○石黒
公述人 石黒であります。本
公聴会において、私が
栄典制度の問題について
公述するということは不適当かもしれません。ということは私は一平民でありますから、位だとか
勲章というようなものにあまり縁がありません。大東亜戦争で死んでおれば、もちろん終戦にならぬ前に死んでおれば、
金鶏勲章までは行かないだろうが、死んだというしるしの
勲章くらいはもらえたかと、こう考えております。問題は
栄典制度の
公聴会において、私がこのようなことをこれから申し上げて、はたして
公聴会としての意義があるかどうかという問題については、多少疑問があるところでありますが、私は子供のころ、といいますと、今の満でいいますと十一半くらいから
社会に出て働いて来たわけですが、そういう過程の中で、この
栄典制度というものがどういう状態で
日本の場合には使われて来たか、こういう
関係をわれわれが
はつきり知らないと、今吉田内閣によ
つて提案されておる
栄典制度の意義というものがぼかされて来るのではないか、かように考える次第であります。か
つての軍国的といいますか、帝国主義的といいますか、あのような
日本がいけないということで、
勲章を胸にたくさんつけた
方々が市ヶ谷の裁判で絞首刑に
なつたことは、私たち
国民としてはまだ忘れがたいなまなましい現実であります。
勲章を多くつけておる
人々が絞首刑の一番重い罪に
なつた。そういうことがか
つての帝国主義
日本の状態を
はつきり現わしているわけでありますけれども、昔の
日本というものを私たちが考えてみまして、今ささやかな
希望を抱いて、平和な
日本をつくろう、民主的な
日本をつくろう、ほんとうに汗を流して働く
人たち、農民もあるいは
労働者もまた家庭の主婦も、そういう
人たちが仕合せになるような
日本をつくろうということで努力をしているわけでありますけれども、か
つての
日本はどういう状態であつたか、資本家や地主や、今そこでお話された武者小路さんというような、そういう特権
階級といいますか、貴族あるいは
官僚、こういう
人たちがかたまりにな
つてか
つての
日本を支配しておつた。この支配の中でわれわれがしみじみと感ずることは、民草よ風になびけ、こういうことでありまして、実際の
意味では私たちは
人間として認められていなかつた。水害があつた場合には、農村の娘さん方は男のもてあそびに売られて行くのは当然のことにな
つておつたし、私たちは小学校もろくさま行かないうちに奉公に出されることも当然のことにされておつた。こういう一億か九千万かわかりませんが、そのうちの大半はそういう状態の中でおつたことは事実であります。こういう権力
階級といいますか、いわゆる一部の、ほんとうの一にぎりの
人たちが私たちの犠牲の上に立
つて大きくふくらんでおつたことは間違いがございません。そうしてこの
人たちは国内における大衆の収奪が困難になる場合には、軍隊といいますか、軍閥といいますか、こういうのを動員してか
つての満州にしても、また諸
外国に対しても侵略を開始したことは間違いがありません。国内にはそういう状態で大衆を収奪する場合に、当然起きて来る問題として弾圧法が必要であります。だから治定維持法によ
つて、吉田
総理大臣もこの治安維持法か何かわかりませんが、憲兵に拉致されたことがある。終戦近くなりますと、軍閥が血迷うたので、そういうことがあつたようでありますが、共産主義とか
社会主義とか、あるいは
労働者がささやかな、
生活をよくするとか、そんなことも全然問題にならぬ。そしてほんとうにクリスチヤンまでが治安維持法のために、あのような弾圧を受けたことは歴史が示すところであります。そうしてこのようなことをするためには、警察の強化が必要であります。特にスパイ的な、
政治警察的なものを強化しなければならない。それだけではあまりにも、
労働者や農民や
一般国民大衆を搾取した上に立
つてたくさん胸に
勲章をつけていることがおもはゆいのでもありましよう。そういう観点に立
つてか
つての
栄典制度があつたことは間違いがありません。
天皇陛下のためにということで、
金鶏勲章功何級かわかりませんけれどももら
つて、幾十、幾百万人の
人々が死んで行つたことも間違いがありません。しかしその
天皇陛下のためにということは何であつたかといいますと、先ほど申し上げました資本家や特権
階級、地主、
官僚、こういう
人たちのほんとうの一にぎりの
人たちの幸福のために、宴会のために、ダンス・パーテイのために、数多くの血を流したことは間違いがありません。
従つてそういうことが大衆に
はつきりわかつたのでは困ります。だから
天皇陛下のという名のもとに
栄典制度がしかれ、そのような機構に対して協力した者に対しては勲何等とか、従八位とか、そういう
位階制度、あるいは一生懸命で
労働者を安い賃金で——私は坑内に入つたときに毎日十四時間も働いたことがありますけれども、そのようにして、一生懸命で
労働者や農民や
一般国民大衆をしぼ
つて、利益を得た
人たちがお金を政府に対して寄付いたしますと、とたんに男爵になる。だから昔の
栄典制度のおもかげというものは、
勲章が多くなれば多くなるほど、
地位が上であればあるほど、そのことは
国民大衆をしいたげ、しぼり、殺し、傷つけ、いためつけた証拠以外の何ものでもなかつたのであります。
従つてそういうことを
はつきり徹底するためには歴史の中で、修身の中で学校の先生に教壇でそれこそくどいくらいに
天皇の御真影を中心にして、いとけない子供に人殺しを教える。
天皇陛下のために死んで行くことが正しいということを教える。こういうことで教育というものが
はつきりとフアツシヨ的な教育、そういう形で
天皇制という
制度を利用して、資本家や地主や特権
階級や
官僚が生き長らえて行き、その罪悪の結果が大東亜戦争となり、敗戦と
なつた現実をわれわれは見のがすことができないのであります。ところがこのような過去の
栄典制度、
勲章というもの、
地位というもの、こういうものが再びこの
公聴会において論議をされておる。私は悲しみを覚えます。そしてこの
公聴会において論議されておる
栄典制度というものと一緒に、再び教育のフアツシヨ化、警察の強化、ささやかなみじめな
生活をよくしようとして行動を起す
労働者に対する弾圧、良心的な文書を表わし文字を書く
人たちに対する破防法、あらゆるものが
はつきりと本国会において総仕上げをされようとしておるのであります。再び私たちは戦前の
日本にもどろうとしておることは間違いがありません。そして今度の
栄典制度の中では
産業功労章だとかいろいろなものがつくられておりますけれども、この
産業功労章にいたしましても、これができた場合にどういう形で利用されるであろうか、私は何かまぶたに浮ぶような気がいたします。一生懸命に職場で働いて、働いて働いて、資本家の喜ぶような
仕事を一生懸命でした人、わが子もわがからだも犠牲にして、一生懸命で一部の
人たちをふとらすために安いお米を出す農民のお方、こういう
人たちが
産業功労章をもらうようになるのでありましよう。もらつた次の日に炭鉱の坑内では、そのもらつた人がもらつた感激に胸をふるわして一生懸命で働いたために、落盤にあ
つて死ぬのでありましよう。そのようなことを考えてみたときに、私は何のために市ヶ谷裁判があり、何のためにわれわれはポツダム宣言を受諾し、何のためにわれわれは平和
憲法の中に生きる喜びをあの虚脱状態の中からささやかに
感じて動いて来たのか、働いて来たのかということについて、しみじみと怒りを覚えます。
私は現在の
労働運動の中では、吉田政府も言
つておりますし、
労働組合の中でも、私を盛んに極左的暴力主義だと言い、総評の幹部はどうだこうだと言
つておりますが、私は復員後何をやつたかといいますと、一番初めにやつたことは、ポツダム宣言は正しい、
従つて労働者のことだけを考えて、
国家全体を忘れているのはいけない、だから今こそ経営者も
労働者も一緒にな
つて石炭を増産すべきであるということで、その増産運動が共産党と闘う
労働運動の中へ入つたのであります。私は北海道の片すみで共産党と闘つた。増産運動の中で、北海道における三井砂川鉱業所といえば、あの当時増産に輝く鉱業所でした。そこで私は組合の中心的な役割をや
つて、一生懸命で増産に邁進をしたのであります。ところが二十三年を過ぎ、四年を過ぎ、五年を過ぎ、そして二十八年の本国会においては、何が論議されているでありましようか。戦前の
国民大衆のように、ほんとうに一部の
人たちが地下運動とかいいまして、地下にもぐり、隠れ、ピストルで殺され、牢屋で殺される、そういうときの
労働運動や
社会運動と、現在の
日本の運動は違うのじやないか、私のような無学無才な者ですから、ささやかではありますけれども、このようなことを
はつきり
公聴会で申し上げるだけの力を、敗戦の虚脱状態の中からつかみ出したのであります。ましてや八年間の平和
憲法に基く民主的な平和教育によ
つて育てられた現在のわれわれの後輩、男の生徒も女の生徒も、八年間の教育の中で先生の言うことを最も正しいと信じて営々と学んで行つたその教え子たちに、はたして先生が次の日から教壇に立
つて御真影を飾り、皆さん、
天皇は
人間であるということを敗戦後言いましたけれども、これは
人間ではなかつたのだ、
栄典制度もできたし、単なる象徴ではないのだ、これはやはり神ながらの人である、こういうばかげたことを再び言い得るでありましようか。もしも多くの児童を預かる先生方がそういうことを再びやるとするならば、その先生方は良心がないのでありまして、すばらしく盛り上りつつある
日本の民主的勢力がそのようなことを許すわけはありません。
従つてこの
栄典制度のもたらすものは、昨年の国会、本年の国会で
はつきりと打出された破壊活動防止法、警察法、ストライキ禁止法、義務教育費全額国庫負担の美名に隠れて先生をまた、吉田
総理大臣か
天皇かわかりませんけれども、一部の資本家、地主、特権
階級、
官僚、こういう
人たちを擁護するための教育に動員するような
法律であ
つて、こういう弾圧政策と結びついて、大衆を
栄典制度、
産業功労章、あるいは昔の
金鶏勲章にかわる
功労章で今度は金章と銀章ができるそうでありますけれども、こういうものをつく
つておいて再び若い青年を朝鮮やインドシナにやる。何のためにやる戦争かわからないで、そういうところに青年がはたして行くでありましようか。ラジオやテレビや商業新聞を通じてどのようなマス・コミユニケーシヨンをやろうとも、とうとうと盛り上りつつある、ほんとうの
人間の新しい
社会を建設するために努力しつつある
日本の青年諸君、夫を恋人を戦場に送
つてはならないという婦人、
労働階級、農民、しいたげられつつある一切の大衆が、武者小路さんが言つたような、五百円で買えるような
勲章をもら
つて生命を失うかどうか。こういうことについては、私は
国民の予算を使
つて国会が運営されている以上は、国会では
国民大衆の現在考えていることをもう少し考えて、
栄典制度の問題についても考えて行く必要があるのではないか、かように思うものであります。特に
栄典制度の問題について、もしもつくるとするならばどういうものが必要なのか、新聞でもラジオでも多く言われておりますから、皆さんも御
承知だと思いますけれども、一高等女学校の生徒石川皐月さんが選挙の問題とからんで村八分に
なつた。
憲法には何と書いてある。
憲法のもたらすものとして、ここに
はつきり書いてありますけれども、これはただ単に
日本憲法だけの問題ではない。「そもそも国政は、
国民の厳粛な信託によるものであ
つて、その権威は
国民に由来し、その権力は
国民の代表者がこれを行使し、その福利は
国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この
憲法は、かかる原理に基くものである。こういうぐあいに書いてあり、主権が
国民に存すると
はつきり書いてあるわけですが、その選挙は
政治が
国民にあるという意思表示の最も大事なときであります。この
憲法の基本原理は主権在民という形の中で
はつきり表われておるのであります。
従つてあのような封建的な村で、自分のお母さんやお父さんや自分の運命をもかけて主権在民を守り続けようとしておる石川皐月さんさんのような人こそが、私は
栄典制度で第一回に
功労章をもらうべき人であると思う。またポツダム宣言において、あるいは
憲法においてわれわれは武装を放棄する。マツカーサー元帥もこれをほめたのでありますけれども、平和と民主主義は新しい
憲法のバツクボーンである。
従つてほんとうの
意味での平和民主主義、こういうことのために努力した人こそ
功労章に値する。私が
総理大臣ならば、こういう人に正一位を与えるのでありましよう。
従つてわれわれが考えるものは、
国民の
憲法である、
国家は
国民のものである。正義は
国民の
生活と結びついたものでなければならない。
従つて一部の
人たちが、箱根で、伊香保で、熱海で別荘をどんどんつくり、一般大衆が坑内で、農村で血みどろにな
つて働いているときに、芸者をあげ、第何号かを置いてや
つておる
方々が正何位だとか、大勲位、瑞宝章だ、
功労章だ、こういうことを考えただけでも私はさびしくなります。
従つて新しい
功労章、もしそういうものがありとするならば、そういうものを
設けるべきである。
それから
最後に一言つけ加えておきますが、今の政府にいたしましても、いわゆる私たちが言う
意味での民主的でない人、平和的でない人、こういう
人たちは、口を開けば共産主義の侵略、ソ連の侵略、中共の侵略、こう言うことで国内にあるところの私たち
国民大衆が収奪され、
はつきり侵略されておるところのそういう事態を、そのような大量宣伝によ
つて、ごまかそうとしておるのであります。そうして
栄典制度でごまかそうとしておるのであります。しかしわれわれがほんとうによく見なければならないのは、そうしてまた政府や反動的な
人たちが恐れているのは、ソ連や中共ではないでありましよう。
栄典制度で、ごまかし、大量宣伝でごまかし、権力で弾圧し、そのようにして
労働者や農民、十分に
国家の機構について、自由党内閣の
政治についてわからない
人たちを、ごまかしたり、おどかしたり、弾圧したり、こういうぐあいにして大半の
国民大衆を収奪しているがゆえに、苦しめているがゆえに、その苦しめられている
人々がいつか立ち上るのではないか、いつか潮が来て流れるのではないか、そういう恐怖におびえているではないか。その証拠に保安隊の強化にしても、警察の強化にいたしましても、その証拠が歴然としておる。二十世紀の後半を過ぎた近代
社会において、ソ連にしても、アメリカにしても、特に中共の場合はどうでしよう。アメリカを中心とする国連軍を相手にしながら、二年間も朝鮮で戦争しておる。ところがその戦争をするかたわらに、あの中国の民衆が幾千年にわた
つて苦しめられた黄河や、こういうところの護岸工事を完成したではありませんか。偉大なる生産力であります。ましてや水爆、原爆、あるかどうかわかりませんけれども、あるいはあつたとしても使うかどうかわかりませんけれども、細菌、ナパーム弾、ジエツト機、こういう恐るべき近代戦争がもし起るとすれば、地球上が破壊されるような現代戦において——
日本は過去において満州を持ち、あらゆる植民地を持
つて、多くの大衆を苦しめて軍備を持つたが、その大和も、武蔵も、隼も、あるいは学校にある教練用の木銃一
ちようすらなく
なつたではありませんか。一兵、一銃、一弾をも余さず、あれだけの力を持
つていながら滅び去つた
日本が、富士山の上までが植民地になろうとしておるとき、六百幾つの軍事基地があるとき、治外法権の
場所が全国津々浦々にあるとき、そうして貿易が不振でほんとうに困
つておるときに、何をも
つてこのような戦争に参加して勝ち目があるというのでありましようか。もしもソ連が敵だとして、その敵は、根室の岬へ行くと、ソ連の兵隊が歩哨に立
つているのが見えるのであります。もしも敵だとして、こういう近接した敵との
関係の中で、今ある保安隊ではたして
日本が守り得るのでありましようか。守り得ないことは、科学的にも歴史的にも歴然たる事実であります。もし
日本を守る道があるとするならば、それはポツダム宣言を守り、非武装の平和
憲法を守
つて、全世界の人類に対し、われわれは戦争を絶対にやらないのだ、ばかげた
勲章もつくらないのだ、こういうことの方がずつと
日本を守る道になるのではないかと思う。それなのに、今年度の予算においても昨年度の予算においても、おもちやのような保安隊の強化をや
つている。これは国際的な戦争から見ればそうですが、国内的には厖大な威力であります。警察権力の強化や保安隊の強化によ
つて、もしも起きたとして、
相当強力な革命を威圧する力は持ち得るでありましよう。しかし李承晩政権にしても、蒋介石政権にしても、現在の吉田内閣にしても、堕落はもう底をついている。このような腐敗堕落した
政治に対して、保安隊や警察力の強化、あるいは教員組合の
政治活動を弾圧したり、いろいろなことをや
つて、
栄典制度をつくつたり、新聞でいろいろなことを言
つてごまかしても、そのような大衆の抵抗を押え切ることはできないのではないかと思う。私は総評の一幹部として、このような吉田内閣のほんとうに
日本の前途を誤り百年の大計を誤る
政治に対して、断々固たる闘いを展開しておるのである。しかし私はあの三たび四たび鉄のローラーをかけられた朝鮮民族のような国土には、
日本の国土をしたくない。
従つてどのような苦しみがあろうとも、平和的に吉田内閣にやめてもら
つて、ほんとうに苦しんでいる
労働者、農民、
一般国民大衆の
政治を確立したいということで行動をしているものであります。従いまして先ほど申し上げましたように、戦前のような警察法の問題、教員の問題、
労働者のささやかな抵抗を押える問題——四百五十億の旧
軍人恩給を出しながら、ちまたで泣き叫んでいる、電車の中で、あの三宅坂の平和の塔の前で騒いでいる、悲しみを訴えている傷病者に対しては、何らのほとんどとい
つてよいくらいの措置も講じない吉田内閣の本質がもたらす
栄典法案に対して反対をいたします。