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参考人(
佐藤功君) 今いろいろと
お話になりました点は、もう私も賛成なのです。そういう気持を私も実は持
つておるわけでございます。今いろいろ仰せになりましたが、この九條が少くとも作られた……、これは御
承知だろうと思いますが、
日本の新
憲法ができますまでの経過を非常に正確に、而もオフイシヤルに書いた総司令部が出しました報告書がございますのですが、あれを見ましても、この九條がマツカーサー元帥自身が筆をと
つて書いた、それが基に
なつたと、でまあその場合に幣原さんがその前にマツカーサーに
お話があ
つたのかどうか、そういうことがまあ興味のある点なんでございますが、そういうことは抜きにいたしまして、そのマツカーサー元帥のみずから筆をと
つてできたものが、その始まりであるということは御
承知のことだと思います。それでその際にマツカーサー元帥がどういう考えを持
つていたかと言いますと、これはあの草案要綱が発表されました一月ほど
あとに、四月五日に、第一回の対日理事会の会合がありましたときに、マツカーサー元帥が有名な演説をしておるわけです。そうして九條の精神というようなものをそこで述べた演説がございます。それを見ましても、これは丁度今
お話になりましたようなわけで、
日本だけがこれをや
つても
意味がないんだ、世界の各国がそれをしなければ
意味がないのだというような、そしてそれが将来の世界の平和の唯一の途であるというようなことを
言つておるわけであります。それから去年解任されて米本国へ帰りましてから、例の上院の
委員会で証言をしたときにも、或る
委員が元帥に対して、あなたは世界の平和というものを
最後的に確保するきめ手になるような方法は
一体何であると元帥はお考えになるかというような質問をしたときに、マツカーサー元帥は、それは
日本憲法だとして、
日本の
憲法の九條のことを引合いに出しまして、
日本のこの
憲法九條のと
つている途しかない、それがただ一つのきめ手であるというようなことを答えておるわけです。だから少くともこの本当の起草者であると考えていいマツカーサー元帥の考え方といたしましては、そういう理想を
言つておるわけで、而もそれが今言いましたように、凡そ一切の戰争というものから
日本が絶縁すると言いますか、縁を切る、そしてそこに新らしい途が開かれるのだというような、そういう気持があ
つたのだろうと思うわけであります。ですからそういうふうに考えますと、そもそもこの
講和條約なり、
安保條約なりで、
日本が世界の片方の陣営にのみ自分の生存と安全を依頼する、そうしてそれによ
つて他の一方の陣営からの侵略に対処する、そういう
安保條約なり
講和條約なりの考え方
そのものが私は九條の考え方と反して来ているのだというふうに思うのです。
憲法でも前文で御
承知のように、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と書いてございまして、決して平和を愛する自由国家群の公正と信義に信頼してとは書いてないわけです。だからすべての国家の公正と信義に信頼するというのが
憲法の考え方で、そこで戰争放棄と、それから軍備を持たないという九條の
規定ができて来ておるのだろうと思うのです。ところがそれが今では世界のうちの片方の陣営の公正と信義に信頼するというような
恰好でなければ
日本の生存と安全は
保持できないというような考え方にな
つて来ておるわけでございますから、そこで今お
示しのような、これが作られたときの考え方とは非常に性格が変
つて来ておるということは、私も認めるのです。そうしてそれは率直に申しますと、私は残念なことであるというふうに考えております。それで今現に問題にな
つておりますこのような問題もそこから出て来る問題でございまして、九條の作られたときの考え方からすれば、こんな問題はもう出て来つこないわけであります。ただそれが出て来たということはそういうことになるわけです。そう申しますと、如何にも
憲法の九條の考え方をルーズに考えて、結局こうずるずると情勢に委ねてしまうというような
解釈じやないかというふうにお思いになるか知りませんけれども、私はそれはですから先ほども申しましたように、ここまで行つたら限界であるという、その限界というものはやはりはつきりさせなければならんと思
つております。その限界というのが私はこの再軍備、そして
保安庁法案というようなことになる、私はそれは限界なんで、そこまで行くことはできない、そこまでもずるずると認めるというわけではないのでございます。ですから今仰せになりました点は、私も多くの部分非常に同感でございます。