○
参考人(
井藤半弥君)
一橋大学東京商科大学教授井藤半弥でございます。御命令によりまして今度の
国会で御
審議中の
昭和二十八年度
分所得税の
臨時特例等に関する
法律案並びに
一般国税に関する
問題点について
意見を述べさせて頂きたいと思います。
具体問題に入ります前に、これはいつもお招きにあずかりますたびに同じようなことを申すようでございますが、
日本の
税制の背景にな
つておる
一般的な問題を申上げます。実はこれは昨日
参議院予算委員会の
公聴会で申上げたことでございまして、その点今から約五分間ほど同じようなことを申しますが、これは関連がございますので、どうぞお許しを願いたいと存じます。そこでこれはきまり切つたことでございますが、一応申上げませんと
あとが続きませんので申上げさせて頂きますが、先ず
税金の問題でございますが、先ず
総額を
種類に分けて申上げます。
総額は御
案内の
通りたばこなど
専売公社の益金を含めまして、
国税は九千三百二十五億円、これに
地方税二千九百三十四億円を加算いたしますと、
日本の
税金は国家及び
地方を通算いたしまして、一兆一千九十二億円になるのであります。例によりまして、
租税を
国民所得で割算いたしますと、二十七年度は二一%であり、二十六年度も同じく二一%であり、二十五年度も同じく二一%でございます。
シヤウプ勧告の以前の二十四年度が二七%でありまして、これを
最高としてずつと二一%という軽減を示しております。
日華事変以前の
昭和十年度におきましては一四%であります。現在の二一%は
昭和十年度の一四%に比べますれば重いということは言うまでもないと存じます。それから
租税を
国民所得で割るという
計算が一応の目安になるものでございますけれども、これによ
つて国民負担を計ることは不適切である、或いは
余りにも粗野である、ナイーブであるということは多くのかたが言われておる
通りであります。それで実はこれは前回の
公聴会でも申上げましたことでありますが、もう少し
真相に近い
数字といたしまして、
租税を
国民所得で割るということをせないで、
租税の
負担能力で割る、こうするほうがより
真相に近い。この
負担能力をどうして
計算するか、これもなかなかむずかしいのでありますが、数学で表わすとなると、一番安直なやさしい
方法は、
国民所得から
最少生活費の
部分を引いた
残り、即ち
自由所得をとります。つまり
国民所得から
最少生活費を引いた
自由所得、これを分母に置きまして、
分子に
租税を置く、この
方法であります。そこで
最少生活費の
計算方法は、これはなかなかむずかしいので、
エンゲル係数を使いまして
食糧費を以て
最少生活費を代用いたします。そこで
国民所得から
食糧費を引いたもの、即ち
自由所得を一本とり、それから
租税を
分子に置いてその
割合を求める、これは私絶えずや
つておることでございます。今度新たな資料でこの
計算を改めたわけであります。それによりますと、
昭和二十七年度は四三%で、
昭和二十六年度は四六%、
昭和二十五年度は五〇%、それから
昭和二十四年度は七二%であります。
昭和十年度は一九%であります。そこで
さつき租税を
国民所得で割算いたしました場合には、二十七年度、二十六年度、二十五年度、ともに二一%でございましたが、今の
あとの
計算、
租税を
負担能力で割る
計算をいたしますと、二十五年度から二十七年度にかけて僅かながら
減税をされておるということになるのであります。併しながら
戦争前の
昭和十年の一九%に比べると、なお重いということは言うまでもないことであります。
そこでこれは
一般の
数字の問題でありますが、それでは
種類、
内容はどうか、
内容につきましてこれもまあいつもやることでございますが、直接税と
間接税に分けます。これを新らしい
計算にし直しますと、
国税について申しますと、
昭和二十七年度は、直接税が全体の五七%、
間接税が四三%であります。まあ普通大ざつばに申しまして、直接税は
累進税がかか
つております
関係上、
金持が、富者が
負担する。それから
間接税は貧乏人も
金持も同じく
負担するのであり、
従つて大衆課税と言われておりますが、現在の
日本におきましては直接税と申しましても実は
大衆課税であるのであります。これも同じ
方法を使うのでございますが、
数字を改めまして、なぜ直接税が
大衆課税にな
つておるかということを新たな
数字によ
つて申しますと、この
数字は実はこの
委員会の
事務局から頂きました
数字を
基礎とした一番新らしい
数字でございます。この
昭和二十七年度の
所得税の
申告納税、これは
基礎控除、
家族控除などをする以前の
数字でございますが、
昭和二十七年度
所得税の
申告納税の予定を見ますと、合計三百十七万人であります。このうち三十万円以下のものが九二%でございます。それから
所得額は合計いたしまして八千二百九十一億円でありますが、そのうち三十万円以下のものが七四%にな
つておるのでございます。それから
給与所得でございますが、やはり二十七年度、勿論推算でございますが、これは
勤労控除をやる前のものでございますが、
給与所得について申しますと、
納税人員が八百六十三万人、このうち一年三十万円以下のものが九七%、殆んど大
部分でございます。それから
所得金額で申しますと、
給与所得の
納税者の
所得額は合計いたしまして一兆六千四百七十億円でございますが、このうち三十万円以下のものが八八%でございます。そこで三十万円と申しましても、
戦争前の
価値に換算いたしますと、八百六十円であります。どうして換算したかと申しますと、日銀の
卸売物価指数で申しますと、
戦争前の
昭和十年頃に比べますと三百五十倍に
物価は騰貴しております。そこで三十万円を三百五十で割りますと八百六十円、
戦争前の
価値に直しますと八百六十円の連中が
所得税の大
部分を
負担しておる。
戦争前の
個人所得税、即ち第三種
所得税の
免税点が千二百円であつたという事実と対照いたしますと、現在の
所得税はこれは誰が見ても
大衆課税と言わざるを得ないと思うのであります。だから現在
日本におきましては直接税は
金持が
負担する、
間接税は
大衆が
負担するということは
意味をなさんのでございまして、直接税も大
部分は
大衆が
負担する。即ち
大衆課税であります。これがまあ
日本の現状でございます。
そこでそういう
立場で今度は今日の問題に入るのでございますが、今度の
所得税の
臨時特例等に関する
法律案を眺めますと、これは確かにいい
方向に向
つておる。それは理想的とは勿論申しませんけれども、
方向としてはいい
方向に向
つておると思うのでございます。言うまでもなく今度は
基礎控除の
引上、
扶養控除の
引上、それから新たに
社会保険料の
控除をやりました。それから
税率の調整をやりました。それから、これはこの前の
国会のこの
公聴会のときにも申上げた次第でございますが、
勤労控除の
最高限が三万円であ
つたのを今度は四万五千円と五割上げました。こういう一連の
措置は確かにいい
方向に向
つておるのでございまして、とにかく
日本では一番
税金について問題にな
つているのは、
所得税のうちの
低額所得に関する
課税、これが一番問題にな
つている。それの
負担を軽くしようと努力したということは、これは一応私はいい
方向に向
つているということはすなおに認めざるを得ない事実だと思うのであります。而もこの間に
物価の騰貴は殆んどございません。今年の一月と現有と比べますとCPI、
消費者物価指数を見ますと、
余り変化がないのでございまして、これは大体実質的な
減税と見ていいと思うのであります。ただ少しあら探しをやらせて頂きます。今度のほうもやはりあらはないわけではない。少し揚げ足取り的な小さな問題を言うのでございますけれども、小さな問題でもやはり無視することはできないと思います。
一つの問題になりますのは、
税率でございますが、
税率は大体下
つておりますけれども、七万円と八万円の間が二〇%から二五%にこれは形の上では確かに
引上げにな
つております。
従つて七万円を超して八万円までの一万円の
部分につきましては、即ち五%の
引上げでございますので、この
部分は五百円の増税にな
つておるのであります。ところが二万円以下のものは従来二〇%であつたものが今度は一五%に引下げられておりますので、この二万円の
部分は要するに五%ずつ
減税にな
つておりますので、そこで五百円を増税して一千円を
減税しておるのでございますので、差引きいたしますとあらゆる人々について
減税にな
つておるということは勿論言えるのであります。併しながらより望ましいことはどうかと言えば、七万円と八万円の間、これをやはり二〇%のままに残して置けば、更によか
つたのではないかと思うのであります。こんなことは勿論
政府当局も御存じでありますが、察するに、この
部分は非常に
納税者が多いのでございまして、この
階層で五%を多く取るということは、これは
収入という点から言うならば、私はまだ
計算いたしておりませんが、数百万円の
収入に影響するのでございまして、そういう点でこういう
措置がとられたのではないかと思います。併しまあこれを考慮いたしましても、とにかくあらゆる
所得階層のものにつきまして実質的に
減税にな
つておるということは言えるのであります。
それからもう
一つ、これも小さなあら探しでありますが、
考え方として私は問題にしたいのは、今度の
臨時特例、これは確かに
臨時特例でありますが、これは来年のこの次の
国会できつと
臨時ではなくて
成規の
制度に繰入れられるのだと思いますので申上げたいと思いますが、
所得税についてこういうふうな
減税措置を
とつたところがそれに対応して
退職所得について何ら
措置がとられないということは片手落ちではなかろうか。と申しますことは、
退職所得については確かに去年でございましたか、相当思い切
つた改正がございました。私はあれは
改善だと思
つております。そこであの
退職所得につきましては
改正後の
現行制度は十五万円を
基礎控除といたしまして、そうして
残りの
部分に対して
所得税の
税率をかけて独立して
課税する。問題は十五万円の
基礎控除を今度の
改正でもなぜ据置きにしたか、これは問題になるのじやないかと思います。そこでこの十五万円という
数字はどうして出たかという問題でございますが、これは税法にそんな
根拠は書いてございませんが、これが問題となりましたときに
一般に言われておりましたことは、
退職所得というものは
退職者の老後の
生活費であるというような特殊な
意味を持
つておるのだ。そうだからして十五万円というものは当時の
基礎控除五万円の三年分という
意味でございまして、三年間くらいの
基礎控除をや
つてやるほうがよかろう、そこでこの十五万円という
数字が出たのでございます。そこで今度は十五万円は、六万円に
上つたのでございますから、その
考えから申しますと
退職所得の
基礎控除は当然十八万円に上げなければならないのじやないだろうか、まあこういうふうに
考えております。
それ以外に、
青色申告書を提出するものにつきまして
専従者に一人について五万円引くとか
言つて、これもやはりそれに関連して問題なのであります。私はここで申上げたいのはこういうことなのでございまして、この
所得税その他
税制改革いたす場合に、このパーセンテージできま
つておるものは一応無視してもいいのでございますが、
金額控除をやる場合に、或る
部分だけ
金額を
控除し、他の
部分の
金額の
控除を
考えないということは均衡を失するのじやないか。その適例といたしまして、この
退職所得十五万円の据置きをここで問題にしたのでございます。要するに、まあこれは少し話が細まかでございますが、一種の揚げ足取り的でございますが、やはりこういうところに問題があるのだと思います。要するに今度の
臨時特例などに関する
法律案は、理想的とは申しませんけれども、
改善の跡は認められるのであります。併しながら、
戦争前なんかに比べては勿論まだまだこの方面は
減税して頂きたいということは言うまでもないことであります。
それで、これから後の
租税に関する
一般方針でございますが、これは結局次のようなことが望ましいのじやないかと思
つております。それは今度も
大分減税になりましたけれども、なおこの
低額所得の
部分を更に
減税にする。まあ
減税にするのは非常に結構なことでございますが、財源をどうするかという問題でございます。それで、或る人はまあ勇壮なことを申しまして、
高額所得税の
税率を高めよ、英国は九十何%だと
言つておりますが、これは
制度としてはいいのでございますが、先に申しました
数字からいたしまして、九五%にいたしましても、その
所得階層の
所得高が極めて少いのでございますので、
低額所得者の
減税をカバーすることは到底できないのでございます。それで結局はどういうことになるかと申しますと、
低額所得税を
減税するということになりますれば、やはり
財政の規模を縮小するということ、これ以外に途はないんではないかと思うのでございます。そういう
意味でこの
所得税の
金額が減りますので、直接税、
間接税の
比率から申しますと、
間接税のほうにやや重点が移るということは止むを得んことであります。そこで私はこの
機会に特に大きな声で申上げたいことは、私はこの
間接税を重くしようというのじやございません。現在ある
間接税を更に増徴しようというのじやなくて、直接税を減らして頂きたい。そうすることによ
つて直接税と
間接税の
比率から言うと、
間接税が重くなるという外観を呈するだけであります。この場合に私は、それでは貴様は
理論として
間接税中心主義をとるものかとおつしやいますと、そうじやございません。私は
余りに偏
理論的かどうかは知りませんが、やはり
租税というものは直接税を
中心にしなければならない、これは当然のことであります。私はやはりできるだけ直接
税中心主義に移すことが
理論上望ましいと思うのでございますが、現在の
日本の
実情から言うと、もう少し
低額所得税を
改正することがいいのじやないかと思います。こういう観点で、
結論から言うと、私の
考えでは或る
意味において
間接税中心主義とも言えますが、ただ似て非なるものはこういうことでございます。これはやはり
間接税中心主義とも言われておりますが、それは
法人税などを
減税にして、その
代りに
物品税を重くしようとか或いは
取引高税を復活せよとかいう
議論があるのでございますが、私はこういう
議論には絶対に反対したいのでございます。私は
一般論として
法人は勿論困
つております。これはもう事実として認めますけれども、ほかの困
つておる程度と比べまして
法人の困り方が少いのでありまして、やはり
法人税を
減税して
間接税を増徴するということは、これは
日本の
実情から申しましても、
間接税の
一般論から申しましてもよくないものと思います。
近頃資本蓄積などをして
法人税を軽減しようという
意見が非常に有力でありますが、私はこれに反対なのであります。勿論この
租税というものは本来
資本主義的なものでございます。これは
社会主義的なものでも何でもありません。
従つて資本主義経済において
資本の
蓄積が行われることは当然のことでございますが、限度があるのであります。現在の
日本の
租税制度を眺めましても、とかく大
産業が結果として優遇されておるのであります。これは私まだ細かく検討いたしませんけれども、
法人税や
所得税の
減税又は
免税に関する規定を見ましても、或いは
租税特別措置法において
臨時償却その他を見ましても、どうも結果から行きますと、大
産業のほうが優遇されておるのじやないか。そこで私は大
産業も必要だし、
租税というものは
資本主義的でございますけれども、併しながらやはりほかの
勤労者であるとか
中小商工業が困
つておる際でございますので、ただ
資本蓄積を名として
法人税を
減税しようという
意見は、
一般論として私は
法人税は完全だとは申しませんが、
一般論として問題になると思うのであります。
それでこの際個々の
租税につきまして
問題点のあるところを極めて簡単に申上げさして頂きます。先ず
一つの問題は、
所得税の
最高率、現在は五五%でございますが、あの
所得税の
最高率を
引上げてその
代りに
富裕税を廃止せよという
議論であります。これは方々にそういう話が出ております。その
根拠とするところは、
財産の評価が困難である。これが一番有力な
議論であります。私は
結論から申しますと、この案に反対するのであります。と申しますのは
皆さんにこういうことを申上げるのはどうかと思うのでありますが、
富裕税というものはいわゆる名目的の
財産税でございます。
所得税の
補完税の
役割りを現在
日本で果しておるのでございます。御
案内の
通りこの
所得税の
補完税といたしましては、明治から大正、
昭和十四年まで
収益税というのがありました。ところが
昭和十五年あの画期的な
改革によりまして
収益税は
所得税になり、その
代りに
所得税の
補完税といたしまして
分類所得税というのが新設されました。ところが
昭和二十二年にアメリカの
勧告によりまして
分類所得税がやめにな
つて総合所得税一本にな
つたのであります。即ち
所得税におきましては、
補完税がなくな
つたのであります。そこで何とかしてやはり
補完税を設けるとなると、やはり
富裕税、つまり名
目的財産税を設ける必要があるのでございまして、これは
日本の国内においても多くの人がこれを主張したのでございますが、実行できないで、結局
シヤウプ勧告によ
つてこれが実現されて、
昭和二十五年から復活したのであります。これについてはいろいろ歴史があるんでございまして、
租税の実質から申しますと、僅か十一億です。それは
富裕税の
収入と
言つても十一億で、そう大騒ぎする問題ではございませんけれども、
租税体系という点から申しますと、これは
余り軽視することができない問題だと思うのでございます。私は名
目的財産税は、
国税において
所得税の
補完税がないのですから、これはどうしても必要であるということ、その趣旨は極めて簡単でございまして、
財産の取得に重く
税金をかける。それから同じ
所得を把握する場合におきましても、
違つた角度から
税源を
捕捉をする、
所得とは
違つた財産所有という
角度から
税源を
捕捉をいたしますと、一方で逃げた
所得も捕えられるということであります。それから又この
富裕税をかけて置くことによりまして、
財産の変動に
伴つて何か
所得に移動があることもわかりますし、或いは
相続税をかける場合の準備にもなると思うのであります。それはまあ
富裕税廃止問題は
財政といたしましては、僅か十一億円という小さな問題でございますが、
社会、人心に及ぼす影響とか、或いは
租税体系とかそういう点から申しますと、やはり
事務上の不便は忍んでも、何とかこれを育てるようにや
つて頂きたいと思うのであります。それが
所得税の
最高率引上げ、
富裕税廃止に関する問題であります。
次に
富裕税と
所得税の両者に
関係した問題を申上げます。御
案内の
通り現在の
制度は
シヤウプ勧告による。そこでこの
法人税の
基礎にな
つておる
法人擬制説、
法人フイクシヨンという
法人擬制説によ
つていることは、これは
皆さん御
案内の
通りでございます。要するに、
法人が金を儲けましても、結局
法人に出資しておる
個人が、
配当その他の
方法で金をもらう
個人にまとめて
課税するというのが
シヤウプ勧告の
根本的考えであります。これは
昭和二十五年度
シヤウプ勧告によりまして
税制改革をやりましたときには、これが
割合に忠実に守られたのでありますが、それから後この
方針は全面的じやなくて、一部は壊われつつあります。どういう点で壊われましたかというと、先ず一番大きな点は次の二つの点でございまして、
一つは会社の
社内留保の
積立金の
累積高に対して二%の
課税をや
つておりましたが、
昭和二十六年度からこの
課税をやめました。それからやはり
昭和二十六年度から
市町村民税として
法人所得割を新たに創設いたしましたが、これはこの
内容から見ますと、やはり
法人擬制説では説明が付かないのでありまして、
法人実在説を
根拠とするものでございます。こういうふうにして
シヤウプ勧告の
基礎となる
法人擬制説に立脚いたします
租税制度というものはすでに壊われつつあるのであります。それは
日本では徹底して
法人実在説的な
考えをと
つておるかというと、そういう
考えもと
つておらないで、どうも
理論的にすつきりしないのであります。そこで一応この
シヤウプ式の
法人擬制説的な
課税方法がいいということを
前提として
日本の
税制を見ますと、これは
結論を申しますると、私は
シヤウプ勧告の
法人擬制説はいいと思
つておりませんが、併し一応この
日本の
租税制度の基本とな
つておりますこの
法人擬制説的な
シヤウプ勧告の
考えを
前提として見てみましても、現在の
法人課税及び
法人税と
所得税との
関係においてどこに欠陥があるかということは、この前の当
大蔵委員会の
公聴会で私たしか謄写版を刷
つて参りまして
皆さんに御説明した点でございます。同じことを詳しく言うのはどうかと思いますのであのとき申しました
結論だけを簡単に申しますと、現在
日本では
法人の
所得に
法人税をかけると、それから
配当した場合にも
個人に
所得税をかける、二重だ。この二重
課税を回避いたしますために、
法人が
個人に
配当いたしましたこの
配当金の五%を
個人所得税から
控除いたしまして二重
課税を緩和しておるのであります。ところがこの
制度をとりますと、
個人所得税を納めないような
低額所得者はこの二五%
控除の恩典に浴することができないのであります。そのために現在の
日本の
租説制度におきましては
法人税及び
個人税を通算して
考えますと、
逆進税、下のところのほうが
却つて税率が高くなるというような
逆進税というような反
社会的作用があるということは
数字でこの前詳しく申上げたところでございます。これはたしかこの
シヤウプ勧告の
立場を
前提といたしましてもこれは矛盾するのでありまして、私はこれは若し
シヤウプ勧告的な
法人擬制説だけを
前提にするのでございましたら、これは何とか変えなくちやならない。その対策としてこの前こういうことを申上げたのです。それはこの
配当控除率、現在二五%の
配当控除率を
個人所得税累進税率の
最低率と同一とするか、それ以下とするか、具体的に申しますと、この
配当控除率は二五%、今度の
改正によりまして
累進税率の
課税事は一五%になりました。そこで
配当控除率を一五%にするか、それ以下にするか、そうすれば今言つたような反
社会的な作用はなくなるのであります。それが
一つ、それからもう
一つの対策は、英国式の
立場をとりまして、
法人税として払つたものを
あとから払戻をする、こういうことをやれば、これは
日本の欠陥もなくなるのであります。但しこれは
シヤウプ勧告がいいという
前提でございます。
その次にやはりそれに関連した問題でございますが、やはり
法人税と
所得税等に関連した問題でございます。それは株式譲渡
所得の
課税問題であります。株式譲渡
所得の
課税問題、これはシヤウプ使節団のあの団長のシヤウプ並びにシヤウプ門下のビツクレーというものの
考えを
基礎とするのでございまして、これは必ずしもアメリカの通説ではございません。このシヤウプ、ビツクレーの
考え方は、これは
皆さん御
案内の
通り株式の譲渡利得が生じた場合は、これはそれを勿論
計算して
個人の
所得税の中に加えて総合
課税の中に入れてそうして
課税しようというのであります。若しなぜそれがシヤウプやビツクレーがそういうことを主張するかというと、これは総合
課税の中に移しませんと、株式の売買によ
つて配当金課税を免れようとする脱税が起るからだというのであります。ところがシヤウプ、ビツクレーの彼らの書物の中に更に歩を進めましてこの株式の売買、現実に株式の先買がなかつたときでもときどき時価を評価してこの譲渡利得、これは勿論紙の上の譲渡利得でございますが、その譲渡利得を
計算して
課税しようということを
言つておりますが、勿論
日本ではこういうことはや
つておりませんが、売買のないときでも、ときどき三年とか或いはその他死んだときにこの時価を評価してそれからその間の利得を
計算する。そうしてこれに
個人所得税をかけようと
言つておるのであります。殊にビツクレーという人は若いアメリカの教授で、
日本にも参りましたが、このビツクレーはキユミユラテヴ・アヴアリジ・メソツド、変な英語で申しまして恐縮ですが、キユミユラテヴ・アヴアリジ・メソツド、累積平均法というものを唱えて参りまして、これは実に複雑なものでありまして、このビツクレーという男は非常に
理論家でありまして実際はできやしないのですが、アヴアリジ・メソツドというようなものを唱えているのであります。とにかく
日本のような
制度はこのシヤウプ、ビツクレーのようなものを
基礎としておるということを申上げたいのであります。ところがこれにつきましてはアメリカにおきましても必ずしも賛成者があるわけじやございません。殊に現実化されておらないアンリアライズド・インカムを
課税の対策にするということは、これもこの前の
公聴会のときに申上げさして頂いたと思いますが、アメリカにおきましてもアンリアライズド・インカムを
課税の対象にするということにつきましては疑義があるようであります。それはさておきまして
日本ではそういうことがないのでありますが、そういうようにこの株式譲渡利得というものを非常に重要視するのでございまして、これはシヤウプにおける
法人税及び
所得税について言えば、扇の要め、少し言い過ぎかも知れませんが、扇の要めに近いような地位を占めておるのであります。そこで私は批判したいのでありますが、この
制度はアメリカにはいいのだ、だが我が
日本では少し合わないということは、御
案内の
通りアメリカにおきましては証券
制度が非常に発達しておりますし、証券の登録
制度も進んでおります。それが
日本ではこれがなかなかうまく行かないということは多くの人が言われておるところであります。そこでアメリカの統計を見ますと、株式その他の譲渡
所得、これは株式だけじやございません。
一般譲渡
所得課税の税
収入を見ますと、これは非常に多いのでございまして、一九二六年から一九四〇年までの約十五年間のこの譲渡
所得から上つた
個人所得税収入は
個人所得税全
収入の一五%を占めておるのでございます。殊にこれは特殊の事情があつたらしいのでございますが、一九二八年のごときは
個人所得税収入の約半額がキヤピタル・ゲイン、これは株式だけじやございません。有価証券の売買、不動産の売買があ
つたのでございます。一九二八年のごときは
個人所得税の約半分がキヤピタル・ゲイン、即ち譲渡
所得からの
収入とな
つておるのであります。我が
日本はどうか、これはなかなか脱税が多いので
捕捉がむずかしいのでございますが、
昭和二十五年の
申告納税の統計を見ますと、そのうち譲渡
所得は僅かに二十億でございまして、これは
税金ではございません、
所得金額でございますが、
申告納税の
所得のうち、
昭和二十五年度は譲渡
所得が僅かに二十億でございまして、全体の千分の三ということであります。でありますから我が
日本におきましてはアメリJと国情が違います。アメリカで
意味のある
制度をシヤウプ、ビツクレーが
日本へ持
つて来たということ、これは私は
日本の国情という点から言えば相当問題があるのじやないかと思うのであります。申すまでもなく、これは
シヤウプ式の
法人擬制説を
前提としての話でございます。そこでそれの代案として我が
日本で有力なのがこの株式譲渡利得を
個人所得税に総合することをやめて、その
代りに有価証券移転税をかけようという説でございます。併しながらシヤウプ、ビツクレー的の
考えから見ますと、この有価証券移転税は
理論的にはよくない。何となればこれは
累進税を適用することができない。
従つて譲渡利得とそれ以外の
所得との間に税
負担の不均衡が生ずるのであります。併しながらこれは飽くまでも
法人擬制説を
前提としての話でございまして、
法人実在説の
立場をとれば、これは有価証券移転税というものは、又これの正当性は
基礎付けできるのでございます。
今度は次の問題に入りますが、やはり
法人税、
所得税の問題でございますが、それはこの一両年というか、むしろ半年ほど前から我が
日本ではこういうことが盛んに言われております。それは
法人税の
所得計算をする場合に、社債などの借入金の利子を経費として
控除されておる、ところが株式
配当は
控除しないのだ。
従つて利子は
控除して株式
配当は
控除しない、これは片手落ちだから株式
配当についても
控除せよという説であります。これはアメリカにおきましてもイクイテブ、フイナンシングはこれは株式によ
つて資金を賄うのでございますが、イクイテブ・フイナンシングと、ボンド・オフ・フイナンシングは、これはアメリカでも問題にな
つております。それから立法例を見ますと、株式
配当金を引いた立法例があるのでございます。これはすでに第一次世界大戦以前にドイツのプロシアの
所得税法におきまして、払込株金の三・五%を利子に準ずるものとして
控除したものがあるのでございます。現在西ドイツでどうな
つておるか私調べてみたのでありますが、そんな細かいことを書いた書物は見つからないのでわからないのでありますが、第一次大戦のプロシアではこういうことをや
つておりました。そこでこういう
理論が近頃
法人側から出ておりまして、株式
配当金は利子に準じて勿論全額引けとは言えないでしよう。三%、四%引けという説であります。併しこれは私は申上げたいことは、
法人実在説をとればこれは
意味があると思うのでございます。と言うことは
法人は
個人を離れた独自の存在と解釈すれば、社債を発行してそうして資金を調達する或いは株式発行資金を調達する。会社はやはり株主の
立場から申しましても、株を買うか、社債を買うか、公債を買うか、どれが儲かるかということを
中心に見ておるのであります。従いまして
法人実在説をとれば、この説は
意味があるのでございますが、
シヤウプ勧告の
法人擬制説を
前提にいたしますと、この説は私は成り立たない、現状維持でいいということであります。ということは
法人擬制説をとれば、会社の純益は結局は
個人の純益となるのであります。いわば
法人税というものは
個人所得税の前払いということにな
つて来るのでございますので、
控除すべき理由は極めて乏しくなるのでございます。要するにこの
法人課税問題というのは、これは末梢的な側面だけとれば、
理論的に言うと矛盾が出て来るのであります。私は現在
日本において行われておる
法人擬制説の
考えが果して正しいかどうか、再検討をやらなければ
理論的に解決ができないと思います。
これに対して
井藤貴様はどういう
考えを持
つておるか、これにつきましては前回にも申上げましたが、
結論だけ申上げます。それは私はどうも中間的な
立場をとるのであります。私の中間的な
立場が
実情に副うと思うのでございますが、それは大
法人につきまして、大
法人とは、株主の人数が多くて
資本金が多くて、
資本の構成が複雑で、株主の移動が多いというようなこういう大
法人につきましては、これは実在説をとるほうがいいと思うのであります。何千人もいる大株主を擬制説扱いすることはいけないのであります。大
法人については実在説をと
つて、
前提としてそれに対応して擬制説をとるべきで、
従つて二重
課税も当然でございますし、その他いろいろのことが問題でございます。それから小
法人でございますが、これは形は
法人でございますけれども、実質は
個人経営に準じたものでございますので、これについては私は擬制説をとるほうがよかろう。
従つて二重
課税は成るべく廃止するようにしよう、更に具体的に言うならば、組合の
課税と同じような取扱いをしよう。更に具体的に申しますと、
配当金で留保したものもこれは
配当されたものと仮定して
課税する。こういうように組合
課税を双方についてやるほうがいいのじやないか。現に五人や六人の親族会社などは
法人税の形をとれば、
税金が安くなるから
法人税の形をとるのでございまして、実質は
個人税と同じであります。それで組合についてはやはりそういうような擬制説的な
課税をや
つておるのでありますが、それに準じた扱いをすればいいのじやないかと思います。ただ問題は大
法人と小
法人と大体この限界線をどこに引くかというようなことになると、なかなか面倒でございまして、私は学校教授なんかの空論では困るのでありますが、
考えとしてはこういう点も問題になるのじやないかと思います。現にこれは前例がないわけではございません。一八六一年のアメリカ連邦最初の
所得税におきましては、こういう
課税方法をや
つておりました。それから現在オーストラリヤ及びニユージランドにおいて大
法人も小
法人も皆プライベートの、
個人の小
法人につきましてこういう
法人組合
課税をや
つておるということであります。私はこのオーストラリア、ニユージランドのこの
制度を調べたいといろいろ本を調べましたがわかりませんが、そういうことを言われております。要するにそういうような
立場で
法人税と
個人所得税との
関係を整理するほうがいいのじやないかと
考えるのでございます。
次は
相続税の問題であります。御
案内の
通り相続税のかけ方に二種ございまして、
一つは遺産税、英語で申せばエステイト・デイウテイ・タツクス、これは英国やアメリカで行われておるのでございます。それから遺産取得税でございまして、英語で申しますとインヘリタンス・タツクス、それで遺産税は御
案内の
通り誰か死ぬと合計して
累進税をかけますし、遺産
所得をもらつたほうを
中心にかけます。これの大きな欠点は何回も何回も生前贈与することによりまして、この遺産税又は遺産取得税を脱税することができる。それを防ぐためにアメリカ、英国その他の所ではギフト・タツクス、贈与税というものをかけまして生前贈与を防ごうとしておるのであります。ところが贈与税をかけましても、贈与税につきまして又
基礎控除がありますので、回数を何人にも何人も分けて贈与した場合については
税金が安くなるのであります。そこでアメリカその他の学界におきましては、この贈与税とそれから今言つた広い
意味の
相続税を統合しろ、そうして一生を通じて一回しか
基礎控除をしないようにしよう、こういう試みが出ておるのであります。これにつきまして二つの傾向がございまして、
一つは一八四〇年アルトナンが唱えました説でございます。これはアメリカのアルトナン、これはどういうことかと申しますと、アルトナンのやり方はエステイト・デイウテイー、遺産税を
基礎といたしまして、例えば
井藤なら
井藤が生前自分の友達にでも妻子でも贈与いたします。そのときには贈与税を取るのでありますが、いよいよ
井藤が死にましたときにそれを遺産の中へ加えて、そうして
基礎控除を一回にして、それから総合して
課税して、利子
計算や何かや
つて過去のものを引け、即ち遺産税でまとめようというのがアルトナンの
考えであります。それからもう
一つの
考えは、遺産取得税でまとめようとするもの、即ち今度もらつたほうを
中心にまとめようとするのが現在
日本で行われているサクセツシヨンス・タツクスというのであります。これは初めて言いましたのは一九四六年ラデイツクというアメリカの、学者ではなさそうでありますが、ラデイックというアメリカ人がアメリカの
租税協会でこの説を唱えました。これはこの
内容は現在
日本の
制度が即ちそれでございます。御
案内の
通りこれは世界最初の試みでございます。これはとにかくもらつたほうでまとめて、そうして一生を通じて現在の説は三十万円を
基礎控除して、
あと残りは死んでから累進
課税をかけよう。ところがこの
制度を実施して見たところが、次のような欠陥が起ると言われているのであります。それは親父が死んでも分割して相続するようにすれば、結局得だというので虚偽の分割をする。そうして相続したものとして脱税を図るということがあるというのであります。これは如何にも尤もでございまして、これは
日本の
現行制度ではサクセツシヨン・タツクスに限らずこれは遺産税、インヘビタント・タツクスということの欠点であります。ところが現行の
日本の
制度はもらう、取得する
個人を
中心にまとめて、人を
中心にまとめまして一生を通じて三十万円まで引くのでございますので、これは富が
個人に集中することを防ぐという点において大いなる長所があるのであります。ところが遺産税の場合はこの遺産をまとめてかけますので、死んだ人が過去において払うべかりし金を清算するという
意味はあるのでございます。ところが
日本の現行のような遺産取得税的な
制度におきましては、もらうほうを
中心として
個人に富が集中することを防ぐということにな
つております。両方とも一長一短があるのでございますが、私はやはり富が
個人に集中することを防ぐという
現行制度の
考え方のほうがいいと思うのであります。併しながら
現行制度には今言つたような欠点があります。そこで面倒くさいのでございますけれども、
理論的に両者を防ぐにはどうしたらいいか。それは両方かければいいということであります。この二つ、アルトマン式のものとラデイツク式のものと両方かければいい。勿論
税率やその他については訂正を要しますけれども、両方かければいい。現にこれはちよつと、
相続税だけでございまして贈与税は入
つておりませんけれども、英国で一九四九年に
相続税の
改正をやりまして、現在ではエステート・デユウテイ一本でございますが、それ以前におきましては遺産税と遺産取得税が並びかけられてお
つたのでございます。一九四九年の
改正前は遺産税としてエステート・デユウテイ、動産取得税としてリガスイー・デユウテイ、不動産取得税としてサクセツシヨン・デイユウテイがかか
つておりました。それからそれ以外の国におきましても二本立ての
相続税という
制度があ
つたのであります。
理論的に申しますとアルトマンの
考えとラデイツクの
考えと二つ併用すれば、今言つたような欠点がなくなるのであります。併しながらそれは煩に失します。そうだとすれば私は折角やりかけたのでございますので、現在の
日本の
制度をやはり継続して行くほかないのじやないかと
考えております。併しながら現行の
制度につきましては次の欠点がある。これはこの前申しましたが、それをもう一度繰返します。それは現在の
日本の
相続税、即ち英語でいうサクセツシヨン・タツクスの欠点は、一生を通じて三十万円まで引いて
残りに
税金をかけようというのでございますので、貨幣
価値の変動を無視しておるという点であります。即ち貨幣
価値が変らないということを
前提にするのであります。
従つて貨幣の
価値に変化があれば
価値の違つたものを合計するということになる。これは不合理であります。而もその結果は、
基礎控除を二回受けるというような変なことが起
つて来るのであります。例えば
数字を仮想して申しますと、去年までは
日本ではこの
相続税の
基礎控除は十五万円でした。ところが今年の春の
国会でこの
基礎控除は三十万円に
引上げられたのであります。ところが十五万円の
基礎控除を認めたのは
昭和二十五年の春でございますので、今年の春と
昭和二十五年の春との間に
物価は、
消費者物価指数で申しまして約三割騰貴しておるのであります。そうするとどういうことになるかというと、仮に一度十五万円、この前の
制度で一生を通じて十五万円
免税になるのでございます。そこで十五万円の
基礎控除を受けたものは、形からいうと十五万円の
基礎控除を受けておる。今度はそれが三十万円に
引上げられたので、更にもう十五万円
基礎控除を受けることができることとな
つたのであります。ところが二年前の十五万円というものは、
物価の三割騰貴を
計算に入れますと、十九万五千円になるのであります。即ちこの人は、二年前に十五万の
基礎控除を受けたものは、現在の
価値からいえば十九万五千円の
基礎控除を受けたことにな
つておるのであります。だからして理窟から申しますと、三十万円から十九万五千円を引いた
残りの十万五千円、これだけを引くべきであるにもかかわらず、依然として三十万円引く、即ち十五万円認めるということになると、この人は四万五千円だけ余分の
基礎控除を受けることになるのであります。これは一例でございます。こういうふうにサクセツシヨン・タツクスというものは、貨幣の
価値の変動を無視しておるということ、これが大きな欠点であります。ところがラデイツクはアメリカの
租税協会に一九四六年に出ていますが、一九四六年の研究報告で、私はその報告をよく調べましたが、貨幣
価値の変動については一言も触れておりません。これはアメリからしい
考えでございまして、三十年の間に
物価がやつと倍に
なつたような国なんでございますので、そうだから全然触れておりませんが、
日本のような変動の激しい国では、これはやはり貨幣
価値の修正によ
つてこれを余計すぐれたものにすることが必要ではないかと思うのであります。
最後に
物品税の軽減論でありますが、私は
一般論といたしましてはこれは反対であります。ということはあらゆる面を本当に軽減することはできない。勿論軽減するに越したことはございませんけれども、やはりそれよりは
所得税の低い
部分を軽減する、そういう
意味において
物品税は原則として、又個々の問題については軽減すべきものもあるでしようが、
一般論として
物品税を軽減することには反対であります。それから
取引高税を復活するという
議論も、これも申すまでもなく反対であります。先ず
低額所得税について軽減して頂きたい。
要するに現在の
日本の
制度は、
シヤウプ勧告を
基礎としてや
つたのでございますが、二年有余の間歳月が経過いたしましていろいろ矛盾たことが行われております。このように
シヤウプ勧告は
法人擬制説を
前提として極めて精緻なものでございますが、これは率直に見まして
日本の国情に確かに合わないところがあるのでございます。我々はもう一度
税制を再検討する場合には、
税制のみならず、その背後にある
法人格その他を念頭に置いて再検討する必要があるのではないかと思うのであります。ただ無
理論的な
税制改革というものは、これは又破綻をいたしますので、やはり
一般理論と関連せしめて
租税の問題を問題にする必要があると思うのでございます。
これを以て私の
意見開陳を終らせて頂きます。