○三橋(則)
政府委員 来年度の
予算に旧
軍人等の
恩給費といたしまして計上された
金額につきましては、
予算の各
日明細書にしるされておるところでございますので、すでに御
承知のことと思いますが、この
予算のことにつきまして一言御
説明申し上げまして、それから先般の
提案理由の際に
説明されました事柄以外のことで若干のことを補足させていただきたいと思います。
来年度
予算に旧
軍人等の
恩給費として計上されました
金額は四百五十億でございまして、その内訳は、
普通恩給が二十九億二千六百五十万円、
増加恩給が二十二億六千五百万円、
公務扶助料、すなわちもつ
ばら戦没者の
遺族に給付される
扶助料でございますが、これが三百六十九億一千五百万円、
普通扶助料、これはやめまして、
普通恩給をもらえる者が
在職中死んだ場合その
遺族に給付される
扶助料でございますが、この
扶助料が十一億九千九百二十五万円でございまして、以上が
年金恩給でございます。これの
総額が四百三十三億五百七十五万円であります。今申し上げました
増加恩給と
公務扶助料につきましては、
増加恩給なり
公務扶助料を給付せられる者の
扶養の
家族あるいは
扶養の
遺族がありまする場合には、若干の
加給が給されます。その
加給の
金額も含めた
金額でございます。それから一時金として計上されました一時金たる
予算の
金額について申し上げますると、一時金たる
恩給といたしましては、
傷病賜金と一時
恩給、一時
扶助料というのがございますが、その一時金たる
傷病賜金、これは
傷病者に給付される一時金であります。これが一億四千百万円でございます。それから一時
恩給、一時
扶助料として計上されました
金額が十五億五千三百二十五万円でございまして、以上総計いたしまして四百五十億円と
なつておるのでございます。
この
金額を計上いたすにあたりまして、
年金恩給の
受給者の
人員は大体どれくらいと
推定せられておるか、こういうことが次に問題になるのでございますが、この
予算の根拠と
なつておりまする
年金恩給受給者の
人員について申し上げますと、
普通恩給の
受給者は二十万二千人でございます。それから
増加恩給受給者の
人員は四万五千人でございます。それから
公務扶助料の
受給者の
人員は百五十万四千人でございます。
普通扶助料の
受給者は十七万三千人でございまして、総計百九十二万四千人でございます。
普通恩給の
受給者は、
金額を停止される者は除いております。一応四十五才以下の者には
恩給が行きませんので、それは全部除くことにいたしまして、計上したところの
人員でございます。
次に、それならば、この
各種の
恩給が、
年金恩給には色々の種類があるわけでございますが、
各種の
年金恩給につきまして、
年金恩給の
総額の中で一体どういう
割合に
なつておるか、こういうことについて申し上げてみたいと思います。
各種年金恩給の
割合は、
普通恩給の
金額はその
年金恩給の
総額に対しまして七月に
なつております。
増加恩給の
金額は五%でありまして、
公務扶助料の
金額が八五%、
普通扶助料の
金額は三%、こういうことに
なつております。
それから
人員は先ほど申し上げましたのでございますが、
年金恩給受給者の
人員について申し上げますると、
普通恩給受給者の
人員は、
年金恩給受給者総
人員の一一%に当
つております。
増加恩給の
受給者は二%に当
つております。
公務扶助料の
受給者は七八%に当
つております。
普通扶助料受給者の
人員は九%に
なつておるのでございまして、今度のこの
措置の大
部分は、
国家予算の
関係もありまして、ほとんど大
部分のものは、
戦没者の
遺族と
増加恩給受給者、すなわち
重傷病者に行く
恩給と
なつております。
金額の点から申しますと、実に九〇%はこの
戦没者の
遺族と
重傷病者に行くのでございまして、そのほかに
老齢軍人などの
遺族に行く金が三%でございます。従いまして生存しておられる方に行く
恩給の
金額は、
総額の中の七%くらいの
金額でございます。
傷病賜金につきましては、来年度におきましては、先ほど申し上げましたように、一億四千百万円の
金額を計上しておるのでございますが、これは従来の実績にかんがみまして、来年度分、すなわち九箇月間におきまして、
傷病賜金を給せられる
見込み人員を
推定いたしまして計上したところの
金額でございます。特別にここで申し上げるほどのこともないかと思います。
それから一時
恩給と一時
扶助料のことでございますが、これにつきましては今度の
法案を実行いたしました場合におきまして、一時
恩給、一時
扶助料の
受給者の数が大体どれくらいになるかということが問題になるのでございますが、大体の
推定といたしましては——この
推定もなかなか立てることが困難なことでありますが、一応
復員局に
調査を
願つた結果によりますと、十七万八千人くらいの
見込みでございます。大まかに申しまして十八万人前後と御
承知を
願つていいんじやないかと思います。その
金額は約百二億、正確に言いますと百一億九千七百万円ということになりまして、百二億くらいを予定いたしておるのであります。実はこの百二億の金を一時にお払いできればよか
つたのでございますが、
国家財政のいろいろな
事情からいたしまして、どうしても一時に
支払いをすることができないというようなことからいたしまして、この一時金たる一時
恩給及び一時
扶助料につきましては、年六分の利子をつけまして三
年間に
分割支給をすることにいたしまして、来年度におきましては、その
所要経費として十五億円余りを計上いたしたのでございます。
次に問題になりますのは、来年度
予算に計上されましたところの
年金恩給は、本年の七月に渡しますところの
恩給、それから十月に渡しますところの
恩給、それから来年の一月に渡します
恩給、すなわち三期分のといいますか、九箇月分の
恩給の
経費に
なつておるわけであります。
従つて一
年間、すなわち十二箇月分の
経費として平年度に引直しました場合におきましては、四百五十億の金は大体どれくらいになるかということが次に問題になるわけであります。その
経費といたしましては、大体考えましたところでは、
普通恩給につきましては三十九億二百万円、それから
増加恩給につきましては三十億二千万円、それから
公務扶助料は四百九十二億二千万円、それから
普通扶助料は十五億九千九百万円、合計五百七十七億四千百万円、すなわち
年金恩給といたしましては、一
年間に通じて払うならば、五百八十億の金がいる、こういう大体の
推計でございます。
次にこの
軍人恩給は、旧
軍人の
方々に給付されるところの、またその
遺族の
方々に給付されるところのものは、年々
減少することが見込まれるのでございますが、しからば一体どれくらいの
減少が見込まれるかということがその次に問題になると思います。この
減少の
割合はなかなかむずかしいことでございますが、一応私の方でいろいろのことから
推定をいたしましたところでは、たいへん幅のあることを申し上げて恐縮でございますけれども、十億円から二十億円
程度毎年減ずることになるのではなかろうか、こういうような
推定を立てております。これはあとで少し申し上げますが、この
受給者の
人員につきましてもなかなか
調査が困難でございますので、
人員が狂
つて参りますと、若干の異動が出て来るかと思います。
人員が今まで調ました
人員に狂いのないものと考えた場合におきましては、年々大体十億円ないし二十億円
程度の金は減
つて行くのではなかろうか、こういうふうに
推定しておるのでございます。
次に
恩給受給者の
人員の
推計のことでございますが、この
恩給受給者の
人員を
推計いたしますることはなかなか困難なことでございます。これは私
たち恩給局だけの力では、できかねることでございますので、
復員局その他の
関係当局の協力とま
つてこれを
調査いたしまして、その結果先ほど申し上げましたような
人員を予定したのでございます。
軍人恩給が廃止せられました
昭和二十一年二月一日におきまして
恩給局において
恩給を給してお
つた人員につきましては、その当時の
記録が全部ございますので、
割合に正確に知ることができるのでございます。その
人員は百三十六万八千人でございます。これは
年金恩給受給者でございます。
軍人恩給廃止の際にすでに
退職してお
つて恩給をもら
つていなか
つたというような人あるいはまた当時
在職してお
つて、そして
恩給を受ける
資格を持
つておるにすぎなか
つた人、こういうような人をひつくるめまして、俗な言葉で申しますと
恩給の未
裁定者、こういう
人たちの
人員を
推計いたしますことは、結局
恩給局ではできないことでございまして、その当時の
陸海軍の
人事に関する
記録を保管しておるところの官庁で調べてもらうほかないということになるわけでございます。ところで、御
承知の
通りの
終戦前後におけるいろいろな国の内外における混乱のために、その当時の
人事に関する
記録は必ずしも正確とは申されません。そしてその後
終戦になりましてから
講和条約の発効を見まするまでの数
年間の間というものは、御
承知のような
状態でありまして、この
関係者の
人事に関する
記録を整理することも、ほとんど不可能な
状態であ
つたと思います。従いまして、今申し上げましたような人の
人員を
推計いたしますることはなかなか困難なことでございます。私が今まで
国会におきまして申し上げました数と、いま先ほど申しました数と比較いたしますと、
相当開きができております。
終戦の際に
陸海軍当局から私の方に出されましたところの
報告によるその
人員から
推計したもの、それからまた
講和条約調印後におきまして、
復員局においていろいろ
調査してもら
つて、
報告をもらい、その
報告に徴して
推計いたしました数と、今度の数、みな違
つておりますが、これは、今申し上げましたやうな
事情にやるのでございますので、ひ
とつ御了承願いまして、そして最後に申しました数が大体信用のできるところの数であり、しかしながらそれには若干の幅があるということを御
承知おき願いたいと思うのであります。
それから次に、それならば
軍人恩給廃止の際に
年金恩給の
総額はどれくらいであ
つたかということが問題として考えられるのでございますが、その当時の
金額にいたしますと五億七百万円
程度であ
つたのでございます。五億七百万円
程度でございましたが、それを、先ほど申し上げましたように、
恩給をすでにもら
つてお
つた人、未
裁定である人、そういうようなものをひつくるめまして三百数十万人と
推定して
恩給金額を
推計いたしました場合には、どれくらいの数になるかということを考えてみますると、どう考えましても、
年間におきまして千五百億円以上の金になるのじやないかと思います。それは現在
公務員が
退職する場合に給せられる
程度の
恩給を給せられるとした場合の
金額でございますが、そういう
金額にいたしますと千五百億円以上の金が必要になるのではないかと思います。先般の
国会において私が申し上げましたときの数は、
終戦後から今日までの減耗を想定しない場合におきまする
恩給受給者の
人員は七百万
程度の数ということを申し上げておりました。その七百万
程度で考えますると、どうしても二千億円くらいの金がいるのじやないかと思うのであります。それが少し減りまして、最近の
調査によりますと、大体
終戦前の
恩給法による
恩給受給者の
人員は三百七十万人くらいが予定せられるのでございます。そういう
人員数から推して行きまして、現在私
たちが
退職しました場合に支給せられる
恩給の
金額を給するとしますと、少くとも
年間におきまして大体千五百億円以上の金はどうしてもいるのじやないかと思います。
次にこの
法案をごらんいただきまして問題になるのは、
増加恩給の
金額とか、あるいは
公務扶助料、すなわち
戦没者の遺
家族に対して給するところの
扶助料をどうしてきめたかということが問題になるのじやないかと思います。そこでそれにつきまして、これをきめましたいきさつについて若干補足的な
説明を申し上げておきたいと思います。
増加恩給の
金額につきましては、
大正十二年に
恩給法が制定されましてから
昭和十三年に
増額改正が行われたのであります。
昭和十三年に
増額改正されまして、そのままで結局
終戦のときまで続き、それから
終戦後また
改正に
なつたわけでありますが、
公務扶助料すなわち
戦没者の
遺族などに給せられます
扶助料の
金額につきましては、たびたび
改正が行われておりまして、
大正十二年四月に
恩給法が制定されましてから
昭和八年四月に
改正が行われ、それから
昭和十三年以後にもまた
改正されておるのであります。ところで
昭和八年の四月におきましては、
増加恩給については
改正が行われずして、ただ
公務扶助料だけについて
改正が行われたのでございます。
増加恩給につきましてもしも
昭和八年におきまして
改正が行われたとするならば、一体どういう
改正が行われたかということをまず想定してみたのでありますが、
戦闘または
戦闘に準ずべき
公務による
傷病者の受ける
恩給金額は、どう多く考えてみましても、
昭和十三年の四月において
増額改正されました
普通公務による
傷病者の受ける
恩給金額までには至
つておらなか
つただろう、多くてもその
程度ではなか
つただろうかというようなことが想像されるのであります。今回は、
昭和十三年四月の
増額改正による
普通公務による
傷病者の場合の
金額で、
退職当時の
俸給年額に対する
割合を考えますと同時は、また兵のところで看護を要するような
重症者に対しましては、どうしても月一万円
程度の金を給するというようなことを目途としつつ
金額を考え、
重症着たちにはできるだけ手厚くしようと考えたのであります。もちろん
国家の
財政が許しますならば、そうでない方にも十分な
措置をしてあげたいところでありますが、十分なことのできかねる現状におきましては、少くとも
重症者だけでもできるだけのことをしなければいけないということに気を配りつつ
金額をきめて
行つたのでございます。この
金額は、
法律案のところに出ておりますのでおわかり願えると思います。しこうしてこの
法律案の別表の第二
号表の
最下欄の額のところ、
金額で「七万九千八百円以下ノモノ」と書いてあるところが兵でございます。その上の欄、下から二番目の欄が
下士官の欄でございます。
下士官のところは、この兵のところの額の五分
増しの
金額に
なつております。それから下から三番目のところが準士官に
相当するところの
金額でございます。これは一番下の
金額に比較いたしますと、八分
増しの
程度に
なつております。それから四番目のところは、これは尉官に
相当するところでございまして、一番下の欄の
金額に比報いたしますと、一割
増しの
金額に
なつております。下から五番目の欄の
金額は、これは佐官に
相当するところの
金額でございまして、これは一番下の欄の額に比較いたしますと、一割五分
増しに
なつております。一番上のところは、これは
将官に
相当するところでございまして、一番下の欄の
金額に比較いたしますと二割
増しの
金額に
なつております。大まかに申しますと、
上と下の差は大体五分
増しの
程度に
なつております。先ほど申し上げましたように、
昭和十三年の
増加恩給の
金額が
改正されましたが、その後の
金額につきましては、先日お手元にお配りいたしました資料においておわかりの
通りでございまして、その
金額と比較していただきますればはつきりわかることでございますが、今度は
上と下との差は
相当圧縮されております。これもやむを得ないことかと思います。
それからその次に問題になりますのは
傷病賜金の
金額でございます。
傷病賜金の
金額は、
増加恩給の第七項症の
症状の方に対しましては、
傷病賜金が給付せられることにな
つたのでございますが、その
傷病賜金の
金額につきましては、従来七項症に
相当する
症状の方に対しまして
傷病賜金が給されておりましたときに、その
傷病賜金の
金額がきめられておりましたそのきめ方をそのまま踏襲いたしまして、今度もきめたのであります。言いかえますと、その当時におきましては、第六項症の
金額に対しまして五倍に
相当する
金額を、第七項症の
傷病者に一時
賜金として給付されてお
つたのであります。それと同じような方式を
とつて、今度の
傷病賜金の
金額もきめられております。それから今度は七項
症程度以下の
傷病者に給付せられるところの
恩給の
金額につきましては、どういうような
割合に
なつておるかと申しますと、第六項症の
金額を基準に
とつて考えてみますと、第一
款症のところでは、第一
款症は今度の第七項症の
金額であります。これは今申し上げた
通り五倍でございます。それから第二
款症、これは従来の
傷病年金の第一
款症、これは四倍に
なつております。それから従来の
傷病年金の第二
款症、今度の第三
款症のところでは三・五倍に
なつております。それから第四
款症、従来の
傷病年金の第三
款症、これは三倍に
なつております。それから第五
款症、従来の
傷病年金の第四
款症では、これは二・五倍に
なつております。それから
下士官、兵のみに給付せられまするところの
傷病賜金の第
一目症、第二日症というのがございますが、この第
一目症の
金額は一・五倍、第二日症の
金額は一倍、こういうふうに
なつておるのでございます。そうしてこの表にありますように、
傷病賜金の
金額はこの
三つにわかれております。この上下の階級の
俸給によりまして
三つにわかれておりますが、その
退職時の
俸給の差異による違いは、
先ほど増加恩給の場合におきまして申し上げましたような
程度の違いしかつけてございません。
次に
公務扶助料の問題でございます。
戦没者に給付される
扶助料の
金額の
算出基礎をどうしてきめたか、こういう問題につきまする根本の問題でございます。今申し上げましたように、
増加恩給の
金額につきましては、大体
昭和十三年の前くらいのところで押えざるを得なくな
つたのでございます。そこで
公務扶助料の問題につきましても、やはりそういうふうに考えざるを得なく
なつて来たのでございまして、
昭和八年十月にこの
公務扶助料の
増額が
改正されたのでありますが、その際におきましてどういうふうに
改正に
なつたかと申しますと、
公務扶助料の
年額の
算出率は、
普通扶助料に対しまして、
戦闘または
戦闘に準ずべき
公務に基因する
傷病のため死亡した場合におきましては、一律に二十六割に
なつてお
つたのであります。
普通公務の場合におきましては二十割八分であ
つたと思
つております。それが
昭和十三年の四月に増率
改正されたのでございますが、その際には、
普通公務による
傷病のため死亡した場合には、兵のところで大体二十八割八分に
なつておりました。それから最も
俸給の高いところ、
将官あたりのところで十九割二分と
なつてお
つたのであります。すなわち
昭和十三年の前を押えますると、
戦闘または
戦闘に準ずべきものでも二十六割しか出されていなか
つた。
公務扶助料の
算出の率はこのようであ
つたのでございます。今度の案におきましては、その下の方を二十六割を二十七割にいたしましたが、上の方はかなり減らしまして十七割にいたしております。すなわち
昭和十三年前から
昭和八年までの間におきますところの
公務扶助料の
算出率を一応参考にいたしまして、そうして下の方に厚くし、上の方に薄くせざるを得ないような実情にな
つたのでございます。それと同時に、
増加恩給につきましても、先ほど申し上げましたよう
なつり合いを
とつた
措置をして来たのでございます。それから今申し上げまするように、最も低い兵のところで二十七割、
俸給の最も多い
将官のところで十七割、こういうようにいたしまして、その間におきましては従来の、すなわち
終戦時におきまするところの
公務扶助料の
金額の
算出率の例を考えまして、若干の差をつけましたが、それはでき得る限り少く按配いたしております。それはこの表をごらんになればおわかりになるだろうと思います。
次に、
連合国の
最高司令官の命令によりまして逮捕
抑留せられて有罪の刑に処せられた人々は、
昭和二十一年の
勅令第六十八号の
恩給法の特例に関する件によりまして
恩給を受ける
権利を失
つているのでございます。ところで今回
軍人及びその
遺族の
方々に
恩給を給するの
措置をとりましたに伴い、こういう
方々またその
遺族の
方々に対しましても、逮捕
抑留せられる前に持
つておられたところの
恩給を受ける
権利または
資格の
取得につきまして、他の
軍人軍属または
一般の
公務員と同じように扱い差別しない、こういう方針を
とつております。いわゆる
戦犯者ということのために
恩給法上の
取扱いとしましては特に悪い
取扱いをしない、また特にこの際有利な
取扱いもしない。かかる特別な
取扱いをすることは差控えることにいたしております。ただ目下拘禁されている
方々に対しましてはたいへん気の毒でございますけれども、拘禁されているという
事盾をいろいろ考えました結果といたしまして、
権利の
取得については
一般の
方々と同じように
取扱い、
権利を与うべきものは与えるが、しかしながら
恩給の
支払いにつきましては拘禁中は差控える、こういうような
措置をと
つたのであります。
それから次に、外国に
抑留されていていまだ帰還されてない
方々に対する問題でありますが、そういう
方々の中にはすでに
普通恩給を受けるに必要な年数
在職せられている
方々もおられるわけであります。そういうような人に対しましては
昭和二十八年三月三十一日という日を押えまして、
普通恩給の
権利ありと思われる方については
普通恩給を与えるような
措置をして、そうしてその
留守家族にその請求によ
つて代理受領させる道を開くことにしたのであります。また、
昭和二十八年三月三十一日におきましてその
在職年が
普通恩給所要在職年数だけない方につきましても、今後
抑留中に、すなわち
抑留の期間を通算いたしましてこの
恩給を給せられるだけの
在職年があるように
なつたときにおきましては、そのときにおいて
恩給を給する道を開くことにいたしたのであります。またそういう
抑留者の
方々がその責に帰することのできない事由によ
つて負傷しまた
疾病に冒された場合におきましては、その
負傷疾病を
公務のための
負傷疾病と認定することができる場合におきましては、そういうように認定いたしまして、それ
相当の
恩給を給する道を開いてございます。
次に
地方自治法の附則の第八条の規定に基きまして、国の
公共事業費または
産業経済費の支弁にかかる北海道開発に関する
事務に従事する
職員は、現在のところ三百七十名ほどあるのでございますが、これらの
国家公務員は
昭和二十八年の四月一日から国庫補助の地方
公務員に切りかえられることに
なつているのであります。その
職員の中で二百人余りは現在も
恩給法の適用を受けているのでございます。そこでそういうような
職員の身分が今度かわりますことによ
つて恩給法上不利な
取扱いにならないような
措置を講ずることといたしまして、この
法律案の附則の第三十一条にその必要な規定を設けたのでございます。
たいへん大まかな
説明でございましたが、私の一応の補足的な
説明を終りまして、さらに御質問に応じ御答えしたいと思います。