○大竹
参考人 私は
福島県知事の大竹
作摩であります。ただいまから
只見川筋の
東京電力会社の
水利権の
許可取消し、
上田及び
本名の二箇所の
水利使用を
東北電力に許しましたところの
経緯について御説明を申し上げたいと存じます。
御
承知のごとく、
只見川は群馬、福島の二県の境にある尾瀬沼を水源といたしまして延長二百七十一キロ、その豊富なるところの水量と雄大な落差を持
つております点から最も発電に適したところの唯一最大の河川であるのであります。ゆえにこの河川の最も効果的な発電利用につきましては、
河川管理者でありますところの歴代の
福島県知事は鋭意慎重なる検討を続けて
参つたのであります。大正十一年以来当時の
東北電力――これは現在の
東北電力ではありません、その
会社から
只見川筋に幾
地点もの
水利使用許可について
出願があ
つたのでございますが、この
出願には尾瀬沼の水を利根川に落す計画が含まれておりましたので
許可に至らなか
つたのであります。ところが
昭和四年一月十八日
東北電力株式会社の承継者である
東京発電株式会社より、
只見川最上流の尾瀬沼の水を利根川に落す計画をやめまして、群馬、新潟、福島三県の
了解を受け
只見川に流下する計画とするから
水利使用許可を与えられたい旨の請書を提出して来たのでありましたので、同年四月二十六日付で知事は
只見川筋に十三箇
地点の
水利使用許可を与えたのであります。現在本
委員会で問題にな
つておりますところの
沼沢沼水路及び第二水路の二箇
地点もこの十三の
水利使用許可に入
つているわけでございます。しかるに
昭和八年四月十五日付の
東京発電株式会社からの
工事実施認可申請には、さきの請書に反しまして、利根川に落す計画とな
つておりましたので、本県といたましては
只見川の
水利使用計画について再検討を加えなければならないことに相な
つたのであります。その上、二県との
関係もあり、その
調査に時日を要したのであります。その当時は
電力過剰
時代でもありましたので、特に認可を急ぐ必要もなか
つたのであろうと存じます。たまたま
昭和十三年
電力国家管理法及び
日本発送電株式会社法が制定されましたために、五千キロワット以上の
電源開発は原則として
日本発送電以外にはできなくな
つたのでございます。従いましてさきに
許可をいたしましたところの十三
地点の
水利使用許可は、
昭和二十六年の五月一日まで約二十二年の長きにわた
つて名目的なる存在に終
つたのであります。この間わが国の国情は大きな変化を見まして、未
開発電源の効率的の
開発が強く叫ばれるように相な
つたのであります。
昭和二十五年三月十四日付で、
建設省より、発電用
水利権が経済的、社会的に高く評価される今日において、従来発電用
水利使用の
許可を受けておりながら、いまだに
水利使用の必要なるところの各般の設備をなさず、また、なし得ないためにせつかくの
水利権が活用されないままの
状態にあるものを整理されたいという旨の通牒に接しましたので、私はこの通牒の趣意にのつとりまして詳細なる検討を加えまして、現下差迫
つておりますところのわが国の産業の振興、民生の安定は、いかにして早期なるところの未
開発電源を
開発するかにあるということを
考えまして、現在水利
許可を得ておりまするところのこの
開発方式が
まつたく旧式なものであることにかんがみ、また、ただいま前陳述者お二人から申し述べられましたところの、わが国の宝庫であるところの
只見川の
開発の現状にかんがみまして、このまま存置することは国家の再建を裨益することがあまりにも少いものだ、かように
考えましたので、
昭和二十五年の十二月十三日、これが
取消し方につきまして、一部は
関係のありまするところの新潟県知事と連署の上、
建設大臣並びに
公益事業委員会委員長に
稟伺をいたしたのであります。一方
昭和二十五年十一月の二十四日
電力再
編成令が公布され、翌二十六年の五月一日、九つの
電力会社が発足いたしまするとともに、
只見川に関しましては、さきに内ケ崎社長が申し上げましたごとくに、従来日発が
所有したところの
調査資料等については、新
会社であるところの
東北電力が引継ぎまして、
関東配電が
所有してお
つた水利権は一応新たなるところの
東京電力が引継いだのであります。この際発せられましたところの企業再
編成計画に関する
指令によりますると、
工事中の
発電所及び未
開発水利権の帰属に関しましては、次のような
基本方針が明らかにされたのであります。すなわちその第一は、河川の一貫運営を原則とするということであります。その二は、
既設設備の帰属との関連を考慮するということであります。その三は、新
会社の需給状況と
電源の振合いとの均衡を考慮するということであります。ただいま申し上げましたような
基本方針に基きまして、
東北電力は従来の
資料を基礎といたしまして、
只見川の大規模
開発に関しまするところの
調査をなしてお
つたことはもちろんであります。しこうして、
東北電力より
昭和二十六年の五月一日
申請の
上田、
本名の発電用
水利使用については、鋭意
調査いたしました結果、さきに申し述べましたような
電力再
編成に際してとられたところの
基本方針に基き、
既設設備の考慮、河川の一貫運営の原則に従
つており、かつ
只見川の大規模
開発に適し、完全な
調査資料に基いたものでありまして、
東北電力が本
工事を進むることは
工事上の便益及び地元民の協力等から判断いたしまして、早期
開発ができ、
公益に合致するものと
考えたのであります。特にこの際、
東京電力の持
つておりましたところの
水利権を
取消して
東北電力に
水利権を与える、差迫
つたわが国の
電力事情を少しでも緩和することが国家再建と産業の進歩と民生の安定に大きな
使命を持つものである、かような観点から考察いたしまするに、何といたしましても、軍閥はなやかなりし
時代にほんとうに一方的
開発方式によ
つてなされた
時代と違
つて、民主国家である現在では地元民の協力というものが第一に
考えられねばならぬと思うのであります。発電というものは簡単なものではありません。その沿岸民、その流域の住民はその水のだめに幾多の艱難辛苦を遂げて来たのであります。かようなる観点から考察いたしまするなれば、この早期なる
開発は、一に地元民の熱意あるところの理解と協力がなければ達成することはできないのであります。かようなる観点からいたしまして、この
只見川の沿岸住民は、
東北電力に対して非常なるところの理解と協力を示しておるのであります。これは、現在柳津、片門においてなされておりまする
工事の進捗ぶり、この技術陣の優秀ということにも現われております。かようなる観点からいたしまして、この際この
水利権を
取消して
東北電力になさしめるどいうこと、これがこの
電力の早期
開発に最も合致するものであるという私の信念によりまして、
昭和二十七年の二月十三日に、
水利使用許可について
建設大臣並びに
公益事業委員会委員長に承認の
稟伺をいたしたのであります。
昭和二十七年の八月四日に、前に述べましたような
東京電力の
只見川筋水利使用取消しの、
稟伺の
沼沢水路及び第二水路の一部失効
処分について、
建設大臣の認可並びに通産
大臣の承認がありましたので、翌八月五日に
東京電力に対する
水利使用許可の
取消しを
指令しました。翌八月六日前述の
上田、
本名両発電
水利使用の
許可を
東北電力に対して発したのであります。もちろん
東京電力がこの
取消しによ
つて損失を受けたる場合、その補償の金額及び方法につきましては、
建設省河川局長の通牒の次第もありましたので、
許可受人であるところの
東北電力に対しまして、八月六日に、その補償の責に当ることを、本県土木部長の名をも
つて命じておきました。
以上が
東京電力の
水利使用許可を
取消し、
東北電力に
許可を与えました経過の大要であります。
この際かようなるところの
措置をとりました私の信念を明確にいたしておきたいと思うのであります。元来発電用
水利使用許可というものは、
公益的
内容を持つものであります。単なる
財産権として
公益に合致しないようなものは、これを存続せしむべきではないと
考えておるのであります。先ほど申し述べましたように、現下の産業経済の振興のために、
只見川の
電源の早期
開発はきわめて緊急を要するものであります。これは万人ひとしく認めるところでありまして、いかにすればこれを早期に
開発して、その所期の目的を達成することができるか、私が苦慮いたしておりまする点はこの点であります。二十余年にわたり、何ら具体的なる
開発の熱意を示さぬ
東京電力では、早期
開発の期待はとうてい持つことができなか
つたのであります。早期
開発は
公益上絶対的条件であります。ここにおいて私は
東京電力に対する
許可は取消すべきものであるという決意をいたしたのであります。なお
東北電力に
許可すべく意を決しましたのは、さきに申し述べましたような条件を具備しており、早期
開発を達成できるものとかたく信じたからであります。
次に本問題に関連がありまするので、本県が
只見川筋の
電源開発について、いかなる
方針で臨んでおるかを申し述べたいと存ずるのであります。わが国の
電力事情は非常に逼迫いたしておりますることは、私が申し上げるまでもありません。なかんずく冬期渇水期におきましては、御存じのように、火力発電に依存しなければならぬような状況にあるのであります……。