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1953-03-10 第15回国会 衆議院 文部委員会 第17号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年三月十日(火曜日)     午前十一時十三分開議  出席委員    委員長 伊藤 郷一君    理事 坂田 道太君 理事 竹尾  弌君    理事 田中 久雄君 理事 坂本 泰良君       北 れい吉君    木村 文男君       砂原  格君    永田 亮一君       長野 長廣君    貫井 清憲君       水谷  昇君    井出一太郎君       笹森 順造君    菊地養之輔君       辻原 弘市君    山崎 始男君  出席国務大臣         文 部 大 臣 岡野 清豪君  出席政府委員         文部事務官         (初等中等教育         局長)     田中 義男君         文部事務官         (大学学術局         長)      稲田 清助君         文部事務官         (社会教育局         長)      寺中 作雄君  委員外出席者         文部事務官         (大臣房総務課         長)      福田  繁君         専  門  員 石井  勗君        専  門  員 横田重左衞門君     ――――――――――――― 三月十日  委員石井光次郎君、廣川弘禪君江崎真澄君、  近藤鶴代君、椎熊三郎君及び小松幹君辞任につ  き、その補欠として砂原格君、貫井清憲君、木  村文男君、安藤正純君、田中久雄君及び辻原弘  市君が議長の指名で委員に選任された。 同日  田中久雄君が理事補欠当選した。 三月九日  公立学校施設災害復旧立法化に関する請願(  長野長廣紹介)(第三七七八号)  学校給食法制定等請願武部英治紹介)(  第三七七九号)  同(大村清一紹介)(第三七八〇号)  高等学校定時制教育振興法制定に関する請願(  前田正男紹介)(第三七八一号)  同(永田亮一紹介)(第三七八二号) の審査を本委員会に付託された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  理事の互選  義務教育学校職員法案内閣提出第七三号)  義務教育学校職員法施行に伴う関係法律の整  理に関する法律案内閣提出第七九号)     ―――――――――――――
  2. 伊藤郷一

    伊藤委員長 ただいまより開会いたします。  理事補欠選挙を行います。田中久雄君が昨日委員を辞任せられ、本日再び委員になりましたので理事補欠選挙を行います。先例により私より指名するに御異議はございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 伊藤郷一

    伊藤委員長 御異議なしと認め、私より田中久雄君を理事に指名いたします。     ―――――――――――――
  4. 伊藤郷一

    伊藤委員長 次に義務教育学校職員法案及び義務教育学校職員法施行に伴う関係法律の整理に関する法律案の両案を一括して議題となし、前会に引続き質疑を続行いたします。山崎始男君。
  5. 山崎始男

    山崎(始)委員 昨日に引続きまして文部大臣お尋ねいたします。  このたびの義務教育学校職員法案という、こういう性格法律案が上程されます以上、必ず上程者である文部大臣のいわゆる教育観あるいは道徳観というようなものが背景になつておるだろう、何らかそういう一つのお考えがなければこういう法律案は出ないということから、私はその方面お尋ねを申し上げまして、たまたま教育勅語真理論に対する大臣の御発言は、私はこれはゆゆしき問題だからお取消しになつてはいかがですか、御意思がおありになるかなりませんか、こういうお尋ねをいたしましたところが、大臣はどうも取消す御意思のなさそうな御答弁でありました。それどころか何らかの御答弁の中で、いかにも私が言葉のあげ足をとつておるかのごとき御発言があつたのでありますが、私は非常にこの点は遺憾だと思うのであります。私は大臣言葉のあげ足をとるような気持は毛頭ないのであります。考えてみますと、この国会である議員のごときは天皇主権論をやつております。今また文教政策最高責任者であるところの文部大臣が、言葉の足る、足らぬはともかくといたしましても、教育勅語の千古真理というものをやられたのでは、あまりにもこの民主国会の本議を冒涜しておるんじやないか、このように考えたのであります。吉田首相が         ――――― ということをまことに人間的な、生理的な現象から申されて、懲罰委員会に付されているのでありますが、私は野党の議員ではありまするが、まだまだ一掬の御同情を申し上げたいのであります。しかしながら他の省と違つて文教責任者であられる大臣が、教育勅語の千古真理論をおやりになりますということは、私は非常に残念なのである。私は言葉のあげ足をとるどころじやございません。大臣と郷里を同じくする岡山県の出身である。少くとも岡山県という所は、日本のいわゆる教育史の上におきましても、教育岡山としてかなり古いしにせを持つている、こういうように私は見て来たのであります。しかるに昭和二十八年の今日において、一国の文教責任者教育勅語の千古真理論をやられるということは、郷土人であらせられる立場から、私は郷土の大先輩として、非常な尊敬の念を持つて今日ま参つた。そのお方がたまたまこういうふうなことを言われたのでは、私は公私ともにまことに残念にたえない。大臣のおためを思うあまりに私は申し上げるのであつて、決してあげ足をとるどころではございません。私は民主国会を冒涜する言葉じやないか、このように考えまするので、大臣の御再考を煩わしたい。私は、本文部委員会がその絶好の機会であろうと考えますので、あえてお尋ねを重ねていたすわけでございます。どうぞもう一度御所見をお聞きいたしたい。
  6. 岡野清豪

    岡野国務大臣 もう一度それではお聞き申し上げますが、取消すことはどういうことを取消せばいいのですか。
  7. 山崎始男

    山崎(始)委員 どういうことを取消したらいいかというお尋ねでございまするが、私はそういうお尋ねが出るということ自体が非常に残念なのであります。教育勅語根底を流れるところの思想というものが、大臣のお考えでは、夫婦相和し、朋友相信じであるという言葉が、これが千古の真理を持つている、このようにおつしやつたのでありますが、私はそういう片々たる言葉を申し上げているのではありません。いまさらまた教育勅語根底を流れるところの何ものかが、これがいわゆる千古不磨真理を持つておるかどうか、私がここでその理由を申し上げるまでもないと思うのであります。
  8. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。速記録をごらんくださればよくおわかりのように、教育勅語はあの形態においては、いわゆる君主政治時代であつて内容がみな君民の間の関係になつております。その点はいけないと思つております。しかしながらあそこに書いてありますところの「夫婦相和シ朋友相信シ」というようなことは、いつでも、どの世の中でも、世界のどこへ行つても通ずるものだということを私は申し上げた次第でございます。この真理というものはかわらぬと思います。先般も申し上げましたように、人間精神的の活動力というものは、三千年くらい、もしくはもつと先でございましようか、以来からかわつておりません。そうして何が正であるか、何が邪であるかということは、すなわちわれわれが持つておるところの良心というものにおいて判断されるわけです。その良心というものは動いておらぬのであります。でございますから、良心的に考えまして、社会生活をして行く上にはどういうふうに平和が保てて行かれるかということに対して、お互い身だしなみのためにどういうことがいいとか、こういうことが悪いとかいうことを言うのでありまして、先般も申し上げました通りに、あの中に含んでおるところの「夫婦相和シ朋友相信シ」という真理は、いつの時代つてかわらない、こう私は考えております。もしこれを私の信念から動かすならば、一体われわれはどうして良心従つて行けるかということが問題になつて来ます。その良心に顧みますならば、あの内容になつておりますところのことは、いつも同じように取扱つていいのだ、こう私は考えております。
  9. 山崎始男

    山崎(始)委員 お取消しになられないようでありますので、私もこれ以上この問題で大臣に申し上げる気持はございません。ただ最後にこの問題に関しまして、お取消しにならないので、一言私は申し上げておきますが、少くとも政治責任地位にある方の一挙手、一投足というものが非常な影響力を持つことは、申し上げるまでもないと思うのでございます。吉田首相が、生理的な現象ではありますが、――――――と言われました。この言葉というものは、おそらく全国一千百万の無心な学童の間で、今に―――――という、一つの合言葉といいますか、流行語を生み出すであろう、このように私は想像するのであります。それと同じように、文部大臣言葉の足る足らぬ、あるいは事の善悪は別にいたしましても、今日教育勅語真理論をやられました、この事柄は、同じように純真無雑な子供気持の中に何かの迷いというものを与えるのじやないか。それなら一体だれが被害をこうむるか。それは全国子供を持つ親であろう。同時にいかにしたならば、民主教育というものを無心な子供の心の中に植えつけることができるか、いわゆる平和と自由と平等の日本民主化のために、日夜苦心しておるところの数十万人の学校先生被害者になるであろう。すなわち大臣一言というものは、責任地位であられるだけに、混乱と混迷を教育界に与えることになる、このように私は考えるのであります。どうぞその点は十分御認識になつていただきたいと思うのでございます。  大臣教育観に対しまして、いま一点だけ最後お尋ねをいたしておきます。過日の予算委員会におきまする大臣北委員との問答の中に、国民道義高揚、愛国心を振い起させるのに物心両面の方法がある。現在はいわゆる物質の面の復興が思うようにならぬ。それだから、待つておれないから、今度は精神的な面で拍車をかけるんだ、この方の面を教育でもつて取上げて、待つておれないからやるんだ、こういうお言葉がありました。一見考えまするとごもつともなようでありますが、あまりにもせつかちなお考え方じやないか。日本民主化というものが、新しい教育が生れまして、ようやく七年にしかなつておりません。いわば日本民主主義教育も、とかくの非難はともかくとしましても、新しい秩序を出しかかつて来ておりまする満七歳になつたばかりの教育界であります。これに対して大臣のそういう非常にせつかちな、あまりにも現実的過ぎる文教政策というものは、何らか大臣のお気持を反映をしておるかのごとく、私は考えるのであります。大臣自身も、教育は非常に大切なものであり、非常に長いものだということを申しておられますが、まつたくその通りであります。その通りであるところのこの教育に対しまして、あまりにもせつかち過ぎるようなあなたのお気持の中に、精神的な背景があるのじやないか、こういうふうに私は考えられるのであります。一言で申しますと、長いと言いながら、教育に対する教育観道徳観があまりにも現実的であり過ぎる、こういうことになるように私は思うのであります。古い例を出しまして非常に失礼でありますが、かつて長州毛利藩村田清風という学者がおられました。一番年の若い末席家老であつて、当時の長州藩が数十万両の借財を負うて四苦八苦をしておる、そのさ中に、いわゆる家老会議でもつて借財借財を重ねて、新しく数十万両の借財背負つて、それを全部教育施設へほうり込んだ。現在ですら、徳川末期においてすでに二十五メートルのプールをつくつておるのが、萩にあるはずであります。この村田清風教育観道徳観、しかも長いしんぼうをしたあげくの結果というものは、三十年にしてようやく長州藩復興の根ざしが出て来ている。言いかえますと、人的には吉田松陰というものを生んでおるのであります。従つてそのあとに生れたものは伊藤博文であるとか、その他の英傑がたくさん長州から生れておるはずであります。そうして物質的にはわずか三十五万石やそこらの小大名であつて、優に徳川幕府を向うにまわして戦うだけの物心両面の実力を備えて来たのであります。こういう一つ教育観道徳観こそ非常に大切じやないか。先ほども申し上げましたように、新しい民主主義教育になつて、長年のよちよち歩きの子供を、文部大臣のようなせつかちな教育観教育行政をやられたのでは、おそらく日本民主化の新しいつぼみというものは、あたら満七歳にして散つてしまうのじやないか、こういう点を私は非常に遺憾に思うのであります。この点に関しまして大臣最後のお答えをお願いいたしたいと思うのであります。
  10. 岡野清豪

    岡野文部大臣 お答え申し上げます。私は非常にせつかちなたちでございまして、いいと思つたことは即座に着手するのが生来の性格でございます。昔からへたの考え休むに似たりということわざがございます。いいことがあつてもそれを考えているだけでは、何もならないのです。自分自身信念として、いいと思つたことならばすぐ着手する。そうしてそれに足らないことがあれば、だんだんとこれを完備して行く。何でも事を始めるときに、初めから万全を期するわけには参りません。不完全とかいろいろ欠陥があるでしよう。そういう欠陥はだんだんと直して行くというふうにしたいと思つております。この法案は、ただいま考え得る現段階におきましては十分である、こう考えて出したわけであります。教育費について、毛利藩家老が非常な努力をされた、三十年かかつてやることでも、もしこれを急がなかつたら、三十年休むに似たりで、あまりできません。せつかちにできるだけの努力を瞬間々々にやつて、三十年やつてこそ、初めて効果がある、その意味におきまして、私は非常にせつかちでございます。せつかちであるけれども、非常に急いで、せつかちに一生懸命にその方に没頭したときに、初めていい考えが起きるのでありまして、ゆつくり考えておつてはそう大して名案は出ないと思います。  先ほど例をお出しになりましたから、私もせつかちである自分の頭を、一つ例を引きまして御発表しますが、昔加藤清正が、便所の中からお小姓を呼んだ、何のことかと思つて飛んで行つたら、あの清兵衛をすぐ十分に取立ててやつてくれという、お小姓が、お殿様、便所の中からそんな命令を出さなくても、出ておいでになつてからゆつくりお考えなつたらいいでしよう、いやいやそういうことは何か頭にあつたのだけれども、今思いついたからすぐやつてくれ、何となれば、わし便所の中で死んだらどうするか、清兵衛は非常にりつぱな人である、彼を足軽のままで置いておくのはよくない、また加藤家のためにも社会のためにも役に立つ。だから自分が思いついて、世間のためにいいというような人間が取立てられることなら、すぐ実行してもらいたい。そうすればわしはこのまま死んでもいいのだ。こういうことを昔私は物語で読んだことがございます。なるほどいいことがある、また自分の確信がある、こういうふうに思うときには、できるだけ早くするということを私はモツトーとしておるわけであります。むろん皆様方には軽率でおつちよこちよいらしく映るかもしれませんけれども、私はこの点におきましては、昨年の夏以来十分考えておつたことなのでございままして、当座に思いついた私案ではないのであります。
  11. 北昤吉

    北委員 ちよつと関連して。山崎委員から私の名前が出ましたから、一身上の弁明を兼ねまして文教根本方針について所見を述べて、文部大臣の御答弁を求めたいと思います。実は、私の国民道徳についての質問は、明治以来明治憲法と相並んで教育勅語、この二つがオーソリテイであつた。ことに明治憲法解釈については穗積八束博士教育勅語解釈については井上哲次郎博士教育勅語衍義というものがほとんど支配的で、まず国学というような形をなしておつた。ところが御承知のごとく、敗戦後ドイツ流の旧憲法から英米流の新憲法にかわつた以上は、教育勅語も徹底的に訂正を要するというのが私の意見であります。二つ並行した考えであります。もちろん教育勅語は、当時仏教中心論もあり、キリスト教中心論もあり、儒教中心論もある、また日本精神中心論もあつて思想のこんとんたる時代に、各方面思想を折衷して、私の記憶では元田永孚博士が起草をして、陛下の御裁可を賜つたと思うております。非常に当時としてはりつぱな教えであつて、七、八十年の間国民を支配して来ておりました。ところが御承知のごとく、当時東京帝国大学の英語の先生でチエンバレンという人がおりましたクリエーシヨン・オブ・ニユー・レリジヨン――新宗教の創造という書物を書いておる。そうしてこういうことを言つております。宗教というものは五十年かかる。というのはやり方によればできるのだ。みかどをゴツドとして、教育勅語をバイブルとして、小学校の校舎をチヤーチとして、校長さんが牧師となつて薩長藩閥中心となつて、宣伝しておるために、今では一つ宗教というものができた。なかなかおもしろい説で、私は数十年前に読んで感心したのでありますが、私は教育勅語は相当の程度まで訂正しなければならないと思う。もちろん文部大臣のおつしやつた夫婦相和シ朋友相信シ、」とか、「博愛衆ニ及ホシ、」とかいうようなことは、千古不磨真理であろうと思いますが、その構成が君臣関係でできておりました。日本国民道徳中心であります。あの教育勅語は、御承知のように国民道徳を打ち立てようという努力から生まれた、世界道徳との関連がないのであります。私は五箇条の御誓文についてもその考えを持つております。「萬機公論決スヘシ。」 という、国内のデモクラシーには一歩を進めておりますが、国際道徳についての理解が十分に足らないで、「智識ヲ世界求メ、大ニ皇基振起スヘシ。」、皇起が振起された後に、世界の文化に寄与するとか、人類の福祉に貢献するという結論がないのであります。教育勅語も御承知のごとく、「一旦緩急アレハ義勇公二奉シ、以テ天壌無窮皇運扶翼スヘシ。」、天壌無窮皇運を扶翼して、しかる後に何をなすかということがないであります。今日は国際社会道徳が非常に進んで来ておりますから、やはり教育勅語精神をもう一歩進めなければならぬ、五箇条の御誓文精神をもう一歩進めなければならぬと私は考えておる。ところが遺憾ながら日本には世界道徳の訓練がない、国際生活の経験が乏しい。御承知のごとくギリシヤはあれほどの大哲学者がたくさん出ましたけれども、博愛という思想がないのであります。一つの町が一つの国を成しておる。プラトン、アリストテレスのごとき大哲学者博愛思想がない、日本もそれに似て博愛思想がきわめて乏しいのであります。その点から行きますと、中国とインドとキリスト教国には博愛思想があるということは天下の定論であります。御承知のごとく中国では、修身斉家治国平天下――治国平天下というのは、すなわち国際道徳であると思つております。日本においてそれが足りない。そこで私はこの前文部大臣に質問いたしましたのには、日本明治以来の道徳教えは、明治憲法教育勅語中心にしてこれが二つとも権威をとにかく失墜したので、何をもつてそれにかえるかということに私自身も苦労しております。おそらく文部当局も苦労されておると思います。天野文部大臣道徳高揚についての私見を発表されましたが、これも相当批判があつたので、天野さんも徹底的に全国民を動かす信念を持つておるとは言えないと思うのですお互いに苦しんでおります。これは私はあまり責めるのも無理だと思いまして、文部大臣答弁について私は不満のところがありましたけれども、学問的の話でもつて苦しめることは御遠慮申して黙つておきましたので北玲吉もやはり保守党の政党に属しておるから、文部大臣に全部共鳴したと思われるような印象を世間に与えたようでありますが私の心理から言いますれば、やはり国民道徳を一歩進めて、世界道徳まで行くべき階段ではないか。日本にその教えが足りなかつた、こう考えております。私はその意味において文部大臣教育勅語についての解釈を御訂正くださらんことを切に希望する次第であります。お考えを承りたいと思います。
  12. 岡野清豪

    岡野国務大臣 あの当時のあなたとの応答において申し上げた通り教育勅語というものは、明治維新以来国民思想迷つて、どこに道徳律を求めてよいかということがわからなかつたために、ああいうものができたと私は解しております。そこではつきり申し上げておりますが、教育勅語は廃止されたるものである。これを再び起そうという考えはむろんない。またその内容におきましては何か君民間の道徳律のようなところもある。しかしそのうちにはやはりわれわれが捨てがたい真理を含んでおる。申し上げれば「夫婦相和シ朋友相信シ博愛衆二及ホシ」ということ、これはいつの時代でもやはりとうとぶべき道徳律である。こう私は申し上げたのであります。お説のように、世界的の考え、すなわち博愛とか何とかいうような意味をもう少し押し進めて行く。そして日本人の道徳律をつくるということはむろん必要なことでありますが、私は不敏にしてそういうものをつくる資力を持つておりませんから、ただいまのところはよういたしません。しかしながらわれわれ自分身だしなみにするのに、教育勅語に盛られておるところの内容の一部分は、やはりわれわれとして守るべきものではないか。こう考えるというのが御答弁でございます。そこで先ほど山崎さんからも取消し取消しというお話でありますが、山崎さん御自身が仰せになりましたごとく、文部大臣の一挙手一投足というものが社会に非常に影響を及ぼすものともし仮定いたしますならば、この場合において「夫婦相和シ」は取消したのだ。「朋友相信シ」は取消したのだ。「博愛衆二及ホシ」を取消したというのでは、これは問題がもつと大きくなると思います。私は信念として「博愛衆二及ホシ」「朋友相信シ」「夫婦相和シ」ということは、それが全部とは申しませんけれども、とにかくわれわれの身だしなみのうちの一つであるということははつきり確信いたしております。
  13. 山崎始男

    山崎(始)委員 私は昨日からこの問題でるる大臣お尋ねをいたしましたが、夫婦相和しなどという言葉は、大臣自身道徳律の中では非常に貴重なもののように聞えるのでありますが、私が申し上げますところは、こういうような内容の空虚なものは、私から言わせれば、今日はもはやないのだ。夫婦相和しというようなことはなくとも、新しい夫婦間の関係というものは相和し過ぎるくらいに相和しておるのだ。こういう内容のない、空虚な言葉は、今日教育の上における新しい一つ道徳律の用語としては無意味だ。そういうような言葉よりはむしろ、倉庫実ちて礼節を知るというような言葉の方が、何ぼ真理を含んでおるかということを私は申し上げたのであります。だから大臣のお考え方と大分違うようであります。どうも大臣の御答弁を聞いておりますと、大臣教育観道徳観というものは、いわゆる明治、大正の域を一歩も出ていない。私は何だか天然記念物か史跡保存物のような感じがするのであります。でありますから私は申し上げたのでありまして、この問題で論議をいたしておりますと――私は昨日の朝から引続いてやつておりまして、私一人だけが時間をとつて他の方に御迷惑をかけておるような気がいたしますし、委員長からも早く早くとせがまれておりますので、他の問題に移らせていただきまして、方向をかえたいと思います。  このたびの義務教育学校職員法案によつて行政上、しかも実際面におきまして、たびたび文部大臣からも局長からも、人事が円滑になるのだということを言われたのでありますが、私の考えるところによりますと、これは絶対円滑にならないと思う。このように考えるのであります。今度の法案の十条の五項、六項、特に五項でございますが、「市町村の教育委員会は、教職員を任命しようとするときは、あらかじめ、当該市町村長に協議しなければならない」という一項がございます。私はこの一項のために絶対円滑にならないという自信と確信を持つております。この点につきまして大臣はどういうふうにお考えになりますか。
  14. 岡野清豪

    岡野国務大臣 御承知通りに、今小学校とか中学校というようなものは市町村でその建物なんかを施設して、また必要な経費も出しておるわけであります。そして市町村を代表するものはやはり民意によつて選挙せられたところの市町村長でございます。民意によつて代表せられたところの市町村長が学校の経営管理に当つておるというような立場からみますと、やはりその村、その町で円滑にいろいろなことをして行くのには、そういう代表者と協議した方が、ただ教育委員会だけの考え方よりももう少しいい人事ができるだろう。私はこう考えておる次第であります。
  15. 山崎始男

    山崎(始)委員 昨年の十一月から地方教育委員会制度というものが改正されて、末端の市町村に至るまで地教委というものができましたことは申し上げるまでもございません。たいへんな抜打ち解散の結果から、世間の非常な非難を浴びながら当時成立したわけでございますが、この地方教育委員会設置が十一月にされまして以来今日までわずかな期間しかたつておりませんが、文部省におかれまして、その後どういうような長所が出ておるか、どういうような欠点がそれによつてつて来ておるかということに関して、御研究になつたことがありますか、ありませんか。この点伺います。
  16. 田中義男

    田中(義)政府委員 昨年の十一月以来でありまして、ただいままでにその成績についての確たる資料を持ち合せておるわけではございませんが、大体において当初心配をいたしたほどの混乱は起さないで参つておるように見ておるのであります。ただその間に御承知のように一番心配をされ、われわれもまた憂慮をいたしておりました点は、人事の円滑化という点でありまして、そういうような点について十分な円滑なる運営が行くようにしなければならぬ。かように考えてもおりますし、なお現在においてもその点についてのいろいろな意見、あるいは、要望等を聞いておる次第であります。
  17. 山崎始男

    山崎(始)委員 地方教育委員会が設置されます過程において、反対の論拠というものはいろいろございましたが、結局反対の集約されました要点というものは、あまりに末端の町村にまで置くということは、行政の適正規模でなさすぎる、これでは非常に人事の面において不円滑を来すであろう、また同時にそういうような小規模の行政区域内において、適当なる教育委員というものが五人も選ばれるかどうか、この点が反対の要点だつたろうと私は思うのであります。今文部省の方では、その後日が浅いから、どういうふうな長所が出て来たか、どういうふうな欠点が出て来たか、まだお調べでないと言われておりますが、これは当時私たちは、調べる調べぬの問題ではなくて、こういう地方の末端まで教育委員会を置いたならば、絶対に日本教育行政というものはうまく行かないのだという推察を下しておつたのであります。はたせるかな、文部省の方ではお調べになつておられません。私も日本全国全部調べたわけではございませんが、ただいま日本全国どこへ行きましても、おそらく学校の教員の異動期でございます。御承知のごとくほとんどの県で、三月末から四月の初めにかけましてのこの異動期には、二千人になんなんとするところの大量の異動があるはずであります。これが現在いかなる実態になつておるか、この一点、私は文部大臣としては非常にお考えになつていただかなければいけないんじやないかと思う。と申しますことは、私たちが心配をしておりましたごとく、大体町村末端の教育委員に選ばれておりまする民選の四人の方、この方がはたして日本全国において公正な、適正な、まことに教育行政に携わるところの人にふさわし委員が選ばれておるかどうかというところに、私は根本の原因があると思うのであります。これは大切なところですから、私は実際の民間の事情を申し上げておきまするが、教育委員選挙のときに自分が立候補するのには、この学校に好ましくない教員が二人おる、これをわしが当選をしたならば首にするのだ、こういうことをすら豪語して立候補しておる教育委員はたくさんあるのであります。また同時に、教育委員の全部とは私は申しませんが、相当程度の人は、いわゆる町村会議員の選挙の一つの腹いせとか、あるいは町村長に対する一つの対抗意識、反対意識というようなもので出ておられる人が多々あるのであります。これがこの三月現在の異動期へ持つて行つて、今日りつぱにその欠点が出て来ておるのが現実なんであります。と申しますことは、私は日本全国の全部を調べたわけでございませんで、狭い範囲ではございまするが、おそらく一県において二千人になんなんとする教員異動をやりまする今の異動期、この異動期は御承知のように一月の初旬から異動の教育計画というものを各県ともつくるはずであります。しかも昨年十一月から発足しました教育委員会法におきましては、その人事権たるや、町村の教育委員会が持つておる。県の教育委員会は例年のごとく数千人になんなんとする異動の教育計画を組んでも、悲しいかな権限は狭い末端の市町村にあるわけであります。その点ただいま申し上げましたような人事に対するところの一つの希望、人事権がいじられるのだという一つの希望が、教育委員に出ておるところの人の大部分の気持なんであります。こういう気持が片方にある。しかも時間的には三月の末日までにこの異動を完了せなければならぬという点にぶつかつておる。どういう結果が出ますか、これは御想像にしても私はおわかりになると思うのであります。大体今日、例年の統計から言いますると、おそらく県の教育委員会の異動計画というものは六割くらいしか計画されておらぬはずであります。あちらの村の学校先生をこちらの方へ移そう、あるいは甲の地から乙の地に移そうといたしますると、おつとどつこい、そいつは待つてくれ、この先生はかえることは相ならぬのだ。しかしながら教育的な観点から見て、あなたの方の村のその先生はおかえになつた方がよろしいぜと言つても、いらぬ世話してくれるな。こういう町村がたくさんあるのであります。あるいは町村によりますると、無条件降伏をして、おれは何も知らないのだから、県の教育委員会の方へ人事の異動はおまかせすると言うているところもございますが、もともと出ておるところの教育委員その人の気持というものは、今も言いますように、おのれが教育委員なつたら、人事権だけは絶対に離さぬぞという気持の人がたくさんおられるのであります。その面が今日行政の上に、ただいま申しますようにたいへんな混乱を起しておるのでございます。  なおここで一言申し上げておきまするが、本年度は教育大学を卒業する新卒で、初めて四年制の人が出て来るはずであります。今までは二年制の卒業生しか出ておりません。地方教育委員会の人たちはもともと教育にはしろうとでありますると同時に、様子がわからない。教育長も助役がかりになつても、なつたほやほやで人を入れることは非常に得意でありますが、この先生にあるいは退職を勧告するとか、やめてもらうとか、よそへ異動してもらうとかいういやなことは言いたくないのであります。だから例年に倍加する卒業生が出て来るのにもかかわらず、実際異動するその穴といいますかポストというものは、ちつとも動かないというのが現状なのであります。言いかえますると、昨年十一月のあの地方教育委員会ができたばつかりに、これだけの混乱を起しておるのが現実なのであります。その現実の上にかてて加えて、この義務教育学校職員法案の第十条に、今後は人事の異動に対しては市町村長に協議しなければならないという条項が加わつた。今までは市町村長は関与しておりません。それですらこれだけの混乱を起し、これだけの停頓を起しておるのにかかわらず、この上へ持つて来て、市町村長がくちばしをいれるという一つ教育行政なつた場合に、いわゆる人事権を持つものは町村長、地方教育委員会、県の教育委員会、おまけに文部大臣、この四者が人事権を持つておるというような、まことに複雑怪奇な法案というものは文部大臣が言われるように人事の円滑が期されるのだというようなことは、こんりんざい起らないと私は思うのであります。文部広報を見ましても、この人事の円滑化に対して非常に声を大にして文部省が宣伝しておられまするが、昨年の十一月から今日に至るわずか数箇月の間でありまするが、地方教育委員会制度のこの欠点がどういうふうに出ているか、ちようど今が異動期の原案作成の最中でございます。非常に困つておるのが実態なのであります。こういう点に対しまして、大臣の御所見と、局長の御所見もこの点は重要でありますから、重ねてお二人に御答弁をお願いしたい。
  18. 岡野清豪

    岡野国務大臣 局長から御答弁させます。
  19. 田中義男

    田中(義)政府委員 先ほども申し上げましたように、人事の円滑なる運営ということが非常に重大な点でありまして、いろいろわれわれも昨年のあの市町村教育委員会設置以来、そのためにうまく参りまするよう努力をいたして来ておるのでありまして、ただいまお話のように、当選されました委員の方々は、それぞれりつぱな人であろうと思いますけれども、しかしもしその選任が誤つたとすれば、これはまことに遺憾なことと思うのであります。なおちようどただいまが学校先生方の異動期でございますので、あるいはいろいろお話になつているようなことも実際としてはあるかも存じませんけれども、実はそういうことのないために、その運営の円滑を期するために、単に市町村だけで割拠しないで、少くとも県単位において、県の教育委員会とも十分連絡協議をして、そうして県内一円において円滑に人事の運営をはかつていただきたい。かような観点から、非常に私ども当局としては強く助言もし、指導もして参つているつもりなのでございます。  なおその次に市町村長の協議の問題でございますが、これも御承知のように市町村に教育委員会を義務設置いたしました場合に、非常に心配されましたことの一つとして、あまりに小さい市町村の中にいろいろ行政機関が多くできて、その間の行政の総合化という点について遺憾なことになるのではないかというような、非常に心配もされていたわけなのでございます。それらの点から申しまして、そのすべての点で円滑化を期するために、御指摘になりました条項もここに加えられた、かような沿革を持つているのでございます。
  20. 山崎始男

    山崎(始)委員 この点は非常に大切な問題でございまして、文部大臣並びに文部省の事務当局の方も、非常に御心配になつてはいらつしやるだろうという気持は、私は御答弁を通じてうかがえます。うかがえますが、なおなおお考え方に非常に甘い点が私はあるのじやないかと思う。一言に申しますると、いわゆる机の上で考えられておられまする関係上、実際の民情といいますか、実際の末端の教育行政の実情というものに対する御認識がうといんじやないか、かように思うのであります。この教育委員会法のたしか五十四条の第三項かしらに、学校建築の実施に関する規定があるはずであります。この規定の条文は、建築の実施をする、すなわち学校建築をやる、その他教育施設の建築をやるときに、地方の教育委員会は原則として町村長にその権限を委任をする。しかし教育委員会が意見があるときには、町村長は聞かなければならないという意味の規定だつたと思うのであります。この規定は、文部省におかれましてはどういうふうにお考えになつていらつしやるか知りませんが、末端におきましては、この規定があるばかりに、非常なトラブルを起しておるのであります。今日ここに関係の主管の人がおられぬようでありまするが、これは文部大臣お聞きになつてくださればすぐわかるのであります。これは今まで地方教育委員会制度ができまして、この五十四条の三項があるばかりにトラブルを起している、この現実なのであります。なぜかといいますると、ただいまも言いますように、教育委員会が一応権限の委任をして、市町村長に建築の実施をやるのをまかした。そうすると、まかされた市町村長というものは、これは私がやるのだという感じを持つのであります。ところがそのあとの方に、委員会が意見がある場合は市町村長はこれを聞かなければならないという、今度はそれを打消しておるような条項なのであります。これが皆さんのごとく、法律知識があり、常識のある方々ばかりでありますならば、そう大して問題は起りませんでしよう。しかしながら悲しいかな、こういうふうな条項があるばかりに、やれ石がき一つ築く、やれ学校の監督をどうする、建築の実施をどうるという場合に、これは全国におきまして、多かれ少かれ多大のトラブルを起しておるのであります。私が知つておりますだけでもかなりございます。管理局長にお聞きくださればわかると思うのでありますが、おそらく文部省としてもこの条項に対しては頭を悩ましていらつしやるはずなんであります。このように教育委員会と市町村長との間の、しかも建築の実施のことに関してだけですら混乱を起しているのが実態なのであります。しかるにただいまも言いますように、この法案によつて、人事に関して市町村長の意見を聞くというようなことは、この法案が実施されますれば、昭和二十九年度の一月から三月末日にかけての異動期に対しては、どういう人事の混乱と渋滞とが起きるか。この法案が通過するならば、日本全国の教員人事の交流というものは、非常に円滑になるというたびたびの大臣の御説明、たびたびの局長の御説明でありますが、私は断じてそれは起らないということをただいまここで予言いたしておきます。これは十分御再考になつていただかなければならない重大なポイントだと思うのであります。私はこの点に対しましてまだ非常にたくさん申し上げたいことがございますが、最初申し上げましたように、私一人だけきのうから質問しておりまして御迷惑をかけておりますので、いずれ財政的な面につきましてはお尋ねしたいこともたくさんございますが、また関連質問その他で自治庁の長官などもお見えになりましたときにお尋ねすることにいたしまして、一応私はこの法律案に対する私の質問を打切りたいと思います。
  21. 伊藤郷一

    伊藤委員長 細野三千雄君。
  22. 細野三千雄

    ○細野委員 だんだんの政府の御答弁によりましていろいろ了解した点もございまするが、政府の御答弁によつてかえつてわからなくなつた点も二、三ございまするので、いろいろ御質問申し上げたいのでありまするが、あとに質問者もたくさんおられますので、私は主として教育委員会制度との関連において二、三御質問を申し上げたいと思うのであります。  教育委員会制度というものの沿革は、戦後できました教育刷新委員会の第十一回の総会の、教育の自主性の確保、教育行政の地方分権という建議によつてできたものであることは申すまでもありません。しかしてこの教育刷新委員会に示唆を与えたものは、アメリカの教育使節団のレポートであります。このアメリカ使節団のレポートによりますると、公立の初等及び中等教育の管理に対する責任は、都道府県及び地方的下部行政機関にまかせらるべきである、この示唆に基いておるものだと私は思うのであります。従いましてこの教育委員会制度におきまして一番重要なことは、教育の自主性という並びに教育行政の地方分権ということだろうと思います。この教育の自主性ということにつきましては、教育委員会法の第一条に「教育が不当な支配に服することなく」という言葉で現わしており、この「不当な支配に服することなく」という言葉は、教育憲法といわれる教育基本法の第十条にある言葉をそのまま持つて来たことも、また私から申すまでもないところであります。この不当な支配ということにつきまして、前に井手委員から御質問があり、これに対して大臣から、それは教育行政というものが一党一派に偏してはならないのだという御答弁があり、その点につきましては私は同感であります。ただしかしながら、この不当な支配ということと今度の義務教育学校職員法案の第六条における、文部大臣教育委員会を指揮監督する、のみならず進んで、第六条の二項においては、みずから教育委員会の行うべき事項を行つて教育委員会の代行さえもするということになつておりますが、これとの関連における大臣の御答弁が私には納得が行かぬのであります。教育基本法の第十条の「不当な支配に服することなく」ということにつきまして、文部省側がその当時教育基本法の解説として出した書物によりますと、これは著者は教育法令研究会ということになつておりまするが、その当時の調査局長の辻田、並びに東京大学教授田中一郎の両氏の監修になつており、また辻田氏の序文によりますると、この本は教育基本法制定の最初からその事務に当つて来た文部事務官安達健二君が、筆をとつてまとめたものであるということでありますから、これは文部省が教育基本法の解説をしたものと解釈してさしつかえない。それによりますると、この第十条の不当な支配ということにつきまして、まず冒頭にこう言つておる。まず、ミツシヨンのレポートを引用しておるのでありますが、日本学校制度は従来しばしば批判のまとになつている、全制度を通じていろいろな点で重要な地位は、教育者として職業的訓練を受けたことのない人が占めていたからである、多くの教育関係職員が内務大臣またはその代表者によつて任命され、またそれに対して責任を負うことになつたのである。すなわち任命権が官僚に握られておるということが、やはり一つの不当な支配だというふうに解されるように、この著書はなつておるのであります。従来の大臣の御答弁によりますと、文部大臣は文部省の大臣であるから不当な支配をするはずがないということを強調されております。私もそれはそうだと思います。しかしこの不当な支配という言葉は、不当なということに意味があるのではありません。支配するということに意味がある。官僚が教育行政に結びつく、支配するというところに意味があるのでありまして、不当なということは大して意味がない。正当な支配ということならよろしいかということになれば、そうではない。正当な支配であろうと不当な支配であろうと、とにかく支配することはいけない、こう解釈しなければならぬと思いますが、まずこの点に関する大臣の御所見を伺いたい。
  23. 岡野清豪

    岡野国務大臣 不当な支配という言葉で、不当に重きを置くか、支配に重きを置くかということは、立法の趣旨を実は読んでおりませんのでよく存じませんが、しかし常識的に読みますと、不当な支配というのはやはり不当なをのけては意味をなさぬと思います。もう一つ考えられることは、昔は天皇の任命によつてできた内閣並びに天皇の官吏であつた官僚が特別にあつたわけであります。しかしただいまは民主主義の政府でありまして、代議士にしても参議院議員にいたしましても、公選によつて出て来た者であります。そして国会が民主的に形成せられまして、国民全体の負託を受けてわれわれは仕事をしておるわけでありますから、これは不当な支配をする一つの雲の上の機関ではなくて、国民の御趣旨に沿うようにやる地位と、また選挙方法によつて出て来たのでありますから、われわれがいたしますことは、昔の天皇の官吏がやつたこととは違うのであります。その意味はよく御了承願いたいと思います。  それから教育の問題でありますが、教育教育者だけがやつたらいいということは私は考えないのでありまして、民主的にできた政府が、民主的にどういうふうにして行くかは、法律によつてきまらなければならぬことでありまして、現行法におきましても、文部省が義務教育の根幹は指導助言し、またいろいろの教科内容とか指導要綱というものをつくつて地方にまわすということになつておりますから、民主的にできた政府が民主的にそういうことを実行することは、教育民主化したことに背反するものではないと考えております。なお詳しいことは局長から答弁いたさせます。
  24. 田中義男

    田中(義)政府委員 六条の規定でありますが、これはこの法律に基いて教育委員会の権限に属する事務管理または執行でございます。従つて現実的には大体人事に関する事務を管理、執行ということになりますので、一般の事務について指揮監督をするという意味ではありません。なお不当なる支配というお言葉もございまして、支配という言葉にはいろいろな含みがございますので、適当ではないかも存じませんけれども、しかし指揮監督という点になりますと、これは御承知のように地方自治法をひもどきましても、その百五十条を、教育委員会法の五十五条の二においてもこれを準用いたしているのでございまして、地方自治法によりますと、国の事務の委任を受けた機関に対する指揮監督権がはつきり自治体の中においても規定をされておりまして、すなわち「普通公共団体の長が国の機関として処理する行政事務については、普通地方公共団体の長は、都道府県にあつては主務大臣、市町村にあつては都道府県知事及び主務大臣の指揮監督を受ける。」こういうふうな規定もございまして、大体国の事務について機関委任を受けて執行いたします場合の指揮監督を受けることについては、これは一般の通則となつておりますし、特にこの法案においてのみ取上げた問題でないつもりでございます。  なおその次に御引用になりました教育基本法の解釈に対するいろいろお話もございましたが、御承知のように昔は地方の学務当局の官吏を文部省が何らこれの人事について関与することもなく、単に内務省が、実は内務省の意見のみにおいて自由にその人事を操つていた時代があるのでございまして、これに対しましては文部省をも含めて、教育権の確立という意味においていろいろ論議のあつた次第でありまして、さような沿革的な事柄が相当立法の場合の説明として引用されたことであろうと思われるのでございます。  大体条文についての一応の補足説明を申し上げた次第であります。
  25. 辻原弘市

    ○辻原委員 ただいまの、国が機関委任をした事務について直接指揮監督をするという問題に対して、今局長の方から御答弁があつたのでありますが、この第六条第一項に対する見解としては、教育委員会法の五十五条並びに地方自治法百五十条との関係を述べられましたが、その関係において従来の教育委員会法の建前においても、いわゆる国が委任をした場合には、必ず地方自治法の建前によつて、直接自治体が国の主務大臣の指揮監督を受けるというふうになつている、こういう御説明であるわけでありますが、私は一応、本質的な問題については、これは大きな問題でありますので、ただいまは申し上げませんが、かりにそういう前提を持つておりましても、先般私も予算委員会におきましてこの項に対する相当詳細な御質問を申し上げましたが、なおそれに対するはつきりとした御見解も承つておりませんし、いかなる観点でこのような措置をとられたかということについても了解をいたしておりませんので、関連をして申し上げたいのでありますが、その第二項の指揮監督の権限を文部大臣が持つている。地方がそれについて、その命令に背反して、行うべきことを行わなかつた場合に対する取扱いについては、これは自治法の建前とは食違つているという点は、この前も指摘いたしましたが、第一項のただいまの御説明によりますと、地方自治法の建前通りの前提においてこういうふうに当然なるからこういう規定を持つ。第二項においては、これは自治法とは一致しておらないという点につきまして地方自治法の建前から法律を除かれたとするならば、はなはだ一貫性を持つておらないように私は断定をするわけでありますが、その点に対してはどういうふうにお考えになつているのか、ひとつ明確に承りたいと存じます。
  26. 田中義男

    田中(義)政府委員 第一項と第二項の裏づけについての矛盾があるではないかというお話でございますが、第二項の代理執行の権限についても、この前予算委員会において私申し上げましたように、実は地方自治法の中において、百五十一条におきましては御承知のように都道府県知事は市町村長の権限に属する国または都道府県の事務について当然その処分を取消したり、停止することができるというような権限も、自治法の中においても持つているのでございまして、従つてそれらの点からしても、決して地方自治法に背反したところの条文ではございません。こういう御説明を申し上げたのでございまして、ただいまもそういうことを一応お答えを申し上げます。
  27. 辻原弘市

    ○辻原委員 私はここは非常に重要な点だと思つているのです。というのは、先ほどの御答弁にもありましたように、全般の教育事務を主務大臣が握るのではなくして、それは人事だけを国が握つてそれを委任したのだ、こういう説明が行われましたが、確かにその通りであります。しかしながら私は現在の教育行政考えてみます場合に、他の行政事務の取扱いについては、非常に多くのこまかい問題を持つておりますから、それらの点についてはこれは法制上どうあろうとも、一応やはり文部省の従来の建前から、教科内容の指導等におきましてもいわゆる指導要領なるものを出して、少くとも地方においてはその骨格にのつとつて教育内容の指導というものを教育委員会取扱つている。ところが人事に関しましては、明確に国が何らこれにタツチする権限もなければ、事実上タツチしておらないのが現在の人事行政の建前である。従つて今国との関連がなくして教育行政がほんとうに行われているというものの事務の幾ばくを数え上げてみた場合に、その中で最も大きいものは人事行政である。極言すれば人事行政を除いて、ほんとうに地方が独自な教育行政、国のある程度の制肘を受けないで独自にやつている行政内容というものは何があるかと言えば、おそらく私は他に数えるには非常に困難なほど――形式的には一応教育委員会の自主性のもとにとり行われておりますけれども、実質的にはその分岐点を明瞭にすることは非常にむずかしい。しかし人事についてのみはそのことははつきりしている。その残された唯一の人事行政に対して、国が関与というよりも、むしろその権限を掌握してしまう。しかも掌握して、しかしながらこれは完全に国が取扱うのではないのだということで機関委任をしている。ところがその場合に、機関委任をするのだから地方における自主性を残しているのだということをたびたび大臣も申されている。ところが第二項に至つて、それを見た場合に、いわゆる地方に自主裁量の余地は残して、第一項は指揮監督するという従来の建前で、一つの形式的規定だというふうに見る見方もあるわけでありますが、第二項の場合においては、地方が裁量いたそうとしましても、国がそれに直接に関与し、直接に代行するという権限をここに規定している。さらに局長は、これは従来の地方自治法の建前とは何らかわらない、そういうことは地方においてもあちこちに規定されており、他の事務においてもそういうことが行われておつたのだと申しますけれども、私は法文の問題としてはあるいはこれは小さいことかもわかりませんけれども、少くとも自治法の、この間も申し上げましたように、百四十六条の規定というものは、おしなべて現在、こういう国が機関委任をした場合において、その場合に命令背反の場合の国の地方に対する関与方式というものは少くとも一元化をしておく、少くとも直接機関に委任してそれに実行せしめる、その命令を発した次の段階においてはただちに代行に来るのではなくして、そこからは第三者の公正な立場の判断を求めるという意味において高等裁判所の判定に基いてそれをとり行うということが自治法の建前になつておると私は思う。これは先般の予算委員会においても再三再四説明を求めましたが、結局他にこういうふうな教育委員会法と同じような、今回のこの職員法に出されておりますような教育委員会と、それから文部大臣との関係の条項というようなものは見当らない、そういたしますと、私の見解によりますればこれは明らかに今までの地方自治法の建前をくずして、教育行政と申しますよりも、教職員の教育の人事行政に関することのみは直接文部大臣が第三者の公正な判定を排除いたしまして関与できるということに相なつておる、このことについて他の行政事務との関連において、なぜかようなことにしなければならなかつたかという理由を私は予算委員会においてもお伺いいたしたのでありますが、それに対する見解は出ておらなかつた従つてその点に対しては、これは重要な問題でありますので、いま一度法制的な立場から田中さんが先ほどから自治法の建前だということで申されます点に誤りがないかどうか、いま一つは先ほどから述べられております教育の中立性、それを前提にした大きな教育委員会の建前、それから今度行わんとするいわゆる国が指揮監督をして教育を従来の形態とは違つた形に進められようとするこの職員法との間に、どういうような教育行政のあり方を規定せられておるのか、この点について大臣からひとつお答えを願いたいと思います。
  28. 田中義男

    田中(義)政府委員 第一項と第二項の、自治法との関連において、一応の御説明を申し上げまして、その点については御了解をいただいたように伺つたのでございますが、条文をお引きになりましたように、百四十六条の場合と百五十一条の場合とに二様あるのでございまして、そのいずれをとつたか、こういう問題になるので、決して自治法に違反しておるという事柄ではないはずであります。そこで何ゆえにかような規定をとつたか、こういうお話になりますならば、今回地方に事務委任をいたしましたのは、これは国家公務員に関する人事の委任でございまして、他の一般の事務とはまたその間おのずから異なつた事務でございます。のみならず御承知のように百四十六条等の手続を経べく、あまりに人事関係につきましては迅速なる処置をも要するのでございます。従つて第二項のような、つまり地方自治法の百五十条の線に沿いました規定をここにとつたわけなんでございます。特にしばしば繰返して申し上げますように、何といつても国家的な規模において義務教育の運営をする必要も根本問題としてはあるのでございまして、各府県間の不均衡の是正というような問題になりますと、当然文部省がその間いろいろと規正をして行く必要も起つて来るわけでございます。特に第二項の代執行の問題の内容になりますと、特に給与問題になりますと、ほんとうに適正なる法の執行なり、あるいは規定の執行をしていただきませんと、これが乱脈になりまして、財政上その他の関係からとても背負えるものではないのであります。従つてそれらの点について特に第二項の必要がある、かように考えておるのでございます。
  29. 辻原弘市

    ○辻原委員 ただいま私は二つの質問を申し上げましたが、大臣からはまだ御答弁がありませんので、なお追加いたしまして大臣にも承りたいと思つております。田中さんの御説明でありますが、こういう問題につきましても一応私は自治法の法律解釈を云々しているのではなくして、問題は地方自治法は地方行政を円滑ならしめるための地方自治尊重の立場に立つ法律である。そういう観点からものを申し上げているのでありますから、その建前をくずすということは、これは地方自治に対して新たなケースを出して来るというように考えざるを得ないので、問題を指摘いたしておるのでありますが、ただいま百五十条と百四十六条との二様があるので、どちらをとつてもさしつかえないというお答えでありました。これは田中さんどういうようにお考えになつているかしれませんけれども、多少頭が混乱しているのじやないかと思いますので、重ねて申し上げますが、百五十条は、これはお読みになればすぐわかりますように、いわゆる地方公共団体が機関委任を受けた事務に対してどうあるかということを規定してあるので、この第六条の第一項との関係によつて生れた法律であることは明瞭である。私が申し上げている第百四十六条というのは、その場合に国がどうあるべきかということを規定してある。国がどうするかということを規定してある場合、第六条の規定と自治法の手続、いわゆる二項以下の手続の規定とは大きな相違があるということを申し上げて、その相違についてまずお認めになるかどうか、そういう御答弁であるならば、私はこの点から質疑を始めなければならぬと思いますが、まず相違のある点についてはこれは明瞭でありますので、このことは文部当局もお認めになると思うのでありますがいかがでございますか。
  30. 田中義男

    田中(義)政府委員 最初のお話が第一項と第二項について自治法との関連において矛盾があるじやないか、こういう御指摘がございましたから、その矛盾はございませんと、こうお答えを申し上げているのでございまして、従つてこの第六条を置いたがために自治法の規定するところと背反するのだ、こういうことにはならない。そのことについての御説明をいたしておつたのでありまして、従つて私が引きましたのは、百五十条というのは間違いで、百五十一条の規定に基いてかようなことがあるのであつて、その解釈その他を援用しても決してこの条項が矛盾したものでない、かように実は御説明をいたしておるつもりなのでございますが……。
  31. 辻原弘市

    ○辻原委員 百五十一条を援用されたならばその点については一応了解いたします。さりながら問題はここで私がこの前も申し上げたが、まだこの点に対する細野さんの質問から若干立ち至つているのでありますけれども、明確にいたしておきませんと問題が出て参りますので、さらにお伺いをいたしたいのであります。私が指摘いたしておりますのは、少くとも人事行政などというものに対しては、これは最大限――少くともその委任をした機関において自主的に取扱わせるということでありまして、特に人の配置とか人事問題というのには、絶えずいろいろな横やりが入るということは、これは人事という特異な事務をお考えになれば一目瞭然でございます。それなるがために、特にこれが国が関与する場合においては愼重に取扱わなければならぬということは当然である。にもかかわらず、このことに関してのみこれはそういう手続をやめにしている。こういう点については、私はなぜそういう必要があるかということを伺いたい。たとえばいま少し詳細に申し上げますと、免許法の第十九条を見ましても、やはり同様の規定がありますが、この場合においては、御承知のように国から委任を受けた授与権者がそれに対して免許状を交付する。そうして、国の規定、法律に背反したという場合においては、やはりそれの取消しを要求するという場合においては自治法の百四十六条をそのまま引用しておる。同じ教育法規の中において、少くとも私は、人事行政よりももう少し免許状の授与というものは明瞭であると思いますが、どちらにウエートをかけるかといえば、どちらも大半でありますけれども、免許法よりも人事行政が軽いということは一般常識でもつてしても言うことはできないと思います。その比較的軽いものであつても、このように大事に取扱つて、地方が一ぺんきめたことに対しては、中央が簡単にそれに直接関与できるということはやつていないにもかかわらず、ここにおいてそういう直接関与ができるという規定を設けたということは、今までの地方の関係と国の関係においてはおそらく初めてであろうと思う。またこの前御質問いたしました結論からも、ほぼ初めてであるという断定を私自身は持つておるのでありますが、初めてこういう道を開かれるということには特別の理由がなければならない。いわゆる国が人事を直接に掌握したいという気持がなければ、ここまでの規定は設ける必要がないと私は考えるのでありますが、それらの規定を設けた理由について、これは政策的な問題でありますので、大臣から明確な御説明を現状に照らしてそうせざるを得ないというお答えがあれば承りたいと思います。
  32. 田中義男

    田中(義)政府委員 私からもお答え申し上げますが、何ゆえにこの条項を置いたかということについては、先ほど来申し上げる通りでございまして、ともかく、国家公務員の人事を委任したのだということで、従つて、それをそれぞれ処置いたします場合、その人事の性格からいつて、その処置についても、これを迅速に処理する必要もある事柄なのでございまして、従つて、それらのことからこの規定を置いた、こういうことを今繰返し御説明いたしておるのでございます。特に、御承知のように、すでに第一項において法律委任をいたしました事務でございますから、従つて、それを文部大臣において干渉がましく軽く扱うつもりでは全然ありません。またそうすべきものではございませんで、どこまでも第一項のこの精神に沿つて、そしてよほど大きな影響を及ぼすような特殊な場合にのみこれは適用さるべき条項なのでございます。
  33. 辻原弘市

    ○辻原委員 説明によりますと、これは非常に急を要する問題だ。だからそういう時間的な従来の規定では手間がかかる、従つて、そういう手間を省くためにこの規定をとつたのだという御説明では、私はなおわからなくなつて来るのであります。その次の項を見てみましても、別段手間のかかるような方法はとつていない。第三項あるいは第四項を見てみますと、少くとも、請求によつてその事由の発生した日から十五日以内にこれをとり行わなければならぬということも規定している。一面翻つて考えてみますと、人事行政がそう簡単にてきぱきやられたのでは、これは過誤を犯すもとになると思うから、特に人事行政については愼重な取扱いをしなければならぬ。いわゆる地方がどういう経過においてそういう間違いを起したのか、そういう点の調査をするには、少くともこれは相当の日子を要するということも考えなければならぬし、あるいは単に国と地方との関係ではなくして、第三者の公正な意見も聞かなければならぬ。そういうことになりましたならば、むしろ至短時間にそれをやるということの目的よりも、その原因を探究して是正をするという公正な判定の上によりウエートをかけて行かなければならぬということを考えるのであります。至短時間的に早くということでは、特別にこの規定を置いた理由にならぬと私は思いますので、いま一度その点について御説明を願いたいと思います。
  34. 田中義男

    田中(義)政府委員 迅速を要する、手間をかけることは困るということだけでは、お話のように理由は薄弱だと思います。しばしば申し上げますように、事柄の性質上、かようにひとつ御理解をいただきたいのでございます。なお、何かこういうふうな規定があることは、非常に利益侵害にでもなるように響くのでございますけれども、そうではなくて、むしろ個々の利益をも保護しよう、進んで一般の利益をも保護しよう、こういう積極的な立場において考えておるのでございまして、決してこれを簡単に片づけてしまおうといつたような、そんな便宜主義のみで考えているわけではございません。
  35. 辻原弘市

    ○辻原委員 この点については、田中さんにはまことにお気の毒でありますが、至短時間にやりたいという理由でやられたのだ、それはおかしいじやないかと申し上げれば、いやそうではございませんので、ただ人事行政の特異性に基いて、というような御答弁があるのであります。こういうふうにこういう重要問題に対してはつきりとした見解をお持ちになつておらないということはまことに遺憾であります。たびたび申し上げておりますように、これがこの項だけでありますならば、さして問題にするに足らぬと思うのでありますけれども、少くとも、今般この法律によつてやろうとしている人事行政は、先ほども山崎委員あるいは細野委員から指摘されましたように、こればかりではなくして、市町村長の協議の上で、協議が整わない場合においては文部大臣がその裁定権を持つている。その上になお人事行政に対して直接に、しかも田中さんの言葉を借りて言えば、至短時間にこの代行機関になつて、その人事行政取消しすることもできるし、左右することもできるというような、厖大な権限を持たしているところに問題の重要性がはらんでおると思うのであります。そういう点をただ理由なしにとり行われたのでは、これは私たちも了解しがたい。少くともこの項については、こういうふうにただいままで教育委員会が行つた人事行政において欠陥があつたから、これは他の地方行政とは違つて、少くとも、第三者の高等裁判所のそういう一つの判定ということを必要とせずにやるだけの根拠があるのだ、というように御説明いただきましたならば、人事行政というようなむずかしい、問題に対して、そういう大きな欠陥があるならば、あえて私たちもこれに反対する理由は持ち合せておらないのでありますが、ただいままでの御説明によりますと、何だか早くやりたいのだ、早くやらねばならぬのだ、だから手続を省くのだというようなことを申されている。しかも、それはおかしいじやないかと言えば、そうじやないのだ、特異性なのだというような抽象的な言葉でこれを糊塗されているということについては、はなはだもつて了解しがたい。この点について、この法律を規定された特別の理由についてひとつ大臣のお考えを伺いたい。
  36. 岡野清豪

    岡野国務大臣 先ほどからお話を伺つておりますと、昔のような感じでおられるのじやないかと――これは私の邪推かもしれませんが、いかにも、権力を天皇陛下からいただいている者が中央において、そうして教員の身分とか教育委員会とかいうものと対立しているのだというようなことを潜在的に意識されなければ、そう強くはおつしやれないだろうと思うのであります。私は文部大臣をしておりますが、民主的に文部大臣なつたのです。そうしていつかも申し上げましたように、教員というものは文部大臣と一心同体であるべきはずで、われわれは愛をもつて教員に接し、また教育委員会がほんとうに民主的にやつて行くというような方針に進んで行くならば、われわれも同じ方向なんですから、そう対立するはずはないのであります。そこで問題は、国家公務員にしましたらやはりこれだけのことをして――しかもほんとうを申しますれば、国家公務員にして、文部大臣がすべての人事権を自由自在にやるのがほんとうなはずなんです。これは地方の教育委員会という、地方で自主的に教育を運営している人、その人にほとんど全権をおまかせして、そうして例外の場合だけ何とか文部大臣が御助力したい、こういう意味でございますから、私は、それほど大した問題じやないと考えております。
  37. 辻原弘市

    ○辻原委員 私は、それほど大事な問題ではないとは考えないのであります。大臣がたびたび言われておりますような一つ社会観をもつて物事を考えますると、それはもう、制度も機構もあるいは法律というものも必要ない。その人が自分考え、そうしてうまく運用すればすべては――たとえば今お話がありましたように、愛をもつて導いて行けば、同じ考えに基いているのだからそれはうまく運営できるだろう、こういうふうに簡単には考えられない。そういう形式論でやるならば、それはかつて私たちが敗戦の直後から問題にしていたように、日本の国家権力なりあるいは独裁政治というものを是認しなければならぬ。少くともあの当時においても、やはり民主的な議会という形において公選によつて選ばれ、そうして運用されながら、事実は独裁という形になつていた。少くとも天皇の大権というものと議会との関係においても、これは憲法の定むるところにより、制度としては一応存在したわけである。ただ問題は、その運用に運用できる余地と運用に当つた人の考えによつて、少くとも憲法に定められた通りの目的が果せなかつた。これがただいまわれわれの批判する大きなところとなつている。だから少くとも、これは大臣のお話のような形が考えとしては存在をしても、実際問題として法律上それが悪用できる、制度上その間隙を縫つて利用して行こうとする余地がある場合においては、せつかく大臣が善意をもつてそのことを考えられましても、いつまでも岡野大臣のようなりつぱな考えを持つておられる人が、全部が全部文部大臣になられるとは限らない。全部が全部政府の要路に立つて、国政を運用されるとは限らない。そういうふうになつた場合に、ここに私が指摘するように、逆用をやろうとすればこの法律ではできるわけです。だから今ここでわれわれが立法する場合には、少くともただいま考えられ得るそういう危険性について完全に除去しなければ、われわれが法案を十分審議する責任をまつたく果したとは申されない。そういう立場から申しているのであります。従つてここに文部大臣が第一義的な立場にないんだから、国が持とうとあるいは地方が持とうと、そういうことには別段こだわらなくてもいいんじやないかとおつしやいますけれども、しかしながら法律上完全に、これが関与できるということを規定しておる。だから、関与しないんだからそういうことはございませんよと申しましたところで、一たび関与したら一体どうなるか。だからそういう関与でき得るような、あるいは悪用できるような規定については、できるだけこれをわれわれが排除して行く。地方が十分独自的にやつて、国が関与する場合といえども、手続上はきわめて愼重な立場をとるということが、今大臣が述べられたようなことをこの法律の趣旨に盛り込むにはふさわしいものである、そういう意味合いで私は申し上げております。従つてそういうお考えであるならば、これは他の法律の規定においても、あるいは自治法においても、何もそういう七めんどくさいことをやる必要がない。しかしなおかつ今まで、そういう第三者機関の手続を経てやるという非常に迂遠な方法をとつているゆえんのものは、大臣のようなお考えの人ばかりでないということを、法律は絶えず警戒をいたして規定をしておるものなのです。だから今回の場合だけその警戒をしないで独断的に規定したのは、私は大臣の言われるように、その必要がないからだということでは納得ができない。その警戒することの必要よりもさらに強い、そうしなければならない理由が存在しなければ、かかる規定をさようでございますかと言つてわれわれがここで承認することは、事実上非常にむずかしいということを申し上げる。だからその点について、そういう警戒よりもなおこういうふうに規定した方がよろしい、こうしなければならないのだという理由が明らかにせられない限り、われわれとしてこの法律については、そう問題にしなくてもいいじやないかという、大臣のお考えに賛意を表するわけには参りません。従つてぜひいま一度その点について、私はお伺いをしておきたいのであります。
  38. 岡野清豪

    岡野国務大臣 これは国が義務教育に対して持つておる責任を明らかにするという意味から、こういうような法案を出したのであります。詳しいことは局長から申し上げます。
  39. 田中義男

    田中(義)政府委員 いろいろ御説明をいたしておるのでございますけれども、先ほど私が申し上げました迅速を要するといつたようなことは、いろいろなことに加えて申し上げたのでございまして、全然それだけだという意味じやないという意味で先ほど申し上げたことを御了解いただきたいと思うのです。なおこれは御理解いただけますように、この人事行政は内部の管理事務でございまして、御引用になりましたような免許法に関する一般行政事務等とは、やはりおのずからそこに性質がかわつたものでございます。従つてそれらを勘案して、そうして命令あるいは規定等が行われない場合の最後の救済手段としてここに掲げた次第なのであります。
  40. 伊藤郷一

    伊藤委員長 午前はこの程度にしていかがですか。     〔「賛成」と呼ぶ者あり〕
  41. 伊藤郷一

    伊藤委員長 それでは午後二時半から再開することとし、休憩いたします。     午後零時五十六分休憩      ――――◇―――――     〔休憩後は開会に至らなかつた