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1953-02-18 第15回国会 衆議院 内閣委員会公聴会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年二月十八日(水曜日)     午前十時二十三分開議  出席委員    委員長 船田  中君    理事 富田 健治君 理事 熊谷 憲一君    理事 大矢 省三君 理事 武藤運十郎君       岡田 忠彦君    砂田 重政君       田中 萬逸君    森 幸太郎君       北村徳太郎君    笹森 順造君       粟山  博君    片山  哲君       井手 以誠君    原   彪君  出席政府委員         総理府事務官         (賞勲部長)  村田八千穂君  出席公述人         経済団体連合会         副会長     植村甲午郎君         行 政 書 士 上山祐治郎君         全国指導農業協         同組合連合会会         長       荷見  安君         経済同友会事務         局長      郷司 浩平君         評  論  家 阿部志つえ君         全国繊維産業労         働組合同盟会長 滝田  実君         東京都立両国高         等学校講師   田中 佩刀君         農民組合同盟         常任中央委員  細田 綱吉君         日本遺族厚生連         盟理事長    佐藤  信君  委員外出席者         専  門  員 龜卦川 浩君         専  門  員 小關 紹夫君     ――――――――――――― 本日の公聴会意見を聴いた事件  栄典法案について     ―――――――――――――
  2. 船田中

    船田委員長 これより昨日に引続き、栄典法案に関する内閣委員会公聴会を開きます。  本日午前の公述人は、経済団体連合会会長植村甲午郎君、行政書士上山祐治郎君、経済同友会事務局長郷司浩平君、全国指導農業協組合連合会会長荷見安着の諸君の順にお願いいたしたいと存じます。  なお公述人方々には御多忙中わざわざ御出席いただきましてまことにありがとうございます。十分に御意見をお述べいただきたいと存じますが、ただ時間の都合もございますので、はなはだ失礼でございますが、一人二十分以内にお願いいたしたいと思います。どうぞ御了承をいただきたいと存じます。それでは最初に経済団体連合会会長植村甲午郎君にお願いいたします。
  3. 植村甲午郎

    植村公述人 御指名によりまして、栄典制度に関する意見を申し上げるわけでありますが、こういう特別な問題でありますので、特別な研究をやつたわけでございません。ただ産業界の人人の若干の意見を聞き、いわば常識的に感ずるところを率直に申し上げるという次第でありまして、はなはだ恐縮に存じますが、一言述べさせていただきます。  栄典制度を設定することについての可否につきましては議論があるようでありますが、この点につきましては、わが国も独立国家になりまして、非常な内外の困難な情勢のもとに各般の再建をやるのでありますから、国民は挺身的に働かなければならない次第であります。従いまして身命を賭して国家社会のために働くというような面が当然に要求されるわけでありますので、もうこの際には栄典制度というものも確立されて参ることが適当なのではないかというように考えます。  それから案を拝見いたしましたが、この栄典種類等につきましては、勲章功労章、褒章というような区分ができておりますが、これは私どもとしまして特別な意見を申し上げることはございません。ただ位階という制度をやはり存置するということになつているようでありますが、この点につきましては、どうも率直に申してぴつたりこれが必要であるかということを認めがたい。非常な古い歴史のありますものでありますし、今までは理由があつたと思いますが、ことに説明を見ますると、国家功労のあつたものに対する一つの称号として与えるというのでありまするが、どうも正何位とかいうものをかりに国家から授けられましても、おそらく私どもの感覚から申しますと、名刺へそれを書く人はないのではないかというような気がするのであります。何か昔の制度、それも宮中関係というものは昔のままでありますれば意味があると思いますが、その点が根本的にかわつているのでありますから、今位階制度というものを設けることについては、こういう必要がないようでもあるし、設けてもはたして有用な制度として国民が受入れるかどうかという点について疑問を持つ次第であります。従つてその存置は必要はないではないかというのが私の率直な意見でございます。  それから勲章区分等につきまして、私どもとしまして特別な関心のありますのは、特別勲章として産業勲章を設定しよう、こういう案になつておりますが、この産業勲章を設定いたされますことについてはけつこうであろうと思います。ただそのときに多少疑問を持つて考えられますのは、産業勲章旭日勲章でありまするが、一般勲章また功労章というようなものの関係がどうなるであろうか、あるいは文化勲章産業勲章というふうな特別な勲章が設けられる、そうするとその関係のものは一般勲章のうち外に出されるという結果になりますと、一般勲章というものがやはり昔非難されておりましたように、あるいは一部の外交官であるとか、政治家であるとか、あるいは官吏であるとかいうようなところに限られて来て産業文化等についての一般国民功労にはこれが用いられないというようなことになりはしないかという一つ反対論的な意見がございます。この点については、一般栄典を排除する意味でないのであろう、ただ文化産業についての特別な功労者というものを抜き出して表彰される、こう考えまして、こういうような制度が設けられますことは産業関係のものとしてきわめてけつこうなことじやないか、こう申し上げる次第でございます。  それからまた産業という字でありますが、産業に関して特別な功労があつた者というのでありまするが、産業という範囲の中に、たとえば金融であるとかあるいは貿易のような商業に属するもの、あるいは保険事業というようなものも、もしその分野においての功績が非常に著しいものであつて国家にまた国民に対する功績が偉大である場合には、やはりこの産業勲章の中へ入つてしかるべきではないだろうか、これが入るということで制定されているかどうか存じませんが、もし抜けているとすれば、やはり一緒に考えていいのではないかというように考えます。  それから特別勲章を一体どういう扱いをされるのか。階級を設けないということになつておりますが、これは文化勲章と同様で、きわめてけつこうであろうと思いますが、ただ褒賞、功労章一般旭日勲章というものと抜き出して、特別勲章を設けるのでありますから、そこに何らかの差がなければならないが、いかなる関連に立つか、これは相当むずかしい問題だと思いますが、こういう特別な制度を設けます以上は、よほど産業について特別な功労のあつた、万人の認めてしかるべしという方に国家が表彰される、こう考えていいのじやないか。そうしますと、よほど限定された人に与えられるものと考えていい。同時にこれは地位について与えられるのではないであろう。あるときには、会社でいいますと、社長はもらわないけれども技師長で多年非常な苦心をしてその産業を盛り立て、これがひいて日本産業に対して非常な貢献をしたというような場合には、その技師長の人がもらうのだ、そういうような取扱いになるべきものだと思います。同時に、よほど特別な人に与えられてしかるべきであつて、そうたくさんに出るとちよつとけじめがつかなくなるのじやないか、従つて為るいはイギリスの勲章等にありますように、数を限定して、ある個数しか出さない、あきができた場合には両三年とか何とかの間に、補充として三、四人の方がその勲章をいただくというような、何か数を限定するようなことも一つの方法ではないか、これはどうも私ども、ただ一国民としての率直な感じを申し上げるのでありますが、文化勲章というような制度が設けられたことは非常にけつこうなことであつて、年々何人かの方々がこれを受けられる、これもいいことでありますが、だんだんに国民一般として、これはあの方がまだもらわなかつたのだ、これはどうしても表彰さるべき人であつたという方々だけでなくなつて来る。あの人があれするならばまだこういう人がいるじやないかというような感じを多少持たぬでもないような気がするのでありまして、従つてはり数を限定するか何かして、特別な人だけに与えられるということがいいんじやないかという感じがいたします。  それからもう一つ特別勲章、今問題になつておりますのは、文化勲章のほかに、産業勲章を設けよう、こういうことが問題になつておりますが、教育あるいは社会事業というような面、これが必ずしも文化勲章の範疇に入らないものがあると思うのでありますが、これは一生をその事業に捧げたような、またその功績が偉大であるという方々も、数はそうたくさんでないかもしれませんが、あると思います。こういう社会事業とかあるいは教育とかいう面は、心としては非常に報いられるところがあるかもしれませんが、社会的に見て報いられるところの少いことであるしいたしますので、何かそういう面についての特別勲章というものを御研究なつたことがあるかどうか、もしいろいろ御研究なつた結果、いろいろな観点から見て今回はやらなかつたのだというのであれば、これはやむを得ないのでありますが、これらについての御研究をしていただくことがいいのではないかと考えます。  それから栄典授与に関する審議機関と申しますか、こういうふうなものについて審議会を設けるという制度になつておりますが、これもきわめてけつこうだと思います。ただ文化勲章については何か特別な形に今でもなつているように感じているのであつて、調べたのではありませんからわかりませんが、この特別勲章につきましては、あるいは一般審議会だけでなく、そこへ出します前に委員会か何かでその方面等についての知識のある者を集めていただいて、これならよかろう、だれも異議のないところではないかというようなりつぼな人を選ぶというような、こういう二段制か何かが必要ではないかというふうにも考えられるのであります。  大体私の申し上げようと思いましたことは以上数点でございます。これで私の意見としては終ります。
  4. 船田中

    船田委員長 ただいまの植村甲午郎君の御意見につきまして御質疑はありませんか――御質疑がないようでありますから、次に行政書士上山祐治郎君にお願いいたします。
  5. 上山祐治郎

    上山公述人 私は、結論から申し上げまして、この栄典法案反対であります。なぜであるかと申しますれば、元来この栄典法なるものは、その目的国家及び公共団体に対して著しき功労ある者に対して国家がこれを表彰するという目的によつてつくられるものである。そうでありまするならば、国家に何ら功労のない者は当然この栄典授与にあずかるべきでないはずである。にもかかわらず戦争中のこれまでの栄典授与者の中には、何ら国家に対して功労がなく、ただある政党に対して献金したところの実業家であるとか、あるいは内閣総理大臣にじつこんの者であるとか、あるいは私情関係が大いにこれに関係する。またぶらぶらしながら二十箇年間も官庁に勤めていた者に対して栄典授与をされておるのが実例である。これは実に遺憾千万とわれわれは思うのである。今回新たにこの栄典授与に関する取扱いに関しては、むろん過去のごときあやまちを繰返さないように慎重なるところの態度はとるであろうけれども、いやしくも栄典授与実権を握るところの人間は神でない限り、人間である以上、再びこのあやまちを繰返さないということをだれが断言し得るか、実に憂慮にたえない次第であります。私の反対せんとする第一の理由はここに存するのであります。  次に、一体この栄典授与者はだれであるかと申し上げますれば、憲法第七条第七号におきまして、天皇栄典授与を取扱うということが規定してある。しかしながらこれは形式であつて、実質ではない。なぜならば、この天皇栄典授与に関しては条件が附さ、れてある。すなわち天皇の国事の執行に対しましては、内閣の助言と承認が必要であるということが明らかに書いてある。もし内閣総理大臣が推薦するにあらずんば、天皇といえども、決してこれを実行することはできない。内閣総理大臣が承認するにあらずんば天皇陛下は、いかに授与をしようと思つてもできない。形式的に天皇陛下授与権があつて実権を握つておるところの者は内閣総理大臣である。もし内閣総理大臣が人格高潔で、公平無私の人士であるならば、われわれ国民は安んじてこの栄典法の設定に賛成をします。しかしながらいつ内閣がかわらぬとも限らない。吉田さんのような人格者がいつまでやるわけでもない。政変によつて明日にでも内閣がかわつて、いかなる政党内閣を組織するかわからない。ことに恐るべき政党がもし内閣をとり、内閣総理大臣にいかがわしい人物がなつたとしたならば、必ず情実に流れ、必ず恐るべきところの栄典授与が行われることは確かである。こういう点をわれわれは考えるときにおいて、実にこの栄典授与は危険千万だ。今急いでわれわれは実行すべきでないということを考えなければならぬと思います。  次に、だれが一体ごの栄典を受けるか。むろんこれは「国家又は公共に対し功労のある者」とあるけれども、実際の問題として、まず第一に栄典授与されるところの者は内閣総理大臣各省大臣、あるいは衆議院、参議院の議長及び各議員というものが第一番に恩典に浴することは当然である。過去数回にわたつて代議士になつたところの者は、いかに国家に対して功労があつたかもしれないけれども、昨今第一回の当選をした議員等においては、何ら国家に対して功労がないにもかかわらず当然勲三等ぐらいの栄典授与にあずかる。こういうことでは非常に不公平な栄典授与に陥るということをわれわれは大いに心配するところであります。ことに内閣利益を供与する者、あるいは政党に献金する者、こういう財閥社長などがこの栄典に浴するということは最も不都合の至りであるとわれわれ考えするがために、これに反対をいたします。  なるほど今回のこの栄典法案を見ますると、第二十三条第二項において「審議会は、委員十一人で組織する。」とあります。これだけを見るならばわれわれは安心して賛成することもできるけれども、第三項においてこの第二項の規定を骨抜きにしておる。これは何のために規定したか。なぜならは第三項において、この十一人の委員を選定する者は内閣総理大臣がこれを任命すると規定してある。内閣総理大臣の息の吹きかからないところの人間委員たることはできない。内閣総理大臣の子分でなければ委員たることはできない。こんな空文を掲げるよりは、内閣総理大臣は独断専行すると規定した方がむしろ正直でいいのじやないか。私は大いにごの法案は改正しなければならぬと思いますが、時間がありませんから詳しいことは申し上げません。次に憲法第十四条第一項、第二項、第三項において与えられたところの事柄が、この栄典法実行によつて破壊されることを心配している。憲法第十四条第一項において、われわれ国民は人種、信条、性別、社会的身分門地等によつて差別は受けないということを規定しております。第二項におきましては、華族その他の貴族はこれを認めないとしている。第三項におきましてはこの栄典授与は何らの特権も伴わないとしておる。ところがこの三つのものは栄典授与法典実施において破壊される心配があることを私は申し上げたい。例を申し上げるならば、宮中において歌の会とか何々の会とかいつて国民を招待する際においては、むろんその人数を限るのであるから、五百人とか六百人くらいのものでありましよう。今日の状態においては人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず、民主主義の今日においてはほとんど平等であつて差別がない。ところがわれわれ国民の中で、特に宮中の招待にあずかる恩典に浴して、差別をつけられる者は、位階勲等を有しておるところの、いわゆる栄典族だけである。これも第一回に招待された者は、次は遠慮して、順繰りに招待するものではなく、毎年いつも同じ人間を招待する。これは平等であるべき国民の間に差別がはつきりできている。平等が栄典法によつて破壊されるものである。  次に、華族その他貴族はこれを認めないとせつかく階級制度を打破していながら、この栄典法を設けられたために千人か二千人、一万人くらいの栄典族国民との間に大きなみぞができて来る。元の通り貴族平民との間に非常に反感、羨望、怨恨というような思想がここに生じまして、非常にいかがわしいところの思想的危険が生ずるのでそれ以上に勲章をつくる多くの材料から、図案から、その他のことに対して数十億の費用がいることはもちろんである。もしも栄典法実施しなければ日本の国の経済界は回復しない、日本はないかと私は心配するのである。すなわち名はかわつても、華族でもない、貴族でもないけれども栄典族というものが明らかにこれにかわつて上層階級を占めることになると思います。これは思想悪化を来しまして、危険きわまる。今日において国民思想悪化することをわれわれは憂慮するものである。  その次の問題といたしまして、いかなる特権も伴わないというけれども土百姓その他の者より位階勲等を持つた者に対して特権が付与されていることは、卑近の例で申しまするならば、たとえば学校卒業式において、校長とか区長、あるいは村長という位階勲等を持つた人の席は上席を占めている。そして一般の父兄はたつた一ぱいのお茶で帰されるけれども、この連中は式後におきましては、招待されてごちそうを食い、おみやげをもらい、記念品をもらつて帰る。これらは宮中の会と同様、毎年同じ人間が、いつもの通り招待されることは明らかな事実である。この利益特権である。かくのごとく幾多の利益差別その他が栄典法実行において生ずるという心配があるから私はこれに反対するのである。最後賞勲局について、賞勲局という名前がつくかどうかわかりませんけれども、これを実施するにおきましては、庁舎の設備費から人件費、少くとも五百人の人間はいるでしよう。またそれ以上に勲章をつくる多くの材料から、図案から、その他のことに対して数十億の費用がいることはもちろんである。もしも栄典法実施しなければ日本の国の経済界は回復しない、日本の再興はむずかしいというならば、幾百億かかつてもこれはさしつかえないけれども、この栄典法は不急、不要のものである。今日でなければならないということは決してない。それ以上にわれわれは目下焦眉の急であるところのものに、この金を使いたいと思う。これは本法に関係はないけれども、一昨日根室の上空にソビエト機が二機飛んで来ている。これを撃ちしりぞけたところのものは、アメリカ飛行士である。なぜ日本飛行機はこれをしりぞけることができなかつたか。これは日本になかつたからである。アメリカといえども永久に日本の国を守つてくれるという保証はできない。今に戦争が始まつて、もしもアメリカ本国が空襲されるようなことがありますれば、日本を守つておるアメリカ兵は全部引揚げることになる。そのときになつて日本の国に一機の飛行機もない、高射砲もない、保安隊もないというようなことであつたならば、われわれは無条件に彼らに降伏せざるを得ない。彼らのために働ける者は重労働、働けないところの子供や老人は虐殺されるであろう。婦人は彼らのために凌辱せられ慰めものにされ、悲惨なる状態に陥ると思うのであります。されば、この際不急不要のもののために数十億を使うこの栄典法実施をいましばらく延ばして、その金をもつて一門の高射砲でもいい、一機の戦闘機でもいい、これをつくつて国土を守ることに私は使いたいと思うのであります。  次に申し上げたいことは、経済界をこの栄典法によつて破壊されるという一つの憂いがあります。それは諸君も御承知の通り、今日幾百かの株式会社ができておる。これは商法の欠陥によりまして資本金を制限しない結果、五万円でも会社が立つ、十万円でも会社が立つというので、雨後のたけのこのごとくに会社というものがたくさん立つ。金のない会社がたくさんある。信用のない会社がたくさんある。それでこの会社信用させるためにいわゆる栄典族をひつぱつて来る。元農林省次官で勲三等とか、あるいは正何位とかいうものをひつぱつて来て社長にするならば、世間の人はばかが多い、私もそのばかの一人であるけれども、あの会社は、元農林省次官、正三位勲三等の人が社長であるならば、これは信用ができるというので、金融会社であつても、保険会社であつても、みんな金を正直に出す。一箇月するとそれがぶつつぶれるというようなことになると、それが社会を毒することは実に多い。これはこの栄典族のためである。これがわれわれの非常におそれるところであります。  次に、子女教育のために非常に影響があるということを申し上げたい。再び言うようであるが、かりに小学校卒業式がある。今申し上げたように、校長区長村長等の席に栄典族勲章をもつてそこに並ぶであろう。子供はおれのお父さんりつぱだ、おれのお父さん勲章を持つておるというので、はしやいで喜んでおるけれども土百姓子供は、うちのおやじは何も役に立たない、はずかしいというところから、親を軽んじ、親と衝突し、次で家出をし、次いで不良になるというふうなぐあいに、子女教育を実にじやますることの多いのがこの栄典族である。これをわれわれは非常に残念に思うからこれに反対するのである。  最後にもう一つ申し上げたいことは、国民思想悪化ということである。今申し上げました、人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずという民主主義の真理を破壊せられまして、栄典族という貴族があり、大きなみぞの下には平民がある。ここに遂に思想的の、反感悪化いたしまして、恐るべき何々党というようなものにだんだん入つて行くものがたくさんできて来るのじやないか。これは実にわれわれの戦慄に値する事柄であります。また少しばかり金を持つた者は、衣食足つて勲章がほしくなる。名誉心が起きまして、偽善を行つてもいいから勲章がほしいという考えが出て来る。これは実例を申し上げましよう。かつて東京帝国大学におきまして――今大講堂がありますが、あれは安田講堂と一名言うておる。何のために安田講堂と言つたか。安田善次郎というものが百万円を寄付してあの講堂ができ上つた。ところが、これに対しまして、東京帝国大学規定によりまして総長名をもつて感謝状を発行いたしました。ところが安田一家におきましては、なぜ男爵にしてくれない、なぜ勲章をくれないかといつて談判する、しかし帝大におきましては、規定によりまして、安田善次郎法人代表であるためにくれることはできないといつてつつぱねた、実にこれは英断であつた。ところが諸君日本財閥というものは、こういうきたない心境のもとに金を寄附する。ときを同じうして東京帝国大学図書館をつくりました際に、当時の設立者某は、アメリカロツクフエラー財団に対しまして百万円の寄付を仰ごうとして、日本人のきたない考えから、百万円もらうためには二百万円とふつかけよう、そうすれば百万円はくれるであろうというような考えから二百万円くれということを申し込んだ。ところがロツクフエラーは、当時の金で二百万円じやなく二百万ドルという金をぽんとくれてよこした。今日はドルは円に換算して三百六十倍になるけれども、その当時は十倍か二十倍の価値があつたでしようから、おそらくは二千万円くらいの寄附金であつたろうと思います。それによつて大学におきましては、あの図書館ロツクフエラー財団としようといつたら、われわれは名誉のために寄附したのじやないからやめてくれ、それではロツクフエラーの銅像を立てようといつたら、それも名誉のために寄附したのではないからやめてくれ、それでは額縁を寄附してくれといつたら、それもいけないといつて、実にきれいに寄附した。日本財閥アメリカ財閥の心に比べていかに見にくい点があるかがわかるのであります。  最後にただ一つ。これは水戸の人でございます。東京帝国大学社会科におきまして、新聞研究室というものが設けられたとき、当時の各国の新聞の寄贈がありました。その方は報知新聞の創刊号から三十箇年間の新聞紙をためておる。それを大学の研究室に寄附したのであります。それに対しまして、やはり大学の規定によりまして感謝状を出しました。ところが彼は怒つて、なぜ勲章をくれないか。三十箇年の貴重な新聞の文献に対してなぜくれないか、すなわち彼の寄附は、勲章目当の寄附であつた。こういうきたない偽善家が多く現われる。もし勲章をくれないなら金をよこせ、金をくれないなら新聞を返せ、これは日本人の実に見にくい心情であつて、われわれ日本人として恥ずべき事柄であると思うのであります。こういうようなきたない名誉心の横行が赤化思想が起るもとであり、これはこの栄典実行によつて起ると思いますがゆえに、私はこの際不急不要である限り、これを廃止するか、もしくはしばらくの間これを延期することを希望して皆さんの御批判を仰ぎたいと思います。失礼いたしました。
  6. 船田中

    船田委員長 ただいまの上山祐治郎君の御意見に対しまして御質疑はございませんか。――御質疑がないようでありますから、次に全国指導農業協組合連合会会長荷見安君が特にお急ぎのようでありますから、荷見安君にお願いいたします。
  7. 荷見安

    ○荷見公述人 私簡単に栄典制度に対する意見を申し上げたいと存じます。もちろんこういうことについては専門家でありませんので、非常に常識的なことになると思いますが、その点はお許しを願いたいと思うのであります。  国民功績に対しまして、国家が栄誉を与える制度は、わが国におきましても昔から行われて参つたことであります。外国におきましても、多数の国が実行いたしておることでありまして、これは国民の業績に対して名誉を与えることによりまして、それを受けた者は、自己の功績を認められたことによつてさらに事業に努力をいたし、その他の者も、それらの事に刺激を受けてさらに勉強をして行くというような働きをすることと思うのでありまして、私は栄典制度ということは、国がその行政を行つて参ります上に必要なことであると思うのであります。しかし栄典制度というものは、国民の理解と信頼と二つを受けるものでなければなりませんし、それを得まするように運用されることが必要でありますから、その点からいえば、この制度はなるたけ簡単にいたしまして、国民がよくそれを理解できるようなことになるのがけつこうだと思うのであります。ただ社会の発達に伴いまして、社会の活動も各方面に分化して参ると思いますので、栄誉を受ける人も、いろいろの種類があるのでありましようから、ある程度の複雑はやむを得ないと思うのでありますが、要はその実行が厳格に失せず、濫用に流れず、中正にして、世人の納得の行きますように行われることが肝要であると思うのであります。その栄典授与に関する審議機関の構成とか選任とかいうことがよほど各方面にわたつて、公平にできるように組み立てられることが必要だと思うのであります。具体的なことは申し上げません。国の政策として行われる制度でありますから、その政策を推進するのに、適合するように制度が整備さるべきであると考えます。現在の国策の中心は何と申しましても、敗戦後の国の再建でありまして、ことに国民生活の安定が最も大切なことであると思うのであります。さようなことを考えまして、私は栄典制度のうち、特に産業勲章のことについて気づきを申し上げたいと思います。  現在は文化勲章が設けられておりますが、産業関係には、これに対応いたしまする勲章制度がなかつたことははなはだしい不備であると考えられるのでありますから、今度ここに産業勲章制度を設けられるということは、はなはだ遅ればせではありますけれどもけつこうなことと存じまして賛成であります。  次にわが国は独立回復に伴う国民経済自立の必要ということについて官民一致して強く要望しておるのであります。これには産業の振興が急務中の急務であります。それに関連いたしまして、農林水産業をながめて見ますと、農林水産業はわが国人口の半ば以上を占める産業でありまして、その振興発達が国の盛衰を左右するものであることは、論議の余地もなく国民経済自立のためには最大の要件であると存じます。従つて国の制度として功労者に栄誉が与えられます場合には、最も尊重さるべき分野であろうと考えるのであります。産業勲章産業という言葉はどういうふうに使われますか、現在制度といたしましては、通商産業省とか農林省とかいうような文字もありますが、これらとは意味が違うものでなければ、この栄典制度の中にある産業勲章ということは適さないと思うのでありまして、この栄典制度の中にある産業勲章という文字は、農工商全般を含む広い意味のものでなければならぬと存じますし、またそうあるべきだと思うのであります。そのことを一言申し上げておきます。  なお運用について一言農林業の立場から申し上げさせていただきたいのでありますが、国民食糧の供給確保をするということは、国民生活安定の基礎でありまして、その目的を達しますためには、農林水産業の発達が一番重要になるのであります。政府がその食糧増産の施策に努め、その方策を誤らなければ、わが国においても国内食糧自給が可能であるということは、大正の初めから過去数十年にわたりまして、人口の増加に対応して米の産額が増加して参つた事実によつても推察にかたくないのであります。しかしてこれを達しますためには、いろいろのことが必要でありますが、それらの功労者に対する栄典授与というような。ごときことも、他の産業の部門に比較して遺漏がないようにしなければならぬと思うのであります。たとえば、食糧増産に伴う原野の開墾でありますとか、水面の埋立て、干拓等によります耕地の拡張、灌漑排水等の施設による耕地の改良等は、農業を振興し、食糧を増産する基本的の方法でありますから、ぜひしなければならぬのでありますが、そういう仕事の功労者に対しては、ごく昔におきましても、名君賢将といわれるものは、必ず非常な奨励方策を講じておることは、各地の実績を調査してもわかるのであります。それらのことは、現在でも人に名誉心のあります以上必要なことと思いますが、その事業の遂行の容易でない努力苦心に対しては、国としても報いるところがなければならぬと思うのであります。それは非常な努力をしておる人も地方にあることはよく承知をいたしております。  その他産業につきましては、たとえば稲の品種の改良等につきましても、非常な苦心を払いまして、寒冷の地方にも育成するようなものをつくり出し、あるいは多収穫の品種をつくり出し、または風に強いようなものもつくり出しておるのでありますが、これらは年に一ぺんくらいできるものをだんだんと研究して行くのでありますから、容易なことではないのであります。また世界でも誇るに足る日本の果樹の改良、これらは非常な成果を上げておるのでありますが、これらの功労者に対する表彰などということは、現在までさつぱり行われておらぬように思うのでありまして、その事業を見ますと、特別の地方の仕事であることもありますけれども、将来にわたつて非常に多くの効果を上げておるのであります。これらについては国家でもずいぶん高く評価すべきものと考えます。  また養蚕業の発達と申すようなことにつきましても、あるいは畜産業の各種の家畜の改良のごとき、中央及び地方に非常な功労者がおるわけと存ずるのであります。なお森林の育成保護というようなことにつきましても、水源の涵養でありますとか、防風林の造成、洪水の防止、風致の改善等国土保全並びに産業振興にどれほど多くの貢献をしておるかわからぬのでありますが、これらに対しては一生涯をささげまして努力をいたしておる者もあるのであります。これら長年の努力に対しても国家として何らかの機会に考えなければならぬと思うのであります。そういうわけでありますので、私はこのたび産業勲章というものが設けられたことについて、これが適当に運用せられますれば、これまで社会の表面にあまり現われずに国家に貢献をいたしておりました者に報ゆる一つの方法ができることと存じまして、これは賛成であります。  ただ今後法律が運用されますときに、文化だとか産業だとかいう名前の文字の解釈について、それをあまりにしやくし定規にしますと、文字の解釈というものはなかなかむずかしいものでありますから、それらの運用に当る人が十分遺憾のないように、国民の中に不満を起しませんように運用していただくことが必要であると存じます。他の制度につきましても、あるいは位階の問題でありますとか、功労章の問題でありますとか、いろいろあると存じますが、これらは私専門家でありませんし、社会が複雑いたしております上に、受ける方の人々の立場もいろいろ複雑になつていると思いますので、運用が適切に行かなければいけませんが、最初に申し上げましたように各方面の人を選任いたしまして公平に周到な研究ができますならば、これを補うことができるかと存じますので、申し上げません。その審議機関というものの働きがこの制度の効果をどうするか、あるいはなるほどもつともであるといつて国民全般が納得するようになりますか、あるいはどうもあれはつまらぬ制度たといつてこれを非難するようになりますか、その問題は一にかかつて運用の適否に存する工とと思いますので、審議機構の構成については十分の御考慮を煩わしたいと思うのであります。私の申し上げることはこれだけであります。
  8. 船田中

    船田委員長 ただいまの荷見安君の御意見につきまして御質疑ございませんか。――御質疑がないようでございますから、次に経済同友会事務局長郷司浩平君にお願いいたします。
  9. 郷司浩平

    郷司公述人 栄典制度そのものにつきましては、これは今荷見さんのお話にもありましたようにどこの国でもあることだし、日本でも古来からあつたことであつて国家に対して功労のある者に名誉を与えるという趣旨はけつこうなことであります。またすで日本も独立したことでありますので、これを復活するということは私は賛成いたします。  ただここで考えなければならないことは、従来の日本栄典制度はほとんど軍人とか官吏、国会議員、こういう一部の層の占有物になつておりまして、民間の栄典に浴する者はほとんど刺身のつま、あるいは軍人、官吏等の位階勲等を引立てる役割のようなものを事実上演じておつた、こういう一つの伝統がありますので、すでに民主主義がうたわれている今日にあつては、この点につきまして極力慎重に考慮しなければならない。おそらくこの栄典法案が議会に上提されますのを国民が率然として聞けば、昔の官僚国家の復活、いわゆる逆コースになりはしないかという点をおそれるのではないか。これは今の上山さんのお話の中にも、そういう国民感情の一部の考え方が代表されていると思います。そうなればせつかくのこの栄典というものは国民から忌避される、こういうふうに逆効果になりますので、この点はくれぐれもひとつ御注意願いたいと思います。もちろん栄典制度審議会の審議中にこういうことは当然問題になつたろうと思います。また法案の内容を見ましても、その点については一応の考慮が払われているように見受けますけれども、さらにこの点については十分検討をしていただきたいと思います。そこでこの点を中心にしまして、私の意見の二、三を述べてみたいと思います。  第一には位階、これは昨日の公聴会でもほとんど大半の方々反対であつたと思いますし、きようまた植村さんも反対しております。最初この審議会では位階は取入れられないというふうに聞いておりましたが、これがまた再び取入れられることになつた。そのいきさつについては私は存じませんけれども、しかし私はこういうものを復活するという積極的な意味はどうも見出しがたい。消極的に見ればこれは非常に封建色の強い伝統を持つておりますので、特に積極的に必要だという理由がないならば、私はこの制度は廃止した方がいい、こういうように思います。  第二に、この制度を真に新しい日本の民主的な、民衆に親しまれる、喜ばれる制度にするためには、従来特権的にこういう恩典にあずかつた層、先ほど申しました国会議員あるいは大臣、官吏、こういう人々は、これはいわば大きくわければ勲等を授与する側の者でありますから、これらの方がこの恩典に浴することは、平たく言えばお手盛りでとれることになり、むしろ原則としてそういう方々恩典を受けないことにしたらいいと思いますが、制度としてはそういうわけに行かないと思いますから、勲章授与する全部の人員に対して、民間からは何パーセント、それからこれらの授与する側の者については何パーセント以上は授与しないという、一つの内規なりあるいは政令でそういうことをきめてやられた方がいいのではないか、これがいわゆる逆コースの誤解も防ぎ、かつまた民衆に親しまれる、真に民主国家にふさわしい栄典制度を施行する一つの大きなゆえんになるのではないかというふうに私は思うのであります。  それから第三には、今度の中で最も意味のあるものは、先ほどから問題になつております産業勲章、これは非常にけつこうであると思うのでありますが、ただ産業ということになりますと、文化勲章と違いまして、これは特定の対象は持つておりますが、非常に広汎になつて来る。それを一括して産業という名称で呼んでいいかどうか、ここに一つの問題がありはしないか。先ほど来問題になつております金融もそれに入るのか、農業、水産業、商業がこれに入つて来るのかという疑点が起きて来ると思います。これはもちろん抱括されておると思いますが、それほど対象が漠然としておる。だからこれを少し細分してみたらどうか、たとえば金融とかあるいは商業、そういうものを含めた産業と、農業、労働というふうに三つぐらいにわけたらどうか、これはただ産業という広範な名称で一括するにはどうしても無理がある。たとえば労働の問題で申しますと、直接に産業というにはふさわしくないものがある。たとえば破壊的な分子から労働組合を敢然と守つて、そうして健全な組合を育成した、そういうものは当然行賞の対象になると思いますが、いわゆる産業ではこれはどうもおかしい。やはり労働という一つのわくがふさわしいのではないか。ことに勲章目的でありますところの、これを表彰することによつて志気を鼓舞するという目的から言いましても、そういう限られた対象のはつきりしたわくを考える必要があるのではないか。ですから私は、この産業勲章というものを農業、産業、労働の三つぐらいにわけてやるということが、より具体的になり、かつまた勲章の趣旨をさらによく表現するゆえんではないか、こういうふうに考えるわけであります。  それから最後に、この審議会の人選が先ほど問題になりましたが、これは非常にむずかしい。公正にしてしかも各方面の事情に通じているという人はなかなか少いと思うのでありますが、それはそれとして、最も懸念される点は、やはり審議会というものは非常に誘惑の多い委員会になつて来る。そこでどうしても、売勲問題ということにまで発展しなくても、そこに腐敗するものを防ぐために十分の対策が必要であろうと思います。法案によりますと任期が二年ということになつておりますが、やはり長く勤めるということになると、どうしてもそこにほこりがたまるということ、これはまあ人情のしからしめるところではありましようけれども、そういう弊害もありますので、できるだけ任期を短かくするということも一つの方法であると思います。それには二年は必ずしも長いとは思いませんが、むしろ半数交代という形で、任期は二年にしても、一年ずつそれを交代して行く、そこで新陳代謝を盛んにして、そうして腐敗を防ぐというふうなくふうも必要ではないか。この点につきましても、法案では二年とありますが、政令その他でこれを再検討していただいたらどうか、こういうように考える次第でございます。  私の申し上げるところはそれだけでございますが、制度そのものについてはけつこうと存じますが、なおこれを民主的にするために一段のくふうが必要であると思う次第でございます。
  10. 船田中

    船田委員長 ただいまの郷司浩平君の御意見に対して御質疑はございませんか。――御質疑がないようでありますから、これにて休憩いたしまして、午後一時より再開いたします。     午前十一時二十三分休憩      ――――◇―――――     午後一時十九分開議
  11. 船田中

    船田委員長 午前に引続きまして、栄典法案に関する内閣委員会公聴会を再開いたします。  午後の公述人に評論家阿部志つえ君、全国繊維産業労働組合同盟会長滝田実君、東京都立両国高学校講師田中佩刀君、農民組合同盟常任中央委員細田綱吉君及び日本遺族更生連盟理事長佐藤信君の諸君の順に御意見をお述べいただきたいど存じます。  公述人方々には御多忙中わざわざ御出席いただきまして深く感謝いたします。御意見は十分にお述べいただきたいと存じますが、時間の制約もありましてはなはだ失礼でありますが、一人二十分以内でお述べくださるようお願いいたします。それではまず評論家阿部志つえ君よりお願いいたします。
  12. 阿部志つえ

    ○阿部公述人 阿部志つえでございます。栄典制度についての輿論を調べてみました。この制度をつくりますのに、賛成なのが九割で、反対は一割にすぎません。けれどもこのおのおのの理由を聞きますと、賛成の方にはちよつとごあいさつみたいなところがあつて、掘下げが足りないと思います。たとえば賛成の理由として、勲章をやると、ほしい人は一生懸命にいいことをするから、励みになる、孝子節婦が隠れているのだから、このような人たちを見出してたくさんやつた方がいい、それからまた独立国になつたのだから、この程度のことはあつた方がいいというような、感情的なものでございます。これに対し一割の方の反対理由は、割合に筋が通つておりますので、これを聞いたならば、賛成者の中からもなるほどそういうわけかというので、栄典制度に対する自分の絶対必要だという線をやや引下げて、どうでもいいくらいになりはしないかと思います。ここで国立世論調査所の一回の調査にただちにたよりまして、制度をつくつてしまつたあとで、庶民の情熱が薄れるようなことがあつては困ると思います。その意味でも万全を期したいと思います。  反対者は二十才から二十五才以下の若い人とインテリと言われる階層の人人に多いようです。今日つくる法律は若い世代の人たちの共感を集めるに足る未来性を持つべきだと思います。そ、の点からも反対意見の検討をしてみたいと思います。  反対意見一つに、階級が区別されて、人間差別ができるのがおもしろくないというのがあります。位階勲等を持つた人はいばるかもしれないし、本人はまたいばらないにせよ、まわりでうらやましくなつたり、それを利用しようとしたり、卑屈になつたりする傾向が今日も残つております。もともと位階人間の身分をわかつ事に始まつております。政治をとる者が権力を独占しようとしたり、そのために政治を知らしめないところの卑しい階級をつくつて、卑しい階級に対して人間の自由を押えました。ですから位を持つところの一方はいばりたくなります。持たない者は卑屈になる傾向を伝統的に持つております。位階のわくを破つて進歩しようとする庶民のために、または僭越な野心的な政治家のために、位階は世の中がむずかしくなるごとに小刻みに複雑化されて参りました。位階によつて着物の柄や色から、いる場所、おじぎの仕方が違うようになりました。このときに生産をする勤労者は最下級に置かれて、衣食住も人間以下に規定されております。これが日本の進歩をかなり阻害していると思われます。これは位階の背景になつているものを苦々しく感じます気持が反対意見一つとなつている者と見られます。  栄典法というのは、人間社会を進歩させ、多くの人々を啓蒙する、幸福にする、あるいはそうなし得るところの業績、功労に対しての表彰であるべきですから、一般の人々を潤さなければなりません。一般の人々は、表彰された人を見て、善意と才能を伸ばし、広げようというふうに、人間の可能性を信じて、励む方向に心が向わなければならないと思います。そのように栄典法はきめられなければなりません。差別をつけて、身分を規定する雰囲気を持つているのは廃するのが適当と思います。  ことに位は、政府の役人は政府できめる、宮内省の役人は宮内省できめる、与える方は宮内省だというふうに、以前はなつております。今日は宮内庁になつたわけですから、このようにめんどうなのはやめてもよろしい、第七条は削除した方がいいと思います。栄典制度に賛成な人で、位をもらつております人が、告白しております。昔ほどありがたくない、また尊敬もされなくなつたというふうに。これは廃された金鶏勲章と一緒に、位というものも過去のものになり、時代ずれがして来ているのではないかと思います。たとえばいなかのお墓に行きますと、正七位勲八等というのを見ますけれども、これは尊敬よりけむしろいたましさた感じます。生きている人が今どき正一位という名称を出しますと、この人を尊敬するよりは、何かお稲荷さんの新興宗教でもやるのではないかしらというような錯覚を起しますわけですから、この第七条を削除しましても、惜しくはないと思います。  第二の反対として、国のために真に表彰されるような人は勲章などはほしがらない、表彰は偽善者をふやすという意見がございます。ひねくれ者と言ひ切つて片づけるわけには参りません。天皇から勲章を授ければ、一層ありがたがるだろうということが、栄典法憲法の中に盛り込みますときに議論になつておりますけれども天皇からいただいたがゆえに、勲章をことさらにありがたがるという感情は薄れつつあるのではなかろうか。天皇よりいたたくよりは、むしろ国民全体から与えられる、そのことに喜びを感じる人たちが多くなりつつあるのではないかと思います。  今日までの叙勲、それから表彰などには、ほしがる人に勲章をやる、ほしがる人がある程度運動をして、もらう、その傾向がございました。法案の二十一条に、表彰に値する者は市町村長、特別区長が申し出ることができるようになつております。これまでもそのようにして申し出ている、あるいは政府からの、天皇からの表彰でなくて、地方々々でそれぞれ表彰している場合がございますが、それが継続される場合にどのようなことになるか、考えたいと思います。たとえば孝子節婦が見出されるとする。その見出し方が相当通俗なのじやないかしらと思われます。一流の孝子節婦と言いますか、ヒユーマニズムのもとに暮している人は野に隠れ、二流、三流のが見出されるその感じを私は持ちます。たとえば母の日には母を表彰することになつている地方がございます。この名誉は自分の部落の名誉としてとろうと、各部落、各集団で運動みたいなものをいたします。あるところで二人の子供が聴覚不自由者で、耳が聞えない、だから口もきけない。その二人の子供を持つた母親が、二人の子が学齢に達しますと、一緒に学校まで連れて行く。遠い道です。山坂を越えて雨の日も、あらしの日も、連れて行つた。貧しい中から特殊教育を受けさせている。その人が表彰されました。ところが表彰されましたあとで、一体どうして二人も聴覚不自由者が生れたのだろうかということになりましたら、二代にわたつて血族結婚をしている。そのための劣性遺伝だといううわさが立ちました。それはむしろ表彰以前ではないか。高い母性愛ではなくして、低い母性愛のためのマイナスを穴埋めして、子供たちを学校に連れて行き、かわいがつたにすぎないのではないかという議論が起つて参りまして、かえつてこの一家を苦しめるような結果になつております。現象というものに目をつけて、これを表彰しようとする場合に、これに類したものは、もうずいぶんあると思います。両親がなくなつたあとで、供出を果そうとして栄養失調になつ子供や、不良になつ子供もございますし、村として棄権のない選挙、公明選挙を完全に行つて、その褒賞を得ようとしまして、かえ玉を使つたり、無理なかり出しをやつたので、これらのものが心にとどまつている人、あるいはそれを現実に見聞きしている人たちが、栄典を与えるそのことについていささか不安を持ち、栄典に接したがる人、ほしがる人が選ばれるけれども、その人が必ずしも一流の人ではないという論が出るのではないかと思います。人間人間を審査して御褒美を与える、この困難さを反省したいと思います。ですから、できるだけ的確な審査ができるように、その結果が人間性を高めるものであるようにしたいと思います。安直は罪滅しの程度であつたり、利欲のために利用されたり、偽善者をつくつたりすることのないようにするためには、いつそ勲章というものを簡単にすべきだ、簡素化すべきだというふうに思われます。その意味から、勲章が今度は四つにまとめられましたのに賛成いたします。産業勲章が新しくきまりまして、これに農民や労働者の人たちが加われるようですと、たいへんけつこうだと思います。今まで生涯をささげたところの篤農家が、死んでからやつと勲八等を贈られる程度でした。この人たちにもつと厚くていいと思います。四つにまとめられたことはけつこうですけれども、ただ旭日勲章が五階級にわかれております。これは私は二階級か三階級くらいがどうかしら。この階級に大中小とついております。日本人は大がたいへん好きです。大中小と区別する。これは少し子供つぽくないかしら。勲章を大中小ときめたのは幼稚じやないかしら。重光章、銀光章ですかしら、その程度の含みのある名前にして、五階級というのをもつと少くするようにと希望いたします。  それから表彰される人ですけれども、毎年数をきめまして、ある地方に割当てて、これだけの人を今年はやるのだから――文化の日、母の日、勤労感謝の目にそれらを記念して、これだけの人数を表彰するのだからという割当はやめてほしいと思います。あまり数が多くなり過ぎますと、あとで困るのではないか。たとえば医学博士号をずいぶんたくさん出しましたので、あとからは医学博士というものを商売の上に使つてはいけないことになつた。勲章もあまり出しますと、勲章を肩書きにして商売をしてはいけないということになつたらみつともないと思います。ここで勲章の簡素化ということを私は考えます。  もう一つの聞くべき反対意見といたしましては、勲章なんかに金を使わないで、それを社会保障に使うべきだというのがございます。社会保障が十分で、各家庭が平和でゆたかならば、孝子節婦という特別な名前の数は少くて済むわけになります。人目に立つほどの無理をしなくても暮して行けますから、各自が幸福であれば助力はいりませんし、功労は個人の有徳者や一人の指導者よりは集団に与えられるようになると思います。ほんとうの理想的なところに行きますと、表彰者というのは外国になつてしまう。日本の国全体というものが世界から勲章をもらうように、そういうところまで行きつきたいと思います。それですから、社会保障をおろそかにする、そうして勲章の方にお金をかける、そのやり方にならないようにと思うわけです。勲章はたいへんありがたいと思う、これをほしいと思う。そうすると、それを求めるために、まわりに経済的な負担をかける場合が起つて参ります。たとえば、国家予算が少いために、民間の寄附にたよつて、洪水になる川の改修をしたり、あるいは特殊児童の学校を建てたりということをしなければならない場合が起きて参ります。このようなことをしますと、地方から表彰を申請されるようになると思います。この寄附をたくさん集めるために、顔役が各家庭に現われて強制的に集める。しかも実際の設備をするよりも余分に集めて、その残つたお金でもつて勲章をもらうための申請の運動に使う。一人の人に勲章を与えれば、あの人がやきもちをやくといけないと思つて勲章をもらわない人をなだめるために、地方でまた表彰状とかメダルとかを出す、こういう金が無理集めの寄附でまかなわれております例が今日ございます。こういうことをたしなめる、そればかりでなくて、増長させるようなことが決してあつてはならないと思います。  以上反対意見を私自身の意見を通して申し述べました。この栄典特権を伴わないことになつておりますから、別な方法で養老年金を与えるとか、学術や事業の奨励金を与える、その方法があつていいのではないかと思います。つまり栄典による国家の優遇者に国民が敬慕を持つようになる、そういう制度と運用を望みます。位階を廃すること、勲章を簡素化すること、方法に万全を期すること、栄典を政治の道具に使わないで清潔にしておくこと、それらが私の趣旨でございます。  以上でございます。
  13. 船田中

    船田委員長 それでは阿部志つえ君の御意見に対して御質疑はありませんか。――では次に全国繊維産業労働組合同盟会長滝田実君にお願いいたします。
  14. 滝田実

    ○滝田公述人 全繊同盟の滝田実と申しますが、栄典法案についての公述をしたいと思います。  私はこの栄典制度については原則的には賛成をいたします。その賛成をする趣旨は、国家社会の繁栄と建設に寄与し、国民の鏡となるべき人をたたえるという意味と、同時にそれを国民のモラルを高めるものに役立てて行きたいという意味において賛成いたしますが、しかしこの法案全般にわたつては絶対反対せなければならない条項もあれば、慎重に取扱わなければならぬ点もかなりあります。その点に若干触れましてから、総括的な意見を少しつけ加えたいと思います。時間がございませんから簡単に各条にわたつての賛否の意見を要点のみ申し上げたいと思います。第二条に勲章の種類が書かれてありますが、文化勲章産業勲章、これについては私ども賛成の意を表したいと思いますが。菊花勲章旭日勲章については統合さるべきである。しかしその統合された両勲章を贈与される対象は、たとえば皇族の場合は皇族であるからという理由で全部に与えるということは適当ではない。これは皇族の中ではつきりした地位が国民の間に定められたときに贈与さるべきものではないか。たとえば天皇、皇后それから今度の場合皇太子殿下が立太子の礼を済まされた、こういつたときに初めて何らかの勲章をお贈りしていいのではないか、こういうふうに考えます。それ以外の、国民にとつてははつきしりした地位が定まつていないときに、国民の前に皇族であるからということで特権的な勲章をお贈りするということは適当ではない。外国の君主あるいは大統領、こういう人たちに贈るという意味においては、これは外交的な意味もあればあるいは儀礼的な意味もありますので、これは贈つてよろしい、こういうふうに思うわけです。最近の国内における情勢などを見ておりますと、天皇に対する取扱いもだんだん神格化するように私どもには考えられる。たとえば憲法の式典における天皇陛下の臨席されるその取扱い等について見ておつても、もつと国民に親しい取扱いがあつてしかるべきことと思いますが、あの式場における空気等を見まして、そういうものからだんだん遠ざかつて行くようにわれわれは感じられる。また皇族に対する勲章については、特に逆コースにならないように、この菊花勲章旭日勲章を一緒にした場合においても格別の御配慮が望ましい。  それから文化勲章あるいは産業勲章ということでありますが、これには賛成するということは先ほど申し上げましたが、産業勲章というもののあり方について非常に狭い範囲に限定されることを私どもは避けたいと思います。産業勲章というものは私は労働者の場合から見たときに、ややもするとそのときに政府の政治に非常に協力する者あるいは資本家の言いなりになるような、いわゆる産報的なものに寄与する者にこの産業勲章が利用されると、これはややもすると権力に結びつき、あるいは政治的な意味がここに発生するおそれがありますので、こういつたことを排除することを十分考慮に入れながら、もつと広範囲に、狭義な見解のもとに産業勲章の対象を置くべきではない、このように思います。  それから第七条にたくさん階級みたいなものが書いてありますが、これには絶対反対いたします。このようなものは、同じ勲章の中に非常に階級的な、お役に立つたといいながら、それにはたくさん上下をつけるというようなことは非常に相手に対してもよくないし、われわれの経験する範囲内におきましては、やはりまだ日本国民の感情というものが、かつての軍国主義的なものからの清算が十分なされていない。また最近の政情から見ても、その復活が国民の間に隠れて抬頭して来ることについて非常に危惧が持たれておる際に、このようなものがさらにつけ加えられることによつてそれを助長するというようなことは適当ではない。よつてこの問題について絶対に反対をするということであります。  それから功労章については、これは原則的には賛成をいたします。しかしこれは産業勲章との関係において、できれば一本になつていいのではないかというふうにも考えられます。こまかい理由については省略をいたします。  それから九条の褒章は不必要であるというふうに考えます。これは他の勲章をもつて十分補い得る。これは特別設ける必要がないと思います。  それから賞杯、一時金及び賞状ということについては、これはやはり取扱いについてあるいは運営について十分注意をすればあつていいのではないか、このように考えます。  それから第二十条の外国の勲章等の着用について内閣総理大臣の認可を受けた者でなければならない、外国から勲章をもらうということがいろいろな機会にあるわけですが、よそから贈られたものに対して内閣総理大臣が認可をせなければならぬということは一体何を意味するのであろうか。これはその勲章を贈られた趣旨について日本でもう一度審査をし直すというようなかつこうになりますので、これは非常に個人の人格を傷つけるようなことになりはしないか。しかも内閣総理大臣というものはそのときの政治勢力によつて非常にかわつて来るものでありますから、政治の権力がいろいろかわるたびごとにその勲章の価値判断が左右されることは明らかに矛盾でありますので、こういつたものはどこから贈られようが、その人の自主的な判断によつて佩用すべきものであるという点についてこれは断然間違つておるのではないかというふうに考えられますから、この点は反対をいたします。  それから栄典審議会、これに私ども非常に大きな期待を持ち、またこれの運用いかんによつては、勲章を与えるという栄典制度がゆがめられる危険性が非常に多いように思います。内閣総理大臣の諮問に応じて栄典に関する重要事項について調査審議をさせるということですが、この十一人の委員の構成いかんによつて栄典の対象になる選び方に非常に間違いが起りやすい。たとえば私が今やつておる中央労働委員の選任にいたしましても、推薦母体がどうであるかということによつて非常に審議会の構成がかわつて来るし、それから判断の基礎が非常にかわつて参ります。こういつたところから、この審議会の構成についての推薦をどの層から求めるかということは、各階層にわたつて公平な推薦権を持たせる配慮をぜひしていただきたい。そこに初めて栄典制度国民の中に生きておるということが言えるのではないか。これがそのときの総理大臣の考え方で審議会委員が左右されて、片寄つた審議会の構成委員ができ上つた場合には、これは栄典そのものが国民の大衆に受入れられるというよりも、一部の人たちに利用される。そこに名誉欲とかあるいは支配欲、権力とかいうようなものも出て来る可能性がある。こういう点について、審議会の構成について、あるいは運営については、このあとの方に政令等によつて定めるとありますが、この政令についても十分民主的な運営、あるいは推薦について十分なこういうような配慮がされるようなことを織り込んでもらいたい。これだけがこの栄典法案についての内容的な問題でありますが、総括的に申し上げれば、原則としてはこれは賛成するということでありますけれども、権力に結びついたり、あるいは政治的な意図に結びつくことは、厳に慎まなければならない。それから栄典の対象になるべき人が支配者的な立場にある人、あるいは資本家あるいは有名人、こういつた人たちのみを対象にすることは避けなければならぬ問題ではなかろうか、あまりにこういつた制度というものは権威をねらい過ぎるのではないか、文化勲章等については権威をある程度尊重しなければなりませんけれども、しかしこの栄典制度全般はやはり国民の各階層、国民全般にとつて鏡となるべきものというような意味を私ども考えておりますから、たとえば資本家の社会的な地位というものを非常に高く認めることが往々にしてあると思うのです。私はこういつた権威というものが、現在の地位が築かれておる権威者の地位そのものは高いものであつても、その以前において資本家などが労働者から非常に搾取して、そうして資本を蓄積した。その資本の力でもつてあとで善行するということが間々日本の場合はあると思う。最初はやみ商売でうんともうける人もあるでしよう。たとえば労働者をうんと苦しめて金ができる。そうして金ができると、ここらで社会的に何かひとついいことをしておきたいというようなことから、社会事業に寄附をするとか、あるいはいろいろな勢力を張つて行く。そういうあとの方の寄附行為あるいは政治的な勢力の拡大行為をもつて、その人の社会的地位あるいは善行というものを判断するということは、大きな誤りが起きるというようなことが考えられるから、私はその人の名誉あるいはその人の善行そのものについても、もつとその人のおい立ち等について十分の考慮を払つた後において推薦すべきではなかろうか。かつて週刊朝日だつたと思いますが、私は非常に感激した記事を読んだことがあります。それはどこかの山の中で若い婦人が小学校の教員か何かして、そうしてひなびたところに自分の青春をまつたく犠牲――といつては語弊があるかもしれませんけれども、ある程度犠牲にして、そうして子供たちの教育に心血を注いだというレポートが載つておりましたが、ああいつたレポートを国民が読んだときに、何かしらあたたかい感激的なものを覚える。そうしてこういつた美しい心情を持つた人が日本国民の多くにあれば、日本国民全体のモラルはもつと高まるのではないかというような、私ども感激の記事を読んだ記憶があるわけでありますが、こういつた権威とかあるいは地位というものがなくても、国民の間に一番切実に要望されておるものが、その善行の中に現われておつたような場合には、そのような人を見出すということが、この栄典制度一つのねらいでなくてはならないのではないか、このように考えます。  もう一つつけ加えておきたいのは、栄典審議会に働く者の代表をぜひ入れてもらいたい。働く者の代表ということは、なかなか推薦がむずかしいかもしれませんが、やはり労働代表というものを当然入れるべきではないか。この点は内閣総理大臣の任命というようなことが、たとえば立太子の式典などのときを見ておつても、ほとんど資本家団体の何かの役割をしている人だけが招待されるといつたような現実を見たときに、この審議会の構成についても思い半ばに過ぎるものがあるように思いますので、このようなことについてはあくまでも国民大衆と結びつくという意味において、労働代表を審議会に入れていただきたい、こういうことを特に要望いたしたいと思います。  いろいろ批判すればまだこまかい点については多く述べなければならぬ点がありますが、今申し上げた点について、文化勲章は認める。産業勲章というのはもう少し広範囲にしてくれ。それから菊花、旭日というものはまとめる。これは皇族に対する取扱いを特に注意しなければならない。第七条は廃止すべきであるというふうに考えます。  以上簡単でございますが、私の意見を述べます。
  15. 船田中

    船田委員長 ただいまの滝田実君の御意見に対しまして御質疑はございませんか。  では次に東京都立両国高学校講師田中佩刀君にお願いいたします。
  16. 田中佩刀

    田中公述人 田中でございますが、栄典法案につきまして、私の意見を述べてみたいと思います。  この法案につきましては、私は条件付で賛成いたします。今日ここで私が意見を述べたい理由を簡単に申し上げますが、従来の栄典制度は、その性質上軍人、官吏、華族等に重点を置きまして、ともすれば芸術家や学者を初め民間人を厚く遇する機会が少なかつたように思います。このたび新栄典制度の準備が行われつつあると知りまして、私はこの新しい制度文化国家日本の新鮮な息吹きを伴つた文化制度であり、国民の明るい希望であり、あこがれであつてほしいと思います。先日新聞で公聴会のことを知りまして、さつそく私の意見をお送りしましたが、そのときには法案の内容もよく知らず、また参考資料も持つておりませんでしたので、きわめてずさんなものでありました。今日は、その後いろいろ資料も読みましたし、知つたこともありますので、専門家ではありませんので粗漏な点も多いと思いますが、私の意見をあらためて述べてみたいと思います。新しい栄典制度に少しでも私の考えを参考にしていただけば辛いだと思います。  具体的な事項について述べますが、まず新しい栄典制度のあり方について私の考えを述べたいと思います。輿論調査の結果によりますと、六四%のものがまつたく新しい勲章を定めるべきだと言つておりますし、東京新聞、読売新聞、産業経済新聞等の社説によりましても、旧制度の復帰ではなくして、新しい制度を要求しております。それゆえ新しい栄典制度には、ぜひとも雄大かつ有意義な構想を盛つていただきたく思います。産業経済新聞の社説では、人間名誉心国家利益に合致させるためにかつて栄典制度が用ひられていたと述べられておりますけれども、新栄典制度日本国家に何らかの意味で貢献するところが顕著であつた個人と、その個人の功績とを国家が賞讃するものであるという意味で行いたいと思います。さらに第九十帝国議会における金森国務大臣の答弁の中にあるように、国家の事務を担任した人は年数によつて勲章がいたただけるが、地方公共団体の事務に従事する者は必ずしも同じようにならないという傾向を、従来の制度が持つていたことはいなめないと思います。新しい栄典制度は官民平等に実施されてほしいと思います。  従来の栄典制度の改めるべき点などについて述べてみたいと思います。日本の象徴である天皇陛下とその御近親の方々を皇族もしくは皇室とお呼びすることは、国民の感情として少くも不自然なことではないと思いますが、そのほかの一般国民の中で平民、士族、華族などの階級的な名称をもつて呼ばれることは民主的ではないと思います。すべての日本人は国民と呼ばれなければならないと思います。  栄典法案要綱の(二)によりますと、「従前の旭日章、宝冠章及び瑞宝章を有する者については、当該受有勲章は今後も引続き栄典としての効力を保有するものとすること」とありますが、勲位、勲等の授与は今後廃止されるであろうと思いますから、右の勲章の等級は効力を失うものと考えたく思います。  要綱四には、「位階制度は、今後は純然たる功労者授与する称号制度として存置すること」とありますが、各個人の功績には種別というものが考えられましても、その功績の大小の差というものは考えられないのでありまして、位階というものは不必要だと思います。従つて勲章も原則的に単一級であることが望ましいと思います。  栄典法案によりますと、各勲章授与されるべき対象が「特に著しい功労のある者」とか「著しい功労のある者」というようにきわめて漠然としておりますが、これははつきりさすべきであると思います。新しい栄典制度はその授与の対象となるべき人の選定とその理由とを明瞭にかつ慎重にしていただきたいと思います。再び繰返しますが、新しい栄典制度は特に学術研究者、教育家、社会事業家その他の文化人に対し、官民を問わず積極的に運営されるべきものであつてほしいと思います。  また新栄典制度栄典の中には、勲章とそれに伴う賜金のある種類も設けてほしいと思います。そして幾多の功績と深い経験を持ちながらむなしく埋もれているりつぱな人々の生活を少しでも援助していただきたく思います。  栄典はすべての種類にわたつて男女の別なく授与されるものとして、そのうちの幾つかは、たとえば人命を救助した際に与えられるべき褒章などは、未成年者にも与えられるように制度を定められることが望ましいと思います。  栄典制度は、制度としては簡単にして種別は多くし、勲章を見ればその人が何によつて国家に貢献した人であるか一目にして識別できるようなものに定めてほしいと思います。  栄典の返還及び失効の条件は栄典法案第十六条、十七条、十八条、十九条に規定されてある通りでよろしいと思います。  勲章等の着用も同じ法案の第十四条の規定通りでよろしいと思います。  新しい栄典制度の具体案につきまして、私ならばこういうふうな勲章その他を定めるという、私自身の考え方で、栄典というものについて述べてみたいと思います。まず第一番に、新憲法によつて定められた皇族の地位にいらつしやる方には大勲位の称号と菊花章頸飾、菊花大綬章と菊花章を授与いたします。外国の君主、大統領及び日本国民国家または公共に対し偉大なる功労のあつた者には菊花大綬章と菊花章とを同時に授与いたします。但し菊花章頸飾は日本の皇族以外には授与されないことを原則としたいと思います。  旭日勲章は政治的に著しい功労のあつた日本国民及び国賓として待遇された外国人に授与されることにいたします。そしてこの勲章のみ旭日大綬章、旭日重光勲章、旭日中綬勲章、旭日小綬勲章、旭日銀光勲章の五つの等級にわけることにいたします。  文化勲章は、文化の発達に関し特にすぐれた功労のある者に授与いたします。この勲章には賜金として一時金五十万円を伴うことにいたします。  産業勲章は、産業の発達に関し待にすぐれた功労のある者に授与いたします。  位階制度は一切廃止いたします。  それから各種の功労章を設けます。まず学術功労章、これは日本の学術に寄与するところが甚大であつた学者、発明発見家に授与いたしまして、賜金として終身年金三十万円を伴いたいと、思います。  次は教育功労章、これは官、公、私立の小、中学校及び大学に専任教員として、実際の教育に携わつた期間が通算して満二十五年を越える者に授与され、賜金として終身年金二十万円を伴いたいと思います。  文化事業功労章、いわゆる文化人と考えられる人々、たとえば作家、俳優、宗教家、ジヤーナリストといつたような人々を対象といたし、その功績著しい者に授与いたします。  次は農事功労章、これは農業改良、農耕等に著しい実績をあげた者に授与いたしまして、賜金として一時金十万円を伴います。  次は労働功労章、鉄道工事、炭鉱等における労働に従事し、あるいは交通機関または工場等における技術を要する職業に従事し、多年の経験によつて著しい成績、あるいは技術を有する者に授与し、賜金として一時金十万円を伴います。  体育功労章国民体育の向上のために尽力した体育指導者もしくは運動競技選手に授与いたします。  海外事業功労章、これは海外において事業に携わり、日本の名誉を発揚しもしくは国際親善に寄与した者に授与いたします。  政務功労章、かつて内閣に列して国務に携わつた者、衆議院議員及び参議院議員として満十年以上国政に関与した者に授与いたします。  財務功労章産業開発、財政経済関係の仕事に従事し、その功績著しい者に授与いたします。  公務功労章、官公務員として本職にあつた期間が満二十五年以上の者に授与し、賜金として一時金五万円を伴います。  次は五種の褒章を定めます。まず紅綬褒章、これは自己の危難を顧みず人命を救助した一般国民授与され、賜金として一時金三十万円を伴います。  緑綬褒章、これは徳行が著しく、または職務に精励し公衆の模範とさるべき者に授与いたします。  藍綬褒章、学術もしくは産業上の発明改良もしくは著述をなし、または教育、衛生、社会福祉、産業等に力を尽し、公益を著しく増進した者に授与されます。  紺綬褒章、私財または労力の提供により公益のために著しい貢献をした者に授与されます。  次に新しく白綬褒章というのを定めまして、警察官、消防官、海難救助を職とする者、保安隊員、海上保安隊員などが、自己の危難を顧みず国民の生命を保護するために尽力した場合に授与し、賜金として終身年金十万円を伴います。  その次には長寿祝杯の制度を設けます。すなわち満九十歳を越える者には金盃と賜金として一時金十万円を、また満八十歳を越えます者には銀盃と賜金として一時金五万円を授与いたします。この栄典一つ一つ理由は、時間が長くなりますから省略いたします。  団体の表彰、死亡者の表彰及び記章については法案第十一、十二、十三条の規定するところに準じてよろしいと思います。同種の栄典を重ねて受ける場合、勲章は前回よりもやや形の大なるものとし、賜金としての一時金は前回と同額、終身年金は前回の額に前回と同額を増したものといたします。  栄典は広く行われるべきもので、同一の個人、団体が各種にわたり、あるいは同種の栄典を何回重ねて授与されてもさしつかえないし、またそのようにしてこそ国民栄典制度を身近に感じつつ、おのおのの職分にいそしむことができるであろうと思います。  この新制度の運営について、これも私自身の考えを申し述べます。新栄典制度は、栄典に関する一切の事務を行う栄典局を設け、内閣直属とし、その中に栄典制度運営委員会を組織いたします。栄典制度運営委員会委員は非常動とし、栄典局長一名、栄典局員五名、文部大臣一名、国立、公立大学代表一名、私立大学代表一名、衆議院議員代表二名、参議院議員代表二名、産業界代表一名、芸術家代表一名、外務省代表一名、皇族会議代表一名、栄典局の選考による民間人代表一名、財界代表一名、新聞雑誌界代表一名、合計二十名をもつて構成されることにいたします。  栄典授与される者を選ぶには、各界の代表者、職場、団体等の長、もしくは現職の市、区、町、村長の申告によつて栄典局員が調査をなし、しかる後に栄典制度運営委員会によつて決定されるものといたします。栄典天皇陛下の御名において授与され、内閣総理大臣の名において公表されるものとしたいと思います。  私は専門が文学でありまして、まことに貧弱な意見でありましたが、御参考までに以上申し述べました。
  17. 船田中

    船田委員長 ただいまの田中佩刀君の御意見につきまして、御質疑はございませんか。
  18. 片山哲

    ○片山委員 ちよつとお尋ねしたいと思います。非常に詳細なお考えを漏らされましたが、あなたのお考えでは旭日章を五等級にわかつて与えたいというのは、大体政治活動をした人、あるいは主として官吏を対象としてのことになるのではなかろうかと思うのですが、この旭日章の対象は主として官吏であるかどうか。しこうして官吏の階級を五等級にわけることに御賛成になつておるのか。一般政治活動とか社会活動は、あとの褒賞とか、その方で十分栄典されるようなただいまのお話でありましたので、旭日章の対象を伺い、五等級にわけることに賛成かいなかということも伺いたいと思います。
  19. 田中佩刀

    田中公述人 ただいま御質問がありましたが、私は旭日勲章は、原則といたしまして、政治的に著しい功労のあつた官吏に授けられるものとし、またそれに準ずる政治活動を行つた日本国民に与えらるべきものだと思います。そしてやはり政治的な仕事といいますのは、大きい小さいというものはあるだろうと思います。それでこの勲章に限つて五段階にわけるごとに私は賛成する次第であります。
  20. 船田中

    船田委員長 次に農民組合同盟常任中央委員細田綱吉君にお願いいたします。
  21. 細田綱吉

    ○細田公述人 細田でございます。栄典制度について政府がいろいろ輿論を調査されて、本法案を出されましたものと拝承しておりまするが、私も時期の点については、若干尚早というような気持もございますけれども、大体において栄典制度そのものについては、反対ではなく、むしろ賛成の意を表したいと思つております。しかし率直に申し上げて、黙々と大地と取組んで国家の生産の基礎をつちかつておりました全国の農民、従来の栄典制度からほうり出されておつたこれらの農民感情から、本法案を通覧いたしますと、まず考えられることは、どうも紫色の、いわゆる宮廷政治の栄典制度の打返しではないかということを深く考えております。もつとも今度の制度栄典審議会の議に付されるというようなことに、諮問でございますがなつております。しかし審議会委員は、内閣総理大臣の任命でありまするので、官吏と対蹠的な構想が、この審議会で反映されるとは考えない。従つてもしかりにこの制度実施されるとするならば、やはり過去の官吏あるいは将来予想されないでもない軍人等に対して、きわめて厚いと申しましようか、偏重して、しかもそれは年功に比例して、形式的に与えられるというようなことが想起されて参ります。従つて民間人は文化勲章産業勲章は、これは別といたしまして、第八条ないし十条の、いわゆる功労章とか褒章等で取扱われてしまう。言いかえて申しますと、この制度実施されますと天皇の政治、天皇国家従つて天皇の家来である官吏と軍人が、国民の上の一段高いところで栄典を受けるということが免れないのではないかという本質を何だか含んでいるような気がしてなりません。また私ども考えられますることは、将来の栄典制度というものは、国家社会に対する功労、万人のできないような、身を殺して仁をなす奇矯な行為等に対する国民の盛り上る感謝の象徴が、国家から表彰されるいわゆる本法案のねらいでなくてはならぬと考えておるのでございます。従つて過去にありました、同じことをやつても陸軍大将と一等兵ではてんで最初から出発において栄典の差異がついておつたというようなまるで人間を区別した、そういうことが新しい栄典制度の上であつてはならないと考えています。  そういうようなことを考えまして本法案を拝見いたしますると、まず第四条第七条第八条ないし九条というのが目について参ります。大体みな同じように国家のために、社会のためにということを対象にして規定されておるけれども、菊花章旭日章あるいは功労章、褒章、それはある程度の差はあるかもしれませんが、具体的にどういう功労に対してこれを授与するかという対象がきわめて明確でない。ここに軍人、官吏、政治家等に対する優越的な一つの隠された伏せ字があるのではないかという、ひがみかもしれませんが、そう考えられて参ります。従つて第三条、四条の菊花章、旭日章等に対しては、この法案を拝見しましても、国家最高の名誉を授与するものでございますから、その対象をいま少し具体的に規定する必要があるのではあるまいか。なおあえて私は菊花章、旭日章の存置には異議はございませんが、だからといつて旭日勲章に対して五等級まで分別する必要はどこにあるだろうか。もし存置するならば、これも菊花章と同じく単一でけつこうである。わけのわからない、従来と違つたようなむずかしい差別を五等級にもわけて規定する必要はごうもないと考えられます。  第七条は、多くの公述人も期せずして一致しているようでございますが、この位の存置に至つてはまつたく時代錯誤で、勲何等がなくなつたから一歩前進だと思つたところが、さらに無意味な位を残すに至つては、これはむしろこつけいではありますまいか。従つて第七条は断じて削除さるべき規定であろうと考えております。  なお第八条、九条はいずれも趣旨には異議はございませんけれども、これを功労章と褒章にあえてわけてむずかしくする必要はないので、これもまた一括して簡素化し、八条と九条を一箇条にまとめて一本のものにする、あえて功労章と褒章にわける必要はこうもないのではあるまいか、こう考えるのでございます。  さらに第五条の文化勲章産業勲章でございまするが、これは昨日の公述人のどなたかもが、何か菊花勲章旭日勲章等を下げるために、民間人に対する一つの便法に陥るのではないかというようなことを喝破されておつた方があつたことを新聞で拝見しましたが、私も実際はそう考えるが、単なる国家の事務を扱う官吏よりも一国の文化産業に対するところの功績は、真に民族の興亡と国家の盛衰を決定する。小手先の事務を取扱つたる者が優先するというようなことがなくて、第五条の規定は最も重視さるべき表彰の制度でなくてはならないと同時に、これもまた多くの人が危惧しますように、産業といつてもおそらく資本家の方面に重点が置かれるのであろうことはあえてひがみではないと考えます。従つて生産というものが一国の興亡、国家の盛衰を決するものであるとすれば、その生産の面に対する資本を扱う人だけに重点が置かれるということでありまするならば、これは大きな片手落でありまして従つて第五条に対しては産業ということで一括されればされるけれども、ややもすると、落されやすい労働者並びに特に農村の篤農家に対して国家が最高の栄誉を授与するという制度が望ましいのでございます。産業勲章のほかに労働勲章あるいは篤農勲章と言いますか、黙々として寒い雪の中霜柱を踏んで、炎天のもとにおいても田の草をとるあの篤農家に対して、反当収穫が驚異的な成績を上げたというようなことは、一国の産業の上から、食糧増産の上から、国家の事務をとつておりまする官吏の比ではないと考えます。従つてこういう農業方面に対して何人にも訴えずして大地と取組んでいる農民に対する表彰の制度は、特に新しい栄典制度の上で取上げていただきたい。従つて他のある人の御意見のように、学問、科学あるいは社会事業に対する取上げも反対ではございません。同時に私は特に労働と農業に対する栄典制度というものをぜひつけ加えていただきたいと考えておるのでございます。  第二十三条でございまするが、いかにこの中身がよく盛られましても、ここでよく徹底された民主化された委員会が持たれませんと、戦争前の宮廷を中心にした栄典制度と選ぶところがなくなる結果になると考えております。従つて私は審議会の構成は各国民の階層から推薦された者でなくてはならない、同時にその推薦された者の中から総理大臣が任命することはけつこうですが、同時にそれはさらに国会がその承認を要するというように、きわめて厳選した上で、しかも民間から推薦された人たちがその構成メンバーにならなくては、どうしても官僚独善、過去の栄典制度と異なることのない運用に堕落してしまうと考えております。審議会は徹底した民主的の機構である。従つてそれは推薦制度によつてその中から首相が任命し、さらにそれは国会の承認を要するというふうに改めたいと存じます。いろいろ褒章、功労章まで加えますると、全国の市町村長まで推薦いたしまするので、たいへん事務が山積すると思うのです。それに対して十一人というようなことはきわめて少な過ぎると思う。もちろんその中には事務当局がおつて厳選はしましようけれども、十一人というような委員の数では、従来の例を、とつてみましても、どの委員会でも全員が常に集まるということはあり得ない。従つて十一人が八人になり七人になるおそれが十分にありますので、これはさらに増員の要がある。しかもその人たちは、先ほどの推薦制度による各階層からの代表として、これを審議し、いやしくもしないということが必要ではなかろうか。なおこの審議の結果は、六人以上というと、十一人全員の過半数となるのでありまして、少くとも国家から表彰される栄典制度は、国民すべての感謝のしるしでなくちやならぬのに、一人多いから過半数だというようなことは、何だか単なる諮問的な決議事項として扱つておるような気がしますので、その決定は少くとも三分の二以上の同意を要する。しかも忘れてはならないことは、総理大臣の諮問ということでなくして、常にその議決を要するというふりに二十三条中の「諮問に応じて」を改めるべきではなかろうかと考えるのでございます。  私の本栄典制度法案に対する考え方は以上でございまするが、要するにまつたく新しい栄典制度として出発していただきたい。本法案を拝見しますと、従来のものがかなり残つたようでございますが、国を滅ぼした大戦争の責任者が、菊花章や旭日章を飾つておるのはおかしくてしようがない。それでは国民感謝の的である栄典制度が死んでしまう。従つて従来の栄典と申しましようか、そういうものはここで一切廃止する。しいて残すならば、民間に対する褒章というようなものは残してもよいのですが、従来の、位はもちろん、菊花章や旭日章は一切廃止して、新しく本法によつて出発していただきたいと思います。  なお最後につけ加えたいことは、よく官民平等ということを伺いますが、私は官民平等ということもおかしいと思う。天皇が神様の地位におつて、その家来だから国民の上におるということならば別として、官吏は国民の公僕なんだから、むしろ民間優先でなくてはならぬ。給料をもらつておる国家の使用人が、民間と平等では本末転倒しておる。そこで本法案のどこかに民間優先という観念をうたつていただいて、過去の陋習をこの法によつて打破していただきたいということをつけ加えて、私の公述を終ります。
  22. 船田中

    船田委員長 ただいまの和田君の御意見について御質問はございませんか。
  23. 原彪

    ○原(彪)委員 ちよつとお尋ねいたしますが、細田さんが冒頭に、この制度そのものには反対ではないが、いささか時期尚早の感がなくもないという意味合いのことをおつしやいました。この時期尚早とお感じになりました理由はどこにあるか、たとえば日本はまだ民主化が徹底していない、昔の身分制だとか封建制の残滓が相当残つている。このときにこういうものを復活させることは、日本民主化の妨げになるということも考えられましようし、あるいはまた、今世間で吉田内閣の諸政策が逆コースをとつているといわれ、再軍備というようなことも云々されている時期に、その方面に利用されやすいこういう制度をつくることは、時期的に当を得ていないという意味での時期尚早論を考えられるのでございますか。あなたが漠然と時期尚早と感じるとおつしやつたその理由は、どういうところから出て来ているか、ちよつとお伺いしておきます。
  24. 細田綱吉

    ○細田公述人 ただいまの原先生のお尋ねでございますが、二つの国家には、それがどういう体制の国であろうと栄典制度があつてよいと私は考えておるものであります。それを、私が若干時期が早いのじやないかと思いますことは、こういう制度内閣によつて始終かえられる、また時代感覚によつて栄典制度にずれが生じてもならぬ。従つて今原先生の御質問になられましたように、まだ民主化の過程であり、特に戦争が済み、平和になるかと思つたらまた冷たい戦争が起り、北海道の上空にはわけのわからぬ飛行機が飛んで来て、また戦争になるのじやないかと、国民の気持がきわめて動揺しておる。こういうときにこれをそう急いでやることもないし、公述人としては言い過ぎかもしれませんけれども、吉田内閣はきわめて官僚臭が強い。そういう内閣の起案されたものは、冒頭申し上げましたように、ややもすると戦前の栄典制度の裏返しになるおそれが多いので、できるならばもつと民主化された角度からこの制度考えられる時期まで待ちたい、これが私の若干時期尚早ではないかと思うゆえんであります。
  25. 片山哲

    ○片山委員 今の細田君の二十三条に関する御意見はまことに適切であると思うのですが、労働団体あるいは婦人側としても、二十三条についてはやはり細田君と同じような御意見を持つかどうかちよつと伺いたいのです。
  26. 阿部志つえ

    ○阿部公述人 二十三条の委員の構成につきましては、労働者が入るように、農民の代表が入るように、それから婦人も入るように、常に庶民の生活をしている人たちがそれを構成して、一般生活の雰囲気が強く反映するようにありたいと希望しております。
  27. 細田綱吉

    ○細田公述人 片山先生は、ただいま私でなくて全繊の同盟会長滝田君の御意見をお尋ねになられましたが、滝田君は先ほど帰られましたので、私の公述の原稿を通覧されまして、この点にはきわめて賛意を表して帰られたということだけ、ちよつと御報告申し上げておきます。
  28. 船田中

    船田委員長 次に日本遺族厚生連盟理事長佐藤信君にお願いいたします。
  29. 佐藤信

    ○佐藤公述人 佐藤でございます。栄典法案に対し、私見を申し述べたいと存じます。  憲法においてその根本が規定せられておりまする栄典制度を、国権回復の今日これを整備活用して、国家再建に国民の志気を高揚することはきわめて適切であると存ぜられます。ただいま当委員会において御審議になつておりまする栄典法案によりますと、勲章は従前の菊花章及び文化勲章を残し、旭日章、宝冠章、瑞宝章にかえて新旭日章を設け、新たに産業勲章を加え、四種とするということになつております。そして従前の旭日章、宝冠章、瑞宝章は、今後も栄典としてその効力を保有する、それから勲位勲等は廃止して、現に勲位勲等を有する者はこれを失う、新しく功労章を設けて、褒章は従前の通りとする、以上の通りになつておりますが、これにつきましては、私といたしましては別段に取立てて申し上げる意見もございません。この通りでよろしいと思つております。  位階制度は、今後は純然たる功労者授与する称号制度として存置するとのことでありますが、私はこれを廃止すべきだと存じます。一つの特定の行為、功労に対しましては、その功労を端的に表示しておりまするところの勲章なりあるいは功労章なりを与えることがよいかと考えられます。それに同じ必要から、またはそれに潤いを持たせるというような必要から位階を設けるということは重複であり、かつ必要がないと考えられるのでございます。またそればかりでなく、この位階というものの持つ感じは、何かこうその持つている人の全人的な価値を表示した階級というようなふうに多くの人に感じられ、受取られるようなおそれがあるのでございます。そうなりますと、ある一つの特定な行為、功績の価値をその人の価値として個人に段階を設けるようになるので、これは適当でないと考えて、廃止すべきである、かように思うものでございます。かくのごとき制度は、平等であるべき人間そのものに段階をつけるということになるので、こういう制度はつくらない方がよいと考えるのでございます。位階につきましてはそういうふうに考えておるわけでございます。  それから次に昭和二十二年日本憲法の施行に伴いまして、金鶏勲章制度が廃止され、その効力を失つたのでございますが、同一の功労によりまして金鶏勲章とあわせて下賜せられましたところの旭日章または瑞宝章はその効力を存しておるということは、その功労を今もなお認めてこれを表彰しておるということで、これは私は当然のことだとは考えますが、しからばこれと同様の功績を立てて――いわゆる戦争の末期等に金鶏勲章をもらうような功績を立てて戦没したような者がたくさんあると思うのでございますが、かつて金鶏勲章をもらつた者は、金鶏勲章はなくなりましたけれども、それとともにもらつたところの旭日章なり瑞宝章なりの効力が存しておるのにかかわらず、そういう者が取残されておるということは、これは不公平ではなかろうか。もとより金鶏勲章が復活するというようなことは考えられないことでございまするが、その立てた功績というものはこれは何らかの労法によつて表彰すべきでもる。これはよろしく新しい栄典制度によつてすみやかに取上げて、適当の措置を講ずべきである、かように考えるものでございます。次に栄典授与の審査機関といたしまして審議会を設け、その委員は、公正にして識見ある者の中から内閣総理大臣が任命をするということになつておるのでございますが、この審査機関のことにつきましては、他の公述人諸君からもたくさん御意見が出ておりますが、私もおおむねそういう御意見と同様であつて、これはきわめて民主的に運営せらるべきものであるかように考えるものでございます。そういう意味におきまして、この委員は各階層を代表する民間人をもつてなるべくこれに充て、そうして民主的にこれを運営して、かつての官吏偏重にならないように注意すべきであると考えるものでございます。最後に軍人記章、軍人遣族記章並びに軍人傷痍記章に関することでございますが、これは栄典制度の中で考えることはどうかと思われますけれども、関連のある問題として御考慮を仰ぎたいと考えるものでございます。遺族記章は、昭和六年八月三日勅令第二百四号をもつて軍人の遺族たる標章として設けられたものでございますが、傷痕記章も同じく昭和十三年に勅令をもつて定められたものでありましてしかも双方とも現在その活用が停止されているのでございます。これらの戦争最大の犠牲者であるところの遺族や傷痍軍人等の処遇につきましては、終戦七年にして昭和二十七年に初めて暫定的な措置がとられ、今ようやくこれが本格的な処遇に切りかえられようとしております。それは近く当内閣委員会において恩給法の御審議を賜わることと存じますが、仄聞するところによりますれば、その遺族扶助料のごときは文官のそれの半額にすぎないというようなことでありまして、ひとしく国家の公務員である文官と元軍人とをかくのごとき差別待遇をするということは、何としても納得のできないところであります。かくのごとき不条理はすみやかに是正せられることを望むと同時に、元のような考えでなく、別途に新しき理念に基く遺族記章、傷痍記章、というようなものを制定してこれにある程度の公信力を有せしめて、もつてこれら不遇に泣く人たちを慰め励まして、国家再建に立ち上るようにしなければならないと存ずるものでございます。またこれを受ける人たちもこれを栄誉の表彰といたしまして、みずからの生活を規制正してその栄誉を汚さないようにいたさなければならない、かように考えるものでございます。このことは本筋を離れましたことでございまして、たいへん失礼でございます。  私の公述は以上でございます。
  30. 船田中

    船田委員長 ただいまの佐藤信君の御意見につきまして御質疑はございませんか。
  31. 熊谷憲一

    ○熊谷委員 ちよつと佐藤さんにお伺いいたします。佐藤さんは遺族厚生連盟に御関係のようでありますから、特別にお尋ねしておきたいと思います。といいますのは、実は栄典法案の審議をこの間からやつておつたのでありますが、一部にこういう議論があります、附則の3におきまして従来承らつておつた旭日章とか瑞宝章とか宝冠章はそのまま効力を持たしておるが、金鶏勲章については効力をなくしておる、つまり功績の大なるものに与えられたる金鶏勲章の効力をなくするということは不合理じやないか、こういう質問がありました。これに対しまして当局からは、金鶏勲章をやるときには、必ず旭日章や瑞宝章をやるのだから、その方を効力を持たしておけばいいじやないかというような答弁もあつたのでございます。佐藤さんが関係しておられます団体等におかれましてどういう御意見を持つておられますか、その点をちよつとお聞かせ願いたいと思います。
  32. 佐藤信

    ○佐藤公述人 ただいまの熊谷先生の御質問にお答えを申し上げたいと思います。私は金鶏勲章の効力を廃止するということは、新しい憲法の建前からこれは廃止するのが当然である。かように考えておるものでございます。しかし金鶏勲章制度を廃止したからというて、その金鶏勲章に値する功績は、これは決して没却すべきものではない、かように私は考えておるのでございます。従つてただいま御質問のようにその功績を一番大きく評価したところの金鶏勲章をなくしちやつて、それに付随的に与えた旭日章なり、瑞宝章なりの効力を存置せしめるからそれでいいじやないか、こういうようなことは本筋としてはこれは納得が行かないことだ、かように考えるのでございます。ただいま申しましたように戦争を放棄した憲法の建前からいつて戦争によつて功績を立てた者に対して特に与えるというような制度を設けておくということはどうかと考えられますので、やむを得ないことと考えます。従いましてせめては残されておるところの旭日章あるいは瑞宝章によつてその功績が存置され、表彰されておるというところで満足しなければならないのではないか、かように考えてやります。  つけ加えて申しまするが、そういう意味において、ただいま私の陳述の中にありましたようなそれにすら取残されておる者がたくさんあるということは、この際何とかこれを取上げて――その戦争によつて立てた功績を没却するということは、これは私はその個人に対して戦争の責任を負わせるものであると考えられますので適当でない。戦争によつて立てた功績であつても、これは国家の名において行つた載争に忠実に従つたその国民を表彰しないということは間違つておる、かように考えましてあえてこのたとを申し上げた次第であります。
  33. 船田中

    船田委員長 ほかに御質疑はございませんか――御質疑がないようでありますから、これをもつて栄典法案に関する二日間にわたる公聴会を終ります。公述人方々には終始きわめて真剣に御意見をお述べくださつたことを厚く感謝いたします。有意義な参考意見と存じまするので、今後当委員会におきまして十分検討をして参りたいと存じます。  次会は明後二十日午前十時より開会いたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後二時五十四分散会