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証人(
永井次作君) 私は
大洋漁業株式会社長崎支社の漁業
課長をや
つております
永井次作でございます。
私はこの第二十八海
鳳丸が
拿捕されます航海に、その前の航海を八月中旬から九月の初旬まで
乗組員と一緒にこの該当の漁場に出ておりまして、魚群の
状態並びに
操業の実績等をずつと調査してお
つたのでございます。そうして私が下船した直後においてこの
拿捕事件が起きまして、爾来ときおり
拿捕されましたところの
船員のうち幹部五名は
留置場に入れられて連絡は取
つてくれませんでしたが、他の
船員が
済州邑に
入港したL・S・T、
佐世保にあります米船運航株式会社でございますが、ここのL・S・Tの
乗組員から再三現地の模様を手紙によ
つて知
つたのでございます。非常に
食糧事情並びに秋口から冬に入りかけている
状態で、衣料も夏のままの支度で
行つているというので、現地では
食糧に困り、衣料に困り、薬品等がなくていろいろな患者が出ているというふうな情報がどんどん入
つておりましたので、
水産庁並びに
外務省を通じましてでき得るならば現地に我々を出して頂けないか。そうして
船員を救出する問題と、
船員の健康を保つ問題並びに
拿捕された
位置が、いわゆる正しい
位置であるかどうかというような問題でいろいろ研究したいと思いますので申請をしておりましたところ、十一月に入りまして
韓国側からも許可を得まして、十一月の二十四日私第五十七大漁丸に乗りまして、二十五日の昼過ぎに
済州邑に入
つたのであります。そうして原地で
拿捕をした海軍側並びに
取調べた
警察、それから裁判に関連しておりましたところの弁護士あたりともいろいろと打合せをしたのでございますが、結局私が
行つた許可にな
つた日にちが遅いために、私としてはもつと早くから行きたいと
思つておりましたが、二十四日に出るような
状態でありまして、着いたときにはすでに二十六日に第二松寿丸の判決があ
つた。又二十八日に第二十八海
鳳丸の判決がありました。この判決
内容その他を私弁護士ともいろいろ話をしあ
つたのでありますが、何なら自分も二十八海
鳳丸の特別弁護人或いは特別補佐人として出さないかということまで申入れたのでありますが、どうしても向うの検察当局のほうで受入れてくれなか
つた次第でございます。結局第二十八海
鳳丸は二十八日に漁業令違反と外国人出入国取締令によりまして送検されてお
つた。この問題は漁業令のほうは違反として罰金を受けておりますが、取締令のほうでは無罪を言渡されておるのであります。その前の二十六日に判決のありました、第二松寿丸のほうは漁業令違反として罰金は各人が五万円ずつで、反面逆に出入国取締令違反として懲役二カ月の体刑を言い渡されるというふうな結果がありますので、私いろいろ向うで漁業令の
内容はどういうものであるか、或いは出入国取締令というものはどういうものであるかということを聞いたのでございます。そうしたところそういう法令は取締令のほうはこれは
韓国の独立後においてできた法令らしいのでありますが、肝心な
領海侵犯を謳
つてある漁業令というものは朝鮮総督当時における漁業令をそのまま踏襲をしておるというので、その
内容を税関で実際に検討をしてみたのであります。併し船体を没収する、いわゆる船舶の没収という項目はどうしても私判断がつかなか
つたのであります。でいろいろ向うの弁護士あたりとも話をしましたが、弁護士あたりは人間を返すことが先ず先決である。同時に併し船舶の没収ということはどうも自分は合点が行かないということを言
つた弁護士もありました。この
事件の起きました一番肝心な
拿捕位置がどうであるかということと、その裁判の判決はどうであ
つたかという問題から見ましたとき、あのここに示してあります赤の
ラインが昨年の一月に李承晩大統領の宣言によ
つて一方的に宣言をされたところの海洋主権宣言の区域でございます。これは
日本の対島の西
海岸を
通りまして、鬱陵島の南の
日本領であるところの竹島まで含んだ
領海にな
つております。我々の二十八海
鳳丸よりもこの
拿捕時間から二十分足らずして
拿捕されました松寿丸の
位置、これはこの二点になるのでございます。この
事件のあ
つた九月十二日の以降、彼らとしても李承晩宣言に対するところの裏付法規が全然ないということで多分慌てたんだと思いますが、十月の四日付かで以てこの一方的な宣言を裏付けるための外国
漁船捕獲審判令というものを十月の四日に設定をしております。なお防衛
水域問題で出ておりますのがこの青線の
ラインでございますが、これは九月二十何日であ
つたか私はつきりおぼえておりませんが、九月の二十七日に青線
ラインは出ております。それで
本船の行動
位置を、例えば
韓国海軍が言いましたところのオンペールの沖である三十三度二十四分、百二十六度五十七分の
位置で以て彼らが
拿捕したのであるならば、向うの三百一号艇並びに松寿丸、海
鳳丸が
本船と行動をしてWNWの地点から、二十二時からコースで走
つて、これが牛島でありますが、この牛島を見て南下して、ここにちよつと出ておるところのこれが城山浦という港でありますが、この城山浦に二時三十分頃入
つておる。そうしましたならば、このコースに入れて走
つたならば、彼らの言う
位置が正しいとしたならば、海
鳳丸並びに松寿丸は
済州島の山の中に、八マイルのところに入
つて、すでに坐礁しなければならん
状態にある。逆に城山浦という港が最終地点として一番はつきりしておるのでありますが、この地点から逆算で以てそのコースを入れて行きますとこの地点にな
つて来ておる。
船長が
言つている
位置よりもなおかつ二マイルも東に今度は入るというような
状態になるのであります。そうすると
船長が、自分の
推測位置が三三度二一・六分の一二七度〇・八八分のこの
位置を
船長としては
推測位置として出しておりますが、併しその当時、影響を考えて、これよりももう少し
行つたところのこの地点を示しておるということは、この
位置を私は正しいものであるということがうなずけるのであります。なおわれわれの持
つておりますこの米式
漁船、或いはあぐり網
漁船であります、第二次松寿丸というものの
操業位置というものを考えましたときに、彼らの言うオンペールのあの近くまで入
つて行つたのでは
操業はできないのであります。その理由は網の深さが深い。水深が違う、結局網の深さが非常に大きいために、あそこら辺の八十メーターの水深のところでは
操業ができないのであります。なお沿岸によりますと振動が激しいために投網しようとしても投網できないという
状態であります。御参考までに申上げますと海
鳳丸の網の長さは一間五尺にしまして五百間の差渡しがあり深さが九十間ということは大体百二十メーターの前後になるのであります。それから向うで私弁護士から聞いたのでありますが、
本船の漁群探知器と音響測深器による水深は百十三メーターを示してお
つたそうでありますが、百十三メーターにしますと、今私が示した赤の三角地点を、大体百十メーターから十五、六メーターの水深にな
つておる。
韓国側の言う
拿捕地点の水深というものは八十メーターくらいしかないのであります。次に漁業令の問題でありますが、
帰つて参りましていろいろと漁業令を調べたんであります。向うの判決の理由書を、判決文をくれないかということも相当強く申入れをしたのでありますが、どうしても判決文の
内容を私に示してくれないのであります。ただ機会があれば
あとから送ろうというだけでありまして、私は十二月一日に向うを立
つて帰
つたのでありますが、帰るまでは私に入手することができなか
つたのでありますが、併し
日本は従来の朝鮮漁業会というものが従来からもありますので、それによ
つて内容をいろいろと研究してみましても、船舶の没収
規定を示してあるのは七十四条の第二項に、「前條ノ場合ニ於テハ犯人ノ所有シ又ハ所持スル採捕物、養殖物、其ノ製品、船舶(属具ヲ含ム)漁具、有毒物、爆發物及ビ電氣器具ニシテ、朝鮮刑事令ニ於テ依ルコトヲ定メタル刑法第十九條第一項ノ物ハ之ヲ没収ス」という項目がございますが、これがこの前条が該当するものが何かと言いますと、この三十七条によ
つて、三十七条第一項の
状態を示しておりますが、三十七条を読んでみますと、「公共ノ用ニ供スル水面、公共ノ用ニ供スル水面ト連接シテ一體ヲ成ス公共ノ用ニ供セザル水面其ノ他朝鮮総督ノ指定シタル公共ノ用ニ供セザル水面ニ於テハ
水産動植物ヲ採捕スル爲有毒物、爆發物又ハ電流ヲ使用スルコトヲ得ズ」という項目がありまして、先ほど
船長が言いましたところの魚探が魚を殺すのではないかというような考え方を持
つてお
つた。或いは定所集魚漁業じやないかということを
言つておりますが、魚探が魚を殺すということになりますと、この三十七条の該当になるわけでありますが、魚群探知機が魚を殺すか殺さないかということは、皆さんも御
承知の
通りこれは水深を測ると共に、中層、表層における魚群の
状態を観察する一つの道具であります。それでは定所集魚漁業というものはどういうものであるかと申しますと、向うの漁業令の第六条に、養殖漁業、定置漁業、定所集魚漁業、施網漁業とありまして本法に沿岸の漁法を謳
つてありますが、これによりますと、七十四条に罰則があるのですけれども、この罰則の七十四条では「犯人ノ所有シ又ハ所持スル採捕物、養殖物、其ノ製品及漁具」です。船舶属具を含むの没収
規定は全然ないのであります。又許可漁業としての取締規則等を研究してみましたが、施網漁業の取締規則に該当するようないわゆる禁止区域、或いは禁猟区域というふうなものはこの地域にはないのであります。私が長崎を出まして、十一月の二十五日の朝牛島を廻
つて済州邑に行くまでの間に、
済州邑と言いますのは
済州島の済の字の書いてありますあの直上の
位置になりますが、そこに行くまでに向うの室戸の巾着
漁船が十二艘くらい
操業をしております。これは沿岸二マイルくらいの
位置からずつと十二艘の
漁船が展開をして
操業をしておりますので、向うの漁業令でいわゆる施網漁業の取締禁止区域、或いは禁猟区域というものもこれに該当しないというふうに私考えられるのであります。それから結局
本船が行動してお
つたところの、あの青線
ラインを挾みまして、黒点がぽつぽつ書いてありますが、あの地点が彼らのいう十何回の
操業地点だと、これを以て
領海侵犯だというふうに
言つておるのでありますが、あれは
李承晩ライン内の
位置であ
つて、当時防衛
ラインが設定されたその
位置にも該当しないのであります。防衛
ラインはこの
事件の
あとに設けられた
ラインなのであります。我々第三国人、いわゆる
韓国の国民でない我々
日本人が向うの国内法であるところの漁業令に当てはめられなければならないかどうか。いわゆる
領海を侵犯をしておれば別です。
領海は侵犯をしておらないのに彼らのいう漁業令に該当するかどうかということをよく御認識願いたいと思うのであります。まして第二十八海
鳳丸に
至つては、外国人
出漁取締令は無罪だということをはつきり裁判の判決で謳
つております。そうすると取締令違反でないということはいわゆる
領海を侵しておらないということをみずから自認しておるのじやないかというふうに私には考えられます。で向うの弁護士も
言つておりましたが、捕獲審判令を何とかして適用したいというふうに考えてお
つたらしいが、結局捕獲審判令では何ら謳
つておりません。にもかかわらず捕獲審判令の附則の三十一条では、捕獲審判所を設けて審判所は十月四日付以前の
拿捕事件をも
取調べることができるように謳
つてはありますが、この特異な
事件に対しては捕獲審判令を適用しておりません。私
行つたときにも検事が何回となく釜山との間を往復してお
つたということを聞いております。結局あれに当てはめてこれをやろうかというようなことで先方でも相当苦労したのじやないかというふうに考えております。