○
藤田参考人 今度の
独占禁止法改正の
主眼点はいろいろあるのでありますが、
一つの点は、
改正する場合に
制限の
標準というものを非常に緩和いたしております。その緩和いたす場合に、従来は形式的な
標準で
禁止してお
つたものを、実質的な
標準で緩和しているということが第一点であります。たとえて申しますと、従来でありますと、
事業者は
共同で
価格の
協定をしたり、あるいは
価格の
維持の
契約をしたり、
価格を引上げるような操作をすることは相ならぬ。あるいは
生産の
数量を
協定する、
販売を
協定する、そういうようなことも絶対に相ならぬ。その他各種の、そうい
つた例を一々具体的にあげまして、それに抵触するものは一切
禁止してお
つたのであります。ところが、
改正案では
改正案とはい
つておりませんが、
改正しようとしている
政府の
考え方からいいますと、
協定することによ
つて競争を実質的に
制限するというような場合は、
協定は相ならぬ、こういうことにな
つておる。そういたしますと、
協定はや
つても実質的に
自由競争を抑制しなければ、今度の
改正の
方向からいいますと、
独禁法に抵触しない、こういうような形にな
つておるのであります。これは
独禁法といたしましては非常な後退でありますが、このような
制限が、実質上
競争を
制限している事実がなければ
独禁法の
制限を受けられないという形になりますと、言葉の上から申しますと、非常に合理的であるように考えられます。しかしそういうようなことに名をかりて
協定が行われたような場合に、これを摘発するということは、非常に困難であることは明らかであります。そういう
意味でこういうことによ
つて法の
存在精神を根本から没却するという
意味であれば別として、いやしくも
独禁法というものを正確に、しかも
国民全体の
福祉増進のために的確に運用しようといたしますれば、非常な困難を伴う、そこに今度の
独禁法改正の
一つの大きな問題が提起されていると思うのであります。緩和するということは、非常に合理的な
理由がついているのでありますが、それを取締る上において
相当の措置を講じないと、法網をくぐる
業者が出て来る
可能性があると思う。
それから第二点は、いわゆる再
販売価格の
維持契約を認めようという
考え方であります。これはたとえば大きな
メーカーが、たとえば
歯みがき粉にしても、キャラメルにしても、そういうものの
定価をつけまして、その
定価以下で
小売店で売らせないようにしてもよろしい、こういう
契約を認めようという
考え方があるのであります。もちろんそれには
制限がありまして、
公取委員会が
規定するところの日
用品であるとか、しかも
登録商標もしくは国内においてよく
国民に認識されて、その名称もしくは商号を使用し、またはそれらの容器を使用するものであ
つて、
商品の品質が非常に
標準化されているというような
制限はつけようとはしておりますけれ
ども、いずれにいたしましても、こういうような
商品は、大
生産者、そうい
つたものの製品にかかるものであります。そういうものが
小売価格まで
メーカーをして制約せしめるというようなことは、これこそ
消費者の
生活を脅威するものであるということが言い得ると思います。たとえば一個の
歯みがき粉にいたしましても、その
商品が非常に幅の広い
利潤がある場合は、
小売店はあるいは百円のものを八十円にして売
つても決してさしつかえないと思います。それを百円でなければ売れない、値下げして売れば今後の
商品の配給はしないというようなことにもし相なりますれば、しかもそれは
国民の日
用品についてでありまして、われわれ
消費者階級、
一般大衆に
影響するところは少くないと思います。こういうような
考え方は、もし
法案に出るといたしますれば当然削除すべきものだと考えます。
それから第三は、いわゆる
特定の場合における
カルテルの
認容であります。これはいわゆる
不況カルテル、
合理化カルテル、
貿易カルテル、この三つの場合が考えられております。要するに
不況カルテルにせよ、
合理化カルテルにせよ、
貿易カルテルにせよ、
カルテルというものは本来の
意味から言いますと、
一般的に申しまして
資本の効率を非常に害し、あるいは
企業の
合理化をかえ
つてはばむというような傾向があるのはもちろん言うまでもないのでありますが、一方において
自由主義の
建前を堅持しながら、しかもその
自由主義の最も悪い
弊害を除去しようとする
独占禁止法を緩和いたしまして、
自由主義の
弊害が出て来るような道を開くということ
自体に、根本的に問題があると思うのでありますが、
不況カルテルにいたしましても、不
景気になりまして、
業者といたしましては耐えがたい苦痛があると思うのでありますが、国の
建前が
自由主義、あるいは
自由競争の原理の上に立
つております以上、
景気の次が不
景気、不
景気の次にまた
景気がもど
つて来るというような波があるのは、これは
資本主義の必然の運命でありますから、そういうことを前提といたしまして、しかももうかるときにはもうけほう
だい、少し調子が悪くなるとすぐこういうようなことによ
つて、自己の
利益の防衛に立つというようなことは、
自由主義という
建前をとる以上、そこに矛盾があるのではないか、こういうふうに考えます。どういたしましても、そういうような
方法をとらざるを得ないというようなことは、
事業者の
立場としては
利潤を追求する、もうけさえあればいいという
建前からすれば、あるいは当然の要求かもしれませんが、国の
政策といたしましては、むしろそういう
方向よりも、もともと不
景気が参りますのは、無秩序な
生産競争をや
つて、
生産過剰の結果来るのが多いのでありますから、そういうような無秩序な
生産競争を未然に防止する、そういうような
方法を
組織的に、計画的に考えるということをたな上げしておいて、ただこういう、物が
競争ででき過ぎたから今度は
生産制限をして、
価格を
維持して
利益をはかるということをすぐ考えることは、決して問題を根本的に解決するものではなかろう、こう考えるのであります。
それから特に
不況カルテルの場合に問題があるのでありますが、いわゆる
不況とは何ぞやという問題もありますし、
政府で今考えている
方向から申しますと、
一つの
商品の値段が、それを
生産しておりますところの平均中ぐらいの、いわゆる
中庸の
企業の
生産費を
調査して、それ以下に下
つて、しかも
業界が混乱に陥りそうな場合には、
共同してあるいは
生産制限し、あるいは
販売数量を
制限するということをしてもいい、あるいはそういうことを
認可することができる。こういうことを申しておるのであります。いわゆる
中庸程度の
企業の
原価計算をどうしてするかということがすぐ問題にな
つて参るのでありますが、どういうような
方法によ
つて、
商品の
原価計算をするか。もし
原価計算を確実に、
消費者に迷惑をかけないように、不
利益を与えないように、しかも
業者の実態をつかむというような場合は、どういたしましても国家が強力な
権限をも
つて、
帳簿の検査、あるいはその他の
相当徹底した
調査をいたしませんと、
原価計算というものは出るものではないのです。もしそれが
業者の報告とか、あるいは
業者から提出する
資料をそのままうのみにするというのであれば、これは
業者の言いなりほう
だいになり、要するに
独占禁止法は、それによ
つて根本的に背骨を抜かれるという結果になることは、現在の
業者の
道徳水準からい
つて当然だと思います。そういう場合に、
政府はいかなる
用意があるのか、そういう点がわれわれにはわからないのであります。そういう十分な
用意なくして、かりにこれを実行いたしますなれば、その結果が
独禁法の法の
精神とは、はなはだしくかけ離れた
状態になる、こう考えます。
それから
合理化カルテルの場合でありますが
カルテルの必要がなく
なつた場合にはやめさす、廃止さす、あるいは取消しをする、こういう
建前を
政府はと
つておるのでありますが、
合理化が必要でなくなるということは、どういう時期をも
つて判定するか、
合理化は
企業の存する限り永久に進めて行かなければならないのであります。それを何を
標準にして
合理化をもうやらなくてもよろしい、あるいはこれをやらなければいかぬということを
政府は決定しようとするか、もしその
標準がなければ――
合理化カルテルなどということは、
企業が存続する限り続け得るものであ
つて、いわゆる
例外規定としてこれをこういう
状態で
独禁法に設けるということは、いかがと思います。そういう
意味であるいはごく特殊な場合は、こういうことも必要があるかも存じませんが、
一般的にい
つて合理化カルテルそのものは何を
意味しておるのか、私にはわかりません。
企業の存続する限り
合理化は当然で、それを
カルテルを行わしめる、ではそれをいつ廃止さすという
基準が全然わからないのであります。
それから
合理化カルテル、
貿易カルテル、
不況カルテルともに同じでありますが、それは
認可いたしますときには、
業者からその必要なことを立証するということを考えておるようでございますが、その立証ということはどういうことを
意味するのか、それも具体的な
用意がなくてはならぬと思う、またその立証したものを
調査認定いたします場合に、
消費者の
利益を考慮いたしますならば、
相当徹底した
調査をいたさなければならぬと思います。ただ出て来た書類に、
収支決算は赤字にな
つておるから判を押すというのでは、これは
認可じやありません。これは
独禁法を廃止するのも同然であります。そういうことは現在
政府の考慮しておる
改正法の
考え方の中には、どこを探しても見当らないのであります。どういう
考え方で
認可の
基準を定めるのか、前に申し上げました
通り、
中庸の
企業の
生産費の
原価を通して計算するのか、何を
意味するのかということがわからないのであります。もちろん現在
独禁法の四十条とか四十六条には、
公正取引委員会はいかなる
調査でも、
帳簿の
調査、
資料の
調査に、踏み込んで来て
調査をすることができるようにな
つておりますが、実際それをやるだけの決意がほんとうにあるのかどうか、その問題もはつきりしておかないと、特殊の場合に
カルテルとか、あるいは
不況とか、
合理化とか、
貿易とかいうことに名をかりて、
独禁法そのものの
精神が根底からくつがえされるという心配があると思います。その点については十分なる
法案の
用意が必要だと思います。
それから
カルテルの
認可権の問題でありますが、結局
通産省と
公取委員会の
妥協というようないきさつもありまして、二重に
監督権を持
つておるような、要するに
公取委員会の認定を得て
主務大臣が許可する、こういうようなあいのこのような
妥協の
法案ができそうであります。そもそも
独占禁止法の中に
中務大臣――具体的に申しますと
通産大臣が運営の
責任者に入
つて来るということか法文上うたうことが、
独禁法の
精神からい
つて、これが筋が通らないことは当然であります。
通産大臣は
通算行政の
立場からやればいいので、
独禁法の中に
通産大臣が顔を出すということは法の体系を乱るものであり、許すべからざるものだ、こう思います。しかもさきに申し上げましたように、
公取委員会はいろいろの
調査をいたします場合に、現在の四十条、四十六条で
相当強い
権限を持
つております。やろうと思えば徹底的にやり得る。ところが
認可権限を持
つておるところの
通産大臣はいかなる
権限によ
つてこれをやり得るか、それは
独禁法の
改正の中には見当らないようであります。
認可権限を持ちながら
調査の
権限がない、こういうようなまことに不可解なる
法律の
改正が行われようとしておるのであります。結局筋を通さないで、両方の対立したものをまとめたという、まことに不合理きわまるとんでもない結果にな
つてしまう、こう思います。
従つて私は
認可権は
公取委員会にまかす、
通産大臣あるいは
主務大臣は
独禁法の上に頭を出すべきでない、こう考えます。
それから今度の
独禁法の
改正というものは、主として
業者の
利益を防衛するということから出発しておるのであますが、かりにそういうような
改正をある
条件のもとにおいて許すといたしましても、
消費者大衆の
利益と調和する
意味において、その
認可いたします場合、あるいは認定いたします場合、あるいは申請があ
つたけれ
ども、
認可を拒否するというような場合には、その一切の内容というものを
公取委員会は天下に公表すべきだと思います。すべての
権限はおれにまかせろというのでなしに、それが
国民生活にことに重大なる関係のあるものでありますから、一切の問題を公表するということが必要であろうと思います。現在
通産省で
行つております
綿紡の操短のごとき、何ら
権限がなく、か
つてな行政でや
つておりますが、しかもその上に一切の
理由を発表しない。もちろん簡単な
理由は発表しますが、
消費者大衆の納得の行くような
理由を発表していない。防績会社の
経営については一切発表していないのであります。こういうようなことがもし今後特殊な
カルテルを
認容いたします場合に行われますならば、ますます法の運用は誤
つて来る、こう思います。
それからこれは直接に
独禁法とは関係がないのでありますが、この
委員会の
皆さんに特に御研究願
つていただきたいことがありますので、一言申し上げます。公正なる
競争とか、あるいは公正なる取引を
業者に行わせるためには、一番大切なことは
商品の規格とか、あるいは
商品の品質、そうい
つたものについて、国権によ
つてこれを鑑定、審査する。あるいは
業者の自主的な団体によ
つて検査してもいいのでありますが、たとえば洋服にいたしましても、一割のスフが入
つていると思
つて帰
つて来ると、三割入
つておる。あるいは染物を買
つて来て洗濯すると一度にはげてしまう。要するに品質というものについてもう少し公正な取引を期するためには、国家は責任を持つべきではないか。いわゆる品質表示の制度というものをこの際あわせて考えることが
経済安定のために、
国民生活の安定のために、どうしても必要ではないかと考えるのであります。
独禁法の
改正等に直接関係ありませんが、間接にはやはり公正なる取引を行わしめる上において、品質表示の制度を御研究願いたいと考えるのであります。