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証人(
村上義春君)
何分遡りますので、私も全部を記憶いたしておりませんので、
只今手許に配りました
経過報告書を
一つ御覧にな
つてもらいたいと思います。二十三年の三月十日でありますから、
組合発足から現在の
移転までの
事情を詳細書いてございます。
何分これは権威ある
かたがたの篤と御研究、お考えにな
つた上の御指示によ
つて我々は今日
大須賀町に
移転の運びに
至つたのでありますから、このたびこちらに参りますについて
総会を開きまして、
皆さんの御意向を質して見たのでありますが、
既定方針通り業務を遂行するということに意見が一致いたしました。大体私
たちがこの
組合発足当時はまだ
移転という
話たけでまとまらなか
つたのですが、
昭和二十五年の三月十九日に、
広島に開催する
国体の前に、丁度二十五年の三月十九日と思いますが、二回に
亘つて東警察署、所轄の
警察署に全部
関係者を集められて、そのときの
署長は、三カ所じや非常にみにくい、それでどうしても一カ所に集ま
つてもらいたい、さもなか
つたら
転廃業をしてもらいたい、こういうことでありましたのですが、
何分御
承知の
通り、
駅前は終戦と同時に非常に発展が早か
つたものですから、
附近に
土地がございませんので、それで
土地がないために、非常に
組合としても困
つていたわけです。大体
土地は十カ所ぐらい物色いたしました。その間にこれは前の
参議院先生が
おいでにな
つたときに
お話してあると思いますが、大体
予定地を十カ所余り物色いたしましたのですが、いずれも
附近には学校、
幼稚園等がありまして、将来を考えましてこれはどうしてもいけんというので
大須賀町にきめたのでありますが、それまでに当時の
東警察署長が、若しこのまま
営業を継続するのであ
つたら、
警察としても断固
関係法規を適用して
取締る。じや
営業できるようにするにはどういうふうにしたらいいか、我々は今直ちに
転廃業せよと言われたところで、それは到底できない。
転廃業ということは言葉では簡単であ
つても、実際問題としてそれは不可能である、私はかように述べたのです。そうしたら、じや
移転先ということにつきまして……、いや、それでもそういうわけに
いかん、およそいつ頃までに
移転ができるか、或いは
転廃業ができるか、その点をはつきりせい。そこでとにかく即時きめてもらいたいということであ
つた。
一応は
帰りまして、
皆さんと御相談の上でなければ
工合が悪いということで、一度
帰りまして、その次に参りましたのですが、これはここに丁度記載してありませんが、同じ月だ
つたと思います。現在
広島には昔からある
彌生町であります。これは元
東遊廓というたのでありますが、ここに
集団移転をすることは認める。他でやることは認めない。こういう
署長の
お話があ
つたのですが、では
署長に
お尋ねして見るのですが、若し
署長がおつしやる
彌生町に我々が
移転して、
営業を
彌生町のかたと同じようにや
つた場合に、これはこの
営業をお許し願えるのですかどうかということを、将来のことにつきまして
お尋ねしたのですが、
署長はそれに対して
回答が全然なか
つたわけです。それからそうするうちにだんだんこの
取締が、そういうことですから
署長の思うようになりませんから、だんだん
警察当局としては私
たち組合に重点的にその
取締をや
つて来たわけなんです。我々としても、どの人も平等である、何が故に
駅前業者だけ
取締りするのだというようなことから、しばしば
当局に
陳情に参りましたのですが、
何分私
たちも一応は
駅前だから、
法律上は仮に正当であ
つたとしても、
駅前であるから我々が重点的にやられたとしてもこれは止むを得ん。こういうことで
業者を一応なだめてお
つたわけです。ところがその後
国体がまじかに迫りまして、県なり
市当局からも
自粛するように……、
自粛じやありません、早急に一カ所に
移転をしてもらいたい、こういうことで、この
移転に当りまして非常に
土地の
関係がありますので、これは
市当局にも参りましたし、又
県当局にも参りましたのです。ところがいずれに参りましても、これを積極的にこうしてやろうということがなか
つたわけなんで、皆いい加減なところで逃げよ
つたわけです。ところがだんだん逃げられなくな
つて、そうしてこれがいつでありましたでしようか、
移転地の
斡旋方について
昭和二十五年四月八日、これも私も参りましたのですが、この
移転地の
斡旋方の
陳情、懇請をなしたるところ、
市長から善処する確答がありまして、私
たちは非常に喜んだわけであります。それからその次に、今席列席しておられませんが、現在
総務局長をしておられます江口さんという人が
市長の
代理で参りました。横川、それから弥生町、そのほかに三カ所に約五、六百の
土地がある。これで如何ですかと参りましたのですが、
何分六十一軒もありまして、五百坪の
土地では到底これは不可能と見ましたから、一応お断わりいたしました。このとき
市長は
復興事務所のほうへ連絡をと
つて、あなた
たちの
移転先は私のほうで極力斡旋さしてもらう。その
回答は近いうちに出しますということでお別れして、その後
総務局長が私
たちの家に
おいでにな
つた。ところが今申しましたように、
土地が北西に分れております。そういう
関係と坪数が足らん
関係で、これは一応取りやめにな
つたのであります。その後
大須賀町の
土地を物色いたしました。その前に
昭和二十五年九月二十二日であ
つたと思います。その前に二十五年……これはここに書いてございませんが、
只今の
坂田助役、それから
西村市警本部長、それから
東警察署長、
瑞木署長その他のかたが私
たちに
是非至急に集ま
つてもらいたい、こういうことで私
たちの近所の
お寺に全部集合いたしました。そのときに私
たちは、もう
国体前でありますから、勿論我々としてもどうしても
自粛をしなければ
いかん。場合によ
つたら
国体の
間営業をやめてもいいじやないか、こういうことで
皆さんにお諮りしましたところが、
営業をやめるということは
業者だけじやないから困る、一応
自粛の線で行かしてもらいたい、こういう御希望がありましたので、私は早速そのことを
皆さんを集めまして
誓約書を一々全部とりました。そうしてそのことを
東署長にお伝えしたのでございますが、それから三日後に何の話かわからんのですが、一応
東警察に集まれということで私
たちが集まりました。ところが明日皆集めて、話があるから
是非とも会場へ来てくれということで、
広島市
台屋町の、
お寺の名前は忘れましたが、その
附近にある
お寺を使用いたしまして
総会を開催いたしました。そのときに
市長代理として
坂田助役さん、それから
総務部長、それから当時の
東署長その他のかたが
おいでになりまして、私
たちが皆口を揃えて
お尋ねをして、あなたがたからおつしやられないでも、我々としては前から
自粛せねばいけない、場合によ
つては
営業をやめてもいいからということで
自粛申合をいたしておりますことですから、今回
一つ何とか御配慮あずかりたいのですが、こういうことを言いますと、皆も言うて、私も申上げたのですが、そのときに何日附かで
広島市長、それから
総務部長の命によ
つて断固取締をするということで、何か裁判所で判決を受けましたような
お話がありました。それから私
たちはそうまでおつしやるのですから仕方がありませんので、一応
関係者のお
帰りを待
つて皆さんに、
只今お聞きにな
つた通りであるから、
営業をやめてもいいから、当分の間やめなさい、できたら
一つやめてもらいたい、
営業するとすれば
自粛して、一切
軒先から出ないようにしてもらいたい、こういうことを申合せて解散したのでありますが、その後の
取締状況につきまして
ちよつと一応申上げたいのであります。
大体
浜井市長が
市会で答弁されております
通り現行犯でなければ逮捕しないということにな
つておりますけれ
ども、
取締の衝に当る警官がみずからお客をよそおうて
犯人を逮捕している事実が相当あ
つたのであります。我々としては一応やることは悪いということはよくわか
つているし、
予備知識もあるわけですけれ
ども、併し私服で
何分たくさんの人がしよつちゆう
リレー式に廻
つているわけですから、一般の人か
警察官かわからないのです。そうして実は宿に泊りたいから今から何ぼにしてくれるかということで話が出る。そうすると相場をいうと値段が高い、もう少し安くしたらどうか言う。そう言わず上
つて下さい……で僕は高いから帰るというて立去ろうとする。そこを袖にすがるのは人情です。それでこれは
現行犯だ、
売淫等取締条例違反だということでずい分検挙されたのであります。その結果先般
参議院先生が
おいでにな
つたときに、そういうて
無罪にな
つた人があるということは、それは
無罪にな
つたのだから悪いことはないじやないか、こういうお説もありますが、
無罪ということは、一応お考え頂きたいことは、何ら法的に違反しておらんから
無罪にな
つたと信じております。
無罪以上のことはないと思うのです。それからその
罰金でも大概五千円くらいの
罰金を皆受けておりますが、その五千円の
罰金でも五回、六回に分割して支払いをしております。なお又
罰金が払えんために
広島の
土地を離れた人も相当あります。その
調査は十分準備いたしておりますが、そういうことで
国体前とそれから
国体後は相当
取締が厳しか
つたのであります。ですから私
どもはこれではどうしてもや
つて行けない。何ぼ
駅前だからというても
駅前の
電車道、
駅前その他の
主要道路を一切除く、
軒先営業でやれということであ
つたのでありますが、
軒先営業しているのに又以前の
駅前の
電車道、それから
主要道路に出てお
つたときと同じように、それ以上の
取締を続行されるものだから、ああいう
軒先でなければ
いかんということになれば家の中に入
つておらなければならない、こういうことをやられては困る。なお又そういうふうな誘導してまでも
犯人を作る、
犯罪人を出すということは
いかんから、そういうことがらこれは我々の死活問題だということで、たまたま
市当局に参りまして、どうしても我々としても
移転を早念にいたさんことには、こういうふうに散在してお
つたのではどうしてもこうなり勝ちですから、私
たちは
至急に
移転したいのですが、実は
大須賀町に
土地を一千坪余買収しておりますが、これは後にわかりましたが、その中の約六百坪相当の
土地は将来
可部線の
予定地にな
つているということを聞きました。これはえらいことにな
つた。こういう将来その
可部線の
予定地にな
つておる所を、
幾ら補助を出してもら
つてや
つても大ことになる。これはなおそういう立退問題の起きない所を
一つ求めたいということから私
たちはいろいろ探しましたが、いい
土地がありませんので、一応千二百坪ほど現在買収しておりますが、そのうちの六百坪は将来
鉄道の
予定地になりますが、現在は私
たちの
土地であります。それから大体この
反対の声が出たときは、
坂田助役さんが、私
たちがそういうことで、それではやれんから
取締を
一つ緩和してもらいたい、それをそうでなか
つたら
一つ移転先を
一つ何とか市のほうで考慮してもらいたいとかいろいろ
陳情に上りましたところが、
坂田助役さんが
治安委員会で詳細にこの
駅前の
特飲街の問題について
腹案があると述べられて、そうしてそのことが初めて
新聞紙上に出たのであります。で、その翌日かそれから二、三日してからか、私は記憶しておりませんが、
労働組合のかたから
反対が出たわけなんですが、併しこれはこの以前に、
発表以前に
吾妻会というものが
某所、或いは
大須賀町へ
移転ということは、私
たちは
新聞紙上に出てお
つたので、これは
地元は勿論のこと、
鉄道、今の
労働組合あたりも
知つてお
つたわけです。で私はこれは以前にこういう
発表があ
つたのであるから、すでに私は御存じのはずだとこういうふうに
思つてお
つたのが、たまたまこのたび
反対があ
つて意外に
思つているのですが、このたび私がここに参りましたことも、
駅頭で私が出征のときにたくさんのかたに送
つて頂きまして非常に感激いたしたのでありますが、今回もあのように
女の子たち、
業者たちが黒山のように
駅頭に立
つて送
つて頂いたときに、私は一体これはどうなるか。
参議院というようなところへ私は呼び出される、どういうようにして答弁して、どういう
結論が出るのだろうか、それがもう
皆さんが泣くようにすがられるものですから……、
会長さん
一つ聞いてもらいたい、私は現在八十何万円の工事をいたしておりますが、実はそのうちの五十万というものは借金をいたしております。金利を八分出しております。ところがたまたま
新聞であすこは
あとは中止になるということが出まして、
債権者のほうでは
至急にその金を戻してもらいたいということにな
つた、私は
如何ようにも仕方がないと……、次々にそういう
事情を述べられた人があ
つたということであります。それは私といたしましても、どういうことを
お尋ねになるか、どういう
結論が出るかわかりませんが、一応
皆さんの御趣旨のほどはよく
参議院に参りまして私はお伝えして
帰りますからと何をいたしましたが、本当にたくさん
駅頭に見えられたときに、私は本当に責任と……、もう
感謝感激でありました、どうしていいかと
思つて……。これは私
どもばかりではなく、他の人も皆
知つておると思います。
話は前後いたしますが、
何分にも田舎の者で何もわかりませんので、この点御了承願いたいと思います。一々読みましたら
工合がいいのですが……。それから
昭和二十五年九月の二十二日に
佐竹先生、
郷土出身でありますが、私
たちの……、私は
佐竹先生の丁度まん前に住んでおりまして、
台屋町という所に住んでおりまして、そういう
関係上
佐竹先先がたまたま
広島へお
帰りにな
つたときに、実は御
承知の
通り日本一のあだ名がついておる
駅前の散娼、この問題について
市会議員さんや
市長さんも皆もて余しておるので、
一つ先生助けて下さいということで、こういうことで
某所に
佐竹先生、それから
土岡先生、
市会議員先生でありますが、この方は東の遊廓の現在の
特飲街の
顧問をしておられます。
佐竹先生と
土岡先生と私
たち役員数名が
某所に集りまして、いろいろと
移転問題、
土地問題等につきまして懇談いたしたのであります。その席上で
佐竹先生は、現在のように散在してお
つたのではいけない。我々が東京にお
つても必ずこの
駅前のパンパンの話が出るのだから、どうしても一カ所へこれはまとめなければいけない。それに対してあなた方が協力してくれるというのだが、現在の所で居坐るということはいけない、こういう
お話でありました。そのときに
土岡先生は、
大須賀町に丁度二百坪ほど市が伏せた
土地がある。これを斡旋してやるということの話がどんどん進みまして、私
たちは非常に意を強うしたのであります。それが
佐竹先生と
土岡先生とにお諮りいたしますと、それから今度
地元の
反対があ
つたのであります。
反対が起りまして、私がたまたま
土地の
地元の人の了解を得たいために
地元の
有力者の家へ参りまして、あなた方御
反対されるのですが、まあ一応お宅さんも商売しておられるのですから御理解してもらわんと困るのですがと言うて参りました。たまたまこの
業界に携わ
つている某
市会議員が、この
反対運動をしたいと思うのだが、
一つ協力してくれんか、こういう
お話がありまして、
只今この席に
出席しておられます
植木先生も同じく
労働組合だけではこの
反対運動が弱いから、
是非この
反対運動に協力してもらたいということを言うて行
つたわけです。それから否応なしにやろうということになりましたから、
只今言いましたように
坂田助役の
腹案ですね、
大須賀町の
移転問題の
発表、以前随分
新聞に出てお
つたのですから、今更何もこれが出たということをあわてることはできないのですが、私も考えますのに、私が若しこの
業界の
市会議員であるとした場合、この
反対することはお断りいたします。
広島の
市会議員として私は協会の相談役、
顧問をいたしております
自分が
反対運動に参加するということは私はよういたしません。この点は
一つ業界の全体の
反対であるかどうかということを、根本を私から
一つお、願い申上げます。