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1952-05-07 第13回国会 参議院 地方行政委員会 第28号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年五月七日(水曜日)    午前十時五十一分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     西郷吉之助君    理事            堀  末治君    委員            愛知 揆一君            岩沢 忠恭君            石村 幸作君            若木 勝藏君            原  虎一君            吉川末次郎君   政府委員    国家地方警察本    部警備部長   柏村 信雄君    法務政務次官  龍野喜一郎君    刑 政 長 官 清原 邦一君   事務局側    常任委員会専門    員       福永與一郎君    常任委員会専門    員       武井 群嗣君   参考人    警 視 総 監 田中 榮一君   —————————————   本日の会議に付した事件地方行政の改革に関する調査の件  (メーデー騒擾事件に関する件)   —————————————
  2. 西郷吉之助

    委員長西郷吉之助君) それでは只今より委員会開会いたします。  本日は五月一日のつメーデー騒擾事件に関しまして、関係方面から報告を聞きたいと思いますが、只今国警の柏村警備部長が来ておりますから、先ず国警側説明を聞きます。なおその際御注意申し上げておきますが、昨日本院の本会議法務総裁より一応の御説明がございましたから、説明なさる場合には、それを敷衍する意味において事実をできるだけ率直に御報告願いたいと思います。
  3. 堀末治

    堀末治君 資料は何もないのですか。
  4. 柏村信雄

    政府委員柏村信雄君) お配りするようなものは特に用意して参りませんでしたが、御必要とあれば後ほど又……。  五月一日の第二十三回メーデー状況について御説明を申上げたいと思います。この第二十三回のメーデー講和発効後初めての催しでありまするし、なお破防法反対のストの直後であることとか、統一メーデーが圧倒的に多いことなどのほか、独立によりまする解放感も反映いたしまして、一般的に活気のあるものであり、全国の実施個所も五百二十カ所に及び、参加人員が約百八万に達したのであります。併しながら他方これに便乗いたしまして、極左系学生朝鮮人自由労働者等警察官とか米国へに対しまする極めて悪質な挑発的暴力行為による計画的撹乱を行いまして、遂に東京都皇居広場での放火を含みまする騒擾事件、又京都におきましては、市役所府庁派出所等に対する襲撃を含みまする騒乱事件を惹起いたしたのでありまするが、全国的に見ますると、この東京京都の場合を除くほかは一般に平静でございまして、特に御説明申上げるほどの事件は起つておらんのであります。不法事件の起りました府県は小さいものも含めまして、青森、宮城、それから東京、神奈川、京都、滋賀、兵庫、愛知、奈良の九都府県でございまして、三十五件に上つております。これに対しまして現在まで容疑者検挙四百数十名を見ておる状況でございます。東京都騒擾事件につきましては昨日本会議において法務総裁からもかなり詳細に述べられましたし、本日警視庁からもお見えになつておりまして、後ほど御説明があると存じますので、東京の分につきましては事前情報、又国警参加いたしましての警察措置等について若干申上げ、主として私よりは京都における騒乱事件について詳細の御説明を申上げたいと存ずるわけであります。  東京におきまする騒擾事件につきまして、事前情報といたしましては日本共産党東京委員会におきまして、三月二十一日付通達六十五号として、本年のメーデーに対する通達をいたしておるのでありまするが、ここで非合法中核自衛隊を広範囲に組織し、全面的統一指導権を取るように指示をいたしておるのであります。又細胞会議メーデー参加には竹槍の先に赤旗を付けよ、各人に催涙彈目つぶしを携行せよ、又PD工場及び工場上級幹部の家族を襲撃せよというような情報も入手いたしておつたのであります。又民戰では四月十三日にメーデー当日は自労に働きかけ、共同闘争を行い、税務署市町村役場予備隊デモを行い、デモ隊は二派に分れ、一隊は役場デモをかけ、警備力を牽制し、他の一隊は税務署デモする、予備隊には随時随所に平和署名傭兵反対署名を強要し、場合によつては脅迫する、又デモには竹槍火焔びんを準備せよというような指示をしたという情報が入つておるのであります。なお当日日共党本部におきましては、岩田英一氏が大会終了皇居広場に集結せよというような指示を出したという情報も入手いたしておるのであります。  次に警察措置でございますが、最近税務署又は警察とか、特審検察庁等治安関係機関に対しまする火焔びんその他の武器を使用しての暴力的破壊事犯各地で頻発いたしておりまするし、又今回の第二十三回メーデーは昨年の分裂メーデーと異なりまして極左系のものをも含めましたいわゆる統一メーデーであり、二十九日には民戰系朝鮮人メーデー中央対策委員会参加をも認めておりまするし、講和発効、国会での破防法及び出入国管理令等の審議をめぐつて反対闘争、更にその他全学連等をも含めて中央大会混乱に導き入れられる虞れもありましたし、デモ解散各地において無届デモとか、治安機関等に対する暴力事犯発生も予想いたされましたのでありまするが、メーデーに対しましてはできるだけ干渉をしない、そうして主催者及び参加団体幹部等によりまする自主統制に待つて不法行為の起らないようにする。又そうした場合に不法行為の起りましたときに必要な取締を加えるような態度を以て臨んでおつたわけであります。警視庁におかれましてもしばしば中央実行委員会の人々を招致いたしまして尖鋭分子撹乱工作についての警告をいたし、特に二十六日の前夜祭後の会見におきましては防衛工作の強化を促しておるわけであります。又二十八日に皇居広場使用許可処分につきまして東京地方裁判所におきまして使用禁止処分の違法の判決がありましたのでありますが、メーデー実行委員会としましては既定の方針通り神宮外苑使用を再確認いたしておりましたので、警視庁としましては二十九日、三十日と引続きまして、実行委員会と折衝して、事故防止についてしばしば警告を発しますると共に、不法事犯発生に備えて警戒に万全を期するようにいたしたわけであります。大会状況につきましては後ほど警視庁のほうからの御説明をお聞き願いたいと存ずるわけでございます。  次に京都市におきまする騒乱事件でございますが、先ず事前動向について申しますると、京都地評におきましては三月二十日に彈圧法規粉砕蹶起大会に際しまして、民統系が協定を破る單独行為に出ることを非難して、一線を画し、はつきりこの單独行為に出ないということにしなければ、統一メーデーを行わないという方針であつたようでありますが、四月十一日の第二回の実行委員会で種々議論をいたしました結果、総評側としても自労、学生朝鮮人を含めた統一メーデーをするということにいたしたわけであります。又開催の場所御所前で強行するという決議をいたしておつたのでありますが、更に四月二十八日の許可申請書におきましては、場所御所前にするという申請であつたのでありますが、京都市の公安委員会におきましては会場二條城前にすることの声明を発表しまして態度を明らかにいたしますると共に、整理員とか、ジグザグ行進解散時における交通警察官との協力戎器、凶器の携帯禁止等について自主的統制によつて円滑に行うことを條件として許可をいたしたわけであります。実行委員会におきましては、更に四月三十日最終会議におきまして、全官公系と激論の末、漸く二條城前会場とすることに決定した模様であります。このメーデー前夜祭といたしまして四月二十七日に自由労組の会合、四月三十日の実行委員会傘下労組圓山音楽堂での集合等がございましたが、これらはいずれも平穏裡に終了いたしておりましたが、朝鮮人とか左派の学生、自労尖鋭分子の特異な動向として種々の、以下申上げまするような情報が入手されておつたようであります。先ず朝鮮人につきましては、メーデー当日は一戦を交えることを予期いたし、白鉢巻白襷をかけ、全員プラカード目潰し、パチンコ、竹槍を作り、これに旗を付けておくように準備しておるというような情報、又極左系学生の間におきましては四月三十日の学生大会の席上において、メーデー当日は警察無電カー火焔びんを投げ付けようというような指令をいたしたというような情報、又自労関係におきましては目潰し使用する。中闘の指令は、メーデー当日は五十名くらいの犠牲者は出る覚悟である。今年は思い切つて暴れるというようなことを申しておるというような情報もあつたわけであります。  次に警察措置でございまするが、京都市警におきましては以上のような状況から警察隊との正面衝突が予想されるようになりましたので、四月二十九日に緊急会議を開きまして、市警全員を動員して警備に当ることとし、制服隊二千百二十五名を四個連隊に編成、御所周辺二條城前から府庁市役所から河原町、四條の繁華街圓山公園中心とする一帶に配置いたしまするほか、私服隊相当数を配置して警備に当ることといたしたわけであります。  次に当日の状況でございまするが、二條城前広場会場には午前十時頃から続々と詰めかけまして、一時三十分頃には参加者約二万数千名になつたと思いますが、そういうことで予定通り開会をいたしたいのでありまするが、極左系の妨害に統制が紊れまして議場が紛糾し、一部の尖鋭分子は壇上に駈け上つてマイク線を切るなどの混乱を生じ、議事が全く停頓するに至つたわけであります。こうしておる時に一部労組の間ではこの会議を見捨てて単独に行進を始めるというようなことに相成りましたために、大会は止むなく閉会としまして行進に移つたよう状況でございます。デモ隊先頭は自労がとりまして三キロに亘る行進が開始されたわけでありまするが、共産党員十数名はトラツクに乗りまして終始行進の全列を廻つてアカハタの発刊とか、日共は大衆の先頭に立つて闘うという宣伝を行い、又朝鮮人金日成肖像画とか北鮮旗を掲げ、朝鮮人学生等赤旗の竿は竹槍様の先を尖らしたものであつたということであります。なお別働隊といたしまして、午前十時半頃立命館大学に集合いたしました学生約四百名、京都大学内でデモを始めておりました学生約六十名、人文学園学生約二百名は、いずれも府庁周辺本隊デモ隊に合流いたしておるわけであります。  次に騒乱状況でございますが、先ず最初に起りましたのが府庁前の乱闘でございます。午後一時頃自労約七百名を先頭に、学生隊約千三百名が続き、府庁正面前に差しかかりますと同時にジグジグ行進に移りまして、国警隊長官舎前に停車したトラツクの上から大山郁夫木俣秋水梅林信一氏らがデモ隊に声援いたし、メーデー歌赤旗プラカードの波の中でデモがいよいよ高潮に達したのでありますが、かような状況下学生隊に続きまして北鮮金日成肖像画を押し立てた北鮮旗数旒を靡かせて朝鮮人が約七百名到着をいたしまして、青年行動隊と思われまする数十名の元気のいいものを先頭に、いずれも二尺余りの角棒を提げ、極端に熱狂化いたしまして無秩序な行動に出たわけでございます。そこで府庁前の広場で渦巻となりまして、暴徒的な様相を現わして参つたのでありますが、この時に同志社大学の学生たちも加わりまして喧躁を極めまして、警察隊デモ隊予定コースにのせ、御所のほうへの侵入を防止する警備態勢を布いておりましたのに対しまして、角棒を以て滅多打ちに殴り込みをかけ、或いはラムネ空瓶であるとか、小石等を投げたのでございます。これが約三十分間に亘りまして波状的に繰返して来たのでありますが、警察隊トラツク三台を持ちましてこの警戒線を補強したためにようやく平静化するに至つておるわけであります。この乱闘に際しまして警察側は六名、一般人側が一名負傷をいたしております。  次に民団本部襲撃が行われたわけでありますが、午後一時三十分頃でありまして、丸太町通り民団京都本部前に北鮮旗を掲げました朝鮮人団ジグザグ行進を始めたのであります。これを制止いたしました警察隊と押合いを始めまして学童が用意していた石を本部の建物に投げ付け、青年行動隊と思われるものを中心に約三十名が事務所内に乱入して暴行を働きましたので、この際二名を検挙いたしております。こういうことのために同事務所は二階窓ガラス二十二枚、表入口の扉のガラス四枚、机二脚が破壊され、警察官七名がここで負傷をいたしておるわけであります。  次に鳥丸丸太町巡査派出所襲撃でございますが、午後一時二十分頃京大生約六百名が突然デモ本隊から離れまして御所に向おうといたしましたので交通整理巡査がこれを阻止しようといたしまして約十五分間揉み合つたのでありますが、この混乱の際に民団襲撃事件被疑者二名を同派出所に連行して来たところ、朝鮮人約二百名がこれが奪還のために襲撃をいたして参り、空びんを投げ込み又は竹槍プラカードを以て攻撃し大乱闘と相成つたわけであります。約二十分後にようやくこれを押返したわけでありますが、この際派出所窓ガラス、障子四枚を破壊されるほかサイド・カー一台が大破し、警察官十名が負傷をいたしております。  次に京都地方裁判所前の乱闘でありますが、烏丸丸太町派出所襲撃の余勢で興奮いたしました朝鮮人及び日共グループの一隊約二百五十名は午後一時二十分頃京都地方裁判所前で気勢を挙げまして裁判所構内侵入しようといたしましたのでこれを押返しましたところ、返転いたしまして御所内になだれ込もうとする気勢を示して警察隊衝突し約二十分に亘つて乱闘となつたわけでありますが、御所内への侵入はこれを防止し得たわけであります。この際警察官約三十名が負傷をいたしましたが、国鉄、自労のプラカード六本を押収いたしております。  次は市役所襲撃でありますが、午後二時三十分頃デモ先頭の自労が学生朝鮮人団体約二千名の集団となりましてジグザグ行進の端を作つたわけでありますが、折から警備態勢の手薄に乗じたと申しましようか、市庁舎に投石をいたしたり、或いはプラカードの柄や旗竿等攻撃をいたしまして正面玄関扉の大きいガラス十四枚、市長室ほか一、二階のガラス五十数枚、そのほか電灯グローブ十箇、ブラケツト電灯二箇丸型電気時計一箇を破壊し、玄関前に掲げてありました講和発効を祝う日章旗二旒を引倒して奪取いたしたわけであります。この際に国民救援会等極左系のもののトラツクから投擲用石つぶてを補給しておつたよう状況も見られたわけでございます。  次に河原町通り衝突でございますが、河原町通り三條、四條間は市内でも最も目抜きの繁華街でございますが、午後二時半頃自労に引続きまする学生隊ジグザグ行進を始め三條から四條に至る約四百メーターは一時交通が全く杜絶する状態になりましたので、警察隊予定コースに戻すために道路の東側に向わせようといたしましたところ、デモ隊一団交通整理警察官投石をいたし、警察隊プラカード棒切れを振りかざして攻撃をいたして参り、一部警察官を捲き込んで暴行を加えるなどいたしたのであります。ここに約四十分間を要しまして漸く正常に服したのでありますが、この際警察官四十二名が負傷をいたしております。この現場におきまして一名を逮捕し、日共立大細胞赤旗一旒を押収いたしております。  次が四條大橋巡査派出所襲撃でございますが、午後三時二十五分頃木屋附近朝鮮人団体は四條大橋警ら派出所に対しまして示威を行い、木屋大橋間が歩車道の区別なく充満いたして一般交通を阻止いたしましたので、警察隊コース規制を行おうとするのに対しまして攻撃をして参り、派出所に向つて旗竿を投げ、投石する等の暴挙に出たわけであります。ここで六名の者を検挙いたしております。この際警察官十二名の負傷者を出しておるわけであります。  次に祇園石段下乱闘でございますが、午後三時半頃京大生先頭といたしまする学生隊約千三百名は解散地点圓山公園に入りまする祇園石段下到着したのでありますが、学生隊中最も尖鋭な約五十名が石段下の南側の東大路を遮断しておりました警察隊に突入いたしますると共に、自労の一隊が反転してこれに加わりまして警察隊正面衝突となつたのでありますが、石段下からは朝鮮人を主力とする約三十名が警察隊の背面から怒号、喊声を挙げまして迫り、更に朝鮮人の女、子供を主とする別働隊七十名が石、棒切れ等を雨、あられのごとく投げつけ、数次に亘つて押しつ押されつ繰返しをいたしたわけでありますが、警察隊の一部も止むなく後退せざるを得ないような状況を呈したわけでございます。そこで警察としましては止むを得ず遂に催涙ガス筒二個を投擲しまして漸く暴徒を四散さしたのでありますが、この間交通は全く杜絶いたしまして約四十台の市電が停車しておつたわけであります。この現場におきまして一名を検挙いたしましたが、警察側負傷は百二十四名の多きに達しまして、一般人一名もここで負傷をいたしております。又この渦中にありまして駐留軍乗用車等破壊をされているような状況でございます。  次に圓山公園の紛糾でございますが、デモ解散地でありまする圓山公園におきまする流れ解散警戒のために警察官一個中隊が待機しておりましたところへ、午後四時頃デモ隊は陸続として到着し、いずれも疲労のため休息をとつておりましたが、突然自労、学生朝鮮人一団とする約千名が警察隊に近接をして参りまして、これをアジリ始めましたので、たまたまこれら一団模様を写真に撮影しようとした高等学校の生徒に対して暴行を加えようといたしました者を阻止しようといたしまして一個分隊を派しましたところ、派遣警察隊を包囲する気配が見えましたので、中隊全員が出動いたしたわけであります。ところがやにわに目つぶしを投げ攻撃を加え、背後の築山からはラムネ空びん、石、棒切れ等を投げつけ再び乱闘と相成りましたので、止むなく中隊長は銃を出せ、進めという号令をいたしまして威嚇いたしましたため、これに恐れて一団は約四十メールほど後退をいたしましたが、警察の側におきまして発射しないということがわかりますると、再びラムネ空瓶、石、棒切れ等のあらゆる器物を投げかけまして反撃して参り、警察隊負傷者を出し始めたわけであります。ここに止むなく催涙ガス筒四個を投擲して四散させたわけであります。このときに日共グループのほうにおきましてトラツク公園内に入れましてスピーカー催涙ガス彈使用を非難しておりましたが、彼等はガス有効範囲の外に逃れまして警察官を遠巻きにして動きません。そういうことで対峙の姿勢にありましたが、中に入る者がございまして、解散をするからガス彈使用をしないようにというような申入れがあつたわけでありますが、徒らに時間が経過して解散模様がない。そうして対峙の形が続きまするところから警察隊としてはいろいろ苦慮をいたしておつたのでありますが、そこに応援警察官が漸く到着をいたしまして実力を以て押し出しまして漸く解散させることができたわけであります。この間約二時間ほど経過しておりますがこの現場におきまして二名の被疑者を逮捕いたしておるわけであります。  更に五條七條の両所に対しまする検挙者奪還のための圧力をかけて参つた事実がございます。五條署におきましては河原町、四條大橋附近検挙いたしました被疑者六名を取調べをいたしておつたわけでありますが、学生中心としまする約五十名が赤旗を掲げましてトラツクで押しかけると共に更に約三百名の一団が同署に押し寄せまして乱入せんとする状態となりましたが、午後八時半頃漸くこれを解散さしております。この際七名を逮捕いたしておるわけであります。七條署におきましては河原町條附近検挙いたしました一名を取調べ中でありましたが、午後四時半頃立大法学部の教授の西村信雄ほか三名が参りまして釈放要求をしておりましたところへ、社大生約四十名が押しかけまして署内に侵入いたしましたので、署員がれを阻止して午後六時過ぎ頃に漸く解散させたのでありますがこの際二名を逮捕いたしておるわけであります。  事後におきまする警察措置といたしましては午後六時半までには圓山公園で実力解散させましたデモ隊もおおむね帰途につきまして、五條七條署釈放要求も午後八時半頃には大体解散いたしまして事態は平静に復しましたので、午後九時半頃には警備態勢も解除いたしたのでありまするが、市民に與えた衝撃が少なくないと思われましたので、デモの沿線を中心とする一団を、パトロールカーによつて警邏し警戒のかたわら放送によりまして当日の実情を市民に知らしめる等の方法をとつた模様でございます。  被害状況でございますが、人的被害としましては警察官の重傷十三名、軽傷三百三十二名、合計三百四十五名ということになつております。なお本事件におきまして現場におきまして逮捕いたしました者は六十二名でございまして、そのうち証拠不十分な者等を釈放いたし、立件送致をいたしました者が十二名でございます。  以上京都事件について御説明を終ります。
  5. 西郷吉之助

    委員長西郷吉之助君) それでは次に田中警視総監より説明を求めます。先ほどもちよつと注意しておきましたが、昨日概略の説明を聞きましたので、本日は実態につきまして卒直に御説明を願いたいと思います。
  6. 田中榮一

    参考人田中榮一君) 図面の関係であちらで説明さして頂きたいと思います。  五月一日のメーデー騒擾事件に関しまして概括的に国警の柏村警備部長からお話がございましたが、私はこの都内に発生しました皇居広場におけるメーデー騒擾事件のみに限定いたしまして一応御説明申上げたいと思います。事前状況としましては、先ほど柏村警備部長からいろいろ情報の入手の状況とかまあそうしたものにつきましてはお話がございましたので、大体あの説明を以て一つ御了承願いたいと思うのであります。当日は相当このメーデーを利用いたしまして、一部の極めて極左破壊分子がこのメーデー参加して相当暴行をなすであろうという大体の予想は我々もしておつたのであります。まあ警視庁といたしましては、このメーデーそのもの秩序維持につきましては、できるだけこの主催者であるところの総評側に十分なる責任を持つて秩序あるメーデー実施して欲しいということをかねがね申入れをしておきまして、又その主催者たる総評の自主的な統制に対して、我々ができることはできるだけ応援協力も惜まないということを申入れし、両者事前に極めて密接な連絡をとりまして、この意義ある第一回のメーデー平穏裡に而も明朗に盛大に実施をするように、両者極めて協調の下に計画が進められておつたのであります。従いましてその人員とかメーデー行進の順路であるとかという具体的なことにまで両者十分に密接な連絡をとつて大体この計画ができ上つたのであります。  今回のメーデー皇居広場メーデー大会会場として使用できないという関係からしまして、明治神宮外苑大会会場に充当することを総評としては決定されたのであります。で、この大会会場において大会が終了いたしましてから、大体五カ所に分散してメーデー行進をするということに手筈をきめまして、一つの班は外苑から出まして新宿駅において解散をする、第二の班は澁谷繁華街行進しまして、澁谷駅の、東急の駅の前の広場において解散する、それから第三の班は宮城の外濠を廻わりまして、九段坂通つて後楽園附近広場において解散する、それから第四は南部班と言つておりまするが、これは溜池を通り虎ノ門、田村町を通つて日比谷公園において解散する、これを南部班と言つております。それから中部班はこれは青山外苑を出まして、赤坂見附からこの永田町の自由党本部前を通過いたしまして、この議会の裏を廻わつてそして霞ヶ関へ出まして、日比谷公園に出て解散をする、こういう五つの分散メーデー行進実施することになつたのであります。  当日の模様といたしましては、大会の席上におきまして、石川島造船の一部急進分子が大会参加して演説をやらせろというので席上でごたごたが起り、又朝鮮人並びに全学連、都学連の急進分子が壇上を占領しましていろいろ演説その他についての異議の中立て等がありまして、大会席上においても相当波瀾を招きまして、メーデー主催者としましては成るべく早く行進に移して、大会を速やかに終了しようというような考えから大会をできるだけ早く打切りまして、そしてメーデー行進に移つたのであります。それで現在警視庁としまして、このメーデーに注込みました実際の警察官の数は、沿道その他の警戒並びに解散地における警戒会場警戒その他に約四千百名の警察官使用いたしておるのであります。そのほかこのいろいろの事前情報からいたしまして、メーデー行進中に或いは隊列を離れていろいろな行動に出る虞れもあり、又解散後に如何なる事態が発生するやも測り知れませんので、管下七十三の警察署は警察署員自体をもつてその署管内の警戒警備につかせる、いわゆるその署の自衛態勢をとらせるようなことにいたしておつたのであります。従いまして各署の人員を引上げましてそうしてこの今のメーデー行進その他にこれを取締りに従事させるということはできるだけ避けまして、大体支障のないと思われる極く少数の警察署から一応人員を引上げまして、この皇居広場メーデー行進の沿道の警戒、その他に当てておつたのであります。  丁度この中部班行進を権田口から東交を先頭メーデー行進がプラスバンドで行進を始め出しまするや、全学連、都学連並びに自由労組、勿論朝鮮人も入つてつたと思いまするが、これらの一つのグループ約七千人くらいが別の団体を形成しまして、これはこの信濃町停留所の巡査派出所のあの辺から出まして、権田口から出ました普通のメーデー部隊等を追越しまして、馳け足でもつてその先頭に立つてどしどしメーデーとは全然別個な梯団として行進を始めたのであります。そうしてそれが先ず自由党の前に行きまして、学生群が投石等をいたしまして暴行を働きました。それはそのまま霞ケ関を通つて旧比谷公園に入つたのであります。そうして日比谷公園の旧音楽堂の前に一応集合いたしまして、そうしてこれから皇居広場につつ込む、人民広場を我々の力によつてこれを戰い取れというような極めて激越なアジ演説等がその場で始められまして、そうして喚声をあげて日比谷の公園の入口から日比谷の交叉点に突進し始めたのであります。それから今一つ南部班は、これも青山の外苑の電車通りの口から行進を始めまして、そうして行つたところが、朝鮮人の団体が途中から脱出いたしまして、この中部班に合流して来たような状態でありまして、相当メーデー行進としてはこれらの別動隊によりまして、秩序ある行進が相当秩序を破壊されておつたのであります。図面につきましてちよつと御説明いたします。当時の警視庁警戒態勢といたしましては、このここに三田と水上署の警察官約八十七名ほどがここに警戒しておりて、そのほかにここに第一方面予備隊の二個中隊と更に一個中隊、合計三百四十二名が待機しておりまして、ここで先ず馬場先門を警戒しておつたのであります。それからそのほかにここに三田水上の両警察から来て三十名、それから高輪の警察署員六十七名、それから丸の内の署員八十二名、それからこのうちに丸の内の署員百五十二名、この辺に三十五名、それからこの櫻田門の入口のところに三十五名の丸の内署員が、これだけのものが警戒配置についておつたのであります。これを全部合算いたしますると、大体七百数十名になると思うのであります。そしてこの皇居広場にこれらのデモの崩れたものがどんどん入つて来て、そうして或いはここで集会なり、大会を催す虞れがありますので、一応ここで防止するというような警戒配置をいたしておつたのであります。それでこの数において非常に少いじやないかというような一応のお考えがあると思うのでありまするが、先ほど説明いたしました通りに、現在七十三の警察署署員を引上げまして、これを警戒配置につけるということは非常に困難であります。それから又予備隊等も各方面にこれを出しましてその署の応援をいたしておりまする関係上、こちらは一応この程度にしまして、で、各分担地等の警戒が必要の度が少くなつたその度に応じまして、極力これに集中いたしまして、逐次これを警戒力を増強して行くという方針を立てておつたのであります。然るにこの暴徒のいわゆる行進なるものが極めて迅速でありまして、ここに着きますると暫くしてから直ちにこれに向つて行進して参りまして、一応ここで丸の内の警察署員八十二名がこの交叉点に来まして、これを制止いたしたのでありますが、七千人の大衆でありまするので、怒濤のごとくこれを押し出しまして、これはもう忽ち、制止いたしましても、とてもその力では及ばない。それでこれに一応最初梯団としましては、三千人ぐらい、その次に又四千人ぐらいの梯団が来たと思うのでありますが、一応ここに学生群を先頭に停滞いたしたのであります。これに着きましたのが大体二時二十三分頃に着いたと思います。そしてこの連中はここにおきまして、プラカードの板を全部壊しまして、そうして釘だけを出す、或いはここにおいて戰闘体形のような恰好を示しておるのであります。そこでこれらのものは直ちにこれに全部警戒についたのでありまするが、やがて二時半頃に喊声を上げましてこれから中に一目散に駈け足でもつてプラカード等を先頭に、旗等を先頭にいたしまして、二重橋に向つて突進を始めたのであります。そこでこの部隊はこのまま押されまして、そしてこちらのほうのいろいろ進駐軍の自動車等も相当ございますので、これなんかの警戒に当り、それからこの予備隊は直ちにこの集団のあとを追いながら、二個中隊というものがこれにあとを追いながらここを全部占拠いたしたのであります。そうしてこれがこちらに来ることを極力、正門のほうに突入するような形勢にありましたので、この辺で防いでおつたのであります。それからこの一個中隊もなお不足と見まして、更にこの一個中隊も直ちにあとを追いかけまして、そうしてここに三個中隊というものがここにこの暴徒をここで一応抑えたわけであります。このときにこの暴徒は一応ここでとまりまして、そこで或いはインターを歌つたり、まあいろいろやつてつたのであります。それで当時第一方面の加藤予備隊長が再三再四解散を命じました。で、若し解散をしない場合においては止むを得ず催涙彈等を投擲するかも知れんからそういうことのないように直ちに解散をすべしということを声をからして再三再四ここで警告を発したのであります。そのうちにこの暴徒はこの祝田橋派出所におりました警察官に対しまして暴行を働きまして、三瓶巡査は殆んどここで暴行を受けまして人事不省に陥りまして、その人事不省に陥りました警察官を誠に惨虐な行為でありまするが、意識不明になりまして、抵抗が不能に陥つた者を濠のなかに放り込んでしまつたのであります。そうして、まあ、予備隊の連中が来ましてこの三瓶巡査を漸く濠から引上げまして、漸く一命を取りとめ得たのでありますが、この巡査只今病院に入院中でありまして、一時生命も非常に危かつたのでありまするが、一応生命だけは助かりまして、意識も回復しまして只今専心療養中であります。かような状態にありましたので、止むを得ず加藤予備隊長はこの催涙彈をここから初めて投擲し出したのであります。ここに、これが宮城に突進して行く赤旗先頭にし、宮城に今まさに突貫をして行くところの状況でありまするが、それからこれは漸くその二重橋前に着きまして、そうしてあそこでいろいろデモつたり何かしておる状況であります。そこでこの二個中隊人員にいたしまして約二百数十名だと思いますが、この中隊がここで催涙彈を投げ始めましたので……、その間に警察官との間に相当な乱闘が展開いたしまして、或いは槍で突いて来る、竹積で突いて来る、或いは棒きれで打合うというような関係で……、この暴徒はこの催涙彈にひるみまして、こちうのほうへ、この芝生のほうへ後退をいたしまして、ここにあとから又一個中隊参りまして、この三個中隊というものがここでこの暴徒と対峙をいたしたのであります。併しながら、ここにおりました百八十名……、六十七名これらは直ちにこれに全部応援に参りまして、そうしてここにおりました三田水上の中隊、高輪の中隊なんかと合流いたしまして、ここに百八十四名がここに陣を張りまして、あとから入つて来る者をここで防いでおつたのでありますが、併しながら相当な者がなお且つこれにぽつぽつと洩れて入つて来るというような状況でありました。それからなおこの皇居広場にこれらの梯団が入る前に、すでにぼつぼつ午前中からこういうような芝生に暴徒の一団らしい者が、ここにこういう所々潜在いたしまして、これがここに入ろうとすると、中からも相当な喊声を上げまして、内外相呼応して乱入を相当助けたというような形勢があるのであります。  それから大体二時四十分頃になりまして、大分催涙彈も残り少くなつたのでありまするが、更にここでこの芝生からここまで襲おうのいうので、この二百数十名の中隊がここから更に催涙彈を逐次二時四十五分頃から放り出しまして、二時五十五分には、これは祝田橋通り、これは凱旋通りでございますが、凱旋通りまで押込んだのであります。そうしてこの暴徒はこちらのほうへ又押返えそうとしておつたのでありますが、ここへ自動車が盛んに往来しておりまするので、この頻繁な交通のためにこちらにこれだけの人数が出ることができない、従つてこの交通量のためにこの暴徒はここで暫くの間釘付けの状態になつてつたのであります。そしてこちらから更に応援隊の来るのを、この中隊はここで両者対峙しまして、ここで暫く特久戰をやつてつたのであります。この間にここを通ります進駐軍の自動車に対して或いは棒きれを放つたり、或いは又石を放つたり、相当ありとあらゆる暴虐な行動をここでやつてつたのであります。そうして二時五十五分後になりますと、先ほど申しました、南部班先頭を切つてつた朝鮮人隊約二千名のものがこの霞ヶ関から、日比谷公園に入らずに、一部入りまして、この櫻田門から抜けまして、ここへこう出て参りまして、そうしてここに勿論若干の警戒員がおつたのでありますが、これを排除いたしまして、こちらに出て参つたのであります。でこのときにこれを防いでおりました、警察官がこれは濠の中に投げこまれまして、そうして一般の民衆が、地検これは地方検察庁でありますが、ここへ各署から容疑者を送つて参りまする押送自動車というのがあります。押送自動車に相当な警察官が護衛のためについてくる、ここに十二、三名の警察官がおりまして、この濠に警察官が暴徒のために放りこまれておるから助けてやつてくれという通行人の申出がありましたので、直ちにこの十二、三名の警察官がこれに参りまして、この四、五名、この濠の中に放りこまれた警察官を助けようといたしましたところが、この救助の警察官に対して又非常な打つ殴ぐる、蹴る、の暴行を働きまして、そこで又相当な重傷者を出しておるのであります。そうしてこの朝鮮人部隊がこれがこの芝生に入りまして、この学生群と合流をしたような恰好になりまして、更にこの学生群の気勢はこれからいやが上にも上がりまして、更に又これから向へ寄返すというような状況になつたのであります。それから当時風は警視庁からこう吹いておりました、こういうふうに吹いておりまして、催涙彈はこちらの方に流れて来たのであります。そうしてその学生群のうち、大部分がこちらに、三時五分頃からそちらに移動いたしまして、そうして勿論この中にも、朝鮮人も入つております。学生もこの中に入りまして二つの梯団に分れまして、この梯団はこの芝生に進出いたしまして、そうしてこの梯団はこの芝生に、丁度これは憲法発布式典の式場のできる前の芝生でございますが、ここへ入りましてそうしているうちに、三時丁度、これが移動する時に、逐次引上げました予備隊が、これに逐次増強いたしまして、七方面予備隊の二個中隊、六方面予備隊の一個中隊がこれにこう新たに加わりまして、そうして前の第一方面予備隊の二個中隊だけは、この宮城正門をここに約百七、八十名のものがこれをしつかりここで抑えておつたのでありますが、これに乱入しないように、ここでしつかり防禦をしておつたのであります。それを新たに加わりました新手の予備隊と一緒にここでこれが対峙いたしまして、そうしてこれから盛んに投石をする、こちらに投石をする、更に中には警察官のところに挑みかかつてそうして警察官に追返される、お互にここで乱闘をやつてつたのであります。そのうちに催涙彈の、風がこう参りますのでここにおつた連中が催涙彈ガスに相当圧迫を受けましたので、これが風上のほうへ移りまして、それと同時にこの朝鮮人の梯団がここに三時十五分頃この隊形になつたのであります。そうしてこの警察官の隊形は止むを得ずこういう隊形に移りまして、これと連繋をとりまして絶対にこちらへ入らせぬような隊形に移つたのであります。そうしてこのときにこの朝鮮人の梯団が竹槍を全部先頭に立てまして警察官に突込んで来たのであります。このときは警察官もここで更に又乱闘が始まるというような極めて緊迫な大勢になりまして、ここですでに乱闘が始まつたのであります。これは丁度三時十五分であります。で、先ほど申しましたここで乱闘が始まりました際に警察官竹槍を持つて突いて来ると警察官も警棒で以てこれを受けておつたのでありまするが、相当負傷者も出ましたので止むを得ず警察官としても生命を擁護するためにここで拳銃の発射が行われまして、そして拳銃の発射と更にこの予備隊が新たに又催涙彈を携行して参りましたので、この催涙彈をここで又投げまして、中には催涙彈を又こつちへ投返すというような相当の乱闘状況がありまして、これが催涙彈とそれから拳銃の発射によりましてこの梯団をずうつと一挙にここまで追返してしまつたのであります。これは丁度三時三十分から三時五十分、二十分間の間にこれをここまで追返してしまつたのであります。そうすると、その中で一部の朝鮮人等がこれから追返されたものですからこれからここを出まして、そうしてこちらのほうへ出て来た。この三時五十分頃にこの梯団が出る際に自動車に放火いたしたり、相当乱暴狼藉をやつたのであります。それから最初学生群がこつちへ来ますときに、この辺にありました自動車に対して投石をしたりなんかして窓ガラス破壊したのであります。そうしてこの百八十七名の警察官はこの態勢に移りまして、そしてこれをこちらへ全部出す、追返してしまうという態勢をとつたわけであります。そうしてこの辺の自動車を更に十分に警戒をするという態勢に移つたのであります。そうして三時五十分頃から約四時、十分の間にこの芝生におりましたこの学生群並びに朝鮮人の一部をこの力によりまして更に圧力を加えまして全部こちらへこれを排出したのであります。この辺に若干残つておりましたけれども、これは逐次あとから出すということにして、部隊だけを全部排出いたしまして、これがさようにいたしまして、この出た者は大部分これから解散したようであります。途中交番とか警察署の襲撃ということもありませんで一応これは解散したのでありますが、これから出ました一部と、それからこれから出ました一部が又ここで千人くらいこの三信ビルの前で相当とぐろを巻いておつたのでありますが、これはこれからこの警察官の余力と、それから又更にあとから来た警察官の余力によつてこれを逐次解散させるというような方途を講じまして、大体これをここへ追拂つてしまつたのは四時十五分で、四時十五分に大体全部追拂つてしまつたのでありまして、丁度二時半から始りまして四時十五分でありますから一時間と約四十五分の間この中で暴れ廻つたのであります。一時間四十五分でこれを全部追拂つてしまつたのであります。これに要しました警察力というものは、今申上げましたように大体五、六百名の警察官でこれを全部追返してしまつたのであります。  ここに入りました暴徒の数でありますが、これは正確なものは到底わかりませんが、大体八千から九千ぐらい、これは正確な数字はもうわかりません。これは併しながらここに相当見物人といいまするか、やじ馬等も相当たくさん入つておりまして、どれが暴徒でどれが見物人であるかそれもすらわからぬ状態でありまして、まあ全部入れれば一万人くらいになつたろうと思うのでありますが、実際これ全部が暴徒であるとは云えないのであります。中には見物人もおつたろうと思うのでありますが、要するにこの辺におつた者が暴徒の一群であろうということが言えるわけであります。そうしてこの部隊は最後まで、これがすつかり平静に帰しましてもなおここにこのまま釘付けでここに警戒配置をしておつたのであります。それから私どものほうも大体相当な暴行をやるであろうという予想はございましたので、警察官の拳銃を予防措置としまして一応全部外さしたのであります。そして百人のうちにまあ二十人くらいはこれは拳銃を持たして、これを拳銃の部隊として編成させ、それからあとの者は全部拳銃を外させまして、そして暴徒に対抗するという態勢をとつたのであります。と申しまするのは、その情報によりまして、拳銃を奪取するというような情報もいろいろ事前にございましたし、又拳銃を奪取されはせんかというような心配から思う存分な働きができないというようなことになりましてはというので、拳銃を一応外させまして、そして一部拳銃部隊を作りまして、そしてここで警戒に当つてつたわけであります。それから拳銃を発射いたしまして死傷した労組員が一名おります。それから重傷をこうむつた学生もあつたようであります。相手方暴徒の負傷した数は今のところ判明はいたしません。何名でありまするかはつきりした数字は判明いたしませんが、相当な数、数百名の数には上つておるだろうと思います。又負傷した者の中で明らかに警察官に公務執行妨害をして警察官乱闘の結果負傷したと認められるはつきりした証拠のある者は直ちに令状を取りまして、病院等においてこれを逮捕するという措置をとつているのであります。従つて暴行した者が直ちにこの容疑者であるということは言えんかも存じませんが、一応負傷している者は警察官乱闘して負傷しているということが推定できまするので、恐らく負傷者の申し出と申しまするか、負傷者の名乗りというもののないということが現在相手方暴徒の負傷者の数が確実につかまれん一つの原因であろうと考えているわけであります。  今回の事件によりまして多数の外国自動車を炎焼させ、又何ら罪のない駐留軍の兵隊に暴行したということは誠に国際信義の上から許すべからざる暴虐なる行動であろうと思うのであります。今回の行動は私どもは明らかに尖鋭過激な分子が一つの組織的な軍事行動の一環として、こうした暴虐なる行為をやつたものであると信じているのであります。同時に今回の暴徒の特徴は極めて残忍性、残虐性があるということであります。それから全学連、都学連、朝鮮人並びに共産党の地区委員が相当これに加わつております。そうしてこれらの者一人々々が極めて残虐なる気持で警察官に対して暴行を行なつたということであります。勿論当初から警察官殺傷の目的でかずかずの凶器を隠匿して会場に持込んだのでありまして、メーデーが、大会が始まると同時にかかる凶器が会場に持込まれる状況を確認いたしましたので、大会の責任者にかかる凶器を持込むことは甚だけしからん、最初の條件にも反することであるし、十分注意方を責任者に警察側から喚起いたしまして、こうした凶器は直ちにこれを放擲するように大会の責任者からそれぞれ地区の責任者のほうへ申渡したことは事実であります。併しながら地区の各組の責任者から個々の組合員にそれが伝達が十分に徹底されたかどうかということはこれは疑問であります。恐らく総評参加一般の組合員にはそれが十分に徹底されたろうと思うのでありまするが、こうした一部の急進分子の別動団体にはこれを徹底さしたところで、その命令に服するということは全然なかつたのではないかとかように考えるのであります。  それから今回の騒擾事件におきまして、極めて私どもが注目すべき事柄は、メーデーそのものは極めて円満裡に、平穏裡に終つたということが言えるのであります。その証拠にはこの恐らく学生並びに学生群は先端を走りまして、先頭を走りて、そうして他の労組員を誘導してこの皇居広場へ全部導こうというような計画つたのではないかと思います。併しながら他の一般労組の梯団は大体総評の責任者の命令通り日比谷公園内においていずれも平穏裡に散会をいたしまして、この皇居前乱入の梯団の中には恐らく入つたものはなかつたと私は信じているのであります。或いは見物がてら若干その中に入つた者があつたかも知れませんが、殆んど大部分の労組員というものはこの日比谷公園内から全部この梯団とは全然別行動で、それぞれ帰宅をいたしているというような状況でありまして、かような点からいたしまして、このいわゆる急激な分子の指導する団体行動とは全然別な行動をとつて、そこに健全な労組メーデーと、この暴戻な梯団のメーデーとの間に一線ははつきりここに画されたということが、これが今後の労組の動きかたについて十分に一つ我々としても注目すべきことであろうと考えるのであります。この点は一般大衆がこうした一部過激分子の、極左分子の指導に乗らなかつたということは、私は大衆自体としても十分に自覚ある行動をとつていたということが考えられるのであります。  今回の事件によりまして負傷いたしました警察官は、昨日法務総裁から国会に御報告があつたと存じますが、重傷者八十三名、軽傷者六百七十八名、合計七百六十一名でありまして、重傷した者はそれぞれ十分なる手当を盡し、又見舞金その他についても十分遺憾のないような措置を講じている次第であります。  それからなお今回騒擾事件を起しました、実際にこの皇居前におきまして指導的な役割を演じたり、或いは又警察官に対して極端な暴行行為を行なつた者、又は相当助成した者というようなものは、大体本日午前九時現在におきまして検挙人員が三百二十一名、検察庁に送致した人員がそのうち二百七十八名、拘留人員が百十名ということになつておりまして、なお今後続々として検挙されるものと考えております。警視庁としましては、この事件によりまして徹底的に一つこうした極左分子の根源を衝きまして、そうしていろいろ今まで相当な不穏計画、或いは警察、交番の襲撃というようなことも計画をしておつたのでありまして、まあこういうような事件をきつかけに徹底的な検挙をいたしまして、どの程度できるか存じませんが、抜本塞源的な一つ検挙をいたしてみたいとかように考えておる次第であります。当日皇居前の警戒態勢は先ほど御説明申上げました通りに、当初におきましては七百名程度の人員であつたのでありまするが、大体各方面のメーデーも漸く終了いたしまして、最後には二十二個中隊ぐらいで、この周辺をすつかり整理いたしたのであります。そこで警察官の士気の点でありまするが、最初御説明申上げましたごとくに、この二重橋の袂におきまして僅か二百数十名の少数寡勢を持ちまして、六乃至七千の大衆に敢然として抵抗いたしまいて、とにかく二百数十名でこれを後退さしておるのでありまして、ただこの六千名、七千名の暴徒でありまするが、これは本当にいわゆるモツプでありまして、何ら指揮系統も何にもない一つの烏合の衆でありまして、従つてまあそういうようなためにこの二百数十名の寡少な警察力を以てこれを押し返したのでありまして、まあ将来こうした問題につきまして、我々も相手方が今少しこの組織的な方法を持つて来た場合においても、十分に考慮する必要があるのじやないかと考えております。それからこの今回の騒擾事件によりまして、警備に当る我々といたしましても、いろいろ装備であるとか、施設の点につきましてまだまだ十分でない点も多々あると考えております。早急にこの装備、施設の点につきまして、不備の点につきましては、即刻改善をいたしまして、又強化すべき点は直ちにこれを強化し、整備すべきものは至急これを整備して、再びこうしたことが絶対に起らんことを期して万全の方策を立てたいと、まあかように考えておるわけであります。  一応事件の報告だけを申上げた次第であります。
  7. 西郷吉之助

    委員長西郷吉之助君) 次に法務府より説明を求めます。
  8. 龍野喜一郎

    政府委員龍野喜一郎君) 宮城広場における騒擾事件の概況につきましては、昨日の参議院の本会議における法務総裁説明、並びに当委員会における国警当局及び警視総監の御説明によりまして、大体御了承と思いまするので、省略いたしまして、この事件に対する法務当局の態度、並びに見解について極く簡単に御説明申し上げたいと思います。  本事件発生いたしますると同時に、東京検察庁におきましては、直ちに係員が現場に臨みまして、本事件騒擾事件であるという認定の下に、騒擾に関する罪、並びに公務執行妨害に関する罪として検挙を開始いたしたのであります。今日まで判明いたしておりまする送検を受けました数字は、先ほどの警視総監の御説明にもありました通り、二百七十八名でありまするが、目下引続き東京地方検察庁及び東京警視庁におきまして、国警本部、特別審査局の協力の下に、事件関係者の徹底的糾明に当つておりまするので、逮捕者の数は今後相当増加する見込であります。検察庁におきましては目下全力を挙げて、右事件被疑者の確定、逮捕、証拠の収集に当り、特にその背後関係計画性の有無等、事件の全貌の糾明に努めておりまするが、真相の判明次第徹底的に糾明して断固たる処置をとる決意を持つておるのであります。  次に私どもが見まする本事件の性格でございますが、目下検察庁におきまして捜査実行中でありますので、確定的なことは差控えますれども、今回のメーデーデモ参加者の大部分を占める総評下の穏健な労働組合員は、終始平穏裡に行事を行い、予定解散地点において、それぞれ無事解散いたしたのでありまするが、本件は一部極左的破壊分子が群衆の興奮を利用し、激越なる扇動によつて行なつた計画的、組織的な暴挙であり、彼等のいわゆる軍事委員会の指揮によつて計画的軍事活動として実践されておるものと考えておる次第であります。実際騒擾に加わつたと思われる暴徒は、それぞれあらかじめ用意していた日本共産党地区委員会の旗、同細胞の旗、北鮮国旗のほかに、竹槍、梶棒等の付いておりまするプラカード等を振りかざし、これを武器として使用いたしたのであります。  なお、今日までに騒擾罪の容疑で検挙した者は、先ほど申しました通りの数字でありまするが、その年令層を見ますると、三十歳未満の青少年が全体の約三分の二を占めており、又学生朝鮮人、自由労務者、日本共産党細胞員などが占めておる割合が比較的多いということが、この騒擾事件の特徴であると考えておるのであります。  次に今事件の背後関係について考察いたしまするならば、今まで検挙いたしましたものの取調によつて察しまするのに、この背後関係について想像いたしまするのに、本年二月二十一日の反植民地デーにおける蒲田事件、同月二十三日の京都事件等と同様、その主体は一部極左的破壊分子であつて、彼らの企図する暴力革命の準備の実践の一環として行われたものと推測いたしたのであります。今次メーデーに際しましては、これら極左的破壊分子のメーデーを利用する策動に関する情報が入手されたのみならず、メーデー会場及び行進中において、人民広場へ参集せよ、或いは又実力で人民広場を戰い取ろうなどという内容のビラが多数に撒布されて、大衆を扇動するなどの行為が活溌に行われ、又は日本共産党幹部の岩田英一君が主要な役割をいたしておつたのであります。こういうようにして、法務当局といたしましては、この事件を單なる事件と見なくて、相当の根拠ある組織的な破壊活動と見ておるのでありますが、最後に一言申上げまするならば、この騒擾事件によりまして、暴徒測にも死者一名並びに相当数の負傷者を出したのでありまするが、これに対する警察官の責任であります。即ち警察官が発砲によつてそういう死傷者を発生せしめた場合を考えて見ましても、これは、暴徒の襲撃によつて自己又は他人の生命身体に対する侵害に対する防衛のためでありまするので、法務当局としてはこれは当然正当防衛を以て律すべきものと判断をいたしたのであります。従いましてこれに対する国家賠償の責任はないものと考えております。本事件を通観いたしまして、私どもの感じておりますることは、目下国会に提案いたしておりまするいわゆる破防法の必要をますます痛感いたしたのでありまして、何とぞ皆様におかれましても破防法の成立につきましては一層の御協力をお願いする次第であります。
  9. 西郷吉之助

    委員長西郷吉之助君) これで一応の説明を終りましたので、御質疑をお願いいたします。
  10. 原虎一

    ○原虎一君 法務府にお伺いしますが、この計画的な騒擾であるという判断を下されておるのですが、計画的であつたであろうということは我々も想像できるが、計画的であればそれが事前に相当の情報が入手できるわけです。特審局等があつて事前に相当の情報を入手されたかどうか、先ずその点からお伺いしたい。
  11. 龍野喜一郎

    政府委員龍野喜一郎君) 御尤もであります。特審局におきましても今回の不祥事件に関する情報事前に若干入手しておりまして、それが対策を関係方面とも協議いたしたのでありますが、警視庁当局といたしましては、先ほど警視総監より御説明のありました通り主催者側幹部に対して数回に亘つて厳重な申入れが行われ、暴力的不法事犯発生防止について協力を求めるというような根本方針の下に、これらの方面について刺戟を與えないという態度を堅持いたされました結果、相当の情報は入手したのでありまするけれども、宮城前におけるあのごとき騒擾事件は無論必至と考え得なかつたという点は、確かに申上げ得ると思うのであります。
  12. 原虎一

    ○原虎一君 この事件は今法務府が最後に言つたように、だから破防法が必要という結論を出して、この委員会にその通過を要求するという考え自体が僕らには了解できんのです。この事件はですね、今法務府がこれを利用しようとする考えがあるかに競える説明をされるということは、これは或る政党のごときはそういう考えを持つている者がいるかも知れません。併しこの問題は私は一党一派の問題で考えるべきじやない。独立国家として初めてのメーデーでああいう不祥事があつたということは政府自体が責任を痛感しなければならない。それなくして日本の治安の維持はできないのです。法律さえあれば取締れるのだという考えを以て、而も相当の国費を使つている特審局が調べて、この程度の問題が未然に防げないのは情ないです。その責任を考えないで、又法律を作ればそれで取締れるのだ、これはとんでもない間違いです。であるから私は先ず特審局が具体的にどういう情報を握つたか。今の御説明では一体特審局それ自体が、法務府それ自体が、警察予備隊の出動と、あらかじめ予想する程度の情報を握つていたのかいないのか、御説明によれば、予備隊の出動を考えていなかつたことは事実であります。昨日の本会議における大橋国務相の答弁も、或いは法務総裁の答弁もそうです。併しながらかねて治安を維持するために国費を使つて警察予備隊を作つてあることは御承知の通りであります。でありますから私お伺いしたい点は、これは警視総監にも関連いたしまするが、一体この程度の事件を、こういう事件が起きるということは事前情報があつた。新聞にあるところによりますと、警視総監は情報はあつたことはあつた情報を握つておりながらこれだけの事件が未然に防止できなかつたという責任は一体どこがお持もになるのであるか、これは情報の入手が悪かつたために予防できなかつたのか、相当の情報は入手しておつたけれども、その予防の警備措置が悪かつたためにこういうことになつたのか、その辺のところの責任が、どなたも御説明がないし、お考えないようであります。ただ共産党が一部計画したから、極左の分子がやつたから……、それだけを攻撃すれば事足りるという態度、それだから取締る法律が必要だということでは、我々は了解できないのです。もつとその辺の警備、予防の方法をどう考えられたか、どう予防の措置をおとりになつたか、この点をもう少し御説明を願いたい。  この問題を我々が判断するには、今言つた予防措置と、それから今後を如何にすべきかと、こういう問題に考えるべきであつて、ただあなたがたの御説明を聞いておれば、一部極左の連中のみが計画的にやつたものである、計画的にやつたものである。成るほど計画的であつたろうけれども、計画的であればあるだけ先ほども申しますように、それぞれの責任の立場にある機関が万全の策を講じなければならなかつた。それを何も講じていない、その報告がない、これは甚だ遺憾であります。でありますから私お聞きしたいのは、予防に如何なる努力をし、如何なる対策を講じられたか、その点の御説明を願いたい。
  13. 龍野喜一郎

    政府委員龍野喜一郎君) 先ほども申しました通り特審局におきましては若干の情報を入手いたしまして、警視庁当局とも連絡いたしまして、それぞれ発生防止について協力を求めておつたのでありますが、これから先は警視総監から御答弁があると思いますが、警視庁当局のこのメーデーに対する警戒方針関係もありまして、警察力が相当分散されておつた、従つて宮城前におけるところのあの騒擾事件発生というものに対して手薄な状態にならざるを得なかつたという点は、我我もこれを認めておるのであります。なお御質問の中に、その問題については誰が責任を負うべきかという問題でありまするが、無論こういう問題に対する政治上の立場における責任は、政府もこれを考えなければならんと思いまするが、法律的な、直接的な責任という問題になりますると、御承知の通り現行の警察法の関係において、政府としては直接警察を指揮命令する関係にないのでありまして、従つて法律上面接の責任は、今日の段階においては政府に求めることは困難じやないかと我々は考えております。
  14. 原虎一

    ○原虎一君 私のお聞きをいたしておるのは法務府としては特審局があらかじめ事前において情報をとつておられる、従つてこういう事態を予防するためにその情報に基いて如何なる措置をされたか、ただ情報を流しただけであつて、その情報に基いての予防は警視庁なら警視庁に任したのであるか、その点を明らかに願いたいのであります。
  15. 龍野喜一郎

    政府委員龍野喜一郎君) 先ほども申しました通り特審局といたしましては若干の情報を入手しておつたのでありまして、これを警視庁とも連絡いたしまして、事前に方途を協議いたしたのであります。それから先の話は警視総監の責任において、如何なる警備態勢をとるかということ、これは警視総監のお考えだろうと思います。
  16. 原虎一

    ○原虎一君 そういたしますと、具体的にお伺いしたいのでありまするが、法務府として警視庁と予防のために必要な措置をとるべく相談された、それから法務府との考えとされて、警察予備隊の出動までを計画しておく必要はなかつた、その程度の情報であつたか、この点を明確に願いたいのであります。
  17. 龍野喜一郎

    政府委員龍野喜一郎君) 情報の内容は情報でございますから具体的に申上げるわけに行きませんけれども、警察予備隊の出動を待たなければならんという程度の情報ではなかつたのであります。
  18. 田中榮一

    参考人田中榮一君) 私から情報入手後の措置につきまして先ほどその一端を御説明申上げたのでありますが、当日極左破壊分子メーデーを利用して相当な暴力破壊活動をなすであろうという情報は我々も入手いたしておつたのであります。それが如何なる方法でなされるかという具体的な問題につきましては十分にまだわかつてないのでありまするが、併しながら客観情勢その他の今までの彼らのやつた行動から推察いたしまして、いろいろなことは予想できるのであります。その一つは、大会会場において大会そのものを混乱に陥れる。そしてメーデーすらも、メーデー行進すらも実行できないような状態に陥れるというようなことも考えられた。それから又メーデー行進中に、メーデー行進とは別個にいろいろな警察署の襲撃であるとか、或いは交番、派出所襲撃であるとか、又そうした暴行行為も一応考えられたのであります。それから又解散地におきまして更に又気勢を挙げまして、そこで大きな示威運動なり示威行進を又始める、その解散そのものを混乱に陥れるということも考えられた。それから今度は解散してから後に相当な繁華街を示威行進して練り歩く場合によつてはその余勢を駆つて交番、派出所税務署、その他官公庁にデモをかける。或いは襲撃をするということも一応考えられた。それから又一面皇居前のほうへ乱入するであろうということも考えられたのであります。警視庁といたしましては、こうしたあらゆる情勢判断から、それらに対しまして何としても警察そのものの警戒態勢を手薄にするということは非常に危険を生ずるというような考えからいたしまして、十分にその警察の自衛態勢というものを強化いたしまして、そして割き得る最小限度の警察力を以て皇居広場その他の周辺を警戒に当つてつたわけであります。若し又皇居広場のほうに相当なものが流れて来ることも予想されまするので、一応その他の地区へ派遣しておりまする予備隊も逐次これを任務が終了次第これを中心地に集中するという手配も実は考えておつたわけであります。併しながら若干時間のずれもある、又たとえ皇居広場に乱入いたしましても、こうした我々の予想せざるようなこの暴戻なる残虐行為をあえてするということは、我々もそれほど予想はしなかつたのでありまして、まあこの点につきまして若干私どもの予想に反したわけであります。いろいろ整備上万全の策は十分立てたつもりでおりますが、当日の客観情勢からいたしまして、あらゆる方面に警戒を必要とするというために、十分なる警戒力をあの周辺に置けなかつたということは、まあこうした事情があるのであります。今いろいろ責任の問題等もあつたのでありまするが、いろいろ整備上につきまして手落があり、又警備上につきましてこうしたいろいろ事態を起したことに対する責任は、当然これは警視総監の責任であると私は考えております。
  19. 原虎一

    ○原虎一君 我々この委員会としても警察制度の問題がこれを機会に非常に研究されなければならんとどなたも考えると思うのです。私は先ほどからお伺いしておりますように、警視庁の今日の機構を以て、情報がもつと正確に得られなかつたために、こういう問題に対する予防の措置ができなかつたとするならば、警視庁のその欠点を如何にして補うかという問題を考えなければならん。殊に今回の問題が、政府が声明するごとく、又国民もそう見るごとく共産党員の指導によるものであるならば、特審局が情報を十分に把握されて、それに対する処置が講ぜられなかつたことは当然であります。先ほどお伺いする点によりますれば、私ども又国民も不思議でならんことは、かくのごとき事態が起きるのに僅か二百人以下の警官で宮城広場を、皇居広場警戒しておる。皇居広場使用云々の問題については、これは別でありますから、私は本問題の警戒の任に当るその当局に対してお伺いしておる。警戒方面からのみお尋ねしておるのでありますが、一体総監の今までの御説明、今の御説明から聞きましても、今回は警察予備隊のあらかじめ出動を必要とするようなことが起きないとも限らないというお考えでなくして、この警察予備隊との何らの連絡事前にとつておられなかつた。これは今度の事件で私は警察予備隊というものが手を供いて全然知らないでおるということは誠に不思議なことなんです。それほど情報が不確実であつて田中警視総監警察庁の責任において一切やれるということを政府にでも言明なさつたのですか、その点をもう少し明確にして頂きたいと思います。
  20. 田中榮一

    参考人田中榮一君) 只今の御質問に対しましてお答えいたしまするが、警視庁方針といたしましては、講和後第一回のメーデーでありまするので、当初から総評側とも極めて密接な連絡をとりまして、できるだけメーデーそのもの一つ平穏裡に終了させたい、なおこうした極左破壊分子行動に対しましても、我々としては殊更警察から挑発的な行動をとるということに対してはできるだけ避ける、成るべくできる範囲において平和裡にこれを解散させるということを実はモツトーにいたしまして、仮に暴行事件等が起りましても、これを最小限度に食いとどめまして、そうして一刻も早くそれを解散させる、平静に一刻も早く復せしめるという方針をとることが最も妥当であるという考えからいたしまして、そういう考えから警戒配置をいたさしたのであります。もとより若しこれが本当に我々のほうで当初から対抗する意識で以て、戰闘体形で行くとしたならば、私はあの六千の暴徒を、これを防ぐについてあの程度の警察力で拳銃でもどしどし発射したならばあれで十分であつたと考えております。併し我々は、警察官の任務というものは單に拳銃を発射しまして相手を殺傷いたしまして、それで相手の勢力を殺ぐというのが目的でないのであります。いやしくも警察官の任務というものは、御承知のように警察法の第一條に謳われておりますごとく、できるだけ予防鎮圧するということが目的であります。相手方を成るべく傷つけることなくこれを予防する、そして万止むを得ざるときにおいてはこれに対して拳銃を発射せざるを得ない、或いは犯人を捜査し、逮捕し事件としてこれを立てる、そしてその根源を通じて抜本塞源的に将来の対策を講ずるというのが警察官の件務であろうと、かように考えております。若しこれが、警視庁警察官警察予備隊的に拳銃で一斉射撃でやろうとするならば、私は百かつ百の武力さえありたならば完全にあの暴徒というものは鎮圧できたと、今でも私はそう考えておるのであります。併しそれは警視庁警察の任務ではない、少くもできるだけあの暴徒を平和裡にこれを解散させる、併し若しこれに対して飽くまで対抗し、暴力を行使する者に対しては断然これを検挙するという方途を講ずることが必要ではないかと、かような見解からあれだけの警戒配置をいたしたのであります。併しながらその暴徒のその様相を見つまして、我々の考え方よりもつと高度の暴力的な様相を呈しましたので、直ちに各方面から予備隊のいわゆる集中を急速に行いまして、早急に展開をいたしまして、あの暴徒を抑えたわけであります。我々のほうの応援隊員が来る前にまあ二百数十名、三百名近くの寡少の警察官でとにかく一応暴徒を抑え、逐次増強されるに従つてあの皇居広場というものを一応平静に復したわけであります。その点において若干私どもの警戒配置の数が足りなかつたということを言われたならば、それはどうも止むを得んと思います。ただその当時の都内全体の警戒配置の数からして、一応あの程度の警戒配置人員しか取れなかつたという実情は十分一つ御考察願いたいと思います。
  21. 原虎一

    ○原虎一君 もう一つ、非常にこれは問題がデリケートでありますし、でありますからむずかしい問題でありますけれども、我々の立場から考えますれば、先ほども言つておりますように万一の場合には予備隊の出動によつてこれを防ぐということについての警戒心すら警視総監も持つていなかつたし、それから法務府自身も持つていないということが、今までの答弁のうちで明確になつたのではないかと思います。その点を私は申上げておる。例えばその一日置いた独立記念式典、憲法五周年記念式典においては、参列とはいえ警察予備隊がかくのごとく参列しておるのであります。総監は先はどから伺つていれば、法務府の特審局の情報によつて予防のための協議をされたときに、総監自身もこれだけのことが起るとは思わなかつたと言われるけれども、現に蒲田における事件のときだつて相当なことをこの席で、参議院のこの会議で報告されているのです。事態は蒲田の事件と今度の事件とが御説明にあるように関連のない直接事件事件との関連はないけれども、計画性のものということになれば関係がある。そのことの警戒の任に当つておる警視総監がメーデーの場合において、先ほど言いましたようなメーデーそれ自体を干渉しないという方針には我々に全く賛意を表するものであります。それとは別なものがあるということは特審局を通じ、それから蒲田事件を通じ御承知のはずであります。そういう事態において万一の場合を予想しないで、全然警察予備隊との事前関係、必要性についての連絡をとつておられなかつたということは、何と言つても私どもは了解できない。その程度しか下さなかつたとするならば、責任を追求する云々でなくして、誠に大衆運動の取締というものに対する認織、感覚の問題を問わなければならんことになる。殊にそこに私は今度の問題については十分にお考えにならなければ、法律を作り、国の尨大な予算を使つて海上警備隊を作つた警察予備隊をやしたところで、法律があつたつて何の役にも立たない。事件が起きて被害を受けてからとやこう騒いてもしようがない。だからそこを私は十分に今度の問題について予防のために如何なる苦心をされておつたか、如何なる対策をとられたかということが国民の前に、少くとも我々の前に明確にされて、警察予備隊を準備されておく必要がない程度の情報しかなかつたとするなれば、特審局の怠慢か、特審局の設備が、機構が悪やゆかということになつて来る。これは私はこの点大いに糾明する責任が我々にはある。で先ほどから御説明を伺つておれば、どうも警視総監の腕の自信の上において、警察予備隊の準備をあらかじめ頼んでおくということをしなかつたのか、情報が不備であつたのか、大したことはない、大したことはなかろうという点であの程度の予防しかしなかつたのか、その点が、我々がまだ理解できないのです。で特審局は警視総監と相談した上で、警察予備隊の出動を、準備を何ら考える必要がなかつたという判断を下したようでありますけれども、警視監も同様の考えがあつたとするならば、余りにも警視総監の私は腕に自信があり過ぎたのじやないかという非難を受けてもしようがない。私の申しますのは、警察予備隊が出て、鉄砲で以て鎮めればいいというわけではありません。これは一つの見解の相違になりますけれども、例えば暴徒はその計画的において又残忍性においては、我々も国民の一人として憎まざるを得ないのでありますけれども、併しながら二重橋の際まで行つたらとまつているのです。二重橋を渡つてはおりません。でありますから取締の警戒もこれは意見の、見解の相違になりますけれども、あそこに五千人か六千人集めて警官がこれを包囲しておる、その後を警備隊が包囲しておれば、殺籔の事件は起きないで済んだかも知れない。これはあとの考えで、それは先に至らなかつたと言えばそうであります。暴徒は決して二重橋を越して宮城の中に入つてつて乱暴しようということはしていない。あのとき、先ほどの説明によれば、暴徒は二重橋を越そうと思えば越せる力を持つていた、併し越えていない。してみればあの警戒の予防法が完全、万全だとは言えないのです。でありますから、私は予防のために警察予備隊というものがあるのでありますから、それを十分に活用するということは、それはやはり大衆運動取締の責任の地位に立つ人の私は感覚の問題だと思います。そういうことまで考えずして、ただただ相手が計画的で残忍性があると言つて攻撃されても、それは成るほどそうです。その面だけはそうでありますけれでも、一体警察予備隊を遊ばしおつたのは誰だ、こういう攻撃を受けたら、私は総監の責任ばかりじやなくてし、法務府の責任もあるのです。こういうところから先ほど私はお伺いしておるのであつて、飽くまで警察予備隊というものを予防の準備のためにこれをどうしておこうという考えがなかつたと解釈していいのであるか、それはあつたけれどもしなかつたのか、なぜしなかつたのか、この点が明確にならない。初めからもうそこまで考えて、今年のメーデーはいいのだと、こういうお考えであつた、それがどの程度の情報、こういう情報であつたということを明かにして、そうして今日の警察制度或いはその他の治安維持のための制度の欠陥に対して是正するべく我々はしなければならん。取締の法律が必要であるという点については又それで考えるべきである。ですからその点を責任を追求しておるのじやありません。事態を明確にして、少くとも国民の前に、警察予備隊はなぜ用意する必要がなかつたのだということを明らかにしなかつたのが悪かつたのだ、又する必要がなかつたのだと、これが明確にならなければいかんので、国民納得しませんよ。  それから次にもう一つは、暴徒とみなされる容疑者が、負傷しておる容疑者が病院等でその後死亡したのはいない……その後死亡したということを、一人死亡したということを昨日あたり私は聞きました。而もそれは注射で持たせて、過酷な取調べを検察当局がやつたからだというような宣伝をされておる。死亡者があつたかないかを明確に願いたい。それから一人、不幸にして、誠に遺憾なことでありますが、出来事でありますが、高橋正夫君という都の職員が当日即死されておる。この即死の実情等がおわかりになつておればおわかりになつておる範囲で御説明を願いたい。
  22. 田中榮一

    参考人田中榮一君) 予備隊出動の要請をしたかどうかという問題でありますが、予備隊出動の要請はいたしておりません。私どものこの予備隊警察予備隊というものに対するこの認識でございますが、少くとも国内治安、まあこうした暴動等におきましては勿論予備隊の出動も時によつては私は必要であろうと存じておりますが、当時の状況状況判断といたしましては、まだ警視庁といたしましても十分なる警備力というものはまだ相当余裕がありまして、ただ時間的にそれが繰出せなかつたというところに不可能な点があるのであります。仮に警察予備隊に要請いたしましても、もう来たときにはすでに事態は収まつておるのであります。一時間、二時間内の出来事であります。警察の、警視庁予備隊も逐次増強いたしましたときには、すでに事態が或る程度收まつてつたということであります。そういう点からいたしまして、事態が一応収まりましたので、私といたしましては、警視庁の独自の力で十分これを鎮定できるという判断の下に予備隊出動の要請はいたしておりません。又警察予備隊の出動ということが我々といたしましても、どういう程度においてこれをなし、どういう場合、どういうような形、條件においてなし得るかということにつきましては、まだ何ら政府からも承わつていないのでありまして、従つて我々としましては、今回の暴動事件は飽くまで警察独自の力によつてこれを鎮圧いたしたい、かような観点から要請をいたさなかつたのであります。  それから暴徒の中で入院中、その後死亡した者でありますが、まだこの点は私は正確な報告その他を受けておりませんが、ただラジオ、新聞等によりまして、暴徒の中で重傷を負つてつた学生が一名死亡したということを聞いておるだるだけであります。又この負傷した者を取調べるということにつきまして、警察としましては、十分にその負傷者の立場も考え、注射で以てそれを持たして取調べしたというようなことは、私はまだそういう事実は報告を受けていないのであります。そういう点があるかどうかも一つ調べて行きたいと思います。それから高橋正夫という都の職員が不幸にしてこれは彈に当つて死亡しておられるのでありますが、これも相当暴徒の尖端に立ちまして、兇器を以て警察官襲撃してかかつて来たのであります。そうしてこのままの状態でおつたならば、警察官としても非常に危険な状態に立至りましたので、その際に射撃をいたしたその彈が不幸にしてこの高橋君に当つたと思います。これはその当時の情勢を、私はどういうふうな状態で死亡したかということは詳しい状態はわかりませんが、とにかく一応その兇器を持つて警察官に打つてかかつて来て、その際に発射されて、その彈が当つて死亡したというふうに私は聞いておるのであります。
  23. 原虎一

    ○原虎一君 総監は騒擾が起きてから警察予備隊の出動を頼む、なぜ頼まなかつたかというふうにおとりになつておるのじやないかと思います。そればかりではないかも知れません。私の言うのは、丁度三日の憲法五周年記念式典の日に警察予備隊が相当動員しておりました。これは参列という名でありましようが、これはもう事前に二日に、恐らく警視庁とも相談があつたことと思いますが、やつておるのであります、事前に。今度のメーデーには情報からして、これはメーデーそれ自体は平穏に行つても、解散後にどういうことが起るかも知れない。そのためにあらかじめ予備隊は用意をしておつてもらいたいということがなされていなかつたということがどこにあるかということになれば、結局私は情報が不完全であつた、もう一つメーデー当時の式場のあの一部極左分子の暴行から見ても、若し警察予備隊メーデーのために何らかの挑発行為はいけないが、何らかの用意は、心がまえは持つていなければならないということがあらかじめわかつてつて用意されておりますれば、あの神宮外苑会場からここまでのデモ行進、歩ついて来るデモ行進の間に打つべき手が必要ならば打てる態勢が予備隊にあつて然るべきである。そういうことが全然なされていなかつたということが明確になりました。そうすればそれは今年のメーデーに対するところの警戒の責任の、直接の責任者である警視総監の私は大衆運動取締感覚というものに対して、一つの批判を加えなければなりません。それからそれが情報が甚だ粗雑なものとするならば、特審局の情報は誠に杜撰なものと非難しなければならない。併し事が起きてから報告を聞けば計画的なものであつた、こういう指令も出ておつた、ああいう指令も出ておつた、ひよつとすればそういう指令の下に計画的なものとすれば、結論は予防が足りないということも言えるし、余りにも軽い認識ではなかつたかとも言える。従いまして先ほど特審局の情報では、警察予備隊のあらかじめ心がまえとしても準備して置くということすらしなかつたということが明確になつて、全然もうそういうことが考えられなかつたということに了解してよろしいか、特審局にもう一度お伺いしたい、法務府のかたに伺つておきたい。
  24. 龍野喜一郎

    政府委員龍野喜一郎君) 私も特審局の情報が完備しておるとは思いません。先ほども申上げました通り、若干の情報を得たのでありますが、この若干の情報による判断の結果といたしまして、予備隊の出動を要請するほどの大きな騒擾事件になろうとはその資料から見て考えなかつた、そのことは確かに事実でございます。
  25. 原虎一

    ○原虎一君 明らかになりました。
  26. 吉川末次郎

    吉川末次郎君 少し、病気ですから十分筋道立つた質問ができるかどうか疑問ですが、お許しを願いたいと思いますが、時間がないでしようから一括して一つお尋ねいたしたいと思います。  第一に、田中総監にお伺いしたいことは、昨日の参議院の本会議で日本共産党の参議院議員の兼岩君からいろいろ質問がありました中で、この騒擾事件の切掛けは、駐留軍のMPから発砲したことから起つたという言葉があつたと記憶しておるのであります。共産党は戰略的に随分嘘を言うことは勿論多いのでありますが、併し国会の本会議の議場において見え透いた嘘を言うというようなことは、私は常識的に考えてないと思うのでありますが、それについての警視庁側の御調査に基く真僞の判定についての御答弁が願いたいことが第一点なんです。  それから第二点は、これ又兼岩共産党議員の発言の中にあつた言葉でありますが、これは私個人にも兼岩君が言つておるのであります。あなたがお使いになつた言葉によるところの宮城広場の暴徒の数についてでありますが、六千というような大体お話があつたかと思われるのであります。ところが又お話の中に一万というようなお話があつたと思うのでありますが、大体において積極的暴力行為を、或いは戰闘的な行為をやつてつた者は大体何名であつて、それに附和雷同しておるような者が大体何名あつたのかということであります。それについては兼岩君は非常に少い数を当局は言つておるけれども、自分たちの見たところでは十万であると言つておりますが、それについてのこれはまあ結局アウゲンメツセと言いますか、目分量でいろいろ観測の仕方が違うと思いますが、はつきり一つそれについてのお答えを願いたい。  それからこれ又兼岩君の発言の中にあつたのでありますが、いわゆる民衆であるもの、民衆と言いますとおかしいのですが、何と言いますか、シテイズンであつて殺された者が八名あつたと昨日発言したと思うのであります。あなたの御報告と数が違うようであります。これについてのお答えを願いたい。  それからもう一点は、先ほど来たびたび抜本策を講じなければいかん、それには要するに警備を厳重にして警備対策を作れば、いわゆる抜本塞源策ができ上るというような言葉であつたと思いますが、これはまあ警視総監としてのお言葉として一応承わつて置くのでありますが、併しそこに非常な私は間違いがあるのじやないかと思うのでありまして、結局こういう事件は或いは来年のメーデーにも起るかも知れん。或いはメーデー以外のいろいろなことに関連しても私は起る憂えは非常にあると思われるのであります。結局そのよつて来たるところは、ただ單に警備力を強化するとか法律を作るとかというようなことによつてできるものでなくして、まあたびたび我々のような社会党の者は経済政策というようなことを言うのでありますが、それは別問題としましても、もつと遠い原因は、これは共産主義、即ちマルクス、レーニン、スターリン主義の理論からやつて来るので、これについては今日は何も言いませんが、今までこの委員会におきましても、或いは講和、安保條約の委員会におきましても、吉田さんともそれについていろいろ問答したのでありますが、今原君は、法務次官或いは田中総監に対して非常に責任を問われたようでありますが、私はむしろ吉田首相及び自由党の閣僚全部、それによつて表白されておるところの現内閣の治政の全般というものが、たびたび言いましたように、世界を二分しておるところの一大勢力のよつて来るところの理論というものに対して全然無智であるということです。だからして相手方がどういう理論の上に立つているかということを知らないのですから、それに対応するところの適正な対策が生れて来そうなことはない、そこから来ておると思うのであります。もう少し具体的に言えば、それの現れとして、二大世界の対立からそれは来ておる。もつと近く言うて来るならば、それの現われとしてすでに隣邦朝鮮、中国にそういう立場をとつた政権が生れて来ておるのでありますから、最初から、それは絶えず不断にですよ、彼らの政策の日本に対する働きかけとして、それと同一立場に立つ日本共産党に、端的に言えば軍資金も送るでしよう、又国内には八十万といわれる朝鮮人がおつて、その中の九割までは北鮮系なんでありますし、台湾人もおりますが、私の見るところ、台湾人は殆んど毛沢東を支持的な見解を持つておるのでありますから、そういうところからも軍資金が随分廻るでしよう。この軍資金は政府を組織しておるところの国からいえば極めて僅かな金で、仮に千万円やつたところで、もらうほうからすればこれは相当の大金になるのであります。それで以て北鮮軍と日本共産党と、それの同調者であるとこうの一部の労働組合を使嗾して、又年少の学生を利用し、又自由労働者のような者を使えば、ああいう暴動は何でもないことで、これは絶えずやるにきまつておるのであります。そういう問題は、これはなかなか田中総監が一つ力み返つたところで解決つく問題じやないので、渕源するところは非常に深い、それに対するところの対策が、向う方の考えに対して理論的把握というものに対して総理大臣その他が全部無智である。これはもうかねてから私と吉田さんとがこの問題について数度一問一答をいたしておるのでありますから、両條約に対する委員会の速記録及びこの委員会における吉田さんと私との一問一答の速記録を一つ御覧願いたいと思うのでありますが、ここでは申しませんが、そこから私は来ておると思うのですが、もう一度これは一つ法務総裁の名代として来ていらつしやる法務庁の次官から御見解を承わつて置きたいと思うのであります。田中さんのは結構です。田中さんのは、ああいうお考えは、私は余りに浅薄と言うと失礼ですが、そういう考えを何か田中警視総監が、警視庁警備力を強化したならば、たびたび使われた塞源抜本策が樹立されると思つておられるところに、私は吉田さんや現内閣の閣僚と共通する、非常に失礼な言葉ですが、非常な無智が私はあると思う。これがこういう事件の非常に大きな要因となつでおるということを申上げて置くのであります。これについて田中さんの御返答は結構ですから、法務次官の御返答を参考のために聞いて置きたいと思います。  それから、第四番目には、これは原君がお言いになつたのですが、大体予備隊というものがこういうことのためにあると思うのですが、法務次官の先ほどの御答弁によるというと、何か語るに落るような御答弁振りであつて破防法を成立さしたということのために、わざとこういうような騒乱が防げるのにもかかわらず、防げるところの十金の策を講じないで放任して置いて、そうして破防法通過のための予備的ゲモストレーシヨンとして政府がやつたような感じを受けるのであります。どうぞこういうことですから破防法を通すようにお願いしますというような言葉も出ているのですが、それについてとうでしようか、一つ御答弁が願いたい、この四つです。  それから最後にもう時間がありませんから、これは委員長一つお諮りいたしたいのでありますが、この問題は非常に大きな問題で、いろいろ治安問題の将来について深く我々考究してみる必要があると思うのであります。東京におけることは非常に我々も見聞が親しいので、私はそのときには見に行きませんでしたけれども、昨日の御報告や見た人の話で大体わかつたと思うのでありますが、これと相並んで二万の人たちを中心にして起された、メーデー参加員でありますか……京都の実情、これとなお京都以外に大津その他の所でも起つたということでありますから、これはこの委員会からやはり数名の者を一つ派遣してその実情を調査して、いろいろ問題点がこの委員会で起つて来るだろうと思うのであります。警察法について改正の要ありや否やとか、そうした問題であります。これが警察予備隊との関連性であるとか、そういう問題について地方のこの事件についてもう少し調査する必要があると思うので、調査者を地方へこの委員会から派遣するというようなことについて一つ委員長でお考えを願い、御相談願つたらどうかと思います。非常に一括してたくさん申上げましたが、御答弁願いたい。
  27. 龍野喜一郎

    政府委員龍野喜一郎君) 只今吉川さんかち本事件のよつて来る原因についてのお話を承わつたのでございますが、私どもはこういう事件発生するに至りまするところのいろいろな原因については見る人により又立場によつていろいろの見解が出て来るのであろうと思うのであります。決して私は吉川さんのお説を否定するわけではございませんが、併しながら物の見方或いは又立場を異にする側から言えば、違つた見方も生れて来るというふうに考えるのでございますが、法務府の立場に局限して考えまするならば、そのよつて来るところが如何なる理由にいたしましても、かかる破壊的活動を行うことを許すということは、これは到底口にすべきものじやなかろう、その行いました結果は、これはどうしてもどこまでも徹底的に糾彈すべきであるというふうに考えざるを得ないのであります。従いまして私どもといたしましては、この事件そのものを相当組織的な、而も一つの戰術による騒擾であるというふうな考えの下に徹底的に糾彈するという態度をとつておるのでございまして、先ほどのお言葉の中に、自由党内閣閣僚以下の世界の政治その他に関する無智に基くものであるという手痛い言葉を受けたのでありますが、私どもは必ずしもさようには存じておりません。そういう見方もあろうかと思いまするが、併しながらやはりこれは立場を異にした者の一定のコースによる、即ち一定の戰術による現われがここに来ておるのであるというふうに見ておるのであります。いずれのコースを選ぶのがいいか悪いかということにつきましては、これはここで私の立場として云々すべきものでもありますまいと思いまするから申上げませんが、要するにこの事件そのものを端的に眺めて、国民が許すべからざる騒擾事件であるというふうに思うのは私当然と思うのであります。  それからもう一つ破防法を通すためにわざと放つておいたのではないかという意味にとれるお言葉であつたのでありますが、そういうことはさらさらございません。ただ私どもがこの事件を取扱います上におきまして、一般の刑法ではなかなか思う通りに参らん点がございます。例えばあの多数集つて騒擾事件の場合に、破防法があればこの事件の糾明について非常にかゆいところに手が届くように実態が把握できるのじやないかということも考えまするし、又今後しばしばかかる事件が起るであろうという吉川さんのお言葉でありまするが、私も場合によつては起るのではないかとも考えまするし、そういう場合にこういうような大きな事件がうやむやに葬むられてしまう、結局極く少数の人しか、検挙できない、或いは刑法の條章に照らして処断できないというようなことになれば、これに勢いを得て更にこういうような情勢を激化するのではないかという点もかれこれ考えまして、こういうような破壊活動を行うような団体につきましては適当なる対策が必要じやないかという点を痛感いたしまして、破防法の一日も速かな成立をお願いいたしたわけでございまして、起るべきであろということを予想して放任しておつたような事実は更にないし、又そういうことであれば恐らく政府としてもまさに全責任を負わなければならん重大問題であると私どもは感じておる次第でございます。
  28. 田中榮一

    参考人田中榮一君) 騒擾事件の勃発の際にMPが発砲したからこういう暴動が起つたという兼岩議員が国会の公開の席上で発言されたそうでありますが、私はこの発言は極めて重大な発言であると思いまして、こういう発言はよほど根拠を確かめた上でなければ当然これは発言できないことと思うのでありまするが、私の知つている限りにおきましては、MPは……私のほうにも、MPから、MPはどういうような措置をとればよろしいか、MPは待機の姿勢でおるからという、MPの隊長からの再三の電話がありましたが、MPは何とぞ留駐軍の施設の護衛に当つてほしい、留駐軍の護衛警護のためにMPが警戒警備につくということはこれは当然であります。併しながらこの暴徒の鎮圧については日本警察に責任があるからして、この暴徒の鎮圧に対しては絶対に日本警察に一切を任してほしい、又MP側からそれに対していろいろ行動されることは絶対に避けてほしいということを私からはつきり数回に亘つてMPの隊長にも申入れいたしまして、MPの隊長もその点をよく了承したということで、暴徒の行動そのものに対して恐らくMPは絶対に介入もいたしませんし、それから行動を起したこともなかろうと私は信じております。併し現場を一々確認しておるわけでもありませんから、こうしたことは私ははつきりここで申上げることができんと思うのでありますが、併しこうした発言はよほど根拠のある御発言を願いませんと、将来非常に大きな問題を起すことであろうということも実は憂慮するのでおります。それから暴徒の数が主導分子がどの程度で、附和雷同がどの程度であつたかということでありますが、その当時の状況から見ますと、相当数の主導分子もおりました、又附和雷同する人も多々おりました。併しながらとにかくあの集団に加わつた一人々々は相当な敵愾心を持ち、又相当な一つのフアイテイング・スピリツトを持つた暴虐残忍性を持つた者であつたろうと私は考えるのであります。主導分子がどの程度で附和雷同がどの程度であつたかということは、これは到底確認ができないのであります。それから大体あの暴行事件参加した数でありまするが、これもはつきりした数はこれはとても確認できないのでありまして、我々が常に警察的の見方からして、大衆を一応見込み推算する場合における方法によつて大体八千ぐらいじやないか。それからまあその附近に見物人もおつたようでありますし、野次馬もおつたようであります。どれが暴徒であり、どれが傍観者であるということは、これはなかなか截然と区別することができないのでありまして、とにかくあの広場におつた者が、合算しまして大体一万人程度じやないだろうか、殊に警察官と対抗しまして相当暴行行為をやつた者は少くとも八千くらいの数字はあつたのじやないか、これも想像でございます。又、十万人だつたというお話でありますが、この点はたくさんの傍観者もおりまするし、又カメラマンもおりまするし、報道班員もおりましたし、又たくさんの警察官も出ておりまするし、又いろいろの人も現実に見ておりまするから、又現実に現場写真等も相当撮つておりまするからして、それらの点から推察いたしまして、大体現実にこの警察官と争闘した者は八千程度じやないかということが予想できるのでありまして、十万人なんて数は到底これは予想できないのであります。それから都民で殺された者が八省くらいあるというふうに一部で宣伝されておるようでありまするが、現在わかつておりまするのは、確実にわかつておりまするのは高橋正夫という東京都労組の人が彈丸に当つて死亡しておる。それから私の聞いておる範囲では、一人の学生が彈丸に当つて重傷を負つておるということを聞いておるわけであります。昨日のラジオ等によりますれば、果してこの者であるかどうかは存じませんが、死亡したというようなことをラジオで放送されておるのでありまして、そのほかに一体何名の者が死傷されておつたかということは先ほど説明いたしましたように、十分なる数字というものが入手できないことは誠に遺憾に存ずる次第であります。
  29. 堀末治

    堀末治君 もう時間がないから甚だ恐縮ですが私一つ二つ……。この暴徒と一般メーデーとの関係はどうなつておるのですか。  それからもう一つは暴徒の構成ですね。一体どうして学連がこのメーデーに入つたのか、そういう点について一つお聞かせ願いたいと思います。
  30. 田中榮一

    参考人田中榮一君) 今回暴行を働きました暴徒とメーデー関係でございますが、これは先ほど私が申上げましたごとくに、一郎の矯激極左分子がメーデーの執行に際してこれを利用して暴行を働いたということは、こは事実でございます。それからメーデーそのものは先ほど説明いたしましたごとくに、極めて平穏裡にそれぞれ所定の場所でいずれも無事に解散をいたしまして、総評傘下の労組というものは主催者側の指揮に忠実に服しまして、それぞれメーデーというものを極めて有意義に終つたものと私は信じております。  それから学連なり、都学連というものがこのメーデーにどうして参加したかということでありまするが、まあ学連というものは、これは私は、労働者であるかどうかということが根本的な一つの問題になる、学生というものはそれぞれ真理の探求なり学問の追求というように、まあ学問の研究に一身を捧げねばならないのでありまして、それがまあこの政治運動的なこうした示威行進等に参画するということは、少くともこれは学生の本分を逸脱したのであると考えております。従つて学連なり都学連というものがメーデー参加したということはをこれは本質的に我々も実は非常な疑問を抱いておるものでありまして、結局これはメーデー主催者である総評のほうへ一応学連なり都学連のほうから参加を申込んだそうでありまするが、一応総評側としては非常に困るというので、一旦は拒否しておるようでありまするが、併し強く申入れがあり、そのスローガン等も一郎競合しておる点もあるし、そういう点から総評側としては止むを得ずこの朝鮮人のグループ並びに都学連、全学連の連中を今回のメーデー参加を許したものと考えております。従つて如何なる理由で許されたものかということは、むしろこれは労働大臣なり或ひは又総評の幹部に御質問を願つたほうがはつきりするのじやないかと考えております。
  31. 堀末治

    堀末治君 あらかじめ総評と話合いのあつたことはあつたのですね。
  32. 田中榮一

    参考人田中榮一君) 勿論総評と全学連、都学連とはメーデー参加に対して経緯があつたようであります。総評側としては一応拒否しておるのだと思います。併しながら全学連、都掌連側から強い参加要請がありまして、総評側としては、これを拒否し切れず、止むを得ず参加を認めたというように聞いております。
  33. 堀末治

    堀末治君 暴徒の構成ですね、大体学生朝鮮人、自由労働者、この三つとはつきり限定してよろしうございますか。
  34. 田中榮一

    参考人田中榮一君) 大体暴徒の形成は、学生グループ、朝鮮人グループ並びに共産党の地区委員等が相当参加し、或いはこれに同調しておりまする過激な労組の一部が関係し、又日傭労働者というものがこれに関係いたしております。検挙いたしました、捜査中の者のいろいろな職業、身分等でありますが、中には自由労働者、これは相当な多数になつております。それから労組員、学生、それから或いは一般の小さな中小商工業者或いは区会議員、都会議員、公務員、教授、教諭、その他ということになつております。大体において学生、それから朝鮮人、それから過激な労組員、日傭労働者、こういう構成に現在なつております。
  35. 堀末治

    堀末治君 そうしますとその大体の構成はそれですけれども、今のいろいろな職業の人もおりますね。その人が計画的に中に入つたのでなくして、或いはそのとき群衆心理的に混つたと考えたほうがいいですか、それとも初めから計画的にそれらの中に入つたものと見るほうが妥当ですか、どちらですか。
  36. 田中榮一

    参考人田中榮一君) 現在私のほうで逮捕いたしておりまする者は、いずれも相当積極的な暴力行為に重要な役割を演じたもの、現在逮捕されておる者の大部分は積極的な、主導的な働きをしたり、或いは現実に警察官暴行をやつたり、或いは又そうでなくとも、いろいろな進駐軍の自動車等に暴行を働いたり、その他投石をしたり、それぞれ確実な証拠を握られて検挙されておるものであります。誤つて集団の中に捲き込まれて或いは検挙されたという者はそれぞれもう釈放いたしております。
  37. 西郷吉之助

    委員長西郷吉之助君) それでは大分時間もたちましたので、本日はこの程度で散会いたします。    午後一時三十七分散会