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1953-02-19 第15回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年二月十九日(木曜日)     午前十時五十一分開議  出席委員    委員長 内藤  隆君    理事 荒舩清十郎君 理事 中野 四郎君    理事 矢尾喜三郎君 理事 久保田鶴松君       中田 政美君    丹羽喬四郎君       羽田武嗣郎君    明禮輝三郎君       栗田 英男君    高橋 長治君       田万 廣文君    前田榮之助君  委員外出席者         証     人         (元皇后宮大         夫)      廣幡 忠隆君         証     人         (宮内庁次長) 宇佐美 毅君         証     人         (鑑定人)   久米 武夫君     ————————————— 二月十九日  委員武知勇記君辞任につき、その補欠として木  下垂範君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した事件  接収解除貴金属及びダイヤモンド関係事件     —————————————
  2. 内藤隆

    内藤委員長 会議を開きます。  前会に引続き、接収解除貴金属及びダイヤモンド関係事件について調査を進めます。  ただちに証人より証言を求むることにいたします。ただいまお見えになつておられる方は廣幡忠隆君でありますね。
  3. 廣幡忠隆

    廣幡証人 はい。
  4. 内藤隆

    内藤委員長 あらかじめ文書をもつて承知の通り、正式に証人として証言を求むることに決定いたしましたから、さよう御了承願います。  この際証人に一言申し上げますが、戦時中ダイヤモンド供出が予想の九倍にも上る成績を収めたことは、皇室が率先して由緒ある王冠を御下賜なつたことにその大いなる原因があつたと、容易に想像されることでありますが、この重大な役割を果した御下賜品に関しては、奇怪なことに、その事務的な処理の経過が不明瞭であり、お下渡しに関する一切の書類は通産省にも宮内庁にも発見されず、加うるに王冠白金、金、その他の宝石等、さらに宮内省に預託された大粒ダイヤ五顆の行方が現在判明していないということはまことに遺憾なことに存じまして、特に皇室関係ダイヤモンド行方について明らかにしていただくために、本日出頭を求めた次第でありますので、何とぞ率直に御証言をお願いする次第であります。  それでは、ただいまより接収解除貴金属及びダイヤモンド関係事件について証言を求むることにいたしますが、証言を求める前に証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことと相なつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が、証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者、及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項、に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者が、その職務知つた事実であつて黙祕すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知なつておいていただきたいと思います。  なお、証人が公務員として知り得た事実が職務上の祕密に関するものであるときは、その旨をお申出を願いたいと存じます。  では、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓書の御朗読を願います。     〔証人廣幡忠隆朗読〕    宣誓書   良心に従つて、真実を述べ、何事もかくさず、また何事もつけ加えないことを誓います。
  5. 内藤隆

    内藤委員長 それでは宣誓書署名捺印してください。   (証人宣誓書署名捺印
  6. 内藤隆

    内藤委員長 これより証言を求めることになりますが、証言証言を求められた範囲を越えないこと、また御発言の際には、その都度委員長の許可を得てなされるようお願いいたします。なお、こちらから質問をしておるときはおかけになつていてよろしゆうございますが、お答えの際は御起立を願います。  廣幡忠隆証人皇后宮大夫をお勤めになつておつたようですが、その間の経歴を簡単にお述べを願います。
  7. 廣幡忠隆

    廣幡証人 その経歴と申しますのは、その間だけでよろしゆうございますか。
  8. 内藤隆

    内藤委員長 宮内省関係だけ——。
  9. 廣幡忠隆

    廣幡証人 その間は、終始皇后宮大夫侍従長をいたしておりました。一ぺんもかわつたことはございません。
  10. 内藤隆

    内藤委員長 そうしておやめに…。
  11. 廣幡忠隆

    廣幡証人 やめましたのは二十年の十月の二十三日と記憶しております。
  12. 内藤隆

    内藤委員長 終戦後でありますな。
  13. 廣幡忠隆

    廣幡証人 終戦後でございます。
  14. 内藤隆

    内藤委員長 皇后宮大夫という職は、どういうことをおやりになるのですか。
  15. 廣幡忠隆

    廣幡証人 皇后宮大夫という職は、大体において皇宮職事務を扱つております。それから皇后陛下の日常のお仕事を承つてつております。
  16. 内藤隆

    内藤委員長 常に御側近にはべつておいでになる。
  17. 廣幡忠隆

    廣幡証人 はべるというわけでもありませんが、事務がおもでございまして、側近のごくお近くのことは女官がやつておりますから、表向きの管掌事務をやつております。
  18. 内藤隆

    内藤委員長 昭和十九年の九月の二十八日、皇室におかれては白金ダイヤモンド供出の御奨励のために、王冠その他ダイヤモンド貴金属等軍需省お下渡しなつたというのでありまするが、さような御記憶がありますか。
  19. 廣幡忠隆

    廣幡証人 そのときにダイヤモンドが、九月であつたか何かその時期ははつきりいたしておりませんで、記憶がございませんが、出たことは事実であります。但しただいまおつしやつた王冠は、皇后様の手元からは出ておりません。
  20. 内藤隆

    内藤委員長 王冠は出ていない…。
  21. 廣幡忠隆

    廣幡証人 出ておりません。皇后様のお手元からは出ておりません。
  22. 内藤隆

    内藤委員長 そうすると、王冠は出たことはないという意味ですか、またはその後に何かの手続で……。
  23. 廣幡忠隆

    廣幡証人 それは皇后様のお手元から出たことはないということを申し上げておるので、皇室関係でそれ以外のところから出ているかもしれません。それはわかりません、私の関与するところではございませんから。
  24. 内藤隆

    内藤委員長 事務的に皇后様のお手元から出ていない……。
  25. 廣幡忠隆

    廣幡証人 事務的でなしに、その他御直宮様もございますし、皇太后様もございますから、そういうところから出ておれば、私は関与しておりませんから、存じません。
  26. 内藤隆

    内藤委員長 当委員会調査では、奨励意味で率先してお下渡しなつたという事実が明らかになつておるのであります。
  27. 廣幡忠隆

    廣幡証人 その他のダイヤモンドその他は出ておりますが、王冠は出ておりませんということを申し上げる。クラウンは出ておりません。その他のものは出ております。私の記憶では、その当時はダイヤモンド研磨用に使われるということをいわれておりましたから、大きなものは必要はないと思いました。従つて小さいダイヤモンドは出ております。それで私の記憶では、皇后様のお手元から出たもので大きいものは首飾り、それには、ダイヤモンドがたくさん入つておりますが、大型のものは入つておりません。石はたくさん入つております。小さなものはたくさん出ておりますが、王冠とおつしやいますものですから、王冠は出ておりませんと申し上げるわけです。
  28. 内藤隆

    内藤委員長 お聞きしますが、われわれは通常王冠とか宝冠とかとなえておりますが、宮内省では何と言いますか。
  29. 廣幡忠隆

    廣幡証人 王冠と申しますか、おつむにお敵せになるものでございますか。
  30. 内藤隆

    内藤委員長 クラウンですね。
  31. 廣幡忠隆

    廣幡証人 クラウンでございますか。古い形は上に載せておりますが、新しい形のものはベルトでございまして、当てるようになつております。どれをおつしやつているかわかりませんが、そういうものが出ておりませんということを申し上げておるのであります。
  32. 内藤隆

    内藤委員長 廣幡証人に申しますが、実は宮内庁から公文をもつて宮内次長の名義で、皇后及び皇太后の分としてお下げ渡しなつダイヤモンド白金云々等公文書が参つております。これをあなたは関知しておりませんか。
  33. 廣幡忠隆

    廣幡証人 皇后様のことだけを申し上げておりますから……。皇后様からダイヤモンドが出ていることは事実であります。しかし王冠は出ておりません。その文書を拝見しますれば、大宮様から出ているのではないかと思います。
  34. 内藤隆

    内藤委員長 大宮様とおつしやると、皇太后様ですか。
  35. 廣幡忠隆

    廣幡証人 皇太后様でございます。貞明皇后でございます。私の方からは出ておりません。
  36. 内藤隆

    内藤委員長 それから、先般軍需省軍需官でありました私市という証人を喚問した場合に、三個の王冠が出ておつた、現に自分はその実物を見た、こう言つておるのです。
  37. 廣幡忠隆

    廣幡証人 何と言われましたか。それはおそらく宝冠類ではないかと思います。私も、出たのじやないかと想像される節もございますからそう考えられますが、私どもの方からは、首飾りがあつたことを記憶しております。そのほか王冠に類したものはありません。
  38. 内藤隆

    内藤委員長 そうすると皇后宮大夫としては、王冠が出るわけはなくて、首飾りが出た……。
  39. 廣幡忠隆

    廣幡証人 そうでございます。王冠記憶しておりません。
  40. 内藤隆

    内藤委員長 参考までに一応お聞きするのですが、軍需省の方では、王冠三個よりダイヤモンドを分解したのであるが、そのうちの大粒のもの五個を再び宮内省に預託したことがある、こう申しておるのですが、さようなことも証人御存じないわけですか。
  41. 廣幡忠隆

    廣幡証人 私は、その点は存じません。おそらくは事務の系統として、かりに返りましてもそれは本省に返りますので、本省とは直接関係しておりません。私の方から軍需省に出すのではないのでございます。順序としましては本省に渡しまして、本省がまとめて軍需省に渡しておると思うのです。その当時の記憶から申しまして、私はそれを本省に渡しておりますから、本省がそれをまとめて、それから軍需省なり関係筋へ渡しておると思います。どういう形で渡したが存じません。従つてつて来るのも本省に返つて本省から私どもにもどしたか、もどさぬかは別の問題でありまして、私どもの方はそれを受取つておりませんから存じません。
  42. 内藤隆

    内藤委員長 調べでは、大粒ダイヤ五個のうち、一個は王冠のこの中央にネジでつけてあるので、それをはずせば、どこかお胸へおつけになる胸飾りのようなものにもなつたようであります。さような王冠について何か御記憶はございませんか。
  43. 廣幡忠隆

    廣幡証人 先ほどから申し上げるように王冠というて何もございませんが、王冠の製作にはそういうのがよくございます。はずして胸飾りにもなれば、小さいのを抜いて、指輪にするようなのもございます。おそらくそれを言うておるのではないかと思いますが、私自身関与しておりません。
  44. 内藤隆

    内藤委員長 あなた自身は関与しておりませんが、側近においてごらんになつたことはございませんか。
  45. 廣幡忠隆

    廣幡証人 ありません。わきから出たもので、全然存じません。私の方には職務権限がないのでございますから……。
  46. 内藤隆

    内藤委員長 その王冠をごらんになつたことはございませんか。
  47. 廣幡忠隆

    廣幡証人 ありません。供出されたものですね。
  48. 内藤隆

    内藤委員長 いや供出したものでなくてもいい。
  49. 廣幡忠隆

    廣幡証人 それは一つ二つでないから、幾つも見ております。皇后様のも知つております。
  50. 内藤隆

    内藤委員長 一つ二つでなく、大分あつたのですか。
  51. 廣幡忠隆

    廣幡証人 過去から残つておるのは大分あります、宮様は一つくらい持つていらつしやいますから。それが出ておりませんから、おそらく皇后様のお手元にあると思います。それが幾つあるかは存じません。実を言いますと、これは一家のことでございますから——今日のような官制とちよつと違いますものですから、御自身の御所有品でございまして、私の方で事実問題としては、式のあるときにおつむに載せていらつしやるのを存じ上げておりますけれども、しかしそういうものが幾つあるかということは存じません。今日財産税の問題その他でお調べなつたから、その後どのくらいのものがあるか、これはわかつているかもしれません。われわれの当時には、それはわかつておりません。
  52. 内藤隆

    内藤委員長 そうすると勢い、その当時そういう王冠等供出されたことがないということなんですから、どういう価でそれがどうなつたかということも、もちろん御存じないわけですね。
  53. 廣幡忠隆

    廣幡証人 そうでございます。私存じません。
  54. 内藤隆

    内藤委員長 今の証言のうちに、王冠等皇室私有物であつたというふうにお述べになつたようですが……。
  55. 廣幡忠隆

    廣幡証人 そうでございます。宮内省のものではありませんで、御自身のものでございますから……。
  56. 内藤隆

    内藤委員長 これは国有財産というようなものではなかつたわけですね。
  57. 廣幡忠隆

    廣幡証人 そうです。その当時はそうではなかつた。今は私は知りません。今の制度から言いますと、財産税をお払いになつたりした関係で、おそらく調べておると思うのであります。しかしそれは私が退官して後、どういう手続をとつたか全然存じません。
  58. 内藤隆

    内藤委員長 証人に対する委員長質問はこの程度です。中野四郎君。
  59. 中野四郎

    中野(四)委員 ただいま委員長からお聞きしました点で、私の宮内省関係等調査しました点について食い違いがありますので、二、三伺いたいと思います。まことにこまかいことから伺つて恐縮なのですが、今廣幡さんは、王冠は各宮様でもあるいは皇后様、皇太后様が各自にお持ちになつていらつしやると言うておられましたが、実はこの問題は、ダイヤを買い上げまして、そして進駐車日本進駐をして、その後日本国内の金、銀、白金ダイヤモンド等をば接収いたしまして、日本銀行の地下室に一時保管をしまして、この処分について国会が、行政が適正に行われておるかどうかという点について、今日調査を進行しておりますその過程に、当時ダイヤ一般国民から買い上げるに際して、皇室の深いおぼしめしで、お手持ちのダイヤとか首飾りあるいは王冠等お下渡しなつた。ところがせつかく皇室のこのおぼしめしも、その王冠ダイヤ等行方がはつきりしないで、陛下のおぼしめしが中間において蹂躙されているおそれが多分にあります。特に疑点を抱きますのは、皇室からお下渡しになりました王冠の中に含められておつたダイヤが、特に大粒のものが五個あつたのでありまして、その五個のものは工具用ダイヤにまわすにはまだ相当もつたいない時間である、こういう感覚で、当時の軍需次官竹内君が宮内省に一応保管をお願いしたわけなのであります。当時係をいたしました竹内軍需次官並びに軍需省平賀技官という人についての今までの証言によりますと、持参をしまして宮内次官白根さんに渡したというのです。私事を申してはなはだ恐縮ですが、白根さんと私とは裏表に住んでおりまして、個人的にごく親しいので、先日来何べんかこの問題について、五個のダイヤをば受取つた覚えがあるかないかということを聴取したのでありまするが、どうしても記憶に出て来ぬというのです。従つてあの当時の状況は、まず現在のところでは大金さんか廣幡さん、この両氏にお聞きになれば大体わかると思うというのが事の発端であります。今委員長から伺いましたら、皇后様の分は出ておらぬという話であります。私が先日来宮内庁に再々伺いまして、宇佐美さんあるいは係の古い総務課の山崎さんといいますか、その方等にお目にかかりまして、いろいろと皇室書類等があるはずでありますから、その提出を求めました。私らの一般国民の通念からいたしますと、皇室内部における一切の専務処理は、りつぱな書類なつて保存されておるものという考え方を持つております。あたかも火災等がありましたので、その場合焼けたということもあり得ると思うのです。ところが、先日来宮内庁伺つて、いろいろ御下賜になりましたダイヤモンド王冠等の事実を伺つて参りますと、まことに奇怪なことに、ダイヤモンドを御下賜なつたという上書きはあるのですが、中の一部のかんじんな、どういうダイヤであつたとか、あるいはどういう種類のものであつたとか、あるいは王冠はいかなる形をして、どなたのものであつたかというようなことが、明記してないのであります。今のお話にもありましたが、宮家からやはり御奨励のおぼしめしをもつて供出になりましたダイヤは、もとよりこれは代価が払つてありまするから、こちらの方にも書類が保存されておりまするから明らかであります。ただ皇室の場合におかれましては、まつたくの御奨励のおぼしめしで、必勝信念確立のために両陛下から御下賜なつたものと見えまして、その代価というものは、もとよりお払いする当時の国情ではなかつたのであります。私がただいま申し上げましたような、あるべき書類表紙があり、しかもカラツト数が書いてあつて、鉛筆の走り書きですが、その内容がない。ほかの書類は知りませんが、そのとじ込みの中の一部だけが焼けるというわけは、どうしても常識では判断できぬのであります。われわれは今日の日本国民として、いかに時勢がかわつたりといえども皇室に対する敬崇の念は決して忘れるものではありませんけれども、われわれが尊敬してやまざるところの皇室の中に、陛下側近事務を扱われるところのすべての係官の人々の中に、このような表紙だけあつて内容だけが数枚焼けておるというような事実は、どうも納得行きません。悪い言葉で言えば、菊のカーテンに隠れてややもすれば隠然たる昔の勢力が、あるいは古い考え方のまま陛下側近にはべる者ありとするなれば、日本民主主義を阻害することこれよりはなはだしいものはないと私は思うのであります。こういう観点から、いささか横にそれた観はありまするが、ダイヤ行方調査する必要から、行政監察委員会としては、行政の適正なる施設が行われているかどうかという点について監察するのが当然であると思いますので、おいでを願つたわけでありまして、伺えば、皇后様の分は出ておらぬというお話でありまするから、廣幡さんにその点について重ねて伺うことはむだでもありまするし、かえつて非礼でもあります。  そこで二、三こまかい点で、おいでを願いましたについて参考資料としてお話を願いたいと思いますが、私の伺つた程度においては、皇太后様が二個の冠をお持ちになる。その冠の感覚が正直申し上げて私らにわからないのです。あなたのように、皇后様や陛下の御側近に常にいらつしやる方は、いろいろな機会があつてごらんになるのでしようが、われわれは不敏にして皇室の中をのぞいたこともありませんし、のぞかさるべきものでもありませんでしたから、王冠というものの種類がわからないのです。私が宮内庁で聞きました当時の係官の方々は、皇后様の分が二個、皇太后様の分が二個、そうして皇室には四個あるはずだというのです。その四個の中の一個をお出しなつたのか、二個をお出しなつたのかわからないというのが最初の答弁でした。従つて、私はそういう筋合いから推理して参りますれば、四個ある中で二個御供出なつたとすれば、当然現存するものは二個でなくてはならぬ。その後おつくりになるような場合があれば別でありまするが、そうでないようであります。となりますると、私の方ではこの二個現存しておるのかどうかということをば、先日来宮内庁に伺いましたところが、四個現存しておるというのです。まつたくわからなくなつて来たんです。さらに宮内省公文書によりますれば、二個はお下渡しをした事実はある。またこれが確認できるという宇佐美さんからの書類をもつての御回答があるのです。ところが奇怪千万なことには、御下賜を願いました軍需省係官は、三個あつたというのです。うち二個は外国製でありますが、一個は御木本製お冠であつたという。こういう政情で記録に残すことはどうかと思いまするが、その二個の外国製のものの中には、相当いかがわしいダイヤ等があつたけれども御木本製お冠はまことにおみごとなものであつて、わけてダイヤ等も相当大きなものがある。特にそのお冠の一部につく相当大きなダイヤは、場合によればブローチがわりというのですか、お胸におつけになることがおありになるようなネジか何かがついておるという事実もあるのでありまして、そういうものをばだんだん調査して参りますると、宮内省は二個出し覚えがある。しかも公文書によりますれば、皇后並びに皇太后お冠としてあります。ところがあなたに今伺いますと、皇后様のものは一切出ていないとおつしやる。さらに数の上においても二個宮内省お下渡しをしたというのに、軍需省のいただいた側では三個を確認したというのです。そうして現在の通商産業省の政務次官室に当るところにお飾りをして、半分公開的にこれをもの珍しげに軍需省の連中が見ながら、そこで久米という鑑定人が大体の鑑定をして分解をし、いわゆる工具用ダイヤとして御下賜のお気持を そのまま各工場なり国民に伝えるという仕組みをしたと言います。ところが今言うような大きな五個は、お返ししたのにどこへ行つたかわからぬ、渡した、もらつたか、もらわぬかわからぬというような状態では、このまま放任することはでき得ませんものですから、伺つて行かなければならぬのですが、一体皇后様の王冠というものは、種類が幾らかあるのでしようか。たとえば何か公式のときに——公式というては悪いかしらぬが、何か非常に大きな大礼とか、いろいろな場合におかぶりになる場合と、それから何か私らに言わせれば、第一鹵簿とか、第二鹵簿とか式があつて、公式でもいろいろ一級、二級がありましようが、そういう場合に種類があつて皇后様は幾つお冠を持つておいでになるのではないですか。これをひとつまず伺いたいと思うのです。
  60. 廣幡忠隆

    廣幡証人 中野さんの非常に詳しい御質問でございますが、私としても委員長御返事をいたしましたように、幾つあるということは実は知らないのです。それは先ほど申し上げたように、御自身のものでありまして、私らは関知するところではないものですから、たまたま御使用になつた場合に、こんなのがあるなということを見た場合と、それから修繕の場合に見たのと、そのようなことで記憶しているぐらいであります。リストがあるわけではないのです。それで、私としてはどのくらいあるかということは存じません。それから、先ほどからお述べになりました中に、書類が焼けた、それから抜けているということ、これはわれわれの方の書類ではないのです。われわれの方としましては内部関係に渡しておりますから、おそらく内部関係へ渡した場合に書類がないことはないと思うのです。もらつてつたと思います。これは遺憾ながら私の方の関係は場所が焼けているのです。宮殿の方にあつたのです。実は私も調べてみたらどうかと思いましたが、ほとんど焼けているものですし、探してもむだだと思つて実は探しておりません。本省の方にはあるべきものだと思うのです。それから委員長先ほど申し上げたように、返つて参りますればこれは本省に返つて来るのです。先ほど中野さんがおつしやつたように、白根さんの手に返つて来る。そうしてそれが保管されたのが返されるべきものならば、私の方に返つて来るのです。ところが私は受取つた記憶はなし、また関係者も大体そういうものは記憶しておるべきものでしようが、記憶してない。それから関係者自体いないのです。死んでしまつたのです。死んでしまつたのですからわかりませんが、私は知らなければならぬはずだと思う。しかし私は全然知りません。それから保管されたものを預かつた覚えもありません。ですから、本省の方に関係してお調べになればわかりますが、私は何と御追究になつてもわからないのですから、御返事のしようがないから、さよう御承知願います。
  61. 中野四郎

    中野(四)委員 一々立つていただくのも悪いから二、三点一緒に伺います。お話を聞いてみれば、ごもつともに感じますけれども、最初略歴あるいは皇后宮大夫というものの職歴をお述べになりましたときに、皇后職の事務のいわゆる所管の一番長でいらつしやる。そうしますると、大体の皇室の行事の方面をもちろんおやりになりましようが、むしろ皇室財産ということにも、相当御関係が深いだろうと思うのです。たくさんおありになる品物の中で、特にお冠というものの種類を今伺つたのですが、それを伺えませんでしたので、それと一緒でけつこうですが、もしあなたがおわかりにならぬ場合には、皇后様には、自分のお冠幾つつて、戦争中、昭和十九年に幾つ出したということの御記憶がないはずはないと思いますから、私の方でそういう質問をしたならば、皇后様に直接聞いていただくのには、現在の皇后宮大夫にお願いしたならばよいかどうかということを伺いたい。大体御記憶ないということはないと思います。それからいま一点、お冠種類はどういうふうな種類があるのかということをお答え願いたいのであります。
  62. 廣幡忠隆

    廣幡証人 今中野さんからのお尋ねの点でありますが、もちろん皇后様にお伺いになれば、現在残つておりますからおわかりになると思います。しかし私の拝見した過去の記憶だけを申上げます。それは古くからございます昔のクラウン、高いもの、それが一つ、ベルトの分が一つ、これを拝見したことがあります。それ以外は私は拝見したことはございません。それは式のときにおつけなつたのを拝見したという以外に私は存じません。さよう御承知を願いたいと思います。
  63. 中野四郎

    中野(四)委員 そうしますと御木本が製作したというお冠には御記憶はありませんか。たとえば外国からお求めになるものもありましようし、先帝様の場合もありましようが、今上様の場合で御木本に御注文になつてつくられたというようなことは、あなたは大分お古いのですから、その皇后様のお冠について御記憶はありませんか。
  64. 廣幡忠隆

    廣幡証人 私の在任中にはございません。私の在任前に、御入内になるときできたとか、皇后冊立の場合にできたということはあるかもしれませんが、私の任官いたしましたのは昭和七年でありますから、その後にはございません。
  65. 中野四郎

    中野(四)委員 先ほど首飾り出したとおつしやいましたが、首飾りの形です。むろん当時あなたがお係でしたから、出した後において、あるいは出す際に、その形とか、中にはめられております宝石、あるいはダイヤ、あるいは地が白金であれば白金の目方、こういうようなものは、お下渡しになれば、軍需次官あるいは軍需大臣よりお礼言上に参つておるのでありますから、それぞれの事務当局には御報告があつたものと私は思うのでありますが、この点についてはいかがでしようか。
  66. 廣幡忠隆

    廣幡証人 首飾りは確かに出ました。これには相当たくさん数に入つておりましたが、石は小さかつたと思います。首のあたりからだんだん大きくなるのでありますが、まん中の石もあまり大きなものはなかつたよう記憶しております。それからそのほかのこまかいものは、何が出たということははつきりしておりません。
  67. 中野四郎

    中野(四)委員 念のため、宮内省からの答弁の公文書が参つておりますので申し上げます。これによりますと、解体をして後の大体の数で三千五百九十一個ダイヤモンドがあつたとしるされております。むろんこれは皇族、宮家を除いたものであります。そしてカラツトは百十一カラツト八五となつておるのです。少しこれは私らの調査とは食い違つておりますが、その大小は後の問題にいたしましても、相当量と数が出ているわけであります。その王冠の台といいますか、周辺についております白金が百十一匁三十八あつたわけであります。金が百二十六匁あつたわけであります。こういうような数字はあなたにお伺いしてもおわかりにならぬのは当然でありまして、とにもかくにもこういう数字を出すのには、当時のあらゆる方面からの資料に基いて本省の方では出したと思いますが、事皇后様の御下賜なつた品物に関しては、当時皇后大夫といたしましては、その数量とか目方等の報告は、今御記憶がなくても、宮内省皇后職には必ず記録がなければならぬと思いますが、そういう記録は現存しておりましようか。
  68. 廣幡忠隆

    廣幡証人 どうも先ほど申し上げたように記憶がありませんので……。事情を申し上げますと、中野さん御承知かと思いますが、木造の建物の中に書類があつた。それが昭和二十年の五月に焼けました。それでコンクリートの建物が現在残つておる。あすこに引移りましても、何分にも狭いものですから、書類はほとんど向うに残してあつた。だからおそらくない。そこで焼けたのではないかと思いますから、ないと思つております。その当時あつたかなかつたか、それはあつたろうと思います。あつたろうと思いますということは、宮内省の方から軍需省の方へ報告しておると思います。それを宮内省の人からこれくらいあつたという報告は受けておりますが、公式に皇后職に、じかに軍需省の方から、これこれのカラツトがあつたということはおそらく言つて来ないと思います。この分が幾ら、この分が幾らということを本省へ報告しておると思いますから、おそらくわれわれの方へ行つておると思いますが、それは記憶ございません。
  69. 中野四郎

    中野(四)委員 二つについて……。本省書類の書庫というものは焼けたかどうかという点が一つ。それからお下渡しのときの状況です。たとえば当時の皇室の状態から言えば、当然皇后様の王冠とか、あるいは首飾りお下渡しになるとすれば、ただわれわれが右左にやるようにぽいつと言つて出すわけではないのですから、相当当時の軍需省係官がうやうやしくいただいて来たものだと思いまするが、その場合の状況等についてお知りになつていらつしやる範囲のことを、御説明を願いたいと思うのです。ただ、あなたの方が出してしまつて本省でひつくるめてやつたのか。ないしは竹内軍需次官が伺つたというのですから、廣幡さんが御一緒にお立会いになつて、これをお下渡しなつたのか。あるいはあなたがそうでないとすれば、当時の担当者はだれであつたか。こういう点についてお述べを願いたいと思います。
  70. 廣幡忠隆

    廣幡証人 書類保管ですが、これはどうもわかりませんが、おそらくは焼けて、ないと思います。
  71. 中野四郎

    中野(四)委員 向うの書類は……。
  72. 廣幡忠隆

    廣幡証人 本省書類は焼けていないと思います。それ以上は申し上げられません。それはなぜかと言えば、コンクリートのそこへ移りましたから焼けていないと思います。木造のところへ残しておけば別でございますが……。  それから、ただいまお尋ねの、軍需省の方へ渡しましたのは、本省が渡しております。私の方は本省に渡して、本省の方で渡しておりますから、おそらく白根君が渡しておるのじやないかと思います。
  73. 中野四郎

    中野(四)委員 さらにその点について……。白根次官が軍需次官にお渡しするときに、それまでの過程なんです。皇后様がじかに白根さんに渡したのか。あるいはあなたがお立会いになつて、あるいはあなたが中へ入つて白根次官におやりになつたのか。あるいはあなたがおかかり合いがないとすれば、当時何という人がそういうような処置をとつたかということを伺いたい。
  74. 廣幡忠隆

    廣幡証人 これは今御想像の通りでございます。私から白根君に渡しましたか、それとも言葉でもつて、こういうものを渡してやるということを申しまして、口頭でもつてこういうものを賜わるということを申しまして、実際渡した順は、使いをもつて渡したか、そこは私は記憶しておりませんが、とにかく私を通して渡したことは事実でございます。ただその使いに行つた者は今不幸にして死んで、おりません。内廷係という者がおりまして、星野という男と、中山という男が内廷の係をやつておりましたから、内廷の係が当つておると思います。一人の中山はなくなりましたが、星野というのは戦争後行方不明で、わかりません。
  75. 中野四郎

    中野(四)委員 もう一点伺つておきますが、およそ当時どのくらいのダイヤ、貴金属を皇后様の分としてお出しになりましたか。およそでけつこうです。今記憶がないとおつしやる。御記憶がないものならばやむを得ませんが、特に皇后様の御側近にいらつしやるのですから、大よその見当はつくだろうと思いまするから、どういうものとどういうもの、目分量でどのくらいのものということを、御説明願いたいと思うのであります。
  76. 廣幡忠隆

    廣幡証人 先ほどからたびたびその点でお尋ねでございますが、これははつきりしたいのですけれども、どうも——私の記憶で相当数量はあつたと思います。特に目に立ちましたのは、先ほど申し上げましたように、首飾りと、それ以外にはこまかいピンとか、いろいろなものがあつたと思います。相当数量あつたことは事実ですが、どのくらいの数量ということは、どうも遺憾ながら申し上げかねます。
  77. 中野四郎

    中野(四)委員 何かそれをば明らかにする道はないでしようか、御協力を願つて。こういうことを明らかにしておきませんと、ややもすれば将来これが大きな誤解のもとになりますので、廣幡さんの御協力で、何らかの数が大体つかまえられるような方法はありますまいか。これが一つ。  それから先ほど財産税等の関係で、現在お手元の、そういうような金、銀、白金ダイヤモンド、あるいは王冠等のことは書類に現われておるとおつしやいましたが、これは現われておるでありましようか。この二点をお尋ねして私は終りたいと思います。
  78. 廣幡忠隆

    廣幡証人 今その書類に現われていると申し上げた、それは現われているでしようが、私の関与したものではないですから……。財産税のときに、戦争後でありますから、あのときに調べられたから、おそらくはそのときに調べられただろうと私の想像を申し上げたのであります。しかしはたしてそのときに調べられたかどうかということは、私は存じません。おそらくは調べられただろうと思います。  それから、私の協力で何か証拠はないかとおつしやいますが、私もこういう事件が起りましたので、自分としてもはつきりしておくことが必要だと思いますし、いろいろ元の関係がありますので、関係者に聞いてみましたが、まことにはつきりしない。この点は非常にはつきりしたいと思いますが、はつきりいたしません。私が直接軍需省に、渡しているのだと、もう少しはつきりするのでしようが、間接になるものですから、隔靴掻痒の感があつて、まことに申訳ございませんが、はつきりいたしません。
  79. 中野四郎

    中野(四)委員 もう一点だけお尋ねいたします。近ごろ大阪のある貴金属商の表に、三百二十万円の価格で、菊の御紋章のついたケースの中に入つたダイヤが売りに出されたということが伝えられているのであります。そこで当委員会調査局の方では、大阪の警視庁に命じまして、ある程度の下調査をいたしました。これは私らがうかつであるかもしれませんが、皇室から出されましたるダイヤの中で、首飾りとか、そういうような装飾用に使われやすいものがあつたのではないか。終戦後におきましては、ずいぶん菊の御紋章のにせ物もたくさん出まして、平気で使われるようになつた現状でありますから、あえてそれが皇室のものであるかどうかは、今後の調査にまたなければわかりませんが、先ほどおつしやつた首飾りあるいは。ピン、ピンについてはそう大きなものでありますまいが、皇后様の分でお出しになりました中で一番大きなものは、カラツト数にしてどのくらいのものであつたかという点と、それがとりはずしが自由にできて、他に応用のでき得るようになつておりますものかどうか、この二点をお聞きしたいと思います。
  80. 廣幡忠隆

    廣幡証人 そういう点は、専門的の知識もありませんし、わかりかねます。
  81. 中野四郎

    中野(四)委員 大きさはどんなものですか。
  82. 廣幡忠隆

    廣幡証人 比較的小さくございます。あまり大きくありません。カラツトそういうことになると……。
  83. 中野四郎

    中野(四)委員 たとえばあずき大とか、あずきを標準にして……。
  84. 廣幡忠隆

    廣幡証人 これはちよつと無理ですね。あずきくらいはあつたろう、あずきよりももつと大きいと思いますけれども、今ここでそういうあいまいな証言をすることは、将来累を残しますから、その点ははつきり申し上げかねます。
  85. 内藤隆

    内藤委員長 ちよつと証人にお聞きしますが、皇后様なり皇室の器物等には菊の御紋章が入つておるのですか。
  86. 廣幡忠隆

    廣幡証人 必ず入つておるとは申しません。
  87. 内藤隆

    内藤委員長 しかし貴重品はどうですか。
  88. 廣幡忠隆

    廣幡証人 貴重品でも入つていない場合がずいぶんあります。
  89. 中野四郎

    中野(四)委員 どうも私はその点が、今委員長の御質問の点も納得の行かぬ点があるのです。たとえば、私は李王さんと非常にお心やすく願い、大分古い仲ですが、あそこへ行きますと、奥様の方のお持物の中には——近ごろはなはだ悪い話ですが、ふろ場で使いますいろいろなものまでに、昔の御紋章の入つた古いものを使つておいでになる。ふろしきとかぞうきんにはまさか菊の御紋はついていないでしようが、とにかく菊一点張りと言つてもいいくらいで、そういうような御宝石をお入れになるには、当然ケースか何かに菊の御紋章があるのじやないかと思うのですが、その首飾り等はどうでしようか。ばらばらにお入れになるものか。一つに入れられるものか。もちろん菊の御紋章のついた箱であろうと思いますが、どういうような形か御記憶がありましようか。
  90. 廣幡忠隆

    廣幡証人 どうも記憶がございません。ましてや外国の製品でもあつたら、菊の御紋章はついておりません。むしろむやみに御紋章をつけるのは雑品が多いので、そういうものについていないのはよくあります。
  91. 中野四郎

    中野(四)委員 私はこの程度にいたしましよう。
  92. 内藤隆

    内藤委員長 田万廣文君。
  93. 田万廣文

    ○田万委員 大分詳しく中野さんからお尋ねがありましたが、私二、三補足して簡単に伺います。実はこのダイヤモンド行方につきましては、非常にわれわれは疑惑を持つておるのであります。と申しますのは、一つの例でございますけれども、この間この委員会にある方を証人に呼びまして——このある方と申しますのは、元公益営団の再鑑定関係をなさつておられて、現在銀座で堂々と貴金属商をやつておる。その人に、現在どのくらいのダイヤをあなたは所有しておるかと聞いたところが、非常に躊躇しておりましたが、ややあつて五、六百万円程度ダイヤを持つておる。千五、六百万円ではなかろうかと言うと、いやそんなことはございませんと、いろいろいきさつがあつたのでありますが、現在——以前から引続いてでありますが、無きずになつておるダイヤが、ある一つの商店において五、六百万円くらいするものがある。ある場合においては百万円に近いところのダイヤが店頭に飾つてつて、銀座から新橋へかけて相当貴金属商がありますが、大体当委員会調べた結果におきましても、莫大なダイヤがあります。そのダイヤがどこから流れて来たかというそのルートについては、多大の疑惑を持たざるを得ない実情です。ただいま中野さんからも詳しくお尋ねがございましたが、やはり事皇室に関するというだけの問題でなくして、正当なルートで受領され、正当なルートで返還されたはずのものが、ないというところに、われわれは大きな疑惑をやはり持たざるを得ない実情なのです。今申し上げたように、一商店をとつて考えても、実に不可解しごくな点がある。しかもその人に対して私が、帳簿に一々記載してあるか、買入れした部分についてどうですかと尋ねますと、帳簿には書いてない部分が多い、なぜ書かないかと言うと、利益が少くて数が少いから書かないという答弁を、これも苦しい答弁ですが、いたしたが、利益が少ければなおはつきりと帳簿に記載すべきではないかと言うと、答弁がないような実情であつたのでありまして、そういうような現在市場にあふれておるダイヤというもののルートがさつぱりわからぬ。ここにおいて、現在中野君からもお尋ねがありましたが、皇室からお下渡しなつた三千何百個、そのうちにいろいろな大小とりどりのダイヤがあるはずですが、その行方がわからない。そうすると、どうしてもやはりこれを徹底的に追究して真相を明らかにしておかなければ、われわれ職務が果せない実情なのです。それで熱心に廣幡さんにお尋ねするわけですが、先ほど委員長の御質問の第一問でありましたか、お下げ品の王冠、これがあつたかなかつたかという御質問に対して、王冠は出ておらないという明確なる御答弁があつたのでございますが、私がじつと聞いておりますと、あなたの職務王冠の受領とかそういうものには関係がない、いわゆる職務外のことであるように伺いました。従つて真実は、出ておらないという明確なるお言葉がありましたが、実際問題としては職務外の問題であるから、出ておるか出ておらないかわからないというのが実態ではなかろうかと私は考えておるのですが、いかがですか。
  94. 廣幡忠隆

    廣幡証人 今のお尋ねの通りであります。出ておるのがあつたら私の職務外であるから存じません。私も皇后様のお手元からは出ておりませんということをはつきり申し上げております。ですから、皇太后様から出ておるか、あるいはその他宮内省関係から出ておるかわかりませんが、それは私の職務外であるから存じませんと申し上げております。
  95. 田万廣文

    ○田万委員 皇后様御自身のお所持品であれば、首飾りから王冠に至るまで全部証人はよくおわかりになる立場にあつたわけでございますか。
  96. 廣幡忠隆

    廣幡証人 お出しになれば私の手を経ますから、わかるはずでございます。
  97. 田万廣文

    ○田万委員 先ほどの御答弁の中に、もし現品の出たもので返つて来るとすれば、本省に返つて来るはずであるという御答弁がありましたが、しからば本省からお宅の方に返品がある場合におきましては、やはり証人がお受取りになる立場にあつたわけですか。
  98. 廣幡忠隆

    廣幡証人 さようであります。
  99. 田万廣文

    ○田万委員 皇室財産につきましては、財産目録がやはりあるはずだと思うのでありますが、その当時の財産目録というものは、だれが作成をなすつてつたわけでございますか。お名前をちよつとお漏らし願いたいと思います。
  100. 廣幡忠隆

    廣幡証人 財産目録は、あるとすれば本省にあります。主計課がやつておると思います。いわゆる御自身のものは、つまり家庭内のことと同じでありますから、おそらく本省の方にはわからぬと思いますし、われわれにもわからぬ場合があります。たとえば、御自身でよそからおもらいになつたとかなんとかいうものは、必ずしも私の手を通らぬ場合がありますし、それはわからぬと思います。たとえば一例を申し上げますと、宮様から外国からお帰りになつておもらいになつたものは、私の手を通りませんで、じきじきに行きますから、これはわかり得ない、そういうものはあろうと思います。
  101. 田万廣文

    ○田万委員 最後にもう一点だけお尋ねいたしますが、大体証人がごらんになつ王冠というような形式のものは、二個あるというふうに先ほど聞きましたが、二個の形式による王冠、これは間違いありませんか。
  102. 廣幡忠隆

    廣幡証人 私の見たものは二個でございますと申し上げたわけです。それはブラツク・クラウンとヴエルトのものは拝見したことがございます。
  103. 田万廣文

    ○田万委員 そのごらんになつ王冠には、すべてダイヤはちりばめられておつたのでございますか。
  104. 廣幡忠隆

    廣幡証人 どうもてんと知りませんが、タイヤであるか、イミテーシヨンであるか、そんなことはおそらくないだろうと思いますが、外国ではよくあります。本物をしまつておいて、にせ物をつけておくことがずいぶんありますが、そういうことはないと思います。白い石ですから、おそらくダイヤだと思います。
  105. 田万廣文

    ○田万委員 私の質問はこれで終ります。
  106. 内藤隆

  107. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 一、二点補足してお尋ねしたいと思います。ただいま承つておりますと、皇后様のお持物については御承知であつたが、皇太后様のものについては知らぬというようなお話でございました。そこでこの事件は、皇后様のものも皇太后様のものも、王冠一つずつ二つ出ておるということになつて、先ほど委員からの質問にあつたように、私市という軍需省の役人は、三つ出ておつたということを言うておるのでありますが、非常に食い違いがあるように思われてなりません。そこで、今の皇太后様のものはだれか保管をしておつた人があるのでありましようか。御自分で保管をされておるのでありましようか。そういう点からひとつお伺いしたいと思います。
  108. 廣幡忠隆

    廣幡証人 お答えいたします。皇太后様の方は、皇太后大夫というものがございますから、その人がやつておると思います。
  109. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 その当時の皇太后大夫はどなたでございましようか。
  110. 廣幡忠隆

    廣幡証人 大谷正男君でございます。
  111. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それから先ほど首飾りか何か出された場合には、証人が立ち会つたという御証言がありましたが、そういう場合には、それをお渡しになるときには、メモといいますか、記録というものが何かあるのじやないかと思われますが、その点はどういうふうな取扱い方でありましたか伺いたい。
  112. 廣幡忠隆

    廣幡証人 その点があいまいでありまして申訳ございませんが、これだけのものというメモをおそらくはとつていると思いますが、その点ははつきりいたしません。とつたかどうかということを記憶しておりません。おそらくはとつていたと思います。とつて書類にもしたと思いますが、何分にも焼けてございませんものですから、記憶がございません。はつきりいたしません。
  113. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 その首飾りのようなものは、もちろん皇后様のものでございましたか。
  114. 廣幡忠隆

    廣幡証人 私が扱いましたものは皇后様のものだけであります。
  115. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そこで先ほど中野委員からお尋ねがございましたが、今の大谷正男さんという方に聞きますならば、その当時の皇太后様の王冠のことは大方わかるとあなたはお考えになりますか。まだほかにたれか伺うならばわかるような女官の方か何かがおりましようか。それをお伺いしたいのであります。
  116. 廣幡忠隆

    廣幡証人 それは大谷君にお尋ねになれば、皇太后様の方から供出されたものはわかると思います。
  117. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それでは、もう一つ最後にお尋ねするのは、皇后様の方の分は、あなたがお立会いになつたのであるが、メモがなくなつてわからぬというような状況でありますが、この点につきましても、女官かどなたかもう少し詳しく、お持ちになつておりまするもの、たとえば皇后様の王冠も出ておるということになつておるのでありますが、そういうことについても、どういうものをお持ちになつておつたか、こういうものを出されたという記憶があるような女官か何かがありはしないか、そういうことについて御承知の方がありませんか。それをお尋ねいたしたい。
  118. 廣幡忠隆

    廣幡証人 それはおそらくはわからぬと思います。竹屋という古い女官長は死んでしまいましたし、おそらくはわからぬと思います。女官長が扱つておりますが、これがなくなつておりますから、わからぬと思います。
  119. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 古い女官長がなくなつておりますれば、その次の女官次長といいますか、何かもつと側近でそういうことのお飾り、着飾りなんかのお手伝いをするような方はどなたでありますか。
  120. 廣幡忠隆

    廣幡証人 それはどうも、だれとおつしやつても、まんべんなくお使いになりますし、女官長が責任を持つておやりになつておるのですから、おそらくはかの人ではわからぬと思います。それは片つぱしからお聞きになつたら、あるいはわかるかとも思いますが……。
  121. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 どなたかその女官長の次の人とか……。
  122. 廣幡忠隆

    廣幡証人 女官長がそういものを扱つておりますから、女官長でないとわからぬと思います。ほかの人では無理だと思います。
  123. 内藤隆

    内藤委員長 女官長ならわかるのですね。
  124. 廣幡忠隆

    廣幡証人 女官長ならわかるのですが、それがなくなつておるものですからね。
  125. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 その次席の人とか……。
  126. 廣幡忠隆

    廣幡証人 次席というのはないのです、すこぶる民主的で平らですから。
  127. 内藤隆

    内藤委員長 よろしゆございますか。
  128. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 しかたがありません。これで打切ります。
  129. 中野四郎

    中野(四)委員 委員長にお願いがあるのです。先ほどから廣幡さんにおいでを願つてお聞きいたしたところを見ますと、宮内庁公文書によつての答弁とはまつたく食い違つておりまして、皇后様のものは王冠に関する限り出ておらぬというのです。これは本件を審理する上において重大な問題です。特に皇太后様、貞明皇后様のお出しなつたもの等も調べねばならぬと思います。また貞明皇后様の財産をどういうふうに引継いでおるかというようなことも、場合によれば調査をして行かないと、書類が出て来ぬと思います。そこで委員長にお願いですが、むろん理事会の議にかけられて、最も近いうちに、委員長においては現在の皇后宮大夫に御面会するか、あるいは皇后様にじかにお会いして、この問題についての御記憶をただすということは、本件を進行せしめる上において重大な問題だと思いますから、理事会の議を経て、委員長自身においてお会いするか何かの方法をとつて、おただしを願いたいと思うのです。
  130. 内藤隆

    内藤委員長 ただいま中野委員の御発言に対しましては、理事会を開きまして協議を申し上げて、善処したいと思います。
  131. 田万廣文

    ○田万委員 先ほど証言の中で中山、星野という方の名前をおつしやつたように思いますが、この方の職務範囲をちよつと詳しく申してください。
  132. 廣幡忠隆

    廣幡証人 お答えをいたします。それは内廷係と申しまして、皇后職の中で最も奥の、女官の方まで接触して仕事をする人でございます。それがあいにくと一人は死んでおりますし、一人は行方不明で戦後わかりません。
  133. 田万廣文

    ○田万委員 さつきの御証言の中では、その方がよく知つていると……。
  134. 廣幡忠隆

    廣幡証人 それが知つているのでなくて、それが取次いだろうということを申し上げたのです。本省に持つてつたとすれば、それが取次いで持つてつたろうということを申し上げたのです。
  135. 田万廣文

    ○田万委員 そうすると、あなたは取次いだ中には入つておらぬのですか。
  136. 廣幡忠隆

    廣幡証人 入つております。入つておりますが、私が受取りまして、白根君なり関係者にこういうものが供出されるからということを申しまして、そしておそらく現品はその人間が持つてつたろうと思います。
  137. 田万廣文

    ○田万委員 それで、先ほどお話があつたように、皇后様の王冠は出ておらないということははつきり言えるのですか。
  138. 廣幡忠隆

    廣幡証人 それではないのです。それは私は現認しておりますから、王冠は出ておりませんと申し上げます。
  139. 田万廣文

    ○田万委員 もし王冠が、あなたの申されたことと食い違つて、実際にいわゆる出してあつた場合には、どういう関係でしからば外部へ出たとお思いになりますか。
  140. 廣幡忠隆

    廣幡証人 私はないのですから、これ以上何とも言いようがありません。
  141. 内藤隆

    内藤委員長 他に御発言がなければ、廣幡証人に対する尋問はこれにて終了いたしました。証人には長時間御苦労さまでした。  引続き宇佐美証人より証言を求むることにいたしますが、宇佐美証人は今宮内庁をお出になつたいう情報がありまして、まだ当院にお着きになりませんが、もうお着きになると思いますから、しばらくお待ちを願います。
  142. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 先ほど中野委員からも言つておられましたが、ここに出ていた廣幡証人はよくわからぬようですが、現在の皇后宮大夫おいでつて、そしてその方から直接皇后様その他の女官に聞いてもらつて、もう少し詳細に調べる、食い違いもたくさんあるから、そういうことをやつた方がよくわかるのではないかと考えますから、一応理事会にひとつ御提案を願います。
  143. 内藤隆

    内藤委員長 ただいまの明禮君の御発言、現在の宮内庁の組織で皇后宮大夫という職責があるかどうかも、委員長はまだ調べておりませんので、今ちようど宇佐美さんもお見えになつておりますから、もしそういう機構なり職責があるということになれば、理事会にお諮りをして、証人として喚問することにしたいと存じます。  ただいまお見えになつておられる方は宇佐美毅さんですね。
  144. 宇佐美毅

    宇佐美証人 さようです。
  145. 内藤隆

    内藤委員長 あらかじめ文書をもつて承知の通り、正式に証人として証言を求めることに決定いたしましたから、さよう御承知を願います。  この際証人に一事申し上げますが、戦時中ダイヤモンド供出が予想の九倍にも上るという国民の熱誠があふれた非常な成績を収めたことは、これは皇室が率先して由緒ある王冠を御下賜なつたことに大きな原因もあると、われわれは想像しておるのでありまするが、この重大なる役割を果した御下賜品に関しましては、奇怪なことにその事務的な処理の経過が不明瞭であり、お下渡しに関する一切の書類は通産省にも宮内庁にも発見されず、加うるに王冠白金、金、ダイヤその他宝石等宮内次官に預託された大粒ダイヤ五個の行方が現在判明していないというような実情なので、まことに遺憾なことでありまして、特に皇室ダイヤモンド行方について明らかにしていただくために、本日御出頭を願つた次第であります。何とぞ率直に、この間の事情をよく御了承くださいまして、御証言をせられんことをお願いしておきます。  では、ただいまより接収解除貴金属及びダイヤモンドに関する事件について証言を求めることにいたしますが、証言を求める前に証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことと相なつておるのであります。宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が、証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者、及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者が、その職務知つた事実であつて黙祕すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつておるのであります。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知なつておいていただきたいと思います。  なお、証人が公務員として知り得た事実が職務上の秘密に関するものであるときは、その旨をお申出を願いたいと思います。  では、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓書の御朗読を願います。   (証人宇佐美毅君朗読〕    宣誓書   良心に従つて、真実を述べ、何事もかくさず、また何事もつけ加えないことを誓います。
  146. 内藤隆

    内藤委員長 それでは宣誓書署名捺印を願います。   (証人宣誓書署名捺印
  147. 内藤隆

    内藤委員長 これより証言を求めることになりますが、証言証言を求められた範囲を越えないこと、また御発言の際には、その都度委員長の許可を得てなされるようお願いいたします。なお、こちらから質問をしておるときはおかけになつていてよろしゆうございますが、お答えの際は御起立をしてお答えを願います。  宇佐美毅君は現在宮内庁の次長をしておいでになるようでありますが、次長に御就任までの経歴を簡単にお述べください。
  148. 宇佐美毅

    宇佐美証人 終戦後東京都の教育局長並びに教育長をいたしておりまして、昭和二十五年の三月職を辞して野にございましたが、昭和二十五年十月九日に現在の宮内庁次長を拝命いたして現在に及んでおります。
  149. 内藤隆

    内藤委員長 昭和十九年の九月二十八日、皇室におかれては白金ダイヤモンド供出について国民から供出をさせる御奨励のおぼしめしで、当時の宮内次官白根松介君を通じ、軍需省に対して王冠初め、数々のダイヤモンドその他貴金属のお下渡しがあつた趣でありますが、これに関する記録は現在宮内庁に残つておるかどうか。もし記録がない場合には、これについて何かお聞きになつておるようなことでもあるかどうか。まずそういう記録が宮内庁に残つておるかどうかをお伺いいたします。
  150. 宇佐美毅

    宇佐美証人 昭和十九年の九月に、皇室におかれてダイヤモンドその他をお下渡しになりました事実につきましては、調査をいたしておりますが、現在書類が散逸いたしておりまして、確信をもつてこれと申し上げることができないのは、はなはだ遺憾でございます。当時から以降宮内庁は、新憲法の施行とともに、昔の宮中府中の性格を脱しまして、新憲法施行と同時に国の機関になつたわけでございます。その間数度にわたり機構の縮小、人員の整理、従つて行政整理等が行われ、二十年には皇后宮職、宮殿を含めまして焼失をいたしておりますし、皇太后宮職も全部烏有に帰しておる次第でございまして、現在散逸してはつきりいたしませんが、当時の係官の控えと考えられますものに、昭和十九年の九月に皇后宮職及び皇太后宮職といたしまして、ダイヤモンド三千五百九十一個、一一一・八五カラツト、白金一一一・三八匁、金一二六匁をお出しなつたという記録がございます。
  151. 内藤隆

    内藤委員長 記録としてはそれが唯一のものなんですね。
  152. 宇佐美毅

    宇佐美証人 さようでございます。
  153. 内藤隆

    内藤委員長 あなたは、次長に御就任のときに、お下渡しなつ王冠等について何かお聞きになつたことはありませんか。
  154. 宇佐美毅

    宇佐美証人 私就任当時には、この問題については全然引継ぎがありません。昨年こちらからの御調査によりまして、そういう問題があつたことを知つて調査をいたした次第でございます。もつとも、昭和二十二年の五月ごろと思われますが、宮内省が解体のころ、皇室財産の調査が行われ、この問題も追究されまして、特に徹底的に調査せられたように聞いております。そのような調査の資料というものも、当時の調査した人、あるいは当時の関係者等の言によつて、お答えを申し上げておる次第であります。
  155. 内藤隆

    内藤委員長 当時軍需省で担当しておりました軍需官の私市君を先日本委員会に喚問して、証言を求めたのですが、その際冠は三個であつたと私市元軍需官証言をしておるのでありまするが、証人から公文書をもつて委員会に回答して来たものによると、王冠が二個となつております。ここに一個の食い違いが生じておりますが、一体どちらが正しいのでしようか。
  156. 宇佐美毅

    宇佐美証人 王冠の問題につきましては書類がございません。従つて当時の責任者によつて調査をいたしたわけでございますが、皇后宮職からは王冠というものは一個も出ていない。ただ皇太后陛下のお手元のお品で、女官が使う王冠二個を供出したのがはつきりと記憶がございます。その出たことは確実であろうと思います。
  157. 内藤隆

    内藤委員長 そうすると証人は、皇太后様のお持ちになつておつた王冠が二個出たということは確実なようである、しかし三個ということはどうも疑わしい、こうおつしやるのですな。
  158. 宇佐美毅

    宇佐美証人 さようでございます。
  159. 内藤隆

    内藤委員長 現に私市という証人は、軍需省の機械局長の部屋でこの王冠を三個見た、こう言つておるのです。しかも自分だけでなく、他の者にも——これを当時の言葉で言うと拝観と申しますが、拝観さした、こう言つておるのです。非常に記憶がはつきりしておるのですが、あなたの方は記録だけによつておいでになるのですな。
  160. 宇佐美毅

    宇佐美証人 記録でございませんで、当時扱つた責任者が二個を出したということをはつきり申しております。
  161. 内藤隆

    内藤委員長 その責任者は何という人ですか。
  162. 宇佐美毅

    宇佐美証人 そのとき皇太后大夫は大谷正男、それから当時の女官長清水谷氏が申しておるわけであります。
  163. 内藤隆

    内藤委員長 大谷正男さんは現在何をしておいでになるのです。
  164. 宇佐美毅

    宇佐美証人 現在何をしておられますか、お聞きしておりません。
  165. 内藤隆

    内藤委員長 清水谷という人は女官長ですな。
  166. 宇佐美毅

    宇佐美証人 現在は退職いたしました。
  167. 内藤隆

    内藤委員長 御存命ですか。
  168. 宇佐美毅

    宇佐美証人 はい。
  169. 内藤隆

    内藤委員長 この御両氏から承つたことによつて、あなたの方は文書をもつて二個と回答して来られた、こういうことですね。
  170. 宇佐美毅

    宇佐美証人 さようでございます。
  171. 内藤隆

    内藤委員長 軍需省において、二個か三個か——ということはまた問題でありますが、この王冠からダイヤを分解して、そのうち五個の大粒ダイヤは再び宮内省へ預託をしたということになつております。これは受取つた記録があるかどうか。
  172. 宇佐美毅

    宇佐美証人 ダイヤモンド五個を軍需省から宮内省に預託したということにつきましては、受取りの公文書等はございませんが、それと察せられるものがあるのであります。また当時の扱い者におきましても、その記憶がございまして、金庫に入れたと申しておりますので、これは間違いないことであろうと思います。
  173. 内藤隆

    内藤委員長 当時の扱い者はだれでした。
  174. 宇佐美毅

    宇佐美証人 当時の、内蔵寮と申しますと財務関係ですが、内蔵寮の主計課長犬丸實でございます。それから、そういうことを扱いますのは総務局の庶務課長です。
  175. 内藤隆

    内藤委員長 何という人ですか。
  176. 宇佐美毅

    宇佐美証人 当時は加藤進。
  177. 内藤隆

    内藤委員長 そういう方々から五個を預託されたということをお聞きになつたわけですね。そして、その現物は宮内庁の金庫の中へ納めてありますか。
  178. 宇佐美毅

    宇佐美証人 当時納めましたが、現在は、先ほど申し上げました二十二年のときに徹底的にあらゆるところを調査いたしましたが、行方が判然いたしておりません。
  179. 内藤隆

    内藤委員長 金庫へ入れたというけれども、二十二年の調査には、厳重にやつてみたが、その現物がなかつた、こういうことですね。
  180. 宇佐美毅

    宇佐美証人 さようでございます。
  181. 内藤隆

    内藤委員長 一体預託されたということは、返還されたのではない、預けられたもので、返さねばななないが、このダイヤは預けられておるのだから、記録にもなければならぬはずですがね。そういう記録はございませんか。
  182. 宇佐美毅

    宇佐美証人 御説の通だと思いますが、先ほど申し上げましたように、軍需省から預託をされたという書類の題目だけが残つておりまして、中の書類が散逸してわかりません。
  183. 内藤隆

    内藤委員長 いずれ他の委員からもその点お聞きになると思いますが、次いで、白金の冠の台は、営団——当時白金を扱つた金属配給会社でも受取つていないようです。宮内庁へ五個のダイヤとともにこれを預託されておるのじやないないかと思いますが、こういう記録等はいかがでしよう。
  184. 宇佐美毅

    宇佐美証人 白金あもわせて預託されたということは全然形跡がございません。
  185. 内藤隆

    内藤委員長 そうすると、これは軍需省の機械局長の部屋で解体したものだと思いますが、ダイヤだけを抜いて、五個を宮内庁へ預託して、あとの冠の台の白金等はわからないということなんですね。
  186. 宇佐美毅

    宇佐美証人 宮内庁としては一切わかりません。
  187. 内藤隆

    内藤委員長 お下渡品に対して、営団からは金十二万円を支出しておることになつておりますが、この対価は受領されておりますか。
  188. 宇佐美毅

    宇佐美証人 その点につきましても、会計の書類一切調査いたしましたが、そういう代金を受領した事実はないと考えます。
  189. 内藤隆

    内藤委員長 おそらくお下渡しの御精神から見ても、対価をおとりになつたとはわれわれも考えられないのですが、営団からは金十二万余円を支出してあることになつておる。さような受領したようなことは、会計等の帳簿にないのですね。
  190. 宇佐美毅

    宇佐美証人 はい。
  191. 内藤隆

    内藤委員長 委員長証人に対する尋問はこの程度です。それでは中野四郎君。
  192. 中野四郎

    中野(四)委員 先日来たびたび宮内庁伺つて、このダイヤモンドの点についてお目にもかかり、調査の資料も伺つたのですが、先ほど委員長からお話を申し上げましたように、御承知のごとく昭和十九年の戦争の苛烈な最中に、軍需省は工具に必要として一般国民の装飾用のダイヤモンドを買い上げられたのでありますが、従つて連合軍の進駐によりまして、それらの品物が接収をされまして、日本銀行の地下室保管をされておりますので、その処分に対して行政が適正に行われておるかどうかということを総合的に監察するために、監察委員会では調査をしておるのでありまして、たまたま供出の最中に皇室から深いおぼしめしをもたれて、王冠あるいはそれに付属するダイヤ等をばお下渡しなつた。ところが、そのお下渡しになつたダイヤが、事実上においては戦争に必要な工具に使われず、しかも中で相当工具にしてはもつたいない、いま少し戦争がたけなわになつてから使つてもおそくないという感覚に基いて、大粒ダイヤを五個宮内次官にお返ししたということが記録によつて明らかになり、さらにそのダイヤが、せつかく軍需省等の考え方に基いて、一応宮内省に返されたにもかかわらず、宮内省におきましては、その後その品物がどこへ行つたかわからぬ、こういう結論から、いささか本筋からはちよつとそれておるような感じはありますが、この問題に対して調査を進めなければ、その真相を究明するわけに参らないものですから、御足労願つたわけです。  そこで順を追つて伺うべきでありますが、第一番に伺つておかなければならぬことは、二十八年の八月の二十六日に、宇佐美さんから監察委員長にあてましての公文書の中には、皇室並びに皇族からダイヤモンド白金等のお下渡しがあつた事実は認められる、その中に冠二個が含まれていた、こういうのです。結論の方からちよつと触れておいた方がいいと思いますのは、今委員長からお尋ねをいたしましたが、営団から金十二万余円を支出していることになつているが、その代価を受領しているかどうか。これはお受取りになつていらつしやらないのがほんとうなんです。当時皇族、各宮家からお出しを願いましたダイヤ白金に対しては、営団は代金を払つているのです。皇室からお下渡しになりましたものは、あくまでも純然たる御下賜品でありますから、代価が行つてないのがほんとうなんです。従つてこの十二万余円というものは宮家に支払われた金であろうと、私も推定ができるのです。ただ問題は、このダイヤモンドや、あるいは白金王冠等が含まれておつたと言われますが、先日私が宮内庁へ参りまして、宇佐美さんにお目にかかりましていろいろ伺いましたし、総務課長にもお目にかかつていろいろとお尋ねをしましたが、当時これを立証する書類が全然ない。わずかに鉛筆で走り書き程度のものがあるに過ぎない。それで人的証言を得る以外には道がない、こういうお話でございましたが、今お聞きしておりますと、清水谷女官長とか大谷前皇太后宮大夫等の証言によつて大体確かめたとおつしやいますが、この公文書をお出しになる基礎というものはそれだけですが、あるいは何かほかに書類が発見されたかどうか、これをまず伺いたいと思うのであります。
  193. 宇佐美毅

    宇佐美証人 私がお答え申し上げましたのは、先ほど申した通りに、その数量につきましては鉛筆書きの覚書でございます。王冠につきましては、先ほどの二人の話によつてこれをつくつておるのでございます。
  194. 中野四郎

    中野(四)委員 それは私がお伺いし、あるいは事務局の荻野調査員が加つて後の問題でありましようか。その前にお聞取りになつたのでありましようか。もしその後といたしますればおよそいつごろのことでありましようか。
  195. 宇佐美毅

    宇佐美証人 皇太后宮職の旧職員から聞きましたことは、その当時にも事務的にはいたしておりましたが、さらに最近に念を入れて参つております。
  196. 中野四郎

    中野(四)委員 先ほど委員長の御質問のときに、今書類が散逸しているからというお話がありました。先ほどここで廣幡さんに実はおいでを願いまして伺つたのですが、皇后様の方からは王冠というものは出ていないという。それから、あなたの方からは二個出ているということでありましたが、今お聞きすると、皇太后様の方の分が出たというのです。そこで私はちよつと伺いたいのですが、先ほど廣幡さんの御証言によれば、なるほど皇后宮職の方は木造建であつたから焼けたはずでありますから、書類がなくなつたということも言えるのでありますが、承るところによれば、宮内省本省の方の書類は焼けておらない現状にあるように聞いておるのです。先日来伺うところによりますれば、表紙には、ダイヤ下賜に関する件というのがあつて、その内容の詳細を示す書類がなくなつておる、ありませんというお話でありましたが、はたしてこのダイヤの御下賜に関するページだけがなくなるというのはちよつと納得が行きません。いま少しお調べなつた過程について、詳しく御説明を願えないでしようか。
  197. 宇佐美毅

    宇佐美証人 皇太后宮職と皇后宮職は、宮殿及び大宮御所において全部焼失いたしましたが、本省の方は焼けておりません。従つて、私もあるはずと考え、調査をいたしましたけれども先ほど申しましたように、ダイヤ五個を軍需省から宮内省に預託をするという書類の表題だけでございまして、書類そのものがございません。これはまことに遺憾なことでございますが、現在調査いたしまして、どうしても判明いたしません。
  198. 中野四郎

    中野(四)委員 たびたびこまかくお尋ねするのも悪いですから、ひとつ一、二点記録していただきまして——書類が散逸しておるということは、なくなつたということを意味しないのであります。われわれの感覚からいたしますれば、行政整理があつたとしても、宮内庁には相当の職員がおいでになるのですから、この書類を集めれば当然集まるはずであります。散逸したという書類をその後集めるべく調査をしていらつしやるはずなんですから、その状況について一点。  それから、いやしくも国家の最高権威であるところの国家において、必要ありといたしましてその書類を求めたのでありまするから、これに対する答弁書は公文書であり、もとより権威あるものでなければならぬと思いますが、先ほど証人のお言葉の中では、皇大后のお冠が二個お下渡しになつたように言われましたが、あなたの公文書の中には、右は、昭和十九年九月と推定されるが、その日時及び場所についてのはつきりした書類はない、数量については皇后及び皇太后の分としてお下渡しなつダイヤモンド白金等に関する公文書はないといつていらつしやいますが、公文書なしで、ただ端的なる清水谷さんなりあるいは大谷さんの御証言によつて、すべての今後お聞きすることについての責任ある御回答が願えますかどうか、この点を伺つておきたいのです。
  199. 宇佐美毅

    宇佐美証人 昨年委員会におかれて調査を開始せられ、しばしばおいでをいただいたのでありますが、その後におきましても、それらの書類があるべき、たとえば総務課あるいは現在の主計課等の書類を一切調査いたしました。それから、当時各皇族に関する分は宗秩寮が預かりましたので、宗秩寮に関する書類調査いたしておりますけれども、現在までに発見に至つておりません。  それから第二のお答え申し上げました書面でございますが、これはそこにございます通りに、お下渡しの事実というものは認められる。そのことは先ほど申し上げました、わずかに残つた公文書と申しますか——ちよつと申せないようなものにつきまして、九月ということが推定されるだけだということで御承知願います。冠につきましても書類なないが、そういつた言によりましてここに書いたわけでございます。わかる範囲において書いた次第でございます。
  200. 中野四郎

    中野(四)委員 それでは逐次伺つて参りまするが、先ほど廣幡さんの証言で実は少しわかつてつたのです。私らは、事皇室内部に対しましては、これをのぞき見る機会もありませんので、具体的にはわかりませんが、宇佐美さんは御就任日が浅くて、当時の事情をまつたく関知していらつしやらないことは私もよく存じ上げているのですが、問題の焦点は、王冠を二個、たとい皇太后様のものにしましてもお下渡しがあつたという、あなたの方のはつきりした御証言に対して、軍需省は確かに三個いただいたと言つておる。その三個の中の二個は外国製のものであつて、一個は御木本製のものであると言うておるのであります。その二個の中のついておりまするダイヤについては、いささかいかがわしいものもあつたそうですが、それはとにかくとして、三個の中の一個は御木本製のもので、非常にりつぱなものだそうです。しかも、ダイヤも相当大粒のものがついておつたとということです。そこで工具にまわすにはあまりにもつたいないから、一時もう少しの間宮内省保管してもらいたいというので、五個保管してもらつたと言うているのですが、お問いしたいのは、二個と三個の食い違いはどこから出て来たとおぼしめすか。たとえば、あなたのところは二個とおつしやるが、やつた方は二個で、もらつた方は三個ということを明らかにしているのですから、大分これは食い違いが大きいのです。しかしながら、その拝受にまかり出た軍需省の担当官は、その内容をつまびらかにしているのですから、この点についての食い違いはどこから生ずるとお考えになるか、お聞きしたいと思うのです。
  201. 宇佐美毅

    宇佐美証人 その御質問に対しましては、私は何とも想像することができないのでございます。その当時は、やはり宮内省の職員等も供出をいたしておりますけれども王冠等があろうはずはないと思うのでございます。ちよつと想像がつきかねます。
  202. 中野四郎

    中野(四)委員 そうすると、先日私が伺いましたときには、あなたから直接ではありませんが、係の方は大体皇太后様の分が二つ皇后様の分が二つ、合せて四つあるのだ、その四つの中の二つをお出しなつたといえば、二つがなくなつていなければならぬが、あるいはその後お求めになれば別ですが、どうも私らには納得いたしかねるままに帰つてつたのであります。当時私は、大蔵委員会におきまして、御承知のような接収解除によりますところの貴金属等の数量等を報告する法律案をつくる関係から、調査にかかつたものでありまして、当時はそれ以上深く入ることは、委員会の性質上できなかつたのでありますが、今日は国家の行政が適正に行われるかどうかということを監察するという広い意味におきまして、これはあくまでも追究しなければならぬ問題なんです。王冠が二個出されたとあなたの方には書いておられますが、その王冠というのはどういう形のものでありまして、そうしてあなたが見たわけではありますまいが、お聞きになればおわかりになるが、先ほどもちよつと廣幡さんに聞いたのですが、第一、第二というような公式の順序がございましようと思うのです。場合によれば大きいお冠の場合もありましようし、場合によればヴエルトの場合もありましようから、このどちらの種類王冠であつて、そうして宮内省には一体皇后様用として、あるいは貞明皇后様用として、幾つの冠があるということが記録にありますか。これは本庁の次長ですから知らなければならぬと思う。この点について伺いたいと思うのです。
  203. 宇佐美毅

    宇佐美証人 皇太后宮職から出ました二つの形状等につきましては、私つまびらかにいたしておりません。ただ先ほど申し上げました通り、これは皇太后陛下のお手元の品物でございましようけれども、御自身がお使いになるのではなく、女官等がお供に出ます際の準備にこしらえてあつたもののように聞いております。それから現在の、王冠の状況でございますが、そういつた装身具で御私有のものにつきましては、お手元でじかに御保管なつておりまして、事務的には扱つておりません。現実にそれが幾つあるかということは、お答えいたしかねる次第でございます。
  204. 中野四郎

    中野(四)委員 そうしますと、お聞きになつ程度におきましては、どういうような王冠であつたか、そうして王冠にはダイヤがどのくらいついておつたか、あるいは白金でどのくらいついておつたかということは、お聞きになるからにはそこまで行かなければ意味がありません。ただ王冠だけではわからないのですが、どういうような王冠でありましようか。
  205. 宇佐美毅

    宇佐美証人 あまり大きなダイヤはついていなかつたということだけでございまして、まだ具体的に確かめておりませんので、お答えいたしかねます。
  206. 中野四郎

    中野(四)委員 後ほどほかの委員からそういう点については御質問があろうと思いますので、要点だけ伺つて参りますが、ダイヤモンド五個は軍需省から保管を委託されたと回答がありました。つまり保管物資の登載帳簿等はあるが、公文書にも預託となつて、宮内省へ返還したのではない、つまりお預けしたのだ、軍需省の方ではお返ししたのではなくて、今工具に使うのはもつたいないから、いま少し時期を見てお出しを願うようにといつて一時お預けしたというのですが、公文書にも預託となつて、宮内省へ返還したのでないということがしるされております。一体そのダイヤがあつたとすれば、その所有権は当然軍需省にあつたと見てよろしゆうございましようか。
  207. 宇佐美毅

    宇佐美証人 先ほど申し上げました表題で残つておるもので、たしか預託とあつたと思いますが、預託という意味が預けたということでございますれば、その通りだと思います。
  208. 中野四郎

    中野(四)委員 先ほどお話がありましたように、五個のダイヤは、当時平賀技官が持つてつたというのです。困つたことがあるのです。近ごろの答弁の中には死んだ人を例に出すのです。またぐあいよいよ一番かんじんな人が死ぬのです。(笑声)たとえて言えば竹内軍需次官というのは、この戦争の最中に最も奇怪千万の命令を一度ならず二度出しておるのです。たとえば軍需次官通牒によりまして、白金ダイヤモンドをば買い上げるに対しましては、全国民にずいぶんきびしい言葉を使つておるのです。場合によると、国民をおどかしてもよろしい、ある一定の時期が来ると、持つておることができなくなるぞというふうに、大きく国民に衝撃を与えるように示唆して、そしてこの供出を一日も早くやらしめることが必要だというような、今日の時世から考えると、常識ではとうてい判断のできないような命令を出して来る人なのです。特に終戦当時におきまして、私らが国会の中に隠退蔵物資摘発の委員会をつくり、不当財産調査委員会を設置いたしましたのも、竹内軍需次官の命令によつて進駐軍が上陸して来ると、ことごとく国内の物資を剥奪されるおそれがあるから、それぞれ軍関係あるいは軍需省関係の品物は適宜に隠してよろしい、持つてつてよろしいというような命令を出したことによりまして、全国の業者が、国民のものであり、国家のものであるところの貴金属はもとよりのこと、あらゆる軍需物資をばことごとく隠蔽いたしました。軍需省の方を責めて行きますと、こういうような奇怪な行動をとつた当の責任者が死んでしまつたというのです。それからあなたの方に関係のあるダイヤモンド五個をお返ししに行つたのはだれだと聞けば、平賀技官だと言うのです。私は納得できません。いやしくも事務上の仕事をなすのに技官が行くわけはありません。当然事務官が行くべきだと思いますけれども、されば平賀技官はどうしたかと追究しますと、残念なことに広島の原爆で死んでしまつたと言うのです。かんじんなところに行くとみな死んでしまうのです。(笑声)死人にむちうつわけではありませんけれども、死んだ人間を冥土まで追い詰めて行くわけには参りませんので、他の書類あるいは傍証等によつて、このことをしつかり確かめて行かなければならぬのでありまするが、先ほど宇佐美さんのお話を聞きますと、五個は金庫に入れて——これは内蔵寮の犬丸さんなり、加藤さんが責任者であつたといたしますれば、当然このかぎはその人たちが持つておるものだと思いますが、このかぎの保管者は一体だれでありましようか。今の宮内省の組織からいいまして、当時の金庫に入れたとあるからには入つていなければならない。それがどう探してもないとおつしやる。軍需省においては、記録の上において確かに宮内省に返した、宮内省においても五個受取つたという御答弁であるなれば、この金庫の中に入つておるはずであるから、それがないとなれば、金庫の底が漏るか、あるいはこのかぎを自由に使えるのであるか、金庫の中から適当なる時期に適当なる処置をしたのではないかと思うのです。ことに一般国民の感情は、今日国家の構成の上に大きな変革があつたといえども皇室に対する尊敬の念はいや高まつておるときであります。皇室内部において天皇、皇后陛下のおぼしめしが、ややもすれば、菊のカーテンに隠れて、宮内官僚によつて左右されることがあるのではないかというような危惧を、一般国民は持つておるのであります。そこで、私らは微々たる問題のようには見えまするが、こういうことをあくまでも追究して、日本の民主化を促進する基礎としなければならぬのでありまするから、伺うのでありまするが、ダイヤモンドを五個預かつたとしますれば、これは確かに当時のこの加藤、犬丸両君に責任があらねばならぬのです。責任者であるところの加藤、犬丸両君が金庫にしまつたというのならば、金庫のかぎは当然この両君が持つていなければならないが、これについて、いや、そうでない、宮内省においては、金庫のかぎは別な人が保管する立場にあるというふうにやつておられるのか、この点がよくわかりませんので、金庫のかぎの保管の責任はだれにあるかということを伺いたいと思うのです。
  209. 宇佐美毅

    宇佐美証人 当時の内蔵寮の主計課長において金庫に保管をしたというところまでは、大体察せられるのでございます。しかし、その後それがいつ持ち出されてどこに置かれたのか、その処置につきましては、まつたくその跡をたどることができないのでございます。その金庫の関係でございますが、やはり主計課の実際の金庫のかぎというのは、課長自身が持つておるのではないので、その下の当時の宮内属で小林と申す者が持つてつたのではないかということを聞いております。
  210. 中野四郎

    中野(四)委員 そうしますと、この小林さんという宮内属は、現在宮内省にお勤めなんですか、あるいはおやめになつたらば、どこにいらつしやるということはおわかりでありますか。それから今一旦内蔵寮に入つたことだけははつきりしたのですから、そこで一点疑点が起つて参りますが、軍需省の方では宮内次官にお返えししたと言つておるのです。それから御承知のように、白根さんとはじき近所に住んでおりまするし、親しいおつきあいをしておりまするので、再々白根さんに聞くのですが、どうも私は受取つた覚えがないと言うのです。そういうようなことはあつたけれどもダイヤの五個を受取つた覚えはどうしてもない、ところが軍需省の方は確かにお返ししたという記録がある、持つてつた人間が原爆で死んでしまつておる、従つてだれに手渡ししたものか、どういうふうにして内蔵寮の金庫に入つたかがちよつとわからない。言い詰めますならば、だれが受取つてどういうふうにして金庫に入れたかということがわかりませんから、その点を小林さんが現在現職として宮内省に勤めておられるか、あるいは小林さんがやめられたならば、他にどこかに行つておられるところがございますか、その点を伺いたいと思います。
  211. 宇佐美毅

    宇佐美証人 軍需省からダイヤ五個を持つて参りましたことにつきましては、宮内省事務的組織からいいますと、当時の総務局の庶務課であります。庶務課から内蔵寮の主計課に移つたということは推定せられるのであります。小林属につきましては、昭和二十一年に退官いたしまして、その後死亡しておるということを聞いております。
  212. 中野四郎

    中野(四)委員 みな勘どころで死んでしまうので、どうも困るのでありますが、宇佐美さんのお父さんは東京府の名知事として人格識見ともに有名な方であり、その御子息の方で清康潔白な方で、そんな間違いがあるわけはありませんから、こうも疑うようなことはいたしませんけれども、当時かぎを小林宮内属が持つてつたといたしますれば、この宮内属一人の考え方で金庫をかつてにあけたてできるものなのでしようか。この方が悪意を持ちまして、課長あるいは次長等のすきを見て持ち出すというようなことができるほど、宮内省というものは一体ゆとりのある仕組みになつておつたのでしようか。こういう貴金属をしまうような金庫ですから、相当皇室関係のものがあろうと思うのですが、いかがでしよう。ただダイヤだけでなく、相当重要な書類がこの中にあつたのではないですか。してみれば、一属によつて金庫が開閉されたり自由な行動がとられるということは、ちよつと想像ができないのですが、いかがでしようか。
  213. 宇佐美毅

    宇佐美証人 今お尋ねの通りで、宮内庁におきましては御私有のものあるいは皇室財産、国有財産いろいろ種類がありまして、物品の取扱いにつきましてはきわめて慎重に厳重な手続をとるようにいたしております。普通の場合にはそういうことはあり得ないと思いますが、本件のことにつきましては、何とか私どもも明瞭にいたしたいと考えて、その当時の知つている人、あるいは知らない人でも何か聞かないかということで調べておりますけれども、金庫に入りました以後のことにつきましては、どうしても明瞭になつて参りません。はなはだ遺憾でございますが、それ以上お答えする資料が現在何も出ておらない次第でございます。
  214. 中野四郎

    中野(四)委員 ちよつと伺つておくのですが、一体そういう責任はどこにあるのでしようか。宮内省の金庫の中に貴金属が入り、そうして行方が知れないというだけで済むものなのでしようか、どうなんでしよう。済まないとすればどういう処置をとつておいでになるか。たとえば皇宮警察という特定の警察組織があるのですから、これらのものに命じて捜査をするとか、あるいは当時の書類等を集めて、それに基いて逐次この糸目をつけて根本をきわめるという処置をとるのが当然だと思いますが、その処置をおとりになつたかどうか。おとりにならぬとすればその責任はどうするつもりでおいでになるか。当面の責任者ではないけれども、現在宮内庁次長として重要なる職においでになる宇佐美さんとして、どういう処置をおとりになりましたか、聞きたいと思うのです。
  215. 宇佐美毅

    宇佐美証人 これは先ほど申し上げました通りに、昭和二十二年に皇室の財産を調査いたします際に、この五個が問題となりまして、あらゆる金庫、あらゆる場所を調査いたしまして、遂に事情が判明いたさなくなつたのでございます。その後宮内省というものは二十二年三月をもつてつてしまいまして、御承知の通り宮内省というのは国の機関ではなく、国の役人という建前ではなかつたわけでありますが、昭和二十二年五月三日以降宮内府といたしまして、国の機関としてすべて基本的にかわつてしまつておるわけです。その当時二十二年の調査のときにおきましても、あるいは警察の手を借りる、あるいは行政的な処分をするというようなことが行われておりません。現在の宮内庁としてどう考えるかということでございますが、とにかくそのときの関係者というものはすべて今おりません。従つてまた法律的にも旧宮内省のあれを追究できるだろうかということにつきましても、研究を要する点があると思うのであります。昨年この問題を承知いたしましてからは、私自身といたしましてはあらゆる方途で、先ほど申し上げましたように書類も再三再調査をいたしたのでありますが、はなはだ遺憾でございますが、現在申し上げる以上のものが出て参りません。現在これを警察の手に渡すというようなことで結論がはたして出るかどうか、はなはだ疑わしいような資料しかないというような状況でございましてそれ以上のことはまだ発見できておらない次第でございます。
  216. 中野四郎

    中野(四)委員 そうしますと、今の宮内庁はどうか知りませんが、宮内省の中は非常に紊乱していたものというふうに推定できる。たとえば金庫の中のダイヤモンドくらいならまだやさしい、あるいはもつと大事な書類があつたかもしれない。現にだれがやつたか、どうなつたかわからぬという無責任なことでは、どういうものが金庫の中でなくなつておるかもしれない。なくなつても、一向それに対して捜査の手が伸ばされず、ただ隠蔽されて雲の上深いところで処理されてしまうという感じを受けるのです。一体そうだつたのでしようか。戦争中といい、戦後といい、そういう大事な物を金庫の中からかつてにひつぱり出され、かつてに処分されても、何らの責任もとらず、またこれを捜査することもしない。ただ調査はしてみたけれども及ばなかつたからという程度で済むべき性質のものでしようか。宮内庁次長としての御答弁を承りたいと思います。
  217. 宇佐美毅

    宇佐美証人 宮内庁の会計あるいは物品の問題につきましては、先ほど申し上げましたように、役所の性質上万一のささいな不正でもあつては相ならぬということで、いろいろな点を考えて、きわめて厳重にやつておるつもりでございます。旧宮内省におきましても同様であつたろうと私は考えるのであります。ただ昭和十九年の末から二十年にかけましては相当空襲もはげしく、二十年の五月には宮殿も全焼して烏有に帰すという状況でありまして、あるいは平素の手続通りやれないところもあつたのではないかと推察いたすわけであります。そういうわけでありまして、お尋ねのようなことはなかろうと思います。戦後におきましても、実は新聞に一、二十た窃盗事件簿もあります。われわれはこれをもつてもさらに制度をはつきりいたしまして、いささかでもそういうことのないように努力いたしておるつもりであります。
  218. 中野四郎

    中野(四)委員 こういうふうには推定できないでしようか。八月十五日の終戦に対する陛下からのお勅語がありました。これはもとより録音によるところでありますが、この録音盤をめぐつて陸海軍の一部将官あるいは兵隊たちが、宮城の中にいろいろな形で侵入して、宮内省の金庫の中とか書類とかいうようなものにまで手を触れて、そうしてそういう場合に紛失したということは想像できないでしようか。あるいはあのときは陛下のお部屋間近の方であつて宮内省の方ではないとお考えになるのですか。私は、あの時代のことを想像しますと、あれだけの数の兵隊が侵入し、あれだけのことをやつてのけたのですから、あるいはそういうような場合も想像できるのですが、そういうときに宮内省の金庫を兵隊どもにかきさばかれたということはないでしよか。この点を伺いたいと思います。
  219. 宇佐美毅

    宇佐美証人 終戦時におきまするただいまお尋ねのような状況につきましては、私詳しく承知いたしておりませんので、あるいはそういうことがあつたのか、なかつたのか、はつきり申し上げるわけに行きません。また、一応金庫に入つたものを、あるいは終戦のときの進駐その他の問題から、どこかへ場所をかえまして、それが火災で焼けた、あるいは盗難にあつたとか、われわれといたしましては一切材料がございませんので、これについてはお答えいたしかねるのであります。
  220. 中野四郎

    中野(四)委員 そこでちよつと伺いたいと思うのですが、そうなりますと、保管物資の登載帳簿等というものはあるのでしようか。あなたの方にいろいろなものを保管しておられる登載帳簿、保管物の出し入れについての手続はどうしておいでになりますか。参考のため、この際伺つておきたいと思うのであります。
  221. 宇佐美毅

    宇佐美証人 もちろん現在いわゆる備品その他の什器の台帳は、皇室用財産及び国有財産については全部ございまして、成規の手続によつてつておる次第であります。
  222. 中野四郎

    中野(四)委員 たいへんおそくなるようですから、お気の毒ですけれども、午後続けて質問させていただくことを前提として、私の質問を一応中止いたします。
  223. 内藤隆

    内藤委員長 それでは午後は一時半より再開することといたしまして、宇佐美証人より引続き証言を求めることにいたします。  暫時休憩いたします。     午後一時二分休憩      ————◇—————     午後三時十一分開議
  224. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長代理 休憩前に引続き会議を開きます。  宇佐美証人より引続き証言を求めることにいたします。中野四郎君。
  225. 中野四郎

    中野(四)委員 先ほどお伺いする予定のところが、お昼で大分遅れましたので、あらためて先ほどに引続いて伺いたいと思いますが、宇佐美さんも宮内庁の方でお忙しいように伺つておりますから、質問の要点をきわめて縮めまして、五、六点にわたつて伺いたいと思うのです。  先ほどお話のありました内蔵寮に一旦保管をしたという説でありますが、調査の過程において内蔵寮の金庫に保管をしたのはいつごろで、どういう方法で保管をなさいましたか、これをもう一ぺん伺つておきたいのであります。
  226. 宇佐美毅

    宇佐美証人 内蔵寮の金庫に入りましたのは、十九年の十月の初旬と察せられるのであります。どういう手順かと申しますと、総務局の庶務課から現品を主計課に送つて、主計課では金庫に入れたように考えられます。
  227. 中野四郎

    中野(四)委員 当時の状況をばつまびらかにするには、庶務課長であつた加藤さんにおいでを願つて聞けば一切がわかるでしようか、どうでしようか。
  228. 宇佐美毅

    宇佐美証人 私が申し上げておりますことも、当時の主計課長であります犬丸実君、それから庶務課長でありました加藤進君に伺つて、なお先ほど申し上げました書類の紛淆につきまして、表題が残つておりますので、それらを総合して申し上げているわけであります。
  229. 中野四郎

    中野(四)委員 そこで、公文書でお答えになりましたダイヤモンド三千五百九十一個、一一一・八五カラツト、白金の一一・一三八匁、金の一二六匁という数字が出ておりますが、これはどういう根拠からこういう具体的なものが出て参つたのか。先日私が宮内庁に参りましたときには、これらに対する数字的根拠がないという御説明であつたにかかわらず、その後にこういう明細なものが出て参つたのですが、これはどういう書類から公文書として御返事なつたか。  もう一点は、この中には、両陛下からお出しなつ王冠あるいはダイヤモンド白金、金というものだけなのか、あるいは皇族が供出された分が入つているのかどうか、この二点について伺いたい。
  230. 宇佐美毅

    宇佐美証人 皇后宮職と皇太后宮職の取扱いのものは、宮内省先ほど申した総務局と内蔵寮の主計課で扱う建前でございます。それから各皇族、宮家の分は宗秩寮で扱つておりまして、宮家の分につきましては宗秩寮に書類が残つております。皇室の方から御下付になりました数量を申し上げたのは、これは公文書と申していいかどうかわからないのでありますが、宗秩寮の書類の中にありました当時の総務局から聞いて書いたと思われる鉛筆書きのものでございます。これをはたして公的な証拠のあるものと申し上げられるかどうか、疑問の点がございますが、おそらく聞いて書いた参考資料じやないかというふうに思いまして、御報告を申し上げた次第であります。
  231. 中野四郎

    中野(四)委員 軍需省にありまする大体の資料を見ますと、皇室からお下げ渡しなつダイヤモンドは、大体カラツトにおいて一二五カラツトとあるのです。これはあなたの方の一一一・八五カラツトというのと大分違いますが、この五個のものをば差引いたものでありましようか、あるいは差引かずに、全然五個のものを除外して一一一・八五カラツトを出したというふうに報告をされたのか、この点が伺いたいのです。
  232. 宇佐美毅

    宇佐美証人 一一一・八五カラツトと書いてあるものにつきまして、それが返つて来たものを差引いたものかどうか、あるいはこれが軍需省に渡りまして、鑑定人によつて正確にはかられた数字であるかどうか、こういうような点については何ら推定すべきものがございませんが、おそらくは五個の問題とは別で、下付せられたときの数字ではないかと推察せられるのであります。
  233. 中野四郎

    中野(四)委員 そこで大分食い違いが出て来るので、あなたの方の資料が明確な資料の上に立つて報告されたのではないという結果になるのです。御本人もおつしやつていらつしやる通りですが、事実上において、軍需省受取つた数とこの御報告の数との実質上の食い違いと、さらに先ほどの五個というのは預託されたというのですから、事実軍需省のものであるのですから、従つてこの中に含まれていないというのがほんとうでありましよう。そうしますと、ここに大分食い違いが生じて来るのですが、これをあなたとここで議論をするのには、あなたがあまり資料を持つておられないから、さらにこれに関連して伺いたい。あなたの方の御報告にもありますように、たとい皇太后陛下のものにしましても、皇后陛下のものにいたしましても、この王冠二個が御下賜なつた限りにおきましては、ダイヤの点は大体わかつて参りましたが、その王冠の主体であるところの白金等というものがわからないのです。この際証人にはつきりしていただきたい。実は軍需省でも、このような御下賜品をいただいて、当時藤原軍需大臣はこれに対する謹話を発表しております。しかもその後の官僚たちの操作がまずかつたのか、あるいはどういう考えでありましたか知りませんが、ダイヤモンドの数もはつきりいたしませんし、ダイヤモンドの処置もわかつておりません。特に私らが関心を払いますことは、白金がどうなつたかということで、これが明確でないのです。金属配給統制株式会社を調べましても、当時軍需省白金をば配給すべき会社に、全部の書類調べましたが、どこにも行つておらぬのです。言いかえますと、こういうことも推定せられるわけです。まあいわゆる皇室王冠というような珍しいものですから、一部のダイヤあるいは大部分のダイヤははずしたり、あるいはそれぞれ解体をしたかもしれないが、あとのものは非常に珍しいから、当時の軍需省にとつておくとか、ダイヤ大粒のものを工具に使うのはもつたいないというので、特に宮内省に預託をしたぐらいのありますから、総合すれば、このようなりつぱな王冠を——たといどういう形の王冠にしましても、ただちにこわしてしまつて白金を使う方面の工場にまわすには惜しいというので、それをば残存せしめておいて、そのうち宮内省の金庫の中のダイヤがなくなつておると同じように、いつの間にか、だれともなくどこかへ持ち去つたか、消えてなくなつてしまつたということが想像できるのですが、ダイヤの五個は確かにあなたの方の内蔵寮にお入れになつたということを言つておられまするが、このダイヤをはめておりました白金というものをば、宮内省受取つた事実がありますかどうか、この際明らかにしておきたいと思うのであります。
  234. 宇佐美毅

    宇佐美証人 白金につきましては、先ほどの覚書に百十一匁三十八分を御下付になつたというのが入つております。これはいわゆる宝冠の構成台になります白金であるかどうか等もはつきりいたしませんが、とにかく白金が御下付になつております。しこうして、これが軍需省から保管あるいは返還ということにつきましては、書類には、二十二年の調査のときから今日の調査におきましても、全然その形跡がございません。入つていないのではないかと思います。
  235. 中野四郎

    中野(四)委員 その点は宇佐美さんの御証言をば記録にとどめておきまして、将来の調査の資料にしたいと思うのです。  さらに宮内庁関係で、国有財産として管理しなければならぬものが、新憲法実施以来相当多くなつたことと思われまするが、これが管理については、従来の管理に比して厳重に考えられておるかどうか。いわゆる菊のカーテンに隠れて、国有財産の管理に遺憾がないかを憂慮するのであるか、たとえば先般東宮御所が全焼しておりまするが、これに対する責任者の行政処分を、他の官庁の焼失の折のようなきびしい処分をしないで、単なる始末書の程度で終つておるような状態でありまするから、宮内職員の綱紀について弛緩するところがあるのではないか、こういうふうに私らは考えるのです。先刻来宇佐美さんのおつしやつた言葉を総合いたしましても、宮内庁の内蔵寮の金庫の中に入つたダイヤがどこかへ行つたか大体わからない。他の貴重なる書類もあるいはなくなつておるのかもしれない。そのかぎを扱つておりまするところの一属がは死んでしまい、そうしてそれをば調査することすら、宮内庁の方では厳重にこれを行つていない。こういうような傾向から見ますると、どうも宮内職員の綱紀というものが、私らは非常に疑わしくなつて来るのです。一方においては、依然として宮内官僚の封建性といいますか、これはしばしば私らの耳にし、体験するところであります。これは宇佐美さんに申し上げては悪いかもしれませんが、従来から陛下が行幸なさる場合におきましても、民主化された人間天皇としてのお気持を十二分に出しておられるにもかかわらず、その行幸に先だつて、宮内官僚らは、いろいろな形においてこれを束縛し、封建的な態度にもどそうとする傾向がある。たとえて言えば、先日陛下が福島県へ行幸になりましたときにも、白い練り絹のカーテンをして陛下のお休みになるように万端の準備をしておつた。ところが下調べに来た宮内官僚は、陛下のお休みは白ではいけない、黒にしなければいかぬというので、その大きな家のカーテンを全部一夜のうちに黒のカーテンにしなければならぬというような、まことに何と申しますか、宮内官僚の封建性というものは非常に強い。皇室の民主化が旧式の宮内職員によつて妨げられておるというような非難は、非常にごうごうとしておるのでありまするが、ただいまの御証言のうちにもあつたような、こういう点に関して、証人宮内庁の官僚の今日のあり方を正しいと考えておられるかどうか、この点について伺いたいのであります。
  236. 宇佐美毅

    宇佐美証人 宮内庁の経理その他の問題につきましてお話がございまして、先ほどもちよつとお答え申し上げたのでありますけれども、われわれといたしましては、宮内庁の物品その他につきましては、御私有のものと、皇室用財産となつておりますものと、国有財産なつておりますものの三種類がございます。普通の役所とは非常に違つた複雑な状態でございます。従つて、これをいかに明確にして行くかということは、非常な苦心を払つて整理をいたしておる次第でございます。金庫等の扱いあるいは倉庫等の扱いにいたしましても、一人ではかぎをあけないという制度もとつております。小さな不正などでも、皇室にあつてはまことに申訳ないという考え方で、私どもは努めておるつもりでございます。不幸にして宮内庁の役人の中にも、過去において、小さなことでございますが、一、二の不心得の者もございまして、われわれといたしましては厳重に措置をいたしたつもりでございます。御引例になりました東宮御所の火事につきましては、私の就任前でございまして、どういう処分になつたかは申し上げかねますけれども、最近におきましては、そういう点につきましては、極力努力をいたしておるつもりでございます。特に皇室の民主化というような点にお触れになりましたが、われわれといたしましても、皇室国民のほんとうの血のあるつながりを中心といたしまして、仕事をいたしておるつもりであります。中には思い違えておる者もおるかもしれませんが、実際問題におきましては、宮内庁の役人がいたしたというよりも、中に入つておる人がいろいろ言うという事実も私は持つておる。護警にいたしましても、われわれは警察に何ら指揮をいたしておりませんが、警察のいたすことは全部宮内庁がやつておるようにも見える場合が多い。そういう点につきましては、われわれも極力各方面と連絡を密にいたしまして、国民各位からそういつた声の出ないように努めておるつもりであります。御注意がありますればわれわれも率直にこれを直して、ほんとうの正しいあり方に進んで参りたい、かように考えておる次第でございます。
  237. 中野四郎

    中野(四)委員 さらにもう一点伺つておきます。先ほどからの証言内容を総合しましても、先日来私が調査いたしました結果からしましても、まだ判然としないものがあるのです。つまり現在の皇室の財産と申しまするか、これに対しては、財産税等の関係もありまして、書類は完備しておると思うのです。貞明皇后様の御遺産の問題は、後ほど書類で伺わねばならぬことが出て参りますが、皇后様の現在持つていらつしやる王冠というものを、私のものではありましようけれども財産税等の関係のときにお調べなつた結果においては、現在は幾つ現存しておるか、これがはつきりしませんと、王冠が出たことか出ぬことかすらあやしくなつて来るのです。と申し上げまするのは、先日私が宮内庁に伺いましたときには、たしかあれは皇太后様のものが一点、皇后様のものが一点、二点をおぼしめしによつてお下渡しなつたということを言つておるのであります。それならば、四つあれば二つは現存しておるかといつたら、いや、四つ現存しておると言つておられた。おかしいじやないか、あとの二つは新たにお買いになつたのかと言つたら、その点はわからないが、四つあるということを総務課長は言つておられた。総務課長が知つておられて、宮内次長が知らぬということはないわけですから、現在あなたの知つておる範囲において、書類等の残つております王冠あるいは書類に残らぬものも、あなたの知る範囲におけるところの王冠というものが幾つあるかということを伺いたいのです。もしあなたがここでわからぬとおつしやるなれば、ひとつ皇后様にじかにあなたからお伺いをして、委員会に知らせていただきたいと思いますが、どうでございましよう。
  238. 宇佐美毅

    宇佐美証人 王冠の数につきまして職員がどう申し上げたかは存じませんけれども先ほど申し上げました通りに、そういう品物はじかに御保管なつておりますので、われわれといたしまして的確ではございません。ただ、われわれが伺つておりますところでは、皇后陛下王冠は代々お引継ぎになるというふうに伺つておるのであります。いわゆる皇室経済法第七条の由緒あるものとして、ずつとお持ちになるものであると考えております。従つて財産税等においても、王冠というものはそういう由緒ある皇室経済法七条のものにつきましては、別問題になろうかと思います。また私が存じておりますのは、そういうことでございまして、現在的確に幾つあるかということについては、この際お答えいたしかねます。調べてほしいということでございますが、帰りましてよく相談をして申し上げます。
  239. 中野四郎

    中野(四)委員 皇后様の分が出ておらぬということは、先ほど廣幡さんがおつしやつておられましたから、大体了承できるにいたしましても、皇太后様が幾つお持ちになつていらつしやるか、あるいは遺産の中にどういうふうに引継がれておるかということは、私は宮内庁次長として調べればすぐわかると思うのです。もしわからぬとするならば、これはお聞きになればわかることで、大してこのことが不敬になるわけでもなければ、あるいは気分を悪くされるような問題ではないと思うのです。おそらく皇后様でも天皇様でも、この委員会ダイヤモンドに関する調査のいろいろなことは、新聞、ラジオ等でごらんになつていらつしやると思うのです。やはり幾分かの関心を持つておいでになるのですから、あなたの方からきようの事実を述べられて、こういうわけで必要だからというふうにお聞きになれば、皇后様、皇太后様の持つていらつしやる王冠というものと、それから当時出し王冠の数というものとが総合的にわかつて来ると思うのですが、そういう処置をとるように、こちらの委員会からあなたにこの場でお願いしていけなければ、正式にはかつてお願いしてもよろしいのですが、お答えを願うわけには参りますまいか。
  240. 宇佐美毅

    宇佐美証人 皇太后様のは、先ほど申し上げました通りに、皇太后になられましたときに皇后様の方にお引渡しになりまして、御自身のものはほとんどないのではないかと想像されるのであります。ただ臣下分が残つております。臣下分というのもこれは皇太后様の御所有のものでありますが、その女官にお貸下げになりましたものとしてありましたものを、その当時御下付になつたものと思つております。その他の皇后様のものにつきましては、ただいま申し上げましたような経過でございまして、当時の責任者の廣幡大夫においても、全然出したおぼえはない、当時扱いましたその下の人も同様のことを申しております。これは間違いないことであろうと私どもは察しまして、お答えを申し上げておるわけであります。現在どのくらいの数量ということでお漏らしいただければ、われわれといたしても伺つて申し上げたいと思います。
  241. 中野四郎

    中野(四)委員 最後に委員長に要求したいのです。宮内庁において粉失したといわれているところの五個の大粒ダイヤについては、これにまぎらわしいようなものとして、菊花の御紋章のついたケース入りのダイヤが、大阪において三百二十万円で売られるような手配ができておりました。調査委員会におきましても、捨ておきがたいことでありますから、ただちに調査員をして調査をいたしましたところが、そのダイヤ商は、もはや売つてしまつたという言葉をもつて答えているのです。そうしてその後調査員が大阪の警視庁の捜査課に対しまして、そのダイヤ商に対して調べてもらいたい、古物商取締規則によつて、この三百二十万円のダイヤが菊花の御紋章入りのケースに入つて売りに出ているが、売つてしまつたと言うから調べてもらいたいという要求をいたしまして、調査の結果、ダイヤ商のいわく、そのダイヤは預託をされたるところの預託者が、急に引取つてつてつてしまつたというのです。名前はこの際申し上げぬが、よろしいというのですが、大阪市の心斎橋筋の某貴金属商であります。こういうような疑わしい点もある折、一方におきましては、宮内庁においても徹底的に調査を行わしめる必要もあるのです。はたしてその五個のダイヤがどこへ持つて行かれたか、どういう形によつて町に流れているかということのダイヤの流れをたぐつて行くには、必要な条項であります。たとえていえば、終戦前、すなわち戦争中から、日本国にはダイヤの輸入というものは禁止されているのです。従つて昭和十九年の要綱に基いてダイヤを買い入れたのですから、当時の国民が必勝の信念に燃えて十六万有余カラツトの装飾用のダイヤ供出した。してみれば大体日本中の装飾用のダイヤは、政府に吸収されたと見るのが妥当であります。ところが終戦後今日、日本国内の貴金属商の表を見れば、ダイヤは大体やみ取引をされておりますから、表面に出ておるものはわずかに氷山の一角ではありますけれども、これは私らは想像に及ばないほどの多量のものだと思うのです。現在貴金属商がもしダイヤをば多数に持つておるとすれば、まず第一に愛国心の欠如しておるところの非国民的な行動をとつてダイヤを隠匿しておつたもの、一つは不正なるところの密輸入によつて手に入れたもの、いま一つは窃盗、窃取、あるいは政府のものをばかつてに処分したというような形において手に入れたという、三つのルートを想像することができるのであります。輸入禁止になり、しかも政府に吸収され、日本銀行の地下室に真に吸収されたものが現存されておるということならば、日本国内ダイヤがこのように多数流れておるわけはあり得ないのです。こういう点を考えて行きますれば、一宮内庁の問題といたしましても、ただいまのような一例があるのでありますから、こういうような問題は徹底的に宮内庁において調査をせしめ、さらにこれが経過を本委員会に報告せしむるように御手配を願いたいと同時に、白金の冠も、先ほど来私が申し上げましたように、せつかく陛下のおぼしめしによつて下賜なつた品物が、一部官僚の怠慢よりその行方すらもわからぬということでは、私は、当時必勝の信念に燃え、国を愛する、大なる犠牲を払つた国民の心事に対して相済まぬと思うのであります。従つて、このようなことは徹底的に追究をして、正直者がばかを見ないという政治を実現することが、本委員会の大なる使命でなくてはならぬと思いますから、あわせて捜査当局にお願いするのでありますが、ただちに大阪の警視庁に命じて、この大阪市の心斎橋筋におけるところの某時計店における菊花御紋章入りのダイヤ行方をば、捜査当局をして追究せしめるようにおはからいを願いたいと思うのであります。以上をもつて私の質問を終ります。
  242. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長代理 中野委員に申し上げますが、いずれ理事会を開きまして、適当な処置をすみやかに講じたいと思います。明禮輝三郎君。
  243. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 中野委員から詳しくお尋ねがありましたので、二、三補足的にお尋ねしてみたいと思います。  先ほど証人がお答えになつておるところを聞きますと、王冠皇太后様のものが二個あつたというように述べられたようであります。しかし報告書の中には、皇后皇太后二つなつておるのでありますが、本日証人が述べられましたように、皇太后様のものが三つであつたということに承つてよろしいのでありましようか、この点を伺いたい。
  244. 宇佐美毅

    宇佐美証人 ただいま御質問の通りに、私ども手元先ほど申し上げました数字というものは、皇后宮職及び皇太后宮職のものを合せておりますので、その数字と合せた場合におきましては、その中に冠があつたということは言えるというふうに記載をいたしたわけでありまして、その冠が皇太后宮職から出たということにつきましては、先ほど来申し上げた通りであります。
  245. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 私がお尋ねするのは、皇太后宮職から出たものか、それはどちらから出たものか知りませんけれども、要するに、お冠お下渡しなつたものは、実際は皇太后様のものと皇后様のものと両方であつたかどうかということを、おわかりになるかと思うて伺つておるわけであります。
  246. 宇佐美毅

    宇佐美証人 実際には皇后様からはお出しなつておりませんで、皇太后様から出しておられるわけであります。
  247. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そこで先ほど皇太后宮職に関係されておる大谷正男という方は、おわかりになつておるでしよう。それから女官長の清水谷、そういうことをおつしやつたように思いますが、清水谷何という方かおわかりになつておりましようか。
  248. 宇佐美毅

    宇佐美証人 大谷さんは大谷正男でございます。清水谷さんの名前の方はちよつと失念いたしました。
  249. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 何か御報告を願うことがあるのじやないかと思うのですが、そのときについでに知らしていただきたいと思います。  それから、大粒ダイヤ五個というのが、昭和十九年十月の初旬に金庫の中に入れられたと思われるというお話先ほど承りましたが、これはその金庫に入れられまして、かぎを持つておるのは主計課長犬丸實という人だつた、同時にその責任者としては総務局の課長の加藤進という人もあるのだというお話でございましたが、この品物が昭和二十二年の二月ころか調査されたときはなくなつておつたという、この点につきまして、この二人の責任者に対する証人の追究と申しますか、糾明と申しますか、お調べ方はどんなふうな状態にお調べなつたものでありましようか、その点を伺いたいのです。
  250. 宇佐美毅

    宇佐美証人 当時の主計課長は犬丸氏でありまして、総務局の庶務課長は加藤進氏であつたのであります。その金庫の方はもちろん主計課長が全体的責任を持つわけでありますが、金庫のかぎを現実に預かる者は、その下の小林という属であつたということは先ほど申し上げたわけであります。それでそのものが金庫に納められたということにつきましては、犬丸氏及び加藤氏につきまして私がじかに伺つたのであります。入つたことにつきましては犬丸氏もはつきりと記憶しておられるのでありますが、これから出したか、あるいは出してどこに持つてつたのか、そういう点につきましては一切記憶がないということであります。当時の小林と申します属官は、先ほど申し上げました通りに、二十一年に退官いたしまして、その後死亡しておりまして確かなる筋がございません。それ以上につきましてはだれも記憶がはつきりいたしておりませんので、現在においては詳細はわからないということを申し上げた次第であります。
  251. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 その当時の宮内大臣は一体どなたであつたか、それからその死んだ小林という人は、名は何という人であつたかということをお伺いしたい。  それから今まで中野委員からも十分お話があつたようでありますが、日本が非常にむずかしい戦争になつて、ダイヤを戦争に役立たせるためにお下渡しなつたものが、どうも承りますと、金庫のかぎを預かつてつた犬丸という人が、入れたことは覚えておるが、出たのがどこに行つたのかなくなつてわからないというようなことでは、相済まないのではないかと思うのであります。端的に言いますならば、これが終戦当時だつたら、こういうことをやつた関係者は全部腹切り問題じやなかつたかと私は思う。私のもう一つ言いたいのは、こういう重大なる責任を負つておる人たちが十分にそれを糾明されもしない、その後の処置も何もしていないというようなことは、私ども非常に遺憾に思うのでありますが、これらに対して一体あなた方は何らかの方法をおとりになるお考えはないのか。今この犬丸、加藤という人は現職であるかどうか知りませんが、この点何らかの方法をおとりにならないでは相済まないではないかと私は考えるのです。
  252. 宇佐美毅

    宇佐美証人 昭和十九年九月、十月ごろの宮内大臣は松平恒雄さんであります。それから主計課の属官の小林とは小林長二郎であります。この問題は、ただいまお述べになりました通り、宮内庁としてもまことに遺憾なできごとでございます。ただ現在から振り返つてみまして、先ほど来申し上げました通りに、ちようど空襲が盛んになり、宮殿が焼ける前後でございまして、当事者といたしましては、毎日の仕事というものが非常に緊急重なことにぶつかつてつたのであろうと思います。しかしいずれにいたしましても、こういうような貴重なものの処置といたしましては、まことに遺憾であつたことはお話の通りでございます。ただ、先ほど来申し上げます通りに、現在におきましてこれはどういう処置をとるかということにつきましては、当時の形式的と申しますか、組織上の責任者という人は全部現職にございません。またその当時と今日とは宮内庁の組織が基本的にかわつて、昔のいわゆる宮中府中といわれておりました当時の宮中の組織であつた宮内省、その職員も国の職員ではなく、予算も別であつたわけであります。それが二十二年の五月三日をもつて廃止になりまして、その後宮内府、あるいは現在の宮内庁というものが、国家機関として組織されております。その違つた組織で、昔のいわゆる国の機関でないものを処分するということにつきましては、法律的な問題が相当あろうと思うのであります。これらの点につきまして一応われわれといたしましても考える次第でございますが、現在のところ、まだこうするという結論までには到達いたしておらない次第であります。
  253. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 はなはだ遺憾な次第でございます。なお先ほども論になつておつたと思いますが、お下渡しについて、営団から十二万円余り支払つておるということを報告しておるのでありますが、証人お話では、もらつておらぬと言われたのであります。この点については、十分に御調査の上お話なつておることだろうと私も考えますが、間違いはございませんか。もう一ぺんお尋ねしておきます。
  254. 宇佐美毅

    宇佐美証人 その点につきましては、二十二年の調査、あるいは今回もあらためてそういつた主計関係書類を再調査いたしましたが、金を受取つた事実が出て参りません。またその当時、こういう場合におきまして皇室で御下付になります際に、代金をとつたという例もございませんので、おそらくはわれわれといたしましては、代金をとつたということはないものというふうに確信いたしております。
  255. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そういたしますと、私どもの通常観念から考えましても、おそらくこのお下渡しに対してさようなことがあろうはずはないと考えられるのであります。そうすると、営団というものがこういうような小細工をしているのではないかということにおちつくわけであります。国民のほんとうに血の出るような、宝のようにしているダイヤをみんな出して、そうしてお下渡しなつたものまでもかくのごとく行方不明になるというような実情であります。これに対してお問いすることは、非常に遺憾の次第であるということでやめますが、この加藤進、犬丸實という人の住所はわかつておりましようか。生きているわけでありましようね。
  256. 宇佐美毅

    宇佐美証人 現存しておられまして、住所もわかつております。
  257. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 あとからお知らせを願いまして、私はこの二人をこの委員会に喚問することをお願いいたします。そうしてこの人たちの責任を追究せなければ、国民に相済まないと思う次第であります。これで終ります。
  258. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長代理 明禮委員に申し上げますが、ただいまの件は、いずれ理事会にかけまして、適当な処置をとることにいたします。他に御発言はありませんか。——なければ宇佐美証人に対する尋問は終了いたしました。証人には長時間御苦労さまでございました。  引続きまして久米証人より証言を求めることにいたします。  ただいまお見えになつておられる方は久米武夫さんですね。——あらかじめ文書をもつて承知の通り、正式に証人として証言を求めることに決定いたしましたから、さよう御了承ください。  この際証人に申し上げますが、戦時中多数国民諸君より供出されましたダイヤモンド、金、白金等は、平和条約発効と同時に接収解除となりまして、現在日銀地下の倉庫に収納され、大蔵省によつて保管されておるのであります。このダイヤモンドの収納、保管の経過処理の方法等につきましては、世上大いに疑惑を持ち、関心を抱いておる向きもありますので、これが真相を明らかにすることはきわめて意義のあることと考え、本委員会は本件の調査に着手した次第でありますので、証人におかれましては率直なる証言をお願いいたしておきます。  それでは、ただいまより接収解除貴金属及びダイヤモンド関係事件について証言を求めることにいたしますが、証言を求める前に証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことと相なつております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が、証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者、及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者が、その職務知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知なつておいていただきたいと思います。  では、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓書の御朗読を願います。     〔証人久米武夫君朗読〕    宣誓書   良心に従つて、真実を述べ、何事もかくさず、また何事もつけ加えないことを誓います。
  259. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長代理 それでは宣誓書署名捺印してください。     〔証人宣誓書署名捺印
  260. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長代理 これより証言を求めることになりますが、証言証言を求められた範囲を越えないこと、また御発言の際には、その都度委員長の許可を得てなされるようお願いいたします。なお、こちらから質問をしておるときはおかけになつていてよろしゆうございますが、お答えの際は御起立を願います。  証人の略歴をひとつお願いをいたします。大体軍需省出しておる程度でよろしゆうございますが、ダイヤモンド関係におつた当時の略歴をお願いいたします。
  261. 久米武文

    久米証人 明治三十三年郷里の方から初めて上京いたしまして、御木本真珠店に入りました。年十三、四のときでありました。それからずつと御木本真珠店に在店いたしまして、大正九年に店をしりぞきまして、宝石の輸入業を始めたのであります。それからずつと輸入業を継続しておりまして、七・七禁令並びに九・一八物価停止令当時からこの戦争にかけまして、仕事はほとんど休業状態になつて今日に至つております。その間東京貴金属同業組合あるいは若干官公署の仕事についておりましたが、昭和十九年ごろからダイヤモンド、宝石、貴金属類の政府買上げ事業がだんだん起つて参りまして、最初昭和十九年五月くらいから、兵器行政本部の命令によりまして、全国の貴金属商売人関係のものを集荷してくれというお話で、五月からそれにもつぱら携わつたのであります。それと同時にその間に交易営団の仕事が始まりまして、しばらくの間両方掛持ちでやるようなことになつておりましたのでありますが、それもどうやら済みまして、翌年の二十年二月ごろにだんだん空襲なんかもはげしくなつて参りますし、もう疎開したくなりまして、伊勢の山田の郷里に引揚げました。それでずつと郷里にその間おつたのでありますが、昭和二十年の末でしたか、あるいは二十一年の初めでしたか、ちよつと記憶にありませんが、東京から、進駐軍の方の用件があるからすぐ出頭しろという至急電報を受取りました。どういうことかしらんと思つてさつそく上京して、中佐に面会したのでありますが、そのときに連合軍の方に……。
  262. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長代理 簡単でよろしゆうございますから。
  263. 中野四郎

    中野(四)委員 いや大事な問題だ。簡単なものではだめだ。
  264. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長代理 それは委員長において……。
  265. 中野四郎

    中野(四)委員 委員長の権限においても、これは大事な問題だから明細に言つてください。
  266. 久米武文

    久米証人 やつてくれというので、それから進駐関係の仕事をずつと一昨々年ですか、平和条約のときまで継続してやつておりました。以上でございます。それからあと大蔵省の接収解除の関係をやつておりました。先ごろそれは終りました。
  267. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員長代理 なお証人は、ダイヤモンド鑑定についていかような基礎的の研究をしたか、なおこれについての経験等をひとつお述べを願いたいと思います。
  268. 久米武文

    久米証人 御木本在店中にしばしば外国に参りまして、ニユーヨークにしばらくおつたことがあります。それからヨーロツパにも参りましたし、その都度貴金属関係あるいはダイヤモンドのカツテイングの工場、そういうようなものを時間の許す限り見学いたしました。それからニユーヨークにしばらく滞在中に、コロンビア大学の鉱物学教室に初めて宝石の講座が開かれまして、約半年ばかり毎日それに通つておりました。それでこつちへ帰りまして、宝石一般の研究にだんだん趣味を持つて参りまして、大正六年ごろに「宝石」という小さな本を出版いたしました。それから越えて御木本退職記念のために、大正九年でありますが、「ダイヤモンドと真珠」という単行本を一冊出しました。それから越えて昭和十二年の当時に、引続いて「通俗宝石学」という本を出しております。それからまた昭和になりまして、「宝石辞典」、同時に最近は、「通俗宝石字」の改訂版第三版を出してくれというので、ただいまその改訂版をやりかけ中なのであります。     〔荒舩委員長代理退席、委員長着席〕
  269. 内藤隆

    内藤委員長 証人は、昭和十九年ごろより軍需省の嘱託となつて、松屋における再鑑定、さらに終戦後は、占領軍の嘱託となつて、日本銀行において占領軍が接収したダイヤの整理に当つて、このダイヤ日本政府に引渡されるや、再びこれが再調査に当つておられたようですが、そのときの様子を詳細にお述べ願いたい。私も委員長として、先般あなたが日銀の倉庫においでになる姿を見ておつたのですが、あのときの様子を詳細に御説明願いたい。
  270. 久米武文

    久米証人 そうすると、占領軍以後のことでよろしゆうございますか。
  271. 内藤隆

    内藤委員長 それでよろしゆうございます。
  272. 久米武文

    久米証人 実は占領軍の方にあのダイヤがぶんどりになりましてから、私は今日大蔵省に移管になるそのあとの始末まで、絶えず引続いて鑑定しておつたのであります。実は昭和二十一年から昭和二十二年を経て、平和条約ができますまでの間は、私の立場は占領軍の方の関係の立場にありまして、別に口どめをされたわけでありませんけれども、一切ほかにその内容については言わないように緘黙しておつたのであります。ところがずいぶん日限もたちますし、それから中には、いろいろな情報だとか、それから臆測みたいなものが交錯いたしまして、占領軍はごじやごじやして一体何をやつておるんだ、というふうなうわさも若干耳にしたこともあります。私としましては、これまで大蔵省関係の人にも、だれにも、その内容については一言も、まあ座談的以外は申し上げてありませんし、この仕事も全部これで一片づき終つたわけでありますから、実は占領軍当時どういうふうに品物を処理したか、またはどういうふうに格付をしたか、またどういうふうな値段の標準を持つていたかということについて、何かの機会に申し上げておかないと、幾らか自分の心に重いところがありまして、実はそういうふうな希望を持つてつたわけですが、ちようどこの場所でありますし、またこの機会を得たのでありますから。ちよつと時間の余裕をいただきまして、今品物の取扱いの内容について申し上げても、向うのCPCの機関も解散になりましたし、もういいだろうと思いますから、ちよつと申し上げさせていただきます。  先刻もちよつと申し上げましたように、私はちようど二十年の二月から伊勢の山田に疎開しておりました。ところが同年の暮れかあるいは二十一年の初めかと思いますが、私、店の名前もはつきり申し上げますが、東京の服部時計店から至急電報が参りまして、進駐軍の方に用事があるから、すぐ出頭しろということでありました。それでそのときには、今日と違いまして非常な汽車の困難もございますし、また食糧事情、それから住宅問題なんかもからんでおりましたけれども、すぐにこつちに参りまして、スプラツドリングという中佐に会いました。その中佐がいわく、われわれの方に相当多量のダイヤモンドがあるのだが、それを処理してくれないかという話であつたのであります。しばらく応対をしております間に、どういうふうな内容のものかはつきりしませんので、その現物を見せてくれませんかと言つたところが、なかなかそれを見せてくれないのであります。しかし品物を見ないで処理するということはちよつと困ると言つたところが、それでは見せようということになつて、日銀の倉庫の金庫の下でしたか、どこだつた記憶ありませんが、その品物をちよつと私見たのであります。ところが、そのときのダイヤモンドの状態といいますのは、ちようど大きな箱に砂がぐしやつと入つておるような——むろんそういうふうには入つておりませんけれども、いろいろな形態の包みになつて一ぱい入つておりました。これの目方はどのくらいあるのですかと聞きましたら、約十万カラツトあるという話でした。十万カラツトのダイヤをこなすということはたいへんな仕事である、私ちよつと困るがと言つたところが、ぜひどうしてもこれをやつてくれというふうな話合いになりまして、それから懇談の結果、何とかこれを処理しなければならないのだから、ひとつ何かいい案を出してくれという話になりまして、それでいろいろそのときに考えまして、口頭でこういうふうにしたらどうか、ああいうふうにしたらどうかというので相談いたしましたところが、それではそれを書面に書きつけて、あなたの思う処理方法を出してもらいたいということになりまして、それでその処理方法の手続その他について書面にいたしまして、今のスプラツドリング中佐に渡しておきました。それから一旦郷里に帰つたのでありますが、越えて三月か四月のころ再び呼び出されまして、それではこの方法でいいということになつたから、やつてくれということにきまりました。それはとても一人でできない話でありますから、それでとりあえず人選をいたしましたところが、戦後早々のことでございまして、だれがどこにおるかわかりませず、ようやく、技術技能、そういうふうなすべての点から考慮いたしまして、あと三人の人に頼んだのであります。まだほかにも頼みましたけれども、私は行きませんといつて辞退された人もあります。ようやく三人だけお願いをして、その三人の人はずつと最後まで一緒にやつて手伝つてもらつたわけであります。
  273. 内藤隆

    内藤委員長 その三人のお名前は……。
  274. 久米武文

    久米証人 三人は巽忠春、松井英一それから城谷三郎。
  275. 内藤隆

    内藤委員長 これは鑑定の専門家ですか。
  276. 久米武文

    久米証人 それはいずれもみな古い経験のある人で、同時に交易営団の松屋の再鑑定にも見えておつた方です。その二人の人はずつと昔御木本におつたこともありますし、私も古くからよく性質もみな知つておる人であります。  それでまず格付といいますのは品質の格付でありますから、これをどういうふうに持つて行くかというので、私は非常に苦しんだのであります。従来、外国方面には色の点、傷の入つておる点などというふうなことにつきまして、八、九段階の品質の等級別をつけておるのであります。しかしその等級別をつけておつても、これもはなはだ不確かなものでありまして、はつきりと、たとえば一級品のヤーガーならヤーガーというものにふさわしいものは、Aの人は幾らか違う、Bの人はまたこれに対して幾らか違うというふうに、はなはだ厳格な意味において徹底しないのであります。それでこの十万カラツトの、ダイヤモンドを、どういうふうな格付を持つてやるかということについていろいろ考えました結果、まず色による格付と、カツト並びに中に入つている傷なんかに対する格付と両方持つて来て、それを組み合せるという方法で、同時に占領軍につかまえられておつて日本人がこれを分類選別をして、あとで、こんなひどい、くだらぬことをやりおつたと言われるのが私はしやくですから、それですから、それで最も注意を払いまして、その格付の方法を一つここに考えたのであります。それはまず色の点におきましてAからFに至る六段階、それから傷とかいうふうな点におきまして同じくAからFに至る六段階、この六段階六段階の標準の格付をきめまして、これの組合せで行こうという順序をとつたのであります。たとえば現在ここにおります荻野さんは、この間御見学になりましたけれども、袋の上にFAとかFEとか書いてありますのは、あそこの進駐軍に置いてあつた格付なのであります。それで今のABあるいはAFというような格付は、万国共通の格付ではありませんで、進駐軍並びに今度大蔵省に移管した十何万カラツトのダイヤモンドに対する格付の標示であります。しかしその格付というものは、むろん従来の欧米のダイヤモンドの格付の方面には全部リンクしてありまして、たとえばここに専門家が参りまして、ある銀行のABはどういうふうな見当の品種別になつておるかということをちよつと見てもらえば、ずつと統一して十六万カラツトのものが大体わかるような配列になつておるのです。それでその格付のもとにやるということで、とにかく占領軍の方の同意を得まして、それから仕事にかかつたのでありますが、今のダイヤモンド、そのときには結局は十一万二千カラツトぐらいになつたのでありますが、それが品種、大小すべてぐしやつと入つておりまして、どうにも手のつけようがないのです。石も非常によごれておりましたし、いろいろ考えまして、十段階の大きさにふるいでふるいわけるという段取りをつけました。それは大きな石と小さな石を一緒にいたしますと、小さな石が大きな石の横の方にくついたり何かいたしまして、非常に取扱いも困るし、また紛失することもありますから、十段階のサイズにふるいわけをやりまして、一番大きいのを苛性ソーダできれいに洗い上げて、そうしてかわかしてかつきりした目方をとつて、その分はその分で一時進駐軍の係の人に納めてもらつて、それから第二次の大きさのものを同様の手順を経て全部洗い上げて、全部別々の正確な目方をとつて、それで一時納めたのであります。それからまた値段の格付をどうするかと申しますので、今の進駐軍の話が起つて来ますと同時に——そのときには別に値段の話はありませんでした。しかしこれはどうしても起つて来るという私の前提のもとに、山田に帰つたあとすぐ、戦争中の為替統制まぎわにおいてこちらに輸入されたものの価格、それからまたこれまで私が若干集めておりましたいろいろな方面の価格、それは卸もありますし、小売値段もありますし、また輸入価格もあります。それから交易営団あたりの値段もみな織り込みました。それで下手な値段をつけると、あとで物笑いになる。一個や二個のダイヤモンドならどうつけておこうが、それはそのときの出たとこ勝負できめるわけでありますけれども、十万カラヅトのものを整理選別して値段の格付をするということは、なかなか容易なことではないので、しやにむにいろいろな値段の数字を集めたのであります。ちようど一九四〇年までは、私の手元に外国の雑誌だとか合衆国政府の年報だとかいうふうなものがあつたのでありますけれども、一九四〇年から四六年にかけては何らの資料も得られないのであります。同時に、そのときはまだ外国との通信ができませず、また向うからものを取寄せることもできません。それで骨を折つて、出たとこ勝負で私の友人なんかに頼んで、進駐軍の兵隊さんに手紙を出してもらつて、何でもいいからダイヤモンドのニユーヨークの相場を聞かしてもらいたいと頼んだのです。その中には返事の来ないのも大分ありますし、若干返事もありまして、それも一つ参考なつたのでありますが、その前にダイヤモンドの大体の値段の推移、同時に第一次欧州大戦の戦後の値段の上りの変動とかいうふうなものを若干考慮に入れまして、いろいろな苦労をしまして、とにかく複本としてダイヤモンドのずつと大きいのから小さいのまで、いわゆる今の標準品質によるダイヤモンドの値段を私の手元でこしらえたのであります。仕事が始まりましてから、一体だれかアメリカから人が来るのですかと言つたところが、まだはつきりしない。それで今のダイヤモンドの払いが始まつたのですが、五月になつてからアメリカから二人専門家が来るのだという話でありました。その専門家もだれかニユーヨークあたりのユダヤ人の手ごわいやつが来るのではちよつと困るなと、実は恐れをなしておりましたが、その専門家二人が、六月一日と記憶しておりますが、飛行機で着きまして、すぐにその二人に会いました。そうしたところが、その二人の西洋人というのは、ワシントン国立博物館の地質部の部長とその次の人二人で、だんだん話をしていますと、たいへん気持のいい二人で、仕事もやりやすかつた。しかし、この二人はこつちへ来る前に、ダイヤモンドの資料並びにいろいろなことをかなり調査して来たと見えまして、学者であつてまたなかなかつつ込んだ意見などもつたようであります。それでダイヤモンド全部を洗い上げて、そうしてそれを一時向うの係官の手に返しておきまして、ちよつと待つてくれというので、数日間待つたら、その二人が来ました。それから日本銀行に頼んで、今の地下室ではとても光線のぐあいが悪い、それで三階のごく晴れやかな、大きな、光線のいい部屋を選定してもらいまして、それからいわゆる選別にかかつたのであります。その選別は、まず一番大きな袋の分全部を向うの方から受取りまして、それでわれわれ四人と二人、三つテーブルを置きまして、二人ずつ並んで、その全部のダイヤモンドをまず色によつて分類したのです。形の大小は別としまして、色によつて分類した。その色はつまりAの色からFの色までというふうに色によつて分類いたしまして、そのときにやはりいかに優秀な鑑定人といいましても、その日その日の感情やらいろいろで多少の狂いがありますから、絶えずお互いによりわけた色を交換したり、それからまた一緒にして、これは、あなたの方は色がAとしては濃過ぎるのではないか、このBは少しよ過ぎるからAの方へ入れなさいというようなことで、お互いにできるだけ不同のないようにはからつて行きました。それから最後にその色の選別が終りますと、六人のものを全部AはA、BはBというふうに一緒にまとめて、なお二、三これはちよつと色が濃過ぎるとか、あるいは品物がよ過ぎるとかいつて、そこで若干の訂正を加えまして、そのあとで再び今度はAならAの色のもので、また中の傷とか、そういうことで分類して行きました。そうして分類したあと、それで初めてこの大きさのAAの品等のものはこれだろうということが出て来ますが、それは色とか大小に幾らかやはりふるいでふるつた上にも大小がありますから、必要に応じて一箇ないし数個の袋に分類いたしました。そうして私は途中で間違いがあるといかぬと思いましたから、一々私が袋の上にAA、それから箇数と目方をちやんと入れまして、そうしてみんな通し番号でAA1、BB1というふうに番号を打つて行きました。今のダイヤモンドの分類にかかります前に、物資はないし、道具類はみんな焼いてしまつたというので、道具類だとか、それから第一あれを包むのに特定の紙があります。その紙を進駐軍の方で電報を打つてもらつて、すぐ飛行便で取寄せてもらいまして、その袋に一々、適当に数を配分してみな納めました、まだいろいろありますけれども、そういう順序で行きまして、それが毎日毎日あつい中を越えて、ようやくその仕事が十月の半ばに完了いたしまして、向うの記帳関係なり何なり、すつかり引渡しをして、一時日本銀行の鑑定室は閉鎖になりました。そうしてそのダイヤは十一万二千五百と思つておりますが、そのダイヤモンドだけでなしに、その間大阪、名古屋方面らしいものが、約四万五千カラツトくらい入り込んで来ましたし、それからそのほかにたくさんの工業用ダイヤモンドも入つて参りました。その工業用ダイヤモンドは、全部かどうかは知りませんが、大体において私ども手元で整理をして、そうしてそれぞれの番号をつけて、小さな包みにして向うに納めたわけであります。それから越えて四十七年になりまして、例のマレー大佐の問題などが起つて来ました。そのとき私は郷里から呼ばれて、それをひとつ片づけて、それから今度はドイツ人の敵産金属だとかなんとか、ぐしやぐしや入り込んで来ましたり、またいろいろなものを難してくれしてくれというので、ひつきりなしにずつと携わつておりました。それから幸いに私の家もようやくこつちにできたものですから、こつちに移りまして、それから引続いてあとの引渡しのところまで行つたのであります。  進駐軍の今の鑑別は非常に厳重をきわめておりました。途中からわれわれの一生懸命にやる気分だとか何とかを大分認めて、若干簡略になりましたけれども、部屋の前には鉄砲を持つた兵隊が立つておる。中には各テーブルに二人ずつピストルを持つた兵隊がつき、同時に各テーブルには一人ずつ係官の中尉あるいは大尉の将校がおりまして、われわれがやる指先まで監視しておるわけなのです。巽君あたりは、こんな刑務所におるような仕事はいやだから、もうやめると言い出しましたけれども、いや別にこれはわれわれの人格をどうのこうのするのでなしに、ここへどろぼうでも入つて来ると困るというので、われわれの身辺を守つてくれるのだからというようなことを言つて、ようやくなだめて、非常に苦しい中を熱心にやり上げてくれまして、あの仕事を終つたわけなのでありますが、番号づけだとか、値段づけだとかいう品物の整理、これは一ぺん帳簿なり何なりをごらんいただけば、一見して明瞭だろうと思うのでありますけれども、非常にきれいになつております。途中からどういうふうな人が入つて来てそれを受継いでも、いささかもごちやくすることはないようになつておるはずであります。それから値段もそういうふうに私の腹案を組んでおりまして、同時に今のアメリカ人二人が来まして、値段をひとつきめようじやないかというようなことになりまして、私の分と向うの分と一緒に照し合せて三人で会議しましたところが、その値段は幾らかの狂いはありますけれども、大体同じ見当になつております。
  277. 内藤隆

    内藤委員長 進駐軍に委嘱されての整理の状況は、ほぼあなたの今のお話で御苦心のほどはよくわかりますが、これは専門的なことで、聞いてもなかなかわからぬところがあります。  最初に昭和十九年に軍需省の嘱託となられて、松屋で再鑑定室を設けられた。そのとき鑑定人の一人である喜多村何がしという人の証言はとつてあるのですが、その人の証言なんかを聞きまずと、まことにどうもわれわれ何ら知識のない者が聞いても驚くような、ずさんな法であつた。そのときにあなたもやはりその鑑定人の一人としておいでなつたのですが、今承つておると、占領軍から委嘱された場合と、それから軍需省の嘱託となつておられた場合の鑑定のやり方は、相当に違つておるように聞きますが、その当時は一体どういうふうにしてやりましたか。
  278. 久米武文

    久米証人 それは自然軍需省の場合と、それから占領軍の場合とはちよつと趣が違つておると思います。なぜといいますと、軍需省のときには、私は絶えず片方の方は受身になつておりましたし、もう一箇所の集荷の方で、こつちも受身になつておりましたし、それから同時に軍需省関係は非常に大きな大部隊でありまして、中に何十人の鑑定人がおりますし、それからとにかく御者がたびたび寄つて、こういうふうにしようじやないか、ああいうふうにしようじやないかというふうに談合的に言つて、その値段の点だとか、それから取扱い方法とかきまつたのであります。
  279. 内藤隆

    内藤委員長 そうすると軍需省の時代には、あなたは再鑑定人として、単に品質なりあるいは色等を鑑定されるにすぎないので、価格の格づけはされなかつたのですか。
  280. 久米武文

    久米証人 価格はその当時交易営団のつまり基準価格というものがそこに出ておりましたから、石の大小に応じて、その価格によつて、いわゆるデパートだとかそういう窓口の人が、その基準価格によつて買い取つたのであります。再鑑定の方は、その買い取つた価格が順当であるやいなやということを、松屋の三階へみなそれぞれの方面から集まつて参りまして、その観点からこれはこれで正当であるといえば、交易営団の方へ引渡す。同時に不当の買上げをやつておる場合には、これは現実においてデパートの損失になるのですから、これはあなたの方は少し値段を高く買い上げておりますよ。それからまた不当に安く買つてあるものは——一つの例もあるのですが、これはその先の方へ移牒しまして、また品物を出した人に対して金を割りもどしをしております。松屋の再鑑定の方は絶えず交代で若干ずつ来ておりましたから、別に何でもないようなものは自分でやり、それからまた少し重要なようなものだとか、値段の点に幾らか疑念があるようなものは、お互いに相談し合つて事を運んでおりました。
  281. 内藤隆

    内藤委員長 お聞きしますと、占領軍の委嘱の場合には、相当にあなたの専門的な知識を傾けておられるようですが、軍需省の場合、松屋の窓口から来た場合には、ずさんというと何ですが数も多かつたろうし、またいろいろな関係で相当にずさんな方法でやられたように思いませんか。
  282. 久米武文

    久米証人 いやずさんということは言えないと思うのです。
  283. 内藤隆

    内藤委員長 大体買付の、たとえば十段階とかにわかれておつたそうですが、そういう段階をつくるときには、あなたのような専門家の知識を借りてそういうものをつくつたものか、それとも単に軍需省がやつたものかを考えますと……。
  284. 久米武文

    久米証人 それはあの値段の建前は、みなが会合の結果、一カラツトのものを二千円なら二千円に持つてつて、それから上……。
  285. 内藤隆

    内藤委員長 わかりました。価格等をきめるときも、あなたはやはり関係しておられたようですな。
  286. 久米武文

    久米証人 それは私はつきりしておりませんが、あるいはおつたかもしれません。
  287. 内藤隆

    内藤委員長 おられたと事務局では調べておりますが……。
  288. 久米武文

    久米証人 おつたかもしれません。
  289. 内藤隆

    内藤委員長 証人が最後に大蔵省の嘱託として日本銀行で解除になつた、ダイヤモンドを再調査されておられたですが、そのときの鑑定人もやはり三名の方が引継いでおつたのですか。
  290. 久米武文

    久米証人 いえ、二人はそのときの人でありました巽君、松井君、それからあと二人は、その進駐軍のときには私が人選いたしましたのですが、大蔵省のときには、私はその人間の推薦というものは辞退いたしました。しかし意見として、こういうような人ならば品物の取扱いもなれておるし、また若干元の関係も知つておるしというので申し上げましたところが、それでは困る、進駐軍の占領以来これまで全然関係のなかつた人にやつてもらわなければならぬというふうな御意見のように伺つております。
  291. 内藤隆

    内藤委員長 そのときの鑑定人の姓名等御記憶ありますか。
  292. 久米武文

    久米証人 ございます。
  293. 内藤隆

    内藤委員長 だれだれです。
  294. 久米武文

    久米証人 私のほかに巽忠春、松井英一、古川伊三郎、金子政治郎。
  295. 内藤隆

    内藤委員長 あなたを加えて五名になるわけでね。
  296. 久米武文

    久米証人 五名でありまして、それで私は毎日出ておりました。みな非常に忙しいために、あとの人は二人ずつ一日おきに交代に出勤しておりました。
  297. 内藤隆

    内藤委員長 そのときは大蔵省から何か嘱託というような辞令でも出ておつたのですか。
  298. 久米武文

    久米証人 その以前に出ておりました。今の何は、私はずつと以前にそれをもらつておりましたか……。
  299. 内藤隆

    内藤委員長 軍需省から最初に嘱託の辞令が出たでしよう。
  300. 久米武文

    久米証人 そうです。
  301. 内藤隆

    内藤委員長 それから占領軍から委嘱された。
  302. 久米武文

    久米証人 その嘱託は、別にあそこは公文書出しませんで、すぐに憲兵隊へ連れて行かれまして、私の方の写真、それから指紋のカードを向うの原簿へ押させて、それから今のパスをもらつた。その中にはダイヤモンド関係と書いてあつたわけであります。
  303. 内藤隆

    内藤委員長 それがいわば日本の嘱託の何に当るのですね。
  304. 久米武文

    久米証人 多分そうだろうと思います。
  305. 内藤隆

    内藤委員長 そこでそのときに、その鑑定人とともに大蔵省の係官もあの金庫の中へ出張しておつたはずですが……。
  306. 久米武文

    久米証人 はいそうです。
  307. 内藤隆

    内藤委員長 そういう人々の名前は御記憶ございますか。
  308. 久米武文

    久米証人 吾妻さんという人が主でありまして、もう一人何とかいいますか知りませんが、吾妻さんのもう一つ上の人が大体において連続出られまして、ほかの係の人が時折代理に出ておられました。その吾妻さんは毎日ずつと連続出ておられます。
  309. 内藤隆

    内藤委員長 そうしてその大蔵省の係官とあなた方と再調査にかかられたのですが、その再調査にかかられたのはいつからでしたか。接収解除になつたのが四月二十八日としますと、そのずつと後ですか。
  310. 久米武文

    久米証人 その後です。
  311. 内藤隆

    内藤委員長 後でなければならぬはずですが、日限は大分たちますか。
  312. 久米武文

    久米証人 これが終りましたのはごく最近ですから……。
  313. 内藤隆

    内藤委員長 着手されたのは。
  314. 久米武文

    久米証人 着手もそれと同時にやりました。
  315. 内藤隆

    内藤委員長 再鑑定に——再鑑定というと語弊があるかもしれませんが、大蔵省の……。
  316. 久米武文

    久米証人 そうそうあれは昨年の十月かその見当じやないかと思いますが、あるいは十一月になつておつたかしれません。
  317. 内藤隆

    内藤委員長 大蔵省の嘱託を受けて再調査にかかつてつたのは……。
  318. 久米武文

    久米証人 終つたのはついこの間です。
  319. 内藤隆

    内藤委員長 正月ですか。
  320. 久米武文

    久米証人 はい正月です。
  321. 内藤隆

    内藤委員長 日は記憶ありませんか。
  322. 久米武文

    久米証人 はい。
  323. 内藤隆

    内藤委員長 その大蔵省の嘱託を受けて再鑑定をされたその品物は、いわゆる進駐軍に接収されておつたものと同一であつたのですね。
  324. 久米武文

    久米証人 同一でありました。
  325. 内藤隆

    内藤委員長 違つたものではありませんでしたか。
  326. 久米武文

    久米証人 違つたものではありませんでした。
  327. 内藤隆

    内藤委員長 接収解除されたそのものをまた再鑑定する、こういうわけですね。
  328. 久米武文

    久米証人 はい。
  329. 内藤隆

    内藤委員長 そうすると、その再調査の折に、何かそのものを評価したようなことはございませんか。
  330. 久米武文

    久米証人 評価いたしました。
  331. 内藤隆

    内藤委員長 評価したとすればどれほどになりましたか。
  332. 久米武文

    久米証人 数字ですか。それは私は知りません。個々のものは評価をいたしましたけれども……。
  333. 内藤隆

    内藤委員長 個々のものは評価はしたけれども、格付はわからぬ、こういうわけですね。
  334. 久米武文

    久米証人 はい。
  335. 内藤隆

    内藤委員長 占領当時の価格に比較してどうです。あなたの想像では高くなつて……。
  336. 久米武文

    久米証人 占領当時の価格は昭和二十一年六月付というので、私は向うに格付の評価価格を出しまして、それでよろしいというのでやつたはずなんです。そのやつたのはわれわれがAAの、たとえば何ミリメーター・サイズのものは幾ら、こういうふうにそう格付はきまつておりました。それを今の二人の西洋人が持つてつて、帰りまぎわに全部のものを評価したのか、あるいは向うの事務的の関係の人がそれに当てはめて評価して行つたのかどうか、それは存じません。昭和二十一年のものはそのときの評価になつておるはずです。そのときにはちようど昭和二十一年の十一月にニツポン・タイムスに発表いたしまして、ダイヤモンド二十五万カラツト、代金米貨ドル二千四百七十万というような何に進駐軍の方では発表しております。  それからその次に一昨々年ですかの夏に、これはもう一ぺん評価をし直すのだから、ひとつ値段だけを出してくれというので、そのときはもういろいろな材料が集まつておりましたから、その材料によりまして、その評価値段を向うに渡しました。それによつて向うでかつてにやつていたんだろうと思います。
  337. 内藤隆

    内藤委員長 その数字はどれくらいになりますか。
  338. 久米武文

    久米証人 その数字は私は存じません。
  339. 内藤隆

    内藤委員長 二千四百七十万という数字は……。
  340. 久米武文

    久米証人 それはニツポン・タイムスに発表いたしましたから、偶然にそれを読んだわけであります。
  341. 内藤隆

    内藤委員長 あなたは専門的に見て、あの日本銀行の倉庫に十六万一千カラツトあつたということなんですが、大体時価に見てどれくらいあつたとお思いです。いろいろ格付もあろうけれども、ごつちやにして見て大ざつばな見積りでようございます。
  342. 久米武文

    久米証人 その格付というのが、いざそれを処分するとか、売買するときには、売手、買手で変動もありましようけれども、とにかく一九四六年の八月、いろいろ検討し、同時にそのときに二人の西洋人にも来てもらつて、それをこしらえ上げたのですが、その値段はあまりその当時とかわつておりません。
  343. 内藤隆

    内藤委員長 どれほどでしたか。そのころは大体幾らほどになつておりましたか。
  344. 久米武文

    久米証人 そのときの二千四百七十万ドル、それは二十五万カラツトに対する値段であります。それからあとは、たとえばごく小さい、こんな小さな石ですね、これは初めの格付のときには、ヨーロツパのダイヤモンドのカツテイングの市場が復活しなかつたために、品物が払底でかなり上つておりました。ところが二回目のときにはそれがぐんと下つて、普通の状態にまたもどつております。
  345. 内藤隆

    内藤委員長 ちよつと聞きますが、この世界的な相場というものはあるだろうが、これはロンドンですか、あるいはニユーヨークですか、どの辺できまるのですか。
  346. 久米武文

    久米証人 それは本来はロンドンで相場が立つわけなんです。とにかく世界の九割七分のものをあそこのシンジケートが押えておりますから、それをいろいろな方面の国が買いとつて、またみがきにかけたり何かしますから、そこで本来は相場が立つわけでありますが、ロンドン・シンジケートの相場というものは、これはおそらく大口の人に対する相場でありまして、私がこれくらいのところをとつたら、大体の標準のところに行きはせぬかと思うのは、アメリカがそのうちの大部分を工業用並びに宝石用に輸入しておりますから、あそこが一番手取り早いと思うのです。同時に、ヨーロツパはどうも直接の通信なり関係がなかつたために、大体ニニーヨークの格付をとつております。それは大量に取扱う人の値段と、それから小売業者の値段もあり、普通の卸業者の値段もあり、それからもう一つ小売との中間の小さないわゆるブローカー式の卸業者もありますから、非常に大きなものを除きまして、大体の大きなところの相場の中値をねらつてつたわけであります。
  347. 内藤隆

    内藤委員長 大体どうでしよう。いろいろ専門的にあるでしようが、われわれしろうとがわかるように話していただきたいのですが、今一カラツト当りどのくらいの値段ですか。
  348. 久米武文

    久米証人 あそこの格付を今の標準から見ますと……。
  349. 内藤隆

    内藤委員長 ロンドンなり、アメリーカなりの一カラツト当りの値段は…。
  350. 久米武文

    久米証人 大体一カラツトの標準のものは、色が白くて、きずがほんの見えるか見えない程度のもの、あるいは色がちよつとあつて、カツトも中のものでごくきれいなものというのを、大体のあそこの標準にいたしまして、それで一カラツトのものを四百五十ドルにふんでございます。
  351. 内藤隆

    内藤委員長 四百五十ドルですね。日本の円に換算すると……。
  352. 久米武文

    久米証人 日本の円に換算すると、一カラツトが十六万二千円ですか…。(「日本の時価相場は」と呼ぶ者あり)日本の時価相場はそれに対してもつと高いのであります。しかしそれを一個のものを売つたり、あつちにやつたり、とつたり……。
  353. 内藤隆

    内藤委員長 大体十六万二千ほどに当るのですが、われわれの聞いておる一カラツト当りの値段より安いようですね。
  354. 久米武文

    久米証人 それは向うの委員さんに申し上げたのですが、一個のものを私どもが持つておりまして、これはどうです、買いませんかということでやつてつたら、それは今の相場では二十万円あるいは二十二、三万円くらいまで行くだろうと思つております。しかしそれは非常に不同であります。
  355. 内藤隆

    内藤委員長 銀座の店舗くらいならどうですか。たとえば一カラツト白くて無きずのものだとどれほどですか。
  356. 久米武文

    久米証人 それはその家によつてまちまちでありまして……。
  357. 内藤隆

    内藤委員長 家による……。
  358. 久米武文

    久米証人 それは若干あります。
  359. 中野四郎

    中野(四)委員 ちよつと値段の点について……。あなたは専門家でいらつしやるのですが、時計美術宝飾新聞というものがあつて、時価が発表されている。それによればそんなばかなことはない。発表された一月十日でも三十五万円、悪いので二十二万円です。いろいろきずも大きさもありましようけれども、しかしそれはおかしいじやないですか。
  360. 久米武文

    久米証人 それはつまり新聞の発表でありまして、たとえばアメリカの国内でドビーヤスが発表しておるのでは、ダイヤモンドーカラツト当り三百五十ドルから七百ドルまでというふうに書いておりまして、それはそのときによつてわかりませんが……。
  361. 中野四郎

    中野(四)委員 それにしてもおかしいじやないですか。あなた専門家として……。
  362. 内藤隆

    内藤委員長 この間喜多村証人もちよつと触れておりますが、それから見れば半額にもひとしいようなものです。その点は少し納得が参らぬのです。なおここにある参考資料等から見ましても、今おつしやつたところの一カラツト当り最上のものが十六万二千円というのは、専門家のあなたのお話としては、承つては霊きますが、どうも少し合点が参らぬ節があります。そこで一体世界の、ダイヤの年産額というものはどのくらいでしようか。
  363. 久米武文

    久米証人 それはついこの間調べたのですが、五一年度分の年産額は千五百万カラツトになります。そのうち千万カラツトはアフリカのコンゴから出ておるのであります。それは宝石用ダイヤモンドも工業用ダイヤモンドも一緒になつた量でありまして、宝石用というのはその中の何分の一かに該当するのでありますが、その価格は、宝石用ダイヤモンドの方が半分よりも多いくらいの現状になつております。
  364. 内藤隆

    内藤委員長 専門的なことなので、委員長証人に対する尋問はこの程度で打切りますが、質疑の通告がありますから、順次これを許します。中野四郎君。
  365. 中野四郎

    中野(四)委員 まだあとに法的な根拠から明禮委員等の質問がありますから、私はあらましを伺つておきたいのです。先ほどから伺つておりますと、さすが日本でも有数のダイヤモンドに対する権威者で、その経歴等を拝聴いたしましても、われわれの非常に敬照するころが多々あるのです。ただ問題は、私少しえげつない質問をするかもしれませんが、核心に触れて行かなければならない運びの上から、お許しをいただきたいと思うのです。  あなたは、その経歴から見まして、伊勢の山田に疎開をしておられた後こちらに来られて、現在千代田区平河町二丁目六番地にお住まいのようですが、軍需省あるいは進駐軍に行つておられた当時の月給、手当、それから日銀の再調査に当られての手当、そういうものについて述べられたい。続いて現在の財産はどのくらいあるかということも伺いたいのです。
  366. 久米武文

    久米証人 申し上げます。軍需省当時の手当は今ちよつと記憶しておりませんが、大体日給五十円くらいじやなかつたかと思つております。それからあとで五百円か何か山田の方に送つてもらいました。私は割合に回数が少いので、軍需省関係ではどれだけもらつたかちよつとはつきりしておりません。  それから進駐軍の方に入りまして、最初私はアメリカ軍の雇い人だというつもりでおつたのです。それでドルに日本の円をかえるとわずかなものだというふうなことを言われる人がありまして、それでそのときは一箇月固定給千五百円、それから一日の手当、つまりその他の日当は百円ということにきめておいたのです。それから家はどうするか、食糧はどうするかという問題は、最初はアメリカ軍の方で、それは大丈夫まかなえるという話だつたのですが、それは一向実行もされず、そのままになつておりまして、それから今の手当の方ですが、いつまでたつたつて金を払つてくれぬものですから、どうしたんだと言つたところが、あなたは私どもの仕事をしている、しかしこの金は日本政府で払うのだという話です。それでこれは困るがと言つて、どこへ行つたらいいんだというふうなことから探し当てたのが外務省です。外務省へ行きましたら、外務省の方では、あなたはわれわれの方から行つた雇い人じやないから、われわれの方から金を払えぬというから、向うの将校に行つてもらいましていろいろ交渉したところが、今度は労働省へ行けとかなんとかいつて、労働省へ行きまして、すつたもんだずいぶん苦労しまして、最初一、二回はその金でもらつたのです。ところが今度はそれが東京都の方の管轄に入りまして、向うの方で固定給千五百円というと、総理大臣よりお前さんたちはよけい金をとるのだ、そんなべらぼうなことはあるものじやないというようなわけで、今の日給百円のものが生きておつて、何か知りませんけれども、大体その見当で請求してもらつてつたように思います。はつきりいたしません。
  367. 中野四郎

    中野(四)委員 大蔵省は……。
  368. 久米武文

    久米証人 大蔵省は私日給三千円をもらつておりました。
  369. 中野四郎

    中野(四)委員 現在の財産は……。
  370. 久米武文

    久米証人 現在の財産は、伊勢の山田に家が一軒あります。それから現在平河町に地所並びに家がございます。
  371. 中野四郎

    中野(四)委員 金額にして推定大体どのくらいですか。
  372. 久米武文

    久米証人 ちよつとわかりません。
  373. 中野四郎

    中野(四)委員 大体こちらの方でも実はいろいろな観点の調査資料はございますのですが、この点は重要な点ではないのですから、ただ伺つて行く過程において必要なので伺いました。ちよつと時間の関係がありますから、少しお伺いするのが前後しますが、当時営団の再鑑定人として鑑定室においでなつて、営団の買い上げたもの、すなわち百貨店等ですね、それから中央物資活用協会等で買い入れたもの、こういうものはことごとく装飾用のダイヤであつたはずでありますが、その総数は、鑑定主任でありましたあなたは御存じのはずだと思いますが、どのくらいあつたとお思いになりますか。
  374. 久米武文

    久米証人 ちよつと申し上げます。私は別に鑑定主任ではありませんでした。何かというと、あれは久米に聞けとかなんとかいう話でありまして、私も鑑定主任ならば主任のようにもつとやりたいところもあつたのですけれども、片一方に兵器行政本部のやつをずつとやつておりまして、とてもそんなゆとりも何もありませんから、私はただ参加していただけのものであります。ですから今の主任ということは当りません。
  375. 中野四郎

    中野(四)委員 それはあなたの人徳のいたすところで、しかもあなたが権威者という立場から、先ほど委員長お話になつたように、鑑定人を推挙なすつていらつしやる。いわゆる推挙をした人として自然に、あなたのお年からも、経験からいつても、手腕からいつても、主任というような立場においでなつたので、主任ではないのかもしれませんが、とにかくあなたがキヤツプでおられたことは事実で、あなたが一番下の人間だとは考えられない。平等なら平等でけつこうです。平等の責任で鑑定なすつたのでもけつこうでありますから、再鑑定人として、全国から集まつて参りました装飾用のダイヤはどのくらいあつたかを述べていただきたい。他のことはよろしゆうございます。
  376. 久米武文

    久米証人 その事務的なことは全部交易営団の方でやつております。どれだけ集まつたのか、またはどれだけの量が入つておるのか、私は全然知りません。
  377. 中野四郎

    中野(四)委員 そんなばかなことはないです。たとえばあなたと一緒におられた喜多村鑑定人ですら、その総数を知つておる。いわんや専門家で権威者といわれた久米さんが、その総数を知つておらぬというような、そんなばかなことはない。私はこんなことをここで議論をしようと思つているのではないのです。隠さぬでもいいのです。あなたに疑いを持つて言うのではなく、国政調査の見地からこれを調べておかなければならぬので伺つておるのでありまして、喜多村さんですら知つておるのに、あなたが御存じないというのはちよつと納得しかねるのですが……。
  378. 久米武文

    久米証人 ところが、私は交易営団に関係出して、それからずつと引続いてやつておりましたのが二月まででありまして、そのあと私はごめんをこうむつて、伊勢の山田の方に隠退しためです。それからあと鑑定室は、松屋の二階それから桐生の方に行つて、あそこでやつてつたと伺います。
  379. 中野四郎

    中野(四)委員 それでは私の方から申し上げますが、大体十六万カラツト買い上げてあるのです。ところがこの買上品は、その後戦争に完全に使われていないのです。完全どころか、装飾用のダイヤは実際上には使われておらぬという事実が、各証言と証挙書類によつて明らかになつて来たのであります。そこで、私は時間の関係先ほどお断りしたように伺うのだが、最後までおいでにならぬとすれば、あなたが関係なすつて鑑定をした総数量はどのくらいあつたでしようか。
  380. 久米武文

    久米証人 それはちよつと記憶にありません。なぜかと言いますと、松屋なりそれぞれのデパートから来るものは、その封のまま再鑑定所に送られまして、そうしてたしか係りの女の事務員もおつたと思いますが、それに封を切つて渡されて、そうしてその内容を検査するのでありまして、私なんかそのケースを一々ノートにとるとか、あるいはきようは何個やつたかとかいうようなことは、一向私は念頭にとめませんでした。
  381. 中野四郎

    中野(四)委員 あなたが鑑定なすつた大体の数量がわからぬことはないと思うのです。なぜかなれば、当時あなたの方で、なるほど松屋にいたしましても松坂屋にいたしましても、買つたものを個々に袋に入れまして、四枚の伝票を切つて、一枚の薄い紙にそのダイヤをくるんで持ち込んで来るのです。もちろんダイヤを買い上げるときには、御承知のように裸で持つて来るわけがありませんけれども、大体指輪とか首輪とか時計、あるいは帯留というようなものが多いのです。買い上げた松屋等におきましては、これをまず分解いたします。あなたが機械局で皇室王冠をやられたと同じように分解するのです。そしてダイヤは何カラツト、品質はどれだけ、級は一級から十級まであつたのでしようが、松屋の方は三階級くらいにしかわけておられなかつた。そうして買い上げて、あなたの方へ再鑑定を求められて行く。あなたの方には大体データがあつて、松屋からどれだけ、松坂屋からどれだけ、幾日にはどれだけ、そして自分の勤めている間だけの総計というものが出ぬわけがないのです。およそ専門家でいらつしやるあなたが、このくらいのことがわからぬことはないと思うのですが、取扱つた数字もわかりませんか。
  382. 久米武文

    久米証人 ちよつとわかりません。
  383. 中野四郎

    中野(四)委員 どうもそれは納得できませんけれども、何か調べればわかりますか。
  384. 久米武文

    久米証人 その記憶は私どもは全然何もありませんね。調べる方法もおそらくないのじやないかと思います。
  385. 中野四郎

    中野(四)委員 どうしておつたのでしようか。さつき再鑑定上の状況を委員長から話がありましたが、私らがここに証人を求めましていろいろと聞いてみましても、どうも——昭和十九年の八月といえば戦争が非常に熾烈なときなんです。陸海軍の間に相剋摩擦があつて、航空用のダイヤを相当数陸海軍は持つてつた。あなたの御関係なつていらつしやる行政兵器本部にしても艦政本部にしても持つてつた軍需省の方で必要だからわけてくれと言つてもわけなかつた従つて軍需省としては、やむにやまれず、一般国民の愛着の深い、なかなかきづなの切れない、いわゆる生命、財産に次ぐところの大きな財産の一つである装飾用のダイヤ供出を一般の国民に求めたのです。法律を定めて買い上げた。一応はなるほど供出買上げということでございますけれども、場合によりましては、強制的にも買い上げなければならぬ状態になつたことは御承知の通りです。そうしてみますれば、その伝票があなたのところに参つて、その伝票があなたのところでデータとなつて出て、来ぬとするならば、一体あなた方の鑑定というものは、ただ来たものを鑑定しては一緒にがらがらと放り込んでしまつたのですか。もう少し当時の再鑑定の事情を詳しくお話くださいませんか。再鑑定というものの要点だけでも……。
  386. 久米武文

    久米証人 そのときの再鑑定は、今の袋を開けますとそれを出して、自分の判断でできるものはその伝票と照し合せて、値段が正当であるやいなやということを何します。それからもし自分の力で及ばぬようなものがあります場合は、そこにおりますほかの人と相談しながら、これはどうも穏当じやない、これは何カラツトだから何千円というふうなところで、会議の上で、それはこのままにしてよかろうということで、それを別々にわかれているものをまた一つにまとめて、そして営団の係りの方に渡したのです。その間の手続は伝票と現物とを照らし合す値段の関係だけでありまして、あとの事務というものは全然鑑定人の方は手を触れませんでした。
  387. 中野四郎

    中野(四)委員 先ほどちよつと委員長からの質問の過程にもありましたが、軍需省においてダイヤモンドを買い上げるときに、実施要綱というものをつくつたことは御存じですね。その実施要綱のダイヤモンドを十階級にわけて買い入れるというときに、あなたは関係しておられるのですが、たとえば松屋における再鑑定は、買上げ要綱による軍需省の再検査となつているわけなんです。直接あなたが軍需省の嘱託となつ鑑定に出ておられた。だから軍需省から命ぜられたものと見てよいか、だれの監督を受けておつたと見ていいか。軍需省から命ぜられたというならば、これはたれかの監督を受けておつたか。その監督の人ならば数字を全部知つているだろうと思いますが、どうですか。
  388. 久米武文

    久米証人 その機構が監督を受けておつたんでしようけれども事務的なことは私どものところでは何ら携わつておりませんし、ただその当時やりました仕事というものは、来た宝石を見て、そうしてその買上げの伝票と照し合せて、その値段の当不当の点を見てその仕事を終つたのであります。
  389. 中野四郎

    中野(四)委員 そうすると、あなたは専門家だから数字の点は後ほど伺うとして、大きいダイヤ、特色のあるものは見れば大体わかりますね。見覚えがあれば、たとえばマレー大佐のときにあなたは証人に行つているんですが、これはぼくが再鑑定したやつだ、再鑑定しないものだ、これはマレー大佐事件のときのものだ、というようなことの記憶はありますか。
  390. 久米武文

    久米証人 それは特殊なもので、特殊の注意を引いたようなものはあるわけでございまして、マレー大佐のときの証言もそれによつてつたわけです。同時にあれは私だけの記憶のみではありませんで、その当時の鑑定がたくさんアメリカの……。
  391. 中野四郎

    中野(四)委員 わかりました。そこで私はここに伺つておきたいのですが、先ほど委員長質問の中にもありましたでしようが、一つだけ大事な問題が抜けておりました。すなわち日本銀行の中で、今度また接収解除になつてから再調査をいたしました。これは申すまでもなくあなたが主任です。今度は明らかに主任です。そうして当面の責任者です。ところが再鑑定をなさつて、中ですつかり今度は整理をされた。ここ数日前に終つたはずであります。そうしてみると、日本銀行の地下室の中にある大蔵省の国会に報告して参りました十六万一千カラツトというダイヤモンドは、当時買上げの装飾用ダイヤがどのくらいであつて、工業用のダイヤがどのくらいあつて、あるいはマレー大佐事件の当時向うに持つて行かれたか、あるいはその品物が日本銀行の中にあなたが再鑑定のときにあつたか、この点をまず伺いたいと思います。もしさしつかえなければ、日本銀行の調査に当つた経過を、つまびらかに説明していただきたいのです。
  392. 久米武文

    久米証人 今の接収解除になりますということは、平和条約少し前まで知りませんで、われわれはみんなあれはとにかくぶんどり品で、それぞれ価格によるか数量によるか、みな連合国の連中が持つて外国に行くものだと信じ込んでやつてつたのです。ところがあのあとで接収解除になり、大蔵省に返すのだということは私は知りませんで、新聞で初めて私は知つたんです。それでああこれは、平たく言いますと、うまいことになつたなと思つたくらいです。それで今の薙ぎの点ですが、その引継ぎは、…。
  393. 中野四郎

    中野(四)委員 引継ぎではないのです。あなたは、特殊のダイヤモンド等をば一応鑑定することが商売の勘で、たとえていえばマレー大佐の事件のときのような、特定のダイヤ日本銀行の地下室に入つておるかどうかということは、あなたが鑑定したのだからすぐわかる。だから戦争中に賢い上げた装飾用のダイヤが、十六万一千カラツトの中に一体どれだけあつて、工業用のダイヤがどれだけあつた、あるいは十六万カラツトことごとく、品質の上下があつても装飾用のダイヤであるかどうか、これを伺いたいと言つたのです。
  394. 久米武文

    久米証人 あの十六万一千カラツトと称するダイヤモンドのほとんど大部分は、ほとんど全量といつてもかまいませんが、ほとんど大部分は、よかれあしかれきりこをつけた宝石用のダイヤであるのであります。しかしそれの不良のものは工業用にしかならぬ、こんなものを出しても値段も何もありはしないというふうなものはかなりありますけれども、ほとんど大部分は、名をつければ宝石用のダイヤであります。  それから今の交易営団当時に買い上げたものに対する石の見覚えがあるかどうかという御質問でありましたが、実は最初の整理を終つてから、今度の大蔵省の引継ぎまでの間は、断片的には私は必要に応じて何しましたけれども、見たことはないのです。今度初めて全部のものを見たわけなんですが、そのうちにもマレー大佐のときのダイヤも二個ばかり出て来まして、その二つのものは、マレーのときに、一つは松屋さんで買い、また一つは再鑑定にまわつて来て見たことのあるダイヤモンドです。これはいずれも色とかきりこに特徴のあるものでありまして、二個ばかりははつきり覚えております。それからほかに松屋の再鑑定のときに真黒なダイヤモンドがありまして、そのダイヤモンドは、ある店でかぎつけて値段の立て方がないというので、それを再鑑定に持つて来て、みんなで評議して、これはどこから出た石でどうしたのだからというわけで、これは幾らにお買取りしたらよかろうかというふうな相談で、これくらいならいいでしようという値段をつけたのでありますが、それも入つておりました。あるいはまだほかに若干あるかもしれません。
  395. 中野四郎

    中野(四)委員 そうしますと、久米さんの今のお話を結論づけると、十六万一千カラツトある日本銀行の地下室ダイヤを再鑑定したところが、一部分はとにかく、大部分のものがよかれあしかれ装飾用のダイヤであるということは間違いないですね。
  396. 久米武文

    久米証人 ええ、大体間違いないと思います。
  397. 中野四郎

    中野(四)委員 ここの委員会は、御承知のように宣誓をして御証言を願います。虚偽の証言のあつた場合においては、適当なる処置がとられることは御承知の通りであります。はなはだきびしい、過酷な取扱いのように考えまするが、特に行政面の適正なる運営が行われておるかどうかということを厳重に監察する国会の役割から申しますれば、やむを得ざることだと思うのです。なぜ私が装飾用のダイヤが大部分であるかということを伺つたかといえば、交易営団、中央物資活用協会、その他四百五十に余るところの九月三十日までに接収解除による貴金属等の数量等を報告する法律というものが、国会の議を経まして昨年公布されたのであります。その九月三十日までに全国から報告して来たものが四百五十数件あるのです。ところが交易営団あるいは中央物資活用協会というものは、たくさんの数量を申告しておりますが、その申告の中には、非常に多数の工業用のダイヤがあるとしるされておるのであります。こまかいカラツト数における一般の接収をされたものは、装飾用のダイヤが大部分でありまするが、この人々の証拠書類を付しての申告は、非常に多くの工業用ダイヤがあるというのです。これが今のお説から参りますれば、日本銀行の地下室にはちよつと見当らぬように感じられまするが、これは工業用ダイヤ、工具についたものもありまするし、ついていないものもあります。あるいはこれは途中ではずされたかもしれませんし、途中外国の略奪品として返還しておるものもありまするし、ないしは三万数千カラツトが国内の進駐関係の業者の方に払下げを受けておるものもありますから、その総数を換算して行かなければつまびらかには言えませんけれども、とにもかくにも、日本銀行の地下室には、そう多数の工業用ダイヤはないということだけはお認めになりますですね。
  398. 久米武文

    久米証人 それは認めます。
  399. 中野四郎

    中野(四)委員 そこでさらに伺いたいのですが、マレー大佐の事件でありまするが、今の御証言によりますと、一、二のものが見当つたと言つておりまするが、当時横浜の第一号法廷でございましたか、多数の私の知つておる鑑定人も行つておりましたが、中には四カラツト七十なんというような自分の家で買い上げたダイヤが、一つのきめ手になつたとも言つておる人があるのです。ところが当時マレー大佐の事件は、向うの軍の裁判でありまして、日本の方でつまびらかにすることができないのです。従つて久米さんは向うにお行きになつたならば、ダイヤの総数はごらんになつただろうと思いますが、どのくらいのカラツト数であつたでしようか。
  400. 久米武文

    久米証人 それは、最初何ということはなしに横浜へ連れて行かれまして、そのときには、私のほかに鑑定人が三人でしたか、二人でしたか知りませんが、一同で横浜の税関の会場に行つたことがあります。そうしたところが、いろいろな包みを出して来て、これをみんな見て規格による評価をしてくれという話で、そのときにみな目方をかけ、それからそれぞれ区分もして、別々の袋に納めて来たのであります。そのときに、みんなそれとなしに、何だかこのダイヤはちよつと見たことがあるようなというふうな意向を——私もそう思いましたが、あとの人も持つておりました。ところがそのダイヤは、どんなダイヤであるということは、私は全然知りませず、また向うも言いませず、そうしてしばらくしたところが、例のマレー事件が発表になりまして、そしてほとんど一週間ばかりというものは、向うの法廷に毎朝連れて行かれまして、カン詰になつたわけなんですが、私は法廷に二回ほど証人として出ております。そのときの一番大きな石が十八カラツト四十四でしたか四十七でしたか、それからその次のが十カラツト四十七でしたか、これがそのいわくつきの石なんです。大きなのはちよつと何しませんが、それから今お話の四カラツトの何とかいう黄色い石は、私はちよつと気がつきませんでしたが、ほかの人が、これは私がこの人に売つて、売主に引渡したという話なのです。それでむろん向うのことですから、私などがそのメモをとつたり、その計数をとつたりするということはいたしませんでした。そのまま引渡したのですが、あとで日本タイムスには、目方は出ていませんでしたけれども、それは五百二十何個という石であつたということを私記憶しております。日本の新聞にも出たのであります。
  401. 中野四郎

    中野(四)委員 そこでこの十八カラツト四四あるいは十カラツトというのは、相当りつばなものだと思います。こういうようなダイヤ日本銀行の地下室にございましたか。
  402. 久米武文

    久米証人 ございます。
  403. 中野四郎

    中野(四)委員 当時、日本の新聞の方は私は記憶いたしておりませんが、向うの新聞に載りましたものにしましても、とにもかくにも大体の個数は五百二十数個にいたしましても、どのくらいのカラツト数になりましようか。おおよそでけつこうです。
  404. 久米武文

    久米証人 マレーの、ダイヤモンドですか。
  405. 中野四郎

    中野(四)委員 そうです。
  406. 久米武文

    久米証人 それはちよつと見当がつきませんが、とにかく今の四カラツト以上のものは個数が割合に少いのです。あとは非常にこまかいものがずいぶんありまして、なぜこんなものを持つていたのだろうというふうな、いわゆるローズ級のものもありました。こういうのはもつと数を少くして、大きいのを持つていたらどうだと、これは冗談の話なんですけれども、そういうふうな状態でありました。
  407. 中野四郎

    中野(四)委員 マレー大佐という人は、一体日本で何をやつていた人でしよう。そしてマレー事件の発覚した端緒はどこにあつたのでしよう。
  408. 久米武文

    久米証人 それは、私は知りませんが、新聞なり、聞いたところによりますと、マレー大佐は、日本が占領されてから、最初のCPCの銀行関係の隊長だつたのです。それから私たちがあの仕事を始めるときにはいなかつたのです。それで一、二箇月したらまたマレー大佐が帰つて来まして、われわれの方の隊長になつたのです。
  409. 中野四郎

    中野(四)委員 ちよつと参考伺つておくのですが、タイヤというものは、かりに一カラツト最特級のものが三十五万円するとしますね。そうしますとこれは一カラツトなり二カラツトあるいは三カラツトと大きくなるに従つて、二十万円のものが三カラツトあるから六十万円というのではなく、もつとぐつと値が上りますね。そして十八カラツト四四なんというダイヤは、これは名古屋で買い付けたダイヤということは聞いておりまするが、時価どのくらいするものでしようか、日本の相場で。あなたは東美連合会の顧問をしておられたのだから、たとえばほしいという人があれば、幾らでも高いものでしようね。それからいらない者に持つて行けば、これは安いでしよう。商売人のお互いの取引はありましようが、時価相場というものがどこにでもあるでしよう。
  410. 久米武文

    久米証人 それはその人の見解によりまして……。
  411. 中野四郎

    中野(四)委員 あなたの見解はどうですか。
  412. 久米武文

    久米証人 私は、あの石は、切り方は非常にいいのですけれども、色が非常に強いのです。かりに私が商売をしておりまして、あれを買うとしたら、かなり安くなければ、いつ売れるかわからないものですし、日本ではああいうふうな石はあんまり大き過ぎてちよつと用途がないのです。ですからその点を考慮して、値段がどういうくらいのところでつくものだということを押えるより、しようがないと思います。
  413. 中野四郎

    中野(四)委員 商売人の中で売買したら、およそどのくらいですか。
  414. 久米武文

    久米証人 あの品質ですと、カラツ当りが七、八万円のものじやないかしらんと思うのです。大体においてああいうものはカラツトで幾らというふうなことになつておりませんで、十八カラツトあるけれども、一個幾らというふうになつて来るのです。
  415. 中野四郎

    中野(四)委員 それはそれでよろしゆございますが、そこでちよつと伺いたいのです。私はさる方面から聞いているんですが、あなたは日本銀行の地下室ダイヤを再鑑定なさつて、AからFといういわゆる先ほどの価格をつけた。きめられたことはけつこうですが、何か値段をつけられたということですが、どうですか。
  416. 久米武文

    久米証人 それは先刻委員長さんの方に申し上げておきましたが、いろいろ調査の結果、標準価格を表にしてこしらえまして、それを進駐軍の方に提出してあるのです。
  417. 中野四郎

    中野(四)委員 進駐軍ではないんです。私の申し上げるのは、日本銀行の地下室で、今度大蔵省が接収解除になつて渡してもらいましたダイヤをば、あなたにもう一ぺん調査してもらつたでしよう。
  418. 久米武文

    久米証人 そうです。
  419. 中野四郎

    中野(四)委員 それがここ二、三日前に終つたんでしよう。そのダイヤについてさらに値段を付せられたという話ですが、その時価相場というのは、どこの時価相場ですか。
  420. 久米武文

    久米証人 その時価相場は、大体において新規に私以外の人の評価に重点を置きまして、同時に今の進駐軍の方の一九五〇年の評価、それからこのごろの外国相場を大体標準にいたしまして、それでいろいろ必要に応じて相談しながらこの相場をつけた。
  421. 中野四郎

    中野(四)委員 だれに相談なさいましたか。
  422. 久米武文

    久米証人 その評価鑑定人の相手です。
  423. 中野四郎

    中野(四)委員 そうすると、あなたが推挙なさつた三人の方ですか。
  424. 久米武文

    久米証人 そうです。
  425. 中野四郎

    中野(四)委員 巽、松井、もう一人の方、それからあなたの四人で……。
  426. 久米武文

    久米証人 五人です。
  427. 中野四郎

    中野(四)委員 あとはだれですか。その方と相談して、相場をつけたんですか。
  428. 久米武文

    久米証人 そういうわけです。
  429. 中野四郎

    中野(四)委員 そこでちよつと伺いたいんですが、私は久米さんという人の人格は、りつぱな方だと信じておりますから、決してあなたを疑うのではありませんが、とかくこういうような莫大な財物を取扱つておられますと、取巻き連中と言いますか、心やすいのが来まして、いろいろつけ知恵をしたり、情報を入れたり、また聞いたりする。それはあなたが先ほどおつしやつた通りなんですが、ところが今度この十六万一千カラツトの大部分の装飾用の、ダイヤモンドが、たとえばその所有が国家のものになりますか、交易営団のものになりますか、中央物資のものになるか知りませんが、いずれにいたしましても、この品物が一旦払下げになるということになりますと、これは日本——日本ばかりでなく、近いところの外国のダイヤモンドの相場は狂うだろうと思うのですが、財産に相当影響するわけなんです。そこでこのダイヤの値段を維持するということが、善意の意味で、いい意味では値段を維持し、お互いの財産を保護するということはだれでも考えることで、ふしぎには思いませんが、ややもすると、現在の鑑定人と一般宝飾商の間におきまして、いずれ払下げあるものという仮定のもとに、これを有利にまわして行きたいという考え方で、近来縦横の連絡を緊密にするという美名のもとに、各宝飾商が組合をつくろうとしております。現に結成されました。一月の下旬には結成されたことが明らかになつております。しかもあなたが先ほどおつしやつた鑑定人である巽君にしましても古川君にしましても、この払下げダイヤを目標とする組合の中心人物として、しかも役員として現存しておるのですが、私はこれを非常にまかふしぎに考えるのです。正しい見地から言えば、自分らは政府に手腕を信頼されて、国家の財産である莫大なるダイヤモンド鑑定という重任に当りながら、当然先ほど申し上げたような払下げ過程におけるところの、これを受入れるという受入れ態勢を目標として、その名分はともかくも、組合をつくつた組合の中心人物になつておる人間と一緒にあなたが鑑定をし、しかもその価格をば、相談をして標準価格をつくつたということになれば——あなたはおそらくそういうことはありますまいけれども、ちよつと私はこれは国民が了解いたしかねると思うのですが、この点については、久米さんはどうお考えになつていらつしやるか、所見を伺いたいと思うのです。
  430. 久米武文

    久米証人 今の組合というものは、さきごろ結成されました全国一丸の組合だろうと思われますが、これに対しては、私としましては何らの興味もなければ何もないのです。むろん創立総会か何か言つて来ておりましたけれども、私は会合だとか、予備会合などには一ぺんも出たことはありませず、同時にあの中に名前があるとすれば——私は知りませんが、あるとすれば、それはつき合いだから私に一株だけ入つてくれ、それじやよろしゆございますというので、本人同士で入つておく承諾証だけは郵便で送りました。
  431. 中野四郎

    中野(四)委員 日本銀行の地下室ダイヤモンドに対する再調査をしようとされましたのはいつごろでしたか。
  432. 久米武文

    久米証人 それはおととしになるだろうと思うのですがね。
  433. 中野四郎

    中野(四)委員 ほんとうのことを話していただきたいのです。たとえば、昭和二十六年の六月の十九日にこの、ダイヤモンド進駐軍の手から日本政府の手に渡つて、大蔵省においては、大蔵省の直接正式の官吏ではありませんが、大体その調査にかかつておるでしよう。あなたがごらんになつた通り、昭和二十六年の六月十九日付の判が押してあります。進駐軍の係の者がいればともかく、大蔵省の者の判が押してあるのですから、解除にならないことはない。事実上の接収解除は、形式上は昭和二十七年の四月の二十八日でありましたけれど、実情においては昭和二十六年の六月の十九日に、もはや再調査にかかつておるのです。あのダイヤを、進駐軍の命なくして、大蔵省の依命によつてなぶつておるのです。従つてこのダイヤに関する限りは、国民の手から交易営団、中央物資あるいは松尾を経て政府に吸収される間、二、三箇月の疎開の期間はあつたかもしらぬが、ことごとく久米さんの手に触れないものはないと言つても、私は過言ではないと思うのです。御苦労ではあつたと思いますが、とにもかくにも、今申し上げるように、正式に五人の人間を推挙なさつて長い間ずつとなぶつていらつしやる。従来三人でありましたのを、大蔵省がさらに二人推挙してくれというので——あなたは従来一緒に鑑定した三人の人間を推挙したが、さらに新しい人を二人推挙しておるのです。あなたとこの人たちと合せて六人で、日本銀行のダイヤを再調査することになりました日にちはいつからでございますか、これを明確に言つていただきたい。
  434. 久米武文

    久米証人 ちよつと記憶いたしませんが……。
  435. 中野四郎

    中野(四)委員 そん古いことじやないですよ。私が大蔵委員会から日本銀行の地下室に参りまして、そしてあなたの手でダイヤモンドを開いたいただきまして拝見をいたしました。その後月はかわりましたかどうか、日ならずして、行政監察委員、長の内藤君初め各委員諸君が同じように行つております。まだ新しいことなのです。私らは当時の実情については、大蔵省に行つて調査をしております。また書類も持つておりますけれども、あなたがお忘れになるほどの御年輩でもなければ、また日にちもそうたつていない。六人で再調査するようになつたのはいつからですかとこう言つているのです。どうぞ御記憶を呼び起してくだすつてけつこうですから……。おかけになつてどうぞ。少し私は声が悪いものですかお聞きにくいと思いますが、これは生れつきですからどうぞお許し願いたい。
  436. 久米武文

    久米証人 それはあとから電話なり何なりで。
  437. 中野四郎

    中野(四)委員 ちよつと困るのですが、今思い出せるはずです。日にちはいつの何日でなくもけつこうです。何月ごろ程度でけつこうです。まだ日にちが浅いのですから、そんなにお忘れになるほどの古い時間ではないのですから、今度再調査をあなたがお終りになつて、終りは知つているから初めを知らなければならない。あのときはどうであつたか、何月ころであつたかということ、初めがあつてしつぽを知らなければならない。しつぽだけがわかつて頭がわかつていない、それなんです。
  438. 久米武文

    久米証人 とにかく昨年末に近い月でしたけれども、ちよつと明確にお答えできません。
  439. 中野四郎

    中野(四)委員 大体それでいいのです。とにもかくにも私の尋ねる本筋は、御承知のようにこの組合の連中、宝石商の連中は、あなたも御承知の通り非常な関心を払つておりますよ。私し申し上げるのもおかしいくらいなのです。一挙一動に対して関心を払つております。先日喜多村証人を喚問いたしましたときは、国際日活会館の地下室の濱野金属店で、組合員が鳩首協議しておつた事実がある。それほどにお互いに業者は、日銀ダイヤ払下げについては重大なる関心を払つております。だからこそ組合をつくろうと運動したのは、ことしの一月や去年の暮れじやないのです。この問題は昨年の半ばごろに大きく取上けられた。私が大蔵省委員会において五月、六月、七月と、この問題について大蔵省といろいろ折衝をいたしました当時から、すでにダイヤモンド商の間には物議が出て来た。当然この問題についての関心は、先ほど申し上げたように払下げ後の財産維持、これによつて大きな利益を得ようとするのは人情で、それを悪いとは言わない。ただ過程が悪い。相手が悪い。今日日本銀行の地下室にあるダイヤモンドは、戦争に勝ち抜きたいという一心に基いて、涙をのんで国家のために供出したダイヤモンドである。国家のために供出したこのダイヤモンドは、たとい不幸戦争に負けたりといえども、この品物が中間における一商人の利腹をこやすようなことがあつてはならない。あなたでもそうだが、国家のために捧げたものを国家がこれを受入れ、国家のために働いた人人にこれをわけ与えてやるというあたたかい政治を顕現するのが、政治のほんとうの姿である。正直者がばかを見ないような政治をしなければならないということは、あなた方が常々口におつしやることです。ところが商売人の連中は、それはそうだが、とにかく目前十六万一千カラツトという莫大なダイヤモンドが出て来れば、自分の持つているダイヤの値が下つてしまう。これは外国資本——これはいろいろなことが伝わつている。中華民国人が、あるいはフランス人ということが言われているが、莫大な外国資本のうしろの応援を得てでも、この品物は何とかして安く、しかも自分らの利益を大きくするために買い入れたという考え方にだれだつてなる。あなたは、先ほど私が聞いて、おつしやつたが、その鑑定人である。しかも一番重要なる関係を持つておられる人々が今度の組合設立の役員になつたというのは、どう考えても私どもは納得できない。特に古川君などはあなたが推挙なさつた人でしようが、その人が今度の会長になつているじやないか。ダイヤモンドの払下げの組合をつくつたといつては過言かもしれません。その人々はきつと、いやそうではないんだ、貴金属商が今日まで全国的に縦横の連絡がとれていなかつたから、この大同団結をはかるために、統一をはかるために組合をつくつたんだといわれるかもしれません。しかしながら、それはそちらの主観であつて、客観的情勢は決してそれを許さない。少くとも日銀のダイヤ払下げに対して、先ほど申し上げたような自分の財産維持、あるいは安くこれを払い下げるという感覚に立つて組合をつくつたと見られても、私は決して過言でないと思う。その点商店業の人間が、あなたがいわゆる推挙した人間と相談して相場をつくるなどということは、どう考えても常識ではありません。あなたは組合をつくつたことを知らぬと言われるが、そういうことは、あなたの人格から、深いことはあるいは言わぬかもしれませんが、おおよそあなたぐらいの明敏の士であれば、察することができると思うのですが、どうですか。ここは法廷でもありませんし、検察当局でもありませんから、とかくのことは申しませんけれども、どう考えたつて常識で考えられるような御答弁を願わなければ、私らとしても納得できません。このことのために、われわれは心血を注いでおるんです。あなた方から見ればきわめて微弱なる材料であるかもしれませんが、全国のデパートから、あるいは全国の銀行、あるいは当時供出をした人々等から、あらゆる証拠書類をここに結集してお尋ねしておるのですから、決してあだやおろそかでお尋ねしておるんじやないんです。決して私は、あなたからダイヤモンドを一粒ももらうわけじやないんです。そういう見地から、あなたもひとつ自分の考えたままでけつこうです。あなたが中にタツチしたとは私は考えたくない、また考えられないけれども、あなたを取巻く人間が、あなたのところに来て、情報といいますか、いろいろな話をしたり輿たりして、どうだつた日銀のあれは、いやそういいのはないぞ、いやこういうのもあつたけれども、どのくらいの値についていますか、こんな相談が右左に飛ぶのが宝石商の世の常じやありませんか。早耳をもつて聞えておる宝石商の中で、特にその方面の権威でいらつしやるあなたが、組合をつくることをば、昨年の暮れ前のことを御存じないことはない。その組合の目的は何だと思えば、その張本人の中から鑑定人を選んで、その人間に値段の相談をするというのは、あなたが軽卒じやなかつたんでしようか。あるいは何かあなたが意図することがあつて、いやそうじやない、おれには心に決することがおるといつておやりになつたのか、この二つ一つだと断定を下さざるを得ないのです。この点について久米証人の明確なる御答弁を願いたいと思うのです。
  440. 久米武文

    久米証人 今のお話を伺うのは、本体こまかいことは初耳であります。和は一、二の人の推薦はしませんでしたけれども、大蔵省の方へ意見として出したのですが、あるいは軽卒のきみがあつたかもしれません。
  441. 中野四郎

    中野(四)委員 というのは、これもまた関連して参りますが、どうも私は近ごろの大蔵省の役人の動向が納得できないのです。これはあなたに言うべきじやありませんけれども、どうも納得できない。国民のよき公僕としての官吏、公吏の本分を尽しておらない。ややもすれば在職中に大いに徳を施して、退職後においては適当なる利益表得よう。直接の贈賄、収賄はないけれども、巧妙きわまる合理的贈賄、収賄が近ごろはやる。というのは、どうも私がふしぎに思うのは、官吏や公吏で十年、二十年まじめにお勤めになりましても、なかなか貯金というものはできぬものなんです。近来ふかしぎなとに、戦争中あるいは終戦後に相当な要職にあつた官吏が、莫大な費用を伸つてどんどん選挙に出て来ることなんです。もちろん徳があり、自分の財産があるだろうと思いますけれども、あの人がと思うような人が一千万、二千方という、われわれが聞くと愕然とするような金額を使つて選挙をする。これは私の邪推かもしれぬが、在職中に金のやりとりをすればただちにひつかかりますから、在職中には大いに徳を施しておいて、退職後においてそういう場合に役立てる、巧妙なる合理的贈収賄があるんじやないかと思えるのです。事実あるんです。現に参議院に当選した人の中で、一人、二人はそれがために刑を受けておる人もあるんですから、ないということは断言できないのです。どうも私がふしぎに思うことは、たとえば先ほどあなたがおつしやつた吾妻という人でおります。この方は大蔵省の役人として、あなたが、毎日日本銀行の地下室に来られたと先ほど証言になりました。ほとんど毎日といつていいほど来た。私の方の調べたデータによりますと、日本銀行の地下室には何年の何月何日、何の用事で何回というような統計がとつてある。残念ながら、吾妻という方は昭和二十七年の九月中・十月を含めてわずかに三回しか入つてないという判の押し方なんです。これはどういう形をとられたか、この点は深くつくところではありませんが、どうも私らが納得の行かないのは、大蔵省の役人に少し納得の行かぬ者がある。あなた方とどういう関係を持つておられるか私にはわからない。あなたはないでしようが、ほかの人はわからぬ。たとえば、あなたが古川君の名前を参考として言うたところが、ただちに委命された。昨年六月から大問題になつておりますダイヤモンド事件の再調査を委嘱するのには、ただ久米さんの推挙の言葉だけを信用せずに、その身元を調査して、現在彼は何をし、過去においては何をしたというような経歴等を調べてから内定するのが、あたりまえであります。にもかかわらず、今のような役につくということについては、どうも納得できないのですが、これもいずれ機会を見て伺つて行くことにしまして、先に進んで参ります。  もう一つふしぎなことがあるのです。ダイヤモンドを松屋で買い上げますね。そして一応松屋の鑑定します。お宅の鑑定室は六階でしたね。そこへ持つて参ります。あなたの方は袋に入つたものをあけて、何カラツトどれだけというのでこれを鑑定します。日本のはかりは使つているのはたいてい百分の一だろうと思う。二十カラツト限度器の百分の一でしよう。そこでこれだけの品物をはかりにかけますと、これが一カラツト二三と目が出ます。ところが、はかりにかけると正確ではあるが、辛い甘いというのがあります。かりに辛い甘いがなくても〇・二けたしか出ないから、もつと精密に行けば三けた、五けた、七けた出なければならないが、現在のはかりではなかなかそうは行きません。そうしますと、一カラツト二三あつたものを松屋からお買いになつて、あなたの鑑定室まで持つて参りましてあなたの手で鑑定をなさいます。はかりにかけてみて一カラツト二三、間違いない、質においても大体よろしい、こういつて一緒になさいますね。これは私の問うところじやないんです。ところがこれが全国から何千個、何万個と集まつて参ります。そうしますと、いわゆるはかりの出目というものが、一個々々の場合は出ませんが、集積されれば相当たくさんの出目が出るはずであります。これはだれにも金を払つておらない、いわゆる不労所得です。松屋の方で聞いてみると、残念ながら私の方は、袋に入れて個々の名前を付して鑑定室に持つてつたから、鑑定室において適時処分したものと思う、というので、先日喜多村さんに来てもらつた。喜多村さんに聞きますと、松屋の証言はその通りであつて、私の方でもちよつと甘いくらいに思つても、まあ、松屋さんの言う通りの数字で、営団の指定する金庫へ持つてつた、こういうのですが、そうしますと出目というものは不労所得ですね。全然金を払わないで出た相当数の出目というものは、どういうふうになりましたでしようか。この取扱いがどういうふうになつておるか御存じありませんか。
  442. 久米武文

    久米証人 それは存じません。
  443. 中野四郎

    中野(四)委員 御存じない。
  444. 久米武文

    久米証人 はい。
  445. 中野四郎

    中野(四)委員 出口の出ることはわかりますね。
  446. 久米武文

    久米証人 それは日常われわれが取扱う場合において、一包み百個単位になつておりまして、百個ならば必ず百個あります。マレー大佐の場合にも問題になつて、これは釈明しましたのですが、てんびんには公差があります。しかし、公差というものも百分の一とか二とかごく少いものです。その百個なら百個というダイヤモンドを、かりに一個ずつ分割いたします。そうすると、それがかりに百個で百カラツトのものならば、絶対同じものであると仮定しますと、みんな一カラツトのものがずつと出て参るわけなんです。商売上の売り買いとしまして、お客さんの方では目方が足りないのはいつも苦情が参りますので、大体十なら十というものを分割して一個ずつにしますと、かりに一カラツト二十二あるものでも、かつきり二あるものは二で通しますが、一カラツト二十二からちよつと弱いなと思うものは、一カラツト三十一に下げてしまうのが常識なのであります。それで、これはPXへ入つて行きます場合も、大体そういうような慣習によつてつております。そうしますと今の一カラツトのものを分割した場合には、つまりその差額がだんだんと堆積しますと、それは九十九カラツト、——そんなにたくさん違いはしませんが、たとえば九十九カラツト九十幾つとなるような場合が往々生ずるわけであります。そこで今の松屋さんの場合にも、あるいはそのときの便宜上から、一厘か半厘ぐらいは切り落してやつたのもありましようし、あるいは切り上げてやつたものもありましようけれども、全体としては、そんなに間違つてかけていない以上は、そんなになにはないと思います。
  447. 中野四郎

    中野(四)委員 もう二点伺つて私は他の方に譲ります。そこで、先ほどちよつと聞きました、ダイヤを持つて参りますときは裸では持つて来ません。つまり、私は名前は知りませんが、猫晴石とかあるいは何とか、いろいろな石がたくさん集まつて来たのを、それだけはいらぬといつて返すわけはないですから、大体それを買い上げたのでしよう。それが交易営団の方では、連合軍に押えられたといつておるのです。ところが大蔵省の方からは、接収解除になつた貴金属といつて、石というのを除いておるのです。これはなかなか役人はうまいのです。貴金属というのを書いて例を上げております。白金の中にも幾種類かあるようですが、いろいろなものを書いてありますが、石というものはどこにも全然載せておらないのです。ところが、石は確かに交易営団がお扱いになつたはずですが、石は鑑定なさらなかつたのですか、どうですか。石はどうして鑑定しておつたか。ただとつたものかどうか伺いた。
  448. 久米武文

    久米証人 そのときの大体のとりきめはダイヤだけが対象であつて、ほかの品物はみな返すのだ。それから地金もそのときは対象でなくてダイヤが対象だ。しかし地金は、今の白金は買上げ対象になつておるから、これは操作をするのだというお話であり、付属のダイヤ以外のものは、みな持主の方にお返しするのだという建前でありましたが、こんなものは持つてつてもしようがないから、ただ置いて行くという人もあつたように聞いておりましたし、持つて行くのはしようがないから何とかしてください。それからまた、これは何とか買上げできませんかというような場合もあつたように思いますし、それからも一つは、ダイヤモンドと、そのあとにまた別の組合関係で、ほかの方のものを集めておりますから、そういうものがチヤンポンになつておるようなものもあるかと、これは私の想像ですが思われます。それから同時に、進駐軍の保留中に、かなりものものはPXに持つてつてつたものもありまするし、それからその間にドイツ人の敵産物やなんかも相当入つて参りまして、そういうようなものは、連合軍のどういう機構になつておりましたか知りませんが、外人関係の取立てでオークシヨンで売り払つたようなこともありますから、そういうこまかいことは私は存じません。
  449. 中野四郎

    中野(四)委員 そうすると、日本銀行の地下室では、宝石は御鑑定にならなかつたのですか。
  450. 久米武文

    久米証人 やりました。
  451. 中野四郎

    中野(四)委員 どのくらいやりましたか。
  452. 久米武文

    久米証人 それは実は記録も何もありませんし、特に私はあそこで記録をとつたり何かすることは控えておりましたから……。
  453. 中野四郎

    中野(四)委員 貴金属商、宝石商というのですから、一目見れば猫晴石のこれくらいのものは幾らとか、どのくらいのものは幾らかということはわかるはずです。およそひつくるめてどのくらいか、あなたの勘でけつこうですが……。
  454. 久米武文

    久米証人 私の見たのは大部分ドイツ人の接収品で、交易営団関係のものは見なかつたように思います。
  455. 中野四郎

    中野(四)委員 ないかもしなないですね、途中でごまかした事があるから。そういうものは終戦後のどさくさにまぎれて、どこかへ行つてしまつているのです。進駐軍が入つて来るというので、やれあつちへ隠せ、あそこへ隠せということで、なくなつたものも相当あるでしようし、また地下室へ入つているものも相当あるのです。同時に、地下室へ入つているうちに、今いつたようにPXなどへ売つたものもあるかもしれないし、マレーのように持つてつてしまつたものもあるかもしれないから、あなたにお問いすることは無理かもしれないが、とにかく鑑定なさつたことは間違いない。それはそれでけつこうです。  それからもう一つ伺いたいのですが、どうも占領軍が占領当時に——あなたは先ほどずつと事こまかに御説明になりまして、やはり専門家でいらつしやると思つて敬意を表して伺つてつたのですが、向うで格づけをしたり、値段をきめたり何かを、アメリカ人が二人来て、あなたと三人で日本銀行の三階の一室を借りていろいろ選別なさいましたが、何のために値段をつけたり、何のために連合軍が品質をわけたりしたのでしようか。当時あなたの感覚からはどうでありましたか。
  456. 久米武文

    久米証人 その意図は私は関知しませんし、また一向明らかにしませんが、それをやるという根本の意味は、初めてあそこであれだけのダイヤモンドを見まして、ああこれはもつたいないことだ、これはみなとられてしまつて、アメリカなりその他の連合国にぶんどり品としてわけどりされるのだろう、それならばそのときには、きつと今の数量とか値段も、それをやつておかないとわけようがないのですから、その便宜上やるのだろうという気持と、もう一つは、わける以上はやはりどこが何割、どこが同割ということなりますから、それの基準をこしらえるようなことではないかといつたような観念もありましたし、また向うがこういうことなら、できるだけひとつ外国人に対して、あとで封鎖か何かになつた場合に笑われぬようにと思つて、その観点からやりました。
  457. 中野四郎

    中野(四)委員 連合軍が日本に来て、あらゆる物品を指定して接収した。接収という言葉は、日本語に直訳しますとなかなかむずかしいのです。元来陸戦法規からいうと没収というのです。あなたの先ほどの言葉にぶんどりになつたということが出ておりますが、ぶんどりになつたわけです。従つて日本のものを一時預かつておいて日本に返すというなら、あなたにまかせておけばいいことで、アメリカから専門家が二人も来てこれを鑑定するというからには、賠償のかわりにアメリカに持つて行く、こういうような気持は起きませんかどうか。
  458. 久米武文

    久米証人 それは起きておりました。言えませんでしたけれども、ひそかに私は思つておりました。
  459. 中野四郎

    中野(四)委員 そうなくてはかなわぬと思う。国際情勢がかわつたから、アメリカは日本からきびしい賠償を取立てることによつて、日米の間に大きな影響があつてはならぬという感覚と、でき得るならば、早いところ日本をばある程度の線まで進めなければな、らぬから、今度講和条約が結ばれた諸交戦国の間において、賠償等をなるべく軽くとるようにという見解に基いて、アメリカがまず賠償をとらないという見本を見せたんじやないかと私は思うのですが、これは通俗の見方でありまして、当時アメリカから二名の専門家が来て、これを価格づけたりするような状態から見れば、やはり賠償に持つて行くという意図があつて、接収はあくまでも没収である、陸戦法規によるところの没収である、こういうふうにあなたが感じられたというのは、私は日本人としてまつたく同感であります。  最後に、私は一点だけ伺つておきますが、現在日本中に大分ダイヤが流れております。御承知の通り銀座なんかの貴金属商は、相当えらい数を持つております。表面には出しませんが、たまにぼつりぼつり大きいやつを飾つ客寄せにしております。考えてみます争中に愛国心に訴えて供出を求めた。予想はどれだけということは関係人が死んでしまつてわかりませんが、予想の九倍というのだからおよそ察することができますが、十六万カラツト近くのダイヤモンドがとにかく一応集まつたわけであります。そうしますと、現在ダイヤモンドを持つてつたりそれを売つたりなんかする人間は、昔から持つてつたとすれば、これは愛国心の欠如の人間で、戦争に勝ち抜きたいといつて陛下みずからが御下賜品お下渡しなつたくらいの時代に、ダイヤを売らなかつたやつは、よほど愛国心の足らなかつたやつだと私は思う。あるいはそうでないとすれば、大体日本中のものが出たとすれば、現在流れておるこの多数の、タイヤは、結局密輸入か何かで入つたかなという感じも、しろうととして感じられる。けれども、現在の価格からいいまして、向うから日本に持つて来て売るようなばかはいません。だから密輸入にしましては、少しダイヤが多過ぎる。それからかりに、戦争中にせつかく買い上げられ吸い上げられたものが、途中で何かの間違いであつちこつちへ流れたといたします。横流れをした、盗まれた、紛失をした、そういうようなものにしましても、いずれにしましても、日本では戦争中から今日に至るまでダイヤは輸入禁止になつておりますから、この輸入禁止になつております、ダイヤがこのようにたくさん流れておることを、しろうとである私らが考えますと、ちよつとしろうと常識で、この三つの不正なルートーまあ不正と言つていいのですが、不正なルート以外には入つて来ないと思うのですが、あにはからんや今日日本中の貴金属商の現在調べさしておりますが、私がこの間喜多村証人を呼んだその晩から、東京中のダイヤが大分地下にもぐつたようでありますが、とにかくわれわれの方ではあらゆる手を使つてこれを調査いたします。現在調査中でありますが、このような多数のダイヤがどうして国内に流れておるかということについて、最後に唐門家でいらつしやる久米さんの忌輝のない率直なる御意見を、国家のためにこの国会で述べていただきたいと思うのです。
  460. 久米武文

    久米証人 今の密輸入とか外国人が持つて来たというふうな点は私は存じませんし、また表面から観察しますと、そういうことはあるべきことではないのです。しかじ交易営団当時に供出をせられなかつた人、あるいは供出する機会を逸してしまつてつてつた人は、このたくさんの中に相当あるだろうと思う。けれども、それがみな家を焼かれて、大事に自分の移動可能の財産として持つてつたり、それから奥さん方がいかほど強制的に供出せいと言われても帯どめなりかんざしといつたものはなかなか愛着心が強くて、そう出せるものではないです。それが相当あるのじやないかと私は思う。それが今度の新円切りかえから、インフレで生活に困つてだんだんと売り出して来るのが大部分じやないかと私は思います。かりに銀座の三越のデパートメントのシヨー・ケースにあるダイヤは、一片は五十万円、百万円といいますけれども、数にして何ぼのものですか、大した問題ではありません。あなた方は一片のものを見て、これは五十万円だ、これは百万円だといつた場合に、あああすこにあんな大きなダイヤモンドがある、すべての財産があるというように思うけれどもダイヤモンド、われわれ一生懸命で十割関税を突破した、その翌々年には昔の円で七百万円ぐらい入つておるのですから、明治年間から今日にかけてずいぶん多量のダイヤモンドが入つております。十六万カラツトくらいのダイヤモンドは、あれは一部分とは言いません、相当の量はありますけれども、まだ家庭に長年保存されておつたものが相当あるのじやないか、それがだんだん出て来るのが大部分だと、われわれ長年やつて来た商売人としましては思うのであります。かりに国際相場をとつてみて、手近の香港なら香椎から日本に持つて来て売つて、それは日本の相場がめちやくちやにじやんく上つておれば別ですけれども、とても勘定に合うものではない。特にアメリカあたりの値段では合わない。向うの卸値で売つて来て日本の小売屋さんで売れば、それは幾らかもうかるでしよう。ところが向うの小売商店あるいは通信販売店みたいなところで買つて、こつちに持つて来たら、損しない以上は売れません。
  461. 中野四郎

    中野(四)委員 まあ結論から伺えば、大体国民の愛国心が欠如しておつたということですな。
  462. 久米武文

    久米証人 絶対に私は密輸入がないとか、そういうことは知りませんよ。
  463. 中野四郎

    中野(四)委員 わかりますが、大体国民があの当時の政府の要請に従わなくつて相当持つてつたということは認められる、こういうお説ですな。
  464. 久米武文

    久米証人 それは……。
  465. 中野四郎

    中野(四)委員 もう一つ伺つておくのですが、日本中にダイヤモンドというものは、およそでけつこうですが、推定どのくらいあるものでしようか。あなた方は、商売で外国人から、日本にどのくらいのダイヤモンドがあると聞かれたら、工具は抜いて、どのくらいあるとお答えになりますか。
  466. 久米武文

    久米証人 それは輸入統計から推して行くよりほかにないだろうと思います。
  467. 中野四郎

    中野(四)委員 およそどうですか、わかりませんか。
  468. 久米武文

    久米証人 私が十割関税撤廃のときに、過表数十年にわたつて一ぺん大蔵省の税関の輸入統計をとつたことがあります。日清戦争くらいまでは皆目ありませんで、ただ外交官のみやげくらいな程度でありまして、それから日露戦争からこつちいろいろ貴金属が勃興して参りまして、それから第一次欧州大戦前後ははなはだ盛んであつたのです。そのとき、年額にして最初は五十万円前後だつた。それが十割関税がしかれるとき、これははつきりは覚えませんが、大体百万円から二、三百万円程度であつた。それから十割関税の間は、工業用か何か知りませんが、三十万円くらいの程度で、七、八年ですか、ずつと続きまして、それが撤廃された翌年はすでに六百万円、その翌年は七百万円になつた。それがただ二年か三年だけの間で、今度は為替統制でまた。ぴつたりとまつた。  これは余談ですけれどもちよつと申し上げたいのは、私はこれまで業界の雑誌とかいろいろなものに、宝石というものは人命に次いでの財産だということを繰返し書いて、自家宣伝もありますけれども、何かの場合において移動できるものはこれしかない。ところが、そう長年やつておきながら、今度の戦争のときには、いろいろ考えてみたところが、日本人は多数の宝石を持つて外国へ行けるものじやない。自由ならばそれはできるけれども、これは持つてつてもその日の生活に困るというので、幸い交易営団本部が買い上げるというものですから、根こそぎ私は出してしまつた。そうやつておきながら、まただんだん復活して来ておりますけれども、宝石というものは、皆さんごらんになりますと、非常にきらびやかなもので、また一つのものに、何百万円であろうと、あるいは億のつく値段がコンデンスできるのです。ところが一ぺん三井物産の生糸部の友達と話したことがありまして、「君は宝石々々と言うけれども、一体年額幾ら使うか。」「輸入額七百万円。」「何だ、そんなものか。まるもうけしても全国で七百万円じやないか。」しかし私がここで申し上げたいのは、宝石というものは、過去の長い歴史を通じて、盗難の対象になつたり、あるいは国と国との戦争の対象になつたり、ヨーロツパでは始終している。支那で、もそうです。それがために、いかにも宝石というものは目立つのです。自動車一台買つても二百万円。二百万円の宝石は目立つのです。そこに観念が非常に違うのです。その点を私は若干お認めいただきたいと思います。
  469. 中野四郎

    中野(四)委員 ありがとうございました。私の質問はこれで終ります。
  470. 内藤隆

    内藤委員長 明澄君。
  471. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 証人ダイヤの買上げについて鑑定をなさつたのは、軍需省の嘱託ということでございますか。
  472. 久米武文

    久米証人 さようであります。
  473. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 ダイヤモンド買上げ実施要綱というものが、十九年七月二十一日付で軍需省から出ております。これは御承知でございましようが、これに基いて買上げができて、その鑑定はこれに基いてなさつたのでございましようか。
  474. 久米武文

    久米証人 その点は多分そうだろうと思いますが、今それに対してはつきり記憶がございません。
  475. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 ダイヤモンドを買い入れますとき、あるいは鑑定をなさるときには、何級々々というのですか、たとえば大阪の方では六、七級にわけて買つてつたそうでありますが、東京では……。
  476. 久米武文

    久米証人 東京ではそのときに等級、つまり標準石というものをこしらえまして、この点は私の記憶ですが、たいてい間違いないと思いますが、業者が十倍の宝石用のめがねでのぞいて、大体色が白くて、ほとんど見えない程度のきずがあるというのを標準にいたしまして、それより色が純白であるとかいうもので、それよりいいものを一割増し、なおいいものを二割増し、もう一つ飛切り一番いいものを三割増し、それ以下のものは二割五分引き、あるいは三割引き、五割引き、最後には七割引きぐらいまで行つたものがあるのじやないかと思います。それに対する何割引き、何割引きというようなものは、大体めがねでのぞいてこの程度のきず、それからこの程度の黄色あるいは褐色の色がついているものというふうな限定をいたしまして、それによつてつたんだと思います。
  477. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 今まで出ました証人——喜多村証人でありますか、その証人の話によると、今証人が説明されたようなものではなく、三階級ぐらいにわけてやつてつた。そうして再鑑定のときにも、ほとんどはかりにもかけないということを言われておつたのでありますが、そういうようないわゆる目で判定するということでありますが、そういつたようなやり方でございましたでしようか。
  478. 久米武文

    久米証人 いいえ、それはたくさんの鑑定人で、それから全国津々浦々にわたつて買入所があつたわけですが、ほかのことは知りませんけれども、少くとも東京においては、全部その場で金属をはずして、そうして適当にきれいにふくものはふいて、一個々々一つの金属にはそんなにたくさん品物はついていません。一つのものもあり、あるいは若干のものもありますから、それはいろいろ必要に応じて各鑑定人が分割し、また格付をして、交易営団の健投に合わして買入れをやつてつたと思います。ただ目で鑑定したり、目測でやつたというのは、東京にはなかつたはずです。同時に、こういう場合があります。たとえばお宅ならお宅が私のところに持つて見えて、一体これはどれくらいの価値がございましようか、こういうふうな場合に、概算をとらなければなりませんから、いろいろゲージ誓か、それから穴の明いたようなものがありまして、それと比べて、これは大体何カラツトで、どのくらいの値段ですということを、買うときに申し上げることはあつたかもしれません。持つて来る人は、どれくらいの値段でこのダイヤモンドを買つてくれるだろうという心配がありますから、そういうふうなことは、あるいは申し上げた人があるかもしれませんし、また往々それはあり得られることです。
  479. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 東京のようなところでは、大体松屋の店先で買つてつたよう募り専一われわれも見に行つてつておりますが、そういうようなやり方でありますけれども、結局店先でははかりにかけたかもしれませんが、再鑑定というのを四階か五階でやつてつたそうですね。
  480. 久米武文

    久米証人 はあ。
  481. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そのときに、あなた方が再鑑定をなさるのは、袋に入つているのを見て、ほとんどはかりを使わないで、大体これでよかろうというふうな……。
  482. 久米武文

    久米証人 いや、そんなことはありません。全部かけました。
  483. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 かけたのですか。
  484. 久米武文

    久米証人 かけました。
  485. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 この間はかけたようなことを言つていなかつたのですが……。
  486. 久米武文

    久米証人 私の知つている範囲では、全部かけました。
  487. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それからもう一つは、店先では状袋にちやんと入れて、どういう品質で値段がどれくらいということを書いて、買い上げたものを全部そのまま袋に入れて、それを再鑑定にまわした。再鑑定にまわすと、それをあなた方が、これは袋の通りでよかろう——一応ごらんになつてからでありましようが、みんな一緒にしてしまつたそうですね。
  488. 久米武文

    久米証人 一緒にしてしまいました。
  489. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 どういうわけで一緒にされたのですか。
  490. 久米武文

    久米証人 一緒にしたのは、これは交易営団側の人が一緒にしたので、われわれは、その袋は袋荷うに嘗てやつたのです。なぜ一緒にしたのか私は知りません。しかしこういうことは考えられます。再鑑定というものは最後の鑑定になりますし、このダイヤモンドは工業用に使うのであるから、みんな品質にかかわらず一緒にまとめて整理してしまうとか、あるいはその日一日分、三越、松屋みんな一緒にまとめて、総目方をかけ直してやつたようなことがあるかもしれません。それはそう考えられぬこと伍ありません。
  491. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 しかし、喜多村証人が先日来ましてここで証言していわく、あなたと相談して、今の紙に入つてつたのを、みんなばらくにして一緒に入れた……。
  492. 久米武文

    久米証人 私と相談したというのですか。
  493. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 あなたが、先ほどもあつたように、鑑定人の主任みたいな立場で、そのさしずを受けた。久米さんのさしずでそういうことをやりましたと述べておる。そういうようなことをなぜあなたがやらせたか。
  494. 久米武文

    久米証人 私は別にそういうふうなさしずをすることはありませんし、そういうふうなことを言つたかどうか、それは覚えておりません。
  495. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それから今証人がおつしやつたことでありますが、全部の目方をかけた、こういうことでございますが、そうすると、全部の目方をおかけになつた場合には、窓口で買いましたかけ目よりも、総目方が多かつたという事実がありますか。
  496. 久米武文

    久米証人 それはちよつと記憶にありません。
  497. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 ところで大阪の方では、先ほどあなたが言われたように、上に三つ、下に三つといいますか、要するに六、七種の階級にわけて買つてつたそうでありますね。それを東京では三階級にわけて買つた。この間毒多村証人の言うたばかりであります。それでその点と、一緒にしたのはどういうわけかとこういうがちよつと疑問でありますから……。
  498. 久米武文

    久米証人 標準価格のこつちに一割上げ、二割上げ、三割上げというのがありましたし、その先に二割下げ、二割五分下げ、三割下げという表がありましたから、等級については相当階級にわたつておると思います。
  499. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 その点証言が品多少まちまちになつております。  もう一つお伺いしたいのは、証人は、皇室からお下渡しなつ王冠——二つか三つか王冠お下渡しがあつたようでありますね。それについて、中からダイヤあるいは白金等の分解をなさつたそうでありますが、その内容を御説明を願います。
  500. 久米武文

    久米証人 年は覚えませんけれども、何でも九月——交易営団が始まつてからあまり遠くない九月か何か、その見当だと思います。交易営団の方から、きよう軍需省で御下賜品ダイヤモンドをとりはずすんだから、あなたひとつ行つてくださいというような話で、それじや参りましようといつて、職人を一人つれまして、工目六を持たして、取急ぎ営団の係の人と一緒に行つたのです。部屋はたしか二階だと思いましたが、かなりりつぱな部屋でありました。その正面のところに台でしたか、何か設けて、そこに冠と——ちよつと記憶がありませんが、ほかに首飾りなどたくさんあつたと思います。たいへんたくさんな人がそれを拝観に見えて、一応拝観が済んだあとですから、ダイヤモンドは、ちようどここに陳列がありまして、そのそばにテーブルを持つて来まして、そこに職人がすわり、私がその横にもわつて、前には係官がいて、絶えず立つて見ておられたようでありました。その前に係官の人が、これはなかなかりつぱな王冠なんだから、このうちの目方二カラツト以上のものは、宮内省の方にお返ししたいから、それだけ抜いてくれという話でした。よろしゆうございますと申し上げた。ところでちよつと二カラツトという目方よう少いのが多いものですから、とりあえずゲージでにかつたところが、その中心の一番大きいのでも、三カラツトやつと越すか越さぬかのダイヤモンドでありまして、これはどうも三カラツト以上のはこれ一個で、あと小さいですが、どうしますと言つたら、一個だけでは困るから、あと大きそうなのを抜いてくださいという話で、そのときに、最初とりはずしてしまつたのが、二個であつたか、あるいは四個であつたか、それは私はつきりいたしませんが、とにかくその分だけは別にしたはずであります。それからとりはずしにかかる前に、大体ダイヤモンドの数と目方が、このままでわかりませんかと言うものですから、いろいろ考えまして、大筒の薫みたいな人に手伝つてもらいまして、端の方から一々めがねでのぞいて、標準のものと比へて、それで大体の目安で、一カラツトに十個のもの何個、五個のもの何個というふうに書いてもらいまして、それをしまいに集計いたしました。ところが、そのときに私の集計が百二十カラツト、あるいはちよつとあつたよう記憶しておりますが、それは三個か五個のダイヤモンドを入れた勘定かどうか、それはよく記憶しませんけれども、あるいはその抜いたダイヤモンドは、入れてなかつたのじやないかしらんと思います。その数は私は調べませんでしたけれども、カラツトは百二十カラツト、そして、それじやはずしますからといつて、その場でだんだんはずし碁つたのであります。ところが、全部はずしまして、最後にその全体の目方をとつてみたところが、百十九カラツト見当あつたよう記憶しております。偶然か何か知りませんけれども、割合に目方が合つたものですから、私はそのときに少してんぐのような気持がしたのですけれども……。それでお返ししまして、その当時の仕事は終りました。
  501. 内藤隆

    内藤委員長 ちよつと聞きますが、冠は一個ですか。
  502. 久米武文

    久米証人 冠は、ちよつと記憶がありませんが、その冠はあまり大きなダイヤモンドは入つていない冠でした。それから首飾りが、ネジでひつくり返してつけかえをすると、これにこうなるのじやないかしらんというふうな、とにかく兼用になつておつたということは事実であります。しかしそれがひつくり返つて冠になるかどうか、それは記憶にありません。
  503. 内藤隆

    内藤委員長 私市というその当時の軍需官は、冠が三個あつたと、こう言つておるのですが、三個の記憶はありませんか。そこに並べてあつたのだから……。
  504. 久米武文

    久米証人 とにかく冠一個は記憶いたしますけれども、あとの一個は——つまりその大きな二カラツトちよつとというのは、首飾りの中心に入つていたんじやないかしらと思うのです。ここの方に入つておるのは、割合に小さいダイヤモンドでしたから……。
  505. 内藤隆

    内藤委員長 冠の形は。——髪の上に乗つけるのですか。
  506. 久米武文

    久米証人 髪の上にこういうふうに乗つかるわけです。
  507. 内藤隆

    内藤委員長 それはどなたの冠だと聞いておりましたか。
  508. 久米武文

    久米証人 それはどなたとも伺つておりませんが、宮内省下賜品だ……。
  509. 内藤隆

    内藤委員長 御下賜品だという程度で、皇后様とも皇太后様とも聞かなかつた……。
  510. 久米武文

    久米証人 そうです。それであとのダイヤモンドをどうしますかと言つたところが、これは御下賜品だから、この分で返して、あとは皇室から出た記念品だというようなことで、何か間違いがあるといけないから、ほかのものと一緒にして、こうやつた、そういうような記憶もあります。
  511. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 今の冠が二個と首飾りとあつたという意味ではないのですか。今の証人の話ですと一個のようですな。
  512. 久米武文

    久米証人 それはちよつと私記憶が……。
  513. 内藤隆

    内藤委員長 冠が一個で首飾り——首飾りがあるいはひつくり返すと冠になつたかもしれぬというのですか。
  514. 久米武文

    久米証人 こうなつておるものをネジでとつて、ひつくり返して、これをこうつけるとこうなります。それは昔よく御木本時分にやつたものですが、それはほかのものにもあります。
  515. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 お尋ねしたいのは、今の髪の上にそのままおかむりになる冠、それが一個ですか、二個ですか。
  516. 久米武文

    久米証人 私は一個は覚えていますが……。
  517. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 二個と首飾りとじやないのですか……。
  518. 久米武文

    久米証人 はつきりしません。記憶にありません。
  519. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そこでお聞きしたいのは、二カラツトぐらいなものが大きかつたと言われるのだが、それが四、五個だけお返しするのを別にしたのですか。あなたは四つか五つか覚えていないのですか。
  520. 久米武文

    久米証人 三つか五つか覚えていないと申し上げたのです。それはこういうわけです。金属細工としますと、必ずまん中に大きなものを入れて、そのお添えものとしてこう行くわけです。ですから何か集めて来ないと——あの場合に四個という数は大体出ないと思うのです。三個か、あるいは五個か……。
  521. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 端数になるわけだな。それで今のお返しをしたのが百十九カラツトですか。
  522. 久米武文

    久米証人 その見当です。その数字をなぜ覚えておるかと申しますと、私がはずす前の数量と実際の数量と割合に合つたものですから……。
  523. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 百二十カラツトぐらいだと思つてあなたがはずしたら、百十九カラツトあつた、こういうことですか。
  524. 久米武文

    久米証人 そういうことです。それが記憶にありますので……。
  525. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そのほかに白金その他金のようなものもあつたのですか。
  526. 久米武文

    久米証人 それはみんなまとめて、今の係の人にお返してあるわけです。その場でみんなまとめてやりましたから……。
  527. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 その場合に、いまの百十九カラツトあつたダイヤです。三個か五個かという今のお話のものは、どういうふうに処置したか覚えておりませんか。
  528. 久米武文

    久米証人 たしかその大きいのは、細工からはずさなかつたように思うのです。とりはずしをせずに、金具のついたままお返ししたと思うのです。あとの二つは、あるいは金属からとりはずしたか、あるいはその金属についた部分を切り離してお渡しをしたか、それはちよつと記憶にありません。
  529. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 今までいろいろ調べてみたところによると、それは五つのように言われておるのでありますが、あなたの記憶ははつきりしませんか。
  530. 久米武文

    久米証人 それはどうもはつきりしません。五つとおつしやれば五つかしれぬと思うし、また三つだとおうしやれば三つだつたかと思われるので、どうも私ははつきりしません。
  531. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 証人がそれをはずしてお渡しになつたのはだれですか。
  532. 久米武文

    久米証人 それはそこの係で、私は名前を存じ上げません。
  533. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 係官覚えているだけで、だれかわからぬのですな。
  534. 久米武文

    久米証人 交易営団の人であつたか、あるいは軍需省の人であつたか、たくさん見えましたから、どなたが最終にお持ちになつたか、それは記憶にありません。
  535. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そこであなたが分解されましたときに、菊の御紋のついておるような何か飾り物がその中にありましたか。なかつたですか。
  536. 久米武文

    久米証人 特に菊の御紋章のついておるものはどうかしらぬと思いますが、いずれ菊の御紋章というと、意匠だとか箱に菊の御紋章でも押してあれば別ですけれども、菊の御紋章そのままのものはどうですかな。
  537. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 今の証人お話の一番大きなダイヤですな、それは何かついておるものをはずさないで、そのままお返しをしたいと言われましたが……。
  538. 久米武文

    久米証人 そう思いますが、はつきりしておりません。
  539. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それは何というものですか。
  540. 久米武文

    久米証人 飾りです。つまり石を抱き合つておるその部分です。
  541. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それは白金ですか。
  542. 久米武文

    久米証人 それは記憶ございません。
  543. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 その大きなダイヤを抱いておる飾り物と一緒に、そこをはずさないで返したということですな。
  544. 久米武文

    久米証人 どうもそうらしいと思うのですが、はつきりいたしません。長い間のことですし……。
  545. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 失礼ですが、証人は今何をおやりになつておるのでありますか。
  546. 久米武文

    久米証人 今はアメリカのCPO、中央購売局の手伝いの仕事をやつております。
  547. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 やはり宝石関係ですか。
  548. 久米武文

    久米証人 ええ、そうです。
  549. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そこでこちらへ輸入しておるのですか。
  550. 久米武文

    久米証人 つまりそこは東洋全体の物資の買付をやつておるのです。
  551. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 店をお持ちになつておるわけではありませんね。
  552. 久米武文

    久米証人 店はありません、戦争中から廃業しておりますから。
  553. 中野四郎

    中野(四)委員 久米さん、以前皇室の冠をどつかでごらんになつたことがありますか、それを手がける前に……。
  554. 久米武文

    久米証人 その後ですか。
  555. 中野四郎

    中野(四)委員 そうです。皇室の冠というものをば、長い間御木本にいらつしやつたが、御木本からとにかく入れたものがあるということは、あなたが先日国会に報告した中にございます。冠というものを見たことはありますか。
  556. 久米武文

    久米証人 あります。
  557. 中野四郎

    中野(四)委員 どこでありますか。
  558. 久米武文

    久米証人 それは外国でも見ましたし、一時ロンドンのタワーに、例の大きなダイヤモンドの入つたいわゆる皇室の冠が陳列されることもありますし……。
  559. 中野四郎

    中野(四)委員 ちよつと私はあなたの証言に納得できぬところがありますが、あなたはたいへんよい人だと思うけれども、ところどころぼやかしてしまう傾向があります。せつかくあなたがよい御証言をなさつたにかかわらず、かんじんなところであなたの一切合財を抹殺してしまうようなおそれがあるのです。たとえていえば、皇室の冠にしましても、あなたも日本人で赤い血潮が通つておるのですから、当時の国民感情からすれば、皇室の御下賜品に対しては相当尊敬の念を持つておられたはずなんだ。たといダイヤ商であろうと何であろうと……。それにそういう専門的なセンスを持つておるならば、これは珍しいという感じを持たれるのはあたりまえじやないですか。従つて、冠が何個あつたかわからぬということだけは私は納得できないのです。たとえば数字の点においてあなたが、それほど明確でないにしても、百十九カラツトとかあるいは百二十カラツトであつたというふうに覚えていらつしやるにもかかわらず、当時は——この際としては新聞社の人がおられるから、悪いと思つて実は控えておつたのですが、この王冠を御供出になるときに、つまり御下賜になるときに、実は清水谷女官長は、おわかれだと言つて、珍しい言つて、わざわざ自分でかぶつて見たのです。そうして御下賜なつておるのです。今軍需省内容を聞いておりますと、王冠が飾つてつたはずです。だから多くの参観人が来られたのです。たしか何かのわくに合こうやつてつたはずなんです。従つて一個であつたか、三個であつたか、二個であつたかわからぬというようなあなたの御証言では、私は納得ができない。何もこのことを一個や二個、どうだこうだという問題じやないですよ。あなたがどうしたという問題じやないが、当時皇室から御下賜なつたものは、皇室に確たる証拠のメモがないのです。しかしながら皇太后様のものが二個であつたということだけは大体わかるのです。ただ残念なことに、当時これを担当した軍需省軍需官である私市君は、確かに三個いただいて参つた、一個は御木本製のものであり、二個は外国製のものである、こう言つおるのです。この証言従つても、あなたにこれを解体せしめようという場合においては、首飾りももちろんあつたでしよう。この首飾り皇后様のものです。皇后様は王冠出し覚えはないとおつしやるが、たとえばこれを応用される。首飾り王冠に応用されるにしても、それは王冠とも称されるが、首飾りとも言える。今日廣幡皇后害大夫がここへ来られて、その証言の中には、みずから手にとつて渡した中にはそういう王冠というものはないと言うのです。してみると、王冠と称するものは、あなたが外国で見、日本の絵でも写真でも、実物を見ていらつしやれば、当然何個あつたという記憶があるはずだと思います。それがわからぬというなら、私は証言はうそだと思います。私はこの際うそをついてもらう必要はない。記憶の通りでよいのです。たとえば、こういう形の王冠が一個、ベルト型のもの、巻いたものが二個、解体するのであるから、解体するものの形がわからぬというのでは、いささか久米さん、どうもあなたたる者の御証言には似合わないじやないですか。この観点は大事ですから、あなたに類の及ぶ問題ではないのですから、率直にひとつお教え願えませんか。御記憶の通り答えていただきたい。
  560. 久米武文

    久米証人 それはあの当時がたたしておつたり、そうしてこつちはそれをとりはずのが役目で、若干拝見はしたのですけれども、あまり記憶に、何というのですか、とどまるほどのものではなかつたような……。
  561. 中野四郎

    中野(四)委員 あなたの報告書を見れば、実にきわめて簡単な時間でできる。正味二時間もあれば十分できたのだという仕事でしよう。
  562. 久米武文

    久米証人 そうです。
  563. 中野四郎

    中野(四)委員 そうしてみれば、これがたくさんの仕事の中でわからぬというならわかりますけれども、そんなことくらいわからぬはずがないじやないですか。少くとも正味二時間で全部のものが完了するという仕事に、しかもあなたはひつくり返してどうこうというような説明までもできるのですから、王冠といえば冠だから、冠が幾つつたかわからぬというようなべらぼうな話が一体ありましようか。お孫さんに聞かれても、そんなばなか記憶で、笑われやしませんか。いま少し私はあなたに、お互いに真剣になつておる気持を察していただけば、おわかり願うと思う。もしきようここでおわかりにならなければ、後刻でけつこうです。記憶を呼び起して委員長のもとに報告していただいてもけづこうです。
  564. 久米武文

    久米証人 この前答申書を出すときにずいぶん記憶をたどりましたが、当時の記録も何もありませんし、どうにも申し上げられなかつたものでありますから、ああいうふうな答申書を出してありますが、それ以上お尋ねいただきましても、どうもお答えできません。
  565. 中野四郎

    中野(四)委員 これはおそらく、あなたに御記憶がなければ、軍需官である私市君が三個だと言えば、これは大体三個に違いないでしよう。いかがですか。
  566. 久米武文

    久米証人 私市というのは……。
  567. 中野四郎

    中野(四)委員 軍需官で、あなたを呼んだ人間です。立会つた人間です。
  568. 久米武文

    久米証人 そうですか。その人は……。
  569. 中野四郎

    中野(四)委員 ここへ来たのです。そうして三個だと言うのです。二個は外国製のもので、一個は御木本製のものだ。二個はおかしかつたけれども、一個は御木本製でたいへん優秀だと言うのです。
  570. 久米武文

    久米証人 担当官であれば、その人が三個であると仰せられれば、私としては否定することもできませんし、またそうかしらぬとも思います。別に証言を隠しておるとか、そういうことは決してありませんから、ありのままを申し上げておりますから……。
  571. 中野四郎

    中野(四)委員 たくさんまだ聞きたいことがありますけれども、もう時間も大分来ておりますし、一応この程度質問を終ります。
  572. 内藤隆

    内藤委員長 他に御発言がなければ、久米証人に対する尋問はこれにて終了いたします。証人には長時間御苦労さまでした。  この際お諮りいたします。調査関係上、二十一日に出頭を求めておきました福田廉三君、中田玉市君、巽忠春君、二十三日に出頭を求めておきました松浦溝君、永石正孝君、川崎宗一君の尋問は後日に延期したいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり)
  573. 内藤隆

    内藤委員長 異議なきものと認め、さよう決します。  なお、昨日再出頭の要求のありました交易営団清算人黒瀬勘一君は、二十三日に再出頭を求めたいと存じますが、異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  574. 内藤隆

    内藤委員長 異議なければ、さように決定いたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後六時二十一分散会