○
岡原政府委員 神戸
事件と本件との取扱いの差が実際に出て来ました実情は、先ほど神戸
事件につきましては簡単ながら御
説明いたしました
通りでありますが、さらにその
身柄の点につきましては次のような事情があ
つたことを付加いたします。
それは
ちようど逮捕されました六月二十九日に、こちら側の警察が逮捕する際に英国側のSPと申しますか、シヨア・パトロール、
ちようど憲兵のようなものでありますが、それがお
つたのであります。現地ですでに
身柄のやりとりについて一応の話がついたような形で
事件が警察に送られ、
検察庁に送られたというようなことがあ
つたのであります。さらにその後起訴しました際に、これは言葉のやりとりに若干の違いがあ
つたのでありますが、
検察庁から神戸の領事館に起訴の旨を
連絡いたしましたところが、了承したというような返事をもらいましたので、
中央にその旨を打電して参
つた次第であります。それで先ほど申した
通り事が大きくな
つて、
外交折衝の軌道に乗
つた、七月八日に至
つて初めて問題に
なつたということなのでありまして、
吉田書簡の線、
清原通達の線から申しますと、あの
事件についてすでに現地において
身柄の
裁判権の問題についてはわれわれ疑念を持
つておりません。これは問題にしないのでありまするが、
身柄の
措置について現地で話がついたというふうに
了解をいたしたわけでございます。その後あちら側から七月八日に書面が来るに及んで、
外務当局といたしましても、
中央の大使館からその旨の話があり、
法務省におきましても初めて現地で十分の
了解が遂げてなか
つたのだということがわかりまして、それが初めて
吉田書簡の第四項が動いて来たわけであります。
従つてその後の
経過は協議はしたけれ
どもととのわなか
つた。しかも
身柄の
引渡しについて努力はしたけれ
ども、当時
裁判所で
身柄拘束中で保釈の問題にならなか
つたというような
日本側の
政府の
態度は一貫したわけであります。ただ先ほ
ども申しました
通り、この神戸
事件につきましては、ざつくばらんに申しまして、ただいま言
つたような
諸般の事情からして若干の行き違いがあ
つた。つまり
身柄を最初確保した際に、これがどちらでどういうふうに引取るかということについて現地の方は十分
中央との
連絡もなし、また言葉の行き違いもあ
つたらしく了承を得たものとして処理してお
つたのであります。
中央といたしましても、当時
外務省にも大使館から何とも言
つて来ない。またわれわれとしても
外務省から何とも言
つて来ない、それでわれわれと
外務省でこの
事件はこれで治ま
つたのだろうかというようなことで何げなく数日間た
つたわけであります。そういうような事情でございまして、七月八日に至
つたとかように御了承願いたいのであります。
今度の
英濠兵事件におきましては、この十一月二十一日に
事件が起きたのでございますが、この
兵隊たちが逃げたのがその前日の二十日でございます。エビス・キャンプから逃げ出しまして事故を起したということで、ただちに
向う側から正式の
外交ルートを通しまして逃げたやつがあるが、ひ
とつつかまえてくれ、
日本側でつかまえたらこちらにお渡し願いたいというふうな手配書が参りました。その後警察でつかまりましたが、こちらとしてはこちらの
裁判権を
主張し、かつ
取調べのためにどうしても
身柄は
釈放できないというような
立場をも
つて終始してお
つたわけでございます。で先ほ
ども申し上げた
通り調べが進行したわけでございますが、一方
検察庁の調べが済みました上はこちらとしていずれかの
態度をとらなければならない。そこで先ほど申しました
通り本件につきましては、神戸
事件において問題が提起され、そうしてそれが
裁判の形で解決されたのに比較いたしまして、今度は国際礼譲というものが真正面から取上げられて、当初から問題に
なつたというふうなことでございます。従いまして、その軌道に乗せて
事件が運んだというふうに御了承願いたいのでございます。これをもう少し砕いて申し上げますと、あちら側からこうこういう人間が逃げたというふうな書面が参りまして、私
どもの方といたしましては、警察からつかま
つたという
報告を受けました際に、これは別に
向うの方が先に
事件を起しておるから
向うに渡すというようなことにはならぬけれ
ども、とにかくそういうような筋が
一つある。つまり
向う側に因縁をつけられる節が
一つあるという感じを受けたのであります。これを
国内法的に申しますれば、例の
指名手配が警察同士でかわされました場合には、手配庁がその後に
身柄をどこからでももらえることに警察同士のとりきめができております。たとえば
東京で
犯罪を犯しまして
指名手配がございます。そうすると、たとえば大阪でその逃げた人間が別の重大な
犯罪をいたしましても、
東京なら
東京の警視庁がこれを引取
つて処理するというふうなことに相なります。これは
一つの
国内慣習でございますが、とい
つたような似たような
関係がやはり
国際法的にも
考え得るのではないかというふうなこともございまして、それやこれやでかような取扱いに
なつた。いずれも
清原通達並びに
吉田書簡の線に沿うて処理した、かように理解しておるのでございます。
御
質問の第二点でございますが、今度の
事件においてわが方が
裁判権を放棄したということは全然ございません。またさような
考えのもとに処理したものでもございません。先ほど
法務大臣から繰返し述べました
通り、わが方としては
裁判権の
行使をなし得る調べを十分いたした上で処理した次第でございます。
お尋ねの第三点でございますが、かようなことがあると、後日警察または
検察庁において
事件をまじめに捜査しなくなるのではないかというふうな御心配でございますが、現在私
どもといたしましては、警察並びに
検察庁に対しまして、かような
事件はわが方に
裁判権があるし、
事件のいかんによ
つてはわが方はいつでも起訴できるのだ、ただ国際礼譲との兼ね合いで、国連
協定ができない間は個々の
事件ごとに、いろいろな問題は生ずるにせよ、全部その
建前でや
つておるからして、十分調べをするようにという指令をしておりますので、その点はさような御心配はないものと存ずるのでございます。
お尋ねの第四点でございますが、
清原通達の
考え方は、前会清瀬
委員からお尋ねのありました際に申し上げた
通り、私
どもといたしましては、当時
吉田書簡なるものがあちら側に出されたということについて国際慣例上これを公にすることはできない、さようなことからいたしまして、その精神を部内に流す際に、これをどのようなものでやるかというようなことにな
つたのであります。その際、
前回の五月十七日の清原第一次通達が出ておりますので、この
清原通達と著しく違
つた線でありますれば、当然
吉田書簡というものが中にはさま
つているということを言わざるを得ない。さようなことになりますと、国際儀礼上これはたいへんなことになるというふうな
建前を尊重いたしましてこの五月十七日の線と五月三十一日の
吉田書簡、それからこれの流れ出るところを六月二十三日の通達というものでなるべく近い線でまとめようとしたのでございます。そこでただいま御指摘の家族の点でございますが、この点につきましても、私
どもといたしましては、当初
吉田書簡の第一項に、将兵、軍属並びにその家族については云々ということは、国際公法の
原則によると書いてございますが、憲法第九十八条によ
つて確立された
原則というものは、この家族の点ははつきりしていない。むしろそういうものについて
裁判権をあちら側に認めるというふうな前例は乏しいというようなことから、この
吉田書簡に関する限り家族というものは国際公法上そう大して意義がない、かように読みまして、これをその趣旨に準じて読んで行
つたわけであります。そこで先ほど御指摘のようなことにな
つたのでございます。つけ加えて申し上げますと、あの通達は
検事長あてでございまして、
検事長においてこれを十分頭の中に入れて処理していただきたいという趣旨でございますので、この線に沿うて従来も処理して参りましたし、またこれに加えまして
外国人の
一般事件につきましては、会同の都度あるいは何か
事件のある都度十分下部機構にわれわれの
考えているところを到達させまして、その処理については十分
中央と
連絡の上遺憾なきを期せられたいという趣旨を申し述べてございます。現にその当時、
国連軍の家族というのはおそらく四十五、六名であ
つたと思いますが、子供を入れましてその程度のものようない状態においては、その点についての問題も特に起るまいというふうな観点からさようなことにな
つたのであります。