○羽仁五郎君 私は本案に反対いたします。
反対の
理由は三点であります。第一は、一般的に本
法案は、我が
憲法の精神に違反しているからであります。その第一で、本法は欠くべからざるものでもなければ、濫用せられざるものでもない、つまりなくてもいいものであり、かつ濫用せられるものである。こういう
法律を国会は通過する
権限を持ちません。第二は、本法は、
日本の現在の
裁判の
制度を前進させるものではなくて、後退せしめるものだからであります。本法の
提案者の御
説明或いは政府の御意見の間には、しばしば
英米における
裁判所侮辱の例を引用されますが、これは全くその
説明の目的を達しておりません。その
理由は、
英米等における
裁判所侮辱罪に関する
制裁は、その起源を我が国と全く異にしております。又その
裁判のテクニツクを我が国と全く異にしております。それから最も重要なのは第三に、
民主主義の伝統の深さと我が国における浅さとであります。これらの重大な点を無視して、軽々しく
英米における
裁判所侮辱の
制度を我が国に移し植えようとする
思想ほど危険なるものはありません。諸君は、例えば映画などにおいて「アダム氏とマダム」というようなああいう映画などにおいて御覧になる
法廷が、如何に我が国の
法廷と違うかということをよく御承知のはずであります。一般的な
理由に基く反対の第三は、この
法案は、現在特殊な事情によ
つて起
つておるところの緊張状態というものを
立法の原因としているからであります。あらゆる法は、特殊な事情において短期間において発生しているところの緊張状態というものに戸を立てるということは極めて危険なことで、我が国の
憲法の精神はこれを禁じているところであります。いわんや本法は、一種の恐怖心に基いてなされておる。
国民を恐怖し、
法廷に現われて来る民衆を恐怖するということでは、我が国
憲法の命ずる
裁判というものは、到底これは行われることができないと思います。この点についていわゆるホツトな状況というものは、決して
立法の行われるべき適当な状況ではありません。現在極めてホツトな状況を持
つているために、それで法が欲しいというような
考え方は、我が
憲法の精神に反するからであります。最後に一般的な反対の
理由として第四に、私も
法廷において最近行われる暴力を深く悲しむものでありますが、これは如何にしてとどめらるべきであるかということは実に重大な問題であ
つて、一片の
法律に基いてとどめることはできない。現に質疑応答の際にも明らかにされましたように、本法によ
つて暴力は決して停止されません。
法廷における暴力は解決されることはできない。却
つて本法の結果は、折角我々が建設しようとしているところの
民主主義的な精神を、民主的な
制度を、そして
民主主義そのものを破壞するからであります。以上が一般的な論拠であります。
次に私の反対する第二の
理由は、本法が、それぞれの技術的な三点において
憲法に違反しているからであります。我が
憲法は、
国民の自由が制限される場合には、三つの点についての保障を守るべきことを命じております。その第一は、
眼前に明白に危険が存在するということであります。この点において本法が制定されなければならない、こういう自由の制限がなされなければならないという
眼前にある明白な危険というものは、第一には、極めて限られた少数の、即ちその数においても、その性質においても、特殊な場合に起
つているものであ
つて、一般に起るものではない。第二に、その起
つているところの
眼前の危険というものは、
裁判そのものによ
つて起
つているのではなくして、他の
理由によ
つて起
つているものである。
社会的な原因によ
つて起
つているものである。第三に、本法は、この
眼前の明白な危険というものが明らかにされないで、自由が制限せられる結果、
裁判所において、
裁判の最も最高の使命とすべき
裁判官自体の理性、或いは神にも比すべき
裁判官の苦悶というものが、極めて安易な方向で解決されようとしているからであります。技術的な点で第二に反対しなければならないところは、クライテイリアが極めてあいまいであるということであります。
従つて場合によ
つては、弁護士の弁護権が危くされる虞れがある。暴言ということが、たとえ手段でありましても、暴言ということがこうした問題の
理由になるということは、その解釈が極めてあいまいになる。弁護士の正当なる弁護権の活用ということについても、弁護権を尊重する限り、極めて広義に解釈せらるべきでありますが、本法のあいまいであるために、それが狭義に解釈される虞れが多分にあります。第三に、本法は、不当な
処置を受けたと
考える人が必ず救われなければならないという点の保障について、重大な濫用の本質的な虞れがあります。その第一は、告発者が即ち
裁判者になるということであります。その第二の
理由は、この法があいまいであるために、法的救済が十分たることを得ないということであります。第三は、中立たるべき
裁判官炉
中立性を失うということであります、なお
先ほど吉田委員からも申されましたように、
国民の自由の制限は、
裁判によ
つてでなければなされないという
憲法の命ずるところが、本法によ
つてなされるその手段は、
憲法が我々に命じている
裁判というものとは本質的にその性質を異にしております。以上がこの
法律案に対する法的な、技術的な
理由からする反対の
理由であります。
最後に、本法に対する
理由の中の第三点は、本法が制定せられます結果、どういうことが起るかということであります。本法は第一には、効果がないということが、質疑応答の際にも明らかにされました。
裁判所において今日暴行をなす人は、初めから暴行をなして
裁判所秩序の
尊厳を傷つけようとする意図を持
つているのだという想像ほど悲しむべき想像はありません。
日本国民はやはり最後に
裁判所において救われたいと思
つておればこそ、その
裁判所において救われないのではないかということに対する不安の感情を現わしているのである。その
裁判所において救われないのではないかという不安の感情を持
つて、それを導いて
裁判所の
秩序を
侮辱する方向にしているのは何人であるか。その責任はその人々に帰せらるべきであります。
以上のようにこの
法案は効果なく、且つ又その結果、
国民が
裁判に対して抱いているところの民主的な絶大な希望、又そこには時に絶望をもまじえた希望という、
民主主義的な
国民の精神というものが破壞される結果、本法は必ずや、
法廷における
秩序維持の困難を一層激烈にするでありましよう。本法が万一不幸にして法となる結果は、今後
裁判所において、現在以上に激烈なるところの争いが起ることを深く悲しまざるを得ません。すでに我が
法廷は武装さえ始めております。武装された
法廷を見ることほど、私にと
つて悲しいことはありません。勿論その原因は本法のみにあるのではありませんが、併し本法はその原因を加えるものでありましよう。あらゆる党派を超えた正義以外に正義はありません。本法はそうした正義を壞そうとしているのであります。又本法は実に弁護権というものをも壞そうとしています。これらの結果が現われて来るという、実に恐るべきものは、更に進んでは
裁判運営に関して、その
裁判の動機或いは
裁判所の判断というものをも恐るべき方向に導くのではないかと思います。その第一の点ば、この告発者が同時に
裁判官となることの端緒が現われて来るということは、この
裁判官自身が或いは
裁判所自身が、その
裁判をなすところの動機を誤
つて行くところの実は恐るべき落穴がここに布かれて行くものと
考えざるを得ません。
裁判所が判断を誤るのではないかということは、すでに先日東京地方
裁判所が玄関を閉して、そして縁故人のかたがたをも裏口から入れるというようなことをなさ
つた、それが
眼前明白の危険にしろなされたものではなか
つたということによ
つて現われております。実際今日の
社会的な進歩に対して、現在までの
日本の
社会的諸
制度というものが、いろいろな点で立遅れていることから起
つている問題が多いのであります。本法が防ごうとしている問題も、そういう原因から来ている問題であります。
従つて、本法のような一片の
法律によ
つてそういう問題を解決することはできない。私は常に思うのでありますが、又本法類似の
法律案に関して出張調査を命ぜられました際にもつくづく
感じたことでありますが、
日本は明治維新以来、
法律を
一つ作ればそれでどうにかなるという
考えが非常に強いということであります。
国民はこのために非常に苦しんでおります。一片の
法律を作ればいろいろなことを解決するという
考えほど危険なことはない。その故に世界においては、いずれも成文法の以前には慣習法があり、慣習法の以前にはそうした事実がある。どうして我が国の
裁判において、
裁判所が
侮辱されず、
裁判所の
秩序が
維持されるようなそういう事実が打立てられ、そうした慣習が打立てられ、そうした慣習法が打立てられて然る後に成文法ができるというように行かないのか、この点私は実に悲しみに堪えない。それには時間がかかります。併し時間がかかるからとい
つて他に途はないのです。最後に私の恐れることは、本法が実行される結果、その結果として
裁判所から今日でさえ
日本の
裁判所にはユーモアがありませんが、全くそのユーモアはいよいよなくな
つてしまうだろうと思うのであります。場合によ
つては激しい
言葉が使われて併しそれがユーモアによ
つて解決されるということが民主的に極めて高い意義を持つことは、ここに言うまでもありません。然るに本法によ
つて激しい
言葉が使われたのは、ユーモアによ
つて救われないで
制裁によ
つて全く救済の余地のないものにされてしまう。私は実にこれを悲しみます。この結果は、本法が若し不幸にして成立いたします最後の結果は、或いは
日本における
裁判の機能そのものが麻痺するのではないかということであり、願わくは本
法案審議の過程においてさまざまのかたから述べられましたように、殊に最後に
委員長が仰せられましたように、殆んど実際に用いられることがないということを願います。併しこれは願いにとどまるのであります。
以上三点に基きまして私は本
法律案に全く反対するものであります。私の反対は恐らくは根拠があると
考えられます。
日本弁護士連合会は、この
法律案に対して
理事会の決議を以て反対の意向を表明せられております。その
理由は、「そもそも
制裁の力を借りて
裁判所の威信を保持しようというのは、往時の封建
思想に根ざすものというべきであ
つて、かかる時代精神に逆行した
考え方
自身を吾々はつよく排撃するものである。
裁判所の威信は、飽くまで
国民の
裁判所に対する尊敬と信頼の上に打立てねばならぬ。尊敬と信頼のない処、如何に
制裁を発動して見てもそれはただ更に激しい摩擦と混乱とを生ずるだけであ
つて、本
法案の所期する円滑なる司法の
運用のごときは到底期待すべくもないのである。」と
言つておられます。私は、私の以上述べました三点並びに
日本弁護士連合会の公式に表明せられた御意見、これらは本
法案に対して反対すべき十分の
理由であると
考えます。