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1952-02-28 第13回国会 参議院 文部委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年二月二十八日(木曜日)    午前十時三十八分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     梅原 眞隆君    理事            加納 金助君            高田なほ子君            木内キヤウ君    委員            木村 守江君            黒川 武雄君            高良 とみ君            高橋 道男君            山本 勇造君            荒木正三郎君            河崎 ナツ君            矢嶋 三義君            岩間 正男君   委員外議員            中川 以良君            相馬 助治君   政府委員    文部大臣官房会    計課長     小林 行雄君   事務局側    常任委員会專門    員       石丸 敬次君    常任委員会專門    員       竹内 敏夫君   説明員    法務府民事訟務    局第二課長   岡本 元夫君   参考人    東京学芸大学学    長       木下 一雄君    東京学芸大学附    属豊島小学校校    長       佐藤 卯吉君    東京学芸大学小    金井分校主事  大野こう毅君    豊島小学校PT    A会長     大久保傳藏君    豊島小学校PT    A会員     上島 得生君    豊島小学校PT    A理事     枡田みち子君    東京建設局長 瀧尾 達也君    東京建設局区    画整理課長   谷口 成之君    関東建設株式会    社社長     椛澤 金作君    印  刷  業 津田友三郎君    東京都第十地区    土地区画整理委    員会会長    松田 定一君    豊島小学校PT    A会員     春日  敏君    東京建設局区    画整理課整地係    長       大野 耐二君       —————————————   本日の会議に付した事件 ○教育及び文化に関する一般調査の件  (東京学芸大学附属豊島小学校校地  問題に関する件)   —————————————
  2. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 只今より文部委員会を開きます。  東京学芸大学附属豊島小学校校地問題について、参考人かたがたにお越しを願つたのでありますが、開会に先だちまして、委員を代表いたしまして、御意見を開陳して下さる皆様がたに一言御挨拶を申上げます。本日皆様がた御多用中わざわざお出で下さいまして厚くお礼を申上げます。当文部委員会におきましては、現在教育及び文化に関する一般調査を進めておりますが、教育環境の整備及び教育施設の確保に関する問題について検討を加えておりましたところ、たまたま豊島小学校校地の問題について新聞等にいろいろ報道され、又関係者から陳情もありましたので、先般一部の文部委員実情調査現地に参りましたが、更に関係者かたがたのお集まりを頂きまして、その実情並びに御意見を拜聴いたし、本問題に関する調査の完璧を期したいと存じておる次第であります。何とぞよろしくお願いをいたします。  御発言順序は今日の公報掲載順序でお述べ頂きまして、本日は多数の参考人かたがたがおいでになつておりますので、別に発言の時間に制限をいたすわけではありませんが、お一人約十五分間以内くらいでお述べ頂きたいと存じます。御質問の要旨は私から申上げまして、これについてお答えを願いたいと存じます。参考人かたがたの御発言が全部終了いたしましてから各文部委員かたがたの質疑をお願いいたしたいと思います。それでは最初に木下一雄さんに御発言をお願いいたします。木下さんには、東京学芸大学学長として、第一、大学と附属小学校との関係、第二、学校教育環境との問題、第三、その他本件についての一般的な御意見をお述べ願いたいと存じます。
  3. 木下一雄

    参考人木下一雄君) 東京学芸大学附属豊島小学校校地は、元東京第二師範学校校地でございまして、総面積、当時におきましては一万四千坪あつたのでありますが、戦後におきましてそのうち約六割、約七千七百坪をすでに東京都のほうにお譲りしたわけでありまして、現在の附属豊島小学校として持つております地面は六千三百坪でございます。これに対しまして、現在附属学校に日々教育を受けておりますのは、附属小学校児童が九百名、附属中学校が百五十名の児童生徒が日々教育を受けておるのでございます。この生徒児童数に対しまして一応校地といたしましての基準がございますが、この基準は七千五百坪になつておるのでありまして、現在の所有地でありますところの六千三百坪に比較いたしますと、現在の校地を以ちましても約千二百坪は基準に足りないのであります。然るにこれに対しまして、このたび都のほうからその上に更に千二百坪を区画整理のために出せということであります。ここにこのたびの校地の問題が起つたのであります。これに対しまして所見を申述べたいと思います。  今日の教育考え方から申しますと、今までのように学校校舍内におきましての教育ということも勿論大切であるのでありますが、併しながら校舍以外におきましての教育というものが、子供の、人間を作るという上に非常に重大な価値を持つものであるという立場からいたしまして、今日におきましては、教室内の教育と共に更にそれ以上重視しておりますのが校舍外における教育であるのであります。そういう教育考え方と申しますのは、ひとり私ども考え出したというようなものではなくして、もうすでに世界の教育考え方になつておるのでありまして、或いはもうすでに常識になつておるのかもわからないのであります。英国のパブリツク・スクールにおきましては、六百名の生徒数に対しまして、蹴球のグラウンドを二十も持つておるのであります。そういう例があるのであります。これは六百人の生徒が一遍に運動場に出まして、そうして二十組のフツトボール試合ができる。つまり十五人ずつ相対しました三十人で一試合が同時に全校生徒が出まして、二十組のフツトボールが一遍にできるという施設を持つているのであります。これば決して贅沢な考えからしでいるのではなくして、六百の生徒が一遍に一つ校地に出て人間教育がそこでできるという一つの大きな教育の狙いを以てやつていることであるのであります。昔の私ども教育におきましては、教室のうちにおきまして、或いは忍耐であるとか、或いは勇敢であるとか、或いは協力とかいうようなことが教室のうちで言葉によつて述べられていた時代もあつたのでありますが、今日におきましては、全校生徒が一緒にチームワークをとりまして、そうしてそこでできれば二十組の生徒が一斉に活動をするところに見地を変えますならば、今日論議せられておりまするところの道徳教育というようなものも、そういう面において実践されている考え方が私どもの今日教育においてつかまえているところの一つのしなくてはならないことなのであるのであります。勿論このままの姿を日本の今のこの時代に持つて参ろうとは私も考えていないのでありますけれども、併しこの教育考え方につきましてはとるべきところがあるのでありまして、たださえ狭い校地ではありますけれども、その狭い校地の上にこの考え方を以ちまして教育を行うということは、今日の教育者といたしまして、現場にいる者の考えなければならないところであります。昔は体育と申しますと、この徒手体操考えられたのでありますが、今日におきましては、体育に約三十種の種目の教材があるのでありまするが、この三十種類教材を評価いたしますると、昔の徒手体操というのは二十九番目にある。ビリから二番目にあるものであるのであります。又機械体操のごときものもありましたが、これも評価すれば体育面から言えば二十番以下二十五、六番ぐらいに相当するもので、今日の戸外における体育というものを一つとりましても、昔ああいう徒手体操をやつていた時分において、児童一人について運動場面積は何坪というような考え方すら今日はもうすでに遅れているのでありまして、この豊島附属小学校におきましても、そういう一つ教育考え方からいたしまして、基準には千二百坪すでに足りないのでありますけれども、併しその中におきまして、ここに大切な日々の教育を新らしい意味において行わんとしておるのであります。そこへ今日の常識とも見られる教育意見とは相反する都の区画整理によりまして、千二百坪取上げられるということは、確かに今日のこの小学校教育を損なうものであると言わなければならないのであります。  それからもう一つその次に考えられますことは、この千二百坪を都の区画整理に取上げられて、そのあとにおいてその千二百坪が何に使われるのであるかということを伺いますと、歓楽街整理であるとか、或いは歓楽街とも行かないのかもわかりませんが、頽廃に近い繁華街をそこに持つて来て整理しようとかいうようなことであるといたしますと、こういうものに換えますには余りにも尊いものを以て換えるのではないかと思うのであります。この現在持つております六千三百坪のこの校地には日々千五十人の生徒児童が尊い教育を受けておるのであります。而もこれらの児童生徒は将来の日本の国に対しまして大きな一つ希望を抱かせて、日々指導者が指導しておるのであります。この千人の日々の教育を受けておるその場所土地を割いて、そうして繁華街の一部分にこれを充てようということは、この二つを天秤にかけまして、若しこの教育というもの以上にかくのごとき区画整理による繁華街土地をここに移すということが重いということであつて、この天秤をして教育のほうに更にかかつておるその重さを換地によりまして跳ね上げてしまうような、若しそういうことが仮にこれを国策としてとられればどういうことになるか、或いはこれを一つの、現在の問題といたしまして、都の一つの政策としてかくのごときものが取上げられるならば、一体これからどういう社会が予想せられるのであるか、これは甚だどうも迂闊な話であるかもわかりませんが、欧州戰争前西欧沒落というものを予言をした哲学者があつたのでありますが、恐らく今日これを比較いたしまして、教育を軽く見るという、子供の生命を軽く見るということはこの昔の哲学者西欧沒落の筋書をそのままやつて行くのではないかと思うのであります。若しこれが国策であるならば、国は没落の道に進むでありましようし、都において若しこれを敢行されるということであるならば、同じような沒落のこの頽廃の道に進まざるを得ないと思うのであります。私はこのたびこの問題が起りまして、どうしてもこの校地は削ることはできない、こういうふうに考えましたのは、これは考えて見れば一校の問題でなくして、かくのごとき例がほうぼうに起つたといたしましたならば、これは国家にとりましても非常なる大きな問題であると考えましたので、(「その通りだ」と呼ぶ者あり)これを一校の問題としないでと私は考えております故に、飽くまでもこの点につきましては、自分の主張と信念を貫こうとしておるものでございます。
  4. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 次に佐藤卯吉さんに発言をお願いいたします。佐藤さんには豊島小学校校長として、第一、豊島小学校の概況、第二、その校地及び運動場の現状、第三、換地処分によつてむるべき教育上の障害などについて御説明と御意見をお述べ願いたいと思います。
  5. 佐藤卯吉

    参考人佐藤卯吉君) 私佐藤でございます。私たち考えております結論のほうから述べさして頂きたいと思います。  只今学長から現在の学校生徒数その他についてお話がございましたのでありますが、現在は約六千三百坪の校地を持つております。基準といたしましては七千五百坪、これは文部省管理局によつて調べたところによりますと、七千五百坪、これが基準の数だそうでございます。それに比べますると、すでに千二百坪不足しているわけであります。従つて現在の六千三百坪以上に校地を減らされることは我々としては教育上非常な支障を来たすことになるわけであります。なぜ私たちはこれほどの校地を必要とするか、御承知のように附属学校の性格は研究学校であります。又実習学校としての性質も持つております。他の公立学校その他に率先して新らしい研究をやつて行かなくちやならん任務を持つているのであります。ただいわゆる学科ばかりでなしに、体育方面においても他の学校に範を垂れると申しますか、そういつたふうな研究を一歩進んでやらなくちやならん、従つて相当広い運動場といつたものを要するわけであります。従つて運動場は決してあれは土地が空いて遊んでいるのではなしに、やはり教室と同じように我々考えてこれを確保したいと、こう考えております。今申しましたように小学校のみならず、あそこに中学校が併設せられているのでありますが、小学校におきましても、相当体育面においては新らしい研究をしなければならんのでありますけれども中学校生徒となりますと、チーム・ゲーム、即ち球技、バスケツト、野球といつたようなものであります。それから陸上競技にもトラツク、フイールドといつたようなものを必要とするわけであります。若し現在の場所を千二百坪取られますと、これはそういつたふうな教育目的体育研究目的を達することはできないと、こういうことになるわけであります。なお細かいことを申上げますと、現地を御覧頂けばわかると思いますが、あそこは大体千二百坪都のほうで御要求の土地と、もう少し広い所があるのですが、それが段をなしております。一段低くなつているわけであります。そこで千二百坪取られますと、ほかの幾分かそこに余裕があつても、その土地が使えない土地ができて来るわけであります。従つて高いところの運動場しか使えない。それでは非常に狭い、非常な不便を感ずることになるわけであります。  なお附加えて申しますならば、豊島附属小学校は本年度文部省保健体育研究指定学校になつております。その任務を果す上においても現在の運動場、これを必要とするわけであります。それからこれは学校とは離れたものでありますけれども、私たちあの池袋の近所の様子を見まするのに、あれほどのと申しますか、あの程度の空地はないようであります。若し曽つて我我が経験いたしましたような震災とか戰災、まあこれは望ましいことではありませんけれども、若しそういうことがあり得る場合にあの地元の人の避難する場所はほかに殆んどないと思います。こういう意味にもあそこは役に立つのではないかと、こう考えております。なお土曜日曜は地元人たちに私たち運動場を開放しております。絶えず地元スポーツ団体などはあの運動場を殆んど朝から夕刻まで使つております。又近所子供たちは絶えず学校運動場に参つておりまして、あそこを利用しておるような状態でございます。まあ以上のわけで、私たちは是非あそこの運動場校地を確保したいと、こういうふうに考えております。  なお、そういうふうな私たち希望を持つており、又そういう信念で参つておりましたところ、昭和二十四年の十一月に関東建設株式会社という、その代表者椛澤金作氏でありますが、そのかたが校庭の一部に建築をお始めになつたのです。これについて、私たちはあらゆる私たちとして盡せるだけの手段は盡したわけであります。その後、二十五年の五月になりまして、国のほうから、いわゆる文部省から法務府を通じて訴訟いたしましたのですが、一応二十五年、一昨年でございますね、二十五年の八月の十六日に和解が成りまして、一カ年間そこを立退く猶予を與えまして、昨年の八月の十六日に、その建物を撤去することになつたのでありますけれども、そのときになりまして、向うのかたから異議が出まして、初めの責任者椛澤さんでありましたが、現在は津田友三郎さん、このかたが建物の、私たちから言えば不法建築所有主になつておるわけであります。そのかたから異議が出まして、調停裁判がありまして、これが無効になりまして、改めて向うから国を相手取つて訴訟が起きております。すでに第一回、第二回の公判がありましたのですけれども、この四月頃又第三回の公判があると、こういうわけであります。先ほど申上げましたように、我々はその運動場が必要である、その一隅に我々から言えば不法建築をやられた、それに対して争つておるわけであります。そういうふうに、我々は運動場が非常に必要なるが故にこの争いをしておるわけであります。まあ現在こういうふうな状態にありましたところが、今度改めて校地の問題、都市計画法による千二百坪を都のほうで土地が欲しいと、こういうふうな問題が起きて来たわけであります。何と申しますか、東京都のほうでは換地として千二百坪欲しいと、こうおつしやるのでありますが、このことは昭和二十一年頃から東京都のほうではお考えになつてつたようでありまして、こういうふうな、御覧頂くとわかりますですが、二十一年二十一月七日ですか、「同地は」同地と申しますか、私たちの今の敷地なんですが、「同地は本年度土地区画整理地区内にあり近く建築物取毀を命ずる予定であるので右契約有効期間である明年三月三十一日」云々と、こういう文句があるのでありますが、ですから、二十一年にすでに区画整理実施区域と定めて手を付けようとなすつたようであります。その後いろいろないきさつがありまして、暫く鳴りを鎮めたというのですか、事が起らなかつたのでありますが、昭和二十三年の九月十七日に至りまして、当時の第四建築事務所のほうから、学校に何らの交渉もなしに、又打合せもなしに、附属校地を約四千二百坪ときめ区画整理を実施しようと、こういうふうに計画と申しますか、お始めになつたわけであります。これを聞いて学校は非常に驚きまして、そのときに確か私も校地の西側のほう幅十間、それを二十五メートルの長さですか、そこを取上げて、それをマーケツトと申しますか、商店街にする、こういうふうなお話があつた。これを聞いて学校並びに父兄は驚きまして、早速それに対して抗議を申込んでいろいろ折衝したわけであります。そうして、二十三年の十月の五日になりまして、都のほうからこういうお話があつたわけであります。「区画整理に於ては換地設計に当り一応旧用地全部に対し換地九二七七坪を與え其の使用区分文部大蔵両省の協議によるものとしこれが区分を知る必要上昭和二三、一〇、五文部大蔵両省に対し区分照会方と同時に事業に支障があるので建物除却居住者の立退」云々、こういつたようお話があつたわけであります。ですから「一応旧用地全部に対し換地九二七七坪を與え」云々とこういうふうなお言葉があつた。その後二十三年の十一月九日に至りまして、いろいろ東京都と交渉いたしまして、ただ一つの文書ばかりでなしに、地図を頂いたわけです。その基本的な地図を作りまして、そうしてそれに覚書が記入してあるわけであります。それが即ち都のほうを代表いたしまして、第四建設事務所長であつたところの反町甚三郎さん、学校側を代表いたしまして、その当時の附属小学校主事でありましたところの黒澤得男氏、それからP・T・Aの会長でありますところの三井良登氏、この三人の署名によりまして、協定ができまして、現在の私たちが持つております六千三百坪は、これは小学校用地である、こういつたよう協定ができたわけであります。こういう協定ができておりますのですが、若しそれを元に返して、換地として千二百坪をおとりになるということになりますと、この協定がいろいろ揉み合つてこれだけの土地小学校土地として與える、こういう協定ができたわけなんですが、その協定を破る、こういう結果になるじやないかと私は考えるのであります。私たちは今申上げましたように、飽くまでもこの千二百坪を差上げるということは承知できないのでありまして、是非現在のあの土地小学校として確保して行きたい、それはお手許に差上げてある資料に地図が付いておりますので、御覧を頂きたいと思います。  それから今学長からも申されましたように、いずれは駅の前の不健康な商店街整理せられると考えておりますですが、最近の東京都のお言葉は、大分お言葉が変つておりますけれども、初めの我々の聞くところによりますと、この千二百坪を東京都に我々が提供した場合、そこには駅前整理したところのマーケツト方々をそこへ移すんだ、こういうふうなお話を聞いたことがあるのであります。併し、最近ではそうではない、東京都があの土地を収用して、つまり一応東京都の土地として、それからこれを払下げなり、或いは入札なりするのだ、こういうふうなお言葉なんですが、いろいろの関係から、我々の臆測でありますけれども、結局払下げとか云々いたしましても、あの駅前人たち、各個人でなしに、あすこら辺りにある今の利権を持つていらつしやる方々の手にあすこが入るのではないかと私たちは臆測しておるわけであります。そうしますと、私たち学校は右にも左にもああいつた種類の店によつて取囲まれる、大変私たちとしては教育支障を来たす、こういうことになるわけであります。以上私いろいろ申したのでありますが、我々は可愛い子供教育を守るために、又教育を尊重してもらいたい、そういつたような観点に立ちまして、是非皆さんの御賢察頂いて、我々の希望が達しますように一つ御措置を願いたい、こういうふうに考えるのであります。
  6. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 次に大野こう毅さんに御発言をお願いいたします。大野さんには、元東京第二師範学校の前校長として、終戰後この豊島小学校校地について生じた問題を処理されて来た経過の概要をお述べ願いたいと思います。
  7. 大野こう毅

    参考人大野こう毅君) 私は終戦の二十年の十一月二十四日の電報によりまして、大阪第二師範学校長から東京第二師範学校長転任を命せられました。そうして二十年分十二月四日に着任したのでありますが、その東京第二師範学校即ち元の豊島師範学校は、終戰の四月十三日に今の附属小学校を残して全焼したわけであります。従つて転任命令は受けましたけれども学校はありません。ただ私の中心仕事は如何にして授業のストツプしておるその第二師範学校を復興して、どこかで授業をするようにということが中心の使命であつたわけであります。幸いに各方面の御協力によりまして、現在の小金井に二十一年の五月に引越して、爾来七カ年を経過しておるわけであります。私は学校もありませんので、最初落着いたのは今の附属豊島小学校であります。そうしてそこでおりましたときに、二十一年の一月頃になりまして、焼跡は惨但たる焼野原になつておるわけでありますが、当時区会議員であつた原定良君が参りまして、あの当時でありますので食べ物はない、使うものはない、あつても非常に高い、そういうわけだから学校の下のほうの道路に沿うたところを幅四間、長さは約百間ありますが、その四百坪をちよつと貸してもらいたい。その目的は余りに物価がでこぼこがあり、高いので模範的な簡單なあそこにマーケツトみたいなものを作る。そうして物価を牽制したいというふうなことでありましたので、学内の意見を聞きましたら、まあそれは一年だけだというのだからいいじやないかという意見がありましたし、原定良君は同時に文部省のほうへも願出がたびたびあつたようでありますが、文部省の当時師範課であります師範教育課に参りまして意見を聞いたら、それは貸してもいいじやないかという意見でありましたので、お手許でおわかりのような契約書作つて師範教育課と相談いたしまして、そうして一年貸すことに契約をいたしました。但しこれは文部大臣の認可がなければ効力はないのだぞという一札を入れまして、従つてそこに家を建てるということはやつちやいけないということで置いたわけであります。従つて原仕事は進めておりませんでした。ところがそれと同時に戰災復興会というのが地元豊島区にできまして、その中心は当時は椛澤金作氏であつたと思いますが、お隣りを貸してもらいたい。その目的は当時引揚者もおる、戦災者もうようよしておる。戰災孤児もおる、全く惨但たるものである。だから何とかあそこを貸してもらつて簡單なバラツクにも当らない仮建物を建てて、いつでも移動できるものを建てる、そうして何か商売をやらす、そうしなければあそこの辺の人が救えないのだということを言つて参りました。私ども東京に参りまして東京の焼野原を見、右往左往する戰災孤児を見、戰災者を見、涙なきを得なかつたのであります。従つて私はそういつたような社会人の気の毒な人を救うという純真な目的、而も戦災復興会の人たちは資本家ではありませんので、零細な金を持寄つて簡單なものを建てて貸してもらつて、何とか救いたいという美しい気持を吐露されましたので、私も教育者といたしまして文部省に相談をいたしました。そうしてそれからその人たちはたびたび文部省へ行つて文部省にも願い出られたのであります。そうしておりましたので……。ところがその要求の土地が非常に広いので相当いろいろ私も考え文部省考えておつたようであります。その次に上原孝助という埼玉県の事業家から、土地を貸してくれという問題がからんで参りましたので、この処置については随分苦しみ抜いたわけであります。結局これはどうするか、あとで文部次官をやりました伊藤日出登、当時会計課長をやつておりましたが、その人が所管の課長でありますのでいろいろ現場を見られ、いろいろ考えられ、私の意見を聞かれまして、東京第二師範学校という建物をあそこに復興する意思ありやなきやということを聞かれたわけであります。私はそれに対して、東京第二師範学校をそこへ復興する意思なしと回答しておいたわけであります。その理由は前校長の岩波校長が、焼けたときの校長でありますが、その前校長の意思もあそこに復興しないでほかのほうに求めた校地も二、三あります。僕もそこを見て歩いたわけでありますが、それから一般の学内の教官の意見も、ほかに求めて広々とした所がよかろうという意見でありましたので、文部省意見も聞きまして、そういうふうに回答したわけであります。そういうわけで、とにかくそれでは貸すほかなかろうというような御意見であり、私も又そう認めましたので、いろいろ相談して、原定良と同じ契約内容で契約したのがたしか二十一年八月かと思います。その後翌年になりまして東京復興互助会といいますか、名前は二度か変つておりますけれども、それが土地を貸してくれということを言つて参りました。そうしますと、だんだん附属小学校校地が狭くなりますので、よほど私は考えたのでありますけれども、すでにそういうふうにいわば追いつめられて参りました関係から、又その目的が極めて美くしい一つの社会奉仕的な、全く利潤とかというようなものを口にされないような目的を述べられたのでありますし、今文部省施設局長になつております当時の会計課長近藤直人さんとも相談をいたしまして、結局それも貸すこととしておいたわけであります。一カ年でありますが、途中要望があり本省の意見も聞きまして、一回更新をいたしまして、そうして二十三年の三月末を以て打切つたのでありまして、これでもう貸さないのだということを書類で以て借主に通告をしておきました。それを計算をいたしますと約八千坪になりますので、残りが六千何百坪になるわけであります。私の計算といいますか考えは、大体大学は別でありますけれども、小中学校においては、少くも一人十坪に近い坪数が要るということを考えております。それは学長もさつき言われましたけれども、私はそれ以上に教育の道は農場であり運動場である。ところがやはり昔流に、試験を受ける教室のみが教育を受ける中心であるという考えを持つておりますけれども、これは間違つていると思います。併しそれ以上は、貸してくれという要望が実はありますが、最後に戰災復興会でもうちよつと貸せという要望はありましたけれども、断じていけない、これは一人十坪は要るのだけれども、今の状態では十坪に足りない八坪になつている。六千何百坪では……そういうわけで文部省も僕の意見に賛成されまして、それ以上は絶対貸さないのだと明言しておいたのであります。従つて私は当初から附属小学校として六千何百坪で、一万四千坪から引いた残りを貸す意思を以て今日まで参つておるわけであります。その後何とか言い掛りをつけましてこの一部に不法建築が建つたことは、今佐藤校長申した通りでありますが、それは二十四年でありますけれども、それはまだ立派に解決はしておらんわけであります。そういうわけでありまして、あの附属をどこかへ持つて行こうという意思は当時も全然持つておりません。コンクリートの建物でありますし、今日の国家の財政がこういう状態のときに、ああいう建物を建てるということは、どこに建てるにしてもこれは非常な出費でありますから、又便利な所でありますので、あの附属を持つて行こうということの考えは私当時も全然おりません。そういうわけでありますから、私の考えは六千三百坪を最小限度確保する、そういうわけで今日まで参つておるわけであります。その後のことにつきましては承知いたしませんが、貸付当時の事情でございましたら、御質疑がございましたらお答えいたしますから、どうぞお聞き願いたいと思います。
  8. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 次に大久保傳藏さんに御発言をお願いいたします。大久保さんには、豊島小学校のPTAの会長として第一、本件に対する一般的な御意見、第二、本件に対してPTAのとられた立場等についてお述べ願いたいと思います。
  9. 大久保傳藏

    参考人大久保傳藏君) 冒頭においてPTA、いわゆる我が豊島小学校はこれを豊友会と申しますが、豊友会がなせ総蹶起いたしたかというところの原因を緒論にいたしたいと思うのでございます。  私どもPTAは決して都市計画に反対しようなんというような考え方は持つておりません。のみならず、我々は軽挙妄動いたそうなんということも考えておりません。更に又学校の要請も受けたものではございません。これより先にPTAの理事中川、寺本の両氏と佐藤校長に私を加えまして四名が、東京都庁の春副知事の部屋において、ここに御列席でございますが、区画整理の局長、課長、係長お三かたの御提出になる第二師範学校の敷地問題の経過並びにこれが処理方針についてというところの精細を極めたパンフレツトを我々は中心にいたして、そうして校地に関する問題をば検討いたしたのでございます。従つて納得の行くものでありまするならば、あえて我々はその際に引下るのでございましたけれども研究すれば研究するほど、検討すれば検討するほど極めて納得の行かないという結論に到達いたしたのであります。かかる意味におきまして、この際このとき、PTAはこういう不合理な教育を無視し、教育の神聖を忘れた愚かなる都市計画であつてはならない、文部省においてはすでに断固として省議においてこれを反対いたしておるところの現状に鑑みまして、私どもは大いに愼重に熟慮いたして、これの反対運動をせなければならないというて、盛上つたる力が、いわゆるPTAが総蹶起いたした理由なのであります。従つてども考えといたしましては、少くとも都市の子供の保健は学校の敷地以外に求めるということの極めて困難視されることは言うも更なりであります。先ほど校長先生、学長先生、主事先生が申されましたが、具体的に言うならば、この土地を取られることによつて実は運動会すら一つできないという現状に相成るのであります。これを何で我々父兄が黙視することができましようか。いわんや一万四千坪から八千坪を割譲し、而も文部省の規定によつてなお千二百坪を不足とするというときにおいてすら我々は我慢いたしておるのにもかかわらず、区々たる法規論にとらわれたるところの、教育を知らざる、單にいわゆる形ばかりの法規論に出て、そうして東京都においてこれを都市計画の中に加えるなんということは、私は反省されるべき十分余地ありと考えるのであります。私どもPTAの立場といたしましては、こういつた事柄を考えまするその側面に、先ほど佐藤校長が申されました極めて醜惡なるところの仄聞する疑惑が存在いたしておることを否定することができんのであります。而もこの問題の社会性を考えまするときに、私どもは、ほかに土地がなければいざ知らず、幾らでも土地があるのにもかかわらず、空間であるからというて、教室がないからというようなこういう漠たる考え方からこれを取上ると、而もいろいろの文書の交換はあります。併し交換はありまするけれども、すでにこの契約は、更新されたるところの契約に基く六千二百坪の確保が可能であるということは嚴としておわかりになり得るのであります。然るに、東京都はいろいろの理窟を述べられまするけれども、要は空いておるから易きに付くというところの結論を見出しておられると私は考えます。恐らく安井都知事のような賢明なかたでありまするから、よくよく御研究をなさるならば、面子にとらわれずに、教育の神聖さを知つて、そうしてあえて何らかの方法で解決ができるのではなかろうかと考えるのであります。今我々PTAの連中が大いに活躍をしてこの実情を訴えたところが、すでに後援団体といたしましては、東京都職員の組合、特に豊島区の職員組合はもとより、豊島区小中学校校長会、或いは豊島区内小中学校のPTAの総会、或いは立教大学、豊島区の文化連盟、東京附属小学校PTA連合というようなかたがた、而も街頭のかたがたの熱烈なる御支援を得て、そうして校地を一寸たりとも離してはいけないぞという御支援は、すでにここに重ねておりまする五万名を突破いたしておりまする事実によつても、如何に我我が述べることが決して不正なものではない、正しいものであるということを裏書すると、私は断固たる決心を持つておるのであります。私はこういう意味合いから考えまするときに、何とかしてこの問題を妥当な見解に導くと、いわば東京都は数歩退いて、そうして教育の神聖、正義ということを本当に考えて下さつて、再建日本教育の神聖を信じ、正義を確立しなければならないのだという考え方から、一つこの際御反省を願つて、区々たる法理論にとらわれるようなことのないことを望むのであります。いわんや先ほど申されました諸先生のうちから、不法建築というようなことがありましたけれども終戰のどさくさ紛れのあの紊乱した状態ならばいざ知らず、平静を保とうとしておるときに、なお不法建築が神聖なる学校の敷地内に、多少の理窟があつたとしても、これを法に訴えて、いろいろの問題が断固拒否されたにもかかわらず、これをあえて強行するがごときことの実情を見まするときに、都市計画換地の問題もこうした一連の何か策謀もあらねばならないと、伏在しておることを我々は考えないわけには行かんのであります。要するに私は、何とぞ学校教育の如何に神聖であるかということを十分知り、そうしてこの土地が狭いのにもかかわらずなお我慢しておるというところの我々PTAの心情も十分御了察願つて、この際東京都においては十分なるところの対策をとられて、そうして負けた勝つた、面子の問題というようなことでなく、大所高所、教育のためというような立場から解決あつて欲しいと我々は考えておるのでございます。  大体以上のことがPTAの我々の考えておるところの一端でございます。
  10. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 次に上島得生さんに御発言をお願いいたします。上島さんには、主として豊島小学校校地について、戰後学校当局と校地の一時的居住者や、いわゆる地元の特殊勢力等の間に生じた紛争について、その真相をお述べ願いたいと思います。
  11. 上島得生

    参考人(上島得生君) 学校の敷地割譲に反対することは前諸氏の述べられた通りでありますが、私は現在の土地使用者が如何に校地を使用しておるかということを池袋に三十年ばかり住んでおります関係上、眼のあたり見て且つ聞いておりまするので、その見地から意見を述べさして頂きます。  戰災後校地跡が空いておりましたので、実はこれに対する一時的の利用法が地元の有力者によつて相当考えられました。けれども校地跡は正当なる手段を以ては当時借りられなかつたのであります。非常に執拗に迫るもの、策動するもの、あらゆるところの権謀術数とそれに実力が加わつて現在の結果に立ち至つたものであることを見ております。而もあの燒跡地を借りておる者の中には、池袋にも地元にも長く住んでおりまして、土地のために非常に盡したという者は殆んど参画しておりません。たまに借りてもそれは形式上の名に過ぎません。先ほど大野校長さん、以前の主事さんから申されました通り、あのバス通りに面しまする約四百坪の土地は、当時都会議員をしておりました原定良君が借りましたが、これも建築真際に至りまして、一晩のうちにこれを占拠して建てました者は朝鮮人と中華民国人であります。現在も建物の所有者はあの表通りは多く中国人と朝鮮人が持つておる。これは許可も何もない。形式的に原君から借りましたと言つて一夜にして建ててしまつた。これが不法な建築であり、暴力によつたということはもはや論ずる余地もありません。けれどもそのあとに次ぐもの、又そのあとに次ぐものは、いずれも当時区役所からの建築許可の中止の貼紙が貼られたことも知つておる。当時の池袋警察署長の田丸氏が中止命令を発したことも知つておる。それを構わずにどんどんと建てておる、町に長く住んでおつたものが正当なる理由を当局に具言して見たところが、それが取上げられなかつた。又実際できなかつた。いわゆる地元のものはこれは命には替えられないから、皆に任しておくという状態ではなかつたかと思います。ここに大野さんもおられますが、当時我々の聞き及ぶところでは文部省の会計課長や、いわゆる師範学校の諸先生がたも仕事ができなかつたということであります。教室に入り込んで来る。そこへ居坐る、そうして一方からは、若しこれを許可しなかつたならば、どてつ腹に穴があくだろうという風聞が頻りに立ちまして、いわゆる権謀術数を弄するものと、実力を以てこれを獲得した連中であります。けれどもこれはいずれも一カ年の契約であつたということを聞き及んでおります。殊にその後、二年後におきましては、文部省並びに大蔵省から内容証明を以て契約が解除されたという通知が行つておつたはずであります。それでありますから、現在の八千坪にいわゆる住んでおる人は、何らの地上権もなければ、正当の権限に基いて住んでおる人ではない、いわゆる占拠しておる人であると、かように思います。この人たち区画整理に当つてこそ、これらを一掃いたしまして、御破算で臨むことがいわゆる法治国民としての建前ではないかと、かように考えております。然るに東京都の方針は、八千坪あるものはそのままそこに置いて、そうして更に進んで学校の一万二千坪を取ろうと、これは一体何事でありますか。私はマーケツトの人の八千坪が、その中でまだ何されるならば、或いは忍びがたきを忍んで黙過することができるけれども、その犠牲において学校の校庭に手を伸ばす。そうして不法占拠した八千坪はそのものに與える。甚だしきはそのうちの一人は、おれは駅前真正面を一千坪もらうことを約束をとつておるというように私の所ろに来て言つております。駅前真正面は現在では実に一千坪は一億円の価値があります。駅前では現在十五坪に二十万円とつておる。池袋駅裏のほうでも五、六万円、それを一人の者に何がために一千坪やるのか、契約があつたかどうか知りませんが、本人がこう言つております。名目はいろいろ戦災復興会とか、互助会等と立派な名目を立てておりますけれども、その校地跡によつて起つたことは何が起りましたか。けんか口論と、そうしてそれによつて利権の争いをやつて、互助会員から金を集めて全部使い込んだというので新聞紙上を賑わしたことがあります。そのために引つ張られた人もあつたはずだ。幾らどういう美名を用いましても、実際の結果はこれを利権の具に供する。師範学校から一年の契約で借りたその土地をば又ほかへ売つてしまつておる。高い権利で次々と家を建てて売つておる。私はかような利権屋と一部の人々のみに利益を與えるような、そうして法を無視して占拠する者に利益を與えて、教育の根本目的を破壊せんとするような学校校地割譲に対しましては、地元民の多くは反対せざるを得ないのであります。この見地からいたしまして、どうか私はこの校地をば割譲せしめることなきよう、皆さんによりまして御裁量あらんことをば切にお願いいたす次第であります。
  12. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 次に枡田みち子さんに御発言をお願いいたします。枡田さんには、本件に対してPTA、特に母親としてのお立場から御意見をお述べ願いたいと思います。
  13. 枡田みち子

    参考人枡田みち子君) 学芸大学豊島附属小学校PTAの母親の代表といたしまして、本問題に関しましての私ども意見並びにお願いを申上げるに際し、先ず以て私どもは参議院文部委員皆様に厚く厚くお礼申し上げます。  私どもは早速この問題をお取上げ下さいまして、吹雪を衝いて実情を御調査においで下さいましたことに、心からの深い感謝を捧げるものであります。平凡な一家庭の妻が勇気を振つて立たなければならない真情を御賢察下さいまして、公平に、そして妥当な御批判を下さりますよう切にお願いいたします次第でございます。いかがわしい飲食店や、怪しげなストリツプ・シヨウが塀一重隔てました学校の周辺に雨後の筍のように密集しておるのを見まして、私どもは母として、又妻として如何にも歎かわしく存じました。そしてなせに区会はこのようなことを問題に取上げないのであろうか。又都の公衆衛生課はこのように不潔な飲食店をお許しになつていられるのであろうか、私どもは不思議でなりませんのでした。それで早く何とかしなければならないと思つております折も折、区画整理のほうより校庭の一部が換地として取上げられるというお話を聞きました。而もその忌わしい飲食店を移す場所がないからであるということを聞いて、私どもの堪えに堪えておりました怒りが遂に頂点に達したのであります。細かい法律的なことはともかくといたしまして、学校はすでに敷地の六割を都に提供いたしておるのであります。理想的な文化都市を建設することには私どもも双手を挙げて賛成いたします。又区画整理を行うに当つての蔭のなみなみならん御苦心も承わつて、本当に頭が下るような思いがいたします。併しながら文化国家の根本をなすものは教育であるということは、教育基本法の前文にも謳つてありまして、何びとにも自明なことであります。都市計画はかかる文化施設を、なかんずく義務教育を施すところの小、中学校の公共施設を完備することを伴うものでなければならないと私は信じます。然るにモデル・スクールである私ども豊島小学校は、文部省の法的規定よりも先ほどからお聞きの通り、すでに千二百坪少いのでございます。区画整理によつて理想的なモデル・スクールにするようにもう千二百坪加えて頂けるというお話でございましたならば、私どもも十分納得が行くのでございますが、すでに千二百坪足りない狭い市であるのに、それを又減歩として千二百坪取上げるということは、何としても納得できないところであります。而もそれが環状線か何かにひつかかるというのでございましたならば、私どもも又考えを変えるのでございましようが、ただ單なる換地として沒収されるということは、法律的には或いは違法ではないかも知れませんけれども、私ども常識に照らして断じて承服することのできないことであります、それはあたかも、一部の隙もないニユールツクの装いをしていながら内容の空疎な人間を見るような思いがいたします。内容外観共に備わつてこそ文化都市と言えましようが、将来の日本を背負つて立つところの少国民を教育をする施設をないがしろにして、都市ばかり如何に立派になつたとしても、それは丁度仏作つて魂を入れずの類ではないでしまうか、都市計画のかたたちは、その区画整理に御熱心の余り、鹿を逐う猟師山を見ずの感があるように存じます。運動場は空地ではなくて教室の一部であるという教育家の趣旨を御賢察の上、都のかたがたの御再考を煩わしたいと思います。私どもは争いを好みません。都のかたがたと事を構えてけんかをしようとは少しも思つておりません。東京都も学校も、共によりよい文化国家日本を育て上げるために努力していられるのでありますかり、その目的は全く同一であろうと思います。同じ目的に向つてお互いに手に手を取合つて協力してこそ、理想に一歩々々前進できるのではないかと存じます。この際理屈はいろいろありましようけれども、要するに問題は特飲街の処置であると愚考いたします。何とぞ東京都並びに文部省両当局の首脳部のかたがた及び参議院議員の皆様、又は有力なかたがたお話合い頂きまして、校地学校に確保し、そうして学校周辺のいかがわしい飲食店は成るべく学校から遠い所にお置き頂くような最善の方法をお考え頂きまして、一日も早くこのような事態を解決して頂きたいと私たちは要望するものでございます。すでにお聞き及びのように、一部の利権屋は棚を破つて校庭に侵入し、法を犯し、都の中止命令をも無視して堂々と印刷業を経営いたしているのであります。それは皆様すでにお聞き及びのことと存じます。児童たちはこの暴挙を終始眼のあたり見て、子供ながらも義憤を感じて、お母様どうしてあの人たちは退かせることができないの、と聞かれましたときに、私どもは本当に堪まらない気がいたします。特飲街の出現につきましても、これらの人々が関係し、忌わしい暴力と利権の複雑怪奇な事実が伏在しているやに聞き及んでおります。又区の区画整理委員の選挙につきましても、合法的に選挙したということにはなつておりますけれども、その事実は、多くの人々が戰後疎開地から帰らないときに白紙委任状によつて殆んど自選の形で出られた、かたがただと聞いております。私たち母親は今度こそしみじみと選挙の重要性というものを認識させられた次第でございます。私たちは今一番案じられてなりませんことは、このような輩の跳梁によつて純真な子供たちの魂に如何なる影響が與えられるかということでございます。子供たちが今日只今知らず識らずのうちに力とお金とが一番強いものであると考えるようになつたらば一大事でございます。又後日子供たちに、お母さんが正しくあれ、清くあれと教えたから僕たちはこんなにみじめじやないかということを申すような世の中になつたら大変だと思います。私の子供はまだ小さく、而も私の家にはお手伝いの人もおりません。けれども、お母さんが大事な正しいことのために、僕たちを守るために、今まで優しかつたお母さんが見違えるほど急に強くなつて、毎日いろいろなかたがたの所にお願いに上つているということを子供心にも見ているのでございましようか、僕は淋しいけれども何でもないから、早くこの惡い人たちを負かしてね、と言つている、そのいじらしい姿を見ますときに、私たちは却つて子供に奮い立たせられて、どうしても今回の私どものこの主張は是非お通し頂きたいと強く強くお願い申上げる次第でございます。
  14. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 次に、瀧尾達也さんに御発言をお願いいたします。瀧尾さんには、第一に特別都市計画法が発動されて行く過程の概要と、第二にそれが池袋西口に対して施行されに至つた経過、第三に、豊島小学校校地換地処分との関係等について詳細に御説明をお願いいたします。なお現場関係の具体的な部分はそれぞれの担当者に説明させられましても結構であります。
  15. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) 区画整理事業と申しますものは、一定の地域を画しまして、その地域に明るい宅地の利用の十分できる場所を作り上げて行くというのが目的であります。従いまして、その区域の中には従前のように道路に面した宅地土地がないようにというような関係から、いわゆる公共用地というものは相当に要するわけでございますので、然らばその一定しました区域の中から如何にしていわゆる公共用地を生み出すかと申しますと、これはいわゆる減歩によりまして、公共用地を生み出し、道路のようなもの、或いは下水のようなものを作り出して行くわけでございます。それでこの土地に対しましても、そういうことの必要上、土地の所有者から一定限度の土地の提供を受けまして、それによつて立派な市街を構成して行くということになつております。この区画整理の根拠法は、都市計画法と、それによつて準用される耕地整理法でありまして、今回の戰災復興の区画整理につきましては、関東震災のときと同様に、特別都市計画法が制定され、これによつて強力に事業が実施されて参るのでありまして、公共用地のようなものにつきましては、従来はその官公署の認可又は所有者の同意を必要としたのでありまするが、本法によつてこれら公共用地についても認可又は同意を得ないで区画整理の施行区域と定めて行けることになつておりますので、これらの土地に対して相応の減歩の負担を課せざるを得ない又課し得る状況なんでございます。この都市計画法の実施は今申上げましたような法規によつておりますが、先ず地区の告示、それから施行規程の告示、それから権利の申請、現形測量、権利調査土地区画整理委員選挙人名簿の作成、それから選挙、会長の互選、区画整理の実施計画、設計書の作成、設計書の認可申請、大臣の認可、それから東京都知事の認可を得た告示、設計書告示、施行申告、工事着手届、確定測量、土地原簿の作成、更正地積の算定、換地設計換地予定地の委員会諮問、換地予定地の諮問の答申、これによりまして計画の決定を見るわけでありまして、そのあとに現場に借地の杭打ちですとか、換地予定地の指定、それから移転計画、そういうような順序で進んで参るわけでございますが、この池袋の地区は第十地区でございまして、これは先ほど申上げました告示は昭和二十一年の十月一日に行われております。そして現在の校庭は、換地予定地の決定というところまで参りまして、現場の杭打ちという点が目下の状況によつて行えないで現在に及んでおるという実情でございます。  この第二に関しまする校地に関します換地決定に関する点でございますが、この根本は要するに学校の不用になつ土地でありまするから、それを校地のままで都が引受けるべきものに対しまして、現在いろいろの上物が現存しておるということが一番元の問題でありまして、区画整理をいたします立場からはそういう上物はそれが合法的である、不合法的であるというのは裁判によることでありまして、原状のままそれを新らしく換地されている場所に移設して整理を行なつて行くというのが根本の方針でございまして、そこに東京都がそういう権利を認めてそれに換地を、いわゆる土地を與えるというふうに誤解されている点が我々の非常に遺憾とする点でございます。それでこの経過につきましては、この当初よりこの事業に関係いたしました市のほうの区画整理課長谷口君からくわしく御説明申上げたいと存じます。  なお最後の東京都の方針といたしましては、この当初文部省のほうではいろいろその経緯は課長から申上げますが、四千二百坪で以てよろしいという回答を頂いておりまして、それを約五千坪までの換地決定にするというところでそれを承認されるならば、この上物のほうもこつちで処理してもいいという観点に立つて始まつたものなんでございますので、この上物の処理、これを文部省側で権利の抹消ができておりますれば問題がないのでございますが、それができない以上は、やはり現在換地決定いたしました五千二百坪以上の土地学校の敷地としてとるということは恐らく非常な困難な問題であるというふうに考えております。
  16. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) ちよつとお諮りいたします。只今参考人から、随行して参られました谷口君の発言を許可をすることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  17. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) それでは谷口さんの御発言を願います。
  18. 谷口成之

    参考人(谷口成之君) 東京建設局画整理課長の谷口でございます。お手許東京特別都市計画第十地区の事業経過と予定についてという表を差上げてありますが、それを御覧頂きながら、時間の関係で簡單に要点の経過を申上けたいと思います。  一番上のほうに事業施行順序という欄がございますが、これは年月を逐いまして区画整理を施行する順序が書いてございます。年月の入つておりますのは、すでに経過して来た部分でございまして、終りのほうに年月が入りませんで順序が書いてありますのは、区画整理を今後完成して行きますまでの、完成するまでの順序を参考までにつけているのでございます。そこでその次の欄には東京都側と書いてございます一番下のほうに、文部省側と書いてございますが、そこに東京都側へ文部省側からのそれぞれの公文書その他交渉のいきさつが述べてございます。そのうち特に重点を置いておりますのは、第一頁の終から五、六行目の文部省側の下のほうを御覧頂きたいと思いますが、「昭和二十二年六月六日の通知に対し借地権の抹消は困難につき普通の換地でよいが学校建物及びプールを含む範囲を選定されたい。」こういう回答が東京都の書簡に対しまして文部省の会計課長から回答を頂いたのでございます。四千二百坪という言葉が今まで出たかと思いますが、これは公文書の附図には書いてございませんが、附図を大体計算いたしますと、これに近い面績になる、こういうことになるのでございます。それから次の頁になりまして、東京都側の五、六行目のところにございますが、今の回答に基きまして、東京都といたしましては、正規な換地予定地の指定の準備をいたしまして、換地の内定をして来ております。その際には附属小学校面積は、文部省の回答に基きます面積はすでに四千二百坪を予定いたしたのであります。それからそのすぐあとあたりの中段、下段あたりに書いてございますように、その通知を出しましたところが、その頃からPTAの皆さん方の動きも始まつたようでございます。その間に文部省との間にいろいろ往復の文書がございますが、先ほど学校側からの御発言にありました東京都の第四建設事務所長が六千二百坪を認めたと、こういうような三者協定というような図面が残つております。これにつきましては、誤解を避けるために一言説明を申上げたいと思いますが、この三者協定は要するに東京都側といたしましては、国有地の中の使用区分を決定されることでありますので、大蔵省と文部省との間に御協定になればいいことであつたはずでございますが、東京都側から所長が出ております。その点につきましては、国有地の範囲内でどういうように両省の間で使用される、或いは所有をされるということを一応伺つた、こういうふうに実は考えておるのでございます。それでその協定と申しますかに基きまして、東京都としましては整理後の換地整理後の換地を補償……、換地と申しますと、先ほど来問題になつております一割九分七厘の減歩をかけるか、かけないか、減歩をかけた結果が最後の換地となるのであります。その協定では換地補償を都側としてはしておるわけではございません。その次にやはり二頁の終りから四、五行目の中段、下段のあたりで、その際にお立会になりましたのは学校関係のかたと、それからPTAの代表のかたと、都の出先の所長と三者が立会つたのでございますが、正式には文部省の御意向を伺わなければならん。都としてはそういうことになりますので、都といたしましては中段の終りから文字の書いてある四行目でございますが、文部、大蔵省両当局に対しまして、公文書で以て区画整理換地を決定するのに必要であるから整理前の、従前という言葉を使つておりますが、整理前の土地使用区分と申しますか、土地について御回答を頂きたいと、こういう文書を差上げておるのでございますが、それに対しまして、その斜め下のほうに、文部省からは整理前の土地がやはり従来通りの御主張のように六千二百何十坪である、こういうような御回答を頂いたのでございますが、その御回答につきまして、以後は区画整理を施行いたしますのに各筆に対しまして減歩を掛けて整理を施行して行く、こういう順序になつているわけでございます。三枚目になりまして、先ほどどなたからかも東京都へ帰つて参りました、返還されました土地につきまして、学校から、或いは文部省から提供したのだ、こういうようなお言葉があつたようでございますが、これは法律第七十四号でございますが、その法律に基きまして不用に帰した土地は元の地方公共団体に無償で返還する、こういう法律に基きまして、大蔵省を通じて東京都へ返還されたわけでございます。  そこで最後に減歩率の関係について極く簡單に結論だけ申上げますと、以上のような結果、整理前の、元の整理前には、従来の旧豊島師範の敷地は一万四千何がしございますが、その中で整理後の、整理後と申しますか幾つかに区分しました結果の面積が、文部省用地としては六千二百九十二坪、大蔵省用地としては、税務署の用地として大蔵省が保留されたのでございますが、大蔵省用地は五百五十二坪、東京都有地として返還されましたのが、整理前は七千二百三十五坪、こうなつております。これに対しまして区画整理施行上必要に応じまして減歩率を掛けましたのが、学校用地に対しましては一割九分七厘、大蔵省用地に対しましては二割二分、それから京京都に返還されました土地には五割一分の減歩を掛けておるのでございます。大体経過は以上の通りでございますが、先ほどの表に戻りまして、三枚目の上のほうの段を御覧頂きますと、今後東京都が施行いたします事業の順序が書いてございます。この学校の減歩関係の御了承を頂きました上で次の段階といたしましては、換地予定地の正式の指定をいたします。次にマーケツト用地、これはマーケツトには限りません、上物の整理をいたすことになります、整理と申しますと、従来の土地にぎつしりと立つておる上物でございますが、この上物を道路用地或いは広場用地にかかつて行くものは空地にして公共用地にあけなければなりませんので、そういうような建物を、建物その他工作物をそれぞれの換地整理後の換地の中へ追い込んで行く、こういう操作をやらなければならんのでございます。それからこれにつきましては、先ほど局長から申上げましたように、建物移転という工事が伴つて参ります。移転という工事でございます。その次には、後は附帯事業といたしまして道路の工事をやるとか、その他の工事をやることになるわけでございます。それから事務的な手続といたしましては、だんだんと正式な、只今の段階では換地予定地の指定でございますが、最後の段階に参りますと、正式な換地の決定をいたします。換地の決定の際には面積の一応の割当は済んでおります。その後でやはり多数の筆の間では多少の不公平がございますので、そういう点を最後は金銭で清算いたしまして正式な換地を決定し、それぞれ従前の土地の地番を新らしい地番に登記をすることになるわけでございます。清算登記事務が済みまして完成と、こういう順序になるわけでございます。  大体以上でございます。
  19. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) これで休憩をいたし、午後の委員会は午後一時に再開をいたしたいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  20. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) それではこれで休憩をいたします。    午後零時九分休憩    —————・—————    午後一時十二分開会
  21. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) これより文部委員会を開きます。  先ず椛澤金作君に御発言をお願いいたします。椛澤さんには、第一豊島小学校校地の一部について生じました借地問題について元の借地者のお一人としてその経過と現状、第二、現在校地の一部に家屋を建築されておる津田友三郎さんとの関係、第三今般の換地問題に対して地元のかたとしての御意見などをお述べ願いたいと思います。
  22. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) 私が昭和二十一年に戰災復興会として当時借地をしたということについて申上げますが、この当時私がこの戰災復興会というものを始めた当時は、昭和二十一年の二月一日に戰災復興会というものが創立されたのでありますが、そのときに文部省及び学校当局に、地元の発展として、私が当時焼け出された戰災者或いは引揚者等の救済事業として当時豊島師範の一部五千二百四十三坪を文部省に交渉してお借りしたわけでありました。併しこの当時の借地の理由については、学校は復興しないということで我々としては当時五千坪を、五百人の戦災者をそこに収容したいというので、私が当時申込んだ次第でありました。併しその当時の契約は皆三坪以内、最大三坪の組立式、或いはマ—ケツトというような契約でありましたが、当時はそれ以上の建築は許可されなかつたのであります。それがために私は各地でマーケツトを至る所に露店商が建てられたので、併し私はマーケツトとしてはもとより建てる目的でなく、模範的商店街として建設を始めたのでありましたが、不幸にして昭和二十一年の七月五日に都市計画が発表されたのであります。このためにいろいろな、何というか野心家というか、いろいろな露店商などが入り込んで来て、併しこれに対して我々は純な町の人たちの復興に、こういう露店商或いは極東組というようなものが入るということは非常にいかんので、そのためにいろいろと交渉しましたが、なかなかその勢力に圧迫されて、その当時都市計画が発表されましたので、私が都のほうに建築の許可の申請をしたところが、その場所には建築の許可ができない、こう言われたので、それはどういう意味で許可できないのかと言つたら、この二丁目一角は都市計画にかかつておるからそのために許可ができない、こう申されましたから、併し都市計画が発表されるということはもう大体の計画はわかつておるだろうから、何とかして一日も早く建築のできるように一つ都市計画を実行してもらいたいということを豊島土木課長に当時交渉いたしましたところが、この計画道路、二十メーターの道路としては、今のところこれを全部拡げるということは……、当時はすでにいろいろなごたごたで建て始まつたものだから、当時の長谷川土木課長が十五メーターだけ明けてもらつて、そうしてそのマーケツトマーケツトの間を十三尺に拡げてもらいたい、そうしたらこれを許可するということになつて、私がその当時その通りにやるということで、当時はまだ黙認程度でありましたけれども、この線にならつてやることなら差支がないということで、その当時に大体建て始まつた問題であります。併しその当時建てるまでにはいろいろな複雑な問題がありましたけれども、そういう過去の問題は別として、その当時の我々の見通しとしてはこの大東京の都市計画によつて、我々は都の意見によつてやることに対しては差支えがないと思つたから、これは我々としては将来永続できるものとして当時計画したのでありました。併し私が当時建て始めたマーケツトの間を十三尺拡げ、十五メーターの道路を拡げたところが、これに対して反対した極東組が私をいろいろな惡宣伝で排撃をして、それでこの道路の間にばたばたと建つて、今日に至りああいう狭いリヤカーも通れないというような始末になつた次第であります。それでいろいろな問題が起りましたが、私としてはこれに対していつまでもああいう勢力と争うべきじやないと思いまして、当時私は手を引いたわけであります。併しこの問題については余りにも、私は自分の計画として都に或いは協力したつもりでやつたことが、ああいう道路の真中へあのまま建てられては、併しこのままでは将来これは非常に整理に困るじやないかということで、これは当時の石井建設局長さんにも再三交渉をし、当時の不法建築としてここに写真を撮つた。この当時の都市計画の道路の真中に七十坪ばかりの倉庫が建てられた。併しこれはまあいろいろな問題で、都のほうで計画法によつて、到頭……問題はいろいろありましたけれども、これだけはまあ取壊わしましたが、そのために椛澤は乗り取られて気の毒だというので、今度の津田さんの問題の土地の二千五百八十三坪というものは、今度はそれでは椛澤に貸してやろうというので、当時私は又新たに申請して、今の現在の問題の土地を借りたわけでありました。その当時も私は建築を急ぐために、当時は資材の非常な困難な当時でありましたから、これは抽籖でなかなか思うようにこの建築の許可が取れなかつた。併しこれが三回でしたか四回に亘つて、戸数にして約九十戸が許可されたものだから、それに対して私は工事を急いでやろうと思つて、又この許可の当時に石井局長さんにこの問題を持つてつて、何とか一日も早く許可してもらいたいと言つて交渉した結果、石井局長さんがそれでは区画整理から支障がないというその念書をもらつてくれ、そうしたなら許可してやろう、こういうので、その当時の反町さんの念書を頂いたのが、これが当時の念書であります。これに基いて区画整理のほうに行つて、そうしてこの赤線を引いてもらつて、赤線の中でなければ支障がないというので、当時建築の許可を頂いたわけなんです。併しその当時にいろいろな、中には経済的の問題もあり、いろいろな資材の面でも関係がありましたものだから、まあ工事もなかなか捗らない。そのうちに今の印刷工場とした所に、我々が埋立て整地をしておる途中において、上原孝助の代表たるかたが朝鮮人の金某という人間と結託してそこに畑を作り妨害をしたために、当時の場所がそのまま残つてしまつた状態でありました。併しこれを取締るべく警察或いは警視庁、検察庁あらゆる手を盡したが、なかなかこの取締ができないがために、止むを得ず当時軍政部までこの問題を持つてつて、そうして当時のデントンという第二課長現地調査に二度も出張されて、そうしてこの現状を……立札にはこの畑に踏み込んだ者は棍棒でぶんなぐるという暴言を書いて立てられておつた。併し我々関東建設としての整地をやつておる工事人がその畑の角へ足を踏んだというので、非常にそこでおどかされて、それで工事が止むなくできなくなつた次第であります。それで私らとしては何とかして一日も早く工事を進めんがために、当時のこういう写真まで撮つて、実はこの問題を軍政部に持つてつて、そうして軍政部から警視庁にその書類が、当時の上原が挙げられると同時に一緒に書類が廻されたが、日本のほうに渡されるや、そのまま当時の印刷工場を建てるまで草藪と畑のままで放任されておつたのでありました。併し先ほどもいろいろなかたから不法建築だ、或いは暴力、いろいろな話がありましたが、併しこれに対して私らとしては不法建築をやる意思もなく、何とかして東京都の都市計画協力して、そうして一旦建てたものは成るべく動かさないようにというので、私は都のほうにこの建築許可……この都市計画法に基いてやつたわけであります。併しこの津田さんの印刷工場に乗り込んだということは、先ほども学校側のほうから不法建築だと、いろいろな話がありましたが、当時は畑と草藪になつてつたので、我々は学校用地としては何もそれは考えていなかつたのです。又我々にその通知もなかつたのであります。併しこれはどこへ行つても問題が取上げられないために、私がこの朝鮮人の暴力と、この不法の妨害に止むを得ず自分は一騎打ちの鬪いをするというつもりで、あそこに工事を当時始めたわけであります。その当時始めたのが、この津田友三郎さんが当時私に土地を探してくれんかと言つて来たけれども、なかなか市内には思う所がなくて、それで私は何とかしてどつか適当な所を見付けてやりたいと思いましたが、津田さんもなかなか思う所がない、そうしたところが、たまたま津田さんが君のあの問題の土地をどうだい、貸してくれんかと、こう言うから、これに対して、私はとにかくこれは問題になつて、今こういうふうに実はごたごたしておる。併しそれを承知であれば、併し将来はこれは当然或いは払下げになるということは、これは大蔵省或いは東京都の意見を聞きました当時は、恐らく将来払下げになるだろうということで、我々は払下げてもらえるという当時の意思で、この問題についてそれでは津田さんと共同でここを一つやろうじやないかというので、津田さんと当時始めたあの印刷工場でありました。併しそれには又問題がありましたが、いろいろな経済的な問題から今日に至つてああいう問題が起りました。けれども、併し私は初めから学校当局、文部当局に対しても我々は妨害とか、そういう教育上に支障を来たす目的で私は建築をやつたつもりではなかつたのであります。それはすでに建築の許可が、今の学校の問題になつておる印刷工場の所に、戸数として二十戸ばかりの建築許可が下りておつたのであります。私はこれに対して飽くまでも、こういう不法な、全くにして当時の我々の三坪という建築に対して、こういう八十坪もある不法建築が建てられても何としても取上げてくれない。これに対して私もそういう陰謀下に、妨害されているということは誠に残念だというので、私がそこに乗り込んだ次第であります。だがこれに対して絶対に不法建築だと私はこれは思えないのであります。  もう一つ私が申上げたいことは、学校側の主張される、文部省当局の主張されることに対しては御尤もでありましよう。又学校があつたために、この池袋の東西が復興したということは、我々としても非常に感謝する次第であります。併し昔の麦畑の当時を夢にいつまでも見るということは、私はこれは少し考えがその点違うんじやないか。こうして当時は麦畑であつた閑靜な所であつたが、併し今日では時代が変れば世も変る。こうして都市計画によつてあそこが商業都市になつて発展された。又発展されるばかりか信上越線、地下鉄、こういうものがどんどんみんな開通になる、地下鉄なんかの工事を非常に晝夜兼行でやつておる。そうしたならば、ただこの環境だけを議論にするということは誠に私はこれは残念と思うのであります。正しい教育をするには、何とかもつと閑靜な広い土地に私は第二の文教都市として計画して頂きたい、又皆様に御協力を願いたいと思うのであります。併し今日起つたこの問題は、私はこれに対していろいろな過去の問題はありますが、併しこの現在起つた問題は、これはお互いに白紙にして、そうして今、日本の正しい教育再建ということに飽くまでも努力をして、そうして皆様の御協力を得たいと私は思うのであります。学校側では当時、昭和二十一年復興しない、我々に開放してくれた当時のことを、私はこれを飽くまでも実行して頂きたいと思うのであります。そうしたならばこの都市計画も、或いはあの環境に住んでおる行く所のない人たちも、これは生活のため、あらゆる点において非常なる国家的、これが本当の社会的事業じやないかと私は思うのであります。これに対して学校では、これは豊島師範の延長である、或いは近い便利だということをのみ主張するならば、これは各個人も私は同じだと思うのであります。個人も親譲りの財産もあれば土地もあり家も建つておる。こういうことをお互いに頑張り合つてつたのでは、この日本の再建は到底できないのじやありませんかと思うのであります。どうかこの再建と、周囲の環境、正しい勉強を落着いた……皆様のかわいい学童に落着いた勉強をさせるには、小金井のああいう広い七万坪もあるというような広い所に持つて行つたほうが将来のためにこれはいいじやないかと思うのであります。そうしてあの所に第二の文教都市として、今度はあの周囲には絶対にそういう飲屋、或いはいろいろなそういう皆様のきらわれるものを今度は許可しないようにしたら、これは立派な第二の文教都市として、この地元の発展に対して学校は開放されれば、非常に地元の発展のために、地元人たちが非常に喜ばれるのじやないかと思うのであります。(「簡單々々」と呼ぶ者あり)。いろいろな複雑した問題がありますけれども、そういうことを、過去のことを言うとなかなかこれは議論になりますからそれは私は申上げませんが、ただ我々が残念に思うのは不法建築だ、不法建築だ、或いはボスだ、共産党だと言つて(笑声)我々が惡宣伝された。こういうことは我々は誠に残念だと思うのであります。そういうお互いに感情的に私は論ずるということは甚だ不愉快だと思います。こういう問題を水に流して、そうしてこの豊島の発展のために、私は東京都としても都市計画を飽くまでも実行して頂きたいと思うのであります。私の問題は大体この程度にして終りたいと思います。
  23. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 次に津田友三郎さんに御発言をお願いいたします。    〔参考人大久保傳藏君「ちよつと緊急にこの問題に附帯しまして申上げたいことがあるのですが」と述ぶ〕
  24. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 津田さんには豊島小学校校地内に……、
  25. 岩間正男

    ○岩間正男君 議事進行について。只今向うから関連して何かあるというのですから、時間は長くないのでしようね。だつたら我々も聞きたいと思います。ちよつとだけ。
  26. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) それでは今大久保さんから御発言がありましたが、許可して差支えありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  27. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) それではどうぞ。
  28. 大久保傳藏

    参考人大久保傳藏君) 只今椛澤氏が憂国の熱情を以て第三国人に対して昂奮に駆られたわけで、我々もそれは一応認めるのでありますが、一般的に払下げを可能と信じて柵内を破り、そうして建てたのを不法建築でないと言つておる。或いは教育再建のためにということで、法を破つて教育再建を論じられるならば、私は噴飯に堪えないのでありますが、その当時我々のPTAの会長をいたしておりました春日敏氏が今傍聽されておるのでありますが、不法建築であり、暴力がそこにあつたという嚴然たる事実があるのであります。故に若し委員かたがたの御許可を得るとするならば、春日敏氏の証言をお認めになつて頂ければ誠に有難いと思うのであります。(「進行々々、あとに」と呼ぶ者あり)
  29. 岩間正男

    ○岩間正男君 只今の問題に関連してあとで一つお済みになつてからこれはどうでしようか。その処置について一応委員に諮つて頂きたい。
  30. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 只今お述べになつたように、済んでから……(「異議なし」と呼ぶ者あり)  次に津田友三郎さんに御証言をお願いいたします。津田さんには豊島小学校校地内に家屋及び工場を建築されるに至つた経過及びこれに関して学校又は国と折衝されて来た顛末をお述べ願いたいと思います。
  31. 津田友三郎

    参考人津田友三郎君) 私は中野の警察前の津田印刷所というのを営んでおつたのであります。それは今から十四年前から印刷所を営んでおつたものでございます。それが戰災に会いまして、埼玉に親子八人疎開したのでございます。それで印刷業を営んでおりましたところ、故郷が恋しいために東京に出たくて再三。椛澤氏がおつしやつたように地所を探がしたようなわけであります。そうしたところが椛澤さんが、それじやおれの領地へ来い、問題は椛澤さんはあるがと言われた。私は、朝鮮人が畑を作つておる、椛澤氏は又紛糾しておる、学校と紛糾しておる、そういうようなことはちつとも知らなかつたのであります。朝鮮人と紛糾しておる、椛澤氏が借りておる地所に対して無断で畑を作つておる、そんなんなら何ら問題じやないと思つて、それで椛澤氏にお願いする、建築許可のも十も二十もあるからおいでと言うから、それじやよろしくお願いしますと言つて椛澤さんにお願いしたわけであります。それで椛澤氏から土地使用承諾書を頂きまして、それで県の書類を頂きまして、役場の書類も頂いて、十四度足を運んだのであります。あれは古い建物でございます。それが学校から不法建築だ、柵をめぐらしてやつたと大久保氏がおつしやつたけれども真赤な偽りでございます。私が来たときには柵も何にもなく野原でしたのです。その仔細はあとで近所のかたに、あの近辺のかたに聞き質して頂くようにお願いいたします。それで私のほうへ、私が家を建てたら柵をあとからめぐらしたのでございます。私が出入りができなくて、仕方なくあそこを壊したのでございます。人の住む所に柵をめぐらして、私も黙認できませんから、それで柵を壊した。それを現在柵を破つて家を建てた、不法建築だ。不法建築ではなくして、私は立派に許可ももらつてあるのであります。椛澤氏も許可をもらつてありますけれども、私も許可はもらつてあります。それをあれです、先だつて新聞には無断建築だ、不法建築だという欺瞞発表をしたのです。学校でそれで私は校長先生に食いかかつたのです。教育者として恥と思わんか、私の建築は許可もあるにかかわらず、不法建築だ、…だとえあつてもないと言うのが教育者の立場じやないか、余りにもひどい、私は立派に許可もあるじやないか、そうしてすぐこういう欺瞞的な報道をする、民衆の歓心を買うために欺瞞をする。私は先だつて裁判所で議論したことがあります。それはまあ皆さん御存じのかたは相当あると思います。私のほうも何ら知らずに来て、それにもかかわらず、生徒が石をほうる、それから先生が生徒を十五人も連れて、家の子供がいたずらする、いたずらするというからそれは申訳ないと言うて謝まつておる最中でも生徒が庭泥棒、庭泥棒と言う、それで私は怒つたことがあるのです。何だ、先生に言つたのです。私は謝まらん、君たちは相当な有能な生徒教育していながらこのざまは何だ、こういうことじや立派な教育はできない、帰れと言つて私は怒つたことがあるのです。併しあとからこの工場に石をほうつたのは君たちの指導だろうということも先生に突かかつたこともあります。当方で非常に迷惑しておる。又PTAを呼んで取り巻いたこともあるのです。併し私は庇を借りて母屋を取るようなこともいかんので、大家さんに対してこれまで頭を下げて泣きの涙です。家内もPTAに取り囲まれたり、生徒がああして大勢取り囲んだときも二回も卒倒して病院に入つて、現在まだ体はよくありませんけれども、併し私はどこへ行く当てもない。それでまあ地所の金もないという立場から経済面から押されて今の所をお願いする、お願いしますというようなわけで学校にお願しておるようなわけでございます。それをどこまでも椛澤さんを出さないで、私だけをこうして苦しめておる。決して私は無断占拠したわけではない、無断建築しておるわけじやない、立派にこうして許可はあるわけでございます。それを新聞記者を呼び集めて欺瞞報道をしておるのだろうと思います。よろしく皆さん御推察を願います。
  32. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 次に松田定一さんに御発言をお願いいたします。松田さんには地元にお住いのかたとして、又池袋方面区画整理において、この諮問機関である第十地区土地区画整理委員会会長として豊島小学校校地換地問題に対する御意見をお述べ願いたいと思います。
  33. 松田定一

    参考人(松田定一君) 松田でございます。私が第十地区区画整理委員会の会長をいたしておりますもので、大体整理委員会は如何なる仕事をするかということを簡單に先ず申上げる次第であります。  区画整理委員会は都知事の諮問機関でありまして、その諮問は換地に関する件、土地の組替えであるとか位置の適否、土地の評価等であります。次に補助金の配当割当、過小住宅、過小借地の規定に関することであります。これは衛生保安上の見地からその坪数をきめまするものであります。又特別の処分に関する件でありまして、これは私道等を或いは金銭で清算するかどうかというような面であります。その他公衆広場、道路等を定めまするにつきまして知事の諮問を受けるのが私たちの職務でございます。区画整理委員はえてその土地の最も利害に関係の深い者と取組んでおりまする関係から非常に迫害を受ける場合が多いのであります。先ほども枡田さんでございましたか、区画整理委員の選挙法は正しくない、又出た者が余りいい人間が出ておらんというようなお言葉もあつたようでありまするが、私も現今に至ります間東口等におきましては非常にいろいろの指揮攻撃を受けて参つたのでありまするが、勿論私たち十四名の委員においては一つの不正を見出すこともでき得なかつたのであります。そのごとくにいたしまして皆がこの区画整理をやりまする上においては必ず不平不満があるのであります。その不平不満が各方面から出ますると、そのことはむしろ東京都の区画整理などに行く前に我々たち委員の所に振りかかつて参りますのでありまして、私たちはその不平が多ければ多いほど、全部が不平であつたらば、私たちは公平と信じて自己の仕事を遂行して参つておるのであります。そこで区画整理委員は性格といたしましては、その土地におきまするところの、いわゆる第十地区は二十三万坪でございまするが、そこに住んでおられますところのかたがたの利害を代表するのであります。従いましてこの私たちのとりまする態度は飽くまでも公正であつて、都のほうに向いましてはその区域におりまする者の利益を代表する、そうしてその土地におりまするかたがたに対しましては、都の遂行せんとするその事業を円滑に進めるという仲介の役をとるのであります。  只今の豊島師範の問題でありまするが、私たち委員会が主張いたしておりますのは、減歩というものは、どうしても法できめられた減歩は頂戴したいのであります。と申しまするのは、先ず西口におきまするところの一般が醵出いたしまする平均減歩と申しますると、坪数が減りまするのは、どの家でもあそこに住んでおりまする者たちは三割三分を取られておつたのであります。それをその負担をいたしておるのがこれが公正なのであります。どの人たちもそれだけ出しておるのであります。然るところ、学校なるが故にこれを出さないということは私は許されないと思うのであります。曾つて豊島区役所が建設いたされまするときにおいて換地をいたしたのでありまするが、そのときにどうしても出る所がなかつた、出すものがない、狭い、どうするかという、狭いよりほかにしようがないじやないかという主張を我々たちがいたして参つたのでありまするが、然らば他に土地を求めたらどうか、求めてそれを換地として出そうじやないかというので、その換地を出すべく豊島区ですら、区役所を建設するには土地を買つて醵出してあるのであります。この六千二百坪の、地所を千二百坪減らすということは学校にとつては誠に私も御同情に堪えないのであります。又児童一人当りの数から申しまするならば、なお六千二百坪の上に千二百坪を加えなければいけないということもよく私はわかるのであります。併しながらこの学校なるが故にそれをとることはできないのだと申しまするならば、その千二百坪を誰が今度はしよわなければならないかということになるのであります。これは絶対必要なものであります。然らば一般のものがこれをしようよりしようがない。三割三分をすでに供出いたしておりまするところの一般のものが、それに対してそれ以上の減歩を学校のためにしよわなければならない、こういうことに相成るのであります。かくのごとく相成りますれば、委員会としては、学校なるが故に、これを法を曲げてそうして供出をさせない、一般のものがそれをかぶるのだということは、法としても許されず、我々たちとしてもこれは納得できないのであります。現に谷口課長さんからもお話がございましたように、現在の供出は、六千三百坪から引きましてもまだ五千五十坪残るのであります。そうすると、学校の減歩は一割九分七厘でございます。我々たちの一般がしよつておりますのは三割三分であります。それになお且つ大蔵省でしよいまする分でも二割強であります。東京都におきましては五割以上の減歩をしよつておるのであります。そういう公共的な国家機関でありまするならば、進んでたくさんのものを供出して頂きたいのであります。併しながら、いろいろの事情から申しまして、かくのごときものをしよわせるということは成るべく避けようじやないか、それで学校の減歩に対しましても、十分に私たちも考慮研究をいたしたのであります。現在豊島区におきまするところの学校を調べて見ましても、現在の中学と比例いたして見ますると、現在のこの中学校小学校、これを豊島の小学校中学校に比べますと、豊島師範の学校に比べますと、今現在の数が八百八十二名と私は記憶しておりますが、先ず総数において九百名おられるといたします。そのうち中学が百四十七名、小学が七百三十五名、そこで、現在減歩をいたしまして、五千五十坪残るといたしまするならば、生従一人当りの計算約五坪強に相成るのであります。一面これをその周囲にありますところの学校に比例いたして見ますならば、池袋の第五小学校というのが附近にございます。これは生徒数が千百八十五名ございます。そうして学校用地はどれだけあるかと申しますると、これが二千八十八坪でございます。生徒一人当りを見ましたときに、まだまだ豊島師範の小学校との懸隔はあるのであります。もう一つ立教大学の裏にありまするところの池袋第三小学校を見まするならば、生徒数におきまして千五十六名であります。現在使つております用地が千七百十三坪であります。この数から思いまするときにおいて、私たちは又何をか言わんやであります。現に両校等におきましては二部教授をいたしておるような状況にあるのであります。然らば学校におきまするところの一割九分七厘の坪数を仮に引きましても、私たちは決して苛酷でないと、こう思うのであります。先ほど学長先生から縷々教育の大切なることを私たち承わりまして誠に同感に堪えません。当然この土地が広くしてそうしておりまするならば、その理想に私たち国民として持つて行かなければならんと思いまするが、現在におきまするこの狭き日本において、又特にそういつた以外の学校において窮窟な思いをしておりまするならば、お互いに讓り合つてこそ、この日本の国の再建ができ得るのではないか、こう実は考えられるのであります。その点につきましても、決して私は、ここにおきまして残ります五千五十坪で以てそれは十分だとは申しませんが、我慢がして頂けるのではないかと、こう考えるのであります。  なお環境の点につきまして、非常に学校側といたしまして御議論になつておることは、これは私も同感でございます。現在のような状態でありますと、あの学校から見降したその下は、まるで何と申しましようか、本当に家らしい家はないのであります。環境としては非常に惡い。併しながら、現在あすこに入つておりますあの連中は確かに不法の建築もございます。又いろいろな暴力行為もありました。その他のもので建つたにしろ、とにかくあれだけのものができてしまつたという現実をつかまえたときにおいて、それで、その家に入つている人たちが引揚者であるとか、或いは戰災者であるとか、それがすでに転売に転売を重ねて来ておるのでございまして、あれをあのまま放任をいたしますることが、若し仮にこの学校を擁護するために、あれをあのままどこかへそのままで移してしまうというようなことは、これは大きな社会問題として取上げられなければならない問題でありまするので、到底これはでき得ないのであります。あれも日本人であります。あの人たちもやはり救つてやらなければならんと私は思います。なお学校の環境としまして、今度特飲街ができるというようなことがよく言われております。歓楽街ができるということを誰かが言つたのでしよう、恐らく。これはこの土地の者、これは余りにもPTAのかたがたが少し神経衰弱におなりになつていらつしやるのではないか、こう私は考えられるのであります。この歓楽街あすこに持つて来る、特飲街をあすこに持つて来る、そういうことにつきましても、私もあの土地人間であります。反対であります。絶対に反対せざるを得ない。併しながら、区画整理をやりました前におきましては、丁度東口を整理いたしました前にもかくのごとく言われたのであります。駅の前を見ますれば、誠に雑然たるところの光景でありました。併しながら現在の東口を御覧下さいまするならば、よくわかります。どこにあの姿があるでありましよう。区画整理を一日も早く完成するならば、必ずや立派な街ができるのであります。立派な環境のものができるのであります。今現在の東口の姿を見て、これがこのままここに来るのではないかというようなことにお考えになることは、もう少し私は先を見て頂きたい。なお且つ同東口の区画整理の完了した所を御覧下さいますならば、一目瞭然だと私は思うのであります。それになおあすこ土地換地をやるためには、どうしてもその一つ区画整理の区域のない外以には出すことができない。区画整理というものは、必ずその区画整理をきめられた管内において処理をして行かなければならない。そこにあるものをよそのほうへ持つて行くとか、よそのほうへ移すということはでき得ないのであります。法においてでき得ないのであります。従つて、この地においてどうしてもこれを作つて行かなければならん。その意味においては、あすこにあるものというようなものでなくして、その管内のものにおいて持つて行く所を作つてやらなければならない。その絶対量だけはどうしても必要なんであります。仮に、その場所にああいつたようなものを持つて来ないでも、東京都はどうしてもそれに必要な地所が要るわけであります。その地所を與えなかつたならば、あすこにあるものを救済することはできない。同時に区画整理というものに対するところのこの減歩というものが、各方面に、多くの者に負担させるということに相成つて来るのであります。従つて、どうぞこの点につきましては、一つは御当局におかれましても、その区画整理を施行いたしまする上においてのいろいろな障害というものがありますると同時に、その我我たちの主張を十分に一つ研究下さいまして、これに対しまするところの御善処を煩わしたいと思うのであります。又一つの解決方法といたしましては、あすこにおきますところの供出願いました土地を、或いは文教区というようなところの範囲を拡げて頂いて、そうしてそういつた料飲等が入る余地をなからしめるようになさることは、これは私はでき得ると信ずるのであります。ここにおきまするところの問題とは違いまするが、そういうようなことによつてもこれは防止できるのではないか。併しながら、どうしても供出して頂かなかつたならば、二十三万坪に亘りまするところの多勢のかたがたに迷惑をかけなければならないことが一つ、それからなお且つ一つあすこ区画整理をいたしまして、そうして立派なものにしようというその土地を、土地に住みますものを動かすことはできない、いつまでたつて整理できない。あの環境のごたごたしたようなものを今後とも長い間続けなくちやならんというようなことに相成りまするならば、学校自体も御迷惑だと思うのであります。と同時にこれを施行いたしまするところの東京都といたしましても非常に困難なのであります。困るのであります。どうぞその点も御考察を一つ煩したいと思うのであります。先ほどからの私が主張を続けておりまするところのこの一割九分七厘、これは我々たち委員会といたしましては、最低の線に見積つたつもりでございます。どうぞその点を一つ御了承願いまして、学校当局も是非他の学校との比例も一つ考え下さいまして御了解願いまするならば、大変私たちは仕合せだと存ずる次第であります。以上であります。
  34. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) これにて参考人かたがたの一応の御発言は済みましたが、次に関係官庁側より説明を求めます。先ず文部省会計課長小林行雄君からは、豊島小学校校地問題に対して文部省のとつて来た立場、関係方面との折衝等の経過をお伺いいたしたいと思います。又法務府民事訟務局第二課長岡本元夫君から、津田友三郎さんと国との間に起つた訴訟関係の経過について御説明をお願いいたします。
  35. 小林行雄

    政府委員(小林行雄君) この問題につきましての現在までの経過につきまして、文部省のとつて参りました立場並びにそれに関する意見を極く簡單に申上げたいと思うのでございます。  昭和二十一年の初めにこの敷地の貸下げの問題が起りまして以来、文部省におきましては、常に学校と緊密に連絡をいたしまして、学校と力を合せ、ともどもこの問題の処理に当つてつておるのでございます。学校の敷地の貸下げは、終戰後の社会的な混乱、無警察に近い状態の下におきましては、当時の客観的な情勢から考えますと、私どもは止むを得ない措置であつたと考えておるのでございます。併しながらその後国有財産の管理の必要並びに土地区画整理上の必要に基きまして貸借契約を解除しようといたしまして、いろいろと努力をしたのでございます。で契約の破棄につきましても、お手許に差上げました資料の中にも入つておりますが、二十三年の九月に文部省の会計課長学校長、それから東京財務局長の連名を以ちまして土地使用者宛に通達をしておるのであります。又校庭の中に、これは私どもの立場から申せば、不法に侵入いたしまして、建物を建て、事業を営んでおりまする津田友三郎氏に対しましては、法務府といたしまして、二十三年四月に国が原告となりまして、建物撤去、土地明渡の訴訟を提起したのでございます。この件につきましては、その後一旦和解が成立いたしましたが、いろいろな経過の後に、津田氏が更に昭和二十六年十一月に至りまして、第二回目の訴訟を提起されまして、現在係属中であるわけでございます。区画整理の事業につきましては、文部省学校と力を合せまして都の区画整理御当局と折衝をして、根本の態度といたしましては、学校の機能上に必要な六千三百坪というものの確保を主張して参つておるのでございます。これに対しまして都の御当局におかれましては、これは区画整理協力しない一方的な要求であるとして、現在私どもとの間の話合いはまだ結論に達しておらない状況でございます。昨年の十二月に至りまして、資料に付けてございます通り東京都知事から文部大臣宛に換地予定の通知がございました。換地の予告でございます。そうして換地予定地といたしまして、五千五十三坪を指定するというふうに言つてつたのでございますが、これに対しましては文部省としては、教育的な立場から賛成し得ない旨を回答いたしまして、その後も折衝を続けておる次第でございます。  次にこの問題につきましての文部省意見でございますが、第一に、特別都市計画法による土地区画整理事業におきましては、整理事業の施行者は、法律的には公の施設につきましても、国の同意を得ないでも事業計画従つて案施し得ることになつております。その建前から申せば、この問題の処理についても、法律上からは合法的であるかも知れないのでありますが、この問題の従来の経過から見ますれば、必ずしも合理的な妥当な御措置とは言えないと考えるのでございます。法律を超えた道義とか或いは社会通念とかいうような高い点からも御判断をお願いしなければならんというふうに考えておるわけでございます。次に都の御当局は、学校並びに文部省が曾つて学校の敷地は四千二百坪でよろしいということを承認したというので、その後すべての措置はこれに基いて行われようとしておられるのでありますが、この四千二百坪につきましては、その後、先にどなたかのお言葉にもありましたように、関係者の間で協定をいたしまして、区画整理の後におきまして、区画整理が済んだあとにおきまして、学校が六千二百坪を保有することを認められたものと考えておるのであります。その後におきましても、学校学校教育の機能上から六千二百坪を確保したいという要望を出しておりますことは十分都の関係のかたも御承知であると思うのであります。而もこの六千二百坪乃至六千三百坪という数字は、何も過大な数字ではございませんので、現在の生徒の数から算定いたしまして、なお不十分な数なのでございます。区画整理の後の面積区画整理が済んだあとの面積が六千三百坪であることはその後、都の関係しております第四建設でありますが、この間の多くの公文書でもこれは止むを得ないとして承認されておるものでございます。従つてその当時單に学校側が六千三百坪を主張するだけでは、整理の後においては六千三百坪を確保することができないのだということでありますれば、その際に大蔵省にその土地を引継ぐ以前におきまして、区画整理関係官からその趣旨の言明或いは十分な御説明があつて然るべきではなかつたかと私ども考えるわけでございます。現在におきましては区画整理の御当局は六千三百坪の確保ということはこれは権利者の我がままな希望で、区画整理上必要であればこれは無視しても止むを得ないのだということを言われるのでありますが、私ども学校の機能の面からも又従来の経過からもこれには納得できないのでございます。従つて昭和二十二年八月の四千二百坪という書面を基礎といたしまして、これに基いてその後の事情の変化ということには全然目を触れませんで、目を蔽われまして、すべてその線に沿つて一方的に事業を進められようとする都の関係官の態度は、私どもは了解できないのでございます。  次に環境浄化のためにも、又交通の上から申しましても、又その他いろいろな面から考えましても、都が施行されようといたしまするこの土地区画整理事業の意義や或いは重要性ということにつきましては、十分私どもも理解いたしているつもりでありますが、この実施に当りまして一概に学校も減歩せよ、減歩に応じなければ、学校側或いは文部省が居住者を立退かせよ、若しそれができなければ、そうでなければ学校の敷地の中に現在の居住者を追い込むということを言われるのでありますが、これは学校というものについての御理解のある措置ではないというふうに私ども考えるわけでございます。御承知のように、学校は一面物的の施設でありますと共に、教員並びに生徒兒童という人的な構成要素を持つ施設でございます。従つて一般的に公共施設というふうに申しましても、官庁、例えば税務署のようなものとはその性格が全く違つているというふうに考えます。従つてその生徒兒童数に従つて教育の機能の上から一定の面積を必要とするのでございます。私ども区画整理意味は十分認めて、これに協力はしようと思つているのでありますが、区画整理の上の減歩といえども、若しそれが学校の機能を害するというようなものであれば、簡單にはこれには応ずることができないということを考えるわけでございます。学校も減歩をしろ、減歩に応じなければというようなことを言われるのは、区画整理の立場からだけのお考えで、学校教育上の機能を無視されておるのではないかと思うのであります。附属小学校ではありますが、これはやはり都民のための普通の義務教育を行なつておるものでございます。何も特殊な学校ではございません。勿論東京都の小学校教員、中学校教員を養成するためのものでも一面ありますが、普通の義務教育を行なつておるものでございます。而も生徒、兒童の過半は、やはり豊島区の居住者の子弟だというふうに聞いております。なお特別都市計画法は、区画整理につきましては、先ほど申しました通り、極めて強力な法律でございます。私どもも戰後の我が国の状況から考えまして、こうした力の強い法律の必要性も認められるのでございますが、その法律の運用とか、或いは適用とか、そういう面につきましては、前述のような教育施設というものの特殊性を特にお考え下さいまして、これに対する一つよき理解、深い御同情を持つて頂きたいというふうに考えておるわけでございます。簡單ではございますが……。
  36. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 次に法務府の岡本説明員に願います。
  37. 岡本元夫

    説明員(岡本元夫君) 津田友三郎氏と椛澤金作氏との間の現在までの訴訟の経過の概要を御説明いたします。  昭和二十五年の一月終り頃だつたと記憶しますが、学芸大学のほうから附属小学校の敷地の一部に権限なくして建物建築されつつある、法的な手続をとつてこれを阻止してもらいたいというような依頼がありまして、事柄は非常に急速を要しまするので、法務府から仁科弁護士に事件を依頼したのであります。最初その建物の所有者が誰であるかということにつきまして明確でなく、関東建設のほうで建設中だということを聞きまして、先ず関東建設株式会社を債務者として仮処分の申請をいたしまして、裁判所から処分禁止の仮処分、現状変更禁止の仮処分の決定をもらいまして、これを執行吏に委任して執行吏が現場に赴きました。ところが問題の家屋はすでに津田友三郎氏の所有に移つておりまして、現在同氏が印刷業を営業しているということがわかりまして、結局関東建設株式会社の占有にはないということで執行は不能になつたのであります。そこで今度は津田友三郎氏を債務者といたしまして裁判所に仮処分の申請をいたしたわけであります。それでこれに対しまして裁判所の仮処分の決定がありまして、この仮処分の決定を執行をしたというわけであります。それでこれと同時に二十五年の三月に建物を牧夫して土地を明渡せという本訴を提起いたしました。この本訴におきましては、原告側といたしましては、結局相手方は権限なくして土地を占拠しておる、つまり不法占拠であるというので、訴えを起したのでありますが、これに対しまして、被告のほうの答弁の内容は、関東建設株式会社より賃借権の讓渡を受けたという主張で対抗して来られたのであります。ところがこの訴訟は後に裁判所のほうから勧告がありまして、二十五年の八月十七日に裁判上の和解が成立したのであります。和解の内容は、津田友三郎さんのほうで問題の家屋を一年後の昭和二十六年八月十六日限り收去して土地を明渡す、それから昭和二十四年十二月一日から明渡済に至るまでの地代総額の損害金を支払い、それから先ほど申上げました仮処分を解放するという條項で裁判上の和解をしたわけであります。この和解條項が済みました後に、国のほうはこの條項に基きまして現状変更禁止の仮処分は昭和二十六年三月十五日に執行を解放いたし、それから処分禁止仮処分のほうは昭和二十六年五月二十八日その執行を解放したわけであります。ところが昭和二十六年八月六日附で、津田友三郎氏のほうから内容証明郵便で先に出した和解契約は詐欺によるものであるから取消すという通告が参つたのであります。その理由は、和解契約後国のほうは仮処分を解放して津田氏に物件の使用を認める、使用させる、それから和解の成立後に津田氏が営業用として右の家屋に動力を引込むについて必要な土地の使用承諾書を與えるという條件を履行しておらなかつた、そのために津田氏のほうは営業上多大の支障を来たした、今から考えるとこのような好餌を以て津田氏を欺罔して錯誤に陷らしめて和解契約を締結したのだ、大体そういう趣旨のものでありました。それからその後すぐ津田氏のほうから東京の裁判所に民事特別調停の申立がありまして、申立の理由は先ほど申しましたように、国のほうで和解條項に違反して仮処分を解放しなかつたということ、それから和解條項にはないけれども、和解の際に土地の使用承諾書を出すという約束があつた、ところがその約束を履行しないために動力の引込ができない、そういうことで結局津田氏としては営業上多大の支障を来たし、明渡しを一ヵ年猶予してもらつたのが無意味なつた、そこで到底明渡の期限までに本件土地を明渡すことができないから今後も引続き賃借使用できるよう調停を求めるという申立であつたのであります。それで国のほうといたしましては、仮処分の執行の解放は、先ほど申上げましたように行なつたのでありますけれども、少し時期が遅れたわけでありまして、従つてその仮処分の執行が遅れた期間だけ明渡の猶予期間を延長するという方針でこの調停に臨んだわけであります。それで猶予期間の起算点をいつにするか、或いは何カ月ぐらい猶予するかという問題になりまして、それについては津田氏本人が調停委員会に出頭しなければ如何ともしがたいということであつて、調停委員会のほうから二回ほど本人の出頭を求めたのでありますけれども、本人は出頭しない。そのうちにこの調停の申立が取下げられたということになつています。それに続きまして現在問題になつておりますところの無効確認並びに請求異議の訴えが提起されたのであります。で、この趣旨は先ほど申上げましたように、国のほうで和解契約に基いて仮処分の解放を速かにしなかつた、それから土地の使用承諾書を出すという約束をしながらそれを履行しなかつた、これを今から考えると結局詐欺による意思表示であるから取消す、そういたしますと結局この和解は遡つて無効である、従つて債務名義としての効力もないというのが大体この訴訟の趣旨であります。これに対しまして先ずその土地の使用承諾書を交付するという問題につきましては、和解條項には勿論載つておりませんし、それから関係者の言によりましても、土地の使用承諾書を交付するという約束をした事実はないのでありまして、ただ和解が成立した後十日ほどたつてから津田氏のほうから使用承諾書の交付を受けたいという申出があつて、これに対しては学藝大学のほうから文書を以て拒絶しているということになつております。それから仮処分の解放の点につきましては、最初から和解が成立すれば仮処分は解放するという意思であつたことは明らかなのであつて、ただそれがいろいろな手違いによつてその解放が遅れたということになつておるのでありますから、国としては別に欺罔行為をした、つまり詐欺をしたという事実はないのでありますが、そういう二つの点を主張しておりまして、今この訴訟を争つているというわけであります。そうして昨年の十二月十八日から現在まで二回ほど口頭弁論が行われまして、前回の二月二十日には国のほうから証人を二名ほど申請いたしまして、次回は四月四日になつております。で、この期日に原告側の証人三人を尋問するというようなことになつております。  大体以上申上げましたところが津田氏と国との間の訴訟の経過の大要でございます。
  38. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) これで委員長から御質問いたしました参考人かたがた及び関係官庁側のお答えは終りました。これから各委員かたがたから参考人かたがたに御質疑をして頂きたいのであります。  その前にちよつとお諮りをいたしたいことがございます。委員外議員相馬助治君及び中川以良君から参考人かたがたに対し御質疑をいたしたい旨の通告がございましたが、許可いたすことに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  39. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) それでは両君の質疑を許可いたします。これより参考人かたがたに対する質疑をお願いいたしますが、東京建設局長瀧尾参考人は局に用件があり、三時頃に退出されますから、瀧尾参考人に対して御質疑のおありのかたは先にお願いいたしたいと存じます。
  40. 岩間正男

    ○岩間正男君 その前に議事進行ですが、大久保参考人から、何か先ほどの椛澤参考人発言に関して是非只今ここに見えているかたがあるから聞いてもらいたい、こういう要望があつたのでありますが、これは当委員会としては聞いてあげたらいいのじやないか、但し時間の制限がありますから、成るべく細かい説明は……要領で盡してやつて頂きたい、こういうことは非常に突発のことで、或いは便宜措置とも思われますけれども、併し一方におきましては、先ほど瀧尾参考人の場合には、補助説明員が来ておるのでありますから、そういう意味で大久保参考人の補助説明員というふうに考えて、これはちよつと簡單にお許しを頂いたほうがいいのじやないかと思いますが、如何ですか。
  41. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 今の御提案に御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  42. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) それでは大久保参考人から出されました春日君の発言を許します。
  43. 春日敏

    参考人(春日敏君) 私は、前PTAの会長、その前は副会長をいたしておりました春日敏でございます。私が副会長又は会長をいたしておりましたときが、この建築の問題が勃発したときだつたのでございます。そのときに先ほど椛澤君が云々と言われましたが、実は数回私の家を訪問いたしまして、私が不在だつたのですが、三回目くらいと思いますが、そのときに椛澤君に丁度おつたものですから会いました。会いましたが、しよつぱなの話が性根をきめて返事をしろ、こういうような言葉遣いなんです。それでおかしいと思つてだんだん聞いているうちに、自分の所には二人や三人自分のために命を捨てる人間がおるのだ、それだけじやないのです、何だか私はすべてのことをはつきり覚えておりませんが、どつか何か事件があつて人殺しがあつた。鉄砲を以て人を殺した、それは自分の弟分だか子分だというような言辞を弄した。それで私どもの家内や子供は非常に心配しまして、翌日から学校へ行くのがいやだ、学校へ出すのをやめようというくらいだつたのです。それでその後又椛澤氏が示唆したかしないか知らないが、いろいろな人間が来ました。来て、玄関を開けて出ろと言う、それは大変な声なんです。そうし、て外へ出ろというが、私は出ません。出りや損ですから……、一つ殴られたつて損だ。入れと言つた、入れと言つても入らない、そうして帰つた。そういう事件が数回あつた。そのうちにここにおられる津田君が、御夫婦と何がしという弁護士を連れて私どもへ見えました。そうして、これは細君は二時間に亘つて泣いて、涙を流して椛澤氏に騙された、その結果がこれなんで、私どもがここにいることはできなくなつた、全財産をこれに投じて、而も店賃は毎月二万五千円ずつ椛澤氏に取られている、そういう状態でいるのですから、私どもは親子が縊れ死にするか何かしなければならないという状態なんですと言つて本当にさめざめと細君は泣いた。そういうような状態がございました。その後椛澤氏に三、四回会いましたが、その後は別に椛澤氏はそういう言葉はございませんでした。併し初回に会つたときなんぞの勢いというものは、殆んど私と刺し違いでもしなければならんような勢いで嚇かしつけたものでございます。それは椛澤氏は人間ですから立派な良心を持つておられる、それだから初めには私のところへ飮み食いさせれば何とかなるだろう……そのときに私はこう申しました。私は副会長であり会長である、それだけれども私の自由になるのじやないのだ、これは七百人、八百人の父兄がおる、私はただ選ばれてそのヘツドになつておるだけだ、それを思い違えてはいかんよ、あなたの言辞は、これはあなたの本心じやなかろう、丁度軍閥政府がやつたように、満洲を占拠しておいて現状を見ろ、現状を見ろといつて、よそを威圧しようとするその態度を真似て、椛澤君、あなたはそういうことを言うのだろうけれども、そういうことを言つちやいけない、お互いに近所に住んでいるのじやないか、こういつて別れた。その後文、変な男がやつて来まして、これはこういつて参りました。あなたは椛澤君をおつかないと思うかもわからないが、椛澤君よりは津田のほうがおつかないのだぞ、津田は初めから何もかも承知していて、椛澤以上の惡党だぞ、あなたは津田を弁護するようなことを、可哀想だといつておられるけれども、可哀想じやないんだというようなことをいつて、それは示談をして買取つてやつたらどうだ、こういうことを言つて帰りました。もとより僕は、君はどういう人か知らないけれども、君のお指図を受ける必要はないといつて、こういつて帰しました。それからPTAで、私はどうもこういうことでうるさくやつておるのはよくないから、どうだろう、あの家を買取つてやろうじやないか、これは買取つてやつたらどうだ、津田氏は三十万円を出したという話だが、それだからそれくらいの金で買つたらどうだ、あなたがたは五百人も六百人もの父兄が少しずつ出し合えばいいのだからどうだ、こういう話があつたが、どうだろうといいましたら、PTAの会合でそういうことを一々取上げておつたら……会長は気が弱くちやいかんぞというようなことで、それはお流れになつたような次第でございます。津田氏にしても、椛澤にしても、決してみずから善良なことをしておるとは思つていない、こういうことなんです。これは人間ですから当然のことと思います。それだけでよろしかろうと思います。
  44. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) 只今のに回答させて頂けましようか。
  45. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) ちよつと参考人かたがたに御注意申上げます。参考人のお互いの意見開陳及び質疑はできないことになつておりますから、御遠慮を願います。
  46. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) 一言だけですね。私が脅迫したということは、私はそういう考え一つもありませんが、それに対して私は回答をしたいと思うんです。いつ何日にそういうことがあつたか、それに対して私は質問をしたいのであります。
  47. 木村守江

    ○木村守江君 瀧尾さんが時間で帰らなければいけないそうでございますが、瀧尾さんの質問を続行したいと思いますが、よろしうございますか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  48. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) よろしうございます。
  49. 木村守江

    ○木村守江君 ちよつと簡單にお伺いしますが、建設局長として明るい町を作るというような御方針の下に、いろいろ都市計画を進めることは誠に結構だと思うんです。併しこの豊島小学校の問題ですね。こういう問題にぶつかりまして、実際学校の敷地を削つて、そうして学校教育支障を来たして、それでも明るい町の建設ができるとお考えですか。
  50. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) これは何と申しますか、できるだけ御協力申上げたいのでありますが、先ほど申しましたように、いわゆる区画整理は、その継承でありますれば、こういうものを換地のほうにそのまま継承して行かなければいけない。そうすると、それには今限られた範囲で、限られた面積において仕事を進めて行くわけでありまするから、その土地がほかに得られますればその御要求には応じ得るのでございますが、そういう点で甚だ苦慮しておるわけでございます。例えば江東区におきましてやはり学校の敷地問題がございましたが、この場合は学校で別に敷地をお買い求め願いまして、それの提供を受けて、学校のほうの要求されるだけの……やはり減歩をできるだけ少くして、そして学校の御要求の線に沿い得たということもございます。我々のほうとしましては何とか学校のほうと協調しまして、例えばこちらで以て得る土地の中の土地権利者の行く先をきめるわけでありますが、その場合に例えば住居関係のかたのものを学校の続きのところの土地へ持つて行く、成るたけ学校の環境を惡くしないようにして進めるだけの努力をして行きたい、まあこういう点でできるだけの御協力は申上げたいと存じまするが、今の坪数を殖やすのは限られた土地でございますから、そのいわゆる減歩だけの土地を別に得て頂きまして、そしてそれをやつて頂ければできることなんだと、まあできるだけの御協力はして参りたいと思いますが、要するに限られました面積の範囲でやつていることでございますから、なかなかそこに困難がございます。
  51. 木村守江

    ○木村守江君 それからなおお尋ねしますが、そうするとあれですか、瀧尾さんの考え方は要するに学校の敷地の中に区画整理として道路を作る、どうしても道路を作らなければいけないというようなことではなく、学校として、都市計画区画整理に対して減歩をするために土地を提供するのだということですね。
  52. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) そうでございます。学校だけではございません。全部に、要するに道路ですとか、そういう公共の用地を得る方途としましては、区画整理としましては従来の土地から割出して頂いて、そして立派な町をこしらえるという方法よりほかに方途がございませんわけであります。
  53. 木村守江

    ○木村守江君 そうすると、これは非常に我々瀧尾さんのおつしやることに賛成できないことがあるのです。それはどういうわけだというと、御承知のように豊島小学校は、豊島師範附属時代からですが、これは一万六千坪ですか四千坪かの大きな敷地なんです。そういう敷地をこれは今までも幾回となく割讓したような状態にあるのです。こういう点から言うと、これはもう減歩どころではないのですよ、大半が都のために提供したというのが実際の状態だと思うのです。そうして而も、今も教育に必要な最低線をも確保できない六千三百坪になつてしまつたというところに、これは若しも本当に道路をどうしてもここに作らなければいけないのだというような場合でしたら、これはやつぱり学校としても一応考えなければならないところだと思うのですが、減歩のために学校土地を取らなければいけないというような考え方は、あなたが言われるような明るい町を作つて行けるかどうかということになると思うのです。これこそ本当に弱い、抵抗のないもの、そういうものに対しては幾らでも負担をかけるというような状態と私は同じだと思うのですがね。そういう点で或いは瀧尾さんは地図の上で見て、機械的に話しておるのかも知れませんが、私はやつぱり明るい町を作るのだというような区画整理建設局の大きな見地から立つたら、これは実態がどうなつているか、どうなつてつて明るい町が作られるかということを考えなければいけないと思うのですが、その点について御意見を拜聽します。
  54. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) 今一万四千坪ですね、それは文部省用地であるのを学校のほうで提供なすつたという意味のことをおつしやいましたけれども、これはそうじやございませんのです。それでその数字はこちらから文部省に対しまして一体区画整理前の所有権の区分はどうなるのかということを御照会申上げましたのに対して、学校区分は六千二百坪、今数字は覚えていませんが、区画整理前の所有状況はこういう土地の所有状況である。それをもとにして区画整理を施行してもらつてよろしいのだという御回答を頂いておるのでございまして、一万四千坪を学校から都が受けて、そうして而も、学校を五千坪見当に追い詰めてしまつたということではないのでございます。
  55. 木村守江

    ○木村守江君 それは公式の点からいえばそういうことになるかも知れませんが、先ほど来学校関係者の、殊に大野先生からのお話を聞きますと、これはやはり学校の敷地であつたものを戰災者に、これはあの終戰後のあの状態においてはどうしたも止むを得ず讓歩せざるを得なかつたという話をしております。私は法的にはあなたの言うことが或いは本当であるかも知れません。知れませんが、実際問題としては学校の敷地を割讓したというのが実際だろうと思う。そういう点から考えてこれは一万四千坪のやつを六千三百坪まで縮められて、そうして又それから減歩のために千二百坪割讓しろということは、これはどう考えても抵抗の弱い者はどこまでも押しのめされるというような恰好になると思うのです。
  56. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) 今のお話でございますが、実は文部省用地でありました時分に、いろいろの何はございましようが、要するに一万四千坪のうち七千八百坪ですか、約八千坪に近いものが一応二年後に契約を解除された通知はお出しになりましたが、我々の区画整理をやる立場になりますと、そのものが現地に、地上に存在しているわけです。そうして、そういうものが存在した状態で、この区画整理をやることは、その権利関係がはつきりしないで非常に困るので、その点の処置は解消して頂いて、都のほうにお返し願う交渉を再三いたしましたのですが、文部省としてはどうしてもできないから、その土地を、こういうものが上に載つたままで何とか都のほうで処置して、区画整理として処置してもらいたいということ、それについては学校のほうも、最後は学校とそれから空地を入れた四千二百坪ですか、そういう程度でいいからという話がもとで、それでその時分再三地上権関係がきれいになつた上で頂くようにお願いしましたが、非常にむずかしいものですから、それではそういう意味ならば何とか都のほうで考えて、その範囲を学校に残せるように、あとの問題を解決して行つたらどうだという肚になつて進んで来たわけなんです。そうして途中におきまして、今度はだんだん生徒数も殖えた。そうして六千二百坪が要るのだ、それだから六千二百坪欲しい、こういうようなお話があつたのですが、もうそうなりましても限られた土地で上に物が附いた状態なものですから、それの処置なしに、それをお引受することに都としてはできないので、それはお断わりした、こういう事情なんであります。
  57. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) お諮りいたします。NHKから参考人の録音をとらして頂きたいという申出がありましたが、許可することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  58. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 御異議ないと認めます。
  59. 木村守江

    ○木村守江君 どうも今の瀧尾さんの御答弁だから私は言うのですが、元来学校の敷地であつたものが、今は建物が建つて、そこのところはいわゆる区画整理をするのに非常に都合が惡い。従つて学校のような一見不用地のような、建物のないような土地区画整理の対象にして、それを減歩に出せというような恰好である。どうしても弱い者に圧力を加えているような恰好ではないか。
  60. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) そうじやないのでありまして、減歩はほかのあの地区の全体には三割三分すでにかかつているのでございます。そうして、その滅多をかけました理由は、邪魔物とか何とかいうのじやございませんで、それだけの十地区の地域の中から必要な土地を得るために、道路敷の関係がそれだけ要りますので、ほかに対しましては三割三分の減歩がかかつておりますが、ほかに負担してもらつて学校は最小限度一割八分七厘でしたか、二割以下の減歩でとめている。それで学校からお返し願つた土地は五割見当を減歩として提供している。それはどういう目的であるかというと、地上権の……土地所有者ですね、土地所有者に換地を與えたくても道路や何かの必要な面積を割り出すためでありまして、これはひとり学校に減歩を強要していることは毛頭ございません。学校はむしろ一番初め四千二百坪とおつしやつて、後に六千二百坪ということをおつしやいましたが、いろいろ地区のほうとも相談しまして一割八分七厘ですか、その程度にとどめて五千坪以上にはなつているというように、相当努力はいたしているつもりであります。それは今のもやもやがあるために、それに土地をやるというためでなしに、その区域の土地所有者に換地を與えて、今まで持つておりました百坪の土地が普通の人は七十坪以下になつてつて行くわけでございますが、学校に対しましては学校区画整理前の坪数は六千二百坪ですから、それに対してお返しするものは非常に減らす率を減らしまして、やつたということであります。
  61. 木村守江

    ○木村守江君 もう一ぺん聞きますが、私の聞いていることは前に一万四千坪であつた。それが六千三百坪残す。今までのやつは全部都にやつてしまつたあとに都市計画ができて、そうして新らしい都市計画として現在の六千三百坪から減歩として千二百坪を提供しなければならないのだ、こういう御意見なんですね。そこに私は非常な違いがあると思う。やはり取るものを取つてしまつて、もうちつぽけにしてしまつて、その上に減歩を要求する。これは、あなたは都の建設局長でありますから、学校の敷地というものは幾らなければならないのだということは御存じだと思うのです。これは決して都の計画学校のほうに関係がない、それは教育委員会がやるのだということは言えないと思うのです。そういうことから、或いは学校のほうが四千二百坪でいいと言つたと言いましたが、そういうときにはあなたのほうで、学校には現に九百人に近い生徒がいる。その当時八百人であつたかも知れませんが、それで四千二百坪ではどうするのだ。これは文部省の最低基準が少くとも六千坪乃至七千坪はなければならないということになつているじやないかというように、学校当局が間違つたら、あなたがそれを是正せしめて、そうして六千三百坪を確保せしめて行くのが、私は本当の明るい立派な都を作つて行く方法だと思う。学校がちよつと間違つて、これは考え違いをして四千二百坪でいいと言つたというようなことをとつて、それが間違つているのに、あなたがそれに忠告もしないで、そのまま受取つて四千二百坪でいいと言つたから、五千五百坪でもいいじやないかということは、これはあなたとしては、とるまじき態度でなかつたかと、私は思うのですが、その点如何ですか。
  62. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) その問題は非常に前のことでございまして、私直接その当時の関係者ではございませんが、あすこ区画整理の範囲がもつと広い範囲でありまして、そういう公用の土地が得られる状態がありまするならば、それはもう学校は七千坪くらいの面積は理想でありましよう。併し現在のこの区画整理の範囲がああいうふうに限られておつて、片つ方必要な道路面積では、どうしてもそういうような減歩で、土地の減少をお願いしなくちやできないというような状態の下においてやむなくとつた処置だと思います。
  63. 木村守江

    ○木村守江君 私は、都の建設局長は前のことで関知しなかつたというのですが、これは現在我々が知つておるところでは、東京中心学校を作ろうという場合は、これは最低基準を割る、これは本当に先ほど松田さんが言われたように、狭い土地に限らなければいけないのが実際状態だと思う。併しこれは現在ある土地までそれをほかのものに提供しておる。学校施設を、いわゆる敷地を減少させて教育支障のあるような恰好に持つて行くということは、私は決して明るい都を作る趣旨に副わないと思う。これは実際問題としてこれから作るのには、本当にもつともつと狹い所で我慢しなければいけないかも知れませんが、併し現在まで、殊に大きくあつたものをそれを現在作るのに、うんと狭い所で我慢するならばできるだろうというような考え方は、少くとも都の将来を考える、而も教育が都の将来に対してどういうような大きな役割を演ずるかということを考えるときに、私はこれは、とるまじき態度であると思う。そういう点から言つてこれは何ですよ、学校では最大の讓歩すべき線まで行つて六千三百坪ということを主張しておると思う。それでこの六千三百坪を、千二百坪削減しなければ都の都市計画にどういうような大きな支障を来たすか、先ほど松田さんが二十三万坪の所有者に対して非常に迷惑をかけたと言つておつたが、そして或いは区役所か何かの問題を例にとりましたが、そういう問題とこの問題とは、非常に違うと私は思う。そうして若しも本当に学校の環境、学校教育というものを、都を明朗化する都市計画というものの中に織込んで行くのであつたならば、あんな曲つた校庭でなくて、もつと前に空地のあつた、あの税務署の建つた点まで真つ直ぐ四角の校庭をとつてやるべきであつたと私は思う。それをあの線にがきがき曲げちやつて、そして最低のそれにも及ばないような敷地にしてしまつて、その上になお、減歩だから止むを得ないのだというようなことでは、我々教育関係する者は、どうしてもその都のやり方に対して賛成することができないという結論を申上げるよりほかないのです。それで私はもう一応瀧尾さんにお伺いしますが、一体この問題は千二百坪どうしても学校から取上げなければいけないという状態でありますか。それとも又、これに対してはなお再考するお考えがありますかどうか。ちよつとお伺いいたします。
  64. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) この問題は非常に重要な問題でございますので、上司の御意見も伺わなくてはいけませんので、はつきりどうにもならないということを申上げられませんし、できるということも申上げにくいのでありますが、私の現在の考えといたしましては、現在のこのきめてあります以上に、あれするのはむずかしい状態ではないだろうかというふうに考えております。
  65. 木村守江

    ○木村守江君 それは瀧尾さんとしては、局長としてこれは独断することもできないでしよう。上司の考えも聞かなくちやいけないでしよう。それから、あなたがたが今までやつて来た経過を聞きましても、あなたがたが今ここでこれを破るということもでき得ない、そういうことも言い得ないということはよくわかります。併しながら、これは少しあすこ土地に行つて見てもらつて、そうしてどういうふうな影響を将来に来たすか、あなたのいわゆる明るい都を造るということに、どういうような逆な効果を来たされるかということをお考えなされましたら、なお我々の意見も参考にされまして、まあ上司とも相談なされて、これからよりよい方策をとつてもらうようにお願いいたしまして、私はこれを以て終ります。
  66. 岩間正男

    ○岩間正男君 満尾さんにお伺いいたしますが、これは先ほどの松田さんの御発言とも関連して大体東京都というものは教育……今度の都市計画と関連して校庭をどういうふうに確保しようと基本的に考えておられるか。これは我々非常に重要なことだと思う。基本的の意見を聞くと、何ら基本的な方針というものはないとしか我々には考えられない。この点はどういうふうに考えておられるか、先ずこの点をお伺いしたい。これは基本方針について話して……。
  67. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) 申訳ございませんが、どうも所管が違いますので、私から学校の方針がどうなつておるかということはちよつと御答弁いたしかねます。
  68. 岩間正男

    ○岩間正男君 私は学校の方針として聞いているのじやない。都市計画として聞いているのですが、或いは都市計画にはあなたは全然御関係がないのですか、建設局長が都市計画には関係がないということはとんでもない話だ……。
  69. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) 関係しております。
  70. 岩間正男

    ○岩間正男君 都市計画の中で文教政策というものは一つの大きな重要なウエイトを占めておる。その点を明らかにしないで、どういうような都市計画を立てるのですか。全部日本を、東京都を特飲街にするわけじやないでしよう、そうじやないでしよう……これをお伺いします。それからもう一点お伺いしますが、あの現場を見られましたたか、瀧尾さんは御覧になつていますか、現場を。
  71. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) よく存じております。
  72. 岩間正男

    ○岩間正男君 御覧になつたですか。
  73. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) 存じております。それから今の都市計画の上から学校をどういうふうに考えておりますかという点、所管の課長から申上げておきたいと思います。
  74. 岩間正男

    ○岩間正男君 課長さんは残つておられますか。
  75. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 残つています。
  76. 岩間正男

    ○岩間正男君 残つておられるなら、あとから聞いてもいいのです。ただ局長さんがいられる間に、私以外に発言者があるのですから、取りあえずお伺いするのですが、お考えになつてはおられないのですね、こういう点は明らかだと思います……。
  77. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) いや……。
  78. 岩間正男

    ○岩間正男君 その次、行つて御覧になつてどういう感じを持たれておりますか。あそこへ我々も行つて見たんです。そうしてあそこの屋上から見ますと、目の前に僅か二、三十メートルのところに実は今裸の踊、ストリツプの建物が建つておるのです。あれが現状において、今のずつとあそこの千二百坪まで広がつて来ると、ああいうところまでその手がずつと延びるんじやないかということは、これは單に私の杞憂じやなくて、今の東京の盛り場を見ますと、全部そういう形に変つておる。これについてはなお松田さんにもお伺いしたいのですが、どこにそうじやないという保証がありますか、これはあとでお伺いいたしましよう。こういう点でどういうふうにあなたは御覧になつて、そういう点の教育環境としてこれはどういうふうにおつかみになつたか、この点も都市計画というものに重要な執行機関としてあなたが関知されるとすれば、こういう点について見解をお持ちになつて頂かないと、甚だ東京都民は、親としては安心できない、そういう点をお伺いしたい、どういう見解を持つておられますか。現状は十分御承知の通りのことでありますから、それを見たあとにおいてどういう感じを抱かれたか、この点を念のためにお伺いいたします。
  79. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) 学校の周辺にああいうものがあるということは望ましいとは存じません。少くとも現在よりも、区画整理をやりましたあとはああいう状況が救われるのじやないか、即ち広い通りもできますし、街の体裁も整つて参ると考えております。
  80. 岩間正男

    ○岩間正男君 そういう保証についてお伺いしたい。あそこを換地にして、そうしてこつちの何しておるあれを移すというのですが、今度の換地の千二百坪の、今のそういう飮食店をやつているのを移すという現実の問題になつているときに、そうすれば現状より明るくなるというはつきりした見通しが伺いたい、どういう保証がありますか。
  81. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) あそこの千二百坪の場所に、どういうものを移すかということは、まだはつきりきまつておりません。
  82. 岩間正男

    ○岩間正男君 そこが困る……。
  83. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) それですが、我々のほうはさつき申上げたように学校に隣接している土地であるから、成るたけ現在あの区域に住居がありますから、そういうものを移して行きたい、こういうような意味のことを先ほど申上げたつもりであります。
  84. 岩間正男

    ○岩間正男君 どうもその保証が実際は頂きたいのでありますが、ないようにしかこれは聞けない。成るたけそういうふうにするといつても、現実にああいう二十メートル先にストリツプ・シヨーができておるものに対して、これは御感想を伺えないのは残念でありますが、一つ民族的なこういう点に対して私は胸にピンと来ないような形であつたならば、これは非常に先に行つても我々としてそういう計画はどうも安心できない。それからもう一つお伺いしたいのは、これは二万坪近くの校庭があつたのでありますが、その前に八千坪足らず取られてしまつた。六〇%余り減歩をすでにやつてしまつた、こう考えていいのですか、どうですか。
  85. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) これは区画整理前のあの一万四千坪の敷地の区分はどうなつておるかということの文部省に対する間合せの書類が出ておりまして、それに対して御検討頂いております。それにはさつき申上げましたように六千二百四十七坪が学校の敷地であつて大蔵省の敷地が九百六十四坪、こういうふうに中の区分ができて、そうして都のほうに返つて来ておる、ですから……。
  86. 岩間正男

    ○岩間正男君 そこに一つ私は今の考え方とは、……いろいろ今までの計画はこまごまやつて行きますとそうなるかと思うのであります。いろいろこれは言い分があると思います。併し大体教育というものは特別考えると、これはここに出ておられる参考人は、教育を尊重するという点では皆同じように考えておられる、だからいろいろな説明とか、そういう法的な考えで何を押して行けばそうでしようが、校庭としてああいう広い土地があつて、すでに六〇%先に取られておる、そういうような実情を考慮して、教育というものを頭のどこかに、計画の中にあるとすれば、こういうものについてやはり私は十分に考えるということが非常に重要じやないか、殊に文部省基準よりも遥かに割つておるのです。そいつを更に取るのです。全然最初から豊島が六千三百坪であつたならば、それは新たに問題が起つて来るかも知れませんが、すでに六千坪も出している、こういう実情が出ている。それに対して、これを飽くまで同じような率で押し詰めて行つている。こういう形です。これは尤もあなたのお答えできないところでしよう。これは安井都知事がやはり政治的にお述べになるだろう、そして都民は判断するであろうと思いますけれども、私はそういう点で、これは十分安井都知事にも伝えてもらいたい。そして木村君からも要望がありましたけれども、こういう問題については、これは日本の国民は、これはなかなかそんなにやすやすと收まらないと思います。この点を私は切望したい。
  87. 高良とみ

    高良とみ君 瀧尾さんのおられる間に伺いたいのです。三点……。第一点は先ほど御説明があつた整地計画が、一旦杭打を中止したあとに大蔵、文部、都で会合したときに、われわれ都の当局者は列席しただけであつて、その協定には参加しておらないというお口振りがありましたが、果してそういう責任はとつておられないのでありますか。同じこちらのほかのほうを見ますと、確かに協議の上、それまでは全然学校その他に連絡なく都で以て遂行したものを、今度は大蔵省、文部、都の立会の上で協議して、あとは大蔵、文部で使うというような協定ができていると思いますが、先ほどのお口振りですと、それには列席しただけであつて、この決定には参画しておらないというようなお口振りがありましたが、そういうふうに列席しておつて発言して、或いは了承した、決定を見ながら、而も責任はとらないお覚悟でありますか、こういうことを伺いたい。  第二点は、昭和二十三年九月十七日に、單に都が都市計画をいたしますときに、学校の裏側、十間幅の七百坪の市街地を作るという計画を遂行なすつた。それを決定なさつて、これは学校側文部省側には相談なく、相当な程度まで考えておられるというふうに我我は了承するのでありますが、それはこの図面を見てわかりますけれども、話を聞けばこういう広い道路を作つて、両側に市街地を作らなければ、商店を作らなければ、繁昌しないということで、そういう決定に都の設計が行つたときには、どういうふうに考えておられたのか、まさか、こういう学校は、全部弱い立場におられるのだから、全部どこまでも動くと考えられたのではないと思います。或いはそういうふうな先入主を持つておられたか、先ほど木村委員の言われた通り、黙つておれば、そこへ商店街も作るし、前からも後からも、幾らでも取つて来るという計画が都におありになるならば、これはあなたのほうの道路改正の計画は、何らそこに持主に対する考慮と言いますか、むしろ特に教育に対する考慮がないと思われますが、その点……。  それからもう一つ昭和二十三年の十月五日に文部省と大蔵省が、この土地を適当に、九千二百七十七坪を換地計画の後に区画整理に際しても、それだけは大蔵省と文部省が確保して使う、その中に、文部省は今学校用地として只今確保している分を使うという決定をいたしましたのに対し、現在残つているほうの土地の上にある上物は、文部省において実施するように通知して来たということが書いてありますが、文部省がすでに提供して、建てたところの商店街のストリツプ・シヨウ、その他の商店の上物をのけることを、あなたのほうはそういう要求をなされたのでありますか、その点を伺いたい。
  88. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) 第一の点でございますが、これは要するに区画整理を施行して行きまする上に、先ほど申しましたように、大蔵省の用地はこれだ、それから学校用地はこれだ、こういうようにきめたものに都市計画の線を入れると、その範囲はどこが範囲になるかということの立会をして、その立会は反町君が関係しているのでありまして、これはこつちが立会つただけで云々ということは、この席で私は申上げていないと思いますが、とにかく立会つて区画整理を、つまり文部省用地である六千二百坪のところに持つて行つた場合に、道路を入れた図面はどういうふうになるかという意味で、この図ができているわけでありまして、これにはつまり区画整理の区域がきまつておりまして、一人の人の面積が、例えば今まで百坪あつたものが七十坪になる。そうしますと、七十坪をあなたのところはこうでありますというようにしますと、仮にそれをどういうふうに配置するかということは、その土地所有者のほうでなさる仕事なんであります。それですから、今のように広い面積であれしました場合は、どうしてもそういう上物を全部処理して頂かなければならないという結果が出て来るわけであります。それで元来この土地は、学校の用途がなくなつたならば、学校用途でない分は都に返して頂く性質のものでありますから、それを返して頂くについては、上物があつては困る、だから上物はない状態でお返し願いたいということを再三お願いしておつたのですが、それが実現されないで、今日こつちで何とか処理してもらいたいという話から、こつちで処理するように進んで来ている次第なんであります。ですから学校の敷地の関係が今より殖えますというと、結局こつちがお返し願う土地を新地でお返し願わないと、そういう措置に非常に困難を来たすというのが実情であります。
  89. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 参考人のかたにちよつと御注意申上げますが、御発言なさるときは、委員長発言を求められて、その指示を待つて発言願いたい。
  90. 高良とみ

    高良とみ君 三点をはつきり挙げたのでありますが、お答え願つておらないのであります。今の十間幅の道路のこともお答えになつておらない。併し建設局長がそういうお考えでありますならば、ほかのほうから研究をいたします。併しもう一点伺いたいのは、地上権という問題があるために、そういうふうに新地を返せばいいという考えがあると思いますが、こういうふうに戰災後建て込めたところに対して、建設局としてはもう少し大所高所から見て、ああいう小さな掘立小屋を建てるよりも、更にもつと積極的な四階なり五階なりの建物を造つて、そういうところにこういう罹災者を收容することを考えられるのが、建設局任務と思いますが、その点についてのお考えはどうでありますか。ああいうものを戰災後あそこにたくさん込めておいたということは、建設局が余りに土地、土の上にだけ建てる、平屋を建てる計画だから、そうなつたのじやないかということを憂えるものであります。  もう一つ別に伺いますが、それは今拜見いたしますると、ここに大きなデパートのある前に大きな車寄せを造つたようでありますが、もう少し思い切つてこれを東に持つて来て、学校のある地区を避けてそうして建てても、都市計画はできるものでありますのに、あえてこの学校を邪魔にして、ここにこういう大きな道路を造るというところに、我々は了承し得ないものがある。都市計画としてそういう面について、そういう土地を要求しておることに対して、二階、三階、四階というものに対する居住権を與える考えを立てられたことがあるかないか、伺いたい。
  91. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) この土地を貸しましたのは、都が貸したのではないのでございまして、文部省がまだ東京都へ返還される前にお貸しになつたのでありまして、建設局としては何にもこれは関知しておりません。それで学校用地がなくなつ状態になつたのだから、そういうトラブルのない状態のものをお返し願いたいということを申出たということを申上げたわけであります。それから都市計画の観点からでございまするが、駅の位置がああいうふうにきまりまして、あそこに広場を置いてああいう計画をすることが妥当だと思いまして、これは都市計画審議会の審議の上、大臣の許可を頂いて実施に入つた問題でありまして、これは都だけが勝手にああいうふうな線をきめたというものではございません。それから只今の二階、三階に住まわせるという点は勿論結構なのでございまして、一階以上建ててはいけないということは、何もこれは私の所管ではございませんが、指示しておらないと存じます。
  92. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 先ほどから局長さんの御説明を聞いておりますと、六千三百坪の校地がここに新たに都市計画によつて道路を付けるから、それによつてどうしても学校のほうでも若干の土地を提供してもらわなければうまく都市計画が行かない。まあこういうお話であるわけです。私もそれを聞いておつて、その限りにおいては御尤もなことであると思います。で、やはり道路をつけるということになれば、その周囲から土地を提供する、どうしてもそういうことがなければできないことですから、その点については私もよくわかるのですが、併し一方学校の立場に立つて、或いは父兄の立場に立つて考えた場合にですね、若干都の考えておられる点に食い違いがあるのじやないか。それは学校側の立場に立つて考えると、学校は六千三百坪ではなかつた、もともと一万四千坪あつたのだ、それがだんだん削られて行つて、六千三百坪も又創られようとしている、こういうところに学校側の不満があると思うのです。これは私は又当然なことであると思うのです。で、まあ書類によりますと、一万四千坪あつた。そのうち八千坪は昭和二十二年にこれが大蔵省の移管になつているわけです。で、どこに移管になろうと、学校としては八千坪を提供したということになつているわけなんです。で、都のほうではそのことを考えないで、六千三百坪の中から更に出すのが当り前だ、こういうふうになつて来ると、私は学校側と非常に意見が違つて来る因がここにあるのじやないかと思うのです。そこでやはりこの問題も学校側としても一万四千坪が六千三百坪に減らされる、更にこれが千二百坪減らさなければならないということになると、これはまあ教育に重要な、大きな障碍が起つて来るわけなんです。どうしてもそこまで減らすことができない、こういう主張なんですから、私この主張は尤もであると思うのです。そこで、これをどう解決して行くかという問題を私はもつと考えるべきであると思うのです。で、私はまあ十分事情は知りませんけれども学校側の主張も生かし、そうしてここに円満に解決する途はないか、こういう点について木村委員のほうからも若干質問がありましたが、そこで私は一つお尋ねをしたいのですが、都市計画の内容をこれはまあ決定されているものでありまするけれども、内容を多少考える余地がないかどうか、こういう問題ですね。そういう点から六千三百坪を確保して、都市計画にも大きな障碍もなしに、実施できる方途はないか、こういう点を先ずお尋ねしておきたいと思います。
  93. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) 区画整理の告示が出まして、ここまでやらして来ておりますのに、これから又道路の計画を変えますとか何とかということは実行上恐らくできないのじやないか。まだ決定する当時でございますね、区画整理の発表をしておりません前ならば、或いはどうか存じませんが、現在としてはこれから計画のやり直しということは非常にむずかしいのじやないかというふうに存じます。それからこの方法としましては、最初たまたま六千二百坪見当が……学校であとで取られたというふうにおつしやいますが、要するに最初にそれだけきりないという状況であつたということをお考え願いたいのでありまして、若し学校用地として例えば八千坪なら八千坪を取上げて、そうしてそれを減歩にかけて六千二百坪にする、これは可能なんでございます。ですからそのためには結局その建つ前のときにありましたところの上の物の処理は、学校側でして頂くよりほかに方途はないという結果になります。
  94. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 まあ都のほうは学校の敷地はもともと六千三百坪しかなかつたのだ、こう主張されるわけですね。で、都のほうでそういうようにお考えになるのは無理もないと思うのですが、学校側のほうからすれば一万四千坪あつたのですから、昭和二十一年に現にあつた、二年にもあつたわけです。それを今度は五千坪に減らす、こういうのですから、これはやはり学校側としても承服できない点だと私は思うのです。そこでそれを何とか解決する方途がないか、こういう問題です。まあ解決する方途が全然ないのだと言つてしまえば……、これは我々としてもこうして会合を開いておるのは、どうかして解決したい、そうしてまあ学校の最小限の要望である六千坪を確立して、何とか解決をするように持つて行きたい、こういう私は心持でおるわけなんです。ですから、今後ともこの問題は都においても私は検討してもらいたいと思います。都市計画の内容を変えるということは、これは困難であろうと思うのです。併しその一部分を考え直すということはあり得ることだと思う。で、僅かに千二百坪の問題ですから、そういう点はよく都のほうにおきましても、今後私は検討してもらうように、これは要望しておきたいと思います。  それからもう一つ第二の問題は、この八千坪という土地の問題です。これはやはりこういう問題を困難にして来たのは、八千坪の土地の上にいろいろの建物が建つている、こういうことです。都のほうとしてはこれをどこかへ收容しなければならないというふうな問題があるわけなんですが、これはやはり八千坪の上に建つておられる人々にも私は同情はしますけれども、いろいろ経過を聞いて見ると、それが一年契約、或いは更に一年延長して契約されて、その契約は無効になつているわけなんです。だから、その人たちが普通よりも大きな負担をするということは、私は当然なことだと思うのです。そういうまあ負担においてやはり解決して行かなければ、この上に住んでおられる人たちの、勿論私は生活も守つて行かなければならんと思いますけれども、その住まわれるようになつた経過を見ると、これは正当な手続によつて行われていると必ずしも言えない点があると私は思うのです。そういう点から、都のほうでもこの人たちに対する十分な了解を與えるように努力して、そういう点からやはり解決して行く方途が一つあると思うのですがね。こういう点についてはどうでしようか。これはまあ文部省土地を貸したのだから都のほうは知らない、こう言わないで、文部省と都が協力してそういう点を解決して行く、こういう方途がないかどうか、そういう点を伺つておきたいと思います。
  95. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) この点は要するに、我々のほうでは文部省と今いろいろ折衝しまして、何とか貸した文部省で解決がむづかしいので、区画整理の上でうまい処理が願えんものだろうかという御相談を受けて、こつちも可能な範囲は、例えば地上権は法的に成立していない、こういうような形になつておる地上権を認めるというような方針をとつておらないのでありまして、結局今の地上権を解消してもらつて、都の所有地を、その一部をどうしても出さない部分を売るというような形ででも解決するよりほか解決の方途はないだろうというようないろいろ苦慮しておるわけであります。それで私どもといたしましては、一番何と申しますか、返して頂く場合にはそういうものがついておるのでは困るから、それをきれいにした上で返して下さいと言つて突張つておるだけではないので、それではこういうような学校用地がこの程度で辛抱できるというようなお話があつたから、それではこういうふうにして私どものほうでは区画整理の上で、それを処理して行く方途を考えて行こうじやないかということで処理して来ておるので、文部省のほうで、あなたのほうで貸したのだから私のほうでは知らんということで突張り続けて来ておるのではありませんから、その点は御了承願います。
  96. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 今までの経過は先ほどの説明でわかつておるのですが、問題はどう解決するかという点にあるのですが、私もこの学校側の主張しておる六千三百坪というものは、これはどうしても確保しなければならないのだと思う。そういう上に立つて今後努力すべき目標をどこに見つけて行くか、こういう点を私はあなたの御意見を聞いておるわけです。そういう立場に立つて考えた場合、八千坪の土地に住んでおられるかたがたこれは私は正当な手続を踏んだようには先ほどの説明から聞いて思わないのです。これは今も局長さんもお認めになつていないのですね。地上権というものは法的に言つて正当なものでない、認めていない、こういうことなんですから、やはりこの人たちのほうをどうするか。これは私は現実を全く無視しろという意見ではないのですよ。言つていないのですけれども、この人たちがやはりこの区画整理に当つては犠牲と言いますか、何と言いますか、そういう点をやはり言うてもらわなければならない立場の人だと思う。そういう点を政府ともよく話合いをして、そうして学校は一万四千坪もあつたのが、だんだん減つて来たのだから、最小限の六千三百坪ぐらいは確保すると、こういう方向に努力してもらいたい、こういうことなんです。こういうことが全然見込みがないとおつしやるのか、その点を伺いたいと思います。
  97. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) 先ほど私の申上げましたのはちよつと誤解されておると思いますので、訂正さして頂きます。あすこにいる人たちが皆地上権がないという意味では私は申上げたわけではないので、地上権がないかたもあるというので、あすこにいる人が地上権がないというような意味のことを申上げたのではないので、これは訂正さして頂きたいと思います。それでその方途につきましては、いろいろ今までも研究しまして、なかなか解決方法がなくて困つておるのでありますが、今後共一応なお研究はして見ますが、果してうまい方法が見つかるものですか、どうですか、非常に苦慮するところがあると思います。
  98. 高田なほ子

    高田なほ子君 大変時間も急ぎますので、簡單ですが、一点だけ伺います。問題は東京都の都市計画に当つて、非常に重要な役割を占める学校施設の確保に対する基本的な方針を持つておられないというところに問題がある。申上げるまでもなく、学校教育法によつてちやんと教育施設基準はきまつておる。而も占領下にあつて学校教育施設に対するいろいろな侵害を防止するための法的措置すらも講じられておるのにかかわらず、今度の東京都の都市計画に当つて、こういう学校教育施設に関する法律の精神を一体どういうふうに活かそうとするかという基本的な考えを全然持つていないはずはないと私は思う。一体学校教育法の設置基準に関するこれらの問題をどういうふうに活かして行くか、こういう基本的な点を簡單でいいから聞かして頂きたい。全く知らん存ぜんであればそれでも結構であります。
  99. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) よく研究しておきます。
  100. 高田なほ子

    高田なほ子君 研究する以上は、これは法的の精神を飽くまでも都市計画の運営の面においてこれを活かす、こういうことは是非確約してもらいたいと思います。  それからもう一点でありますが、先ほど換地々々というような言葉で、何か学校土地を提供しないで、不当に権利を主張しておるような言い分をしておられるように考えられる。そういう印象を非常に強く受けるのです。これはこの八千坪の土地を一年契約で以てあそこに建物を立てたのですね。それをそのままずるずるべつたりにして、結局これはかまわないでおいたと思う。そこに私は問題があると思う。若し学校土地を提供しなければならないというような、換地を要求するくらいなら、なぜ一年契約という、その一年契約を実行させるようにこれを運ばなかつたか、そういう点に大きな私はミスがあると思う。ここらに矛盾はないでしようか。
  101. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) それは要するに、学校学校の敷地として持つておられる時分に始まつたことでありまして、東京都としては区画整理をやる上にそれが非常に重要なことになるから契約を更新して頂けないかという御通知も文部省に差上げました。又いろいろな事情があつて、第二年目まで延長された点はございます。それから又、その上で又新たに貸付けられた分もあるようなんでございまして、ですから今のお言葉は、我々のほうに返して頂くときに、そういうもやもやのない状態学校の提供した土地なんですから、元の状態にして返して頂くのが本来の私のほうの実際の姿なのであります。又それにそういうようなのがあるので、こちらも文部省協力していろいろ解決策に苦慮しておるのでありまして、現に私のほうでは書類でそういう地上権の無効の訴訟を提起して頂きたいということの申入れもいたしましたが、二ヵ年で契約は破棄したという通知をお出し願つただけで、訴訟までには行つて頂いてないのでございます。
  102. 高田なほ子

    高田なほ子君 上島さんからの御発言によれば、地元の者が命を賭けているようなお話なんです。みんな暴力がおつかなくてどうにも手を拱いている。又拱かざるを得ない状態にある。こういう非民主的な中で杓子定規で以て都の建設計画が進められているなんということは甚だ以て私はけしからんと思う。私はこういう非民主的な暴力というものは、今度の都市計画の中では徹底的に排除してもらいたい。尤もあなたの主張する明るい町を建設して行かなければならないと思うが、こういうような暴力的な運動或いは行為が、この都市計画の途上に進められているということに対して、建設局長はこれを排除する具体的な一体お考えを持つていられるかどうか。それはちよつと途が外れるかも知れないけれども、非常に重大関連がありますからね。
  103. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) 少くとも区画整理の実行上には暴力の介入は許しておりません。そのために強制取壊しまでやつておりますので、区画整理を始めましてから暴力のために区画整理を曲げたという事実は現在までありません。
  104. 河崎ナツ

    ○河崎ナツ君 瀧尾さんにばかり申上げるようで、恐縮なんでございますが、この問題の中心は随分局長さんがどう取扱うかということにかかつていると思うのです。伺つておりますと、大変ちやんと法規にかなつたように扱つていらつしやるようにも聞こえる。話は局長さんとしては通つていらつしやるのだろうと思うのです。殊にあなたがお受取りになつたときには、学校は六千二百坪で、それからの区画の問題でございますから、あなたとしては筋はそうなんでしようけれども、そこの取扱が、とにかく十年も二十年も前に土地を買つたがだんだん少くなつて、そこへ来たのじやなくて、本当に前の校長さんが非常な好意で、非常な純情で、みんなのためにとにかくと言つてひと先ずそういうふうにお住まわせになつた。そういうふうになつたことが結局今のような形になつて、それがあなたのところに来るまでには大蔵省の土地になつておつたとか、どうとかの土地になつておつたとか、関知しないことでありますけれども、あなたのところに来る寸前までは一万何千坪というあの土地との関係は非常に近い関係にあるのですから、やはりあなたが取扱うのに、お役人ですから、法律通りにやつて行つたら責任が済むのだというような、お役人としてはそうであるかも知れませんけれども、事柄がみんなの生活に関係する、殊に子供の生活に関係する、学校というものは儲け仕事ではなく、公の建物ということでありますから、そういう建物に対して、而もほんの最近まであつた土地々非常な純情でそこまで来たというようなことに、情状酌量と申しましようか、もう少し人情味のあるような取扱方で、ここまで減歩して来ているという形にも多少は考えて行つて上げて頂きたい。そういうふうなことにおいて私は非常に残念に思うのは、もう少し人情味もあつていいのではないか、取扱がですね。それはあなたとしては法に適つているからとおつしやるかも知れませんけれども、非常に私は残念に思つているのです。いつでもお役人のかたは、法規に適つているからと言つて、人情に副わないようなときには、池上の特飲街の問題でもそうだつた。建築課長さんは、建築の條件が立つていますから私は許しました。何するか。ちやんと法に適つていますから……。けれども、もう目に見えて特飮に現にしつつある。けれども、局のかたはそう言う。丁度今度のこともあなたのところの取扱方が引つかかつて今日になつたと思うのですが、私はもう質問はしませんけれども、あなたのお取扱万が、あなたも人間子供の父親であるのですから、そうして而も事実がもう現にそこまで、土地を持つていて、非常な好意でそこまで減歩して来ているのですから、そういうことに対してあなたにも区画整理委員長さんにも、私は本当に残念に思うのであります、理窟は通つておりますけれども。そういうようなところが残念であつたということをくれぐれも申上げたい。これは東京都の区画整理の面におきましての、学校に対する一つの企画というものがなくちやならんですが、先ほどからほかのかたのおつしやつているように、そういうことについて改めて都の責任者かたがたにも御意見を伺つて、この問題を單なる法律手続が済んでいるからどうだというようなことでなく、もう少し考え直して頂かなければならんじやないか、あとにもう少し問題が残つていると思うのですが、私はあなたのなさり方について、理窟は通つているけれども、非常に人情味がなくて残念だということを申上げておきたいと思います。
  105. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) 本日委員外の者といたしまして、発言をお許し頂きまして、誠に有難うございました。瀧尾局長に承わりたいのでございまするが、先ず豊島師範と申しまするものは、御承知であろうと存じまするが、明治四十二年にあそこに建設をされましたので、当時は全く何もない麦畑の真中にぽつんとできたのであります。これを契機といたしまして、あの池袋一帶が漸次発展をいたしまして、戰災前のあの大きな池袋ができて参つたのでございます。不幸にしてこの学校は、昭和二十年四月十三日に戰災にかかつたのであります。当時学校の兒童は先生に引き連れられまして、お互いの子供らは遠く東北に疎開をいたしておつたのであります。最も懐かしい学校が燒けて、子供らは、それに更に敗戰という小さい心に大きな傷を負うて、再び学校に戻つて参りました。私どもは情ない姿の子供を迎え、敗戰の痛手を負つて、非常に一時は喪失状態になつたのでございまするが、何と申しましてもこの学校を復興しなきやいかんというので、幸い燒け残りましたところのあの小学校の一角に立てこもりまして、先生初め、生徒、父兄、渾然一体となつて学校の復興に努力をいたして、実に涙ぐましきものがあるのでございます。その当時に、あの終戰時のどさくさ紛れに乗じまして、あの一帶がまさしく不法占拠をされたのであります。当時の学校当局は、文部省とも御相談をいたしまして、ともかく東京都のため、戰災のかた或いは引揚者のかたのために、一時使用を許すというので、一時使用を許可をいたしたのであります。決してこれは賃貸契約をいたしておるのじやないと存じます。無論借地料も何も取つておらん。而もそこに建てる建物は、移動ができる小さい建物であり、返すときにはこれを全部撤去せいということをはつきり明記をいたしております。確認をいたしております。一年延長したということは、東京都が実情等に同情をして、学校はこれを一年延期をしたのであります。然るに今のお言葉によりますると、学校は徒らに契約を延期をして上物に対して何も誠意を示さないと言つておりますが、学校当局といたしましては、これの契約の解除を内容証明を以てそれぞれに出しております。立派に解除をしておるのであります。都はこの際におきまして、当初四千二百坪を主張をされたのでありまするが、まず第一にこの四千二百坪ということも、何ら当時の書面には坪数はないはずであります。如何にしてこれを測定されたか、これを伺いたいのであります。そうしてその後において私どもはこの四千二百坪というところの御通知を拜見をいたし、これではどうにもならん、どうしても学校としては六千二百四十七坪が要るんだということを申上げまして、昭和二十三年十一月に文部省、大蔵省、都の関係官並びに学校当局が立会つて、これを確認をいたしたのであります。この確認によつて今までの四千二百坪ということはもはや立派に消滅をしておるはずです。それは学校としては確保するのだということを申上げ、都も認めておられる。然るに今日のお話によりますると、徒らに一方的の四千二百坪を申されておる点は、甚だ教育に対する御理解がないのじやないか、詭弁を弄せられておるように私は思うのでございます。この点も一体如何様にあなたは考えられておるかということを伺いたいのであります。それから上物につきましても、学校がこれを撤去をすべく努力をしなかつた点を、あなたは追及されましたが、併し弱い学校があのむずかしい人々の撤去を強要して、これを実行せしめることが一体できましようか。常識的に局長がお考えになつてもいいと思う。むしろ東京都こそが学校協力をされまして、一日も早くこれを撤去すべきであつたのであります。(「その通りだ」と呼ぶ者あり)それを一つもやらないで、その努力を払わないで、今日徒らに義務的のことをあなたは言われるがこれは私どもは何としても納得が行かないのであります。而も私は、東京都にも前にこの問題を円満に解決せんとして、あなた方にお話をいたしましたが、ただ單に全く義務的の一片の理窟を並べられるので、聞けば聞くほど私どもは理解に苦しんだのであります。かくて父兄の方々は総蹶起して、先生に申訳ない、先生に御苦労をかけちやいかん、我々父兄の手で解決しようといつて、今日の場面にまで持つて来たのであります。一体今は日本の再建途上最も重要な時期であります。再建をいたしまするには経済の復興も、市街地の計画も、又生活の安定もいろいろございましようが、何と申しましてもこれに魂のこもつた、精神の入つた、道義を高揚したところの筋金の入つた再建でなければならんと存じます。これがためには今日は、何と申しましても中小学校の義務教育こそ最も大事であると思います。すべての面に優先的に、そして文教が尊重されるべきだと思うのであります。いやしくも東京都の局長をしておりまするあなたは、そういうことはおわかりでありましよう。あなたにもかわいいお子さんがおありと存じまするが、この点は飽くまでも良心的に、一片の事務的な処理でなく、一つ大きな意味における日本再建のための市街地計画を断行するというところの御誠意を私は示して頂きたいと思います。一応一つ御所見を承わりたいと思います。
  106. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) お言葉を返しますようですが、前の、要するに地上権があつて非常に困るという点に対しまして御相談申上げましたときに頂いた図面には寸法が入つておりますので、これから計算しまして大体四千二百坪というのが出て参つたわけでございます。それが一点でございます。  それから学校の今のお話よくわかりますが、私のほうもいろいろと苦慮いたしまして五千坪までをやつと生み出したという実情一つ考え願いたいというふうに存じます。
  107. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) 局長に伺いまするが、局長は先ほど委員の御質問に対されまして、現地を見たかという点について十分承知をしておるという御返答でございましたが、一体この問題は相当大きな問題になつて来たのでありまするが、局長はいつ現地を御覧になつて学校の先生等ともその際はお話なつたことと存じまするが、いつ頃でございましようか。それをお尋ねいたします。
  108. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) 私は学校の先生にお目にかかつたことはございません。現地はああいう状態でございますから、二、三遍参りましたけれども、先生にじかに私お目にかかつたことはございません。
  109. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) いつ頃でございましようか。
  110. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) あそこは私の帰り遂に近いところだもんでございますから、ちよいちよい行つて見ております。(「怠慢だ。」「そんなべらぼうなことがあるか。」と呼ぶ者あり)いつという何はございませんですが、去年の暮にも参りましたし、今年に入つてからも一遍あの現地を歩いて見ました。
  111. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) 今の御答弁によつても如何に局長にこれに対する御誠意がないかを立派に立証しております。(「その通り」と呼ぶ者あり)いやしくもこういう問題が起きて現地にいらつしやるならば、出勤の途中で以て行かれるというような不誠意じやこれは解決いたしません。(「その通り」と呼ぶ者あり)ましてや学校校長先生にも父兄にも面談されて、みずからこの解決に局長こそ乗り出して頂かなければならんじやありませんか。  それから更に私は伺いまするが、局長は先ほどこの学校の当時敷地であつたところにいわゆる地上権がある人もあるがというお話がありましたが、それはどういうことによつて地上権を獲得いたしたものでございましようか。
  112. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) 貸付期間は昭和二十五年十月から昭和二十六年三月三十一日まで織茂初枝外二十五名というかたに貸付けてあるのでございます。
  113. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) それは東京都がお貸付になつたんでございますか。
  114. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) 大蔵省でございます。
  115. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) 大蔵省から何かそれに対して書面でも付けて東京都に讓渡をされたのでございますか、どうでございますか。
  116. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) その点直接その係りの者がおりますから、それに答弁さしたいと思いますが、如何でございますか。
  117. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 今瀧尾君の言われた係りのかたから説明を求めることに御異議ございませんか。
  118. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) それはよろしうございますが、そのために瀧尾局長がお帰りになつたのじや困るので、こういう重大なときでありますから、誠に恐れ入りますが、今日は腰を落ちつけていて頂きたいと私は希望いたします。(「異議なし」と呼ぶ者あり)
  119. 大野耐二

    参考人大野耐二君) 昭和二十六年の三月二十三日に関東財務局からこの敷地の返還を受けたのでありますが、そのときの引継ぎの書類の中に、文書になつて来ておりますのは、貸付打切りの経過として、只今までの問題になつたところは打切りをした、併し現に使用中である。当局において事情止むを得ず貸付した分としまして織茂初枝外二十五名に対し別紙契約書写のごとく貸付けてある、こういうふうに引継ぎを受けております。
  120. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) それは今承わりますると、大蔵省は二十五年から二十六年の何月まで貸付けてあるはずでございまするが、すでに東京都がこれを継承しておられるのでありまするが、只今は二十七年でございまするが、一体その契約は継続されたのでございましようか。更新されたのでしようか。どうなつておりますか。
  121. 大野耐二

    参考人大野耐二君) 御説明いたします。現在まだそのままになつております。
  122. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) 東京都も学校のことは、いろいろ言われたけれども、やはり怠慢じやございませんか。なぜ一体現在のままそのままにしておくのですか。契約の期限がすでに過ぎ去つているじやございませんか。
  123. 大野耐二

    参考人大野耐二君) 東京都としましては、文部省の、この土地一帶に関係しましてあそこらにあるいわゆる不法占用者と言われておりますもの、これを一挙に解決したいとかように考えておりますが、文部省のほうの御了解も得なければあとの処理ができないものですから、それでそのままに現在なつております。
  124. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) 私は事務的にいろいろ理窟は言いたくないのでございますが、伺えば伺うほどますますおかしくなつたので、申上げざるを得なくなつたのでありますが、そういう状態にあつて、それで一体地上権があると御認定になるのでございましようか。地上権はないじやございませんか。契約はもう過ぎてしまつておるのですから……。
  125. 大野耐二

    参考人大野耐二君) 御承知のように借地権のようなものは、ただ時期が来たからそれで以て解消するというようなものではないのであります。それで区画整理といたしましては、そういうものには借地権をそのまま承継を認めて行く。それから現在の不法占有者と言われておるものについては、これは飽くまで不法占有という形をとつているので、これを除却をするという形で取扱つて行く、こういうことに考えております。
  126. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) 二十五年から二十六年、一ヵ年の契約をして、契約の期限が切れた。切れて、今日それは不法占拠じやないのですか。どうもこれはおかしいですな。  それから更に伺いまするが、先ほど椛澤さんの御証言の中でございましたか、東京都は区画整理支障がないという念書を以て建築を許可したようなお話があつた。又或る人々には、建築を許可されたようなお話がありましたが、それは如何なる根拠に基いてその建築を許可されておるのであるか。
  127. 大野耐二

    参考人大野耐二君) 区画整理計画の当初は、まだどこの土地がどこへ行くかわかつておりません。そうしてその建築の許可の出た当時というのは、現在でもそうなんですが、例えば百坪の土地がある。そこへ六十坪の家を建てたいという、そういうような場合には、行き先がどこになるかわかりません。いつでもそこを動くという見通しがありますれば、その建築の許可をする。支障がないと許可をいたします。こういうことになります。椛澤さんの建築の問題でお話でありますが、あの当時は、あそこは現在広い道路が七十二号線というのであります。それで一帶の土地建築の許可を申入れて来たのでありますが、私どもとしては、学校土地は貸すべきものではない。そういうものに建築の許可を許した、こういうお話でありましたが、契約をしてあるのだ、事実借りておるのだと……それにしても道路になる所に建築は許さんと、こう言つて抑えて、現在津田さんのおられる三角の土地、それから織茂さんも大蔵省と契約をしたのでありますが、それについての椛澤さんの借りた土地が残る。それは将来移転をするぞということを條件にして支障はないだろうと、こういうことで許してあるわけなんです。それから先の建築の許可の問題は私どもの権限外でありまして、ただ区画整理の上ではしようがない、無償で移転するという條件が付いていれば支障がないと、こう言つたのであります。
  128. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) どうも私も実際地上権のないもの、或いは借地権もないものに建築の許可をされたということがおかしいのでありまして、殊に学校は一時使用を許しておつたので、そういう建築をすることは許しておりません。それにそういう手をおとりになつた。それはいつでも無償で移転するという御回答があつたのでありますが、無償で移転するならば、今日のような問題は起らなかつたのであります。当局は全部移転を強要なさればいいのじやないか。その点は甚だ矛盾で、いわゆる学校にそういうしわ寄せをしておられる証拠であります。それ故、なお居住者の土地の権利の売買というものは、都としてはお認めになつておらないということははつきりしております。そういう立札もあそこに建つたのであります。ところが現在は事実をいろいろ調べて見ますると、実際前の居住者より今の所有者が文部省なり大蔵省との承諾なしで、権利で以てこれが売買されております。こうなりますというと、今の居住者というものは、すでに民法上から申しましても、不法占有、不法占有者と言わざるを得ないのであります。こういう問題に対しまして、都としては手を拱いて見ておられるということは、私は納得が行かないのであります。
  129. 大野耐二

    参考人大野耐二君) この点、私らの区画整理をやります者にとつても非常に残念な点であります。と申しますのは、区画整理では地上上の契約云々することができないということになつております。現在の建築の取締り、建築の許可の場合でも、地主の承諾は要らんというようなことにまでなつております。それでそういう者が家を建てると転売される。そして現在不法者だとこう言われておる者は、不法者から転売を受けた者が、不法な者と言われた原因を知らなかつた。こういうことになるのでこれは貸付けられると困る。区画整理では非常に困難になると、こういうことを予見して、貸付けということをやつては困るということを申上げてあるはずであります。区画整理というものは、そこまで言葉を入れるわけには行かない。そういうトラブルに介入することができない。区画整理では、一例を申上げますると、東京都には借地権がないから文部省から借りたのだ、東京都は余計なことを言うなと言われておるものだから、東京都はその問題に入つて行くことができない。従つてそこの上に建つたものはそのものを乗せたまま土地を動かす。これよりほかない。こういうことになるわけであります。トラブルはその借地権を與える者が処理する。不法占有した者が整理されても区画整理のとき乗つたままで処理をする。こういうことで、それより方法がないのだということを文部省に再三申上げてあるはずであります。
  130. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) いよいよどうもおかしくなつたのであります。甚だ奇怪であります。東京都はすでに讓渡を受けた。而も地上物件というものはいつでも取除かれるというところの契約ができてその状態になつておる。東京都に所有が移つたならば、あなたがたはその上物その他に対しまして明渡しの要求を東京都がおやりになり、東京都がなぜ差押えられなかつたか。これは文部省なり学校なりがやるということは無理です。なぜならば文部省土地の所有者じやないから……。法的に申しましても文部省は明渡しの要求も訴訟もできない。当然東京都がやるのであります。面倒なものだから、たまたまあそこに空地があつて、そこに持つて行けば、片が付くといつてあなたの便利主義でやつたことは確かであります。東口の状態は一体どうですか。東口の状態をあなたはどう御覧になつたか。東口はやはり同じような飮料店が建つたのでありますが、あれは東京都が権力を以て訴訟を起し、そして更に法の権威の下に苦心をして取払らわれて、今のような立派な池袋のような立派なものをお建てになつた。あれと同じことが当然西口に出来たはずであります。それをおやりにならない。それは先般もあなたですか、お話になつたのは、もう訴訟々々で訴訟が何十件、数十件できるので、とてもうるさくてできないということを、ちよつと不用意にもお漏しになつた。それを承わつても、私は東京都の御熱意がなかつたという点がはつきりわかるのであります。その点どうですか。
  131. 大野耐二

    参考人大野耐二君) 大変東京都に不利益なお話になりそうなんですが、東京都で讓渡を受けたということ、これについては文部省にも建物の処理をしてもらうようにお願いはしてあります。東京都で引継ぐときには更地として返還を受けることになつております。これは幾ら文部省にお願いしても、文部省ではできない。これは私どもも承知しております。大蔵省に引継いだときも、大蔵省ではこれは大変な問題になる。これは訴訟というもので片付けるというよりも、区画整理で片付けなければならん。それではそのままで片付けるよりも東京都で引取ろう、引取るにはその土地というものを確保して置かなければできないから、それで文部省土地というものに二割なら二割をかけて、それで処理しよう。こういうことかきめてから東京都が返還を受けたわけであります。ですから東京都で返還を受けたときには、明渡しをして訴訟を起して受取つたのではなくて、どういう問題を処理するのは区画整理で処理するのが一番いいのだ。それは東京都に所有権を移して置かなければできないのだ。そういうことで返還を受けておるわけであります。
  132. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) 私は東京都のお立場はよくわかるのでありますが、不法占拠、不法建築をしたような者に対して、一向東京都としての権威を以てお臨みになる御態度に出なくて、徒らに学校のほうにいろいろ理窟をお並べになることは非常に遺憾であつて一つ本日を契機にお考え直しを頂いて、何とか教育優先主義の立場に立つて一つ御善処あらんことを私は要望いたしまして一応ここで局長に対する質問は打切つておきます。
  133. 岩間正男

    ○岩間正男君 先ほども大久保さんからお話がありましたが、証人のかたの発言に関連いたしまして椛澤氏から発言が求められておりました。そのためにそこであのとき何か当委員会としては個人的な非常に名誉に関する問題で、一方だけ聞いて一方を抑えたという印象を受けられるのは、私としては非常に心苦しいところでありますから、椛澤氏に対する発言を求めたいと思います。さつきの暴力云々の問題……、よろしうございますか。
  134. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) ちよつとお諮りいたしますが、局長に対して御質疑はございませんか。    〔高良とみ君発言の許可を求む〕
  135. 岩間正男

    ○岩間正男君 それでは局長が済んでからで結構ですから、議事進行としてそういうことをお計らい願いたいと思います。
  136. 高良とみ

    高良とみ君 局長にお伺いしたいのです。二十三年九月二十三日に学校側が第四建設事務所の不当なる区画整理に驚いて、軍政部民間教育課ジユツペル大尉に訴えた。そのときの意見として、六千坪の敷地が学校に必要だということを全面的に了承なさいましたのですか。そういう記録が残つておるのでありますが、そのときの確認は今日お取消しになつておるのではないのですか。
  137. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) 大野君がそのときの事情を存じておりますので、発言を許して頂きたい。
  138. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 大野さんから聞いて差支えございませんか。大野さん。
  139. 大野耐二

    参考人大野耐二君) 軍のほうからそういうようなお話がありまして、そのときの私どもの記録にはこういうことになつておるのですが、学校用地については委員会だけできめてはいがん、PTAなり学校なり入れてまあ軍も入つて三者で、こう書いてあるのですが、その三つで以てことをきめるのだというようなお話があつたようであります。それで区画整理をやりますほうでは、そこまで行つてしまつたのでは大変だということで、その計画を一時とめたことがございます。その後に進駐軍のほうから呼ばれまして、民事部のノーランというかたに呼ばれまして、そのときの話では、軍からそういう圧力を加えたことがあるかと、こういうようなお話がありましたが、私どもが圧力があるということは言えないものですから、そういう御注意はありましたが、参考にするだけでそれに従つたということはありませんと、こういうお話をしておいたのですが、そのときにそのかたのお話で、軍は内政には干渉しないのだから、若しも軍からそういうことがあつたとしたら、それは全部をここで撤回するから全部なかつたものと思えと、こういうお話があつたことがございます。それでそのときに東京都の区画整理課でとつた態度といたしましては、四千二百坪を取ることが建物の処理をするのに精一ぱいである。それで学校のほうへ、まあ文部省のほうへ建物の処理をしてくれなければそれ以上の用地は確保できない。建物の移転をしてくれないなら、これくらいしかできないというようなことが四千二百坪であつたわけであります。ところが六千二百坪が欲しいということになると、どうしても建物が入るわけです。これは全部入るわけではありませんが、幾らか入つて来なければならない。そういう建物を中へ入れて、そうして六千二百坪なら六千二百坪お取りになつたらいい、あとは不法占有者という御措置で、整理をするならその分だけ突張られればいい。これは全部というわけじやない。六千二百坪の中の四千二百坪はどうしても何かを割当てなければならないから、そういうものは学校のほうで処理してもらいたい、こういうふうな申入れをしてその三者の協定というものが……、先ほどもございましたが、そのときにもそういう措置をしなければこの六千二百坪も見られないという、こういう考え方で処理をしておるわけであります。それも文部省からいけないというお断りがあつて頂いていなかつた。これは御尤もでありますが、それで私どもとしては決して文部省と争うという考えもありませんし、機械的に何でも学校に押し込めばいいのだという考え方もありません。普通の区画整理で言いますと、どこでもかまわず押し込んでいいということを考えるのですが、そういうことをしないで学校ですから……、普通の民間に対しては一言の相談もいたしませんが、学校とは再三話合いをしてそれでよろしいということで一応計画を進めて行つたわけで、学校というものを決して無視してはいなかつたわけです。
  140. 高良とみ

    高良とみ君 その只今のノーランさんの圧力はまだ完全な占領下にあつたのでありますから、その具体的な問題についてはそうでありましようが、とにかく学校当局その他とも、共に協議してするという原則は変つていないと思う。そこまであなたが御否定になるぐらい……、そこまでその場で否定されたとは私は受取れないのであります。  もう一点は先ほど文部省との交渉でありますが、四千二百坪に押し込んだときに、文部省では建物を処理するという條件で将来千二百坪を提供しますというあなたのほうの要求に対して証明も出しておらないばかりでなく、これを拒否しておるのでありまするから、この問題はあなたのほうの要望と文部省とがこの両者が了承されておらないと了承してよろしうございますか、要するにあなたのほうの一方的要求であつて、それが條件であつたからあの学校校地をあれだけにしたのだというあなたの先ほどの御証言とは矛盾すると思いますが、そこを一点明らかにして頂きたいと思います。
  141. 大野耐二

    参考人大野耐二君) 進駐軍関係お話はこれはただ参考に申上げたのでありまして、それで全部解消したというようなことは考えておりません。ただそのときに六千二百坪をどうしても要るというならば、現在の不法占有者、と申上げると失礼かも知れませんが、現在占有しておる者たちを入れなければならないから、それを処理してもらうというようなことが條件になつて六千二百坪ということを考えておる。こういうことを申上げたわけです。
  142. 高良とみ

    高良とみ君 その根拠はないわけですね。
  143. 大野耐二

    参考人大野耐二君) ええ、その千二百坪の中に入れるということのほか何も持つて行かないわけです。これはあなたが今お話なつたと同じように文部省も拒否した、東京都も拒否した。区画整理のような場合になりますと、皆が拒否した場合に誰が行うか、こういう問題になつて来るので、そうなつて来ますと、学校の附近をあのままにしてはおけない、池袋地区をあのままの形にしてはおけないということになりますと、話合いでできなくなると、施行者の意思でやるというほかなくなつてしまう。それで止むを得ず東京都としては二割の減歩をかけて強行しようということを決意して進めて参つた、こういうことになるわけです。
  144. 高良とみ

    高良とみ君 わかりました。但しそれを実行されないというあなたの御意見を伺つたわけです。
  145. 相馬助治

    委員外議員(相馬助治君) 委員外の発言を許して頂いたことを感謝します。この問題の鍵は瀧尾局長の良識と決意、そうして勇気、これによつて大きく今後左右されると思う。私は地方行政委員でありまして、今後このことの成行きに関しましては、この紛争と別に、地方行政当然の責務という意味で、参議院の地方行政委員会は別途これを問題にする考えですけれども、それは好みません。この委員会を一つの契機として、これが急速に解決されることを我々は希望しております。そこで私は、先ほど中川議員があなたに対して希望されたことがあります。私はそれに対して瀧尾局長の御決意を承わつておきたい。即ち二つの観点について御決意を承わつておきたい。一つは單に豊島小学校の問題だけに限定せずに、新らしく明るい町を築くという意味で、広汎な一連の文教計画としてこの問題を取扱つた場合に、豊島小学校の校庭のあり方はどのようにあるべきかということを、新たなる角度に立つて一つ検討されて結論を出して頂きたい、御注意までに申上げておきますが、そのときに非常に挾隘を告げておる、理想的でない学校を参考にされては困る。住宅問題を問題にする場合に橋の下の乞食だつているじやないかという例を引けば、問題は問題でなくなるのでありますから、そういう意味でこの問題について理想的に一つ見解を定め、同時に実践に移して頂く決意ありや否やこれが一つ。それからもう一つ、あなたは役人でありますから、法を守つて非常に忠実に今日まで闘われたと思います。深甚なる敬意を表するに私は吝かではありません。但し本委員会において発表された各参考人等の意見を聞いて、あなたはあなたなりに一つの新たなる見解を持つべき基礎が與えられたと思います。従いましてこれらに対して一つ決意を新たにして、本問題について積極的に解決する決意ありや否や。この二点について一つ承わつて関係者に対して一つ新たなる勇気を與えて頂きたいということを希望します。
  146. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) 大変むずかしい御質問で困るのですが、今までいろいろ申上げましたように、いろいろな事情でいろいろな関係からいろいろな困難があると存じますが、できるだけ善処してみたいと存じます。そのうまい解決方法があれば、勿論それを遂行して行きたいと存じますが、よく研究してみます。
  147. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) 甚だ申訳ございませんが、もう私は二点だけちよつと重大なことを承わりたいと思うのでありまするが、只今借地権も地上権も持つておらない者に対しましても換地を與えなければならないという理由はどこにあるのでございますか。
  148. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) そういう権利を持つていない者に換地を與えませんで別途に処理して行きたいというふうに考えております。
  149. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) 前のお話によりますると、換地としてやはりそれだけの土地が要るようなお話でございましたが、それでは換地として必要ではないのでございまするか。先ずそれだけ伺います。
  150. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) 先ほどは要するに道路、水路とか、いろいろなそういう公共用地を生み出すためにどうしても減歩がかからないと、その用地が生み出せないという意味でございまして、権利のないものときまつておるものに換地を與えるという意味はございません。
  151. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) そうすると、今あすこに住んでいる人はいずれも正しき契約を締結している人はないように私は存じますが、少くとも学校の敷地であつた所は……。そうすると換地として與えることはないと承知してよろしうございますか。
  152. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) これはそういう非常に法律上のいわゆる裁判の決定を待たなくちやいけないような問題は、前段に申上げましたように、我々のほうとしてはそれを全部解決してからでなくちや区画整理ができないという状態でなしに、土地所有者にその状態のままで換地先をきめて行くという意味でありまして、その土地所有者と権利者と衝突、争いの因はそのままあとに残ると、こういうわけでございます。その権利者に土地は與えません。換地は與えません。
  153. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) どうも甚だ不親切なやり方じやないかと思います。すでに今まで立つて営業しているものに対しましても、もつと早く懇切に東京都が指導しておられれば、住んでおられるかたにもこういう迷惑をかけないですんだと思います。  それから東口の点を伺いたいのでありますが、あそこに住んでいた人も恐らく大半は不法占拠をされた人と存じますが、それらの人に対しましても換地をお與えにならなかつたのですか。
  154. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) 大野君に代つて答弁さしたいと思います。
  155. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 大野君に代つて異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  156. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) よろしうございます。
  157. 大野耐二

    参考人大野耐二君) 東口の人にも換地というものを與えてございません。今度の西口のほうにも換地という考え方はしておりません。これはお間違いになるといけませんので、換地ということをちよつと申上げておきますが、換地というのは所有権にしか與えておりません。そうして借地権のようなものは権利の指定ということをいたします。借地権の指定ということをいたします。それからその居住権の、居住者の場合で、不法占拠のような場合にはその指定ということもできませんので、君の現在占拠している所はここだという指示をいたしております。そういうことで換地という言葉にからんでいろいろ疑問が起きるんですが、一般にお考えになつているのは、代りの家を建てる所が換地だと、こういうふうにお考えになつておりますが、役所で答弁するときの換地はそれでない。こういうものですから話が食い違うと思うのですけれども、今度の不法占用者に対して代りの土地を與えるんだということになると、或いは問題が引つかかるかも知れませんが、それは現在住んでおります人は二坪とか三坪いう人です。それが現在東京都が引継いだ土地が約三千坪ぐらいしかございません。それで文部省が貸付けた土地というのが約七千坪ございます。そうしますと半分以下になつてしまうわけです。半分以下になつてしまいますと、二階にしろと言つても二階に住む人もいるわけですね。全然二階、一階とに関連のないものになりますから、そうしますと、その人たちが現在住んでいるものに代つた土地を與えるという考え方は成り立たんことになるわけです。それでその人たちを全部何か処置しなければならない。全部行つてしまえと、こう言わなければならんわけです。その行つてしまえと言つたときに、現在ここで生きているものをどこへ行くんだ、こう言つたときに東京都として処置しなければならない。そのときに何か土地を握つていなければやり場がないということになるわけです。そのときにその人たちに二階建なり三階建なりの共同建築をしてみたらどうかということになつて、今のような環境で移るわけにはいかんですから、ここにこういうものを建てたらどうかという斡旋はいたします。併しこれは資金の問題がありますから、その当事者が考えなければならないので、ただ先ほどのお話にもありましたマーケツトを移すとか、ストリツプを移すとか現状のままでは移すということはあり得ないということになつてしまうわけです。そういうことで換地というものが役所の考えておりますことと皆さんのお考えになつていることとちよつと差がありますから申上げておきます。
  158. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) 東口におきましては、換地を與えるとか、或いは只今お話の借地権の指定ということはされていないように承わつておりまするが、それはそうでございますね。そうして土地を御斡旋になつたように承わつております。西口におきましても、これは当然数年前に最早契約は解除されている。こういうものに対しましては東口と同様なお扱いを公正なお立場で以て御断行頂きたいことを私ども希望いたします。  それからもう一点局長に伺うのでありますが、学校はどうも二重減歩しているとしか私は思われません。それで今の東京都の所有になつたところの土地が、つまり道路で取られれば、東京都のいわゆる減歩が道路だけ取られて、後は東京都の所有のものが残るということで、私はそれが学校に食い込んで来るということは私はおかしいと思うんです。この点も一つそういう考えであつて頂きたいということ、それから都市計画実施後においては一体あの土地の処分を東京都は如何になさる御計画であるか、その点をお示しを願いたいと思います。
  159. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) 東京都のあの土地の処分と申しますとどういう意味でございましようか。
  160. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) つまりあすこにおる人は所有権を持つていないので、東京都はそれを或いは今いる人に縁故払下げをなさるというような御計画であるか、一般公入札をなさるというような御方針ですか、どういうふうにあの土地は御処理なさるか、或いは東京都がそのままお使いになるか、恐らくそういうことはあの市街地として商店街を作ることはないと存じますが、それをどういうふうになさるか、こういうことであります。
  161. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) その土地は縁故払下げをいたします。
  162. 中川以良

    委員外議員(中川以良君) その点にいろいろ私は疑念が出て来ると存じますが、十分公正な御処理を東京都はなされるように希望いたします。その点は更に私はここでそういう点にまで追及をする意思はございませんので、要は学校のあの敷地六千二百四十七坪が確保できればいいのでありまするから、そういう意味において、何とぞ局長におかれては、最善の御努力を御傾倒賜わらんことを重ねてお願いいたしまして私の局長に対する質問はこれで打切ります。
  163. 岩間正男

    ○岩間正男君 只今あすこにいろいろな名前を言われましたが、不法占拠とか、いろいろそういう形で言われましたが、大体この人たちの要求が都市計画によつて取払われるということは非常に大きな不安が出て来るだろうということは、これは事実だと思うのであります。この問題について実は我々当委員会としてもこの居住者について実は参考人に今になつて欲しかつたと思うのであります。そのときはその思いが及ばなかつたのでありますが、この意見も聞きたかつたし、今日東京都の都市計画そのものの中に非常に不明朗なものがあると思うのでありますけれども、問題を豊島の現在の千二百坪の割讓地に全部問題を向けて、そうして問題を何か真向に利害が対立するようなところに持つて行つたところに非常に大きな一つの問題があると思う。この点について一体どういう態度で今まで臨んで来たのでありますか。今説明を聞きますというと、成るほど換地の問題が、これは何か所有権に対してだけは換地ということを考え、借地権については換地というようなことはしないで、指定するとか、或いは不法占拠の場合には、指示だとか名前は変えておるのでありますが、いずれにしても実質的にはこれは換地と同じことだと思う。ただそれは説明のしようなんだ。あなたの説明されたのは、政策としては、それは法律的ないろいろな技術的の面から説明されれば、そうなるかも知らんけれども、併し大きな問題として、政策としてはあそこに住んでおる人も、これはやはり戰災を受け、非常に不幸な境遇から止むを得ずあそこにおるのだろうと思う。或いは又今までの政策の当然の欠点としてああいうところに、ああいう形ができたのだ。従いましてこの人たちもこれは生存権を持つておるのだが、これをあのような形で真向に利害を対立させるという点に持つて行つた、これは非常に私は政策としても拙劣だと、こう思うのであります。だから当然これについてどういうふうなのか、この大きな今後の政策というものは当然考えられなくちやならないと思う。これはどういうふうに考えておるのでありますか。この問題をもつて合理的な方法、そしてお互いの、両者の希望というものが現在は対立の形にさしておきますけれども、これを対立させないほうにこの問題を解決する方法はあり得ると思うのです。それを若しとらないで両者を食い合せるというような恰好で問題を解決するとするならば、これは誠にあきれた政策といわなければならないのであります。この点についてこれはどういうような一体お考えを持つておられるか、これをお聞きしたい。
  164. 大野耐二

    参考人大野耐二君) ちよつと意味が取れなかつたのですが、現在の利害を対立させたという考え方がちよつとわからないのですが、それはどういう意味なんでしようか。
  165. 岩間正男

    ○岩間正男君 させる意図があつたかどうかということはそれは私はおきます。おきますけれども、現状においてはそうでしよう。業者たちはあそこの換地を欲しい、早くあそこに移りたい、こういう格好で千二百坪に対する要求も起つておるだろうと思います。だから従つて学校側におきましてはこれは困る、それじや困る、そこでそれを拒否する運動が今回起つておる、従つてこれは対立しておる。それでそういう意図があるかないかということは私は問いません。問いませんけれども、現実的にはそういう格好に追込んで、そうして問題が非常にこれは飛んでもない方向に私は行つておると思う。こういう点はどうなんですか、こういう点に対する慮りというものがやはり今までなかつたと思うのです。この点について……。
  166. 大野耐二

    参考人大野耐二君) 現在東京都はその終局まではまだ手は打つておりません。すでにこれは御承知と思いますが、あのマーケツトの処理というものは非常に困難なものが伴つております。一軒の家を形成することができないようなものを動かすということになると、又そういうものを作つてやるとなると、建築の面もこれは制限されてしまいます。そういうことであれを処理しなければならんという大きな問題を含んでおるときに、現在居住しておる者に組合を作らせるとか、或いは連合会を作るというようなことにして、何か強力なものにして、現在減歩で取つた土地東京都へ返還された都有地千二百坪に限つておりませんが、現在有しております三千七百坪ばかりの土地の上で現在六百名以上もある世帶を何とか処理して行かなければならない。それをまだ口を切ることができないでおるわけです。この文部省の問題がある限り、手を打つこともできない。これを決定するのを現在待つておるというところです。ですから、今あすこに誰それをやる、ここへ誰それをやるというようなことはまだきめておりません。
  167. 岩間正男

    ○岩間正男君 千二百坪は道路とか、そういうものの減歩という形で取れるのでありましようが、そういうものを私はお伺いしておるのじやありませんが、どうなるのですか、あすこに家は建たないのですか、どうなんですか。
  168. 大野耐二

    参考人大野耐二君) それは建つと思います。建つと思いますが、どの家が建つかということはまだわかつておりません。
  169. 岩間正男

    ○岩間正男君 それは現状ではそうなるかも知れないが、予定はされておるでしよう。
  170. 大野耐二

    参考人大野耐二君) 現在のところではこの範囲の人たちにという予定だけはしております。一応当てた計画をしませんと、面積というものが出ておりませんから、一応当てた計画はしております。ですが、これはまだ決定したものでなしに、減歩として換えるのにどうするかという計算の基礎にするためにそういうものを当ててあるわけです。まだ決定はしておりません。
  171. 岩間正男

    ○岩間正男君 そういうものは内々に発表しておるのじやないか、そうして或る業者のごときはこれを知つておるのじやないか、そういう事実はありませんか。
  172. 大野耐二

    参考人大野耐二君) 区画整理の問題は残念なんですが、外部に知らさんように、知らさんようにしておりますが、大きなところでいろいろな計画もやり、いろいろな協議もやるものですから、どうしても洩れてしまいます。これは知らせたのではない、知つてしまう。而も事実に近いものを知つておるということがたくさんあります。併しこれは特に誰それにと言つて洩らせておるということはしていないのであります。役所の公的な立場としてはしておらないのであります。
  173. 岩間正男

    ○岩間正男君 そういう形で洩れるのが日本実情であります。残念ながら只今の御答弁のような形で洩れておるのが日本実情であります。それはよく知つておりますよ。ここにおりますけれども、赤じゆうたんだけ踏んでおるのじやない。見ております。  それからもう一つついでに伺いますが、さつき縁故払下げというお話がありましたが、あそこの今地価ですね、これはどういうふうになつておりますか。そして縁故払下げによつて東京都はどのくらいの一体今後財産収入を見込んでおりますか。そういうことはどうなつておりますか。
  174. 大野耐二

    参考人大野耐二君) 現在の評価としては一応四、五万円ぐらいになるのではないかというくらいでまだきめておりません。これは正式にその土地がきまりますと、委員会のようなものにかけて最低の値段というものをきめます。ですが、まだそこまでも行つておりません。
  175. 岩間正男

    ○岩間正男君 これはいろいろ聞いて見たのであります。四、五万円というと非常に安いようでありますが、そのことはおくことにいたします。或いは十万円とか十五万円ということも我々聞いておる。仮に東京都が四、五万円というような計画に基きましてその縁故払下げの面積はどのくらいで、そうして大体東京都の財産收入はどういうことになるか、これはすでに計画の中でお持ちになつていらつしやるだろう。
  176. 大野耐二

    参考人大野耐二君) それはまだ正式に勘定して財産收入としてまだ見込んでおりません。
  177. 岩間正男

    ○岩間正男君 見込んでないとこういうお話でありますが、これは計算して見ればすぐわかることですが、こういう問題ですね。こういう問題が実際あの問題の裏面として動いておる事実については、これは局長として知つておられますか、おられませんか。この点局長の認識程度につきまして、私はお尋ねしておきたいのでありますが、如何でありますか。
  178. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) 土地の価格でありますか。
  179. 岩間正男

    ○岩間正男君 そういうものをめぐつての動きというようなこと……。
  180. 瀧尾達也

    参考人瀧尾達也君) どうもよく意味がわかりませんから……。裏面の動きと申しますと、どういうようなことになりましようか。
  181. 岩間正男

    ○岩間正男君 いやお答えできなければそれで結構です。大体どのくらいの面積がありますか、払下げの……。
  182. 大野耐二

    参考人大野耐二君) 約三千七百坪ぐらいに予定をしております。現在東京都で決定しておるものは……。
  183. 岩間正男

    ○岩間正男君 厖大なものになりますな。
  184. 木村守江

    ○木村守江君 どうも土地の払下げまで行つてはおしまいになつてしまうのです。縁故払下げの前に考え方をちよつと変えてもらわれないかというのが我々の願いなんです。それは換地の問題ですが、換地を持つて来れば、いわゆる千二百坪戻すというような話ですが、前に八千坪も取つておるからそれを換地に変えるというような考え方はできませんでしようか。
  185. 大野耐二

    参考人大野耐二君) 八千坪返えしたと、これを第一回の減歩だとこう言われるのですが、その八千坪の返えされたうちに道路を入れ、大蔵省の用地を取つて、残つたものが三千七百坪くらいになるわけです。それに現在の七千坪から貸してある土地の上のものを全部そこで処理しなければならないということになるのですね、これは学校のほうからいわれると、大変無理だと言われるのですが、東京都の立場からいうと、倍以上のものをその中でどうにか処理して行かなければならん、こういう問題があるわけです。それをその土地で処理したい、こう考えております。
  186. 木村守江

    ○木村守江君 今の八千坪のうちからいろいろ取つて結局残るのは、三千七百坪だというお話ですが、三千七百坪でたくさんじやないかと思うのです。二千七百坪をどうして学校換地と解釈できないのか、これはどう考えても学校用地であつたということには異議はないでしよう。嚴然たる学校用地であつたのです。それを三千坪であつても都に提供したのだからそれを以て換地と解釈することができないかという問題です。そういうことを考えないと、本当にこれは払うものは幾らでも払う。取るものは幾らでも取れという恰好になつてしまいはしないか。それが非常に我々の解釈に苦むところで、あなたがたの理窟から言うと、それはとにかく契約前の問題だ、それは換地考えることはできないのだと理論上からそう言うかも知れませんが、実際上学校校地であつたということには問題がないのです。あなたも認めているだろうと思う。東京都でも認めているだろうと思うのです。そういう点からいつて、三千坪をもう提供したのだから、それを換地として解釈して、学校をこれ以上いじめてそうして学校校地を減歩として取らなければいけないのだというような方法を、考え方を変えて行く方法はありませんですか。
  187. 大野耐二

    参考人大野耐二君) 現在のところではそういうようには考えておりません。あれを減歩として充当できないかという、これは一応御尤もなお考え方なんですが、第二師範が廃校になつた、校用廃止をしたということで、その八千坪というものは校用廃止した土地の返還を受けたもの、こういうような処理の仕方になつてしまつているわけです。大蔵省のほうも私のほうも……。そうしてあとに残つたものというのが附属小学校の敷地であつて、前のものは第二師範の用地で、而も校用を廃止したから東京都に返還したという土地になつているものですから、減歩に充てるというわけに行かない、こういうように処置をしたわけです。(岩間正男君「解決の問題だ」と述、ぶ)
  188. 木村守江

    ○木村守江君 その問題ですが、現在のところはできないでしよう。あなたがたが契約したのだからできないでしようが、これから考え直して学校用地を減歩として取らないように考え直す方法はありませんか。それはあなた自身ではどうにも返事はできないでしようが、もうこれだけ大きな問題になつているのですから、これからよく考えて、今まではそうやつたでしようが、これからもそうやつて行こうというあなたの考え方かも知れませんが、やはり或る程度面子なんか捨てて、これは東京都のために考えなければいけない問題だと思うのです。この問題は幾ら押問答しても解決のつく問題ではないのですから、これはよく考えてもらうというような点が、我々の希望を申述べて善処してもらいたいと思います。
  189. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 一つお諮りいたします。先ほど岩間委員からお話がありました椛澤参考人が何か一身上の弁明をしたいという希望があつたのでありますが、これは大体参考人相互の討議は禁じてありますので、取上げませんでしたが、終りに椛澤参考人発言を許すことに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  190. 岩間正男

    ○岩間正男君 まだですよ。質問はたくさんあるのだから……。
  191. 木村守江

    ○木村守江君 椛澤参考人に対する質問は我々相当持つているのですから、その質問の中にも今申されようとするところが出て来るのじやないかと思うのです。
  192. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) それでは質問の形でいたします。
  193. 岩間正男

    ○岩間正男君 私も心配したのは、はつきり何か抑えられたような形になつているが、当委員会としてはそういうことが精神ではない、十二分に聞いてやるという形がいいのです。そういう点で運営の点から私は申上げたのです。実質的に同じだつたらこれは私が質問してもいいわけなのですから、それではそういうふうにして頂きたいと思います。
  194. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) それでは椛澤参考人に対する質疑のうちに今のことを織込んで頂きます。
  195. 木村守江

    ○木村守江君 質問は参考人全体に亘つても差支えありませんね。
  196. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 差支えありません。ちよつとお諮りいたしますが、局長は三時に帰りたいと申されたのを延ばしたのですが、お帰り頂いてよろしうございますか。    〔「異議なし」「賛成」と呼ぶ者あり〕
  197. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) それではお帰り下さつて結構でございます。
  198. 木村守江

    ○木村守江君 私は局長が帰られます前に今後善処方を要望しましてお帰りを願いたいと思います。(岩間正男君「何とかひとことおつしやつて下さい」と述ぶ)先ほどいろいろな質問応答があつあのですが、大野先生からはこれは終戰後の非常などさくさ紛れに罹災者が非常に多いので、これはもう実情忍びがたく、実際の面で学校用地をお貸しした、こういう話があつたのに対して上島さんからの話では、あの土地のいわゆる解釈という問題のうちには、相当権謀術策をとられて、実際問題で暴力等も加わつてはじめて話が成立したのだというようなお話があつたのですが、実際大野先生にお伺いしますが、そういうようなことがあつたのが実事じやないでしようか。先生のような教育的見地から、本当に見るに忍びないような状態であつたから学校用地を貸したのだというお話でしたが、どちらが本当なんでしようか。
  199. 大野こう毅

    参考人大野こう毅君) 土地を使わせてもらいたいという申出の場合にいろいろな話があつたわけでありますが、併し私に向つて対談されました限りにおいては、殺すとか突くとかといつたような物騒な言葉を使われたことは一回もありません。ただ第三者がこうこうしないとこういうことをやるぞとか、或いはこういうことを言つているということを聞いたことはあります。私個人直接には聞きませんが、第三者が、借りようとしている者はこういうことを言つているということを私に取次いだものはあるわけであります。非常に言葉が熱烈になりますと、その言葉が非常に強くなりますと、主観の問題だと思いますけれども、或る人は脅迫めいて感ずる人もあろうし、心臓の強い人はなんだと言つて流している人もありましようから、そこの強さは受取つた主観の態度でいろいろ解釈されると思いますが、私自身におきましては今申上げた通りであります。
  200. 木村守江

    ○木村守江君 重ねて大野先生にお伺いしますが、それは脅迫的なことはなかつたかも知れませんが、或いは大きな圧力を加えられるとか、或いはそのいろいろな高圧手段を以て貸さざるを得なくなつたというような事実はありませんですか。
  201. 大野こう毅

    参考人大野こう毅君) 例えば私の管理しておりまする学校の内部の教職員とか、或いは池袋の町の人々とか、或いは借りようとする人々とか、そういつたようなこの方面から非常に強い圧力が加わつたということは、処理して参ります途中においては感じたことはございません。先ほど申しましたように、私当時の交渉といたしましては、いろいろな情勢からあそこには本校は復興しないということをはつきり言つてありますし、従つて不要の土地になりますので、これを有効に使用しよう、当時の情勢でありますから、人が助かるならばそういうことに利用してもらうことはよろしかろう、こういうことでありまして、而もおつしやることが非常に人道的な立場から申しますと美くしいことであります。かたがた学校に使わない肚を私はきめたのでありますから、本校と相談してお貸しした、こういうわけであります。
  202. 木村守江

    ○木村守江君 大野先生のお答えは非常に立派で、我々いつもそうあつてもらいたいと思うのです。ところが大体教育関係しておるかたがたは、非常にすべての点に弱いというようなことを感じられますので、どうぞ只今申されましたようなはつきりした強い態度を以てこれから処して行つてもらいたいということをお願いいたします。  次に椛澤参考人にお尋ねいたしますが、椛澤さんは先ほどからあの豊島小学校地区にはもうあの学校が移転するのだ、学校がなくなるのだというような観点から、これはすべての建築その他のことをやつてつたのだというようなことを申されましたが、それには間違いありませんか。
  203. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) それは当時はそういう話で、私は飽くまでもその通りに信じておりましたのです。  もう一つついでに、さつき春日会長からのお言葉で、椛澤が突然来て、戸を開けてどなり込んだということが…、誠に私はその覚えがありませんで、これは私は実に不審だと思います。  又もう一つ、その後に何者かが行つていろいろな話をしたというのも、これも私はわかりません。私はそういうものをやつたこともありません。但し我々が借りた八百坪に対しては、何とかして会長さん、これはこういう事情であるから、どうか我々に使わせて頂くわけには行かんかということについて相談に数回私は伺つたことはありますが、私は突然会長さんにそういう不見識な暴力行為でどなり込んだというのは私にはちつとも覚えがありません。これは私は取消して頂きたいと思うのであります。
  204. 木村守江

    ○木村守江君 それからあの豊島小学校の附近にマーケツトを作る場合は、現在のようなああいう不純なものができようとは思わなかつた。立派な住宅街を作る考えであつたのだというようなお話がありましたが、それに相違ありませんか。
  205. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) 私は始めるときには、先ほど申上げた通り、私は当時各地において露天商が僅か一坪か、一坪半のマーケツトと称したものを作られておつた、私はそれに対して当時の建築の規定が三坪以上しかそこに建たなかつたために、これを何とかそこに、たとえ一人でも二人でも住めるようにして、そうして雨が降つても商売のできる商店街を作りたいと思つてその当時は始めたことは間違いございませんです。
  206. 木村守江

    ○木村守江君 重ねて椛澤君に御質問申上げますが、現在は豊島小学校はあそこから移転しないんだという事実をお認めになられますか。
  207. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) 私が今までいろいろな方面、又官庁側にも伺つて、現在の学校の環境状態と、又現在の都市計画が、この池袋の商店街都市として計画されておるこの正面に学校が今日現存するということは果して皆さま如何であろうかという意見を聞きました。私が聞いたところでは皆さんが今の現状では確かにあの学校があそこへあるということは、これは面白からんということは、私が聞いたところでは皆さんの申上げられる通りのことであります。
  208. 木村守江

    ○木村守江君 只今までですね。都の建設局長もおられていろいろ話合いがあつたのですが、今の答弁を総合いたしましても、これは学校を移転するという考えは、これは毛頭ないということはわかると思うんです。これは学校を移転するのじやなく、いわゆる学校の校庭の一部分を都市計画のために減歩されるという話になつておるので、学校を移転するということではないということはこれは歴然とした事実だということはあなたは認めざるを得ないと思います。それからあなたのああいうところに学校があるべきではないというようなお考えは、これは恐らくあなただけの考えじやないかと思います。あなただけの考えで大きな学校の問題を論議するところにあなたの考え方の間違いが出て来るのじやないかと私は思うんです。あなたはですね、学校は移転するんだ、それから立派ないい住宅街を作るんだというような考えの下に戰災者のために働いてくれた、その力には私は敬服いたします。併し事実は学校も移転しないんだ、マーケツト街はあなたの想像とは全く異つた、これは教育の環境としては最も嫌うべき状態になつておるんだということを、あなたはどう考えても否定することができないと思うんです。そのことによつてあなたがああいうところには学校があるべきじやないのだと多くの人が言つておるということは、あなたが非常に主観的に自分本位にものを考えておるんじやないか、そこに私はあなたの大きな間違いが起つて来るのじやないかと思うんです。それで今千二百坪を換地に取つてあそこにあなたが言うように、あなたが初めマーケツト街を作つたように、立派な住宅街を作ろうとして、住宅を作つても「やはりあの右側と同じような特飮街と等しいものができてしまうということは、あなたもこれは保証することはできないと思うんです。それで実際問題として今までのことは何も申上げません。申上げませんが、学校は移さないのだ、学校はあそこに現存しておるんだ、東京都と文部省学校をあそこに置くんだということを言明しておるんです。学校を移さない、そうした場合に、又左側のほうに右側と同じような特飮街を作るということは、あなたが今まで立派なことをやつて来たことにこれは非常にマイナスになるような結果に私はなると思うんです。そういう点からあなたの初めの考えは間違いはないのですから、これからの考えをこれから変えて、そうしてもう左側のあの土地学校に残して、それに協力して行つて、いわゆる東京都の教育のために御協力してやるというようなお考え方になられませんか。
  209. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) この問題は私は聞いた話でございまするが、戰前にもあの旧豊島師範の左側に古い学校の塀が廻つておつた当時にあそこが非常に淋しい、発展しないというので、当時区会議員か何か、どなたかが移転運動を起されたことがあるそうです。それからいろいろな地元の話でも、終戰後学校が復興しないというので、私はあそこを開放してもらつた当時に、これは本校はもう武蔵小金井に越したのであるから、これは附属というものは、本校の傍にあつて附属の価値があるのじやないか。それが本校は武蔵小金井にあり、現在の附属が池袋にあるということは、私はこれに対して法律のことはわかりませんが、これらは殆んどすでに何と言いましようか、無視した、法的から根拠を外したいわゆる附属になつているのじやないかと私は思うのです。(笑声)
  210. 木村守江

    ○木村守江君 どうも昔は淋しくて発展しないから学校を移転するという考えがあつた。それから最近ではもう還境が惡いからあそこを移転したほうがいいのだというようなのは、あなたの考え方で、あなたが自分だけを有利に考えているのじやないかと私は思うのです。そうして附属はこれは武蔵小金井に行くべきだというような考え方が、非常なあなたの教育に対する考え方の違いです。決して附属小学校は隣りに学芸大学があつて、そこになければならないのだということはないのです。特に小中学校子供ですよ。小さい子供ですから、通学距離が非常に近いところでなくちやだめなんです。そういう点から考えてもあなたの考えは、余りにあなたの主観的考え方から発していることであつて、これはやはりあなたは初めからいいことをしようと思つてつて来たのですから、本当にいいことをしようと思つたのだから、そういうふうな考えは少し変える考えはありませんか。
  211. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) 私は別にうまい考えという意味で申上げたわけではありませんが、二十一年のあの終戰後、本校が越された当時に、文部省の政務次官であつた当時の長野さんでしたかが学校はもう復興しないというので、私もそれに何とかしてこの際あそこを全部開放してもらつて、そうして土地の発展に……、あの附属が向うに越せないという理由もいろいろ聞きました。その当時は建物もなし、予算の関係であそこに現在残つたのだという話を聞いて、私は戰災復興会として、これは地元としてそれでは二千坪ばかりの校舍をあそこへ建てて、そうしてこれを交換條件に地元の発展のために開放してくれんかという話もしたことがありましたが、当時長野政務次官もそれには賛成して、当時あなたのような熱血漢によつてこの日本の再建ができる、(笑声)うまくやつてくれと、建物はそつくり借してやろうということを、お世辞であつたかも知れないが、私としてはそれを信じて正直に当時から私はこの運動を進め、今日に至つて、私はどうでしようということに対しては、今以て変りない。何とかして閑靜なところへ移転させたいという地元意見によつて私はして来たのであります。
  212. 木村守江

    ○木村守江君 私は椛澤さんの答弁は、非常に遺憾に堪えないのです。飽くまで自分のことを、状況が全く違つた現在においても、なお初めの自分の考え方を固持しようというところが非常に遺憾に堪えない。併しこれをどんなに論議しても仕方がないが、あなたは先ほど百二十坪の所に建築をさせたのは不法建築でもない、それからあすこ土地の使用権を持つておると申されたが、それはどういうふうな点からそういうことを申されますか。
  213. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) それは先ほど私が説明した、当時に、この区画整理による支障はないという、この証明書といいますか、それに対しても書類を戴いておる。そうしてその通りの、これは赤線は都市計画課でこの線を引いてくれたのであるし、これにならつてやるなら許可をするという意味で、私は当時は建築の許可を受けたのであるから、私は不法建築ではないと信じておつたのであります。
  214. 木村守江

    ○木村守江君 それは、あなたは建築に全く素人ではないと思う。素人ではない人が青写真の赤線を引いてもらつたので、その赤線を引いた所は使つても差支えないのだと思つたのでというようなことで以て、土地使用をしても不法とは考えませんか。
  215. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) 私は当時は学校当局から借りたので、これを以て都の建設局へ申請をして許可を得たので、自分としては差支えないと思つて、今日まで信じておつた次第であります。
  216. 木村守江

    ○木村守江君 学校当局からお借りしたのですか。
  217. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) さようでございます。
  218. 木村守江

    ○木村守江君 それは学校当局の誰ですか、責任者は。
  219. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) 当時の契約内容を見るというと、ちよつと話が違いましたかも知れませんが、私どもは前にはこれは文部省との契約だと思いましたところが、文部省との交渉が終ると、契約学校長の契約でありました。
  220. 木村守江

    ○木村守江君 それは責任者は誰ですか。
  221. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) 当時は大野学長だと思いました。
  222. 木村守江

    ○木村守江君 それでは大野学長に聞きますが、椛澤君の只今の証言に間違いありませんか。
  223. 大野こう毅

    参考人大野こう毅君) これは冒頭に申上げましたように、例えば運動場を消防に平日貸すといつたような單純な問題ですと、管理者の独断でできますけれども、例えば狭い所でも、土地の問題になりますので、文部省のほうの所管の課長、或いは会計課長に連絡をとり、協議をいたしまして進めて参つたことを先ほど申したわけでございますが、その時のこの契約のいわゆる甲というものは誰になるか、これは私の名義になりますが、これは現場で土地を管理しておる学校長が当然、契約者のいわゆる甲になるということで、私の名義で契約しております以上は、貸した責任者は私であります。
  224. 木村守江

    ○木村守江君 それではあの大野先生に聞きますが、大野先生はどういう考え契約をお書きになつたんですか、土地は将来学校に必要がないというような考え方からお書きになつたんですか。
  225. 大野こう毅

    参考人大野こう毅君) その問題は先ほども説明申上げましたように、文部省を初め学校内部並びに前校長意見等、燒跡のあそこに本校を復興しないという方針で進んでおりましたし、又私自身もあそこは狭いものですから、一万四千坪ぐらいでは将来の大きい学校を建設するには不適当と思いまして、あそこは使用しないということを文部省にはつきり申上げたわけであります。それと先ほど申しました理由で……。
  226. 木村守江

    ○木村守江君 私の聞いているのは千二百坪の不法建築というような問題のところを言つておるんです。津田さんの活版ですか、印刷所ですか、あそこの所を言つておるんです。
  227. 大野こう毅

    参考人大野こう毅君) 見当違いをいたしまして申訳ありませんが、その土地でしたら二十三年の三月三十一日を以て契約解除をしておるのでありますから、根津さんとは関係ないと思います。
  228. 岩間正男

    ○岩間正男君 それでは二、三点お伺いしますが、椛澤さんはさつきの春日証人の証言に対しまして、そういう暴力の事実はない、脅迫したような事実はない、こうおつしやつたんですが、これは御承知のように先ほどこれは証人としては証言されたと思う。証人としての証言、国会における証言は事実に反すればこれに対していろいろな法の適用があることは御承知のことだと思うんですけれども、そういう証言に免じてそういうことはないと、こう言い切ることができますか。
  229. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) 只今の質問の通りであります。私はそういうことは一遍私もにはわからないのであります、そういうことは私は考えにもありませんです。
  230. 岩間正男

    ○岩間正男君 それではお伺いしますが、あなたのさつきの発言を聞いていますと、自分はやつたことはない、それからそういうものも言つたことはない、人のことまで証言されておる。これは甚だおかしい、どうしてあなたはわかつたんですか、言つたことあるかないか、これは何です。
  231. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) それは先ほど春日会長さんが、その後に何者かが来て津田さんは椛澤よりもまだこわいとか恐ろしいとかいうことを言われたので、私はそれを廻し者のように聞いたので、私はそういう覚えもありませんということを私は今お伝えいたした次第であります。
  232. 岩間正男

    ○岩間正男君 あなたの言うのは何ですか、そういうものを廻した覚えはないと、こう言うんですな。先ほど春日参考人の言われたことは、あなたが言われた廻した覚えがあるかないか、こういうこととは別なんですね。あなた自身がそういうことについてわかつておられるということは私は不思議だと思う、どうですか、おかしいと思う。人の行動まで知つておられる。これは全く証言通りでは……再度念を押しますが、これは委員長からも念を押して頂きたい、こういう形で我々はなぜこういうことを申上げるかといいますと、証人に対してそういうことを申上げたくない、又そういうことは国会の本旨ではありません。併しながら今度のような問題が、あそこの町に行つて聞きますと到る所で暴力や抗争、こういうことが行われておるということを耳にした、そういう事態を我々はしばしば耳にした。これは実に重大問題だと思う。そうして而もあなたのいる前でPTA前の会長の春日参考人が、私は少くとも人の人格を傷つけるような、名誉に関するような、こういう問題についてこれは証言されるということは非常に相当な勇気が要るだろうと思う。そうして又今日暴力が行われたということが街に流布された、そういう最中においてこれを証言されるということは私は非常に勇気が要ると思います。恐らく椛澤さんの勢力というものは、これは相当なものでしよう、池袋では。我々も知つておるのです。そういうような中でこの春日証人の証言についてあなたは真向から否定されるのだから、それについて差支えないのですか。
  233. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) 私はこの問題については少し何か考え違いをしておるのではないかと思います。私は先ほど春日会長さんからそういうことを聞いたから、私はそれに対してそういう覚えがありませんという言葉に対して、私はこれに対して質問したわけであります。
  234. 岩間正男

    ○岩間正男君 只今のよくわからないのでありますけれども、これは我々としては事態を判明させなくちやなりませんが、重ねて春日さんにお尋ねいたしますが、先ほど証言された事実は如何でございますか。
  235. 春日敏

    参考人(春日敏君) 椛澤氏は私の言葉を聞き違いされたかも知れません。私が椛澤氏が詐称したとか何とかという意味で言うたのではありません。ただ椛澤氏と一番初めに会いましたときは……、簡單にということでしたのでさつきは少しはしより過ぎましたが、私の所に数回見えたそうであります。ところが或る雨の日に私が外から帰つて来た、そうすると何か邸の中に入つて私のせがれと何か話しておる、それが椛澤氏であつた。それから私はこれはいい機会だ、この機会に椛澤氏とよく話合つたらいいだろう、こう思つて先ずお入りなさい、こう言うと椛澤氏は、いや今日はここで帰してもらいたい、改めて来ます、こういうことだつた。改めて来ると又いつ会えるかわからんから丁度いいときだからお入りなさい、こう言つて招じ入れて狭い部屋で対談した。初めのうちはやはり静かでした。割合この椛澤君は靜かに話をされる。そうして一時間以上話をしておるうちに、だんだんちよつとすごいいろいろな事例の話をされたので、家内と子供がお巡りさんを呼んで来ましよう……、ちよつとちよつとと呼びますから行つてみるとお巡りさんを呼んで来ましようか、いや、そんな心配要らない、よく話をすればわかるのだ、こう言つて椛澤氏とそのときは対談して別れました。併しそのときの椛澤氏の態度というものは相当、私が先ほど話したように自分には子分がいるとか、或いは自分の何だかに詐称事件が起つたとか、自分が牢へ入つたのだとか、こういうお話をされたのです。それで私は別に大した脅迫観念は受けませんが家内や子供は非常に脅迫観念を受けた。それでそのあとで来た男たちは、これは椛澤氏の子分だとか親分だとか、そういうことは知りませんが、とにかくあの辺の人たちが仲介しようと思つてか何かして来たのだろうと思います。又その後椛澤氏と二、三回会つたあとで、それから津田氏がたしか一人で一遍来たのです。その後又津田氏が先ほどお話したように、奥さんと弁護士さんと三人連れで見えた、これが三時間ぐらい、奧さんが泣いて話されたのが二時間。そうしてそのときにいろいろな書類を持つて来て椛澤氏に託された、そして先ほど津田氏が言われたようにどうか飯能か駒場かそこらの家を持つて来て建てた。それで云々、それから何かもうちよつと古くなつて記憶がぼんやりしておりますが、椛澤氏と三十万円とか、六十万円か、九十万円か何か三の倍数のような数字でしたが、それで契約したところが、椛澤氏に借金したり何かして三十万円と思つておりますが、それははつきりいたしませんが、何でも二、三十万円の金を渡したがあとは渡すことができないからそういう状態に陥つたので、月給のような形で、たしか二万五千円と思つておりますが、そういうことでした。一回とか二回とか上げたけれどもあとはこの工場を使うことができないためにその後金を上げることができない。非常に困つているのだから、会長さん、あなたよく考えてくれないかと非常に涙を以て話された。それで私は実は商売人けんかせずということで成るべく穏便にしたいと思つている矢先に、変な人間が示談させてやるとか、三十万円も出せとか出さんでもいいとか、十七万円でいいとか言うて来た男が二、三あつた。その男たちが私どもの所へ来たときの態度が、先ほどお話したように粗暴な態度であつた。尤も引揚者だか何だかわからんような男でございました。そうしてそれからどうも津田氏が非常にかわいそうだと、だまされて気の毒だと、こう思つたものですから、PTAの会合のときに私は、買收してやるのが一番いいだろうと言うて買收を持出したが、そうしたらまあPTAの理事会の数名の理事のかたは、これを、それは会長さん気が弱過ぎる、そんな気が弱くちやいかんぞというようなことで採用にならずにしまつた。その時分にはもう家はできておりました。それで椛澤君が私の所へ見えたのは雨の降つているときで、その前に何でも何新聞かに事件が取上げられて、そうして読売か、毎日か、朝日か、何新聞かに取上げられて記事が出た、そのあとでございました。その椛澤君が見えたときはまだ家は完成していなかつたろうと思います。その後急速に家ができ上つて、津田君が私どもに見えたときは家は完成したときでございました。おわかりになりますか。
  236. 岩間正男

    ○岩間正男君 この問題は、これは我我がこの真相を明らかにすることも非常に重要でございますが、今日の次第にはなつていないと思うのであります。それで殊に参考人同士の話合いということに触れますと限りがないと思いますので、いずれ必要があれば又委員会で取上げて頂きたいと思います。  椛澤さんに一応お聞きしたいことは、どうも我々もあそこに参りまして、このうしろにそういう暴力があるということについて到る所で聞いたわけであります。こういうことは、あなた自身の今のお話にもかかわらず非常にあなたに対しては不利だと思うのです。こういう点についてどうお考えになりますか。
  237. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) 先に春日会長さんのことで初めて気が付きましたが、私が初めて実は文部省に伺つたときに、この土地返還のことについて文部省からPTAの会長に一遍話されたらどうですかということを聞かれて、私が一遍是非会つてみたいと思つて、その当時に私が雨の降るときでありましたが、私は雨が晴れたから、雨が降つたあげくで、長靴で自転車で私が大体の様子を聞いて実は探しに行つたのであります。私がそれであそこらを探したのですが、丁度息子さんですかがあそこにおりましたから、春日さんという会長さんのお宅はどこでしようと聞いたところが、うちでありますとこう言つたから、ああそうですかと言つて実はそこで家さえ覚えておけば又改めて来られる、どうも実際からいつてもふだんのままで長靴で行つたものですから、初めての会長さんに会うのは失礼だからその場で帰ろうと思つておると、会長さんが見えてその事情を話しましたらまあお上りなさいというので上つたのです。そうしていろいろの事情の話を当時したのです。たしか殺されたとか何とかいうことに対しては、昭和二十一年に小宮豊太郎が戰災復興会理事として繩張り争いで殺された事件を或いは私が説明したことがあつたかも知れない。それを私の子分とか何とかいうことは、津田友三郎氏と仕事を始めた当時は、子分なんというものは恐らく私は置いたこともなければ、昭和二十一年当時から私は子分というものを一人もそういう名目の下に抱えたことは絶対にありません。これは極東組はそういう勢力を持つておりましたけれども、当時の要するに暴力行為は誠に自分としては残念で、それに対しては私は飽くまでも正義のために闘うということで、それで極東組と一時争つたことがあるのであります。多分私はこういうばかな人間ですから、話に夢中になると多少声が高い、それを会長さんが、私がその話をしたのに対して、声が高いのでおどかしにでも来たのじやないかというように解釈をされたのじやないかと思います。決して会長の所におどかしとか暴力の下に私は伺つたのでない。あの八百坪を何とかして使わしてもらいたいと思つてその相談に行つたわけで、決して暴力をふるつたとか或いはどなり込んだということは、これは何かの勘違いであると私は思うのであります。
  238. 岩間正男

    ○岩間正男君 時間がありませんので要点をお答え願いたいと思うのですが、併しそういうふうに仮にとられた、事態はまだ明らかでありませんからこれは保留することとして、そうとられたということに対してあなたはどうお考えになりますか。非常に工合惡いと思います。当時のそういう態度に対してどうお考えですか。簡單にお答え願いたい。
  239. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) 私は一番最初話された通り椛澤は暴力団だとか或いは共産党だとがいうことを言われた、会長さんの言われたことは誠に残念だと思います。あなたのおつしやる通りであります。然らばそういうことがこの学校問題に関して……。
  240. 岩間正男

    ○岩間正男君 簡單に、私のほうも時間の関係がありますから。
  241. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) 学校問題に対して暴力をふるつたとか、なぐつたとか、人をけとばしたとかそういうことは確かにありません。若しそういうことがありましたらあとから聞かして頂きたいと思います。
  242. 岩間正男

    ○岩間正男君 その点についてお答えが、私のお聞きしておることについてないようでありますからこれは先に延ばして、現在あなたはあそこで建築会社をやつて関東建設株式会社社長をしていらつしやるようでありますが、あの池袋の所であなたの手で何軒ぐらいお建てになりましたか。
  243. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) はつきりとこれはちよつとわかりませんが、たしか二十何戸、三十戸近く建てましたと思います。
  244. 岩間正男

    ○岩間正男君 そういうとき、さつきの借地権ですか、土地を貸す、そういう場合に、これはどういう條件でそういう人に、建築をやりながら地上権のようなものを、これはあなたは今まで請求されたと思うのでありますけれども、どういう状態にありましたか、二十軒というものは。
  245. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) この問題については私は当時関東建設なる会社は土地売買、或いは建売りをするという定款に謳つて、これを文部省に提出してあるわけでありまして、それに対して私はこの会社として、当時は会社としてこの工事、埋立或いは水道の引込或いは道路の工事、そういつた点において会社として当時金をかけてやつたことであるから、会社としてそれは勿論会社は利益を上げたいと思つて、関東建設という当時はそういう目的がありましたのであります。これに対して隠しも何もありません。戰災復興会の成立当時と問題が違つたのであります。これは戰災当時は戰災者から集めたもので、これは私自身が金をかけたものではないから趣旨は少し違つているのであります。会社としては多少のそれに対しての利益を上げなければ、その金をかけた工事そのものが埋合せがつかないからそれは会社として建売りをしたのであります。
  246. 岩間正男

    ○岩間正男君 文部省から借りられた、学校から借りられたということになるのですが、それで無償で借りられたのですか。
  247. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) その当時は、確かに借りた当時は坪三十五銭だか払つたと思いました。
  248. 岩間正男

    ○岩間正男君 どのくらいで貸されたのですか。
  249. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) それははつきりと今ここでどれくらいということは、帰つて調べてみなければこれは私一人でやつたのではないから、いろいろな実は建築屋さんと組んでやつたことでありますから、ここで幾らということははつきりとは申上げられません。
  250. 岩間正男

    ○岩間正男君 まああなたは社長さんですから責任の地位の人として伺つているのですからお答えがないようでありますから、それではさつきの春日さんのお話と関連しまして、今度のこの津田さんの場合にさつきお話がありましたこの三十万とかの土地の問題、それは二万五千円ずつ毎月払つていた、こういう点について津田さんどうでございますか、そういう事実がありますか、どうですか。
  251. 津田友三郎

    参考人津田友三郎君) それは確かにあります。
  252. 岩間正男

    ○岩間正男君 ありますか。梅津さん認められますか。
  253. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) それは確かにあります。
  254. 岩間正男

    ○岩間正男君 そうすると相当これは厖大な不当利益というふうに考えられるのですね。あなたが三十五銭で借りておいて、そうしてこれは三十万が権利でしよう、それから二万五千円何カ月ぐらい供與を受けたのですか。
  255. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) この二千五百八十三坪に対しては相当な会社として埋立或いはいろんな工事などの経費が相当かかつておるので、これは我々として到底借りた値段で私ら会社としてはその通りには到底できなかつたのであります。
  256. 岩間正男

    ○岩間正男君 それはそうでしようが、相当厖大なもので、あなたの御趣旨によるとあそこに立派な住宅街を作る、そうして日本の再建のためにこれをやるのだと、こういう御趣旨から見るというと、津田さんの奥さんが二時間も泣かれなければならないほどの事態が実はあつて、これは津田さんは先ほどの御証言で認められた。こういうことになつていると思うのです。これはどう思いますか。
  257. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) この問題についてはなぜこういうふうな津田さんに迷惑がかかつたかということは、この土地の問題が都市計画によつて、いろんな都市計画が進行しないために、我我が二十一年に借りた当時から今日に至つて未だ解決のつかないような状態でこのため我々会社としても非常は損害をこうむる、又津田氏にも非常に気の毒をかけた次第であります。それに対しては私は誠に申訳ないと思います。
  258. 岩間正男

    ○岩間正男君 どうも事態はもつともつとこれは我々もお聞きしなければわからない事態もあるようでありますが、問題はこのようにして学校の千二百坪の校地割讓の問題に関連しまして、只今ちよつと短い時間にお聞きしただけでもやはりいかがわしいと思われるような問題があるのであります。又暴力行為のごときものがどう釈明されようとも私はあるということをあすこの空気の中に感じたし、実地調査の中で、而もそういうことを勇気を持つておる人は発言をするというと、そうだという声が満場を圧した事実、そうしたその蔭に或る一つの私は力を見る。又今の先ほどからの東京都の計画の中にもあるのでありまするが、換地を千二百坪学校のほうにそれを大きく押込んでおいて、それによつて三千七百坪の今度は割讓をする土地を見つける。こういう形でこれは東京都の都市計画そのものの中にも私は問題があるのじやないかと思われる。それからそのうしろにやはり利権と結び付くところの一つの動きがあるのじやないか、こういうことはどうもおおいがたいような私は印象を受ける。尤も印象をここで述べる段階ではございませんけれども、そういう形でどうもこの問題が進められている。そうして先ほどの椛澤さんの御証言によりますと、あすこ学校は必ず移転するのだ、こういう前提に立たれてあなたは相当な確信を持つていられる。その原因は何かというと、当時の文部次官の長野長廣君の証言によつてそれが一つの根拠になつており、それからいろいろその後の証言でいろいろなそうあなたは確信を進められた。こういうことで進めているようなんでありますが、私はこういう点から考えましてこういう形で一体あなたは先ほど池袋あたりの明朗な町を建設したいと、学校教育環境としてあすこは不適当である、従つて学校には立退いてもらつてあそこにもつと盛り場を作りたい、いわば盛り場だということになると思います。あなたがあそこは非常にさびれたところだから何とか発展させたい、発展々々という名前で今日やつておりますけれども、大体東京の池上問題、国立の問題、武蔵野の売淫街の問題、立川の問題、あらゆる問題に今までタツチして来たのでありますけれども、事実どういう形だかというと、皆これはパンパンの巣と或いは特殊飮食店、こういう形で民族の腐敗と堕落が進められておる。そういう形にこれはなるのでありまして、学校があそこはもう当然立退くものだ、そういう根拠の上に立つてそれでその後のあそこの池袋の一つの構想が持たれてその方向に進められる。こういう考えというものは先ほどから申述べられたように根拠はいろいろ崩れて行つておる。少くとも併しこれに対する父兄の地元の猛然とした反対がある。又文部省はこれをはつきり否定している。東京都の態度は明らかじやないのでありますが、これは後ほどここに都市計画委員長さんが見えておりますからお伺いしたいと思います。又我々文部委員としては絶対賛成するわけには行かない。こういう形で民族の一つ教育というものがどんどん事実内部的に侵略されることに対しては賛成することはできない。腐敗と堕落のために、こういう点であなたは非常に先ほど憂国の熱弁をふるわれたのでありますが、そういう観点からお伺いするのだが、父兄たちが今日熱情を持つてどうしても日本教育をこの腐敗と堕落の中から護らなければならない、こうして立上つておられるのでありますが、あなたはこれに対して一体どういうお考えをお持ちになりますか。先ほどの憂国の熱弁からすれば、我々はこういうような国民的な一つの熱誠、こういうものに対しては、当然あなたは大きな立場からこの問題を考え、そうしてこういうような日本の民族の将来を担う子供たちをこの腐敗から守ろうとする、こういう気高い行為に対しては、あなた自身は当然これに賛同して同じような歩調で動かれなければならない。こういうように我々は確信するのでありますが、どうでありますか、この点伺いたい。
  259. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) この問題については私個人ばかりで目的を立てたのではありません。当時の戰災復興会として当時から地元かたがた、この皆さんの意見を聞いてそうして相談して今度の問題が起つたのでありまして、これに対して私はこれ以上弁解するということになると、これはただ争いだけでこれは何日かかつても私は解決つかないと思いますから、私はこの問題に対して今日はこれで私の回答だけは一つお断わり願いたいと思います。
  260. 岩間正男

    ○岩間正男君 私は先ほどあなたの国を愛するというまあまさに憂国の至情の熱弁に実は相当胸を打たれた。そういうことをあなたが言つていられる。当然父兄たちが自分の子供をああいう環境の中から守るということは、今日日本はどんなに広い所に置かれても、我々はこれはここで多く論議する自由を持ちませんけれども、今質問をしておるのですが。併しながらこの根源というやつはこれは東京都の都政そのものの中にもある。又最近の政治そのものの中にもある。日本民族の背骨をはずしてへなへなにして何でもこれは外国文化に身を任せる。或いは東京都のほうの都市計画の中でもお聞きしたいのですけれども、例えば三千七百坪を残してそうしてこれが大きな財源になる、都の收入になる。これは都市計画の一環としてどういうふうに使われるかわからないのですが、そうでなくても歓楽街というのを都市計画の中に第一に考えられておる。文教政策というものは先ほど聞いても全然ない。そうして歓楽街を作るというのは、現在の大体の状況におきましては、なかなか地方税の徴收はむずかしい、限度にまで来ておる。従つて競馬とか競輪とか特飮街とかこういうようないわゆる盛り場に財源を求めてこれによつてつて行く。こういう本末を顛倒した形で以て、例えば教育をやるために競馬をやる、教育を進めるために競輪を奨励する、こういう形でやつておる。併し形は、教育は進められておるかも知れませんが、それによつて一方ではとんでもないところに民族の大破綻が来ておる。こういう姿に対して、殊に今日父兄が熱心にここでこの問題について、而もこの今度の要求というものは、あすこから特飮街を全部払つてくれとか何とかこういうような、いわば我々にしてはまだもの足りないくらいの要求であります。わずかに今まで持つていたところの六〇%を取られ、残りの四〇%の中から千二百坪を今まさに割かれようとしておる。これに対する最後の抵抗線と私は思う。こういうようなものに対して、あなた自身の立場としたら当然こういうものに対しては父兄の運動というものを支持される。そうしてこの問題を最も正しく解決するというほうが、私はあなたの置かれておる立場だというように思うのですが、あなたの御説明を聞きますと現在現実はどうもならない、あすこでもうどんどん家が建つているのだ、だからこの現実に従つてつて行くのだということを言いますが、とんでもないことで、現実を忘れている。豊島師範はいつ立つたかというと先ほどのお話では実に長い歴史を持つている。而も現に池袋に千人余りの子供教育を受けている。これは嚴として教育は守らなければならない立場に立つ。そうしてこれによつて、何かあなたのお話によりますと、小金井、向うのほうに移したらよいということですが、これによつてこの現在の教育は解決しない。あれを解消するということによつて豊島の学校生徒は恐らくこれは池袋の小学校に行つてしまう。あんな遠い小金井まで通わせることはできませんから、池袋の学校に分割して百人とか二百人とか皆人つて来る。窮屈なところの学校がますますこういう形になる。こういう姿に対してあなたはどうしても今のような点でお答えになりません。こういうことになるのでありますが、皆さんのこういう御意見に対してこれはお考えになる余地はないのですか。
  261. 椛澤金作

    参考人椛澤金作君) そういう考えで私はお話したのではありません。併しあなたさんの言われることに対して私が幾ら弁解してもこれはただ争いみたいなものになつて、こういうことで争いをするということは、今日この場では、私以上の発起人の中で立派な人がおるから、こういう人に参考人として今度は聞いて頂きたいと思います。
  262. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) まだ委員各位は御質疑がございますようですが、大分時間も経過いたしましたのでこれを以て終りたいと存じます。本問題について調査いたす必要がありますときは更に御足労を願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  263. 梅原眞隆

    委員長梅原眞隆君) 終りに当りまして、委員会を代表いたしまして御挨拶申上げます。本日は委員長及び各委員からの質疑に対しまして長時間終始御熱心にお答え頂きましたことを厚くお礼申上げます。教育施設の確保という重要な問題を十分御賢察下さいまして速かに円満解決をいたすことを切に希望いたすわけでございます。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時四十七分散会