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委員外議員(
伊藤修君) 勿論賢明なる
法務総裁であらせられるから、それに対する
ところの
調整は速かに行われる、そうして法の企図する
ところの目的を達成し、
国家治安を
確保されるということは期待してやまないのです。又そうであるべく、又必ずそうなされるものと私は信じて疑わない。併し問題はこの問題に限りません。今後幾多の
治安上において、公安維持の土において問題を生じ得ると思う。
一つの拙査権が単一に発動する場合はよろしい。今日の法行体制のごとく、捜査権が検察庁にあり、
警察にあると、こういう場合において、屋上屋を重ねるがごとき、こうしたいろいろな
改正が行われると、
指示が二途にも三遂にも出て来る。それをどこで
調整するか。それは、あなたの今朝ほどの御答弁のように、当然無効だと
言つて片付けてしまえば問題はないが、およそ行政的
命令というものが当然無効だということはあり得ない。その地位、その権力、その法制の上に立
つて行政的
命令がなされるのですから、当然無効ということはおよそあり得ない。一応その
命令というものは、形式的において有効として存在する。その場合において下級官吏、第一線の官吏というものが、いずれの
指示に従うべきかということは非常な問題です。それを事細かにやりますれば、肝腎な容疑者は逃げてしまう。
治安の
確保なんということは到底期すべくもありません。それを憂うるのです。折角
法務総裁が
努力なさ
つても、第一線のそういうかたがそういうことで摩擦を起しておつたのでは何にもならん。だから
基本的に言えば、先ほどからの御答弁の全
趣旨を総合しますれば、百九十三条のいわゆる検察官の
指示といいますか、検事総長の一般的
指示権というものが優先して、少くとも捜査については、この六十一条の運用の場合においても、その下にすべてが帰一されると、その
基本的原則は結局検察庁法第六条の
規定に基いておよそ捜査に関するものは、
刑事訴訟法の下においてすべて帰一されると、こういう行きかたにあるべきだという
基本原則を御承認なさるといたしますれば、今度のような問題は起り得ないと思うのです。各自が独立して捜査権を持
つておるのだ。だから検察庁の下に
警察があるのじやない。その
指示の下に立
つて命令を受けるということは好ましくない、こういう
あり方は、私はよくないと思うのです。あなたたちが
一つの
指示命令をなさる。又検察庁のほうが
指示命令をなさる。この検察庁の出す場合は、少くとも
刑事訴訟法のこの原則に基いて出すのだから、これが優先してこれにすべてのものが帰一されるのだ、
命令に服従するのではない、帰一されるのだという
考え方の下に
運営されるならば、それは法の目的は達成されるのだ。そうじやなくて、
二つが有効に存在して、
二つがどこまでも並行的に進むものであるというお
考え方であ
つて、それをどつかで
調整するというならば、法文の上に
調整しておかなければならん。これは
法案自体に要請されるのですから、それを六十一条の二の場合において、私は当然予見ざれる事項であるから、この
改正においては、そうした大きな支障をもたらす根拠を与えることになるというのです。極端な例を以ていたしますれば、
総理大臣は
非常事態宣言に至らざる前において、例えば
思想犯に対してはこうである。選挙違反に対してはこうである。或いは公安取締については、集会結社はこうしなく
ちやならんという
一つの
指示を出される。併し検察の捜査の面から
考えた場合において、この事態を収拾するのには、福島ならば福島だけで手を着けてはいけない、総合的に手を着けなく
ちやならん、
一つ所に手を着けたならば、却
つて全体的の事案というものを剔抉することができない。こういう全体的に
考えた捜査方針というものがあるから、これは法文にある
ところのいわゆる公安を維持するために当然必要な一般的
指示事項である。これは、そういう観点の下になされた
ところの検事総長の
指示というものは、まさにあなたの先ほどからの全
説明の
趣旨を総合いたしましても、当然そこに帰一さるべき筋合いのものであると思う。だからと
言つて、その
指示の下位に立つのだ、
命令服従の
立場に立つのだという
趣旨ではなくして、職責は飽くまで捜査という面において対等の地位において、その職務は執行されるのだ、併し法律の
解釈としてそういうふうに帰一されて行くならば納得が行くのです。そうではなくして、
両者おのおの行
つて、そうして最後にどこかで帰一するんだ、調節するんだ、
法務総裁が善処するんだ、その時々において協議するのだという
あり方であれば、この本法の
改正の場合において、その点をはつきりさして置くべき筋合だと思うのです。如何ですか。