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1952-05-02 第13回国会 衆議院 法務委員会公聴会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年五月二日(金曜日)     午前十時三十七分開議  出席委員    委員長 佐瀬 昌三君    理事 鍛冶 良作君 理事 田嶋 好文君    理事 山口 好一君 理事 中村 又一君       押谷 富三君    角田 幸吉君       北川 定務君    花村 四郎君       眞鍋  勝君    大西 正男君       前田 種男君    風早八十二君       田中 堯平君    世耕 弘一君       佐竹 晴記君  出席国務大臣         法 務 総 裁 木村篤太郎君         労 働 大 臣 吉武 惠市君  出席政府委員         法務政務次官  龍野喜一郎君         刑 政 長 官 清原 邦一君         検     事         (特別審査局         長)      吉河 光貞君         検     事         (特別審査局次         長)      関   之君  出席公述人         日本化学工業協         会会長     原 安三郎君         日本学術会議会         員       平野義太郎君         徳島新聞顧問  山根真治郎君         評  論  家 眞杉 静枝君         東京大学教授  鵜飼 信成君         日本文芸家協会         理事長     石川 達三君         弁護士会連合会         長       長野 国助君         日本労働組合総         同盟総主事   菊川 忠雄君         全日本産業別労         働組合会議議長 吉田 資治君  委員外出席者         参  考  人         (警視総監)  田中 榮一君         専  門  員 村  教三君         専  門  員 小木 貞一君     ――――――――――――― 本日の公聴会意見を聞いた事件  破壞活動防止法案公安調査庁設置法案及び公  安審査委員会設置法案について  検察行政及び国内治安に関する件     ―――――――――――――
  2. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 これより法務委員会公聴会を開催いたします。  破壞活動防止法案公安調査庁設置法案公安審査委員会設置法案、以上三案について公述人各位より御意見を承ることにいたします。  開会にあたり委員長として公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。これら三法案は去る四月十七日、本院に提出、同日本委員会に付託され、爾来本委員会において慎重審議を重ねているのであります。これら三法案は、平和条約効力の発生後の事態にかんがみまして、暴力主義的破壞活動による危險を防止して、公共の安全の確保に寄与する目的を持つものであります。団体活動として暴力主義的破壞活動行つた団体に対する必要な規制措置を定めるとともに、かかる破壞活動に関する刑罰規定補整せんとするものでありますが、暴力主義的活動の意義、またこれら三案に現われた諸規定と、思想信教集会結社表現及び学問の自由並びに勤労者が団結し、団体行動をする権利、その他日本国憲法の保障する国民の自由と権利との調整等につきまして、各方面より種種見解が表明されつつあるのでありまして、わが国の今後の治安対策上から見まして、きわめて重要なる法案であることはいうまでもありません。本委員会は党派を超越して、あらゆる角度から慎重審議を尽し、国民の負託にこたえたいと考える次第であります。よつてこの際広く各界人士の御意見を承り、もつて委員会審査に資するためここに公聴会を開会し、各位の御出席願つた次第であります。各位各界における専門的権威者でありますから、それぞれの立場から国家国民のために蘊蓄を傾けて、簡明率直にその専門的御意見を述べていただきたいのであります。  次に、議事の進め方について念のため申し上げます。公述人各位の御発言発言台でお願いいたし、御意見陳述の前に、まず御身分または職業とお名前を御紹介願います。御意見陳述はおおむね十五分以内におまとめを願います。公述人発言順序は、支障のない限り名簿の順序によることといたします。  なお、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は一々委員長の許可を得ることになつており、発言内容は、意見を聞こうとする案件の範囲を越えてはならないことになつております。また委員は、公述人質疑をすることができますが、公述人は、委員に対して質疑することができませんから、この点もあわせてお含みおき願います。公述人の御意見に対する委員質疑は、公述人全部の発言終つた後に、通告によりましてお許しをいたします。
  3. 前田種男

    前田(種)委員 議事進行について……。公述人発言の前に、私は委員長に希望を申し上げます。それは明日から三日休みも続きますが、昨日のメーデーの騒擾事件は、まことにわが国として遺憾なできごとであるわけです。これの真相は、新聞を通じて国民は知つておりますが、正式に国会を通じて、このできた内容、あるいはそれに対する政府対策所信等を明らかにすべきものであると思います。これは時間を待つべきものではありませんから、委員長は至急に政府と連絡をされまして、できれば午前中会議の終るまでに、間に合わなければ午後の劈頭に法務総裁労働大臣あるいは警視総監、それぞれの責任者を通じて本委員会に報告されんことを強く要望しておきます。
  4. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 ただいまの前田種男君の議事進行に関する発言につきましては、本委員長においてしかるべく措置いたす考えであります。  ではこれより公述人の御意見陳述を願うことにいたします。原安三郎君。――原安三郎君には、経営者立場から御意見を開陳されたいのであります。その際経団連の破壞活動防止法案に対する声明をもあわせて御説明を煩わしたいと思います。
  5. 原安三郎

    原公述人 今、委員長から御要求がありました経団連声明内容は、よく心得ておりませんから、その説明はできませんが、精神だけ私が申し上げるものと沿うておるということに御承知を願つて、あらためて御説明はいたしませんから、そういうことに願います。  私の公述人としての立場は、日本化学工業協会会長となつております。十五分で蘊蓄を傾けることはちよつとできません。しかも三つの法案について意見を述べることはたいへんでありますから、自然十五分に束縛されるということを御承知願いたい。  大体こういう法案講和条約発効後できないことを祈りましたわけですが、どうも最近の模様では、講和条約発効とこの法律の出るまでの間が、何となくブランクである。期間が長ければ長いほど不安を抱くような状態が――不幸にも昨日悪い裏づけをされたというようなことを悲しむものであります。  まずこの法案のことは、個人的な刑事犯罪は、全部刑法によつてすでに規制され、また罰せられることに相なつておりますが、団体関係暴力行動というものは、日本の戦争前には、大体において全部刑法規制されておつたわけなんです。特に終戰後至つてこういう形のものを進駐軍政令を出し、またメモランダムで出した。いろいろなものが日本の現段階に合うように改正、補整、廃止されておるときに、この法律をやはり置かなければならぬ、こういうことを悲しむのでありますが、しかし事態は、どうもわれわれから見まして、この法律がなければ、国民全体の不安があるのであります。これは端的にこの法律の必要ということを申し上げたいと思つております。経団連は同じ線において、大体意見を出しているはずでございます。  結論を先に申し上げましたが、ただ問題は、法律はいかに完全に制定されましても、これの運用を誤りますと、それがかえつて効果を来すということがあるのです。これがみなこの法律制定に対して、不安を持つておる面からの意見であろうかと考えます。でありますから、この法律を取扱う方々が、どうか有能な、そして達識、達眼の士がやつていただくように、この法律によつて規制される影響が重かつ大であつて国民生活または社会福祉影響を及ぼすような団体的な暴力行為規制すると申しますが、その間に使嗾、扇動の問題も制限範囲が及んでおりますから、この取扱いを誤りますと、いわゆる言論の圧迫などということを言われるおそれがございます。問題はそこにあります。いかなる法律でも、同じようなことが言われるわけですが、ことにこの法律は、ある点は非常にこまかく規定されておりますけれども、ある部分は、この法律を取扱う者の自由裁量で幅広く決定のできるような面がございますから、そういう面において、いい人を選んでもらうという考え方を、政府当局者に意を用いてもらわなければ、この法律をして死法にせしめるおそれがある。あるいはこの法律そのもの暴力法律になるというおそれもなきにしもあらずと考えます。概括的にそれを申し上げましたが、法律について私は申し上げておきたいと思います。  第一章から第六章までありますが、主として第一章から第三章までが重要なことであります。このうち第一条の法律目的、これは当然これでなくてはならぬので、団体活動で暴力的な破壞が行われるということが結論でありますから、この団体規制するということは当然でありまして、この条件は必要だけれども、しかも刑罰規定補整をするということも、この意味で盛り込んでおかなければならぬ、こう考えられます。  その次の第二条は、規制の基準になつております。規制の方は一応こういう線だということが、はつきりしておりますが、この規制をするための調査、この調査が相当むずかしい。ただいま申し上げました運営いかんによつては、非常な逆効果があるのではないかということをおそれます。その点がここに起つて来るのではないかと、かよう考えますわけです。しかも、ことさらにはつきりと、団体行動の中でも、勤労者の団結に対してそれにいろいろな制限を加えたりするのではないということが、第二条の一項にうたわれており、第二項にもまた労働組合その他の団体の正当な活動制限することはしない、介入することはしないということを、これまたはつきりさせておる。いわゆるようやく発達をしかけた正常な、正当な発達を遂げつつある労働組合に対しては、かくのごとき破壞行動がなければ、その仕事を妨げるものでないということが、第二条の至るところにうたわれておりますことはけつこうだと思うのです。ただしかし、その中に「思想信教集会結社表現及び学問の自由」――この程度のことはわかります。この表現憲法の中にも使われておるのですが、これが非常に意味が広くて、この内容取扱いが、実行上なかなかめんどうでなかろうかと考えます。憲法は、ある面から言うと速成憲法でございますから、字句のごときは、日本の実情に適しないものを非常に広い範囲で取入れておりますから、こういう面における取扱いなどは、相当御研究願わなければ、さつき申し上げましたような心配が起るのではないかと考えます。  それから定義の方でございます。この定義が全体を束縛いたしますから大きな問題でありますが、この定義の第三条第一項の第一号のイの条項は、内乱の予備、陰謀、幇助の問題をうたつております。これは個人活動に対する刑法的の規定でありますが、それが団体に及ぶというのですから、当然かくのごとき重要な問題を提示しなければならないと思います。問題は第三条第一項第一号のロです。このうちにあります「文書若しくは図画を印刷し」――この問題です。これは憲法第二十一条違反で、言論の自由を妨げているのではないかという感じを抱かせます。しかしながら、このロにうたわれておりますことは、前項に連関しておりますから、その範囲内でということでありますれば、これはまた憲法の第十二条、第十三条の公共福祉に反する行動に出る場合は、これは広いわくで押えられてありますから、その意味からこれは許されるわけですが、ただここに問題になりますのは、これは非常にこまかく規定されておつて、そのこまかく規定されておるうちの末項にございます「若しくは」以下の「頒布し若しくは公然掲示する目的をもつて所持すること。」――これはむずかしいことで、判定に困るのではないかと思います。かくのごときことが、いろいろ実行上において摩擦を起す、なぐり合いを始めなくていいものがなぐり合いをいたすということにまで及ぶおそれがありますから、この点について、必要であれば、ここを何とかわかりやすいように、またわかりやすくできなければむしろ削らないと、何でもない字句に禍根が存在していることを考えるわけであります。もう一つ日本の今までの法律取扱い者の習慣が、文字になつておる、法文になつておると、ひどくこれにこだわるおそれがありますから、こういう点について意を用いていただくことを切望いたします。  また第三条第一項の第二号に属する、これの全体については、やはり「政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対するため」云々、これはよろしいが、これに対して左の行動が起つてはいかぬというこの行動の列挙は、騒擾あり、また現住建造物の放火があり、その他全部公の治安影響のあることでありますから、これも定義のうちに入れて当然ではないか、こう思います。これをずつと拜見いたしますと、リの項に至つて問題があるわけです。これは「凶器又は毒劇物を携え、多衆共同して」と、こうあるのですが、この「多衆共同して」という意味が、どうも私にははつきりしない。団体規制関係でありますから、団体ということは考えられますけれども、この行動をとるときには、個人でやる場合もあると思います。でありますから、その背後関係団体に帰属しておれば問題になります。また個人であれば一応刑法に触れるわけなんですが、この間における取扱い実行上よくやつていただかないと、不明に属するような気がいたすわけです。  それから第二項であります。この第二項の問題は、主として字句にこだわつております。これはもちろん必要なことでありますが、その必要な前提といたしまして、ここにどういう考えでお書きになつたかわかりませんが「この法律で「団体」とは、特定の共同目的を達成する」云々ということが書いてあります。この「達成する」という言葉は、むしろ少し拡張解釈になりますが、達成ということを判断することがむずかしいのではないかと考えますので、もしこの規定を置くとすれば、「有する」という方がよいのではないか。もう一つは、その次にすぐ現われております「継続的結合体」という「継続的」の定義などに、やはりむずかしい問題が纏綿しておるのではないかと、かように考えるわけです。  第三条を終りまして第二章、破壞的団体規制の問題で、団体活動制限です。これはいよいよ実行上の問題に入つて参りますが――ここに非常に遠慮深い規定になつておりますが、この規定遠慮深く、またこまかくつておるだけに、判断がむずかしいわけです。「明らかなおそれがあると認めるに足りる十分な理由」云々ということになつております。しかもここに掲げてあります「左に掲げる処分」――この処分方法については、一々あげられておりますが、これはいわゆる第一項第一号の「当該暴力主義的破壞活動集団示威運動集団行進又は公開の集会において行われたものである場合においては、六月」云々というこの問題、それから第二号に規定されておる問題、ただここに現われておりますのはやはり最後に「機関誌紙を続けて印刷し、頒布し、又は頒布する目的をもつて所持することを禁止すること」というこの「目的」を探究することがむずかしいのではないか、かように考えます。それから第三号はけつこうです。  第二項に移りますが、この第二項が、ちよつとわれわれにわかりにくくなつております。しかしこれは「何人も、当該団体役職員又は構成員云々ということで、非常に広い範囲で、この処分効力が生じた後のことについて、訴訟行為以外のものをやつては相ならぬということがきめられております。第二項の方は、やはりその前の第二号の方に入れてもいいかと思いますけれども、これはただ法文の配列で、法文作成上の技術に讓りますからけつこうです。  第五条は、名義のいかんにかかわらず同じ行動をしては相ならぬということがきめられておるようです。その次に起つて来る問題は解散問題――これはなるほど重要な条項でありまして、ことによると、とりきめの条項中では、これが一番むずかしい問題であろう、こういうふうに考えるわけです。そこでこの点ではやはり第六条第一項第一号の内乱関係に対する行動行つた団体及び前の第三条第一項を援用しておる規定でございますが、ただその次に第三号の規定の「第四条第一項の処分を受け、さらに暴力主義的破壞活動行つた団体」――これはせつかく処分行為をやつたことを繰返すということについての規定でございますから、当然なくてはならぬと思います。それからその後に来る問題は、今度はこういう行為効果を上げようという規定でありますから、これについて著しい意見はございません。  第三章の方は、規制手続になつておりますが、この規制手続の点では、むしろ私は、これが官報公示のごとき、または傍聴を許してその審理に当らしむるがごとき、相当広い意味で公平にやつて行こうということ、それからまた、一応決定されたものでも、取消す場合には決定の実効を生ぜしめないという規定などを散見いたしますと、大体においてそれ以後は相当公平につくられているのではないかと思います。ただここで第二十四条の第二項の「前項決定に対しては、行政事件訴訟特例法の定めるところにより、裁判所にその取消又は変更を求める訴を提起して、その処分執行の停止」、これは民事などではあることでありますけれども、こういう種類の団体の急迫を要するときに、執行を停止し、延ばすことはどうであろうか。その次に来る第三項の規定では、大急ぎで裁判決定する、受理した日から百日以内にその裁判をするということになつておりますけれども、これを停止することはいかがかと思う。しかしながら、初めの判定が非常に悪ければ、これもまた大勢の団体に迷惑をかけるということにも相なるけれども、ここらが、いい調査官というものを置いて、それが調べて結論を出すということにしなければならぬという、相かわらずの人の問題になるわけであります。その点につきましては、調査官の任命ということが非常にむずかしいことで、これはやはり人物の問題、その人の人格識見の問題が起つて来ようと思います。その他いろいろ証拠書類の問題などがありますが、これはあまりこまかい問題ですから、それには触れません。その次は、本法に連関せる公安調査庁の問題、これはこの法律実行のためにはやむを得ないと思います。また公安審査委員会を設ける問題、これについても意見がございます。公安調査庁というものは特審局にかわるものだと伺いましたが、これに対する人材の集め方について、またこれに対する給与の問題について、相当いい人を得るということのために、給与などの点において豊富な予算がとられなければ、この希望する形の実行が見られないのではないかと存じます。しかして少数精鋭主義でやつていただくことが必要でないかと思います。ところが、審査委員会の方でございます。この審査委員会は、国会の承認を得て人選をいたしますから、これも識見のある各界有力者が得られるということは約束せられておりますけれども、この委員会委員にいかに有能な人が現われても、これに調査機関がないのです。調査機関は、やはり公安調査庁調査官の調べたところによつてこれを判決するということよりしかたがないのですが、これが再審をするため、あるいは丁寧に横から二審的なチエツクをするという意味から、これに調査機関を設けなければならぬのではないかと思います。そうでなければ、公安審査委員会というものは、まつた調査庁調査官の調べそのままをうのみにせざるを得ない。かりにその委員に、私が今希望したような眼光紙背に徹する――紙背ばかりでなく、眼光脳裏に徹するような英才を集め得られましても、この人たちの勘のみではわかりません。こういう重要な問題の調査資料が、全部公安調査庁調査官の手から出たものを見るよりいたし方がない。これは少しまずい審査委員会ではないかということを切に感じます。すなわち公平性を保たしめるためには、二審的の存在であるこの委員会は、独立性を保つて、そして調査機関独立性を保ち、調査庁の調べたものの欠点をあげるということにしたいと思うのです。この仕事のファンクシヨンを大づかみに申し上げると、結局この規制に関する調査を主とし、そして処分に対する申請をするということが調査庁役目であり、そして審査委員会の方は、その申請によつてこれを審査して決定する。ここが一番大切な役目を持つておる。その方に手足がないということは、はなはだおもしろくないというふうに考えます。大体こういう法律でありますから、そうこまかいことは申し上げませんが、ここでもう一ぺん結論的に申し上げたいのは、どうしても早くこの法律制定を急いでおるということは、先月の二十八日から、いよいよ進駐軍の時代につくりました法令、政令というものが効力を失しております。この法律効力が一日も早く現われませんと、何となく国民は不安を感ずる。何となくでなく、実際においてその間のブランクはおおいきれないものがある。そのすき間に、団体行動の悪い暴力的な行為が行われるのではないかとおそれるわけであります。私が考えますのは、これは共産主義団体行動のためにできた法律ではありませんから、私はそういう考え方は絶対に持ちません。世間に伝えられておるように日本にはいろいろな団体が将来予想し得られるわけであります。極右もまた現われるでありましようし、極右でない右翼団体も現われて来ましようし、また今の左翼の行動は、現に一応動いておりますが――一応どころではない、はげしくある面では動いております。こういう団体に関するあらゆることについての法制であつて、私は日本の国のうちにもほんとうの平和が参りまして――国際的の影響を受けて国内騒擾を起しているがごときは、最も悲しむべきことであります。国内だけでもそういうことのない、いい状態に早く帰つて、この法律の廃止の一日も早からんことを希望いたしますが、現在この場合においては、ぜひこの法律制定を急いでいただくことを希望したい、かように考えます。私の話はこれで終ります。
  6. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 次は平野義太郎君にお願いいたします。平野義太郎君からは、学者として本破壞活動防止法案に対する御意見を述べていただきたいと思います。特に外国との比較立法例について御調査があれば、あわせて御説明と御意見を賜わりたいと思います。
  7. 平野義太郎

    平野公述人 平野義太郎日本学術会議会員中国研究所所長であります。過ぐる四月二十三日に、日本学術会議でこの破防法に関する決議をいたしましたから、冒頭に御紹介申し上げます。「われわれは、現在国会に提案されている破壞活動防止法案が、学問思想の自由を圧迫するおそれがあることを深く憂慮し、今後の成行きについて重大な関心を寄せるものである。」というのが決議になりました第一であります。同時に、学問思想の自由の保障について法務総裁に申し入れた点も、関連がありますので、最後結論のところだけ読み上げさせていただきます。「警察官において、いやしくも日本国憲法精神を無視し、警察権行使の正当な範囲を逸脱して、学問及び思想の自由を侵し、あるいは脅かすことのないよう、十分に御配慮くださることを希望します。」というのであります。以下申し上げることは、私が別に学術会議会員として、あるいはこの決議などを説明いたすのではなく、まつた個人の資格で申し上げることを御了承願います。今委員長からお話のありました通りで、私は法律時報の一月号に、アメリカのスミス法、マツカラン法、国内安全保障法、あるいは一番判例の基本になつておる一九一九年のホームズ判事の「明白にしてかつ差迫る危險」――クリアー・アンド・プレゼント・デンジヤー、この場合においてのみ言論集会思想その他の基本的人権を制限し得るという判例が、アメリカで立てられておるのでありますけれども、これらのケース自体がみな防諜法――クリミナル・エスピオネージ・アクト、あるいは陸軍における不服従を宣伝し、あるいはまた募兵を妨げたというような戰時に関するものの判例でありまして、この点は、特にアメリカの判例を抽象的に見るのでなくて、そのケースケースを見て行く必要があるということをまず第一点として申し上げておきたいと思います。それからダグラス判事あるいはブラツク判事は――現在も最高法院の判事でありますが、その意見を申して紹介しておるのでありますが、その場合におきましても「およそ立法者がいかように立法にあたつて説明し、これを目標にいたしましても」、こうブラツク判事は言つております。「一つの政治的団体を目当につくられた法律は、その最初にはどのように合理的なものであれ、統制の範囲を越えて、憎悪と偏見を急速に生むことは、幾世紀の経験が証明する一つの悪しきグループに科せられた制限は静止的であるのはきわめてまれである。」あるいは「思想の自由を束縛する性質を持つ法律は、そのつくられたときの目的のために使用されることはめつたにあり得ない」ということがブラツク判事や、あるいはここに引いております、アメリカの判例を論じている法律時報の新年号にありますが、これは直接に見ていただきたいと思います。要するにアメリカや日本法律万能思想の非常に強いところであります。進化論も、なお法律によつて妨げられるという思想のある国があるのでありますが、その場合におきましても、その法律がつくられなければならないという政治的、社会的、経済的な諸条件を抜きにして、権力、法律だけをもつてその法律目的を達成することができるという幻想あるいは謬想が、この種の治安立法においては最も警戒されなければならないところであります。何らか言論の抑圧があるところに、またそれに対する反抗も生じて来るので、その自然の流れを、せきをつくるのではなく、土手をつくつてあふれないようにして、自然のままに流して行くというところに治安立法の意味があるので、それに対してせきをつくり、逆流を巻き起し、かえつて大きい荒波をつくつて行くということは、最も警戒さるべき点である。従いまして内乱あるいは騒擾を助長しないようにする法律が、かえつて内乱を助長するということの反作用もあることを、治安立法に関与する場合においては、考えなければならないということが、強く感ぜられます。  第三番目には、濫用の事実が常に行われております。これは直接私自身の経験したことでありますが、日本の場合であります。現代中国学会が昨年の十月二十八日に駒込の東洋文庫で開かれました。支那の言語を研究しておられる東大の文学部教授の倉石教授あるいは仁井田教授、この人々がみな中国の言葉の問題などを議論しておりました会で――学術の大会であつたのでありますが、それが集会届を出さなかつたという理由をもつて――駒込署の人がその前に入り込んでおつたのですが、気がつかなかつたのであります。やがて気がつきましたところ、集会届を出していないという理由で、解散の命令を食いました。学術大会であるということで、いろいろ交渉したのですが、遂に数十名の警官が東洋文庫を囲んだという事実が実際あつたのであります。かつて治安維持法時代にも、やはり歯医者が共産党員、あるいはそれとおぼしき同調者の歯をなおしたということのために、目的遂行罪にかかつたということで、これを当時扱われた弁護士が雑誌誌上で述べておられる例もあるようなわけで、ちよつと想像できないことが、末端の警察官によつてしばしば行われ得るということが、実際上あるのであります。第二に、このたびの法案の重要点として気づいておる点を申し上げたいのであります。最後の罰則の刑事上の犯罪構成要件並びに団体規制の要件と共通して重要であると思いますのは、ここに暴力主義的とは言つておりますけれども、結局は内乱騒擾その他の刑法上の罪のその教唆、扇動ということ、あるいは施策を推進し、支持し、またはこれに反対するということがあります。これは刑法七十七条でありますが、その七十七条の「政府ヲ顛覆シ」という「政府」というのは、国家の基本組織であつて、当面の政府でないことはよくわかつておるのでありますけれども、今の刑法では、七十七条は「政府ヲ顛覆シ」という文字になつておる。「朝憲ヲ紊乱スル」という文字はその次に出て参りますが、この刑法の七十七条が、そのまま今日の新憲法のもとにおいてもなお存続しておるという条件のもとにおいては、その政府ということが、やはり朝憲紊乱と相照応した当面の特定の政府というふうに、末端の警察官などがこれをとることの危險が非常に多い点から、すなわち政府に反対する行動、支持あるいは反対するというそのこと自体が、七十七条からすぐに教唆、扇動の方にひつかかつて来るという点があるのでありまして、文書、印刷、図画というものまでも、すべてこれに入り込ませられるという危險が非常に多いということは、古い刑法が今日の新憲法のもとでもなお残つておるというところから来る大きな危險であるという点が第一点であります。第二点は騒擾に関してでありますが、御承知の通り「多衆聚合シテ暴行又ハ脅迫」とあるのでありまして――しかし要件としては、一地方の静謐を害するということが、実質的な要件であるわけでありますが、明文上規定がないために、ただ多衆集合して暴行、脅迫ということから、騒擾というものに対する教唆、扇動ということは非常に広く、たとえば労働組合にいたしましても、団体交渉の場合に、ちよつと旗の端でさわつてガラスが一枚こわれましても、これが騒擾罪となる危険のあるような騒擾罪の規定なのでありまして、これがまた教唆とか扇動ということにひつかかつて参りますので、ここに労働組合等が非常に恐れを持つておるということが言えるのであります。第三番目は、今も御指摘になつた所持に関することであります。箇条でいえば、第三条第一号のロの「その実現の正当性若しくは必要性を主張した文書若しくは図画を印刷し、頒布し、公然掲示し、若しくは公然掲示する目的をもつて所持すること。」という、所持すること自体が暴力活動であり、所持すること自体を教唆するということがあり、あるいは印刷するということがあれば、そのこと自体がまた暴力活動になつて団体は解散される。そしてまた、それに関する団体の役員が、その罰則で刑罰を受けるという、所持それ自体、持つておるということだけで犯罪になるということは、いまだかつて刑法の場合にはないわけであります。  この所持ということを具体的に申し上げると、たとえばここにあるマルクスの書物を持つてつた。それが公然掲示する目的を持つてであるというふうに警察官が判断した場合におきましては、所持自体が暴力活動になり、それを印刷し、あるいはその前に必要性あるいは正当性を主張しというような文書と判断いたしますると、暴力活動になりますから、団体が持つておることによつて規制を受け、個人個人として、団体のほかにまた関係を持つて来るということが、所持ということに関係がありますので、新聞紙あるいは雑誌編集者、印刷所あるいは学者などが、非常にこの点を重く見ておるということを申し上げます。  次には、団体個人との関係及び団体の分会及び支部との関係であります。この第三条の二項の最後でありますが、団体の支部、分会その他の下部組織も、この要件に該当する場合にはこの規制を受けるというので、ある單位組合、またその下の支部、分会において、例を申し上げれば、末端のある組合が今のように騒擾と目せられる場合には、そのことのゆえをもつて、共犯理論でいえば、意思の共同のない組合の幹部の者またその組合そのものが、この暴力活動ということになつて来て、そして末端の組合活動がただちに、全然意思の共同のない上の方の団体までもが規制される、あるいは後の罰則に適用されて来るという危險が非常にある。少くとも、この点はあいまいであります。あいまいであるのみならず、そういうふうに適用される危險が非常にあるという点を、指摘しておきたいと思います。そうなりますと、これはいわば徳川時代の五人組のような、今は一万組、二万組のように、下の方のある行為に対しては、意思の共同がなくても連帯責任を負わなければならない。団体的責任を負わなければならないという、結果的共同正犯で、結果がそういうふうに起れば、初めから意思が共同であつたかのごとくとられることが、少くともこの法律において出て来るということを申し上げたいのであります。  それから、さらに重要なのは、審査に関する第三章の手続でございます。十九条が十一条と相関連しますが、およそ審査という以上は、やはり当面の当該団体に疎明をさせ、弁明をさせ、意見を徴し、のみならず原告官たる公安調査庁長官と対質して、お互いに相会つて、それぞれ証拠を出し合つて、客観的に公平にきめらるべきもの、それが審査委員会であるだろうと思われますのに、この法案におきましては、十一条では、公安調査庁長官は、当該団体事件につき弁明をなすことは許しております。前の手続で、審査委員会の前に、権力を持つております原告官が呼んで弁明をさせ、かつ十二条では弁護士も選任して疎明、弁明をすることはできますけれども、もうすでに弁明をした以上は、また原告官はそれだけの反対の証拠を集めて、最後決定をいたすその機会においては、弁護士もなく、全然当人をも呼ばないで――二十条の第四項でございますが、当該団体は、第一項の通知があつた日から十四日以内に、処分の請求に対する意見書を提出することはできますけれども原告官たる公安調査長官と対質の上で、お互いに証拠を出し合つて、そこでともに事実の糾明を客観的公平にするという機会が、この第二十条四項ではないのであります。ただ意見書を提出して、文書によるだけの審査でございます。その前の手続の場合においては、弁護士もつけ、また本人の疎明、弁明も聞くのでありますが、それが実際上の場合におきましては――弁明を聞けば、原告官は必ずその反対の証拠を持つて公安審査委員会に出て来るわけでありますから、その場合においても、やはり意見を直接にただし、また弁護士も入つて、そうしてのみ、初めて事実の糾明というものが客観的公平にでき得べきこと、あたかも前の手続と同様であるべきであるのにかかわらず、それがこの規定におきましては、意見書だけを出させて、文書だけの審査に終るという点は、非常に実際の動きにおきましては、結局原告官の集めた証拠、あるいは反対証拠というものだけで、結論が出るということになるのだということを、非常におそれます。従いまして、根本は、およそ団体規制し、あるいは一定の刑罰効果を生ぜしめるような罰則の前提になる団体規制を、行政権が裁判権から離れまして、ここに規定があるというところに根本の問題があることは、もうすでに諸家の御指摘になつておる通りであり、東京弁護士会の決議にもありました通りでありますから、これ以上言う必要はないと思います。  それで、私は最後に、非常に残念なことではございますけれども、今の日本治安立法の状況が、一九四八年ごろの韓国の治安立法に、きわめて酷似して来ていることです。それはいろいろな条件はむろん違います。違いますけれども、まず一九四八年、ちようど韓国が独立しようとする際、韓米軍事協定、韓米経済協定などを結ぶとともに、一方では治安立法を設けました。それが法律の面だけから見ますと、きわめて日本治安立法と酷似しております。それは国家治安法という名前で今日まで来ておりますが、一九四八年十二月に立法されました。その第一条には、政府を破壞する目的で、結社または集団を構成した者は、首魁は三年以上、実行、扇動、宣伝した者は十年以下というような規定を設けまして、このことが、やはり反政府活動というものを、民主主義を通ぜずして、一気に政府を転覆するという、先ほど言つたことと相応ずるような、生のままの言葉で第一条ができ上つておるのであります。それから、それに照応いたしまして、新聞紙法が四九年一月にただちにつくられました。そういうことも今後の日本の場合おそれられるのでありますが、その新聞紙法の刑罰の対象となる行為は、国憲を紊乱し、国際友誼を阻害し、秩序を乱し、公共の福利と善良な風俗を破壞するおそれがあり、社会の撹乱を誘発する目的で、虚偽の風説を流布することというような新聞紙法をつくりましたような状況と、今日の日本法律と比較して見ますと、非常に酷似しておりまして、第二の朝鮮にならないようにこの点をひどく私どもは心配いたしておるのであります。  最後に、先ほど申しましたアメリカのダグラス判事の言葉として、言論集会、そのほかの自由の権利は、われわれの心臓にも比すべきものであつて、心臓が弱まれば人体は衰弱して、それがとまれば人間のからだは死亡するごとくに、ほんのわずかのような心臓でありましようとも、その自由が弱まれば弱まるだけに、民主国家としてのその国家の心臓がとまつて行くのであり、やがてその民主国家は他の国家形態にかわり、民主国家は死滅するものであるということを、アメリカ最高裁のダグラス判事が、今日までも述べておることを述べまして、治安立法は、決してせきをつくるものでなく、土手をつくつて水を流し、自然に流して行くのが法律役目であつて、あべこべに逆流させて、逆コースをとらせるような、内乱を助長するような立法の仕方は賢明でないのみならず、法律そのものの信用から見て、非常に不当な結果を生ずるということを申し上げておきます。
  8. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 原安三郎君は、やむを得ない用事で退席を希望しておりますから、この際原君に対する委員の質問があれば、少時間に限りまして許したいと思います。
  9. 田中堯平

    田中(堯)委員 原公述人にお尋ねします。あなたは、大体この法案と似たような経団連からの声明が出ておるということを言われましたが、それはいつごろでありましようか。
  10. 原安三郎

    原公述人 その時ははつきり知りません。それは今経団連からそういう声明が出たのを説明せよということが、はつきり自分にわからぬから、経団連の御意思はどうであつたかわからぬということを申し上げたのであります。
  11. 田中堯平

    田中(堯)委員 意見書を出したということはおつしやいましたね。
  12. 原安三郎

    原公述人 それも知りません。声明ということが、何の声明であつたか、ここで初めて伺つたから、それはおれは知らぬぞということを言つたのであります。
  13. 田中堯平

    田中(堯)委員 それではもう一つお伺いしたいのですが、あなたは資本団体の方の代表として、当然の意見かもしれませんが、私どもの見るところでは、このような法案が、かりに通過し、実施されるということになると、まつたく往年の治安維持法時代と同じように、これは単に共産党だけではない、あらゆる言論思想が弾圧され、労働組合はもちろん、今平野公述人から言われたように、民主国家としての心臓はとまつてしまつて、別個の国家になる。ちようど過去の治安維持法がたどつたように、とうとうフアツシヨ的なものになつて、戦争を遂行し、負けてしまつて、今のような悲惨な目にあうという、えらい結果になることを非常におそれておる。この点に関して偽らざる資本家のお気持を述べていただきたいと思う。  もう一つつけ加えますが、もう私が言うまでもなく、今国際情勢というものは、日本がどういう将来をたどればよろしいかという問題をめぐつて、大きく転回しておると思います。露骨にいうならば、向米一辺倒というような政策だけで、日本の経済が安定をし、民生が安定するものとは考えられない。これはおそらく資本家たるあなたも、同意見だろうと思います。そこで  この法案は、あなたのおつしやつたように、占領治下において言論集会結社等に対する自由が規制されておつたが、そういうふうな規制が存続する結果になるのであり、ひいては向米一辺倒的な政治体制、経済体制を日本に確保するための大きな準備になるわけでありますが、その辺をめぐつて、どういうふうにお考えになりますか。
  14. 原安三郎

    原公述人 資本家を代表してというような意味でなく申し上げたいのですが、この法律ができたから、今言つたようなそういう状態を激化して、われわれの経済活動まで逆に実際的に規制されるようなことが起りはしないかという心配は、これはさつきお話したように、この法律運営いかんにあるのです。この法律は非常に幅の広いような、また狭いような、私から見て、実際に運営者の頭がいる。そういう意味から、いい官吏がこれを扱うという前提でなければならぬ。いい官吏というのは、将来日本にないとはいえない、あると思う。日本治安維持法の時代にこれを扱つた人たちと現在とは、人間が違つている。あなた方も、その新しいゼネレーシヨンで、この日本を受継いだのですが、いつでも悪い人が、取扱いに下手な人が扱うものだということで法律をつくるわけには行かない。どんな法律でも悪法になるおそれはありますから、私はこの法律の長くなることは欲しませんが、この運営が完全でなければならぬことは、さつき、るる申し上げたのであります。またこれができたからといつて、すぐ資本陣営に摩擦を起したり、あるいはわれわれが、現在の状態でうまく行つておることを喜んでおる労働組合行動まで規制するというようなことがあれば、この法律の運営が悪かつたのですから、これは鼓を鳴らして、国会ですぐ改正してもらう。われわれがつくる法律、われわれが決定する法律でありますから、ぜひこれは、実行して、もし期待するようにその人たちがこれを行うことができなければ、ぜひともわれわれの考え国会に反映して、この法律の改正なり、あるいは廃止までやつていただいていいと思う。法律はわれわれがつくつていただくのだから、この点で私は何ら心配を持つておりません。というのは、いつまでも治安維持法のあつた時代のような人たちが、そのままおるのではない。教育は絶えず進んでおるので、やはり進歩を認めなければならぬと思う。ただ民間だけの進歩ではない。官僚についても、良吏を得るということに、皆さんも努力し、われわれも努力する。こういうような観点で、私はこの法律がすぐにいろいろな摩擦を起すとは思いません。起せば、これを改正あるいは廃止してもいいと考えております。
  15. 田中堯平

    田中(堯)委員 運用でうまく行くという話ですが、運用どころではない。たとえば、あなたは経済活動などに対する制限規定にはならないというふうに考えておられるようでありますが、現に今、日本の経済、貿易を通じて――これは私があなたに申し上げるのは釈迦に説法になるかもしれませんが、今のような貿易状態では、日本の経済はやつて行けないことはわかり切つておる。いずれは大陸筋との貿易に持つて行かなければならぬ。これは資本家諸公も皆希望しておる。ところが、過般のモスクワ経済会議出席して、何がしの大陸筋との貿易の道も開こうではないかという希望を持つておる人に対して、政府はこのような法律が出る前に、もはや、りくつにもならぬりくつを言つて、旅券法及び憲法の保障する旅行の自由まで剥奪して、旅券を下付しない。また国内におきましても、この経済会議のための準備会などは、陰に陽に彈圧を加え、遂に日本としては、これに正式の参加ができなかつたような結果になつております。ところが反面、たつた一週間余りのモスクワ経済会議で、世界の各国は、アメリカも含めて、大きな貿易の取引を協議し、また調印までしたところもある。たとえば、英国とソ同盟との間に、一千万ポンドを越えるほどの貿易が調印されたと聞いております。そのような時勢になつておるのに、日本では手も足も出ない。これはおそらく資本家諸公も非常に困つた問題だと思う。そこで、こういう法律がないときでさえも、陰に陽にそういうふうに彈圧されるということは、この法律が出てごらんなさい、ますます政府にとつて都合の悪いような企てに対しては、断固として弾圧して来ます。それでもよろしいですか。
  16. 原安三郎

    原公述人 ソ連の今度の経済会議において調印された結果を見て、われわれは日本政府がこれを許さなかつたから手落ちだというふうには、まだ考えておりません。これが全部実行されて――経済というものは、ある一定の期間を経ませんと――日本の講和発効でも、すぐに日本の貿易が盛んになつて海外に出るということは考えられない。すべてある程度の、ことに日本規制されておりますソ連との取引のごときでも、あるいは商売のごときでも、今度の調印のごときでも、一応われわれはもう少し見守つていいと思います。これで大きな機会を逸したとは、少くとも私は思つておりません。のみならず、調印だけではなく、あとの実行状態についてよく見通さなければならない。そういうふうに考えますと、この問題については、あなたの意見意見とし、私はそれについては、自分の意見として、これはもう少し成行きを見なければ即断はできないと思います。でありますから、今お説のようなふうに、この法律ができたから、日本の国の産業が萎靡して振わなくなるであろうとは、絶対に思つておりません。また労働組合行動規制しない。ただその労働組合行動が、いわゆる暴力行為に移りますときには、規制してもらわなければ、産業を破壞いたしますから、これはたいへん必要なことであると考えます。
  17. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 風早君、御注意申し上げますが、時間の関係もありますので、意見や政策の発表は、別の機会に譲つていただいて、本破壞活動防止法案に関する質疑を簡単に願います。また公述人もその限度において、簡単に御回答願いたいと思います。
  18. 風早八十二

    ○風早委員 原さんに、ひとつこの機会にお尋ねしておきたいのですが、先般経団連が、炭労その他のゼネストの問題に関しまして、いわゆる桃色パージといいますか、非常にこれは自分たちの経営権を侵害するものだというので、首切りをやるというような――これは御方針であるかどうか知りませんが、新聞にそういうことが伝わつてつたわけです。この点に関しまして、あなたは経団連の代表の方ではないかと思うのでありますが、あるいはそうでなければ資本家の代表のお一人として、どうお考えでございますか。  なお、ついでながら、この破防法の審議にあたりまして、たいへんあなたは詳細に法案を御研究になつておるように、今お見受けしたのでありますが、その点で今後の、つまりあなた方の立場として、特にゼネストの問題に関連しまして、どういう御意見がありますか、この点をひとつ、この法案に即してでけつこうでありますから、お聞かせ願いたいと思います。
  19. 原安三郎

    原公述人 それでは申し上げます。私は初めに申し上げましたように、経団連については、私は知りません。しかし、おそらく経団連意見は私と一致するでしようが、経団連のことは知りません。日本化学工業協会会長として来ております。その点はつきり申し上げます。  それから、資本家の代表者と申されましたが、私は資本家の代表として来ていませんから、同じ問題を御質問にならぬように願います。  私は今の御説のような御心配はないと思います。それはさつきも申し上げましたように、われわれは労働組合を経営陣と思つており、経営陣の中に労働組合ありと思つております。この労働組合行動をこまかく規制し、禁止し、あるいはじやまするようなことが盛られておれば、私はこれについて大いに考えなくちやならぬと思います。しかしながら、この法案について、その誤解をなくするように、何箇所にも労働組合及び労働活動規制するものでないということが盛られております。これもまた、その行動を見て、私たちは判断ができ、いつも政府の行過ぎを押えることができると思いますから、その点で、この法規全体を通じて、少しも心配をしておりませんことを、もう一度申し上げます。  もう一つ、お話のあつたように、ゼネスト問題については、現在の日本事態は、あの二月一日の時代とはまたかわつておりますから、今後のゼネストがいかなる形になるかという見通しについては、私はまだここではつきり申し上げることはできませんし、私個人考え方では、まだ意見がまとまつていないということを申し上げます。
  20. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 次は山根真治郎君にお願いいたします。山根真治郎君には、もつぱら言論報道の自由の問題の立場から、この法案に対する批判、御意見の開陳を願いたいと思います。
  21. 山根真治郎

    ○山根公述人 私山根でございます。この法案につきまして、五つ六つばかり疑問を持つておりますので、それを簡單に申し上げたいと思います。  この法案は、言論の責任を審理官という政府の一属僚に一切をまかせて、その主観によつて最後決定をするような形になつておる。これは古い日本の制度でありましたところの、行政上の裁量処分という考えを、いまなお引続き政府で持つておるその現われの一つであると私は思うのであります。一番大きな例を申しますと、第十五条に審理官が証拠について適当でないと思つたものは審理しなくてもいいという条項がある。これはまつたく独断、独善行為であつて、おそらく民主主義に反する条項であろうと思います。審理官は官吏であつて、どうしても取締りの立場にあるのであります。従つてその考え方というものは偏向しやすいと思います。それが調べるにあたつて、かりに被告と申しますか、被告側で出した有利な証拠を調べなくてもいいという条項は、もつてのほかのことで、少くともこの条項だけは削除しなければならぬと思います。それから、われわれが一番憂えておりますのは、審査委員会というものが、まつたくかかし同様の無力の機関であつて審査委員会みずから調べることはできない、直接の尋問をすることもできない、証拠調べをすることもできない。一に審理官から出したところの書類によつて決定するのであります。いわゆる書面審理になりまして、ほとんど意味をなさない状態であると私は思います。かような審査委員会によつて最後決定をされるということは、新聞人として、とうていがまんできない制度であると考えます。  それから第三に、新聞を非常におもな対象にしておるようであります。言論の自由ということは、憲法でやかましく言つておりますし、さらに憲法裁判に関する条項を見ますと、政治犯、出版犯については、常に公開でなくてはならぬというような条項があるのであります。裁判公開の原則を認めておる以上に、特にその前において、  常に公開でなければならぬというようなことを言つておるのはなぜであるかと申しますと言論が抑圧されたらいけないということに重点を置いたからであります。しかるに、この法律は、言論が、政府の役人であるところの、広くいえば調査官、それから審理する場合は審理官ですが、その審理官の意思によつて、主観的にこれが決定されて、さつき言いましたように証拠の提出というものがほとんど無意味になつておるのであります。いわんやこれをかりに裁判と見ますと、憲法で要求しておるところの、常に公開でなければいけないという原則、その憲法自身にそむいて、非公開で行われるというような疑問が生ずるのであります。結局われわれ新聞人は、常にこの審理官の気息をうかがうようなことになり、憲法に保障したところのほんとうの公正な言論というものが、どうしても曲りやすいという結果になると思います。もし新聞が一日の安きを望むということになりますと、結局この調査庁に日参して、この程度はどうでしようか、これはいいでしようかといつて伺いを立てる、その結果は事実上の検閲制度の再現になると考えられます。  それから扇動という言葉を使つておりますが、私は扇動なんて特に言う必要はないのではないかと思います。刑法規定で十分じやないかと思います。その扇動を法律は二通りにわけておりまして、内乱罪に関する場合においてはただ扇動、それからそれ以外の犯罪に対しては、これを行わせた場合という前書があります。そういう区別をしないでも、これは扇動というものはとつてしまうのが、一番理想的だろうと思います。というのは、扇動というものは、古い大審院の判例によりますと、結果の実現を要しないということになつております。そのいずれにせよ、官吏の主観でもつてこれを認定せられるので、官吏の頭が右であれば、その主観は右になり、左であれば左になる。つまりお上の思うままに扇動というものは犯罪化するのであります。少くとも扇動というのは削除するか、さもなければ何か一つの条件をつけるということが必要ではないかと思います。扇動によつて、第六条第二号にありますように、行わせた場合というような条件が必要であると、審理官が自由な心証の判断をして、自由にきめるということになつて、これは危險であり、不当になり、暴圧的になるということは当然であろうと思います。それから第三条の一号のロにありますが、あとの方に「又は」というのがあります。あの「又は」以下はどうしてもこれは削除してもらわなければいかぬと思います。「又はこの号イに規定する行為の実現を容易ならしめるため、その実現の正当性若しくは必要性を主張した文書若しくは図画を印刷し、頒布し、公然掲示し」と、こうあるのですが、これも審理官の主観一つでいかようにも解釈できるのであつて、これくらいあいまいな用語はあるまいと私は思います。新聞人は、それじやどの程度にやつたらいいだろうか、どの程度のものを書いたらいいかというような判断が、容易につかないのであります。そういうことは政治を沈滞せしめる一つの原因であつて憲法の保障するところの公正な言論を暢達することには断じてならないと思います。  それから、こういう法律は、政略に利用されるという危険が非常に多いと思います。つまり時の政府のごきげんを損ずる者は、この法律のいろいろな条項にすぐひつかけられるということが考えられるのであります。  一つの例を申し上げますと、大正七年の米騒動のときに、寺内内閣が非常に国民から指弾されまして、とうとう軍隊まで出るというような騒動を起しましたが、あの時分に大阪朝日新聞が論説において「白虹日を貫く」という文字を使つた。白虹日を貫くというのは、これは史記にある文字で、大体当時の支那においては、内乱の兆の一つの用語としておつたが、それは内乱を進めるために言つたのではなくて、寺内内閣の責任を問うために言つたのでありますが、しかしこれはけしからぬ、これは内乱の扇動をするのだ、朝憲紊乱であると、こう言いまして、政府が大阪地方裁判所の検事局に通達して、そうして公判廷においては、大阪朝日新聞の発行禁止を要求したのであります。しかし、裁判所はさすがに公平であつて新聞紙法にあるところの体刑だけで、おもな三、四の人間を処罰しただけであります。ところが検事正は、さらにこれに対して控訴すべきものであるかどうかという――これは行政官の立場にあれば当然のことでありますが、寺内内閣に対してそのお伺いをしておつた。ところが同時に全国の言論界は、非常に政府の発行禁止だの、発売禁止だの、差押えという処置に対して憤慨しまして、東京、大阪など数箇所において記者大会があつて、その内閣の攻撃を始めたのであります。結局寺内内閣はたまりかねて総辞職するようになつたのでありますが、その後にできた原内閣では、まず第一に大阪朝日新聞の社長の村山龍平を東京に呼んで、この問題に対する処置をどうするかと言つたところが、村山は、私は社長をやめる、おもな幹部、社員はみなやめます、社の方針は公平にやるようにいたします、こう声明して帰つたのです。原はさつそく閣僚に諮りまして、一体これを検事控訴をさすべきかどうであろうかと相談いたしましたところが、さすがにその当時の政治家は民主政治家であり、言論の大事なことを痛感しておつたので、これは控訴しない方がよかろうというので、その問題は七年十二月終りになつて、ようやく無事に解決したのであります。こういうふうに寺内内閣のしたように、政略のために今度できたこういうようなものが利用されたら、これは容易ならぬことだと思います。旧新聞紙法では、大体言論犯罪は司法処分であつた行政処分はただ単に手続に関するものだけが対象になつたのであります。ことに司法処分の中でも、発行禁止というようなものは、皇室の尊厳冒涜、安寧秩序、風俗壊乱、朝憲紊乱、陸海軍大臣禁止命令、外務大臣の外交上に関する重要なものの事項の禁止命令、そういうものに違反した場合に、重いときに発行を禁止させるというようなことになつてつたのです。ところが今度の法律は、重い場合は六月以内の限りにおいて発行禁止をするということになつておるのであります。これは一見軽いようでありますが、新聞が六箇月あるいは三箇月の発行禁止をされる。今日の場合ではどんな大新聞でも読者が散逸して、その新聞は成立しなくなるのであります。これは二十年前と今とは非常に相違いたします。その発行禁止がいけないという考え方有力者間にありまして、大正二年にあつた刑法委員会でも――学者、実際家、当時の有力者が集まつてできておつた政府の機関ですが、時勢の進運に伴い発行禁止はやめるということを決定して、これは上申してそのまま、いろいろな事情から行われなかつたと思います。そういつたようなぐあいに、時勢の進運に伴つて発行禁止はいけない、ここまで行つてつた。その当時の国内の事情はどうかと申しますと、少し前には有名な足尾暴動事件というものがあつて軍隊まで出ておる。その後には例の寺内内閣の米騒動事件があつた。それから共産党の台頭、それから田中内閣における共産主義の弾圧、四百六十何人か弾圧処分を受けたのでありますが、かえつてそのためにその後の共産主義者の活動というものは盛んになつた。これはむやみにやるべきことではないと思います。一番顕著な例は、ソ連軍が有名な弾圧をやつた、四百八十何人とかいわれておりましたが、そのためにかえつて地下活動が盛んになつて、スターリンのあの有名な銀行襲撃暴動をやつたようなことになつた。つまり、スターリンをして今日あらしめたのは、ソ連軍のあの弾圧だろうと思います。そういつたようなわけですから、政略にこの法律をむやみに利用されることは非常に危險であります。古い議員諸君は御承知でしようけれども、若槻内閣のときに、台湾銀行が神戸の鈴木商店に不当な貸出しをやつた。貸出しをやると、鈴木商店の経営が悪くてその金がなかなか返つて来ない。返つて来ないばかりか、もう少し金を貸してくれ、そうすればお返しできるようになるだろう、こういうようなことを言つたがために、追貸し追貸しをやつて、台湾銀行がにつちもさつちも行かぬようになつたことがあります。結局それは田中内閣の高橋蔵相によつて有名な救済処置をとられて、約二億の金を出すようになつたのでありますが、その前に新聞が、これはけしからぬというので、台湾銀行問題を書こうとしたところが、これはいかぬといつて政府の方からとめて来たのです。そこで私自身のことですが、これはどうもけしからぬ、何のためにそういう禁止をするのだ、その理由を聞きたいと言つて聞いてみたところが、当時の警保局では、いや、それは安寧だというのです。新聞紙法には非常に都合のいい条文があつて、安寧秩序という字句がある。あの安寧をむやみに拡大解釈して、どんなものでも安寧々々という。ひどい場合には、有名人の一家の私事でも安寧くさいにおいをさせてさしとめを命じて来たことがある。こういうようにせつかくできた法律を、むやみに間口を広げ、奥行を広げ、ひさしをつくり、あるいはのれんをつくりして、だんだん広げられて解釈されて来ると、新聞は一体何をしたらいいかわからぬといわなければならぬことになる。そういうことは、決して文運の進歩にもならないし、民主主義に全然反する、かえつて政治に大きな危険を与えるようになろうと思います。  それならば、調査官あるいは調査官の中から任命される審理官というものに、人物を選べばいいじやないかということにもなりましようが、どんないい人を選んでも、人間の主観というものは、ものによつて必ずかわるものである。あるいは政府の方針だとか、あるいは輿論の影響だとかいうものを受けやすいものである。決してまつすぐに、公平に行くとは断ぜられない。
  22. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 山根君に申し上げますが、時間の関係がありますから、一応意見の御陳述はこれをもつて終了いたしまして、後刻各委員質疑に対してお答えを願いたいと思います。最後に、真杉静枝君にお願いいたします。真杉君には、もつぱらわが国の婦人大衆の立場から、本破防法案に対する御感想なり御意見の開陳を願いたいと思います。なお時間は一応十五分以内におまとめを願つてお述べを願いたいと思います。
  23. 眞杉静枝

    眞杉公述人 私、小説家でございまして公述に出るのは、ほんとのしろうとでございますから、むずかしいことは申し上げられないのでございますが、これを拜見いたしまして、心配に思われます。具体的のことではございませんで、先ほど申されましたように、主観の問題でございますけれども、とぎ澄ました刀のような重要なものができるわけでございますから、これはこの刀を握る人によつては、どちらに向つても、たとえば破壞活動であるとみなした――主観によつてみなされたものに向つて、これを用いることができると思われるのでございますが、そのときに、こういう時代のあわただしい有様でございますから、政府の方針が、そのときにどういう主観を持つかわからない、そのときのことが心配になるわけでございます。戦争中でございますけれども、私、最前線に従軍いたしましたことがございます。そのときに、最前線の状態が、たいへん不仕合せな、どうしても振り返つて泣かずにはいられないような気の毒な状態でございました日本の兵隊さんを見て帰りましたのでございますが、最前線から少しあと帰りました師団司令部へ参りましたときに、そこで師団司令部の司令官でございましたか、その人たちが私たちを慰労してくださいました席がございまして、そこであいさつをすることになつたのでございますが、その前の日からその日にかけまして見て参りました最前線の日本の兵隊さんたちの状態があまり気の毒で、そのときに、ほかのことは何も言うことはできませんで、日本の一人の婦人として、あの人たちが一時も早く無事に生きて凱旋してくださることを願う気持よりほかに何も持つことができなかつたというようなあいさつをいたしました。そのときに、司令官からしかられたのです。靖国神社で会いましようと、なぜ言つてくれないかと言われたのでございまして、そうして帰りましてから後も、そんなようなことを書きましたのでございますが、それも新聞に載るときには、そこのところは削られておりまして、発表する自由をそのとき持ちませんでございました。そういうような状態が起るのではないかというようなことを心配いたすのでございます。  それから、そのときにやはり四人自分の子供を戰争にとられましたおばあさんがおりまして、そういう人たちに私たちが会いましたのでございますが、その会いましたときにも、お役人のような人が五、六人ぐるりについておりまして、そのおばあさんに、十分思う存分な――四人も失つた子供に対する悲しみの言葉を一つも言わせないように、そのときの状態がすでに固められておりまして、そのおばあさんは、ただただお国のために四人の子供を死なせたことは名誉でございますというような、教え込まれたようにしか言われないのでございます。女といたしましては、そのときにどれだけ大きな声を上げて泣いても、またどれほど自由な率直な言葉で悲しんでもよいのではないかと思うのでございます。そうしてもし悲しみの言葉を大声で叫けぶことができれば、私たちが経験して参りました不幸な状態は、もう少し早く切り上げられたのではないかしらということを今思い出すのでございます。  なお、その最前線から――中支那でございましたけれども、帰つて参りますときに、中国のある重要な位置についている中国人のある婦人に会いまして、その婦人と後に新聞で公開状のようなものをやりとりしましたが、そのときにも、ただ今の悲しむべき周囲の状態は、私たち世界中の女の心が今こそみな同じに違いないから、世界中の女の気持が一つになつて立ち上ることがもしできれば、この私たちの不幸なことは、もう少し早く片づくのではないかと思うのですけれども、あなたの御意見はいかがでしようというようなことを書きましたわけでございますが、それにはたいへん賛成だという返事がございました。その人は殺されて今おりませんけれども……。そういうふうに、そのときの政府目的によつては、私たちがその目的にとつてじやまになるような、やむにやまれぬ発言をしなくてはならぬというような状態があるのではないか。もし発言いたすことができましたならば、ほんとうは不幸というようなものも早くなくなるのではないかしらというふうな、ほんとうのヒューマニズムと申しますか、そういうものに立ちました私たち婦人の声というようなものでございますにかかわらず、その発言の自由がなくなるというような状態があるのではないかということを、第一に心配いたします。  それからもう一つ、この中に「ある団体の支部」というようなことがございます。第三条の二項でございますけれども、「ある団体の支部」の「ある」というのが、非常に漠然としていて、今申しましたように、そのときのこれを取扱う主観によつては、この「ある」というものが、どんな方面にでもつけられるというふうな懸念があると思います。それから、私は小説家でございますから、物を書きますときに、話の筋をつくり上げるのでございますけれども、たとえば、どろぼうのことを書きますにいたしましても、そのどろぼうした経験というようなものを、フランスなんかでは、割合こまかく書いている小説がございますけれども、日本で、どろぼうに入つたそのやり方、方法というようなものが書かれますと、そこだけはどろぼうをつくる懸念があるということのために削られた。これはたいへん卑近な例でございますが、そういうふうに空想でつくり上げられます物語りの中で、それが自分では意識しないで、結果的に扇動または公然掲示しというようなものにひつかかるという懸念もありますものですから、平和な時代ならば、そういうことを心配せずに、小説を書くことができますでしようけれども、逼迫した状態の中で小説を書こうといたしますときには、こういう文句はたいへん心配の種になりまして、書くことが非常に不自由になつて参るのでございますから、そういうことも心配いたします。一応これだけ……。
  24. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 以上をもつて公述人の御意見の開陳は終了いたしました。  これより委員の各公述人に対する質疑を続行いたします。原安三郎君は先刻退席されましたから、残りの三君に対して御質疑を願いたいと思います。山口好一君。
  25. 山口好一

    ○山口(好)委員 平野義太郎先生に御質問したいと思います。先ほど来の平野さんの御説明で、いろいろ本法案についての注意せらるべき点も、若干われわれ明らかになつたのでありますが、なお総括的にこういうことを御質問いたしたいと思います。  日本憲法におきまして、やはり自由権というものが保障せられておりますが、この憲法の保障する自由権は、無制限に認められるものか、ないしはこれを制限し得るものであるかどうか。制限し得るといたしますれば、その基準はどういうことに相なりましようかというのが第一点でございます。  第二点は、制限し得るとすれば、その制限なるものはやはり客観的事態によりまして相対的に規定さるべきものではないかということが第二点でございます。まずこの二つの点をお伺いしたいと思います。
  26. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 ただいま山口君の質疑の第一点については、前回も相当論議されたのでございますが、新憲法がフランス革命憲法のごとくに、天賦人権論的絶対自由を保障しているものであるかどうか、あるいは十三条以下の公共福祉という原則に基いて、その自由、人権がいかように制約されるかといつたような基本的問題について、なるべく学者として詳細に御意見を述べていただきたいと思います。
  27. 平野義太郎

    平野公述人 憲法規定しておりますとともに、その国の置かれている状態から、自由というものは、実質的な制約を受けているものだと思います。その場合において、やはり言論集会結社学問の自由というものが、自然法的な意味としてではなしに、それのみが民主主義の心臓であるという意味において、そのいささかの制約も、三権分立あるいは法治国の原則に従つて、それによらないでは、いかなる場合においても絶対的にこれは侵害さるべきものではないという点が第一の原則だろうと思います。従いまして、法治国の原則あるいは罪刑法主義あるいは三権分立という民主主義、その民主主義の基本的な組織と関連を持たないで、すなわちそれを侵害することは、ほんのわずかの侵害でも、絶対にこれは許さるべきものではないというのが、自然法に基くのではない現在の憲法におけるやはり自由の意義である。アメリカの先ほどのダグラスやブラツク判事などのとるところの、アメリカの自由という点についてもそうであるだろうと考えます。そこで、ただこれを具体的な判例の上に表わします場合においては、アメリカの先ほどの例のように、現実的にしてかつ直接的なサブスタンシヤリー、実質的に現在せる、差迫る直接的な、漠とした抽象的なものでない、具体的にして実質的な差迫る危險というものによつて、ケースケースによつて判断されるというのが、普通の法律と判例との間の関係でありまして、この点も、やはりケースによつては、戰争中というときには、その内容はおのずから制約されたこともあるのが判例に出て来ておるのであつて、平時においては、やはり第一に申しましたような点が基本になるものであると考えます。その意味で、先ほどの公共福祉と自由との関係は考えらるべきものである。要するに、もしある国の政府が、十分に民衆の支持を受けております場合においても、何らか反対の意見は聞くべきところがあれば聞くというのが民主主義であつて、そうでない多くの場合においては、やはり反対党が政府の施策に反対し、あるいはこれに対して批評を加えるというところにのみ、真の政治としての民主主義が発展できるのであつて、いささかでも政府に批判を加える者を押えるということによつては、民主主義は可能にならないという意味で、どういう場合においても、言論の自由というものは、そういう意味でやはり絶対的なものであると考えます。ただ、今のように、具体的なケースにおいては、それぞれの判例が出て来るという見解であります。
  28. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 ただいまの御意見の中で、政府の施策の上において自由権が侵害された場合に、国民はいかなる態度をとるか、自然法上の自由権であるということの上から言うと、国民はこれに対して暴力的な革命権あるいは抗争権というものがあるのではないかということを、一部の者からは言われておるようでありますが、この点に対する平野公述人の御意見はいかがか、承つておきます。
  29. 平野義太郎

    平野公述人 アメリカの憲法の場合におきましても、もし政府が施策よろしきを得ず、民衆の支持を得ない場合においては、民衆はおのずから政府を交代せしめる権利があるということを、アメリカの独立宣言以来、リンカーンの第一期就任演説で言つておりました通りで、日本の新憲法の場合においても、いわゆる抵抗権、ドラア・ドウ・レジスタンスと書かれておりますが、それが自然法的な意味であるというよりも、おのずから政治の現実、実態というものは、もしも政治が非常によければ、何人といえども反対できるものでない。もしそこに何人かが異議の申立てをしなければならないというのは、施策がやはり議論がわかれるという問題があればこそでありますから、その反対の意見を十分に聞くというところに民主主義がある以上は、幾ら反対な議論であつても、これを三権分立、あるいは法治国、罪刑法主義という原則に基かないでそれを制限するというようなおそれがあるということに関しては、やはり自由を侵害するというふうに言わざるを得ないのであります。従つて、その意味で、もしも政府が民意を得ず、しかも権力にのみ膠着して、民意のあるところを押えるという場合におきましては、いわゆる抵抗権の権という意味が、実定法上の権利ではないにしても、それがおのずから政府が交代しなければ、政治が中正の道に帰らないという意味で、やはり広い意味での権利ということを旧来申して来ているという点に、非常に多くの含蓄があるものと考えております。
  30. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 御意見のほどはよくわかりました。
  31. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 今の御議論はたいへん重大だと思います。抵抗権がある、こういうことを肯定の御議論のように承つたのですが、その権利の行使を、どういう方法でやるとお考えになつておりますか、まずその点からお聞きします。
  32. 平野義太郎

    平野公述人 抵抗権の行使という言葉としてお受取りになつておられるわけですが、それは言論集会結社、あるいは学問調査、あるいは政治活動というものを広く含めて、政治が中正の線にもどるようにする方法――それが政治活動である。そういう反対活動のない政治活動ということは考えられない。その政治活動は、今申しましたようなありとあらゆる面においてありますし、一面議会を通ずるものもあれば、あるいは労働組合運動を通ずるものも――それは政治ではないけれども、政治に関係あるものであり、物価と関係のある予算を否認するのも、政治活動の広い意味でありましよう。あるいは反対派の議員が、民衆の間に大いに遊説して一つの機運をつくるということも考えられましようし、あらゆる政治活動は、すべて政治活動と反政府活動との間の相互のやりとりによつて、その調整によつて、政治は進歩するという考えに立つのが、民主主義であるということになるわけであります。
  33. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 いわゆる言論をもつて闘う権利と聞いてよろしいか。先ほど委員長の言われたのは、革命をやつてもよいという思想があるが、これをどういうふうに考えているかという質問であつた。それに対して、あなたは抵抗権があると言われた。革命を肯定しておられるのですか、その点を……。
  34. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 一言申し添えますけれども、自然法上のいわゆる暴力的な革命権、あるいは抗争権、あるいは抵抗権というものが、なお新憲法の上において、精神上許されるものかどうかという点にも触れて行くわけであります。
  35. 平野義太郎

    平野公述人 これは、およそ憲法の解釈の場合に、一番重要な点だと私は思つておりますけれども、また法律というものの作用において、一番重要だと思つておりますけれども、社会は必ず発展の法則によつて進んで行つているのでありまして、これはいかなる権力、いかなる法律をもつてしても、この社会の進化を助長することが法律上の作用であつて――むろん妨げるということも考えられるのでありますけれども、法律の正常な作用は、それをスムーズに円滑に進めて行くということに法律の作用があるし、憲法もまたそうである。そういう場合に、ある一国内の政治が、その社会の進化をスムーズに円滑に進めて行く場合には問題は起らない。しかし、もしかりにそうでない場合が生じた場合においては、何らかの方法で政府が交代する、あるいは政党政治というものは、必ず政府が交代するということを予見しているわけですから、政府が交代することが当然になつて来るわけです。今おつしやる通り、言論だけでなく、政治活動というものは、みな反政府活動政府施策との間の拮抗、同時にこれが相闘うことによつて、政治というものは進歩して行くわけでありますから、政治の軌道というものは、要するに社会の進化が円滑に進んで行くことに沿つて行くものであつて、ただ法律、ただ権力だけで政治はでき上らないものである。その社会の進化が行われるのを認識して行くところに、きわめて円滑に政治が進む軌道があるのでありまして、それが誤つてその進化の過程に逆行するようなことが行われる場合においては、おのずからその政府にかわつてもらうという活動は、当然にやはり出て来るものだ、これは進化の法則だと思います。そのことを申しているわけです。
  36. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 その点は、われわれも十分肯定いたします。政府の非を鳴らして交代を迫る、これは当然のことだと思います。ところが、その迫つたときに、それが実現せなかつたら、あなたはそのかわる運動というものは、どういう運動を御肯定になるのですか。
  37. 平野義太郎

    平野公述人 そういう場合は、言論から、結社から、集会から、労働組合運動から、知識人から、ありとあらゆるいろいろな活動が結集されて来るものであります。これが政治活動だろうと思う。その活動を抜きにするところに、民主政治が円滑に行われないところがある。これはひとり議会だけではない――議会も一番重要な中心でありますけれども、しかし議会だけではない。ありとあらゆる民衆が、生活をよくし、自分の十分な生存を全うせしめるようなあらゆる活動、それが政治活動だと思います。そういう意味では、その活動が禁止されたり、あるいは制限されたりするところに逆作用が出て来るわけであります。ですから、今お考えになつている点は、要するに政府の施策がよろしい場合のみではなくて、政府はよろしいと思つてつているかもしれないけれども、よろしくないと思う人が非常に多くある。議会だけではなくて、議会の外に非常に多くあるという場合においては、解散も一つの方法でしよう。あるいは組合運動も必要でしようし、ありとあらゆる結集されたものを正確にとらえることが、政府の任にあるもののやるべきことである。もしそれをとらえられない場合においては、どうしてもそこに相当摩擦が生じて来る。その摩擦を摩擦でなく円滑にするのが法律役目であるわけで、あべこべにそれをかえつてかたくしてしまうということになると、法律は初めから行われない。行おうとすると、権力だけが非常に無垢に出て来るというのが古来の例であつた
  38. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 あなたのおつしやる摩擦ということを、われわれは突き進めて聞きたいと思います。その摩擦は、暴力に訴えたときも、それはいわゆる先ほどの抵抗権として、それを公認せられるのかどうか。
  39. 平野義太郎

    平野公述人 本来は、水の流れが下につくごとくに自然に流れて行くようになれば、これが政治だと思います。ところが、水の流れを逆にまわそうとするある権力――政治は権力ですが、その権力があるとすると、それに対応して、その言うことが道理にかなつていない場合におきましては、そこにやはり摩擦が起きて来るわけであります。ですから、やはり権力を持つている人は、権力を常に慎重に、かつ反省する必要があるということが反面に出て来ますし、片方はまた不必要な摩擦を起す必要はないわけです。そこで政治というものが円滑に行われるということは、その間のところを円滑にするという点であつて、もし権力者が法律の裝いを持つても、それがまつたくの無垢の権力である場合においては、どこの歴史を見たつて、どうしても摩擦は起ると思う。従いまして、先ほど進化の法則を申し上げましたけれども、明治維新だつてやはり暴力革命だつた。結局はフランス革命でも暴力革命だつた。フランス革命はなかつた方がいいと、今倫理的におつしやつても、それは歴史の事実に反するわけであります。
  40. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 大体あなたの思想はわかりました。  次に聞きたいのは、先ほどあなたのおつしやつたことで、アメリカと日本はいわゆる法律万能の思想である。これはあるかどうかしらぬが、さようなことはいかぬということは、われわれも賛成いたします。それから、例としてお引きになつたように、せきをつくるべきものでない、堤防をつくつて水を防がなければならぬ、これもわれわれは賛成でございます。その点の議論は賛成でありますが、それゆえに本法はやらぬ方がよろしいというのが、あなたの結論ではなかつたかと思われるのでありまするが、そういう意味でありますか。
  41. 平野義太郎

    平野公述人 はあ、そうであります。
  42. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そこでお聞きしたいのは、しからば、日本の現状においては、この通り手放しで置いても不安はないという御見解でありますか。また現実をどう見ておいでになりましようか、この点についてひとつ承りたい。
  43. 平野義太郎

    平野公述人 この点は、はつきりと明らかにしておきたいと思いますけれども、法律家及び権力者は法律万能、法律及び権力を過信していると思います。しかし、ある一定の行動が出て来るのは、結局やはり経済の生活の問題だと思います。もしも生活がゆたかで、安楽な生活ができるような場合においては、世間あるいは治安というものは、それほど権力的性格を持たないでも自然に、先ほどの水の流れるように流れて行くものだと思います。その点は、経済の生活という問題が常に法律の基本にある。権力あるいは法律、それだけで法律家、立法家が考えた通りに法律を行つて実現するものであるという考え、これは法律過信で、非常に結果が違つて来るということが、おつしやつている問題の根本の問題だと考えます。
  44. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 今あなたのおつしやることは、われわれは疑問を持つていない。こんな法律は悪いとしまして、これをやめる。そこまではいいかもしらぬが、ただ日本の現状は、このまま手放しで置いていいというあなたの御見解ですか、それを聞いておる。今の現状をどう見ておいでになるか。たとえば、昨日のごとき騒擾は、これは言論の自由、行動の自由であるから、ああいうことはほうつておいていいのだという御見解であるかどうか、この点をお聞きしているのです。
  45. 平野義太郎

    平野公述人 私は私自身のぶつかつている例を先ほどもお話いたしましたが、東洋文庫で、現代中国学会が文学あるいは言語の会を開いているが、これが集会の届出がないというので解散命令を受けた、これが現状である。その現状を促進するような、そういうような法律は、先ほどの流れを逆にして行くものである。集会にはいろいろな集会がありますが、学術の研究の集会として、だれが見ても、テーマを見、人の顔ぶれを見ればわかる。ここまで集会届を出さなければならないという扱い方、警察のやり方、これが今の現状なのであります。そういうような現状が行われている場合に、この種の法律が出ますれば、先ほど例にいたしま  したが、ただ文書、図画を公示の目的をもつて所持しているということ、そのことだけで暴力活動ということになり、またそのことだけで教唆、扇動ということになり、罰則の方は刑法上の犯罪にもなる、あるいは団体自体が解散されるというようなぐあいに運営される実情になるわけです。それが今の実情で、それぞれの人々が皆経験している実情なのです。その実情の上に立つて、今の法案に対しては現実的に申しておるわけであります。
  46. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 議論になつていかぬが、私はそういうことをしていいと言つているのではない。あなたのおつしやることをみな肯定して、それは悪いから、こういう法律がなければいいということまで肯定したといたしまして、しからば現状はこのままでいいのか。もしいかぬというなら、どういう方法をしたらいいとお思いになつておるか、これを聞きたかつた。今のところは、この法律をやめたらいい、これだけです。それでは何もかもほつといて、現状で危險にあらずとあなたはお認めになつておるか。今あなたの言われるようなことをやれとは言わないが、たとえば昨日のごときことが起つても、特別に取締る必要はないと思つておいでになるか、この一点です。
  47. 平野義太郎

    平野公述人 大分現実的な問題になつて来ましたし、その方が話の例としてはいいかもしれませんが、やはり広場なら広場というものを使いたい、使うのが例であつたとしても、それはやはり禁止されているのだから、侵入したことは違法であります。けれども、人命というもの、何ら防備のない人間に対して射殺するという気勢、威圧があるというところに現在の問題があるのであります。決してあのことによつて特別に騒擾事件が起きたというのではなくて、むしろあそこが今まで使われておつて、使わせてほしい、判決もそう下つたという気持の上で、それなら違法の侵入であつても、人命を倒すピストルを撃つということまでしなくてもいい事件で――これは調査しておりませんから、ただ今例として申し上げるだけのことでありますが、そういうような実情にあるところに問題の起きている点が私は一番大事だと思う。現在の実情がそういうところにあるので、摩擦が起きるのであつて、実際はことさら摩擦を起して行くようにすべての人がやつているわけではないのです。だから、ここにどうしても無理が起り、道理に反したことが起る。それが権力によつてつて来るところに問題が起きて来る。そこに問題があるのです。
  48. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 その点は意見の相違でありますから、その程度にとどめて、山口好一君。
  49. 山口好一

    ○山口(好)委員 もう一点平野さんにお伺いいたします。私どもあまりソ連や中共の事情には通じておりませんが、平野さんはソ連や中共のことにつきましても相当御研究であろうと思いますので、ソ連邦の国家反逆罪あるいは中共の懲治反革命条例といわれておりますが、こうした革命に反対をするような言論行動をした人々についての取締りの法律、この内容につきまして簡單に御説明を願いまして、それと今度ここに政府が立案されております破壞活動防止法案内容とを比較いたしまして、ただいまの平野さんのお考え方から申しまして、いずれが国民の各種の自由権を制限する度合いが多いかということを伺いたい。
  50. 平野義太郎

    平野公述人 中国に昨年の三月から懲治反革命条例というものが出ております。最近は五反三反運動というものができております。この違いは、中国の場合は、今こちらで問題になつておりますような民衆の言論集会結社学問の自由というものが、共同綱領――憲法以上の憲法で、はつきり保護されている。その上に政権自体が、人民政権といわれているくらいでありますから、政党の結社の自由あるいは労働組合の自由、集会結社言論学問の自由が保障せられるような政権になつて来ておるところと、こちらの方と違うところが一番重要な点だと思います。内容は反革命でありますが、しかもこれはただ反革命でなくして、軍事的性格を持つている。ある一つの政権ができておりますときに、それを軍事的に転覆するという隠謀と同時に、軍事的活動のために、朝鮮事変が起きましてから出て来た法律で、朝鮮戰争に関連しているわけであります。それで昨年の三月にできておりますから、朝鮮事変のまつ最中につくりました。そういう法律として出て来ておるのです。  それから三反運動、五反運動というのは、官吏の汚職を厳罰にする、浪費を戒める、官僚主義をため直す、この三つを厳重に取締つて行こうとしております。その場合大事な点は、首魁は非常に重いけれども、他の人々はいわゆる担白といつて、自己批判することによつて、普通新聞には粛清といいますけれども、数は非常に少い。そのかわり首魁だけは非常に厳罰に処して、あとは担白ということが行われている。担白というのは、暗室に入れて自白を強要するのではなくて、民意で、むしろ大衆の批判によつて利己心をため直す、こういう方法を担白と言つております。普通の国におけるように、暗黒の地下室で、拷問器をもつて拷問によつて脅迫をして、自白を強要するというやり方ではなしに、むしろ担白――自己批判の方法をとつている。この点に顕著な相違がある。三反運動には四つの原則があります。第一は、過去に寛にして、今後において厳、第二は、担白に寛にして、抗拒すれば厳、第三は、工業に寛にして、商業に厳、第四は、普通商業に寛にして、投機に厳。この四つの原則をつくつて、公務員を厳罰するということになつております。
  51. 山口好一

    ○山口(好)委員 ソ連邦の国家反逆罪の……。
  52. 平野義太郎

    平野公述人 ソ連の方は私よく存じておりません。
  53. 山口好一

    ○山口(好)委員 それでは、ただいまの中共の懲治条例の話でございますが、こうしたやり方も、やはり反革命分子を懲治するというような条例でありますので、平野さんの先ほどの大きな進化論的な見地から申せば、これは反政府的な者を処罰して行く、こういう考え方法律になるわけでありますか。
  54. 平野義太郎

    平野公述人 北京の法院の裁判工作に関する総報告があるので、はつきりしておりますが、やはり社会の進化に逆行していると見るわけです、軍事的な反革命者は……。中国は十分に独立して、人民の政権になつたというふうに考えますから、そういう意味で社会の進化に逆行しておるものとして、その首魁だけは厳罰に処して、他の人々は自己批判を通じて普通の人民に直して行くという方法をとつておるのであります。
  55. 山口好一

    ○山口(好)委員 われわれの考えとしましては、憲法で保障する自由権は、できるだけその制限をなくし、これを保護いたしまして、そうして社会の進化をはかつて行く、人類の向上をはかつて行く、こういう必要があることは認めますが、今日非常な、常と異なります事情が生じております。しかも破壞的な暴力行為が相当頻発するという事態につきましては、最小限度の公共福祉という見地から、この緊急事態に対処するこうした立法は、われわれは必要ではないかと、どうしても考えられる。平野さんの今までの御議論は、何かこうした一つのテーゼがあつて、それに対してアンチ・テーゼが起きまして、その間に摩擦相剋が起きるということを、一つの自然現象としてあなたは認めておられるように思うのであります。人類の進化過程における一つの自然的な現象として、観察されておるように認められるのであります。これに対して、われわれ政治家としましては、一般の公共福祉国民の安寧秩序、こういうものを保ちますために、どうしてもこれに対する自由を制限することを最も少くして、適切なる措置を講ぜねばならないと考えるのであります。その点いかがですか。
  56. 平野義太郎

    平野公述人 私の述べて参りましたところは、公共福祉というのは、むろん反対派、反対党、反対的な意見を入れることによつてのみ、公共福祉というものは完全になるのであつて法律学者のいわゆる普遍条項、委任事項というような、三権分立を害するような形で、ただ一般的、抽象的に公共福祉、だれがそれを公共福祉として――、公安官あるいは警察官が適用するかという基準を示さない公共福祉というものは、非常に濫用のおそれがあるという意味で、むしろそれを厳密にしなければならぬということが公共福祉であると考えておるのが第一点であります。  それから、やはりいろいろ今日の御議論に出ております通りに、本来法律というものは、過信されては、実際上も行い得ないし、濫用があるのであつて、むしろ根本は、現実の実情から直して行かないと、かえつて内乱を助長するようなことになるということです。
  57. 大西正男

    ○大西(正)委員 私のお尋ねしようと思いましたことも、大体質問としては尽されたのでありますが、関連をいたしまして、この法案に「暴力主義的破壞活動」という言葉がございますが、この法律によつて、今申しました言葉の中の「暴力主義」というのは、この法案自体に即してどういうものを意味するものと考えられるか。  次に、この法案を離れまして、暴力主義ということは、学問的に成熟した言葉であるかどうか知りませんが、その暴力主義とは一体どういうものをさすものと考えられるか、その点をもまずお伺いいたしたいと思います。
  58. 平野義太郎

    平野公述人 この前の団体等規正令からここに至りますまでに、今の問題点は相当練つて来られているのではないかと思うのです。かつては暴力主義的というところの箇条に、暴行、脅迫まで入れておりました。今度の場合は、今の刑法を基礎にして刑法内乱騒擾、汽車その他の往来妨害罪というものを、扇動、教唆というところに持つて来ておるという点では、この法案自体の中に、もうすでに刑法を基礎にしているということを一応出しておきながら、それが扇動、教唆、支持、反対というところになつて来ているので、刑法上は、先ほど草案的にお出しになつたような暴力主義的というところの定義については、原案の作成者は十分に考えられているにもかかわらず、この刑法をもつてしては正法にならないということを申し上げておる点でお答えにしたいと思います。それから暴力主義的という定義は、おそらくこれが初めてですから、特別な学問上の定義はなかろうと思いますけれども、想像をいたしますれば、暴力によつてのみ、そのことだけで政権が獲得されるというような、ある無政府主義思想というものでもあるとすれば、それはあるいは暴力主義的だけの政治活動になるでありましよう。これは十九世紀にはあつた。今日は、先ほど言つたような、政治というものは必ず摩擦、またある意味では政府と反対党とが相競い合うことによつて、進歩するという立場に立つ限りにおいては、いずれも政府の交代を目ざして政党が争うわけでありますから、決してこれは暴力主義的でない、議会主義というよりもつと広い意味で、それが政治であると申しましたが、もしかりに暴力主義的という定義を下せといえば、やはりヴイオランスという、そのことによつて政権を獲得しようというアナーキズムではないか。そういうことを説く政党は、二十世紀に入つてからはない。
  59. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 その点について、一九三七年に、国際連盟のもとにおいて政治的テロリズム鎮圧条約というものが起案され、またこれを裁判する国際刑事裁判所の設置条約も締結されたように聞いておりますが、十九世紀でなくして二十世紀にも、そういう暴力主義的あるいは政治的テロリズムの鎮圧立法というものはあつたように見ておるのでありますが、この点に対する平野公述人の御意見を伺います。
  60. 平野義太郎

    平野公述人 私の申しましたのは、支配的な政治思想としてヴイオランスということをもつてプリンシプルにしている考え方は十九世紀――そのいわゆるテロリズムというものは二十世紀にもないことはないでありましよう。それは国際的にもそういうようなテロリストというものを特別に扱うことは、おつしやる通りだと思います。支配的な政治思想として、また支配的な政治現象としてテロリスト、アナーキストというものが、特別に非常に大きな問題になつていたことはなかつた考えております。
  61. 大西正男

    ○大西(正)委員 暴力主義のみを政治の方法だとする考え方はないかも存じませんが、暴力をも許容し、暴力をも認める何か政治思想というものが、現在存在しないでございましようか。
  62. 平野義太郎

    平野公述人 それが先ほど来いろいろ議論になつております政治の進化というものが――結局政治というものは権力を中心にしておりますから、権力を持つている者が十分に権力をクレヴアーに民衆のために行使している限りにおいてはそういう問題は起りませんが、ともすれば保守的になり、その権力に支柱を求めて、もう一般の社会がかわつて来ているにもかかわらず、そのかわり方に順応しない場合に、そこにギヤツプが起り、摩擦が起るというところに、いろいろな先ほど来の問題があるのだと思いますから、そういう意味では、まず進化の法則というものが法律の基礎に出て来るし、その進化の法則がもしも今日クレヴアーであり、権力者が自己の権力の責任を考えて反省をして行くならば、憂えられているような事態は起らないわけであります。えてしてそういう事情が起る場合においては、何も暴力主義的ではないけれども、その間におのずからギヤツプが生ずる場合には、必ずこのギヤツプというものを飛び越えて行くのが歴史でありますから、明治維新でも、フランス革命でも、どうしてもそこに――徳川幕府がうまく交代すればいいものを、権力者というものは交代しないものであります。そこで歴史の上でこういう問題が起るところを、法律家はその歴史の法則を意識して、このようなことのないようにするのが、政治家なり法律家の役目である。歴史上の現象としては、実際上ギヤツプができるのはあたりまえ、あたりまえというより事実なのです。
  63. 大西正男

    ○大西(正)委員 結局今のお答えは、私のお尋ねに対する直接のお答えではないように思うのでありますが、つまり暴力主義的といいますか、そういう政治方法を認容する政治思想といいますか、そういうものが現在存在するでありましようか。そういう社会的な環境ができておるか、できていないかは別問題といたしまして、そういうものが存在するかしないか。存在するとした場合に、先生のお考えでは、そういうものもやむを得ないというお考えでありましようか。その点をお聞きいたしたい。
  64. 平野義太郎

    平野公述人 暴力主義的で、それのみをもつてプリンシプルとしておるような思想は、十九世紀にはあつたかもしれませんが、今はないと思います。やむを得ないと言われるところに、私は問題があると思う。もしも政治家が自己の権力に責任を持ち、反省をし、民衆の生活をゆたかにすることに努力している場合には、多くの場合この問題は起きないけれども、それでもみずから虚心坦懐に反対者、反対党の意見を聞くということが政治の要諦で、これが民主主義であると思うのです。それをそうでなく、いわゆる反政府的な活動というものの言論から学問まで押えて行くようなところに、権力主義的性質が生に出て来るのであります。そうなると、必ずこれはどこかしらで脱法が行われるでありましようし、旅券法に従わないで飛んで出る人も出て来ましようし、どうしてもそういうふうに動くものなんです。だから、そういうような事態が起らないように、水の流れが下につくように、ずつとそれを持つて行くのが法律家、政治家の務めである、こういうことを申しておるわけであります。
  65. 大西正男

    ○大西(正)委員 もう一点だけで終ります。ただ水の流れとおつしやいますが、その水は必ずしもナイーヴに流れるのではなくて、いかなるみぞをつくつても流れないものが、今日にはあるのではないでしようか、その点はいかがでありましようか。
  66. 平野義太郎

    平野公述人 おつしやつている通り、そう物事は簡單でないと思いますけれども、基礎はやはり生活が楽になることでありさえするならば、水の流れの低きにつくごとく進むと思います。これは治安立法を考える場合に、この法律だけを御着眼になつていると、問題がそれると思います。結局生活をよくして、労働者の組合を助長して行くという立場に立つて団体活動はやはり日本国の政治を進めて行く大きな要素である。反対活動があればこそ、政府がよくなつて行き、あるいは政権の担当者にとつて確かにこれは一つの批判にもなり、他山の石にもなるという寛容な気持を持つて、反対活動を不法的、暴力的なものとして前提をすることなく、むしろそれを助長して行くのが民主政治の本体である。それを妨げるというところに問題があるということなんです。
  67. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 平野公述人以外に、なお山根、真杉両公述人もおりますから、質問がありましたらこの際許可いたします。
  68. 田中堯平

    田中(堯)委員 時間が非常に切迫しておるようですから、平野さんにただ一言だけお尋ねします。先刻来聞いておりますと、結局この法案は悪法であるから、やめた方がよろしいという反対の意見と、ごく少数ながら、賛成であるというのがあるわけであります。ところで賛成者の意見も、大体はやはり修正意見なり、ないしはこの法案はいいにしても、濫用をせられるという意見があるようであります。この法案は、これはもうだれ言うとなく、共産党を目当にしておるということははつきりしておる。政府は、そうでないということを陳弁これ努めておるが、大体共産党を相手としておる。  そこで第一点にお尋ねしたいと思うのは、日本の現状で、共産党をこの破防法によつて禁圧するということが、はたして日本の将来の幸福になるかならぬかという大きな問題であります。それが一つ。  それからもう一つは、この濫用をおそれるということに対して、政府の方では、それは運用の衝に当る者がりつぱな官吏であり、りつぱな教養のある人ならば間違いがないということを陳弁これ努めておられる。それで、切れば何人も切れるような法律をつくつておいて、濫用のないように政府側は大いに気をつけます、こういうような言い抜けというものは、いわば個人の人徳といいますか、朕が意思は絶対であるということで、朕なりあるいは皇帝なり、中世紀の君主の人格、人徳に一切合財をまかせておいて、実は大衆はいじめ抜かれてもしかたがないという中世紀的な絶対思想一つの現われであると、私ども思つておるわけなんです。そこでお尋ねしたい第二段目の問題は、この法治国におきまして、このようなべらぼうな法律が設けられて、そうしてこれが政府の人徳なり、官吏の人徳によつて濫用を免れたということがあり得るかどうか。おそらくないと思いますが、その辺のことを御説明願いたいと思うのであります。
  69. 平野義太郎

    平野公述人 簡單に申し上げますと、私は先ほど来申し上げております通り、政治は必ず反対党の発言あるいは行動によつてよくなるのである、独善的な政治はみずからを毒することになる。だから、どういう反対党でも、反対党はけつこうである。またなければ、民主政治にならない。それから、法律も恐ろしいことは恐ろしいけれども、法律よりもさらに恐ろしいものは、末端の公安機構、特に私がさつき申しました公安審査委員会意見書だけを手にして、当事者を呼び出さず、また証拠によつて、弁護士の代人をも許さないで事をきめる。つまり、団体規制及びあとの犯罪の基礎になる事実の認定をしてしまうというような点で、濫用は非常におそれられるものである。これは立法者の善意、悪意を問わないし、また警察官や運営者の人徳とかあるいは知識とかいう問題でなく、機構がそう動くものである。これは治安維持法時代の歴史を見れば、よくわかる。治安維持法は、決してキリスト教や天理教まで縛るとは書いてないが、大内兵衛なんかまでああいうふうになり、キリスト教や天理教で罰せられた人もあります通り、もうこれは機構であり、メカニズムである、そういうふうに動くわけであります。決して当面の運用に当る方の人徳や知識や善意ということでは解決しないところに、大きい問題があるのであります。
  70. 風早八十二

    ○風早委員 二点ほど平野さんにお伺いしたいのでありますが、この破防法案の真のねらいというものを、簡潔に特徴づけるものは何であるかという点につきまして、かねて内外の立法の比較上からも御研究になつておられるあなたの方から、御見解を伺いたいのであります。これを私は具体的な実例と関連させて、この法案の本質というものについて一応……。
  71. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 時間の関係から、御意見の点はなるべく差控えて、質疑の要点だけをお述べ願いたいと思います。
  72. 風早八十二

    ○風早委員 この問題は、やはり具体的な実例でもつて明らかにしなければ、いたずらにただ抽象的な形式論ばかりをお互いにとりかわしておつても、これはしかたがないのであります。(「きのうの実例で言え」と呼ぶ者あり)それについて実は今も発言がありましたように、昨日の実例でもつて、私はこの法案の意義を明らかにしたいと思うのであります。まず第一に、昨日の問題について私が指摘したい点は、あの皇居前広場というものを、いたずらに大衆の前に封鎖したということが、昨日の事件の根本の原因ではないかと、こう思うのであります。このことにつきましては、私がただ一人でそういう判断をするのではなくして、きようの新聞を見ますと、米国のUP通信支局長ポーツさんが同じようなことを、やはり考えておる。このメーデーのデモがあのような状態なつたのは、警察が皇居前広場を封鎖したことが原因だと思う。これはこのデモを目撃した米人記者の一致した意見である、こう明確に言つておるのであります。もう一つ問題になりますのは、両条約と行政協定の締結によりまして、日本の経済並びに国民生活に多大の悪影響を与えておる。少くとも国民大衆は、そのように考えておる者が多数ある、こういうことでありますが、この面から、これがひいては吉田政府の施策に対する反対であると同時に、その根源をなすところのアメリカの占領政策というものに対する国民の憤懣、反撃というものが、すでに現実にあることは御承知の通りだと思います。そこでこれらの点につきまして、先ほどからのいろいろな御説明を伺つておりますと、当然今このままではいけないとすれば、なすべきことは、この人民広場の場合にいたしましても、こういうものをみんなが統一メーデーに使いたいといつておれば、それを使わせる。使わせても、だれにも迷惑がかかるものではないし、また特に行政協定、不平等条約等から生じますところの国民経済、国民生活に対する悪作用、これを除去するために――これはもちろん、できれば両条約並びに行政協定を徹底的に破棄する、こういう態度に出るということが、根本の対策であるべきであろうと考えられるのでありますが、そういうことをやらない。従つて昨日のようなああいう事件は、その責任は一にかかつて吉田政府にある、私どもはこう考えるわけであります。しかるに、逆に昨日のあれに対しまして、警察官が五千人も武裝して動員される。そうして、私は昨日被害を受けた人たちが收容せられておる各病院をずつとまわつてみたのでありますが、たいがい背後から頭をやられておる、また背後からピストルで心臓を射抜かれて即死させられておる。こういうような非常な被害者が、全体で五百名以上に達しておるというようなことであります。しかも、ほうたいを巻いて、あるいは新宿界隈を歩いておつた、あるいは自動車に乗つて都内を通行しておつた、こういうような人たちを、騒擾罪の容疑者として警官は逮捕して、これをひつぱつておるわけであります。
  73. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 風早君に注意いたしますが、先ほど前田君の動議によりまして、後刻政府より責任ある調査報告を受けることになつておりますから、質問の要旨だけを告げて、平野公述人からの陳述を願うことにしてください。
  74. 風早八十二

    ○風早委員 私は事実そのものの検討を論議する必要はありません。そのような場合におきまして、結局警察官の一方的な認定で、この騒擾罪容疑者とする。しかも頭をけがして、他の箇所を歩いており、安全に通行している人たちをつかまえるというような事実があつたわけである。このようなことは、すでに破壞活動防止法案がまだ実施せられませんでも、今日行われている事実から見て、私はこういう法案がなくても、そのくらいにめちやにやれる世の中の状態になつている。そこで、それでは何がゆえにこの法案をつくるのであるかということを考えてみますと、私としては、これは結局行政権、あるいはもつと言つて警察権、あるいはもつとはつきり言つて秘密警察、あるいは特審、こういうものの行動の自由を保障させる、これを合法化する、そういうところにむしろこの法律のねらいがあるのではなかろうかと考えられる。従つて、先ほどから、また先般来から本委員会の審議におきまして各委員から、非常に濫用をおそれる――これは必ずしもこの法案に絶対に反対でないという人たちからも、濫用をおそれるということが問題になつて来ます。しかし私は濫用をおそれるのではない、この法律のねらいは、むしろ濫用そのものが本質なのである、濫用をさせるための法律である。     〔発言する者あり〕
  75. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 静粛に願います。
  76. 風早八十二

    ○風早委員 こういうふうに大体私ははつきり考えているのでありますが、こういうことは、目下学術会議会員であられ、日本の第一の法学者の一人とされまして、法律上の観点からいたしまして、そういう議論は成り立つものであるか、これをひとつお教えを願いたい。
  77. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 時間の関係から簡潔に御答弁を願います。
  78. 平野義太郎

    平野公述人 簡潔に申し上げますと、私が一番おそれているのは、第三条で、すなわち「政治上の主義著しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対する」ということを教唆、扇動するというようにずつと来ると、これは非常に広いものだ。普通言われておりませんから、私はきようも何べんか申し上げますけれども、刑法の七十七条と百六条の内乱騒擾――内乱はさつきから申しました通り、政府の転覆というのは、当面の政府じやないはずであるが、事実上当面の政府ということになつて来つることは、かつて刑法が今新憲法のもとになつて昔通り朝憲紊乱ということまで入つて来ているから、どうしてもそこと関連を持つて実際上の運営がなされるであろう。すなわち政府に対して暴力的な転覆というか、それを支持し、あるいは示唆し、そそのかし、教唆、扇動する、この文書を所持したということで破壞活動になるということから、非常に広がつて来ると、反政府活動として、すべてこれによつて取締られる余地が、従来法律の例になつている。この点が私は一番多いだろうと思います。
  79. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 午前中の審議はこの程度にとどめ、暫時休憩いたします。     午後一時十八分休憩      ――――◇―――――     午後二時二十五分開議
  80. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 これより休憩前に引続き会議を開きます。  昨日のメーデーに際しまして、騒擾事件が惹起されましたが、この事態わが国独立直後のことで、国際政治の上に、また国内治安等の上において、まことに遺憾にたえない次第であります。時あたかも当委員会においては破壞活動防止法案を審議中のことであり、本事件につきその審議上重大な関心を持つ次第でありまして、この際政府より本事件の実態について、その説明を聴取いたしたいと思います。  なおこの際、騒擾事件に関しては参考人として警視総監、また政府当局より法務総裁及び労働大臣出席されるはずになつておりますゆえ、順次その状況の説明を聴取したいと思います。別に御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  81. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 御異議なければ、さようにとりはからいます。  まず最初に警視総監田中榮一君より、参考人として供述いたしていただきます。田中警視総監には、取締り当局として、昨日のメーデーに対する対策がどう講ぜられておつたか、また昨日の騒擾事件の概況はどうであつたか、その点を中心にして御説明を願いたいと思います。田中榮一君。
  82. 田中榮一

    田中参考人 昨日講和独立後第一回のメーデーが開催されまして、警察当局といたしましては、こうした意義あるメーデーが、きわめて厳粛に、また平和裡に、しかも明朗に行われるように要望いたしまして、主催者である総評の幹部の方々と、メーデーの実施に対しましては相当緊密な連絡をとりまして、事前準備にかかつたのであります。  今回の第二十三回メーデー中央大会に対する事前措置といたしましては、実行委員会は産別系労組との統一メーデーを決定いたしまして、さらに二十九日には民戰系朝鮮人メーデー中央対策委員会の参加申入れを受諾するに及びまして、実は主催者側として大きな負担を意識せられたと考えますし、さらにその他学連も含めて中央大会が開かれるということになりまして、総評側とされましても警戒を相当厳重にせられまして、当庁とも常に連絡をとられておつたのであります。そこで今回のメーデーにあたりましては、メーデー主催者側としては、警視庁側と連絡をとつて、凶器の携帶その他危險物の携帶等は、これを厳重に参加側に申入れをしまして、そういうようなものは絶対持ち込まないようにということは、主催者側からもかねがね参加の団体には申し伝えておつたのであります。そこでメーデーの実施にあたりまして、あそこに地図を掲げたのでございますが、大体五方面にわかれてメーデーを実施するということに話がきまりまして、一部は神宮外苑を出発して渋谷駅附近で解散する。一部は四谷塩町から大木戸を通つて新宿駅附近で解散をする。これが第二隊であります。それから一隊は外ぼりを通りまして九段に出、九段から飯田町の附近に出、それから後楽園の附近において解散をするというのが一隊。それから第四隊といたしまして、南部の部隊でありますが、これは赤坂の溜池から虎ノ門、田村町に出まして、それから日比谷公園に入る。これが第四隊であります。それから中部のメーデー部隊としましては、これは赤坂見附に出まして、それから永田町のところを右折しまして国会のうしろに出まして、そうして総理官邸の横を通つて人事院ビルの横に出まして、それから霞ヶ関を通つて日比谷公園に入る。そこで南部の部隊とそれから中部の部隊が、日比谷公園の両側において解散をするということになつたのであります。大体中部に属する労組人員は約六万、東部一万二千、西部は四千七百、南部は一万四千、北部は九千五百、現在問題になりましたのは中部の六万、東部の一万二千が問題になつたのであります。そこで主催者側とせられましても、今回こうしたきわめて尖鋭矯激の分子が入りますので、その編成にも相当意を用いて、これを中間に入れるとかいろいろの工作をいたしたのであります。それから、あるいは他の方面にもこれを振り向けるというようなことにも努力されたのでありますが、これらのものは全然主催者側の命令に服せず、いよいよデモ隊が進行を始めまするや、全学連並びに都学連に属する学生約五千名、それから朝鮮人――これは全部が北鮮系でありますが、約二千五百人くらい、それから地区委員、これが大体約二千と算定いたしておりますが、約一万名に近いものがまず行進を開始いたしまするや、途中から隊伍を整えましてかけ足でメーデー部隊の先頭に立つたのであります。そうして普通一般の他の部隊は、ブラス・バンドを先頭に立てて、きわめて明朗に秩序正しく正々堂々と進行いたしたのでありますが、これらの尖鋭矯激分子の一隊は、かけ足で算を乱してこれらの列を追い抜きまして、そうして中部並びに東部のメーデー部隊の先頭にいずれも立つたのであります。これらのものは一般のメーデーとは全然分離独立した形におけるメーデーになりまして、相当短時間のうちに日比谷公園に到着いたしたわけであります。そうして日比谷公園に到着いたしまするや、主として学生並びに北鮮系の朝鮮人は、人民広場を闘いとれというようなことを盛んに叫びまして、その一隊は日比谷公園を出始めたのであります。そうしてその附近に警戒をいたしておりました警官隊と衝突いたしましたが、数の上で圧倒的にこれを制圧いたしまして、馬場先門に進出いたしまして、ここを警戒しており  ました警察官もこれを排除しながら、二重橋方面に喚声をあげて突進を始めたのであります。この際に特に申し上げたいのは、この中に加藤峯治という警視で、第一方面の予備隊長をやつておりました隊長でありまするが、これは約三箇中隊、一箇中隊七十人として約二百十人の部下を率いて、皇居外苑を守つてつたのでありまするが、この一部暴徒が喚声をあげて宮城に向つて突進を始めましたので、これらの二百十名を率いまして、この部隊をかけ  抜けまして、そうしてあの前にこの二百十名が体を犠牲に供して、この六千の暴徒と闘つたのであります。そして他の部隊が到着するまで相当長時間、この二百十名の部隊によつてこれを守り続けたのであります。私は警察官としこの二百十名の寡勢をもつて、少くも六千以上のものを数十分間持ちこたえたということは、まことに偉とすべきものであろうかと考えております。やがて制圧されんといたしましたので、やむを得ずあるいは催涙彈を投じ、あるいは拳銃発射をいたしまして、逐次これらの暴徒を制圧いたしまして、やがて到着いたしました応援隊と協力いたしまして、これを祝田橋通りの自動車道路から向うに追いのけたのであります。そうしてやがて到着部隊が続々来着いたしましたので、これらの部隊と協力いたしまして皇居外苑から逐次暴徒を一掃いたしまして、四時半には大体皇居外苑は大部分平静に復したのであります。  この乱闘の中におきまして、暴徒はあるいはプラカードの板をはずしまして、くぎを打つたものによつて警察官をなぐる、ける、打つ。それから長い竹の先に相当鋭いやりみたいなものをつけまして、二間余の長いやりを持つて警察官を突きまくる。あるいはまた野球のバツトでなぐる。そのほかありとあらゆる、まことに鬼畜にひとしいこうした残虐な行動をとつたのであります。まことに私どもは同じ日本人といたしまして、こうした鬼畜にひとしい残虐なる行動をするということを、遺憾にたえないのであります。これがために警察官で負傷いたしました者は、重傷者六十八名、軽傷者六百七十二名、計七百四十名の負傷者を出したのであります。しかし警察官はいずれも負傷はいたしましたけれども、絶対に現場を去らずに、最後まで敢闘いたしましたことは、まことに私どもとしましてうれしく存ずる次第であります。特にここで御紹介申し上げたいのは、私が鬼畜にひとしい行為と申し上げましたのは、警察官がほりに大分投げ込まれた。それを救おうと思つて警察官が行くとそれを投げる。そうしてやがて警察官がほりから上ろうとする者を、さらに大きな石でもつて上から何回も頭を打つ、そうしてなぐる、また水の中に落される、上る、また落す。かくのごとき残虐なる行為を……。   (「警官はピストル持つてるじやないか」「何だ」「黙れ」と呼び、その他発言する者多し」
  83. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 静粛に願います。
  84. 田中榮一

    田中参考人 それからまた多数の暴徒によつて人事不省に陥つている警察官を、ほりの中に投げ込む。かくのごときまことに鬼畜にひとしい残虐なる行動をとつたことは、私どもとしましては実に遺憾にたえないのであります。そのほか今回の暴動におきまして、あるいは進駐軍の自動車を焼き払つたり、あるいは何ら罪のない外国人に対して暴行を働くということは、まことに遺憾にたえないのであります。(「罪がないことはない」と呼ぶ者あり)罪がないというのは、暴行もせず、ただ普通に歩いている外国人に対していきなり暴行するということは、私ははなはだけしからぬことであろうと考えるのであります。そこで……。
  85. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 なお一応の御説明を伺つた上で、ただしておきたい点が数点あるのでありますが、武器あるいは暴徒の戰術等から見て、今までの捜査の段階から、組織的、計画的であつたかどうか、あるいは背後の思想団体の関係はどうであつたか、また現在審議中の破防法案との関係について、感想はどうかという点について、御意見を承りたいと思います。
  86. 田中榮一

    田中参考人 今回の暴徒のやり方は、全然メーデーというものとは別な行動でありまして、いわゆるメーデーを利用した一つの暴力破壞活動であるというふうに私どもは考えておりまして、情報等も入手いたしまして、相当暴力行為等が行われるということも予想はいたしておつたのであります。ただ当局側といたしましては、これらの暴徒と、繁華街におきまして、町の中において乱闘をいたしますることは、一般の通行人等に非常な死傷者を出したり、あるいはその他の物件に損壊を来し、あるいは非常な損失を来すようなこともありますので、こういう点を考慮いたしまして、皇居前の広場に入れまして、乱闘をいたしたような次第であります。それから今回の暴徒の使いました凶器は、まつたく警察官かあるいはそのほか妨害をなすものに対して、これを殺傷する目的を持つた凶器のみでありまして、これらは全部証拠物件として押收をいたしております。従つて、いずれはどういう凶器を使つたかということが、はつきり国民の前に発表されることと考えております。  それから今回の騒擾事件におきまして、メーデーそのものがきわめて平穏裡に、円満にまた厳粛に行われましたことは、私どもとしてまことにうれしく存ずる次第であります。一般の労働者がこうしたものに何ら誘惑されずに、総評幹部の指導した所定の場所において秩序正しく解散をし、しかもそれぞれ帰路についておりまして、ここにはつきり一線が画されておるということであります。従つて私どもは、今回国会において御審議になつていらつしやいまする破防法案につきましては、こうしたいわゆる騒擾事件についてのみこれが適用されるのでありまして、今回の労働組合のこの行動とは全然別にされた暴力行為でありまして、破防法案はこうした暴力行為についてのみ適用されるものであると私は考えるのでありまして、第一線の警察官として一日も早くこうした法案が成立いたしまして、日本国内治安を守りたい、かように念願をいたしておる次第であります。
  87. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 次は法務総裁木村篤太郎君にお願いいたしたいと思います。木村法務総裁には、本件に対する検挙状況あるいは将来の治安対策、特に審議中の破防法案との関係について、御意見及び感想を承つておきたいと思います。木村法務総裁
  88. 木村篤太郎

    ○木村国務大臣 お答えいたします。まず第一に、講和条約発効後第一回のメーデーにおいて、かくのごとき不祥事を惹起いたしましたことは、私当面の責任大臣といたしまして、国民の前にまことに申訳ないということを、ここに述べさしていただきたいのであります。  事件発生後、検察当局におきましては、ただちに騒擾罪の罪名をもつて検挙にとりかかりました。本日午前九時五十五分現在におきまして、検挙数が百四十二名に達しております。この被疑者は、いずれもただいまのところ黙秘権を行使しております。この黙秘権を行使するということ自体が、すでに犯罪事実を承認しているものであろうと私は考えるのであります。その後もなお検挙にとりかかつておるのであります。今後も相当検挙されるものと考えております。  破防法につきましては、今警視総監から言われました通り、かような事犯について最も必要であるということを確信して疑わないのであります。ことにこの騒擾事件におきまして、群衆に対して扇動をしている事実が、幾多現われているのでありまして、かような扇動に対しては、従来の法規をもつていたしましてはこれを取締る道がなかつたのであります。この破防法が通過いたしますると、かくのごとき危險な扇動者もこれを取締り得ることになりまするので、ぜひとも破防法は通過を要望したいのであります。  なお今後の治安の問題に対しましては、私はぜひとも国民とともに、日本人はみずからの手においてみずから守る、いわゆるみずからの手において日本治安を維持する、この精神をぜひとも持つていただきたい、こう考えるのであります。あるいは警察機構の改革その他幾多の問題がありますが、国民もこの事件を契機といたしまして、必ずやわれわれ政府の意のあるところを、十分くみとられることと確信して疑わないのであります。まずもつて先決問題として、ぜひとも破壞活動防止法案の通過を私は要望する次第であります。
  89. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 なおこの際、あらためて法務総裁に御意見をただしておきたいのであります。外人の自動車が焼却されたり、あるいは外人にして暴行を受けたり、被害が相当あつたやに聞き及んでおるのでありますが、政府としてはこれに対していかなる措置を講ぜられるか、御方針を承つておきたいと思います。
  90. 木村篤太郎

    ○木村国務大臣 政府といたしましては、すでに岡崎外務大臣より遺憾の意を表しております。そしてその賠償問題につきましては、ただいま解決しておりませんが、米駐留軍におきましては、賠償問題のことについては、われわれは今のところは差迫つて考えていないということを、私は聞いておるのであります。
  91. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 次は労働大臣吉武惠市君にお願いいたします。吉武労働大臣には、もつぱら労働組合運動の立場から、メーデーと昨日の騒擾事件に対する御意見を、調査に基いて御報告願いたいと思います。吉武労働大臣
  92. 吉武恵市

    ○吉武国務大臣 昨日のメーデーにつきましては、すでに警視総監からあるいはお話があつたかも存じませんが、総評が主体となりまして、明治神宮外苑で行われたのであります。最初から非常に規律を守りまして、平穏に議事が進行しておつたのであります。最後の少し前ごろになりまして、時間的にいうと十二時近くでございます。ほとんど行事が平穏に終りかけたころに、石川島造船におきまする左翼分子が参りまして、自分たちにも演説をさせろということを、メーデーの主催者の幹部に折衝を始めたのであります。そのすきに背後におりました全学連の人々が台の上にかけ上りまして、台を占拠してしまつて、マイクをこわすというところから混乱が始まつたのであります。そこでメーデーの主催者であります島上君その他の幹部がこれを制止しましたが、なかなか聞かない。やむを得ず行事をそこそこにいたしまして、行進に移れ、そして早く解散をするということで、それぞれの班にわかれまして行進が始まつたのであります。東部の班は後楽園に参りまして解散をしております。それから西部の班は渋谷駅に参りまして、予定通り平穏に散会をしております。南部の者は市政会館に行つておりますが、これもいわゆる労働組合としては平穏に散会をしておるのであります。それから北部の班は新宿に向いまして、これまた平穏に散会をしておるのであります。ところが中央の班が行進を始めまして、先頭に東交の組合が秩序正しく行進をしておつたのでありますが、青山一町目近くになりますと、その背後から全学連と朝連の連中がかけ足でもつてその班を追い越しまして、先頭に立つて秩序を乱しながら行進を始めたのであります。従いまして東交の人々はそれらと一緒に行くことを好みませんで、相当距離を引離しながら予定の日比谷公園に入つて行きまして、総評の組織労働者は予定通り日比谷公園で散会をしております。ところが日比谷公園に先頭を切りまして入りました全学連の約五千近くの者と、朝連の二千近くの者は、日比谷公園に残りまして、そして二時半ごろになつて南の口からいわゆる馬場先門にかけて、全学連が行進を始めておるのであります。その途中で自動車その他にも乱暴いたしまして、馬場先門から皇居前広場に入りまして、二重橋近くまで侵入をいたしております。そこでいざこざがあつて、警察官によつて一旦これを中央部まで押し返しておりますうちに、日比谷公園におりました朝連の者どもがかけつけまして、これが日比谷公園口から入りましてこれと合体をして、また再び混乱に陥つた状態でございます。従いまして皇居前広場における昨日のあの乱闘の中には、いわゆる組織労働者としてはほとんど加わつておりません。あそこに入りましたのは全学連と朝連と自由労務者の一部と、それからいわゆる産別系統に属しまする全金属の一部が加わつていたように思います。先ほど警視総監からも話がございましたように、今日の組織労働者は総同盟でありましても、あるいは総評でありましても、やはり組合というものの立場を自覚されまして、できるだけメーデーを規律正しく行おうという努力を払われた点につきましては、私どもは敬意を表しておる次第であります。
  93. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 これにて政府及び参考人の実況説明は一応終了いたしました。これに対する質疑は後日に讓ることといたします。これにて本議事を終了いたします。     ―――――――――――――
  94. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 次に破壞活動防止法案公安調査庁設置法案公安審査委員会設置法案、以上三法案について公述人各位より御意見を承ることといたします。  委員長として公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。これら三案は去る四月十七日本院に提出、同日本委員会に付託され、爾来本委員会において慎重審議を重ねているのであります。これら三案は平和条約効力の発生後の事態にかんがみまして、暴力主義的破壞活動による危險を防止して、公共の安全の確保に寄与する目的を持つものであります。団体活動として暴力主義的破壞活動行つた団体に対する必要な規制措置を定めるとともに、かかる破壞活動に関する刑罰規定補整せんとするものでありますが、暴力主義的破壞活動の意義、またこれら三案に表われた諸規定と、思想信教集会結社表現及び学問の自由並びに勤労者が団結し、団体行動をとる権利、その他日本国憲法の保障する国民の自由と権利との調整等につきまして、各方面より種々見解が表明されつつあるのであります。わが国の今後の治安対策上から見まして、この法案はきわめて重要なものであることは言うまでもございません。本委員会は党派を超越してあらゆる角度から慎重審議を尽し、国民の負託にこたえたいと考える次第であります。よつてこの際広く各界人士の御意見を承り、もつて委員会審査に資するため、ここに公聴会を開会し、各位の御出席願つた次第であります。各位各界における専門的権威者でありますから、それぞれの立場から、国家国民のために簡明率直に、その専門的御意見を述べていただきたいのであります。  次に議事の進め方について念のために申し上げます。公述人各位の御発言発言台でお願いいたし、御意見陳述の前にまず御身分、御職業、お名前等を御紹介願います。御意見陳述はおおむね十五分以内におまとめ願いたいのであります。公述人の御発言順序は、大体名簿の順序によることといたします。なお衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は委員長の許可を得ることになつており、発言内容意見を聞こうとする案件の範囲を越えてはならないことになつております。また委員公述人質疑をすることができますが、公述人委員に対して質疑することができませんから、この点もあわせてお含みおきを願いたいのであります。公述人の御意見に対する委員質疑は、公述人全部の発言終つた後に、通告によりましてお許しをいたします。  それではこれより順次公述人各位の御意見の御開陳を願うことにいたします。鵜飼信成君。――鵜飼君には、行政法学者として、本法案に定められた団体規制を行政的処分によることと、司法的処分によることと、いずれが妥当であるかという点をも含めて、本法案に対する御批判と御意見を述べていただきたいと思う次第であります。
  95. 鵜飼信成

    ○鵜飼公述人 私は東京大学の鵜飼であります。今日の治安状況がいろいろむずかしい問題を含んでいるという点は、私も相当考慮いたしましたが、この法案がこの問題を正しく解決する方法ではないというふうに考えますので、私はこの法案に反対をいたします。反対の論点は五つございますが、順次申し上げます。  第一点は、この法案の他のあらゆる部分がかりに妥当なものであるといたしましても、この法案の定めております行政的規律の手続というものが、このような場合に要求されます行政的手続の要件を満たしていないということであります。極端な言葉で申しますれば、この行政的手続憲法第三十一条の適法手続の保障に反するのではないかという点であります。およそ行政的手続によつて国民の生命または自由を奪う場合には、それが公正な手続の要件に合致しているということを必要とするのであります。この要件については憲法三十一条は詳細には申しておりませんが、一般に理解されておるところでは、その手続が必ずこれによつて生命または自由を奪われる者に対して、公正な聴聞の機会を与える。特に自己に不利な証拠に対してはこれを再審いたしまして、必要な反対尋問をする機会が与えられるということが、公正なる手続の要件であります。しかるに破壞活動防止法案の第二十一条が規定しております手続というものは、この要件を十分に満たしていないのであります。審理官が作成しました調書あるいは文書を材料にいたしまして、公安審査委員会が書面による審理をして決定をするということになつております。もつとも憲法第三十一条がはたして行政的手続に関する公正な手続の保障をしているかどうかということについては、学説の争いがございますが、しかし少くとも三十一条が要求している要件の精神には反するのではないか、かように考えますので、まずこの点からこの法案に反対をいたします。  次に第二点といたしまして、かりに行政的な手続が妥当なものであるといたしましても、その行政的処分に対して司法的な救済が十分に与えられておらない。それはなぜかと申しますと、第二十四条によりまして、公安審査委員会による規制処分というものは、ただちに執行力を生ずることになつておりまして、事後においてその処分を争う場合には、行政訴訟を起しまして救済を求めるほかはない。しかるにこの場合の訴訟の提起は、処分執行停止をかりに求めましても、これに対しては行政事件訴訟特例法第十条第二項但書による内閣総理大臣の異議がございますと、執行停止されないということになつておりまして、これでは決して十分な救済にならない。この点はこの法案の手本になつたといわれておりますアメリカの制度を見ますと、決してこういうふうにはなつていないのでありまして、たとえば一九五〇年の国内安全保障法、俗にいわゆるマツカラン法という法律によりますと、破壞的な団体というふうな認定をいたしまして、これに一定の規制を加えるという場合には、法務総裁が破壞活動規制委員会というものにその請求をいたしまして、その請求の結果委員会決定いたしましたものに対しては、さらに訴訟によつて争うことができる。そしてその判決が確定するまでは、この決定執行力を生じないことになつております。このために両院議員、たとえばダグラス議員のような人は、この法律によつて規制をする場合には、訴訟の手続が大体三年ないし四年かかる。従つてある団体に対して問題が起つた場合には、三年ないし四年かかつてその団体がこの法律規制を受ける団体であると認定をされる。さらにそれによつて個人が取締りを受ける場合は、さらに三年ないし四年かかる。従つて総計六年ないし八年かかるので、はなはだ実効に乏しいということを申しておりますが、それほど時間がかかる手続であるにもかかわらず、なおかつ大統領トルーマンはこの法律思想の統制をする、国民の基本的人権を侵害するという理由で、議会を通過した法律に対して拒否権を行使したくらいであります。いわんや日本のように、きわめて手軽に行政処分によつて国民権利が侵害されるような執行がなされるということは、正しい方法ではないというように考えるのであります。これが反対の第二点であります。  第三の理由は、国民権利自由を制限することが必要な場合は、ときにありますけれども、それは経済的な活動に関する自由を制限する場合には、行政手続もある場合には必要でありますが、精神的な自由に関しては、行政手続による規制ということは許されないのではないか。行政手続というものが生れて来ました理由は、従来の社会にあつては、経済活動の結果として権利を侵害されたものは、侵害された後に司法裁判所に出頭して救済を受ける。たとえば交通事故によつて損害を受けたものは、損害を受けた後に裁判所に損害賠償請求の訴訟を起して、救済を受けるというような形であつたのでありますが、これではたとえば交通機関のような場合には、それが非常に高速度化した社会においては、こういう方法ではとうてい十分な救済が受けられない。そこで事前に行政手続をもつて交通機関を取締る、こういうことが要求される。ただその場合に行政手続は、先ほど申しましたような手続上の公正な手続の要件を満たしていなければならない、ということになつたのでありまして、精神的な活動に関しては、このような事前の規制というものは、本来できないのであります。ただ精神的な活動言論表現の自由、集会結社の自由、そういうものはこれをまつたく自由に許すことが、すなわち憲法目的を全うするゆえんであつて、ただその結果生じた違法な結果に対してのみ、司法的手続によつて一定の制裁を加えるということだけが、許されていると思うのであります。ことに日本におきましても明治憲法下の新聞紙法においてさえ、新聞紙の発行停止ということは、司法処分をもつてしなければできなかつたのでありまして、それが現実の内容がかわつた新しい憲法のもとにおいて、まつたく明治憲法下の新聞紙法よりもさらに逆行して、行政処分によつて新聞紙の発行停止をするというようなことを認めるということは、私は憲法精神に沿わないと考えます。この点から申しまして、この法案の定めている行政的手続というものは、承認することができないというふうに考えます。これが第三の理由です。  さらに第四の理由といたしまして、私はこの法律規制というものは、国民に保障された思想信教集会表現及び学問の自由その他を、不当に制限する法律ではないかというふうに考えます。この法律は特に破壞的な活動とされるものに対して一定の刑罰を課しております。その中で先ほどしばしば問題になりましたように、教唆と扇動というものを独立して犯罪としている。従来の刑法では教唆というものは、それによつて実行が行われなければ処罰をされないのでありますが、この法律のもとでは單純に教唆もしくは扇動の行為だけで、処罰するということになるのでありまして、これはアメリカの著名な最高裁判裁判官であつたオリヴアー・ウエンデル・ホームズが申しておりますように、あらゆる思想というものは扇動である。そういう意味から申しまして、單に扇動であるというだけでこれを処罰するということは、思想の自由を制限する危險がありますので、もしも刑罰を加えることが適当であるという場合には、現実にそれによつて社会秩序の混乱が生じたということがぜひ必要である。それなしに扇動を処罰いたしますと、これは当然に思想の自由の制限になるというふうに私は考えます。これが第四点であります。  最後に第五点として、私はこの法律内容がいかに妥当なものであつても、それは必ず濫用される。濫用は必然であるというように考えます。過去における濫用の例はたくさんございますが、私が身近に経験いたしました最近の小さい事件一つ申し上げて、その例といたしたいのであります。私は数日前に日本公法学会の総会に来られました全国の各大学の憲法、行政法の教授の方々と一緒に、この衆議院の法務委員会を傍聴いたしました。その場合われわれは地下室の入口において、鉄のさくのところで衛視によつて一人々々厳重な身体検査を受けました。そのときにどういう物が衛視によつてとられたかと申しますと、一つは印刷いたしました公職選挙法案要綱です。もう一つは私の友人で、すでに六十近い某老教授が、ポケツトの中に持つておりました刃渡り一寸くらいの小さいナイフであります。私はこういうふうなものが、この取締りをする規定の趣旨ではないと想います。しかし現実にこの取締り規定を適用する係官は、必ずこういう方法をもつて善良な国民に迷惑をかける。この場合は單純な傍聴でありますから、大した障害はありませんが、しかしそれでも新しい憲法下の主権者である国民国会を傍聴するのに、こういうふうなめんどうな手続を経なければならないということは、傍聴の機会を失わしめる。いわんや言論集会結社がこういうふうに制限されるならば、これは非常に大きな問題になるのではないか。しかも真にこの法案によつて取締られなければならないと考えられているものは、このような取締りでは決して取締り得ないのでありまして、秩序を乱す意思を持つておれば、それにもかかわらず自分の目的を十分果すことができる。大体以上の五つの点から申しまして、私はこの法案が成立することは、決して日本の当面している問題を解決する正しい方法ではない。従つてこの法案が成立しないように希望するというのが、私の意見でございます。これで終ります。御清聴を感謝いたします。
  96. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 憲法の保障する人権の自由と、これを制約する公共福祉の原則との関係を、教授はいかに考えておられるか。この点を一応伺つておきたいと思います。
  97. 鵜飼信成

    ○鵜飼公述人 私は憲法第三章の保障しております基本的人権に対しては、公共福祉の見地から一般的に制限を加えるということは、許されないというふうに考えております。ただそれが許されるのは、憲法の基本的人権を保障いたしました各条文の中に、公共福祉によつてこれを制限することができるということが明記してある権利だけだと思います。それは私の見るところでは、憲法第二十二条の職業選択の自由、第二十九条の所有権の自由、さらにもう一つつけ加えますならば、勤労の条件を定めることをきめました憲法第二十七条、この三つであるというふうに考えます。これらの権利に対しては確かに公共福祉の見地から、法律をもつて必要な規制を加えることができると思います。しかしその他の自由は、これは公共福祉の名前においても制限することはできません。ただ現実にその権利の行使の結果として、他の国民の基本的人権が侵害された場合には、当然法律の定める一定の措置を受ける、かように私は考えます。
  98. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 御意見の点はよくわかりました。  次に石川達三君にお願いいたします。石川達三君には言論表現、出版の自由の問題の立場から、また特に作家としての御体験に基いた御意見を述べていただきたいと思います。
  99. 石川達三

    ○石川公述人 石川達三であります。日本文芸家協会理事長であります。私はこの破防法の立案された最初の動機そのものに、不純なものがあるというふうに考えます。それはこの提案理由の最初にもありますが、この提案理由の最初の方を読んでみますと、この法律をつくろうという最初の動機は、共産党の活動を取締ろうというのが明らかな趣旨であるというように私には解釈できます。ところが現在まだ共産党は合法政党であるという立場からだと思いますが、この法案のどこにも共産党という言葉は一言も使つてありません。従つて共産党という言葉を抜きにしてこの法案を作成されたために、非常に広範囲なものになつております。これは必ず将来に民主政治を破壞する何かのきつかけになるに違いないと私は考えます。たとえば現在私どもは必要な手続を経なければ、刀の類を所持することはできません。ところがこの場合に刀剣という言葉を使わなければどうなるか。必要なる手続を経ずして、人を殺傷し得る物品器具を所持したものは処罰する、こういう形になります。そうすると大工ののみも人を殺傷することができるし、畳屋の針も人を殺すことができる。これは全部届出をしなければ処罰される、こういう形になります。でありますから、ここに共産主義と正面から言えなかつた理由はあると思いますけれども、それを言わなかつたために、この法案自体が非常に悪質になり、そしてたくさんの無事の人間に非常に大きな迷惑をかける。そういう形の法律がここに立案されておると私は思います。  次にこの法案の用語があいまいであるという点は、皆さんがもはや指摘されておると思いますが、たとえば正当な活動制限しない、あるいは不当に制限してはならない、こういう言葉があります。その正当とは何であるか。不当とは何であるか。これは処罰される側の民間の解釈は決して採用されないということは、私どもの常識であります。必ずこれは処罰する側の取締り当局の解釈でありまして、われわれが正当であると言つても当局は正当でない、われわれが不当な制限だと言つても、当局はいや正当なる制限だと言うにきまつておるのであります。こういう用語が、私どもが決してこの法律に安心できない非常に大きな原因になつております。たとえばあの東条内閣のときですらも、民衆の言論を暢達させるという言葉だけはありました。ところが、私どもの言論というものは完全に封じられておつた。つまり言論暢達ということ自体の解釈がもはや非常に違つている。ことに破壞活動という言葉がございますが、この破壞という言葉は一体何を意味するのか。これはたとえば今皆さん方のお考えと私の考え自体に、もはや食い違いがあると思います。ことに一方では破壞活動と言うけれども、他方ではこれは建設活動だという解釈すらもあり得るだろうと思います。この法律ができ上つたならば、必ず官僚独裁政治が助長される。そうしてこういうふうな法律を作成すること自体が、私ども国民に対しては一つの破壞活動ではないか、私はそういう疑いを持ちます。それから刑法七十七条、七十八条、七十九条――私は法律のことはよくわかりませんが、これは明治四十年に制定された法律のようであります。この法律の条文を見てみますと、「政府ヲ顛覆シ又ハ邦土僭竊シ」云々という言葉があります。ここに使われておる政府という概念は、私どもが今日考えておる政府僭でではありません。これはその当時の明治天皇のもとにある特権政府であります。私どもの現在考える、またそうなくてはならないところの民主国家の民主的な政府ではありません。そのすぐあとに「其他朝憲ヲ紊乱スルコトヲ目的トシテ」云々という言葉があります。この朝憲を紊乱するというような用語も、私どもの今考え得る言葉ではなくて、天皇は神聖にして侵すべからずという古い概念から出発した用語であります。内乱という言葉の概念もそれに従つてつて来るに違いない。要するに刑法七十七条、七十八条、七十九条というものは、現在の民主国家であるところの日本に当てはめるべき条文ではなくて過去の遺物である。こういう過去の法律の条文を基準にして、破壞活動という言葉が定義されております。これはその破壞活動の認識自体が非常に非民主的であります。従つて壞活動防止法というものも、また非常に非民主的な考え方に立脚して立案されておる、私はそういうふうに考えます。この法案を解釈してみますと、天皇を批判することはできなくなる。また天皇制というものを批判することもできなくなる。そうして天皇がみずから自分は神でも何でもない、人間であるという宣言をされておるにかかわらず、再び天皇を神格化するような事態が出て来るかもしれない。議会の中でさえも、天皇制については云々することができないという状況が必ず出て来るであろう。そうして政府は一種の特権政府になるだろう。もしも私の考えるようなそういう予想が正しければ、せつかく日本が民主国家として再出発しようとするその民主国の実体は、完全に失われることになると思います。  それからこの法案は破壞活動を防止するという法案であつて、予防が非常に大きい目的になつておるように思いますが、予防ということがどれほど恐ろしいことであるかは、皆さんも十分に御承知であろうと思います。戰争末期にありました有名な横浜事件、あのときは細川嘉六氏を中心として、雑誌記者その他三十四名が横浜の警察に留置されまして、そのうち留置場で非常な拷問に耐えかねて死んだ者が二名、釈放されてからすぐ死んだ者が一名、三十何名のうち三人までが殺されております。ところがこの三十四名は全部無実の罪でありました。ところがそのときに、貴族院、衆議院両方およそ八百五十名の議員たちは、一言もこれに触れておりません。それは予防ということがどんなに恐ろしいことであつたかということを、証明しておると思います。言論が彈圧されたのも一つの予防であります。それからこの無実の人たちが留置場につながれたということも、一つの予防であります。私の友人のある評論家は日華事変の初めですが、上海へ行きまして、中国の作家たちと二、三回会つていろいろ話をして帰つて来た。帰つて来てから間もなく杉並の警察署につかまりまして、何かして来たに違いないというただそれだけの理由によつて、約十箇月留置されましたが、一度も法廷に出されたことはなく、何となく杉並警察署におつて、何となく出されて参りました。そうして戰後になつてから頭がおかしくなつて死んでしまいました。これも一つの予防の結果であります。今日まで日本の警察が予防活動によつて犯した罪は、どのくらい大きなものであるかわからない。あのような予防活動を再び繰返されるということは、これは民主社会においてあり得べきことではない。過去十年間私どもの国家は決して私どもの味方ではなかつた。常にわれわれに対して加害者であります。今再びわれわれに対してさらに大きな害を加えるような法案が作成されるということには、私どもは賛成できない。ことにこの法律ができますと、公安調査庁というようなものができましよう。予防活動はさらに一層活発になります。そうして今でさえも官僚が強過ぎると言われておるのに、さらに官僚の独裁が強化されるに違いない。民主国家というよりは、私はむしろ官主国家と言いたい。  私どもはやはり自分の自衛の立場から、こういう国家の迫害から自分を守る行動をしなければならぬ。それには私どもが最後の頼みとするのは言論の自由であります。ところがこの法案は、私どもの最後の頼みであるところの言論の自由を抑圧しようとする性質を多分に持つておる。言論の自由について、議会は私どもよりも少しく軽くこの問題を見られておるのではないかというふうに私は考えます。しかし議会における言論の自由は、議会だけで成り立つものではなくて、これは民間の支持があつて初めて成り立つものであります。たとえばあの戰争中の翼賛議会というものは何であつたか。それは議会が軍部や警察の彈圧に屈して、言論の自由を防衛することを怠つたために、民間の言論がことごとく自由を失い、新聞が何ら正当な発言をすることができなかつた。この新聞言論の支持がなかつたために、議員諸君が議会の中で言論の自由を失つた。そこでああいうふうな翼賛議会というものができて、実に恥ずべき議会の歴史を残しておるわけであります。議員であるところの皆さんが、もしも民間の言論の自由を擁護されないならば、皆さんの議会における言論が、ただちに自由を失うということを十分にお考え願いたい。私は戰争中にいろいろな取締りを受けまして、あるときには公判廷に引出されたこともありました。そのときには裁判所自体がもはや軍部の強権に屈しておりました。検事も判事も軍部の鼻息をうかがうような態度で、それはもうはつきりした態度でありました。もしも言論の自由を失うならば、それは言論を失うだけではなくて、政治も腐つて来るし法律も腐つて来るし、あらゆるものがここから腐敗して来る、私はそういうふうに信じております。  それからこの法案の提案理由の中に、治安が非常に悪いからこういう法律が必要だというふうに書かれてあります。先ほど警視総監も、このように治安が悪いから、できるだけ早くこの法案を通過さしてもらいたいと言われておりました。しかしながらこの提案理由を読んでみまして、治安がなぜ悪くなつたかということについては、何も反省されておりません。ただ治安が悪いからこれを取締るというだけであります。日本国民もまつたくかわいそうな国民であります。この長い間に家を焼かれ食糧を失い、あるいは親子兄弟を失い、高い税金を払つて、戰後に新しい世の中が出て来るかと思つていたのに、まるで昔と同じような、あるいはそれ以上の官僚国家ができて、そうして警察も非常に強くなつて来た。一体これで国民が安心して日本の国の中で生活できるかどうか。これも考えなければならない。善良な国民がなぜ破壞活動をしなければならないか。ここには非常に大きな国家の罪、政府の罪あるいは官僚の罪があります。政治が正しく行われておるならば、今日の破壞活動はこんなにはげしいものにならないだろうということは、むしろ常識でありましよう。それを改めようとする努力がもつともつと盛んでなくてはならぬ。強権によつて今日の治安の不安なところを取締ろうというのは、一番安易な手段であつて、一番拙劣な手段であります。たとい強権によつて今日の治安の乱れを取締つたにしても、その根本はいささかも改革されていない。これでは一時のがれのごまかしの法律にすぎないという結果が、出て来はしないかと思う。そういうごまかしの一時のがれの法律がつくられて、そしてまたしても民衆が犠牲にならなければならない。これは私どもの耐え切れないところであります。私は法務委員である皆さんが、こういう民主政体を破壞するような法律制定して、後世に汚名を残されることのないように希望する次第であります。
  100. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 石川公述人は、国家と個人の関係をいかように文学者として理解されているか。それから本法案に対しては、運用の面で非常に濫用されるきらいがある、また拡張されるきらいがあるというところから、反対されておるようでありますが、国家として治安対策なり治安立法が全然必要ないという御意見になるのかどうか。その二点を伺つておきたいと思います。
  101. 石川達三

    ○石川公述人 国家が治安に対して何かの法律をつくらなければならぬということは、明瞭なことであります。しかし最初にも申しましたように、この法案の中に、共産党の活動を取締りたいにもかかわらず、共産党という文字を用いていない。そこで、この法律が非常に広汎な人間を処罰しなければならないような、悪質な法案になつておると私は考えます。
  102. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 次は、長野国助君にお願いいたします。長野君には、特に人権擁護の立場から、本法案に対する弁護士会の輿論及び公述人個人の御意見を承りたいと思います。
  103. 長野国助

    ○長野公述人 私が会長をしております日本弁護士会連合会におきまして、最近本問題を審議するために、かねてできておりますところの国会対策委員会、並びに最近できました治安対策委員会、双方へ併合いたしまして審議を遂げつつあるのであります。他の問題と違いまして立法に関する重大なる問題でございますから、日本弁護士会連合会といたしましては、その結果が賛成であつても反対であつても、一応会の意思表示をすべきがその役目である。かようにも考えられますので、いろいろ結論に到達すべく審議しているわけであります。しかしながら過去二、三回審議をいたしましたけれども、いまだその結論には達しておりませんので、会の意向はこれこれである、会の決議はこれこれであるというところまでは申しかねますが、しかしながら御参考に申し上げますと、本法案に対して絶対反対であるという委員はまず少い。しかしこの法案はさきの治安維持法ほどではないにしても、相当悪用される危險もある。また部分的に見ますと相当修正する必要があるが、しかしながら現下の国情、ことに社会の治安状態で見るとやむを得ないじやないかという意見委員の方が、まず多いのであります。そこでこれに反対される委員意見を簡單に申し上げますと、大体この破防法によつて対象としているところの犯罪は、刑法にことごとくあるじやないか。新しい種類の犯罪は一つもない。しいて新しいと言えば七十七条等を実現するために、その正当性、必要性を主張した文書云々などを見ると、この規定だけがようやく新しいといえば言える。その世はことごとく刑法に定めてある犯罪なのであるが、刑法を適当に利用するならば、何もかような大げさな法案を設ける必要はないじやないかという点、あるいはこれは全面的に言論思想その他憲法で保障している権利を阻害する文字であるから、根本がいけないのであるという説もある。大体さような二つの意見が代表的な反対。それで先ほどやむを得ないじやないかという側の委員が多いと申しましたが、この委員でも、このままでよろしいという人は一人もない。やはり若干の修正をしなければいけないのだというのです。その修正を要し、あるいは削除を要するおもな点について申し上げますと、第一この立案の精神は、たびたび法務総裁あたりから議会で説明されたところによると、その規制される対象となるものは、団体もしくは団体のメンバーでなければならないように説明されている。しかしながらこの罰則など見ますと必ずしもそうじやない。団体もしくは団体のメンバーでなくてもよろしいように規定されている。もしこれが初め説明された通り、団体もしくは団体のメンバーのみを罰する精神ならば、この規定は、ことに罰則の点などには明瞭にする必要がある。しかしながら前後の解釈によりますと、ある場合にはやはり団体並びに団体のメンバーでなくても、処罰されるように書いてあるところが、非常に不安を感ずる。それから施策を批判することについても、「主義若しくは施策」となつているが、この施策については国民がみな自分たちの大問題であり、利害関係のあることであるから、相当施策については批判を加えることは当然である。この点についても施策という文字は、少くとも除いてもらいたいというような意見がある。  それから騒擾罪、第三条の二のイに書いてある騒擾に関する規定でありますが、これは大衆運動に非常に影響がある。大衆運動というものは、労働争議もそうですが、幾らか騒擾性を帶びておる。騒擾といつても程度の問題でありますが、とにかく多数集まりますとそう静謐なわけには行かない。これは大衆運動にも影響することであるから、これも適当に考えてもらいたい。  それから次のリの問題でありますけれども、たとえば凶器または毒劇物を携え、多衆共同してなす刑法第九十五条公務執行妨害に関する規定、これも多衆全部の人が凶器を携えておるならばやむを得ないかもしれませんが、そのうちの何人かが携えておれば、携えていない者もこれにひつかかるという危險が十分にある。この点も立法技術上よほど適当にやつてくださらぬと、思わざる被害者が出やすいという心配もしておる。  それから扇動云々の問題でありますが、これは今までいろいろ論議されましたけれども、よほど運用について注意をしていただきませんと、学者の尊敬すべき意見などが取締られるおそれもあるのでありまして、この点につきましても弁護士会としては憂慮しておるものであります。かりにこの法案の成立をやむを得ないといたしましても、これによりましてたとい処罰せられないまでも、思想言論の圧迫を感じ、人権阻害のおそれがあり、かつ萎縮せしめるというような心配が多分にあることを憂えておるのであります。  それからもう一つは、かような法律を現在のような社会状態のときに公布して、はたしてきき目があるかどうか、目的を達し得るかどうか、あるいはかえつて激発して、さらに不穏な行動が世の中に発生するようなことがないであろうかというようなことを、やはり心配しております。  大体弁護士会あたりの賛成並びに反対についての意見の概要は、かような次第であります。そこで私長野個人意見はどうかと申しますと、相当な修正をするなれば、あるいはやむを得ないじやないかと考えておる次第でございます。
  104. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 次は菊川忠雄君にお願いいたします。菊川忠雄君は、もつぱら労働組合運動の御体験に基いての御意見を述べていただきたいと思います。菊川忠雄君。
  105. 菊川忠雄

    ○菊川公述人 私は破防法案についてはこれに反対する立場から、若干の見解を述べてみたいと思います。  私の結論を先に申し上げますと、今日いわゆる暴力を手段として政治的目的を実現する企てのもとに、非合法的な団体組織が実践活動を行つておるということは認むるものであります。そうしてまたこれが対策は緊急を要し、万全のものでなければならないので、もし現行刑法その他で不十分であるとすれば、立法的な措置も必要として認めるにやぶさかでないのでありますけれども、なおかつ一応これらの前提に立つてみましても、この破防法案内容並びにこれが実施後の効果について考えてみると、民主主義日本国民の自由、特に労働者の基本的な人権に重大な影響を与え、民主主義の正常な健全な発展を阻害し、かえつて暴力主義的な非合法活動の乗ずる結果を招くということにもなると思われますので、反対をしなければならない、こう考えておるのであります。ことに自由な民主主義労働組合運動の立場にとつては、このような治安的な立法が出現することによつて、この面から警察権力などが介入する糸口をつくることになり、それが今後機会あるごとに濫用されるおそれが十分にあるのであつて、その結果正常な労働組合の運動がゆがめられ、あるいは抑圧をされ、ひいては、日本の独立の完全な達成のための基本線が民主主義の推進にあるにかかわらず、これが妨げられるということにもなりますので、この点においては労働運動の自由の問題、労働基本権の問題として非常に重大な関心を持ち、従来から慎重な検討を加えておるのでありまするが、その結果民主的労働組合運動の立場に立つて、ほとんどすべての労働団体があげて反対しておる実情にあるのであります。  すでに公聴会の他の公述人の方々から、私と同じような見解について述べられておりますので、要点だけを一、二つけ加えてみますと、第一の暴力主義的な非合法組織と、その破壞的活動が現在存在するという事実については、最近二、三箇月来の頻発する一連の暴力的な事件、もちろんこの中には、昨日メーデーにおけるところの一部分子によつて惹起された遺憾な騒擾事件も含まれておるのでありますが、こういう一連の暴力的な事件は、どう考えてみましても自然発生的なものではないのであつて、大部分が意識  的、計画的であつて、特定の政治的目的のもとに行われつつあることは、否定しがたいところであると思うのであります。また一方日本共産党が昨年十月第五全協の決定による新テーゼによつて、新しい運動を展開いたしており  ますが、この方針を一瞥いたしましても、講和後の日本をアメリカ帝国主義の軍事基地としての仕上げをされたものという判断の上に立つて、合法部面の党はいわゆる民族解放国民戰線の前衛的役割を果すが、党の現在の九関係においては地下の運動、すなわち非合法主義が重点とならざるを得ないのであつて、この部面は別のいわゆる軍事方針と相まつて、防衛隊あるいは武裝隊的な組織と関連して進められることになつておるのであります。このような方針が最近の暴力的な事件影響を与え、あるいは関連を持つておるであろうということも、これは否定しがたいところであると私は見ておるのであります。さらに将来このような傾向は、今日の内外情勢のもとにあつては、発展をするであろうことはいなめないと思うのであります。さらにまたこのような傾向に対して、国民の間から正しい力強い批判が起らないとすれば、日本の民主主義と社会秩序は危機に立たされるという心配が十分にございます。従つて社会の一部からは、これに対抗するためには、暴には暴をもつてするという思想が擡頭して、反共の名のもとにフアシズムの直接行動の傾向が力を得て来るということも、当然に心配される点であります。私はむしろこの面が、より大きな心配の点であるとすら考えておるのであります。でありますからして、こういうふうな事態に対処するためには、われわれはあくまでも民主主義を擁護し、これを推進するというこの基本線の上に、問題の根本的な対策を立てなければならないと思つておるのであります。言いかえますならば、それぞれの政治的な意見立場はお互いに十分に尊重し合う。たとい少数意見でも、その民主主義的な立場において、聞くべきものは聞き、批判すべきものは批判をする。そうして常に国民の自由な判断と良識に訴えて、国民の協力のもとに国民的な団結を強化して、そして問題を具体的に平和的に合理的に解決する、この道がなければならない、こう考えております。でありますから、このような私どもの見解に立つて見ますならば、もしこういう重大な基本線を閉鎖し、国民の民主主義的な成長の芽を枯らすような結果が生れるといたしますならば、それは一時的な糊塗策であるといたしましても、禍根を将来に残すことになるのでありまして、従つて私はこの法案は、当面実際は共産主義的な非合法運動に焦点を置いておるということは、うかがうことができるのでありますが、その反面においては、民主主義の枯渇をもたらすという点におきまして、かえつて将来恐るべき日本のフアシズム化への道を開くものではないか。言いかえますならば、いわゆる角をためて牛を殺すような結果になりはしないか、というような批判を持つておる次第であります。  第二の点につきまして、このような法的な措置が別個に必要であるのかどうかという点につきましては、私は刑法その他関係法についての専門的な研究はしておりませんので、ことにここに言う暴力主義的な破壞活動は、その内容がなお不明確で、抽象的で、範囲はいたずらに広いというふうに見受けられるのでありまして、かかる性質の特別立法をしなければ、現行刑法だけではどうしても緊急措置ができないのかどうか、こういう点について、私どもは十分の判断をすることができません。けれども国民の一人として一般的に考えますならば、このような特別立法がなければ規制ができないというふうな点を、どうも理解することができないのであります。でありますから、私ども民主的な労働組合の観点におきましても、これらの諸点について、いろいろと関係専門家の意見を徴して参つたのでございまするが、大体において、今日民主主義的労働団体意見を総合いたしてみますると、このような暴力主義的な行為を、放任していいというものではもちろんございませんが、しかしすべて刑法に大体それぞれ適用規定があるのであるから、刑法を十分に活用して、具体的な行為について取締ればいいのであつて、ことに憲法違反の疑いのきわめて多いにもかかわらず、かかる抽象的な広汎な特別立法をする必要はないではないかというところに、大体意見の一致をいたしておるのであります。第三の点につきましては、すなわちこの破防法の内容とその効果についてでありまするが、これはすでにそれぞれ専門の方々の公述の際に触れておられる点でございますけれども、一通り私どもの今日まで政府に対し、あるいは一般に対して要請いたしましたところの重要なる問題の点について、列挙いたしてみたいと思うのであります。すなわち一つは、第二条の規制の基準でありますが、これは訓示規定であつて、罰則がなく、單なる気安めの条項にすぎない。実際には不当な介入と制限が加えられるおそれがあるのであります。ことにこの点は、わが国労働組合法には、御承知のように不当労働行為に対する取締りと処罰の規定があるのであります。ところがそれにもかかわらず、治安的な立法ができて、この面から民主主義労働組合に、労働法規によらない不当な抑圧が入り込んで来、労働者の団結権と団体行動権が骨抜きにされるということを、私はおそれておるのであります。二は、第三条の一のロ、二項の前文、二のリ、二のヌは、あらゆる団体行動に濫用される危險性があると考えられるのであります。三は、第四条の公安審査委員会は、裁判所における第一審と同等の性格と実質的な効果を持ち、憲法第七十六条違反の疑いがあるのであります。さらに委員会決定がなされ、官報に公示されると、ただちに行政処分効力を発生しますが、これに不服を申し立てる被処分団体は、第二十四条二項に従い裁判所に訴訟を提起しても、その決審を見るまでは行政処分実行は停止されないので、控訴中の一般裁判より強権であり、そのために被処分団体は不当に彈圧されるということをおそれるのであります。四は、処分の通知を受けた団体は、法第十三条に従つて弁明と反証の提出ができますが、第十五条には審理官の一方的認定によつて、提出証拠を無視することができないわけでもないのでありまして、第十五条但書は單なる訓示規定で、罰則がなく、気安めにすぎないので、これの濫用防止は困難であると考えるのであります。五は、各条項に見られる教唆、扇動の字句でありますが、基本的人権が不当に制約されるばかりでなく、この考え方の導入によつて、現行刑法の理念を変革せしめる危險があるのではないか、というふうに考えておるのであります。こういうふうな点からいたしまして、むしろこういう内容法案が実現いたしますならば、非合法活動に一般的な民主主義的な団体活動を不必要に追い込むような結果が生ればしないか、そうして一歩その運用を誤まれば、かえつて大衆の同情が、かような面にすら集まつて来るという結果が起るのではないかということも、おそれておるのであります。最後に、私ども労働組合の直接の立場でございますが、ことに民主的な労働組合が、何ゆえに重大な関心を持ち、これに反対しているかという点についての見解であります。これは先にも述べましたように、治安的な立法が、しばしば治安維持の名のもとに、正常な労働組合の運動に干渉し、抑圧を加えて来たということは、過去の経験で十分に示されておるところであります。かつて治安警察法第十七条によりまして、労働者の正常な団体交渉、あるいはストライキ、これがいかに多くの犠牲者を出したかということ、さらにこれが廃止とともに、入れかわりに出現した暴力行為等取締法が、立案当時の言明にもかかわらず、実際は労働組合の正常な行為に対して、取締りを名としていかに彈圧的に運用をされたかということ、さらにその後の治安維持法については、あらためて言うまでもないのであります。私は日本全体が政治、社会、生活とすべての面においてまだ民主化が未熟な段階にある今日、この破防法案実施後の運営において、ひとり民主主義の擁護のために誤りない運用がされるということは期待もされないし、また信用もできないのであります。ことに本来非合法主義を意識して出発し、行動しておるところの団体の運動というものは、かかる法案が出現するであろうということも、また客観的な条件の中にあらかじめ計算に入れておるのでありますからして、結局この法案によつて不用意に最も多くの影響を受けるものは、本来合法的に行動をするところの民主的な労働組合、その他民主的な団体活動であるということになることは当然であります。しかもこういうことになりますれば、常にこの法案規制に触れないということのために、みずからの自由な活動を自分でゆがめて行かなければならない。あるいはまたこれを権力者が運用いたしますならば、自由な民主的な団体というものが、国家権力の意のままに、そのわくにはめられるというような形に利用されるという傾向も、生れて参るでありましよう。でありますからして今日私どもはこの法案のプラス、マイナスということを考えます場合において、むしろ非常なマイナスの面が多いということをいなむわけに行かないのであります。ことに暴力主義的な非合法活動についてみますると、今日ではたとえば先ほどの共産党の新しい方針を見てもわかりますように、それらの団体の構成分子が、その一つ団体のわく内に立てこもつて運動をするのではないのであつて、いわゆる統一戰線、共同戰線、そういう方式によつてあらゆる民主主義団体の中に潜入をいたしておるのであります。しかもその分子は、みずからは非合法団体の分子であるということを名乗つてはいけないし、また名乗らないという方針でもつてつていることは御承知の通りであります。でありますからして破防法案によつて取締りをいたそうとしましても、これらの最も心配される実害のあるところの部分には手が届かないのであります。そしてまたそれをあえてしようといたしますならば、本法案の中におけるような調査その他の名のもとに、民主主義的な団体の中にむしろ監視と取締りの予防のために、全力を集中しなければならぬという皮肉な結果になつてしまうのであつて、言いかえますれば、これは特高警察的な対策にしかほかならないのであつて、私どもはこれを最もおそれておるのであります。以上が大体私どもの反対せざるを得ない見解でございまするが、なお一言、この法案につきまして私ども非常な不安を感じておりますことは、正常な労働組合活動という言葉がございます。ところが一体今日の正常な労働組合活動とは、どういうものを意味するのかということが明瞭ではございません。ことに日本労働組合運動は、御承知のように労働組合法に基いて、労働条件の維持向上を主たる目的としてやつていることは言うまでもございませんが、しかし日本の独立の達成、そのための日本経済の自立の確立、こういうことのためには、どうしても労働運動は自分の労働条件の維持向上のために、政府の施策あるいは国の政治のあり方、かようなものにつきましてもその意思を表示し、あるいはその実現のために民主主義的な方法を通じて努力をせざるを得ないのであります。でありますからして、こういう場合において、正常な労働運動というものはいかなるものとして内容規定しようとするのであるか。このことがその問題のたびたびに、常にこれらの実施に当るところの権力者と、そして労働組合の当事者との間の衝突摩擦の問題になることが明瞭であります。しかも日本の場合におきましては、民主主義をほんとうに確立するためには、この労働組合が正しい政治の方針をもつて、それをしかも民主主義に徹した労働組合の闘い方の上に貫いて行くというこの線が確立されなければ、あるいは共産主義的な労働組合の方針、あるいはフアシズム的な労働組合の方針、かようなものと対峙して、そして日本の民主主義を、労働者の立場において守り進めて行くという原動力になることができないのであります。こういう点からいたしまして、特にこの条文の中において、今までの政府労働組合との法案の成立過程におけるいきさつからいたしまして、正常な労働組合運動については、これを適用するものでないという心構えが現われていることはけつこうでございますが、この内容は一体何を意味するかということを、もつと明瞭にされる必要があろう、かように考える次第でございます。
  106. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 次は吉田資治君にお願いいたします。吉田資治君も労働組合運動の御経験に基いた御意見を承りたいと思います。
  107. 吉田資治

    ○吉田公述人 全日本産業別労働組合会議の議長をいたしております吉田資治であります。本日は総評の議長がおいでになる予定のところが、欠席になつておりますので、御意見が聞かれませんが、基本的な態度、すなわち条文の修正ではいけない、これは完全に撤回されなければならないという点においては、総評におきましても、産別におきましても、完全に意見が一致している点であります。この破壞活動防止法案は、しばしば問題になります戰前の治安維持法ときわめて似通つておりますし、場合によりましてはこれ以上の内容をはらんでいるというふうに、われわれは考えておりますが、なお治安維持法におきましては、私はその被害を受けて参りましたので、実例を示す方がはつきりすると思いますからお話を申します。最初私が治安維持法にかけられましたときには、国体を変革し私有財産を否認する、こういう目的を遂行したということで逮捕され、投獄をされました。ところが第二回目に私が逮捕されましたときには、私は妻と一緒に一年間、あの世界に有名な日本の警察の豚箱に入れられた。今の豚箱は少しよくなつているそうでありますが、昔の豚箱はそれこそ言語に絶する鬼畜にもひとしい取扱いを受けたのであります。そこに一年間おりました。そうしてやがて法廷に引出されまして、懲役二年の判決を受けました。このときの理由がどういうことであつたかと申しますと、私有財産を否認し、国体を変革する目的の予備行為としての人民戰線運動というものがある。その人民戰線のまた予備行為をした、こういう理由であります。これは今の常識ではおそらく了解に苦しむ点だろうと思いますが、時の政府が企図いたしますれば、法律にないことをこのように拡張解釈と称しまして、幾らでも予備行為のまた予備行為のまた予備行為で彈圧ができるのでありまして、これは先ほど石川氏も述べておられましたように、まつたく無実の人たちがこの法律によつてやられました。宗教団体、学者までやられたことは、もうすでに皆さんが述べられたようでありますが、こういう状態であります。こういうことが行われて来た。こんなことはないと今度の政府は言われましようけれども、政府の言明は信用できません。これは再軍備しないしないと言つて、どんどん再軍備をしたり、民主主義を彈圧しないと言つて、いろいろな彈圧をやつたり、特高警察は復活しないと言つて、盛んに特高警察活動をやるのでありますから、こういう点で、われわれは体験の上から言いまして、政府の口約束だけでは絶対信用いたさないことにしているのであります。従つてこういうふうな人権を無視したやり方によりまして、いろいろな彈圧をいたしますが、私がもう一つ問題にいたしたい点は、こういう基本的人権あるいは言論集会の彈圧だけでなく、治安維持法が持つてつた最も本質的なものは、いわゆる戰争計画のための予備行為であつたという点であります。この点は今回のこの破壞活動防止法案においても大体同様であろう、こういうことを私は感ずるのであります。この点について私は最も大きな関心を持つておるのであります。前からよく反共は戰争に通ずる、こういうふうに言われておりました。治安維持法は反共をはつきり出しまして、戰争の道へ日本国民を連れて行きましたが、今度は少し戰法をかえまして、共産党の名前は一つも出ておりませんが、先ほどからいろいろ述べられておりますように、これははつきりと説明にもあります反共を旗じるしにいたしていることは、きわめて明瞭であります。従つてこれもまた同様に戰争への道であることは、現在日本に起きておりますいろいろな事例が、これを示しておるのであります。再軍備の問題は、今申しました通りで、くどくは申しませんが、現在日本の基地からは朝鮮戰争に対する爆撃機が盛んに飛び出しておる。これも事実である。よく日常見るところであります。さらにこの戰争におきましては、新兵器が続々出まして、ナパーム爆彈であるとか、親子爆彈であるとか、最近におきましては細菌兵器が使われるということが報道され、諸外国からはこれの禁止運動が盛んに日本国民に呼びかけておる。たまたま三月の二十三日に、神戸の中日本重工におきまして、野田君という労働者初め原因不明の赤痢にかかりまして、そうしてこれがもう日本の今の医薬ではなかなかとめられない、どうにもしようのない細菌らしいのでありまして、しかもこれがどんどんふえておる、こういう事実があつて、われわれ労働組合の中では、これは今うわさになつておる細菌兵器のとばつちりではなかろうか、これがすでに日本の国へ来ておるのではなかろうか、こういうふうに考えられて、そしてこの調査団を派遣しようということさえ今問題になつております。これはわれわれの聞くところによりますと、單に臆測ではなくして――たとえば芝浦などにおきまして、被服を扱う人たちが強制予防注射を受けているという事実も、私どものところへ報告を受けているのでありまして、これは單なる臆測ではないのであります。こういう事態が現在起きております。そうして日本の経済が、少くも東洋における隣国と平和な経済関係を結びまして、平和的に日本の産業を発達させ、日本国民の生活を向上させる道を故意にふさぎまして、そうして戰争挑発を盛んにやるのであります。こういうふうな事例を考えてみます場合には、今度の破壞活動防止法案というものは、やはりかつて治安維持法がやりましたと同様に、大陸侵攻の足場をつくるための一つの準備工作というふうに、私どもは身をもつて感じておるのであります。この点は皆さんもいろいろ御意見があると思いますけれども、私どものこれまでの体験から言いまして、どうしてもそう考えざるを得ない。従つてこういう立場から私どもは單にこれの字句修正、名前をかえて体裁をいくらかえてみましても、そこの中にひそんでおるその重大な精神はかわらない。従つてこれは完全に抹殺されなければならない、こういうふうに考えるわけであります。それからなお私がその次に問題にいたしたいことは、この破壞活動防止法案政府によつて立案せられ、議会にかけられて、今あらためてこれが問題になつて来ているのではないかということであります。この法案は実はもうすでに実施されつつある、その実績がすでにかせがれつつあるという点であります。その点は、私どもが労働組合運動をやります場合に、労働組合法によつて認められておるにもかかわらず、たとえばストライキをやります。昨年の暮れでありますか、三越の店員諸君がストライキをやつた。そうして正当な権利であるピケツト・ラインを張りますと、武裝警官が出て参りまして、これは営業妨害であるからピケツト・ラインを解けと言うのであります。営業妨害するのがストライキなのであります。物を売らせない、あるいは物をつくることを阻止するのがストライキであります。それにもかかわらず、労働組合法によつて認められたストライキ権が、営業妨害なる言葉によつて完全に打破られ、しかも武裝した警官によつて蹂躪されてしまう、こういう事態が現に起きておるのであります。こういう事態は、もう枚挙にいとまがないのでありまして、先日の、たとえば東京大学におけるいろいろな事件につきましても、新聞その他の政府の発表によりますと、学生がみんな悪いことになつておりますが、警察がきめられた法律範囲を逸脱し、あるいは協定を破つて、学園の自治をふみにじり、そうして戰後きびしくとめられておりました特高警察活動をやつておる、こういう非合法活動を少しも問題にいたしません。そうしてこれに対して反対をする学生をつかまえて、暴力行為であるとか非合法活動であるとかいうふうに非難をいたします。これはおおかみがうさぎを食うのに、うさぎはたまらぬから、あと足で口のあたりをひつかいた。おおかみはうさぎに向つて、お前は暴力行為をやつたと言うのと同様でありまして、自分の非合法活動はたなに上げて、そうしてそれによつて被害を受ける被害者の人たちが、自己を防衛する行動を非合法活動と称しておるのであります。こういう事態がもう数えることのできないほど起つており、そのために労働組合運動は非常な大きな被害、打撃を受けておる。問題になりました昨日のメーデーの人民広場の問題にいたしましても、私は本質的には同じだと考えております。裁判所ですら、あの使用は禁止してはならないという決定をいたしておるにかかわらず、政府が強引にこれを阻止して、国民権利政府機関が無視してはばからない。このことをとがめずして、これに対して正当性を主張する労働者を非難するのは、本末顛倒である。しかも先ほどの警視総監の言葉にもありますように――これは関連がありますから少し述べさせていただきまするが、外でごたごたを起すと店や何かに被害を与えるから、あの広場に誘導をして、そうしてチヤンバラをやつたんだ、こういうふうに先ほど言われた。これは非常に重大な問題である。ここに取締り当局の意図する、たぬきのしつぽが出ていると私は考えておるのであります。こういう考えのもとに人民広場へ誘い込んだ。そうしてこれを彈圧しているのではありませんか。こういうことを問題にしないで、そうして労働者や学生諸君の正当な権利を主張することのみを言われるのは、本末顛倒である。いろいろこういうことが意図されて、この上に立つて壞活動防止法案というものが、問題にされつつあるのであります。ああいう衝突でありまするから、お互いの混乱は起りましようけれども、現に私どもの報告を受けておりまするところによりますると、ピストルで撃ち殺された人たちは、うしろから撃たれているのであります。けんかを売つて撃たれているのではなくて、追いかけられて逃げるあとを撃たれている。たとえば高橋正夫君、二十三歳、東京都の民生局に勤めておるこの青年は、一発で心臓をうしろから撃ち抜かれておる。先ほど労働大臣は、これはメーデーと関係ない、あるいは総評と関係ない、学生とそれから朝鮮人と、一部産別系の金属あたりが参加していたというふうに報告されて、ほかの方には関係がないと言われました。しかし撃ち殺されたこの高橋君は、総評加盟の自治労協の組合員なのであります。こういう人たちがうしろからピストルで撃ち殺された。しかもこの死体の收容された病院においては、家族が来ておるにかかわらず、五時間も放擲して、検屍も何もしないという非人道的な処置がとられた。こういうふうにいたしまして、先ほどの警視総監法務総裁並びに労働大臣の報告は、私ども聞いておりまして、実に承知しかねるような一方的な報告であります。(「法案に関する発言ではないじやないか」と呼ぶ者あり)これは関連がありますから、もう少し意見をお聞き願いたいのであります。こういうふうな事実、この点をよくお考え願いたいのであります。私はこれを反対するのに、この法案が今出て反対ではなくて、事実私どもが労働組合法に認められた正当な労働組合活動をして行く場合に、そういう武裝警官の彈圧が数えることができないほどあるという事実を、皆さんはよくのみ込んでいただきたいのであります。こういう事実の上に立つて、この破壞活動防止法案は、法律を無視し、法律を逸脱した政府の非合法活動を、さらに合法的に拡大しようというのが、この破壞活動防止法案である、こういうふうに考えます。従つて私どもはこういう法案につきましては、單に修正ではなく、日本の国の将来を思い、再びあの戰争の惨禍に巻き込ませないいために、われわれはこれに対する措置をしなければならぬ。これを通すことは、すなわち戰争への道である。これは先ほども委員長が言われましたように、政党政派を越えた問題であろうと思います。自由党の諸君は破壞活動防止法案を通すことに熱心のようでありますが、これを通して日本国民が再び戰禍に陥れられるということになりますならば、かつての戰争の惨禍を思い浮かべられて、これは反省せらるべきではなかろうかと私は考えます。私どもはそういう意味で、もしも法案をどうしても将来においてつくらなければならぬと言われるならば、その非合法活動をやる不法官吏を取締る不法官吏取締法案とでもいうべきものを、まずつくらなければならぬのじやないか。日本国民を彈圧し、労働組合を彈圧する、このような不当な破壞活動防止法案には、私は絶対に賛成することができない。日本労働組合はかつて先月の十二日並びに十八日に……。
  108. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 吉田君に申し上げますが、時間が超過しておりますから、あとで補足的な質問に対してお答えを願いたいと思います。
  109. 吉田資治

    ○吉田公述人 もう終ります。十八日にやりましたゼネストにおいても、日本の労働者の決意というものは皆さんも御承知のことだと思いますので、労働組合を代表いたしましてのこれに対する反対の意見をこれで終ります。
  110. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 以上をもつて一応各公述人意見の開陳は終了いたしました。各委員からこれらの御意見に対して質疑がありますので、通告によつて順次これを許します。田嶋好文君。
  111. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員 簡潔に要を得て質問をいたします。まず鵜飼先生にお伺いをいたします。非常に行政法規の深い御研究をされており、深い知識からわれわれの学ぶべき点がございまして、先生の学問的な立場からのお説といたしましては、非常に肯定する点が多いと思います。そこで私は実際問題につきまして、一、二御意見を伺いたいと思います。先生はこの法案を否定なさると同時に、これにかわるベき何らの措置も御必要とお考えになられないのか、なるのか。それからもう一点、非常に法規的に御研究なされておると思いますので、世界の各国の中で治安立法の制定されていない国はどことどこの国であるのか、御見解を承りたいと思います。この二点であります。
  112. 鵜飼信成

    ○鵜飼公述人 第一の、この破壞活動防止法案にもし反対であれば、これにかわるべき法案を必要と認めないかという御質問に対しましては、私は必要ないと思います。これは現在の法制で十分にその目的を果すことができるのであります。それから第二点の世界各国の治安立法の実情でありますが、私は詳細には存じませんが、しかし治安立法と申しましても、法律規定の仕方は種々さまざまであります。ことに日本の新しいこの法案が手本としようとしている英米諸国における法案の形態は、これとは根本的に違つているというふうに考えますので、そういう点だけを申し上げます。
  113. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員 念を押すようでございますが、先生の御研究された法規で、他の国の中で治安立法と称せられる法規の制定された国があるのかないのか。ひとつそれだけ先生の御研究された範囲で……。
  114. 鵜飼信成

    ○鵜飼公述人 治安立法制定ということは、世界の諸国で試みられているということは、私は否定いたしません。
  115. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員 それだけでけつこうです。  吉田さんにちよつとお伺いしたい。たいへんに吉田先生のお説も学ぶべきところがありますが、もう少し本治安立法の制定に関しまして、純理論的な立場から反対論を伺いたかつたのでありますが、いつも私たちが共産党諸君から議場で承つておる言葉を、そのままこの議場で重複されたようなきらいがありまして、非常に残念に私は思うのであります。先生は御党籍はどちらにありますか。党に籍がおありですか。
  116. 吉田資治

    ○吉田公述人 それは関係がないと思いますので、お答えいたしません。
  117. 山口好一

    ○山口(好)委員 一点だけ菊川忠雄さんにお尋ねいたします。菊川さんの御意見はたいへん穏健に伺いましたが、あなたはやはり現在のこの社会情勢下におきましては、暴力主義的破壞活動の存在することに対して、やはり何らかの処置が講ぜられなければならないという御意見に伺つたのであります。しこうして今まで公述者のこの法案に反対する御意見としまして、現在醸成されるところの暴力主義的破壞活動なるものは、大体において政府の施策方針がよろしきを得ざるために、かような破壞的活動が行われることが主たる原因である、かように申されまして、むしろ政府がこれを反省せねばならぬというような意見が多いように思われたのであります。しかし現在存在する昨日のあのメーデーにおける暴力ざたにおいても、われわれが看取できまするように、これは正常なメーデーの大多数の参加者が、正しき行動をいたしておるにかかわらず、ほんの一部の者が何らかの外的指導によりまして、メーデーという楽しかるべき労働祭の日におきまして、故意にあの行動をいたすということが存在したわけであります。ゆえにその他を推しはかりまして、この法規の対象となるべき暴力主義的破壞活動なるものは、單に政治の貧困、国内の政治がそういう情勢をもたらしたというようなことでなしに、他にさようなことがなくても、まことに暴力によつて事を決せんとする、無反省なる行動を醸成する外的原因が存在するように、われわれは考えるのでありますが、この点はいかがでございますか、御意見を伺わせていただきたい。
  118. 菊川忠雄

    ○菊川公述人 お答えいたします。ちようどわれわれが今空気中の結核菌を吸つおりましても、われわれ自身が十分の睡眠をとり、栄養をとり、健康であれば、結核菌がいかにはびこつてもわれわれにはつかないと思います。その意味におきまして、いわんや共産主義運動その他の暴力主義的非合法活動は、意識的な運動でございますから、そこに乗ずべき条件のない限りは乗じません。また共産主義者といえども、できれば平和的に革命ができることを好むに違いないのであります。でありますが、それができないと今日断定をせざるを得ないところに、根本的な原因があるのであります。つまりそういう希望を人間として持つにかかわらず、なおかつ今日の内外情勢において、そういうようなことができないというところに、暴力主義が生れているのでございます。従つて單に一方に暴力主義的な運動が意識的、計画的に条件いかんにかかわらず遂行されるとして、根本は何を申しましても、そこに乗ずべきところの政府の施策、あるいは民主主義の育成擁護に対するところの欠陥、かようなものが十分に反省をせられねばならぬ、こう考えております。なお極端に申しますれば、私の考えはさような内外情勢のうちにおいて、日本が独立しよう、第一歩をどうしようということでありますから、破防法案などをつくるよりは、いつそのこと民主主義の原則のもとに、新しい国民の気持を高めるという意味で、議会を解散してそうして総選挙する方が、はるかに共産主義運動を防衛する大きな道だと、こういう考えを持つておるのであります。
  119. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 鵜飼教授に一つだけ承りたいと思います。現在の刑法によつてまかない得るというお言葉ですが、日本の現状をどう見て、そうして現行刑法でどのように十分取締り得るとおつしやるのか、具体的にその点を指摘してもらいたいと思います。
  120. 鵜飼信成

    ○鵜飼公述人 日本の現状について詳細に分析をすることは、私のできるところではありませんが、しかし現在の刑法の建前というものは、現実に秩序の障害が起つたときに、これを取締ることができるようにはできていると思います。新しい法案はそうではなくして、それを予防するために非常に広い範囲において、そういう危險を惹起するかもしれないように行為を取締ろう、こういう考え方でありまして、その考え方は私は日本の現状から申しまして妥当な考え方でない、こういう意見であります。
  121. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 これは近い例で昨日の騒擾罪をとりましよう。あなたも先ほどから警視総監なり法務総裁から報告をお聞きになつたと思う。ああいう場合には現行刑法で十分あらゆる取締りができると思いますか。予防ではありませんよ。今起つた現状を見て、たとえば車の中で扇動した者があると言いました。それはどこへ行つたかわかりませんが、現行刑法でそういうものをどういう規定でどうしてまかなえるか。またそれともそういうものは処罰せぬでいいという御見解でありますか。この点を伺いたい。
  122. 鵜飼信成

    ○鵜飼公述人 私は刑法の専門ではありませんので、今の御質問に対しては的確にお答えできるかどうかあやしく思いますが、しかし騒擾罪で処罰することは――これは事実はよくわかりませんが、しかしもしこの法制の条件に該当する事実があれば、そうして現実の騒擾に対する教唆は、むろん処罰することができると思います。
  123. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 刑法を知らぬとお逃げになるなら議論にならない。あなたが刑法でまかなえるとおつしやつたから私は申し上げる。あなたは先ほどおつしやつた。教唆というものは、教唆をして相手方が実行しなかつたら、現行刑法では処罰することはできないのです。それでもよろしいですか。扇動というものは入らないのですか。教唆は実行しなければ処罰しないでいい、扇動があつても、そういうものは捨てておいてもいい、こういうお言葉ですか。     〔「不規則な発言が多いじやないか」と呼び、その他発言する者多し〕
  124. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 静粛に願います。
  125. 鵜飼信成

    ○鵜飼公述人 現実に教唆によつて騒擾事態が起れば、これは今言われましたように処罰できるわけでありますから、私はそれで十分だ、かように考えます。
  126. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 扇動は。
  127. 鵜飼信成

    ○鵜飼公述人 扇動は非常に広くなりますから危險だと思います。現実にその行為を起させるような教唆であれば取締ることはできる。これを扇動まで広げますとたいへん広くなる、こういうふうに考えております。
  128. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 田中堯平君。
  129. 田中堯平

    田中(堯)委員 まず石川さんにお尋ねいたします。立法の動機に不純なものがあるから、賛成しかねるという理由をあげておられました。そこでちよつとお聞きするのですが、これは共産党を罰するということならよろしいが、どうもそうではない、はたの者が飛沫を受け迷惑をこうむる、それで困るというふうな意味に聞きとれましたが、さような意味でありますか。すなわちもう一ぺん言いますと、共産党を罰するというのならば、これは御賛成という意味でありますか。
  130. 石川達三

    ○石川公述人 お答えします。私は共産党について十分研究したものではありません。従つて共産党は罰せらるべきものであるかどうかというはつきりした判定はつきません。しかし現実にいろいろな騒擾が起つておることは事実でありまして、少くとも新聞やラジオの報道によりますと、党関係の騒擾が非常に多いということも聞いております。先ほどどなたかの質問にもありましたように、現在の各種の騒擾について、治安立法は必要ないかという御質問がありました。治安立法はどうであるか私は知りませんが、治安の維持の必要はあります。治安を維持するためにある種の手段がとられなければならぬということは、これは党であると党でないとにかかわらず、だれの常識でもはつきりしておることだと思います。国民治安が維持されることを希望します。ただその治安を維持するために、騒擾をやつたその本人あるいはそのグループでないところの一般の人民が大きな被害を受けることは、これは耐えられない。ですから一般の人民、そういう騒擾に関係のない人間に被害の及ばないような治安立法ならば、われわれは考えることができる、こういう意味であります。
  131. 田中堯平

    田中(堯)委員 重ねてお尋ねしますが、実はだれも好んで騒擾をやる者はおらぬし、暴動をやる者もおらぬわけであります。共産党といえどもそんなに好んでおりません。ところがこういうふうな情勢になつて来て、そうしてサンフランシスコ両条約を初め、あの不都合なる行政協定並びにこれに基く国内諸立法ということで、がんじがらめに国民が縛られて手も足も出ないということは、私が説明するまでもなくよく御承知だと思います。そこで共産党が宣伝なんどいたしませんでも、自然発生的にみな立上らざるを得なくなるわけです。そこであつちにもこつちにも騒擾が起きる。お伺いしたいというのは、そういうふうに民族が徹底的にいじめられますと、その民族自体が、自分が生きるためにはね返し――何とかしてじやまものをけ飛ばして民族の解放もやろうし、生活の安定も打立てようとする自然天然の生活力が起つて来ると思います。その結果が騒擾なつたり暴動になつたりすることを、どういうふうに評価なさいますか。これもやはり治安を乱すものとして、徹底的に取締るべしという御意向でありましようか、どうでしようか。
  132. 石川達三

    ○石川公述人 お答えします。さつきも申しましたように、提案理由の中の暴力主義的破壞活動というこの定義は、ある人は暴力主義であると認定するかもしれません。しかしまた他の主義思想を持つた人は、これは暴力でなくて建設である、そういう解釈をするかもしれない。さつき私は申しましたが、そのこと自体が今の一部分のお答えになると思います。それからさつきもやはり申しましたように、騒ぎが起ることは、それ自体がほかに大きな原因があるのであつて、この騒ぎそのものを権力をもつて押えることは最も拙劣な法律手段である、そういうふうに私は申しました。それでお答えになつていると思います。
  133. 田中堯平

    田中(堯)委員 菊川さんにお急ぎだそうですから簡單にひとつお尋ねします。やはり今石川さんにお尋ねしたと同じ趣旨になりますが、あなたの御説明の中に暴力主義的非合法活動ということを三回か言われたと思います。そこでお尋ねしたいのは、一体労働運動におきまして、全部が今日の法に照して合法活動としてやり得るものかどうか。時の政府なり支配階級はありとあらゆる力をもつて襲いかかつて来る。これに対して労働組合もまた労働者の権利を守り生活を守るためには、どうしてもそこに非合法あるいは暴力主義というような、そういう法規にひつかかりそうなことになりかねますまいか、どうですか。またそうではなしに、正当なる組合の労働運動という範囲内で、十分に将来の労働運動がまかなえ、また民族の独立や解放という大事業が遂げられるとお考えでありましようか。その辺の御見解をお話願いたい。
  134. 菊川忠雄

    ○菊川公述人 重要な点であると思いますから、率直にお答えいたしたいと思います。私どもは第一に非合法という場合において、今日その立場によつて、同じ言葉であるが違つた内容をもつてつておるということを、まず考えなければならぬのであります。たとえば共産党が常に言つておる非合法主義とは何だ。今日日本がアメリカの実質上の占領下にあることにはかわりはない。従つてこのアメリカの武力を背景とした力を対象として、共産党の運動の主体的な力を考えるときに、力が足りないから、その足りない部分を犠牲を少くするために非合法活動をやる、こういうように共産党御自身の方針は決定をされておるようであります。そういたしますと、要するに共産党は自分の力が百パーセントになれば、みずからのやることは全部合法であるのだ、従つて相手のやることはすべて抹殺をしても、それは合法主義であるのであります。これはわれわれから言えば、根本的に民主主義立場から言う合法、非合法の言葉とは内容を異にいたすのであります。でありますからただいまお尋ねの内容につきましても、どういうふうな意味の非合法主義であるかは存じませんが、私どもが私どもなりの立場から申しますならば、われわれは民主主義社会の日本において、いかなる問題の場合においても、その原因あるいはやり方、これにつきましてはそれぞれの立場の相違によつて対立もあり批判もあることが、民主主義の本質から言つて当然であります。しかしながらそれがあるがゆえに、それを解決する手段として暴力に訴えるということは、民主主義下においては絶対にやつてはならないことでありまして、暴力を手段として行うところの政治的な活動を、われわれは非合法として排撃をしなければならぬと考えておるわけであります。でありますからして私どもは今回のメーデー事件におきましても、メーデーに皇居前広場を開放させるように主張し要求することは自由であります。それが今間に合わないからといつて、みずからの力をもつてそれを占拠し、あえて乱闘を起すというそのやり方は、共産党のやり方から見て一体それが正しいとされるのかどうか。もしこれを共産党のやり方からして正しいとするならば、もし他のフアシヨ団体がこれをやつた場合に、これもまた正しいとされるのかどうか。そこに進歩的なものだから正しいというならば、何が進歩的であるかということは、それぞれの立場の判断によつて違う問題ですが、この判断の一方を抹殺するということは、民主主義でやれるのかどうか。この点が問題だと思うのであります。従つて私は個々の正常なる労働運動が、そのときどきの取締り法規のわく内で行動制限され、そして改良されない場合においては、やむを得ず非合法であり、その結果は当然みずからが法規を犯した責任を、当人が背負つて立つという自覚と責任のもとにやるところの行動は、遺憾ながらあり得ないことではございません。しかしこれはみずからがこのことの責任を負つてやるところの行動であります。一方はみずからが力が足りないから、やつて逃げればその方がいいというやり方であります。ここに私どもは根本的な見解の相違があると考えておるのであります。
  135. 田中堯平

    田中(堯)委員 もう一問だけお伺いいたします。今の点であなたの説明を聞いておりますと、政府なり支配階級なりがやつておることはみな合法である、すなわち既成の制度に基いてやつて行く、これに対抗して暴力をもつてしてはいかぬ、こういう説明に聞えますが、これはあなたのゆたかな経験によりましてわかるように、常に政府側の方、官憲はたいてい法規を犯して彼等の方が暴力をもつてつて来るわけであります。さつきも引倒されました年末の三越の店員のストライキをごらんなさい。ピケツト・ラインを張るなんてこれはあたりまえのことでしよう。それに対して営業妨害というようなりくつにもならぬようなことを言つて、鉄かぶとが侵入して来てけが人を出すようなことは、これは明らかに官憲の方が非合法活動をやつておるわけだ。それに対してそれは困る、おれらの正当な権利を侵害するじやないかと立ち向えば、あなたは非合法暴力主義定義づけられるでありましようが、私がお伺いしたいのは、そういうふうに一歩讓り讓りして行きますれば、結局労働組合運動というものは、あるいは戰争中の産報運動というようなことになりまして、遂に壊滅することになると思いますが、どうでございますか。
  136. 菊川忠雄

    ○菊川公述人 御議論になる点は、恐縮でございますから遠慮したいと思いますが、たとえば今御質問の中に二つのものを混同されておると思いますので、私もそのことをわけてお答えするのがいいかと思います。一つは、個々の労働組合そのものが正常な労働組合運動として立つておる場合に、その個個の行為あるいは個々の問題について起り得る場合の、刑事上その他の法規の問題との関係であります。こういう問題のときにはさつき申しましたように、従来われわれはあえてやむを得ずそういう法規を侵した行為をとることはございます。けれどもこの場合には、この法規は現在に合うということを十分われわれは認め尊重してかかつておりますけれども、しかもその被害が当面あまりにも甚大であるがゆえに、あえてやらざるを得ないのでありまして、従つてその責任をだれがとるかということを初めから明らかにいたしております。そしてそれぞれ法の裁きを受けて、われわれはその処断に従うという方法でもつて、当面救済措置を講ずる以外にないのであります。このことは決して戰時的な目的のもとにやるところの、非合法主義活動と混同されてはならないのであります。でありますから今日われわれは民主主義社会に立つております以上は、かような政治的ないろいろな問題に対して、われわれ国民大衆が持つておるところの不満、かような問題は憲法に明示しておるごとく、正当なる方法をもつて選ばれたところの代表を通じて、それぞれの国会あるいは議会を通じて表明さるべきものであると考えるのであります。でありますからこの原則に立つてわれわれは、当面救済策としてとるところのやむを得ざる非合法の行為であるのか、あるいはそうではなくて政治的な意図のもとにやるところの非合法主義であるのか、これが問題であるのであります。この点についての混同があるように思われますので、はなはだ明確な答えにならないのでありますが、私の考えを申し上げておきたいと思います。
  137. 風早八十二

    ○風早委員 菊川忠雄さんにお尋ねいたしますが、総評も産別も、ともにこの法案につきましては一切の修正そのものに反対しております。先ほどから菊川さんの御議論を聞いておりますと、共産党だけうまいぐあいに取締られれば必ずしも本法案に反対ではない、共産党だけは別だというような印象を受けるのでありますが、この法案の修正問題に関連しまして、この点を具体的に明確にしていただきたい。
  138. 菊川忠雄

    ○菊川公述人 簡單にお答えいたします。私の意見は終始反対で一貫いたしておるのであります。十分に速記録をお調べ願いたいと思います。なお修正ということは一言も私は申しておりませんし、考えておりません。ことにあの法案のわれわれが見るところ結果につきまして、五つの項目をあげて意見を開陳いたしておるのでありますが、これはいずれも法務総裁その他の当局が言われますように、この法案のいわゆるバツク・ボーンであり骨組みであります。でありますからこれを修正するということは、この法案を骨抜きにすることであり、これはできない相談であることは明瞭であります。でありますからわれわれはこういう意味におきまして反対するのであります。なお同時に私は共産主義運動に対抗する措置といたしましても、かえつて弊害があるという立場において明確に反対をいたしておるのであります。決して共産党のおやりになることを是認して、これを援助するという意味において、修正あるいは反対を言うのではございません。
  139. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 本公聴会議事はこれをもつて終了いたしました。委員長として一言ごあいさつ申し上げます。各公述人は長時間にわたり、かつ熱心に意見の御開陳を賜わり、本委員会における本法案に対する審議上、重大なる裡益を受けたことを厚く御礼申し上げます。次会は来る五月六日午前十時より委員会を開き、同十一時より法務委員会労働委員会の連合審査会を開会いたします。本日はこれをもつて散会いたします。午後四時五十九分散会。