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1952-02-15 第13回国会 参議院 決算委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年二月十五日(金曜日)    午前十時四十三分開会   —————————————   委員の異動 本日委員鬼丸義齊君、赤澤與仁君、川 上嘉市君及び仁田竹一君辞任につき、 その補欠として紅露みつ君、藤森眞治 君、高木正夫君及び郡祐一君を議長に おいて指名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     岩男 仁藏君    理事            高橋進太郎君            飯島連次郎君            小酒井義男君            棚橋 小虎君    委員            秋山俊一郎君            大矢半次郎君            郡  祐一君            瀧井治三郎君            團  伊能君            西山 龜七君            溝淵 春次君            山本 米治君            伊藤 保平君            高木 正夫君            常岡 一郎君            藤森 眞治君            溝口 三郎君            森 八三一君            栗山 良夫君            小林 孝平君            森崎  隆君            カニエ邦彦君            小林 亦治君            田中  一君            菊田 七平君            紅露 みつ君   事務局側    常任委員会專門    員       森 莊三郎君    常任委員会專門    員       波江野 繁君   証人    元足利工業株式    会社専務    高橋 正吉君    特別調達庁財務    部長      川田 三郎君   —————————————   本日の会議に付した事件特別会計政府関係機関及び終戰処  理費経理並びに国有財産の処理に  関する調査の件  (昭和二十三年度会計検査院決算検  査報告批難事項第三百九十七号足利  工業株式会社に対する二重煙突代金  支拂及びこれに関連する事項)  (右件に関し証人証言あり)   —————————————
  2. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) 只今より会議を開きます。  本日は前回に引続き昭和二十三年度一般会計歳入歳出決算昭和二十三年度特別会計歳入歳出決算、「昭和二十三年度決算会計検査院検査報告批難事項第三百九十七号足利工業株式会社(契約当時は足利板金工業組合)に対する二重煙突代金支拂及び之に関連する事項について東京地方検察庁検事正からの報告に関する件」を議題に供します。  本日出頭証人高橋正吉氏、川田三郎両君であります。御両君とも一昨日御出頭になりまして宣誓をせられましたが念のため本日も宣誓を求めます。証人に対する御注意は一昨日申上げた通りでありますので今日は省略いたします。これより法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。お手許に差上げてある宣誓書を朗読して下さい。総員起立を願います。    〔総員起立証人は次のように宣誓を行なつた〕    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 高橋 正吉    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 川田 三郎
  3. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) 御着席を願います。宣誓書に御署名捺印をお願いします。高橋証人はお残りになつて川田証人は控室でお待ちを願います。
  4. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 証人にお尋ねをする前にちよつと資料要求をいたしておきますから委員長から手続を願いたいと思うのですが、左記銀行に対し各人の昭和二十三年一月一日から三十六年末に至る間の各種預金元帳写し並びに貸付金等取引関係一切の元帳写し要求すること。  一、千代田銀行芝支店山下茂名義、それから有城重吉虎門自動車株式会社代表者としての名義、これは個人会社の場合があります。それからもう一つ帝国銀行本店営業部宛、住所は浦和市太田窪四百四十四番地、藤井組土木建築業藤井一雄名義のもの。それから一つ大和銀行東京支店宛東京世田谷上馬町三ノ一千四十九番地、大橋宗夫名義のもの、並びに大橋達郎名義のもの。一、大和銀行虎ノ門支店宛大橋達郎名義のもの。それからもう一つ三和銀行日比谷支店宛藤井洋紙店藤井洋紙株式会社という名義のもの。それから同じく三和銀行日比谷支店昭和二十四年八月五日の入金、出金並びに振替伝票綴写し、これは現物のまま。以上であります。
  5. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) 只令カニエ君からの資料要求は本院規則第百八十一條の規定によつて議長を経て要求いたさねばならねことになつておりますが、これを要求することに御異議はございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) それではそういうふうに取計らいます。手続その他は全部委員長にお任せができますか、御異議ございますか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  7. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) 御異議ないと決定します。
  8. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 前回高橋証人に対する質問は今回又二重にダブるかもわかりませんが、一応今日は改めてはつきりする意味から順序を追つて質問をして行きたいと思つておりますから、高橋証人においてもそのつもりでお答えを願いたいと思うのであります。  先ず第一番に三和銀行日比谷支店に預けてあるところの高橋三吉名義の金でありますが、これはたびたび各証人の言葉にも明らかでありますが、大橋氏は、これは高橋正吉名義にはなつているが、併しこれは大橋が、私が監督の下に管理をしておつて、そうして自分の許しがなければ何人たりとも出すことはでき得ない、併し個々に入れることは別だが、というようなことに聞いておるのです。そこで高橋証人はそういうことが事実であつたかどうか。又山下がそれを大橋許可を得ずに出しに行つたとしても出すことができ得たかどうか。こういう点について一つ述べてもらいたい。  それからこれが山下或いは高橋証人行つても出せないということであれば、どういう点でこれは出せないことになつてつたのか、その点一つはつきりお答え願いたいと思います。
  9. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) 只今カニエ委員の御質問お答えをいたします。それは通帳は私と大橋先生山下で作る四、五日前に行きまして、そのときは私の名義預金をするということだつたよう記憶しております。そしてその預金引出しにつきましては、その預金大橋先生指示なくしては誰も手をつけさせないということだということをあとで私お聞きしたわけです。それは第一回の特調で三十万円の納金のとき、大橋先生名刺を書かれてそれを特調出納員行つて出した例がございます。これは要するに大橋先生以外は絶対にこれを引出せないということを、大橋先生有光支店長の間にできておつたそうであります。それから山下氏が引出しについても大橋先生指示、若しくは許可がなくてはいけない。それから高橋が来ても絶対にこれを見せないでくれというふうな話があつたことと聞いております。それでその預金通帳も私の手許に帰りましたのは昨年の、ここにも持つて来ておりますが、これは解約するにつきまして大橋先生指示に基いて解約をしてあります。これは昨年の四月七日の日附であります。以上のようなことが通帳について私の知るところはそれだけであります。
  10. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 前回もお伺いしたのですが、山下念書を入れておるということは、どういうような理由で念書というようなものを入れておるか。その念書にはどういうことを謳つてあるのか、それるお答え願いたい。
  11. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その念書は昨年の七月か八月の中間だつたと思います。その前に日にちはちよつと記憶がありませんので後ほどそれを申します。それには山下氏は私はあなたの金を借りたのでなく、大橋さんから委託を受けておつて、あなたから委託を受けたのではない、だからその返済の責任は大橋さんにあるのであつて自分にはない。それから前回もございましたように、大橋先生は株の金は全然自分は関知しないということをこの前の証言言つておられますが、そのことに関連しましては、それは山下大橋先生の趣旨に基いてあなたに返しましたということが書いてございます。以上です。
  12. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 あなたは大橋氏に選挙の時二十万円、それから三十万円の顧問料以外にどのくらいの金を渡されたか。それからその渡された中で今はつきりと証拠書類或いは記憶においてわかつておるものがあれば、いつそれはどこでどれだけ渡したか。こういう点についてお答え願いたいと思います。
  13. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) 只今お答えですが、それは一昨日申しましたように、私のほうも只今整理しておりまして証拠を揃えてお出ししたいということでやつております。前国の証言通り五百万円に充たない金額だということで、具体的には後ほど証拠等によつてお出ししたほうがいいと思います。
  14. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 全体のやつは今言われたように証拠等を調べて後ほどお出し願つてもいいのですが、そのうちではつきりしておるもの、例えば前おつしやつたように議会において渡した分とか、それからその他どこならどこで渡したという分ですね、記憶のある分だけでもあればその点を一つ明確にお答え願いたいと思います。
  15. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) 先日の証言のように、国会で五万円、それから事務所に来られたときに十二万、或いは端数の少いようなことが記憶にありましたので、それ以外に何かのときにちよつと貸してくれないかと言つてつて行かれたのは、只今私のほうへ返つて来ております。この前も、前々回のときはそう気にしておりませんし、それから検察庁のほうから私が家宅捜索を受けまして押收されましたメモの中に、ぽつぽつとそういうものが載つておりますのでそれを只今整理しておりますから、そういう点で御承知願いたいと思います。
  16. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 その金品の授受については検察庁のほうには詳しくお話になつてつて検察庁はそのことをよく知つておるかどうかという点でありますが、その点はどうでしようか。
  17. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その点は申上げておきましたが、裏付捜査をなされたものだと思つております。
  18. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それからその次は自動車でない、東武の株ですか、東武鉄道の株を売られた、その金はあながどういう工合にされたのか、そのうちから大橋氏に幾ら、いつ誰に渡したのか、その点をお答え願いたいと思います。
  19. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その東武の株は、これは当時特別調達庁から私が取返したというのは、あれは最初から申上げないとわかりませんが、その東武の株は、当時過拂金を請求されましたときに、銀行に一銭もない。それは田中社長と第一銀行本店及び支店長常務等があなたのところの会社には一銭もないということをはつきり言われましたので、実際その過拂になりました四千万円がどこへ行つたんだと言つたら、皆借金に充ててしまつた、それで一銭も会社に金がない。それでは私が個人保証をします。それから田中のほうも個人保証をする、それは大橋先生の慫慂もありましたのですが、当時経過を見ますと、無記名預金になつて、現在過拂いは二千二百万円でありますが、二千二百万円が当時田中平吉個人名義になつて第一銀行から現われて来たのであります。それを特別調達庁に、どういうわけかと聞いたらそれを鵜呑みにしておりまして、一向個人保証のみについて追求しておりまして、肝腎かなめ銀行の無記名預金なんかはちつとも追求しないということで、私は大分憤慨しまして、そんな馬鹿な、騙されることはない、返還を要求されれば、会社にそれだけの金があれば当然その金を充当して国民に迷惑をかけるようなことはしないはずだと言つて、私はそれを取り返したいというか、大分議論しました。私も当時五百万円くらいの私財というものを投げ出しておりましたものですから、それで生活にも因つておりました。それで生活費にも使わしてほしいというような意味で私が特調から取返しましてそれを取返しをしましたのが追起訴になつておりますが、それは非常に私も不満があります。というのは、検察庁が貸した人は何にも罪にしないで、持つて行つた人は罪にしないで、あなたはとつただけの罪で以て、あとはそういうものがもうどこへ行つてもかまわないのだというお話があり、且つそういう個人財産を持つて行つたものに対して、追起訴しております。  それでありますが、それはそのくらいにいたしまして、その株は兜町の日東証券というところへ持つて行きまして、当時山田久一郎という外交に預けた。その外交が売つてくれることになつておりましたが、店に預けて置いてあることだと思つたら、それが外交山田久一郎という者に横領された。横領される前に、大橋先生の使いが来て、大橋先生が五十万円欲しいという話を、山下自動車を買うのだから大橋先生の了解の下に五十万円欲しいから貸してくれないか。それで大橋先生が使うのだということは、大橋先生が知つているというのでそれを渡しました。ところが後日になりましてそれは山下が勝手にあなたから借りたのだ。それでその件につきまして妙に思いまして、大橋先生が知らんというわけはないので大分言いましたのですが、一向知らん知らんの一点張りなんです。ところが検察庁に出ております川田さんが出したメモの中に五十万円持つて来たということを大橋先生川田さんに報告しているのです。それで私も大橋さんが初めてその金を知つているということがわかつたのであります。ですからとりも直さずそれは大橋先生が取つてこいと言つたことだけはあとで了承したわけです。そういうわけでありまして、その後その金は、それは検察庁大分株屋をずうつと調べまして経過大分出ております。それで何でも使い込みで、私の所に返つて来たのは、損をしたり何かして総額百何十万かのものが五十万円ぐらい抜かれまして六十万円、半分くらいしか返つて来なかつたように私は覚えております。
  20. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 その五十万円は、これは山下大橋氏から取つて来いということであなたの所に来た。そうしてあなたが山下に渡した。ところがその後大橋はそれは知らん、こう言つておる。ところでその五十万円を渡したときは、どこでいつ頃渡したのか、その点ははつきりしているのですか。
  21. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それはその二、三日前に大橋先生が借りて来いと言われたということで、それを渡したのは多分五月か六月頃でございますが、その当時日東証券廊下でその株が山一証券に担保か何かで行つて山田久一郎というのに株が売れているはずだから、金を持つて来てくれということで五十万円を作らせて、それを日東証券廊下で山一か日東かの小切手を渡したように記憶しております。
  22. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 この小切手はその後どこへ拂つて誰が使つたか、この点ははつきり承知しないのですか。
  23. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その点は皆目わかりません。
  24. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 この小切手は誰が作つたのですか、山一証券の誰がこれを作つたのですか。
  25. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それはちらつと見まして渡したものですから、何でも振出人経理課長であつたよう記憶しております。
  26. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 大橋氏の関係者でいろいろたくさんの人が背後に関係しているようですが、その中で渡邊製薬というのは大橋氏とはどういう関係にあるのですか。
  27. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その点でありますが、これは私もちよつとその後お手伝いした程度で内容はつきりわかりませんが、大橋先生が面倒を見ておられたという会社であつたと思います。それでその会社には多分金融か何か、そういう面で面倒を見ておられたというふうに思います。
  28. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それから次に藤井一男土建業をやつている人、これが大橋氏とどういう関係にあると思われるか、又あなたはこの人を知つておりますか。
  29. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その藤井さんについては面識はございますが、仕事の内容に立ち至つてどういうふうにやつているかはつきりは存じておりません。
  30. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 この藤井洋紙店というのがあるのですが、これはあなた知つておられるのですか。又大橋藤井洋紙店との関係は、どういうふうに聞いておられるのですか。
  31. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) 藤井洋紙店というのは知つております。それからその関係は何かはつきりはわかりませんが、懇意らしいという点だけしか存じておりません。
  32. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 この藤井洋紙店山下とは何か関係があるのですか。
  33. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その点については私はわかりません。
  34. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 あなたの大体今まで知つておられる点でお考えになつてその点の関係は何かあり得るように思われますか。それとも全然ないように思われるのですか。
  35. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その点ははつきりわかりませんが、何かやはり繋がりはあると思います。
  36. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それからこの最後に特調に返還している金を、關主計という人がこれを山下に貸したということに一応なつているのですが、私が現在の山下の状態を調べてみておりますと、殆んどこれという生業もなく、而も殆んど博徒のようなことをやつて日夜博奕に耽つている。最近でも行動は二回も愛宕警察等博奕で引張られているというようなことであつて、而も今日四十万円というような大金を関主計山下に貸すようなことはどこから見てもこれは考えられないのであります。そこでこの關主計がなぜ山下に金貸したかという点をいろいろ調査して行くと、關主計大橋氏の関係であるということが大体明確になつておるんですが、そこで証人に伺うのですが關主計という人はあなたが知つておるかどうかということ。それから大橋さんとの関係はどういう関係であるかと。それから元この人は何をやつてつて今は何をやつておる人であるかという点。これこれについてあなたが知つておられるならば知つておられるだけ一つ述べて頂きたいんですが。
  37. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) 關主計は存じております。それから大橋先生との関係は相当長いつきあいらしく私とは日は浅いのでありますが、ただ大橋先生子分と言いますか、そういつたふうな立場の人でありまして、名刺は多分大橋先生の秘書の名刺を使つております。それからそういう関係なものですから特別懇意であることは事実であります。そうして山下との関係大橋先生を通じて今度の事件になつてから知り合つたことは事実です。そうして私どものほうにも山下から再三再四手紙が来ておりますが、その手紙の中には必ずお金を返すが、返せないときは必ず關さんが保証するということをいつも言つて来まして、いつもそれですつぽかされました。そうして私のほうでいつか大橋先生に金を返して頂きたいと言つたら、関さんに言えと言うので、関さんからお金を返してもらつたというのは、要するにあの四十万円の金を特調当時話ができておりまして私に返して下さればいいものを、わざわざ特調へ持つて行つて目の前で特調も取れ、高橋も取れということを大橋先生に言われて、そういう行為をしたことがあります。
  38. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 これは大橋さんの子分のような立場にあると言われるのですが、元これは何をしておつた人ですか。
  39. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) 申し落しました。それは警視庁に長くおられまして、特高をやつておられまして追放になつております。
  40. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 今は何をやつておるのですか。
  41. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) 今は三宝工業という厨房器具を作つております社長をやつております。
  42. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 北澤一郎という人は、これとはどういう関係で知つておられるのですか。
  43. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは余り深くは存じておりませんが、元の三宝社長でちりまして、その前は日通の資金係長をしております。そうしこ金融的なことでお知り合いになつたように承つております。
  44. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 寺藏という人、それから大坪渡瀬という人の名がこの事件調書等に出ておるのですが、この三人の人の関係はどういう関係ですか。
  45. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) 寺藏という人は余り私は関係してございませんのであまりよく知りませんが、大坪という人はもと中学校長先生をやつておられまして出版業をやつておられた、そうして大橋先生面識が非常におありになつたので私も知つております。それから渡瀬というかたは大橋先生中学学友だそうであります。それでなぜ私がその人達かたを知つたかというのは、お金をいつか山下に返して欲しいと言いましたところ、先生の命でその金を融通した、融通したについてなかなかとれなくて困るからあんたも一緒に行つてくれと言われたので、初めてその大坪という人と渡瀬という人を知つたわけです。
  46. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 この大坪渡瀬という人に大橋氏が金を貸しておる、これはいつ頃どのくらい金を貸しておつたのですか。
  47. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは私も貸した日にち等は知りませんが、何でも貸して半年くらいたつたときでしたでしようか、三十万円という手形、そういうのが大橋さんの所から出ておりまして、それに対して差押をやるとかやらんとかいうように山下ががたがた騒いでおつたの記憶しております。  それから渡瀬さんのほうはこれは学友でとてもとれない、そういうことで先生にも嚴重に、先生返してくれないじやないですか、ということを山下氏が先生に申込んだところ先生は、それは俺が負うよと言つておられたという話を聞いております。それは十万だか十五万だか金額はつきり記憶ありません。
  48. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 日にちは正確に記憶がなくとも、大体何年何月頃くらいに貸しておつたか、この点はいつ頃なんですか、あなたの知つておられるのは。
  49. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それはもう一昨年です。一昨年の私がそういうことを知つたのは多分秋口じやなかつたかと思いますが。
  50. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 どうもこういろいろ調べてみまするとその当時大橋氏は弁護士のほかに何かこういつた金のブローカーのようなことか、或いはその金をあつちこつちに利息を取つて貸しておつたというようなことをやつてつたように思われるんですが、そういうような点はお気付きにならなかつたか、弁護士のほかに何かやつてつたですかその時分、その点はどうなんです。
  51. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) そのほかに全国治山治水協会の副会長という肩書と、それから一材木会社の重役を兼ねておつたよう記憶いたこております。そのほかに金融については、親類のかたに非常に金融関係のかたが多いものですから、そういう話もちらつと聞いたことがございます。
  52. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 この検察庁調書を眺めてみると、勿論高橋証人並びに田中平吉等まあ起訴しておる。ところが大橋氏は別に何も惡くないのだというように結論はなつておるのですが、まあ我々は別に大橋氏が刑法の第何條第何項に該当するからこれはどうであるとかいうことでなく、一般社会通念から見て非常にいいことはしていないのだ、特調のこういう……その金を自動車を売つてやるとかどうとかと言つて取込んで、而もその金を長い間国に納めずにやつておるというようなことはとにもかくにも社会通念、いわゆる社会常識からいつて余り立派なことをやつているようには思えない。ところがこの検察庁報告書だけを眺めていると、如何にもその大橋氏は大した罪になるものじやなく、むしろそれよりは高橋氏とか田中とかいうのがそれが非常に惡いのである、だから起訴しておるのだというふうに言つておるのだが、率直に言つて証人はこの大橋氏とは特に親しく行動を共にされて来ておつたんだがどう考えられるか。社会的に決して惡い人でないという考えを持つのかどうであるか。そういう点と、それから証人自身、が我々国会代表者にこの席で本当にぶち割つて聞いてもらいたいということがあり得るなれば重ねてその点を述べてもらいたい。こう思うのです。
  53. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) 今の問でありますが、私にこの間その資料を見せて頂いただけで余り内容を読んでおりませんからわかりませんが、この点について一、二について、大分私が知つておる範囲と違つておることが書かれておるということは申述べられます。それは山下茂の損の中に全額返済したということが書いてある。これは全然返済をしておりませんというような面がございまして、大体山下茂氏の話がとんちんかんで辻褄が合わない。私の聞いておる山下が私に借金を返すと言われると辻褄が合わないので、嘘を言つておるのかわかりませんが、大分そういう点は違つておるように書かれております。そういう点でありまして私もその資料を余り一々手許で見せる頂いておりませんからわかりませんが、大体私の感じでは大分そういう点が違つておるように書かれておると思います。  それから大橋先生の点でありますが、私は大橋先生とは極く近い附き合いで私情においては何ら変りはないと思います。併しながら私もここに夕べあらましをまとめまして大分誤解をされておるというので、私ここに書いて持つて参りましてこれを一部委員長の許にお出しいたしますが、これを読ませて頂きます。  「この事件について国民のかたが疑惑の目を以て見ておりますので、私としては事の真相を明らかにして、この事件を早く鮮明にして頂きたいと存じますので、証人として立つたわけです。この前の証言のときは、大橋先生の政治的な地位や、延いては政党の政治的、事件に利用されては困ると思いましたのと、他方には大橋先生とは近い間柄であつたので、でき得る限り政治的影響のある証言は避けましたところ、現在はこのような事件のために長い時間を費すことは国家のためにならないという立場に立つて考えますと、たとえ大橋先生関係といえども証言をあいまいにすることができなくなつたので、私は進んで証人に立つて積極的な証言をしているわけです。これは一部の政党に動かされたわけでもなく、又或る個人を陥入れるわけでもありません。むしろ政党政派を離れて二重煙突事件という戦争直後の官庁及び社会の惡習慣から生れた事件の真相をはつきり申上げて国民の皆様にわかつて頂いて、講和後の新日本を迎えて頂きたいと存じます。大橋先生も進んで自分ばかり自己擁護なさらず事を明らかにして頂きたいと思います。又私としても大橋先生の人間性批判もあり、事の正邪を明らかにして頂きたいと思います。進駐軍上陸直後の世の中の秩序の定まらない時に起つた軍の指示に基き、占領下の官庁と業者の結付きによる官庁納入取引の商習慣から来ているものであります。多分には官吏の勢力争いも入つているものでありますので、多少の作意はありましたが、当時としては普通に行われていたケースであります。結果的に未納の荷物に対して過大に支拂われていたということ、これに対する道義的な欠階によるものであります。それは未納及び、納入された物品代を特調から支拂いされた金が、社長田中平吉と第一銀行の作意によつて専務の私の知らないうちに巧妙に隠匿されて、特調から返還を要求されてもその責任を廻避したばかりか、特調に対して虚偽の念書等を入れていたため、又特調も犯罪の要点あるもこれを放任していたものであり、ただ民間興信所の調書を基にして私を誤解して、過拂金の回收の焦点を誤つたものであります。四千万円の過拂と言いますが実際は二千二百万円であります。事実この過拂金を受けるときには大橋先生特調前所属長でもあり、他の業者よりは便があり、過拂いが容易になされましたが、大橋先生がこの過拂金を領得はしておりません。金銭関係についてに個人的には未だ未解決となつてつています。その後の過拂いに対する返済の方法は、大橋先生のお薦めによつて法律上は会社が負うべきものであるが、田中と私個人が負うことになり、特調会社並びに私ども二人との間に返済について和解が成立しています。然るにこの問題が政治的に利用されたために過拂金を受けた二十三年の暮から足掛四年を経た昨年に至つて私どもが起訴され、大橋先生その人すら起訴、不起訴が問題になつたのです。」  以上がこれの事件の性格でありますが、私としてはできるだけ具体的に真相を明らかにして頂きたいと思つております。そうして国民の皆様及び代表者の皆様に衷心から申訳けございませんということをお詫びいたします。
  54. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 大体私の質問は今のところはこの程度にいたしまして、他の議員から何か御質問があれば願いたいと思います。
  55. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 高橋証人の問題でございますが、私が前回委員会において質問をいたし、質した点においても、この検察庁の捜査調書内容が若干参議院の証言と違う点が明らかになつておりますが、これはこの検察捜査調書証人に一度事前に委員間から公式に見せて頂いて、そうして本人が検察庁で述べた点が、主張点がどこにあつたか、そうしてその主張点がこの捜査調書の中で取上げられておるのかいないのか、そういうような点を少し明らかにいたしたほうがよくはないかと存じますので、さようにお取計らいを願いたいと思います。
  56. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) それでは…。
  57. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 そこで今委員長のほうから検察庁の捜査調書、参議院の決算委員長宛に提出された調書をあなたに提示をいたしたわけであります。従つてその内容をよく研究せられて、今あなたが心境を吐露せられたのでありますが、その線に沿つてこの調書内容について承服しがたいような点があれば、証人という権威ある立場においてここで述べて頂きたい。そこで一応証人証言を聽取する順序もありますから、若し高橋証人に対する各委員の発言がなければ一応次の証人に移つて頂きたい。そうして後ほど高橋証人の発言をもう一度求めたいとこう考えます。
  58. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 只今の栗山君の説でいいと思います。ただ今これを読んでも直ぐわかるものでもありませんから、次の川田証人をお呼び願いまして、高橋証人は又そのあとに必要あれば呼ぶことにいたして頂きたいと思います。
  59. 小林亦治

    小林亦治君 それならば私から今証人の供述した内容で二、三のわからない点を質したいと存じますがよろしうございますか。
  60. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) どうぞ。
  61. 小林亦治

    小林亦治君 証人にお伺いいたしますが、モーリス売却代金の関係三和銀行の解約したというのはいつ頃であつたかその点。それからその解約については大橋先生の指図を受けたとこう言われるのですが、どういう指図を受けられたのか。而もそれが証人の申されるところによると、昨年の四月頃というと、本件が起きてから約八カ月ぐらいのうちとなるのですが、その点を一つ明確にして頂きたいと思います。
  62. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは二十六年の四月の七日であります。で、再三、再四この件につきましていや、君の金は銀行に預けてあるよということを先生から聞いておりましたものですから、それでは早く返して頂きたいということでありまして、又この通帳を、有光支店長にその前に廻しましたところ、大橋先生指示があれば見せる、だけれどもあれは私の名義ではありませんか、とにかく大橋先生指示がなければ見せられなかつたということだつたのであります。それで前々回の証人に出ましたあと、多分これは二十六年の三月だつたと思いますが、当時法務総裁をしておられました大橋さんを通じまして、あの通帳を返してもらいたいと言つておきましたところ、初めて、それはなぜそういうふうに申出たかということは、三和銀行支店長大橋さんの指示がなければ通帳は返してやれないのだ、解約もできないのだ、一体私の権利というものは名前だけですか、どつちですかと言つたところ、とにかく大橋先生指示がなければいかんということで、当時は私は秘書を通まじて大橋先生指示に基いてこれを解約して頂きました。そうして初めて私はこの通帳を見たわけであります。印鑑その他の通帳を渡されたのであります。
  63. 小林亦治

    小林亦治君 そうすると、昨年四月ということですから繰返してお尋ねしますが、大橋が法務総裁に在職中のことなんですね、昨年の四月、そういうふうに了解してよろしいですか。
  64. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その通りであります。
  65. 小林亦治

    小林亦治君 それからこれも先ほどの証言のうちにあるのですが、高橋証人大橋法務総裁に、当時は弁護士つたようなんですが、選挙の際の二十万円、それから顧問料として渡した三十万円これを加えてかれこれ百万円に満たないと、こういう意味でしようか。或いはこの二十万円と三十万円を差引いたそのほかに百万円ぐらい渡したというのでしようか、どうでしようか。
  66. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは全部ひつくるめてであります。それからちよつとさつき申し落しましたが、ここに前日の証言のときに申告の有無がございましたが、ここに押收された証拠物件の中から、私が申しましたように、申告書の伝票が出て参りましたので、ここへ持つて来ておりますから委員長へ提出しておきます。
  67. 小林亦治

    小林亦治君 それからこれも重要だと思うから、念を押して聞いておきますが、東武の株式を日東証券に売却して約百七十万というものを手に入れた。そのうち六十何万円というものを持調へ持つて行く際に、大橋証人に向つて特調も取れ高橋も取れと、こう言つたというのですが、それはどういう意味なんですか。つまり大橋の指揮の下に返却さるべき金額だと思うのでありますが、特調も取れ或いは高橋も取れと、一体その金についての管理処分権が大橋にあつたのか。全部特調へ返すべきものを高橋お前も取れとは言われないはずなんですが、どういうわけなんでしよう。
  68. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その点につきまして、具体的には、今の御質問なんですが、はつきり取れと、まあ当時はそういうふうな空気だつたのでありまして、今ちよつと記憶を呼び戻せませんですから、後ほど又整理してお答えいたします。
  69. 小林亦治

    小林亦治君 つまりそうすると証人考えは、大橋さんの当時の気持がわからんと、こういうだけでしよう。言われたことは特調も取れ高橋も取れということは大橋から直接聞いておるわけじやないか。
  70. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その点について、今突然そう申されましたので整理ができておりませんが、よく思い出してみます。
  71. 小林亦治

    小林亦治君 その件は後ほど伺うことにして結構です。
  72. 小酒井義男

    小酒井義男君 只今証言に関連して一つだけお尋ねしたいと思います。証人三和銀行の有光という支店長大橋法務総裁の妹婿であるということを、その当時も御承知になつてつたかどうか。
  73. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それはこういう事件になりまして、一昨年のときに証言の通知を受けましたときに大体そういうことを初めて知つたのであります。
  74. 溝淵春次

    ○溝淵春次君 高橋証人が先ほど本件に関する資料を見せてもらつたよう言つておられましたが、それは誰に見せてもらつたのですか。(「何の資料だ」と呼ぶ者あり)このことに対する資料
  75. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) これはここにも、召喚状にございますように、この件について一体どういうことを聞かれるのですかどいうことを私申しまして、專門員室でこれを符合するようでしたから、どなたか、ここにおいでになりませんが、その人から見せて頂きました。(「質問はつきりしない」と呼ぶ者あり)
  76. 溝淵春次

    ○溝淵春次君 あなたは專門員室に行かれたのは、一番最初に行かれたのはいつですか。
  77. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは一昨日であります、の朝であります。
  78. 溝淵春次

    ○溝淵春次君 それまでは專門員室へ行つておられませんか。
  79. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それ前は、それはこういう問題になりますと、心配でもあり、又且つどういうふうな成り行きになりますのでしようかというようなことは、私としては心配ですから、專門員の先生がたのところへ行つて一体どういう結果になるのでしようかということはたびたびお伺い行つております。
  80. 溝淵春次

    ○溝淵春次君 そうすると、たびたびというと、いつといつですか。
  81. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは証言に立ちました一昨年から、時がありますれば私はお寄りして、どういうふうになつておりますのでしようかと、これは非常に私にとりましては重大事でありますからお伺いしております。その回数は四、五回くらいお伺いしております。
  82. 溝淵春次

    ○溝淵春次君 あなたはこの供述で專門員室へ行かれたのは、さつきもそう言われたのですが、一昨日初めて行つたように僕らは聞いたのですが、それは違つてつたのですか。
  83. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) 証人に立とうとして行きましたのは一昨日でありまして、それにいろいろどうもこの前に私は誤解をされています。この前の前々回の証言内容によりましては非常に誤解されております。それは検察庁も最初あの捜査資料にされたのは前回の私の証言によつてであります。あの証言で追及されまして私がしどろもどろになつて答えておりますものですからあながち……大惡人は高橋であるというような印象を皆さんがお持ちになつたようであります。でありますからその点について私としても十分に言いたいことも言えないというような意味がありましたものですから、たびたび專門員の先生のところへ行つてどうなるのでしようか、それは只今のように証人に立つて私もすつきりした立場言つておりますから申上げられますが、当時は言われたことしか答えてはならないのだというような鉄則しか私持つておりませんでしたから、そういつた感じで心のよりどころを求めて参りました。
  84. 溝淵春次

    ○溝淵春次君 そうすると、一昨日前に四、五回專門員室においでになつておるわけですが、專門員室へは一昨日のその前は一番近い日はいつ頃おいでになつたですか。
  85. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それはこの問題の、前の私だけを除いた証人喚問のときに、私は長谷山先生の所へ来て傍聴をさしては頂けませんかということを秘書を通じてお願いもしましたし、又それの前に專門員の先生に傍聽さして頂きたいと正式に申入れましたから、その日であります。
  86. 溝淵春次

    ○溝淵春次君 專門員室で專門員以外の方は誰にもお会いになつていませんか。
  87. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それはお会いしておりません。一、二回カニエ先生をお見受けいたしましたが、そのときはカニエ先生にはこの前あの通りひどく私は追及されておりますから、真実のところ余りいい気持は、お会いもしたくはありませんでしたので、なんにも言わないで、お会いすると私のほうは專門員の先生だけにお会いして、すつと帰つてしまいました。
  88. 溝淵春次

    ○溝淵春次君 そうすると、カニエ委員とお会いになつたのは一昨日お会いになつて話をされるその前は、專門員室でお会いになつても別に話はせられなかつたというわけですか。
  89. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) そうであります。
  90. 溝淵春次

    ○溝淵春次君 あなたが内容証明……一昨日お出しになりましたその内容証明ですね、一昨日の長谷山委員のお尋ねに対して、大串弁護士に書いてもらつたというようにお答えになつておられましたが、それは間違いございませんか。
  91. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは当時大串先生もこの点につきましては、私の現在刑事的の弁護士をやつておりますものですから、その点について大分心配されまして、大橋先生の所に出すについても、随分大橋先生の人間性がもう少しあつてほしいということを、再三再四私と先生は話をしておりました。それでどうしても山下はすつぽかす、或いはその取りまきは私のほうでこういう解決をしてほしいと言つても、いつもすつぽかすということによりまして、もうしようがないということで、私のほうでは期限を切りまして猶余を付けた、日にちを付けた内容証明を差上げたわけです。
  92. 溝淵春次

    ○溝淵春次君 そうすると内容証明を出されることについて大串弁護士以外他の人には相談なさつておらんですれ。そうお聞きしてよろしいですか。
  93. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは大串先生がどこに御相談なさつたか、それは私わかりませんが、少くとも私と二人でお話をして書いたことは事実です。
  94. 溝淵春次

    ○溝淵春次君 私は要するに私がお尋ねしておるのは、内容証明を出す場合に大串弁護士以外のかたに、以外の人にその内容証明の内容その他を検討してもらつて、そうしてお出しになつたというようなことはありませんか。
  95. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それはございません。
  96. 溝淵春次

    ○溝淵春次君 ありませんね。なお後ほど供述があると思いまするから一応打切りましてそのときにいたします。
  97. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 一遍その弁償物件として自動車特調に提供して、それを売却して代金を支沸いたいからと言つてもらいに行つたのはあなたですね。
  98. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) もらいに行つたというより、当時その目録を出しまして自動車その他は私の手許にあつたのであります。そうして車券だけ田中平吉が持つてつた。それは社内内部できめたことを、当時金がないというので社内内部で私が出しましようということで出したやつで、特調にもらいに行つたのは私でなく、そういうことを運用したいということについては私と大橋先生と二人で行つたよう記憶しております。
  99. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 それを売却して代金を特調へ提供したいということで、もう一遍自動車を売つていいかという許可をもらいに行つたというのでありますが、そのことを発議したのはあなたですか、大橋ですか。
  100. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それはそのほうは詳しい事情はわからないのでありますが、大橋先生がついて行かれて、多分三浦監事や川田部長に話をされたのは先生が口火を切られたというふうに記憶しております。
  101. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 そうすると大橋証人とが相談の上でそういうことを申出たと、こう解釈してよろしいですか。
  102. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは当時その金を、なかなか特調のほう金にして持つて来てくれというような話がありましたものですから、それでその自動車自分のほうで売つてつて行くということで、多分私の発議であつたのであります。途中から大橋先生がそれを廻そうじやないかというふうな話が出たように記憶しております。
  103. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 それからそれを売つて、その売却代金を証人名義銀行預金にしておいて、その預金証書を大橋に預けて、出し入れについては大橋が監督するという事実があつたことは間違いないですね。
  104. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その預金通帳の出し入れにつきましては先ほど申しました通りですが、この預金通帳は初めて私がその去年の三月に見たわけであります。それがいつこしらえられたやら、いつどこにあつたやら私はその判のことも全然知りませんでした。
  105. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 それではその金が自動車を誰が売つて誰が現金を受取つたのでありますか。
  106. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは大橋先生自分の使つておる山下という者をして売らせるから、自分が責任持つて山下に売らせるからということで山下に渡しまして、その自動車が何でも売れたについて君の名前で預金通帳を作るから、三和銀行日比谷支店行つてその話をしに行こうというので、私と大橋先生山下茂氏と三人で行きまして山下茂氏が金を持つて来るからということだつたのでそのきは預金通帳は作らないというふうに私は記憶しております。
  107. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 それでその現金はどうなつたのでありますか、金額は幾らですか、
  108. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) 当時随分その点があいまいなんで、私も非常に憤慨しておるのは結局四十五万円に売れたと言つてみたり、或いは三十三万に売れたとか或いは百六十万に売れたとか、現金というそういう点は私は幾ら入つて幾ら出されたものやら私は全然門外漢にされておりましてそれはわかりません。
  109. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 そうすると、銀行大橋証人山下と三人行つたときには金は山下が持つて来て見せなかつたのでありますか。
  110. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) そのときは全然金も何も持つて行かなかつた。後ほど山下が持つて来て入れるからということでそのときはそういう口座を作つてくれという依頼に行つただけであります。
  111. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 そのときはすでに売れておつたでしよう。
  112. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) あと経過を見ますと、そのときはすでに売れておつたことがあとでわかつたのであります。
  113. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 それで銀行にあなたの名義で似て預金をしておくからいうことは大橋から聞いたのであるが、その金を出し入れについてはどういうふうにするかと、君が出すときは勝手に出せとか、或いは勝手に出してはいけない、自分が承知しなければ出してはいけないとか、そういうことについては何かそのときに話があつたのでありますか。
  114. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その点につきましては、特調のほうでもどうも自分の不利になると言わないらしいのでありますが、その金の使い途については私にもその一切の話をして使うという約束だつたのです。それで出し入れについても一応私の了承を得て出すということになつてつたのです。ところがそれが一向守られておらないで、私がつんぼ棧敷のように上に上げられただけで、勝手にぼんぼんやつてしまつたようです。
  115. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 そうすると、そのときの話は証人名義預金にしておく、それから出すことについては証人の承諾を得て出す、そういう約束があつたというのですね。
  116. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) そういう約束がありました。
  117. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 それならば通帳は誰が預かつてつたのですか。
  118. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) この通帳三和銀行の有光さんが印鑑と同時に保管しておつたのであります。ずつと保管しておつたらしいです。
  119. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 通帳もですか。
  120. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) はい。
  121. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 そうすると預金を出すことについては、証人の承諾を得るという約束があつたということであるが、証人の承諾なしに大橋預金を出してもいい、こういう承諾を証人は與えておいたのですか。
  122. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その点については、私は再三再四勝手なまねをするといつて文句は言つておりました。それで、ですが一向に今山下が使つておる、山下が使つておるということだけしか聞いておりませんでしたから、別に勝手に出し入れしていいとか何とかいうことを私は聞いておりませんし、又承諾もしておりません。
  123. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 それでは、その金を運用して、そうしてその金を殖やして、そうして特調に入れる、こういうような了解は証人は與えておらんですか。
  124. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは川田次長と、それから三浦監事と、私と大橋さんの間で、大橋先生がそれを廻せば月一割乃至二割になる。それで高橋生活資金を出してやれ、それで且つ田中がなかなか納めないで、高橋一人納めるのは不公平だから、田中が納めるに準じて百万円という、当時自動車が百万円の評価で特調に上つておりましたが、百万円を運用しながら高橋生活資金を見てやるということは大体了承を得ました。それでそれについての全責任は大橋先生が負うということになり、そうしてそれについて、私にも使うことについては、一々君にも相談するからということであり、私も又そういう約束であつたものですから、それじや頼む、そのままそういうふうにやつて行くということは、その四人の中の了承でできておつたことで、その後の約束が守られなかつただけなんです。
  125. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 そうするとこういうふうに聞いていいのですか。特調、三浦、川田、それから大橋証人田中、その者の相談で証人生活費というものも見てやるので、その金を何かに運用する。が併し出し入れについては証人の承諾を受ける、こういうことだつたのですか。
  126. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) 最初今のお尋ねの中にあります田中は、当時自動車の車券を大橋先生に渡すときに、この百万以上に売れたらその余つた金は直ちに高橋に渡して下さいということを、田中が当時大橋先生に頼んだのです。でその運用の件に関しましてはこれは当時田中が入つておりませんでした。
  127. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 百万円以上に売れたらば、そこはどうなんですか、その点。
  128. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) 百万円以上に売れたらその残余は高橋に直ぐやつて下さい、渡してくれと言われておつた
  129. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 誰に。
  130. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) 田中に、大橋先生は。で私も無論当然その百万円の利息については認めておつたのです。ところがその百万円以上の金額については一向に、それも一緒につつくるんじやつてしまつて全然知らしてくれなかつた
  131. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 その百万円はどうしたのですか。
  132. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その百万円は先ほど申しましたように、田中が納めると同時に逐次にその百万円の金を田中が、当時田中は殆んど納めていなかつたのです。会社を持ち、会社の中にありながらも会社でも殆んど金を納めてなかつたのです。その比率から言いますれば、その百万円を田中が納めた比率に準じて逐次に納めておる。それでその間、納める間に使つてこれを利殖を図るというわけだつたと思うのです。ですからその百万円を、年限は田中が納めるに準じて逐次並行的に納めて行くということだつたのです。
  133. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 何かそこのところが判明しないのですがね。
  134. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) もう一回申上げます。それは、百万円は当時田中が納めます金額に……金額田中もやつぱり個人保証を得まして納めて行く、それでその特調が取立てにがかつたのは私の分だけ最初取立てにがかつたわけなんです。それを大橋先生高橋が全部投げ出したことによつて困るからという話と、その金を利殖して高橋が困るために、高橋のために利殖を図つて生活資金を出すという話だつたのです。その点はだんだんとこう長くなるたびに、だんだんこじれて行つて、しまいには私はそんなことは知らなかつたということも特調の中で言い出す人も出て来た、当時はそうでなかつたのでありますが。でとにかく百万円の利殖を図る、責任を持つて自分が利殖を図るということだつたことは確かなんです、大橋先生が。
  135. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 そうすると、証人の側から言うと、大橋に対して証人はどういう点で約束が違うとか、不満であるとかということが言いたいのですか。
  136. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは百万円についての利息は、私も当然それは知つております。ところがその売れた金全額持つて行つて使われたということ、そうして全然見てやるといつておいて、たとえどなたに使わせようがそれは私の知つたことじやなく、大橋先生がどなたに使わせようということは私の知つたことじやないのですが、きめた約束の生活資金もきちんと出す、それから銀行の出し入れもきちんと一応人間であるならば、私も人間でありますから、やつぱりきちんと教えて、今こういうふうになつているのだ、それで特調から一体あれはどうなつておりますかと聞かれた場合に、いつも大橋先生だけが知つておることだ、それは見ようじやないかということも再三言われたことなんかありますので、そういう点をはつきりし、約束を一向に実行しなかつたということが言いたいと思います。
  137. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それで高橋証言は後ほどにして、川田証人も御喚問を願いたいと思います。(「異議なし」と呼ぶ者あり)
  138. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 もう一点だけ伺いたいのですが、これは前回の、前回と申しますか、二十五年の十二月に証言がありましたときに大橋高橋証人の中で非常に食い違つておる点が一点あつたのです。それは三万五千株の株の処分につきまして、大橋武夫君は、当時あなたが三万五千株の株を特別調達庁から持出したことは知つておる。そうしてそれを特調のほうへ現物か、或いは金で以て早く返さなければならんということも承知をしておる。ところがそういうことを高橋に再三注意をしておるけれども、その結果どうなつたかは全然知らないということを証言しておるわけです。若し、ここに書いてありますが、高橋みずから言つたとすれば、処分いたしておるはずでありまして、その処分については私は全然関係いたしておりません、こういうわけで、もう全然そういう事実を知らないというわけです。ところがあなたのほうの証言によると、株のうち五十万円は山下に渡してあるというようなことを言つているわけですね。もう非常に食い違いがあるわけですが、あなたの感じでは、この二十五年の十二月当時いつ、証人にあなたが出て来た当時三万五千株の株を処分をあなたがしたことについて大橋君は知らなかつたのか、内容を或いは知つていたのか、この点をちよつと伺つておきたい。
  139. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その点については株を売つているということは知つておられたのじやないかと思います。それというのは山下先生が借りて来いと言つて来ておるところを見ますと、それは知つておられた。むしろ特調で、私は持つて来ておりますと言つてつて行つたことも多少聞いておりますのですから、それはどこで売つたということは知らないだろうと思いますが、とにかくその株の金を貸してくれと言つてくる以上は、それは売つているということは知つていたはずだと思います。
  140. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 大橋君の話では早く現物か或いは現金を特別調達庁に提出をしろということを高橋に命じておつた。ところが高橋が、特別調達庁へ現物も或いは現金も納めていない、従つてその結果がどうなつておるのか自分は全然知らない、こういう具合に言つているわかなんです。従つて特別調達庁に納めなくても、山下に金を廻わしていたりすればそういう事実のあつたことを知つていなければならんわけです。或いは全然知らないのか、この点を今あなたに尋ねたわけですが、そうしますと二十五年の十二月当時においてもすでに高橋が株の処分をして現金を持つておる。そうしてその現金のうちの一部は山下に渡させておるというようなことは知つてつた、こう解釈していいわけですね。
  141. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) 私もあとで、それが裏付けされたのは当時そのあと特調行つて先生が私のところから幾ら幾ら金が来ておりますということを特調川田さんのところへ行つて報告しておるわけです。そのメモが残つておるのです。その中に株の五十万円というのが、ちやんと書いてある。そういう点からみるとそういうことは知つておられると思います。
  142. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 その百万円の金を運用して、そうして利益をあなたのほうにやりたいという、こういうことで了解を得たというのですが、一体それはいつまでにそういう運用をすることになるのですか、期限というものはないのですか。元来その金というものは売却をして、自動車を売つてそうしてそれを一日も早く国のほうへ返還をしなければならん金であつて、又自動車をもらつて来たときには売つてその金を特調のほうへ返すという約束の下に自動車を売つたんですか。その金は一日も早く国庫に返還しなければならないにもかかわらずそれを運用して、そうして、それから生活費を出すとか或いは利益を挙げて殖やして国庫に返すと言いますけれども、それはいつまでそういうことをしているのか、その期限がついておつたのですか。
  143. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その点については、期限は別に定めがありませんでしたが、当然私のところで私が年間百万円ずつ納めるという和解が成立したときに、すでに私の手許に返すべきじやなかろうかと思います。それがその後約一年半ばかりやつぱり大橋先生がこれを山下に使わした、それで自分は知らなかつたのだと頑張つておられましたところを見ておりますと、私にはその点の見解がどうも非常にわからなかつたのですから、当時特調川田部長には又大橋先生がそんなことをして使わせてあなたたちと爾後取引をしない、私はあんな和解なんか真平だ、あなたたちが八百長みたいにしてそんなことで国に返もべき金を人に使わせて、僕の利益のためにでなく、あなたがたがこれを人に使わせておるのなら僕が後どのくらいの債務を持つているかわかつている筈じやないかといつて特調と喧嘩したことがあります。そういう点から見ますと期限というのは和解のときにすでに返すべきじやなかつたかというふうに考えております。
  144. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 金を運用するという以上は、必ずしも儲かるとばかり限つておらん。その金を損をして元も子もなくなつてしまうこともある。ところがそういうことについての何ら話合もせず、当然国庫に返さなければならん金を運用する期限も切らずに運用する、損害を受けた場合にもその損害についてはどうするかということも考えずにそういうことをした。それに大橋氏が立会つている。それから特調の役人もそれをよろしいといつて承諾した。甚だ我々納得が行かないんですが、事実その通り間違いないんですか。
  145. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その通り間違いございません。大橋先生が、ですから自分が責任を持つてやるということは、たとえそれが運営する以上は自分の責任で損しようが、得をしようが、一定の金額に対しては利益も、そのときに生活費を見るといつた以上は自分がたとえ損をしてもそれは御自分の自己負担でお出しになるのが当然だと思います。又特別調達庁もそういうふうに考えておられたらしい。
  146. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 そういうふうに運用をしてやつてもらうというようなことは証人から大橋氏に頼んで、大橋氏がそういうふうにしたのですか。それとも大橋氏が自分考え証人のためにそういうふうにしてやると言つてつたんですか、どつちなんですか。
  147. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その点はどつちが言い出したかわかりませんが、むしろ私が言い出せば私の仕事に使わせながら大橋先生は監督するならまあ大体わかる筈だつたんですが、それが第三者のほうでつんぼ棧敷にして使われたところを見ますと、どうも私がおとりであつて外の人に使わしたのだというのは確かです。その点の見解は私もはつきり断定はできかねます。
  148. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 そそは併しあなたとしては自分に一番密接に関係のある、そのあなたからどちらが言い出したのかよくわからんというけれども御記憶があるでしよう。
  149. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) 私も前後、その後の経過から判断しますと、これは先生が……、ですから先生がそれを御自分で私に使わせるという名目で私の面倒を見るということを御自分で以て言われた経過からしますと、先生が話されたのじやないかと思います。
  150. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 昨日ですね、あなたは大橋氏の顧問料について検察庁でお取調べを受ける前にですか、税務署で以て二十万円と三十万円の二通の申告書を書かせられたと、こういうことを言いましたですね、これは間違いありませんか。
  151. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは間違いありません。たまたま検察庁から入つて来ました押収物件の中に当時二十万円の申告を書いた紙で……、二十万円のほうは私が自分の名前で申告しておりまして、それは私の字であります。それから三十万円の金額のほうのは、税務署のほうの人が書いております。それが今あそこに出ておりましたから、委員長手許まで出しておきました。ですから、これは私が二十万円を申告したのは私の手でやつておりますから確かだと断言できます。
  152. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 その二十万円のほうは贈與ということになつておるのですか、申告には。
  153. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) はい、贈與という、万年筆書で書いてあります。
  154. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 それは証人の字で書いてあるのですか。
  155. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それはその用紙がほかの用紙らしいのです。それでその印刷した上に書いてあります。
  156. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 それから三十万円のほうは、これは証人は何にもそれには自分では書かないで判だけを押したのですか。
  157. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) 判というより、その当時向うも、税務署のかたもわからなかつたというのが本当らしいのです。どちらをとつていいかわからなかつたのじやないか、で私は二十万円ですよと、国会でもこういうふうに二十万円と言つておりますから二十万円ですよと言つた、それから役所のほうで言つて来たのは三十万円だと言つて来た、上級の税務署からそういうことを言つて来たということで、あとで決定して通知するからということだつたのです。それでその後検察庁でそれと会つて論議したのですが、やはり水掛論で未だに決定しないで、それで又もう一回やり直しだということなんです。
  158. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 その後検察庁で検事の前で税務署のその係の人と証人とが対決をしたと言いましたね。
  159. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) しております。
  160. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 したのですね。
  161. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) はい。
  162. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 そのときはどういうことになつたのですか。どういう話で対決をしてそれからどういう結論になつたのでありますか。
  163. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは私もびつくりしたのでありますが、当時その申告について、渡邊留吉検事から澁谷税務署に対して公文書を出したそうであります。ところが当該者おらずと言つて、そういう申告は全然ないという公文書が舞込んで来たのです。それでそんな馬鹿な話はあるものかと言うので、渡邊留吉検事がもう一回やつたところが、ありました、ありましたといつて出て来たのです。そのときはそれはどういうことになつてつたかというと、私のところへその後通知が…、一度申告をしたというので、なんだかわからない金額の督促状が舞い込んだのです。それはその贈與税、未だにきまつておりませんが、当時それが舞込んだのです。それを持つて行きまして、私は金額は違うけれどもこういうふうに申告しておりますよということを言いまして、その督促状に基いてもう一回渋谷税務署にかけ合いましたら、渋谷税務署で初めてありました、ありましたといつて取り出して来たんです。そういうあいまいなものですから恐らく対決になつて、そうして当時私は二十万円じやなかつたかと思うんです。たしか二十万円ですよと頑張つて、お互いにそこで物わかれになつて、それじやもう一回上級官庁その他と打合せをして調べてみましようということで打切りになつております。
  164. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 その二十万円の申告書と三十万円の申告書ですね。二通とも検察庁で調べられたときに税務署の役人が持つて来たわけですか。
  165. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) いいえ、持つて来ておりません。
  166. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 ただあるというだけのことですね。
  167. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) あるというのは……、私はだからあなたに書いてもらつたんじやありませんか。それで私がその片方のほうを書いて出して、それでなんか自分のほうで更に処理しておきますからということだけだつたんで、決定はしていなかつたのじやないか、私のほうは二十万円といつて申告しましたといつて私は主張しました。向うのほうでもなんにも資料を持つて来ませんから、それきりで未だにずつと物わかれになつております。
  168. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 委員長にお聞きいたしますが、これはどこの税務署だつたですか。
  169. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) 渋谷です。
  170. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 出してありますか。
  171. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) 出してあります。ちよつと申上げますが、これはあと証人が読上げて記録に残しておきますから。
  172. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 引続いて川田証人の喚問をお願いしたいと思います。(「休憩、々々」と呼ぶ者あり)
  173. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) 速記をとめて下さい。    〔速記中止〕
  174. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) 速記を始めて下さい。それでは一時間休憩いたします。    午後零時二十八分休憩    —————・—————    午後一時五十六分開会
  175. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) 休憩前に引続きこれより開会いたします。特別調達庁財務部長川田氏の証言を求めます。
  176. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 川田証人に一、二点一昨年の御証言に関連することでもありますが、伺いたいと思います。その前に川田証人東京地方検察庁の馬場検事正が国会へ提出されまた二重煙突事件に関する捜査の報告書は御覧になつておりますか。
  177. 川田三郎

    証人川田三郎君) 見ております。
  178. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 この点にも触れますので、併せて御証言を願います。特別調達庁財務部から二十六年十二月十三日現在で、足利工業株式会社過拂金徴収状況調査というものが本委員会に資料として提出されております。その中に過拂金の返済額が列挙されておるのでありますが、先ず最初に昭和二十四年八月四日に三十八万円返金されておりまして、そのうち三十万円が自動車売却代金の引当とされております。次に昭和二十五年の十二月二十九日に三十万円が同じく自動車売却金引当に納付されております。次に三回目としまして、昭和二十六年八月十四日に四十万円が納入せられております。これらはすべて目附、金額その他事実と相違がありませんかどうか伺いたいと思います。
  179. 川田三郎

    証人川田三郎君) 只今お尋ねの收入金につきましては、目附金額自動車売却代金事実と相違ございません。
  180. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 それでは馬場検事正が本委員会に回答を寄せられておる内容によりますと、十一ページに、昭和二十四年八月四日三十万円、これは目附が合つております。金額も合つております。昭和二十五年十二月二十八日というのは一口日にちが違つております。それから三十万円の分です。昭和二十六年四月四日頃四十万円、これは八月十四日でありますから相当時日が違つております。そうすると検察庁のこの回答書の目附等が違つておると解釈してよろしうございますか。
  181. 川田三郎

    証人川田三郎君) 検察庁報告に現われておりまする日附と特別調達庁の、東京特別調達局に入りました收入の日附と違いますことは私も認めます。それはなぜ違うかという説明をいたしますが、先ほど御指摘の昭和二十五年十二月二十九日というのは私どものほうの入金になりました日銀の整理と符合いたさせました日附でありまして、検察庁報告二十八日となつております。二十八日頃となつておりますが、これは実際に小切手で持つて参りましたものが昭和二十五年、只今二十八日頃というのは私場所を読違えましたから……。これは昭和二十五年十二月二十八日、まさに昭和二十五年十二月二十八日に三十万円と書いてございます。頃はついておりません。二十八日と申しますのは最初十二月の二十五日に小切手で持つて参りました。銀行保証がありませんので直ちに日銀の歳入に振替えるわけに行きませんでした。で手形交換に東京銀行の丸の内支店を通じまして廻しましたで手形交換においてそれが現金に変りましたので歳入代理店たる同銀行支店を通じまして日銀の歳入勘定に入れたわけであります。それが二十九日になつた次第であります。ここに二十八日となつておりますのはどういう事情かは存じませんが、恐らく当時の小切手を持つて参りました山下君がそのときに納めたと申して、実際この收入にはいささか人の出入りがありまして、それを御説明を求められればいたしたいと存じます。日附がそうなりましたのは二十五日に小切手が入つて手形交換をした結果恐らく二十八日ではないと思います。二十九日に銀行に振込み……、記憶を呼びしました。二十八日に現金化されまして、それを收入にするのは私も立会いましたからすでに歳入徴收官ではございませんでしたが、立会いまして二十九日に正式收入になつた。と記憶しております。
  182. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 要するに十二月二十五日小切手を受領した日か、或いは日銀の口座へ振込まれた日か、二十九日でございますが、その日どちらを入金の日に解釈するかは別問題といたしまして、そのいずれかであればいいのでありますが、二十八日という日はこれはかような事実はなかつたと、こう解釈してよろしいのでありますね。
  183. 川田三郎

    証人川田三郎君) 二十八日はその小切手がまさに現金化された日でありますので、検察庁報告のほうで二十八日となつておるのは、現金化された日を以て債務を返した日と見たのではないかと思います。
  184. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 そういたしますと、検察庁はあなたのところへこの入金になりました日を調べに行かれたのでありますか。
  185. 川田三郎

    証人川田三郎君) それは私存じません。併し検察庁東京特別調達局のほうの出納のほうへも御調査に見えたと考えておりますから、そういう点でおわかりになると思います。
  186. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 とにかく入金の日は一日とにかく違う。二十五日とすれば三日遅れておる、そう解釈してよろしいように思います。  それから第一回の三十万円、二十四年の八月四日になつておりますが、これは三日ではございませんか。
  187. 川田三郎

    証人川田三郎君) これも入金と收入手続の日のズレでございます。八月三日にこの金を銀行に取りに参りまして、入金手続ができたのが翌日になつたのではないかと思うのであります。
  188. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 わかりました。そうすると一番大きく違つております昭和二十六年八月十四日の検事正のほうは四月四日になつております。四月ほど違うのでありますが、これの理由を聞きたいと思います。  それからその前に三十万円、第二回分を納めますときに納入義務者である高橋君はこれをみずから納めたのか、或いは誰か代人がこれを納めたのか、その点をちよつとお聞きしたい。
  189. 川田三郎

    証人川田三郎君) これが先ほど御質問があれば申上げると申した人の出入りの問題でありまして、最初昭和二十五年の十二月二十五日に山下という人が三十万円の小切手特調に持参いたしました。それでこちらは山下は誰の指図でその小切手を持つて来たのかということを質しまして、それは大橋武夫さんが山下自動車の売上代金として特調に入金するようにということで使者に立てたのだということがわかりました。こちらといたしましてはかねてから自動車の売上代金については大橋さんが足利工業の重役たちに督励をされまして納入をさせて頂けるという関係がありましたので、直接お持たせになつたわけではありますが、これは高橋に対して当時年末三十万円を入れるという本人の意思もありましたので、納入告知書を切つてございました。その納入告知書に対する納金を持つて来られたものと解釈いたしました。それで直ちに高橋君には何ら通じはいたしませんでしたが、手形交換には廻したわけであります。すると日は覚えておりませんが、二十五日から二十八日の間に高橋君が特調に参りまして、あの金は一旦自分大橋さんから返してもらうべき金で、返してもらつた自分は納めるのだ、大変手数のかかることを言うのでありますが、こちらといたしましては、とにかく三十万円頂ければいい、それではそういう筋道を立てようということで山下の住所を調べまして、それから山下の所まで私と歳入係長がわざわざ仕方がありませんから出て参りました。山下君から当時存じておりませんでした高橋君の自宅まで案内をしてもらいまして、高橋君を同じ自動車に乘せて役所に連れて来て両名特別調達庁経理部長の部屋で対談をさせまして、ここに三十万円の小切手は現金になつて置いてある。でこの金を大橋さんが高橋君に返すというものであれば、高橋もここで受取つたらよかろう、同時に特調高橋君か納入告知書によつてもらうから、そこで高橋君も承諾いたしまして、その場で実は金は特調手許べ押えてあるのですが、まさに三十万円は受取つた、そうしてその三十万円は自分の納入告知書で納めるということで、結論から申しますと高橋君に切りました納入告知書によりまして、高橋君が自分の意思で納めるということになるわけです。
  190. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 そうしますと、あなたの当時受けられた印象をお伺いいたしたいと思いますが、この三十万円を国庫へ納めることにつきまして、そういう意思を決定し、行動をした第一番目の人は大橋君であつて高橋君ではなかつた、そういうことは言えますか。
  191. 川田三郎

    証人川田三郎君) それは判断のことでありまして、私は大橋さんと高橋君が共同して特調に金を納めるということと解釈いたしております。ただ單に山下君は使者に立つた、まあ使者に立つというよりももう少し複雑な関係があろうと想像いたしますが、山下君は実際は金策をした、こう考えられるのでありますが、私といたしましては、大橋さんには納入告知書をする権限がないわけで、高橋さんにやりました。それを実際は自動車の代金を管理されておるという立場大橋さんが、高橋のためにその三十万円を持たしてよこした、こう解釈しております。
  192. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 形式的にはそうならんとおかしいから、そういう工合にあなたはおつしやるのですが、それだから本当の気持を聞かして下さいということを私は申しておるわけです。あなたのおつしやる通りならば、それなら私でも答弁をいたします。
  193. 川田三郎

    証人川田三郎君) 極く素朴の気持で、いわゆる会計事務とか何とかということを一応度外視しまして、俗の考えでは大橋さんが三十万円をどつかで作らせて、それで大橋さんの意思で特調に入れるつもりであつた。ただそれに対して高橋はそれは自分が返してもらう金だ、大橋さんから直接入れられては困る、こういう故障を申入れたと感じられるのです。
  194. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 そうすると、私はあなたの前回からの何回もやりとりをいたしましたが、とにかく特別調達庁は早く国庫に損失を與えた金を回収すればいいのであつて、そういうような努力を盡したということは、この前もたびたび聞いたのであります。聞いてみますと、二十五年の十二月二十八日というのは御承知のようにこの国会でこの事件が非常に問題になつて証人喚問をいたして、さんざん揉みあげた直後であります。余り国会で揉みあげたから三十万円が出て来て、揉みあげなければ、これは出て来なかつたということも成り立つと私は確信しておるのです。そういうような状態に立ち至つたことについてあなたは責任をどう考えられますか。
  195. 川田三郎

    証人川田三郎君) 徴収が思う通りに行かないという点につきましては、歳入徴収官におきましては私の責任であります。又次の歳入徴収官を督励監督するという立場にあります財務部長になりましたから、これはやはり私の責任と存じますが、何しろ相手方も立派に営業を継続しておらん関係もありまして、自分といたしましては最大の努力をいたしました。只今おつしやいましたように国会の御審議がこれに影響を與えておるということも、四囲の情勢から察知されますが、それによつて私どももそうした情勢をできる限り歳入のためには積極的に活用するという努力もして来たわけであります。物の徴収でございますので、なかなかうまくそれが集まらんということについてお叱りを受けることは、何とも弁解の余地はないわけでありますが、私どもとしては最大の努力を拂い、且つ拂うように指導もしておりました次第でございます。
  196. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 この検事調書によりますと、自動車を売つた売却代金で以て一時運用を図つて国庫の損失の軽減を図るということについて、あなたもその他の関係者も一応了承の下に運ばれたと書いてあります。その中には売却代金の一時運用という言葉がありますが、一時というのは、これは一体あなたがはの当時の気持でどれくらいの期間を一時とこう解釈しておられるか。こういう工合にのんべんだらりと二年近くも金の運用をして、だんだん金がなくなつてしまう。そうして国会で問題になつてからやつと三十万円納まつたというようなふしだらな状態ですけれども、そういうような恣まの資金の運用を許して、そうしてあなたがたはその全期間を一時とこういう工合に解釈しておられるか、そこをお伺いしたい。
  197. 川田三郎

    証人川田三郎君) この一時と申しますのは、一時でありまして、何カ月という約束もございませんでしたが、当時自動車の売却が第一のものについては進んでおつたそうでありまして、六月中旬頃高橋君、大橋さんが三浦と川田の所に見えまして、その見えた際にあの自動車高橋君が大橋さんに売却を委託しておるという話であるが、もう売れておるのか、いや売れたのは売れたのだが、現金が百万円にはならない。現在他の自動車に変つておる。それが売れれば百万円は必らず持つて来るし、それ以上になつた場合でも、より以上のものを持つて来られるかも知れない。で今すぐに納められないから、その第二の自動車が早ければ来月頃、一月頃ですが売れるであろう。でそれが売れて現金化するまで一時待つてくれ、こういうお話であつたのでありまして、この検察庁報告に一時と書いてありますほうは、文面から見ますと、一時運用の協議が整うということで、私の関知していない範囲におきましての運用の協議が一時ということになつておりまして、調達庁にその協議の結果を了承を得に来たというときには、特に一時ということは書いてございませんが、当時としましては、あと一月ぐらいで現金になるのではないかという見通しがありました。私どももその状況を止むを得ざるものとして、又管理者たる大橋氏を信頼いたしましてやつたわけでありますが、それが事計画と違いまして、実際の入金が遅れたという点は、我々も、事後承諾とは言いながら、こうしたものを認めましたことは遺憾であると存じます。一時という意味は、只今の御質問では、この報告についての御質問だと存じますが、報告につきましては、私ども一時ということはございませんので、ただ了承したという点について申上げ、又仮に一時ということがあつたとすればどういう意味かという御質問と解釈いたしますならば、大体一月ぐらいだという了解であるのであります。
  198. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 そうすると、一月ぐらいということであつた場合ですね、この自動車の売却代金の管理を大橋君がしておられたということは、あなたは御承知になつておりますか。
  199. 川田三郎

    証人川田三郎君) 承知しておりました。
  200. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 そうしますと、一カ月ということを大体予定して、納入告知書は一体何回くらいお出しになつたのか、そうして出された相手は誰にお出しになつたのか、それをお伺いいたします。
  201. 川田三郎

    証人川田三郎君) 納入告知書につきましては、一旦大きな全債務額の納入告知書を切つておきますと、あとは事実上の分納でございますので、手続上金を持つて参りましたときに納付書というものを作りまして処理いたしますので、すべて自動車の代金につきましては相手方が高橋正吉になつておりまして、納付書によりましてこの三十万円を入れたわけであります。
  202. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 それではさつきあなたの言われたことと違うではありませんか。十二月二十八日に納入告知妻が出してあつたから、それに応じて入金をしたとおつしやるけれども、納入告知書はいつ出してあつたのですか。
  203. 川田三郎

    証人川田三郎君) 先ほど納入告知書とまさに申しました。それは納入告知書でも納付書でもどちらでもよいという手続になつておるのでありまして、この際も三十万円を持つて来るときは、或いは納入告知書であつたかもわかりません。それが納付書であるとか、納入告知書であるとかいうことについては、私どちらがそうであつたかということを今ここではつきり申上げることはできませんが、そのいずれかであることは確かであります。
  204. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 それはそうすると何ですか、催促的な書類ではないということですか、督促の意味をかねた書類ではないということですか。
  205. 川田三郎

    証人川田三郎君) 納入告知書になりますと、督促の意味があります。それから納付書は実際現金が現実にできた場合でありますので、目の前の現金を処理するために納付書を作るわけであります。納入告知書は御承知の通り時効中断の効力もあるわけでありますから、成るべく納入告知書を切るわけでありますが、一体相手方が幾ら納めるかわからんという場合には、すでに出ておる納入告知書が失効しない場合は、納付書という部分的な書類でありますから、そうすると金額が又変りますから、次の部分は納入告知書に切換えられなければなりません。
  206. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 私は問題をはつきりおつしやつて頂きたいのです。あいまいに……どうせあなたも私もこの問題では相当やり合つておるわけですから、今日初めて議論しておるわけではないのだ。ですからもう少し的確におつしやつて頂きたい。さつきあなたが一カ月を予定したと言われたでしよう。一カ月予定したならば、あなたが当然相手方に対して督促の義務を生じておるわけだ、それを何回おやりになつたかということを私は聞いておるのです。そうして而もこの二十八日の問題について督促して金が入つたのか、向うが、国会で問題になつて、そうしてこれはまあちよつと納めておかなければ工合が惡いというので持つて来たのか、そこのところを明らかにする必要がある。これは検察庁の責任という意味においても重要な問題なんですね。そこで私はそこを明らかにしたいというので、告知書と納付書とどつちを出したかわからん、そうして而も片方は催促的な意味があり、片方は催促的な意味がないと、そういう答弁をされたのでは、あなたに証人に立つてもらつた意味がない。
  207. 川田三郎

    証人川田三郎君) 納入告知書による催促ということもございますが、催促は顔を合せさえすればやつていたような状態でありまして、十二月の分につきましても、実際に催促しておりました。それで暮になつたら三十万円持つて来るからという話がありまして、そのときにたしかこれは納入告知書を切つた記憶しております。最初の分につきましては、現金が大体できるという話を聞いておつて、その後催促いたしましたときに、いやまだきないということから……、三十万円という額できまりましたのは別の事情がございます。当時社長田中と専務高橋とが両方共連帶保証人である関係上、一人の保証人ばかり余計な負担を先に出すのは厭だと、こう申しましておりまして、田中社長がその六月頃、近く三十万円くらいは納められると申しましたので、それから高橋君にも田中のほうで三十万円は納めると言つておるのだから、あなたのほうも主張から言えば少くとも三十万円は納めなくちやならんということで、向うも三十万円をとにかくじやあ都合しようということで、八月三日に大橋さんの名刺によつて三十万円が銀行から引出される二とになつたのであります。田中のほうは遂に三十万円できず、八万円しか持つて参りませんで、三十八万円という收入の口が八月に出ておるわけであります。催促は始終しております。納入告知書によつたりよらなかつたりということがございますが、何かあいまいなような印象を與えると存じますが、年未においても催促の結果これが入つた。四囲の情勢がありまし我々の催促が部分的ながら実を結んだと、こういう次第でおります。
  208. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 その次に、四月四日のものが八月十四日というふうにあなたのほうの調べではなつておりますが、この理由はどういうのですか。
  209. 川田三郎

    証人川田三郎君) これは四月四日に関主計さんというかたが四十万円の現金を特別調達庁の本庁の私の所に持つて参りました。そこで、これは高橋君に返済する金である、特調の面前で高橋君に返済をするから、特調としては自動車の残金四十万円は少くともあるのであるから然るべくということでございました。で私どもといたしましては、これをすぐに高橋君から取らなければなりませんので、私は歳入徴收官ではございませんでしたから、特に場所も離れております関係上、便宜を図りまして東京調達局経理部の歳入係深澤という者に一切の收入書類の準備をさせまして、恐らく納付書を作つて来たと思いますが、納入告知書であるかも存じません。それで、高橋君宛の收入書類を作りまして、その場でその四十万円を領收するという手筈になつて、丁度局長会議をやつておりまして、私はそちらへ行くことになつて、約束した時間に関君が見えませんでしたので、深澤君だけが残つてつておりましたら、関君が高橋君と同道して四十万円を持つて私の事務室に見えました。そこで所定の手続を踏もうといたしましたところが、高橋君は四十万円を特調に納めるという義務は認める。併し自分は年末まで期限の利益がある。だから大橋さんから自動車代金の残金を返して頂くことはここでまさに了承をして領収証も出すと、併しその金は特調には納めない。自分がもらうのだ、こう申しました。で、特調の深澤君もましては、わざわざ大橋さんが特調が徴収しやすいように特調の面前で高橋君に返す方法をとられ、而も高橋君はそうした方法をとることに同意して自身特調に同道しておるのでありますから、高橋君の意思としては特調にこれを納めるという気持が当初はあつたのではないかと思うのであります。とにかくその日としては自分は納めない、こう言つてその金を自分にくれと、こう言いました。それでは特調としては甚だ困ることになりますので、これは大橋さんの意思から言つて高橋君に返すと同時に特調に納めてもらおう。そういう意味合で高橋君に返した。期限の利益があるならば法律的な問題だから今ここで深澤君ではすぐ解決できないというところで、私に電話がかかつて参りました。私は電話で指揮をいたしまして、それでは和解調書に基く高橋君の期限の利益というものを今ここですぐ解決するわけにはいかんから、保管金として預つて日銀に入れて置けと、それで高橋君には改めて自発的に納入させるように奬めよう、こうなりまして高橋君も保管金として預けるということについては了承いたしました。それから八月七日まで日銀に保管金として残つておりました。その間私は高橋君に会うたびに君は期限の利益と言うけれども、結局四十万円は全額ではない、一部分なんだから今からそのくらいのものを納めておいても、丁度君の期限の利益と主張するものを満足するのにはいいじやないか。又君の期限の利益があるかないかということは、なかなか法律問題としてむずかしいから、実際上君も納める義務は認めるだろう。高橋君はそれは義務は認めるし納めてもいいのだ、いいんだが自分として今仕事をするのに金が要るから一時そいつを自分に使わしてくれと、半分でもいいという申入もありましたが、いやいやこれはとにかく日銀の保管金に入つているのだから渡すことはできない。で君も僅か四十万円ぐらいの金なら事業家としてほかでも金策できるだろう。そういう折衝を数回いたしました。で、高橋君は執拗にこれを返せと言つて、私のほうは返さないということでありまして、そのうち高橋君が検察庁のほうに、この事件で呼ばれるようになりまして、本人もやはり自分特調に対する債務はできる限り早く完済したほうが検事の心証もいいであろうという考えになりましたと私の所へ申して参りまして、八月七日に任意にこれを納入すると、そこで形式上收入手続をいたしまして、取つてある金は日銀のうちで歳入金に振替えたわけですが、四月四日から八月七日までの期間を経た、こういう事情でありまして、甚だ複雑なことでありますが、要するに四月四日には金が大橋さんから返つているが、国庫には八月七日に收入になつた、こういうことです。
  210. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 大体事情はよくわかりましたが、一番最初に問題が起きて自動車の売却をして返済をするということになつてから、なかなか納入が意のごとくに運ばずして、昭和二十五年の暮から春にかけて、大体百万円という金が完済されたという、この根本は金が一応できたということだろうと思うのですが、その金はどうしてできたのか、あなたは内容を御承知でしようか。
  211. 川田三郎

    証人川田三郎君) その金のできた事情は私、わかりません。
  212. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 それは高橋君なり田中君なりがこしらえたのか、或いは大橋或いは山下のこの運用したほうでこしらえたのか、自動車の売却をした金でそれだけ利益が上つたのか、或いはどこかからか借入れをしたのか、そういうことぐらいはおつかみになつているのじやないですか。
  213. 川田三郎

    証人川田三郎君) その事情は全然知らないということも少し違うのでありますから申しますが、結論はやはり私の推量に過ぎない、第一回は恐らく自動車を売りまして手許に幾らか現金があつた。それを持つて来たのじやないか。それから第二回は山下君がどつかから借りるか、自分預金を持つて来たか、第三回の四十万円は關君が一時内部の話合いで立替えられたのじやないか、こう想像しております。全部想像でございます。
  214. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 まあ私も大体さように想像しているわけですが、ここで一番問題になりますのは、この捜査調書はつきり書いてあるように、百万円の金が一応返済をされたので、山下君については横領の問題は無罪放免である。こういう工合になつておりますが、最初あなたの方はこういうようなルーズな金銭管理の方法を大体予定して、そうして昭和二十六年の春まであなたの方は経過された、こういう工合に見なければならんのですが、それでよろしうございますか。
  215. 川田三郎

    証人川田三郎君) 山下という人物の存在することは、私どもが了承いたしますときには全然出ておりません。私も山下という人物がこれを運用するということはわからなかつたわけでありまして、大橋さんの手でいわば高橋元専務を監督していて頂いて、一日も早く高橋君の債務が回收できるようにと、そういう期待を持つて大橋さんを信用しておりました。
  216. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 そうすると何ですか、繰返して伺いますが、大橋前法務総裁がどういうような方法で利殖を図つておるか、その点を全然特別調達庁としては関知しないで、大橋君をもう全幅的に信頼されたわけですか。
  217. 川田三郎

    証人川田三郎君) 大橋さんもただ漠然と運用するからそれまで猶予せいということを申されたのではなく、ちやんと当時一つメモを書かれまして、現在何と申しますかモーリス、モーリスが百三十三万円に売れておる、売れておるが現金はたしか五十五万円あつたと思います。五十五万円あつて、それは今ほかの自動車を買付けたための経費として必要である。それから次の自動車は二百十五万円に売れる予定で、それが来月の話、そうすると二百十五万円の中から百万円はすぐ出せるというような一つの計算の基礎を持たれまして示された。それが売れたならば幾らか遅れるが入る。百万円は絶対に後に引かないが、それ以上入るかも知れないという期待を持ちました。
  218. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 それで、私どもどうもわからないのですが、そういう工合に内容的な打合せができていれば、最初から一時運用するのは一カ月だと、こういう工合に認めておられるならば、これは督促をしたと、先ほど何回かおつしやつたけれども、督促の仕方があれじやないですかね、ルーズじやないですかね。あなたは誰にどういうような方法で督促をされたのか、もう一度詳しくおつしやつて頂けませんか。
  219. 川田三郎

    証人川田三郎君) 高橋君に督促をいたしました。高橋君というのは、当時ちよちよ特調に出て参りまして、見るたびに私が入金はどうしたかということを申しました。それから又所定の係の中におきましても、電話又は文書を出したこともあつたと思いますが、督促をした。併しこれはさして効果があるごととは思われませんので、やはり本人をつかまえたときにどうだ、いつ納める、幾ら納めるのだという督促をしておつたわけであります。
  220. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 そんな督促の仕方というのがありますか、よく考えて御覧なさい。大橋君は銀行預金自分で持つてつて、言わば大橋君に電話しなければ金は出せないような仕掛けになつておる。それをあなたは御承知でしよう。管理権は大橋君が持つておるということをよく承知しておると言われた。そしてその金は一カ月運用を認めたので、儲かつたらすぐ返すようになつておる。今度モーリスを売つて、その次に何とかいう車を売つて返すようになつておると大橋君は言つておるのです。仮にその通り名義の口座に金が入つてつたつて高橋に幾ら請求したつて鐚一文出ない。そんな的違いなところに金を請求したつて全然意味がないじやないですか。あなたは大橋君に何回請求されたか。
  221. 川田三郎

    証人川田三郎君) 大橋さんには、その何回ということですから回数を申上げますと、二回であります。それで大橋さんには、第一回には了承をしたときに、それではいつ納めて下さるかということで大体来月、それからその後一度お会いしたことがあります。それは何か大橋さんが自動車に乗られるところでして、たまたま私通りかかりましてお願いした。そのときに三十万円という話が大橋さんにも直接に通じた。それじや一つ私が何とかしようというお話でした。実際そのほかに私は大橋さんと地位の違いもありましたので、そう接触する機会がございませんでした。三浦監事は大橋さんとは旧友の関係で、三浦監事からはしばしば大橋さんにいわゆる督促に当る申入れをしておつたと思います。
  222. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 それはますます奇怪であつて、少くともあなたあれですよ。川田三郎という人は官に就いておるからこそ行政が行えるのでしよう。裸のままの川田三郎といつたら、普通の市井の人と何ら変りないのです、大橋が幾ら高官であろうと、特別調達庁という行政権を行使する立場から言えば、幾らでもできるじやありませんか。自動車に乗るところに会つたというのは、あなたの思い付じやありませんか。計画的な取立てはどうして行いましたか。それを聞きたい。
  223. 川田三郎

    証人川田三郎君) 大橋氏が高橋氏のそうした自動車の金を管理するという立場は了解をいたしましたが、銀行預金云々というところまでははつきりしておりませんでした。  それからもう一つ、これは理窟の上の話で、どうも御了承得られにくいとは思いますが、大橋さんは債務者じやない。私が大橋さんに対していわゆる督促をいたしますれば、債務者は高橋であつて自分は保証人でもないとか、こういう理窟を以て若しやられたら一言もない関係であります。併しまあ私が自動車のところで言つたときはそういうことは申されませんでした。この大橋さんに直接催促する、歳入徴收官という仕事の上でできなかつたの大橋さんが債務者でも保証者でもなかつたという関係もあります。幾分理窟倒れの考え方でもございましようが、督促が直接行われなかつた
  224. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 そうしますと、端的に申しますと、こういうことですか、法律的な債権債務は国と高橋君の間にある。そこで大橋という人が曾つての高官の地位にあつた、その立場を利用してトンネルみたいにして、そこでまあ国の金になるものを運用して、そうして恣まのことを大橋君がやつておると、こういうことの一言に盡きるじやないですか。それをあなたがたは認めておつたということになる。そういうことを行うことを特別調達庁は認めておつたと……。
  225. 川田三郎

    証人川田三郎君) いえ、そういうことは認めておりませんし、又今のお言葉ではありますけれども、そうなるとも考えられないと思います。高橋君という人は幾分異常性格を持たれた人でありまして、この人ばかりを頼りにしておるのでは我々のほうも心許ない、財産力ももうはつきりしたものはなく、つかみにくい。そこで大橋さんという人がいわば後見に立つておられる。それで、一人の高橋君よりは大橋さんを後見人と見て、道義的に大橋さんを信頼して、それで而も自動車委託しました根拠も、高橋君が自分で商売仲間へ売るよりは大橋さんの顔で販路を見つけてもらうほうがいいという説明が当時ありましたものですから、私どもは次の自動車大橋さんによつてそうして捌かれるようにして、高橋君を幾ら責めてもなかなか埒が明かんが、大橋さんは道義的にも高橋氏を督励して、金を高橋から納めさして下さるだろうと、こういう期待を持つたわけです。
  226. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 これは立派な後見人を選ばれて甚だ以て結構でありますが、後見人のほうが少し異常性格だから……。そうでしよう、約束をしておいて、そうして国に返す返すと言いながら、それで山下などという人間を使つて自動車を売買しておる間にすつちやつた、そうして国に損害をかけた。その事実は認められますか。
  227. 川田三郎

    証人川田三郎君) 大橋さんが異常性格であるという事実はちよつと認めかねますが、大体そういう結果になつたという事実は認めざるを得ない。
  228. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 その結果をはつきり認めて頂きたいですね、今あなたがお認めになつたが。
  229. 川田三郎

    証人川田三郎君) 結果は自分たちの予期に反して延納になつたということは認めざるを得ません。
  230. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 わかりました。
  231. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 大体栗山君の質問で盡きておるんじやないかと思うんだが、最後の四十万円の金を四月の四日に關という人が大橋武夫氏の代理として現金を持つて来られたというのですが、これはそのときは山下の代理だというようなことではなかつたのですか。
  232. 川田三郎

    証人川田三郎君) 關君は大橋武夫尺の使いであるということでございました。
  233. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこで検察庁調書を見ると、三回に一回拂つた。關氏より借り受けをして、山下が借りて、そうしてこれを特調に返納した。だから山下も罪がない、こういうように言つているのです。そこでこの調書を見ると、大橋氏は関係がない。ただ監督の不行届の程度であつて、そうして実は山下が恣まにしておつて山下特調に返す義務があるようにすり変えられてしまつているのですね、この内容を見ると……。そこで当初山下という人間を一体特調が認めたというのか、全然山下という人間は認めるも認めないもない、これは大橋氏に対しての話であるというのかその点はどちらでしようか。
  234. 川田三郎

    証人川田三郎君) 山下大橋高橋両氏の間における内部関係でありまして、特調山下とは二十五年末に小切手を持つて来たとき以外には、何らそれ以外には関係ありません。
  235. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 この調書の八ページの辺から見て参りますと、この運用の点でありますが、これは運用するということを特調側の川田、三浦の了解を得たものであるから、これをやつているように書いてあるのです。ところが今の証言によると、それは自動車を売つて、そうしてその金をもうなくしてしまつた。そうして次の自動車か何かを買つたというようなことから、もう少しこれを運用させようというようなことで、いわば返すべき金を使つてしまつておいて、そうしてあの金はもう使つたのだからない。ないから代りにこれがあるからこれを売つたら返すからというので一つ認めろというようなことで来られたのか。それとも当初からこの自動車のモーリスの売買当初からそういう話合いでこれを認めたのか。その点はどちらなんですか。
  236. 川田三郎

    証人川田三郎君) 運用を認めましたのはモーリスが売れた後のことであります。
  237. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それから先ほど高橋証言の中で、株を高橋が売つた金のうち五十万円を大橋が命じて山下が使いに来て、そうして金を小切手で渡したというようなことに関連して、何か川田さんの所のメモにそういうようなことが書いてあつた、こう言うのですが、この点はどうなんですか。
  238. 川田三郎

    証人川田三郎君) 高橋君が言うそのメモというのは、恐らく大橋さんが自動車がこうなつているという経理の説明をしましたメモのことであろうと思います。それに現金が五十五万円というのがございましたから、それを高橋君は言うのじやないかと思いますが、それが株を売つた金であるとは私考えられませんので、モーリスを売つた金の買替をする間にをける残金ではないかと思うのです。
  239. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そのメモがあればのちほど参考資料としてお出しおき願つたら結構と思います。
  240. 川田三郎

    証人川田三郎君) そのメモ検察庁に参考書類として提出して、今東京地方検察庁にあると思います。提出は今のところできません。
  241. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それじや結構です。  それから先ほど言われましたが、このモーリスを売つた金というものがすでに了承したときにはなかつたというようなことを言われるのですが、私が調べておりますと、あながちそんなようにも思えないのですが、了承をされたのは何月の何日であつたかということを、それからそのときにはもうそのモーリスを売つた金でほかに自動車を買つてつたと言われるその根拠について一つ説明願いたい。
  242. 川田三郎

    証人川田三郎君) モーリスが百三十三万か百三十五万かに売れたという計算になつておりまして、そのうちその売買をするについての手数料をブローカーに十万か十五万、そのほかモーリスの売上代金としてはつきり記憶はございませんが、六十万又は七十万円の売掛代金があつたのでございます。でその売掛代金を回收すると同時に、方の第二の自動車の代金も拂う。第二の自動車はそのときパツカードかビユイツクという説明でありましたが、すでにそうした自動車の車種の名前まで挙げられたので、具体的にもう売買の契約が済んで、自動車はもう大橋さんの手で次に買手を見つける段階にある。でそれから得られます売上代金、先の自動車の六十万又は七十万の売掛金の回収とこの両方が私ども  の收入の期待の基礎になつてつたわけであります。
  243. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それでその話のあつたのはいつですか。
  244. 川田三郎

    証人川田三郎君) 昭和二十四年六月十日であります。
  245. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこで百万円という金は、この百万円の金を運用することを認めたのか、百万円は返す、そしてあとの百万円以外の金は運用するということを認めたのか。それとも百万円もその他の金もとにかく売上全部の運用を認めた、こういうことになるのですか、その点はどうなんですか。
  246. 川田三郎

    証人川田三郎君) それは第二の自動車を売りまして百万円を持つて来るということが運用を認めた第一の点であります。それでそれがうまく行かなくなつた結果でありまして私どもとしては第一の自動車が売れた金をすぐ百万円入れないのであるが、第二の自動車で少くとも百万円持つて来て、そして第二の自動車はより有利に捌かれるというお話でありましたので、それならば百万円は維持され、なお且つそういう運用をすることによつて百十万円でも二十万円でも余計回収ができるならばという期待を持つて運用を認めたわけです。
  247. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) いいですか。
  248. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 ほかに何かほかの委員から……。
  249. 溝淵春次

    ○溝淵春次君 我々はありません。
  250. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) 各位御発言されませんか。
  251. 溝淵春次

    ○溝淵春次君 もうありません。
  252. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) お諮りいたします。川田証人に対して証言を求むる件はこの程度で打切つてよろしうございますか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  253. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) 異議がないものといたしまして、川田証人、大変御苦労様でした。  それから引続いて高橋証人出頭を求めます。   —————————————
  254. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) 高橋証人出頭しましたのでお尋ねを御希望のかたは御発言願います。
  255. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 高橋証人にですが、この報告書の中を見ると、高橋より借用した五十万円の返済と、前記利益金の償還を迫られたので、同年十月中旬三十万円と、昭和二十五年二月下旬頃二十八万円とを齋藤政吉及び田村金太郎より一時これを借りて、高橋に返済したと、こういうことが書いてあるのですが、この金はいつ貸して、いつこれは返してもらつたのか。五十万円のほかに利息をどれだけもらつたのか、この点について証人に伺いたいと思います。
  256. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) 今のカニエ委員からの質問お答えいたします。この金は二十四年の多分五、六月頃、大橋先生の使いだと言つて借りて来いと言われて持つて行つた五十万円でありまして、それをその前に、そのときに自動車を買うときに四、五日でいいとか、或いは一週間ぐらいだとかいうような話もありまして、その後請求をたびたびしておりまして、漸くその翌年の二月に、翌年でなく、その十月頃、これは日にちが多分ちよつとずれておるように私の記憶では考えられます。これは暮の頃ではなかつたかと、暮かその前後であつたかのように私の記憶であります。それでこれは当時大橋先生に言いまして、大橋先生から書いてもらつたものであります。ですから山下からじかに返してもらつたものではありません。  それから利息の件でありますが、利息と申されますけれども、このときは、前のお話のように山下が持つて来ますときに、自分たちが借りるときはかなりの高利で借りておるというようなことを言つておりましたが、このとき別に、利息を付けてというような意味ではありませんでした。
  257. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 その返してもらつたのは、山下から返してもらつたのではない、大橋君から書いてもらつたというのは何を書いてもらつたのですか。
  258. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは名刺を書いてもらいまして、これを返してくれと山下氏の所に行きますと、山下氏は先生の所へ行つて名刺なり何なり書いてもらわなければ出せないということで、一々先生許可を頂きまして、許可というか、その名刺に書いてもらいました。その名刺山下氏の所に渡して、山下氏から返してもらつた
  259. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 先ほどあなたが三和銀行日比谷支店の問題の自動車の金の出入りですが、これの通帳を解約してあなたが持つておられるというのですが、それはあなたが勝手に解約したのか、どういうわけでそれは解約したのですか。
  260. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは昨年の、一昨年のこの国会で問題になつたあと、私も一回も通帳を見ておりませんし、どうなつておるやら、議会で、この委員会で私も追及されまして、初めてははあそんなふうに金がなつておるのかなというふうにしか知りませんでしたので、当然私に返るべきものは返してくれということで三和銀行に私の名義である以上は返して欲しいと言つたところ、大橋先生の了解を得て、大橋先生が返してやれというのなら返してやるということで、私がもらつて来たのが三月の四日だか五日だつたのです。
  261. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そうするとですね、前の大橋さんの証言のときにはそのモーリスを売つた金は日比谷の三和銀行に預けてあつて、これはきちんとその金はあります。今でもそれはあるんですということを言われたのです。そこで解約になつているのだということを確かお伺いしたときには、それは大橋氏にも持たしてあるし、又山下も持つておるし、いわんや私もちやんと持つておりますというような御答弁があつたのですが、あなたはそうするとその通いを見たのはずつとあとであつて、その当時は通いの内容を何も知らなんだ、こういうことに了承していいのですか。
  262. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) さようであります。
  263. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それからこの通いを作るときには、必ず高橋名義であれば高橋の判が要るのですが、この判はあなたの判を大橋さんに渡されたのか、或いは向うで作られたのか、それはどうなんです。その通いの判は…。
  264. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは向うで作つて、私もその通帳をもらうとき初めてその判を見たわけであります。
  265. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 その判を作るときにはそうするとあなたに判を作るから、お前はそれを承知しろというようなことが話があつたのか、又そういうことをあなたは承知しておつたのですか。
  266. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは通帳を作るときに、こういうふうに預金するからという話ぐらいで、いつこの通帳が作られたものやら、印鑑がいつ作られたのやら私は知りませんでしたが、又そういう印鑑を作るという話も聞いておりませんでした。
  267. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そうすると、通帳を作るということは了承したが、判をそれじや作るということまでは了承していないということなのか、その点を一つはつきり……。
  268. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その点は、通帳を作ると言いますから、やがて私の所へ判ぐらいもらいに来るだろうと思つているうちに、無論通帳を作る以上は判がなければ受付ないでしようから、向うで勝手にお作りになつたと思います。私も最後まで知りませんでしたから。
  269. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それからその通帳は今あなたが持つておられるのですが、その通帳の中で、大橋さんが金を出し入れをしておられて、山下を使いにやらしたかそれはわかりませんが、とにかくその通いの中に出ておる金ですね、出ておる金をあなたが見られて、そのうちでどれが自分が知つておる、あなたがこの金は何のときに何に使つた金であるということをはつきり、わかるのはその中にありますかどうか、あつたら何日の日に何円、これこれは何に使つた、こういうことを一つ聞かせて頂きたいと思います。
  270. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その点については皆目わかりませんが、山下から私がこれを聞き伝えたのでありまして、信憑性はないと思いますが、誰か知らん間に使われているのだということを言つたことは覚えております。
  271. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それは知らん間に誰かが使われている、こういうのですか。
  272. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは一昨年問題になりまして、その後この通帳のことにつきまして、見ない前に山下氏に対して私が全部使つたのを知つておるのかと言つたら、こことここは不明な分で、自分は使つたのじやないのだけれども、こういう出し入れをしてあるのがあるのだという話を、これは聞いただけでありますけれども、そういう話を聞いております。
  273. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それはどの件とどの件であるということは、そこでわかりませんか。その通いを見て……。
  274. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その点ではただそういう話だつただけでありますからわからない、わかつているとは断言できません。
  275. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 山下はその後どういうようなことをやつておるのか、最近お会いになつたのですか。山下行動については何かわからないですか。
  276. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) 月に一回くらい、無論債権がありますから来てくれと言つても、なかなか来てくれないし、手紙では早くお返しします、先生と相談した上返しますというような手紙が来ますが、本人と会つて話をしたような機会は二月に一回あるかなしくらいで山下氏の行動は私はよくわかりません。
  277. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それから選挙のときにあなたが向うから、島根のほうから言つて来て金を持つて行かれた。そのときに向うで兒玉直一という当時選挙の運動をやつてつたという人と会つたのですか、会わないのですか。
  278. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) 奥さんの紹介で挨拶して来ただけであります。
  279. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 二十万円のほかに僅かな金でもこの人に陣中見舞というか、食費というような意味か、交通費というようなものであなたがお出しになつた金はないのですか。
  280. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それはございません。
  281. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 大体高橋氏に対する質問はこの程度にいたしまして、又必要があれば呼んで頂きたいということを要求いたしておきます。他にほかに何か御質問があれば……
  282. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 証人昭和二十六年四月十九日に澁谷税務署に贈與税の申告をしているというのですが、それは幾らの金額について申告したのですか。
  283. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは二十万円だつたのでありますが、税務署のほうで何でも上のほうから二十五万円だか三十万円だか、そういうふうなことになつて来ておるというので、私は二十万円だというので二十万円のほうに自分の自署で住所を書きました。それを多分そのときに向うもそれじや書いて出して下さい。それで片方のほうは多分税務署の人が三十万円のほうの金額を書いたように記憶しております。
  284. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 この二十万円の税の申告というのは、ここにある書類、これは伝票と納付書とそれから領収済通知書と領收書と繋がつた一枚の紙になつておりますが、これを出したのですか。
  285. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それに書いといてくれというのでそれを出しまして、それが控えだつたと思います。それでその控えをもらつてつて来て、家に置いてあつたと思います。ですからそれと同じものは税務署にもあつたはずであります。で、それは申告書に代用するとか言つておりました。
  286. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 そうすると、ここに出ておるこの繋がつたものは、ここに丹後町三十三高橋正吉とあなたの名前の書いてあるのは、これはあなたが書いたものですか。
  287. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) そうであります。
  288. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 ところがもう一つここに別に贈與税額七万一千九百九十円というのがもう一通あるのですが、これはそのときやはり出したのですか。
  289. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それはそのとき出しまして、どつちかきまつて来るはずだというような漠然とした税務署の人の答えだつたものですから、まあ両方もらつて来れば間違いないと思つたので、両方もらつて来たのです。けれども、私が自分で申告したのは、自分で自署で書いたほうを申告したのです。その後何か金額が間違つてやしませんかというので、私が異議を申立てに行つたの記憶しております。
  290. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 このもう一通のほうのやつは、あなたの名前は、あなたの書いた字ではないのですか。
  291. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは税務署のかたが書いた字です。
  292. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 そうすると、申告をする金額が二十万円だとこつちが言つた。ところが、二十五万円だというようなことで、金額に相違があるから、どちらが本当であるかわからんから二通出せと言われて、二通出したというのですか。
  293. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それはそういうふうに言われておりまして、どつちかきまるはずだと、上のほうの指示でどつちかきまるはずだというので、二通出してあつたのであります。
  294. 棚橋小虎

    ○棚橋小虎君 あなたの意思では、自前で二十万円と考えておるやつを一つだけ申告するつもりだつたのに、そう言うからこれを二つ出したと、こういうのですね。
  295. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) そうであります。
  296. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 ちよつと関連して、その税務署の申告というものは、証人がみずから申告するものであつて、上のほうから、どつちの金額が本当だとか、こつちが嘘でこつちが本当だとかいうようなことを税務署にきめてもらうというような筋合のものではないのではないか。その点が今ちよつと僕にはわからんのだが、どういう関係でそういうことになつておるのだね。
  297. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは税務署のほうで、何でも会社の帳簿を調べたら、贈與税が二十五万になつていたとかいう話があつたのです。贈與とか、帳簿の中にそういうふうな……、それは多分いわゆる顧問料の間違いじやありませんか、いやそれはどつちかわからんけれども、そういうふうなことを関東信越局のほうから言つて来たから、私は国会では二十万円と、無論大橋先生も二十万円しかもらつていないのだと申しましたら、いやそれはどうもわからんというような、余りはつきりしたようなことは全然税務署自体も言わず、あなたそうじやありませんか、そうですとか何とかいう、そういう取合いをしたので、結局それじや帳簿をよく調べてみてもらいたいということで、そういうふうに落着いたように記憶しております。
  298. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 この際高橋証人から、先ほど私が提案をいたしまして取上げて頂きました件について意見を求めたいと思います。それは東京地方検察庁の本件に対する捜査の国会に対する報告書につきまして、高橋証人関係する部分等について承服しがたいような点がありましたならば、述べて頂きたい。これは承服しがたいと申しますのは、恐らく検察当局で高橋君はいろいろな点を捜査せられて答えておられると思いますが、その点に関しまして、あなたの意思が十分に反映されていないような点等に亘つて述べて頂きたい、それをお願いいたします。
  299. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) この四ページにあります、終いから三行の「前記過拂金の返納に充てる予定であつた自動車(一九三七年型モーリス)の売却代金については大橋武夫及び山下茂を横領の容疑で取調べた結果山下は約三十八万円を横領の事実が認めもれたが既に全額弁償済であり」というのがありますが、これは全然私に関係のないところでありまして、大橋先生にはこれを持つて行かれた覚えはありますが…、それから又全額返済ということになつておりますが、未だにこれは未解決で、この間のような内容証明で損害賠償を請求したような結果であります。この点は、どういうわけで全額弁償というようにお書きになつたか、ちよつとわかりません。それから八ページの前から三行目にございます、虎の門自動車株式会社社員中村宗平に百五十万円で売却したということを言つておりますが、これは私には山下が、百六十万円で売れたと、或いは百四十五万円で売れたと、いつも区々まちまちで、ときには修繕費が十七万円というようなことを言つておりますが、これは私が当時この山下から聞きましたところでは、これは七万円というふうに私聞いて記憶しておるのでありますが、あの自動車はそんなに修理費の十七万もかかるような自動車ではなかつたのであります。この点が大分食違つておると思います。それから「残額百三十三万円を同年七月十九日」というふうに言つておりますが、この預りの中で百三十九万円銀行通帳に入つております。これも全部で三回に亘つて受領しておりますが、そうしますと、百五十万円というふうに辻褄を合せておりますが、私に言つて来たのでは百四十五万と、五万の上下がここについております。それからその次に、「而して大橋及び山下が右自動車の売却代金を直ちに特別調達庁に納入せずこれを他の自動車の買入資金に充当したことについて同人等及び」と言つておりますが、これにつきましては、同人等という意味が、これは山下という人間はこの当時入つておりません。それからその次に「各供述を総合すれば田中平吉高橋正吉大橋及び山下の間」と書いてありますが、この「間」については、大橋先生山下の間でありまして、私たちは、私も田中も関知しなくて、山下大橋先生が関知しているだけであります。この点はちよつと違つておると思います。
  300. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 ちよつと今のところはどこですか。
  301. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それは八ページの終りから三行目のところに、「大橋及び山下」というのがあります。「山下の間において」という文字があります。これはちよつと疑問だと思います。  それからこれは山下の供述になつておりますが、九ページの五六行目に、「而して山下は前記百三十三万円と別に同人が同年五月二十六日頃高橋正吉から借り受けた五十万円」というのがありますが、これは山下に私が渡したには渡したのでありますが、これは先生というバツクがあるから、バツクであり、先生の命で来たということを言つておりますので、渡したのでありまして、何も山下という人間を信用し、又これほど金を貸す間柄でなかつたということで、これは私が貸したのではありません、この山下に……。それというのは、昨年の四月に私と山下とそれから先生の所におります關主計氏と三人で話合つたときに、先生のために工合が惡いからこれは自分が借りた、先生が借りたといつちや工合が惡いから、自分が借りたということで一つ納得してくれというようなことを思い合せますと……。それから又前日の供述のとき申しましたように、川田経理局次長の所で大橋先生が説明したメモの中に、この五十万円という金額大橋先生が了承されておりますから、この点山下に貸したわけでないことは明らかであります。  それからあとのその後の供述でありますが、これについては、私については別に返済したとかいうふうに、山下氏自体が返済したというふうに書いてございますが、これは山下氏から返してもらつたのじやなくて、大橋先生から返してもらつたので、この供述では大橋先生という文字が抜けておつて、対取引が私と山下の間で行われたように供述されておりますが、これは間違いだと思います。  それから十ページの終りから二行日に、「渡瀬昌勝から十万円を」、それからその前の三行目のところに「二十四年の十月二十日頃大坪信治から十五万円及び同年十一月頃渡瀬昌勝より十万円を夫々金融の申込を受けた際有城重吉より一時借用して右大坪及び渡瀬に融通したが」、これはその当時であつたと思いますが、これは先生が貸してやれと、手形を貸してやれ、貸してやれと言われて貸したのだということを山下から聞いておりますから、これはほかから借りたのでないということを、その当時山下言つておりました。  それから十二ページの……、
  302. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 ちよつと……、ほかから借りたのではないということは何ですか。山下君が運用しておつた自動車の売却代金の中から融通して貸したという意味ですか。
  303. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) そうであります。それから十二ページにあります。前から三行目のところに、「昭和二十六年四月初項關主計の斡旋で高橋に三十一万円の手形を差入れ」、これはわけがあるのであります。それというのは、この委員会で問題になりまして、私が引つかかつておりますものですから、關さんが中へ入りまして、これは早く解決する意味において、是非大橋先生を助けると思つて我慢してくれ。そうしてそれは四月の十六日だつたと思います。そのときに手形をそれでは全部、それというのは和解できたのちにもかかわらず、大橋先生が私の金を山下という者を使つて、こういうふうにごたごた持つて来られたのじや困るということから端を発しまして、是非大橋先生を助けると思つて君も我慢したまえというので、それではその期限にきちんと拂うならば、その手形も認めようということでありましたが、現今に至るも、そういうことについては一向に返済の意思も全然ない。その当時頼まれましたものですから、これは手形を入れても、何ら無効な手形を入れてくれただけでありまして、そうしてその次にあります「百万円の納入と高橋正吉に対する債務を完済しているので」というのがありますが、これは完済しておりません。以上でありますが、あとの点につきましては別に申上げることはございません。
  304. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 先ほど特別調達庁川田三郎君からいろいろお尋ねをしたわけですが、その中で一番問題になつたのは、自動車の売却代金の百万円というのが、この国会委員会で本件が問題になつてから相当な部分が支拂われた。即ち三十万円と四十万円と合計七十万円が支拂われておるわけです。そこでそういうような支拂いをどうして開始したのかという点を相当追及したわけでありますが、そのときに川田三郎君はたびたび催促はしておつた、その催促は高橋君にしておるという話であつたけれども、だんだん煎じ詰めて行くと、しまいに大橋君にも催促はした、自動車に乗るときにちよつとしたり、いろいろなことをやつた、そういうわけであつた。それで高橋君に幾ら催促をしたつて口座は大橋側のほうで抑えられておるのだから一銭も出ないじやないか、調達庁としては少し取立てに対して不まじめじやないかということを言つたのでありますが、あなたがその間三十万円なり四十万円なり納めるときに、話を聞きますと、全部了承になつておるのですね。特別調達庁へ納めるときに自分に返してくれ、返してくれれば調達庁へ納めるというような話のやりとりがあつて、一応話がついて納まつておるわけです。そうすると高橋君としてはこの三十万円なり四十万円は一応山下君なり大橋君なりが金は要求されたのかも知れんけれども、納めることについては了承しておるわけです。そうすると先ほどのあなたが内容証明を突きつけておるというのとちよつとちぐはぐになるような気がするのですが、その点はどういうわけですか。
  305. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) それはその七十万円の納め方については、ちよつと非常に変則的な納め方をしております。それというのは、当時、二十五年の十二月の二十八日に納めるのは、これは当時暮になりますから納めて下さいと、ところが君にやると、君は使つちまうというような意思だつたか何だつたかわかりませんが、当時和解が成立した後でありまするので、この三十万円については私が納入告知書をもらつて来ておつたわけです。それにかかわらず、私も当然和解もできた以上は、一個の成人として認められておるのでありますから、私自体で納めたいと思つておりました。ところが私の手に渡さずに、この二十八日の金は只今の官房長でありまする方に、大橋先生の祕書の方が持つて手渡して行つたのであります。それでありまするから、どこへその納入告知書が行つて……私が持つておるのを知つていながら、そこへ持つて行つちやつた、それで私も随分、和解をさしておきながら、特別調達庁も随分変なまねをするじやないかというので、私かんかんに憤つてつた後に、川田さんが私の家へ来て、それは自分としても当然君が納めるというのが当り前であるというので、私の家に自動車で来られて、そう憤らないでこれを入れてくれ給えというので、その時に初めて了承して入れております。それから二十六年の四月の四十万円は、これはこういうふうになつたのだから、早く先生私に返して下さいと何回も言つた、残額全部返して下さいと。私は二十六年の暮までに、百万円入れればいいのだし、私も仕事をしなければならないのだから、早く返して下さいと言つたところ、この四十万円を作りまして、これは關主計という人が特別調達庁川田財務部長の所に持つて来まして、そうして財務部長、経理課の出納官と私と立合の上で渡すと、ところがその時に關主計氏が大橋先生の意思を受けて持つて来た、それでこれは絶対に高橋に渡すから、その横から取つちまえという意思だつたらしいのです。それで川田財務部長にお聞きになればわかりますが、このとき川田さんが、それは高橋君が自発的に納めてくれるのでなければ、期限の利益というものがあるのだからという話をしたわけなんです。ところが電話で当時、川田さんがどこかの寮におられて、それと大分やり合いまして、何か相当激烈な言葉で川田さんと關さんが、大橋先生の命を受けて来た關さんがやり合つて、私も期限の利益があるのだし、無論和解になつて認められておるのだからということを主張しまして、それはただ私に対して預からしてくれというような意味で一回これを保管金にしまして、入れたのは八月であります。ですから、この四月頃というのはちよつと間違つております。そういつたように、ただこれに対する方便策として自分は百万円だけ納めればいいのだと、端的に大橋先生がこういう意図をなされたということに対して、私は先から憤激しております。
  306. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 この国会で問題になつてからですね、急いでこの三十万円とか、四十万円を国庫へ納めるような気持になつたのは、あなたと大橋君とで、どつちのほうが強かつたのですか。
  307. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) とにかく和解になつておりまして、二十五年の十二月は、私は丁度三十万円だけ納めればよかつたので、私のほうが三十万円納めれば来年百万円納めればいいのだということになつてつたので、むしろ和解後においては私のほうが強かつたよう記憶しております。但し二十六年の四月の金については、期限の利益があるということを主張して、私の自己擁護に用いたことは事実です。
  308. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 ちよつとこの点を聞いておきたいのですが、前のときの証人のとき、証人喚問の当時、あの当時あなたが大橋さんと会つていろいろ打合せをされておつたのですが、その当時、このところはこういう工合に言つてくれと、これは一つ頼むからというような大橋氏からあなたに対して依頼があつたというような事実はなかつたかどうか。
  309. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その点についてはございませんでした。
  310. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それから昨日ですね、まあ御承知のように、一昨日の委員会ではああいう工合で中途になつたのですがね、昨日一日空間が置かれて今日になつたんだが、今朝までの間に大橋氏、或いは大橋氏の関係者からあなたがお話を何か聞かれたか、或いは面会を申込まれたというようなことがあるのか、その点はどうなんですか。
  311. 高橋正吉

    証人高橋正吉君) その点は別にございません。
  312. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) 高橋証人について証言を求める件は一応これで打切り、将来更に関連事項として召喚をする必要があるときは無論召喚をするということで……。
  313. 栗山良夫

    ○栗山良夫君 召喚をするというのは、又改めて証人喚問の手続をしなくても来てもらえるようにしておいて頂きたい。
  314. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) 速記をとめて下さい。    〔速記中止〕
  315. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) 速記を始めて下さい。  それではお諮りいたします。高橋証人に対して証言を求むる件は、本日は一応これで打ち切つて、栗山氏からも御意見が出ておりまするが、若し将来再び召喚の必要があつた場合には委員会の決議はなさずして、ただ手続上の問題、これを委員長にお任せを願うということで御了承を願えましようか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  316. 岩男仁藏

    委員長岩男仁藏君) さよう決定いたします。  それからさつき委員長及び理事打合会において、来る二十日午前十時より本委員会を開きまして、大橋氏及び三浦の両君証人として出頭を求めるというふうに大体なつておりますが、あらかじめ御了承を願つておきます。  本日はこれを以て散会いたします。    午後三時五十二分散会