○松尾
政府委員 第一点の、なぜ民間輸入を控えて
政府貿易をや
つたかという点を簡単に御
説明申し上げますと、そもそも故衣料の輸入の問題が、ダドリアン商会から申し込まれまして議に上りましたのは、ちようど二十四年の六月ごろであります。それ以来故衣料の形態で輸入すべきか、あるいは国産奨励と申しますか、羊毛から製品にするというふうな方向がよろしいかという点につきまして、部内でもいろいろ議論もあ
つたのであります。もつとも原毛の輸入ということも非常にきゆうくつな時代ではありましたが、わずかながら原毛の輸入がありまして、羊毛工業というものも漸次
増加の傾向にあ
つた際なのでありますが、何分国内の衣料としては絶対的な量において不足しておるということ、それから資金量としても故衣料として入れればかなり安いというような点から、司令部との間におきましてもやるべきかやらざるべきかということについて非常に長く議論が闘わされたのでありますが、やつといろいろな角度から輸入してもよかろう。しかしそれはバーターのかつこうでやるのだ。従
つてその当時貿易公団が持
つておりますような滞貨を輸出することによ
つて、この輸入ができるならば、一石二鳥ではないかということになりまして、司令部の方からやるべしというメモランダムが来ましたのが、たしか十一月ごろであ
つたかと思うのであります。それに基きましていろいろ、こうこういう条件を満たす人があれば申し込まれたいというような、輸入の公表をいたしました。それより以前にダドリアン商会からほぼその条件に合致するような申出がありましたために、そのケースだけが事実上は申し込まれた、それを採用したということなのであります。従
つてちようど二十四年の末ごろでもありましたし、二十五年の当初から民貿も始まるということでありましたので、その問題も、これを決定するにあた
つて考慮の
対象に
なつたのでありますが、何分二十五年から初めて民貿形式をとりましても、司令部から移管を受けました金額というものは非常にわずかであるし、はたしてこういう故衣料の輸入等を外貨
予算の上に組むことも非常におぼつかないということ、それからまた民貿の初期でありましたので、そういうバーターという方式をはたしてどういう形式でこの
予算上に織り込むかというふうな疑義もありました。そういうような
関係から半年がかりでいろいろもたもたして来た事件でありますので、民貿は控えておりますが、一応
政府貿易のかつこうでそのバーター取引を処理しようということになりまして、正式にきまりましたのが、二十四年の十二月にそういう契約ができたような次第であります。
第二点の、
本件におきましてこういう瑳跌を生じました一番大きな点は、先ほど
会計課長からも
説明がありましたが、今お
手元にお配りいたしておりますダドリアン商会との売買契約書、それから輸入信用状の条件をごらん願えばおわかりかと思うのでありますが、要するにバーター取引というものが、
総額としては百二十八万ドルではありますけれ
ども、現実の問題といたしましてはあるいは十万ドルなり、あるいは二十万ドルなり、輸出と輸入との契約がうまく合致したところで、いわゆるバツク・ツー・バツクのLCを開設して出すということに契約がな
つておるのであります。それがその当時輸入信用状の発行というものが、司令部の処理しておりました
事項でありましたがために、売買契約書にふさわしからぬというか、一致しないような輸入信用状が出てしま
つた。百二十八万ドル全部をカバーするような輸入信用状が開設されてしま
つたというところに、実は一番大きなトラブルが生ずるように
なつたわけであります。従いまして十万ドルなり二十万ドルなり少しずつ輸出入が行くであろうと思
つておりましたが、今申しますように、百二十八万ドル分の輸入信用状が開設されて出ましたがために、輸出取引の方がかりに遅れましても、向うの方からカウンター・L・Cの百二十八万ドル立てて来れば、こつちの輸入信用状が有効ということになりまして、非常に短時間の間に大量のものが入
つて来てしま
つた。そこで輸出取引の方が
あとに取残されるということになりましたし、さらにその当時国内の方の毛織物の相場も下落の傾向にあ
つたというふうなことが重なりまして、このような不始末をでかしたということになろうかと思います。