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1953-03-07 第15回国会 衆議院 内閣委員会 第21号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年三月七日(土曜日)     午前十時五十九分開議  出席委員    委員長 船田  中君  理事 熊谷 憲一君 理事 早稻田柳右エ門君       大西 禎夫君    岡田 忠彦君       砂田 重政君    田中 萬逸君       橋本 龍伍君    三浦 一雄君       粟山  博君    吉田 賢一君       武藤運十郎君    辻  政信君  出席政府委員         総理府事務官         (恩給局長)  三橋 則雄君  委員外出席者         総理府事務官         (恩給局審査課         長)      城谷 千尋君         専  門  員 亀卦川 浩君         専  門  員 小関 紹夫君     ――――――――――――― 三月六日  委員井手以誠君辞任につき、その補欠として勝  間田清一君が議長の指名で委員に選任された。 三月六日  軍人恩給復活に関する請願外二件(田万廣文君  紹介)(第三五六七号)  公務員給与改訂に伴う恩給改訂に関する請願  外一件(岡田五郎紹介)(第三五九四号) の審査を本委員会に付託された。 同日  旧軍人恩給復活に関する陳情書  (第一七〇一号)  文官恩給増額に関する陳情書  (第一  七〇二号)  奄美大島所在官公署所属職員の身分と恩給に  関する陳情書  (第一七〇三号) を本委員会に送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  恩給法の一部を改正する法律案内閣提出第一  一一号)     ―――――――――――――
  2. 船田中

    船田委員長 これより会議を開きます。  まず恩給法の一部を改正する法律案を議題といたします。先回の緒方官房長官よりの提案理由説明に引続きまして、三橋恩給局長より補足説明を求めます。三橋政府委員
  3. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 来年度の予算に旧軍人等恩給費といたしまして計上された金額につきましては、予算の各日明細書にしるされておるところでございますので、すでに御承知のことと思いますが、この予算のことにつきまして一言御説明申し上げまして、それから先般の提案理由の際に説明されました事柄以外のことで若干のことを補足させていただきたいと思います。  来年度予算に旧軍人等恩給費として計上されました金額は四百五十億でございまして、その内訳は、普通恩給が二十九億二千六百五十万円、増加恩給が二十二億六千五百万円、公務扶助料、すなわちもつばら戦没者遺族に給付される扶助料でございますが、これが三百六十九億一千五百万円、普通扶助料、これはやめまして、普通恩給をもらえる者が在職中死んだ場合その遺族に給付される扶助料でございますが、この扶助料が十一億九千九百二十五万円でございまして、以上が年金恩給でございます。これの総額が四百三十三億五百七十五万円であります。今申し上げました増加恩給公務扶助料につきましては、増加恩給なり公務扶助料を給付せられる者の扶養家族あるいは扶養遺族がありまする場合には、若干の加給が給されます。その加給金額も含めた金額でございます。それから一時金として計上されました一時金たる予算金額について申し上げますると、一時金たる恩給といたしましては、傷病賜金と一時恩給、一時扶助料というのがございますが、その一時金たる傷病賜金、これは傷病者に給付される一時金であります。これが一億四千百万円でございます。それから一時恩給、一時扶助料として計上されました金額が十五億五千三百二十五万円でございまして、以上総計いたしまして四百五十億円となつておるのでございます。  この金額を計上いたすにあたりまして、年金恩給受給者人員は大体どれくらいと推定せられておるか、こういうことが次に問題になるのでございますが、この予算の根拠となつておりまする年金恩給受給者人員について申し上げますと、普通恩給受給者は二十万二千人でございます。それから増加恩給受給者人員は四万五千人でございます。それから公務扶助料受給者人員は百五十万四千人でございます。普通扶助料受給者は十七万三千人でございまして、総計百九十二万四千人でございます。普通恩給受給者は、金額を停止される者は除いております。一応四十五才以下の者には恩給が行きませんので、それは全部除くことにいたしまして、計上したところの人員でございます。  次に、それならば、この各種恩給が、年金恩給には色々の種類があるわけでございますが、各種年金恩給につきまして、年金恩給総額の中で一体どういう割合なつておるか、こういうことについて申し上げてみたいと思います。各種年金恩給割合は、普通恩給金額はその年金恩給総額に対しまして七月になつております。増加恩給金額は五%でありまして、公務扶助料金額が八五%、普通扶助料金額は三%、こういうことになつております。  それから人員は先ほど申し上げましたのでございますが、年金恩給受給者人員について申し上げますると、普通恩給受給者人員は、年金恩給受給者人員の一一%に当つております。増加恩給受給者は二%に当つております。公務扶助料受給者は七八%に当つております。普通扶助料受給者人員は九%になつておるのでございまして、今度のこの措置の大部分は、国家予算関係もありまして、ほとんど大部分のものは、戦没者遺族増加恩給受給者、すなわち重傷病者に行く恩給なつております。金額の点から申しますと、実に九〇%はこの戦没者遺族重傷病者に行くのでございまして、そのほかに老齢軍人などの遺族に行く金が三%でございます。従いまして生存しておられる方に行く恩給金額は、総額の中の七%くらいの金額でございます。  傷病賜金につきましては、来年度におきましては、先ほど申し上げましたように、一億四千百万円の金額を計上しておるのでございますが、これは従来の実績にかんがみまして、来年度分、すなわち九箇月間におきまして、傷病賜金を給せられる見込み人員推定いたしまして計上したところの金額でございます。特別にここで申し上げるほどのこともないかと思います。  それから一時恩給と一時扶助料のことでございますが、これにつきましては今度の法案を実行いたしました場合におきまして、一時恩給、一時扶助料受給者の数が大体どれくらいになるかということが問題になるのでございますが、大体の推定といたしましては——この推定もなかなか立てることが困難なことでありますが、一応復員局調査願つた結果によりますと、十七万八千人くらいの見込みでございます。大まかに申しまして十八万人前後と御承知願つていいんじやないかと思います。その金額は約百二億、正確に言いますと百一億九千七百万円ということになりまして、百二億くらいを予定いたしておるのであります。実はこの百二億の金を一時にお払いできればよかつたのでございますが、国家財政のいろいろな事情からいたしまして、どうしても一時に支払いをすることができないというようなことからいたしまして、この一時金たる一時恩給及び一時扶助料につきましては、年六分の利子をつけまして三年間分割支給をすることにいたしまして、来年度におきましては、その所要経費として十五億円余りを計上いたしたのでございます。  次に問題になりますのは、来年度予算に計上されましたところの年金恩給は、本年の七月に渡しますところの恩給、それから十月に渡しますところの恩給、それから来年の一月に渡します恩給、すなわち三期分のといいますか、九箇月分の恩給経費なつておるわけであります。従つて年間、すなわち十二箇月分の経費として平年度に引直しました場合におきましては、四百五十億の金は大体どれくらいになるかということが次に問題になるわけであります。その経費といたしましては、大体考えましたところでは、普通恩給につきましては三十九億二百万円、それから増加恩給につきましては三十億二千万円、それから公務扶助料は四百九十二億二千万円、それから普通扶助料は十五億九千九百万円、合計五百七十七億四千百万円、すなわち年金恩給といたしましては、一年間に通じて払うならば、五百八十億の金がいる、こういう大体の推計でございます。  次にこの軍人恩給は、旧軍人方々に給付されるところの、またその遺族方々に給付されるところのものは、年々減少することが見込まれるのでございますが、しからば一体どれくらいの減少が見込まれるかということがその次に問題になると思います。この減少割合はなかなかむずかしいことでございますが、一応私の方でいろいろのことから推定をいたしましたところでは、たいへん幅のあることを申し上げて恐縮でございますけれども、十億円から二十億円程度毎年減ずることになるのではなかろうか、こういうような推定を立てております。これはあとで少し申し上げますが、この受給者人員につきましてもなかなか調査が困難でございますので、人員が狂つて参りますと、若干の異動が出て来るかと思います。人員が今まで調ました人員に狂いのないものと考えた場合におきましては、年々大体十億円ないし二十億円程度の金は減つて行くのではなかろうか、こういうふうに推定しておるのでございます。  次に恩給受給者人員推計のことでございますが、この恩給受給者人員推計いたしますることはなかなか困難なことでございます。これは私たち恩給局だけの力では、できかねることでございますので、復員局その他の関係当局の協力とまつてこれを調査いたしまして、その結果先ほど申し上げましたような人員を予定したのでございます。軍人恩給が廃止せられました昭和二十一年二月一日におきまして恩給局において恩給を給しておつた人員につきましては、その当時の記録が全部ございますので、割合に正確に知ることができるのでございます。その人員は百三十六万八千人でございます。これは年金恩給受給者でございます。軍人恩給廃止の際にすでに退職しておつて恩給をもらつていなかつたというような人あるいはまた当時在職しておつて、そして恩給を受ける資格を持つておるにすぎなかつた人、こういうような人をひつくるめまして、俗な言葉で申しますと恩給の未裁定者、こういう人たち人員推計いたしますことは、結局恩給局ではできないことでございまして、その当時の陸海軍人事に関する記録を保管しておるところの官庁で調べてもらうほかないということになるわけでございます。ところで、御承知通り終戦前後におけるいろいろな国の内外における混乱のために、その当時の人事に関する記録は必ずしも正確とは申されません。そしてその後終戦になりましてから講和条約の発効を見まするまでの数年間の間というものは、御承知のような状態でありまして、この関係者人事に関する記録を整理することも、ほとんど不可能な状態であつたと思います。従いまして、今申し上げましたような人の人員推計いたしますることはなかなか困難なことでございます。私が今まで国会におきまして申し上げました数と、いま先ほど申しました数と比較いたしますと、相当開きができております。終戦の際に陸海軍当局から私の方に出されましたところの報告によるその人員から推計したもの、それからまた講和条約調印後におきまして、復員局においていろいろ調査してもらつて報告をもらい、その報告に徴して推計いたしました数と、今度の数、みな違つておりますが、これは、今申し上げましたやうな事情にやるのでございますので、ひとつ御了承願いまして、そして最後に申しました数が大体信用のできるところの数であり、しかしながらそれには若干の幅があるということを御承知おき願いたいと思うのであります。  それから次に、それならば軍人恩給廃止の際に年金恩給総額はどれくらいであつたかということが問題として考えられるのでございますが、その当時の金額にいたしますと五億七百万円程度であつたのでございます。五億七百万円程度でございましたが、それを、先ほど申し上げましたように、恩給をすでにもらつてつた人、未裁定である人、そういうようなものをひつくるめまして三百数十万人と推定して恩給金額推計いたしました場合には、どれくらいの数になるかということを考えてみますると、どう考えましても、年間におきまして千五百億円以上の金になるのじやないかと思います。それは現在公務員退職する場合に給せられる程度恩給を給せられるとした場合の金額でございますが、そういう金額にいたしますと千五百億円以上の金が必要になるのではないかと思います。先般の国会において私が申し上げましたときの数は、終戦後から今日までの減耗を想定しない場合におきまする恩給受給者人員は七百万程度の数ということを申し上げておりました。その七百万程度で考えますると、どうしても二千億円くらいの金がいるのじやないかと思うのであります。それが少し減りまして、最近の調査によりますと、大体終戦前の恩給法による恩給受給者人員は三百七十万人くらいが予定せられるのでございます。そういう人員数から推して行きまして、現在私たち退職しました場合に支給せられる恩給金額を給するとしますと、少くとも年間におきまして大体千五百億円以上の金はどうしてもいるのじやないかと思います。  次にこの法案をごらんいただきまして問題になるのは、増加恩給金額とか、あるいは公務扶助料、すなわち戦没者の遺家族に対して給するところの扶助料をどうしてきめたかということが問題になるのじやないかと思います。そこでそれにつきまして、これをきめましたいきさつについて若干補足的な説明を申し上げておきたいと思います。  増加恩給金額につきましては、大正十二年に恩給法が制定されましてから昭和十三年に増額改正が行われたのであります。昭和十三年に増額改正されまして、そのままで結局終戦のときまで続き、それから終戦後また改正なつたわけでありますが、公務扶助料すなわち戦没者遺族などに給せられます扶助料金額につきましては、たびたび改正が行われておりまして、大正十二年四月に恩給法が制定されましてから昭和八年四月に改正が行われ、それから昭和十三年以後にもまた改正されておるのであります。ところで昭和八年の四月におきましては、増加恩給については改正が行われずして、ただ公務扶助料だけについて改正が行われたのでございます。増加恩給につきましてもしも昭和八年におきまして改正が行われたとするならば、一体どういう改正が行われたかということをまず想定してみたのでありますが、戦闘または戦闘に準ずべき公務による傷病者の受ける恩給金額は、どう多く考えてみましても、昭和十三年の四月において増額改正されました普通公務による傷病者の受ける恩給金額までには至つておらなかつただろう、多くてもその程度ではなかつただろうかというようなことが想像されるのであります。今回は、昭和十三年四月の増額改正による普通公務による傷病者の場合の金額で、退職当時の俸給年額に対する割合を考えますと同時は、また兵のところで看護を要するような重症者に対しましては、どうしても月一万円程度の金を給するというようなことを目途としつつ金額を考え、重症着たちにはできるだけ手厚くしようと考えたのであります。もちろん国家財政が許しますならば、そうでない方にも十分な措置をしてあげたいところでありますが、十分なことのできかねる現状におきましては、少くとも重症者だけでもできるだけのことをしなければいけないということに気を配りつつ金額をきめて行つたのでございます。この金額は、法律案のところに出ておりますのでおわかり願えると思います。しこうしてこの法律案の別表の第二号表最下欄の額のところ、金額で「七万九千八百円以下ノモノ」と書いてあるところが兵でございます。その上の欄、下から二番目の欄が下士官の欄でございます。下士官のところは、この兵のところの額の五分増し金額なつております。それから下から三番目のところが準士官に相当するところの金額でございます。これは一番下の金額に比較いたしますと、八分増し程度なつております。それから四番目のところは、これは尉官に相当するところでございまして、一番下の欄の金額に比報いたしますと、一割増し金額なつております。下から五番目の欄の金額は、これは佐官に相当するところの金額でございまして、これは一番下の欄の額に比較いたしますと、一割五分増しなつております。一番上のところは、これは将官相当するところでございまして、一番下の欄の金額に比較いたしますと二割増し金額なつております。大まかに申しますと、上と下の差は大体五分増し程度なつております。先ほど申し上げましたように、昭和十三年の増加恩給金額改正されましたが、その後の金額につきましては、先日お手元にお配りいたしました資料においておわかりの通りでございまして、その金額と比較していただきますればはつきりわかることでございますが、今度は上と下との差は相当圧縮されております。これもやむを得ないことかと思います。  それからその次に問題になりますのは傷病賜金金額でございます。傷病賜金金額は、増加恩給の第七項症の症状の方に対しましては、傷病賜金が給付せられることになつたのでございますが、その傷病賜金金額につきましては、従来七項症に相当する症状の方に対しまして傷病賜金が給されておりましたときに、その傷病賜金金額がきめられておりましたそのきめ方をそのまま踏襲いたしまして、今度もきめたのであります。言いかえますと、その当時におきましては、第六項症の金額に対しまして五倍に相当する金額を、第七項症の傷病者に一時賜金として給付されておつたのであります。それと同じような方式をとつて、今度の傷病賜金金額もきめられております。それから今度は七項症程度以下の傷病者に給付せられるところの恩給金額につきましては、どういうような割合なつておるかと申しますと、第六項症の金額を基準にとつて考えてみますと、第一款症のところでは、第一款症は今度の第七項症の金額であります。これは今申し上げた通り五倍でございます。それから第二款症、これは従来の傷病年金の第一款症、これは四倍になつております。それから従来の傷病年金の第二款症、今度の第三款症のところでは三・五倍になつております。それから第四款症、従来の傷病年金の第三款症、これは三倍になつております。それから第五款症、従来の傷病年金の第四款症では、これは二・五倍になつております。それから下士官、兵のみに給付せられまするところの傷病賜金の第一目症、第二日症というのがございますが、この第一目症金額は一・五倍、第二日症の金額は一倍、こういうふうになつておるのでございます。そうしてこの表にありますように、傷病賜金金額はこの三つにわかれております。この上下の階級の俸給によりまして三つにわかれておりますが、その退職時の俸給の差異による違いは、先ほど増加恩給の場合におきまして申し上げましたような程度の違いしかつけてございません。  次に公務扶助料の問題でございます。戦没者に給付される扶助料金額算出基礎をどうしてきめたか、こういう問題につきまする根本の問題でございます。今申し上げましたように、増加恩給金額につきましては、大体昭和十三年の前くらいのところで押えざるを得なくなつたのでございます。そこで公務扶助料の問題につきましても、やはりそういうふうに考えざるを得なくなつて来たのでございまして、昭和八年十月にこの公務扶助料増額改正されたのでありますが、その際におきましてどういうふうに改正なつたかと申しますと、公務扶助料年額算出率は、普通扶助料に対しまして、戦闘または戦闘に準ずべき公務に基因する傷病のため死亡した場合におきましては、一律に二十六割になつておつたのであります。普通公務の場合におきましては二十割八分であつたと思つております。それが昭和十三年の四月に増率改正されたのでございますが、その際には、普通公務による傷病のため死亡した場合には、兵のところで大体二十八割八分になつておりました。それから最も俸給の高いところ、将官あたりのところで十九割二分となつておつたのであります。すなわち昭和十三年の前を押えますると、戦闘または戦闘に準ずべきものでも二十六割しか出されていなかつた公務扶助料算出の率はこのようであつたのでございます。今度の案におきましては、その下の方を二十六割を二十七割にいたしましたが、上の方はかなり減らしまして十七割にいたしております。すなわち昭和十三年前から昭和八年までの間におきますところの公務扶助料算出率を一応参考にいたしまして、そうして下の方に厚くし、上の方に薄くせざるを得ないような実情になつたのでございます。それと同時に、増加恩給につきましても、先ほど申し上げましたようなつり合いをとつ措置をして来たのでございます。それから今申し上げまするように、最も低い兵のところで二十七割、俸給の最も多い将官のところで十七割、こういうようにいたしまして、その間におきましては従来の、すなわち終戦時におきまするところの公務扶助料金額算出率の例を考えまして、若干の差をつけましたが、それはでき得る限り少く按配いたしております。それはこの表をごらんになればおわかりになるだろうと思います。  次に、連合国最高司令官の命令によりまして逮捕抑留せられて有罪の刑に処せられた人々は、昭和二十一年の勅令第六十八号の恩給法の特例に関する件によりまして恩給を受ける権利を失つているのでございます。ところで今回軍人及びその遺族方々恩給を給するの措置をとりましたに伴い、こういう方々またその遺族方々に対しましても、逮捕抑留せられる前に持つておられたところの恩給を受ける権利または資格取得につきまして、他の軍人軍属または一般公務員と同じように扱い差別しない、こういう方針をとつております。いわゆる戦犯者ということのために恩給法上の取扱いとしましては特に悪い取扱いをしない、また特にこの際有利な取扱いもしない。かかる特別な取扱いをすることは差控えることにいたしております。ただ目下拘禁されている方々に対しましてはたいへん気の毒でございますけれども、拘禁されているという事盾をいろいろ考えました結果といたしまして、権利取得については一般方々と同じように取扱い権利を与うべきものは与えるが、しかしながら恩給支払いにつきましては拘禁中は差控える、こういうような措置をとつたのであります。  それから次に、外国に抑留されていていまだ帰還されてない方々に対する問題でありますが、そういう方々の中にはすでに普通恩給を受けるに必要な年数在職せられている方々もおられるわけであります。そういうような人に対しましては昭和二十八年三月三十一日という日を押えまして、普通恩給権利ありと思われる方については普通恩給を与えるような措置をして、そうしてその留守家族にその請求によつて代理受領させる道を開くことにしたのであります。また、昭和二十八年三月三十一日におきましてその在職年普通恩給所要在職年数だけない方につきましても、今後抑留中に、すなわち抑留の期間を通算いたしましてこの恩給を給せられるだけの在職年があるようになつたときにおきましては、そのときにおいて恩給を給する道を開くことにいたしたのであります。またそういう抑留者方々がその責に帰することのできない事由によつて負傷しまた疾病に冒された場合におきましては、その負傷疾病公務のための負傷疾病と認定することができる場合におきましては、そういうように認定いたしまして、それ相当恩給を給する道を開いてございます。  次に地方自治法の附則の第八条の規定に基きまして、国の公共事業費または産業経済費の支弁にかかる北海道開発に関する事務に従事する職員は、現在のところ三百七十名ほどあるのでございますが、これらの国家公務員昭和二十八年の四月一日から国庫補助の地方公務員に切りかえられることになつているのであります。その職員の中で二百人余りは現在も恩給法の適用を受けているのでございます。そこでそういうような職員の身分が今度かわりますことによつて恩給法上不利な取扱いにならないような措置を講ずることといたしまして、この法律案の附則の第三十一条にその必要な規定を設けたのでございます。  たいへん大まかな説明でございましたが、私の一応の補足的な説明を終りまして、さらに御質問に応じ御答えしたいと思います。
  4. 船田中

    船田委員長 これより質疑を行います。質疑の通告がありますから、これを許します。辻政信君。
  5. 辻政信

    ○辻(政)委員 ただいまの御説明の中で、すでに死刑になつた者の遺族に対しても普通通りやるということはたいへんけつこうな、いいことだと思いますが、問題は現在巣鴨あるいはマヌス島に拘禁されている千二百名の中に含まれております受給資格者に対してはなぜそれをやらないかという意見でございます。最近委員あるいは三橋さんの手元にも来ていると思いますが、巣鴨拘置所内の恩給資格者の代表として内山英太郎、若林清作からの陳情書が来ている。私はその内容を見て、きわめて道理が通つていてもつともだという感じを受けたのでありますが、簡単に御紹介いたしますと、「大橋前々法務総裁は戦争犯罪の国内取扱いに関して、普通の国内犯罪並びに刑罰の観念とは根本的に異なつていると言明せられおり、また木村前法務総裁も昭和二十七年五月一日発第五二号をもつて、総理大臣、各省大臣、人事院総裁あて連合国の軍事裁判により刑に処せられた者の国内法上の取扱いについての公文において、もともと総司令部当局の要請に基いたものであり、講和条約の効力発生とともに撤回されるものとするのが相当と思料する」こういうことを公式に出しておられるのであります。またこの前の衆議院の総選挙においては選挙権と被選挙権とを与えられ、いずれもそれを行使している。また最高裁判官の信任投票権及び都道府県教育委員選挙権をも行使しております。この前の選挙のときに多数の議員が巣鴨の拘置所に参りまして、そうして戦犯者をお見舞になつている。投票をお願いされている。そうしておきながら一方国家がこれに対して、恩給権だけを停止しようとする。これははなはだ不合理である。のみならず一方においてソ連及び中共地区の抑留者、これには戦犯も含んでいるのでありまして、これに対しては一律に支給しようとするところに筋道の通らぬところがありはしないか。いかがお考えになりますか。
  6. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 いわゆる戦犯と申しますのは、先ほど劈頭に申し上げましたように、連合国総司令官の命により逮捕、抑留せられ、刑に処せられた君たちを私どもは考えているのであります。従つて今お話のソ連に抑留中の方々の中に戦犯の方が含まれているということでございますが、それが俗に言われることは承知いたしておりますが、しかし私たちは今ここに言う恩給法上の戦犯とは考えておりません。従つてソ連に抑留されている方々を戦犯と同様の取扱いをするような命令を連合国から受けなかつた以上は、私たちとしてはそういう取扱いはいたしません。  それから第二として今の巣鴨にお入りになつている方々のいろいろなお話の御紹介がございましたが、まことにごもつともなことで、私ども御同情を申し上げているわけでありますが、私は決して国内犯罪者と同様な取扱いをする、こういうような考えに立つておりません。政府首脳部の方でも全部そういうようなお考えだと私は思つております。もしもそういうような見地に立つたとするならば、恩給を受ける権利そのものを与えることも私は不可能ではなかつたかと思います。しかし恩給を受ける権利そのものは与えられました。そしてとにもかくにも今マヌス島におられる方もおりますし、いろいろな諸般の情勢を考えられた結果、いましばらくほかの方法によつて、生活の救済といいますか家族の方において生活に困られる方につきましては、救済の道を講ずる方がよくはないかというような結論に到達しておるのでありまして、決して私たち巣鴨にお入りになつておる方に、非常に非人情な態度をとるという心持を持つておるわけではございません。それが一番現在の段階におきまして、とるべき措置としてはいい方法ではないか、こういうように考えておるのであります。
  7. 辻政信

    ○辻(政)委員 当然与えらるべきものをとめるということは制裁です。その意味において国内法的な制裁を加えられたものとわれわれは考える。この問題については、私は年末年始に郷里に帰つて、戦犯の留守宅を訪問して参りましたところ、驚くべきことを見たのであります。それはこの前の議会において、衆議院から全員一致で戦犯の処遇に関して、寛大に取扱うという決議案が上程されました。今までは五日間の休暇でございましたが、今度は十五日、爾後さらに引続いて十五日はできるということが出て、連合国との間に多少の問題を起した。そこで私は戦犯の留守宅に行つて、御安心ください、今度は五日の休暇が十五日に延びました、必要があつたらどんどん呼び返してください、こう言つたのです。そうすると奥さんがいわく、じようだんではありません、今主人がこの貧乏な家にまた十五日間帰つて来て食われた目には、子供に食わす飯がない、お気持はありがたいが、われわれの生活はそこまで逼迫しておるのです。子供に三べんの飯を食わすために、あの留守の奥さんがいかに苦労をし抜いておるか、十五日休暇をもらつて非常に喜ばれるだろう、大きなおみやげというつもりで私が参りましたところが、とんでもないことだ、とめてくれ、今主人が帰つて十五日食い過されたら、子供の食糧が足らぬというところまで行つておる。そういうことを考えたならば、どうして恩給権を認めながら支給を停止するのか、これは国家としては一種の制裁なんで、それほどまでむちうつ必要はないじやないか、御答弁願います。これはあなたのみならず、総理大臣にお聞きしたいと思います。
  8. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 今の辻委員の御質問は、ごもつともな御意見として十分尊重しなければならぬと思いますが、この事の起りは、平和条約の第十一条に規定があるわけでございます。それで平和条約の第十一条というものがなくなつて、そうしていわゆる拘禁が解かれるならば、それは問題ないと思います。私はそれを願います。拘禁を解かれたあかつきにおきましては、恩給支払いをしよう、こういうことも考えているわけでございまして、その拘禁を解かれるまでの間に、制裁的に政府が恩給をやらない、そういうような意味ではございません。この場合差控えた方がいじやないか、というような心持であつて、決してむちうつとか制裁を加えるというような趣旨ではないということを御承知願いたいと思います。
  9. 粟山博

    ○粟山委員 関連して。ただいま政府委員の御説明を聞きますと、戦犯として拘禁されている人々に対しては、恩給以外に他の方法をもつて報いることを考えておるというように聞いたが、その通りですか。
  10. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 今巣鴨に拘禁中の方々につきましては、援護が行われております。
  11. 粟山博

    ○粟山委員 すでに平和条約が締結されて、日本の国は独立国になつたのであるということの、国民に対する観念と申しましようか、信念というものを、強く呼びかけることは、もちろん大事なことだと私は思います。そういうような考えの上から見ますと、この戦犯者が、独立国になつた日本の国内にあると国外にあるとを問わず、われわれ国民の常識から言えば、これは当然同様に扱われていいのである。また他の方法によつて援護を受けておつても、私はその人々に対して、独立国家の国民としての観念の上から言えば、はなはだしく自尊心と申しましようか、その気持を特にそこなうようなことがあつてはならないと思う。およそ法は、さような人々の自由な気持に傷つけるようなことあつてならないということが、法の精神じやないかと思います。そこで政府はこの際、本会議における議員総員の考えというものは、世論というものを代表して表示されたであろうと思いますので、断固として直截簡明な処置をとらるることが私はよろしいと思う。決してこれがために国際的に無用の紛争を起すような懸念は毛頭ないと思います。政府当局の考えをお聞きしたい。
  12. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 今栗山委員の仰せられましたようなことも、私たちはいろいろと検討いたしましたが、またそれと違つた意見の方もいろいろあるようでございます。とにかく今栗山委員の仰せられましたような意見は、一応もつともな意見と考えるところでございまして、十分考えたのでございます。そしていろいろと検討いたしました結果、諸般の情勢といいますか、今のような措置が一番この際としてはいいじやなかろうか、こういうことに相なつたわけでございます。
  13. 辻政信

    ○辻(政)委員 今のあなたの御答弁の、いいじやないかということは、これは政府の数人の人のお考えでいいじやないかという判断をしている。国民大多数、議会の大多数はそうじやない。支給すべきものであるという考えを持つている。あなたの今のいいじやないかというお考えは、あなた個人の意見であり、またそれは閣議の意見かもしれないけれども、議員全体に諮つたら、おそらく議員大多数は、栗山委員や私の意見に御回清くださると思う。これは国民感情です。いいじやないかという判断はだれが下すのか、国家が下すべきじやないか。
  14. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 今政府委員の答弁を求められましたから、私は政府側としての答弁をしたわけです。従つてそれがいいか悪いかということは、この法案を出してそれで皆様方の御審議を願つているのです。私たちとしましては、これを最もいい案と信じて出しているのでありまして、かく考えるに至つたところを申し上げたのでございますから、その点御了承願いたいと思います。
  15. 辻政信

    ○辻(政)委員 それではその問題は、この次官房長官または総理大臣に聞くことにいたしまして、次の問題に移ります。時間がありませんから、簡単に宿題として政府委員に出しておきますので、この次の機会に資料として出してもらいたい。それは増加恩給及び公務扶助料そのほか普通扶助料において、文武官の取扱いにいかなる差異があるか、一律であるか、あるいは武官と文官に差別があるかどうか、それをはつきりしていただきたい。国家公務員として軍人であろうが文官であろうが、私は増加恩給とか公務扶助料というものは、文武の職分によつて差別さるべきものじやないと信ずる。それは詳細な資料を対照できるようにして、この次の機会までに出してもらいたい。またそれはどういう根拠に基いてそれを算定されておるか、一国の財政予算が許されないというならば、文武同様に下げるべきものであります。われわれ生きている者は、全部辞退してもかまわないとさえ考えておりますが、文武を差別をつけられた理由、それは財政的処置ができないならば、平等に引下げるべきものであるが、そういうことについて詳しい資料及びその精神をこの次の機会に説明していただきたい。
  16. 船田中

    船田委員長 ただいまの辻委員の資料要求の御発言は委員長において善処いたします。吉田賢一君。
  17. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 これは外務大臣にお尋ねするのが適当であるかと思つておりますが、委員長において適当におはからい願いますが、平和条約第十一条の戦犯者関係、それから戦犯の遺族、戦犯というものを中心にして、外務省はいろいろ当該裁判国へ交渉なさつた事実があるそうであります。それでできるだけその経緯について本委員会で明らかにしてほしい、こう思つております。ぜひおとりはからい願いたいと思います。
  18. 船田中

    船田委員長 承知いたしました。
  19. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 それからもう一つ、資料でありますが、さつき三橋政府委員がお述べになりました数字は、どうせ速記録にも載るのでありますけれども、資料として御配付願いますようにおとりはからいをお願いいたします。  それでは質疑をいたしたいと思うのですが、この法律が世上喧伝されまして、軍人恩給復活の法律、こういうような文字を使いあるいはまたその文字を通しての国民的印象がある、そういうふうになつておると思うのであります。そこで実際の内容はそうでなくして遺家族というものが九割前後を占めておる、こういうことでありますので、それははなはだ宣伝のやり方と事実が違い、また国民が判断に迷うという危険がありますから、この際この法律制定の理由と根拠、どういう理由で、どういう根拠によつてこの改正をなさろうとするのか、これをまずお伺いしておきたいのであります。
  20. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 今の御質問は、恩給法の一部を改正する法律案という形をとらないで、何か旧軍人遺族傷病者恩給に関する特別措置法案、こういうような形の法案で出したらよかつたじやないか、それについてこういう法律を考えたのはどういうわけか、こういうことでございましようか。
  21. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そうじやないのです。私はその問題をまたあとからお尋ねもし、意見の交換もしてみたいと思いますが、この法律はどういう理由で、どういち根本の理念によつて改正し、立法されようとするのか、例の建議案がここの審査に上りました際一応お尋ねしたのでありますけれども、まだはつきりしませんことと、それからいろいろの根本理念について解釈が行われておるようでありますので、これはやはり法律の将来の発展の上におきまして非常に重要な、根本的な条件と思いますので、ひとつその辺について一応率直なところを、要を尽した御答弁を願つておきたいのであります。
  22. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 結局今旧軍人及びその遺族方々恩給を給付するのは一体どういう理由によつて給付しようとするのか、こういうことが根本のように思うのでありますが、これにつきましてはすでに総理大臣の施政方針演説におきましても、また官房長官から御説明申し上げました提案理由の中におきましても、るる御説明をいたしておるところでございまして、それで御了承を願いたいと思います。
  23. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 提案理由説明の中には、今私がお問いしましたことが適切に現われておらぬのであります。これによりますと、恩給を廃止あるいは制限された旧軍人軍属及びその遺族に対しまして、国家財政の許す範囲内においてかくかくの恩給を定める法律をつくつた、こういう記載のみになつておりますが、私が尋ねますねらいは、社会保障との関係につきまして相当明確な線を打出していただきたいと思うのであります。それで、そういう範疇に属すべきものになるだろうか、そうでないだろうか、あるいは古い既得権を停止されたものをさらに復活さすということがねらいであるのか、あるいは老齢で経済的に何か取得するにたえないような、そういう年齢の人に対しまして何らか国が報いようとするようなこと、もしくは心身ともに非常な消耗をいたしまして何年間公務に従事したので、そういつた障害を人体あるいは神経等に受けておると見るべきか、それに対する損害賠償というような趣旨にでもなるのでしようか、そこらを私は今一応例をあげてお問い申し上げたのであります。かつこういうことを問うゆえんのものは、他の厚生年金保険法というようなものもあるし、あるいは労働基準法によりましても災害に対するいろいろな救済規定がございますし、また遺家族援護法の立法の趣旨もあります。そういう幾多の類似の共通した要素を持つた他の法律もありますので、結局政府といたしましてはどういう理念によつてこの恩給法改正をなさろうとするのか、これをお尋ねするのであります。
  24. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 ただいま社会保障的な考え方をもつて給付するかというような御意見をお述べになりまして御質問があつたのでありますが、この法律案一般に社会保障といわれておる、そういう考え方はどういう考え方かはつきりしませんが、これには、いろいろあるだろうと思いますが、そういう考え方でなくて、従来の恩給制度の考え方のもとにおいて旧軍人及びその遺族恩給を給しようというのが、そのねらいでございます。ではどうしてそういうような考え方になつて来たのか、こういうことになるわけでございます。それは吉田委員も御承知のように旧軍人及びその遺族方々に対しましては、明治の初めからとにかく恩給制度というものがあつて恩給が給されて、終戦のときにおきましては文官も武官と同じような恩給制度、統一的た恩給制度のもとに恩給が給されるようになつておつた。文官は軍人よりもあとになつて恩給が給されるようになつたが、とにかく終戦の際においては統一的な恩給制度のもとにおいて軍人に対しましても恩給を給されるようになつておつた。その恩給が給せられるようになつておつたのは、今吉田委員も述べられましたように国家が使用者の立場におきまして、国に使われるところの軍人に対しまして在職中におけるいわゆる能力の喪失に対して補償する、こういうような理論的な見地に立つて考えて来たわけです。少しやわらかい言葉で申しますならば、公務に従事してけがをしたりあるいはまた死んでしまつた場合におきまして、その公務のために死んだ者を死につぱなしにして遺族を顧みないあるいはけがをした場合においてけがをしつぱなしでほつておく、こういうことは使用者の立場においてはできないことで、これに対して何らかのことを当然考えなければいけない、こういう考え方に沿つて恩給の制度というものができて来ておるのではないかと思つておるのでございますが、そういうような観点に立つて、従来の文武官共通に恩給が給せられるようになつておつたということも考えまして、そうして恩給制度というものがある以上は、かつて軍人またその遺族であつた人に対しましては、恩給を給するのが至当ではなかろうか、こういうように考えて来たわけでございます。恩給制度というものが全然ないというならこれは別であります。ある以上は、その線に沿うてものを考えるということが妥当ではないか、こういうようなことで考えて来たことでございます。
  25. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 国家公務員法の百七条と百八条には、長年公務に勤続いたしまして、そして退職その他仕事ができなくなつたような人のために、生活を維持するに必要な給付が得られなければならぬのではないか、こういつた趣旨を含んで、新たに恩給法を制定すべきだという趣旨の規定があつたと思いますが、はたしてそういう趣旨を織り込んでこの立法をされるということになりますと、今申し述べました百七条、百八条の後段に、生活を維持するに足るというような文句があつたはずであります。それとこの恩給法改正案を通覧いたしまして、とうてい生活を維持するに足るほどは支給されておらぬのではないか。その辺についての食い違いがあるのではないか。政府におきまして、もし生活を維持するに足るべき適当なる扶助料あるいは恩給を給付するというようなことでありますならば、これはやはり国家公務員法の規定の趣旨に沿うておることになるわけであります。同時にそれは反面におきまして、また恩給金額が、そういう趣旨から打出されておらぬように思います。それでやはりその辺はぜひきちんとけじめをつけておきたいと思うのです。国家公務員法との関係、及び生活を維持するに足る給付、恩給、こういつた観点からこの法律をながめてみたときに、これはどういう趣旨でなさるのでありますか、こういうことをお尋ねしたのでありますので、重ねてのようでありますけれども、そういうように他の法律の趣旨も勘案いたしまして、この立法の理由を明らかにしていただきたい。大正十二年に規定された恩給法も、何らその点については触れておらぬと思う。かくかくの身分のある者については、かくかくの権利がある、こういうような規定が一方に出されておりますが、これは必ずしも解決されておらぬので、その辺についての御意見を伺つておきたいと思います。
  26. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 私たいへん申訳ないことでございますが、今御引用になられました百七条の規定でございますが、たしかあれは退職時の条件に応じて云々、こう書いてあつたと思うのです。今お話のような、生活を維持するに足る云々ということは覚えていなかつたのですが、ちよつとはつきりしないのでございます。退職時の条件に応じて恩給を給付するという建前は、現行の恩給法にははつきり書いてありませんけれども、その精神は国家公務員法の百七条と同じだと思つております。それから適当な生活を維持するというような言葉があります。「適当な生活を維持するに必要な」ということは、現行の恩給法には書いてございませんが、しかし立法の趣旨を考えましても、これは国家公務員法の百七条に書かれておるようなことは考えられておつたことは間違いございません。それならば適当な生活を維持するに足る恩給を与えるには一体どのくらいの在職をした者に与えるのか、こういうことがまた問題になつて来るわけであります。そこで現行恩給法におきましては、大体四十年在職が一番長期の在職になるわけでございますが、四十年も長期に在職したものに対しましては、退職時の条件に応じて、それ相当の適当な生活を維持する程度恩給が支給せられるように考えられなければいかぬ、こういうことは、一応の目途として考えられていたことは間違いございませんようです。ただ国家財政とかその他の制約を受けまして、なかなか十分な恩給を給されるようにはなつていないのでございます。今度の改正につきましても、もちろん今御引用になりました国家公務員法の趣旨に全然反するようなことを考えてやつておるわけではございません。国家公務員法の規定の精神は、現行の恩給法の制度の中におきましても、やはり貫かれておることだと私は思つております。
  27. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 私は根本においてさらに全体の恩給予算をこの際ふやすことが至当でないかというような意見は今のところ持つておりません。ただ生活を維持するに足る国家公務員法の百八条に明記しております「前条の恩給制度は、本人及び本人がその退職又は死亡の当時直接扶養する者をして、退職又は死亡の時の条件に応じて、その後において適当な生活を維持するに必要な所得を与えることを目的とするものでなければならない。」こういうことになつておりますので、その辺についてはあるいは審議会、政府部内でいろいろと御意見の交換があつただろうと思います。それであの法律案の内容を通覧してみまして、今の給付が生活を維持するに足るだけの給付であるか、これは今のところ私は疑問だと思つております。しかし政府委員として、将来この国家公務員法との間に食い違いが生じないような、さような意図もありということでございましたならば、私はそれでその点はとどめます。そういうふうに了解をしていいのでございましようか。
  28. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 けつこうであります。
  29. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 それから少し内容に立ち至りまして伺いたいと思います。若年停止の件でありますが、五箇年間引上げになりまして、四十五歳から恩給を受給し得ることになつたようでありますが、この若年停止というのは、普通一般の日本人の平均生存年齢が相当今は高まりつつありますし、またアメリカその他におきましても、昔から比べるならば、ずい分と寿命が長くなつておることも事実であります。そういうことも考えまして、私はいま少し停止線を引上げてもいいじやないか、四十五歳で恩給を受けるというようなことではなくて、もう少し引上げる方が、国民感情から見ましても、また将来のこの種の制度の拡充の趣旨からいたしましても、少し若過ぎはしないか、年齢から申しますと、まだ分別盛り働き盛りの人であります。従つて、もう少し引上げる方が妥当ではないかと考えておりますので、その点についての御意見を伺いたい。
  30. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 この年齢の問題につきましては、今吉田委員の申されましたような意見をあちこちから耳にするのでございまして、私たちもその声には相当傾聴しているのでございますが、また一面におきましてこういうような年齢を引上げます場合におきましては、今後退職して行く公務員人事行政にどういう影響を与えるかということもやはり考えて行かなければならないのではないかと思うのであります。すでに退職しておる人と今後退職する人との間において差別を設けて行くというようなことでこの年齢を考えますならば、私は年齢をさらに引上げるということもできると思うのです。しかしながらそういうことはとうていできないことでございます。従つてどうしてもこういうふうな年齢のことを考えます場合におきましては、人事管理ということも考えて行かなければならないと思います。そこでそう考えてみますと、この年齢を引上げますことは、ある意味におきましては身分保障をするということになるのではないかというような気もするのであります。それからまた一面におきましては、盛んに行政整理のことがいろいろ言われていることから考えますと、またそういう方面の措置を阻害することになるのではないか、こういうこともまた考えなければならぬのであります。そういうことをいろいろ考えまして、いずれまた資料を差上げますが、お手元に差上げております資料の中にも入つているはずでありますから御了解できると思いますが、最近におきますところの退職者の年齢を考えますと、四十五歳程度まで引上げても、今後の退職公務員については大体よいのではなかろうか、もちろん警察官なんかにつきましては四十五歳以下でもつてやめている者がかなり多いのでございますが、一般公務員について考えてみますと、恩給をもらう初給年齢は大体四十五歳くらいのところが平均でありますから、これくらいのところまでは、よかろうこういうことで四十五歳に引上げたのでございます。そういうことでございまして、特に人事行政の管理の面を考えまして、こういうことにいたしたのございまして、さらに五歳引上げるということにつきましては、相当慎重に考えなければならない問題だ、こういうふうに考えておるのでございます。
  31. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 それでは私は明後日なお御質問申し上げることにしまして、若年停止の点をもう一ぺんきまりをつけておきたいと思います。  これはもし老後の生活費とか、老後を養うに足るだけのものを国家が給与するというようなことが根本理念でありましたならば、他の法律によりまして、たとえば厚生年金保険法、あの法律によりますと、命がけで炭坑のどん底へ入つて仕事をいたしました者も、条件が整つておる場合には五十歳、普通は五十五歳でありますが、この法律が退職者について厚生年金保険法のような趣旨も含んで、老後を養う年金的なものが一つの趣旨になつておるといいますと、やはりこの若年停止もそういつた面と少し調整をとつて行かなければならぬのじやないか。調整をとるということは引上げる方が適当でないだろうかというふうに考えますので、その点につきまして重ねて御意見を伺いたいと思います。
  32. 三橋則雄

    ○三橋(則)政府委員 これにつきましては、私ひとついきさつを申し上げて御了解を得たいと思うのでございます。と申しますのは、旧恩給法時代におきましては、恩給の受給年齢というものはたしか五十五歳であつたか、六十歳であつたかはつきり覚えておりませんが、相当高かつたのでございます。その年齢未満でやめた場合には恩給を給しないことになつていたのであります。そうしますと、病気でやめるような場合が出て来るのであります。やめなくちやいけないような場合も出て来るわけであります。あるいは官庁の事務の都合でやめなければならぬ場合も出て来るわけであります。官庁の事務の都合はさておきまして、病気でどうしてもやめなければならない者が出て参りました場合においても、一定の年齢に達しなければ恩給を給しないということにするのは酷であります。そこでその当時におきましては、今申し上げました通りに一定の年齢に達しなければ、今吉田委員の申されましたことく、相当の年齢に達するまでは恩給を給しないことにしてありました。但し病気その他の理由によつてやめる場合にはその年齢に達しないでも給せられることになつていた。言いかえますと、自己の便宜によつてその年齢未満においてやめた場合には恩給を給しない、こういうことになつていたのでございます。そうしますといろいろな問題が出て来たわけでございます。すなわちやめるときにおきましては、ほんとうにぐあいが悪かつた。それで医師の診断を受けて、診断書を出させる。そうしますと、そのときには病気という理由ですから恩給が給せられる。その後間もなくぴんぴんしたからだになつた。だからしばらくたつて考えてみると、結局あの人はやめるときは大した病気でなかつたにかかわらず、やめるときだけ恩給をもらう理由に病気だといつて恩給をもらつたのではなかろうかということが起つて来たわけでございます。結局そういうような事例が多くなりまして、言いかえますと、まじめな、正直な者は恩給をもらえない。りこうに立ちまわつた者は恩給がもらえる、こういうことが旧恩給法時代にはあつたのであります。そういうことからいたしまして、この恩給法改正をいたしまする際に、今申し上げますようなことをやめますと、今度は何もかにも恩給をやるということはどうかということが問題になつて来たわけであります。それで若年停止ということをやりまして、弾力性——弾力性と言つては少し言葉が不適当でありますが、その間の措置を講じて来たのが現行法の起りでございます。そういうことでございますので、今お話のように、相当の年齢に達するまでは恩給を給しないというような措置をいたしました場合におきましては、病気によつてやめる場合におきましては、例外として恩給を給する、こういうような措置を設けられなければならないと私は思います。そうしますと、今申し上げましたように、旧恩給法時代におきまして非常に問題になつたようなことをまた再び繰返すようなことになりはしないか、そういうことも一応懸念されることでございます。そういうことを考えますと、とにかく現実の人事管理の実情というものをよく考えつつ、そうして実情に沿うてその間の措置を講じて行くということが一番適当なことではないか、私はこういうふうに考えました。あるいは吉田委員の御見解のごとく、この年齢につきましてはもう少し上げなければ物足らないような思いをされる方もあられるかもしれませんけれども、人事管理の面を考えまして、この程度のところでとどめるように措置をいたしたのでございます。
  33. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 私の質問事項は少し多岐にわたりますので、一人で時間をとつてしまつてもいけませんから、この程度でやめておきまして、保留さしていただきたいと思います。
  34. 辻政信

    ○辻(政)委員 ただいまの吉田委員の質問に私も非常に共鳴する点が多いのであります。第七項症に従来恩給があつたのでありますが、それが今度は一時恩給なつております。これの復活に関する傷病兵の非常な強い要望が行われております。それができないのはお志があつても財源が許さないから、こういう意味でこうなつたのだろうと思うのであります。そこで私も実はからだに二十幾つのたまを受けた傷病兵のはしくれでございます。私も有資格者になつたのでございますが、私はまだ働けるから恩給はいりません。今おつしやつたように五十五歳までの若年停止に切上げてもよいから、生きている者の四十五歳から五十五歳までの分を、傷ついた人に少しでも多く国家として恵んでいただけないものかどうか、これをこの次までに御検討いただきたいのでございます。総理大臣または官房長官からお聞きしたい。国家の政治としてのやり方、政治のあり方は、生きている者に薄く、傷ついた者、死んだ者に厚くということが政治のやり方です。少しでもよいのです。それを御検討になつていただきたい。きようはこれでやめておきます。
  35. 船田中

    船田委員長 本日はこの程度にいたしまして、次会において質疑を続行いたします。次会は明後月曜日午前十時より理事会、十時半より委員会を開きます。  これにて散会いたします。     午後零時二十分散会