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鈴木最高裁判所説明員 私
ども学校を出ましてから同じ試験を受けて、そうして私
どもの仲間の一部は
検事になり、私
どもは
判事になる、あるいは弁護士になる、そういうようなコースを考えてみますと、私
どもは現在の
検事の
内容が
裁判官より下だというように考えてはおらないのです。われわれのやはり愛すべき親しみを持つた同僚であり、われわれとできるならば同じ
俸給を持つた方がいいということはわれわれ個人的な考えとしてはもちろんそう考えておるわけです。けれ
ども検事と
判事を同じ
俸給に制度の上で置いていいかどうかということは、これはまた別個の考えをしていただかなければならない
事項じやないかと私は思うわけです。ここにおる
宮下君とは年来の友達でありまして、
検事の
俸給を私は下げろという意味で申し上げるのではないので、その点は御了承を願いたいわけなんです。もちろん
法律家の生活でありますから、
判事が
裁判をする場合と
検事が公訴をし、そうして公訴の維持のために
努力をするというその働き、その作用というのは、きわめて近接しておる作用で、いわゆる
法律家、広い意味で言えば俗に司法官の仲間に
検事も入ることは言うまでもないわけです。けれ
ども今も
宮下君から申されましたように、
検事はその本質においてはやはり
行政官なんです。ですからいわゆるピラミッド型の組織体をなしておりまして、組織体としての力をバツクにして個人が働き得るわけなんです。たとえば地方
検察庁の
検事がある起訴をするかしないかというような場合に、自己の能力だけで判断をするには当らないので、最高検の
検事総長まで行
つてその力を借り、そのバツクを自分の力として
事務を処理してかまわないわけなんです。いわば個人でなくて。ピラミッド型の組織体というものが力の作用にな
つておるわけなんです。ところが
裁判官は、そういうことは
裁判の作用の上ではとうていできない。それをしたらこれこそゆゆしき一大事であります。もちろん本を読み、他人の説を抽象的に聞くということはいたしますけれ
ども、その全責任はその
裁判官一人、会議体の場合は三人で背負
つてやらなければならない。いわば個人が全能力を尽して働かなければならないというところに、
裁判官の性格なり責任というようなものがあるわけなんです。この点はやはり
検察官との最後の一線を画すところだと思うわけです。ですから民主主義国におきましては、
検察官は
裁判官より劣
つているというようなりくつを言う者は一人もございませんけれ
ども、
裁判官より
検察官は実際の能力においては、まだ若い者がしておるわけなんです。で将来の日本の
裁判所を、どういうように理想的に持
つて行くかということは、これは
裁判所ばかりが考えるべきでなく、日本全体の、議会あるいは
行政府の方の力も借りなければならないものなのですけれ
ども、そういう方向に持
つて行くためには、やはりその方向への考慮をも払
つて、制度の上ではやはり
差等を設けて置くべきではないかと思うわけです。ただいまは
事情が若干かわりました。これはおそらく戦後
裁判官の報酬が
検察官より上つたためだろうと思うのですけれ
ども、戦前のある時期には、
判事志望よりも
検事志望の者が非常に多かつたことが年々続いておつたわけです。そういう
実態をも見ますと、私はやはり
裁判官の
俸給は
検察官より制度の上では
差等を設けておいていただいた方がいいのではないか、はなはだ我田引水の感があるかもしれませんですが、そういうように存じております。