○森
参考人 ただいま御紹介いただきました全
購連の森でございます。
私
どもとしましてこの
委員会におきまして、とりあえず
お話申し上げたいことの一点は、
国内の
需要数量、特にこの七月に終ります本年度の、今問題にな
つております
硫安を
中心としました窒素質
肥料の
需要がどの
程度あるかという点でございます。この点は実は午前中来いろいろ御
議論がありました、
輸出を今後や
つて行きます上につきまして、
国内の農家の必要量をまず優先的に確保してもらうという建前から、この点が従来しよつちゆう問題にな
つて来たわけであります。
国内のいわゆる有効
需要の測定は、六百万戸の農家の買うものでありますから、この測定を的確にすることはきわめて困難であります。
経済界の事情なり、あるいは農家のふところぐあいなり、そうしたいろいろな点が、この有効
需要に響いて参りますから、幾らの実需があるかという見方が、なかなかむずかしい。むずかしいだけに、そこに常に
輸出問題をめぐりまして論議が出て来るわけであります。そういう点で、私
どもの考え方をひ
とつ申し述べさせていただきたいと思うのでありますが、実は
農林省の統計によりましても、
昭和二十五
肥料年度、と申しますと
統制が
解除されました二十五年八月から二十六年の七月までの一箇年の間に、いわゆる
窒素肥料を
硫安に換算しますと、二百二十一万七千五百五十七トンという
数量が使われたことにな
つておるのであります。これはその前年、すなわち
統制をされておりました一番最終年度の、
農林省が各府県に割当てられました、いわゆる割当配給量というものがありますが、それが二百十一万七千九百六十トンということに相な
つております。従いまして、
統制が
解除されました翌年におきましては、その割当量を約十万トン上まわりまして出荷がなされたわけであります。ところが翌年、すなわち二十六年八月から二十七年七月まで、この二十六
肥料年度におきましては、百九十五万九千三百十四トンというような
数量にな
つて、かれこれ二十万トン前後のものが落ちておるわけであります。さらに今年になりまして、どの
程度消費があるかというような問題にな
つて来るわけでありますが、こうした
統制の一番末期の、
昭和二十四年、二十五年、二十六年、この三箇年間の様子を見てみますと、実は
統制が終ります最終年度の、しかも四月から七月までの農家の買います
価格、といいますよりも、その当時公定
価格で、現在の地方卸というふうに考えられます
値段が、五百八十七円七十四銭であります。六百円弱にな
つてお
つたわけであります。これは午前中藤山さんの御説明にあ
つたわけでありますが、補給金が二百円
ちよつ
とついておりまして、
メーカーの皆さんとしましては、
政府に補給金をもら
つて高く売
つて、農家にはそれだけ公団が安く払下げをする、こういう形にな
つてお
つたわけでありますが、農家の方から言いますと、とにかく六百円がらみの
価格で手に入れてお
つたわけであります。それがなかなか
統制の一番末期におきまして
朝鮮事変が起りまして、いろいろ
国内の経済
状態もかわ
つて来ますし、それまで割当にな
つておりましたのが自由だということにな
つて参りましたために、ただいま申しました二百二十一万トンという
需要があ
つたわけであります。この
統制がはずれました直後の
値段は、全
購連が
メーカーの皆さんから買いました
価格で、一番最初の
価格が六百九十三円五十五銭ということにな
つておりまして大体地方卸としますと、七百円であります。
統制解除のとたんの
値段は、そこから始ま
つて来ておるわけでありますが、それが漸次上
つて参りまして、二十五年の一箇年間におきまして、一割
程度値段が
上つておるわけであります。そういう
価格関係の中に二百二十万トンというものが消費されてお
つたわけであります。今度は
統制がはずれましたその次の年の二十六年度に、これが百九十五万トンに
なつたということは、これを
価格の面から見ますと、実はこの期間におきましては、
統制のはずれました直後の
状態からいいまして一二割がらみのものが—これは一年間でなくて、一昨年の八月から昨年の今ごろまでに、三割ぐらい
価格が急上昇したわけであります。
ちようど去年の今ごろと思いますが、
農林委員会におきまして、藤山さんが業界の代表者として、
硫安一俵千円ということが非常に
議論されましたときに、いろいろお述べになりましたが、千円の相場が実は昨年の
ちようど今時分ごろに実現したわけであります。そういうふうに
価格が急上昇しまして、千円を越えるというような
段階にな
つて参りましたから、農家の購買力は逆に縮小して行くというような形をとらざるを得ない方向に向いて
行つたと私
どもは確信しているわけであります。それから三月以降、
需要が非常に減退して行きましたから、
価格の方におきましても、漸次反落に転じまして、実はこの
肥料年度の始まります昨年の七、八月時分におきましては、一番相場がつつ込みましたのは、八百五十円
程度まで落ちて参りました。そういうふうなことで、
統制解除の第一年目は、
価格が年間を通じまして一割くらいの上昇過程で二百二十万トンという数字が出て来たのであります。第二年目におきましては、急上昇がありましたために、百九十五、六万トンというようなところにとどま
つたような経過にな
つておるわけであります。ことしはすでに
肥料年度としましては
ちようど半分過ぎまして、今後七月までにどの
程度のものが出るかということが、今われわれの方におきましては討議の材料にな
つておりますが、私
どもの考え方としましては、今の農家の手持ちのぐあいを的確に一戸々々調べるというわけに行きませんから、大体われわれの係なり県の連合会の係官が町村巡回の場合に、単協の倉庫等を見ました場合の在庫ないしは農家の手持ちぐあいを調べますと、非常に少い、余分な
数量はないわけであります。そういうふうな点から考えまして、今年の
需要を測定しました場合には、私
どもとしましては、
窒素肥料全体としまして、
硫安換算二百十五万トン
程度のところが大体
中心線になるのではないか。もちろん農家一戸が何らかの
状況によりまして一俵を先買いをするようなことになりますと、六百万の農家ですから六百万かますということになりますし、トン数にしますと二十四、五万トンという大きな動きになります。一つずつはきわめて小さなもので、庭先にころがすかころがさぬかということは、農家にと
つては大したことではありませんが、しかし何らかの経済上のシヨツクがありまして、一俵ずつ農家が買うということになりますと、トータルとしましては二十数万トンの響きになるという点を、一応御記憶願
つておきたいと思います。そういうふうな特別な衝撃がなくて、今年の
需要見通しという点をわれわれの手元で検討しました場合には、
窒素肥料総体としまして二百十五万トンが大体
中心線になる。その上下五万トンくらいのところが限界じやないか、こういう考え方を持つわけであります。これがまず第一点でございます。
第二点として申し上げたいことは、これも今後いろいろ論議にな
つて来る
中心点でありますが、先ほ
ども水上さんなり藤山さんから
お話がありました通り、
輸出の対象になりますいわゆる
東南アジアと申しましても、実は
朝鮮なり
台湾に出て行く品物が多いわけであります。もちろん今度
インドに出しましてこうした大問題を引起したわけでありますが、
数量の大部分はその二箇所が
中心にな
つて来ようと思います。ところがその二箇所とも、
日本の
国内の気象事情とそう極端に違うわけではありません。また作物も大体水稲なりかんしよが
中心でありますから、これまたそう違
つた作物があるわけではないのでありますから、施肥期もおおまかにい
つておのずから同じ期間ということが言えるかと思います。そういう点からしまして、
生産量がどんどん増大して行きまして、
輸出も
相当量認められて行くというような事態が当然今後来るだろうと、われわれは想像もし期待もしておるわけでありますが、その場合に、
国内の施肥期と国外の施肥期とが重なりますから、
従つて実需期のそうした点に対する操作ということが非常に問題にな
つて来るわけであります。たとえば前段申し上げますように、年間の窒素質
肥料の消費の推定を、たとえば本年度二百十五万トンというふうに考えました場合に、年間を通じての消費量を、
秋肥なり
春肥というふうにわけまして、施肥期
中心にものを考え、さらに外国に出て行きますものも、外国の施肥期もまたそれに重なることにな
つて来ますと、この間の需給をどうと
つて行くかということが非常に問題になり、また
価格の
関係からいいましても、これも先ほど
水上さんが指摘されましたが、
インドの
輸出は非常に失敗であ
つたというような商売上の話をされてお
つたわけでありますが、とにかくそういう
需要期不
需要期の
関係で、そこに非常に波動がある。これが今後いろいろ施策をやります場合に、やはり配給上の大きな問題点にな
つて行くわけであります。そこでそういうものを考慮して、いわゆるランニング・ストックといいますか、潤滑剤としましての在庫をどの
程度持
つて行けばいいかという問題にな
つて来るわけでありますが、この最盛
需要期におきまして、少くともわれわれ
国内におきましては、
生産量の二十日分くらい、まず大体十万トン
程度のものは
最低として確保されておきませんと、
輸出と
国内との出荷の競合によるいろいろの困難が今後起
つてくるのではないか、かように考えておるわけであります。これが実は今までも問題になりましたし、今後も引続いて問題にな
つて来ると思いますから、特に
国内需要という点につきまして述べたわけであります。
それから
安定帯価格の点につきまして、いろいろ世間をお騒がせしたり、また午前中いろいろ論議があ
つたようでありますが、私
どもはその当事者の一人でございますから、簡単に経過に触れたいと思います。昨年の
ちようど今ごろ、先ほど説明しましたような経過で、千円相場ということでたいへんな騒ぎになりました。これは一面におきましては
電力が極端にまずくなり、あるいは
電力料の値上げの問題とか、鉄道運賃の値上げの問題というようなものが重なりなりしまして、
市場が非常にあふられたわであります。それで千円相場が出るということから、
輸出の点につきまして非常にこれがまた問題にな
つて来たわけであります。そうこうしておりますうちに、先ほど申しますように、今度は三月から反落の
段階に入
つて来まして、七月、八月の候におきましては八百五十円
程度まで
値段が下るという逆な場面にな
つて来ました。そういうことにな
つて来ますと、
メーカーのいわゆる在庫というものは当然その
段階においてはふえておるわけでございますから、
輸出要請というものがたいへん強く
なつたわけであります。私
どもとしましては、何さま半年前に千円相場ということで非常に
議論に
なつた問題でありますから、この
輸出に対しては
相当慎重を期してもらわないと、地方の配給に対して責任が持てなくなる
状況がありますから、お役所の方に対しましても強く要望をしたわけでありますが、しかし現に余
つているものを国外に出さぬという法はない、こういう結論から、そこにとられました
対策が二つあ
つたわけであります。一つは全
購連が
メーカーの在庫を十五万トンほど肩がわりをしまして全
購連が在庫するということ。それからもう一つは、これも藤山さんの御説明がありましたように、
政府の方で十五万トンほど
輸出のわくを追加なさるということにして、
国内の
価格に対しましては両者の間で何らかの安定線をきめて、
輸出をしてもそのはね返りが
国内に来ないようにという趣旨から、官庁あつせんのもとに、
安定帯価格というものの折衝に入
つたわけであります。前段の全
購連が十五万トン肩がわりをするということは、
メーカーの在庫が非常にふえましたから、その金融上のお手伝いをするというのが一点。これがたまたま当時
農林中金におきましても資金の端境期で金がありませんでしたから、これも
政府の非常に力強いあつせんによりまして、大蔵省からたしか三十四億と記憶しておりますが、資金のあつせんをしていただきまして、それを
農林中金に指定預金をしていただいて、その金を私
どもが借り受けて、それで
メーカーの皆さんの在庫を十五万トンほど買い取
つたわけであります。これが金融面で協力をしなければならぬという場合に入りまして、それに協力したという点でありますが、しかしわれわれとしましては、そういう
意味だけでなくて、その
輸出というものに、積極的とまで行かないまでも、ある
程度官庁として勇敢に判こを押されるようなことにな
つて来れば、どうしても全
購連みずからがある
程度の在庫を持
つていないと、万一先ほど申しますような仮
需要でも起
つて来ました場合には、それに売り応じて行くだけの
余力がどこにもない。こういうことになりますととんでもないことにな
つて来るわけであります。そこでわれわれの方としましては、一面は
メーカーの皆さんのお手伝いになるし、かたがたわれわれとしては手元に持
つてお
つて、万一市価が急上昇する場合があ
つたらある
程度発動して市価を冷却する、こういう点を考えまして協力というか、
対策をと
つたわけであります。もちろんそれだけでは事が済みませんから、そこで
安定帯価格の
議論に入りまして、これも官庁の方のいろいろのあつせんのもとに折衝をしたわけであります。そういうところから
安定帯価格というものが生れておるということをお含み願いたいと思います。
安定帯価格の折衝は実は八月から始ま
つたわけでありますが、結論が出ましたのは十月であります。二箇月も実はもんだわけであります。なかなか速急にきまらなか
つたのは、これまた藤山
会長さんの
お話にございましたように、業界の方としましては上限を九百五十円にしてくれという
意見が非常に強か
つた。私
どもとしましては、下限の八百七十円というのは高過ぎるから、これを八百五十円か六十円
程度にしてくれ、こういう話でかなりもんだわけであります。ところがそれが一応だんだん時間も、日にちも迫
つて参りましたから、ここらでということで手を打ちましたのは九百三十円と八百七十円であります。これは原価採算の上に立
つてこうだというようなことの結果によ
つてできた
価格では実はないのでありまして、当時の
市場の実勢を基本に置きまして両者で話合いをつけたということであります。
従つてそういう折衝にたいへんな時間がかか
つたことにな
つております。もう一つ時間のかかりました理由は、当時としまして大体
国際価格は八月ごろまでは
国内価格をやや上まわるような
状況でありましたけれ
ども、いろいろ国外の情報等を聞いてみますと、かなり安くな
つて行く傾向が出ておりました。そこで私
どもとしましては、
国内にそういう
安定帯価格をしいて両者協議の上でうまく円滑に運営して行きたいと思
つておりましたけれ
ども、何さまそういう国際環境のもとであるから、万一国外から非常に安い
値段が出て来て、
国内の方でもそれに対抗上売
つて行かなければならぬ、いわばダンピングせざるを得ないということにな
つて、それもわずかな
価格だ
つたら
議論の対象にならぬが、
相当値開きがあるということになりますと、やはりこれは腰だめにつく
つた両者の合意による
価格でありますから、そういう
状況がありますれば再協議しなければならぬということ、また
メーカーの方でも現在のような国際情勢であるから、いつ鉄砲が鳴るかわからぬような面もあるわけであります。そういう点から、そういう基本がかわるようにな
つて来た場合には、これまた再協議しなければならぬというような了解のもとにつく
つた価格であるわけであります。そういうことでこの十月に一応妥結しておるわけであります。妥結をしましてそう日も経たぬうちに、実は
インドの入札が始まりまして、
インドの入札に対しまして、
メーカーの皆様としてはどうしても
市場価格を生むためにこれをとりたいというようなかなりせつぱ詰ま
つた気持で積極的に入札をなさ
つたようであります。その前に
台湾の入札がありまして、それに失敗されたような経過もあ
つて、
相当思い切
つて出されたようでありますが、それがたまたま六百二十一円でございますか、四十六ドルというようなことにサなりましてたいへん問題が大きくなるような契機をつく
つたわけであります。私
どもとしましては
国内で出しております、両方納得の上でつくりました
価格が、そうした
輸出のダンピングの
価格の反映としまして、非常に農家を強く刺激するようなことにな
つて参りましたから、これに対しまして再協議をしまして、妥当な
価格に引下げるようにというような話をする段取りにいたしまして、そういうふうな方向に持
つて来たわけでありますが、しかし
メーカーの皆さんとしましても、先ほどいろいろ御説明がありましたような観点から、ただちにそれに乗
つていただくわけには行かなくなりました。われわれの期待としましては、両当事者だけでこの問題の話をつけるというようなことにするには、あまりに問題が大き過ぎる。また値幅もとにかく三百円以上も開いたのですから、なかなかその歩み寄りというのが困難ですから、できたら
肥料審議会なりあるいは
肥料対策委員会というような、第三者を交えた、あるいはそれぞれの
権威者の出ておられる、そういうふうなところで十分検討していただいて、その結果、たとい両者に不満がありとも、それに
従つて行く、こういう考え方で行かざるを得ないのじやないかということになりまして、私
どもとしましてはこの
対策委員会が一日も早くでき、あるいはまた
価格問題を一日も早く勧告していただく時期を、実は昨年の暮れ以来待
つてお
つたようなわけであります。