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1953-03-12 第15回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年三月十二日(木曜日)     午前十時五十四分開議  出席委員    委員長 佐藤 洋之助君    理事 飯塚 定輔君 理事 森下 國雄君    理事 平川 篤雄君 理事 受田 新吉君    理事 帆足 計君       池田  清君    塚原 俊郎君       中山 マサ君    野澤 清人君       森   清君    亘  四郎君       臼井 莊一君    武部 英治君       田原 春次君    堤 ツルヨ君       柳田 秀一君  出席政府委員         外務政務次官  中村 幸八君         引揚援護庁長官 木村忠二郎君         運輸事務官         (海運局長)  岡田 修一君  委員外出席者         参  考  人         (日本平和連絡         会委員)    平野義太郎君         参  考  人         (参議院議員) 高良 とみ君         参  考  人         (日中友好協会         常任理事)   加島 敏雄君         参  考  人         (日本平和連絡         会事務局長)  畑中 政春君         参  考  人         (日中友好協会         理事長)    内山 完造君         参  考  人         (日本赤十字社         外事部長)   工藤 忠夫君     ————————————— 本日の会議に付した事件  中共地区残留同胞引揚に関する件     —————————————
  2. 佐藤洋之助

    佐藤委員長 これより会議を開きます。  本日は、中共地区残留同胞引揚げ促進に関しまして、在華同胞帰国打合せ代表団方々により事情を承ることにいたします。  ただいまお見えになつておる代表団方々を御紹介申し上げます。  まず副団長平野義太郎君を御紹介申し上げます。(拍手)  次いで参議院議員高良とみ先生を御紹介申し上げます。(拍手)  次いで日本赤十字社外事部長工藤忠夫君を御紹介申し上げます。(拍手)  次いで日中友好協会常任理事加島敏雄君を御紹介申し上げます。(拍手)  日本平和連絡会事務局長畑中政春君を御紹介申し上げます。(拍手)  なお、団長の島津忠承君は、発熱せられまして、本日は御欠席になりましたことを御報告申し上げます。  これより参考人方々からお話を承ることにいたしますが、その前に、御列席参考人方々一言あいさつを申し上げます。このたびの中共地区残留同胞引揚げ問題については、集団引揚げ中絶以来、留守家族はもとより、国民ひとしく待望いたしておりましたところでありまして、われわれも在華同胞帰国打合せ会談の成果を期待いたした次第でございます。本日ここに帰国せられた代表団方々より、この会談経過並びに結果について事情を聴取し、もつて委員会海外胞引揚げ促進に関する調査のよき参考といたしたいと存ずる次第でございます。各位には、長途の御旅行より御帰国早々、まだ旅装もお解きにならず、お疲れのところを御列席を煩わし、委員長として厚く御礼を申し上げる次第でございます。  それでは、まず平野参考人より、帰国に至るまでの中共地区残留同胞帰国に関する交渉経過並びに結果について、その概要のお話を願いたいと存じます。平野義太郎君。
  3. 平野義太郎

    平野参考人 まず最初に、在華同胞引揚げにつきまして国会議員各位から終始御援助をいただきましたことを厚く御礼を申し上げる次第であります。今日島津団長が発熱せられましたので、団長よりまず最初のごあいさつを申し上ぐべきところ、かわりまして私から一言あいさつを申し上げたいと思うのであります。  一月の二十六日に出発いたしましてから、三月の十日に帰りますまで、四十二日間の日を経たのでございますが、二月の三日以来非公式に意見の交換を行いまして、正式会談に入つたのは、到着以来十五日目の二月十五日のことでございました。このように最初正式会談までに日数を要しましたわけは、何と申しましても三万人もおられる多数同胞帰国問題のことでありますから、相互に十分に資料を出し合いまして、下相談を尽しまして解決に持つて行きたいということで進んで参りましたから、そういう考慮が入つて下相談の時間が長くかかつたわけであります。でありますから、第一回の正式会談が始まりまして、基礎問題が討議をせられまして、了解がつきました以後は、会談は比較的順調に進捗いたしまして、わずか四回の正式会談で、配船その他の具体的な問題につきまして議がまとまつた次第でございます。その結果、第一船では五千人のわが同胞が三月二十六、七日ごろには日本にお帰りになれる。その後は大体二十日前後の間隔をおきまして、三千ないし五千名の邦人が相次いで帰つて来られることに相なりました。会談は終始きわめて友好的な雰囲気のうちに行われましたが、これは中国側が、帰国を希望する日本居留民すべてを一日も早く帰国させるためには積極的な援助——汽車賃などすべてただにするとか、いろいろな援助を与える用意があることをはつきり示しましたし、また日本の方の側は、中国在住邦人及び留守家族の心中をお察し申し、配船その他において万難を排して邦人帰国の実現をはかろうとしたからでございます。交渉の結果は、三月五日私どもの署名をいたしました共同コミユニケなり、中国側公報にすべて織り込んで発表しておりますから、詳細は省き、また後に御説明申し上げることにいたしたいと思います。  なお、その内容のある部分につきましては、若干の御意見あるいは疑点もおありになる向きもございましようか、今回の交渉は、いまだ両国の間に正常な外交関係が存在していないという特殊情勢のもとに行われているものであるということ、並びに三万人前後に及ぶわが同胞を一日も早く帰国させ、また五十万以上にも及ぶ留守家族に満足を与えて、長きにわたる両者の望みを実現したいという一念から行われたものでありますから、この公報コミユニケ通りに実行されるものと確信してやまない次第であります。  中国在住居留民たちは、短かい者は八年、長い者は十五年、三十年、あるいはそれ以上も現地に住んで、生活の安定を得ておる者も多いのであります。帰国後の就職、住宅などにつきましては、一抹の不安を感じておりますから、これらの同胞帰国の喜びが生活の不安に打消されることのないよう、十分の御措置を講ぜられるように、特にここで御配慮を願いたいと思う次第であります。
  4. 佐藤洋之助

    佐藤委員長 なお代表団方々より補足的にお話を願いたいと思います。この際参議院議員高良とみ君にお願いを申し上げます。
  5. 高良とみ

    高良参考人 私ども中国に在存いたしております同胞帰国に関する中国側の決定に従つて招かれて行つたものでありますが、この在華同胞帰国計画は、最後の日に私の聞きましたところによりますると、よほど早く計画されておつたということを相当な責任者が申したのであります。これは公式の席上で言つたのではありませんで、送別会の席上でありましたが、昨年の初めごろから計画があつたということであります。さらに、紅十字会としましては、モナコにおける会談のときに、日本赤十字社から在華同胞のことについて依頼かつ相談を受けたので、帰つて来た中国の紅十字社の幹部は、中国政権中央部と相談して、それ以来この工作を開始し、昨年一月相当な幹部の間でも意見が整い、昨年五月から六月にかけて、たまたまモスクワ会議あとに私が招かれて北京に入りまして、外交部及び内務部その他、個人的に申せば李徳全、宋慶齢、郭沫若氏等に日本同胞帰国のことを懇請しましたときには、向うも受入れる用意があつたもののようであります。当時、人数について調査がまだまとまらないから、いずれ決定したら日本へお知らせするという返事を持つて私は帰りました。仄聞するところによりますると、夏のころから正式な公安局を通しての在華邦人調査を進めたようでありまして、その届出は、ほかの国の外人、つまりほかの国から来ております居留民と同様に、みんな登録を必要としておつたのであります。そうして外僑証明書というものをみんな保持しておるようであります。実物を見たことはありませんが、それには写真もついておるのであります。さらに、帰国日本人でありますが、日本居留民帰国について、そういう目的がありましたので、九月、十月にかけてこれを強化し、公安局の統計がだんだんそろつて来まして、十二月一日の発表前には、三万人前後という数を公安局がつかんでおつたのだという話を責任者からも聞いたのであります。但し、この分布状態及びどこにどういうふうにおるかということは、会談の間に私どもただしましたけれども、これは国内事情であるから、これには触れないでもらいたいという返事でありましたので、大分努力しましたが、分布状態及び三万人前後というものの基礎を示してもらうことはできなかつたのであります。同時に、昨年九月ごろから十分異動がありまして、今まで重要な工場等責任者でありました者がその所からしりぞいて、ほかの人に譲る仕度を始めたようであります。これは、鞍山等製鉄所が機械化されまして、人員を要しないソ連式のオートマテイツクな状態になつたということもその一つであるということが、新聞にもまた邦人手紙にも書いてありました。そこで、昨年の暮れを限つて公安局から、日本人居留民証明書をもう一ぺん出せ、それから写真をつけた帰国申請書を出せという通達が各地にあつたようでありまして、写真を四枚添えて出したということであります。そうして、さらに今度は、公安局がそれらの人々を親切に呼びまして、日本人中国人の妻になつておる人たちにも、日本帰つて母や兄弟に会いたいだろうから、この際帰つたらよかろうということで、勧誘を受けた人たちが大分ありました。そこで、私ども参りましたときは、大分準備ができておつたようでありましたが、ただ邦人としては、旅費がどうなるのか、荷物の制限がどうなるのか、あるいは船が来るのか来ないのかということを心配しておられたので、そういう質問手紙も大分受けました。ことに法律的に中国人の妻になつておる者が、夫の死亡後中国で生れた子供を連れて帰れるだろうかとか、そのほか法律的な根拠はどうだというような、戸籍法上の疑問も大分あつたようでありまして、日本東京ラジオにほとんど朝から十一時ごろまでかじりついておつたというような実情のようであります。  あちらにおります間、私ども一行は北京接待ホテルにおりまして、ただいま平野さんからお話のありましたような経過で、正式会談は三回で、四回目に署名いたしました。その前に予備会談が数回ございましたが、これを要約いたしますのに、今回の会談は、政府政府の国交が回復しておらないのみでなく、戦争終結もしておらないというところに自分たちも困難を感ずるのであるが、しかし長く中国にとどまつて中国工作に貢献してくれた日本人をなるべく帰したい、それで、民間団体であり人道主義に立つております赤十字社平和主義の二団体を招いて、この仕事民間民間で完遂したいというのが向う主義主張であつたのであります。こちらもそういう礼を受けて立つたわけであります。たまたま、まだ中国国民の一般は日本侵略戦争から受けた被害を痛感しておりますので、日本人はどういう人が来るかということに対して危惧を感じておつたようでありましたので、高良、お前も来いということであつたらしいのであります。  経過を顧みまして、今後国会として処理して行くべき問題が幾多あることはもちろんでございますが、さしあたつて、今度の帰国問題につきましては、向う引揚げというふうには言わないでほしいという要望を出したということを一言申し添えておきます。つまり向うは、追い帰すのではない、また不要になつたから帰すのでもない、また国と国との関係で、つまり抑留しておつた者引揚げを許可するのでもない、そういう国家的なものではなくて、他の外国居留民と同じく、中国に在住しておる者が自由帰国する、——願帰国であるのを赤十字社その他の団体援助するのだという建前であります。しかし、こちら側としましては、国家の責任政府責任もございます上、その帰る人たちが受けます援護等考えてのことであつて日本側が使つておる引揚げという言葉意味は、そういう外交的、国際的な意味をもつて使つておるのではないということは、よく向うに伝えてあります。さらに、福祉方面といいますか、それを申し上げますならば、各職場に働いております者は、退職資金に相当するところの社会保険労働保険の金をみな持つて帰りますから、満鉄あるいはその他医院等に勤務した者は、前からの継続年限を加算して二十五年、三十年の勤続年次に相当し、六十歳以上であるならば、今までの俸給の百%の五年分の年金を持つて帰るのであります。六十歳以前ならば七〇%を持つて来る。そのほか各職場から送別金をもらう。衣類、背広、帽子、くつなども、希望するならば日本に帰るのに職場でつくつてくれる。今まで生活に使つておりました家財道具も、最後の日まで使用して、しかもそれを相当な価格で買い上げてくれる。借金があるならば、紅十字において中国人に迷惑をかけないように処理するということであります。これらの物資及び金は、すでに帰国許可発表のあつたときに本人に手渡されておつたのであります。こんなふうで、私ども中国を出ます三月六日には、もうすでに、北は天津、また南は衡陽、長沙その他から、居留民の半数ずつが移動を始めまして、御承知の通りの三つの港に約五千人ずつ集結いたしております。その間の費用は全部紅十字が持つわけであります。こちらの配船に関しましては向う同胞は非常に鶴首して待つておるわけでありますが、帰りましてからの更生の手当につきまして多少不安を感じておるようでありまして、一番に心配いたしているのは、職業があるか、住宅があるか、それから、子供等が学校に行つても非常に程度が違つているのではないか、また多少なりとも思想的に差別扱いをされるのではないかということのようであります。これらにつきましては、私どもも極力慰撫いたしまして、貧乏を一緒にする覚悟で帰つて来ていただきたい、決して大陸のように食物が安く衣類も安い生活をみんなと受けるという気持にはならないで、貧乏な敗戦した日本であるからということをよく手紙で申してやりました。  なお、一言思想問題について申し上げますならば、種々な学習をいたしております。東北地方では、初めのうちは隔日に学習会というものがあつたそうでありますが、最近は、正月以後は毎日学習会をやつている、——それはどういう内容か、よく存じませんが、要するに、中国がこういうふうになつたのはどういう過程で、どういう理想でやつているかというもののようであります。大体において、平和主義で、それから国際主義で行きたい、どの民族も平等で行きたいということ、従つてまた、新中国の新民主主義というものをもよくわかつて帰つてくれという、社会主義理想に向つているということであります。多分皆さん御懸念であると思う革命主義につきましては、もちろんそういうことも出ておつたようでありますが、その種の質問等手紙で受けましたけれども、その人たちの腹の底を割つてみますと、こういう環境におつて、こういう国柄であるから、革命が行われたことは事実として認める、しかしながら、そこはこの国の主義であつて、われわれの感情及び思想は、何といつても、長い間海外にあつて苦労をして、日夜夢に思うのは祖国のことである、ことに敗戦した祖国がどんなに苦しい状態なんだろう、自分たちが仄聞するように苦しいものならば、なお行つて老いたる者、若き者に仕えたいという精神で帰るのだということが本音のようであります。総括いたしまして、それらの人の主張は、この国で学んだもののいいところはとつて帰る、しかし、日本を住みよいところとし、美しいところとしたいという愛国心に燃えて帰る、望郷の念ばかりでなく、母なる祖国に抱かれる日を切に待つているのだということが本音のようであります。若い人たちの中には、ちよいちよい日本帰つてから何でもやりますという手紙がありましたけれども、老齢な人たちは、船の中でもわれわれはもう一ぺん思想を洗い直して、日本社会にどう仕えるか、残る余生を日本平和建設のために尽したいというのがわれわれの本音であるから、どうかまま子扱いせず、疑わず、あたたかく抱いてもらいたいということでして、これが大多数の真心であつたことをお伝えすることが私の義務であると思います。  なお、お尋ねがありますれば、あとでお答えいたします。
  6. 佐藤洋之助

    佐藤委員長 なおこの際日中友好協会常任理事加島敏雄君よりお話を願いたいと思います。
  7. 加島敏雄

    加島参考人 一言あいさつさせていただきたいと思います。  今般われわれが中国に渡りまして、終戦以来日本国民の絶えざる関心の的でありました中国に在留する日本人帰国問題について中国側と話合いができたということにつきましては、国会はもちろん各方面からも非常な御援助があつたことについて、この機会にお礼を申し上げたいという気持であります。  すでにいろいろ平野高良両副団長から話がありまして、私から特に補足することはないのでありますが、ただ一言、今般の日本人帰国について中国側がどういう考え方でおつたかということを簡単にお話したいと思います。中国代表団団長となつた廖承志氏は次のような言葉を述べております。それは、今般の日本人はわれわれと同じ大地に生活した人間である、従つてその人々日本帰つてどういう生活をするかということについてはわれわれは非常な関心を持つている、決して中国におつた中国で働いておつたということによつて日本帰つて差別待遇を受けることがないように、どうか皆様のぜひ御協力を願いたいということを述べたのであります。この言葉の中に、今度の会談その他を通ずる中国側態度が非常に明確に表わされているというふうに言えるのではないかと考えております。あとこまかなことは、また後ほどにさせていただくことにして、この中国側の趣旨に沿つた全体の経過であるというふうに、私は判断しているものであります。
  8. 佐藤洋之助

    佐藤委員長 次いで、日本平和連絡会事務局長畑中政春君よりお願いいたします。
  9. 畑中政春

    畑中参考人 もうお三人から述べられておりますので、補足することもありませんがただ一言申し上げたいことは、新しい中国人たち政治経済方式、またそこから出て来るところのものの考え方というものが、われわれが住んでいるこういう政治経済方式と、そこで持つている考え方というものとは非常に隔たりがあるし、われわれがこういう環境の中で、中国の人はこうもあろうと想像しておつても、そのこととも非常なずれがあるということが、今度の会談を通じて私はよくわかつたのであります。そのことは、たとえば、先ほど高良さんから言われましたが、帰国引揚げという言葉使いわけ、これは、日本新聞あたりでは、さすが中国人は漢字の国で、文字のことはなかなかうまいことを言うものだなという、ひやかし半分の批評みたいなこともありましたけれども、そういうような生やさしいものでは決してない。帰国引揚げというような言葉使いわけは、文字の国だからうまいことを言うというような、そういう生やさしいものでは決してないということ、また三団体乗船を認めるか認めないかというような問題が非常に中心的な問題になつておりますけれども、こういう問題につきましても、ほんとう中国人たち考えというものをわれわれは十分に理解しなければ、この問題はほんとうにつかめないということを私は考えているのであります。いずれにいたしましても、中国人たち、この人たちは、われわれが長い間いろいろな形において接触してよく知つていると思つておりましようが、新しい中国の人の考えというものは非常にかわつて来ている。そして、このかわつて来ている人ではありますけれども、しかしやはり、お隣りの日本国民と仲よく平和に暮したいという一点においてはかわつておらない。そういう仲よく平和に暮したいというこの人たち気持を、やはりよく率直に認めて、そうして中国国民日本国民とが信頼し合つて、そうしてものを話して行かなければ、複雑な、微妙な、困難な国際情勢において、三万人というたくさんの日本人を一方の国から他の国に帰つていただくというような仕事は、とうてい順調になし遂げられるものではないということを私は痛感したのでございます。この点につきましては、後刻皆様からいろいろな御意見もありましようし、その都度々々お答えすることにいたしたいと思うのであります。     —————————————
  10. 佐藤洋之助

    佐藤委員長 この際委員長より申し上げたいことがございます。  ただいま畑中君もお話がありましたが、今回の引揚げの性格について、帰国もしくは引揚げというような問題がありましたか、すなわちリパトリエーシヨンという言葉の解釈につきましてはさておきまして、本委員会は、あくまでも中共残留同胞引揚げということで対処いたしております。従つて引揚げということであるからして、わが日本政府におきましては、これに対して十分なる受入れ対策、その後の援護対策というものが生れるのでありまして、われわれ委員会としては、あくまでも引揚げという言葉においてこれを取扱つて行きたいのであります。なお、当面の問題といたしまして、三団体代表者が、引揚船の出帆を明後日に控えまして、これに乗船するということが取上げられております。政府もあまりこのことにつきましてははつきりした態度を示しておりませんようでありますが、本委員会におきましては、三団体をしておのおのその船々に乗り込ませることがこの引揚げに対しましてきわめてスムースに運ぶという見地からいたしまして、委員会におきましては、政府に対しまして、三団体の乗組みについて相当なる便宜をはかることを要望いたします。なお、政府は、この三団体方々の乗組みに対しまして、船員待遇をするか、あるいは旅券を交付して行くかという二点に問題がかかつているようでありますが、この処置につきましては、三団体の行動をして相当な効果をあげしむる意味におきまして、私はこれまた政府の善処を要望したいと思うのであります。なお、これらにつきましては、本委員中から柳田秀一君がその選に入つているようでございまして、その御労苦に対しましては、まことに感謝をいたしております。  以上、委員長といたしまして、皆様の御質問にあたりまして、前提として一応これだけを申し上げておきたいと思います。     —————————————
  11. 佐藤洋之助

    佐藤委員長 この際、日中友好協会理事長内山完造君がお見えになりましたから、御紹介申し上げます。(拍手)  なお、内山完造君より何かお話を願いたいと存じます。
  12. 内山完造

    内山参考人 皆様からお話があつたと思いますので、どういうお話がありましたか、実は私、昨日足をいためまして、今日は欠席さしていただこうと思つてつたところが、迎えが参りましたので、出かけて参りました。  ただいままでのお話が、どんなお話があつたか、存じませんが、けさの新聞を見ますと、三団体乗船につきまして、船員並に扱うということでありますが、このことにつきましては、私は、もしも船員としてより中国側が認めない場合に、それによつて帰国にさしつかえが生じたときには、一体だれがそれの責任を負うのかと考えるのであります。あくまで中国赤十字会は、三団体から一人ずつの人が乗船するようにということを言われております。そして日本政府とは関係がないのだということをはつきり言つておりますので、どうか、どういう形においてでもけつこうでありまするが、三団体代表者であるということをはつきりとさしていただきたいと思うのであります。それがない場合、帰国にさしつかえが生じました場合には、その責任をとるとらぬにかかわらず、留守家族に対しても非常な心配をさせ、またそれが円滑に行かないときには、引続いての船の往復に対してもまた支障が起るように思うのであります。ぜひこの点、はつきりと、三団体代表者であるということを明記するようにして行つていただきたいと思うことをお願いして、私の発言を終ります。  何か御質問がありましたら、私で答えることができるならばお答えいたします。
  13. 佐藤洋之助

    佐藤委員長 後ほどそれぞれ質問を申し上げますから……。  この際日本赤十字社外事部長工藤忠夫君よりお話を願いたいと存じます。
  14. 工藤忠夫

    工藤参考人 十二月一日の北京放送の趣旨によりまして、大体先方は民間団体であるところの紅十字会、こちらは日本の適当なる機関または他の人民団体というような表現でありましたので、大体の想像はついたのでありますが、あちらに参りまして、今回の交渉は、先ほど平野団長からも申されました通り、人民団体同士の交渉である、日本政府を相手にしないという立場が、非常に明確になつたのであります。実は私は、赤十字の代表者といたしまして、第一回の正式会談の際、実は向うの紅十字会の代表であります廖承志団長から、日本政府の立場を、中国の立場から見て、アメリカに使われている、そして国民政府と講和条約を結んで、中国国民に対して敵意を持つているというようなことが言われまして、こういう人道主義会議でそういう政治問題が出るということはどうかと思いましたけれども、その後中国の各団体を訪問いたしまして、いろいろのことを聞きますると、結局日本の過去の帝国主義に対しては中国国民は非常にこれを恨んでいる、しかし日本国民に対してはかわらざる友情の関係を持つている、こういうことを至るところで、同じような口調で聞きました関係から、これはどうも、別に廖さんが政治的な意図をもつて言われたのじやない、結局民間団体を選ぶにあたつての一つの理由、また民間団体としてわれわれ三団体を選んだことを裏から言われたのじやないかと思つて、大して気にしておらなかつたのであります。事実、経過に徴しましても、政府を相手にしないが、三団体の代表を日本国民の代表として十分信頼してやるという態度にはかわりがなかつたのであります。そういうぐあいでありますから、三団体の代表が船に乗るということで相当いろいろの問題を起しておるようでありますが、この船に乗るという問題も、結局そういう思想の一環でありまして、この船に乗るや乗らないやの問題は、もともと三団体日本の代表として選んだことが適当であつたかどうかという根本観念にさかのぼつて解決すべきものと思うのであります。そういうわけでありますから、三団体の代表が船に乗れということを向うが言うのは理論上当然なのでありまして、この問題は、われわれが当初に選定されたときの問題とあわせて合理的に解決さるべきものだと思つております。私はそういうように解しまして——中国側が三団体代表を選んだ理由について、みずから質問をしたのでありますが、その裏づけとなる理論がそういう趣旨でありましたし、その団体乗船することによつて帰国が最も円滑に行くというような確信に満ちた言葉がありましたので、われわれとしては中国側の要望を受諾したわけであります。  それから、私個人の感想を申し上げます。会議の持ち方につきまして、畑中さんも言われましたが、両方とも社会組織が異なるという見地から、われわれはお互いに机の前にすわつて、完全に、もう思うままをしやべつて、その場でどんどん事を片づけて行くのだ、こういうつもりでおりました。ところが、先方は非常に計画的な交渉方法でありまして、大体の方針を定めて来て、その範囲内で交渉する。そしてわれわれの方が意見を出しますと、その意見を記入いたしまして、われわれの意見の表示あるいは要望に対して先方は慎重に研究して、また会議に臨んで来るというようなことで、その場その場で片づけるというよりは、大体正式の会議で問題を解決して行く、こういうような方法になりましたので、わずか一週間や十日でなかなか片づかなかつたというようなことも、そういう会議の持ち方に関する相互の立場の相違ということで多少長引いたということはあります。また、こういう先方のやり方に対して、われわれが認識不足であつた——早く資料を思う存分出しておけばまだ少しは早く片づいたかと思うのでありますが、そこは長く両者の間に連絡がない関係から、相互の認識が不足であつたということにつきましては、われわれも責任の一端を負担しなければならないと思つておるのであります。しかし、一たび根本的な問題について相互の立場がわかりますと、問題はきわめて円滑に進行いたしまして、初めは十五日もかかりましたけれども、十五日からは、わずか十日で、根本問題から実施問題にするすると動きまして、問題が早く解決されたような次第であります。私の感想といえば、まだたくさんありますけれども、大きな問題はそういうような問題であります。そして中国側のわれわれに対する歓待ということは非常なものでありまして、国民代表としてのわれわれに対する態度はきわめて好意に満ちたものでありました。  それから、日本の在留民に対しましても、決してわれわれが想像しているような——この想像するというのは、結局は疑心暗鬼を生ずるというようなところから、相当虐待しているのではないかというような考えもあると思いますが、実際には、私は現場はいろいろ見たわけではありませんが、新聞を見たり、中国の雰囲気の中にあつてホテルの窓から社会情勢をながめるとか、それからまた中国の要人たちと接して話したところ、あるいは在留民から手紙——私はその手紙をたくさんは受取らなかつたのでありますが、受けたところによりましても、相当生活の安定を得ているということは、もう確実な事実であります。こういうようなぐあいでありますから、出る前には、港まで出るいろいろの手続とか、それから旅費なんかは一体日本政府が負相すべきではないかというような議論もわれわれの団体の部内からも出たくらいでありますが、行つてみると、いきなり向うから、旅費は全部おれたちが持つというような話で、われわれは向うの寛大な態度に逆にびつくりしたような次第でありました。それから、さらに出国手続につきましても、写真代が幾らいるとか、手続費用に幾らいるとか、それから借金があるかないかというような広告について相当額の金がいるとかいう話を、前の船で帰りた人から聞いたのでありますが、そういうような費用は今回は一切いらないというようなお話であつたのであります。そういうぐあいで、旅費は港まではただ、食糧もただ、それから荷物も、実はあの共同コミユニケの中に、荷物は五十キロまでは紅十字会が負担し、五十キロを越えるものについては帰国者自身の負担だということがあつたのでありますが、内山さんの御注意で、それでは一家族でやる場合でも結局五十キロ以内かというような疑問が出ましたので、これは各人について五十キロと了解するが、それでいいかと言うと、これは間違つてつた、文意が明確でないから、各人についてということを特に入れましようというように、わざわざ団長から訂正がありまして、われわれは先方の明確な態度に感心したような次第であります。それから、持つて帰る金につきましても、一定額を各港で外国貨幣に換算することができるというように非常に制限する趣旨で書いたけれども、お金の問題は、実際問題としては無制限にかえて帰す方針である、瀋陽から帰つたある日本人で、約八千万元持つて帰る人があるが、これは中国でも相当な金であるけれども、これらは一定額と言つているけれども、みなかえる、——八千万元といいますと、大体百二十万円くらいになるのではないかと思います。その他二、三千万元持つて帰る人もずいぶんあるけれども、これらはいずれも各港あるいは中国側の指定するところで香港ドルにかえて帰すというような明確な発言があつたのであります。われわれは、こういうような中国側の好意を予想以上にいいものと思いまして、中国側態度に感謝の辞を述べたような次第であります。事実団長は、自分たちはうそは言わない、発言したら必ずそれを実行するから、皆さん安心してくださいというような言葉でありましたので、私たちは、その約束を確実に実行されるものと信じまして、先方の言葉を了承して、コミユニケにサインしたような次第であります。  ちよつと私の感想をお伝えいたします。
  15. 佐藤洋之助

    佐藤委員長 これより参考人の御報告に対しまして質疑を許します。質疑は通告順にこれを許可いたします。中山マサ君。
  16. 中山マサ

    ○中山(マ)委員 皆様方の御苦労をまことにありがたく感謝をいたすものでございますが、出発に際して、随員四名は外務省では不必要とも言つてつたようでありますが、ぜひ必要だという、主張で同道されたのでございますが、ただいままでのお話を承つておりますと、向う皆様方に対して来たその態度だけのお話のように私は聞いておりますが、四人の随員も、非常に忙しいのでぜひ必要だとおつしやいましたその点から考えまして、今度の協定締結についての各自の個々の御活動状況を承りたいと思います。
  17. 高良とみ

    高良参考人 行きました翌日くらいから、この国との交渉は、腹の底まで、一応持つている材料を並べて提出し、向うに考慮させた方が早いという一、二の内報を得ましたので、それ以来、全部の材料、船のこと、それから帰国する人の範囲のこと、日本の国籍法のこと、それから制限のこと、その他のことを、毎日予備会談といいますか、私どもの間で打合せ会を朝九時から昼は四時過ぎまでいたしまして、そういうものを組織立ててそろえて、そうしてそれを清書して、向うの窓口を通して向うに提出したのでありますが、まず第一回として、それらのことについては、船の人も、あるいは国籍の人も、あるいは範囲の人も、全部小委員会をつくりまして、その間で、これにもまだ残つた材料がないか、これにもないかということで、方々で勉強をし、それをまとめたわけであります。さらに、会談の途中でも、あとからあとと、やつぎばやに、こちらの材料を資料として提出したわけでございます。初めは、こちらは、材料というより、むしろ交渉条件というふうに考えたのでありますが、会談のときに、これは資料ということにしましようということになつた。その後にも、特殊問題小委員会というものがありまして、経済問題、借金及び持帰り金の小委員会というものをつくりまして、全員、工作員諸氏もフルに働きまして、それに内地との電報その他で、夜中の二時、三時まで電報を打ちに走つたり、中国語に訳したり、英語に訳したり、その他で、みな御活躍になつた次第でありますから、そういう人たち仕事が十分であつたということを、私は概論として申し上げておきます。もしその資料が御必要なら、各係の小委員責任者がおりますから、あとでごらんくださつたらよろしいと思います。
  18. 中山マサ

    ○中山(マ)委員 それでは、あとで、各自の御活動になりましたその範囲をこの委員会へぜひひとつおまわしいただきまして、私ども皆様方の御苦労の跡をしのびたいと思います。  その次の問題は、日本側からは、赤十字と、あとの二団体と、三団体においで願つたのでありますが、中共側の代表団の構成はどういう団体でございましたか、中共紅十字以外にもまだ何らかの形で代表が出ていたかどうか、その構成について承りたいと思います。
  19. 工藤忠夫

    工藤参考人 それでは、こちら側がどういうように分担したかということ、それから先方の代表団の組織ということについて、簡単に御報告いたします。  先方の代表団長は廖承志氏という方でございまして、中国の紅十字会の顧問であります。それから、次席の代表は伍雲甫という中国紅十字会の常務理事の方でございます。第三席の方は趙安博という方でありまして、中国紅十字会の顧問元瀋陽で日僑管理委員会の副委員長をやつておられた方で、日本人状態について最も詳しい資料を持つておられた方のようであります。それから、第四番目の人は林士笑という中国紅十字会本部の人でありまして、お医者さんであります。五番目の人は、新聞に出ていますから御存じでしようが、倪斐君という御婦人で、やはりお医者さんであります。それから最後の方は紀鋒という外事部長兼副秘処長というような方でありまして、いずれも紅十字会の本来の人でありました。趙安博という人と廖承志さんは、本来紅十字会の人ではないのですが、日僑の帰国問題についての政策とか、あるいは実際問題に対するエキスパートとして最も高い地位にあられた方のように思います。  それからわれわれの方は、今回の会談内容を三つにわけまして、まず第一の問題は帰国する人の範囲の問題であります。第二は配船の問題、それから第三番は経済問題、すなわち在留民が帰るにあたつて経済的に苦労がないように何とか仕向けたい、そういう問題について中国紅十字会と交渉し、似るいは先方の意向を承る、こういうような経済問題であります。それから第四番目は、今回の交渉の範囲内には入らないけれども関係のある事項、いわゆるその他に当る問題でありますが、この四問題にわけまして、それぞれ代表間に担当をきめて、専門的にこの問題を研究しまして、各項目ごとに先方にわれわれの希望なり、あるいはわれわれの考え方、意向、あるいは先方に対する質問、こういう条項をまとめまして、一々先方に書きもので出すわけであります。これに対して先方は各項目ごとに答えてくれました。それから、先方は回答の必要なしと認めたものは回答して来ない。回答して来ないものについてはさらにこちらが質問する。それでも回答しないような点は、結局回答の意思なきものとして、われわれはこれを了承せざるを舞いのであります。なお、第四項目の諸問題の項につきましては、本来はそうであるけれども、とにかく日本国民の要望事項であるから、われわれは国民代表としてこれを黙つて取次がないというわけに行かない。すなわち戦犯問題であるとか、あるいは多数の消息不明者の問題であるとか、あるいは抑留されておる漁夫の問題とかを……。
  20. 中山マサ

    ○中山(マ)委員 その問題はあとで取上げますから、構成だけについてお述べ願います。
  21. 工藤忠夫

    工藤参考人 諸問題として一括して、担当従事者をきめて、やつたわけであります。事務の分担は大体そういうようにしてみな責任者をきめてやつてつたのであります。あらましそういう趣旨でございます。
  22. 佐藤洋之助

    佐藤委員長 この際申し上げますが、質問の通告が多数ございますので、時間も限られておりますから、質問時間を一人十五分以内にいたしたいと思いますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  23. 佐藤洋之助

    佐藤委員長 では、さよう決します。  なお、参考人方々に申しますが、御答弁はなるべく簡潔にお願いしたいと存じます。
  24. 中山マサ

    ○中山(マ)委員 ただいま、第一席の廖さんとおつしやる方は紅十字の顧問だというお話でございましたが、その方のほんとうのお仕事は何でございましようか。参考のために聞いておきたいと思います。
  25. 高良とみ

    高良参考人 廖承志氏は、東京生れで、一九〇八年生れですから、四十四、五歳でございます。両親、兄弟ともここにおつた方で、早稲田中退でありますが、この人の本職は、新華社初代社長であり、また新民主主義青年運動の、主導者であり、広東省政府委員を経まして、今日政治協商会議全国委員であり、あわせて華僑総会事務委員であります。
  26. 中山マサ

    ○中山(マ)委員 工藤氏の十日ごろのNHKの放送によりますと、逆送還問題を出したら、中国を侮辱するものと怒つたということを私は聞いたように思いますが、その怒つた人はだれなのでありましようか、それが一点。  それから、どこの国でも、その国が当然入れるべきでないと思う人たちの逆送還は、これはほとんど国際の慣例のようになつておるのでございますが、また今度の協定でも当然のことと思うのでございますが、代表団はこの点でどういうふうに向う交渉してくださいましたでしようか。毎日新聞の十日の夕刊であつたかと思いますが、「ややこしい中共帰還」と題しまして、次のようなことが書いてありました。どう見ても日本人でないと思われる人間が少からずまじつていて、内地縁故者を失つた日本人だと言い張るならば、逆送還を許さぬという以上、第二、第三の鹿地や三橋どころか、もつと恐るべき計画を持つた筋金入りを、——われわれの税金による政府の費用で中共工作員を大量に輸入するおそれはないと言えない、というようなことを書いておりましたが、この点は、皆様方は責任をもつてそういう人たちが入つて来ないということをおつしやつていただけるでしようか。その点をまずお尋ねいたします。
  27. 工藤忠夫

    工藤参考人 それは、帰還者の範囲の問題といたしまして、私がこの問題について全代表団を代表して聞いたのでありますが、それより前に、書きものをもちまして——中国側が範囲外の者を送り込んだ場合には日本はこれを逆送還するというような、真正面からそういう失礼な言葉は使えませんので、この範囲内のものによらざれば入国を許すことはできない、日本はこれを拒絶するという趣旨の書きものを出したのであります。中国側におきましては、これは用語は穏健であるけれども、きわめて重大な内容を含んでおるものであるから、自分たちはこの問題を聞かなかつたことにするという趣旨で、書面を連絡員から突き返されたのであります。それで、正式の書面の受取方を拒絶されたわけでありますが、最後会議の席上で、この問題を再び出しましたところ、中国日本の内政干渉をするようなことはできない、また中国はする意思はない、革命は輸出品ではない、私の言葉を信じてもらいたい、日本が心配しているような人を自分たちは絶対に送らないから、われわれの証言を信じられたい、そして自分たちは、一たび言つたならば、約束を破るというようなことは絶対にしないから、そのつもりでおられたいという趣旨を、きわめて強い語調で言われたのであります。われわれといたしましては、中国側に対しまして日本側の意向を言つたにもかかわらず、中国側からそういうような強い言葉で拒絶されましたので、これ以上そういう問題について協定を結ぶということはむずかしいと見えまして、先方の証言を一応受取つて、今後の実際に徴してこれを見るよりほかはないと思うのでありますが、先方の廖承志団長の言われた言葉は、きわめて確信に満ち、しかも誠意に満ちた言葉とわれわれは受取つたのであります。これは私の感想でありますが、そういうぐあいで、これに関する規定は共同コミユニケの中には入らなかつたのではありますが、正式の会議で言われました以上は、相互の会議の記録に載つておる次第であります。
  28. 中山マサ

    ○中山(マ)委員 それでは、日本赤十字が向うの代表の第一席の人のその強い言葉を御信用になりましてお帰りになりました以上は、私ども赤十字社を信用し、赤十字社もまたそういうことがないように御責任を持つていただかなければならないと、私どもこの引揚促進委員会では考えるものでございますから、この点をどうぞ御銘記願いたいと思います。  三月十日の朝日で、高良とみ氏は、技術者は帰れぬということを御発表になつておりますが、十一日の同じ朝日では、全部が帰れるのだということを言つていらつしやいます。ところが、代表団向うにおいでになりましたときに、鹿児島県の留守家族であつたかと思いますが、東京までわざわざ来て、自分の父なる人は技術者であるが、帰りたいのだが、今になつて奥地に転勤を命ぜられたので、帰れないのではないかと非常に心配していると新聞に出ておりましたが、これは高良参議院議員にお尋ねいたしまするけれども、全部帰れるというのがほんとうでございますか、それともまた十日に出ておりまする技術者は帰れぬというのがほんとうでございますか、お答えを願いたいと思います。
  29. 高良とみ

    高良参考人 香港からの電報らしいのですが、私はそういうことを一言も言つたことはないのであります。聞くところによりますると、香港市に私どもの一行が入ります時間が遅れたために、外国通信社等で、この人はこう言うだろうという予測を、すでに作文を発送しておつたということを領事館から聞きましたので、帰つてから、それもその一つではないかと思つて聞いたわけであります。今日、すべて帰れるということは私も確信いたしております。帰国発表があつてから奥地に移動したということもあり得ることでありまして、それは帰さないために移動させたのではなくて、何か技術上の都合で旅行の許可を与えて、その人の乗船がきまるまでそこにおらせておるということは、多くあることであるようであります。技術者とか、そうでないとかいつて差別をすることは、中国は絶対にしないということを公言しておりまするし、また会談の席上でも、帰りたい日本人中国の国境内、すなわち政治の及ぶ範囲内においては責任を持つてみんな帰しますから御安心くださいということを、幾たびか証言されました。なお、特殊なケースとして、先ほど工藤代表からお話のありました戦犯と、それから国内法を守らないために公安局等におる人たちのことについても、最後のときに確かめておりますが、そういう例もあることは事実であります。しかしそれも、その法律を守らないために入つておりましても、刑期を終えれば——というのは、ごく短かい期間でありますが、元の住民の地位に復するのだから、これは必ず帰すと申しておりますので、技術者は帰れないということは絶対にないと私は思うのであります。ただ本人が希望してその仕事をしたいという希望残留はあります。
  30. 中山マサ

    ○中山(マ)委員 希望残留という言葉を今聞いたのでありますが、これまで何年か引揚げをやつております間に、本人の意思に反して希望残留だという極印を押されて今なおととどめられておる人も多々あることは私どもも承知しておりますので、この希望残留という言葉には、これまでの体験上、私はどうも信用を置きかねるのでございます。しかし、このことも後日またはつきりすることと思いますので、問題をかえまして、三団体の代表の乗船については、外務省は黙認することになつたという発表を聞いておりますが、初め報道されましたときには、中共からの申入れとしては、乗船することができる、これは多分英語の方がこの問題がはつきりすると思いますが、「メイ」——してもよろしいという許可の意味であつたと私は思つておりましたのに、その後だんだんとこれがかわつて参りまして、今日では、乗船せねばならぬ、「メイ」が「マスト」にかわつたよう思つておるのでございますが、この問題につきまして、いろいろと新聞なんかを見ておりますと、どの新聞でございましたか、畑中氏から阿部氏に対して、外務省へこの問題で交渉する手をゆるめるな、そのうちにはよいニュースを送るからというような私信があつたようにも私は聞いておりますので、この点は、これがほんとうに中共の意思であつたか、あるいは畑中氏などの御活躍の結果ではなかつたのかしらと私は考えておるような次第でございます。こういうふうにいたしまして、三団体がお乗りになるといたしましても、この責任をその団体はとつてくださるのかどうか。もし先ほど申しましたようないわゆる筋金入りの第二、第三の三橋、鹿地というような人が帰つて来るとしたならば、どういう責任をとつていただけるか、お伺いしておきたいと思うのであります。  いろいろ申し上げたいこともありますが、時間がもうないと思いますので、簡単にいたしますが、私が皆さん方の御交渉の結果をずつと新聞で読み、ラジオで聞き、今日もお話を承つておりますと、どうもこれでは中共一辺倒のように私は聞えるのであります。こちらからおつしやつたことは、戦犯の問題も、また漁船が拿捕されて抑留されておる人たちの問題も、少しも好転していない。これはもう単にあなたまかせの結果が今日出て来たように、私はひが目かは存じませんけれども見えるのであります。まことに、日本の外交はこれまでどこやら一辺倒だという話もございましたけれども、今度はまた違つた意味の一辺倒が出て来たので、こういうことならば、国民の税金からなるところの多額のお金を使つて行く必要はなかつたのじやないか。赤十字からいたしまして、向うと書面の取引ででも——向うの言うことだけで行くのならば、それでもよかつたのではなかろうかとさえ私は考える次第でありますが、(「極端だ」と呼ぶ者あり)極端な話になると反対側の先生がおつしやつていらつしやいますが、しかし私は、結果論としてそういうことが言い得るのではないか、まことに残念なことでございますけれども、一つもこちらからこうして、これが向うにいれられたというお話は、今までのお話の中では受取れないことをまことに残念に思うのでございます。もう少し腰強く、せめて拿捕された漁夫なりとも連れ帰つてもらつたならば、おいで願つたことが効果的ではなかつたろうか、こういうふうに思うのでございますが、これに対して御答弁を願います。
  31. 畑中政春

    畑中参考人 ただいまの問題は、前半におきましては配船の問題と関連しておりまして、実は、私が配船委員会関係しまして、配船の問題をもつばら担当しておりました関係上、私から御答弁を申し上げます。  実は、中山さんが言われました三団体乗船の問題の発端と申しますか、これは、いろいろな諸問題につきまして、われわれの意見を具体的に提出することをわれわれで決定いたしまして、そうして配船の問題であるとか、帰国者の範囲の問題とか、あるいは経済の問題などを十分に討論いたしまして、われわれの要求するところを文書にして一応中国側に提示したのでございます。その配船の問題の中で、こういうことをわれわれは最初中国側に申し入れました。日本政府は、その機関である引揚援護庁から日本人の帰還手続を援助する職員若干名を乗船させ、日本土陸後の諸手続の説明並びに復員手続の一部を行わせたい希望を持つている、なお法務省から入国審査官若干名を乗船させ、出入国管理令に基く帰国査証を行いたい希望を持つておるのであるということを、実は文書をもつて向うに申し入れた。これに対する回答は、第二回の正式会談におきまして、中国側は、中国領海に出入する日本船舶のために特に設けた規則、この規則を廖団長から逐条説明する段にあたりまして——その第八条にはこういうことが書いてあります。日本側船舶はわが国の事前の許可なくしてはいかなる旅客も乗船させることはできないということが書いてあるのであります。これを説明するときにあたりまして、わが方からさきに提出したところのその資料、つまり帰還手続等のための援護庁職員、あるいは法務省から入国審査官を、日本人であるというただそのことを確認するために乗せたいという希望を持つおるというわれわれの申入れに対しまして、この第八条の関連事項として言及し、諸君の方からすでに、日本政府からこのような希望があるという申入れを受けておるが、われわれは、今日の日中両国の関係において、日本政府の職員が中国の領海に船に乗つて入るというがごときことは想像だにすることもできない、——そのときの廖団長の顔色はすでに相当緊張しておつたと私は思うのであります。想像だにすることもできない、こういうように廖団長言つたのでございます。そこで私は、それでは政府の職員についての貴方の意見はそれでよくわかつた、それならば、われわれ三団体の代表がここに交渉に来ておる、その三団体代表者がやはり船に乗つて中国の港に入つて来るということについてはいかなる意見を持たれるかということを、参考のために私は即座に実は質問をいたしました。そうして私は、その前にこういうことを言つた。このお答えは実は今お聞きしなくてもよろしい。なお御討議の上でお聞きしてもさしつかえはございませんがということを私は前置きした。しかしながら廖団長は即座に、それは皆さんと一緒にこうして会議を開いておるのだ、皆さんと配船その他の問題を討議しておるのだから、皆さんの代表が中国の領海においでになるということに何の異存もないということを即座に答えたのであります。そのときは、それをもつてこの問題は終りました。ところが、その後実際に、日本の船が入つて来て日本帰国する者をどういうふうにして乗せて行くかというような技術的な問題をいろいろ研究討議する過程の中において、中国側は、どうしても三団体代表者が来てもらわなければならないと信ずるに至つたものだと、私は考えておるのであります。というのは、この問題の次の回から、いわゆる乗客者名簿をどういうようにしてつくるかという技術的な問題の討議に入りました。そのときに、すでに出入国管理の特別規則にもありますように、日本船員は上陸することができない、上陸しないで、さてどうして帰国者の人たちの名簿を作成するかというような技術的問題から始まつて、どうして船に順調に乗せる作業ができるだろうかという研究を、そのときに中国側で始めたものと思うのであります。そのときに、中国側では、どうしてもこれは三団体の代表に来てもらつて、そしてこの人に上陸してもらつて日本に帰る邦人に会つて、そしてその人たちの身元など、よく資料をつかんで船に帰つて、船長が乗客名簿をつくるという、この手続をとる以外に道はないと中国側は断定したものと私は想像しておるのであります。その結果、第四回の最終回に至りまして、中国側はこの諸手続きを詳細にわれわれに示しました。つまり中国側は、日本人を何か一まとめにしてこれを日本側にすぽつと引渡すというような考え方は全然とらない。——中国側では、日本人が抑留者というものではないという観念に立つております。自由に帰国をする、自由に申し出て自由に帰国をする、そういう人たちであるから、それを何か中国の機関が一まとめにして、そしてそれの書類を一括してつくつて、それをすぽつと日本側に渡すというような考え方は正しくないという見地に立つておりますので、中国側が乗客名簿をつくるということはその原則に反する。しかしながら、そうかといつて日本側乗船名簿をつくるのに何か手伝いをしてやらなければいかぬということから、日本人帰国者がだんたん港に入りますと、その人たちが宿泊する一つの施設を港につくりまして、そこで中国紅十字会と、それから日本船舶のエージエンシーである中国外国船代理公司というものがお世話をして、そして姓名と年齢と性と原籍地と現住所、それから中国に来る前の住所を書く表をそこでみなに渡しまして、それに記入させる。そこで三団体の人が上陸して来まして、その紙きれをみなから集めるわけであります。その集めるところの仕事は、もちろん好意的に向う側が助けてくれる。そしてその紙きれを持つて船に来て、船長に渡して、船長がここで初めて乗船者の名簿をつくるという手続を明確に規定したのであります。従つて中国側最初に三団体乗船してもさしつかえないということを言つたのは、今申しましたように、日本政府の職員が乗ることは想像だにできないということを向うが言つたとたんに、私がぱつと質問したとき、それはもちろんかまわないと言つたけれども、そのときには、どういうぐあいに乗船して、どういうぐあいに日本人を送り出して行くかという諸手続については、まだ中国側は十分に検討してなかつたと私は想像しておる。その後、今言うような過程を通じて、どうしても三団体が乗らなければならぬという結論に向うは達したものと思うのであります。従つてこれは、中山さんのお言葉によりますと、何か私のえらい尽力によつてつたようでございますが、それならばまことに私は光栄でございますけれども、なかなか私のごとき者でそういう大きな問題を動かすということは容易ではないのであります。また阿部さんの方に、この三団体が乗る計画は続行しろ、いいニュースが来るだろうというようなことの書信があつたとのことでございますが、これは確かに打ちました。しかしそれは、こちらの方で三団体を乗せるという問題について今政府と全力をあげて交渉中であるということの電報をわれわれが受取つておるのでございます。そのことにつきましては、私は賛意を表しました。国内連絡事務所において諸般の情勢を検討してそういう運動をしておられるということはいいことだと私は信じたのであります。だから、それはお続けなさい、そしてそのような努力を続けるならば、必ずや天は助けるであろう、必ずグッド・ニユースがメイ・エキスペクト——かもしれないということを申し上げたのであります。ユー・メイ・エキスぺクト・グッド・ニュース——あなたにそういういいニュースが来るかもしれないと私は申し上げておるのであつて、けさの一新聞では、私が何かやつて、そういうことになつたというような話でございますけれども、決してそんななまやさしいものではございません。その点は十分御了察を願つておきます。  それから、なおこれは、中山さんのお話では、中国一辺倒で、何でもかんでも向うのおつしやることを聞いて来たので、お前たちは高い国費でもつて行かなくともよかつたではないか、こういうようなことをおつしやいましたけれども、実はわれわれ三団体行つて日本国民のいろいろな意思をよく伝えるためのいわゆる準備段階というものが十五日間、この十五日間の準備段階はまことに日本の人にはもどかしかつたでございましよう。その現われは、何かモスクワの方に入つたというような説にまでなつて、そのもどかしさは極に達したようでございますけれども、その準備段階というのは実に重大な段階であります。日本国民はこういうぐあいに考えておる、中国国民はこういうぐあいに考えておるというので、非公式の会談でお互いに意見を交換して行く間に、最後の第四回の正式会談への基礎交渉ができたのであります。われわれの意向はこうだと、資料をつくつて十分に意見を出す。非公式会談で十分に意見を述べ、この意見を基礎にし、参考にし、あるいは、ある場合にはそれを無視したものもありますけれども、とにかくわれわれ側の意見も十分に出さして、それを取入れながら中国側で対案を出している。中国側で対案を出して来たときには、必ずその前にわれわれの意見を提出している。最後のコミユニケの問題でもそうでありますが、中国側は、最初共同コミユニケというようなものは出したくないというような非公式的な意見を連絡して参りました。というのは、お互い両側でそれぞれ大体似たようなステートメントを出せばいいじやないかというような非公式の意見向うから伝達して来た。これに対して、われわれは、それはいけない、われわれはあくまで共同コミユニケということで、ここに完全に意見が一致したという形式をとらなければ、われわれは日本国民に対して責任が果せないということを主張いたしましたところ、中国側でも了承したということで、共同コミユニケ案ができたのであります。しかも、あの共同コミユニケ案は、案をつくるより前に、われわれの方でさらに資料をたくさん出しておりまして、それを十分に取入れながらつくつているのでありまして、中国の言うなりに、中国一辺倒になるというようなことでは決してないのであります。これはわれわれがなお十分に皆さんに御説明する機会がなかつたので、あるいは中山さんのような賢明の方も誤解されているのじやないかと私は感じますので、一言説明を申し上げた次第でございます。
  32. 中山マサ

    ○中山(マ)委員 時間がありませんから、これで打切ります。
  33. 佐藤洋之助

    佐藤委員長 飯塚君。
  34. 飯塚定輔

    ○飯塚委員 この問題につきましては、われわれはひとしく御意見をお伺いしたいと思つておることでありまするから、きわめて簡単に、率直に、二、三の点についてお伺いいたすことにいたします。  今度の引揚げにつきまして、一月二十六日御出発以来の御労苦に対しては、心から感謝を申し上げております。本月の十日の新聞に、内山さんの話が出ておりましたが、これには、ただいま赤十字社工藤さんからもお話がありましたが、日本人の中のある者に対しては、中国の紅十字会が借金も払つてくれるし、着物もくれる、そういうお話が出ておりました。これはどういう形でもらえるのか、あるいは餞別としてもらえるのか、将来の関係はどういうことになるのでしようか。
  35. 内山完造

    内山参考人 初め一言申し上げておきたいと思います。今度の会談の初めにあたりまして、中国側は、日本人帰国に対しては中国紅十字会がこれを援助するということのみに限られ、ほかの問題についてはいかなる問題も私どもはこれを評議する資格を持たないということが前提とされました。そこで、日本人帰国という一点にのみわれわれは力を向けなければならぬことになつたのであります。日本を出まするときには、いろいろ問題があつて、先ほどから中山さんのおつしやつたように、漁業問題にも触れていない、まことに残念なことであつたというお話でございましたが、私どもの使いの主たる問題は三万人の日本人帰国という問題でありまして、漁業問題等は明らかに中国紅十字会が関知する問題でないということで、初めに向うから制限されております。そのために、私どもはこの帰国問題のみに限つて評議したわけでありますが、ちようど経済問題に工藤さんと私とが当りまして、いろいろお話いたしました。向う帰国すへく準備をしておりまする日本人の方から手紙をもらいました。中には、中国人から借金をしている、これを今私どもは支払いをすることができない、これはどうしたらいいであろうか、代表団の方で何とか処置をしてくれというような手紙が来ております。こういう問題もあるであろうというので、この問題を経済問題として取上げて、向う質問をしたわけでありまするが、向う中国側の話では、発表する事柄は大多数の人に共通する原則を発表するのである、数の少い個々の問題はその具体問題が起るたびごとに必ずこれを解決いたしますということを向うで宣言いたしました。大体今日の中国の方針は、いかなる問題も解決するということが中国側のモットーになつておる。その解決は、必ず理解によつて解決するということが声明されております。たとえば、きわめて簡単な、路上における交通規則違反という問題に私は数回ぶち当つて、そのときの状況を見ました。交通巡査が交通をとめておりましたときに、自転車でこれを横切つた者があります。そうすると、巡査は、何も持つていない丸腰でありますが、小さいメガホンを一つ持つておりまして、そのメガホンで、同志待つてくれと言います。そうすると、その人はすぐとまります。交通巡査が参ります。そして、私が今こうしてとめておるのに、君はこれを横切つたが、これはいいことか悪いことか、こういうぐあいに聞きます。そうすると、横切つた者は、悪いことがわかりますから、悪いと言いますと、そうか、悪いということがわかつたら、これからはやつてはいかぬよ、——はいありがとう、さよなら、こう言つて行つてしまう。
  36. 佐藤洋之助

    佐藤委員長 この際ちよつと内山参考人に申し上げますが、質問に対する要点だけをお願いいたします。
  37. 内山完造

    内山参考人 要点は、これを申さなければわかりません。ことに私が申したいことは、こういう公開の席上において、中共政府ということをおつしやいますが、中共政府とは何をさしておるかということをお尋ねしたい。これは、先ほどから中山さんがおつしやつたので、あとで中山さんにお答えを願いたい。
  38. 佐藤洋之助

    佐藤委員長 内山さんに申し上げますが、参考人から委員質問はできません。
  39. 内山完造

    内山参考人 はい。どうも済みません。取消します。向うは、いかなることについても解決する、そしてその解決は理解においてする、具体的の問題が起るたびにこれを解決するということでやつたのであります。そこで私どもは、借金があつて困る人間はどうなるかということを質問しておいたのでありますが、その質問に対して答弁のない先に、北京におりまして今度引揚げて参りまする日本人人々に会いましたときに、その人々は、借金は紅十字会のさしずによつて、紅十字会の方で全部負担して解決してくれます、帰るのに着物がない、靴がないという人間には、それは気の毒です、こしらえて差上げますといつて、みなこしらえてくださいました、また、なべ、かまのようなものは、持つて帰ることができないとすれば、これを売つてしまわなければしようがないが、売るにはたたき売るよりしかたがないと思つていると、その機関で、それはお気の毒だから、私の方で買い上げましようといつて、相当な値段で買い上げてもらいました、すみからすみまで、かゆいところに手の届くように注意してくれておりますので、私どもは感謝して、涙がこぼれるような次第で、ありがたく思つておる次第でありますということを、帰る人から聞いたので、これは間違いないと思います。
  40. 飯塚定輔

    ○飯塚委員 ただいまのお話でよくわかりましたが、引揚げと申しますか、帰国と申しますか、三万人に対して、中国側でそういう借金を返してくれたり、着物をつくつてくれたりすると、たいへんな経費を中国で負担しなければならないと思いますが、お話の中には、そういう人ばかりでなく、相当な資産のある方も多いようであります。先ほどのお話の中にも、八千万元、邦貨にして百二十万円、そういう程度のお金を持つて帰るというようなお話も入つておりますが、今度日本に帰られる人の経済状態は、大体においてどういう状態になつておりますか、工藤さんにお伺いしたい。
  41. 工藤忠夫

    工藤参考人 それより前に、ちよつと日本人の借金について申し上げますが、今内山さんは、紅十字会がみな払うと言つた、そうしてみな払うようにやつておると言われましたが、廖団長は、借金の問題は紅十字会が世話をして円満に解決するように努力する、こう言われたのです。紅十字会が払うとは言われませんでした。今内山さんが具体的に引かれた例は、紅十字会が払つてくれたという一つのケースでありますから、その点は御了承願いたいのです。全般的にみな払うという趣旨じやないのです。  それから、経済問題につきましては、実は私は在留民の全般的なことは存じませんが、私が中国を見て想像いたしますところによれば、新中国における経済政策の全般から——赤十字人で政治問題を言うのははなはだぐあいが悪いのですが、私が見ましたところをちよつと簡単に申しますと、経済復興ということに最も力を入れているようであります。そうして、そのためには、国民は節約をして、経済復興の方にすべてを向ける、そういう観点から、国民の最低生活水準を維持するということに力を入れているようであります。そうして、との最低生活においては、すベての人の生活を保障する、—しかしそれ以外に、各人の自由があるとかないとかいうことは、私はそこまでは知りませんが、ぜいたくは全然ないようであります。そういうぐあいで、全体の日本人中国における状況を見ますと、生活がゆたかな人があるかどうかは私は存じません。しかし、衣食住の最も基本的な問題につきましては、生活の安定を得ているように見えるのであります。簡単に申しますればそういうぐあいであります。山各人から手紙にも接しましたが、そういうことであります。
  42. 飯塚定輔

    ○飯塚委員 高良さんにお伺いいたします。また極端なお伺いになるかもしれませんが、先ほどのお話の中に、鞍山製鉄所お話が出て、非常に機械化されて進歩した設備ができておるために、人がいらなくなつた日本に対する帰国の問題にも、そういうことが一つの原因になつておるというように聞きとれましたが、この点はどういうことですか。
  43. 高良とみ

    高良参考人 先ほど申し上げましたことは、そういうふうに結びつけないでいただきたいのです。鞍山製鉄所がオートマテイツクに製錬してやるようになつたために、職工に相当する人が減つて来た、——中国人日本人もそうであります。それは事実のようであります。それはどういうところから出たかといいますと、中国の発行しております英字新聞その他中国語の新聞方々出ております。写真も出ております。そういうところに日本の技術者もかなりいたことはいた。けれども、これは大分技術も下つていたことは事実であります。しかし、それだから返す、いらなくなつたから返すということは中国側にはないと私は見ております。またその人たち手紙も、自分たちは用がなくなつたというようには書いておりません。また医者のごときは、各地で非常に足りないので、満鉄にいた医者その他が全国的に相当広がつておりまして、これらは最後まで残されております。ことに医師を養成しておる学校の先生方で、日本人全部が引揚げたが、自分だけは残されたというので、非常に悲しんでおつた人があつたことを知つておりますけれども、これも、特別ケースとして、現に工作中の医者、技術者、解放軍の仕事に従事中の日本人帰国いかんということを質問しておりますが、向うはそれも完全に帰すということであります。
  44. 佐藤洋之助

    佐藤委員長 飯塚君にちよつと申し上げますが、代表団がお帰りになつた本質的の問題について御質問を願つて、今の在留人の生活状態ということは適当な機会に質問をお願いいたしたいと思います。
  45. 飯塚定輔

    ○飯塚委員 これは、本質的になるか、生活のことになるか、確然とはわかりませんが、畑中さんに最後にお尋ねいたします。あなたのお話の中に、中国の現在の考えとわれわれの考えとには相当なギヤツプがある、それを考えて行かないと、日本中国との将来の折衝もうまく行かないということがあつたのでありますが、そういうお気持といいますか、これは、先ほどは具体的に引揚げ帰国という例についてお話を伺つたのですけれども、それ以外に、何かわれわれが中国に対する考えを本質的に改めなければならないようなことがあるかということを、もしできればお伺いしたいと思います。
  46. 畑中政春

    畑中参考人 この問題につきましては、実はとつくりとわかつていただくのには、かなり長時間を要しますが、それでもさしつかえありませんか。
  47. 飯塚定輔

    ○飯塚委員 それでは、畑中さんのお話は将来機会をつくつていただくことにいたしまして、これで私の質問を終りますが、この際日本の当局に対して希望いたしたいことは、終戦直後に引揚げられた同胞の中で、お医者さんとか、そういう技術を現地でやつておられた方が、日本帰つてから、その資格の問題で非常に困つたようなことがありまするから、今回はそのようなことのないようにとりはからわれるよう、特に希望申し上げて、私の質問を終ります。
  48. 佐藤洋之助

    佐藤委員長 平川篤雄君。
  49. 平川篤雄

    ○平川委員 たいへんな大仕事をして来ていただきまして、心から感謝をする次第でございます。終戦後長い間待望しておつた問題であつて、このくらい明るい気持になつたことはないのでありますが、最後までこれがうまく完結いたしますように、心から私どもは念願しておるのであります。  今回三万人の引揚げができることになつたのでありますが、一体だれが帰つて来るのか、その名簿もないことでありますので、こちらにおります家族は、自分の家族が帰つて来れるかどうかということを非常に心配をいたしておるのであります。ただいま中山さんの方からお話のありましたような、希望残留という問題もあるようでありまして、この点につきましては、私も中山さんと同様な感じを持つておるのであります。帰つて来られた人並びにその家族はうれしいのでありますが、相当数の残留者の問題がどういうふうになつておるかということは、ただいままでのお話にないのであります。一応高良さんの方からの、残留者はみな希望である、帰国を希望しておる者はみな帰つて来るのだというお話を信ずるよりほかないのでありますが、中共地区におります日本人が、全部政府の手でつかまれておるのかどうか、また、今回の帰国の希望を聴取するためのその周知の方法あるいはその連絡等につきまして、これがほとんど完全に近いものであるかどうか、先ほどお話のありましたような国内法の違反者や戦犯を除いたすべての者に確実に行き渡つたものであるかどうかということにつきまして、ちよつと具体的にお聞きしたいのであります。これは高良さんからでけつこうであります。
  50. 高良とみ

    高良参考人 周知徹底せしめることは、十二月一日の新華社の発表が、中国国内のあらゆる地区に発行されております新聞に出たそうでありまして、これは同胞からの手紙で了承しました。それを見て非常に喜んだ、それからその後どういう規則になつておるのだか、とにかく日本交渉団の来るのを待つているというのが実情であつたようであります。最後の段階において、公式会談のところで、向う代表団は、団長を通して、この帰国援助交渉の結果希望者はすべて帰れるし、その経済問題の法的困難は克服するということを各機関を通して末端のあらゆる日僑へ通知せしめたということを報告いたしております。そして私どもが出て参りました六日の日の新聞及び中国の放送で細目が全部発表になつたのであります。公報でありますから、私たちはそれの写しを一、二見ただけでありますが、南京から北の方とか、各地に出ておる新聞がありますから、それと、放送と、さらに前に登録をしておりまする帰国希望者へ、御存じのあそこにあります公安局、その末端の地区警察を通して徹底せしめたことを向うは言うのであります。  希望残留者の点につきましては、日本人は各地区でどのくらいの人数がいるか、天津にどのくらいおる、上海にどのくらいおる、南京、それからずつと南の広東にどれくらいおるということを聞き、それから北は、もちろん旧満州はよく知られておるようでありますが、あの方たちは旧日本人会式のものを持つておるところが、昔ほどはないけれども、あります。そこで、そういう日本人の間のことを大体知つているという者から、たとえば石家荘には六百名おる、この六百名は何をしておるか、みんなが申し合せて帰国の準備をしておる、こういうことを私ども同胞から聞いたのであります。ただ、三万人前後という言葉の中にどういう者があるかというと、中国人にかたづいて、中国名であつて、自分は完全な中国人だと思つてつて日本人居留民登録に出て来ないという人たちがあるだろうと思われる点がある。それが大体日本人であるということは、周囲が隣組制度でありますから、非常によくわかるのであつて、あの人はああいうふうに中国人の妻になつているけれども日本人らしい、ということで、そういう通報が隣組からもすぐ行くようでありますから、そういうのを公安局が呼び出して、あなたは帰りたくありませんか、そう言つて来ておる。またそのほかに、日本人であつて中国名を名乗つて深く奥地に入り込んでいる人たちも確かにあると私は思うのであります。しかし、その人たちが希望すれば帰れるということは、新聞やラジオもあまり広く行き渡つてはおりませんが、それは公安局各機関の壁新聞にずいぶん広く書いてあるのですから、それが目につかないというほど奥地に出かけているということはあまりないのではないかと考えます。しかし、それを見てもなお申出をしないという人たちには、何か理由があるのではないかと思う。それで、日本人居留民であるということを登録しておいて、しかも自分は帰れないということを申し出る人は、堂々と残留する。ですから、まず今日の中国の実情としては、その辺がよく伝わつており、人の口から口ヘと伝わることは、新聞やラジオよりもつと早いものですから、私は、他の代表団の方も大体そうだと思うのですが、信ずるよりしかたがない。希望残留者につきましては、同胞が帰ればわかるということは、中山代議士が言われた通りであります。帰ればよくわかると思う。けれども日本人とつながりのある人で、帰りたいのだけれどもどうしても帰してくれなかつたということがあれば、これは、この三団体は必ず今後解決に当られる筋がつながつていると信ずるものでありまして、巷間伝えるように、残留希望というのは本人に書かせないでほかの人に書かせるということが伝わつているようでありますが、それはあり得ることかもしれませんけれども、それに自分の写真を添えて、そして帰るのですから、この後にそういうことが現われれば、日本人会からもこちらへ通知が参ります。また何かうしろめたいことがあつて公安局の巡査がこわいから言えないというような場合があつたならば、それは紅十字会へ申し出ろということを伝え残して参りましたので、今度の責任を持つところが紅十字会であるということは、今までの純政治組織で行くよりはよほど気を楽にさせておるのではないかと考えられるのであります。その点、向う代表団は、あらゆる困難を解決しようという決心をしておるのだから、借金とか、あるいは多少前科があるとか、反動思想であるとかいうことでわれわれの方では差別待遇をしないことはもちろんで、恐れを持つ必要はないようにしたいという空気をつくつておるのでありますから、その点は今後の研究にまちたいと思います。
  51. 平川篤雄

    ○平川委員 まことに単純な質問を申し上げて相済みませんが、今度三万人前後帰つて来て、どの程度残るかということが一つの質問であります。これについては、多分代表団の皆さんも何らかの機会にお話になつたことであろうと思います。向う日本人のつかみ方が、私はどうもまだよくわかりませんので、向うとしてもこれは言えないだろうと思いますが、何かそれに近いような見通しみたいなものがありはしないか、これを伺つてみたいのであります。  それからなお、難民の中に入つておる者も相当あるということも聞いております。こういう入たちに今写真を四枚つけて出せというようなこともなかなかむずかしい問題である。ラジオも何もなく、周知徹底できないというようなこともあるかもしれないと思いますが、なおその点について何かお聞きできることがありましたら、お願いをしたいのであります。
  52. 内山完造

    内山参考人 私からちよつとお答えいたします。向うに残つておりまする日本人の総数ということについては、数を向うから確答を得ることができませんでしたが、つかんでおつたつかんでおらぬということにつきましては、向う側で外国人を扱つておる外僑管理処でみなわかつておるようであります。しかし数の問題は、今度のわれわれの打合せをする帰国の問題に対しては範囲外に属することだそうであります。向うの外僑管理処という政治機関がやつておることで、紅十字の方は、それはわからないという答えでありました。帰りまする汽車の中で、日本人で洛陽市の休養院に勤めておる人に突然会いました。それは広島県民の田中何がしという人であります。その人の話によりますと、今洛陽に日本人は百五十人おる、これは今度ほとんど帰ります、それから河南省の開封におります日本人は約六十人、そのうち四十人は帰ることになりましたということを申しておりました。その後、湖南省の長沙で、日本の婦人が夜の二時ころ、紅十字会の会員が付添つて——私の一行と別に一人の松本さんという人が同車して帰りましたが、その松本さんに会うために夜二時に出て来たのであります。その人の話によりますると、長沙に約四百人の日本人がおる、そのうち二百人はすでに帰国の許可が出て出発するようになつておる、あとは帰れないのじやないかと思つて実は心配しておるのだという話でありましたが、大体今度の向う側の紅十字の意向では、帰りたいという希望の人はだれでも帰しますということを言つておりましたことから考えますると、第一回には半数だけであり、第二回にはあるいは残りの半数が出るか、その半分が出るか、順次出して来るように思われるのであります。こういう点を考えてみますると、大体残つておる者はほとんど出るということが、向う態度からも見えたのであります。今そういう見通しより私にはできませんが、北京には鉄道関係だけで約二百七十人おるそうであります。それが今度全部帰つて来るということを言つておりました。そのような見通しよりないわけであります。
  53. 平川篤雄

    ○平川委員 それでは、もう一点だけ。皆さんが御帰国になりましたときに、政府に御報告があつたようであります。新聞を見ますと、政府なんかに報告する必要はないというので大分騒いだそうであります。私ども国会も、実はこの問題について代表を出したいと考えておつたのですが、拒否せられた。りくつは向うにあるようでありまして、いかんともしがたいのでありますが、もどつて来られるということについては、政府国会も同様の再びをもつて万全の措置を講じたいと考えておるものであります。一体どなたがそんなゆとりのない態度をおとりになつておるのか、私は前途についてはなはだ暗い気持になります。今まで、ソ連地区から帰つて来た者が舞鶴の港で騒いで、そのことが帰つて来た人自身にも悪い影響を与え、かつ国民も、うれしいと完全に割切れないような、いやな気持になつたものでありますが、またそれを繰返すのではないかという気持を抱かざるを得なかつたのであります。これは、私だけではないと思つております。はたして向う側は、それほど国内へ帰つて来てまで、日本政府国会、そういう国民の代表としての公的な機関の介入を拒否しなければならないような態度を持つておるものであるかどうか。それからまた、日本政府に報告する義務がないといつて騒がれた人たちはどんな人か知りませんが、おそらく皆さん方に何らかの関係のある人もまじつておられたかと思います。代表団の皆さん方もそのようなお気持をお持ちになつておるのかどうか。もしそうであるとすれば、船内ではもちろんのことでありますが、こちらに到着したあとの全責任は皆さん方にひつかかつて参りまして、はなはだ重いことになるだろうと思うのでありますけれども、そういう点について、赤十字社初めその他の団体の御意思はどうであるかということについてお伺いをして、私の質問をとどめたいと思います。
  54. 平野義太郎

    平野参考人 帰りましたあの晩に、飛行機が二時間遅れて、七時につくのが九時になりまして、五日間の長い飛行機旅行で、みな疲労しておりました。しかし、報告する必要がないということを言つたとも思いませんし、われわれは一日も早く全国民にも国会にも政府にも報告したいという感じを持つておりました。ただあの晩は、九時になりまして、それからまだ税関の手続などやつて、それから外務省に行きましたのが結局十一時過ぎで、家へ帰りましたのが、二時の人もあり三時の人もあつたわけでありますから、あの口は帰る早々の、しかもおそく帰つて来たという事情のもとで、どなたか——むろんこの代表団ではなかつと思いますけれども、そういうような発言があつたとすれば、あの事情のもとで、帰つて来て早々で、疲れていて、十一時、十二時というおそい時間になつたことが原因だろうと考えます。私ども考えは、全国民にも国会にも外務省にも、皆さん方と諮つて、円満迅速に解決して行くことが一番大事だと思つておりますことをはつきりこの際申し上げます。  中国側気持は、先ほど来お話のように、ともかく自分で願つて帰りたい人はどなたでもすべてお帰しするということですから……。
  55. 平川篤雄

    ○平川委員 そうでないのです。向う側が初めから峻厳に日本政府の介入というものは拒否しておりますが、私がお聞きしたがつたのは、帰つてからの報告の必要はないという言葉が出るような——これは帰つてからの問題です。私どもそれを心配いたしておるのでありますが、いわゆる帰つてから人民管理でやろうというような方針を向うは持つておるのかどうか、あるいはもう帰りました以上は、日本政府がどうしようと、国会がどうしようと、それは問題じやないという態度なのか、そこのところをお聞きしているわけなんです。
  56. 平野義太郎

    平野参考人 私から申し上げますと、もうこちらの方の側は日本の問題でありまして、中国は何ら日本の国内の問題についてさしでがましいことをする気持もなければ、そういうことを言つたこともありません。これは日本国内の問題であります。
  57. 佐藤洋之助

    佐藤委員長 次は受田君。
  58. 受田新吉

    ○受田委員 御一行に御労苦を深く感謝しまするとともに、ごく簡単にお尋ね申し上げたいと思います。  私たちは、ポツダム宣言によつて海外の軍人たち引揚げることに対して、各国が心から協力してくれたことを感謝しているのでありますが、特にソ連も、遅れたりとはいえ、日本政府の要員を乗せてナホトカに日本船の入港することを待ち受けてくれておりました。ところが、今回、中国側日本国に対する態度としては、民間団体に重点を置かれて、日本政府を考慮されていないというその理由の一つに、戦争状況にあることがあるのでありまするが、この点、従来日本に対して捕虜引揚げに協力してくれた国々は、いずれも日本政府を相手として取扱つてくれたのでありまするが、中国だけが特に日本政府を相手としなかつた理由をおただしいただけなかつたでございましようか。これを工藤さんからお答えいただきたいと思います。
  59. 工藤忠夫

    工藤参考人 今回の問題につきまして、私たちは、出発するにあたりましては、外務省ときわめて密接な連絡をとりまして、今回の協定は外務省の了解がなくてはいけないというようなお話で参つたのでありますが、行つて先方の態度を見ますと、先ほども申し上げましたが、日本政府を相手としないという態度はきわめて強硬なようでありました。そして、日本人民の代表者であるところの団体交渉して物事をきめたいということで、この点は、新しい中国政権の確固たる方針のようでありまして、日本政府、ことに吉田政府は相手にしないという強い態度見えたのであります。会議の席上で、日本政府という言葉を使いますたびに、先方ではこれを快しとしない。通訳の人もこれをさえぎるというようなことで、私としましては特にその感じを深くいたしました。そういうわけでありますから、われわれは、日本政府の問題ばかり前へ出して、この問題をみずから不幸な立場に導くということは、非常によくないことでありますから、日本国民代表者としての立場を堅持して、中国側交渉しまして、日本の連絡事務所の方が裏において政府と十分連絡をとつてつてもらうという立場をとつたのでありまして、われわれは、電報におきましても、日本政府の問題、日本政府はこういうことをやつてもらいたいということをしばしば言つております。しかし中国は、それまで禁止するというような態度はとりません。またわれわれの態度は、人民の代表である——向うは人民と言いますが、私は民間と言つております。この民間代表と交渉するという態度を堅持しているだけであります。しかし、裏でわれわれがどんな交渉をしようと、——電報にはずいぶん思い切つたことも書きましたけれども、それは知らぬ顔をしておつたようでありまして、われわれが政府と話をしているということは向うもよく知つております。向うの立場はイデオロギーの問題だと私は了解しております。そして、そういうイデオロギーに立つて交渉を進めておるというふうに私は了解しております。それから、日本政府とソ連との問に問題が起きなかつたというのは、今度は独立した問題でありますし、前は占領治下でありましたから、そういう問題がどうであつたか、私はよく知りませんけれども、今度だけは、とにかく独立国でありまして、独立してしまうと、向うは、日本政府の立場が明瞭に現われて来るから、日本政府交渉するという立場は絶対にとらないというような態度であつたようであります。
  60. 受田新吉

    ○受田委員 ソ連政府も、戦争状況の継続、すなわち占領期間中においてすら、日本政府を相手にしてくれたわけなんです。しかるに、今日の中国との関係は、独立の形はとられたけれども、非常に平和的な形で、中国の称しておるような戦争状況にあるわけなんです。従つて、何らそこに支障はないはずであるから、ソ連がとつた態度以上の深刻な態度をおとりになつた理由を私は非常に了解に苦しんでおるのです。この点について、もう一つ、これは畑中さんにもお尋ね申し上げたいのですが、今回の帰還船が中国の領海へ入ると、日の丸の旗をおろして、中国の旗を立てなければならないという申合せをして、——公電第十号でございましたか、お帰りになつておられるのですが、この中国の領海に入ると中国の旗を立てなければならないという理由はどこにあるかを、代表団としてはどういうふうに御了解なさつたか、お伺いしたいのであります。
  61. 加島敏雄

    加島参考人 私からちよつとお答えさしていただきます。ソヴイエトの前の引揚げの問題と今度の問題との根本的な違いがあるのではなかろうかというふうに考えております。ソヴイエトの場合には、当時日本政府に外交権がなかつた。そういう事情のもとにおきまして、アメリカの代表と、それから対日理事会のソヴイエト代表との間に協定が結ばれ、従つて、それの執行機関としての政府職員が乗つてつたというふうに了解されるわけであります。現在の日中間の状態につきまして、中国側考え方はどういうふうな考え方をしておるかと申しますと、要するに、日本政府中国に対して明らかに敵視しておる、つまり何らのつき合いも持とうとしていない、その政府職員が中国の領海に入つて来る、そこに何らの話合いがあつての上でなくて、そういうふうに態度全般が全然敵視しておつて、しかも現実の事態としては、政府としては何ら了解なしに領海に入つて来る、こういうことについて非常に手きびしい態度をとつたというふうに私は了解しておるのであります。  さらに、船舶の問題につきまして、領海に入つて中国の国旗をあげるということにつきまして、私は船舶の方は詳しく存じませんけれども、これは大阪商船の中村氏——われわれの代表団と一緒に行きました工作員の方でありましたが、その方の意見によりますと、国際習慣で、他国の領海に入る場合にはその国の国旗をあげるということは船の大体の国際慣習だそうであります。われわれはそういうふうに了解したわけであります。
  62. 受田新吉

    ○受田委員 戦犯の問題について一言お尋ねしたいのですが、今回の交渉の範囲が限定されて、帰国配船等の手続についての意味であつたので、そういうところに触れなかつたとおつしやるかもしれませんが、実は三団体が船に乗るとかいうようなところは、手続以上に出た、実施面にまで触れた御交渉をなさつてお帰りになられたわけでありますが、そういうことから言えば、ポツダム官言で約束されている未帰還の旧軍人を送還する義務は、当然中国といえども前の蒋介石政権から引継ぎされていなければならないと思うのです。それを中国が継承しないという意味で戦犯の氏名も発表していない。どういう人がおるかが国民にはわからない。こういうところを日本国民は非常に心配しておるのであるが、この点について、代表団としては、帰国者の範囲ということに関係しますので、当然範囲をどうするかの際に、これが論議に上らなければならなかつたと思うのですが、戦犯の氏名が今日まで日本国民につまびらかにされないことについて、どういうふうに御尽力、御奮闘をなさつたか、これをお伺いしたい。
  63. 工藤忠夫

    工藤参考人 戦犯者の問題につきまして、十二月一日の向うの放送の中でも、戦犯者のことに言及して、戦犯者は範囲外だという趣旨で言つておるのでありますけれども、先ほどの受田さんの御趣旨の通り日本国民中国におる以上は、われわれは何とかしてこの問題についての情報を得たいというので、書きものにいたしまして、戦犯者は一体中国本土におるのかどうかということをまず切り出したのでありますが、廖団長は、きわめて苦い顔をして、舌打ちまでして、これは協定の範囲外であるから何ら答えることはできない、ただそれだけで拒絶されまして、とりつく島がなかつたのであります。そういうわけで、実は戦犯者の問題だけ出したのでありますが、戦犯者については協議の範囲外ということで断られたのであります。これは中国政府の問題である、われわれ赤十字代表としてのする事項ではないと言つて向うは回答を拒否したわけです。
  64. 受田新吉

    ○受田委員 今回おいでになられた民間団体の代表は、民主的な団体の代表であるので、向うもすこぶる好意を持つてお迎えしていただいたと私は思うので、皆さんによつてそういうところを御努力していただかなければ、日本政府においては全然不可能な問題でありますので、その点についても心から御期待しておつたことです。  それから、ソ連から中国の方へ流れて来た人たちも相当あることが、帰国者によつてはつきりしておりますが、そういうこともわれわれ非常に心配しておる、それから、中国には四億の民がいると言われておるが、国勢調査などではつきりしておるのかどうか。そういう点で、日本人たちが今回帰国するに際して、浮浪の民のような形になつておるものがあつて、国籍がはつきりしない関係上帰還者のわくの中に入らないというような人はないかどうか、そういうことが一つ。  それから、もう一つは、先ほど畑中さんのおつしやつた帰国引揚げかの問題ですが、こつちへ帰られる方々帰国という軽い意味であるならばこちらへ帰つてからの援護とかいうものを政府責任としてこれを強力に要請するというようなことは、こちらの内部の問題であつて向うとしてはそこまで干渉すべきでないと思うのでありまするが、この点、帰国引揚げかで性格が違うことになれば、こちらに対して援護を要求されている立場からは、帰国よりはむしろ引揚げということで援護を要望しておることになると思うのですが、この点についてのはつきりした御見解をお伺いしたい。  以上二点について、畑中さん、あるいはほかの方でもけつこうですが、お聞かせいただきたいと思います。
  65. 畑中政春

    畑中参考人 私は第二点だけ簡単にお答えいたします。中国側帰国という態度でこの交渉に当つておるということは事実であります。しかし、その帰国であるという態度を、日本国民中国の領海を離れて日本の国内に帰つて来たその後においてのいろいろな行動にすべて要求しておることは少しもありません。これは日本の国内の問題だ、ただ中国にいる日本人が領海を離れるまでの措置、これは中国の主権下におけるところの措置でありますから、この措置を講ずる限りは帰国である、こういう立場に立つて中国は折衝しておつたということを申し上げたい。それから、中国を離れて以後、日本においてはどうしろ、援護をどうしろとか、就職は必ず何々すべしとか、こういうことは少しも言つておりません。これはわれわれ国民が決定することである、かように考えております。
  66. 平野義太郎

    平野参考人 中国は、一九四九年十月一日に新政権ができまして以後、詳しい人口調査を始めております。それから、土地改良をやつておりますと、結局一人当り土地をどれだけ与えなければならぬかということをきめなければなりませんから、その意味からも、各農村のすみずみに至るまで、その人口調査は非常によく行き届いて来ていると思います。その意味で、まだ公表はされておりませんけれども、土地改革の結果、今までの四億七千五百万人に対して、一億人はふえて来ておるということすら非公式には言われておるくらいですから、在留日本人がどのくらいいるかということは、公安局が日僑管理委員会においてずつと詳しく調べて来ておることは大体間違いなく、人口調査と同様に進められて来ておつたのだと思うのです。
  67. 佐藤洋之助

    佐藤委員長 この際申し上げますが、参考人方々は長途の旅行でお疲れでもありますし、もはや食事の時間も過ぎておりますから、一時半で切り上げたいと考えます。まだ左派の帆足君の質問も残つておりますから、この際帆足君に譲つていただきたいと思います。
  68. 受田新吉

    ○受田委員 これは大事なことですし、帆足さんだけでなく、まだ一人、二人あるだろうと思います。初めからの時間配分が非常に不公平に行つた関係もありますし、代表の方も非常にお疲れになつており、お昼をいただかぬと人権侵害にもなりますから、そういうことを考え合せまして、参議院の方へは少し時間を遅らせていただくようにお話願いたいと思います。  そこで、もう一、二点お伺いしますが、今回御交渉なさつたいろいろな結果の公電を拝見しまして、初めは船長に乗船名簿を渡すようにお話合いされておつたようですが、後にそれが変更されたということですが、船長の身分は敵性を有するものとしての観察がなされたのかどうか、こういう点もひとつお伺い申し上げる。  それから、もう一つは、日本政府は、帰還者手当を用意して、三万人全員をお迎えする態勢をとつております。それから日本国民も、中国からお帰りになる方々を心からお待ちして、今双手をあげて御歓迎しておりまして、さつき加島さんがおつしやつたように、こちらでもつて差別待遇などは全然ないように、われわれは国をあげてお迎えしようとしているのですから、この点は喜んでお帰りいただけると思うのです。そこで、あちらの生活が非常に窮迫していて、帰還手当を出さなければならぬような、三十ドルの金を持つて帰れないような方々が多数あるという傾向があるかどうか。そういうことも、日本国として、受入れ態勢を考えるのに大事な問題でありますから、普通のところ帰還手当をいただかないで済む程度に向うから持帰り金があるかどうか。  以上の二つについて御答弁をいただきたいと思います。
  69. 内山完造

    内山参考人 私からお答え申し上げます。全体にわたつて日本人がどういう程度の生活をしておるかということは、私ども直接聞いておりません。一、二の偶然出会つた人の話なんかを総合いたしますると、日本人中国人も、大体におきまして、今日働いております人々の給料は、最低が、二百工ふんということであります。二百工ふんと申しますと、一工ふんは二千三百六十六元が今日の北京の値段であります。洛陽あたりは二千五百元であります。二百工ふんもらつておるといたしますと、五十万元の収入になる。婦人で働いております者は百八十工ふんもらつておる。その主人が、レントゲンの技術を持つておるために、技術増給として三十七工ふんをもらつておる。三十七工ふんと二百工ふんと百八十工ふんの収入をもらつておる家庭の話では、一箇月の生活費は一人前が六十工ふんである。一人子供がおるので、三人でありますが、一人六十工ふんといたしますと、三人の生活費は百八十工ふん、それに一人保母を頼んで、保母によつて子供を育てておると申しておりました。それで七十工ふん払つておる。そういうものを合計いたしましても、なお余るということであります。多分の預金を持つておるとは申しませんが、しかし、食べることと着ることには何の不自由もなく日々の生活をしておるということは事実と私は思います。
  70. 畑中政春

    畑中参考人 乗船名簿を中国側が船長に渡してくれるというような公電になつていたように思うがどうかという御質問だと思いますが、これは、会議においてそういう問題がだんだんと両方の間に具体的に検討されて行つた過程に、そういう電報が実は出たのです。この電報が出たのは、実は日本側では、従来のいろいろな慣習、いろいろな経験からして、中国側から名簿は渡してくれるものだろう、船長に渡してくれるものだろうというように、会議の過程において漠然と考えておつたわけです。その点をその会議の幕切れにおいて十分に明確にする時間がなしにその会議を終えた。しかし、その問題に言及されたので、大体われわれは船長に渡してくれるだろうというように理解をして電報を打つたのです。ところが、その後この問題がさらに精細に検討されて行くに従つて向うが渡すものは名簿ではなくして名簿をつくる素材であるということが次第にわかつて来たわけです。最初われわれは、名簿をつくる素材、つまり表を集めるわけですが、それが名簿なんだろうと簡単に早合点をして電報を打つておりましたところ、順々に問題を明確にして行くに従つて、それは名簿ではなくて名簿をつくる素材であるということが明確になりましたので、その後その点を明確に電報して来たような次第でございます。
  71. 工藤忠夫

    工藤参考人 これは、今の問題とは全然別ですけれども日本で非常に危惧されている問題につきましての私の個人の感想をちよつと五分ばかり申し上げさせていただきたいと思います。  それは、中国が今度の引揚船で筋金入りの人を日本にたくさん送つて来るのじやないかという危惧が非常にあるのでありますが、私がほんとうに偏見を持たないで見たところによりますと、ソ連におつた若い人とは違いまして、中国におる人は非常な年輩の人が多いのであります。しかも家族持ちでありまして、それぞれ職業を与えられて民間人として、平穏な生活をしておる人が多いのでありまして、こういう人が共産主義思想を積極的に学習しておるとは見えないのであります。若い人もおりまして、これらがどこかの地点で学習しておるという話も聞いております。しかし、三万人のうちで大部分はもう相当な年齢の人でありまして、イデオロギーの問題については興味を持つていない人ばかりのように見えます。もちろん、中国におる間は、その国の政治組織、法律に従いまして、いろいろの生活をしなければなりませんから、自分の思想に反するからといつて法律違反行為はできませんが、自分の思想は堅持することができるのでありまして、私の印象では、そういう人が多いのではないか、こういう感じがするのであります。そういうぐあいで、今度帰ります人は——私も約束するわけではありませんが、私個人の印象として、この前ソ連から帰つて来た人のような、ああいう乱暴なことが今度の帰還船であるとは、私自身は想像できないのであります。もちろん、会議の席上で廖団長も、絶対に送らないということを確言せられまして、私もこれを了承せざるを得なかつたのでありますが、私の感想からしましても、そう危惧する必要はないのではないかという感じもするのであります。もちろん、私たちは、代表といたしまして、そういう者がいくら送り込まれてもよろしゆうございますということは一言も確言したことはございません。もしそういう者が送られた場合には、日本国民なり日本政府は断固たる措置をもつて逆送還されて一向さしつかえないのでありますから、赤十字が責任を持つてそういう者を引受けるという趣旨ではございません。どうぞ皆様はこの協定の成行きを静かにごらんになつて、そして国民全体として善処されることを希望しておきます。  一言私の感想を申し述べました。
  72. 佐藤洋之助

    佐藤委員長 帆足計君。
  73. 帆足計

    ○帆足委員 日本社会党の立場から御質問いたしますが、時間も移りましたので、ごく簡単に申し上げます。第一には、私どもは、この引揚げの問題を超党派的な国民的な課題といたしまして考えておりますので、従いまして、今般の三団体の御苦労に対しましては深甚の敬意を表し、あわせて、特に団長のお仕事を引受けられた島津さん並びに日本赤十字社皆様に対しましては、さらにひとしお感謝いたしておるものでございます。そこで、従来、隣邦中国でありながら、ほとんどわが国の政界も、また官界も財界も、中国の実情を知らない。そして過去においてすら、表面的にしか知らずに一、遂に誤つた戦争に巻き込まれ、戦後においては一層知らないで参りました。特に外務省当局のごときは、盲の垣のぞきの水準にまでもまだ到達していない。すなわち、百聞は一見にしかずであつて、見て来ぬかことには何もわからないというのが世の中の事実でございますので、皆様方の公正合理な御報告には大いにわれわれ期待しておるものでございます。私も二箇月有余にわたつて一自由人として彼の地に滞在いたしましたので、(「質問をしなさい」「宣伝が多過ぎる」と呼ぶ者あり——質問します。われわれは持ち時間がきまつておるのですから、もう少し礼儀をわきまえてください。そこで私は、中国の実情を少しでも広く、政府、官界並びに国民に知らせたいと思つておりましたが、従来は中国、ソ連は鬼畜の国か、悪のかたまりのように宣伝されておりまして、そういう悪の地獄から引揚げて来るのだというような極端な見解が相当流布されておりましたことは御承知の通りでございます。ただいま赤十字の工藤さんから、中国生活につきまして、在留民の生活はまず正常にして、社会保障制度が相当行き渡つた、安定した生活を送つておるということを承りましたが、その点につきまして、重ねて工藤さんと内山さんから、時間がありませんから結論だけでけつこうですが、承りたいと思います。すなわち、邦人生活が大体どういうようなことであつたか、救出せねばならぬような状況であつたか、——故旧忘るべけんやで、ふるさとに帰りたい一念はもちろんのことでございます。しかし、かの地における生活がさんたんたるものであつたかどうかだけを伺いたいと思います。
  74. 内山完造

    内山参考人 私の直接関係いたしました範囲におきましては、また私の聞いております範囲におきましては、——日本人としての名前を全然隠してしまつて、いわゆるもぐり込みをしておる人々の問題は私にはわかりませんが、大体におきまして、日本人として外僑管理処の管理下にある人々は、そう窮迫して困つておる人というのは数が多くないように聞いております。それは、偶然汽車の中で会つた百五十人の洛陽の人々の話によりましても、一人も困つておる人はないというようなことを言つておりました。そういう点から考えてみまして、すぐに救済せなければならぬという人は少いであろうと思います。しかし、中には持つて帰る品物がよけいないというような人はあるかもわかりません。
  75. 工藤忠夫

    工藤参考人 私は、今の中国の政策から、つまり最低生活を保障する、それ以上のぜいたくは許さないという建前をとつておる見地から想像しておるだけであります。それからまた、私のところへは十四、五通しか手紙が参りませんが、それによると、これらの人が、以前は無職であつたけれども、今は安定を得ている、中国で、女の人はお産婆さんをやつておるという人が多いようですが、そういう人も、とにかく十分な収入を得ておる、しかし、中国で安定生活をしておるのだけれども、一体日本自分たちみたいな古くさい知識で生きて行けるものでしようかというような手紙をよこす人もあります。あるいはまた、私たちが会いました広島県の御調郡の田中君は、昭和十九年に応召して終戦になつたのでありますが、レントゲンの知識はあまり持つていなかつた、しかるに今は洛陽の病院でレントゲンの主任のドクターになつておるというようなことから見ましても、日本から見れば相当レベルの低い人でも、あちらでは割合によい地位にあるのじやないか、こういうような感じを持つたものでありますから、全体としては悪くない、こういう結論を私自身は下したのであります。私たちには、個人的にいなかをまわつたり、それから訪問したりする自由は与えられませんでした。御存じの通り中国は非常に統制された国でありますから、われわれがかつて気ままにやるということはできない。一々許可を得て、まず連絡した上で訪問するということになつておりますから、私がみんな幸福でおりますぞということを確言することはできませんが、これは私が、一般的な見方として、こう信じて申し上げておるだけの話ですから、その点は御了承を願います。
  76. 帆足計

    ○帆足委員 第二にお尋ね申し上げたいことは、中国に残留しております日本人の数につきまして、御承知のように、多少政治的傾向のある引揚者団体の方から、十万人くらい在留民がおるというようなことが強く主張されております。また政府当局におきましても、私ども統計学者から見まして、多少根拠の薄弱な過大な数字が政治的に唱えられておるような感を抱かせられておるのでありますが、今般先方に参られたのですから、先ほど伺いましたように、在留の方々について、北京ではどのくらいとか、洛陽ではどのくらいとかいうような見当が大体つくわけでありまして、従いまして、三万も帰つて来られるということになりますれば、そこの世話役さんたちの御意見でも承れば、大体のことは私はわかると思いますが、皆さんの常識的見当で、この問題についてどのようにお考えでございましようか、特に工藤さんにお尋ねしたいのであります。また内山さんその他代表の方からも、この問題について補足的な御意見がございましたら、大事な問題ですから、ひとつ良識ある御判断をお願いしたいと思います。
  77. 工藤忠夫

    工藤参考人 どうも、私ばかり立たされて困るのですが、三万人の問題につきましては、私も、中国発表した際に、三万人の根拠がないので、この点を中国側に確かめたいという気持がありましたので、何かの方法で聞いてみたいと思つてつたのであります。この問題は在留民帰国とは直接の関係がないというような向うの雰囲気が感ぜられましたけれども、とにかくこれは聞いてみたいというわけで、第三回の公式会談の前に二つの質問を私は出したのであります。それは、三万人の根拠いかんということは言えませんから、三万人の中で一体どれだけがどことどこに働いておるか、働いておる者の総数、あるいは自由人で残つておるとか、商売をしておるとか、また新聞記者をしておるとかいうものを、大体職業別で示してもらえませんかということを聞いたのです。そうすれば大体の想像がつくのじやないかと思つて聞いたわけであります。それから第二に、居留民分布状態を知らせてもらいたいということをあらかじめ申し入れておいたのでありますが、二十日の正式会談の際、この問題については先方から返事がなく、不問に付されようとしたものですから、私が立ちまして、この問題について御返答をぜひ伺いたいという趣旨の質問をいたしましたところ、これは交渉の範囲外であるから何らお答えすることはできないと言つて、拒否されたような次第であります。そういうぐあいで、三万人の根拠というものについては何ら承ることはできなかつたのであります。ただ多数の消息不明者がありますので、その消息不明者によつてまた在留民の総数を忖度する方法もありますので、この消息不明者について何らかの方法で本人の居所を突きとめたいから御協力を願いたいと言つたところ、これまた協定の範囲外であると言つて正式に拒絶されたのでありますが、この問題は、かねて国際赤十字において許された一般の赤十字の義務でありますので、赤十字の問題としてこれを取上げることに両者の話合いがついたのであります。しかし、廖団長は、さらに言葉を継いで、消息不明の人の調査は赤十字としていたしましよう、しかしわれわれの知つておるところでは、消息不明者の大部分は昭和二十年の終戦直後の国民政府時代において生じたものであるからして、国民政府責任に属する事項である、自分たちは、一九四九年の十月一日人民政府が成立した以前の消息不明者については責任を負いかねる、しかし、それ以後については消息不明者もないはずだ、もしあるとしたら徹底的に調べて御協力いたします、こういう確答を得たのであります。それで、その調査の具体的方法につきまして、さらに詳しく話をしようと思つて紅十字会に再三面会を申し込んだのでありますが、御存じのような社会でありますから、個人的な接触はなかなかむずかしい。どうしても公の席でしか会えないのであります。いよいよ三月五日の午後十時半に、とにかく私は向うをつかまえて話をしなければいかぬというので、常務理事の伍雲甫さんをつかまえまして、この実施方法についてまだ具体的な話がついていないが、とにかく赤十字に一つの様式があるから、それによつてつてください、しかし私はあなたの方にそんなに迷惑をかけるようなことはしたくない、留守家族とよく相談して、消息のわかるものであると自分が信ずるものから順次送つて、あなたの方の事務の動きと見はからつて、確実なものだけでも、できるだけ早目に知らせてもらうようにやつて行きたいから、よろしく頼む、帰つた留守家族と相談してやりますからと言つたら、承知したというような話でありましたので、その言葉を私は信じて、これから消息不明者の調査の問題をやりたいと思つている次第でございます。どうぞ御了承願いたい。
  78. 帆足計

    ○帆足委員 ただいまの問題につきまして、十万という数字と三万とは、あまりに開きが大き過ぎますが、皆さん常識の判断でどういうふうにお考えでございましようか、各位から補足していただけばけつこうです。まだ二、三ありますけれども、時間も移りましたから、私はこれだけで本日は打切ります。
  79. 内山完造

    内山参考人 工藤さんからお話がありましたように、この問題は正式には触れていませんが、いろいろの話の間に想像をいたしますると、こういうことが考えられるのであります。孤児はどうするか、孤児はその意思によつて帰りたければ帰す、——日僑の孤児の数は向うはつきりわかつておるものと思います。しかし、その数は発表はしてくれない。そうして、ほかの日本人がどういうぐあいにおるかということ、また向うが正確な数字を持つておるかおらぬかということは、日本人居留民のことは全部外僑管理処が承知しておるということを、私ども向うにおる日本人人々から聞いております。それから考えますと、これもはつきりしておると私は思います。そうして、船を入れますにつきまして、上海、天津、秦皇島等の三箇所を選んだところに、大体においてこの三方面を中心として日本人が残つておるということが想像できます。その比率がどういうぐあいになつておるかということを想像いたしまするときに、第一回の船に乗つて帰る人の数が、天津が千人、上海が千五百ないし二千人、秦皇島が二千人ということを申しております。この数字と、また後につけ加えました向う言葉で、上海の千人ないし二千五百人は次第に少くなる可能性がある、天津及び秦皇島は次第に増加する可能性があるということを申しました。これによりまして、大体日本人分布状態は、上海中心に集まつて来る人が一番数が少いように思えるのであります。天津は、初めは少うございますが、次第にふえて来るものと考えられる。秦皇島もまた次第にふえて来るものと考えられます。これで大体の分布状態の見当がつくのであります。これと同時に、外僑管理処がこれを知つておるということ、それから、もう一つは、年齢の問題でやりとりをいたしましたときに、今日まで約五千人の人が第一回の船に乗つて帰ることになつておりますが、その中にはそういう人は一人もおらぬということを言つてつた。それによつても、向うではよく調査してあるということがわかるわけです。また、外僑管理処が大体数字を知つておるということは、コミユニケに署名いたしますときに、第一回の帰国を四千二百人ときめておつたのでありますが、日本側の方から、もう少し乗れるというので、数をふやしました。ところが、ああそれはそれでよろしいということで、すぐに数をふやすことを承知したことからいたしますと、向うではよほど厳格に日本人の数はわかつているものと私は考えます。こうした考えから、向うで見る三万人前後という数字は信じていいと考える。  それから、行方不明者の問題につきまして、こちらからいろいろ向うに対して申入れをしなければならぬのでありますが、ただこれだけの人間が行方不明であると言つただけでは、向うでは探しようがない。これこれの人間が何年同月どこそこでどういうぐあいになつて行方不明になつているというように、少くともその人の姓名でもなければ、向うでは探すことはできないと私は考えるのであります。
  80. 帆足計

    ○帆足委員 けつこうです。
  81. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 御苦労さまでございました。  重複しないように質問いたしたいと思いますが、高良さんの御報告を聞きましても、また皆様方の御報告を承りましても、向うでは早くから計画的に日本への送還がやられておつたように思われます。そして交渉の結果は、しみじみと涙の出るほど御感謝になつておりますが、日本帰つてからの日本人の安否まで気づかつてくださる親切が中共の方々にあるのならば、今度これだけの人が船で帰るぐらいな名簿をあなた方代表に持たせてくれるのが真に涙が出るやり方である。またせつかく行かれた皆様方としては、これをつつ込んで、名簿を持つてお帰りになるのが真の使命ではなかつたかと存ずるのであります。島津団長がおいでにならないで、はなはだ残念でありますが、先ほどから承つておりますと、拒絶された、こわい顔をされた、怒られた、これ以上はつつ込んで聞けなかつた、これ以上は歯が立たなかつたということの連続でありまして、どうも役者が向うの方が一枚上手で、早くから計画しておつて、赤子の手をねじるように、向うの思うままに交渉をしたという感を持たざるを得ないのであります。まことに失礼な言い方でありますが、名簿を持つてお帰りにならなかつたという点が国民に非常に不満を持たせ、疑問を持たせておることは、おおいがたいと思いますが、名簿を持つてお帰りにならなかつた皆様方の立場を、今どういうふうに御反省というか、御分析になつておるか、明らかにしていただきたいと存じます。私は、名簿を持つてお帰りになつて、今後の安否を気づかつてくれる中共の意思が国民に通ずることがほんとうつたと思います。
  82. 内山完造

    内山参考人 向うの事柄が計画的であつたか、親切であつたか、不親切であつたかは、お尋ねの方の御自由な御判断におまかせいたしまするが、名簿と実際に帰る人間との関係は、名簿以上に実際に帰る人間が重要であると思います。そこで、三万人前後の人間の自由意思によつて、帰りたい者は帰すと言つている以上、帰つて来さえすれば、だれが帰つて来たということははつきりするわけであります。大体において六月の末もしくは七月の末に大口の帰国を終ると言うておりまするから、七、八年今までお待ちになつたのでありますから、もう二、三箇月ごしんぼうになれば、帰つて来る人間はいかなる人間であるかということは明白になると思います。そうすれば、名簿云々の問題はきわめて軽い問題であると考えて、今度の調印をいたしたのであります。
  83. 畑中政春

    畑中参考人 今の堤さんのお話ですが、名簿というのは、かりにわれわれが持つて帰れば、これはほんとうに帰還して来る者の名簿です。帰還するということは、どういうことかというと、日本人が申請書を出すのです。自分は帰還したいと思うから帰国させてくれという申請書を出して来るのです。その申請書をどんどん今各地で出しているわけです。その申請書に基いて、中国側から、よろしい、お帰りなさいということで許可書が来るわけです。その許可書が来たときに初めてその人は帰還者というものの中に入つて来るわけです。ところが、実際に、この広大なる中国の領土で、その申請して許可するという事務が今ずつと進行しておる際ですから、たとえば、今これだけの者が帰れます、こうでございますという事務的な問題が、まだ最終段階に達しておらないというふうに判断するわけであります。そういうわけで、ほんとうにまだ帰国の申請をしておる者もあるでしよう。そういうわけですから、その点は、ひとつまあそうおしかりにならないように、やんわりと考えていただきたいと思います。
  84. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 旅装も解かれておりませんのに、こういうことを申し上げて、まことに恐縮でございます。エチケツトの点、どうぞあしからず。私は、御想像は自由にまかせるとおつしやいますけれども、あなた方から出たお言葉なりをいろいろと聞くと、高良さんは、計画的に一年前からやられておつた、しみじみ涙が出るほど中共の友好的態度はありがたかつたということを、るる述べられておる。そうして新聞の報ずるところによれば、あなた方の御連絡によつて続々乗船地に日本人は集結しつつあるという。この報道は、すでにもうここ半箇月ぐらい伝えられておる。従つて、三万人のうち第一回の三千ないし五千の帰国の予定の名簿は、私は確かにあると思うのです。それを持つてお帰りにならなかつたところに、私は少し至らなかつたところがあるということを指摘しておるのでありまして、あしからず御了承願います。  それから、もう一つは、続々帰つて来る人が集結しておるとか、日本人がたくさんその辺にうろうろしおるとか、いろいろ言われますけれども、力になるあなた方人民代表が行かれたならば、さぞや居留民方々はたくさん寄つて来て、いろいろと御相談があり、何かと座談会が持たれたり、持つて行かれたテープ・レコーダーなども公開せられて、もう少しひざを交えての代表団とのお打合せなり連絡なりがあつたのではないかと思つておりましたが、御報告を承つておりますと、居留日本人方々との御連絡は一向なかつたように拝聴いたしたのでございます。乗船地の集結状態であるとか、日本居留民方々などの生活状態ども、隠すことがいらなければ、どんどん見せたらいいのですから、そういうものも視察してまわられたのか、あるいは視察することを許されなかつたのか、またあなた方が積極的に視察しようとなさらなかつたのか、その点を承りたい。  もう一つは、北多摩郡におりますところの某という長年帰還を待つております母親のところに、満州の鶴岡炭鉱におりますところの未帰還むすこから、二月の初めに、初めてこういう来信があつたのであります。このたび帰れるということになつて、私は帰る、お母さんからは舞鶴に迎えに来るという手紙が来たけれども、どうかひとつ迎えに来ないでほしい、自分は自分の使命があるから、家に帰らずに、みずから仕事を探す、どうぞ心配しないでくれ、おちついたらいずれ連絡するから心配するなという手紙が来ておるのでありますが、こういう手紙が参りますと、隣近所にも聞えますし、あなた方が持つてお帰りにならないので名簿もはつきりいたさないのでありますから、疑心暗鬼が国民の間に起るのはもつともで、みな思い思いでございます。非常に私はこの点は問題であると思います。そうした点について、何かひとつお考えがありましたら、お答えを願いたいと思います。
  85. 内山完造

    内山参考人 どういう人が第一船になり、第二船になるということは、われわれにはわからない。それは本人にもわからない。同じように帰りたいのですから、隣の人には許可は来たが自分には来ないという場合に、自分だけが残されるのではないかという疑心暗鬼を起しているわけであります。そうした点は、向うの方法がはつきり私どもにはわかりませんから、これはこうであろうとか、ああであろうとかいうことは申し上げかねます。しかし、どういたしましても、ここ半箇月かそこらのうちに必ず五千人に近い人が帰つて来ると思います。そうした人たち帰つて来たら、その人々について皆さんがお聞きくだされば、あの人はどうして船に乗れなかつたかということはおわかりになると思います。七、八年の間ごしんぼうくださつた皆さんは、ここ二週間か三週間のごしんぼうを願いたいと思うのであります。
  86. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 日本政府は相手にしてもらえない。非常にきらわれた。国内でだけと思つていたが、国際的にも吉田内閣はきらわれております。吉田内閣はきらわれて相手にしてもらえない。相手にしてもらえるのは今のところあなた方だけです。五千人帰つて来ても、まだ二万五千人残る。家族の身になつてみますれば、わがむすこは生きているか、帰る中に入つておるかということを知りたいのです。今までせつかくやつて来られたのですから、残る二万五千人についてもまた友好の精神をもつて名簿を私らに知らせてくれということのお取次をなさつて、今後の御交渉をなさつていただきたいと思います。
  87. 佐藤洋之助

    佐藤委員長 臼井君。
  88. 臼井莊一

    ○臼井委員 時間も過ぎておりますから、一点だけ伺いたい。ただいまの堤さんの御質問に対する内山さんの御答弁で、帰つて来る者は、名簿を持つて来なくても、いずれもうじきわかるという点は、わかりますが、望んで向うに残られる希望在留という方の名簿は一体どうなるのか、わかりますか。
  89. 内山完造

    内山参考人 これは、ただいまのところはつきりわかりませんが、帰つて来られたあとの数はきわめてわずかになると考えます。というのは、向うにいる人に会つて聞きましても、大体皆帰ります、残る人はごくわずかしかありませんと言つております。私のところに来た手紙にも、初めに着いた当時に来ましたのは、帰れるか帰れぬかわからないから、どうか帰れるようにしてほしいという手紙が来ましたが、私たちが向うを立つすぐ前に来ました手紙には、おかげで帰れることがはつきりいたしました、これで私も帰れますというようなことが書いてありました。そこの間に時間的なずれがあつて、杞憂をして初めの手紙を出したということがはつきりわかつております。また、許可になりました者は、多分全部故国に通信していると私は考えます。故国の方の方が、あるいはかえつて帰つて来られる人の名前なんかはよく御承知ではないかと思います。畑中さんからも先ほどお話がありましたが、実際に出して来ている人の数がわかるということは、ちよつとむずかしいのであります。引揚げの費用を全部向うで持つのですから、できるだけ短かい時間に集結して、船の来る時間とちようど合うように持つて行きたいというのが向うの希望でありますから、船の時間が非常にやかましくなつたのであります。そうすると、自然、名簿というものも、本人が書き上げて、それによつてつくられるものが多いと思いますので、そうした点で、わずかな時間に名簿をつくるように、できるだけ連絡をとつてつたわけであります。
  90. 臼井莊一

    ○臼井委員 そのあとに残られる方の人数は少いだろうということですが、残るという希望で残られる方はよいのです。しかし、そうでなく、さつき高良さんのお話によると、鞍山あたりが大分機械化してよくなつているという話でありますが、鞍山に限らず、ほかもそうかもしれませんが、従来の経験を聞き及ぶと、やはり必要で相当残らされておる者があるように聞いておるのですが、そういう方はほんとうにお気の毒ですから、ひとつ皆様方の方でそういう点を連絡のとれるように御配慮願いたいということを申し上げておきます。
  91. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 集結地の視察ということについて答弁を得ていないのですが……
  92. 畑中政春

    畑中参考人 堤さん、こういうわけなんです。つまり、われわれが北京に行つたら、向う日本人はさぞやどんどんやつて来て、どうか帰すように交渉してください、どうしてください、こういうように言うだろう、こうわれわれもちよつと想像いたしましたし、皆さんの御想像も無理もないのです。ところが、向うに行つて日本人の話を聞いてみると、こういうことなんです。もしもそういうことをやりますと、北京ホテルにあちらからもこちらからも毎日々々日本人が押しかけて来る、私の家はこうだ、どうぞ早く帰してください、帰してください、そういう個人的なことをどんどん陳情しおつたら、あなたたちの頭がすつかりこんがらがつてしまう、そうして交渉が妨げられるでしよう、ここでじつくりとあなたたちが交渉されるのに、われわれのいわゆるプライヴエートないろいろな問題は抜きにして、どうか大局的にぎつちりと交渉されるようにと、じつと見ておつたのです、そうして交渉がいよいよまとまれば、さつそく皆様とお会いしていろいろ話したいというようなつもりでおつたのです、ということなんです。そこで、いよいよ交渉のコミユニケができて、署名と来たその一時間後には、北京人たちが十人近く集まつて、われわれは会えたのです。それからあと、われわれも集結地のあちこちを見たいと思いました。ところが、出発するときに、外務省は、この交渉を終えるやいなやただちに帰還されることを希望するということを要望されたので、おりたいのはやまやま、視察したいのはやまやまですけれども、早く皆様にこのことを報告したいというわれわれの気持で、実は集結地を十分に見ることができなかつたというのが実情なんです。それで、この調印を済ますと、すぐ翌日立つ、その間のわずかな時間をさいて、北京人々とお会いしたわけです。そのお会いした実情は、代表の諸君からるるお話があつた通りでありまして、その点は、いわゆる外務省とか方々のいろいろな事情もあるのですから、なかなかそう皆さんの御希望通りに行かないという事情をも、堤さん少しく御了承願いたいと思います。
  93. 工藤忠夫

    工藤参考人 今の在留邦人との面会の点について、私、畑中さんとは少し見解を異にするので、私の立場だけをちよつと申し上げておきますが、到着しました日の翌日、私がぜひ在留民と会いたいということを申し入れたのです。事務局を通じて正式に申し入れておいたのでありますが、考慮するというお話つたのです。ところが、その後なかなか向うの方からの連絡がない。そうかといつて、私たちは個人的に知つている人が北京にありませんから、実は積極的にどういう人を訪問したらいいかということもなかつたので、実は来訪を待つてつたのでありますが、北京ホテルに私たちに面会を求めて来られた人も相当あつたやに聞いておりますが、向うではやはり各人部署について、なかなか規律が厳重で、ホテルに入れない。すごすご帰つた人も相当あつたようであります。そういうわけで、これは何も日本人だけに会わさなかつたという趣旨ではないので、これは結局中国の政治組織の一つの現われでありまして、われわれだけに積極的に会わせなかつたというわけではないと思います。ただ、各人が中国ではかつてに行動ができるかというと、それはいろいろの中国の政治組織、社会組織から、これは公のためにはみずからを犠牲にするということが中国の新組織のイデオロギーでありますから、なかなか個人の自由が、そうわれわれの社会のようにかつて気ままに行けるわけではありません。そういうわけですから、私は個人的に会つた人はありませんでした。おそらく会いに来た人もありましよう。これは、あと手紙で、会えなかつたということを言つて来ておる人もあります。しかし、最後には、向うの方も責任を感じまして、最後の瞬間に、いよいよ明日立つという、調印が終つた直後に、十人ばかりの人が来られて、私たちは会つたのでありますけれども、もう私は報告をやらなければならぬ、八時半には宴会があるというので、十分に話す時間がなかつたのですが、ほかの代表の方々がお会いになりまして、そういう方の詳しい話を聞かれたように聞いております。そういうぐあいで、私たちは会うことを希望したのですけれども、実は会えなかつた。いわんや、港に行くということは、これまた中国は今戦時状態である。そういうわけで、防諜の点が非常にきついので、戸外で写真をとることも相ならぬ。レコードもとつてはいけない。そういうようなことで、中村工作員は天津に行つて外輪公司と話したいと言われたのでありますけれども、天津からわざわざ外輪公司の代表者を呼んで、われわれのホテルで話したというような状況です。しかし、軟禁ということでもないので、ホテルの付近を自由に歩くこともありました。そういうぐあいですから、ひとつ御了承願いたいと思います。
  94. 佐藤洋之助

    佐藤委員長 これにて参考人よりの事情聴取を終ることにいたします。  参考人方々にはお疲れのところ長時間にわたり在華同胞帰国打合せ会談並びに現地における残留同胞の状況を詳細にお話をくださいまして、本委員会海外残留同胞引揚げに関する調査の上に多大の参考となりましたことを、ここに委員長より厚く御礼を申し上げます。まことに御苦労さまでございました。  これにて散会をいたします。次会は公報をもつてお知らせいたします。     午後二時九分散会