○高橋(禎)
委員 私
どもは
医療ということについてはしろうとでありますが一つの
制度として考えてみますときに
生活保護のための
医療その他
社会保険に関する
医療の問題を考えてみますと
医療方針に甲乙があるということがどうも納得ができない。昔から医は仁術だとい
つております。こういう言葉から受ける感じは、
医療に当たる医師は良心的にその
医療に当るということである。そうなると、患者の経済力に相応した
医療の目的を達する
方法というものは、おのずから決定すると思う。やはり
医療費を無視して
医療方針は考えられないでありましようけれ
ども、患者の病気に対する
方針というものは金にあまりとらわれないで、
医療に当る医師の頭で良心的に
方法を決定する。ところが今の
制度を見ますと、その
医療方針について非常に甲乙がある。しかも先ほどの
政府委員の御
説明を伺
つてみますと、
生活保護を受けておる者の
医療は
最低のものであ
つてしかるべきだという
お話なんです。もちろん
最低であ
つてもそれが完全に
医療の目的を達成できるのでしたら、私はけつこうだと思う。汽車に乗りましても、一等に乗
つても、二等に乗
つても、三等に乗
つても、乗
つている間の苦痛は違いますけれ
ども、目的地には同じ時刻に達するのですから、やはり
医療においても、
医療の
方法に甲乙はあ
つても、その目的を達することにおいては同一でなければならぬと思いますが、どうも今の
制度の上からみますと、ほんとうに
医療の目的を達成できないということが考えられるのであります。たとえば
生活保護を受けておる者の病気は、先ほど
政府委員もおつしやいましたように、病膏肓に入るという、がまんにがまんをしてみたけれ
どもどうにも苦痛に耐えられない、生命もあぶないというときに
医療を受ける。その
医療に対して最も
程度の低い
医療方法を講じられたのでは、おそらく医師自身としてもきわめて不愉快な非良心的な
医療しかできないのじやないかと思いますし、患者にとりましても
医療の目的はとうてい達成できない。ちようど昔飢饉のとき、米が食えないからというので米を竹の筒か何かに入れて音を立てて病人に聞かせて、お前安心して死ねと言つたという時代ががあるということですが、非常な重病人に対して、しかもいまだ発達していない保険
制度の全体を通じて最下級の
医療行為をするというのでは、まさに米を食わすことができないから、米の音を聞かせて満足させて、
医療行為を受けたのだということにしよう、こういつたような
制度のごとくにしか私には受取れないのであります。医に関する問題は国民の健康の上からきわめて重大なんですから、やはり医は仁術だという精神を大いに培養し発展させて行くという
制度の立て方が大切だと思う。ですから医師に対する税金をいかにも普通の業者のごとくにして、医というものを営業化して行もという思想は私は誤
つていると思う。また医師の
医療行為に対する良心を無視して、
制度として一定の規格を設けてきわめて不十分なる
医療行為を施すことを繰返しているということでありましたならば、お医者さんも不愉快でしようし病人も不満足ですし、また病人をかかえている家庭も不平不満だということになりましては、せつかく憲法が国民の健康を保障するとい
つておきながらそれと最も密接な
関係の深い、医の問題について
関係者が全部不愉快な思いをしなければならぬということであ
つては、そういう
制度を持
つておる国が国民の健康について責任を持つ、保障するというようなことはおこがましい限りであると私は思うのでありまして、この際厚生
当局においては、憲法の精神をすなおに受けて、しかも
国民健康保険等が発達しておらない
現状においてはそれを大いに発達させ、そして
医療方針は少くとも医師の良心と合致する
程度のところまで
引上げなければならぬと思いますし、
生活保護を受けておる人たちの
医療行為は最下低で満足しろというような
考え方でなくて、いわゆる社会保障
制度全体を通じて文化国家、福祉国家としての国民健康を保持するための
医療はこの
方針で行かなければならぬ、
政府が責任をも
つて解決して行くのだという一貫した
制度を打立てなければならぬと私は確信するのであります。従
つて先ほど来
日高委員、長谷川
委員等からも
お話のございましたように、現在ある諸
制度の
医療方針あるいは
医療報酬ということはしつかりとここに統一ある
方針を樹立させ、医師も満足し、病人も満足し、また病人をかかえた家庭も不平不満がないという線を打立てることが私は大切であると思うのであります。金にあまりとらわれ過ぎて、
医療をいかにも営業化させ、崇高なる医術の進歩なりその精神の発達を阻害するということがあ
つてはならぬと思うのですが、
政府の所見をお伺いいたしたいのであります。