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参考人(大平
善梧君)
只今御紹介にあずかりました一橋大学の国際法を専攻いたしております大平でございます。
日米安全保障條約第三條に基く
行政協定に関し、
日本国憲法との
関係、裁判管轄、非常事態に伴う措置の問題につきましての
意見ということを求められたのでございますが、若干、初めにやや角度を変えまして、私の具体的な疑問を申上げることにいたすのであります。最近の国会の討論を新聞紙上又はその議事録の一端から拝見しておりますると、議場の質疑応答が言葉の遊戯に堕しておるのではなかろうかと感ぜられる点が多いのは甚だ遺憾と思うものであります。或いは戰力又は軍隊と称しなければ
憲法第九條の規定に毫も違反するものではないと言い、戰力に代るに時に自衛力、時に防衛力、時に治安維持力と申し、軍隊の言葉を避けまして、特別警察隊、海上保安隊乃至は俗安隊と申しておるのであります。安全保障力、セキユリテイ・フオーシスというものと、
憲法で言うところの陸海空軍その他の戦力、ラウンドシー・アンド・エア・フオーシスというものとの区別がどこにあるのか、私は
国民の一人としてその理解に苦しむものであります。而も
答弁は
政府当局もその説明必ずしも一貫せず、自衛力と申しても近代的な兵器、例えば原子兵力プラスB二十九以上の航空兵力、そういうようなものを装備しない軍隊は戰力ではないと称するかと思うと、他方におきまして、又自衛のための戦力を保持することは合憲的であると言い、直ちにこれを失言であり、十分に意を盡さなか
つたと説明を訂正されておるのであります。又陸海空軍とか、或いは軍隊とか、そういうこと度言わずして保安隊と言
つておるのでありますが、併し今度の日米安全保障條約第三條に基くところの問題の
行政協定そのものにおきまして第十八條には日米相互の軍隊の構成員、メンバー・オブ・アームズという文字が書いてあるのであります。
政府の責任において締結され、
憲法に合致すると主張される
行政協定の中に日本の軍隊という文字があるのであります。日本人は
自分では警察予備隊であり、治安隊であり、保安隊である、こう言
つておるのにかかわらず、その実体が
外国から見るならば軍隊そのものであるという
意味であるか、或いは又日米安全保障條約の前文において「直接及び間接の侵略に対する自国の自衛のため漸増的に自から責任を負う」と、こういうアメリカの期待、こううい期待が将来において、而も近い将来において日本が軍隊、アームド・フオースを持つことを
意味する、こういう
意味であるか、どちらかであると私は思わざるを得ないのであります。日米安全保障條約は基地、ペース、又は軍事基地、ミリタリー・べースというような言葉を使
つていないのであります。そういう文字を書いていないから、日米安全保障條約は米国の軍隊の日本駐屯乃至は駐留というものを認めるだけであ
つて、決して米国に軍事基地を提供するものではないと説明されておるのであります。併し軍事基地と申しまするのは、これは軍事專門実の言葉を援用するのでありますが、軍事活動の地点となるところの場所である、
従つて軍隊が、これは陸海空、そういう戰力が継続的に駐屯して軍事活動が営まれ、殊に安全保障のために必要な軍事施設が永久的に或いは半永久的に設けられる場合には、これを軍事基地と言わずして、何と申すのでありましようか。殊に特定区域を限
つていないから軍事基地の提供とはならないと言われたようでありまするが、一体近代的な軍事基地というものは、特定の区域を限
つているのではないのでありまして、最近の軍事的な本には明瞭にそのことを謳
つているようであります。安全保障降誕の第二條には、「基地における、若しくは基地に関する権利、権力若しくは権能」、という文字があります。この第二條は一條を受けまして、これらの基地に関する権能を第三国には許さないということが規定してあるのであります。この第二條から論理的帰結といたしまして、第一條は、日本が米国に対して軍事基地を提供しておると、逆にそういうことが言えると私は
考えるものであります。今度の
行政協定では施設及び区域という文字を使用しておりまして、同じような
意味合から基地という文字を極力避けようとしておることがわかるのであります。更に日本における米国の軍隊は治外法権エクストラ・テリトリアリテイを有しないと弁明されております。これに代
つて属人主義という言葉が使用されておるのであります。国際法の用語を以ていたしますると、領土、主権に対する制限が行われまして、属地主義によらない場合、属人主義による場合をすべで治外法権と申すのであります。これはすべての国際法のテキスト・ブツクに出ておるところでありまして、法権の外にあるという
意味に殊更に解しまして、今回の
行政協定とは、日本の
法律が国内全部に適用されることにな
つており、第十六條で米国軍隊の構成員及び軍属並びにこれらの家族が日本国の法令を尊重する義務、これが治外法権的な刑事及び民事の規定をしたその前に置かれてあるのであります
一つのオブラートが提供されておるわけでありまするが、こういうような日本法令を尊重する義務が書いてあることはよろしいのであります。併しそれなるが故に治外法権ではないと説明されるその一点であります。併し要は法の尊重というそういう文字、そういう道徳的なことよりも、現実の裁判管轄権の行使如何の問題であります。
法律は妥当する、ゲルテンするばかりでなく、それだけでは無
意味である、これが実効的エフエクテイヴでなければならないのでありまして、法の妥当性、ゲルテイガイト或いはフランス語でバリデイテ、実効性、バークザムカイト、フランス語でエフイカシイテというこの二つの妥当性と実効性を区別しなければならないのでありまして、日本の
法律が尊重されるばかりでなく、日本の
法律によ
つて現実に刑事、民事の裁判管轄権が行われて初めて治外法権が存しないことになるのであります。要は言葉ではなく、弁解ではなく、事実だあり、実効であります。巧言令色にあらずして、事実を探究する実証的な
態度であると
考えるものであります。
行政協定に関する議論も文字の遊戯、言葉の綾と
考えられるものが多いのではなかろうかと思うのであります。
行政協定、アドミニストレーテイヴ・アグリーメント、これは安全保障條約第三條に規定して曲るのであります。それ故に
行政協定は
日本国憲法下において合憲的であると説明されております。併し少くとも
行政協定が
憲法上許されるか、又
行政協定の
憲法上の限界が何であるかということを論及していないのであります。又
行政協定は国家間の合意でなく、
政府間の合意であるから條約ではない。
従つて日本国憲法第七十三條三に言う條約でなくして、事前又は事後において国会の承認を要しないと説明されておるのであります。併し
政府間の合意、国際法上の、インターガバメンタル・アグリーメントというものも 国際法上又は條約と等しく国家を拘束する合意でありまして、広義の條約であります。ただ国家元首の正式なる批准を要しない、そういう手続を要しないとされるものでありまして、
日本国憲法上、
行政協定という名前を附すれば、国会の承認を必要としないということは、それだけでは言えないのであります。又安全保障條約第三條の規定する
行政協定、アドミニストレーテイヴ・アグリーメントは、行
政府が独自に行い得る執行協定でおる。アメリカで言うエクゼキユーテイヴ・アグリーメントであると、アメリカ
憲法にある制度である、これを持
つて行け、こういうふうに説明されろと、これをおうむ返しにいたしまして繰返し、アメリカ側で執行協定という、そういうものでも、日本では執行協定というものを、こちら側に帰
つて研究していないように
考えられるのであります。例えばアメリカ
憲法においては、大統領は軍司令官としての権限があり、それ基く
行政協定があるわけであります。併し日本の
憲法において、軍司令官の権限としての内閣総理
大臣の権限がない、或いは日本の
行政協定は、安全保障條約が国会に批准されるときにはまだできていなか
つた。然るにアメリカにおいては
行政協定ができて、それを見て安全保障條約を
向うが審議することができる。いろいろ違
つたことが起
つておるのであります。
政府当局は、「本日日米間に署名された
行政協定は、もともと安全保障條約の実施細目について協定したものに過ぎない。」と語
つておるのであります。これは先ほどまでおいでに
なつた
岡崎大臣の談話であります。細
目的な事務的協定であると言
つても、日米
行政協定そのものの規定を見れば、極めて重大な内容を含んでおることがわかります。決して細
目的な事務的協定ではないことが知られるのであります。安全保障條約第三條は極めて簡單に、米国軍隊の配備を規律する條件、デイスポジシヨン・オブ・アームド・フオーシスという言葉、その配備を規律する條件と書いてあるのでありますが、このデイスポジシヨンという言葉は、辞書を引きますると、軍隊のステイシヨニングというような言葉が出ておるのであります。軍事的な
意味の配置を
意味するのであります。
従つて滞在国の権利義務に影響し、滞在国の人民の権利義務に関する
立法事項を左右するような
意味は文字の上からは存在しないのであります。今日の
行政協定が生れるとするならば、せめて一九五一年の六月十九日にロンドンにおいて署名されました軍隊の地位に関する北大西洋條約当事国間の協定、問題にな
つておるところのこの協定の條約の名称にあるところの軍隊の地位、ステータス、地位という字を挿入して、米国の軍隊の配備と地位を規定する條約と書いたほうがよか
つたのであろう、一字を入れただけでも、よほど具体性を増したのではないかと私は
考えておるのであります。條約による委任ということは、一種の
立法権の委任でありまして、その
趣旨と、これを規律するところの基準とが、あらかじめ国会の審議において明確化されなければならないのであります。安全保障條約第三條の規定は甚だ簡單、不十分であります。署名するところの日本側全権、更に審議したところの国会の皆様がた
たち、具体的に特定した内容を把握していなか
つたのではないかと
考えられるのであります。これでは
国民が、
行政協定は白紙委任であると
考えるのは無理からんことであると
考えまして、国会が
憲法第四十一條の言う、国の唯一の
立法機関であるという
精神を害してはいないかということを甚だ憂うるものであります
政府に大幅の
行政協定の締結権を認める先例をここに作ることは、たとえあらかじめ條約によるところの委任があ
つたといたしましても、外交権に基くところの
立法権を確認することでありまして、十分に注意をしなければならないと
考えるのであります。
以上、角度を変えまして、やや比較
憲法的な
立場から、実は昨日の佐藤教授の話に、余り比較
憲法の話が出なか
つたようでありまするので、私は比較
憲法の
立場、これは私の範囲ではありませんが、国際法の
立場から、
行政協定は許されるか、若し許されるとするならば、どういう根拠があるか。許される場合の
行政協定の限界というものについて私なりの
意見を述べさして頂きます。
行政協定と申しまするのは、行
政府が国会の同意なくして自主的に締結するところの協定であります各国の條約締結に関する條文を拾
つて参りますると、フランス
憲法一八一四年の規定では、條約の締結には一切国会が
関係しないようにな
つているのであります。我が旧帝国
憲法も又国会が條約締結に直接に
関係せず、枢密院の批准を経て行われてお
つたのであります。これが
一つの例でありまして、これは問題にならないと思います。問題は、日本の旧
憲法におきましては、枢密院にかけない
行政協定があ
つたかという問題であります。第二の問題は、
憲法上、條約締結において必ず国会の議を経るが、その條約の種類が
憲法上限定されているというものであります。これはドイツ
憲法、ワイマール
憲法、一九一九年の規定の四十五條或いは西独
憲法、ボン
憲法と呼ばれるもの、一九四九年のこの規定の第五十九條、或いはフランス第三共和国の
憲法、一八七五年にできたものでありますが、その第二十七條或いは第四共和国の
憲法の一九四六年の二十七條、ポルトガル
憲法一九三三年の規定の八十一條、イタリア
憲法の一九四七年の八十七條、こういういろいろな規定がございますが、その大体共通しておる点は、
国民の権利義務に
関係するところの
法律を変更するもの、いわば
立法、
司法に
関係するところのもの及び国の財政的負担になる、若しくは将来なるであろうというところの條約は必ず国会にかける、而も
法律の手続によ
つてかけるというふうに大体において規定されているところの
憲法でございます。イギリスの
憲法はその点に成文法はありませんが、大体十九世紀末に完成しました先例によりますると、裁判所が適用するところの
法律を変更するような條約、それから王の権限これは王と言いましても内閣でありますが、内閣の権限に当然属しないような條約、それから現在及び将来の財政的負担になるところの、そういうような條約は必ず国会にかけなければならない、こう規定しておるのであります。これは非常に明確に、條約を一定の種類に限りまして、これを国会に出す、こういうことにな
つておりますが、それの半面から申しますると、
政府が單独でやれるところの
行政協定の範囲があるということはわかるのであります。
次に、全然そういう規定がないところのものは、合衆国の
憲法、イタリアの一九四七年の
憲法の八十七條、それから
日本国憲法であります併しながらアメリカの
憲法におきましても、
行政協定というそういう制度は長い間経験を経て制度化いたしておるのであります。この種類はいろいろありますが、我々の
考えておるほど非常に範囲の広いものではありませんで、大体
政府の自己の権限において主張できるもの、例えば外交を行う、そういうことに
関係するところの、それに関する仮協定、仮取極、こういうようなものについてきめておる或いはあらかじめ国会が授権法、権利を授けるところの
法律というようなものを作りまして、それに基いて通商に関するような協定をしておりますこの場合には授権されておる、権利を與えている、委任されているわけであります。又先ほど申しました大統領が軍の最高司令官として戰争中などにおいて軍事協定を結ぶ、こういうようなものも
行政協定であります。細かいことはここでは省略することにいたしますこういうような先例を見まして、且つ又外交というものが国内政治とはよほど変
つておる、秘密も守らなければならないし、かなり技術的な問題である。そういうようなところからいたしまして、国内の民主主義と調和させる
意味からいたしまして、重要な條約については国会にかけるそうでないものはこれを
行政協定に任すということは、これは大体私は国際慣行上認められているのではなかろうか、こういうふうに
考えるのであります。但し国際法はすべての條約を国会にかけて
政府が正式の條約として批准しなければならない。こういうふうに
考えてもよいし、或いは国会などを無視してお
つてもよろしいし、そういうことは国際法としては問題でありませんで、国際法は、要するに條約締結権があると称するところの国家のそういう代表者同士の取極ということにな
つておるのでありまして、国内法の
憲法上の規定にすべてを委任しておるのであります
以上が比較
憲法的な御説明であります。
次に、我が
憲法上
行政協定が根拠付けられるかという問題でござまいすが、今まで申上げました比較
憲法的な知識から申しまして、私は日本
憲法のいろいろな本を読みました。ところがその点について触れておるところの本が非常に少いのでありまして、美濃部先生の本のごときは、すべての條約は国会の批准を経なければならない、こういうふうに
はつきり書いてあるのであります。併しながら私の友人であり、比較
憲法の知識を豊富に持
つておるところの田上教授、私の同僚でありまして、一橋大学の教授でありますが、その本において初めて
行政協定というものが
憲法上認められる、
はつきりは書いてありませんが、殆んど認められるというような、そういう記述がございます私はこの
見解に賛成するものであります。
従つて行政協定というものが国会の議を経なくても或る範囲において存在し得る。而もそれは国際法上において有効であるばかりでなく、
憲法上においても認められるものではなかろうか、こういうふうに
考えるものであります。但しその
行政協定というものが非常に種類が限られるべきものであるということも又疑いを容れないのであります。アメリカの例を以ちますると、
行政協定というものはかなりたくさん行われておるのでありまして、アメリカの
憲法の批准というものは、特別に上院の三分の二というような、日本の
憲法の構成と異なり、そういう上院の厄介な三分の二の多数を持たなければならないのであります。マジヨリテイを持たなければならないのでありますが、そういう
関係からその
憲法を回避するというような
意味から、特別な
行政協定の制度が発達したのでありますが、一九四〇年まで
行政協定は
憲法成立以来一千二百存在した。四〇年に有効な
行政協定は大体五百ある。特に多いのは郵便に関する協定でありまして、四百四十
憲法制定以来ある現行有効なものは大体百五十。
行政協定は実は日本の
憲法において認められないというような議論を若しする人があるとするならば、実はもうすでに日本の
憲法が成立しまして、昨年郵便や為替や電信に関する協定を日本は結んでおるのであります。これを
行政協定の先例であると
考えてよろしいのでありますましてや昔枢密院があ
つた時代、旧
憲法時代におきまして、
行政協定とい
つて枢密院にかけなか
つたところの協定があ
つたということも、これも間接的な
一つの証拠になるのであります。
従つて行政協定はあるが、その種類をここで
考えなければならないその場合に條約の執行の当然細則と
考えられるもの、これは條約の内容を具体化するものでありまするので、問題にならないかと思うのであります。第二のカテゴリイといたしまして、
政府が、内閣が当然
憲法上できる権能に基いて行うところのもの、まあ主としてこれは外交であります。外交
関係は口で言うばかりでなく、大体文書で行われ、往復文書というふうに行われまするが、その往復文書の中にはかなりのいろいろの協定的な、約束的なものがあるのであります。そういう
意味におきまして、当然にできると
考えられるところの
行政協定というものがある。郵便に関する協定だとか、電信、電話に関する協定、そういうようなものもこの中に入るわけであります。アメリカにおきましては、そういう例が一番多いということは先ほど申したところであります。問題は、授権によ
つて行政協定を締結する、こういう場合でありまして、今度の日米
行政協定が実は日本の
政府の当然に持
つておる権能に基いて締結したものであるか、それとも又執行細則、事務的な執行細則であると、そういうふうに
考えておるのか、実は
政府の
答弁が新聞紙上などにおきましては時によ
つて変
つておると
考えられるのであります。併し
行政協定が国の合意であるという点は、これは
憲法論の議論としてはいざ知らず、国際法的に言えば当然でありまして、これは先に御説明申したところでありまして、私はその点について授権によるところの
行政協定たるべきであ
つたと、併しながらその授権が十分であるとは
考えられないのではなかろうか、こういうふうに
考えるのであります。と申しまするのは、
行政協定の内容でありまして、刑事、民事の裁判管轄権の問題、これは実は
政府の最初に安全保障條約を審議する場合におきまして、第三條に規定するところの
行政協定の内容というものが、特に外交的な機密ということを
考えられたものであるか、事前であるからわからないという
意味であ
つたのか、具体的に我々に示されなか
つたと、こういう点であります。で、私は授権する場合におきましては、その授権の
目的、
趣旨というものが明確でなければならない。且つ又授権というものが
政府に
はつきりと與えられなければならない。第三に、併しながらその授権
行為に一定の限度、一定の基準を與えられなければならない。この
三つがアメリカ
憲法上
はつきりといたしておるのでありまして、大体アメリカ
憲法を継受いたしましたところの日本といたしまして、條約による授権というのは少し例外的でありますが、それではそれを認めると仮にいたします場合におきましては、その
趣旨と、それから
はつきりと
政府にそれを授権したということと、並びにそれに対する基準を示して行かなければならないのであります。然るに初めの安全保障條約の批准において果してその程度まで十分に安全保障條約の第三條の
趣旨、特にこの
行政協定というものを締結するその
趣旨と、且つ又
行政協定を取極めてよろしいと、新らしい権能を與えるという
意思が果して国会にあ
つたか、それから第三に、その権利を與えるとするならば、具体的な基準というものを明確にしてあ
つたかどうかということを実は私のほうから伺いたいのであります。で、
行政協定には、
従つて国会の議を経ないような、経る必要のない当然
政府ができる、そういう或いは施行細則的なものもありまするが、若し
国民の権利義務に
関係する、或いは国家の財政的な負担に現在なり、又将来なるというようなものは、これは当然国会にかけなければならない。言換えれば、
立法事項に関するところの條約であります。
従つて事の本来からいたしまして、事前に或いは事後において国会の承認を求めなければならないと
考えるものであります。その点につきまして、アメリカ側が
行政協定とい
つてお
つても、こちらが批准しても差支えない、こういう前例を申上げます。これは
一つはアメリカの例でございまするが、一九二五年三月十二日、エストニアとアメリカとが無條件待遇に関する経済協定を結びました。これはアメリカにとりましては、経済
関係については一応の授権
行為が国会から與えられてお
つたのでありまするが、そのエストニアとアメリカとの一九二五年の協定のうちに、この協定が効力を発生するためには、エストニアの国会の議を経て批准されなければならない、それが
通告されて初めて有効になる、アメリカのほうはあらかじめ議会か同意しております。
従つて問題はない。然るにエストニアのほうにおきましては、まだ問題があるものですから、一方的に批准をしている。こういうのであります。又一九二三年にアメリカがイギリス、フランス、イタリア、ベルギーとパリにおいて調印いたしました。これは米占領軍の費用に関するところの支拂いの問題なんでありますが、これも又イギリス、フランス、イタリア、ベルギーのほうにおきましては批准という手続をと
つた、
憲法上の必要があればその批准の手続をと
つた。然るにアメリカのほうにおきましては批准の手続をとらなか
つた、こういうような例がまだたくさんあります。アメリカとベルギーとのアメリカの戦歿者のための記念碑を建てるという協定につきましても、ベルギーの国会はこれを認めた、併しながらアメリカはこれを認める必要がなか
つた。
従つて私はアメリカ側が執行協定或いは
行政協定、これは上院にかける必要がない、
向うの
憲法上の
理由がありましても、これを直ちに以て日本側の
理由にはならない。日本側としては批准という手続、少くともそういう形式的な手続をしなくても、国会の正式の同意を求めるという手続は国際法的に道が開けているということを申上げたいのであります。
最後に、私は
行政協定の内容を読ん覚まして、これはなかなか厄介な協定でありまして、且つ又これをフイリピンにおけるところの軍事基地に関する協定とか、或いは北大西洋條約当事国間の協定とか、そういうようなものと比較して参りまして、これを研究するということは容易なことではないのであります。実は昨年の秋、名古屋におきましてこの問題を実は研究いたしたのでありますが、
報告書が……、細かくやりますると、これは專門家の我々でさえ興味が、非常に細かいので厄介になりまして、まあ居眠りはいたしませんけれども、(笑声)問題の所在はどこにあるかという点、実は反問したくらいでありまして、非常に厄介なんであります。
外務省に行きまして、私は実は或る人に聞かれました、お前は
行政協定を読んだかと、こういうふうに言われたのであります。私は読みましたと……、併し読んだかと言われたときは実は読んでなか
つたのであります。そうして読んでから
意見を述べてくれと、こういう話なんでありまして、私は確かに日本の
外務省当局が非常によく努力してこの條約をまとめるように苦心された、一カ月以上に亘
つて非常に苦心をされたということを多とするものであり、その片鱗と言いますか、我々が見るところにおきましても、相当いいところの文句とか、何とか、妥協したとか言いますか、なかなかよくや
つたというような條文があることを認めるのであります。そうして又実は安全保障條約ができまして、その第三條におきまして、軍の配備に関する規律の條件というような文字がありますると、我々專門家といたしましては、ここに軍隊が
外国におる以上は、その秩序を維持し、その軍事活動をするためには特別なる地域、特別なる権能が與えられなければならないということは当然
考えられるが、又国際法の原則からいたしましても、港に軍艦が入る、港からその軍鑑の乗組員或いは特別な陸上部隊が上陸したというような場合には、友好的な
関係から一時そこに入
つて行くというような場合におきまして、国際法上、慣習法上当然に治外法権が認められる。ただ問題になるのは、公務執行中でなくて、プライベートな、私の用において或る犯罪を犯し、まあその他の法に触れるような行動をと
つた場合の裁判管轄権の問題が問題にな
つておるようでありますが、その点につきまして、今度の日本の
行政協定は属人主義をと
つた。この点でありまして、従来の慣習法的な、突然
外国の軍艦が来たり、或いは乘組員が上陸したり、まあ友好的な
関係から軍隊が入
つたという場合の、これは確立した慣習と申せませんが、大体でき上
つているところのそういう従来の慣行から見ると、一歩その権能が多い。併しこれも軍事行動を現実に朝鮮において日本を
一つの根拠として作戰しておるということは事実上明白でありまするので、そういう事態を
考えまする場合におきましては、私は止むを得ないと、或いはもう少し言葉を換えるならば、日米提携というものを本当に
国民が納得するならば、これを呑んでもいたしかたない、こういうふうに
考えるのであります。併しながら私はこの
行政協定というものが、主権を持つところの対等なる国として日本を待遇するとか、或いは講和條約の第一條におきまして、そのB項において、日本の完全なる主権をその領土において、その領水において持つということを承認すると、こういうふうに言
つた、そういう連合国の
立場から申すならば、やはり不平等性というものは今後どうしても改正さるべきものである、こういうふうに
考えるのであります。
政府当局は、こういう重大な
行政協定を締結したけれども、
立法事項に関することは国会に個別的に求めるであろう、或いは財政的負担については、これ又国会に個別的に求めるであろう、こういうふうに言われておるのでありますが、若し万一そういう
立法的な事項に関するところの手続ができないとするならば、それに関するところの條約が可分的に無効になる、こういうふうに
考えることができるか、若しできないとするならば、既定事実を作
つた、フエイト・アカンプリーをすでに
行政協定によ
つて作
つたと
考えられるわけであります。こういうような
意味におきまして、私は今度の
行政協定は特に治安維持が擴大いたしまして、非常事態に伴うところの措置というようなものについての明確な規定を設けなか
つたというような点、いろいろありまするが、大体において私は現在の事態において、歴史的な国際
関係としてのきびしい現実というものを前にいたしましては、私は日本といたしまして止むを得ない、こういうふうに
考えるばかりでなく、この現実を如何に我々が伝統的に持
つているところの
国民的な感情、
国民的な論理とマツチさせるかということを十分に
考えなければならんと思うのであります。
最後に、私は今度の
行政協定を前にいたしまして、黒船の来航当時、嘉永六年当時を実は顧みるものでありまして、特にハリスが幕府の当局、堀田備中守正睦と交渉したところのあの交渉の議事録を涙を持ちながら眺めるのであります。併しながら結局幕府は天下の大勢を
考えまして、これを呑んだのであります。この井伊大老の決意というものは止むを得なか
つた、而も先見の明があ
つたと
考えられるのでありまするが、その手続を誤ま
つてお
つた。言換えれば、その当時の輿論、各藩の意向並びに特に京都に対して上奏しながら、その批准を得るところの手続を十分に盡さなか
つたという手続上の瑕疵があ
つたのであり、これが日本のその後の発展に非常な変動摩擦というものを起したのであります。私は
行政協定は本来
立法事項に属するところであ
つて、国会の承認を要すると
考える。併しながら安全保障條約第三條によりまして、漠然としながら授権が與えられているような模様である。併し仮に授権が與えられるといたしましてもこのようなあいまいなるところの規定によ
つて授権ができるというような先例ができるということは甚だ遺憾であると申上げるのであります