○
矢嶋三義君 私
質問申上げないつもりでございましたが、
大臣の
答弁に対しまして私は
質問せざるを得ない
立場に追い込まれたのですけれども、
大臣は高い調子の歌もたまたまいいではないかというお言葉でございますが、そのたまたまというのは、新
日本の新らしい発足をなす
平和條約の式典となれば、その意義は私は極めて重大だと思うのです。而も強制しなくても、
文部省の手によ
つてこれを出されるとになりますと、私は
一つのモデル・ケースになると思う。そういう
意味におきまして、影響性と指導性というものは我々の想像する以上に私は大きいと思うのです。そういう観点からやはりこの問題は
考えなくちやならんのじやないか、確かに私たち小さい頃、陛下からお言葉を賜わりまして
意味がわからなか
つた。その言葉の
意味を我々は理解するために、早速一週間或いは二週間を費して先生がたから講義を受けたものでございます。而もそれが大概時事的に
取扱われて、入学試験の問題に出たとかいうようなことを
考え、又歌にしましても
意味がわかりませんで、何かの行事のときに国家的な歌が制定されますと、直ちにその
説明を相当時間かけて教授を受けて、そうして歌
つてお
つた、こういうことは戰後非常に批判されて、御承知の通わ陛下の我々に賜わりますお言葉も非常に口語体でやさしくなりまして、一般
国民でありましたら、人に指導はできなくとも、少くとも新聞に発表されたそれを見ますと、大体陛下のお気持がわかるというような形にな
つて参
つております。更に奉祝歌と一般の歌とは違うかも知れませんが、今の
国民大衆にうけられておる歌というものは、文学的な
立場から言うと調子が低いのかも知れません。併しどの歌も歌曲はうまくできておりますが、
歌詞は非常に簡單です。例として適当かどうかわかりませんが、非常にうけておるところの三つの鐘にしても、向う三軒両隣りにしても、これは適当な例ではございませんけれども、非常に
歌詞は簡單でございます。歌曲も非常に
国民感情にぴ
つたりして、現在の大衆諸君から愛唱される。これは私は戰前並びに
戰時中の歌のあり方と戰後は大転換しておるものである、こういうふうに思
つております。この奉祝歌を
平和條約
発効に当
つて……、私も今朝の新聞を見て、私自身
国語專門ではありません。
岩間君のような分析はできませんけれども、とにかく何のことかわからなか
つた。わけのわからないこういう歌を初めて
文部省の手で出されるのが時宜に適しておるのかどうか、こういうことは私としてもどうしても賛意を表することができないわけです。
更にお伺いいたしたい点は、こういう新しい
時代を画するに当
つて、強制しなくても、
一つ歌を歌
つて、そうして新らしい
日本の門出を
国民挙
つて祝おう、その意気を以て、新
日本の再建に邁進しようという、こういう
一つのきつかけにするためにお互いの歌を歌うということは結構だと思いますが、それならば私は
文部省として公募さるべきつではなか
つたかと思います。それが本当の
国民から燃え上る歌で、
国民がみんな歌えるところの本当に
国民こぞ
つての祝祭日に、歌う奉祝歌となるのじやないか。それをともかく斯界の長老とは言え、
斎藤先生を指名して、而も寺中
局長の言葉を以てするならば、一切任したのでありますれば、
斎藤先生から書かれた
歌詞には一言も
文部省としては喙を寄れなか
つたと思います。そこに歌人としての
斎藤先生の個性というか、趣味というものが非常に多く出ておる。そういう
歌詞を新らしい
時代を画する奉祝歌として今出されることは果して適当かどうか。さつきから非常に
大臣は強く出られたようでありますけれども、私は本心は、
大臣にしても
局長さんにしても本心は、お願いしたけれども、出て来た
歌詞というものはこれは余りに、これはというので私はびつくりされておるのが本心じやないかと思うのでございますが、公募されなか
つたことと、今後何か善処される御意思はないか、承わりたいと思うのです。
大臣の御回答を得たいと思います。