運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1953-02-20 第15回国会 衆議院 予算委員会 第26号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年二月二十日(金曜日)     午後二時四十三分開議  出席委員    委員長 太田 正孝君    理事 尾崎 末吉君 理事 塚田十一郎君    理事 橋本 龍伍君 理事 本間 俊一君       相川 勝六君    淺利 三朗君       有田 二郎君    植木庚子郎君       植原悦二郎君    岡本  茂君       加藤常太郎君    北 れい吉君       小坂善太郎君    重政 誠之君       島村 一郎君    砂田 重政君       中  助松君    永田 亮一君       灘尾 弘吉君    西川 貞一君       西村 直己君    貫井 清憲君       濱田 幸雄君    原 健三郎君       日高 忠男君    南  好雄君       森 幸太郎君    山崎  巖君       福田 赳夫君  出席国務大臣         国 務 大 臣 緒方 竹虎君         法 務 大 臣 犬養  健君         外 務 大 臣 岡崎 勝男君         大 蔵 大 臣 向井 忠晴君         文 部 大 臣 岡野 清豪君         農 林 大 臣 廣川 弘禪君         通商産業大臣 小笠原三九郎君         国 務 大 臣 本多 市郎君  出席政府委員         国家地方警察本         部長官     斎藤  昇君         経済審議庁次長 平井富三郎君         法務政務次官  押谷 富三君         検     事         (法務省矯正局         長事務代理)  高橋  孝君         大蔵事務官         (大臣官房長) 森永貞一郎君         大蔵事務官         (主計局長)  河野 一之君         大蔵事務官         (主税局長)  渡辺喜久造君         大蔵事務官         (理財局長)  石田  正君         大蔵事務官         (管財局長)  阪田 泰二君         大蔵事務官         (銀行局長)  河野 通一君         大蔵事務官         (為替局長)  東条 猛猪君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     田中 義男君         文部事務官         (管理局長)  近藤 直人君         厚生事務官         (大臣官房国立         公園部長)   森本  潔君         厚生事務官         (保険局長)  久下 勝次君         厚 生 技 官         (公衆衛生局         長)      山口 正義君         厚 生 技 官         (医務局長)  會田 長宗君         通商産業事務官         (公益事業局         長)      中島 征帆君  委員外出席者         専  門  員 小林幾次郎君         専  門  員 園山 芳造君         専  門  員 小竹 豊治君     ————————————— 二月二十日  委員有田二郎君、岡本茂君、塚原俊郎君、中村  梅吉君及び丹羽喬四郎君辞任につき、その補欠  として濱田幸雄君、西村直己君、植原悦二郎君、  北れい吉君及び日高忠男君が議長の指名で委員  に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した事件  昭和二十八年度一般会計予算  昭和二十八年度特別会計予算  昭和二十八年度政府関係機関予算     —————————————
  2. 太田正孝

    太田委員長 これより会議を開きます。  昭和二十八年度一般会計予算外二件を一括議題といたします。一般質疑を継続いたします。永田亮一君。
  3. 永田亮一

    永田(亮)委員 私は主として文部大臣大蔵大臣お尋ねをいたしたいと思います。きようはきのうのあらしが済みまして非常に議場も静かでありますので、野次もあまりないと思いますから、ひとつ答弁の方もしんみりとお願いいたしたいと思います。  政府はいつでも日本の復興ということを言われるときに、文教政策重大性ということを言われておるのでありますが、昭和二十八年度の文教予算内示額を見ますと、これを裏づけておるところの財政措置といたしましては、国政のほかの分野に比べて、はなはだしく不満足であると思うのであります。少し具体的にお尋ねをいたしたいと思います。たとえば積雪寒冷湿潤地帯というようなところにおける屋内運動場、これは学校教育上ももちろん必要なことでありますが、それと同時に、児童生徒の保健の上から考えてみましても絶対不可欠のものであります。しかるに政府は、二十八年度屋内運動場補助といたしまして、わずかに五億円程度しか計上しておらないのでありますが、これは屋内運動場を何年計画で実施しようとしておられるのか、その点が第一点であります。  次は政府計画によりますと、屋体整備中学校だけに限定いたしましても七箇年を要するのであります。小学校屋体は全然無視されておるように思うのであります。これは昨年の七月二十五日の屋体緊急整備に関する衆議院並びに参議院の決議を無視されたものと思うのでありますが、この点に関しまして文部大臣はいかにお考えであります。  また第三点といたしまして、屋体単価木造二万四千円、鉄筋五万七千円ということになつておるのでございますが、これは一般校舎補助費と同  一の単価でありまして、補助の美名によつて地方負担を過重ならしめておると思うのであります。これに関して文部省、大蔵省、もしできれば自治庁長官にも、お尋ねをいたしたいと思うのであります。
  4. 岡野清豪

    岡野国務大臣 屋体の問題とか単価の問題、いろいろ専門的に詳しいことは、事務当局をしてお答えをいたさせます。
  5. 近藤直人

    近藤政府委員 お答えを申し上げます。屋体整備につきましては昨年衆参両院の推進に関する決議の次第も、ございまして私どもといたしましては極力この整備につきまして検討しまして予算の要求をして参つたのであります。昭和二十八年度の屋体関係予算といたしましては、金額は五億三十六万八千円になつておりまして、坪数が三万七千八百五坪であります。これは六箇年計画でございます。しかしながらこの計画をできるだけ縮めたいと考えておりますので、できますならば四箇年計画をもちましてこれを推進したいと考えております。従いまして今年度の計画といたしましては、もつと坪数が上まわるものと考えております。 それから次に屋体整備の中で小学校が落ちているというお話でございます。この点につきまして、私どもといたしましては中学校小学校ともにこれを整備したいという考えを持つておりましたが、ただいまのところ、中学校のみにとどまつていることははなはだ残念でございますが、将来小学校につきましても屋体整備を推進したいという考えを持つております。  それから単価の点でございますが、ただいまは木造屋体につきましては二万四千円、鉄筋屋体につきましては五万七千円の単価でごいざます。もちろんこの単価は十分であるとは申せませんが、平均いたしましてこれより下まわるものも、ございまし、あるいはこれより上まわるものもございますので、予算といたしましては木造が二万四千円、鉄筋が五万七千円ということになつております。
  6. 本多市郎

    本多国務大臣 実は御質問に対する答弁は尽きておるように考えられるのでございますが、ただいま御指摘になりました施設については文部省を通じての補助金、さらにまたどうしても地方財政状況から見まして、起債によらなければならぬという関係なつて来るのであります。元来市町村単独事業なつておりますので、起債の面でできるだけ配意し、文部省の方にもこれを助成するという意味において補助金が出されるわけでございます。起債の面におきまして十分に参りませんのは、結局国家の資金の絶対量が不十分ということから来ることと、さらにまた地方財政法方針従つて起債を許可して行くのでございますが、そうした面からも災害復旧の場合と違つて制約を受ける。しかし緊急を要する事柄でございますので、私の方でも今後さらに一層十分研究をいたしまして、そうした面にもさらに拡充できますように努力いたしたいと思うのであります。
  7. 永田亮一

    永田(亮)委員 今回政府が特に力を入れております義務教育学校職員法案というものは、義務教育に関する事務は国の事務であるという根本思想に基くものであると思うのでありますが、義務教育施設といたしましてこの積雪寒冷地帯屋体というものは、ほかの普通の土地には必要はないものであります。特別に雪がたくさん降るとか、いつもじめじめしておるというような土地に限つて必要なものでありまして、これは義務教育を行う上に、特別にこういう土地だけに必要なものでありますので、私の考えといたしましては、政府はこういう土地に対しては特別に何か国庫負担を増額していただきたいと思うのでありますが、これに対しまして文部大臣いかがお考えでございましようか。
  8. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お説の通りでございまして、われわれとしましては、国家財政の許す限りこれを充実して行きたいと思いますが、ただいまのところでは、私ども考えております通り予算はとつておりません。  なお、詳しい数字は事務当局からお答え申し上げます。
  9. 近藤直人

    近藤政府委員 ただいま屋体に関しまして補助を出しております府県は二十六道府県にわたつております。これにつきましては、冬季の三箇月の平均気温が零度以下、及び積雪地帯におきましては、冬季三箇月の平均積雪量が百センチメートル以上、それから湿潤地帯につきましては、年間の平均降水量が百八十日以上というふうになつておりまして、さような県を拾いまして県の御要求によつてただいま査定をいたしておりますので、それらの県に対しまする屋体予算が必ずしも十分でないという御意見もございますが、われわれといたしましても、できるだけ今後とも屋体予算につきましては努力いたしたいと考えております。
  10. 永田亮一

    永田(亮)委員 屋体の問題はこのくらにいたしまして、次に危険校舎の問題について文部大臣お尋ねいたしたいと思います。  建築基準法によりまして、使用禁止あるいは使用制限を受けております危険校舎が、現在全国で四十八万坪あるのであります。その内訳は、使用禁止なつておるものが三分の一、使用制限のものが三分の二あります。こういうようなものは戦時、戦後の統制経済のためか、あるいはまた戦後の新制中学校建築を急いだため、あるいはまた数次の災害等によつて地方財政の困窮のために非常なる危険と知りながら放置されておるものであります。この改築は一日も遷延を許さないものであると私は考えるのであります。しかるに、政府の二十八年度の危険校舎改築費補助額は、わずかに十二億円で、ございまして、補助建築坪数も十二万坪とな。ておりますが、その積算の内容を承りたい。  第二点は、もしもこの十二億円が建築費の三分の一の補助であるならば、ほかの三分の二は地方負担となるのでありますが、現在の地方財政では、これを自力で負担することは非常に困難と考えられるのでありまして、地方では一致してその百パーセントの起債の裏づけを熱望しておるのでありますが、これに対する文部大臣自治庁長官の御意見を承りたいと思うのであります。
  11. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。学校施設につきましては、今までの慣例並びに法制上といたしましては、市町村がこれを設備することになつておつたのであります。ところが御承知の通り戦時中また戦後を通じて非常に荒廃しまして、使用禁止使用制限学校が御説のように四十八万坪ございます。まだそのほかに百何十万坪という老朽校舎もございますので、これ持してはいろいろ地方財政の方でも苦心をされて、昨年あたりは四十二億円をこれに投じたというようなこともございますが、なかなかそんなことでは足りませんので、今回初めて二十八年度予算国庫からこれを補助しようということになりました。なるほど金額といたしましては非常に少い十二億円でありまして、補助率は低いのでありますが、しかし私どもとしては、とにかくこれに対して国庫補助をしてやるというところまでこぎ着けましたので、今後できるだけこれを拡充して行きたいと思います。これにつきましては、むろん五十年以上の古いもの、また新しいものでありますと十五年以下くらいのバラツクづくりで、その場しのぎ学校をつくつたようなものが、実際は危険校舎の中に入つて来ておるのでございます。そういうものにつきましてできるだけこれを早く直して行きたいと考えております。  なお計画などにつきましては、事務当局の方からお答え申し上げます。
  12. 本多市郎

    本多国務大臣 今回文部省から十二億円というものが危険校舎改築補助金として交付されるので、それに対応いたしまして地元負担が必要でございますが、この地元負担全額起債でこれを認めるということは、起債の絶対量の不足から困難なことと存じます。そこで地元でも、その地元市町村財政状況にも応じまして、できるだけ負担いたしまして、それと自治庁が配付いたします起債わくとを調整いたしまして、少くとも文部省補助金の出る対衆になつたものだけはぜひ実現するように、私どもの方でもそのくふうに努力いたしたいと存じております。
  13. 永田亮一

    永田(亮)委員 ただいまの文部大臣お答えの中で、五十年以上の古い校舎と十五年以下のいわゆるバラツク建校舎が十二万坪という御説明がありました。これが危険なもの四十八万坪の中の四分の一であるということは、四箇年均等の一箇年分ということでありましようか。もしそういうことでありますならば、非常に危険な校舎といわれるものを、四箇年もの長い間改築もしないでほつたらかしておくということになるかと思うのでありますが、万一の事故があつた場合に政府はどういう責任をおとりになりますか。私はこの危険校舎はできるだけ早く解消していただきたいと思いますので、四年といわず、せめて改築を二箇年ぐらいに短縮していただきたいと思うのでありますが、この点に関しまして文部大臣の御所見を承りたいと思います。
  14. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。ちよつと誤解があるようでございますが、四十八万坪のうちに使用禁止なつているのが十六万坪ある。あと残り使用制限なつております。それからその危険校舎改築につきましては、最もはなはだしいものを対象にしまして、そうしてだんだんとやつて行く計画なつております。その計画事務当局から御説明申し上げます。
  15. 近藤直人

    近藤政府委員 危険校舎使用制限坪数並びに禁止坪数でございますが、ただいま大臣が御説明いたしました通り、四十八万坪のうちに、使用禁止のものが十六万坪、残り使用制限坪数でございまして、合せまして四十八万坪。なおこれに類する危険な校舎が約百六十四万坪でございます。たいへんたくさんございますので、最も危険度の高いものからこれを改築するという方針を立てましてさしあたつて昭和二十八年度はそのうち十二万坪と見まして、補助率三分の一、全額といたしまして十二億円を計上いたしたわけであります。お説のように危険なものでありますから、極力短期間にこれを改築するということが理想でございますので、私どもといたしましてもそういう方向に今後とも持つて行きたい。四箇年といわず、これを二箇年ないし三箇年で改築いたしたいという考えを持つております。
  16. 永田亮一

    永田(亮)委員 危険校舎が五十年以上のものと十五年以下のバラツクに限られているようでありますが、この年限に該当しない校舎で、たとえば四十何年というようなもので非常に危険なものがあると思うのでありますが、これはどのくらいありましようか。これに対して政府補助をする意思が、ございませんでしようか。それから私はこういう年限によつてきめるというのは、はなはだ官僚的な画一主義であると思うのです。年限によらないで実際に危険なものを改築して行くのがほんとうじやないだろうか、こういうふうに考えております。私はちようどこつちへ来るときに、小学校生徒作文を手に入れたのでありますが、その作文は古い校舎について早く新しい校舎を建つていただきたいという願いを込めた作文でありまして、私も非常に胸を打たれたのであります。今ちよつと御参考までに少し読んでみます。これは兵庫県の由良小学校三年生中島剛君という子供の書いた文章であります。題名は「古い校舎」というのであります。「ぼくたちは三年生になつたときたいへん嬉しかつたけれども教室は一番古い平家校舎なのでいやでした。この校舎を建ててからもう五十年近くになるそうです。歩くと廊下でも教室でも床がゆらゆらというので、ほんとうに気味が悪いのです。大工さんが来て床板をめくつて直してくれたが、まだ歩くと響きます。それで字を書くときいたずらな子がわざと床をゆすぶつたりするので困ります。おまけに運動場の方の窓はガラス戸が一枚もありません。新しく窓をつくつても敷居が狂つていて合わないからそのままになつています。雨が降るとそれはたいへんです。バケツや雑中で受けて机を雨が漏らない方へ寄せて勉強するのです。雨風のひどい目は廊下びしよびしょにぬれるから靴下を脱いで通ります。もし地震があつたらぼくたち校舎が一番先にこわれるだろう。そんなことを思い出すとひやつとして先生お話がわからなくなります。」ここのところをちよつとよく聞いてください。「もし地震があつたらぼくたち校舎が一番先にこわれるだろう。そんなことを思い出すとひやつとして先生お話がわからなくなります。」子供がこういう心配をしております。そうして「ぼくたちは早くよい校舎を建ててもらいたいと願つております。」、これは三年生の子供の書いた文章でありますが、こういうぐあいに四十年程度校舎でも非常に危険な校舎がありまして、学業を続けるのにかなり支障を来している。いつ風が吹いたり地震があつてこわれはしないかと思つてびくびくしおつたのでは、身を入れて授業を受けることもできないのであります。私は、五十年以上とか十五年以下という年齢に限らないで、実際に危険なものから直していただきたい、国庫補助対象にしていただきたい、こういう念願を持つておるのでありますが、この年限を撤廃する意思は、ございませんでしようか。
  17. 近藤直人

    近藤政府委員 お答え申し上げます。ただいまの予算査定といたしましては、五十年以上を経過した老朽危険校舎並びに十五年以下の戦時中または戦後につくつた弱朽校舎というものを対象にいたしましてこれを補助をするという建前になつております。お説のように五十年以下でありましても危険なものはあり得るわけであります。この点につきましては、予算の折衝の際には大いに折衝したので、ございましたが、一応線といたしまして五十年以上ということにいたしたわけであります。しかしながら県が老朽危険であると申しまして、禁止命令を出している校舎でございましても、五十年以下のものがあり得るわけであります。たとえば四十九年、四十八年経過したものでありまして県が禁止命令を出している。しかるに五十年以上と申しましても県がまだ使用に耐え得るということで禁止命令を出しておらないものもあるわけであります。その点につきまして、この際ぜひさような五十年以下のもので県が禁止命令を出しているようなものは、危険なものに入れるベきではないかということでございますが、一応予算査定といたしましては五十年以上ということで線が引かれております。なお大蔵当局事務的に交渉いたしまして、実際の配分基準作成の際に、何らかそういつたものを救済する方法があり得はしないかという点につきましては、今後ともこの点を報告いたしまして、大蔵当局とも折衝するつもりでおります。
  18. 永田亮一

    永田(亮)委員 次に高等学校は、義務教育ではないという理由で危険校舎改築補助対象なつておらないのでありますが、戦争などのために危険となつた原因については、国が十分に責任を負うべきものであると考えるのであります。改築できないでいる府県財政の窮乏の現状であるとか、あるいは小中学校の場合と、こういうようなことは何も異なつていないと思うのでありますが、この高等学校の場合において補助対象とする考えは、ございませんか。
  19. 近藤直人

    近藤政府委員 お説のように、義務制学校以外の幼稚園とかあるいは高等学校につきましても、老朽危険校舎はあるわけであります。その点につきまして今後この高等学校も含めますよう努力いたすつもりでございます。
  20. 永田亮一

    永田(亮)委員 二十八年度の補助は三分の一で十二億、ほかは起債の三分の二がたとい百パーセント許されたといたしましても、工事費財源として三十五億強であります。しかるに二十七年度の単独起債は実質上四十二億の起債が許されておつたのでありまして、二十八年度がかえつて七億円も財源付与が少くなつておる現状であります。危険校舎が年々累増しておるにもかかわらず、これに逆行するような予算措置は、はなはだ不都合ではないかと私は考えるのであります。ことしは地方でも危険校舎解消に非常に熱意を持つておりますので、二十八年度の計画は相当巨額に達すると考えるのであります。こういう需要を円滑に消化いたしますために、できるだけ早い機会に二十八年度予算を増額していただきたいと思うのでありますが、それがもしできない場合には、たとえば個々の改築計画につきまして年次予定をつけるというようなことをしていただいて、市町村にその見通しを与えていただきたいと思うのであります。こういう考え文部省に、ございましようか、お尋ねいたします。
  21. 近藤直人

    近藤政府委員 お答え申し上げます。危険校舎補助率は三分の一でございますので、あと残りにつきましては、これは起債で参るわけでございます。先ほど本多大臣からもお話がございました通り、これにつきましては自治庁の方で御援助をいただくということでございましたが、また私どもといたしましても、起債の確保につきましては大いに努力いたしまして残りの三分の二につきまして、できるだけ多額起債自治庁の方に御要求申し上げたい、かように考えております。昨年の起債の総額は、老朽危険校舎につきましては補助がございませんので、全部起債に参りまして四十二億で、ございました。今年は補助があります関係上、この多額の分につきまして補助起債ができることとなるわけでございますが、なおこの補助事業起債のほかに、単独起債といたしまして、できるだけ多額起債を並行いたしまして、自治庁の方に要求いたしまして起債わくをできるだけ多額に確保しまして先ほど申し上げました嵩等学校の分につきましても起債でできまするよう考えたい、かように考えております。
  22. 永田亮一

    永田(亮)委員 次は問題をかえまして、文部大臣混血児の入学の対策についてお伺いをいたします。混血児の問題はもう議論や批判の時期を過ぎて参りましてこの四月に新しく学校に入ることになりました。実行の時期に移つたわけであります。一口に混血児と申しますが、今までのものとかわりまして、父母がちやんとそろつている混血児は例外でありまして、その大部分は正常な結婚によらないで、敗戦の結果の、いわゆる占領の落し子といわれる子供でありまして今まででもあいのこあいのこと言われて白い目で見られておつたのでありますが、それだけによけいに周囲の者から迫害を受けるのじやないかと考えられるのであります。子供にはまつたく何の罪もないのであります。しかも宿命的に目の色が違い、皮膚の色が違い、髪の毛の色が違う、そういうために好奇心の的となり、嘲笑の対象となるということはいかにもかわいそうに思われるのであります。この間ある雑誌に藤原義江氏が、小さいときに混血児と言われ、あいのこと言われて非常につらかつたということを書いております。そうして反抗精神から、いつでも小石を五つ六つふところの中に忍ばせておいてあばれまわり、いじめられるために不良少年になつて行つたということを書いております。もちろん藤原義江氏は途中から改心されましてりつぱな音楽家になられたのでたいへんけつこうでありますが、子供のときにはあいのこと言われて非常に苦労をされたのであります。こういう混血児が今度新しく小学校に入つて来るのでありますが、この子供たちの受入れ態勢がどういうぐあいなつておるのでありましようか。この入学に対する文部省の所見、それから入学して来る児童の総数がどのくらいあるか、あるいはまた無籍の者がどのくらいあるか、こういうことについて文部大臣から御所見を承りたいと思います。
  23. 田中義男

    ○田中(義)政府委員 お答えを申し上げます。混血児につきましては、実はそれが何人ぐらい現実におりますか、実態を把握いたしますことが性質上なかなか困難でございまして、従つて報道されておりますこの数の開きは、あるいは一万といい、五万といい、最も多い数になりますと二十万おるとすら、いろいろまちまちに言われおるものでございます。確実な数字はわかりませんけれども、厚生省の調査によりまして、昭和二十八年の四月から入学をいたすと思われますものは、約千名ぐらいではないかというふうな一つの数字も出ておるのでございます。しかしこれは必ずしも正確であるとは言えないと存じます。混血児につきましては、いろいろお話も、ございましたように、これをどこまでも、籍のあります者は日本人同様に人権を尊重し、なお教育の機会均等を当然他の同胞と同じように与うべきもので、ございまして、従つて先般も四月の入学が近づきますので、各関係方面にも依頼の通牒を出しまして、無籍のために学校に行きはぐれることのないように相当留意を煩わしまして、そうしてでき得るだけこれを住民登録させますとか、あるいは戸籍を得させますとかいたしまして、学校に入学できますように措置いたしたいと考えておるのでございます。日本の国籍を持つておりますれば、当然他の子供と同じように公立小学校に入学せしむべきものでございまして、なおその教育の上におきましては、お話のようにひがみの起きませんように、特に父兄なり社会の方々の御理解と同情を必要とすると考えておるのでございます。なおそういたしましても、籍を持たないでおるよう暑気しましては、なかなかこれを拾い上げることはむずかしいかと存じておりますが、先ほど申しましたように、できるだけそういうことのないようにして、そうしてこれを公立の学校に入れて教育をさせたいと考えておるのでございます。なお原則としては、やはり一応一般子供と同じように育てるのが適当と考えますけれども、しかし特に混血児のみを収容して教育したいというような企てがございますなら、これは他の私立学校と同様に、私立学校法の規定するところによりまして、さような学校の設立を認めるようにいたしたいと考えておるのでございます。なおその教育上の取扱いにつきましては、できるだけ教育が円滑に参りますように、いろいろ注意事項等を検討いたしまして、まとまつたものを近く関係教育委員会等に流して参りたいと考えておるのでございます。
  24. 永田亮一

    永田(亮)委員 ちようど外務大臣もお見えになつておりますので、ちよつと外務大臣お尋ねいたしたいと思います。混血児の問題でありますが、私は母親よりも父親が悪いと思うのであります。生活に困つておるところの日本婦人を、自己の性慾のはけ口の対象として見出した男に責任が十分にあるのじやないか、お蝶夫人よりも私はピンカートンが悪いと思うのであります。特に将来不幸な目にあうであろうと思われるのは、黒人との間にできたあいのこでありまして、これは一番迫害を受けてかわいそうな目にあうのじやないかと私は考えております。黒人と交渉を持つた婦人というものは、おそらく非常に生活の苦しい人たちだつたと思うのでありますが、黒人というものは御承知のように、ほとんど全部アメリカから来ておるのでありまして、私はこの黒いピンカートンの責任を十分追究すべきであると思うのであります。アメリカに厳重に抗議をし、もしこのあいのこが生活に困るというようなことがあつたならば、アメリカに対してその責任を負つてもらうという意思はございませんか。
  25. 岡崎勝男

    ○岡崎国務大臣 これは今のところは日本だけの問題でありませんで、フイリピンでも同様の問題が起きている、ヨーロツパでもいろいろ問題が起きている、どうもこれは一概に一方だけの責任だと言うわけにもなかなか参らないのであります。ただこの子供たちがいろいろ困ることがあるだろうということは想像されますので、その方面は別の問題として考えるよりいたし方ないと思います。しかしアメリカ側でも当局としてはこれは非常に困つたことだと思つておりますし、またそういう混血児の問題がなくても、一般の風紀の問題としていろいろ困つて対策を考えておるようなわけであります。日本側に取締りをしてくれぬかという依頼がしばしばありますが、警察等に聞いてみると、文京区というような一種の条例のある所は別としまして、日本の警察でもこれは取締りができないような状況でありますから、まことに今困つておるわけであります。これは十分考慮いたしまして、いろいろ対案講ずるよりしかたがないと思います。
  26. 永田亮一

    永田(亮)委員 それでは次に文部大臣お尋ねいたしますが、子供銀行の制度であります。戦後子供銀行というものができまして、子供にむだづかいをさせないで貯蓄の精神を養う、これは非常にいいことだと思うのであります。しかし貯蓄の金額が少からず子供の心を痛めておるのであります。経済的に余裕のない家庭の子供は貯金ができなくて、だれだれは幾らした、自分もやりたいのだと言つて泣きついて来る、こういう子供の姿を見せられて親としてはたまらない気持になるのであります。こういう気持はおそらく人の子として文部大臣もよくおわかりになると思うのでありますが、こういうしいられた貯金と申しますか、経済的に余裕のない家庭の子供が親に泣きついた場合に、親としても非常に困る、しかも子供の心もきずつける。こういうことに関しまして学校では強制しないと言つても、自然強制するような結果になつてしまうのであります。これではせつかくの子供の貯蓄心が逆効果になると思うのでありますが、この子供銀行という制度につきまして、文部大臣はどうお考えなつておられますか。
  27. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。戦後経済界が非常に逼迫しまして、そうして貯蓄の奨励をしなければならぬという線に乗つたのでありましようが、子供銀行というものができまして、非常に成績がいいといつてあちらこちらでほめられた点もございます。しかし私は一面永田さんの御意見に非常に同感するものでございます。御承知の通り小学校子供というものは、ただいまのところ貧富の懸隔が相当ございますので、それあるがために、われわれといたしましては学校給食というものを一律にいたしまして貧乏な人のお子さんも、また財産家のお子さんも、学校では同じ待遇で、あまり人にひけめをとらずにやつて行かせたい、こういうのが学校給食の趣旨でございます。その点から申しますと、子供銀行は、なるほど小さいときから貯蓄を奨励するという理想はよいのでございますけれども、ただいまの御説のような貧しいと申しますか、親が小づかいをやつて子供銀行に預けさせてやり得ぬという方の人が、むしろ数としては多いのではないかと思います。そういうような子供に実に卑屈な感じを与え、また親を困らせるというような意味におきましては、私はただいまの子供銀行には相当の考慮を払わなければならぬ、こう考えるのでありまして、子供銀行の将来につき、並びに現状に対しましては、私は何とか考えなければならぬ、こういう考えを持つております。
  28. 永田亮一

    永田(亮)委員 次は勤労青少年の教育についてお尋ねいたします。終戦後いろいろの教育改革が行われたのでありますが、その中にはわが国の国情に適したものもあり、適さないものもあり、いろいろであります。しかしその中で敗戦によつて貧乏になつたわが国の国情に、一番よく当てはまつておつたと思われるものが定時制課程教育あるいは通信教育、こういう制度であつたと思うのであります。過ぐる四箇年間の教育成果は確かに見るべきものがあつたと思われるのであります。すなわち働きながら学ぶ青少年に与えられた教育の機会均等、勤労と勉強とを並立させる、進取の気象に富んだ青少年の希望をかなえてやるということは最も大切なことであると思うのであります。しかしその施設とか設備とかあるいは維持運営の経費というものは、地方負担にゆだねられておつたのであります。そうしますと、この必要度の最も高い地方ほど、財政的な窮迫がはなはだしいのであります。従つて一層不振になる、こういう矛盾に逢着いたすのであります。この制度はいい制度であると思うのでありますが、もしこのままほつたらかしておきますと、生みつぱなしで滅びてしまうという危険があるのであります。それでこれに対して、国で補助をしてみる意思はあるか、ないか、こういうことについて文部大臣お尋ねいたしたいと思います。
  29. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。これは私も永田さんと同感でございます。と申しますことは、義務教育は、なるほど十五才くらいまでやらせますが、しかしあと学校へ行けないで勤労しておるところの青年、二十五才くらいまでの青年で大学とか高等学校に行かないでおる人が約千三、四百万人おるはずでございます。それにつきまして、われわれといたしましては何とかこういう勤労をしながら、しかも向学の念に燃えておるという人に、教育の機会を与えてやりたいということが念願でありまして、それにつきましては、定時制並びに通信教育をしなければならぬ、こう考えまして、今までもそれに力を注いでおるのであります。まだ国家財政の立場上十分なる補助をするわけに参りませんが、しかし来年度はこれを幾らか拡充して行く予算をいただいておりますので、なお来年、再来年には、ますます勤労少年に体する向学意欲というものを充実させて行うような設備を国でしてやりたい、こう考えております。なお詳しい数字は局長から申し上げます。
  30. 田中義男

    ○田中(義)政府委員 お答え申し上げます。定時制の高等学校にただいま学んでおります生徒の数は、約五十二万おるのでございまして、学校の数は本校が約手六百、それから独立分校が約千四百あるのでございます。それで来年度の予算といたしましては、一千万円の経費をもちまして、約二百校を対象に、これは分校でございますが、理科教具が非常に貧弱でございまして、ほとんど理科の教育ができないような実情でございますので、それらの学校に対しまして、三分の一の補助として一校ずつ五万円、わずかでございますけれども補助して、その設備の充実を期したいと計画いたしておるのでございます。     〔委員長退席、尾崎(末)委員長代理着席〕  それから通信教育につきましては、ただいま生徒が約三万三千おるのでございまして、実施いたしております教科目は九科目でございます。それを来年度指導のための添削謝金とかあるいは巡回旅費等のために、これもわずかでございますけれども、六百三十万円の予算をもちまして、科目において十五科目新たにふやしまして、そうして定時制教育と通信教育と相まちまして、働きつつ学んでおります勤労青少年の教育の充実を期しておるのでございます。なおお話のように設備、施設が貧弱でございます上に、先生を得ることが非常に困難でございますので、文部当局としては、できますならばさらに先生の給与費につきましても、国として従来以上に積極的な処置を考えたい、かように思つておるのでございます。
  31. 永田亮一

    永田(亮)委員 次は問題をかえまして、文部大臣に対して、道義の高揚の問題についてお尋ねいたしたいのであります。芥川龍之介氏が自殺を遂げたときに、その遺書の中に、将来に対する漠然たる不安という意味のことが書かれてありました。今日の人間は龍之介ほどの繊細な神経の持主は少いかと思ふのでありますが、特に政治家にはあまりいないかと思うのでありますが、多かれ少なかれ、今の人間には、心の奥底に何か漠然とした不安を持つているのじやないかと考えられるのであります。その現われが、龍之介の場合には内攻的なニヒルとなつて現われております。戦後派では現実的なデカダンスとなつて現われておると思うのでありますが、その不安の最大なるものは、私は戦争の脅威ではないかと思うのであります。一昨日の新聞でありましたかにも、根室にソ連の飛行機が侵入して来て、アメリカの飛行機と交戦して撃退されたと報じられておるのでありますが、いつ米ソ戦争が始まつて、そうして国内が混乱するかもしれない。国内に内乱が起きたり、革命が起きたりするんじやないかというような不安を持つておる人も、必ずしもないのではないかと思うのであります。青年は、あるいは強制的に徴兵をされたり、あるいは海外に派遣されたり、派兵されたりするのじやないか。一般国民は、いつ日本が戦場になつて、どこへ原爆が落ちて来るかもしれない、もしも米ソの大戦ということになりますと、地球は焦土と化してしまうじやないか、ローマが滅んだ後の一千年のあの暗黒時代がまたやつて来るのじやないか、こういう不安がありまして、生きているうちに、若いうちに、大いに生の享楽を楽しもうというような考えが起きて来るのじやないかと思うのであります。いわゆるよい越しの金は使わない、刹那の享楽を追う気分というものは、こういうところから生れて来るのではないかということを考えるのであります。人間はパスカルの考えるようなあしでありまして、思惟する能力を与えられ、しかもあしのようにもろい人間であるがゆえに、迷わざるを得ないのであります。青年が世紀末的な傾向になつて来るという原因も、こういうところにあるのじやないかという気がいたします。堀田善衛氏の書いた「広場の孤独」という小説がありますが、これは芥川賞を受けた小説であります。これなどもたしかにニヒルを肯定した小説だと思うのであります。今の人の心がこういうふうになつて来ておるのであります。競馬とか競輪とかあるいはパチンコがいけないといつても、これをやるということは、ちようど酒飲みが酒を飲んでうさを忘れるように、こういう不安に対する一つの逃避であり、また悲しいしジスタンスではないかと私は考えるのであります。しかしもちろん私はそう申したからといつて、あのハイアライなどのばくち法案を認めようといろのでは決してございません。一方ではこういうようなばくち法案を出しておいて、他方で道義高揚などと言つても、世間の者は何を言つておるのだと思つて信用がなくなる。私は岡野さんが一生懸命に道義の高揚を叫ばれておられるのに、他方でこういうようなハイアライなどの法案が出るということは、岡野さんに対してもずいぶんお気の毒だと思つている次第でありますが、ただ私が申し上げたいのは、表面に現われた点だけを指摘して、パチンコであるとかハイアライというようなものがいけないといつて攻撃をしてみましても、その根本的になるもの、こういうものがなくならなければ、いつまでたつてもやはりこういう享楽を追う気分になつて来るのじやないかという気がいたすのであります。道義高揚ということも、こういう不安が解決されなければ、根本的に解決されないじやないかという気がいたすのでありまして、これは岡野文部大臣を含めた政府の政治家が、戦争を起さないようにしていただきたいと思うのであります。しかし私はこういうことを申し上げて岡野さんを困らせるつもりはないのでありまして、これは私の意見としてお聞きくださればけつこうであります。ただ先日岡野さんが、わが党の北委員との間に道義高揚についているく問答をされました。その中で、柔道の方がいいのだ、あるいは剣道の方がいいのだということで、大分はげしい論争をされたようでありますが、私はもちろんこういう柔剣道というような伝統あるスポーツは、りつぱなものと思うのでありまして、大いに奨励されることはけつこうだと思うのであります。ただ速記録をちよつと読んでみますと、岡野さんはこういうふうに言つておられる。「柔道にしろ、剣道にしろ、精神修養、魂を入れるという意味では非常に役に立ちますから、今後そういう方向に進んで行きたいと思います。」こういうふうに答弁されておるのであります。この「そういう方向に」ということは、前後の関係から考えてみますと、柔道、剣道というものはたいへんよいものであるから、だんだんと学校では正科として取入れて行くようにして行きたい、こういう意味かと思うのでありますが、この点をひとつはつきりしていただきたいと思う次第であります。
  32. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。今の日本の国情といたしまして、なるほど永田さんの御説のように、将来に光明がない、またいつある国から侵略を受けるかもしれぬ。そうしたらまた原爆でも落ちるのではないかというようなことを非常に心配されて、そうしてそのために自暴自棄と申しますか、毎日享楽にふけつた方がよいというようなふうに、ある一部の人がなつているかもしれない、しかし私はこう考えます。と申しますことは、なるほど今日本の上空に国籍不明の飛行機が飛んで来て、そうして米機がそれをおつぱらつたというようなことになつております。しかしこの不安というものは世界至るところの不安でありまして、単に日本だけの不安ではないのだろうと思います。ことにヨーロツパなんかにおきましては、日本と違いまして地続きの国でございまして、地続きの国からいつ侵略を受けるかもしれないというような不安まであるのであります。しかしながらこれはわれわれ個人がいかに考えても、ただいまの国際情勢というものを直す、また直そうと思つて努力はしておりますけれども、なかなかでき得ないでこの不安が起きておる、こういうことは事実でございますから、その点におきまして、私は日本人はやはり世界の人間と同じような不安をこうむつているのじやないか、ただ単に日本人だけがそういうような不安状態にさらされているのではないということをよくはつきり自覚して、そうして将来若い人に光明を持たして行くようにしなければならぬ、こう私は考えております。  そこで柔剣道の問題でございますが、御承知の通り、これは非常に自分自身の精神修養になることでございますから、柔道なり、剣道なりが、将来若い国民にもてあそばれるということになることは、私は今のような不安を一掃——とは申しませんが、軽減する材料になると思います。われわれの若いときでも、柔道とか剣道とかに精進しております者は、いわゆる軟派の方に走らないで、自分自身を堅実に守つて来られた、こういうこともございますから、まあできるならば心身を鍛錬してそうして世界的の不安に対しても強く生きて行けるという精神修養をした方がよいのではないか。ただこれをすぐ正科にする、せぬは、いろいろ問題もございますので、十分研究した上でやつて行きたいと考えております。
  33. 永田亮一

    永田(亮)委員 よくわかりました。ただ私の希望として申し上げたいことは、正科にするにはよほど慎重に考えてやつていただきたいと思います。私はできるだけ選択科目にすべきであるというふうに考えております。もしも柔剣道を正科に取入れられますならば、いやでもおうでもやらなくちやならぬということになるのであります。私は学生時代剣道をやつたことがありますが、こらんの通り背がひよろ長いので、いつもお胴ばかり打たれて困つたのであります。それも上手に打つてくれるとよいのでありますが、ひじを打たれたり、腕を打たれたりして、痛くて非常に困つた。私も相手のお胴を打つにはしやがまなくては打てないので、いつも相手のお面ばかり打つてつたのでありますが、私は手も長いので、相手のお面のうしろの方まで、竹刀がしなつてしまうのであります。それで後頭部の方を打つて相手が非常に困る。痛い。それで私は剣道をするのに相手がなくて、自分も困るし相手も困るというわけで、剣道の時間にはいつもサボつておつた。それが正科であつたがためにたいへん点が悪くて成績が悪かつた。こういう結果になつたのであります。私はスポーツというものは、自分の体質に含つたスポーツを楽しんでやるべきだと思うのであります。正科にしてだれでも彼でもきまつたスポーツをやらなくちやならぬというふうなことをやらないで、自分のからだに合い、自分の体質に合つたスポーツを選択科目としてやらせるのが一番いいじやないか。私は走り高跳びをやらせれば、またぐだけでも相当またげるのでありますから、スポーツというものは正科としてでなくて、選択科目にしていただきたい。こういうことをお願いする次第であります。  特にこのスポーツというものをスポーツとして楽しむということは非常にけつこうなのでありまするが、何かの手段に、特に今の岡野さんのお話を伺つておりまして、私はちよつと賛成しかねる点があるのでありまするが、それはどういうことかといいますると、今申しましたように、スポーツというものはあくまでスポーツとして楽しむべきものじやないか。これを何かほかの手段に、特に政治の手段に用いるというようなことは邪道であるばかりでなしに、スポーツを冒涜するものではないかというふうに考えておるのであります。国民の道義の頽廃を是正したいという文部大臣の善意の気持はよくわかるのでありまするけれども、ただこれを手段に用いるということに対しては、民主主義の精神に反するのではないか、私はかように考えるのでありまするが、文部大臣はいかがお考えでいらつしやいましようか。
  34. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。柔道もただいま必修科目でなくて選択科目でございます。剣道もいろいろ検討の上で、選択科目にした方がいいか、必修にしなければならぬかということは、相当問題があると思いますが、いたすとしましても選択科目になるだろう、こう思います。  それからただいまのお説でございますが、その点において私の率直な意見を申し上げますれば、ある一つのことに精進し三昧境に入るということは、やはり自分自身の人格を向上して行く手段になるわけでございます。そしてそういう意味において、自分の人格完成ということはやはり民主主義の最高目標でございますから、私はいいことだと思います。これは私が感じました例を申し上げますと、人間はある一芸に達すれば、ほかの見識も相当なところまで行き得るという一つの例を持つております。それは大正五年でございますか、大阪で坂田三吉という有名な将棋の名人がおりましてこれは御承知の通りに学問も何もない人なんでございます。しかしその人がほぼ名人の域に達するまで将棋に精進しました。そしてその人の言うことはほかの社会の一家の言をなすだけの何が出た。と申しますことは、その当時日本と支那との外交交渉が非常にむずかしいときでございまして、各界の一流の人に対して、毎日新聞社が意見を求めたのでございますが、そのときに私は何となしに坂田三吉名人のお説を聞いて、この人は学問というものをちつともしたことがないのに、これだけの見識があるかということで、ある一つの芸能に達した、また達し得るような人はやはりほかの方面にも相当な見識があり、すなわち人格が向上して来ると感じた。こういう意味におきまして、柔道をやりましても相当のところまで行けばりつぱな人格もでき、剣道もやれば相当に行くと私は思いますから、手段としてではなくて、それをやつておる間に自然に自分自身が陶冶される、こう私は考えております。
  35. 尾崎末吉

    ○尾崎(末)委員長代理 塚田十一郎君。
  36. 塚田十一郎

    ○塚田委員 すでに私はかなり長時間の質疑時間を与えていただいたのでありますが、本日また発言の機会を得まして、まことにありがたい仕合せと存ずるわけであります。  最初に昨日お尋ねいたしました例の警察法改正に伴う財政措置の問題で、なお一点だけお尋ねをしてみたい点がありますので、その点についてまずお尋ねいたしたいと思います。  昨日もちよつと申し上げたのでありますが、二十八年度の当面の措置として、政府考えておられるような財源の負担はかわらないようにするという考え方は、便宜としては非常にうまい方法のように思うのでありますが、法律的な構成、それから自分のものだから自分のところで財源の負担をするという考え方、そしてことに国、府県市町村というものは一応別々の人格、団体というものになつておるという考え方からすると、しつくりしない面がどうもそこにあるように思う。都道府県の警察になつて、その他の仕事もあわせてすることになつたものの費用を、どうして自分の市町村負担しなければならないか、自分のところの仕事もやつてくれるから一応経費を負担するという、普通の受益者負担という考え方ならば、大体負担する数字、負担の限度の算出根拠というものは、別の方から出て来なければならない、今までこれだけの人間が自分の町の定員としてあつた、だからこれだけの経費、給与を負担するのだという考え方で組まれた予算を、そのままほかへ持つて行くという考え方は、どうもりくつでは私は納得できかねる面があるわけであります。しかし非常に大幅な機構改革をされます場合に、やむを得ない措置であろうと思うのであります。私は今ちよつと考えてみますのは、同じような問題が例の自治警察制度というものを新しく取入れたときにあつたのじやないかということを考えておるわけでありますが、そのときの先例がどういうぐあいなつておつたか、この点をひとつお尋ねしたいと思います。
  37. 河野一之

    河野(一)政府委員 お答え申し上げます。非常に大きな制度の改正をいたします場合におきましては、暫定的に経費負担関係を従来通りにするのが、今までの例でございます。実際問題といたしまして、そういうふうにいたしませんとなかなか動かないという関係がございます。ただいま塚田委員が仰せになりましたように、昭和二十三年に従来の警察を改めまして、と自治警とに新しく制度を切りかえました際に、暫定的に警察法の附則におきまして負担を従来通りにいたしておるのでございます。市町村警察つまり自治体警察に関する費用は、地方自治財政が確立されるときまで、政令の定めるところによつて国庫及び都道府県負担する。それから一方新設されまする国家地方警察につきましても、そのときまで国庫及び都道府県が逆に負担する、こういうことをやつたのでございます。従いましてこの制度は地方財政法ができました昭和二十三年の七月まで同様な負担をいたしたわけであります。
  38. 塚田十一郎

    ○塚田委員 やはり先例があるということでありますし、おそらく非常に広汎な機構改革をされる場合にやむを得ない措置であるということで、ある程度無理な財政措置があるのもやむを得ないと思うのでありますが、やはり今の主計局長の御説明では法理論の根本、財政論の根本からは若干ふに落ちかねる点があるということだけは、ひとつ付言をいたしておきまして、この問題はこれで打切りにいたしておきたいと思う。  そこで先日お尋ねいたしましたいろいろな問題で、時間の関係で十分に関係当局の御答弁を得られなかつた問題を重ねてお尋ねいたしたいのでありますが、まず第一に私どもがこの予算書を拝見いたしまして非常に困りますのは、何にしましてもこの予算書のつくり方が非常に難解であつてつているのであります。非常に大分なものであり、しかも難解であつて非常に困るのでありますが、何とかもう少しこれを簡単にわかりやすくしていただくくふうがないものか。もちろん簡単にわかりやすくしたもには、この予算説明だということになつているようでありますが、これを読みましてこちらを読みました場合になかなかつながりがつかないのであります。こちらで読んでみていて、これのどこがどういうぐあいにここに縮められてあるのかということはなかなかよくわからない。政府はここで非常に御親切な予算説明の総説の第二項に「予算編成の基本方針」というものをお示しくださつて、これは昭和二十八年度の財政規模というものも国民所得の割合からすれば約一割七分程度である。また一般会計以外の投融資を含めても二割一分穫度であつて、二十七年度とほとんどかわつていないと、こういうふうに御説明いただいているのでありますが、さてそれでは二十八年度の九千六百五億というものの予算規模、これの中から拾つて来ますと、この数字自体がどうもはつきりと確定した固定的なものでないじやないかという感じを受ける。なぜかと申しますとこの歳入の面を見ましても、あるものは特別会計の中から余つた金を引抜いて来て一般会計の財源に入れておられる。あるものは特別会計もしくは政府機関の中に残つたままにしておかれる。なぜああいう差別扱いをされるのか私にはよくわからない。どうも疑いの気持を持つてみますならば、政府は何か財政計画というものを、国民所得の数字と合せてある比率でもつて頭に置いておかれて、それに必要なだけの財源を持つて来られるのじやないかという感じを実は持つのであります。私はよくそういう感じを持つのでありますが、大体日本の国の財源というものは、主計局長の机のひきだしに大分入つておる。何か非常に必要な費目があつてどうしても財源がないというと、そのひきだしの中から出して来られる、こういう感じを持つてよく見ておつた。どうも種がその辺にあるのじやないかという懸念を非常に持つておる。財源は洗いざらい出していただくと、私はもつと大きなわくになるじやないかとしますと、一体いうことを疑うのです。そういた一割七分という説明も、どうも納得いたしかねる、何かもつと別の数字が出て来るのではないかと思う。そこで一体そういうものを全部洗つてみると、どんな数字が出るのだろうかということを伺つておるわけでありますが、その数字は、私どもの手ではこの政府機関、特別会計を全部洗いざらい見てみましても、なかなか出て来ないのであります。そこで大ざつぱにそういうものを見られる数字として、私はやはり一般会計、特別会計、政府機関、それから地方財政全体を含めた国の純計予算というものを政府はおつくりになつておるはずだ、その数字をもしお聞かせ願えるならば、歳入と歳出にわけてお聞かせ願いたい、こういうように考えます
  39. 河野一之

    河野(一)政府委員 お答え申し上げます。国の予算制度がなかなかわかりにくいとおつしやることは、私も専門的にやつておりますが、私の立場から申しましてもまことにさように思うわけでございます。この予算の解明のやり方につきましては、前々から財政法にもございますが、これは決して誇張するわけではございませんが、アメリカなんかの制度に比較すれば、日本の方がまだわかりやすくなつておるとわれわれは考えておりますが、何せ予算というものは一方において国民の負担に関するものであつて、従つて国民が税金の行方として追究する場合においてどういうものに使つておるかということを知ることが、非常に大きな要素であると思いますが、他方におきましてこの金は政府が使うものである、従つて予算を執行する面におきまして、これが便宜のようにつくられなければならないという要請もあるわけであります。従いましてたとえば食糧増産なら食糧増産の一本の経費で立てることも一つの行き方でありますが、これが土地改良なりあるいは耕種改善なりその他いろいろな耕種事業にわかれますと、おのおのの部局も違いますので、それを各官庁に執行しよいようにやるということも、また一つの要請であるわけです。従つてその予算の解明という点につきましては、常にこの二つの要素がつきまといましてなかなか御満足の行けるような制度として困難である、と申してははなはだ申訳ないのでありますが、その調警実はわれわれといたしましては悩んでおるような次第でございます。それから財政全体の問題といたしまして、ただいま塚田さんのおつしやいましたように一般会計、特別会計、公社その他の政府関係機関及び地方財政を通じてのいわゆる純計というもの、これは常々ほんとうの国民経済に対する財政の意思というものを示す上において非常に重大であることは御指摘の通りでありまして、われわれもそのように常々考えておるのでありますが、ただ最近におきまして財政の純計の持つ意味でございますが、純計で——数字を後ほど申し上げるのでありますが、いわゆる全体を通じた純計の中には、ほんとうの税金の使途として考えられるもの、つまり国民の直接の負担として考えられるもの、それから手数料等によつて支弁される、いわば歳出の特定しているもの、つまり検査手数料によつて検査のいろいろな仕事がまかなわれるといつた、多少目的税に近いもの、それから食糧管理のごとく六千億にも上る食糧の売買をやつておるもの、鉄道のごとく二千億に上る旅客及び貨物の収入事業を営んでおるもの、これは利用者の負担であります。それから保険のごとく自分の意思によつてつておる、必ずしも国民の負担ともいえないといつたような、そして総額には非常に大きな要素を占めておるいろいろな歳入歳出があるわけでございます。この財政自体の解明には純計をそういうふうな面で分析することが、実は必要なのではないかということで、かねがねいろいろなことを考えておるわけでございまして、国民所得に対する財政の割合といつたような要素を抽象して考えて、ほんとうに国民負担に対しての財政の規模が大きいのか小さいのか、単に一般会計でなしに考えるのが筋合いであるということは塚田さんの御指摘の通りでありまして前々からそういうことは考えておるのでございますが、まだそういうようなことについてわれわれの考え方を数字をもつて御説明申し上げる段階に至らぬことをはなはだ遺憾に存じ、おわび申し上げる次第であります。ただいまおつしやいました数字でございますが、これは資料をもつてお届けいたしてもよろしいのでございますが、一般会計、特別会計、これに公社その他の政府関係機関を入れまして重複額を全部整理いたしますと、二兆四千百六十六億ばかりになります。それから地方財政自治庁の方の御計画によりますと八千四百十七億、これを合計いたしまして三兆二千五百八十四億という数字でございますが、地方財政に対しまして国からのたとえば平衡交付金でありますとか、あるいは公共事業の補助金その他のものの重複額が三千五百二十三億ございましてこれを全部引きますと、国、地方全体を通じた予算の純計というものは二兆九千六十一億ということに計算をいたしております。昨年度の数字は、補正予算を入れまして二兆六千九百二十二億で、前年に比較いたしまして二千百三十八億増加いたしておる、数字としてはこういう関係に相なつておる次第であります。  歳出につきましては、純計の姿が二兆八千三百八十三億、それから前年度のこれに相当いたします数字が二兆六千四百五十三億、増加が千九百二十九億ということに相なつております。
  40. 塚田十一郎

    ○塚田委員 今伺つたところによりますと歳入と歳出の間にかなり大きな数字の開きがあるわけなのでありますが、私どもがこの数字を何とか知り得るならば伺いたいと考えますことは、広い意味の国、つまり地方団体を含めた意味の国というものの経済がどれくらいになつておるかということが一つ、それと同時に、歳入と歳出の数字を見ませんと、一年間の国が民間から吸い上げる部分と出す部分のほんとうの数字がわからない。一般会計だけを見て収支バランスしておるから財政の面からは吸上げも払過ぎも起らないというようなものの判断では実はだめだと思うのであります。私は今言われた歳入と歳出の差額を見ますと約六百七十七億ぐらいあると思うのですが、結局これだけ大きな意味において国が民間から吸上げ超過になるということになると、この面から今度の予算がインフレ予算であるというものの考え方は、かなり是正されなければならぬのではないかと思うが、この純計はそういう意味においては役立たない数字なのかどうか、この点をひとつお伺いしたい。
  41. 河野一之

    河野(一)政府委員 お答え申し上げます。先ほど純計の数字の次に申し上げようと思つて申し落したのでございますが、これは国の歳入歳出という面で言つておるのでございまして、そのほかに国の活動としては歳入歳出面よりは離れて動いておる、つまり外国為替特別会計であるとか、すなわち外貨の売り買いといつたような面で、予算にはそのままの姿で現われていない、あるいは預金部の預金の受入れ、貸付というものは、歳入歳出で出て来ておらぬわけでございまして、こういつた関係は純計の中に実は現われておりません。従つてこの純計の特つ意味も多少違う点もございますが、おつしやいましたような姿としてとりますることは、中には事業会計の持つ特別な事情もございまして非常に困難でございますが、われわれといたしましては、そういう点は、大体事業会計の方は、収支の上においては出たり入つたりは同じことであるということで、金融的なものだけを拾いまして、先般理財局長でありましたか申し上げましたが、国としての予算に関連する政府資金の支払い超としては、千三百億である、こういう計算をしておる次第でございます。
  42. 塚田十一郎

    ○塚田委員 もちろん予算の上に載らない数字は、別にまた支払い超過になるものか、受入れ超過になるものか考えればいいのであつて、それはそれとして、少くとも財政というルートを通しての出入りはこれはやはり吸上げ超過になる、こういうふうにはならないのですか、どうですが。
  43. 河野一之

    河野(一)政府委員 形式的な予算の面だけからということになりますと、おつしやるようなことになると思います。
  44. 塚田十一郎

    ○塚田委員 そうすると、この六百七十七億の吸上げ超過というものは、今までのインフレ要因の中から、これだけはマイナスして考えて、判断をすべきであるというふうに、自分としては一応了解をいたしたわけであります。  そこで次に非常にこまかいことになるのですが、特別会計及び政府機関の関係予算書類を見まして非常に不思議に思うのは、各会計によつて附属の計算書類のつくり方が、全部が全部みんな違うわけではございませんが、いろいろな書式によつてつくられておる。あるものは貸借対照表があり、損益計算書がある、一方また全然ないものがある。これは何とか書式を統一するわけには行かないものか。それからもう一つ、たとえば政府機関なり特別会計に一般会計からインヴエントリーの形で資本を出す。そうしてその特別会計なり、政府機関においてそれを動かしまして生んだ利潤、利益というようなものは、全部一応国へ納めるというように扱いを統一するわけに行かぬか。今年の予算、今までもおそらくそうであつたろうと思うのでありますが、あるものは都合によつて国に納めておる、あるものはそのままその特別会計またはその政府機関において引続いて運用させるという建前に、はつておるので、非常に私どもがものの判断をいたしますのに、困るのでありますが、どうしてこういうような扱いをしておられるのかこの点を伺いたい。
  45. 河野一之

    河野(一)政府委員 特別会計におきましていろいろ様式奪うということは、特別会計のそれぞれの性質によるもので、ございまして、いわゆる事業会計というようなものでございまするならば、その損益計算書、貸借対照表、固定資産の増減といつたような書式が全部統一されております。それからまた基金会計というようなものにつきましても、たとえば外国為替基金でありますとか、その他緊要物資輸入基金でありますとかいういわゆる基金会計に属するものは、その形で統一されております。それから行政的事業会計、病院会計、保険会計とかいうものは、また別の形でいろいろな書類が全部統一されておるのでありますが。個々に見ますと、非常に違うようでありますが、特別会計の形によつて、それがきまつておる次第でございます。それからそれぞれの会計の経費について、一般会計に来るものもあれば、来ないものもあるし、いろいろではないかというのも、ごもつともな次第だと思いますが、これもそれぞれの特別会計ないし政府関係機関を入れますれば、国鉄法あるいは電信電話公社法というようなそれぞれ法律で規定されておりますので、その法律の規定に従つてつておるわけでありますが、大体におきまして特別会計を新しく設置するときの基金的なものでありますれば、これは一般会計がやる。従つて基金を少くするとか、やめるというときには、一般会計にそれをもとしてもらうというような原則。それから普通の事業におきましては、その利益が専売公社の、ごとく税金に相当するようなものもございますが、通常の場合は利益が出れば一般会計に納付する。ただ特殊のものにつきましては、利益が出ない性質のものもございます。つまり保険会計におきましては、いろいろな金が余りましても、これは保険会計として、国民の税金の負担によつてできたものでは、ございませんので、その会計において、そのまま置いて積立金にするなり何なりということになつております。またそういつた政府関係のものにつきましては、原則として資金運用部に全部預け入れるというのが原則でございます。
  46. 塚田十一郎

    ○塚田委員 一般の扱いがそうなつておるかもしれませんが、具体的な個々の扱いはどうもそうなつていないらしいのであつて、具体的な例をとつて申し上げると、日本開発銀行と日本輸出入銀行の剰余金は、二十七年度は一般会計に入れていらつしやる。二十八年度は入れないで直接産業投資特別会計にぶち込んである。こういうことはどうも私にはわからないので、扱いが内規なり規則の上できまつておるならば、年度によつて扱いがかわつて来るということは、どうもなさそうなのです。それでこういうものが二十七年度は一般会計の財源の中に入つていて、二十七年度の予算規模ができておる。二十八年度はそれは特別会計に行つてしまつてつて二十八年度の予算規模ができておるということになると、予算規模の数字というものにはどうも信頼がおけない、こういうぐあい考えるわけであります。しかしこの問題はそれくらいにしておきます。  大蔵大臣と通産大臣がお見えになつておりますので、もう少し根本の問題をお尋ねしたいと思うのですが、私は日本の経済の基本のものの考え方として、政府は、二十七年度の後半から二十八年度にかけて、景気が悪くなつた原因はどこにあるとお考えなつておるか。景気後退の原因はどこにあるとお考えなつておるかその考え方によつてその景気を持ち直す方法が違つて来ると私は思うのであります。今まで政府のいろいろな御説明の資料、それから本委員会における答弁を伺つておりまして感じることは、政府は輸出が不振になつてからどうも景気が悪いのだ、こうお考えになる、従つて政府の景気持ち直し対策というものは、最近は輸出の方に重点が向いているように思うのです。私はその考え方自体に間違いがあるとは思いませんが、ただそこだけに原因があるのか、ほかにも原因がないか。と申しますのは、私は今輸出をぐんぐんと政府が振興して行かれるそのためには、基本のものの考え方——日本のものを安くつくらなければならないということで、いろいろの点をお考えにならなければならぬし、また考えられておる点は了承するのでありますけれども、輸出をそういうぐあいに増進して行くという考え方は、日本だけを考える場合に、そうして日本が他の国よりも先んじていい物を安くつくれるようになつた段階においての景気の解決策であつて、日本が輸出超過になれば、どこかの国が輸入超過になるにきまつておるのでありますし、現に世界経済におきましては、アメリカという国があまりに輸出超過になり過ぎておそらく今日の世界経済の不況を来たしたいと思う。ですから、そういう方向だけで景気を回復するという考え方をお待ちになつておるのは、考え方としては少し欠けておる点があるのじやないかということを実は考えておるわけですが、この点審議庁長官から御意見を承りたい。
  47. 小笠原三九郎

    ○小笠原国務大臣 景気の点につきましては、世界的に今物が過剰の状態にあり、また世界的に軍拡のテンポがゆるまるとか、各種の事柄等で、横ばいというか、あるいは渋滞傾向に向いつつあるということが主たる点と思いますが、日本の場合におきましては、朝鮮事変後におきまする各種の輸出のブームが今調整されて来ておる段階であり、そこで貿易の縮小ということが非常に大きく作用して来ておる、こういうふうに考えます。従つて日本の伸び方としては、とにかく貿易を拡大することと、そうしてそれを前提として各種の施策をやらなければならぬ、こういうふうに考えております。
  48. 向井忠晴

    ○向井国務大臣 お答えいたします。やはり世界的の物資の不足とか、及び物の活発なる動きということが日本に反映した結果一時の好況がありましたのが、それがなくなつたということが一番大きな影響だろうと思います。それに対しては、さしあたり輸出増進というようなことでもつて外国との連絡を保つて行くという点が、便宜あるいは一番先に考えるべき点ということは、私は間違つていないと思うのですが、しかし御指摘のように、それだけでなくほかにもいろいろ原因あるだろう。これはやはり日本で生産が足りなくて物が不足したというのが、だんだんと充足して来て、そうしてひどく物に対する需要がなくなつたために物価が下り、それから同時に生産がふえたので滞財が起つたということもあると思います。不景気ということは、要するに物資も金も循環が活況時代よりも鈍つたということと思うのであります。それを早くさせるための即効薬というものはやはり輸出だろうと思います。それ以外には、これを活発にするという点については、すぐに影響の起ることは今のところ私は考えつかないわけであります。時を与えられれば方法もあるでしようけれども、やはりいいものを安くつくる。これは輸出だけでなく、日本の国内で使いますものもそれでなければならぬ。そうすれば、いいものがあれば悪いものよりはよけいに使われるでしようし、需要も呼び起すということになると考えます。
  49. 塚田十一郎

    ○塚田委員 別に今の大臣答弁が間違つているとは思わないのでありますけれども、私も、結局物が売れなくなつておること、それが不景気の状態だと思うのです。いいものを安くつくれば、それは今までより売れるということになると思うのですけれども、その売れなくなつたものを外国に買つてもらおうという考え方だけの政策でいいのか、国内でももう少し買つてもらうという考え方で政策の立て直しをなさらないでいいのか、こういうことになるわけであります。つまり国民所得の配分というものに、これだけの統計資料も整つておる時代でありますから、もう少し考慮を加えたらどうだろうか、こういうように私は考えるわけであります。もちろん今のままでやりましてもそれはできるでありましよう。売れなくなつた、従つて蓄積資金を新しい生産の方向に向けて、その面から間接に購買力を起して行く。蓄積資金がなければ、公債でも何でも出して景気を出して、また購買力をつけて行くという方法はある。今の政府考え方はそうだと思うのでありますが、そうでなしに、国民所得の配分にもう少し考慮を加えて、直接購買力も少し出して行く、そういう考え方ができるのではないか、またしなければならぬのじやないか。私は輸出奨励政策というものには必ず限界があると思います。これで強引に押して行つたときには、向うの国は輸入超過になればたまらないから必ず政策として押える、関税も設けるということになるでしようし、また勢力圏においては、日本の物は入れないという政策をとる国も出て来ると思うのであります。この政策は、これはほんとうの自由主義経済から来るところの強い者が勝つという考え方ですから、これだけでは長い景気を維持して行く政策にはならぬのではないか。それで、国民所得の配分を考えるときに考えますのは、やはり日本の農民層の所得が問題だと思うのであります。なぜ問題かというと、あれは供出で、値段を政府がきめてやつておりますから、自然経済の上から出て来る農業者の所得配分というものは、これは多分に国の手によつて規制されており、ゆがめられておる。ここのところにもう少し考えられる余地があるのじやないかと絶えず考えておるのであります。それに次ぎましては要保護家庭、社会保障制度によつて救済されている人たちの位場ももう少しこの日本の財政のわくの中でお考えになる余地があるのではないかと常に私は考えております。憲法第二十五条でありましたか、あれに規定されている最低生活の保障というものは、どうも今の予算の上へ出て来るあの数字では少し足りないのじやないか、もう少し考えてやる余地があるのではないかと実は考えているわけでありますが、この点について御答弁いただきたい。
  50. 向井忠晴

    ○向井国務大臣 国民所得の使い方について、購買力のふえるようなやり方をするということはごもつともであります。ただいままでの国としての施設の改善とか、その他いろいろの生産的並びに不生産的なもの、どちらも購買力の増強という点に十分な力を入れられないようなやり方であると私は思うのであります。そういう点をよく考えて、今後その方向に向うべきものと存じます。
  51. 小笠原三九郎

    ○小笠原国務大臣 ただいまの点は大蔵大臣と同様でありますが、農村の分についてちよつと申し上げますと、農村で麦のごときは、塚田さん御承知のようにこれはもう自由になつておりますから、それで公正な価格で取引されております。ただ、今の供出米の一点だけが少し問題になると思うのでありますが、この点がまたただちに賃金のべース・アツプとかいろいろの問題にも波及して参りますので、そこが農林省——政府としても一ぺんにきめかねておる事情であると思います。しかし農村の収支の状況から見ますると、たいへん改善されていることは多分塚田さんもよく御承知であると思います。九—十一年を標準にしますと、このごろの農村はいい月は一一七ぐらいに達しておりまして、都市の八七とか八九というのに比べますと、たいへん農村の方がよくなつております。しかし農村がこれで足りるわけでは、ございません。また現在の日本の農村は、決して幸福とか繁栄とかいうものでは、ございませんから、今御指摘のような点は将来の政策に織り込んで考えて行かなければならぬと考えております。
  52. 塚田十一郎

    ○塚田委員 もう一点伺います。ただいま審議庁長官の農村に対する御答弁がありましたのですが、私も農村が都市から比べれば早く回復しておるということも承知いたしております。ですから、今の日本の内閣、またわれわれが今までとつて来た政策自体に誤りがあつたとは思わない。そうして統制をはずし、自由経済になつた場合の農村の状態がどういうものになるかということも、試みに想像いたしまするならば、おそらく今よりはもつと苦しい立場になるのではないかと思う。そうしてその状態というものは、私どもは、これは日本農業の持つ宿命的なものであつて日本農業の非常に低い生産性に原因があるのだとも大体考えている。従つてどもはその農民の所得というものをもう少し考えたらどうかというときに、それをすぐに米価を引上げるという考え方に持つて行けるかどうかということには、多分に疑念を持つ。しかしそれならば、これは農村が低い生産、低い所得でがまんしなければならないのは宿命的であるから、国の政策の上でほつておいていいかとうことになると、これは断じてならぬ。国民の四割五分も占めるたくさんの人たちが、あの程度の低い生活でもつて甘んじていなければならない、そうしてそれがまた原因して日本の景気全体が思わしく伸びないというところがあるならば、何かこれは政策として手を打つべきじやないか。どういう手を打つか知りませんが、とにかく農村に相当大幅な金をどんどんつぎ込んで、この低い生産性が是正される方向に日本の政策をぜひ持つて行かなくちやならぬのじやないか、こういう点に政府に今後特段の御配慮をお願いしたいということを考えておるわけであります。  法務大臣が見えましたので、緊急質問があるそうでありますから、私は一時中止いたします。
  53. 尾崎末吉

    ○尾崎(末)委員長代理 この際西村直己君から緊急質問の申出がありますので、一時塚田さんの質問の保留を願いまして西村君の質問に移りたいと思います。  それでは西村直己君の緊急質問を許します。西村君。
  54. 西村直己

    西村(直)委員 法務大臣がお見えになりましたので、実は昨晩夕方から首都を中心に大問題になつておりますところの脱獄死刑囚の問題でございます。これは昨晩初めて夕刊なりラジオで放送されたのでありますけれども、控訴中の死刑囚二名、一名は日本国籍を持つていないというふうに私どもは新聞を通して解しているのでありますが、現在に至るまでおそらくまだ逮捕になつていない。しかも東京の拘置所から逃げた。東京の拘置所は、私どもが常識的に判断すれば、きわめてりつぱな完備したもので、日本で一番いい。それを破つて出た。なお新聞記事を通してうかがうところによりますれば、一月以上この脱獄の用意をいたしておる。しかも新聞記事の報道によれば、看守が午前三時に巡回し、それから七時までは何らその間に警戒をしないで、七時に初めて発見したように報道されておる。これらの諸事実を新聞を通して見ますると、おそらく刑務所の行政にも相当な欠陥があるのではないか、私どもは折々聞くのでありますが、刑務所の内部に収監された人たちの話、あるいは雑誌等の体験者の話等を見ましても、まだ刑務所の内部にはボスの制度が残つておる、収容者の内部にボスの制度が残つておる、あるいは導のいろいろな問題もあるというふうにも伺つておるのでありますが、おそらくこれらも他の原因とあわせて一つの現われではないか。いわんや首都を中心に今警察力が非常に問題になつておる時期に、このいわゆる凶悪犯罪を犯したと言われる人たちが、このままつかまらないで時日を遷延して行くならば、市民はおそらくすべての話の話題を日夜これに持つてつて非常な不安感に陥りはしないか。従つて私はこの場合に、ひとつ法務大臣にまずこの事柄の経緯、真相というものを十分にお聞きしたい、こう思うのでございます。
  55. 犬養健

    犬養国務大臣 お答えをいたします。ただいま西村委員より御質疑と同時に御意見がありましたが、まことに恐縮の至りで、重々ごもつともと存じます。何ゆえにこういうことが起つたか、将来どうしたらよいかということをあらまし申し上げまして、またこまかい点につきましては、矯正局から説明員が来ておりますので、補足させたいと思います。  冒頭にまず御報告いたしたいのは、本日の午後一時にそれらしい二人が京都市でつかまつて、一人は名前を言つております。二人とも顔つきは似ておるのですが、一人は名前を言つているというので、目下管区本部を中心に無電の通信をし合いまして連絡中でございます。しかしそれだからこの問題は落着ということではもちろんないのでありまして、重々恐縮に存じております。御承知かと思いますが、二月十九日の午前六時の朝の点検のときに初めて発見したというわけで、まことに何とも弁解が立たない次第でございます。ただいまもお話になりましたように、屋上から紙でつくりました綱、これが十三メートルの長さというのですから、ここにも、発見しなかつたことについて綱紀の弛緩があるということを申し上げなければなりません。まことにこの点は恐縮に存じております。なおその監房の中にのこぎりの目立てに使いますやすりが落ちておりました。いろいろ調べましたが、今のところの判断では、運動に出しますときに拾つたものである。といいますのは、ちようどこの数日間大工が入つて修繕をしておりました。それでそういう想像をいたしているわけでございます。  どうしてこういうことが起つたかといいますと、やはり根本は綱紀の弛緩だと私は率直に申し上げたいと思います。なおメーデー関係の騒擾事件の収容者が多数今入つていまして、おもにこの方に力を入れた。これも一つの原因でございます。またもう一つは、終戦直後の社会不安の時期から見ますと、昨今収容者が減つて来ております。メーデー事件のような新しい性質のものは別としまして、一般の犯罪が減つて来ておりますに従いまして収容者が減りましたので、この関係の刑務所の看守を減らしたらどうかということが、予算措置お話のときにありまして、その点一応ごもつともな点もありますので、仮出所の人を保護監督する方の職員に一部まわしたのでございます。しかしこれはもちろん弁解にならないのでございますが、人数がどうもあまりゆたかでないということは、やはり率直に御報告いたすことが義務であると存じます。しかし問題は、メーデーの騒擾関係の収容者が非常に騒いだりしますので、そこで力を入れまして通常の重大犯人というものに対する認識が平生よりも薄らいでいたという点について私どもは着目いたして、目下真相を調べているわけでございます。  今後どうしたらいいかという問題は、もちろんこれは当然しなければならないことで、今に始まつたことではないはずでありますが、居房の検査を一層厳重にする。居房の出入りの際の着物とかからだをもつとふだんよりも緊張して調べる。また収容者が互いに共謀できる機会というものをできるだけつくらせないようにする。それからメーデー関係の方に注意力が行つたあまり普通の重大犯人に対する特別の注意というものが、少し眼がそれていたとも思われる点がありますので、この点の第一線の再認識を極力深めさせるということ、もう一つは、これはさつそく実行いたしたいと思うのでありますが、いる監房をときどき——ときどきではない、かなり頻繁にかえる、こういうことが今考えられておる点なのであります。これは普通でもやらなければならないことなんで、事新しく申し上げても自慢にならないのでありますが、今考えられておる点は、こういうことを一層厳重にやりたいと存じております。極力慎みまして今後再びかかることのないように気をつけたいと存じます。
  56. 西村直己

    西村(直)委員 率直に綱紀の弛緩ということをお認めになつて将来の対策をお立てになつておるのですが、この東京拘置所というのは、刑務行政としては、とにかく全国でも相当よくやられているところであります。私、前にも、静岡の刑務所の騒擾事件を存じております。また昨今のいわゆるメーデー騒擾事件に類するような形の収容者などに対しましては、その監督監視に当る人たちがむしろ非常に消極的であつて、内部での通謀——最もひどい例を申し上げますれば、朝鮮事変が起つたとき、そのニユースをただちに聞いて、「北鮮万歳」というのを獄内でやるという程度にまで、当時乱れておつたということを、私聞いております。従つて刑務行政をやられる行政官自体が、もちろん人権というものは尊重しながらも、しかし真に一般の隔離者を教育しながら、同時に社会の治安を保つて行くというような精神が、十分に浸透されておるでございましようか。もちろんわれわれは、人権尊重ということについては、基本をくずすことはできないのであります。また必要なことでありますが、それ以上に、それにかまけて何か欠陥があるのではないかと私は思うのでございますが、この点をもう一ぺんお聞きしたい。綱紀弛緩とおつしやいますけれども、綱紀弛緩の基本は何にあるかということを、やはりこの機会に十分御説明になつていただきたいと思います。
  57. 犬養健

    犬養国務大臣 これは私の私見に属しますので、もしも私の私見が誤つていたならば、部下の精励に対して相済まぬ点もあるのでありますが、私が歩いた範囲で感じたことを、率直に申し上げてみたいと思います。  一つは、高い教養もなく、そして終戦後いろいろ生活の難をくぐつて来たか弱い下級官吏が、民主主義、人権擁護ということを非常に強力な勢いで言われて、その問題について多少おびえておるという点があると思います。これに対しておびえない点はおびえないでよい、また人権尊重のたつとぶべき点はかくかくの理由でたつとぶべきだということを手をとつて指導するというようなことが、私初め法務省の幹部に、観念にはありましても、実際上欠けていたように感じております。これは私の責任でもあると思います。  もう一つは、終戦後特にかわつて来た世相なんでありますが、戦争前、戦争中にない収容者、つまり非常な勢いであばれる、国家の秩序というものを頭から無視する、収容されたあとも戦闘行為の継続だというような、今までに想像もつかない収容者が現われまして、ほとんど毎日の過労の頭脳とからだでもつて全力はそつちへあげておる結果、普通の犯罪者に対してはあまり騒がないような処置をして行くというようなけはいが、私の私見が誤りでなければ、ときどき見えるように思うのであります。これを埋め合せるには、何といつても一番かんじんなのは、身分の保障をもう少し人員を増加することなのでありますが、これはそれができないからほつておくというわけに参りませんので、私もひまのでき次第行きまして、この二点について親しく第一線の者と話し合つてみて、指導精神を及ばずながら吹き込みたいと考えております。私のみずから感じましたところはこの二点でございます。
  58. 西村直己

    西村(直)委員 確かに刑務行政の仕事というものはきわめて裏の仕事で、御苦労な仕事だということわれわれわかります。昨年私ちようどカリフオルニアの刑務所を視察しておるときに、すでに殺人事件の囚人が一人逃げたことを黙認しておつたということを知つております。なるほどむずかしいということはよくわかつておりますが、同時に私は刑務行政を見ますと、たとえば刑務所の中の課長なり上の方と、一般の看守とのつながりなり精神的なものをしつかり把握して行かなければならぬということと、同時に収容者自体のいわゆるボス化とか、こういうようなことについても相当いろいろごくふうなさらなければならぬ段階に来ておるのではないか、これは議論になりますから私はやめますが、これらの点につきまして、この機会にぜひ私は政府としてもしつかりした方針をお立てになる必要があると思う。終戦以後におきましても、死刑囚がすでに数回全国の刑務所で脱獄をしておる。今回は、日本でとにかく国民として市民として一番安心しておるような刑務所さえも、一月にわたつてこわされて、じかも紙のロープでもつてゆうゆうと出た。しかも出た男は、新聞の報道によれば、東京都内で一時間ごろついて歩けば数万円の金をふところに入れるだけの、いわゆるりつぱな手腕を持つた人間であるというように、これを扱つた老刑事は言つておられる。おそらく都民の方たちは非常な不安感に陥つておると思うのであります。  そこで、さらに続いてお伺いいたしたいのは、この捜査でございます。ただいま京都で、らしき者がつかまつた、これが事実であれば不幸中の幸でございますが、しかしこれがもし事実でないとした場合におきましてちようど国警長官もお見えになつておりますから、大臣と国警長官の御両者からはつきりお聞きいたしたいのでありますが、今日の警察制度におきましては、自警と国警の問題が相当世論でいろいろいわれておりますが、私先般も、これは名前は申し上げにくいのでありますけれども、こういう犯罪ではありません。不幸にも戦犯の指名を受けまして、そうして写真手配まで全国に流れておつた方のお話を直接聞きました。その方がはつきり申されるには、二年間おれはゆうゆうと潜行をやつた。最も楽な方法は、自警相互間の盲点あるいは国警、自警の相互の盲点をねらつて行くことだ、ここに盲点があるということはみずから体験して言つておる。その手段、方法についてはまだ発表する機会でないということを私は聞いたのでありますが、この点につきまして大臣はどういう御所感をお持ちになつておられますか。
  59. 犬養健

    犬養国務大臣 捜査方法の実際につきましては、ただいまこの委員会にお呼び立てのある直前まで、国警長官から聞きとつてつたのであります。これは専門家から申し上げることの方がいいかと思いますので、そういたしたいと思います。なお政務次官が私にかわりまして現場を見て参つて今帰つて来ました。ここの部屋におりますので、もし要すれば御聴取を願いたいと思います。ただ私が一言申し上げたいのは、国警、自警の管轄権の相違の盲点を縫う、こういう問題でございます。実はこのたび警察国家を志しておるとかいろいろの批評にもかかわらず、あえて警察組織の改正をいたして国民に対して責任を果したいと考えておりますのは、その点なのでありまして、今表面は平静に見えますけれども、地下の底流の動いておる軍事方針というものは、やはり同じところをねらつておる。どこの国民でもさようでございますが、ことに日本国民は、いろいろ美点はありますけれども、弱点の一つとしては、同じような似たような仕事を二つの違つた命令系統で扱うと必ずそこにうまく行かない状態が起るのが、幾多の美点があるのにかかわらず日本人の弱点なんだ、こう考えておりまして、西村さんの御指摘になつたようなことを痛感いたしまして今度の警察制度の改正に乗り出したわけでございます。この点を一言申し上げておきたいと存じます。
  60. 西村直己

    西村(直)委員 国警長官からひとつ……。
  61. 斎藤昇

    ○斎藤(昇)政府委員 脱獄囚の問題は、きよう午後一時二十分に京都の七条署管内で二名を逮捕いたしましてただいま調べ中でありますが、一名は名前を言つておりまして、これが合つております。一名も人相が似ておりますから多分それだろうというので調べておりますが、まだ両名とも確定はいたしておりません。この事件の捜査につきましては、脱獄の報告を警視庁が受けますと、ただちに管内に指名手配をいたして、警視庁から東京管区本部が報告を受けましで、ただちに全国に指名手配をいたしました。そして写真手配を今朝いたしたのでありますが、さような手配によりまして、全国この犯人捜査に当つた次第であります。幸い京都で逮捕されたのがそうであれば、仕合せだと存じております。かような凶悪犯の手配につきましては、比較的自警、国警連絡よく今までも行つておるのでありますが、犯罪の種類によりましては、ただいまおつしやいますように、いわゆる盲点というものの存在は、ある程度肯定せざるを得ない状態だと考えております。
  62. 西村直己

    西村(直)委員 緊急質問でございますから、質問をなるたけ要点だけにいたしますが……。
  63. 尾崎末吉

    ○尾崎委員長代理 なるべく簡潔にお願いします。
  64. 西村直己

    西村(直)委員 もう一点ひとつお聞かせ願いたいのであります。確かに盲点というものがあるということは、大臣並びに長官はお認めになつたようでありますが、さらに私はこういつたような問題、あるいは非常にかわつた妙な比喩かもしれませんが、国の要人等が首都の一角で何か大きな警察事故を起されたような場合、あるいは全国にわたるようないろいろな大きな事件が起つた場合、一体自治体警察の区域等で、今の犯人が、たとえば東京から川崎、あるいは京都の自警の管内に入るような場合におきまして、これらの治安の責任というものは次々移つて行くのか、それともどこにあるのか、これらの点につきまして、やはりこれはおそらくつかまれば一応当面の事態は解決をしますけれども、つかまらない場合はもちろん、それから後にもこの問題は残されて行くと思うのです。これらの点につきまして私はこういつた点についての責任の所在、刑務行政については法務大臣だが、しかし捜査の過程、それから非常な不安感が増大して来た場合においての責任は一体最後はだれにあるのか、こういうような点につきまして法務大臣の御説明を願いたいと思います。     〔尾崎(末)委員長代理退席、委員長着席〕
  65. 犬養健

    犬養国務大臣 この点はこの何週間か一番真剣に考えた点でございます。責任の所在は警察行政に関しましては、御承知のように、公安委員会という多数制にある。この公安委員会の委員を選ぶことについて同意を与えた限りにおいて総理大臣責任がある。公安委員というものは多数制でありまして、どうも多数に責任があると申しましても、理論上はあるに違いがありませんが、どうも、俗な言葉で言つて、ピンと来ない。また総理大臣責任があるといいましても、これも率直に申し上げれば、あまりえら過ぎて、一々総理大臣責任をとつたら政変を来す、どうもそこに適当でない仕組みになつておりますので、さればこそこのたびは、いろいろ世の中の批判はありますが、完全な責任大臣制をとろうというふうに考えたわけでございます。  もう一つ府県、自治警察というものだけで、どうしてもうまく行かないと思うというのが、西村さんの先刻御指摘の点であります。管轄区域が違いまして捜査の責任が、次々に指令して行くというだけで重大事犯が処理できるのか、どうしても国の高い立場から、一本筋金を入れたような監督権と命令の貫徹という姿がなければならぬのである、但し、そうやると、ともすれば権力の強いところに弊害が起りますから、そこで公安委員会が罷免の勧告権を持つたり、ふだん点数をつけて考課表を中央に届けたりして、行き過ぎを警戒する必要があると思いますが、筋金は一本通さなければ、お話のような大きな犯罪などが処理できない、こういうように考えている次第でございます。
  66. 太田正孝

    太田委員長 本日はこの程度にいたします。次会は明二十一日午前十時より開会いたします。  これにて散会いたします。     午後四時五十六分散会