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藤原道子君 第一班の御
報告を申上げます。
第一班は、一月十四日より二十日に
亘つて茨城、宮城、福島三県の
厚生行政の実際を
視察に
参つたのであります。
松原議員、
井上議員と私と三名で、外に
事務局側から
新田調査員の四名でした。日程の時間の都合上県庁におきましては、
厚生行政の全般について
説明を聞く余裕を持たなか
つたので、それぞれの県におきまする特色のある
施策とか、
行政の隘路とな
つている
事例とか、特筆すべき業績などについて重点的に
説明を承わ
つたのでありますから、詳細な点につきましては、資料が專門室に備えてございますから、ここでは極く要点だけを御
報告いたします。
茨城県の
状況を申上げます。
生活保護法による被
保護世帯は一万二千、四万二千人でありまして、県の
人口は約二百四万でありますから、
人口と被
保護者の割合は
全国平均二・五%に対しまして、二・二%とな
つております。全体の
傾向といたしましては、十月以降
生活保護は
減少し、
医療保護、
教育扶助が漸増いたしております。
当局者の
説明によりますと、
社会福祉事業法が
実施せられましてからは、従来のやり方と異る面ができたための
変動でありまして、法の適正な運用の結果とも考えられております。県下の
身体障害者数は約一万五千名と推定せられ、そのうち手帳の
交付を受けた者が約三千名でありますが、これは法の
趣旨徹底の不十分もさることながら実際上の
恩惠がないとて余り歓迎されておらないのであります。
次に
兒童福祉司は
定員十名に対しまして四名を配置し得たに過ぎませず、従いまして
行政指導も十分な
活動も期待できないような
状態であります。以上三法を直接担当いたしまする
第一線機関である
社会福祉事務所は諸種の困難な
事情のため独立することができずに
地方事務所の一組織として
活動いたしております。
職員の
定員の五十三名を配置し得たに過ぎず、而も他の
業務を兼務しておるために十分な
活動は望みがたく、さりとて
本法施行に要する
経費の
財源の
基礎付けが不明確で不安定のために、特に
児童福祉法のごときは
平衡交付金制度のため
政治的発言力の弱いこの
種行政の
財源措置は非常に困難な
事情にあり、いずれも中途半端な現況でありまして、折角立派な
法律も積極的に
実施する面におきましては困難なる
実情であります。
次に
母子対策をいたしましては、本県は
婦人問題審議会を
設置して
母子対策の根本を検討し、
婦人相談員制度を設けて
相談指導に当らせるほかに、未亡人更生のため五百万円を以て厚生資金制度を設けて生業を
援護いたしております。ちよつとその
内容を申しますと、養鶏、行商、ミシン等の生業資金として一
世帶当り一万四千円
程度を貸
付け、一カ年据置、五カ年賦償還で利息は一分九厘の低利とな
つております。このほかに母子世帯子弟の育英のため二百七十万円で奨学資金を貸與いたしております。又
市町村を区域として未亡人会を結成させ、自主的
活動による更生を促しております。
次に衛生
関係について申上げますと、県下の
結核患者は推定二万七百九十名でその
届出率は
人口万対三十一人で全国第四十三位の低率であります。死亡者数は年平均二千百名でありまして、
死亡率は
人口万対十三人の低率で低いことでは全国第二番目でありますが、これは決して本県の結核罹
患者及び死亡者の少いことを意味するのではなく、むしろ本病に対する極端な嫌惡の念から極力秘密を保持する県民性によるものとの
説明がありました。この点県及び中央
当局者の積極的な啓蒙、衛生知識の
普及徹底が望まれるのであります。
次に
赤痢は
昭和二十六年十一月で
患者数二千六百五十二名の多数にな
つておりまして、蝿による伝播を重視して濕灘地区の
市町村を蝿駆除地域に指定して
相当の
効果を挙げております。猿島郡七郷村ではその事績が認められ、蝿のいない村として
昭和二十六年度朝日保健賞が授與されておることを附加えて御
報告いたします。
次に
保健所勤務
医師の不足には
相当悩んでおりまして、十五
保健所のうち三カ所は
定員に欠けております。これに対する
措置として
医師には月額二千円の研究費のほか、
医師、獣
医師、薬剤師、保健婦には日額二十円乃至四十円の危險手当を支給しております。又将来における
医師の確保の方便として五名の委託学生に月額三千円を支給しておりました。
次に宮城県の
状況を申上げます。
生活保護法の被
保護者数は六万二千八百二十一人でありまして、
人口千人について
全国平均二三・九人に対して三五・四人という全国第三位の高率を示しております。これとは逆に一人当りの保護費は
全国平均八百二十円に比べて六百十一円でありまして、低いことでは全国第七位とな
つております。これは即ち保護の分散度が広いことを意味するものでありまして、本県の
経済が
人口の五五%を占めている農家
経済が主流をなしていることと、單作を主とした零細農家経営の生産構造のため、打ち続く冷水害によりまする農家
経済の脆弱による貧困化が特色とな
つておりまして、全体の
傾向といたしまして被
保護者数は漸増いたしており、その増加率は一三五%を示し、全国第二位とな
つておりますことは誠に憂慮すべき
状態と申せましよう。
次に、本県も財政的
理由から
福祉事務所の
設置は四市に四カ所だけでありまして、県は十一
地方事務所に民生課を設けて担当いたしておりますが、
職員の
定員百七十名に対して現員九十五名の劣勢を以てしては十分な
活動は不可能であると公言いたしておりますし、
当局者はこの種
法律の運営は
内容からも国家
行政であり、
国庫補助等の財政的裏付がないことを挙げて積極性を持たないような感を受けたのであります。
次に、
国民健康保險は
昭和二十三年頃より
経済界の激変のために
保險料の滞納
市町村が
相当数体廃止しておりましたが、保險税制度の
実施、
補助の増額等の
措置によりまして、最近は漸次再開する
市町村が増加して、現在では百八十九
市町村のうち百二十
市町村が
実施(
普及率は六三%)いたしております。
保險料收入も年度内には八五%に達する見込であり、單価も旧單価で以て
医師会との了解が成立しておるので、給付費の支拂
状況もよくなる見込であるが、一方現在の保險税は千八百二十四円であ
つて、もはや負担の限度に来ておるから、今後單価引上の場合には強力な
国庫補助が必要だとのことでありました。
次に、本県の
結核患者数は約三万人と推定せられ、
昭和二十五年の死亡者数は二千三百十八人で、
人口万対一三・九人、大体全国中位にありますが、県内病床数は公私合せて二千床、待期
患者は八百名以上とな
つておりますので、
昭和二十六年度より五カ年
計画を立て
結核患者の半減を企図いたしております。又
昭和二十六年、二十七年度内に
県立病院三百床の増床に着手しておる
状況であります。
次に、県立十五
保健所の
医師の確保にはやはり困
つておりまして、研究費として一人年額一万二千円を支給するほか、初任者には特別の号俸を支給して補な
つております。又医系インターン学生十名に月額五千円を支給して将来における
定員の確保に努めております。
次に福島県の
状況について申上げます。本県は
厚生行政に対する理事者側の理解もさることながら、
行政に、
指導に、或いは
事務整理に、創意と工夫による積極性が見られ、
国庫補助のない劣弱
行政をカバーいたしておりますことは国民のために喜ばしく、称讃に値いするものであります。昨年十月
地方事務所の民生課を廃止して、独立の
福祉事務所を十六カ所、五市に五カ所を
設置しております。
職員も
定員百八十一名に対して現員百二十八名でありますから、一人当りの
事務量は
相当過重となるので、二十七年度においては不足の五十三名を増員することの確実な見込の下に
社会福祉
行政の万全を期しておりました。兒童福祉につきましても、青少年問題協議会が各界名士を揃えた名ばかりのものでは不十分として実務者のグループである「青少年ケース研究会」を各地域ごとに設けて、地域組織
活動の促進により
不良化防止に努めております。
次に母子
世帶九千七百余のうち四四%が
生活保護法の適用を受けておりますところから、
母子対策を重視して、未亡人
援護対策部会を
設置するほか、五市にある県の
地方事務所に專任の未亡人福祉係を置き、專門のケース・ワーカーとして母子世帯
生活の
援護指導に当
つております一方、母子
世帶の
生活を安定させるために、県費二百万円を以て未亡人厚生資金としての貸付制度を設定して、その自立更正を図
つております。ちよつと
内容を申しますと、一人二万円を限度として貸
付け、三カ年賦償還無利子とな
つております。未亡人の互助組織としては
市町村を單位として未亡人会の
設置を奨め、県下三百六十
町村のうち約二百が成立されており、未亡人の地位と教養、
生活の
改善を図
つております。
次に本県が
社会福祉
事業資金と称する貸付制度として現在行な
つておりますところのものは、消費
生活協同組合に二百万円、前に述べました母子世帯厚生資金に二百万円、奨学資金に三十万円、
身体障害者厚生資金に五十万円でありますが、二十七年度においてはこれら資金を総合して、資金三千万円を以て「愛の金庫」と称する、ものを設けて積極的に
援護施策を推進したいと目下準備中であります。
次に災害救助につきましては、
国庫よりの
補助が少いので、県、
市町村事業体が醵出した二千万円を以て罹災救助資金を設定して、法外
援護を行な
つております。
次に、国民保險はいずこも同じく戰後の惡條件によ
つて休廃止するもの続出し、一時はその
普及率は一五%に低下しましたが、現在では三百六十
市町村のうち百三十六
市町村が
実施しており、今後漸増の
傾向にあるとのことであります。
保險経済危機が叫ばれている今日、信夫郡永保村ほか数カ村では、国保の恵みを嘔歌いたしておる稀な
事例があります。水保村の現状を申上げますと、本村は山岳地帯である純農家で、戸数は僅か四百十戸でありまして、
昭和二十四年に
事業を開始したのであります。
昭和二十六年度には何らの
補助も受けずに
直営診療所を開設いたしました。被
保險者数は三千余名で、村長の
説明によれば、全村中二世帯が加入しておらないだけだそうであります。二十六年度予算は約百六十万円でありまして、村費よりの繰入金は十二万円であります。保険料は一
世帶平均一千七百七十六円で、最高が三千九百六十円、最低が六百七十二円とな
つておりますが、何らの不足不平もなく、
保險料收納率は現在七八%、年度内には九〇%を上廻る見込とのことであります。保險給付は
療養給付の一部負担が五割で、助産については一件当り五百円を給付いたしております。従来村では
医療費負担のため倒産する
事例がありましたが、国保開始以来はその憂いがなくなり、健康で明るい村になりつつあるが、今後
財源の許す限り全額給付の希望に近
付けたいとの
説明を承わ
つたのであります。なお隣接十一カ村のうち土湯村一カ村のみが国保を
実施していないが、近く
事業を開始するとのことでありまして、又連合して総合
病院建設の
計画をしているとのことでありました。
次に衛生
関係について申上げます。本県の
結核患者は約三万人と推定せられ、これに対する病床は公私合せて千七百七十床で、
相当不足しておる現状から、五カ年
計画三千床
完成を目標にして二十六年度において県立病床百五十床を建設中であります。
次に、県の十六
保健所勤務の
医師に対しましては、研究費として所長に五千円、その他には本俸の四割を支給して
定員の確保に努めております。
県立病院についてはちよつと変つた
方法をと
つておりますが、
県立病院の公共性からこれの是非については
相当の検討が必要と思われますので、その
内容についてちよつと申上げます。
視察いたしました県立本宮
病院の
実情を申しますと、
病院勤務の
医師に対しましては、研究手当として本俸の五割を支給するほかに、
病院経営によ
つて黒字を生じた場合には、その四割を
病院に還元して自由に使わせる、こういう仕組であります。いま少しく詳しく申しますと、還元された四割は各科医員の稼働点数に応じて按分されて個人の收入となるのでありますが、看護婦その他の
職員との振合いがあるので、各医員はそれぞれわけ分の二分の一の額を寄附し、その合計額を看護婦、薬局、
事務職員に人頭割で支給する仕組であります。二十六年上半期の收入額は、
医師で多い者は五万円、少い者で一万円、看護婦その他は千八百円とな
つておるのであります。
以上
簡單でございますが、御
報告を終ります。