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1953-03-09 第15回国会 衆議院 文部委員会 第16号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年三月九日(月曜日)     午前十一時二十二分開議  出席委員    委員長 伊藤 郷一君    理事 坂田 道太君 理事 竹尾  弌君    理事 坂本 泰良君    北 れい吉君       小坂善太郎君    近藤 鶴代君       永田 亮一君    長野 長廣君       水谷  昇君    小島 徹三君       笹森 順造君    椎熊 三郎君       三木 武夫君    菊地養之輔君       細野三千雄君    小松  幹君       山崎 始男君  出席国務大臣         文 部 大 臣 岡野 清豪君  出席政府委員         文部事務官         (初等中等教育         局長)     田中 義男君         文部事務官         (大学学術局         長)      稻田 清助君  委員外出席者         文部事務官         (大臣官房総務         課長)     福田  繁君         専  門  員 石井  勗君        専  門  員 横田重左衞門君     ――――――――――――― 三月九日  委員安藤正純君、東郷實君、田中久雄君、芦田  均君及び辻原弘市君辞任につき、その補欠とし  て近藤鶴代君、小坂善太郎君、椎熊三郎君、小  島徹三君及び小松幹君が議長指名委員に選  任された。 同日  委員小坂善太郎辞任につき、その補欠として  廣川弘禪君議長指名委員に選任された。     ――――――――――――― 三月九日  学校教育法等の一部を改正する法律案内閣提  出第一五七号)  大日本育英会法の一部を改正する法律案内閣  提出第一六三号)  教育委員会法及び教育公務員特例法の一部を改  正する法律施行に伴う関係法令整理等に関  する法律案田中久雄君外二百三名提出衆法  第四四号)  教員免許法施行法案辻原弘市君外二名提出、  衆法第五三号) 同月七日  学校図書館法制定に関する請願笹森順造君紹  介)(第三六六〇号)  同(石坂繁紹介)(第三六六一号)  育英予算復活に関する請願田中久雄紹介)  (第三六六二号)  学校給食法制定等請願赤城宗徳君外四名紹  介)(第三七〇三号) の審査を本委員会に付託された。 同日  教育委員会制度改正陳情書外十一件  (第一  八五五号)  同外十一件  (第一八五六号)  義務教育費国庫負担に関する陳情書  (第一八五七号)  義務教育費国庫負担制度に関する陳情書  (第一八五八号)  同(第一八五九  号)  同  (第一八六〇号)  義務教育学校職員法案に関する陳情書  (第  一八六一号)  同  (第一八六二号) を本委員会に送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  連合審査会開会に関する件  義務教育学校職員法案内閣提出第七三号)  義務教育学校職員法施行に伴う関係法律の整  理に関する法律案内閣提出第七九号)     ―――――――――――――
  2. 伊藤郷一

    伊藤委員長 開会いたします。  地方行政委員会及び人事委員会より連合審査会開会の申入れがございました。これはかねて一度開くことになつておりまして。日程をいろいろ勘案してきめることになつてつたのでございますが、理事と御協議の結果、十二日午前十時より開会いたすことにいたしたいと存じますので、御了承をお願いいたします。     —————————————
  3. 伊藤郷一

    伊藤委員長 なお来る十一日の公聴会公述人の選定は、各党理事と御協議の結果、次の方々を選ぶごとに決定いたしました。学界代表慶応大学助教授山本敏夫全国知事会代表茨城県知事友末洋治全国教育委員会連絡協議会、松澤一鶴、全国町村会長白鳥義三郎日本教職員組合委員長今村彰現職教員中部中学校校長田中忠吉PTA代表村上儀憲言論出版界代表、小汀利得出版協会会長石井満全国地方教育委員会連絡協議会常任理事鈴木久芳婦人代表、神奈川県社会教育委員徳永アサ、以上でございます。  ただいま申し上げました十一名の方方を公述人に指定するに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 伊藤郷一

    伊藤委員長 御異議なしと認め、さように決しました。     —————————————
  5. 伊藤郷一

    伊藤委員長 次に義務教育学校職員法案並びに義務教育学校職員法施行に伴う関係法律整理に関する法律案の両案を一括して議題とし、前会に引続き質疑を続行いたします。山崎始男君。
  6. 山崎始男

    山崎(始)委員 文部大臣にお尋ねいたします。私は、大体行政の面と財政の面との二つにわけてお尋ねいたしたいと思うのであります。まず行政の面から同僚議員の御質問と重ならないように注意いたしてお尋ねいたしたいと思いますが、非常に重要なる点、あるいは大臣の今までの御答弁の中で非常にあいまいなる点は、お尋ねが重なるかもしれませんが、御了承をお願いいたしたいと思います。  まずこのたびの重要法案が、非常に大きな意味を持つた法案であるということは申し上げるまでもありません。最初今年の初頭に、全額義務教育費国庫負担法という名におきまして世間に伝わりましたときには、子を持つ親、国民一様にありやというような実は感じを受けたものであります。ところが日がたつに従つて、だんだんこの内容その他がわかりかけて来ますると、この法律案はとんでもない法律案だというような印象を多分に国民は持つておるわけであります。その証拠には、全国都道府県知事はもとより、教育委員会あるいはPTA婦人団体文化団体、五十万有余の教育専門家である学校の先生、すべてがこの法案に対して反対陳情その他請願をやつておりまするが、おそらく大臣のおうちにも直接にたくさんな反対意思表示があつたものだと思うのであります。文教最高責任者としての大臣の御心境をまず承りたいと思うのであります。
  7. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。全額国庫負担ということで、全国皆様教育費について国庫が全部負担してくれるんだ、もうPTAの寄付もいらないのだ、すべて国が出してくださるのだ、こういうような誤解が起きまして、そしていろいろ反対の運動が起きた、これは私承知しております。ただ問題といたしましては、これは皆様方を通じて全国皆様によく御理解を願いたいと存じますことは、御承知通りに昨年できました義務教育費国庫負担法というものがございます。この義務教育費国庫負担法は十分御承知のことでございましようが、教員給与平衡交付金であつてはどうもその確保ができないから、やはり国庫負担してくれるようにというような希望全国にほうはいとして起りました。それによつてできましたのが、昨年の義務教育費国庫負担法であります。義務教育費国庫負担法といいますものは、御承知通り給料半額、同時に教材費の一部を国が補助する、こういうことでできておつたのでございます。そこでこの半額では不徹底であるから、全額にしようということを政府考えまして、そうしてこの四月一日から当然実施せらるべく、義務教育費国庫負担法に盛られておりますところの給与費全額にするんだ、こういう意味を強く釘出す意味におきまして全額言つたのでございます。しかし私ども考えておりますことは、これは第一歩であつて、行く行くは憲法二十六条に規定されております通りに、財政の許す範囲内において、おいおい国は義務教育に関してはできるだけ財政措置をいたしまして、父兄の負担を軽くして行きたい、こういうような希望でおる次第でございます。そのまず第一着手といたしまして、給与費半額を今回は全額にしたい、こういうことでございます。そこで閣議決定いたしました場合には、すなわちほつておけばこの四月一日から運営せらるべき義務教育費国庫負担法というものの内容を、全額にするのだということをわかりやすくするために、全額国庫負担制度と実はかえたわけです。しかし閣議決定の当時からしまして、表題といたしましては、公立義務教育学校職員身分及び給与負担特例に関する法律案要綱ということで、実は閣議決定上でおつた次第でございます。われわれといたしましては、その徹底を欠いたということは非常に遺憾を感じますが、しかし義務教育費を無償にして行こうというその第一歩といたしまして、昨年できました半額給与費を行く行くは全額にして行く。やはりただいまも法律ができまして教科書を無償配付するということになつておりますが、これはただいまのところでは一学年だけであります。これも全学年においおい進めて行きた、学校給食も一昨年ガリオア資金がなくなりまして以来は、農林省の予算措置をしておりますけれども学校給食というものを確立して行きたい、またいろいろ学校の施設なんかにも国が補助を出しておつて、そうして財政措置の許す限りにおいて十分なる程度予算措置を将来やつて行きたい、こういうものの第一歩全額、すなわち給料半額でなくて全額にする、こういう意味で着手した次第でございます。この点は皆様方から一般によく徹底するように啓蒙していただくならば、まことに仕合せでございます。
  8. 山崎始男

    山崎(始)委員 大臣は、この法案に対するそういうふうな自分の意図というものが世間にわからないから、ただいま申し上げたような反対が起つているのだという御説明のようでありまするが、この法案をお出しになります前に、このようなたいへんな反対が起るであろうということを予測されてお出しになりましたか。このくらいの反対は当然だ、少々反対があつて自分はやるのだというような、最初から現在の反対というものを予想されていらつしやつたのでしようか、どうでしようか。
  9. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。実はこの法案世間に発表されましてから、非常に反対が多いことを聞いて、自分自身としてまことに遺憾に存じておる次第でございます。これをつくりましたならば、おそらく非常にお喜びくださることと実は思つてつたのです。ところがあにはからんや、これに対して非常な反対が起きて御承知通りのことが起きておるのであります。問題は、とにかく私自身考えといたしましては、初め出しますときに、もうこれは平衡交付金ができました以来の要望をかなえることにしたのですから、おそらく教員組合世間一般も非常に喜んでいただけると思つて、私はうぬぼれておつたのです。ところが結果といたしましてこういうことになつた次第であります。
  10. 山崎始男

    山崎(始)委員 文部大臣就任早早、ある会合の席上で、自分文部大臣ではあるが、あくまで自由党党員である、こういうふうな意味のことを申されました。私もまことにそれはもつともだ、大臣のお言葉に何ら誤りがあるとは思わないのであります。問題は、文教責任者としての文部大臣のお気持の中に、いわゆる党の一つの方針というものと、教育行政をあずかる大臣のお立場として、これじや実にまずいのだ、せつかく党が言うのだが、これはほんとう言うたら純教育的に考えた場合にはおもしろくないのだというような矛盾が、これはだれだつて必ず起ると思うのであります。他の省と違いまして、文部省というような仕事の内容を持つた省の責任者としては、ほかの省には比較にならないほどの矛盾したような立場が起り得ることがしばしばあると私は思うのです。それはやはり省の性格上、教育という一つの厳粛なる精神的な非常に高度なものを対象としておるというところから、私はそういう面が非常に多いのじやないかと思うのであります。教育委員というような職柄から見ましても、アメリカあたりでは、教育委員といいますと社会奉仕の念の最も厚い人間がなるので、死んだときには最高の贈り言葉が贈られると聞いておるのでありますが、それは教育という一つ対象純粋性から来ることだろうと思うのであります。そういうふうな関係で、大臣といたされまして、政党人という立場大臣と、いわゆる純教育というものを考えられた場合の矛盾をどういうところをもつて調和をとつて行かれようとされますか。大臣就任早々に申されたところの、自分文部大臣ではあるが、あくまで自由党党人だというそのお気持は実によくわかるのでありますが、この一点をひとつお聞かせ願いたい。
  11. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。私といたしましては、今までの終戦後の大臣のごとく学者でございません。ほんとうに浅学菲才な者でございます。同時に自由党人であるという意味におきまして、皆様方の御不満な点もおありであろうとは存じますけれども、今の政治政党政治でございますから、やはり内閣を組織します以上は、党員がその部署につくのが常道だろうと考えます。そこで私自身といたしましては、自由党員であるから自由党と離れることのできない立場におる、しかし教育というものにつきましては、御承知通り日本国憲法もございますし、教育基本法もございますし、また学校教育法というようなそういう一連のりつぱな憲章がございまして、われわれといたしましてはその憲章範囲内において教育を刷新して行くということにはむろん没頭するわけでございます。ただそれをいかに運営するかについては、党によりましていろいろ差があるだろうと思います。社会党が政治をなさるときにはその教育基本法をどう運営するか、また改進党が施政をなさるときにはどういうことになるかということは、日本の大きな政治の大勢から申しますれば、そこに初めて政党の価値があるのでございまして、その政党の目途とするところにできるだけ経綸を行つて行くということは当然であります。しかし御承知でもございましようが、これは私自身といたしましては、皆様方に申し上げることが非常にはずかしい次第でございますけれども就任早々直後のときに、自由党といたしましてはいろいろこうしたいということがあつたに対して、私は党員大臣でございますけれども自分自身考えとしては、それはそうでないというようなことも申したこともございますし、私は公正に教育の本旨を尊重して今後政治をやつて行きたいと考えておりますから、よく御了承を願いたいと思います。
  12. 山崎始男

    山崎(始)委員 よくわかりました。それに関連しましてこの機会ちよつとお尋ねいたしますが、最近ハイアライ法案というものが非常にやかましく言われております。特に自由党人たちは非常にこの法案に御熱心だということを聞いておるのであります。ところが世間反対、その反対もほとんどがいわゆる社会教育その他教育という面から来る反対の声が非常に多いのだろうと私は思うのでありますが、これに対しまして大臣は、いわゆる政党人というお立場と同時に、文部行政という一つのお立場から、正式に文部大臣という立場において、抗議を申し込むとか、あるいはこの法案がもつてのほかだというような意思表示を、この国民の声にこたえてなさつたことがありますかどうか、ちよつとこの機会にお尋ねいたします。
  13. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。ハイアライ法案については、自由党議員が署名いたしまして出したことは事実でございます。しかしながらこれにつきまして、閣議は閣内一致しましてこれに対して反対するという内定をしておるわけでございまして、私は文部大臣といたしまして、党がいかようであろうとも、また世間いかようであろうとも、文部大臣立場といたしましてはこの法案にはあまり賛成ができないということから、閣内においては相当の主導的立場をもちまして、これに反対をした次第であります。
  14. 山崎始男

    山崎(始)委員 義務教育学校職員法案は、大体新聞面の伝えますところによりますと、本年初頭に大蔵省との話合いがどうもうまくついていないような印象国民は持つていると思うのであります。といいますのが、昭和二十七年に通過いたしました義務教育費半額国庫負担、これに対して大蔵省は一年延期するという、文部省の方としますと全額国庫負担自治庁自治庁でもつてこの法案に対して最初反対であつた、どうも大蔵省自治庁文部省、この三者が非常に足並が乱れておつたというような新聞面もありました。国民はこういう点に対しまして実は非常な疑惑を持つておる。おさしつかえのない範囲においてその間の経緯をお話願えればけつこうだと思うのであります。
  15. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。これはいろいろ内部のことでございますけれども、二十八年度の予算を編成いたします場合に、なるほど大蔵省は一年延期したらどうかという意見も出ました。それから文部省といたしましては、私としては義務教育費国庫負担法内容のことでございますが、全額を出すようにした方がいいだろう、それに対して自治庁の方面ではいろいろの観点から、自治行政上からの御意見が出たわけでございます。これは御承知通り閣議は一人が言い出してそのままそれをうのみにして行くということではございませんで、お互いに立場々々によりまして自分意見出し合つて、そして閣議の結論を得るということになるわけでございます。そうして御想像のごとく、大蔵省は一年延期をしたいという希望でおつたし、自治庁の方でもやはり延期説賛成のようでもありましたが、私はただいま出ているような学校職員法出した方がよいということにしまして、幾たびも閣議を開きまして、結局この案におちつくことに閣内全会一致できまつたわけでございます。そこでそれによつて予算を編成した、こういうことになります。いきさつはただいま申し上げたようなわけでございます。
  16. 山崎始男

    山崎(始)委員 国民のいわゆる疑惑と不安が大きいので、重ねてお尋ねいたしますが、大体この法案文部大臣御肩身がお考えになつて、それを事務当局にお伝えになつて事務当局の方でそれを立案されたのか、あるいは占領政策の是正という観点から、自由党の方において先にお考えつかれて文部大臣に言われたのか、この点に関しまして大臣は、全額国庫負担というものは自分自治庁長官時代にすでに考えておつた半額のようなことでは中途半端でいけないから、半額には反対だというようなことも申しておられるようでありますが、この時間的な関係というものと、どこがこの法案最初考え出されたのか、これまたおさしつかえのない程度でお答え願いたい。
  17. 岡野清豪

    岡野国務大臣 選挙に臨みます当時私は学校教員のお方の給料半額ではなくて、やはり全額にした方がよいだろうというようなことを党に申し入れたことがございます。でございますから、党が昨年の秋の選挙に臨みます場合には、いわゆる全額国庫負担ということを一つの政綱の中に入れておつた、それから予算閣議のときにおきまして、私からいわゆる義務教育学校職員身分給与に関する法案を申し出まして、閣議意見一致しましたので、自由党の方でお助けが願えるかどうかということで、自由党総務会におきまして私は申し上げた、そしてその当時自由党総務会においても、私の意見並びに閣議決定したことを支持する、こういうことになつて今日に至りておる次第でございます。
  18. 山崎始男

    山崎(始)委員 この法律案は非常に準備不足だという印象国民が抱いておりますことは、文部大臣も御存じのはずだと思います。文部大臣地方制度調査会に持つて行つてこの問題を諮つておられない、先年末新潟大学の分校の問題、その他大臣就任早々例の地方教育委員会設置の問題に対して世論がやかましかつたときに、この地教委設置改正意思があるかないかという尋ねに対しましても、文部大臣はいずれ地方制度調査会ができるから、それに十分研究してもらうつもりだ、自分はロボツトなんだから、こういうふうな専門家の集まりに聞かなければ、自分としては判断ができないのだというような、それに類した言葉を先年末の文部委員会におきまして文部大臣は言うていらつしやる。ところが国民疑惑が大きいのは、こういう重要なる法案でありながら、一度もお諮りしていないということ、われわれもこれを非常に遺憾とも思い、同時に国民がそういうような疑惑を持つのも当然だと私は思うのであります。大臣の前会の御答弁の中に、予算的な関係の上において、これを地方制度調査会に諮問することができなかつたんだという、予算との関係と言われるわけでありますが、これが十分に準備をされてお出しになつておられるものならば、そういう論理は成り立たぬと思うのであります。同時にまた時間的に予算編成期の最中にお考えになつたのかどうか知りませんが、そういう重大な法案であればあるだけ、相当な準備期間がいるのじやないか、またそれだけの心構えがあつてしかるべきではないかと思うのであります。単なる予算関係ということによつて地方制度調査会へお諮りにならなかつたということは、どうしても納得できない。われわれから言いますと、何ゆえに急いでこういう法案をやぶから棒に出さなければならないか、りつぱな地方制度調査会というものがあるにかかわらず、それに諮らずにこんなにまで急いでこの法律案を出さなければならない理由がどこにあるか、しかもこの法案目体内容におきましては、文部行政だけに関する法案じやない。地方における税制の改革あるいは財政改革、この三者が渾然と溶け合つた一つ研究の結果においてこそ、これはお出しになるべき筋道だと思うのであります。こういう点につきまして、大臣の忌憚のないお考えを承りたいと思うのであります。
  19. 岡野清豪

    岡野国務大臣 準備不足というようなお言葉でございましたが、全額国庫負担につきましては、文部省の方でも前々から非常に希望しておつたものでございますから、事務的には相当研究が積んでおります。それから私の考えといたしましては、半額がすでに決定して、この四月一日から実行しなければならないということになつておりますものですから、その準備はできておる次第であります。その半額全額になるのでございますから、準備不足ということはあまり言えないと自分では思つております。ただ問題は、地方制度調査会にかけることができなかつたことは非常に遺憾でございますが、これはいつかも申し上げましたように、予算閣議予算を早く決定しなければならないというようなことで、いろいろ研究をしておつたものでございますから、地方制度調査会にかけるひまがなかつた。また地方制度調査会発足のときに、緊急のときにはかけんでもよろしいというような御了解を得て本多君から話があつた。これにつきましては大体十七日にきまつたのでございますけれども本多大臣地方制度調査会の方へ一応諮問するからという話で、十日余裕を置きまして、閣議決定は正式には一月二十七日になつておる次第でごごいます。私どもといたしましては、大きなことをいたしますにつきましては、なるほど地方制度を根本的に改正し、同時に地方税と国税とをよく調整し、平衡交付金法もかえ、大きな動きをしてやらなければならぬ。すなわち万全を尽す意味におきましてはそうしなければなりませんが、しかし半額にするか全額にするかということの性質の差は、そう大してございません。と同時に四月一日からやらなければならないものでございますから、まず一応これを打出しておきますと、私の考えといたしましては、ごく率直に申しますれば、これが結局きつかけとなつて、税法とか地方制度の全般的な検討が促進される、こう考えておる次第でございまして、むろんこの際万全を尽し得なかつた、また尽す時期に至りませんでしたことは遺憾でございますけれども、しかし過渡的経過措置といたしまして、二十八年度をこういうふうにし、二十九年度から本質に入るということに行くことは、一歩前進したものと考えております。
  20. 山崎始男

    山崎(始)委員 文部大臣は、教育基本法あるいは教育委員会法立法精神に対して、どういうふうなお考え方を持つていらつしやいますか。
  21. 岡野清豪

    岡野国務大臣 たいへん広汎な御質問でございまして、どの点を強調してお答え申し上げてよいかちよつと……。
  22. 山崎始男

    山崎(始)委員 一言に申しますと、立法精神を尊重した教育行政をやられるのか、あるいは遺憾な点が多いけれどもしかたなしにやるという気持なのですか、その点をお聞かせ願えればと思うのであります。
  23. 岡野清豪

    岡野国務大臣 むろんわれわれは執行部の職員といたしまして、日本国憲法を尊重し、同時に教育基本法をほんとうに金科玉条といたしまして、それに従つて教育行政行つて行きたいという考えでおります。
  24. 山崎始男

    山崎(始)委員 文部大臣は、先日来の御答弁を聞いておりましても、憲法なりあるいは教育基本法なり、あるいは教育委員会法立法精神を、お言葉の上では尊重されると言うていらつしやるのに、御答弁内容には尊重されていらつしやらないお言葉が多々見えるのであります、このたびの義務教育学校職員法案は、極端な表現をいたしますと、教育委員会法立法精神と全然正反対だということがいわれると思うのであります。と申しますことは、教育委員会法立法精神は、教育委員会法の第一条にございますように、教育が不当な圧迫から支配されることを防がなければならない、国民みずからが面接にこの行政に当るんだ、いわゆる民意を代表するんだという点、そうして地域の実態に即した教育をやるんだ、この三点が基調をなしておると思うのであります。ところがこのたびの職員法案内容は、義務制の学校の先生を国家公務員にされるということは、まつた教育委員会法精神とは相反することになるのじやないか。この点につきましてどういうふうなお考えを持つておられますか、お尋ねいたします。
  25. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。教育委員会法精神と国家公務員にすることとは、相背反するというようなお説でございますが、私はそうは考えておりません。義務教育というものは、国が最終的の責任を持つべき大事な基本教育でございます。その基本教育をする職員が国家公務員になるということは当然なことでございまして、この教育委員会法第一条に申し述べておりますところの趣旨には、何ら違反しない。むしろ教育委員会が各市町村にできましたことが、この国家公務員にすることにうらはらをなして、教育の運営がよくできて行くというふうに考えます。もし教育委員会というものが市町村になければ、これはいかにも中央集権化のごとく見えますけれども、この法案出しましたように、なるほど国家公務員となつて働いていただくのであるけれども、しかし教育委員会に、ほとんど法律をもつて人事権を委任している、そうして地方の実情に即した教育行政を行わしめるようにできている次第であります。
  26. 山崎始男

    山崎(始)委員 何がゆえに国家公務員にしたかという問題は、この義務教育学校職員法案を審議いたしまする上の非常に重要なる点でありまして、大臣の提案理由の御説明にも、この法案には二つの骨子がある、一つは国家公務員とすることであり、一つ給与全額国庫負担である、そして国の責任を明らかにするのだ、この二つの骨子に限定されておられると思うのでありますが、私たちがこの法案を論議いたしまする一つの最も重大なる点は、今大臣の言われた、義務制の学校職員を国家公務員にするというたところで、これが中央集権でないという論理であります。どうしてもこれは私たちには納得できないのであります。教育委員会法精神というものは、この第一条にあります通りに、国民全体に対して直接に責任を負つて行わるべきである。いわゆる国民の手による教育であり、国民のための教育である。そしてその教育の事務も、国民みずからがやらなければならない性格を持つておると私は思うのであります。大臣は、教育委員会へ持つて行つて権限の委任をやつたから、これは中央集権ではないと言われる。委任をやつたところで、権限の所有権者はあくまで文部大臣だと私は思うのであります。委任をしたものはあくまで委任でありまして、いわゆる借りものであると私は思うのであります。私は法律の学者でも何でもありませんが、これは人間の常識である。われわれ預金者が銀行へ預金をする、その金は一応銀行が委任をされ、委託をされて、その費途は自由であるかもしれませんが、あくまで預金者自体が必要なときには出しに行けるのだ。それと同じように、権限の委任をされたから中央集権でないという論理というものは、私はまことに遺憾に思うのであります。遺憾どころではない、この点は大臣が、いかに新憲法を尊重し、あるいは教育基本法を尊重するのだ、教育委員会法精神はあくまでおれは尊重するのだと、言われましても、絶対に尊重どころではない、私が先ほど申しましたように、右左の相違がある。  私は実は昭和二十三年に初めて県の教育委員に選ばれて出た者であります。もともと教育者でも何でもございません。小さな一工場の経営者にすぎませんが、妙な因縁からそういう立場になつたのであります。昭和二十三年に私たちが県の教育委員に選ばれたときに、文部省はいかなることを言うて指導をされましたか、この点、私はあとで資料を要求するつもりでありますが、当時アメリカから指導官が、この教育委員会制度に基く教育委員の指導に方々まわつたものであります。同時にまた、当時は軍政下でありますが、軍政部の教育課長というような者がやかましく申しまして、教育の民主化に基いて私たちはどんなことを訓練されたか、私はいまだにはつきり覚えておるのであります。これは一つの例で申し上げた方がよいと思いますから、大臣の御認識を得る上において申し上げますが、ちようど二十四年一月でありますが、教育長を置かなければならないという事態が起つたのであります。発足早々でありますから、教育長を選ぶことは当然でありますが、そのときに、正式にではありませんが、過渡期において暫定的にある人を教育長にしておつたのであります。ところが、その人が時の県知事と日ごろ親交があり、特別の関係がある、そういう理由によりまして、正式の教育長にはしては相ならぬ、教育は、その権限の上においては一般行政から独立しなければならぬし、あくまで県民による県の教育行政なんだ、だからその人を君たち教育委員会教育長にすることはとうてい納得ができない、ああいう立場の人がなつたならば必ず県知事と結託——というと言い過ぎるかもしれませんが、県知事との関係において、公正なる民意を代表した教育はできない、こういう理由だつたのです。私は、今回のこの義務教育職員法案のどこの点を見ましても、教育委員会制度立法精神は完全にこわされていると思う。その一つの例といたしまして、文部広報に、これは二月三日、九段の都道府県会館において開かれました協議会の席における劔木文部次官の言葉の中に、「教育委員会制度と国家公務員とすることは矛盾することでない。われわれは地方教育委員会の完全な発達を期待するものであるが、教職員の任命権や給与権が完全に地教委で行われるとすれば、国家的な事業の義務教育について、国家はその責任を放棄したものといえる。」こういうことを言つておられる。教職員の任命権や給与権が完全に地方教育委員会で行われるとするならば、国が教育に対する責任を放棄したものと言える、こういう論理なんであります。私はこういう一つのお気持というものが、文部大臣のお気持の中にも流れておるのじやないかと思う。地方教育委員会を育成しなければならぬということは、それに完全なる任免権や給与権をやることは相ならぬという言葉と私は同義だと思うのであります。はたしてこういうような考え方が教育委員会法精神にあるのでありますかどうですか、重ねてひとつお尋ねいたしたいと思うのでございます。
  27. 田中義男

    田中(義)政府委員 文部当局としての考え方を私から一応補足的に申し上げたいと思います。いろいろ御意見はございましたが、しばしば申し上げておりますように、義務教育につきましては、何といつてもこれを国家的な事業として、機会均等なり、水準の維持向上をはかりますためには、最終的には当然国の責任であり、国がそのための施策をなす必要があるのであります。それをさつき文部次官の言葉として引用なさいましたけれども、その内容は、すなわちただいま申しましたような意味において、完全に地方教育委員会それぞれが独立してしまつたのでは、その責任が全国的規模においては果し得ない、こういう意味だと考えるのでございます。完全自治につきましては、本来その事柄が地方公共団体の固有事務でございますれば、これは当然言えるわけでございますけれども義務教育につきましては、少くとも最終的に国が責任を持ち、そのためにこれに従事するところの教職員の方々の身分待遇等を国が直接保障しよう。そうしてそのことによつて全国的な規模においてその水準の維持向上をはかろう、こういうことなのでございます。現在におきましても、義務教育については、少くともその基本に学校教育法があり、なおまた内容的には学習指導要領等がございまして、その大綱についてはやはり国がこれを定めまして、その実施上の運用については、それぞれ地方教育委員会において、地方の実情に則するようにその実施を願つておるようなわけでございます。従つて義務教育の領域におきまして、これを国家公務員にし、その身分の安定を直接保障するということがすなわち自治侵害になるというふうにはならない、かようにいろいろ従来も申し上げておるわけなのでございます。
  28. 山崎始男

    山崎(始)委員 国家公務員にすることが自治の侵害になつたらたいへんなのでありまして、ならないのが私はあたりまえだと思うのであります。しかしながら将来自治侵害になるおそれがある法案じやないかということを言うておるのであります。いわゆる国家公務員にして、その結果として、教育行政が官僚統制になるのではないか、この点を非常に心配しておるのであります。ただいまの御説明では、この点がまことにあいまいだと思う。財政的な面において、全額負担をするのだから、国家公務員に結果において相なつた。こういうお話のように承るのであります。国家公務員にせなければならないと言われるが、全額負担したからというて、国家公務員にせなければせぬでも私は済むものだと思う。また国家公務員にせずに、財政的な負担だけをして、地方自治で、教育委員会法精神に基くような教育行政をやらせるように仕向けるところに、私は親切があると思うのであります。ただ財政的に全額負担したから、従つて国家公務員にするのだということはないと思う。憲法第二十六条のお話がたびたび出るのでありますが、一体憲法第二十六条の精神は、私は純然たる財政的な措置精神だと思うのであります。義務教育はあくまで無償でなければならぬ。しかしながら今日の貧弱な自治体では、財政的にとうてい背負い切れないから、その点を国家がめんどうを見てやる。あくまで無償とする、金銭的な、財政的な面が私は内容であろうと思う。そのために行政的に学校の先生を国家公務員にしてしまうということは、どういう点からその必要があるのか、理論的根拠が一つもわからぬのであります。お金を全部国が出すから国家公務員にするのだ、こういうお話の筋なら、国家公務員にすることは、いわゆる教育委員会法精神に反する。それがわからぬはずは私はないと思うのであります。この点について、もう少し明確な御答弁を願いたいと思う。
  29. 田中義男

    田中(義)政府委員 先ほど人事を地方教育委員会に委任をしても、それはどこまでも借りものじやないかというようなお言葉もあつたのでございます。今回の地方教育委員会への人事の委任と申しますのは、大臣立場において委任するとかしないとかいうことをきめるような、いわゆる行政委任にはいたしませんで、法律においてはつきりと、文部大臣意思いかんにかかわらず、委任をいたしておるのでございます。従つて委任をいたしました以上は、教育委員会の権限として、本来の権限同様に執行いたすのでございます。その点については、委任をしながら、本省においてこれを左右するようなことはできないことに覚悟いたしておるのでございます。  なお全額負担ということと、国家公務員にしたという身分関係につきましては、一方が原因であるから、その原因のみによつて他方が出て来た、こういう事柄では必ずしもないのでございます。なるほど全額負担と国家公務員ということとは、密接な関係はございますけれども、しかし国家公務員にいたしたにつきましては、先ほど来申し上げますような事務の性質上、ないしそれに対する国の責任である国家的規模において、その身分待遇を保障しようということなのでございます。全額負担したからということのみによつて、その結果を考えているわけではございません。ことに現在のように教育委員会が多数できまして、しかもその教育委員会が完全に人事権を握ることになりますと、他の公務員の方々と違いまして、人事異動等をその市町村なり、狭い範囲地方公共団体のわくにこれをはめることそれ自身が、しばしば無理になつて参ります。従つてこれを国家の規模において交渉しよう、こういうことに考えているわけなのでございます。
  30. 山崎始男

    山崎(始)委員 どうも私はわからないのですがね。頭が悪いからわからないのかもしれませんが、私がお尋ねしておりますのは、表面に現われた現象をお聞きしておるのではありません。憲法第二十六条をよく例におとりになるのでありますが、無償にする——これは金を全部出すのじやありませんけれども、一応大臣の表現をかりますれば、給与全額負担するのだから、その結果として国家公務員にするのだ、した方が国の責任を明らかにするのだ、こういうようなお話なのでございますが、この全部したから国家公務員になぞしなければならぬかということなのであります。する必要はないじやないか。もつと端的に言いますれば、理論的な根拠がどこにあるのかということを聞いておる、この点なのであります。
  31. 田中義男

    田中(義)政府委員 給与身分とは先ほど来申し上げますように、必ずしも因果関係があるわけではございません。国家公務員にするだけの、財政面を離れての理由もございますために、これが成立するのでございまして、ことに義務教育に関しましては、これは国が最終的に責任を持つておることは明瞭でございます。しかもその教育活動等に関しまして働いておる先生方については、国が特に責任を持つて、直接にその身分なり待遇というものを保障しよう、こういうことにおいて国家公務員にするわけなのであります。
  32. 山崎始男

    山崎(始)委員 そうしますと、結局教育委員会法精神に反するのじやないかと私は申し上げたい。先ほど権限委任をしておるのだから、教育委員会の手足を縛つてはいないとあなたはおつしやつたのですが、手足を縛つていないどころじやありません。あらゆるところで縛つておる。端的な例がいわゆる義務教育学校職員法の第六条にすら、教育委員会教育長を決定しようと思いますると、文部大臣意見を聞かなければならぬじやありませんか。これでも縛つていないと言われるのでしようか。その他多々縛つているところがございます。こういうことでは最初一つの例として私が引いた地方教育行政の上において、時の県知事と特殊の関係があるという地位をもつてすら、民意によるところの教育行政というものに、一般行政責任者の意向が入る。そういうものじやないのだ、だから、教育長としての有資格者じやないのだというくらい純粋にものを考えておるところのこの教育行政が、この法案で行きますると、文部大臣意見を聞かなければ地方教育委員会というものに教育長が置けないことになつている。これでも手足を縛つておらぬと言われるのでしようか。この点ひとつはつきりしてください。
  33. 田中義男

    田中(義)政府委員 今回国家公務員にいたしまして、それに関係する各種の準備はいろいろできますわけでざいまして、その管理執行につきましては、これは教育委員会教育委員会として民意の反映において処置をするわけでございます。人事に関しましても、委任をいたしました以上は、その実施におきましては、教育委員会教育委員会として民意によつて地方の実情に即するようにこれを運営いたして行くわけでございまして、それをも排除いたして行くわけではございません。なお教育長の問題につきましては、先般もこの席で御説明を申し上げたのでございますが、ともかく今回広汎な人事に関しまして、給与も含めましていろいろ実際国家公務員としての事務執行をいたします場合に、その全国的な規模においてこれを執行いたしますけれども、特に府県内において市町村ごとの実施面の適正をはかることは非常に重要な事柄でもありますので、それに実質上関係いたします教育長については、任命いたします場合に一応文部大臣意見も聞いてほしい、こういうことにいたしたのでございます。
  34. 山崎始男

    山崎(始)委員 答弁がどうも妙な方にまわりますので、今度は大臣に伺います。今の問題は非常に大切な問題なのでありまして、教育長を地方教育委員会が選ぶ上において、大臣にどういう人を選んだらよろしいか、あるいはこういう人を思いますが御意見はどうでしようかといつて聞かなければならないということは、すでに教育委員会の手足を縛つておるのじやないか、それでは教育委員会法立法精神に反しはしないか、こうお尋ねしておるのでありまして、それがどうのこうのとたくさん申していただかなくとも、一つも縛つてないということなのか、それはそうだ縛つている、一応そういうふうに思えるというお気持なのか、これをひとつお聞かせ願いたいと思う。
  35. 岡野清豪

    岡野国務大臣 国家公務員に対する御疑念の点がたくさんおありのようでございますが、しかしまず第一点として私の申し上げたいことは、国家公務員にするということは、全額負担をするからしたのだという観念、これはそうじやございません。(「かわつたな」と呼ぶ者あり)いや、これはもとからでございます。私が考えましたのは、義務教育というものは国が最終の責任を持つ大事なものであるから、これは国がめんどうを見なければならない、こういうことがまず第一点。それから今一万何百の各地方公共団体に置かれておりますが、あの制度で行きますと、ある村におる人が隣の村とか隣の県に移転するとかいう場合には、すつかり既得権が剥奪されるわけであります。また恩給でも続かない。また公務傷害とか一時退職金なんかがございましても、貧弱県と富裕県の間におきまして非常に差等がございます。そこで私どもといたしましては、教育機会均等と水準維持ということは、国に課せられた責任でございますから、教職員のお方が東京で優遇されておつて、山間僻地ではあまり優遇されていないとか、また山間僻地に行つてもらうのにはなかなか行つてもらうことができない、すなわち人事の交流が現行法ではなかなかむずかしくなつている。そこで国家公務員にしまして、どんな山間僻地でも基本給というものは一定限度の保障を与え、同時に異動をしました場合に、元の村とか元の県において受けておりました待遇をそのまま引継いで昇給とか昇格の材料にし得る、そういうような意味から国家公務員にすれば全国的に水準の維持ができる、こういう意味から国家公務員にしたわけでございます。これが国家公務員にするゆえんでございます。そこで問題は、教育委員会法の第一条を何しているじやないかというようなお話でございますが、先ほど伺つておりますと、あなたが教育長におなりになつたときの二十三年の歴史を承りましたが、私その当時の情勢は実はよく存じません。しかし私といたしましては、とにかく教育というものは、教育基本法の第十条に出ておりますように、国民全体に対して直接に責任を負つて行わるべきものであります。ことに義務教育においてはその感が深いのでございますから、われわれといたしましてはどこでお勤めになつている教員でも、やはり国立学校教員が受けておられる基本給と同じ給与を確保して、同時に異動しますと本給がかわるとか、また貧弱県におる教員は公務災害とか退職慰労金というものが、ほかの県に対して非常に低いということは忍ぶべからざることであるから、国家公務員にして、日本全国の水準をとにかく確保したいという考えから出た国家公務員法でございます。その点はひとつ御了承願いたい。  それから教育委員会法第一条にございます何は、結局義務教育というものは国と地方公共団体との共管の仕事でございます。どちらもやはりこれをやらなければならない。それで学校教育法とかいろいろな法律に出ておりますように、義務教育の基本の内容とか指導とかいうものは、文部省といたしまして全国に水準を流しておるわけです。その水準に従つて教育委員会がその土地の実情に即して教育をして行くということ、これが教育委員会法の趣旨だと思います。今おつしやつたこと、私の聞き違いかも存じませんが、一万何百の市町村が割拠しまして、まつたく独立した教育をやるということは、私は今の憲法並びに基本法並びに学校教育法からはどうしても出て来ないと思います。全国一様に、ある一種の基準と内容を統一して、その水準向上に努めて行かなければならないと思います。
  36. 山崎始男

    山崎(始)委員 この点は重要なことですからしつこく聞きますが、大臣の御答弁を聞きましても、いつのまにか財政的な方面へ話が入つて行くのであります。それでは言葉をかえまして一言お尋ねしてみたいと思います。昭和二十三年十一月に教育委員会というものができたのは何のためにできたのか。文部大臣が今まで御答弁になつておりました国家公務員に関連する御答弁の中にも、明治十七年から昭和二十五年まで学校の先生は国家公務員であつたのだからというようなお言葉がたびたび出るのであります。こういう点からあなたのお気持をそんたくいたしますると、どうもその間の歴史的な一つの転換の事実というものが、頭の中から去つていらつしやるのではないか。過去七十年間、日本文部行政というものは官僚の独善行政によつて、ほとんど文部省令なり、勅令によつてやられたのだ。その間に昭和二十三年、画期的な教育委員会法ができて、日本教育革命というものが起つた。この教育行政の転換をした一つの節というものが、頭から抜けていらつしやるのではないかという気がしてならぬのであります。なるほど教育というものが国家の事業であるということには私も同感でありますが、国家の事業だから国家公務員にしたのだという立論がわからぬのであります。しなくてもいいはずである。現にスエーデンのごとき、国において全額の費用は持つておりまするが、国家公務員にもしていなければ、相かわらず地方の民意を生かした行政機構の中の身分関係において、自由に教育をやつておる。国家の事業であるから財政的なめんどうは見る。日本教育委員会法においてもこれが立法精神であり建前だ。人事の異動がどうとか、本給がどうとかいうことは、これはいずれあとで申し上げまするが、そのことがいい悪いという問題ではないのであります。なぜそういうことをしなければならないかという理論的な根拠の問題なのであります。だから教育委員会ができた趣旨にお考えがつかれれば、このたびの法案が非常に矛盾するものだということが御理解願えるのではないかと思うのでありますが、どうも何べん聞きましても私には納得の行く御説明に聞えないのであります。文部大臣自分はしろうとだからと言われるので、御無理ないかもしれませんが、事務当局の方ならばもう少し理論的な御答弁があつてしかるべきだと思う。しつこいようですが、重ねてお伺いいたします。
  37. 田中義男

    田中(義)政府委員 教育委員会制度が創設されました趣旨につきましては、その自治化をはかり、民主化をはかり、地方分権化をはかつて、従来のような極端な中央集権的な教育行政を排除しようという趣旨であることは明らかでございます。ただ先ほど人事権の問題についてお話がありまして、いろいろ御説明申し上げたのでありますけれども、とにかく封建的な割拠主義はとらないところであります。従つて国家的な規模においてある程度の制約をいたしておることは御承知通りでありまして、学校設備その他についてはそれぞれの法律がございますし、なお教育内容については学習指導要綱等を出しまして、その基本のもとに地方においてそれぞれ地方の実情に即した運営をやつてもらつておるわけであります。そのことは同時にただいま問題になつております人事権についても言えることでありまして、ともかく直接国の責任においてその身分及び待遇を保障しよう、そのためには国家公務員にすることがより以上適切である、かような見地からただいまここに提案しておりますような草案を得ておるわけであります。
  38. 山崎始男

    山崎(始)委員 この問題はしばらく保留いたしましよう。先ほどから坂田委員が何やかや言うておられるが、われわれ野党の方から出し地方教育委員会改正の問題について、坂田委員立場をかえて教育委員会法精神の問題に対してお話があつたようであります。自由党の中にもこういうわけのわかつた人がたくさんいらつしやると思つたのですけれども立場が逆になりますと実に答弁が曖昧模糊というか、かんじんかなめの要点がはずれてしまつている。この問題は私はあいまいにしておくべきではないと思うが、しばらく保留しておきましよう。  一点お聞きいたしますが、教員の中立性、教育の中立性という問題につきまして、この点も非常に大切なところであります。過日の大臣の御答弁を聞いておりますと、これまた曖昧模糊としておる。学校の先生がいわゆる国家公務員になつて政治活動ができないという問題は、これを究明して行きますのには、教育の中立性を究明する以外に手がない。この点は非常に重要でありますので、私はもう少し御明確なお答えが願いたいと思うのでありますが、過日の御説明を聞いておりますると、日共組の幹部が教育者でありながら、あの政治活動は目にあまるものがある。たとえばおそらくこれは昨年のことだろうと思うのでありますが、新潟大会の例をお出しになりまして、こういうことは行き過ぎだという。行き過ぎだということは結局感情の問題であります。私たちここで審議いたしますのは、あくまで理論の問題を審議しなければいけない立場にあるので、申し上げるのでありますが、それならばどういうふうな理論的な根拠によつて教員政治活動が行き過ぎかということになれば、それは教育基本法の八条の第二項だ、こういうふうな御答弁つたように思うのであります。ところが私たちのこの教育基本法第八条の第二項に対する解釈は非常な相違がある。私は文部大臣がしろうとでおありなだけに非常に善意に聞いておるのでありますが、かたわらにおられました局長が、やはり教育基本法の八条の二項のそれを拡張解釈をして、今の教員政治活動は行き過ぎだというようなお話しだつたのです。それかと思うと次にはだんだん大臣のお話は財政的な方面へ行つて教員政治活動をとめる意思が目的じやないのだというので、しりがすつと抜けて行つたような御答弁をなさつておられる。私は文部大臣最初まずお伺いいたします。むずかしかつた田中局長でもよろしゆうございますが、この点は非常に大切な点でありますから、もう少し政治活動がいけないという理論的な根拠をお聞きしたい。
  39. 岡野清豪

    岡野国務大臣 私は八条二項が直接これに何するとは言つた覚えはありませんが、しかし第八条を読んで見ますと、「学校は、」としてございます。この「学校」もやはり法律ができますときに、教員であるか、学校というそのものであるかということの問題があつたそうでございますが、しかし常識上から考えまして、学校の建物が政治活動しようはずがないのです。結局「学校は、」ということは、学校を組織している校長以下教員とか、助教員とかいうものがすなわち活動の本源でございます。そういう者が特定の政党を支持し、またはこれに反対するための政治教育、その他政治活動をしてはならないというその立法の趣旨は、教育というものは、そういう一党一派を支持したり、一党一派に反対するというようなことをしちやならぬということを言つておるのだと思うのです。これは当然の帰結でございます。そういたしますれば、私は新潟大会の例を申しましたが、また真偽は別でございますが、義務教育学校職員法が出ましたとき、自由党をたたきつぶせ、こういうような決議をしたとかしないとかいううわさを聞きました。そういううわさの出ることそのものが教育者として私ははなはだ不謹慎だと思います。その意味におきまして、一般の末端におけるところの教職員は、そういうことは考えていないのです。中央において、いわゆる日本の教職員五十万人を代表しておると称し、また代表しておるのでございましようが、そのものがそういうことをするということは、私ははなはだ教員立場として遺憾でございますから、こういうことはやめていただきたい、こう考える次第であります。
  40. 山崎始男

    山崎(始)委員 今の大臣の御答弁に、事務者の立場であられる局長も御同感でございましようか。
  41. 田中義男

    田中(義)政府委員 ただいま大臣答弁されたことは、私も同様でございます。
  42. 山崎始男

    山崎(始)委員 大臣はしろうとなんだと言われますので、私もあまり申し上げたくないのでありますが、局長までがこれに同感だと言われるに至つては、私は心外千万である。教育基本法の第八条の二項は、先ほど大臣は、学校というものが政治活動をするはずがないということを言われたのであります。これは教育基本法の第八条の二項を御研究になつていない証拠だと私は思うのであります。この教育基本法の第八条の二項は、学校という場において政治活動をしてはならない、いわゆる特定の政党を支持したりあるいは反対したりするようなことを学校という職場においてしてはならない。なぜしてはならないかといいますると、私はこういうことを申し上げるつもりではないのでありますが、言わざるを得ない立場になるので申し上げまするが、この問題のけじめというものは、この政治活動が児童生徒に及ぼす影響ということが限界なんであります。大臣個人のお考えのごとく、自由党の方々の目から見れば、政治活動をやつているのが気に食わぬ、実にけしからぬと言われるかもしれませんが、国民の中には、それに対して賛成の者もあるはずであります。そういうふうな一つの現象を私は申し上げているのではないのであります。この教育基本法八条第二項の精神は、あくまで、学校において学校教員一つの教職という公人の立場において政治活動をやることは、児童生徒に及ぼす影響がある、この影響が一つのけじめである。これでなければならぬはずである。この点は文部省におかれては、たしか昭和二十四年だつたと思いますが、レツド・パージで教員の追放の問題があつたことがあります。私たちは遺憾ながら先ほど申し上げますように、当時県の教育委員の一人としまして、二十数名の先生をいわゆる好ましからざるという名において辞職の勧告をやり、とうとうやめてもらつた生々しい経験を持つております。やはりこの教育の中立性の問題が根本原則になつて論議されなければならない性質なんであります。どうも文部大臣のお考え方あるいは田中局長のお考え方は、ひとつも論理的でない。単なる感情的なお話にすぎない。教員政治活動をやることはけしからぬと言われる。けしからぬと言われる今の文部大臣文教行政にたくさんけしからぬところがあるのであります。けしからぬというものが、逆に一部の政党が利益されるようなけしからぬ文教政策をやられている。これは結局感情論であつてちようどさるがしりの赤いのを見て笑う類と、私は何らかわらないと思うのであります。しかも事務担当の責任者たる局長までが、それに同感であるというに至つては、私はまつたくあいた口がふさがらないのであります。この政治活動の問題に対するお二人のお考えの基礎の中において、われわれが納得のできるようないま少し合理的な御説明をしていただかなければ、あくまで教員政治活動を不都合だというその理論の根拠は八条だ、こう言われたのでは、とうてい私たちは納得できないのであります。この点も非常に重要な点でありまして新潟大会でああいうことをやつたからどうとかいうようなことは、これは非常に論議の余地がありますが、まず根本的に教育基本法の第八条の第二項のお考えに対しまして、いま少し明確なるお気持なり、御答弁をお聞かせ願いたいと思います。
  43. 田中義男

    田中(義)政府委員 前回にもこの点については私からお答えをいたしたのでございますが、個人としての教員政治活動を問題にいたしておるのではございません。ただ学校としてというその言葉の解釈は、これは人によつていろいろあるかも存じませんけれども、私どもが本来この条文のできました本旨をよく考えまして、そうして教育の中立性、その自主性をいかにしたら確保できるかという根本に立つて考えます場合に、その学校という言葉の解釈が、単にお話のように、学校の場とおつしやつたと思いますけれども、この場というものが、それではいかなる範囲であるかということが、これまた次にやはり問題になるのでございまして、私は前回その解釈として、教員学校の機関として、あるいは教育活動の主体として行動する場合、これをさらに砕いて申しますなら、私人と公人とわけ得ますなら、公人として、こういう言葉で申し上げたのでありまして、ただいまもさような解釈をとつておるのであります。
  44. 山崎始男

    山崎(始)委員 学校の場という、この言葉の拡張範囲がどこかということですが、これは私は先ほど申し述べましたように、あくまで児童、生徒にいかなる影響があるか、悪影響があるかないかということでわくを置かなければならない、そこが一つの限定線なんだ、こう思うのであります。しからば日教組の幹部の政治活動あるいは政治行動というものが、現在学童にいかなる影響を及ぼしておりまするか、この点……。
  45. 田中義男

    田中(義)政府委員 新潟大会の問題につきましては、さらに私としては詳細に事情をよく検討いたしませんと、はつきりした具体的な確証を持つてお話をいたすことはできませんが、ただただいまのお話にありましたように、それでは児童、生徒に対して悪影響を来すかどうか、こういう点になりますと、これも解釈によつてかなり広くなるのでございます。従つて私はさつき申しましたように、ともかく先生が教育活動の主体として行動する、こういつたふうな場合とほとんどかわらないほどの内容を持つものと考えます。
  46. 坂本泰良

    ○坂本委員 議事進行について……。ただいまの問題は日本教育の根本に関するものであります。従つてわれわれは文部大臣答弁だけでは納得できないのであります。これは国家的のものでありますから、吉田総理大臣からはつきりした答弁をお聞きしなければならないのであります。ただいまの答弁田中局長が中心になつて、新潟大会の内容も把握せずに、そうして基本法第八条の二項を云々するなんということは、これはとんでもないことであつて、われわれは日本文教政策を確立するたに——ことにただいま提出されておりまする義務教育学校職員法というものは、単なる身分法のようなものであるけれども日本の将来の教育に対して非常なる影響を持つものである。われわれはは国家のために憂慮する立場からこの審議に当つておるのであります。しかしこの問題に対しては吉田総理大臣の出席を願い、なおまた自治庁長官の出席も願いまして、よくしさいにこれを検討しなければならぬと思うのであります。なおまた三日から三回にわたつてこの職員法を審議いたしたのでありまするが、一般質問はこの三日間になつておりましたが、その実質は三日間の十分の一も尽していないわけでございます。従つてこの委員会の運営につきましては、われわれはもう少し検討をいたしまして、その対策を立てなければならないと思うのであります。きようも私は正十時に出て参りましたが、だれも出ておられないから、他の用件を済まして来ましたら、いろいろ地方行政委員との合同審査の点の協議もあつたようでありまするが、これは正式に委員会も成立していない人数不足のところでやつたのであります。従つてこの法案はもう少し熱意を持つて真剣にやらなければならないと思うのであります。ことに採決の際には、自由党委員の方々は、ここに御熱心に出ておられる五名の方は敬服に値しますが、その他の方々は、ただ採決をするときに来てそうして手を上げるようであつては、これは議員として国民の負託を受けて文教政策の確立を期する上において、まことに申訳あるまいと思うのであります。従つてわれわれがここに遵法週間を設けまして、そうして正式の委員会の成立を主張するのもここにあるわけであります。かような点からいたしますと、正式に委員会が成立して質疑が行われたのは正味一時間もないんじやないか、かように私は考えるのであります。従つてわれわれはこの重要法案に対しましては、吉田総理大臣文部大臣並びに自治庁長官その他に対して質疑するために、もつと、十日間も十五日間もこれは審議期間がいると思うのであります。かような点もありまするから、ひとつ休憩中に理事会を、開いていただいて、そうして今後の運営について協議をいたしまして、全員出席の上でこの重要な法案の審議に当つてみたい、かように存ずるものであります。
  47. 伊藤郷一

    伊藤委員長 できるだけ近い機会に総理大臣の出席を求めます。なお休憩中に理事会とのお話でございましたが、きよう田中委員も見えておりませんので、できるだけ近いうちに理事会を開いて、今後の運営を協議いたします。
  48. 坂本泰良

    ○坂本委員 しかしながらきようはもう九日だから、十一日に公聴会をやりまして、さらに十二、十三、二日間くらい一般質問をとつて、そして総理大臣の出席を求めて、この点をはつきり究明して、その上で地方行政委員会との合同審査、さらにまた人事委員会との合同審査も起ることと思うのであります。従つてもしも明日委員会を開かれるならば、その委員会の前に理事会を開いて、まだ一般質問をやつておらない方がたくさんあるのでありますから、その点をよく勘案して、この委員会の審議を進めてもらいたいと思うのであります。
  49. 伊藤郷一

    伊藤委員長 坂本委員の御趣旨に沿いまして明朝九時半から理事会を開きます。  午前中はこれにて休憩し、午後は二時から再開することに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  50. 伊藤郷一

    伊藤委員長 御異議なしと認めます。それではさようにいたします。     午後一時三分休憩      ————◇—————     午後三時四十五分開議
  51. 伊藤郷一

    伊藤委員長 休憩前に引続き会議を続行いたします。  質疑を許します。山崎始男委員
  52. 山崎始男

    山崎(始)委員 午前中の私の御質問は、教育の中立性に関連したところで中断したと記憶いたしておりますから、その問題でいま二、三点お聞きしたいと思います。  まず日教組の幹部の新潟大会における言動がけしからぬというお話でありましたが、先ほどの教育基本法第八条第二項の教育の場ということに関連いたしまして、新潟大会での言動は基本法八条第二項の教育の場に相当するかどうか。先ほど局長は、教育の場ということの解釈はなかなかむずかしい、広いというふうな、教育基本法八条第二項の非常に広義な解釈のもとに、教員政治活動がけしからぬというお話のように承つたのであります。具体的な、直接の文部大臣の新潟大会の例その他から考えまして、少くとも新潟大会を教育の場と解釈されておるのじやないかと思われる節があるのであります。この点に対しまして率直な御所見を承りたいと思います。
  53. 田中義男

    田中(義)政府委員 先ほども申し上げましたように、教育の場であるかないかは、さらにその人それぞれについても相当具体的に判定をいたしませんとはつきりとは申し上げかねるのでございます。従つてそれらに参集したそれぞれの人自身がどういうふうな勤務の人であつたか、それらを十分検討いたしませんと、ただ一口にそれが教育の場である、あるいはないということは、はつきり申し上げがたいと存じます。
  54. 山崎始男

    山崎(始)委員 おかしいですね。先日の御答弁によりますと新潟大会が例に出た。そして教育基本法の八条の第二項の広い解釈の仕方によれば、新潟大会は教育の場であるかのごとき御答弁に相なつたと思うのであります。今の御説明では、研究せねばおわかりにならぬという御答弁でありますが、この点は非常に大切な点で、教育基本法八条の二項をいかに解釈するかということが非常に重要な点である。私たちは少くとも、教員政治活動を好ましくない、けしからぬという法的な根拠、理論というものは、あくまで教育基本法八条第二項をいかに解釈するかということに限定されるのだと思うのであります。この解釈の仕方、あるいはこれの誤つた解釈の仕方によつて、ひいては基本的な人権の侵害にまで発展をするおそれがあるのであります。だから私がこの点は非常に重要だから明らかにしたいと申し上げておるのは、私の解釈では、教育基本法の八条の二項は、あくまでも学校の勤務時間において、教壇の上において、少くとも児童、生徒に悪影響を及ぼすような政治活動をしちやいけない。これは教育基本法の次の宗教に関する規定のところの解釈も同じように、学校の先生の勤務時間外における児童、生徒に悪い影響を及ぼさないような政治活動というものは、当然憲法の示す基本的人権によりまして保護されなければならぬと私は解釈するのである。過日のお話では、新潟大会における日教組の言動がけしからぬという観念である。文部広報にもありますように、政治活動ができぬようになることは、利益になるんだというような宣伝をされておることになるのじやないかと私は思うのでありますが、少くともこの基本法の八条というものは、義務教育学校職員法案を審議し、そして究明をして行く上において、これは重大なるポイントだと私は思うのであります。それですから、先日のお話では、いかにも新潟大会がけしからぬ、こうはつきり言われていると記憶いたしておるのであります。けしからぬと言われる。それは教育基本法八条の二項に該当するのだ——はつきりとは言われませんでしたが該当するがごときお言葉が多々あつた。これを聞いているのは私一人じやないと思うのであります。今局長のお話では、どうも研究してみないとそれはわからぬ、こういうお話なのでありますが、これに対して基本法の八条の二項に該当するのだと言われましたのは、たしか文部大臣つたと思います。新潟大会はけしからぬと文部大臣はおつしやつたのでありますが、これはいわゆる教育基本法教育の場というものに該当するかどうか、この点に対するお考えをひとつ承りたいと思います。
  55. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。教育の場に相当するかどうかは、局長が申し上げましたように研究しなければならぬと思いますが、しかし法の精神から行きましてああいうことは行き過ぎである、こう考える。それは憲法十五条に、公務員は全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではないということが貫かれております。この憲法十五条というものを地方公務員にも援用しておりますし、教育基本法にも援用されております。法の精神といたすところは、公務員が一党一派を支持し、もしくは反対するというようなことはよくないという、この根本観念から私はそう申し上げる次第であります。
  56. 山崎始男

    山崎(始)委員 ただいまのような大臣の御返答でありますと、私は重ねてお伺いしたいと思います。職員団体というものがございますが、これに対する大臣のお考えが私はどうもおかしいと思うのであります。教員がいわゆる自由人として、教壇を通さず、そして子供に悪影響を及ぼさない範囲において教員個人として勤務時間外に吉田内閣打倒を叫ぶかもしれず、あるいはその他の政治活動をすることも、これは国民全体に奉仕する立場において不都合だと言われまするが、国家公務員法にも許されておりますように、私は個人の立場、いわゆる公人という立場を離れた私人の立場において、先生が時間外にやる、そしてそれには職員団体というものがりつぱに合法化されておるはずなのであります。今の大臣の、国民全体に奉仕する立場におるのだから、これを広義に解釈すれば、それで手足をかせしなければならぬというお考えでありますると、四六時中、それでは公人も私人も一緒くたにして二十四時間中そういうことは考えてはならぬということになるのでありますが、職員団体との関係、これについてどういうふうにお考えになつておられますか。この点が先ほど申しますように、へたをすると、大臣のようなお考えですと、基本的人権の足かせになつて行くおそれがあると思うのであります。その点につきまして御所見をお願いいたします。
  57. 岡野清豪

    岡野国務大臣 先ほどもたびたび申し上げました通りに、私はしろうとでございまして、法文にどうとかこうとかいうことで議論は実はできないのでございます。ただよくお考えを願いたいことは、義務教育をして行く教員というものは——そこに傍聴されておられる方もありますが、学校の先生というものは、われわれの子供のときには親よりも神聖に考えておつたものでございます。とにかくお父さんがこうだと言つても、学校の先生がこうおつしやつたといつて学校の先生を信じ切つて、そして学校の先生のことを見よう見まねし、それから習つてつたものです。今すぐそこの参議院の出口でハンストをやつておられるようでありますが、ああいうことを学校の先生がして、一体父兄が納得するかどうかということをひとつよくお考え願いたい。これは常識でございます。また教育の根本方針だと思います。私たちは、小さいときに教えられました学校の先生の方が、おやじよりは神様のように思えたのであります。そうすれば、その一挙手一投足というものに、やはり純真な子供が尊敬の念を払うというような態度をとつてもらいたいというのが、私の念願でございます。これが義務教育を振興して行くところのゆえんでございます。
  58. 山崎始男

    山崎(始)委員 ただいま文部大臣のお言葉の点、私はもう少しあとでお尋ねをしてみるつもりでおりますが、この委員会におけるこの法案の審議の考え方というもの——なるほど常識というものはもとより私たちもこれは非常に尊重しなければならない。しかしながらああいうハンストを見て子供がどう思うかと言われる大臣の頭の中は、あくまで御自分が中心になつていらつしやる論の立て方である。結局それが児童生徒に悪影響をどういうふうに及ぼして行くか。それは十人十色の御見解があると思いますが、あくまでそういう理論の立て方でありますと、私たちが納得できないということは、午前中にもちよつと申し上げましたが、そういうふうなお話でありますと、いわゆる多数の中にはこの法案に対して賛成の方もあれば、もとより反対の方もある、しかしながらあくまで私たちは論理的にこれを究明して行かなければならぬ責任がある、しかるにただいまのようなお話では、いわゆる上すべりな常識論、しかも時代感覚が非常にずれておる、そういうふうな論をやつておりますと、これは結局感情論の水かけ論になつてしまうのであります。教員がけしからぬと言われる、しかしながら言われる文部大臣以外の国民の中に、そうでないのだと考える者もたくさんおるのであります。教員政治活動をけしからぬと言われる文部大臣のお考えの中には、われわれから見たらずいぶんけしからぬと思われるものが、文教政策の上に取入れられておる。両方ともがけしからぬけしからぬと言つておるかつこうなのであります。こういう点は私非常に納得が行きませんが、この点はあとで別の観点からお尋ねをさせていただきます。
  59. 坂本泰良

    ○坂本委員 ちよつと今の質問に関連してお伺いしたい。ただいま参議院のうしろでハンストをしておる、これを例にあげられたのでありますが、その前に、今大臣は、学校の先生を親よりも信じていたと言われたが、もちろん私たちも学校の先生を親よりも信じて教育を受けて来たのであります。ところがわれわれが親よりも信じて受けたその先生の教育は、教育勅語を基本にいたしました国家の統制によるところの教育であつたのであります。われわれはこの教育によつてつて来ましたが、その結果がどうなつたかと申しますと、あの日本教育統制により、しこうしてまた学徒出陣にいたしましても、日本が思想的にも、政策的にも、軍閥の政府のやることに対しては一切の批判は許されずに、しこうして教育もまたそれによつて行われたのであります。それがかかる太平洋戦争における敗戦の事実と相なつたのであります。そこで終戦後におきまして、日本文教対策を立てるのにいかにすべきかということについて、われわれ国民は非常なる腐心をいたしたのであります。しこうしてここに敗戦後の日本の民主主義国家のもとにおいての教育国民のものである。従つて時の政府の主義政策に盲従すべきものじやない。国民のための教育をやるためには国家国民のための教育をやらなければならない。従つて政府の主義政策に従つてはならないのであります。現在自由党政府のやつておられる教育の方針は、現在の平和憲法に反しているのであります。これは吉田自由党内閣になりましてから、品には日本は再軍備はしていないのだ、第九条の改正の必要はないと吉田総理大臣以下申されるのでありますが、事実は今十一万の保安隊がここにできておるのであります。しこうしてフリゲート艦その他が、ここに事実上警備隊が持つことになりまして、日本の再軍備は進んでおるのであります。少くともこの見解から申しましても、国家の根本法である憲法の違反の事実があるのであります。吉田内閣は、この憲法違反に基く政策を立て、憲法違反の教育をやらせる状態に相なつておるのであります。教育国民のものであり、教員政府に奉仕するものでなく、国民に奉仕をしまして、国民のための教育をやるということになりませんならば、断固、吉田内閣を打倒しなければならない。平和憲法に基くところの日本教育を確立しなければならないということに相なるのであります。従つて新潟大会にしろ、福島大会にしろ、教職員組合がほんとうの平和憲法に基くところの教育日本に実施するためには、憲法に違反するところの政策をやつておる吉田内閣を打倒しなければ、国民のための教育ができないという確信のもとにここにやつておるのであります。今度のこの義務教育学校職員法にいたしましても、口に教職員の身分を保障すると申しましても、文部大臣が国家公務員にしてその身分を掌握してしまいましたならば、政府の政策に反する、憲法に沿うところの国民のための教育をしようとしてもできないのであります。だからここに職員法に反対するという状態にならざるを得ない。そのためにハンストをやらざるを得ない。かような尊敬しなければならぬ学校の先生がハンストをやらなければならないという情勢をつくつたのはどこにあるか。これは文部大臣にあり、吉田内閣にあるのであります。その点を究明せずに、昔の先生は親よりも信ぜられているものである、そういう人がああいうことをやるのはいけないという、枝葉のことばかり議論して教育の根本のことを考えない。われわれは、その教育の根本のことをまず究明をして、この法案審査に当らなければならないと考えております。その点に対しては、大臣はいかに考えておられますか、それを伺います。
  60. 岡野清豪

    岡野国務大臣 お答え申し上げます。あなた方が吉田内閣をお倒しになつて教育をよくやつて行こうというのも、国を思う一念からの御誠意だと思いますから、敬意を表します。しかしながら義務教育というものは人民だけがやるべきものではございません。われわれも人民の代表者でございます。りつぱに公選をされて衆議院議員になり、りつぱに国会において総理を指名されたのであつて、これは民意の集約でございます。その政府がいかなる権限を持つているかと申しますれば、学校教育法を十分ごらんになればおわかりのように、文部省が監督庁といたしまして、教育の基本、その水準を維持するためにちやんと各方面に流してあります。義務教育は、中央政府が基準を指示して、地方公共団体並びに教育委員会がこれを運営して行き、両々相まつて教育をしているのである。教員だけがこの教育を独占して行くことは、日本の国家憲法から申しまして、私は賛成いたしかねる次第であります。
  61. 坂本泰良

    ○坂本委員 私は、今の大臣答弁に対して非常に理解しにくい点があるのであります。教育国民のものであり、現在の義務教育におきましては、約六十万の全国の教職員がこの教育の衝に当つている。この教職員が教育の衝に当るのにば、教育基本法に基き、いずれの政党を支持することもなく、その教育の衝に当らなければならぬ。これは教育が直接国民に責任を負うという点からして明らかであると存ずるのであります。従つて文部省の指示によつて教育をやるのではないのであります。やはり国民に対する責任において教育をやるのであります。ただその機構とか、あるいはその他につきまして、戦争前におきましては、文部大臣の命令によつてすべて全国教育が行われた。これが教育の国家統制であつたのであります。現在はそうでなくて、教育委員会ができまして教育委員会の手によつて地方分権によつて教育の運営がなされておるのであります。何も文部大臣以下の命令によつてつておるのではないのであります。ところがこの教員身分を国家公務員にいたしまして、そうしてその任免権が文部大臣の手に掌握されますと、それによつて六十万の教職員の地位が文部大臣の自由になるのであります。そういたしますと、やはり戦前と同じような状態になりまして、ここに時の政府の政策に基くところの教育をやらなければその地位が危くなるのであります。ですからこの国民の責任においてやる教育については、文部大臣といえども、総理大臣といえども、これを統制、干渉すべきものでないというのが、教育機会均等でもあるし、民主的教育であるのであります。今大臣の御答弁のように、文部大臣教員が、機構上一致してやるということになればやはり教育の国家統制になる。これではいけない。一例をあげますると、現在の憲法は、教育者の立場として平和憲法である。戦争は放棄しておるのである。その立場に立つて教育をしなければならないのに、現在の政府は保安隊をつくり、その募集の手伝いもしなければならない。教育内容においてもそれに従わなければならない。時の政府の鼻息をうかがつて教育をしなければならないとなると、ここに教育の独立も国民のための教育もできなくなるのであります。従つて現在教職員組合が、吉田内閣を打倒するというのは、その平和憲法に違反するところの吉田内閣がその政策を実行しておるから、これを打倒しなければならないという教育者の立場であり、教職員組合の団体の決定としてやるのは、何ら教育基本法に反するものではない。かように解するのであるが、いかに考えられますか。
  62. 岡野清豪

    岡野国務大臣 教育というものは人民のやることであつて政府の干渉すべきものでない。こういうような御議論に聞えますが、そうですか。
  63. 坂本泰良

    ○坂本委員 そうです。
  64. 岡野清豪

    岡野国務大臣 それなら大きな間違いです。一体教育というものは、地方の住民であり、同時に国民であることをそこでやらなければならない。国民であり、社会人であることを形成するというのが、中学校、小学校の生徒を教える根本でございます。そこで住民としては、教育委員会が各市町村を分担しまして、地方の実情に合つたような教育をしなければならない。一方国民たるの資格をつくるのにおいては、國家が責任を持つてつくらなければならぬ。この点は私はあなたの誤解だろうと思います。人間というものは地方の住民であると同時に日本国民でございます。国民というものをつくる意味において、中央政府がある程度の基本の指示をしなければならぬ。そこで学校教育法をごらんになればわかりますように、三条、六条、八条、そういうところに監督庁と書いてございます。これは百六条に出ておるはずでございますが、そういうような監督庁というものはとにかく文部大臣という指定が出ております。そうすると文部大臣が基本教育内容とか、方針とか、指示とかいうものはさずけるようになつております。これは基本でございますが、しかし基本はやはり中央政府文部大臣が出すべきものに法律がそうきめておるのです。これを無視するわけにはいかぬと私は思います。
  65. 山崎始男

    山崎(始)委員 関連して、ちよつとお尋ねしますが、今学校教育法の何条と言われましたか、ちよつと知らしていただきたい。
  66. 岡野清豪

    岡野国務大臣 これは学校教育法の第百六条をごらんになればわかります。それにちやんと例示してあります。百六条は、第三条、第六条第二項……監督庁は、当分の間、これを文部大臣とする。云々とあります。
  67. 坂本泰良

    ○坂本委員 これは学校をどうつくるか、あるいはその教育の費用をどうするかという、この機構の点についての文部大臣の監督権であります。私の今申しまするのは、教育内容の点であります。教育内容の点については文部大臣は現在の学校教育法においては監督権、指揮権はないのであります。やはり教育国民のものであるから、国民の奉仕者として先生がその衝に当るのでありまして、その先生は時の中央政府の政策に従つてこれを実行しなければならないというのは、現在の日本教育についてはないわけであります。今大臣が指示されましたのは、時の政府学校の設置とか、その他のことについての監督権であるのでありまして、私が先ほどから日本文教対策の根本について申し上げているところの教育というものは、これとは全然違うのであります。今度教育を国家公務員にいたしまして、その任免権を時の政府文部大臣が掌握いたしましたならば、そのときの政府の政策に反し、国民のための教育だと思つてやるところの教員に対して罷免権が発動される。そうすると教育地方分権も教育の独立性もここになくなるという結果に相なるのであります。それがひいては教育勅語によるところの国家統制の教育になる。そうやつてはいけないというのが現在の民主的教育の根本であります。私はその教育について、時の政府が指揮監督権がないということを申しておるのであります。その点についての御見解を承りたい。
  68. 岡野清豪

    岡野国務大臣 それではひとつ私から申し上げます。学校教育法の第十七条、十八条、十八条には「小学校における教育については、前条の目的、」目的というのは初等普通教育をさしております。「目的を実現するために、左の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。一、学校内外の社会生活の経験に基き、人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うこと。二、郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと。三、日常生活に必要な衣、食、住、産業等について、基礎的な理解と技能を養うこと。四、日常生活に必要な国語を、正しく理解し、使用する能力を養うこと。五、日常生活に必要な数量的な関係を、正しく理解し、処理する能力を養うこと。六、日常生活における自然現象を科学的に観察し、処理する能力を養うこと。七、健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養い、心身の調和的発達を図ること。八、生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸等について、基礎的な理解と技能を養うこと。」というのが教育内容でございます。それに対して第二十条には「小学校の教科に関する事項は、第十七条及び第十八条の規定に従い、監督庁が、これを定める。」こう書いてございます。そういたしますれば、そういう教科内容にまで監督庁たる文部省が定めることになつております。
  69. 坂本泰良

    ○坂本委員 今教育内容が明示されましたが、その通りであります。そうして二十条によるところの監督というのは、この教科内容のどれどれを採用してどういうようにするかという点についての監督権がある。私が教育内容と申しますのは、今あげられました教育内容を実施するのが教育であるのであります。その実施の面において文部大臣が監督権を持つて、たとえば音楽にいたしましても、再軍備の音楽はいけないのだ、憲法に基くところの音楽をやらなければならない。こういう教育をやつた場合において、文部大臣は、それは吉田内閣の政策に反するからと言つてやる、それがいけない。教育内容と、教育のどの項目を取上げてどう運用するかという監督権とは違うのであります。その内容の点についての自由であり、これに対しては時の政府がこれを干渉することはできない。かように私は考えておるのですが、その点はいかがですか。
  70. 岡野清豪

    岡野国務大臣 教科内容を監督官庁が指示いたします以上は、それがほんとうにやれているかやれていないかということを見ているのは監督官庁の責任でございます。
  71. 小松幹

    小松委員 監督官庁である文部省はサービスの機関であつて内容にわたつてとやかく言う性質のものではない、だからこそ教育委員会というものが存立されてあるのだ。ただいま大臣が引用された百六条の監督庁の問題は、三条は設置の問題であり、六条は授業料の問題であり、かようにサービスとしての問題を規定してあつて、ただいま引用された二十条の教科内容というものは、教科というものが一つの規定された学科であつて文部大臣ともあろう者がその内容をさすものではない、学校教育に携わる者は必ず教科という問題をはつきりつかんでおるものである、かように考えるならば、教科は地理を用いるとか、あるいは社会科をこしらえるとか、そういう問題については監督庁の問題が存在するかもしれないが、先ほど言つた十八条の教育内容にわたつて、サービス機関である文部省がとやかく言う性質のものではないということは、教育委員会設立の趣旨から考えて当然である。それを大臣は妙に解釈をしておる。これは百六条の解釈からしても、そうした意味においてサービスとしての条項が上つておるのである。さようなあいまいなる解釈をここで出して、われわれの意見を慴伏するということは間違つておる、これははつきりしておる。だから大臣が、しかも政党政治によるところの大臣が、国の教育の教科内容まで左右するということは越権である。はつきり申し上げておきます。だからその点について大臣答弁を求むる。
  72. 岡野清豪

    岡野国務大臣 規定の解釈の差でございます。
  73. 山崎始男

    山崎(始)委員 ただいまの問題は非常に重要なる問題でありますが、文部大臣の頭の中には、教育委員会法というものがなぜにできたかということ自体が御理解になつていないから、ただいまのような御説明ができたのだと私は思うのであります。しろうとであられる大臣のことですから、ただいまのような御答弁も、おそまつではありますが、やむを得ないと思います。が、これは重要なる点でありますので、どうぞもう少し御研究を願いたいと思うのであります。ただいまの問題は一応この程度にいたしておきますから、ひとつ研究をお願いいたします。  次に、これはやはり朝からの関連の問題になるのでありますが、教育の事務というものが国家の事務であるか、あるいは地方自治体の事務であるか。たびたびお聞きしておりますと、教育は国家の事業だ、国家的な重大な事業だ、だからわれわれはそれに干渉もし、関心も持ち、責任を明らかにしなければならないのだと一応ごもつともらしく聞えるのであります。しかしながら私たちは、義務制の教育事務というものは、国家の事務にあらずして地方自治体の事務だ、このように根本的に考えざるを得ないのであります。国家の事務か地方自治体の事務か、この点に対する御答弁をお願いします。
  74. 岡野清豪

    岡野国務大臣 これは最終的には国の責任で義務教育をやる、それから同時に地方におきましては、その地方の地域に合つたような教育をする、それで地方公共団体並びに委員会がやつております。でございますから、両方の仕事である、かように私は解釈いたしております。
  75. 山崎始男

    山崎(始)委員 ただいまの点が非常にあいまいなのでありまして、少くとも法律上あるいは法律の観念の上からいつて両方の仕事である。それは地方も国家あつて地方。いわゆる全体のうちの一つでありますから、これはいかなる問題でありましても、相互関連のない行政というものは一つもございません。でありますから、常識的にはいわゆる相互関連という言葉考えられます。しかしながら私たちがこの法案を審議しますのには、まず一つ法律用語として、教育が国家の事務であるのか、あるいは地方自治体の事務であるのかという一つの観念、明快なる判断を持つていなければいけないと私は思うのであります。文部広報を見ますと、義務制教育の事務が国家の事務であるかのごとく書いてあります。もし国家の事務であるといたしますれば、これはもう根本的に教育委員会法精神にも反しますし、同時に学校教育法の第五条には「学校の設置者は、その設置する学校を管理し、法令に特別の定のある場合を除いては、その学校の経費を負担する。」とありますが、これを今度文部省においては法の改正をやられて「法令に特別の定のある場合を除いては、」というのを上に持つて行つておられる。要するに田中局長のこの関係法律の提案理由の補足説明におきましても、この五条はいわゆる財政的な経費の問題を、この特例、すなわち市町村の学校でありながら、従来都道府県にその経費を委任しておつたというのを、管理にまで及ぼしておるのだという意味のお話でありましたが、何がゆえにこの五条を改正される必要があるのか、もし教育が国家の事務であつたら改正の要はない、改正されておる以上は、少くとも義務制の学校教育というものは地方の自治体の事務であるということをお考えになつておらなければ、改正の要はないと私は思うのであります。もし学校教育地方自治体の事務ではなくて国家の事務になるのでしたら、いつそれがかわつたのか、かわつた経緯をお話願いたいと思うのであります。
  76. 岡野清豪

    岡野国務大臣 義務教育は国家事務であるということにつきましては、東京大学の法学部の憲法研究する人が十何人か集まりまして、そうして日本国憲法という注釈書を出しております。それにはこの二十六条を主として国民の側から書いてある。それを裏返しにすれば、結局国がそれに対する責任を持たなければならぬという解釈をすでにとつておりますが、この点は事務当局から説明させます。
  77. 山崎始男

    山崎(始)委員 この点も非常に重大な問題なんでして、憲法二十六条は教育機会均等の一つの基本精神と、同時に教育の無償の原則を託しておる規定であります。私がお尋ねしておりますのは、いわゆる国家公務員にされたという御当局の論拠というもので、義務制教育は国家の事業だ。これを私は否定するものではございませんが、いわゆる法律的な用語としての義務制の学校、たとえていいますれば、学校の設置者というものは、市町村でもつて金を出して設置しておるのであります。そして少くともわれわれの理解においては、日常の義務制の学校の先生が教壇の上で教えられるその行動自体というものは、国家の教育的な事業に関与をしておるということがいわれるかもしれませんが、いわゆる法律用語として、これが国家の事務に関係しておるということは私は言えない、こう申しておるのであります。ところが当局は国家の事務に関知しているから、国家公務員にするんだという論拠だと私は思うのであります。だから憲法二十六条を引用をされますことは、全然私の質問に対する要点ではないと思うのであります。端的にもう一ぺん申し上げますが、学校教育は国家の事務か、地方自治体の事務かということを申し上げておるのであります。この点に対する御答弁をお願いいたします。
  78. 岡野清豪

    岡野国務大臣 国家の事務であると同時に、地方公共団体の事務であります。
  79. 山崎始男

    山崎(始)委員 それならば私が先ほどから言うておるように、今の学校教育法の第五条を何がゆえに改正されたのですか、地方の事務であるからこそ改正の要が起つたのではないですか。それならば国家の事務にいつからかわつたのか、こう聞いておるのです。
  80. 福田繁

    ○福田説明員 お答えいたします。第五条の条文は、学校の設置者は、その設置する学校を管理し、法令に特別の定のある場合を除いては、その学校の経費を負担する。」という規定になつておりまして、学校の設置につきましては、これは学校教育法によりまして国としては市町村に設置義務を課す、これはいわば法律上の言葉でいいますならば、団体委任をいたしておる仕事だと思います。従つて団体委任をされた限りにおきましては地方の事務、こういうぐあいに解釈してさしつかえないと思いますが、今度の改正におきましては、この学校を管理するという面につきましては、単に建物を管理するというばかりでなしに、国家公務員となります範囲におきましては、人事の管理面もありますので、そういつた面をこれから取出しまして、これは直接国家が管理する事務だ、こういうような解釈をいたしておるのであります。
  81. 山崎始男

    山崎(始)委員 この学校教育法の五条は、いわゆる学校の設備も、義務制の教育給与関係も、原則としてはその地方自治体、設置者がこの経費を負担するというのが、これがあくまでこの五条の基本精神であり、五条の解釈だ。経費の負担の責任が委任をされようがされまいが、原則としては地方にあるということを、これは裏返せばはつきり示しているものだと私は思うのであります。それだからこそこのたび国家公務員にされたために、関係法律の改正をやられておるのだと思うのであります。だから少くとも事務当局においては、関係法律を改正された以上は、つい最近までの、改正されない学校教育法の五条というものの精神は、学校教育事務というものは、あくまで地方の事務だということを認め、ておられたという証拠ではないですか、こう私は言うておるのです。だから私はくどくどお聞きするのじやないのです。またくどくど御返答はいらないのです。地方の事務か国家の事務か、このイエスかノーかだけ聞けばいいのであります。
  82. 福田繁

    ○福田説明員 経費負担につきましては、従来都道府県の事務と考えております。
  83. 山崎始男

    山崎(始)委員 地方の事務という御答弁でありましたが、そうしますと、文部広報に、学校の教職員の日常の仕事に対して、国家の事務だというふうに書いてありますが、これはどういうわけですか。
  84. 福田繁

    ○福田説明員 その文部広報の意味は、私はただいまそれを手元に持つておりませんが、これは先ほど来文部大臣が申し上げましたように、憲法の解釈から、憲法二十六条でございましたか、その規定は、いわば国民の権利義務の条章として国民の権利というような側から、機会均等というものを規定いたしておるわけでございます。従いまして国民に対して教育機会均等を与えるということは、これは終局におきまして国で責任を持つ、そういう意味において国家的な事業だ、こういう解釈をいたしておるのであります。
  85. 山崎始男

    山崎(始)委員 どうも話が堂々めぐりするのですが、そういうふうな御答弁になると、一体教育委員会法精神はどういうものなのか、教育委員会というものは、どういう歴史的な経過を経てこういう教育革命が起つたのか、この点を、私はもう聞きたくないのですが、聞かざるを得ないような御答弁をされる。どうも根本的に、御当局と右と左の差があるくらい離れている。これは大臣がお時間があるなら、私はあすの朝までもお聞きしたいのですが、御用がおありのようですから……。
  86. 椎熊三郎

    椎熊委員 議事進行について。先ほど来の重要な質疑応答は、非常に参考になることだと思いますが、文部当局におかれましても、質問の要点にぴつたりしたお答えが得られないような点もあると思います。ことに本日は、文部大臣は参議院の委員会からの要請等もあるようで、お急ぎのようですから、事はすこぶる重大でありますし、私どもももつと検討しなければならぬと思いますので、本日のところはこの程度において議事を打切られて、次の機会に継続してこの問題を取上げていただきたい。すなわち散会の動議を提出いたします。
  87. 伊藤郷一

    伊藤委員長 ただいま椎熊委員の動議でございますが、大臣は参議院の予算委員会に対する答弁を断つてつたそうでありますので、まだ質疑を続行できます。田中政府委員がかわつてつたそうです。山崎さんどうぞ……。
  88. 山崎始男

    山崎(始)委員 この問題は議論をしておると非常に長くなりますので、一応この問題につきましては私は保留しまして、次に参ります。ついでにお願いをいたしておきたいことは、世界各国の例としてどこの国がこの義務制の教職員の身分関係を国家に所属さしておるか、どこの国が地方に所属さしておるかというような資料をお願いいたしたいのであります。いま一つの資料は、これは諸外国の例でございますが、国家公務員にしなければならぬというような理論的な資料がありましたらお願いいたします。できる範囲において資料の請求を委員長の方からお願いいたします。  次に、この法案を審議いたしまして、私どもがいろいろお尋ねしておりますが、割切れないところが多々ございます。いろいろお話の過程におきまして、大臣のいわゆる教育観という一つの大きな観点において、私たちとはずいぶん隔たりがあるのじやないか、数日来のお話を承つて特にこれを感ずるのであります。少しばかり私はその方面につきまして大臣にお聞きしてみたいと思うのであります。過日の予算委員会におきます文部大臣自由党の北委員との問答を一つの例に借りまして大臣教育観といいますか、そういうものを承りたいと思うのであります。  過日文部大臣は、予算委員会におきましてお話になつておられます点で、道義の高揚に対するお話の中で、愛国心といい、道義の高揚ということも、日本人の生活の安定ということがその一翼をになうべきものだ。しかしながら、産業の復興もそれができるまで待つておれぬから、今度は精神的な方面から道義の高揚をはかつて行かなければならぬと申しておられます。物心両面に道義の高揚の要素を求めておられますことは、私も異議がございません。そしてこの精神的な道義高揚の面を教育が取上げるべきものだ。すなわち学校教育社会教育を通じて今後大いに愛国心と道義の高揚をはかりたいという考え方であります。この点もわれわれひとつも異論があるのではございません。ところが最も驚いたことは、次に大臣が申しておられますのには、自分たちの先祖の時代には、子のたまわくとか、お釈迦様がこう言つたとかいえば、無条件でその道徳律を守つたものだ、こういうふうに礼讃されておられるのであります。そして次には、教育勅語は「夫婦相和シ」その他のごとく、千古不磨の真理を持つておる。どうも戦後の日本人は民主主義と自由放任とをはき違えている。いかにしたら自分が純潔に、また社会の人に対して人の権利を害しないような集団生活ができるか、人権尊重のあまりに自由奔放の考えが大き過ぎて国民でありながら国家を大事にしなければならないという感じが抜けている、こう大臣は申されておるのであります。これは私速記録を要約いたしましたので違わないという確信を持つております。私が一番遺憾に思うことは、最後の点でございます。国民の愛国心が足らぬのは、あるいは道義が高揚しないのは、基本的人権をあまりに尊重し過ぎることが原因だという最後の言葉なんです。これは裏返して申したのであります。最初大臣が申された、人権尊重のあまりに自由奔放の考えが過ぎて、国民でありながら国家を大事にしなければならぬという感じが抜けているという大臣の論の立て方は、裏返して申しますと、ただいま私が申しましたように、愛国心が足りなかつたり、道義の高揚がないのは、基本的な人権をあまり尊重し過ぎるということが原因だということになる。私は大臣にお尋ねを申し上げたい。この義務教育学校職員法案は、玉ねぎの皮のごとく、しんの中に皮をだんだんむかして行かなければたくさんの疑問がある。その疑問の帰結点をどこに求めるか、結局この法律最高責任者であられる文部大臣自身の頭の中に、日本国民に愛国心か足らぬのは、基本的な人権を尊重し過ぎるのが原因だ、だからわれわれは教員のいわゆる基本的人権である手足をとつたりその他をするんだということ、になるんじやないか、これは私一人の疑いじやない、おそらく国民全般があの予算委員会の審議を通しての大臣のお言葉の中から看取されるだろうと思うのであります。この点につきまして、大臣はいかなるお考えを持つておられますか承りたいのであります。
  89. 岡野清豪

    岡野国務大臣 今私速記録を持つておりませんからはつきりいたしませんが、人権を尊重して自由奔放に流れるからということを申し上げたことは、自分だけの人権を尊重して人の人権を無視する、こういう意味で言つた次第であります。
  90. 山崎始男

    山崎(始)委員 大部分言葉のあやですから、大臣はそういう御答弁でお逃げになるかもしれませんが、私がただいま申し上げましたことは、速記録を、ほとんど違わないように、長いところはちぎつて要点だけを大臣言葉通りに抜萃したのであります。なるほど社会の人に対して人の権利を害しないような集団生活ができるか、という言葉はございます。しかしながら、少くとも愛国心が足りなかつたり、道義の高揚が起らないということは、いわゆる日本国民の基本的な人権が多過ぎるからだということははつきり言われておるのであります。この点は私は非常に大切な点だと思います。同時にこの義務教育学校職員法案を究明をし解明をして行く上においては、こういう一つのお考え方のもとにこの義務教育職員法案というものがあるのかどうか。言いかえましたならば、国民道義の高揚ということと、このたびの義務教育学校職員法案というものに関連性があるのかどうか、こういうことにもなるのであります。どうぞこの点に対する御所見をお願いいたします。
  91. 岡野清豪

    岡野国務大臣 先ほど御答弁申し上げました通り、人権を尊重し過ぎるからというふうなことは、これは前後をよくお読みくださればわかることだと私は思うのであります。はつきり言葉を覚えておりませんが、人権を尊重するということは、憲法でわれわれ国民に与えられた使命であります。そうすると、個人々々がみんな自分自身の人権を尊重して、そうして人の迷惑をちつとも顧みない、それが道義の高揚がおとろえておるというゆえんであります。そういう意味で私は申したのであります。その意味において個人の人権も尊重しなければなりませんけれども、そこにはおのずから国家としての集団生活をして、すなわちたくさんの人が寄つて生活して行くのには、そこに制約がある、こういうことを考えなければならぬ。そういうことをしないと、自分のことだけ考えて、人のことを考えない、すなわち国のことを考えないということになる。私はそういうことをおそれたのであります。  私から皆様方に申し上げるのも釈迦に説法でございましようけれども、人権の尊重ということは、自分だけの尊重じやなく、自分も尊重するけれども、人様も尊重する。そうして人様も尊重しようと思えば、自由奔放に自分自身の思う存分のことをやつていたら、人様の人権を侵害するということになりますから、そこで集団生活、社会生活というものにある程度の礼儀作法というものがいるということであります。
  92. 山崎始男

    山崎(始)委員 この問題も非常に重大な問題であると思うのでありますが、結局これは見解の相違であると思います。これはどんなに弁解になろうとも、このたびの職員法案を審議しまする国民自体の気持の中には、やはり淵源はこういうお考えの中にあるのだということは、国民気持だと思うのであります。ただいまの北委員との道義問答の中で、先ほども申しましたように、国民道義の高揚を物心両面に求める。そうして学校教育でその心得の方の面を高揚すると言われまして、教育観として、自分たちの先祖の時代には、子のたまわくとか、お釈迦様がこうおつしやつたと言えば、無条件でその道徳律を守つたものという礼讃をされておられるのであります。次に教育勅語の問題に入られまして、教育勅語は千古不磨の真理を持つている。たとえば「夫婦相和シ」のことしだ。中に「汝臣民」というような適切でない言葉があるけれども、ともかくその根底に流れるところのものは千古不磨の真理を持つておるというこのお考え方、これはお間違いではないでしようか、それとも読んで字のごとく私たち理解していいのでありましようか、御所見をひとつ……。
  93. 岡野清豪

    岡野国務大臣 私の当時申しましたことをよくもう一ぺん繰返しますと、道徳というものはどこの国でもあらなければならぬ、またなければ社会生活というものは平和に行かぬ、こう私は考えております。それで、封建時代じやございませんけれども、われわれの先祖の時代におきましては、やはり漢学思想によりまして、論証にいわくとかなんとかいうことで書いてあります。私は論語なんかに書いてあることも、やはり今もつていいところもある、こう考えておる次第であります。人間はギリシヤ時代、すなわち五千年くらい昔から一歩も進歩していないのです。あるいは物質文明としては積み重ねて行きますものですから、いろいろ進歩はしていますけれども精神的の活動、またものの考え方というものはかわつておりません。その意味におきまして人間はやはり集団生活をするのには、どういうふうにして行つたら他人の権限を害しない、それからまた自分自身も自由に働ける、こういうようなこと、すなわち個人と集団生活との調和をとりますその礼儀作法というものは、昔から同じものです。そこで、私は明治維新以前にはやはり論語とか仏教とかいうようなものが、日本国民の思想の根底をなしておりまして、そういうようなお釈迦様の言うたこととか、論語に言つているというようなことが、やはり国民道徳の基本になつてつたのです。ところが明治維新のときに排仏毀釈というようなことがありまして、昔のものは全部悪いことだ、ぶちこわしてしまえ、またぶちこわされたようなことがありまして、そうして思想の混乱を来したからこそ、この思想についてやはり集団生活をして行くのに必要な一つのルールを考えなければならぬと思つてできたのが、いわゆる教育勅語でございます。ところが私もそのときにちやんと説明をつけておりますように、教育勅語は君主政治のもとにおけるところの道徳律でございます。でございますから「爾臣民有衆ニ示ス」というようなことがありまして治者と被治者との関係において教育勅語というものが出されておるから、民主主義になつた終戦後これは廃されたのでございますが、しかしその中に書いてありますところの「夫婦相和シ朋友相信シ」ということは、これは今そのままわれわれとしては守つてさしつかえないどころではなくて、守つた方が社会生活は平和に行くと思います。この点は私は山崎さんも御同感だろうと思います。どんな夫婦だつてけんかしたらいいじやないか、こういうような世の中はないはずです。朋友がお互いにけんかし合つて相信じなかつたら、社会の集団生活はできません。そういうような点をあげますならば、やはり千古の真理ではないか、こう私は考えております。ただ問題は、それを旧態勢、封建時代にもどすとかなんとかいうような意味においてあげ足をおとりになれば、それは言葉の行き違いでいろいろございましよう。しかし私どもといたしましては、民主主義国家になりました以上は、日本国憲法というものがりつぱにできておるのでございましてそうしてそれにつながりますところの教育基本法もありますし、学校教育法もありまして、そういうような憲法とか教育基本法とか学校教育法とかいうものは、民主主義国家になつた後のいろいろの集団生活を規制するところの基礎をなすものでございますから、それを十分敷衍して行きまして、国民の道義を高揚しなければならぬと思います。これは天野前文部大臣が、そういう趣旨によつて国民道義の実践要領というのでございますか、そういうものを書こうとしたところが、反動的だと非常な反撃を受けまして、そうしておやめになつたようでございます。しかし私は、少くともこの民主国家になつたこの民主国家において、国民がほんとうに従つて行つて人様に迷惑をかけないで、仲よくこの国に住んで、そうして民主的の国家、文化的の国家として繁栄して行く道徳律はあつてしかるべきものだと思います。もしできますならば、そういう道徳律が将来できて来ることを私は希望いたします。
  94. 小島徹三

    ○小島委員 私、ただいまの文部大臣のお話を承つてつたのですが、山崎委員の御質問も決して夫婦相和し、朋友相信じることが悪いというのではないのであつて文部大臣のように、昔礼讃されておりまするような、子のたまわくと一言いさえすれば、それに従つて行くのだというような、そういうものをつくろうという考え方が根本にあるのじやないか。従つてこの義務教育学校職員法案身分に関する法案というものの根本も、これを国家公務員にした結果、文部大臣が、天野前文部大臣考えておつたような、何と申しますか、一つ教育勅語に似たようなものをこしらえて、そうしてこれに右へならえというような教育をするのじやないか、そういう考えを根本に持つておるのじやないかというようなことが心配だから、山崎委員が聞かれているのだと思うのです。朋友相信じ夫婦相和すということは決して悪いことじやない。これはおそらく私は民主主義国家になろうとどうなろうと、当然従つてさしつかえないものであるし、むしろ従わなければならぬものだと思うのです。山崎委員のおそれられるところは、要するに子のたまわくというようなものをひとつこしらえようという気があるのじやないかということで、それを言つておられるのではないかと思いますが、それでは一体文部大臣は、天野さんの考えておられたああいう道徳要領というようなものをおつくりになろうという御意思があるのですかどうですか。
  95. 岡野清豪

    岡野国務大臣 私は浅学非才の身でございまして、ああいうふうなものを書く頭もございませんし、識見もございませんから、そういうことは考えておりません。
  96. 小島徹三

    ○小島委員 文部大臣はまことに謙虚な方でいらつしやいますから、御自身でおつくりになろうとはお考えになつておらないとは思いますけれども、吉田総理大臣はえてしてそういうことをお考えになる方で、そのためにブレーンも四、五人こしらえてあるらしいですが、一体ああいう審議会でそういうものをおつくりになろうという御意思文部大臣におありになりますかどうですか。
  97. 岡野清豪

    岡野国務大臣 ただいまのところそういう考えは毛頭ございません。
  98. 山崎始男

    山崎(始)委員 ただいま小島委員が申されました気持は、私の気持をそのものずばり付度されておられるのであります。「夫婦相和シ」というような言葉文部大臣一つ教育観であり、同時に子のたまわくとか、お釈迦様がこうおつしやつたと言えば、ヘヘつといつて無条件に頭を下げるような学校教育であつてはならないというお気持を持つておられるのだろうと思うのであります。私は、「夫婦相和シ」というようなこういう道徳律はもうすでになくなつている、こういう言葉はないと言いたいのであります。何ゆえそういうことを申し上げたかといいますると、敗戦後のこの民主主義によりまして、とかくの批判はございますが、少くとも学校教育から文部大臣がお考えになつていないような、いわゆる民主主義の新しい一つの秩序というものが社会のあちこちに現在出ている、私はこう思うのであります。そういう時代でありまして、「夫婦相和シ、朋友相信シ」という言葉は、今日のいわゆる道徳律の用語辞典とでも申しますか、そういうものの中にはもうなくなつている。「夫婦相和シ」というような言葉を若い者に言わなくとも、現在の若い者は夫婦相和し過ぎて困るくらい、もうこれは日常の生活の中に溶け込んでいると私は思うのであります。言いかえますと、民主主義、民主主義という言葉が出る間は、私はこれは民主主義でないという証拠だと思うのであります。あるいはまた男女同権だとかいうような言葉が出る間は、これは男女同権でない証拠であります。「夫婦相和シ」であるとか「朋友相信シ」であるとかいうような、文部大臣がお釈迦様の教えで教育された時分の時代感覚とは違うと私は思うのであります。今日の民主化された社会における人間の夫婦間の関係において、夫婦にけんかをせえと言つたつてだれが、けんかをする者がありましよう。もしする者があるとすれば、それは他の原因であります。決してそういう教えがないから夫婦げんかをするのじやございません。世間でよく夫婦げんかは米びつからというようなことを言いますが、この点こそ文部大臣はお考えにならなければならぬのじやないか。文部大臣自身も道徳の高揚は物心両面に求められるのだと言われるところに、私は満腔の賛意は表しますが、あとの教育を実施する上の方法論におきましては、私は相当の隔たりを感ずるのであります。倉廩実ちて礼節を知る、こういう言葉こそ私は千古の真理を持つていると思うのであります。単なる「夫婦相和シ、朋友相信シ」というような言葉があるから、教育勅語は千古の真理を持つているのだというようなお考え方は、ずいぶん御反省になつていただかなければいけない。ましてやいわゆる子のたまわくとか、あるいはお釈迦様がこうおつしやつたと言えば、われわれの先祖無条件でついて行つたもんだ、こういうふうに礼讃をされておられますお考え方、教育観の上には、ややもすると押しつけた学校教育というものが、意識無意識を問わず起つて来るのだ、このように私は思うのであります。もし大臣のお考えのように、学校教育が押しつけるところのものでありましたならば、これは今日のいわゆる民主化時代における学校教育の方法論でも何でもございません。同時にまたそういうお考え方自体、私に言わせますと非常に反民主的な考え方だと思うのであります。いわゆる人間に長幼序ありとか、あるいはその他の修身的な一つ言葉、これに絶対的に異論を申すのではありませんが、あの北委員との問答における文部大臣のお考え方、思想というものを通じて見た場合に、私はどうしてもこの義務教育学校職員法案の底を流れているものと一脈も二脈も通ずるような気がしてならぬのであります。先ほども学校の先生がハン・ストをやつておる、そのときにちよつと私は触れましたが、それは見方の相違であります。過去七十年間、いわゆる文部省令や勅令によつて学校行政がやられたときには、どうしてもああいうような教育勅語であるとか、修身であるとかいう式のものが必要であつたことは私もわかります。わかりますが、そういうような教育の過程を経て来た結果が、いわゆる教育の自主性をなくし、同時に悲しいかなああいう敗戦のうき目にあつた教育というものが不当な支配に圧迫されることなしに、学校の先生が自由人としての立場から自由に学問を研究して、そうしてそれがたまたまハン・ストになつて現われるということは、これこそいわゆる不当な支配に抗するところの熱情以外の何ものでもないと私は思うのであります。だからこういうふうな一つの現象に対して大臣がお考えになるなり方も、先ほど私が例に出しました北委員との問答の中に、教育勅語を通し、あるいはその他の言動を通されまして、私は一脈も二脈もにじみ出ておる。こういう感じを持つものであります。しかし私は最後に一言申し上げておきますが、少くとも文教責任者であられるところの文部大臣が、教育勅語の根底を流れるものに千古の真理があると言われる。ただいまお聞きしますと、「夫婦相和シ」ということを例に出されておりますので、私もあまり追究いたしたくありませんが、こういうお言葉文教の府の責任者であるだけに私は重大問題だと存ずるのであります。これは吉田首相が———— と言われて懲罰にかけられた、こういうものに比すべきものでないほど重大な事柄だと私は思うのであります。少くとも私は大多数の国民が相当誤解をしておると思うのでありますが、文部大臣はあの言葉を取消されるか、あるいは直されるか、そういうお気持はございませんか、この点お聞きしたいと思います。
  99. 岡野清豪

    岡野国務大臣 私の言葉が足りませんためにいろいろ誤解を起すかもしれませんが、私の頭の中ではそれを取消す考えはございません。私はある有名な大学教授が、親孝行は無用だという論を書いたことを聞いておりますが、そういうような考え方の方もあるのです。これは物の見方でございますから、八千四百万の中にはいろいろ思想が違いましよう。しかし私自身といたしましてはやはり「夫婦相和シ、朋友相信シ、恭倹己レヲ持シ、」というようなことが身だしなみとしては必要なことだということは、決してかわりはありません。
  100. 山崎始男

    山崎(始)委員 もう五時を過ぎましたので、私は質問を保留しまして、お約束通り一応打切りますけれども、私は非常に重大な点だと思うのであります。でありますから次の機会まで保留いたしておきます。
  101. 伊藤郷一

    伊藤委員長 本日はこれにて散会いたします。     午後五時十一分散会