○平林太一君 一応そういう御理由でおやりに
なつたのでありましよう、こう
なつたのでありますから……。併しそれは私から申しますれば極めて誠実な態度ではない。
文部省は今日大学から始めて、高等学校、中学校、これらの
教育のことに專念してなお且つ足らざるものがあることは、今日の我が国の文教行政の上に
考えなければならない事態があることは、極めて明瞭である。殊更かような国際的な、このいわゆる国際
連合の
教育科学文化、こういうようなものにまで一体手が廻りきれるのか、廻りきれないということを良心的に
考えなければならないのである。今日大学の総長が国家の進むべき方向に対してどういう言動をしておるか、それは併し大学の独立を維持し、学問の尊嚴を維持するために言
つているのであろうから、これ又理由があろう、併し国家の進んで行く方向と、そうして又
地方においては、いわゆる高等学校などはまだよろしいようであるが、中小学校においての教
職員の組合の行動、今日あたりゼネストが盛んに行われております。これらの教
職員組合の学問を離れた、つまり自己の職域、職場を全ういたすためにや
つておるところの行動、そうしてそれが中小学校の
教育に及ぼす影響、懐然として膚に泡を生ずるがごとき事態である。現在の
文部省はこれに対して敢然としてこの我が将来の国家の方向に対する、我が文教に対するところの職責を果しておると言えるかどうか。私はその点に非常な良心を持
つて、そうしてこの平和克復後の我が国の文教というものを、我が国家の進運の軌道からいやしくも外すと思われるような手違いをしないように至誠を盡してこれに努めて行く、それでも堪え得るかどうかということを改めて私は反省してもらいたいのであります。こういうことを思えば、かくのごとき
運動は、若しそれ
外務大臣から
文部大臣にや
つてもらいたいということを申入れて来ても、これは遠慮すべきが当然である。にもかかわらず、みずから進んで殊更に
文部大臣官房に渉外
ユネスコ課というものを作り、そうしてこれをおやりになるというのでありますが、私から申しますれば、誠にこれは奇異の感に堪えない。殊に今
説明を聞いておりましても、これは国際
連合を基盤としたいわゆる国際
協力に対する
一つの
活動であり、
運動であるのでありますから、当然
外務大臣所管にならしめて、そうしてこの
ユネスコ活動が国際的に、世界的に
一つの権威と
連絡を常に持
つておることが極めて妥当である。
ユネスコの
教育を、我が国内に
文部省の名によ
つて国内
運動として国民にこれを教えようとか、それから又このことを十分に処置して行こうというようなことは、非常に
文部省といたしましては国民を低く見くび
つている。かような
運動の精神というものは、我が国民如何に敗れたりといえ
どもピンと頭に来ておる。だからこの平和というものができたのでありますから、かようなものを国内に
教育するというような民度の低い国家、国民ではない。
外務省の
一つの
機関といたしまして、そうしてこれに対する方針を定めることによ
つて殊更にこれをいたさなくても、進んでみずからこういうものに対しての
一つの
協力的な態勢というものは整
つて来るものであると、かように私は
考えるのであります。そうすることがこの
ユネスコ活動の本質である。又対外的にも、国際的にも非常な信用をこれは博するゆえんになるのでありますから、その点
一つこれは改めて再認識をいたされまして、私はこの
活動というものの根拠は
外務大臣の所管にすべきものであるということを明らかに申上げておきます。そのことはいわゆる以て、こういう反省によ
つて、更に
文部省が自分の所管になるところのこういうような余分なことに対しましてするところの力を、我が所管の文教のために、国内文教が今後どうなるか、まさに一歩を誤れば、この我が国文教の方向によ
つて国家の運命が没落の運命に至らなければならないということを、今日
地方の中小学校の
教育をいたしておるところのこれら教
職員のいたしておりまするところの
活動やその方向、そういうものをつぶさに見れば、誠にこれはびつくりするような事態が発生しております。そういうことになぜ孜々営々として
文部省は努めないか、そういうことをすることによ
つて文部省自体が国家をこの危局から救うということになる。私はこういう見解でこのことを申上げるのであります。
文部大臣は
一つ速かに
外務大臣に、この
運動は国内
教育の我らの
分野が非常に大切でありますから、どうか
外務大臣のほうでおやり下さいということを、これは改めてこの
運動に対する根本的な所管を先方にそういう意思を表示する意思があるかどうか、これを
一つ根本的な問題としてお尋ねいたしたいのであります。