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北委員 これは私が聞くのは、
自分自身がまだ
自信が乏しいから聞くのであります、
自分に
考えがあ
つて、
文部当局をいじめるというような悪い気は少しもありませんが、私は
日本国民を無条件に優秀とはどうしても思えぬのであります。これは
文化という点から申しますと、大体
支那の
文化、インドの
文化を入れたもの、
近代でヨーロツパの
文化を入れたもので、
日本人は総合の能力はありますが、ほんとうに創造する力は乏しいように私は思うのであります。そこでこれは将来の問題になりますが、やはり
日本人の自発的な
精神、自立的の
精神、独創的の
精神を涵養して行かなければならぬ。いわゆるバートランド・ラツセルのクリエテイヴ・インパルス、創造的の欲求にむちう
つて、創造を努力させるよりほかない。私は
日本人は、農民として漁民としてはなかなか優秀であると思うが、学者や政治家をあまり優秀とは思わぬ。
文部大臣の言うごとく、優秀なる政治家がたくさんお
つたならば、
日本をここまで持
つて来るわけはない。
日本人はまた物忘れが早くてあきらめがいい。今のうわさも七十五日第一次大戦のとき、
ドイツを誤らした者は敗戦後一人も政界へ頭を上げたものはない。次官級の事務屋がや
つている。第二次大戦で負けた後は、
ヒトラー内閣にお
つた者はそのまま没落しております。ところが
日本では負けても負けても戦時中の閣僚がどんどん頭を上げて、
日本を再び
支配しようとしておる。
日本人はおめでたいというか、あつさりというか、これはちよつと改進党にも言いたいことでありますが、(笑声)やはり妙なところがある。私は、
アメリカ人がこういうたというが、
日本人は敗戦の経験をはや忘れた、そういうところが
相当あると思うのです。復古調もこれによ
つてだんだん生ずる。私もその点は非常に心配しております。そうして戦後に出た人をアプレなんて悪く言うが、やはりアプレの中から
英雄は出なければいかぬと私は思う。それにはやはり教学の立直しをやらなければならぬが、私の
考えでは、
日本で教学を
統一することは困難と思います。たとえば大体において経済
思想は、
資本主義系統と
社会主義系統の二つの流れがあります。これを
統一的に
国民教育に利用することは困難であります。たとえていえば、
資本主義系統の方は、
個人の
生活擁護には私有財産が必要であるとし、
社会主義系統においては、
生活権の擁護は根本的の必要であるが、これは公有財産制度、生産手段を大体公有にして、分配も公の機関でやる。それによ
つて保障する。もちろん基本的
人権の
一つとして財産権は各国でも数えておりますが、私はこれは第二次的のものだ、
生活権が根本的で、財産権は第二次的のものだと
考えております。ところがその手段として財産権をあくまでも主張するのと、これを重視しない傾向と二つあるから、
国民道徳を
統一するのは困難であります。現に第一次大戦後の
ドイツへ入りますと、もう
学校教育はめちやくちやで、旧教は旧教の
教育をやる、新教は新教の
教育をやる、
社会党の強いところは唯物論的、無神論的
教育をやる。ことにプロシヤの
文部大臣ホフマンは、
社会党の左派に属していた人であるが、牢の中に入
つてバイブルの欠点ばかり研究して、牢から出て
文部大臣になると、バイブルを一節ずつ引用して皮肉
つて、えらい問題を起した。戦後においてはどうしてもそういう傾きがあります。私は十年ぐらいはそうなると思う。
ドイツへ私が入
つたのは、
ヴエルサイユ条約ができて六箇月の後でありますが、二度目に
昭和七年暮れに行
つたときに、ようやく
民族意識が発展した、
精神的復興には十年かかる。
日本の
青年と同じように、一番安上りはダンスであります。男女
青年がくつつき合
つて踊る、これが一番安上りで、それから一緒に旅行する。酒を飲むと少し金がかかる。(笑声)
日本も今一番ポピユラーなのは。パチンコで、これは五十円か三十円でやれる。そういう安上りの享楽をや
つておる
時代であります。それで私は、
日本も、もう三年たたなければ引締まらない。それまで軍備などをいくら
考えてもこれはだめだ。
ドイツが十年かか
つた。それ以上の打撃を受けたのだから、
日本はもつとかかりはせぬかと実は心配しております。そうして、
国民教育の標準がありません。いまさら忠君愛国を鼓吹しても愛国の根底としての国が、四つの島に八千五百万がうようよしてお
つて、いくら働いても食えない。昔の学生は、学校を卒業すると、
大学の学費の倍くらいの俸給は、どこへ行
つてももらえた。ぼくは三倍もらいました。十五円で勉強して四十五円もらいました。ところが、今日では二万円ぐらい使
つてお
つて、卒業すると学費以下で勤めなければならぬ。これはお互い年寄りの責任です。あなた方や、われわれ皆の責任であります。それで
青年ばかりいじめられぬが、どうしても
青年にや
つてもらう気分を創出しなければならぬ。ところが今言
つた通り、
社会主義的のイデオロギーと
資本主義的のイデオロギーが多少接近しております。
アメリカの
資本主義であ
つても、重税をと
つて社会政策をどんどん行う。
日本でも産業資金というもので今度は産業をまかな
つて行
つて、やはり農地改革とかあるいは河川工事とかいろいろに用いておりまして、これは
社会政策を大いに取入れて、修正
資本主義を実際に行
つているわけであります。改進党でなくても、
自由党もこの修正
資本主義を行
つておりますが、
社会党であ
つてもまた何でもかんでも公営にしようというのではない。
社会党の
天下のときに石炭国管をや
つたのがただ
一つの手柄で、何
一つ社会主義的のことをや
つておらぬ。力がない。でありますから、これは口で言うておるだけだ。口で言うても宣伝力は偉大だから、
青年はどちらがいいか迷うておる。しかし私はこの中庸をと
つた、文部省あたりで試みに基本的のものを出してみてはどうですか。もちろん国定教科書風に縛るのはいけない。しかしわれわれ当事者はこういう
考えを持
つておるという、基本的のものをこしらえてはどうですか。私は戦時中民政党を代表して、教科書調査
委員を三年や
つております。当時政友会の調査
委員の島田俊雄君、貴族院の林博太郎君などと一緒に、当時は国定教科書
時代で 私はその点については文部省に
相当の
考えを述べたことがありますが、今国定教科書
時代でなくても、やはり東洋
道徳を基礎にして、西洋の進歩的
思想を入れた教科書の、ごときものを試みにつく
つてみたらどうです。それでよか
つたら採用する、もちろん悪ければ採用しないで、多少損をするかもわかりませんが、それはかまわずに、それくらいのことは今や
つてみないと国際情勢は第一次大戦後は一時二十年くらい平和でありました。今度は第二次大戦がまだ済まないのに、第三次大戦に連続しつつある。
アメリカに行
つても、
世界平和を建設するのが
戦争の目的だからというて、
世界平和どころか、こういう言葉がはや
つている。「パーペチユアル・ウオー・フォア・パーペチユアル・ピース」「永久の平和を求めんがために、永久に戦う、」こういう
状態で、第二次大戦はまだ終らない、済んでおらぬ。
戦争目的を果さぬから、英米ソ連も戦勝者じやありません。ルーズヴエルトその他は戦勝を得ておらぬ。戦勝というのは、
戦争目的を果したのが戦勝である、だから戦勝しておらぬ。
日本と
ドイツをつぶしたが、それ以上の、彼らからいうと悪い国が出て今悩んでおる。
戦争は失敗しております。今訂正しておるのが今度の
秘密協定破棄とか、一度
日本をまる裸にしたが、
日本に自衛軍を設けさせようとか焦慮しておる。これは
時勢とともに転向しつつある証拠でありますが、
日本といたしましては、この二大強国にはさまれておるので非常に困難であります。ちようど中国の春秋戦国のときの小国の悩みと同じであります。小国ではいかにも偉い政治家が出ても、大して働けない。第一次大戦後、ギリシヤでは偉いベネジユラスという政治家が出たけれども、国が小さいので何も役に立たなか
つた。スイスの方は
世界一に
教育が進んでおるというが、国が小さくてろくな学者もろくな軍人も出ない。人物らしい人物は宗教家ジヨン・カルヴインと文学者ゴツドフリード・ケラーと二人だと
ドイツのトライチユケは主張しております。国が小さいのでそうなので、
岡野文相の、ごときは今人材が輩出したというた
つて、人材は輩出していません。どんぐりの背比べで、要領のいい者がうまい飯を
食つて、いい自動車に乗るだけのことで、要領の悪い者は没落する。当分その
状態を続けなければならぬと思うが、
国民の平均的の
道徳、平均的の知能を、私は
教育の力によ
つてスイスのごとく、スエーデンのごとく上げ得ると思う。これに全力を注がなければならぬと思うのですが、その具体的の
方針として、文部省で天野さんは
国民道徳実践要綱をつく
つて失敗したようであるが、あれはむだではなか
つた。天野さんも
相当りつぱな
考えでありますが、ああいうものをやはり大勢の人を集めて、そして基準的のものをつく
つてみたらどうです。あるいは
社会主義体系の倫理
思想と、
資本主義体系の倫理
思想というのを公平に叙述して、
国民に選択権を与えるという形でもよろしいと思うがいかがでございましようか。