制度は簡素化した方がよかろう。従来の勲章制度を顧みる場合において余りに種類が多くあり、そうしてそれがそれぞれ勲等というものが分れておつて非常に煩雑である。これを簡易化して新しい勲章制度を設けることがよかろうということに、大体いろいろ話合いをしました結果なつたのであります。従来の勲章が殆ど同じような性質のものでも旭日と瑞宝と分れ、更にそれに加えてその後に婦人に対して宝冠章が定められたというようなことが、これらは一つで行つたらどうだ、男女の別などする必要はない、若し何か分けなければいけないというのならば、これを帯用するのに工合のいいように多少綬のところを変えたりするところで、成るべく男女の別などは廃してしまつて勲章種類を簡単にしてやつて行く方がよかろうということ。それから勲等を一等、二等というふうに人等まで分けるというようなことは、大体五つぐらいに分けて、而もそれを数字で以て現して行くといつたようなことをできるだけ避けて、フランスのレジヨン・ド・ヌールのごとく勲章の呼称を別にするというようなことにして行く方が、人間に勲等をつけるような、それを数字で現わすようなことは成るべく避けた方がいい。こういうような意見に大体まとまつたのであります。  それから従来の栄典授与が勲章に限らず官民の間に著しい差があつたのは、これは新しい栄典制度の下においては正して参つて一方に偏するということのないようにして行く必要がある。それから従来の勲章についていろいろ戦争等で以てもらつたものがあるが、それらだけを限つて無効とするというようなことも考えられないではないけれども、それは徒らに非常に面倒な調べをすることであるから、それはやめて、そうして従来の勲章は新勲章ですつかり切替える、そうして新らしく新勲章で発足をして従来の勲章については、金鵄勲章のごとき、もうすでに廃止になつたものは、これは無論廃止のままでよろしい。従来授与せられたる勲章を佩用するということは認めて、一つの特典として認めておいたらよかろう、大体そういうようなことに考えが一致したのであります。  それから、それは一般勲章でありますが、特別の種類功労者に対しては、今実際に現行において認められて、授与が実際行われているのが、特別勲章として文化勲章があるが、これはそのまま新栄典制度においても続けて認めて行つたらよかろう、これに相当するような産業社会教育といつたような面の特別勲章を新たに制定するということはどうであろうか、こういう問題につきまして、その制定の必要があろうということが大体において認められたのであります。  委員の一人でありました、多分小泉氏からであつたと思いますが、水豊ダムのごとき非常に多くの人の生活にも多大の利便を与え、産業上の大貢献にもなつておるようなものを造つた者について、こういう制度を認める必要があろうし、その種の大小の功績というものに対して、やはり文化勲章という観念の中に入らぬものでも、国民生活の向上という、社会とか産業とかいうようなものについて特別勲章を認める必要があると、で、こういうことにまあ皆の意見が大体一致をいたしたのであります。ただその特別勲章をどういうものにするかということにつきまして、それから一般勲章というものとの関係をどうするかということについて、いろいろな論議がありました。大体産業勲章ということにして参つたらどうだろうかという考えにまとまつたのであります。その他の社会教育というようなものは然らばどうするかということになりますが、それは一般勲章で以てやつたらよかろう、産業というものも、これから先日本が再建を図る上において非常に必要なのであるから、それに関して商工、農林、水産、経済といつたような方面の特殊の功労のあつた者に対して文化勲章に当るものを制定をするということで行つたらよかろう。で、これは併しその方面のことはこればかりで表彰をするというのでなくして、一般勲章があらゆる方面にでき得るということと併せて、その点は文化と並べて産業を認めるということにして行つたらよかろうということになつたのであります。  この際に私の意見一つ付け加えて申上げておきたいと思います。産業勲章というものになつた場合に、産業の含むうちの種類によりまして、著しく社会的に大きく見えるものと大きく見えないものとがあるのであります。例えば大きな会社を以て起すような鉱工業というものと農業や水産といつた方面のものとはおのずから違う。それで、国によつては農業勲章というものと商工の勲章というものと並べて別にして制定しておるようでありますが、それは私は一つのいいことであろうと思つておるのであります。併し特別勲章を成るべく簡単にするということであれば、一つ産業勲章にして、そうしてそれの授与について、あたかも文化勲章について、いろいろな方面についてその部面において顕著だと認めるものは同じ勲章を与えるというのと同じように、含まれる産業種類の種別ということをはつきりと認めて、従つて社会的に有力な人だとかいうようなことで区別されることのないようにして頂きたい。こういうふうに私はこの勲章についての希望を持つておるのであります。  それから委員の中には、警察官だの保安隊員というような者に対しての何らかの特別勲章というものを認ある必要がないかというような意見があつたのでありますが、それらに対しては功労章というものを、普通勲章と同様の性質において、勲章ではない功労章というものを認めて行つたらどうかという話が、これは政府のほうから出ましてそういうことになつたのであります。  そうして栄典に関しては何らの特別の待遇を、特別の利益を与えることを新憲法の下においては認めないという規定になつているようでありますが、併しこれは或る程度必要もあり、国によつてつているところもあるのでありまして、現に、文化勲章あたりについても、この新憲法の規定のためにそれができないので、別の制度として年金を与えるような制度もとつておるのであります。殊に新しく功労章というようなものを規定することになれば、そういう社会公共に対して功労のあつた者、而もそれが比較的下級の職務に従事しておる人に対しては、或る程度の金銭上の優遇を並べて与えるように、文化勲章と年金との関係のような何らかのそこに工夫をする必要があるだろうというようなことに話合をいたしたのであります。  大体そういうようなことで、まあ私が今記憶しておる重要な点はそこらでありますが、そのほかにおきましては、普通勲章といたしまして菊花章というものは、これは皇族だの外国の主権者等に、或いは外交上必要な場合にその他の人々に与えるといつたようなものでありますから、これはそのまま存続して行くということにいたしたのであります。褒章の制度は大体これも従来通りとするということにいたしたのであります。  それから位階制度はどうするかという問題に対しましては、審議会の各委員はいずれも、これは只今は停止になつてつて、死亡者だけに送ることになつておりますが、これは廃止をしたらよかろうという意見の一致をしております。栄典の授与に関しましてはこれはすこぶる厳正公平でなくてはいけないということからいたしまして、従来やたらに出し過ぎたような弊もあるようであるから厳選をするということにし、ことによつたらば勲章の一部のものについては現在数についておよその数の制限をしておる国もあるから、それらのことを考慮をいたして厳選をするようにというような意見が交されたのであります。そうしてそれのためには審議の機関に十分に公平な人を各方面から求めて、そうして単に勲章をたくさんやつたという過去のようなことのないように努める必要がある、こういうことでありました、私はこの点は新制度を制定するに関しまして非常に大事なことだと思う。甚だ忌わしい売勲事件などというものが過去にあつた、その当時の一部の事情を私はよく承知しておるのです。政党政治が今後行われて行くというとその行き方の如何によつては、こういうものが再び甚だ面白くない現象を現わすことになりはしないかということを私は虞れます。そこでこの審議会というものは非常に厳正公平なことをしなくちやいけないのと同時に、一定の官歴をもつて勲章を授けておつたというようなことをやめて、そうして、むろん長く一つの公務に忠実に尽したという人にはやるべぎことではありますけれども、世間一般に、各方面に通じて一般勲章も広くやるということになりますと、これの審査をする審議会と同時に事務局というものをよほど確立しないといけないと私は思う。  この点で只今の内閣にあります賞勲部の現状はどうかと思つて私は現在の賞勲部に行つてみたのであります。行つてみるというともとの枢密院の事務局の極めて一部分を四十人そこそこの人がやつておる。只今は休止でありますからよろしいが、これから先に民間のほうにも十分な功績のある人は調べて、積極的な栄典を与えるということになるのには、事務局も相当に私は備えなければいけないというふうに思います。昔の枢密院の事務局の極めて一部分、大部分は警察官が入つて、私の参つたときは昼休でありましたからとがむべきでありませんけれども、ピンポンをやつておるといつたような所でこういうものの審議の原案を作るといつたようなことは、これは一つ改めて、新制度の出発には相当の予算を以て独立の事務局をどこか適当な所に設けなければいけないと思います。昔の賞勲局で売勲事件といつたような忌わしいことがあつたのでありますが、その前明治の時代にはこれはかなり厳正にやられたと思います。時代時代でありまするし、普通勲章を民間に広く与えるといつたような方針はとられておらなかつたからでもありますが、極めて清潔な、甚だ派手でない賞勲局というものがよく働いておつたように思います。賞勲局の総裁として明治時代に相当長くこれに携われた大給恒という子爵が総裁をしておりました。この人のごときは実に清廉潔白な人で、賞勲局総裁になるというと一切の贈物を謝絶しておつたというような話も聞いておる。そういうような人を各方面から選んで、そうして厳重な審査をし、而してできるだけ民間人にも一般勲章を及ぼすように事務局が活動するのには事務局というものを十分に認めなければ、そうしなければ恐らく私は今後国会中心の政治になつて、そうしてそれが政党の多数党の政治になるというようなことになりますと、この点はよほど考慮をしなければいけないことだ、こう私は思います。  それから私の考えとしてもう一つ付け加えておきたいのは、団体表彰ということを、今度の案よりももう少し多分に考慮に入れて規定をされたい。これはどういうふうに表彰するかということは、表彰状を与えるとかいろいろありますが、国の制度によりましては、団体自体勲章を与えるということをやつているように賞勲局の調べを拝見いたしますと、やつておる。これらは私は我が国においても考えるべきことであろうと思います。本法が行われまして審議会が十分に機能を発しまするときにつきましては、個々の授与の可否を決定するばかりでなく、制度についてもここが考えることになつておりますから、そこで十分に考慮してもらうて、そうして私は団体に対しても勲章を与えるとか、団体に与える勲章の新規定を加えるとかいうようなことを将来においてやつて頂きたいものだ、こう考えております。例えば水難の問題等、只今の現行法だというと、子供が水に落ちて溺れんとしておるものをすぐ飛び込んで、自己の生命の危険を顧みずして救い上げたという者に対しては、紅綬褒章が与えられる。併しながらそれよりも大きな危険が、例えばこの間の明神礁の附近で噴火とともに消え去つた船というようなもののあつた、あのときの救済に行つて、仮に人を救済したとか、救済し得ずして命からがら逃がれて来たとかいうような者は、これはこの船の乗組員全体に対して表彰があつていいであろう、只今は船長、機関長あたりに出ておる程度のように思います。そういうようなことをして、そうして勲章をその船に掲げることができるというようなことは考えるべきことではなかろうかというふうに思います。  それからもう一つ若干言い落しましたから、さつき述べたことでありますが、言い落したことを補充しておきます。審議会の性質が、普通の諮問会議に近いものであります。併し私は文化財保護委員程度の重いものにしてこの審議委員ども随分世の中の批判に対してはつきりと信頼を得るような人を集めてやつてもらうのでありますから、重い委員にして頂きたいと思います。普通の諮問機関でありますが併し一面において勲章の授与ということを決定をする、この審議会が決定しなければ与えられないというだけの権限は持つておるのでありますから、その意味でこれを軽く扱わないということが必要である、こう考えます。  大体審議会の模様とそれからこれに関します私の考えは以上の通りで尽きております。
  31. 松原一彦

    ○松原一彦君 審議委員としての石黒先生にお尋ねを申上げますが、新しい民主的な平和文化国家としてできました日本栄典制度としては、概観しましたとき、旧日本の型が余りにも強く勲章等に残りはせんかという私は懸念を持つ。勲章は御承知のようにユニフオームに付けるものであると大体考える。陸海軍の軍服とか、大礼服とか、議会服とか、或いは華族その他の大礼服、制服といつたようなものに付ける一つのアクセサリーのようなもので、こういうふうに額にも出て来ているように、背広その他の服装にはどうも付けにくい、付けようがない、あの巾の広い大綬とでも言いますか、私ども将来もらう気づかいはないから心配はいりませんけれども、一体平民がああいうものをもらつたらどう付けるかというのです。旭日大綬章というものは大きなリボンで右の方から左へつる。なかなかものものしいものであります。どうもこういうのが、而も五つの階段に分けて、これをどういうふうに授与するかにも随分問題があろうと思いますが国民に与えるとしたときに又私は昔のような制服が出て来やせんか。尤も今日本にもあります、この軍服同様なものが保安隊にも警備隊にもあつて、もう陸海軍が再現している形が、これは余り世間の人は御承知にならないけれども大きな金筋をつけてやつております。勲章もありますから、ないとは申されませんけれども、文官にも昔大礼服というものがあつて燦然たるキンモールで飾られた時代がありますが、勲章と服装というものは一つの関係があるのじやないかということを私は思う。こういう点につきまして審議会では何か御意見はあつたのでしようか。もつと簡単な一つのシンボルを、あの勲章のようなものをば背広の服でもどつかに一つぽつんとつければ、それでこの人はどういう功労のあつたということがわかるようなことをお考えになりはしなかつたのでしようか承つておきます。
  32. 石黒忠篤

    参考人(石黒忠篤君) 申上げますが話には同じような困難があるだろうということは出ました。出ましたがそのために服装をどうするとか、或いは勲章のデザインをどうするとかいうことは、そこまで六回ばかりの会合では考える時間もありませんし、私どもは成るべく普通の服に着用できるようにということは願うておりましたけれども、そのためにどうしたらいいかということは話合つた機会はありません。
  33. 松原一彦

    ○松原一彦君 この人間は、殊に勲章をもらわないうちはいいんですが、もらいますともう一つ上が欲しくなる。又それをもらうと、又その上が欲しくなる。これは一つの励みとして、或いは奨励になつたのかも知れませんけれども、従来は定期の賞勲であつて、役人を長く勤めればだんだん上をくれたので、そこに執着があつたらしく思われるのですが、こういう平民のみの国になつた今日に、勲章に一体階段をつけなければならんものでしようか。私は皆様方のような有識な方がお寄りになつて一応おきめになつたのですから、成るべく小言を申したくないのですが、どうも私ふに落ちない点があるのですが、この点如何でしようか。
  34. 石黒忠篤

    参考人(石黒忠篤君) そういうような考えは、松原さんと同じ程度だかどうだか知りませんけれども我々にもあつた。そこで新勲章は成るべく一つの階段にしたいという気持もあつた。それをまあ五等ぐらいに分けたのであります。これは外国勲章でも名前を違えてやつているが、併しいろいろな点で功績の大小ということも極く大きいものだけに一つつて、ほかはやらんかということになるというと、大勢の人を励まして行くのにはそれではいけない。そこで一面から言うと成るべく大勢に与えるようにということと、それと等級はつけたくないということをどこで調和するかというと、それは大体五等ぐらいで以て何するのは止むを得ないだろう、今までの通りに八等といつたようなことはやる必要はない、こういうふうにまあ考えておるわけであります。
  35. 松原一彦

    ○松原一彦君 もう一点だけ。私は皆様方のような天下知名のかたがたがお寄りになつて御制定になつたものに、どうしてその位階制というものがあつたかを、実に私は不思議に堪えないで今日までいたのであります。平民の国に十六階の階段をつけて、従八位から正一位に至るまでどうしてこれは階段をつけるかに不思議でならなかつた。誰が一体こういうことを言い出したのか、私はいろいろお尋ねしてみたけれどもが、どうもわからなかつたのですが、本日石黒先生から各委員はことごとく廃止の意見に一致したというお話を承わりまして安心いたしました。全く安心いたしました。どうしてこういうような意見が出て来たかと言いましたが、これは委員会の御意見ではなかつたので、委員会の意見でないものを政府が一存でこういうものをこしらえて出したものと私は認めるのでありますが、それでよろしうございますか。
  36. 石黒忠篤

    参考人(石黒忠篤君) 大体それでいいと思うのですが、というのは併し一言つけ加えておきたいのは、天下知名の士が集つて制定したということですが、そんなことはいたしたことはない。我々は当初に申上げている通りに、総理がこの問題について考えるのに、内閣に官制によらない、極めてフリーな、まあ意見を聞いて参考にするというために寄せられたのでありまして、これも広く、各界から選挙でなくても、推されてやつたというのじやない、全く総理が自分の肚をきめるのについて知合の者のうち少しずつ方面の違つた者を寄せようといつたような気持のようでした。初めの会合の前に話があつたのに、どうも勲章なんて余り、どうも好きそうな連中じやないが、まあどうしてもやらなければならんと思うが、一つ意見聞かしてみてくれと、こういつたような挨拶があつたように、極めて狭い範囲のうちから、総理の知つている範囲のうちから方面の違つた者を収めたといつたような形式でありまして、参考意見というものを我々は述べた。決して制定したわけではない。さよう御承知願いたい。
  37. 松原一彦

    ○松原一彦君 それは私の言葉の誤りでありますから取消しますが、そういうように首相の信任せらるる方々が御答申になつたものの中にも位階制は入つていなかつたということだけを承わればいいのであります。実は私は真向から反対であります。いろいろ意見を申しますけれどもが、不思議でならなかつたのがやつと氷解いたしましたからそれだけ申上げます。有難うございました。
  38. 成瀬幡治

    ○成瀬幡治君 石黒さんにお尋ね申したいのですが、警官とか予備隊といつたようなものにも若干やらなければならんのじやないか。或いはそういうような場合が起きて来るのじやないかということを、一応予想されて話が進められたということをお聞きしたのですが、予備隊に若しやらなければならんというようなときにはどんなところを例におとりになつたのか。
  39. 石黒忠篤

    参考人(石黒忠篤君) さあ、どういうことを考えましたか、これをたしか言い出したのは、有田君だと思いますが、有田君自体は余り軍備に賛成のほうでないのでありますけれども、予備隊というものが出動したときに、命を捨ててやらなければならんことをやつたときには、やはりやつていいという気持じやないですか。
  40. 成瀬幡治

    ○成瀬幡治君 これはまあ意見をここでどうというのではない。私はそういうようなものが、予備隊の性格というものが一つのいろいろな問題に出て来ると思うのですね。ですから、そういうものが深く論議されたのか、こう思つてお尋ねしたいのですが。
  41. 石黒忠篤

    参考人(石黒忠篤君) いや、深く論議したのじやありませんが、そういうようなこともあり、私は審議の様子を申上げるのに申しましたのでございまして、そして功労章というものは必ずしもそれだけじやない。消防などについて、私が主張したのは消防なんです。人命を救つたか救わないか、直接に救つちやないかも知れませんけれども自分の身が火傷するようなことで、大火傷をしながら火のはびこるのを防いだというようなのには、これはもう表彰をしてよろしい、こういうふうに思う。そういうのが今のところだというと、紅綬褒章、人命を救助したということに当るか当らないかというところに見られるような恰好になつておる。そうでなくして、そういうようなものはやはり勲章系統のものでやるということがよかろう。それの非常に何のものはこれは勲章つていいと私は思う。
  42. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) ほかにございませんか。……それじや私お尋ねいたします。産業勲章文化勲章ですね、二つだけ特別勲章としてお取扱になるという、何か特別の理由のことがあつたのだろうと思いますが、今の保安隊とか予備隊とかいうような、功労章というようなお話も出ましたけれども今の賞勲部のほうの、この委員会における御説明を承わりますと、功労章というものは勲章を授けるに至らない程度の比較的低い功労ということになつております。産業章、文化章というものは非常に高い場合ということであります。予備隊、保安隊等には功労章を授けるからまあそれでいいのじやないかということは、どうも話のつじつまが合わない。併し一方には重いものを特別章として認め、一方のものは軽いもので認めるのだ、それじや権衡がとれない、こういうふうな気持も持つのでありますが、そんな話は出ませんでしたか。
  43. 石黒忠篤

    参考人(石黒忠篤君) そういうふうな比較の話は出たとは私記憶しておりません。というのは、功労章というようなものは、これはさつき申上げましたように、表彰ですね、今行われている。人命救助といつたようなものでなく、勲章をやるのだ、手を焼いてまで火防をやつたといつたような者にやるのだ、そういうようなところに、まあ功績というものが、その同じ種類功績でありましても、大きければこれは普通勲章で然るべきである。そこまで行かないものでも仕事種類によつては例えば消火のごときはやつていいと思うんです。そういうような社会に対する勇敢な行為であるというようなものを表彰するためのこれは特別勲章じやないんです、功労章というものを新らしい栄典一つ種類として認める。こういうのと、産業によつて国家社会に顕著な功績をした者を普通勲章と分けてですね、表彰することがあたかも文化に貢献した者のごときものをやろうということとは、これは連関が私はないと思います。
  44. 中川幸平

    ○中川幸平君 各参考人の御意見一つ聞かしてもらつて一緒に質疑したらどうかと思いますが。
  45. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) 皆さん方お急ぎのかたはお先におやりになるほうがいいのじやないかと考えまして、一人ずつ御質問をお願いしたほうが御迷惑じやないだろうと考えて、今のようにしているわけであります。
  46. 石黒忠篤

    参考人(石黒忠篤君) 若しお差支えなくて私御免こうむらせて頂ければ他の委員会が二つありますから……。
  47. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) ありがとうございました。それでは山崎元幹さん、お願いいたします。
  48. 山崎元幹

    参考人(山崎元幹君) 私は海外に半官半民の会社に籍をおきました関係上申上げることが多少それに傾いたようなことを申上げることになるのでありますが、御了承を願いたいと思います。  大体私はこの法案が制定施行されるものと仮定しまして、その前提の下に私は主として運用について意見を申述べたいと考えます。運用とは要するに公平な見地から栄典を授与されることが第一であると申せましようが、その点から申しますと、この説明によりますと、国家の再建に寄与したものに栄典を授ける、こういう意味のことが謳つておりますが、この点につきまして私はこれはどうも将来の栄典の授与を指しておるんではないかというような気がいたすのであります。そうしますと、私はこれはどうも不公平ではないか、こういうふうな気がいたします。過去の叙勲を受けた人に対する勲章はそのまま有効と認めるというようなことも出ておりますが、然らばそこに公平の見地からいろいろ問題が起つて来るだろうと考えます。無論国家の再建に寄与した勲章功労章を与えられることは結構でありますが、又その一面において過去の勲章をもらつた者も活かしてやるんだ、こういうふうなことをなさるならば、過去において勲章に値いしたものをどうなさるかという問題が起つて来るであろうと私は考えるのであります。私の乏しき知識かも知れませんが、過去において勲章をもらつた者もあるし、もらわなかつた者もある。同じような功労に対して、この戦争の末期と申しますか、終戦のごたごたのときに今までなら勲章をもらつた者がもらつておらないというようなことがたくさんあるだろうと私は考えるのであります。そういう意味におきまして公平の見地から見ますと、過去と将来との間の公平の運用をどうするか。又過去の勲章を認めるならば、過去において勲章をもらうべき人がもらわなかつたその待遇をどうするかというような問題がたくさん起つて来る、そこに非常に困難な問題が起つて来ると私は考えるでのあります。私は満鉄に勤務いたしまして、自分で経験いたしたのでありますが、満鉄にもいろいろの場合に社員が勲章をもらつた事例が少くないのであります。ところが戦争がたけなわになり、又終戦直前におきましては同じような功労者に対しては何ら勲章の詮議がされておらないというようなことは、私といたしましては同じ社員に対して非常に公平な措置がされていなかつたということを見ておるのであります。具体的の例を申上げますと、終戦のときに国境地帯に勤務しておつた満鉄の社員が、ソ連が侵入して来たときに軍隊と一緒に戦つて戦死をした、或い職務を守つて殉職した、こういう例が相当にあるのであります。又満鉄の投資会社でありました大連汽船の船員のごときもこれはほかの船会社と同じようにやはり軍人と同じような働きをしている。而もこのうちにはすでに勲章にありついた者もいるし、ありつかない者もいる。こういうようなことがあるので、こういうのをどうなさるかということが私は重大な問題であろうと考えるのであります。  そこでこの説明に将来の国家の再建に寄与した者に対して栄典を与えるということがありますが、それは御訂正を願つて、元来勲章というものは厳正に公平に授与さるべきものだという前提の下に、過失のものについてもやはり公平の見地から詮議するということを一つ考えて頂きたい、こう思うのであります。何もそうばらばらばらまいて頂きたいということは私は申しませんが、そこに厳正に詮議されることは無論必要であると思いますが、日本人として元来この勲章というものは、私は日本の現状においてはやはり栄典国家は対する忠誠を尽した国民に対して国家の感謝の表徴である、又個人から言えば国家に対して忠誠を尽した自分のほこりであるというような意味勲章栄典考えられるだろうと思うのでありますから、即ちこの栄典制度は或る意味においては国家国民とが非常に温い血を通わせるような手段として運用されなければならんと思うのでありますから、そういう意味におきまして厳正公平に運用されるということが絶対に必要であると考えるのであります。若しそこにいろいろの事情によつてむらがありました場合には、これはむしろ勲章はない方がいいのじやないかと、こういうふうな気がいたすのでありまして、この世論調査を見ましてもなかなか複雑な感情が現れているように私は見ているのであります。そこでまずい運用をされるならばむしろこういうものはおやめになつたらどうか、当分の間、そういう気がいたすのであります。  これはもう一つこの在外勤務者の過去の経験から申上げるのでありますが、ここに将来の建設に寄与した者というような意味からいたしまして、私は在外勤務者に対して今後も成るべく優遇をしてもらいたいということを申上げたいと思うのであります。むろん今まで満鉄とか或いは特殊会社その他のものに対して優遇された意味とは或いは違うかも知れませんが、日本人は今後海外に大いに発展しなければならん、海外に優秀な青年を出さなければならないだろうと考えるのであります。甚だ例を引きまして僭越でありますが、曾てこういうことを私は聞いたことがあります。インドを経営したイギリスの事例でありますが、イギリスはこの第一次戦争後あたりから、イギリスの優秀な青年がインドに行かなくなつたどういうわけかと、こういうことになると、イギリスではこういう見方をしておつたということであります。インドに行つてもインド人の民間思想が非常に発達したために居心地が非常によくなかつたということが一つ、それが大きな問題でありましようが、その次にはイギリス政府のインドに勤務したイギリス人に対する待遇が悪くなつた、こういうことが原因しているということを聞いたのでありますが、いろいろな原因でイギリスのインドにおける権威というものはだんだん下り坂になつたと考えるのでありますが、こういう点から見ましても今後我々は昔とは違つた意味において優秀な青年を海外にどんどん送り込まなければいけないだろうと私は考えるのでありまして、そういう点から申しますと、この栄典を授与される場合には無論厳正であり公正な選考をされることは必要でありますが、そこにイギリスが過去においてインドを経営したときとか、或いは又イギリスが支那で公館を管理した場合に、公館に勤務するイギリス人に対していろいろの恩典を与えたというようなこともありますし、それが或いは帝国主義のなごりだと、こう言えばそれまででありますけれども意味は違いましても海外に発展するように国民を指導して行くことが必要である。而してそこには国家が十分国民にむくゆる、又国民も新らしい日本国民であるという自覚を培養して行くというふうなことが大事じやないか。要するにこの栄典制度というものは新らしく日本においては国民国民的自覚を涵養させる意味において運用されて行くことが必要であろう、こう考えるのであります。そこでその目的に副わないような栄典制度ならばむしろ私は百害あつて一利なしと、こういうふうに思うのでありまして、そういう場合は勿論私は栄典制度を当分見送られることが賢明ではないかと考えるのであります。  ついでながら、この運用についてはいろいろの公正な処理をされると私は考えますので、この法案については賛成を惜まないのでありますが、どうかこの運用につきましては今まで私が簡単に申上げましたようなことを取入れて頂きたい、これをお願いいたします。
  49. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) 御質問がありましたら……。ありませんか。では山崎さん有難うございました。  では次に阿部靜枝さんにお願いいたします。
  50. 阿部靜枝

    参考人(阿部靜枝君) 栄典法案につきましては、一部の削除と、それから運用についてのことを申述べたいと思います。  この運用の場合にいつに遡つてというよりは、私は将来いつから、こういうふうにきめて頂きたい、成るべく遅くと思つております。この栄典制度についての世論の調査の方を見ました。それから今日は、或る表彰式に私は行つてみました。この表彰式は栄典制度がきりました場合に、やつぱりこういうのが含まれるのであろうし、これの延長がつながるのであろうと思つたからでございます。それは子供銀行の表彰式でございました。大蔵省から、或いは預金額がたくさんあつて、その他のことも揃うたでしようが、それが表彰された。で、一年、二年前ぐらいまでは大蔵省で表彰したのを東京都が又表彰し、それを更に特別区で表彰しているので、英雄みたいなのが少数できた。それのために弊害ができたのがあるから今年は大蔵省とは別に表彰した。だから表彰されたのは二、三だけれども、区においては二、三、だけでなくて全部に御褒美を出すことにした。そしてほめられた所だけが偉いんではない、みんなその可能性があるんだから一生懸命やるようにということをすすめておりました。これは一人の英雄を出さない、団体的になつて行くということを役所のようなところでも認めましてそれをなくそうとする一つの方法だと思いますが、それから更に入りまして子供銀行に積みますお金は、子供がアルバイトしたのならアルバイトのために子供が勉強に困ることがないだろうか、家からもらつてつたら父兄が困ることがないだろうかというところまでの調査はしていないようでございました。その調査は今後私がしてみたいと思つておりますけれども、これらから来るところの曇りというようなものが、マイナスの面が栄典制度についての世論の反対となつて現れているのだと思います。これについては九割が賛成でございます。反対は一割だけです。ですけれども賛成のかた理由を見ますとかなりお座なりなんです。そうして古い観念のつきまとつているのがございます。反対のかたのは割合い筋が通つております。その反対意見一つに階級が区別されて人間に差別のできるのが面白くないというのがございます。位階のようなものは人間区別するために最初に作つたものでございまして、政治をとる者が権力を独占する、政治される者には政治を知らせないようにする。そこから始まつておりますし、政治にありつこうとする者、それから位階をなお高く求めて、つまり僭上的な、僭越な野心を充たそうとするそれらの人々に対処するために、歴史的にはだんだん小きざみにされて、複雑にされて参つております。この栄典法根本となるのは人間社会を進歩させ、多くの人々を幸福にしたその業績、功労に対しての表彰であるべきですから一般の人々をうるおすべきである。自分もそういう善意と才能を伸ばすことができるという、人間の可能性を信じさせて励ます方向に行かなければならない。それを差別をつけて身分を規定するような、いばる人と卑屈な人との雰囲気ができるような制度は廃止したいと思います。つまりこの制度にあたるのが位階だと思う。第七条だと思います。だから第七条は全部削つてしまうのが適当だと思います。  勲章もらつた人の世論調査の方を見ますと、昔ほど今は人も尊敬してくれないからありがたくない。勲章はたんすの底にしまつたままだということを言つております。今私たちちよつとこの位階や勲等を聞きましてもぴつたりいたしません。久しく聞いたことがなかつたのですが、新年のお歌会の初めに皇后に出ましたときに久しぶりに大勲位勲一等という肩書を伺いましたけれども、これがなければならないわけはないと思います。そう言われることを皇族の方たちも特別求めてはいらつしやらないような顔色に伺いました。それから田舎の墓場に行きますと、勲八等というような墓石がございますけれども、これも尊敬と言うよりは一つの憐憫といいますか、いたましさというか、そういつたものを誘うようであります。正一位というとちよつと新興宗教ででも利用したくなるようなものじやないかと思います。それで反対意見、世論にも出ておりますが、人間を差別するところの位階をきめております第七条は削除して頂きたいと思います。  その次の反対意見として、国のために本当に表彰されるような人は勲章を欲しがらない。だから勲章をやるということは偽善者をふやすのじやないか、この意見が出ております。これはひねくれているというだけで片付けられないのじやないかと思います。この栄典制度のときの議会の模様を見ますと、天皇から勲章を授けると有難味が一層増すだろうということが金森国務相と議員のかたとの間の質疑応答になつておりますが、国民感情として私は天皇から頂くよりは国民の総意としてその業績を認められてのもらうほうが有難いというふうに思つております。文化勲章は小説家がもらうだけだつたら、一流の小説を書く。いいものを書く者として大勢の読者を持つている、共鳴者を持つている、そのことにもらう人も価値を感じますし、勲章そのものを私たちは尊敬する気になるわけでございます。  それからこの勲章を、表彰されました人の「母の日」にされましたり、「文化の日」その他の日にされました人の感想を聞きますと、たかられて困る、ゆすられて困ると言います。ですからお金を勲章にそのときにつけるのは考えものだと思いますが、お金をもらわなくても例えばゆすられる、あなたは人を助けて表彰されたそうだ、こちらにもこういう人が困つているから是非助けて下さい、そのように何人もやつて来る、勲章をもらうのは実は迷惑だということを申しておりました。これらも勲章自分がもらいたくなつて偽善をするというだけではなくて、もらつた人からなお助力をゆすり取ろうというような人たちのある今日の社会状態、それを合せ考えて作られなければならないし、運用されなければならないと思います。  二十一条に表彰に値するものを市町村長、特別区長が申し出るように、それを内閣の審議にかけることになつております。これまでの状態をみましてもそれから今日の特別区、市町村の良識程度、センスの程度をみましてもここに表彰されるのは一流の者よりは二流三流になつてしまうのじやないか、その懸念を抱きます。実例といたしまして、「母の日」には母を表彰することになつております。各地方でこれをやつておる所もございますし、或る団体からの所もございます。県で与えるとしますと自分の村で表彰者を得ようとしますから誰かを探し出します。探し出された一人にこんなのがございます。聴覚不自由者の兄弟二人を持つている母親、田舎ですからこの子を特別学校に入れるためには遠い道を付添つて行かなければなりません。二人の子に付添つて行つて、教室では付いていて、先生が聾に教えて、聾学校に行きまして、耳の聞えないのに教えて、ものを覚えるように先生がやるのをよく見ていて、自分も家へ帰つて来てそれをやるようにして二人の子供がとにかくものを言えるようになつた、その母親が表彰されましたわけです。表彰されたあとになりましてそんな片輪の子を二人もどうして持つたのであろうということになりました。これは血族結婚を二回に亘つて続けている。表彰はプラスになるものをすべきであつて、マイナスになるものをするには当らないのじやないかということを言い出す人が出て、この表彰された人はそつとしておかれれば何でもなかつたことをなまなか表彰されたためにいろいろなことが掘出されて却つて傷つけられた、そのような結果になつております。これに類似しますことは、棄権をしなかつた村としての表彰がある、そうすると無理なかり出しをしたり、おまけに替玉まで使うという例が出て来ると思いますから、どのような人が表彰に値するのであるか、その審査を十分にすべきだ、人を審査をするということは非常にむずかしい、刑罰を与えるよりももつとむずかしいと思います。ですから表彰は極めて簡素にされなければならないのじやないかと思います。文化勲章に並びまして産業勲章ができました、それに賛成いたします。  それから以前の男女を別にしましたのは、一緒になりまして四つにきまつたのはこれも賛成いたします。ただ旭日章が五階級にきまつておる、大中小のほかにもう二つあります。この五階級は多過ぎると思う。勲章に大中小とつけるこの名称も私は子供つぽいと思う。勲章をもらつた言つて喜んでいるがき大将には当らないが、ちよつと何かやはり幼稚なところが出て来ると思いますから、この旭日章は階級をつけるならば二階級ぐらいにして大中小の方はやめて適当に含みのある名前にしたならばどうかと、勲章の数も多過ぎるのは安つぽくしてしまうと思います。  それから割当を作ります、国家できめた祭典に応じて割当を作つて与えるというこの方法も改めたいと思います。余り多く与えると医学博士みたような工合に勲章を商売に使つてはいかないということをやがては言わなければならないかも知れんと思う。保安隊がすべきことをする、それは当然である。ところが保安隊でも消防隊でも怠けているのでやけどをしたり、そういう特殊の業績を立てなければならなくなつて、その人が御褒美をもらうという、これでは全体の徳義といいますか、職業意識というものを低下させるのではないか。職業意識を低下させるのではなくて高揚する方向に行かなければならない。でそれらをきめますのには、とにかく内部を挙げて割切つてしまわなければならない問題ですから、きめますのには簡単に五階級と多くしないこと、そう思います。もう一つの反対意見勲章などに金を使わないで社会保障の方をしつかりやれというのがございますが、社会保障の方がしつかりしておつたならば孝子とか、節婦とか、慈善家というものは余りもらえなくなつて参る。社会保障で稼ぎが独立自営できるわけになりますから、それほどの助力を必要としなくなつて来る。賞勲局のような大きなものをこしらえてこれに予算をたくさんとる、そこに社会保障費の方を増額して行くことができないということのないようにしたいと思いますわけです。今日の表彰のされ方に、国家が予算が不十分のためそれを善行で補わなければならない場合が出ておる。教育予算が足りないのでPTAで寄附しなければならない。PTAの寄附を是非求めなければならない。そのためには寄附をたくさん出した人を表彰するような傾向になつております。そうしますと、自分の寄附をたくさん出すだけではなくて顔役の連中は寄附集めの先頭に立つて方方からもらつて歩く、寄せ集める、その零細なお金を集めてその代表者としての自分が出す、その人が褒められるという傾向がございますから国家予算を削つたところのマイナスを末端に押し付けて、その末端にいいことをさせて、それに勲章をやつておだてるというような政治の道具には使わないようにしてほしいと思います。  位階を廃することと、それから褒章を簡素化することでございますが、この審議をしますのに当りまして、審議委員には適当な人が選ばれなければならないと思います。殊に産業章がございますから、それには労働者それから農民、婦人の中からも是非選んで頂きたいと思います。産業章が課長とかそれから工場長それらの人の見解にだけよらないで、或いはそういうところに片寄つて与えられないで、もつと本当に産業を起す基礎になつた人たちが顧られるようにありたいと思います。それからものをきめますのに、豊富な気持とそれから包容力を持つていて、善と悪とをきつぱり一辺倒で割切つてしまわないような人間性の人、そういう人で審議会というものを組織して頂きたいと思います。以上のようなことでございます。  それから勲章にお金を若しも付けますならば、養老年金とか学術そういうのを奨励という意味で付けて頂きたい。そのときたくさんなお金をやつて余りうらやましがらせるよりは、その人が老後になつてつたり何かした場合に助けてやるというようにしたいと思います。
  51. 中川幸平

    ○中川幸平君 無論市町村長の推せんということになつておりますけれども、中央の審議会にかけるまでにやはり相当の調査もせんければならんし、事務局のほうも賞勲部で今停止になつておりますが、それをいよいよやるということになると、事務局も相当拡充しなければできんというので相当やはり経費がかかるのですよ。それからそれを、経費をかけてやつて非難のあるようじや困るし、非常に効果のあることにせんければならん。ですから慎重の上にも慎重に、やはり法案考えねばならんと思います。御承知の通り、そんなところに金をかけて、社会保障もせんで削られては困るという話、実際その点我々も考えるのです。そういうことで、単純な方法で而も非難のないように非常に大変効果があるということにせんければならんと思つておるので、果してこれだけの複雑な栄典制度がいいかどうかということに迷つておるんです。
  52. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) 阿部さんに対する御質問はこれで……。何かございましたら……。では阿部さん有難うございました。今度は瀧川政次郎さんに伺います。
  53. 瀧川政次郎

    参考人瀧川政次郎君) 私には栄典制度全体でなくて、特に問題になつておる位階のことについて意見を聞きたいというお知らせがありましたので、位階のことだけについて申上げたいと思います。大体書面を準備いたしまして約七十枚ばかり書いて参りましたので、これを読上げますと一時間くらい時間を費さなくてはなりませんので、詳しいことはこれはあとで置いておきますから、どうぞ文書で一つ御覧頂くことにしまして概略を、意見だけを申上げたいと思います。  先ほどから伺つておりますと、大変位階制度というものは非常な不評判でありまして、これは絶対的にやめてくれというような御意見が出ておりますが、私の意見位階制度は絶対的に存続すべしという意見であります。栄典というものは栄典をもらつた人が喜ぶものでなければならん、こう思います。又日本栄典というものは日本日本らしい栄典日本特有の伝統を示した栄典でなくてはならんというふうに私は考えるのであります。この位階制というものは先ほど阿部さんからお話がありましたが、王朝時代に最初にできました当時の位階というものは成るほど人間を階級的に区別することから起つておるのでありまして、階級という言葉位階から起つた言葉でありまして、正一位、従一位というのが位でありまして、正一位とか正五位とかいう上下を分つのが級というのでありまして、ここで階級という言葉が初めて生まれたのであります。この時代の確かに有位者と無位者の二つの階級に分ち、又有位者を五位以上と五位以下に分ける、更に五位以上を三位以上と四、五位に分けるというように、これは全く一つ法律的な階級制度であります。併し王朝というものが鎌倉以後政権を失いまして、それ以後における位階、又明治になりましてできました位階というものは、これは単なる栄典に過ぎないのでありまして、何らの特権を伴わない単なる栄誉の称号と化しておるのでありまして、先ず私はこの位階というものは中国から来た制度でございますけれども日本特有の制度であつて、それが非常に長く行われて来た制度であるということを申上げたいと思います。中国では正一品とか従一品とか、位と言わずに品、品という字を書きます。これは随、唐の時代にそういう制度がありまして、聖徳太子の時代に最初に輸入したのでありますが、中国では名前は品位という官吏の席次をきめるだけのものであります。ところが内容は日本に来まして全く変つておるのでありまして、日本位階というものは単なる宮中の席次をきめるというものではありません。上古以来ありました姓というものに代えたものであります。聖徳太子の時代に初めてできました冠位十二階というものは、いわゆる大徳、小徳、大礼、小礼というあの位階ですね、これは絶対に転昇のない位階でありまして、蘇我氏が大徳をもらいますればそれはもう一生大徳なんです。そこから上に上りもしなければ下りもしない。昔のつまり可婆根そのものなのです。ただこれをこしらえました意義は、今までは生れながらにして臣、大連であつた。今度は天皇から授かつて大徳になつた。そこに中央集権的な、この天皇というものを中心にした、中央集権を作ろうというその意義があるだけであります。で、この制度は大化元年、大化三年、天智天皇の三年、天智天皇の十四年、文武天皇の大宝元年、元明天皇の養老二年と変遷を経まして、養老以後は大体変りはないのですが、明治まで大体その養老の制度が行われたのでありまして、細かく位階が刻まれて参りましたですが、大体におきまして、やはり先ほど申上げましたように五位上、五位下といつたような区別がありました。五位上は従来郷大夫といわれました。臣とか連とかいうような高い可婆根を持つた人の変形でありました。当時の位階というのは、明治以後の位階のようなものと非常に違いまして、正一位の子供は二十一歳の成年に達しますと、何らの功績はなくとも正五位になる。又従五位の子供は、二十一歳になりますと従八位になり、それから四年日毎、或いは六年目毎に一回ずつ上ります。大きな過ちがなく又相当の天寿を全うすれば五十、六十になれば、大体父の位階に達するようにできておりまして、世襲的なものであつたのであります。五位下のものにはその特権はありません。従つて、今日と明治以後の爵位と極めて似たものでありまして、従五位下に叙せられることを授爵、爵を授けられる、こう申しております。明治以後の位階とはよほど性質の変つたものであります。  それから唐から来た制度でありますけれども、非常に日本独特の制度であるということを頭に置いて頂きたい。よく認識して頂きたいと思います。この国民の、人の喜ぶ栄典を授けなくちやならんと、日本人は長い間の伝統で、位というものに対して非常な憧れを持つておる。終戦後あらゆるものが否定されまして、国民の気持が落ちついておりませんし、又極端に走つておりますが、これが安定いたしまして、国民が正常心を取戻せば、私は位階に対する国民の憧憬、執着というものが必ず現われて来るものだと思います。今は大変これは不評判でありまするので、皆口に出してそういうことは誰も申さないと思いますけれども、併しやはり私は位に対する国民の憧れが全然なくなつてしまつたものとは考えないのであります。  まあ昔の人がどんなにこの位に対して大きな憧れを持つてつたかということにつきまして、多少の例を挙げてみたいと思いますが、正倉院文書を見て参りますと、地方の官吏の書いた文書なんかに、少初位下と言つておりますが、最下級の位である。そういうものも麗々しく肩書に必ずつけております。位のない奴は特に無位誰々といつたような無意味なことまで書いております。平安朝時代の人が非常に位階の昇進を祈願しましたことは、石津水八幡文書なんかを見てみますると、神に祈つておる祈願文に、位階の昇進の速やかならんことを祈つておらないものは殆んどないと申してよいのでありまして、又国史には父がその愛する子のために位階を譲ろうということを願い出て許された、或いは孝行な子供がその父に位階を譲らんことを乞うて許されたというようなことも見えております。又同じように出進していながら目分の同僚に先に位階を越されたというので、大変面目を失つて、所労と称して朝廷に出勤しなかつた。それだけならばいいですけれども、それを恥じて山野に隠棲して隠れてしまつた。又ひどい話になりますと、位階を越えられることを非常に恨みとして、憤死したという例もあります。又それが怨霊となつてその相手方に取憑いたというような話も今昔物語とか何かに見えております。源三位頼政がいつまでも四位に留まつておることを歎きまして、「のぼるべきたよりなければ木のもとにしいを拾うて世を渡るかな」という歌を詠んだことは皆さん御承知の通りであります。平清盛が敵方である源三位頼政のこの歌を聞いて、非常な憐れを催して、そしてその昇叙を奏請いたしまして、そうしてこれは頼政の位に対する執着が怨霊となることを恐れたからであります。鎌倉以来朝廷の勢力が衰えまして、政権が武門に移りまして、江戸時代になりましても、国民のそうした位に対する憧憬と執着の念は消え去らなかつたのであります。この時代には何らの位階に対する特権というものはなくなつております。にもかかわらず、諸国の大名、旗本、さては刀鍛冶、或いは浄瑠璃語りといつたようなものまで、皆将軍家、或いは宮内跡を仲介にして宮位を朝廷に秦請いたしました。そうして公家の連署のある位記一巻を賜わつて光栄としたのであります。徳川幕府の殿中におきましても、溜の間詰の大名とか、松の間詰の大名とか言うておつた大名の殿中に席次がありました。それが将軍家における位階の用をなしておつたのであります。諸大名はそれに満足せずに、朝廷の位階を望んだのでありまして、併し幕府は武士に賜りまする位階は大体四位か五位であります。大体一万石以下の大名は従五位以下になるのです。特別の家、或いは加賀の宰相といつたようなあれは四位であります。吉良上野介とか、あれは旗本でありますけれども、大体位が高く四位であります。併しこれは特に摂政関白の一位とか、二位に比べますと、遙かに下でありますので、武家法度の中には「武家之官位者、可爲公家當官之外事」という一条を設けております。そうまでしても徳川将軍家はその家臣のために官位の奏請をしなければならなかつたということは、国民のこの位階に対する執着が如何に深く、又位階の魅力が如何に強かつたということを示すものでありまして、江戸時代のお公家さんたちは大変禄高が少くて貧乏でありました。でこの位階を幕府から奏請して来ますときに、位階に署名をいたします。それには幾らといつて手数料を取つたのでありまして、それが落魄した江戸時代の公家衆の大きな収入の源であつたのであります。王朝時代位階は非常にたくさんの特権がついておりました。まず三位以上の者には位封と申しまして封戸八百戸とか、封戸千二百戸というものがついております。その封戸から上ります租庸調の中の調の収入を全部くれたのであります。非常に大きな収入であります。それから五位以上、つまり五位と四位とには位録と申しまして春秋二季にあしぎぬ何疋、布何端、綿何屯、庸布何常というたくさんのものを賜わりました、又五位以上には位田と申しまして、位にいたしまして五位が一番で八町であります。当時の区分田は男一人当り二反で、それに対して八町の位田を賜わるということは大きなな特権であります。又刑法上もいろいろな特権がありまして、位を持つている三位以上の者が例えば死罪を犯しましても、いわゆる上請いたしまして天皇の勅裁を仰ぐということになつておりまして、天皇の勅裁を仰げば大体赦免になるのです。それから無条件に刑がきまりましても一等を減ぜられる、これを議貴と申します。貴を議すると書きます。それから極くつまらん位階を持つておるものでも、一つ位階を以て徒一年、徴役一年の刑に当てることができるのでして、徴役一年の刑になりますと、従八位上の者では従八位下に下げられる。そうなればその罪はなくなつてしまう、或いは又それ以下の罪でありますれば、答で十たたかれる代りに贖銅を一斤出す、いわゆる贖銅、そうして罪をあがのうことを許される、実刑を科せられないというような刑法上のいろいろ特権があります。又そのほか儀礼上の特権、例えば葬式をいたしますときにもやはり官から位田を賜わる、或いは病気のときには典薬寮の医師を派遣してもらえるとか、薬を賜わる、或いは夏死ねば死体の腐らないように氷を賜わる等いろいろの特権がありました。これは一つの階級でありますから、三位以上が死んだときには薨去、五位以上は卒去、六位以下は死と称すと言つたような、呼ぶときは三位以上は何々卿五位以上は何々太夫というような敬称の差或いは道路で会つた場合に、四位の者は一位の者に拝礼をしなければならない、五位の者は三位の者を拝礼し、七位の者は五位に拝礼をしなければいかんといつたような細かい礼法上の特権というものがございます。又三位以上との者が外に出ますときには、後ろから衣笠をかぶりますが、その衣笠の色が一位、三位、五位、七位といつたように位によつてつたということがあるのですが、もう鎌倉以後になりますとそういう特権は全部なくなりました。ただ位階に応じた着物を着るということで、三位以上は大体紫の着物を着る、五位、四位は赤い着物を着る、六位は緑の着物を着る、八位、七位というのは縹色の着物を着る。或いは五位以上は象牙の笏を持つが、六位以下は木の笏を持つ、この服制は徳川時代までやはり続いておりました、大名もそういう服が着てみたかつたのですね、やはりそういうことに対する古い時代からの伝統への憧れが残つておりました。やはり衣冠束帯をつけて、そういうことをしなければ何だか出世したような気にならなかつたのだろうと思います。肖像なんかが残つておるのですが、例えば豊臣秀吉の肖像一つ御覧になりましても、やはり武人としての肖像は残つていないけれども、衣冠束帯をつけました大閣様の肖像が大閣様の手によつて残されておるのです。位階というものの長い間の伝統でありますので、それに対する憧れが非常に強かつたことがわかります。今でもやはりそういうものが残つているので何何大臣なんということを言うのですが、大臣というのは王朝時代のいわゆる太政大臣、左大臣、右大臣、それが残つているのであります。そういうものがやはり保存されております。大蔵省なんというのもこれは大宝律令に命じている官令であります。主税とか主計という言葉も、やはりそういう古い大宝律令以来の言葉が今日使われている。又普通の民間語にいたしましても大工とか左官とかという言葉が使われております。大工というのは、いわゆる内匠寮におりました勅任技師でありまして、日本に大工というのは一人しかいないのであります。勅任技師の大工は一人しかいないのであります。それが全部右へならいまして、どんな叩き大工でも大工と申します。又左官で一人だけ壁塗りがいる、壁塗りをしてもらつたごとがある。あれを左官というのです。壁塗りといつたのではわからん、左官といつたらわかる、それが左官という言葉が一般の言葉になつている。  そういう古い言葉が非常に使われている。そこが国の古いゆえんでありまして、そういうものをすべて廃止して外国の翻訳語、或いは支那から来まして字だけで意味のわかる言葉、そういうことにみんなやつてしまつて合理的にやつてしまおうということは、国の伝統をなくしようという考えでありまして、そういう考えは私としては非常に遺憾なことだと思うのであります。我々はやはり日本人としての誇りを持ちたいと思うのであります。そんじよそこらの植民地の国民違つて、我々は二千年来の文化の伝統を持つ国民であるという誇りを持ちたい。又そういう誇り国民に失わしてはならん。今一たび戦に敗けまして非常に日本人は自信を喪失しておりますが、やがてはそういう気持をとり戻すときが必ず私はあると思うのであります。又そういう気持をとり戻さなければ私は国は亡びるであろうというように考えております。  それから最後に私が申上げたいことは、位階の複雑性ということであります。これも先ほど皆さんが申されました御意見と全く逆行することでありまして、位階は複雑なほうがいい、栄典は複雑なほうがいいというのが私の考えであります。栄典は成るべく複雑多岐のほうがよろしいというのが私の考えであります。賞罰二柄ということを昔から申しますが、人を罰するということと人を賞めるということは結局同じことなんでありまして、その手続は最も厳格にやらなくちやいけない。裁判というのはやはり裁判でありまして、裁判を事務的に取扱われたのじやたまらない。終戦後アリメカの非常に合理的な、ビジイネスとか能率とかということをやかましく言う法律が入つて来まして、入つて来たというよりも無理やりに押付けられました。現行の刑事訴訟法では、死刑を宣告したら六カ月以内に必ず死刑を執行しなくちやならないというような規定が置かれました。こういうことは非常に事務的には能率の上るいいことでありましようけれども、従来のようにやはり特別の事情ある者は、死刑の判決がありましても少しそれを待つてつて、そうして恩赦にかけてやるというようなことが従来はできたのであります。ですからこれは非常に悪法であるとして、今、日本の司法界ではその改廃が論議されております。栄典の授与ということは、罰の反対である賞でありますから、その授与は裁判と同様に考えられなければならないと思うのであります。で、裁判官としまして私も多少の経験を持つておるものでありますが、裁判官として一番頭を使わなくちやならんことは、刑の量定ということであります。刑の量定がいつもきちつと当るということにつきましては、これは刑の種類が多いほどいいのでありまして、この事件の犯人は死刑にしてやるのにはかわいそうだ、併し無期懲役にしておけば、十五年すれば又恩典にあつて、そしていずれは又仮出獄でも許されるということになる。それでは又軽過ぎると思う。絶対に恩典にも減刑にもならないという無期懲役がその中間にもう一つあるといいがなあと思うようなことがたびたびあるのでありまして、ですから、勲一等では非常に重過ぎるが、勲二等では少し気の毒だというような場合が非常にたくさんあると思うのであります。又人間の名誉心というものは、あの人と自分が同等に見られる、同じだということに非常な不満を感ずる場合が非常に多いのでありまして、そこを、ちよつとでも差がついておれば、そこに非常な喜びを感ずるのでありまして、同じ従四位でも従四位上と従四位下とは胸の石帯の紐の飾りがちよつと違う、それで上下を分つております。そういうことで、やはり、あいつは従四位下だが、おれは上だからここに点があるということで、そこに非常な満足がある。そういうことは非常に子供らしいことじやないかと先ほどもおつしやいましたが、栄典ということは子供らしいことなんです、馬鹿々々しいことなんです、考えれば……。それを厭うて、煩瑣な手続を厭うということは私はいけないと思う。これは最も非能率的にやらなくちやならんことだと私は思うのでありまして、煩瑣であればあるほど、又つまらぬことを勿体振つて仰々しくやればやるほど、栄典制度効果があるのでありまして、これを事務的に簡単に片付けてしまうということは、私は非常にいけないと思うのです。従つて位階制度も、私は、明治になりまして、正七位から従八位までになりました。これはやはり西洋の能率主義で能率が上りまして、非常に簡単になつたのでありまして、昔は三位までは正・従しかありませんが、四位以下には上下がありまして、八位の下に、大初位上、大初位下、少初位上、少初位下という四つの位がありまして、これを明治には従九位と正九位と二つにまとめて簡単にしたのですが、そのうち、又明治二十年のときには九位を廃止して簡単になつております。まあ私としましては、そういう意味から、昔の養老令の制度を復活しまして、明治のを廃止して、昔の、やはりもつと三十階も四十八階もあつた時代のものを復活したほうがいいというように、復活して頂きたいというように私は考えます。併し先ほどから承わつておりますと、非常にこの位階制度というものに対する反対が多いようでありまして、又これは是非ともこの制度を廃しなくちやいかんということでありますれば、これは一つ運用の面で考えて頂いて、生きた人には位階をやらない、贈位ということだけやるということにでも私はして頂きたいと思うのであります。人の値打というものは、いわゆる棺を覆うて後に定まるのでありまして、その功績が評定されるまでには相当の年月を要するのでありまして、まあ明治政府がこの贈位ということを盛んにやりまして、贈官は余りやつておりませんが、贈位を非常にやりました。これは、何年か、何百年かあとに知己を待つということを申しますが、何百年かあとに又自分の本当に国のためを思つてつたことが認められるときがあるのだという、そういう感情を持ち得て、高い理想で事がやつて行けるということが、こういう古い永続した国に生れたそういう社会のつまり特色であろうと思うのでありまして、何でも現金で右から左に取引するというような国では、私は面白くないと思うのであります。そこが日本の非常に尊いところだと私は思います。贈位の制度だけは廃止すべからず、是非ともこれは保存して頂きたいというのが私の考えであります。  なお詳しいことはいろいろ、意見書に書いておきましたから、一つゆつくりと御覧を願いたいと思います。余り時間を取りましてもいけませんので、簡単にこれで終らして頂きます。
  54. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) 御質問ございませんか……。それではもう御質問はないようでございますから、有難うございました。  それでは、本日の予定の参考人のおかた、皆様おいで下さいまして長い間貴重な時間を潰して頂いて誠に有難うございました。これで参考人の御陳述の予定はすべて終了いたしました。     —————————————
  55. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) それからこの際お諮りいたしますが、青少年問題協議会設置法案、法務省設置法の一部を改正する法律案、この二つがこの委員会に付託されたのでありますが、つきましては、法務委員会のほうから内閣委員会に連合委員会を開くようにしてもらいたいという申入れがありました。これを如何取計らいましようか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  56. 竹下豐次

    委員長竹下豐次君) それでは連合委員会を開くことに取計らいます。その旨回答いたします。  では本日の予定はこれで終了いたしました。何か承わりたいことはございませんか……。では本日はこれで散会いたします。    午後三時十九分散会