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公述人(磯田進君) 東京大学の磯田でございます。許された時間が非常に少なうございますので、主として労調法の
改正に関する部分に問題を限定するほかないように思います。
あとで時間が残りましたならば、そのほかの
法律関係の問題点に触れたいと思います。労調法の中の
改正に
関係する部分が今回の一連の
労働法改正の中の最も中心的な問題を多く含む部分であると、そういうふうに
考えるからであります。
労調法
改正の中の問題点としては、主として三つの点、
一つは
公益事業における
調停申請をどう扱うかという点、それからもう
一つはいわゆる
緊急調整の点と、それから第三に労調法違反の
争議行為に対する罰則の点と、大体この三つの問題について
意見を申上げたいと思います。
第一の問題、
公益事業における
調停の
申請を、いわゆる事件の自主的な
解決のための
努力が著しく不十分であると認めたときは
却下することができる、この
規定でございます。第十
八條第二項となることを予定されておる、この
規定でありますが、これについては私は三つの点から適当でないと
考えます。
第一の点は、この
改正案の
趣旨は、団体
交渉を煮詰めて持
つて来いという
意味だと説明されておりますが、ところが団体
交渉を煮詰めて行くということは、これはつまり
労使双方の気合いによることであり、その
労使双方がいわゆる相撲で言えば立つ気が熟すると、こうな
つて来ることの背景には、
労使双方の
努力で
交渉を妥結に導かなければならん、少々の犠牲を払
つても導くべきであるという、そういう切迫した必要性がなければならないわけであります。ところが実情を見ますと、
只今の後藤先生の証言にもありましたけれども、
使用者側といたしましては、
労働組合側が
争議権をいよいよ現実に獲得するという段階に至るまでは
交渉を妥結に導くべき切迫した必要というものを感じないのでありまして、それは事柄の性質上当然であろうと思います。そういたしますと、
労働組合側は
争議権を獲得し得るためには、
調停申請を受理してもらうためには、煮詰めて行かなければならんということでありますが、こちらの側だけで煮詰めて行く
努力をしなければならんということになる、悪い場合はですね。そういうことが
考えられる。ところが団体
交渉というものは、性質上
労働組合側だけで以て煮詰めて行くということは、これは実に不可能なことであると、そう
考えられます。例えば
組合側が一万五千円という
要求を出しております。これに対して
使用者側は一万円という主張をいたしまして、その間非常に隔
つておる、そのままの状態で
労働委員会に
調停を
申請したのでは、まだ煮詰
つていないからということでこれを
却下するということが
考えられるわけでありますけれども、併し
使用者側としては、一万円なら一万円という線を一歩も譲らないという態勢を持しておれば、
ストライキされないという点では有利だということになり、従
つて使用者側としては一万円を一万一千円、一万二千円という、いわゆる次第に煮詰めて行くという、そういう
努力はむしろ払わないほうが有利だということになるはずです。その場合に
使用者側がそういつた態勢に出ておるのに、
労働組合の側が二万五千円を一万四千円とか、一万三千円ではどうかという、そこまでの讓歩を持出して行くということを
要求することは、これはフエアーでないと、公正でないと、そう
考えられます。そういう
理由で、こういう
規定を置くことは
労働組合側にと
つて酷である場合が多いだろうと、そう
考えられるわけであります。
それから又別の観点からいたしますと、
交渉を煮詰めて行くために何らかの形の実力行使が行われる、その場合の実力行使は法の建前からいたしますと好ましくないと
考えておるところのものでありますが、まあ違法の
ストライキと行かないまでも、
ストライキに類似した形の
使用者側に圧力をかける、いわゆる何らかの形で実力行使か行われる、そういう形で、
冷却期間が設けられておるのに、それが事実上曲げられて行くような形になる。そういつた
事態も、そういつた可能性が予想されるのであ
つて、そうなればこれは全く逆
効果になるだろうと
考えられます。以上が第一点であります。
第二点は、こういう
規定によりますと、
労働者に
争議権を與えるか否かが
労働委員会の裁量にかかることになります。然るに
労働委員会は職権委嘱で任命されるのであ
つて、そのこと自体の可否、
法律上の見地から言
つていいか悪いかということはこの際一応問題外といたします。現在の
改正法の前提にな
つておるところの職権委嘱の
制度はそのまま続けるということを建前として申上げるのであります。そういたしますと、結局
事態はこういうことになるわけであります。時の行政権力が自分の好むところに従
つて任命して行く、そのような
機関の裁量によ
つて争議権というものが或いは與えられ、或いは與えられない、こういうことになると、こういう
事態は、これは
争議権を基本的人権として担えて、そういうものを保障しておりますところの
日本憲法の建前とは相容れないと
考えられます。憲法二十
八條で、
労働者の
争議権を保障すると言
つておるが、保障するという以上は、国民に保障された或る権利の行使について、時の政治権力が何らかの
意味においてそれを左右し得るような、そういう成る種の裁量にかからしめられる。つまりそういつた時の政治権力の息がかかつた、何らかの
意味で息がかかつた裁量を待
つて初めて或る権利が行使できる、場合によればできなくなるという、そういつたことは憲法における人権の保障というものの根本的な
趣旨と相容れない。そのようなことは許されない、そう
考えます。それが第二点であります。
それから第三点、
労働委員会をサービス
機関であるべきだと
一般にされておるのでありますが、そのことは労調法の第一條を見ましても、はつきりそう謳われております。然るに
労働委員会の裁量によ
つてストライキ権を與えたり、或いは拒んだりできるということになりますと、サービス
機関であるよりは、むしろ取締
機関の感をえさ呈するということになるわけであります。と申しますのは、
労働委員会の認可をもらわなければ
ストライキができない。事実上そういつた形になるわけでありまして、そこで或る行政
機関の認可をもらわなければ
ストライキができないというような
事態は、これは憲法の建前と相反しておるということが先ほど申しました第二点でありますが、今の第三点で申上げたいと思うのは、
ストライキの認可を與えたり、拒んだりするというそのことは
労働委員会のあるべき姿でない。それが第三点として申上げたいことであります。
以上、要するに第十
八條に第二項を加えようとする
改正案は、憲法の建前から申しましても、又立法政策の見地からい
つても、極めて不当な
規定であ
つて、これは削除すべきであろう。そう
考える次第であります。
現行労調法の第十
八條の第三号を以て十分足りる。ことさらにかような
改正を行う必要はないというのが次の
意見であります。第十
八條第三号には、
公益事業に関して
関係当事者の一方から
労働委員会に対して
調停の
申請がなされた場合には、
労働委員会が
調停を行う必要があると決議いたしまして、その決議をした場合にはその日から、決議をすることによ
つて、つまり
調停申請を受理することによ
つて三十日の
冷却期間が走り始める。こういう点については、今後藤先生が触れられましたけれども、現在の労調法の解釈とすれば、
労働委員会が
調停を行う必要があると判断するかどうかというその基準は、労調法第一條の精神によ
つて制約されて来るわけであ
つて、つまり労調法の第一條には、「この
法律は、……
労働関係の公正な
調整を図り、
労働争議を予防し、又は
解決して、
産業の平和を維持し、も
つて経済の興隆に寄與することを
目的とする。」こういうふうに謳
つておる。そのために
労働委員会が
調停を行うのですから、そのような
目的に照らして、この場合の
申請は受付ける必要があるかどうかということを
労働委員会が判断するということで十分であると
考えます。
以上が
公益事業における
調停申請の
却下についての
規定、それに対する私の
意見であります。
その次に、
緊急調整の問題に関しましては、第一点としまして、この
緊急調整の発動を許す要件が嚴格を欠いておる。そのために、このような
規定を置くことは、
労働者の基本権に対する極めて不当な侵害となるというふうに
考えます。よく引合いに出されるタフト・ハートレー法を読んでみてさえも、この点は極めて顯著な違いを示しておるのでありまして、タフト・ハートレー法については、
只今後藤教授から
相当詳しい御
意見の御開陳がございました。私は後藤先生とはここ暫らくお目にかか
つていないし、この問題についても話合つたこともないのでありますけれども、タフト・ハートレー法と今回の
緊急調整との比較の問題、どこがどんなふうに違
つているという点については、はからずも殆んど
考え方が一致しておるということを発見したのでありますが、恐らくはそのように見ることが
日本の
労働法学者にと
つての常識なのだろう、そう
考える次第であります。ここで
緊急調整の発動を許す要件という点で両方一応比べて見るということにいたしますと、
二つの点で極めて顯著な差異があります。タフト・ハートレー法においては、二百
八條で、
労働争議の差止め命令を
最初に下し得る場合の要件を
規定しておるわけでありますが、要件は一応
二つあると
考えていいのでありまして、第一点は後藤教授の証言と重複することになりますけれども、第一点は、
一つの
産業の全部或いは大部分に
関係がある
ストライキという要件であります。
一つの
産業の全部或いはサブスタンシヤル・パートと書いてございますから、大部分という
意味であろうと
考えられます。それが第一の点、
規模における要件であります。それから第二の点は、その
ストライキが起る、或いは続行するならば、ナシヨナル・ヘルス・オアー・セーフテイーという言葉が使
つておりますが、国民の健康又は安全を危ぶからしめる、そういう場合である。このナシヨナルというのは、恐らく合衆国全体の
規模において見たという
考え方だろうと思います。各州ごと、
一つの州内で或る
ストライキが起
つて、そのためにその州の国民の健康或いは安全に害があるといつたような、そういつた
地方的な性質を持つ場合は、差止め命令が発動し得ないのだ、そういう差違であろうと
考えられるわけでありますが、そこでそういう
意味にと
つて仮に訳して見ますれば、全国的な
規模において、国民の健康又は安全を危ぶからしめるような
ストライキ、まあかような
意味にとることができると
考えられるのでありますが、それがタフト・ハートレー法における発動の要件の第二点であります。
そこでこれと今回の
緊急調整の案文とを比べてみますと、
二つの点どちらも違
つておるわけでありまして、第一に地域的に申しまして、今回の
緊急調整の案によりますと、地域的或いはその
ストライキの
規模の点における制限というものがきま
つておりません。従
つてよく言われることでありますけれども、北海道だけで炭鉱が
ストライキをやつたというような場合にも、この
緊急調整が発動する可能性があり得るように
考えられるのであ
つて、アメリカの場合とは非常に違
つております。それから第二に、
緊急調整における要件の縛り方は、国民生活に重大な損害を與えるといつたような、極めて漠然たる
規定の仕方でありまして、これは全国的な
規模において国民の健康又は安全を危からしめるといつたような、具体的な、タフト・ハートレー法における要件のきめ方とは違
つておる、非常に著しい相違があると
考えられます。で、
緊急調整の
制度においてはさような漠然たる縛り方である結果として、国民生活に重大な損害というのでありますけれども、それが單なる経済的な
意味における損害、或いは日常生活における不便といつたようなものを以てさえも
ストライキをチエツクすることができるという
考え方になる危險性があるように思います。その
二つの点において、
緊急調整の発動を許す要件というものが、タフト・ハートレー法と比べても極めて
労働者にと
つて酷にできておるということであります。それが第一点。
それから第二点、
緊急調整全体につきましての第二の問題といたしましては
ストライキの差止権が單なる行政官庁に與えられておるという点であります。又タフト・ハートレー法と比べてみますと後藤教授が御指摘になりましたように、タフト・ハートレー法においては裁判所がその判断に基いて差止命令を出すのであり、で、この裁判に対しては控訴、上告も許されております。即ち三番の裁判を通して
ストライキ権に対するこういつた重大な制約を初めて発動をさせる、認めて行くわけでありまして、
日本の場合のように一行政官庁が斬捨御免で差止めを行な
つて行くということは本質的に違いがあるのであります。そこで行政権力が
ストライキをやらせるもやらせないも自分の胸三寸であるといつたような権限を握るということは、これは先ほど
公益事業に関して申上げましたように、先ほどの第二点で申しましたように、憲法における
争議権の保障ということと相容れないと
考えるのであります。
緊急調整の発動ということは、
ストライキそのものの
禁止ではありませんけれども、殆んど
禁止に近い制限と
考えなければなるまい、理論的にはですね、そう
考えなければなるまいと
考えるので、さように申すわけであります。タフト・ハートレー法と比較して申しましたけれども、タフト・ハートレー法と比較してさえも、発動の要件、それから差止め得る
機関、こういう
二つの点で重大な違いがあるということを申しました。さえもと申します
意味は、アメリカでは憲法上
労働者の
争議権の保障というものはないのでありまして、憲法上の保障のないアメリカの法制の下においてさえも、これだけの嚴格な要件の下に、且つ愼重な手続の下に司法
機関をして初めて発動を許しておる。そういたしますと、アメリカと比べて
ストライキ権というものが憲法上の権利である、而もそれは人権の
一つであるという、この人権であるという列にまで高められて、憲法で保障されておるそういつた
日本の法制の下では、アメリカでこの
程度だからそれでいいということさえも言えないのであ
つて、いわんやアメリカの
程度に至らないところのこの
争議権の保障の用意周到さという点、
争議権がアメリカの場合に比べてさえもなお手軽に制限され、侵害されるような法制になるという点では、どうしても私どもはこれをジヤステイフアイすることができないと
考えられます。それが第二の点であります。
それから
緊急調整につきまして第三の問題点としましては、これは問題点という
意味で申上げるのでありますが、労働省のほうではこの
緊急調整の
規定は
労働関係法令審議
委員会の
公益委員の
意見を取入れたといつたように言
つておるようであります。私は参議院のほうの速記録はまだ入手いたしませんが、衆議院においてこの
法案の提案説明の場合に吉武労働大臣は、この
緊急調整の点は今申しました
労働関係法令審議
委員会の
公益委員の
意見を取入れたのでありますと、こういうふうに言
つておられます。それから賀來労政局長は大むね
公益委員の
意見によつたものでありますと、こういうふうに言
つておられます。ところがこれは事実と反すると
考えられるのでありまして、
労働関係法令審議
委員会の
公益委員の
意見というのは、
公益委員の最終案、いわゆる吾妻試案第六次修正案と称せられておるようなこの最終案によりますと、いわゆる
緊急調整におきましてはこのような言い方をいたしております。
労働争議の
解決が困難であり、且つ放置すれば、国民生活に回復すべからざる損害を與える緊急且つ現実の危險がある場合には、内閣
総理大臣の請求により
中央労働委員会は、その決議によ
つて緊急調整を開始することができるものとする、右の決議には
公益委員五名以上を含む過半数の
委員の同意を必要とするというのが、これが
公益委員の
意見であります。そういたしますと、ここに提案にな
つております
緊急調整のこの法文と比べますと、まさに私が先ほど指摘いたしました
二つの点において重大な違いがあるわけであります。即ち第一には、その
緊急調整の発動を許す要件という点において、極めて顯著な違いがあると言わなければなりません。国民生活に回復すべからざる損害を與える緊急且つ現実の危險がある場合と、かように縛
つておる点と、この
法案のように漠然と国民生活に重大なる損害を與えると認めたときと、こういうのとは非常な偉いがあると言わなければならないと思うのであります。それから第二に誰が
緊急調整を発動するかというその
機関の点において違
つております。
中央労働委員会、而もそれが
一般の
議事の場合と達
つて、更に嚴格な要件を経て、
中央労働委員会がきめたそういう場合でなければ発動できないというのが
公益委員会の
意見でありまして、その
二つの点において非常に大きな違いがあるということ、その点についてこれは問題点であろうと思いますので申上げたいと思います。
それから第四点、
公益事業については、この
緊急調整の
規定が設けられますと、
公益事業一般において十五日という
冷却期間があり、十五日プラス五十日と、こうなるのが可能であるというように
考えられるのでありまして、
公益事業以外の
事業においては五十日間の
争議差止ということが二回以上発動され得るということが予想されます。まあこれらの点は恐らくは
法律がどうできておりましても、労働大臣にも政治的な
責任と申しますか、考慮と申しますか、そういつたものが働くわけでありましようから、それほどむちやに
緊急調整の伝家の宝刀を引拔くことはあるまいということは、一応予想されると思いますけれども、私たちは
法律家といたしまして、最惡の場合を
考えて
法律上の議論をするほかはないのでありまして、そのことは
法律家としての
責任であろうと
考えますので、
法律上五十日が二回以上に
亘つて発動できないようにな
つておるかどうかということに着目するのでありますが、私がこの
法案を読んだところでは、どうもこの点について
緊急調整の一回限りということの明確な限定は、この
法案の中には出て来ていないのではないかという気がいたします。更に破防法といつたようなものができるといたしますと、差止め
期間内に破防法によ
つて組合活動に対する事実上の干渉でありますとか、抑圧でありますとか、或いは威嚇でありますとか、こういつたようなことが行われる可能性が予測されます。又それと並行して、
組合に対しますつる切崩しが行われて行く、こういうふうに
考えます。十五日、五十日、又更に五十日といつたような、こういつた
争議差止めは、事実上
ストライキの実行を極めて困難ならしめることになるだろう、そのことは憲法における
ストライキ権の保障、保障という言葉は非常に重みのある言葉なのでありますから、その憲法の建前とは余りに隔
つて来ることになるであろうと
考えられるのであります。それが第四点であります。
第五点といたしまして、
労働法の精神乃至根本原理に著しく抵触しない
範囲で、本
法案の狙
つておることをやろうとするならば、
現行労調法の
規定で十分足りると
考えられます。
公益事業については、第十
八條第五号というのがありまして、労働大臣から
調停の請求をするという途が開かれておるのでありますし、それから
公益事業以外の
事業につきましては、第
八條第二項にこういう
規定があることは御
承知の
通りでございましよう。内閣
総理大臣は
法案の
公益事業のほか、国会の承認を経て、業務の停廃が国民経済を著しく阻害し、又は公衆の日常生活を著しく危くする
事業を、一年以内の
期間を限り、
公益事業として指定することができる。こういう
規定があるのでありまして、あらかじめその虞れがあれば国会の承認を得て指定して置く、指定して置いて
公益事業並みの取扱いをするということになれば、それで賄えるはずであろうと
考えられます。先ほど
公益事業については第十
八條第五号があると申しましたが、この点は私の言い間違いでありまして、
公益事業の場合、それからいわゆる
公益に著しい障害を及ぼす事件といつたような場合にも、十
八條第五号の適用が可能であるのであります。以上の第十
八條第五号、それから第
八條第二項、こういつた
現行労調法の
規定、この
程度が憲法下において許される
政府による
労働争議関係への介入のぎりぎりの限度であろう。この
程度であ
つてさえも、これが適憲であるかどうかということについては問題があり得るのでありまして、このくらいがぎりぎりだと
考えらるのであ
つて、限度を越えて更に行政権力が介入して行くということは、これはぎりぎり一ぱいの限界を越えることになろうと
考えられるのであります。
以上五点を挙げまして、この
緊急調整の
制度を適当でないと
考える
理由を申上げたのでありますが、ここでちよつと附け加えまして、私はタフト・ハートレー法をしきりに引比べたのでありますけれども、これはタフト・ハートレー法が適当な法令であるという
意味で申上げたのでは決してないのでありますから、私は理論的にタフト・ハートレー法のごとき
争議権制約は適当でないと
考えておりますのみならず、実際的にもタフト・ハートレー法を制定してみたけれども、実際上
ストライキを円満に
解決して行くために
効果が挙らなかつたということは、
一般に指摘されておるのであ
つて、タフト・ハートレー法に賛成する、これに見ならえという
意味で申上げたのでは決してないということをお断わりしたいと思います。
それから、なお
労働関係法令審議会の
公益委員案なるものも引合いに出しましたが、これも私個人として
公益委員案に賛成するという
趣旨で申上げたのではありませんから、お断わり申上げて置きたいと思います。結論として、
緊急調整の
制度は不当であ
つて、削除すべきである。
現行法通りで可であるというのが私の
意見であります。
時間がなくなりましたので、労調法についてもう一点だけ簡單に申上げて終らして頂きたいと思いますが、それは罰則でありますが、第三十九條、第四十條というのは、労調法によ
つて禁止される
ストライキ行為をやつたその人間が刑罰に処せられるという建前にな
つております。これは
労働法の立場から
考えますと、非常にひどい法令であると
考えられるのであ
つて、例えば公労法、公共企業体
労働関係法、この公労法によりますと、公共企業体については
争議行為が
禁止されておるということは御
承知の
通りでありますが、例えば
国鉄において
争議行為をやつたという場合に、これは公労法十
八條の
規定によりまして、
職員たる地位を失う、首にされても仕方がないというその限度であ
つて、それ以上
ストライキをやつたから刑罰を科するということまでは行
つておらないのであります。或いはタフト・ハートレー法で
政府使用人、ガバメント・エンブロイイーについて
ストライキを
禁止する
規定がございます。第三百五條でございますが、このタフト・ハートレー法の
政府使用人、公務員といつたようなもの、
政府使用人の
争議禁止にいたしましても、その
争議禁止に違反したからと言
つて刑罰に処するということは申しておりません。單にその地位を失う、又
政府に対する請求権を失うという
程度であります。それは
日本憲法で申しますと、憲法十
八條に、
日本国民は犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられないという
規定がございます。その意に反する苦役というのは、アメリカの憲法のインヴオランタリー・サーヴイチユード、不
任意の労役という言葉で呼ばれております有名な
規定でありますが、憲法十
八條はまさにその精神であると
考えられておるのでありますが、お前は働かなかつたから、
ストライキをやつたから刑罰に処するということになると、これは憲法十
八條の
禁止しておる不
任意の労役、極端に言えば、人を強制して労役せしめるという、これに該当することであろうと思います。罰則の三十九條、四十條の立て方は著しく不適当である。單に不適当であるのみならず、憲法違反であると私は
考えております。
以上労調法における三つの問題点について申上げる時間しかございませんでしたが、若しも
あとでなお御
質問でも頂きますときに、御
質問がございましたら、ほかの
組合法でありますとか、公労法でありますとかいつたような点についての私の
意見を申上げたいと思います。