運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1952-04-30 第13回国会 衆議院 法務委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年四月三十日(水曜日)     午前十時三十四分開議  出席委員    委員長 佐瀬 昌三君    理事 鍛冶 良作君 理事 田嶋 好文君    理事 山口 好一君       安部 俊吾君    角田 幸吉君       北川 定務君    高橋 英吉君       花村 四郎君    古島 義英君       松木  弘君    眞鍋  勝君       大西 正男君    鈴木 義男君       風早八十二君    田中 堯平君       梨木作次郎君    猪俣 浩三君       世耕 弘一君    佐竹 晴記君  出席政府委員         法務政務次官  龍野喜一郎君         検     事         (法務特別審         査局長)    吉河 光貞君         検     事         (法務特別審         査局次長)   關   之君  出席公述人         弁  護  士 松下 正壽君         評  論  家 阿部眞之助君         作     家 船山  馨君         東京大学教授  團藤 重光君         弁  護  士 清瀬 一郎君         婦人民主倶楽部         委員長     櫛田 フキ君         朝日新聞東京本         社論説副主幹  西島 芳二君         日本農民組合事         務局長     大森眞一郎君         東京芝浦電気株         式会社労働部長 河原亮三郎君  委員外出席者         専  門  員 村  教三君         専  門  員 小木 貞一君     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた事件  破壞活動防止法案公安調査庁設置法案及び公  安審査委員会設置法案について     —————————————
  2. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 これより法務委員会公聴会を開会いたします。  破壞活動防止法案公安調査庁設置法案及び公安審査委員会設置法案、以上三案について公述人各位より御意見を承りたいと存じます。  開会にあたりまして、御出席公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。これら三法案は、去る四月十七日本院に提出、同日本委員会に付託され、爾来本委員会において愼重審議を重ねているのであります。これら三法案は、平和條約の効力の発生後の事態にかんがみ、暴力主義的破壞活動による危險を防止し、もつて公共の安全の確保に寄與する目的をもつて提出され、団体活動として、暴力主義的破壞活動行つた団体に対する必要な規制措置を定めるとともに、かかる破壞活動に関する刑罰規定を補整せんとするものでありますが、暴力主義的破壞活動の意義、またこれら三法案に現われた諸規定と、思想、信教、集会、結社、表現及び学問の自由、並びに勤労者団結権及び団体交渉権等、その他日本国憲法の保障する国民の自由と権利との調整等につきまして、各方面より種々見解が表明されつつあるのでありまして、わが国の今後の治安制度上から見まして、きわめて重要なる法案であることは言うまでもないのであります。本委員会といたしましては、党派を超越してあらゆる角度から愼重審議を盡し、国民の負託に沿いたいと考える次第であります。よつてこの際広く各界人士の御意見を承り、もつて委員会審査に資するため、ここに公聴会を開会し、各位に御出席願つた次第であります。各位各界における専門的権威者でありますから、それぞれの立場より、全国民のために簡明率直に、その専門的御意見を述べていただきたいのであります。  次に議事の進行について、念のため申し上げておきます。公述人各位の御発言発言台でお願いいたし、御意見陳述の前に、まず御身分または職業とお名前を御紹介願い、御意見の御陳述はおおむね十五分以内におまとめを願いたいのであります。公述人の御発言順序は、支障のない限り名簿の順序によることといたします。なお衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は委員長の許可を得ることになつており、発言内容意見を聞こうとする案件の範囲を越えてはならないことになつております。また各委員公述人質疑をすることができますが、公述人委員に対しては質疑をすることができませんから、この点もあわせてお含みおき願いたいのであります。公述人の御意見に対する委員質疑は、公述人全部の発言終つた後に、通告によりましてお許しをいたします。その時間は各委員が五分間以内にまとめて願いたいのであります。  それではこれより順次公述人各位の御意見の開陳をお願いすることにいたします。松下正壽君。松下正壽君からは、もつぱらアメリカにおいて破壞活動防止法的立法があるかどうか、あればその内容はどうか、これとわが国の破壞活動防止法案とはどの点が違うか、さらに憲法上の人権の保障と破壞活動防止的立法の運用を、アメリカにおいてはいかように調節しているか、これらの点を主として、アメリカの実情についてお述べを願いたいのであります。ではこれよりお始めを願います。
  3. 松下正壽

    松下公述人 私はただいま御紹介にあずかりました松下でございます。私の職業は弁護士でございます。  私をこの委員会にお招きくださいましたのは、破壞活動防止法案等の御審議に当りまして、主としてアメリカ憲法ないし英米法立場から、この法案をいかに見ておるかということについて御関心がおありになつたからであると存じます。従つて私が以下申し上げますことは、そのように限定された立場から私見を申し述べて御参考に供したいと存じます。  アメリカ憲法ないしアメリカにおける破壞活動防止法案に類する法律についてお話申し上げる前に、本法案においていかなる点が問題になるかという、三つの点をあげたいと思います。第一は、この破壞活動防止法案第三條において、暴力主義的破壞活動と定義するに当り、一定行為に対する扇動を罪としておりますが、それは日本国憲法第二十一條違反するかいなかという点。第二は、第四條において、公安審査委員会に対し、団体活動制限禁止ないしその解散を命ずる権限を與えておりますが、それは憲法第十一條、第十三條または第二十一條違反しないかという点。第三は、第十條ないし第二十五條規定する規制手続憲法第十三條その他に違反しないか、この三点について申し上げたいと存じます。  第一の点について初めに申し上げます、御承知のようにアメリカにおきましては、憲法修正一條に、米国連邦議会に対し、言論出版結社の自由について、これを制限する法律を制定してはならないという、無條件命令が出ております。これは旧帝国憲法におけるごとく、法律によらずしてというような條件がついておりませんので、絶対的禁止のように読まれるのであります。しかし判例によりましても、またいかなる学説によりましても、絶対無制限な言論憲法によつて保障されていないことにつきましては、完全な一致がございます。それで右修正一條修正五條にあります適法手続法律の正当な手続によらずして生命、自由、財産を奪つてはならないというこの條項に、いわば併合されておりまして、これをあわせ読んで、すなわち適法手続によらずして、言論出版結社の自由を奪つてはならないという意味に解釈されておるのであります。その点については憲法学者意見は完全に一致しております。別の言葉で言いますと、言論出版結社の自由については、それは原則であつて例外を許すということになつております。  しからばいかなる例外が許されるかという問題になります。その例外三つにわけて考えることができると思いますが、第一は、いわば絶対的例外、すなわち例外のあることが確定している。第二は、多少議論余地はあるが、なお実定憲法として認められている。第三は、いまだ疑わしい例外、こう三つにわけることができると存じます。  第一、全然議論余地のない例外とは、米国憲法が制定される前にすでに英米普通法、コンモンローにおいて当然犯罪とされていた言論出版活動は、修正憲法一條ないし第五條にもかかわらず当然例外とされているのであります。その例といたしまして、神を汚す罪、これはキリスト救国でありますから、特別な意味を持つております。それから褻猥の罪、裁判所を侮辱する罪、他人の名誉ないし信用を毀損する罪、それから犯罪扇動する罪等がその例でございます。犯罪扇動する行為というものが、言論自由に対する当然の例外とされておる点は、注目に値すると思います。それらは絶対的例外でありまして、議論余地のないところであります。  例外の第二は、明白にして現存的危險の存する場合には、言論活動を制限することができる。これは御承知のように一九一九年シエンク合衆国事件という有名な判決におきまして、ホルムス判事戰争中防諜法違反して徴兵忌避扇動したシエンク等に対して有罪判決を下した、その理由として、右扇動的言辞が明白にして現存的危險の存する状態においてなされたということを指摘したことに起源を有し、その後引続き米国憲法に重大な影響を及ぼしております。しかしその意味するところは必ずしも一見想像するほど簡單ではございません。明白ということはともかく、現存的危險というのは一体何を意味するか、敵がまさに襲来しようとしているときは、これはむろん絶対的緊急状態でありますが、その場合のみを現存的危險というのか、または危險公算が相当に多いという場合をもさすのか、あるいはかかる状態を認定するのは一体大統領であるか、連邦議会である、裁判所であるか、または陪審員であるかという問題が、今まできまつておらなかつたのでありまして、その後しばしばこれを指示し、または多少これを修正するような判決がございましたが、結局昨年共産党幹部十一名のスミス法違反事件における最高裁判所判決によりまして、大体この点が明らかになつたのであります。それはどういうふうな意味であるかと申しますと、御承知のようにスミス法は、暴力をもつて合衆国政府を転覆しようと企てることに対する扇動その他を一般的に禁止する法律でありますが、このスミス法違反理由として、十一名の共産党幹部が検挙され、下級裁判所において有罪判決を受けましたときに、彼ら被告はスミス法修正一條違反するから無効であると主張したのであります。その根拠としては、やはり前に申し上げました明白にして現存的危險状態のもとになされたものではないということを言おうとしたのであります。それについて最高裁判所立場は大体次のようなものであつたのであります。すなわち言論自由の原則は、民主主義のもときわめて重大なことはもちろんであるが、それが必ずしも絶対的のものではない。それで、一方において重要な言論自由というものを抑圧するという弊害を考え、他方には一定言論活動によつて招来されるところの危險公算危險プロバビリテイー、それからその危險重大性等を考慮して、特にこういう言葉を使つております。その危險重大性からプロバビリテイーの少さを差引いたものを一方に置き、その両方を計量した結果多い方をとるべきである。そこでこのスミス法違反事件におきましては、それを差引いた結果、言論活動を抑制する弊害の方が少い、そういう意味において有罪を確認する判決を下したのであります。大体現状におきましては、米国憲法立場においては以上のように、明瞭にして現在的危險説というのは、その言葉の明らかに持つておる意味より、もう少し拡張されまして、今言つたように、両方危險を計量した結果、その少い方の弊害をとるというふうに、現在においては解釈されておるのであります。その立場から考えますと、現在問題になつております破壞活動防止法案が、合憲的であるかどうかということは、破壞活動公算が大きい、その危險がささいのものでなく、きわめて重大であるということが立証されますならば、アメリカ憲法立場から見ても、これは合憲的であるという結論に達し得るだろうと思うのであります。  第三の、やや問題となつておる疑わしい例外といたしましては、一九二四年にジトロー判決というものがございましたが、この判決におきましては、一定言論を社会的に危險であると認定する権能は、もつぱら立法府にある。従つて立法府一定言論危險であるときめた以上は、最高裁判所はそれを危險でないという新たなる認定を下す権能がない、こういう判決を下したのであります。この判決がもし正しいとするならば、立法府のきめたことはすべて正しいという結論になるので、それではあまりに危險であるという議論が一方において起きておるのであります。この点は今なお論議中であります。  第二に移りますが、行政処分をなすこの公安審査委員会において、団体活動制限禁止ないし解散をする等、相当思い切つた行政処分をなすということが、アメリカ憲法立場から見て許され得るかどうかという問題になるのであります。むろん法律の許す限りにおいて、アメリカにおきましても、いずれの国におきましても、行政権をもつて行政処分をなし得ることは当然であります。ただ国民の自由に重大な影響を及ぼす問題について、行政権がいかなる程度まで行政処分をなし得るかということに問題があるのであります。一八五五年以前におきましては、私の調べましたところにおいては、行政権が、いわば司法的な機能帶びた処分をなしたという例を存じません。一八五五年以来、逐次あるいは入国禁止に関し、あるいは帰化の禁止に関し、あるいは極端な場合には演説を禁止するということにまで、あうゆる方面について行政処分というものが認められ、準司法的な機能帶びた行政処分権が認められて来ておるのであります。そこでいかなる行政処分をすることが許されておるかという問題につきましては、判例は今のところ十分に確立しておりません。むしろ消極的な判例が多いのであります。消極的と申す意味は、法律ないし市の條例によりまして、行政処分をあまりに極端になした場合に、その違憲判決が宣せられておる例が非常に多いのであります。それらをいろいろ総合して研究してみますと、その結論として出て参りますものは、その行政処分をなす理由が、あまりに薄弱であるということが一つ。それからもう一つは、十分に納得せしめ得るような標準がないということが、行政処分違憲があると宣言する理由となつております。従つてこれを別の角度から見ますと、危險が十分にあつて、しかもその危險が重大なものであり、かつ行政処分をなす標準が明確である場合には、かかる行政処分は許されるというふうな結論が出て来ると思われるのであります。  時間がありませんから、ただちに第三問に移ります。この点は、アメリカ憲法におきましては、適法手続と申しまして、いかなる行為をなす場合においても、立法権にせよ、行政権にせよ、一定行為をなす場合には、必ず適法手続を通さなくてはならないという、憲法上の命令がございます。そこでこの問題に関し、いかなる点が問題になるかと申しますと、大体三つあると思うのであります。つまり三つ標準が、この場合に適法手続内容となるのであります。その第一は、以上のような行政処分をなす場合にあたつて調査ないし請求をする機関審理をなす機関とが、分離されておるかいなかということが第一。第二には、審理が公正であるかいなか。第三には司法審査という道が開かれておるかいなか。この三つ條件を満たす場合に、手続が適法であるというふうに見なされるのが原則であります。そこでこの第一の、調査ないし請求する権限審理をなす権限というものとが分離されておるならば、第一の條件を満たすわけであります。第二に審理の公正という意味は、これは判例学説必ずしも一致しておりませんが、大体において、最小限度において弁明をなす機会が與えられておるということが、絶対的な要請であります。従つて法案におきまして、当該団体弁明をなす機会が與えられておるかどうか、もし弁明をなす機会が與えられておるということが、この法案自体に明かであり、また政府がそのことを十分に立証し得るときは、本法案アメリカ憲法立場から見て、合憲的であると見ることができると思います。第三の司法審査の点につきましては、これは法案それ自体に明らかに書いてありますから、間違いのない点であると存じます。  以上大体簡單に私の考えておるところを申し上げたのであります。なおいろいろ申し上げたい点があるのでありますが、時間がございませんから、これで切り上げまして、もし時間が許すならば、皆様の御質問に応じて、私の知つている限り御説明申し上げたいと存じます。
  4. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 それでは次に阿部眞之助君。阿部眞之助君に、この法案に対する言論界の意向を反映していただきたいと思います。また社会評論家として、本法案中特に問題とすべき点について、御指摘を願いたいと思います。
  5. 阿部眞之助

    阿部公述人 私が阿部眞之助であります。私はせつかくここへお呼び出しを受けたのでありますが、どうも頭が單純で、問題をあまり頭脳で考えることは、はなはだ不得手であります。どつちかと申しますと、雨がえるのように、皮膚の方で問題や重点を感ずるということになれておるのであります。きよう申し上げることも、論理的には非常に怪しい点がたくさんあるかと思います。しかし私のように問題を皮膚で考える、感じるという人は——私ばかりでなく八千万のうちの大多数の人はそうだろうと思うのでありますが、そうですから、私は大多数の人を代表するというわけじやないが、大多数の人と同じレベルにおいて物の感じ方をする。その点がもしも何らか皆様の御参考になれば、たいへん私はここへ出たかいがある、かように存じておるわけであります。  実はきようこちらへ来るにつきまして、あらかじめお配りいただいた書類を拜見したのですが、今申した通り、私頭で物を見る方でないのですから、ほんとうを言うとわからない。なるほど国会へ提出されたとき、提案の理由の説明が、速記や何か解説というようなものがついております。私ちよつと目を通したのですが、あれは皆さんのような専門家のための解説意見で、私たちのような大多数の人にはちよつとわかりかねる。たとえば刑法の第何條、刑法の第何條のこれこれ該当したものが云々となつておる。しこうして私の手元には六法全書も何もないので、刑法第何條が何に当るかというようなことはわからない。皆さんにはおわかりなんでしよう。そこでこれは少し問題がわきへそれるかもしれませんが、しかし私はこれはたいへん大切な点だろうと思うのです。こういう言論や、思想に対する改革の問題が立法される場合には、あらかじめ民衆に、その必要性というものを何らかの手段において徹底させる、あるいはその前にいろいろ議論があつて、その議論が熟したときに、そういう立法をなされるということが、これは本筋じやないかと思うのです。非常に急を要する場合に立法される場合があります。そういう場合には少くとも立法国民一般に周知させるということについて、政府もしくはその局に当る人は十分努力されなければならぬはずなんですが、そういう努力は従来かつてなされたことがなかつた。ことに従来の官僚のやり方というものは、いつでも立法がなされる場合にはできるだけものを内緒にしておつて法案がすべてでき上るまでは絶対に秘密にする。私も長年新聞記者をしておりましたが、新聞記者専門秘密をかぎ出すために一生懸命骨を折つても、これを知らせまいとする、こういうわけなんです。これはかつて官僚政治もしくは専制政治時代においてはそういう必要があつたかもしれませんが、しかし今民衆とともに政治をしようというこういう時代においては、民衆議論をあらかじめ聞くことなしに、民衆をあらかじめ納得させることなしに、卒然としてこういう重大問題を出されるということは、はなはだこれはわれわれが不幸であるばかりじやなしに、こういう法律ができた後において、この法律がうまく行われるかどうかということは——大体この法律において一番問題になつている点は、法が濫用されやしないか、悪用されやしないかということなんですが、これは政府が悪用するばかりでなしに、こういう立法の仕方をしているから、政府ばかりではなく、法を悪用し濫用するものは、一般民衆といえどもやつている。自由を與えれば自由を濫用し、人権を認めれば人権を濫用するということはしばしばある。かつてはわれわれは政府に対してばかり警戒した。近ごろは一般民衆に対しても警戒せざるを得なくなつた。こういう事態がどこから来るかというと、こういう重大な問題が起きた場合に、民衆とは何ら相談なしに、官僚だけでもつてこそこそ相談して、何か悪いことをするようにして立法するという点にあるのだろうと思う。これは私は政府ばかりに言つておるわけではない。国会も近ごろは発案権を持つて発案されるそうですが、それらの点においてもそういう点を大いに注意されるべきだと思う。  余事ですが、新聞によりますと犬のばくち法案が出る。新聞を見て驚いた。一体犬のばくちというものが必要なんでしようかね、これは必要かもしれない。しかし必要としても、あれだけいろいろなばくちの法案がある。競輪とか競馬とか、何とかかんとか、それでもまだばくちが足りない。そういうことはわれわれはわからない。もつとばくちがほしいという、そういうりくつが私はわからない。そのことはあるでしようがわからぬ。だからわからしてもらいたい。これは一つの例なんですが、万事がこれなんです。そうですからそういう法律が出るというと、いつでもその裏をくぐつたり、その法律がうまく行われないということが起るのじやないかと思うのです。  今度の法律のときも私はその感覚から言えば、今の世の中を見ていると、何らか破壞的の行動があつちこつちに起つておる。これは單なる偶発的に個個に起つて来る問題じやなしに、その陰に一貫した、もしくは組織的な何らかがあるように感じるのです。しかしこれも今の法律でもつて十分取締り得るという確信があるならば、こういう思想言論というものを何ほどか制約するおそれのあるこういう法律はない方がよい、ない方がよいが、これでは間に合わない、どうにもならぬ、そういう事態が明らかであるならば——そういう事態があるように私は思う。それならば多少の制約というものは余儀ないことだと思う。こういう法律ができたならば、なかなか言論思想というものはきゆうくつになるだろうと思うのです。しかし必要の前には——先ほど松下さんもおつしやつた通りに、これははかりの問題であるので、こういうような制約をすることの利益と、それから放つておくことの弊害とをはかりにかけて、どつちが損得が大きいかということの問題で結着がつくだろうと思います。  私はこの法案内容についてどれがよいとか悪いとかいうこと、この法律條項がどうこうということは何も申し上げることはできない。これは皆様がひとつ専門的にそういう点について御審議を願いたいと思う。この問題は私の見るところでは、先ほど委員長からおつしやつた通り、これは一党一派の問題ではない。日本の国の問題である。万一非常にわれわれの言論思想に不利益のような條項がある場合には、発案者へんな面子にこだわらずに、すなおに修正に応じ、同時にへん反対声明をするとか何とかいうような、そういう党派心はさしはさまずに、みなで寄り合つて、今日本が当面しておる危險なる状態を何とかしてうまく切抜けて行くという、ほんとう民衆が寄つて相談するというような態度で、この法案が出されることが望ましい。しかし何といつて言論思想というものは少しでも制約されることは望ましくない。これは本来的にそうなるんですね。だが必要の場合にはしかたがない。新聞で拜見しますと、今国会では選挙法を改正されるのでせつかく審議中、もしくは成案を得たそうですが、それができますと、どうもこれはえらい言論制約ですね。あの通りなつたらぼくはたいへんだろうと思う。たしか四十回以上演説しちやいけないとか何とか……。一番大切なのは言論の武器じやないですかね。文書による、もしくは言論によるその武器すらも、国会の諸君は、自分の、というよりも、必要からみずから制約せざるを得ないという立場にもある。そうですから、この国が非常な危險にさらされているという状態のもとにおいては、ある点までは私はしかたがないと思う。しかしある点までです。これを超越したらこれはたいへんなんです。  場合によるとこんなことを言う人がある。この破壞活動防止法を治安維持法と同じように見て、あれと同じなんだ、ああなるのだ、フアシズムにもどるのだ、そのために政府はやつているのだ、というふうな議論を聞きます。私はこいつは少し問題を変に感情的に持つてつて、冷静なる問題の審議に役に立たぬじやまものだろうと思う。私はちようどあの治安維持法が制定された当時新聞記者をしておりまして、これに反対して毎日々々この国会にやつて来て、反対の運動もし、陳情もし、政府に対して撤回を迫つた。そのことでずいぶんわれわれは損をしておる。われわれはにらまれちやつておる。しかしながら、このときははつきりしているのです。軍人どもがわれわれの言論を奪い去つて、フアシズム的の、そういうふうな政治をやろうというその目的のもとに、あの治安維持法というものができた。それにあのときの状態は、国会というものがまことにだらしがない、もうみんな軍人の威嚇におびえてしまつて、尾を巻いてしまつている。そういう状態のもとにあの治安維持法が通つたのですから、あの当時の政府の説明を見ましても、決して言論彈圧を目的とするものではないと言つておるのですが、事実は、真の目的はそこにあつたから、われわれの言論の自由なんというものはなくなつてしまつた。だから、治安維持法が通つたから政府が濫用した、という議論をよくする、しかし濫用せしめたものはだれかといえば、私は国会だろう、国会のだらしなさだろうと思う。国会にしてほんとうにしつかりしていたならば、言論の彈圧というものはなし得るものじやない。ことに今となつてみると、民主主義時代になると、国会というものが国の中心となつていなければならぬ。国会がしつかりしなければならない。国会さえしつかりしておれば、政治なんというものが、言論の彈圧とか、フアシズムにもどるというようなことはあり得ないことです。おとといですか、きのうか、私が神田あたりを通つてみると、学生たちが何かプラカードを立てて、吉田内閣打倒——これはむろんこの法案に反対するために吉田内閣打倒なんというプラカードを立てていますが、吉田内閣とこの法案と何の関係がありましようか。吉田という人は——私はあまりほめてばかりいない、ずいぶん悪口ばかり言つておるのですが、この人はフアシズムになろうなんて、そんな人じやない、またそんな強い人じやない。逆説的に言えば、そのくらいの強さを持つていてもらいたいくらいなものだ。この人がフアツシヨになるなんということは、これは常識では考えられないことじやないですか。これはばかげた話です。そうすると、将来これを濫用するものがあるとすると、それは吉田内閣じやない。おそらくこの内閣だつて半年か一年先には、運命はきまつておる。これを濫用するものといえば、社会党かもしくは改進党の諸君だ。その諸君が一番濫用を心配しておるようです。これの濫用を心配しておる諸君が、濫用するはずはないじやないですか。要するにこれを濫用するおそれがあるというのは、どこにあるかといえば、国会がしつかりしているか、しつかりしていないかの問題じやないか。但しこれを濫用しそうなのは共産党の諸君が濫用するかもしれない。だから一番反対されておる。もしも共産党の内部ができたら、この法案の濫用どころの騒ぎじやない、憲法どころの騒ぎではないです。われわれの自由も、われわれの人権もなくなつてしまう。すべてのものが彈圧されてしまうのだ。この諸君が今のところでは、自分の都合が悪いから反対しておるだけの話なんだ、そうでしよう。これも間違いないことだろうと思う。そうするとあまり問題を変に感情的に持つてつて、濫用されるとか、何とか、そういうことではなしに、実際これは上の方は濫用しないのだが、下つぱの役人どもが濫用することがある。これに対して十分濫用しない備えが必要ですから、そうでないように、十分な御審議を願いたいと思う。  昨日ちようど新聞協会の方から、いろいろ参考資料として、学会の皆さんがこの法案について御研究になつたもののパンフレツトを送つていただきました。これは私は皮膚で物を考える方ですからわからない、わからないが、なるほどどうもあれを見るとたいへんなんですね。あれだけ読んでおると、もうわれわれの言論の自由も、思想の自由も跡かたもなくなつてしまう。そういうふうに見える、これじやたいへんだろうと思う。だがあの人たちの考え方というものは、今日本が当面しておるこの危險性については、まるつきり考えていない。まあ空に條文だけをお考えになつておるように思う。何と言つたところが毎日の新聞を見ましても、ごらんの通り、火炎びんが飛んだり、爆彈が飛んだり、警察が襲われたり、税務署が襲われたり、ちつとやそつとのことではない。しかもこれはいつやら国会でも質問があつたようですが、これは共産党に限る法案ではないかというような御質問があつたようです。そうすると政府の方では、そうではあるまい、暴力行為をやるものは全部そうだ、こう言うのだ。だが主たる目的はやはり共産党活動でなくてはならぬのだと思う。なぜかならば、今フアシズムとか、逆もどりとか、逆コースとか言つておりますが、このフアシズムは本国を持つていない風来坊なんです。だがこのコミユエズムの運動というものは、そんな根なし草ではなしに、今世界をあげて二つにわかれて、どつちが勝つかというほどの強いものを持つておる運動なんです。またある議員諸君は臨時立法にしたらいいじやないかというような御意見があつたようですが、これは臨時的の、この一つを片づけてしまえばあとは用がないというふうなものじやないのです。この共産党の破壞活動というものは……。だからこれは世界の運命がどうなるかきまるまでは、私はそんなにすぐ御用なしになるというふうなものではない、やはり多少恒久的な立法でなくちやならぬものだと思う。こういうふうなことで、変に破壞活動ということを一般的に認めぬということは、公平らしく見えるが、その目的の主要なる点は、私はフアシズムなんというものは、あんなものは——、今ぼつぼつ出て、来ておるようですが、ああいう人たちはただあれだけのものなんです。たあいもないものだ、根なしのものなんだ。風来坊みたいなものだ。あんなものはわれわれの国会さえしつかりして、この国会が自由のほんとうの城となり、守りとなり、とりでとなつていたら、ちつとも恐れるに足らぬものだろうと思う。いわば今現にある盛り場の暴力用に毛が生えたようなものです。少ししつかりした力をもつて押えつけてしまえば、ああいうものはわれわれはそう大して恐れる理由はないのだろうと思う。しかしばかにしては困る。大分日本ではそういうことを望んでいる人があるのだから。これらに対してはわれわれは備える必要あるが、それと同じはかりにかけてやるということは皆さんどうでしよう。というのは、結局は弱い者のそういう取締りということになると、強い者が残つてしまう、強い破壞活動というものが残されてしまう。そういう結果になるおそれも十分私はあるのじやないかと思う。  要するに、私結論的に申し上げますれば、今日本の当面する現実を見ると、非常に組織的な危險なる破壞活動が行われておる。これに対しては何らかの方法をとらなければならぬ。だが、この法案によつて防止し得る効果があつたとしても、その反対にわれわれが言論思想において大きな制約を受けるというと、それは差引き勘定してどつちが得か損かという点についての十分なる御考慮は願いたいと思うのです。これさえできて、しかも国会がしつかりしているならば、多少われわれが言論において制約を受けるということは、これは当面しばらくは忍ばざるを得ないことだろうと、かように存じておるわけであります。たいへんどうもまとまりのないことを申し上げましたが……。
  6. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 これにて両公述人意見陳述は一応終了いたしました。  なお吾妻光俊君及び船山馨君はさしつかえておりますから、吾妻君は五月二日に、船山君は到着次第にその意見を聴取することにいたします。  ではこれより一公述人意見に対して御質疑を順次許可することにいたします。田嶋好文君。
  7. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員 まず松下公述人に対しまして一、二お伺いをいたしたいのでありますが、先ほどの御説明によりまして、アメリカの国内安全保障法におきましても、一定言論、集会、結社、宗教に対して限度を認めている、これが合憲性であるというお説であつたように思います。してみますと、現在の日本憲法から推しまして、今日つくられますところの破壞活動防止法案というものは、現実な危險性を肯定された上におきまして合憲性を持つものであるか、日本憲法においての御意見を承りたいと思います。  次にもう一点、破壞活動防止法案の草案は、アメリカの破壞活動制限に対する立法と比較いたしまして、日本立法の方が民主的な意味におきましてすぐれていると考えるか、アメリカ立法以上に非常に制限が大きくできて、民主的なものを阻害する立場にあるか、この比較的な立場に立ちまして二点をお答え願いたい。
  8. 松下正壽

    松下公述人 今御質問の二点について簡單にお答えいたします。  第一の点については、私は肯定できるのであります。現在の日本憲法において合憲的であると言えると思います。  第二点については、非常に答弁が困難でございます。と申しますのは、日本アメリカとでは国情が違うし、またものの考え方も違いますから、現在審議されておる日本における三法案と、アメリカにおいてすでに行われておる法律とは、いずれもその国の国情に合つた法律であるのじやないかと思われます。いずれがより民主的であるかということは簡單に申し上げられません。ただ次のような点だけは確実だと思います。  現在アメリカにおいて行われております治安法のおもなものは、一昨年通過いたしました国内安全保障法と申すものであります。なおそれ以前からいわゆるスミス法と称するものがございます。その他いろいろな法律がありますが、そのうち一番総合的な一番完備されたものが、一昨年の国内安全保障法であります。そこで国内安全保障法と現在審議されておるこの法案とを比較することは可能であると思います。国内安全保障法において一番ねらつたものは、これも立法までにはいろいろな議論があつたのでありますが、結局こういう方法をとつたのであります。それは破壞活動をなす団体をただちに禁止する、あるいは解散を命ずるということは不適当である。そこであらゆる破壞活動をなす可能性のある団体を一応政府が指摘しまして、これを二つにわける。第一はコミユスト・フロントと申しておりますが、共産主義前一戰あるいは共産主義戰線団体、それから第二が共産主義活動団体——アクシヨン・オルガニゼーシヨン、この二つにわけております。それで政府が、破壞活動審査委員会と申しておりますが、これに対して、ある団体がそのいずれかに属するとみなす場合には、かくのごとくみなしてくれという処分を申請するのであります。そこでこの審査委員会がごく愼重に審議した結果、ある団体が共産主義戰線団体である、もしくは共産主義活動団体である。前者はやや色が薄いのでありますが、後者は相当共産主義の色の濃い方であります。こういうように認定をするのであります。一定の基準に従つて認定をするのでありますが、かくのごとく認定を受けた場合においては、共産主義戰線団体ないし共産主義活動団体は登録をしなければならない。登録をしない場合には罰則がついております。登録をしまして、その構成員がたれであるか、その役員がたれであるか、会計状態はどうなつておるかということをすべて政府に報告しなければならない義務を負うのであります。そのねらつておるところは、かくすることによつていわば隠密に破壞活動をやることを大ぴらにみんなの前に見えるようにする。かくすることによつて壞活動をあらかじめ防止することができるだろう、こういう建前と思われるのであります。これについて解散を命ずるとかあるいは発行停止をするとかいうことをしないで、一応行動を許しながらその行動を監視することができるというのは、本法律の非常な長所であると思います。ただこれの非常に短所であると思われる点は、活動団体及びフロント——戰線団体であると認定することが非常に困難であるということ、それからもう一つは、実際上ほんとう秘密結社というものが中にもぐつてしまつて、それほど罪の多くないものが登録されてしまうという可能性があるじやないかということがよく指摘されておる。ところがその半面において、なおこれでは足りないという非難を相当受けております。というのは、かくのごとく大ぴらに出してもなお相当活発な活動ができますから、この程度の取締では十分でないというのであります。わが国の治安立法といずれが立憲的であるという御質問に対する直接の回答にならなくて、まことに申訳ございませんが、国情が違いますから、いずれを是としいずれを非とするかは困難じやないかと思います。
  9. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員 次に阿部眞之助先生にお尋ねをいたします。今日の先生の御意見を承つておりまして、私は非常に同感をいたした点がございます。それは私総合質問のときに法務総裁に対して詰問をいたした点でございますが、輿論を十分問うたかどうかということであります。この点は法務総裁からまことに遺憾な点があつた、しかし今後は十分問うつもりであるということで、あやまり証文をいただきまして終つたわけでございますが、その点私たちもまことに同感をいたしております。そこでそれに関連いたすのでございますが、この法案制定にあたりまして、共産党が反対して参りますのは、阿部先生の御説のように私ももつともだと思う。ところが共産党並びにこれに関連する団体並びに幹部ではなくして、これと一線を画すると言つておりますところの団体並びに労働組合諸君が、反対の——反対と申しましても、法案内容に反対ではなしに、根本的にこれを制定することに反対の気勢を上げておるのであります。この幹部諸君に会つて個人的な意見をたたいてみますと、幹部諸君はこの法律制定はやむを得ないだろう、内容修正ぐらいで、という意見が多いようでありますが、いざこれが団体活動になりますと、幹部を含めて撤回運動、制定反対運動が現在展開されている。こういう状況は、はたして労働組合並びに共産党と一線を画している健全な団体が、法案内容を理解して、ほんとうに知つて反対しているか、それとも一部の扇動的な言を信じて、今申しました治安維持法と同じだというような立場で、理論を無視して断定的にかかつて反対している、この理論に巻添えを食つて反対しているというようなきらいがあるのではないかいうような疑いもあるのでございますが、これらの団体並びに組合の——これらと申しますのは、共産党と一線を画している団体に対する言葉でありますが、これらの運動を世間をよく知つている先生の立場からいかように理解されておりましようか。
  10. 阿部眞之助

    阿部公述人 私まだそういうふうな意味で反対される人に直接会つてお話を聞いたことはないので、どういう意味で反対されるのか知りません。また労働組合の人たちが反対している意味合いも私よくは存じませんが、これも要するに先ほど私が申し上げた通り政府の非常な手落ちだろうと思う。一般の輿論に訴えるということをしなかつたということは、組合の人たちも、どんな組合運動だつて、輿論にそむいて、輿論の背景なしに組合運動なんてものが大きく伸びるものじやない。ところが今新聞を見ましても、雑誌を見ましても、およそこの法案について聞くところのものは、反対論みたいなものばかりだ。この法案を支持するというのはほとんど私は聞かない。しかしながら個人々々に当つてみると、ある意味立法は余儀ないだろうというようなことは、ただいまおつしやつた通りだと思いますが、しかしながらこの法案にいろいろ制限がある、それが自由の制限になる、思想の彈圧になるというふうに思い込まれる。それから組合運動の中にもあるでしよう、非常に急激な革命思想を持つておる人があつて、そういう人が強い発言をして、それが組合を率いているというようなこともあるでしようが、そういうことがあつたにしたところで、輿論さえこの法案を支持していて、この法案はしかたがないということを輿論が認めたら、これらの運動は大したことじやない。ところが隠していたから輿論が起きない、これに対しては輿論を起そうとしなかつた。これはいかなる場合でも、今までのような官僚の考え方というものを根本から改めないと、今後こういう立法やその他もつと重要な問題が起つて来るだろう、たとえば憲法改正というような問題に将来当面した場合に、何も輿論を問わずに、必要になつたから憲法を改正いたしますというような、そんな態度をとつたら、それは輿論は動かない、その動かない結果、どういうことが起るかということは、私は大いに危惧にたえない、かように思つております。
  11. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 ただいま船山馨君が出席されましたので、同君の御意見を聴取することにいたします。  船山君には日本文芸家協会の本法案に対する声明について御説明願い、なおあわせて作家の執筆生活の上から見た御経験に徴して、言論の自由、出版の自由というものの関係を述べていただきたいと思います。時間はなるべく十五分以内にまとめて供述をお願いいたします。
  12. 船山馨

    ○船山公述人 ただいま文芸協会の声明を説明しろというお話でございましたけれども、この二日に、会長の青野季吉氏が出られるはずでございまして、もし説明の必要がありましたらそれは青野会長からいたすことにいたしまして、私は大体自分の考えていることを二、三申し上げてみたいと思います。  私は法律解釈の専門家でもありませんししまして、個々の條文について意見を申し上げるというようなことは差控えます。それからまた、この法案及びこれに付随した公安調査官の権限が非常に広範囲であるということなどから考えまして、これが国民全般から見まして、憲法に保障された基本的人権を侵害する危險があるということについても考えられますけれども、このことについても私は別に申し上げないことにいたします。ただ私は小説を書いておりますので、作家としての立場から二、三のことを申し上げたいと思います。  大体私どもには言論、表現の自由ということは生命なのでありまして、これが脅かされるということになりますと、私どもには死命を制されることになるのでございます。で、たとえばこの法案について一つ考えられますことは、トルストイと十九世紀の作家の双璧であるところのドストイエフスキーに悪霊という名作があります。これは一八六四年代にモスクワに起つたネチヤーエフという大学生のリンチ事件をテーマにしておるのでありまして、このネチヤーエフ外五人が、そのときの帝政の社会変革をもくろみます。これは客観的には非常に幼稚なものなのでありますけれども、その五人組が秘密結社をつくりました。そうしたところが、その中の一人が思想的な変化があつたということで脱退を申し出た。それで密告のおそれがあるというので、公園にひつぱり出して、ほかの四人が謀殺したという事件が事実あつたのでありまして、それをテーマにしまして悪霊という名作を生んだのでありますけれども、もともとドストイエフスキーは究極において神を信じた人でありますから、唯物論的立場を基底に持つておる無神論に対しては非常に反対の立場であります。従つて、いわゆるこの法律でいいます破壞活動的な、こういうリンチ事件などに対して肯定はむろんしておりません。完全に否定的なのでありますけれども、しかしそういう若い学生暦の中に、そういう問題がしばしば起つて来るという、帝政当時の破壞的な、しいたげられた民衆の不幸とか、あるいはそういうものをつくつておる政治自体に対しては、ヒユーマニズムの立場から強い檜しみを持つておりましたし、それからそういう民衆に対して同情を持つておりました。そういう立場ですから、たとい否定的にもせよ、そういうものを書いた場合には、完全に頭から否定するというような形では決して出て来ないのであります。それはいかなる場合でも、作家というものは——、それはドストイエフスキーに限らず、私どもみな頭から割切つて物を考えて行くという立場にはありません。ですからそういう問題を書く場合にも、必ずしも見た目にそれを否定しておるのかどうか、はつきりしない場合もあり得ると思います。ところがこの法案を見ますと、もし今日この法案が成立しまして、悪霊のような作品が出たといたしますと、公安調査官が主観的にこれは破壞活動を使嗾するものであるというふうに認めた場合には、この作品を書いた作者は罰せられるというような形になつて来るような危險をわれわれは感ずるのであります。もしそうだとしますと、作家は四六時中表現の自由を抑制されているような恐怖と取組んでいるような状態が出て来ると思うのであります。もちろん私どもがおそれておりますのは、法律の拡張解釈による濫用でありまして、法律の拡張解釈で、このような極端な濫用というものが——たとえば以前の治安維持法の場合のようなものが今すぐ起るということは私は申しませんし、思いもいたしませんけれども、しかしいつか起るという可能性がいつもそこにあるということ、その可能性の中で仕事をして行かなければならぬということは、そういう不安を持つて仕事をするということは不可能なんでありますから、これは明らかに言論と表現の自由を阻害する、抑制するものだと思うのであります。  先ほどお話しました文芸家協会のこの前の第六回の総会で、この法案に対する反対の決議と声明をいたしましたけれども、われわれ文士というものは非常にずぼらなものでありまして、また一人々々意見が食い違つております。ですから決議をするというような場合には非常に意見が合いませんで、反対意見などもしばしば出るのでございますけれども、この場合に限つては満場一致で全部熱心に賛成いたしまして、それであの声明を出したわけであります。いかに私ども作家というものがこの法案に対して非常な不安と危惧を持つており、それゆえにこの法案に対して非常に強く反対しているのであるということが、これでもおわかりになることだと思うのであります。私はそのような意味でこの法案には強く反対するものでございます。
  13. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 以上三公述人に対する質疑を続行いたします。田嶋好文君。
  14. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員 松下先生阿部先生に対しての質問を一応終りまして船山馨先生に対して続いて質問をいたします。今いろいろ船山先生からお説がありまして、私どもそれはもつともだと肯定する一人でございますが、もし船山先生のような御心配がこの法案を検討した上でないといたしますれば、あなたの御心配された点がこの法案から生れない、こういたしますとご賛成でございましようか。それからもつと具体的に申し上げますと、この法案のその心配の点はどこだと御指摘されて御心配されているのか。ただ抽象的に、法律を知らないで、輿論的に批判された結果そう信じていらつしやるのか、どうなんですか。
  15. 船山馨

    ○船山公述人 先ほどもお断りしました通り、私は法律専門家ではございませんから、法律については常識的なものの考え方しかございません。またそれだけの知識しかございません。しかしどこかということでございますけれども、暴力主義的破壞活動という言葉はすべてあいまいなんでありまして、何が暴力主義的で何が暴力であるかということの解釈は、暴力主義というもの、たとえば議会の中の多数政治の中にも暴力主義というものはあるのでありまして、その暴力主義というものの解釈でどうにでもなることなんでありますのに、それのはつきりした規定がありません。それから第三條のロの項でございますが、これが私どもには一番不安なことでございます。それからさらに問題なのは第四章の公安調査官の調査権というところなんですが、その中の公安調査官というものの職能でございますね、これが非常に広範囲に私どもには感じられるのであります。これは全條文がそのように思われます。それでもこの公安調査官というものがこのような権能をもつて臨もうとしますれば、これは公安調査官の主観によつて私どもはどうにでもなるということなんであります。たとえば、作品の中である放火事件が出て来るとします。その放火をした人間が何らかの政治的な思想を持つている、ある政治的な思想に偏している、あるいはそれに組している、あるいはそのような傾向があるということさえも、放火事件を書いたことを色目で見ればどうにでもなる。しかもその作者がその公安調査官に、まあ卑俗な言葉で申しますとにらまれているという場合には、これはもう明らかに非常な危險がそこに来るのではないかというような感じがいたします。條文の例で言いますと、そういうことなんであります。  それからそういう危險がない場合にはこれに賛成であるかどうかという御質問でございますけれども、私ども文学者というものは、暴力などというものには絶対に反対なんでありまして、私どものやつている平和運動というものは、共産党の平和運動とはいささかあれれが違うのでございます。ですから暴力というものは全面的に否定いたしますけれども、ただ暴力主義的破壞活動という言葉によつて規制されるということが、かえつて暴力になるということを私はおそれるのであります。
  16. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 田嶋君、時間が超過していますから一点に限つて簡潔に願います。
  17. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員 船山先生にお尋ねいたします。今の御趣旨はよくわかりましたが、その疑問の点が解消してはつきりいたしますれば、この法案に対しては賛成でございますか。
  18. 船山馨

    ○船山公述人 暴力というものの規定がはつきりいたしまして、完全に政治的な暴力にしろ何の暴力にしろ、とにかく暴力という言葉の解釈がはつきりいたしまして、ほかにどう解釈のしようもない形で出て来れば別でございますけれども、それはちよつと不可能なことだと私は思います。
  19. 角田幸吉

    ○角田委員 私は阿部さんにひとつお尋ねを申し上げたいのであります。私は、今月の二十六日の日に慶応の学生が集つて、この法案についていろいろ意見を聞きたいということで、約二時間ばかり話したり問答をやつたんですが、ところがほとんどこの法案を知らないで、そうしてほとんど全部が反対している。そこで私は意外に思つたのでありましたが、先刻、こういう法案を通すためには輿論の指導をするように輿論に問うことが必要だ、こういうお話で、私どもごもつとものことだと思います。ただいま船山さんは法律であるからよくわからぬ、こういうお話である。そこでこういう法律を一体提案前に国民に徹底させるような、そして輿論を集めるような方法としてやるとすれば、どういうことをやれば国民がこの法案の内案に理解を持つものでありましようか。その点をひとつ教えを受けたいと思います。
  20. 阿部眞之助

    阿部公述人 これは私は政府に教えを受けたいようなものなんです。どういう方法によるかということは、ものをむやみに内緒にしたり秘密にしたりすれば、輿論を受けないのはあたりまえなんです。だから政府はできるだけ開放的にすべての問題のあり方というものをいつでも国民に知らしておくという態度が一番大切なのではないかと思う。吉田総理大臣のごときは新聞記者でもなかなか会わぬというような態度なんですね。これじや私は輿論が起ることはないと思う。せめて一週に一ぺんやニへんアメリカの大統領でも新聞記者には一週に一ぺんは一緒に会う。それだけのことをしてあらゆる問題についてあらゆる意見を交換している。それであらゆる問題がいつでも国民の目の前にはつきりと映し出されている。それが映し出されていないということは、たとえばこの破壞活動防止を必要とするような社会的事実についても、私はもつとあけつぴろげに政府の所見というもの、もしくは政府の見方、知つている事実というものを国民に知らしてやる方がいい。どうも役人の自分の責任のがれのために、何か問題のあることをいろいろ何かするためにいつでも問題がはつきりしないということがある。どういう方法ということは今私は具体的にちよつとここでは言えませんが、いつでも問題の所在ははつきりしている。ことに今あるような毎日出ている新聞の報道というものは、毎日われわれは危險を感じているわけなんです。だからわれわれの感ずることは、どうも火炎びんを持つて来てあぶない、あぶないと思うだけの話でもつて、それをだれがどこからやつて来るか、どういうことになつているかわからない。政府はわかつているかわかつておらないか知らないけれども、とにかくわれわれはその程度なんです。だから困つたものだと思う。困つたものと思うが、これをどうしたらいいかということについてはわれわれは考えることができない。だからそこがいま少し政府のかじのとり方でどうにでもなると思う。私は昨晩寝ながら論語を読んだのですが、その中にこういうことが書いてあるのです。「教へずして殺す、之を虐と謂ふ。戒めずして成るを視る、之を暴と謂ふ。」ということは、つまり教えもしないし、戒めもしないで、成るを待つたり、それから教えた通り成らぬから殺すというような、そういう法律はよくない。これが暴虐という言葉の起りだろうと思う。今の時代にわれわれは政府から教えてもらつたり、戒めてもらつたりする必要はない。しかしわれわれの判断の資料になるものだけは、全部あからさまに出してもらわなければ困る。これすなわち暴虐のはなはだしいものだと思う。そういう暴虐でないように願いたいと思います。
  21. 大西正男

    ○大西(正)委員 松下公述人にお尋ねいたします。第一点は、米国憲法によりますと、言論、集会、結社などについての例外に関しまして、絶対的例外と、それから議論余地があるけれども、実体憲法では認められておるものがある、それは明白であつて、現在の危險の存する場合である、こういうお話がございましたが、この破壞活動防止法案に関連をいたしまして、法律自体の合憲性、あるいは憲法違反であるかどうかということは別論といたしまして、それから出て来る具体的な問題について、たとえば破防法案言論その他による扇動行為あるいは教唆行為、そういつたものを一つの独立的な観念として規定しておりますが、かりにこれが扇動でありますならば、それによつて扇動された行為がまだ実現をしない先に、それが独立に処罰されることがあり得るのであります。従つてそういう場合において、扇動によつて処罰される行為が発生しておらないのに、扇動による行為が処罰されるとすると、何らかの想定のもとに扇動が行われるということが発生すると思うのであります。そういう場合について明白にして、現在の危險ではなくて、危險なる傾向があるということで、そういう扇動行為が処罰され、また取締りの対象になつて、かりに裁判所において無罪の判決を受けるにいたしましても、取締りの対象になつて、警察官のために逮捕をされたり、あるいは留置場に、あるいは未決に呻吟をしなければならぬ、こういう事態が発生すると考えるのであります。こういう点についていかにお考えであるかということを第一にお伺いいたしたいのであります。  それから第二は、行政処分をなすについて、それが適法な手続によつて行われておるならば、アメリカ憲法上合憲性を有しておる、こういう御説明をいただいたのでありますが、それに関連をいたしまして、本法案におきましては、この行政処分を行う機関が、調査機関も、審理を行う機関も、法務総裁のもとに属しておるのであります。そしていわゆる公安審査委員会というものが独立の権能を有していると法文の上には書かれておりますけれども、しかしながら法文を読んでみると、公安調査庁における審理がまつたく限定をされて、公安審査委員会なるものは、公安調査庁が提出をしました書面によつて書面審理をする、そして公安審査委員会というものは独立に調査し、審査する資料をみずから集める権能は全然ございません。こういうものがアメリカ憲法の観念からいたしましても、はたして妥当であるかどうか。  また先生がおつしやいましたアメリカの国家保安法でありますか、それによりますと、その委員会は独立をしておつて、その行う準司法的な機能というものは、後に司法裁判所の再審査を受ける際におきましても、その審理について裁判所に対するある程度の拘束力といいますか、影響力を持つているようになつていると私は存ずるのであります。それはアメリカ憲法においては許されるかもしれませんが、日本憲法においては、そういう審理裁判所審理に対して拘束力、影響力を持つということは許されない。従つてこの法案においてはそういうふうになつておりませんが、むしろそういうことを考えますと、この際検察あるいは警察機関が、この法案規定しておる行政処分に相当するところの請求を裁判所に請求をして行く、そして裁判所がその公正な審理によつて公正なる判断を下す、つまり行政処分という観念によつて、検察並びに警察当局はその調査あるいは請求をする権限にとどめて、これに対する判断は日本裁判所がする、こういう制度に持つて行くのが、むしろ日本の現状においては妥当ではないか、かように私考えるのでありますが、これらの点につきまして、御意見を伺いたいと思います。
  22. 松下正壽

    松下公述人 ただいま御質問の二点についてお答えいたします。  扇動を独立の罪としておることについて私の考えはどうか、こういう点が第一の御質問の要点であると存ずるのであります。いわゆる英米法でオーバート・アクト、明らかな行為といいますか、放火とか殺人とか、こういうことが犯罪である点については何ら問題はないのであります。扇動を独立の罪とすることについては、これは英米法においても非常に悩みのあるところで、英米の裁判所扇動を罪とすることについて非常に臆病であることは確かであります。ただ先刻も申しましたように、犯罪扇動するということは、アメリカ憲法の制定前からすでに言論自由の範囲外というふうにされております。但しここでちよつと先刻申し上げたことについて修正でなく、追加しておきますが、犯罪扇動のこの犯罪というのは、決して政治的な犯罪ではなく、いわゆる通常われわれが言う破廉恥罪みたいなものであります。そこで政治的な意味においての扇動ということになりますと、どうしても現在的危險ということがいやおうなしに出て来るのであります。そこでこれが絶対的な危險の場合においては、多少の宣伝でも非常にその害が多いわけでありますから、これは当然合憲的とされるわけであります。その危險が少い場合においては、かかる行為禁止する法律違憲であるという判決をされるわけであります。現在われわれが問題としておりまするこの法案が、アメリカ憲法立場からどういうふうな認定を受けるかという点を考えますと、先刻申し上げましたように、ただいま危險が非常に差迫つてはおりませんが、危險重大性が非常に多い場合には、その重大性の方に重点を置きまして、扇動の結果必ずしも間違いなく現実の危險が来なくても処罰することはさしつかえないというのがアメリカ憲法立場であります。わが国憲法においてもアメリカ憲法とその根本の理念において一致しておると存じますから、私の意見では本法案は合憲的であると存じます。  第二の処分の適法性という点については、いろいろ問題があると存じます。ただいまの御意見によりますと、調査庁にそのような大きな調査権、見方によつては一種の審査権すらも與えておることは、少し権限が大き過ぎやしないか、むしろ審査の請求権を行政官庁に與えて、この審査それ自体裁判所に與えるという形の方がよいのじやないか、こういうことかと存じます。これも確かに一つの方法であろうと思います。アメリカにおいても以前からこのことが問題になつておつたのでありまして、今から三十年ぐらい前にはほとんどこういうふうなことは考えられなかつたのであります。しかし裁判所でなく準司法的な機能を持つておる行政機関が、こういう純司法的な処分権を持つようになりました理由は、裁判所は非常に忙しいということが一つ、それからむしろ適格性と申しましようか、裁判所が通常の犯罪を取扱う、審理することには適当しておりますが、このような特殊な問題、非常にスペシヤライズされた問題を取扱うには不適当である、たとえば租税の問題、移民の問題あるいは外国人を国外に追放する問題、それらはすべて人間の自由に関する問題でありますから、一応司法権の範囲内ではありますが、非常に特殊の専門的知識を要するから、いろいろな問題を取扱わなければならない裁判所にただちに持つて行くことは多少不適当であるというような考えから、専門家からなる準司法機能を帶びた専門的行政機関を設けて、その特殊の事項についてだんだんに訓練して行くというやり方をアメリカではとつております。現在日本においてもアメリカにおいても世界的共産主義運動が非常に浸透して来ておりまして、やや同一の條件にあるのではないかと思うのであります。そういう点にかんがみまして、一般的な司法事項を取扱う裁判所よりも、むしろこの問題を特殊に取扱う審査委員会を設置して、この特殊の問題について訓練をしてもらうことが適当ではないかと考えます。  なお調査権が調査庁の方にあつて公安審査委員会の方にないという点について私も若干疑問に思つておりますが、これも運用よろしきを得るならば、公安審査委員会の独立を保つて行くことができるのじやないかと私は考えております。
  23. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 時間の制約もあり、またここではなるべく多数の問題に触れたいと思いますから、質疑応答もなるべく簡潔に願いたいと思います。
  24. 大西正男

    ○大西(正)委員 次は阿部公述人にお尋ねいたします。組織的な活動により非常に根のある破壞活動が行われておるように感ずるというお話がございました。われわれもそう感ずるのであります。ところが政府の説明によりましても、その破壞的行為とその組織との間の関連についての明白な証明がまだなされてるとはわれわれ考えません。そこでこういう法案をつくるのもけつこうでありますが、しかしその前に、たとえば共産党の地下にもぐつた人々に対して、今日の警察並びに特審局の活動は、国民の目にも非常に力がないように思われるのであります。そこでその力のないのは、一体どういうところから来ておるのかということについて、もし何かお考えがございましたら、お伺いしたいと思うのであります。
  25. 阿部眞之助

    阿部公述人 御質問、私もまつたく御同感なんです。はなはだ警察の力がないために、無用に社会的混乱や社会的不安が起きたという事実はあるだろうと思うのですが、好意的に見れば、何しろ負けいくさをやつて、あのごたごたした最中に、警察だけがしつかりしていてやれということも、ずいぶん無理な話ではないかと思う。近ごろは終戰当時から見れば、よほど暮しも楽になり、秩序も回復したことは疑うべからざる事実なので、にわかに警察当局がそれだけの活動力を持つことを望むのは、好意的に解釈すれば無理な点があるのではないか。しかしながらこれで十分だとはもちろん私は考えません。ずいぶんだらしがなくて、こんなことでいいんだろうかと絶えず思つておる一人なのです。要するに、多少われわれはしんぼうする必要があるだろうと思うのですが、そのことによつてこういう法律ができて、さてこういう無力の警察で十分の取締りができるかということについては、私はずいぶん疑いを持つておる。これはむしろ政府にお問いしたいくらいのものなんですが、ここでは質問を許さないそうですから……。
  26. 大西正男

    ○大西(正)委員 法律が幾らできても、それを十分に運用ができなければ問題になりませんが、そこでこういつた破壞活動に対する国家の大綱がつくられまして、公安調査庁といつたものを、たとえば現在の警察とか検察といつた機関の上に持つて、つまり屋上屋をかして国費を使い、しかもそれが力がないということでいいのかどうか。あるいはまたお互いに派閥的になりまして勢力争いをして、かえつて統一的な情報の收集に非常な支障を来すおそれがないかどうか、この点についてお伺いいたします。
  27. 阿部眞之助

    阿部公述人 どうもそういう役所のことはわからないのですが、そういうじやまつけのものなら、さつさとやめてもよくはないか、私はそういうことにはちつとも拘泥する必要はないだろうと思う。政府も拘泥することはない、国会も拘泥することはない。われわれから言えば、そういう危い破壞活動がなくなれば、それで安心なんだから、そういう点については厳格なる御審議を願いたいと思います。
  28. 山口好一

    ○山口(好)委員 大体私がお聞きしたいと思つておつたことは、ほかの委員から御質問があつたようですが、阿部眞之助さんにお尋ねをいたしたいと思います。阿部さんのお考え方はわれわれも同感でございまするが、ただ評論家としてのお立場からいうと、共産主義をとなえる連中が現在のところ非常に凶悪な乱暴をする、こういうような現象がありまするので、それでああいうようなお話があつたのだろうと思いますが、共産主義理論を説くという、その理論だけを説いておるということは、やはり資本主義の理論を説くということと同じように尊重してもいいというようなお考え方でございましようか
  29. 阿部眞之助

    阿部公述人 私は一向さしつかえないことだと思つております。それでなければ言論の自由も思想の自由も何もない。その点は私は十分認めらるべきものだと思います。但しそこに行動の加わつた場合は危險なのであります。行動が加わりやすい主義であり、行動のないただ空の理論じやない。そこにわれわれは大いに注意しなければならぬ。ただ大学の教授が講壇的に理論を説くだけのことなら、一向さしつかえないことだと私は思います。
  30. 山口好一

    ○山口(好)委員 そこでお話の中に、この法律政府が濫用するのみならず、国民の方で濫用するおそれがある、こういうようなお話があつたようでありますが、その国民が濫用するという意味は、どういう内容のものでございましようか。
  31. 阿部眞之助

    阿部公述人 それは私先ほど申しましたときは、この法律がどう濫用されるかという意味じやなしに、従来の法律が、一般論として、十分に国民に納得されず、審議されずに、わからないままに通されるために、両方から濫用されるおそれがある。だから今度も十分国民に納得させるような方式をとらないと、また濫用されるおそれがあると一般的に申し上げただけであります。この行為のどこがどうなるかということは、今私にはわかりません。
  32. 山口好一

    ○山口(好)委員 まことに阿部さんの先ほどの全般的な御論説は同感でありまして、われわれも共産主義でも本主義でも、その正しい理論を述べておるというにすぎない間におきましては、この理論的主張は尊重いたさなければならないと思うのであります。それに付随していろいろな暴力行為、破壞行為が行われる場合には、これは左でも右でもその暴力行為は許すべからざるものである、こういうふうに考えておりますので、先ほど共産党が大体端的にいえば対象になるのではないか、共産党の暴力行為というものが対象になるのではないかというような御説でございましたが、政府の説明では、そういう共産党のみにかかわらず、一般的に破壞的な暴力行為を対象とするものである、こういうような今まで答弁になつております。阿部さんの御真意もそういうところにあると思いますが、さようですか。
  33. 阿部眞之助

    阿部公述人 まあ一般論を申し上げるとすれば、それはそんなことなんでしようが、私もうち割つた話を申し上げますれば、これは私もいろいろ議論をしたことがございますが、むしろ今となつたら、この共産党の非合法化ということについてもう少しまじめに考える時期が来たのではないか、かように存じてそういう議論をしたこともございますから、これが共産党を一面において合法的に認めておきながら、陰でどんな彈圧をするのか知らぬけれども、非常に彈圧するような、そういう形をとつてるために、いろいろああでもない、こうでもないという持つてまわつた手段で共産党に対するがために、いろいろ不合理ことが起つて来たる。問題が起つて議論をすれば、共産党にやつつけられて政府がぎゆうぎゆう言うというような現象が起つて来る。それをはつきりしてしまえば、問題じやないじやないかという議論をしたことがあるのです。それが適当かどうかということは、これは十分考えなければならぬと思いますが、曖昧模糊として右にも左にもなんと言つておるようなことは、非常に体裁はいいですが、うち割つた話が、右なんというのは実に根拠のない、それは私に言わせれば、ばくち打ちの親方みたいなもので、そんなものは大したものではない、そういうふうな意味です。
  34. 山口好一

    ○山口(好)委員 ただいまの阿部さんのうち割つてのお話は、われわれも実際この法案審議するにあたりまして、実ははつきりとそういうふうに行けば、いろいろな弊害も少いのじやないかということも実は考えておるものですから、かような質問をした次第であります。よくわかりました。
  35. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 松下さんに簡單に一点だけ。先ほど大西委員からの質問に対する御答弁の点ですが、準司法的のものであるから裁判所にやらしてもいいという考えを持つた。われわれもそういうことを考えてみたのですが、あなたのおつしやる点よりも、もつと根本的に司法裁判所でやつていかぬものでないかという疑念を持つております点を明らかにしてもらいたいのです。それはなるほど審査とは申しますが、行政行為を促すものである。従つてこの審査自身が行政行為であろうと思うのです。行政行為であれば、司法機関たる裁判所がやるべきものでない、かように私考えますが、私の考えが間違つておりますか、その点を明確にしてもらいたい。
  36. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 司法行為と行政行為の限界いかんという基本的な問題をもあわせて御答弁願いたい。
  37. 松下正壽

    松下公述人 大体において私御同感なのであります。私の専門アメリカの例をとるようにいたしたいのでありますが、純粋な法律の解釈の場合でありますと、これはむろん裁判所法律専門家である裁判官が審理決定しなければならぬことになる。ただ現在われわれの問題としておりますような一定団体が、破壞的活動行為をしたかどうかということは、これは法律の解釈ということが全然入らないわけではありませんが、主として事実の認定の問題である。そうしてその事実の認定も、いわば英米で言うジユーリーですか、陪審員のような普通のほかの業務に携わつている人が集まつて、常識で認定していいかどうかという問題があるわけです。私はそうでないと思います。共産主義の側の方では、相当綿密な調査をして、相当周到な用意をもつて科学的に行動しておりますから、それに対する認定ということも、いわゆるしろうとにさせることは非常に危險が起きまして、実際上にあぶない者を放してしまい、実際危險のない人をつかまえるというようなことになりはしないか。そこでただいまのエキスパート——訓練をした専門家にこの認定をしてもらうということが必要である。これもすでにアメリカにおいてしばしば論議された結果、特に最近においてフランクフアーターという最高裁判所の判事が出る前まで、最高裁判所においてもこの点について非常に悩みがあつて行政権がそこまで出ることは司法権に対する侵害ではないかということが悩みであつた。フランクフアーター氏が、大体今から十五、六年前ですが、最高裁判所の判事に任命されましてから、非常に行政権の範囲というものを飛躍的に広く解釈して、そうしてその反面、司法権はこういう事実認定については、そこまでタツチしてはいけないという判決がしばしば示されております。そこでこれもやはりアメリカにおけると同様、わが国におきましても、認定それ自体は行政機関にさせて、その認定の基準になつておる法律の解釈が正しいかどうかという、この問題までも行政機関がするということは、これは司法権に対する侵害であると存じますから、明らかにその点においては再審査の道を開いて、法律違反したような基準によつて認定した場合には、その認定を拒否するという権限は、今日どこまでも司法権に留保しておく必要がある。この点はアメリカ憲法においても、日本憲法においても、いかなる文明国の憲法においても、その区別というものをはつきりしておかなければならぬ、こういうように私は考えております。
  38. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 船山さんに一点伺いたいのは、先ほどあなたの一番の反対の根拠は、この第三條に書いてありまする暴力主義的破壞活動という文字そのものが漠然としておつて、非常につかまえにくい、かようなことで規制されることははなはだ困る、こういうふうに承つておるのでございます。なるほど暴力主義的破壞活動という文字だけでは、何のことかわかりませんが、その立案者は、第三條に書いてありまする通り、「「暴力主義的破壞活動」とは、左に掲げる行為をいう。」とこういうふうに明記しておるつもりでおるのです。でありまするから、暴力主義的破壞活動という文字だけではあいまいでいかぬという議論は当らぬと思います。問題はここに明確にしようとしておるけれども、これでも明確でないという御議論なのか、その点がわからないと思います。この点を明らかにしておいてもらいたいと思います。
  39. 船山馨

    ○船山公述人 暴力主義的破壞活動がどういうものかということは、ここにずつとありまして、お話の通りでありまするけれども、たとえば暴力といいましても、火をつけるとか、人を殺すとか、そういうはつきりした、つまりこれはだれが見ても暴力なんであります。またたとえば騒擾とか何とかいうようなこともありますけれども、教唆もしくは使嗾——使嗾するのですか、扇動するのですか、そういうような形になつて参りますと、これは非常にどうにでもとれることなんでありまして、こつちが使嗾する目的も何もないと言つたところで、そちらで認められればこれはもういたし方がないような場合もしばしば出て来るはずでありますし、しかもそのような使嗾するような文書を、あるいは図書を、印刷頒布し、公然掲示する目的をもつて所持することもいかぬということになつて参りますと、これはまさに漠然として来るではないかと思うのであります。
  40. 田中堯平

    ○田中(堯)委員 まず松下公述人にお尋ねいたします。御説明によりまして、大分アメリカの模様もよくわかつたのですが、私ども考えるに、アメリカがその建国の初期あるいは中期に至るまでは青年期といいますか、非常に民主主義が徹底せる時代であつたと思うのです。特に御指摘のように、一八五五年以前においては、行政権力によつて基本人権を制限するということはなかつたという御説明、その通りだと思います。ところがその後次第々々に、ことに第二次世界大戰後に至つては、まつたくわれわれの常識からしても、どんどんと行政処分によつて基本人権を制限するという事実が現われて来たわけであります。驚くにたえたような法律もたくさん出ておる、特に連邦調査局というような制度ができて、日本の昔の特高、あるいはそれ以上の科学的なスパイ制度が全国に張りめぐらされているという事実も御承知のはずであります。一言にして言えば、今や資本主義の終末期にあるアメリカが、自分の体内の矛盾を何とか強力な手段によつて克服すべく、次第々々にフアシヨ化しつつあるという実態を見なければならぬといます。われわれは今から日本を真に民主的に建設しようとする場合に、必ずしも現在のアメリカの制度をもつて範とするに足りないと私は思うのでありますが、まずその点に対する御感想をお伺いいたします。
  41. 松下正壽

    松下公述人 御質問にお答えいたします。私が今日の公述人の一人としてお呼びをいただきましたのは、アメリカ憲法に関する專門家の一人として、皆さんに何か私の考えを申し上げる価値があるとお考えになつたためであるかもしれません。そこでアメリカの資本主義がどういう過程にあるか、それかそれについてわれわれがどういうふうに考えるか、あるいは共産主義と資本主義といずれが是であるかということは、非常に重大な問題であると思います。しかしそれは今日私が参りました性質からいつて、それに対するお答えをする資格を持つておりません。個人としては若干考えがございますが、私が今日上りました目的に沿わないと思いますから、別の機会においてこのことを明らかにしたいと思います。
  42. 田中堯平

    ○田中(堯)委員 それではもつと法律的にお尋ねいたします。先ほどフランクフアーターの例を引用されました。この人物がナチスばりのドイツ系の法学者であることは御承知通りであります。これがアメリカに入つて来て、大いにいわゆる行政権によつて基本人権の制限をする、これがいわゆるフアシヨ的な立法を推進するための一つのてことなつて働いておるという事実は認めになりますか。
  43. 松下正壽

    松下公述人 フランクフアーター以前に若干そういう動きはございましたが、フランクフアーターが最高裁判所の判事になりましてから、行政権の強化ということは実に目ざましいものがありまして、これに対してはいろいろな批判ないし非難があることは明らかであります。これをもつてフアシヨ的であるかどうかということは各人の見るところによつて異ると思います。行政権が著しく強化され、これに対する相当非難もある。賛成もありますが、非難もあることは明らかな事実であります。
  44. 田中堯平

    ○田中(堯)委員 そこであと一問にしておきますが、日本憲法を見ますと、その九十七條には、それに至るまでに、思想及び良心の自由とかあるいは信教の自由とか、集会、結社言論出版その他一切の表現の自由というようなものを基本人権と並べて規定をして、最後に九十七條では、この憲法の求める基本人権は犯すことのできない永久の権利であるというふうな保障があるのであります。これは私どもの解釈によると、元来人民の基本人権——ここに規定されているようなものは、長い歴史と鬪争の過程で獲得したものであつて、これは憲法をかつてに改正したりあるいはかつて立法をして、それでもつて基本人権をかつてに制限することはできないのだということをここに明言しておる、そのように解釈しております。もしその立場をとりますと、今問題になつておるこの破防法のごときはまつたく憲法違反するものであるということになるのでありまして、お説のような合憲説は成立たぬことになりますが、その点についてもう一ぺん明らかにお教え願いたい。
  45. 松下正壽

    松下公述人 その点は私が先刻第二のところで御説明申し上げたと思いますが、明瞭にして現在的危險説、その理論では十分説明がしきれなくなりまして、いわゆる均衡説、一方において言論、彈圧、言論抑制の危險というもの、一方において具体的な危險重大性とその重大性から生ずる蓋然性というもの、その両方をはかつていずれが大きいかということによつて言論自由の限界がきまるということが、現在のアメリカ憲法の公の解釈になつております。それはアメリカにおいてそうであつて、必ずしも日本にも同じことが適用されるかされないかは問題でありますが、結局人間の考える考え方には大体共通点があると思います。私はあえてアメリカのまねをしろという意味ではなく、日本においても大体こういうような解釈がとられ得るのじやないかというふうに考えております。従つて私はこの法案は合憲的であると存じます。
  46. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 ただいま田中君と松下公述人質疑応答の中に、フランクフアーターが行政権の強化に非常に寄與されたというような点が取上げられたのでありますが、フランクフアーターはルーズヴエルトのニュー・デイールの遂行に伴うアメリカ司法改革のため大審院に入つた人であつて、その後には共産党員であるとすらいわれたように私は聞いておるのであります、そうするとこれは行政権の強化というよりか、むしろ逆の方に寄與さるべき性質のものであつたのではないかというふうにもそんたくされるのでありますが、もし松下教授がアメリカにおいて調査された点がありますれば、その点について御説明願いたいと思います。
  47. 松下正壽

    松下公述人 ちよつとお答えいたします。フランクフアーターの身分調べを私は十分にしておりませんから、満足なお答えができるかどうかわかりませんが、ルーズヴエルトという人は、いわゆる新自由主義者といわれた人で、ルーズヴェルトの背景になつておるいわゆるブレーン・トラストの人々の中には、共産主義者はどうかわかりませんが、相当進歩的といわれる人たちが非常に多かつたのであります。フランクフアーターも学友でもありますし、その一味徒党というふうにいわれておつたことは確かであります。ただ彼が共産主義者であつたかいなかという問題になりますと、これははつきり共産主義者ではなかつた、また共産主義の便乗者でもなかつたと私は信じております。もしそうであるとするならば、国会において必ず喚問を受けたであろうと思います。相当めんどうなことになつたと思いますが、そういう事実がございませんから、フランクフアーターが共産主義者であつたということは私は信じないのでございます。
  48. 田中堯平

    ○田中(堯)委員 次に阿部公述人に一、二点お尋ねします。お話の中に、この法律共産党目当であろうという趣旨のこと、それから盛り場の暴力団みたようなものは問題ではない、ほつたらかしておいたところで大した害悪にはならない、問題は共産党なんかで、これは国際的な足場を持つたものであつてゆるがせにできないという趣旨の御発言がありました。そこでお尋ねしたいのは、共産党とか共産主義の団体なるものは、これは何か盛り場の暴力団を拡張したような、そういう暴力団的なものだ、ただ勢いが大きいか小さいかだけの相違であつて、暴力団的なものであるという御所懐でありますか。
  49. 阿部眞之助

    阿部公述人 ただいまの御質問のちようど反対になつておるように思うのであります。私はあなたがおつしやつたように、一方は思想的背景の何もないつまらないものであつて、一方はなかなかどうして根が深いものである、そういうふうな意味なのであります。
  50. 田中堯平

    ○田中(堯)委員 続いてお尋ねしますが、そうしますと片方は思想的な根も何もない、片方は思想的な根があるがゆえに警戒を要する、これは彈圧しなければならぬということになると思いますが、そうしますと、まさしく思想の彈圧ということになりませんか。
  51. 阿部眞之助

    阿部公述人 どうも思想を彈圧するということは前から非常に警戒している、そういうふうにならぬように——繰返して申し上げているのですが、そういう深い根を持つた、思想を持つた、そういう破壞活動についてはわれわれは考えなければならぬと申し上げているわけです。
  52. 田中堯平

    ○田中(堯)委員 議論はやめます。そこで何か阿部さんのおつしやるには、今明白なる現在の危險があるかのような、もつと露骨に言えば、日常新聞、ラジオで報道されている交番の燒打ちとか、巡査いじめとか、税務署襲撃とかいうようなもろもろの事件が、どうも阿部さんのお話によると、何か共産党が裏で組織的に計画的にやつている片々たる現われである。だから共産党をやつつけなけれならぬというふうに持つて行かれたように感じられたのでありますが、そういう御趣旨でありますか。
  53. 阿部眞之助

    阿部公述人 私は共産党が今ああいうふうな火炎びんを投げたり、爆彈を投げたりするという証拠は持つておりません。ただ感じから言えば、そういう感じがしてならない。
  54. 田中堯平

    ○田中(堯)委員 そうすると、これは私心的な感覚というか、新聞社的な感覚というか、六感に訴えてのお話であつて、法一項、二項の証拠によるわけではない。だからこれは政府の鋭意捜査に当つておられる特審局でさえも結論は出ていないという表明であります。そこであなたにお聞きしたいのは、これは共産党に間違いないのだ。だから共産党をやつつけなければならぬという何か確信が生れるほどのニユース——ニユースと言つてももつと確実なものがあるかどうかをお聞きしたかつたのでありますが、それはないわけですね。
  55. 阿部眞之助

    阿部公述人 私どもも新聞記者として新聞記者のセンスで動いているのだが、あなたもひとつ政治的なセンスをもつて世の中をごらんくださるとおわかりだろうと思うが、このままほうつておいてよいかどうかということは、私はあなたのセンスに信頼するよりしかたがないと思うのでございます。
  56. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 猪俣浩三君。
  57. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 時間の節約のために問題を全部出してお答え願います。松下さんからお尋ねします。  アメリカの国内安全保障法、俗称マツカラン法というものが成立しましたのは一九五〇年でありますが、その一部をなしまするムント・ニクソン法というものが出されましたのは一九四八年一月であります。ところがこの法案の出る前に、非米活動委員会というものが十箇年間活動をいたしました。いろいろの事実を調べ、五百ページに上る証人の証言ができておる。それを資料といたしましてこの法案が成立した。なおサザランド教授の自由と国内安全保障という本を読みますと、一九四八年から五〇年までの間に、こういう非米活動を取締るような法案が三十八も各州から出て来た。そういう資料をもとにいたしまして、二年八箇月かかりましてこのマツカラン法ができたというのであります。これはさつき阿部さんが言つたような、要するに一般輿論に訴えるという点がなかつたということと関連いたしまするが、かようなマツカラン法が成立いたすに至りますまでのアメリカにおける準備活動と申しますか、そういうことに対する、ひとつ簡單でよろしゆうございますから、模様をお話願いたい、これが第一点であります。  第二点は本法の第二十一條に関係いたしまする、すなわち公安審査委員会の問題であります。これについて三点ばかり御意見を承りたい。この公安審査委員会の決定というものは、行政権による司法行為であることは明らかでありますが、これにつきまして公安審査委員会はすべて書面審理で決定を行う、この点であります。それに対する御意見を伺いたい。従つて公安審査委員会は職権による調査がない。アメリカの国内安全保障法の第十二條を見ますれば、いかなる調査でも、この破壞活動防止委員会ができるように規定されていると思うのでありますが、それと連関いたしまして、日本公安審査委員会の職権調査というものが何もない。これが第一点。  第二点は、それと関連いたしまして、この調査庁に対しましては、にらまれた団体からいろいろな証拠意見が出せるようになつておりまするけれども、この公安審査委員会に対しましては、新たなる証拠の申出をするような規定がないのであります。この点につきまして、私どもは司法行為である以上は、なるべく裁判のいい点を取上げて、それに準ずる構想を持たなければならぬと思う。そこで、そういう意味と、アメリカの安全保障法の十三條とにらみ合せまして、この政府の提案せられましたる破壞活動防止法の二十一條規定につきましての御意見を承りたいと存じます。  第三点は、この公安審査委員会審査につきまして、不服の者は訴訟の道が開かれておる。百日以内に裁判をしなければならないような規定がありますが、行政事件訴訟特例法によりまして、解散という決定を受けた団体がその行政処分に対して執行停止の仮処分をされるという道があるわけである。但し内閣総理大臣が異議を申立てればだめになる。そこで今までの実例から言いますと、行政処分の執行停止が出ますと、必ずそれが内閣に通報せられて、内閣総理大臣は必ず異議の申立てをやつているのが実例であります。そうするとこの行政事件訴訟特例法の十條というものは有名無実になると思うのであります。そこで訴訟の道を開くといつても、これはほとんどお体裁にすぎないと私どもは考える。アメリカの実情は一体どうなつておりますか。この行政行為によりまして解散その他の処分を受けましたものが、一体どういう司法的な救済が規定せられておりますか。  いま一点、本法におきましてはいわゆる正当なる労働運動なんかは彈圧するのではないということを書いておりますし、政府委員もそれを極力説明しておりますが、かりにいわゆる職権濫用のようなことになりまして、正当な労働運動も彈圧するようなことがある場合に、アメリカには圧迫を受けましたる団体を助け、そういう濫用をなくする意味におきまして、濫用しました行政官吏に対してどういうふうな制裁があるのか。そういう点について御意見を承りたいと思います。
  58. 松下正壽

    松下公述人 非常に問題が広汎でありまして、私が十分に御質問を理解し、かつそれを記憶しておるかどうか疑問であります。できるだけ誠意をもつて御説明を申し上げたいと思います。  第一は、現在アメリカに実施されております国内安全保障法、あれがあの程度までできるためにはどういつたような方策をとつたか、これは非米活動委員会がおもにその音頭とりをいたしましたが、その前には非米活動委員会といわず、ダイシー・コミテイーと申しております。ダイシーという人が中心になつて共産党その他一切の非米的活動調査をして、それで相当やり玉に上つた人もあるのでありますが、実情を私が感じますと、これははなはだ不評判な委員会で、特にインテリなどからはいわば鼻つまみになつておる。それでごく最近に至るまで——ニクソンなどもそうでありますが、とうてい両院を通過する見込みなどはなかつた。これは長い間の宣伝と運動の結果ああいう法案ができたというのではなく、むしろ普通ならば通過しないであろうものを、朝鮮事件及びそれに類似するいろいろな時局の切迫に、アメリカの朝野が——特に野の方ですが、世界共産主義活動というものの危險性を非常に強く最近になつて感じた結果、この法案が議会を通過するようになつたので、これは政府側の宣伝ということはほとんどなかつたと思います。むしろ国民の間からおのずから反ソ的な、反共産的な動き、感情というものがだんだんにつのつて来ましたが、一九五〇年あたりから俄然その勢いが高じて来て、このような法案が非常に楽に大多数をもつて通過するようになつたのであると私は考える。  それから第二点、公安審査委員会においては書面審理のみをもつて決定をする、そのことの可否という点であります。これは問題が二つにわかれると思いますが、その可否という点、どちらの方が慎重であり、どちらの方が国民の自由を守る点から見てよろしいかという問題に限つてみますと、これは書面審理だけでなく、口頭弁論というものが必要である、そうした方がよかろう。政府が書面審理というふうにしてこういう法案を提出しましたことについては、私がここで政府にかわつて弁明する必要はございませんから、この点については私は弁解いたしません。ただ問題をちよつとかえて、日本憲法というよりむしろアメリカ憲法立場から、書面審理のみで口頭弁論を許さないということが違憲になるかどうかという問題に局限してみますと、これは必ずしも違憲判決は受けないのじやないかと思います。というのは、弁明機会を與えておらなければ別でありますが、弁明機会を與えておりますから、違憲判決アメリカ憲法においても受けないのじやないかと私は考えております。  その次が職権調査をすることができない。そのことも今まで申し上げたのと大体同じではないかと思います。職権調査はできないということは、自由権の保護という点から見て必ずしも十分ではないというように考えるわけです。アメリカの国内安全保障法においては、公安委員会、これは破壞活動審査委員会と称しておりますが、この権限はもつとずつと広汎で広くなつております。  次に、再審査の道が本法案においても開かれておるが、アメリカにおいてはどうかという御質問だと記憶しております。これも時間がありませんので簡單に申し上げますが、いかなる点についても非常に広く再審査の道が開かれておりますから、この点においては遺憾の点はないと思つております。日本におけるよりもつとこれが広く開かれておる。そこでこれは私の言うべきことではなくて、單なる感想でありますが、私は決して今回の破壞活動防止法案のみで万事終了ということにはならない。これに関連していろいろな法律の改正ということが必要になつて来ると思う。そうすると問題が大きくなり過ぎますから、私はその点については触れないことにいたします。  最後に、正当な労働組合運動等には干渉しないということになつておるが、もし不幸にして干渉するようになつた場合にはどうであるか。アメリカにおいてはこれはどういうふうに取扱つておるかという問題であります。御承知のように、アメリカではいまなお行政法の発達というものはきわめて幼稚といいましようか、これは英米ともに権利の侵害の場合については、私法的に解決をつけるということが原則になつております。これはキング・キヤン・ドウー・ノー・ロング、国王は法律を侵すことはない。州もしくは合衆国を相手取るということは原則としてできないことになつておる。そこで国家自身が救済手段に当るよりか、具体的に不当な行為をした官吏、役人を相手取つて不法行為に基く損害賠償の訴えを起すわけであります。これが相当にきいております。ただ役人は一定の限定された收入があるのでありますから、十分な救済が得られるかどうかは、大分疑問でありますが、相当な救済は得られる。その訴えが相当根拠があつて、そうして十分な金銭的な救済が得られない場合には、これは州でなくて、市の場合でありますが、市がそれにかわつて賠償をするという道も開かれておりますが、国家及び州については、まだそういう道が開かれておらない。簡單でございますが……。
  59. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 風早八十二君。
  60. 風早八十二

    ○風早委員 評論家の阿部さんに二、三点この際お尋ねしたいと思います。あなたはこの法律の是非について、皮膚の感覚で判断されると言われておるのでありまして、私もそのお考え方を尊重しまして、なるべくそういう意味でひとつお尋ねしたいと思います。  まず第一点は、この法案がだれに被害を與えるかということであります。共産党は、この法案が出ようが出まいが、やられるだけはやられております。またその反面、これがかりに出ましても、やられないだけはやられない。つまり共産党には抵抗力というものがあるのでありまして、こんなものでどうなるものでもないわけです。でありますから、かりに共産党だけをねらつておるといたしましても、実際の被害者は、労働者であり、農民であり、市民であり、婦人であり、青年であり、学者であり、評論家でもあると思うのであります。この点は、たとえば労働者も、あなたと同じようにやはりりくつではなしに、皮膚で、実際の経験で感じております。先般の総評のゼネストなり、特に炭労の頑強な下から盛り上つたゼネスト、こういうようなものはその現われであります。この点につきまして阿部さんは、かりにこれが共産党をねらつた法案であるとしても、実際の被害はあなた方に及ぶのであるという点をどう考えておられるか、これをひとつお尋ねしたいと思います。
  61. 阿部眞之助

    阿部公述人 どうもあなたの御質問によりますと、被害という、何かわれわれをひどい目にあわせる目的のためにできた法律のように受取れるのですが、私は必ずしもそうとばかり思つていないのです。むしろ破壞活動というものがなくなれば、われわれの幸福が増すのじやないか、その目的のためにできたのじやないか、こう思つておるのです。但し今あなたがおつしやつたように、非常にこの法律が濫用されて、私どもの自由や私どもの言論が非常に彈圧されるというような結果になれば、われわれは被害者でありますが、別に破壞活動が防止されても、だれも被害者はありつこはないのだ。私の感覚はそうなんですがね。
  62. 風早八十二

    ○風早委員 評論家の代表としての阿部さんがたいへん甘い感覚をお持ちであるようで、それも事実上として承つておきますが、先ほどあなたは吉田総理は新聞記者にも会いたがらない、こういう法案もだれにも相談なしに、どこかでこれをかつてにつくつて、そうして国会へ出して来た、こういうようなことは、これは一種の暴虐である、暴虐政治である、こういうことを言つておられますが、さしあたりそういつたような言論は、この法律の対象になるものとお考え願いたいのであります。  第二点としまして私がお尋ねしたいのは、この法案の真のねらいというものはどこにあるかということです。今私は労働者、農民また市民や評論家、こういう人たちに実際被害が及ぶと言いましたが、これはただ單にとばつちりとして及ぶわけではない、これが拡張解釈せられ、非常に乱暴な適用をせられて、これが及ぶというのではないのでありまして、最初からねらいはやはりそこにある。大体この法案と関連した、今日の一切の背景、こういうものと無関係にこの法案というものはむろん出たわけではないし、またこれを無関係に切り離して判断するわけには参らないと思うのであります。今日アメリカが一体何を日本に望んでいるか、その世界政策、特にアジア作戰、そうして日本の占領制度の継続、こういう大きな背景がここにあるということは御承知と思うのであります。その中でいろいろ今経済界にもまた国民生活の上にも多大の犠牲負担というものがおのずからこれは生じておるのであります。これに対してまた国民の側から、各方面から反対が起つておるわけであります。この場合の大衆行動、これがじやまになる、これを掃除しなければ、これを断圧しなければ、このアメリカの対日支配がうまく行かないというところに根本のねらいがあるということは、大体われわれは客観的な事実としてまず前提にするのでありますが、そういうような状況のもとで、実際にただとばつちりというのでなくして、実際のねらいが共産党ぐるみこういう一般の国民大衆の批判的な一切の行動、こういうものが対象となるのだということについて、あなたはどういうふうにお考えになるのか。
  63. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 意見の開陳はこの機会に避けていただいて……。
  64. 風早八十二

    ○風早委員 質問をしております。
  65. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 従つて公述人は、公述人としてお答えできる範囲において簡潔に御答弁願いたい。
  66. 風早八十二

    ○風早委員 阿部さんはどう感じておられるか。
  67. 阿部眞之助

    阿部公述人 私はアメリカ日本国会を通して、日本言論思想を断圧するために、こういう法案を出さしめたとは考えておりません。もしそうだつたら、この国会はおそらく敢然としてこういう法案を通さないだろうと思う。国会を私は信頼しております。
  68. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 簡單に願います。
  69. 風早八十二

    ○風早委員 ほんとうのねらいがそういうところにあるということから、実際この法案の字句をいくらいじくりましても、これはどうにもなるものではないのです。これは治安維持法の場合の経験で、いやというほど苦い目にあつておるわけであります。苦い目にあつておるというのは、もちろん共産党だけではない、あなた方のところにまで及んでおつたわけであります。そういう意味において、この修正とかなんとかいうふうなことに対しては、これはナンセンスであると考えるのでありますが、結局そういう弊害を感じとられ、予想される場合において、この法案に対しては、終局において一体どういう態度をあなたはとられようとしておるのか、これを最後にお尋ねしたいと思います。賛成か反対かでいいです。
  70. 阿部眞之助

    阿部公述人 私はそういう割切つた話を申し上げたことはないつもりなんですが、とにかく私どもは今脅威を感じており、危險を感じているのです。だからその危險がないようにやつてもらいたいと思うのです。そのためには最大限度その手段として、われわれの言論や自由が圧迫されないように御考慮願いたいと思う。それが皆さんにお願いしておるところなんです。
  71. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 世耕弘一君。
  72. 世耕弘一

    世耕委員 時間がないようでありますから、簡單に阿部さんにお尋ねいたしたいと思います。  私は日本の共産主義はもうこわくない、こういうように考えております。それはなぜかと申しますと、昔は野犬のように感じたり、狂犬のような感じをもつてわれわれは見おつた。ところが近ごろはそうではなくなつて、非常にスマートになつた。昔は長髪で、黒いめがねをかけて、そして目の奥が光つておつた。そういうようなところが近ごろは見かけられなくなつて、むしろわれわれよりもスマートになつた、こういうふうに私は考えておる。但し国際的な指導を受ける共産主義者は知りません。こういう観点から、むしろ今日の危險政治の貧困にあるのじやないか、先ほども阿部さんがおつしやつたように、私はそこに中心を置いて、ひとつ御意見を伺いたいと思うのであります。  いわゆる政治の貧困と同時に官僚の官憲の濫用、この二点がかえつて暴力革命をかり立てる根源をなしておるのではないか、私はむしろその方を心配しておるのであります。先ほど阿部さんが吉田総理の態度について批判されたあれには私も同感であります。子供が泣いていると、母親が来てすぐ頭をたたきつける、それでは愛情はないではないか、そうでなく、なぜ泣くのか、どこが痛いのか、おしつこでもしたのじやないか、こういうような感じ方をするところに初めて民情が了解されて、善政がしかれるのではないか、この点に政治的貧困がありはせぬかと思つておるのであります。ことに警察を襲撃するということが最近はやつておりますが、警察は棒を持つておるのだから、犬がかみつくということは常識的に考えられるわけであります。しかしながら税務署を襲撃するというのは、どうもりくつに合わぬ。これには税法の欠陥が災いをなしておるのではみいか、ここをわれわれはひとつ吟味しておかなくちやならぬのではないかと思うのであります。なおまた革命が成功するためには、私は大衆の支持を受けなければならないと思う。その大衆が平穏無事であつたならば、いかに革命家が扇動しようと思つても、扇動に乗らないであろう。その扇動に乗らないいように、冷静に国民を指導し、あるいは了解せしむる政治が、今日日本に欠けておるのではないか。こういう点について阿部さんの御識見を承りたいということを申し上げます。  なお最後にもう一点つけ加えてお願いいたしたいことは、暴力革命は建設的な理想のもとに、現状に対する不満から暴力革命をやろうという一派がある。しかしながら生活の不安から、政治的貧困から、やけくそを起して、どうにでもなれというような気分で、暴力革命に参加せんとする空気があることも見のがすことはできないだろうと思います。結局苛斂誅求から百姓一揆が昔あつた経緯を見ますと、今日の火炎びんというのは、昔のむしろ旗に似ておるのではないか、かように考えるのと、もう一点つけ加えたいのは、議会がもう少ししつかりしておれば、こういう直接行動は出ないのではないか。議会否認が今日の火炎ぴんと化しておるのではないか。そうして国際的な共産主義の手に乗ぜられるのは、こういう間隙があるからじやないか。これを十分見抜いて破防法を施行しなければ、近藤勇のような状態に陷りはせぬか。新撰組をつくつたり、近藤勇を生れさせるために今日破防法ができるというのなら、私は避けてみたい、かように思うのでありますが、評論家であり常識家であるあなたの御意見を承れればけつこうだと思います。
  73. 阿部眞之助

    阿部公述人 大体において御趣旨には私は賛成ですが、ただ一つ私の申し上げておきたいことは、何でもかんでも政治の貧困にしてしまつて、どういうことが起きても、あれは政治が悪いのだ、たとえばどろぼうがあり人殺しがあつても、みな政治が悪いからだといつて、何でもかんでも政治になすりつけてしまうということは、それに乗じて、政治がよくとも悪くとも、今の日本の現状をひつくりかえしてやろうという一派があるのです。だから何でもかんでも政治が悪いのだ、国会が悪いのだというようなことばかり言つておりますと、政治に対する不信用と国会に対する不信用を国民に植えつけてしまうことになつて、たいへんなことになると思いますので、その点は皆さんも十分御注意を願いたいと感ずるのであります。
  74. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 午前中の議事はこの程度といたします。  委員長として一言ごあいさつ申し上げます。公述人各位は、御多忙中長時間にわたつて熱心に御意見を御開陳くださり、当委員会としてまことに有益な参考資料として感謝いたす次第であります。  これをもつて暫時休憩いたします。     午後一時八分休憩      ————◇—————     午後一時五十五分開議
  75. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 これより休憩前に引続き委員会公聽会を開会いたします。  破壞活動防止法案公安調査庁設置法案及び公安審査委員会設置法案、以上三案について公述人各位より御意見を承ることといたします。開会にあたり委員長として一言公述人各位にごあいさつを申し上げます。  本法案は去る四月十七日本院に提出、同日本法務委員会に付託され、爾来本委員会において愼重審議を重ねているのであります。これら三法案平和條約の効力の発生後の事態にかんがみまして、暴力主義的破壞活動による危險を防止し、公共の安全の確保に寄與する目的を持つものであります。団体活動として暴力主義的破壞活動行つた団体に対する必要な規制措置を定めるとともに、かかる破壞活動に関する刑罰規定を補整せんとするものでありまするが、暴力主義的破壞活動の意義、またこれら三法案に表われた諸規定と、思想、信教、集会、結社、表現及び学問の自由並びに勤労者が団結し、団体行動する権利、その他日本国憲法の保障する国民の自由と権利との調整等につきまして、各方面より種々見解が表明されつつあるのでありまして、わが国の今後の治安制度上から見まして、きわめて重要なる法案であることは御承知通りであります。本委員会といたしましては、党派を超越して、あらゆる角度から愼重審議を盡し、国民の負託にこたえんとする考えを持つものであります。よつて広く各界名士の御意見を承り、もつて委員会審査に資するため、ここに公聽会を開会し各位の御出席願つた次第であります。  次に議事の進め方について念のため申し上げます。公述人各位の御発言発言台でお願いいたし、御意見陳述の前に必ず御身分または御職業と御名前を御紹介願い、御意見陳述はおおむね十五分以内におまとめ願いたいのであります。公述人発言順序團藤重光君、清瀬一郎君、櫛田フキ君、西島芳二君、大森眞一郎君、河原亮三郎君の順序によることといたします。なお衆議院規則の定めるところにより、発言の際は委員長の許可を得ることになつており、発言内容意見を聞こうとする案件の範囲を越えてはならないことになつております。また委員公述人質疑することができますが、公述人委員に対して質疑することができませんから、この点もあわせてお含み置きを願いたいのであります。公述人の御意見に対する委員質疑は、公述人全部の発言終つた後に、通告の順序従つてこれを許します。  それではこれより順次公述人各位の御意見陳述を願うことにいたします。團藤電光君——團藤君には大体御用意くださつた問題について御自由にお述べを願います。特に刑法の改正規定と行政上の保安処分とを同一法律において規定することがよいか悪いか、教唆、扇動、予備陰謀等を独立犯罪とすることがよいか悪いか、行政事件訴訟特別法における総理大臣の拒否権等について、御意見の開陳を願いたいと思います。
  76. 團藤重光

    團藤公述人 東京大学教授團藤重光であります。委員長の御指名によりまして最初に陳述申し上げます。  まず第一に問題になりますのは、第三條の関係における暴力主義的破壞活動の意義であります。この定義は同時に第三十七條以下における罰則に関係を持つて参りますので、団体に対する規制の問題は第二段に申し上げることにいたしまして、最初に罰則の関係について意見を申し上げたいと思います。  まず第三十七條では、内乱罪の教唆、扇動と同時に、内乱罪の予備、隠謀、あるいは幇助に対する教唆、扇動、あるいはさらにこれに加えまして、これらの罪の実現を容易ならしめるために、その実現の正当性もしくは必要性を主張した文書、図画の印刷、頒布所持等を罰することになつております。ここでまず扇動意味が最も重要なものとして注目を引くのでありますが、これは御承知通り、昭和五年十一月四日の大審院の判例によりまして、——これは治安維持法における扇動についての判例でありますが、こういうことを申しております。他人に対し中正の判断を失して実行の決意を創造せしめ、または既存の決意を助長せしむべき勢いを有する刺激を與うることを指称する。その扇動罪は扇動行為あるにより成立し、必ずしも相手方においてその結果を惹起するを要せざるものとする、こういうことになつております。この判旨は多少明瞭を欠く点があるのでありますが、扇動罪は、扇動行為そのものによつて成立する結果の発生を要件としないということになつているのであります。結果の発生を要件としないという意味が、最小限度において実行行為そのものが発生したことを要しないということは明らかでありますが、相手が決意を生じたことをも要しない趣旨であるかどうか、多少正確を欠くのであります。しかしながら相手に決意を生ぜしめることになれば、これは教唆に該当するのでありまして、教唆とあわせて扇動規定する以上は、必ずしも相手に決意を創造せしめることを要しない。決意を創造せしめるに足る行為をすれば、相手が決意をしたかどうかを問わず、その扇動行為によつて扇動罪が成立する、かように解するほかはないのではなかろうかと思うのであります。そういたしますと、はたしてどの程度のものを扇動行為と見るかということは、その限界がはなはだ不明確になることは、これは従来この法案に関しまして識者によつてたびたび指摘されているところであります。私もまたかような扇動罪の規定ははなはだ不明確であり、広きに失するという感じを持つのであります。また先ほど申しました一定の文書、図画の印刷、頒布、所持等を罰する点におきましては、これは言論の自由に関することはなはだ大でありまして、はたしてこのような規定によつて言論の自由を侵害しないで済むかどうか、疑いなきを得ないのであります。これはおそらくいよいよ刑事事件として裁判所に起訴されて、裁判所が事実を認定し、法律を解釈してその事実に適用する、裁判所判決をするという場合においては、その弊害は比較的少いということが言えるかもしれません。しかしながらこういう罰則ができますと、それはひいて犯罪の捜査の範囲を非常に広げることになるのであります。特に全体として警察が特高化するということがおそれられている現在におきまして、かような広い規定を置くことが、そういう方向にますます拍車をかけることにならなければ幸いだと思うのであります。  次に第三十八條の関係でありますが、この関係におきましては、現行刑法上すでに放火、殺人、強盗の予備を罰する規定は存在するのであります。それに加えてはたしてこの三十八條の規定を置く必要があるかどうかという点は問題であります。なるほどここに列挙されております激発物を激発せしめる罪でありますとか、あるいは汽車などを転覆させる罪でありますとか、こういうものについての予備、陰謀等の規定は、現行刑法にはないのでありまするけれども、これらもおそらく殺人の目的が伴う場合において、特に重要になつて来るのであります。人が乗つているかもしれないということを意識して、汽車の転覆をはかりますならば、これは少くとも学問的にいわゆる殺人についての未必の行為があるのでありまして、こういう場合には殺人として罰することができるのであります。そういう種類の列車転覆の予備であれば、これは殺人の予備として罰することができると思うのであります。激発物に関する罪につきましても同様であります。三十八條では予備以外に陰謀、教唆、扇動をまで罰しているのでありますけれども、これまたいずれも広きに失する感があるのであります。  さらに三十九條になりますと、今申し上げましたところとの比較において、はたしてこれを存置するだけの必要があるかどうかを疑うのであります。ただいまは特にこの扇動の点に重点を置いて申し上げたのでありますが、教唆につきましては、これは御承知通り刑法総則における教唆は、被教唆者が実行行為に出た場合に初めてこれを罰するのであります。それをこの法律の各規定では、独立罪として罰しているわけであります。被教唆者が何らの行為に出なくてもこれを罰するのであります。これは抽象的に考えますると、そういうことも十分に考えられることでありますけれども、実際にそれがどういうふうに動くかということを考えますならば、はたして被教唆者が犯罪の決意を生じたかどうかという点の認定が、これははなはだあやふやになつて来るのであります。特にそれが先ほど申しました捜査活動に関係するとなれば、なおさらこれは問題であろうと思うのであります。  かようにしまして、私は罰則の関係上では刑罰が重いか軽いかという問題よりは、構成要件が広過ぎる、そしてまた不明確であるという点を指摘したいのであります。そして特にその広過ぎまた不明確であるという点が、裁判所においてよりも捜査の面において弊害が予想されるのではないかと思うのであります。この点におきまして第二條の規制の基準に関する規定でありますが、ここに規制及び規制のための調査だけについて訓示規定が置かれているのでありますけれども、何ゆえに犯罪の捜査についても同様の規定を置かなかつたのかを私は怪しむのであります。  以上をもちまして定義と罰則に関する点を終りまして、規制の措置に関する点を申し上げたいと思います。全体といたしまして、私は規制の措置に関する手続に根本的に疑問を持つのであります。言うまでもなく、団体活動の制限あるいは団体解散の指定は、憲法の保障するところの言論の自由、集会の自由に対して非常に大きな危險をもたらすものであります。その自由を制限するにつきましては、よほど愼重でなければならない。私はこれは行政処分をもつて行い得るものかどうかを疑問とするものであります。私の見解を率直に申すならば、これはむしろ司法処分にすべきものではないかと思います。裁判所に持つて行くならば、これは手続が遅れる心配があるかもしれません。それではこういう活動に対する対策としてなまぬるい、間に合わないということになるかもしれません。しかしながら、審査委員会の決定に対する行政訴訟については、審理促進の規定も現に置かれております。こういう点を考えますと、訴訟処分といたしましても、これは十分に立案をする余地があるのではないかと思うのであります。この法案における手続においては、これは大体審理官の前で関係人が意見を述べることになるわけでありまして、必要な資料を提出いたしましても、審理官の前で取捨選択されてしまう。その取捨選択された残りのものが、残りと申すと語弊があるかもしれませんが、取捨選択された結果だけが、公安審査委員会にまわるわけであります。ここで大体書面審理でもつて決定が行われるわけであります。この手続もはなはだお粗末なように感じられるのであります。しかもその決定は、裁判所に行く前にすでに効力を発生するわけでありまして、これに対して行政訴訟が許されることにつきまして、二十四條の第二項に明文があるのでありますけれども、裁判所によつて救済を求めまして、かりに裁判所でその決定が取消される、変更されるということがありといたしましても、新聞紙等の発行停止でありますとか、あるいは集会の禁止等でありますとか、こういうものに対する救済としては、ほとんどナンセンスに近いものになるのであります。のみならず、二十四條第二項の規定は、これは解釈上当然の規定でありまして、これはなくても同じものであります。そしてこの行政事件訴訟特例法第十條第二項によりますと、公共の福祉に反する場合、あるいは内閣総理大臣から異議の申立があつた場合には、その職務の執行停止をすることができないことになるのであります。これははなはだ問題でありまして、先ほど申しましたように、もともと団体に対する措置は、司法処分に持つて行くべき性質のものであると思いますので、かりにその案を私ども申しますような考え方をとらないといたしましても、この法案のような行きをとりましても、最小限度において、第十條の第二項但書はこの場合には適用しないということにすべきではないかと思うのであります。これは一般の行政処分については、行政と司法との関係から申しまして、今の法律の十條二項の但書というものは、あつてもいい規定だとは思いますが、この法案規定されるような内容のものにつきましては、この規定ははなはだ不適当なものであります。憲法の権利を侵害する違憲のものであるというおそれがあると思うのであります。  要するに暴力活動を鎭圧するということは、これは民主主義の社会を維持発展して行くために必至のものであると思うのでありますが、はたしてこの法案のような建前によつてこれを押えることができるかどうか。今までに現われました事件を見ましても、現実に破壞活動として現われたものでさえも、これを十分に押えることができない状況のように見受けられるのであります。一方において現実に現われたものに対する措置でさえも、十分にできない状態でいながら、その背後のものまでをも押えよう、間接の危險のものまでも押えようとすることは、根本の態度として不適当のように思うのであります。またこの法案のように非常に強力なものになります場合には、これはその副作用が同時におそろしいわけであります。いわゆる角をためて牛を殺すの類にならなければ幸いだと思うのであります。  いろいろと申しましたが、要するに破壞活動の定義、あるいはそれに応じまして罰則の範囲が、不明確かつ広汎に失する、そういう点から犯罪の捜査あるいは規制のための調査が行き過ぎるおそれがある、そのために言論集会の自由が脅かされるおそれがあるという点が一つ、もう一つは、規制につきましては、これは行政処分によるべきものでなくして、司法処分によるべきものではないか、裁判所有罪判決をいたします場合に、それに応じて、さらに将来破壞活動を続ける十分なおそれがある場合に限つて裁判所団体に対する措置をきめる、かような方向で行くべきものと思うのであります。従いまして、私はこの法案に対しましては、根本的にその建前に賛成いたしかねるのでありますが、かりにこの法案を大体において認めるといたしましても、いろいろと個々の規定についてお考えいただきたい点が多々あるように存ずるのであります。以上をもつて私の陳述を終ります。
  77. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 公述人刑法学者として、特に本法案のごとく、行政上の保安処分の規定刑罰規定とを同一の法律規定することが、いわゆる法体系上いいか悪いかということと、現在の事態に対して、刑法をもつて足るというふうにお考えになるのかどうか、これをあらかじめ承つておきたいと思います。
  78. 團藤重光

    團藤公述人 ただいま委員長の申されました点は、私の先ほどの陳述の中で暗黙に申し上げたつもりであるのでありますが、私は法の論理的な体系という点から見て、必ずしも刑法の改正と、かような保安処分的な、あるいけ行政処分的なものとを一つにして規定するということに、反対するのではないのであります。これは規定の便宜であると思うのであります。しかしながら、最後に申し上げましたように、私は団体に対する措置は、これは司法処分によるべきものである、従つてまず直接かつ明白な危險がある場合における行為を、犯罪の構成要件として規定いたしまして、裁判所がその構成要件に当る事実があるということを認定した場合、つまり団体団体としての活動として、そういう行為をしたということを認定した場合、そうしてさらにその団体一定の事例によつて、将来その活動を継続するだけの十分の理由がある、こういう場合においては、これを司法処分として措置をとるべぎではないか、もしそのような体形をとるといたしますならば、むしろこの罰則は刑法の方に讓ることにして、団体に対する措置の面だけをこの形で規定する。しかもそれは裁判所に持つて行く形にするというのが適当ではないかと存じます。
  79. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 よくわかりました。  次は清瀬一郎君にお願いいたします。清瀬一郎君には、特に過激運動取締法、治安維持法時代の御経験から、破壞活動防止法案に対する批評を中心として御意見の開陳を願います。
  80. 清瀬一郎

    ○清瀬公述人 私は現在東京弁護士会所属の弁護士であります。それゆえに主として法律の面から意見を開陳いたしたいと思いますが、ただいま委員長のお示しもあることでありますから、この法案の全体のことについても、私少し敷衍いたしたいと思います。  私が今から申し上げますことは、大体四点につづまるのであります。第一は、本法案の対象とするところが不明確である。従つて非常に危險な要素を含んでいることであります。第二は、公安審査会というもので、国民の一番大切な自由権に関し、判断をせしむることは違法である。第三は、公安調査庁及び下部組織を特設することは不要である。第四点、その他二、三の法律問題ということにつづめて、簡單に申し上げたいと思います。  第一に、この法案で取締る、また対象とする事物、それ自身であります。これは名前はついてあるのです。暴力主義的破壞活動という名前だけはつけておりまするが、——第三條です。これは名前なんです。どんな名前をつけてもいい、その内容は何かというと、暴力主義的のものだけに限らない。第三條の一項二号をかりにごらんくださると、政治上の主義もしくは施策を推進し、または支持するため、またはこれに反対するためにやつた行為は、次のイないしヌに掲げる限りにおいては本法案規定の対象となる。政治上の主義とか政治上の施策と言つております、従前の治安維持法とか団体等規正令のように政治上の主義の種類、性質、方向をきめておりません。治安維持法では国体を変革し、私有財産を否認する政治上の活動を対象としておる。現行の団体等規正令は反民主的の政治主義を標準とし、反民主主義的または暴力、暗殺を推奬するような政治主義、そういう主義の団体活動をとめておるのであります。第三條を繰返して見ますと、結局の名前には暴力主義的破壞活動とは言つておりますが、これは名前です。内容についてはいかなる政治主義でも自由主義でも社会主義でも、施策はいかなる施策でもこれを実行するためにあるいは騒擾とか、あるいはしまいには公務執行妨害とか、これをやれば本法に入るのであります。よくごらんください。でありまするから、たとえば労働立法に反対だ、ゼネスト禁止に反対だ——労働立法もゼネスト禁止もこれは一つの施策です。それに反対だと言つて団体行動をする場合に、公務執行妨害をやれば二号のリに当ります。自由主義者がやつても当ります。共産主義者の活動にはこれは限つておりません。またたとえば学生が大学の自治を主張して活動をする、もしそれが公務執行の妨害となりまたは騒擾となるこのイからヌまでの行為になれば、これは入るのです。あるいは想像されることは、徴兵制度を政府がとろうとする、反対だというので、騒げばやはりこれに入る。この種の立法はそうじやなくして、騒擾の規則も、内乱の規則も古来の歴史からあるので、ほぼ完備しておる、ただ今日の世相でそれだけでは足らぬというのであつたら、言うと言わざると、いわゆる世界的に統制力を持つておる一種の破壞主義であります。いわゆる暴力革命を主張する主義であります。しかも一国共産主義ではなくして、某国より指示を受けた共産主義、それが困るというのでこの法律ができたのでありますから、何ら條件を付せずして政治上の主義のためにやるというのであれば行き過ぎだと思います。騒擾などというのは、必ずある施策か政治上の主義に反対して来るのです。第一号においても同じことが言えますが、はつきりするために、第二号だけについて私は申します。だからとめようとする行為が、今われわれがほんとうに心配しおる某国より指示を受けたところの人が、団体を組んでわが国——世間でいうサブヴアーシイヴ・アクテイヴイテイ、日本国のすべての政治基本を破壞する、そのようなものでないすべての政治行動、すべての施策を対象とするように読めるのでは、これはよくないと思います。立案者がこういうことをやつたことは想像がつくのです。日本憲法には言論の自由とか発表の自由があるから、どの主義のものをいかぬとすることにすると非難を受けるだろうというので、こうやつておるのでありましようが、しかし初めからその憲法を否認する人に対しては、その憲法の保護を遠慮なしに制限することは、これはいいのじやないか。昔は国体変革、私有財産否認、占領下出て来ました団体等規正令では第二條七号であります。反民主主義活動をやるために騒擾したり、公務執行妨害したり、そいつをはつきり押えるようになすつた方がいいのじやないか、かように思います。  それから第二には、今團藤先生よりの御陳述にも含んでおつたと思いますが、公安審査委員会で決定をする、しかもその決定の方法は書面審査、こういうことで日本憲法があれほどやかましく保障しておりますところの団結の自由、言論の自由、発表の自由を行政官の手にゆだねてしまうということは、いかにも残念なことであります。しかもこれらのことをなしたものという、これが内乱をなしたのか、騒擾をなしたのか、公務執行妨害をなしたのかは、日本では裁判所できまる、裁判所判決は後になります。裁判所がまだ内乱とも言わず、また騒擾とも言わず、いまだ公務執行妨害と言わぬうちに、書面審理公安審査委員会がその行動を停止させる、団体解散する。こんな大それたことをやりまして、内乱、騒擾が無罪になつたらどうするつもりです。委員諸君は腹でも切るおつもりですか。これはとんでもないことで、これはここにありまする内乱とか、あるいは騒擾とか、激発物破裂とか、放火とかいつた行為を裁判官が裁判するにつれて、同時にやるべきものなんです。こういうことをしたとか、被告を懲役十年にする、そのときに被告の属する団体解散を命ずる。これは一番安全でしよう。ただこの団体行為とか文書の頒布は、それで間に合わぬことがありましよう。そこで仮の処分といたしまして法務総裁の名をもつて裁判所に、非常に危險なことであるからこの新聞は停止してくれ、これからの団体行為は禁じてくれ、この団体にはかりに停止処分をしてくれとか——解散と言うとおかしいから、団体活動の停止の仮処分をお願いして、裁判所理由があるとすればとめておいて、ほんとう解散するやいなやはやはり裁判所の判定をまつのが私は当然であろうと思う。そうしたらやりそこなはないのです。内乱有罪と同時にその団体解散する。先に解散して、内乱はあとで無罪になるということになると、これは妙なことになりますから、立法のやり方については、なお詳しく研究の余地はあろうと思う。そういうことに責任をもつてみずから出て行くのが法務総裁です。日本の治安のために一番大切なことを身をもつてやるのは法務総裁で、外局の何々の庁でやるなんということはない。日本に内乱を企てんとする、日本を赤化せんとするという者があれば、十分調べて、法務総裁それ自身法廷に出て、証拠を開陳して団体解散をやる。これだけの熱意がなければいけません。ゆえに公安審査委員会制度は私は反対であります。  公安調査庁はこれはアメリカのFIBのようなものでよくないと思う。やはりこれらのことも犯罪であるならば、日本には検察庁、警察、刑事訴訟法及び警察法におのおのこれをなすべき義務があることが書いてあります。検察の組織と警察の組織とこのほかに並行してこれだけをやる別の組織をつくる必要なし。法案を見ましても、公安調査庁の長官のもとに、また公安調査局というものが八つもできます。地方公安調査局というものが四十二もできる。今の特審局は、これは戰争後占領軍が、日本が逆もどりしはせぬかという心配もあり、追放者を監視しなければならぬ、また中途以後においては、共産活動も監視しなければならぬ必要からできたが、平和が回復いたしましたならば、どこの国でもあるところの検察官と警察官でこれを調査するのがよいと思います。警察は一般の保安処分をやつております。それゆえに一方においては交通のことも注意しております。あるいは殴打、けんかあるいは衛生、印刷、各方面にわたつて警察があるので、その中で初めて日本が今一番心配しておる破壞活動だということがわかつて来るのです。破壞活動を調べるといつてもめつたに行き当るものではない。警察のような多方面な行政をやつているところで、ちようど砂をかいてはまぐりにかちつと当るように、そこで初めて発見するのが、これがわれわれも諸君も緒に心配しているところのある種の活動と思います。この法案言葉を借りて言えば破壞活動である、その組織の方がよいので、この一局、地方調査局の四十二、公安調査局の八を寄せますると、おそらくは十億近くの金がいるものと思います。この半分で一般警察、検察の仕事をやらされますと、おそらくはこれ以上な効果が上ろうと思いますから、その方がいいので、わざわざここにこういうような重複組織を挿入するには及ばないと私は考えております。これが第三点。  第四に、この法案は、ことに四月の十五日一部労働組合の要望もあつたと思います。中途でごきげんとりのような言葉だけのリツプ・サービスをやつておる。たとえば組合の正当な活動には適用せぬという。正当な活動に適用せぬのはあたりまえです。適用するときははや組合活動ではないのです。労働組合法による経済活動ではないのです。だから労働組合に全部適用せぬとは書いてない。労働組合の正当な組合に適用せぬというのであつたら、書かぬも同じことだ。これはもうお追従を言つておるようなものです。  それから第三條に、従前の破壞活動の上に暴力主義的とあります。暴力主義というのを一号か二号に持つて行かれたらこれは意味をなすのです。けれども初め名前だけをつけて、それも太郎という名前に太郎吉をつけるのと同じことです。言葉は同じものだ。これはリツプ・サービスで、こんなことでだまされる労働組合は今ないのです。これは昔のことです。  それから第二十四條です。第二十四條に行政事件訴訟特例法で訴訟ができると書いてある。こんなことは書かなくたつて日本の行政庁の決定に対してはできるということが同法に書いてあるのですから、これはなくてもよい。やめてしまつてよい。審査委員会の決定には行政訴訟ができるにきまつておる。それをできると書いて、この通りこの法案はできたけれども、行政訴訟ができますといつて、もう一ぺん注釈するなんということはいらぬことで、あのときの情勢から見れば、下手というよりもお追従が過ぎたというだけのことではないか。  それから「せん動」という文字のことについて團藤先生からお話がありました。この「せん動」というのは選挙法にもあるのです。選挙法の二百三十四條にあります。選挙法の「せん動」は何々の罪を犯さしむる目的をもつて扇動したるもの、目的犯にしておるのです。日本刑法でいう單純の行為だけの罪じやなくして、ある罪を犯さしむる目的をもつて、すなわち目的犯ということに選挙法はなつておるのです。それゆえに、どうしても立案者が「せん動」という文字を使いたいのであつたら、反民主的の政治運動を推奬する目的をもつてやつたという、せめては選挙法と同じ文字がないと、非常な弊害を生ずるのです。たいてい新聞の論説なんというものは、昔のことを書いてもこれは役に立たないです。孔子、孟子のことを書いたというのでは論説になりません。目下の世の中に起つた事件を批判するのです。論説の全体からして、某主義者のやつておることを支持する、それを支持するのみでなく、なさしめるという底意が現われたということでないと、單に今日起つた社会時相について批判する論文などをここに入れるということは、これは非常な危險なことであります。言論界におられる方々の心配ぜられることはそこであろうと思うのです。これほど世の中が心配しておるのだから、思い切つて「せん動」なんということはおとりなつたらいいと思うのです。どうしても執着するのであつたら、選挙法にあるようにこれを目的犯にでもしなければいけない、かように思つております。  幾らか時間が超過したろうと思いますが、これをもつて終ります。
  81. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 次は櫛田フキ君にお願いいたします。もつぱら婦人の立場から御意見の開陳を願いたいと思います。
  82. 櫛田フキ

    ○櫛田公述人 婦人民主倶楽部の櫛田フキでございます。  人間が頭が気になつたり、おなかや手足が気になり出したときは、痛いとか病気だと思うのでございます。健康のときには自分の頭があるのだか、おなかがあるだか、意識がないと思います。一国の政治もどうやらそうじやないかしらと思います。婦人は一般に政治にうといのでございますけれども、このごろたいへん政治のことが心配になり出して来たのでございます。これは政治がひどく悪いので、国民生活に大きな苦痛を與え出したのではないかしらと、たいへんに心もとなく思うのでございます。婦人は長年おしのように黙つて耐えて参りましたけれども、戰争で根本から生活を破壞されてしまいまして、ただいまでもなお苦しい生活が続いております。そのうちから主婦たちは、今までように自分の愛情や理性でもつて家族を幸福にすることはとうていできないということがわかつて参りました。家族の幸福を守るためには、どうしても政治に結付かなければならないというところまで成長して参りまして、政治によつてりつぱに社会的に解決して、自分たちの生活を安定させていただきたい、かようにたいへん政治に期待をかけておるのでございます。  ところが私たち婦人の願いというものは、ちつとも政治に反映させていただけないばかりでなくて、私たちの何よりも恐れております戰争、その戰争の方向に、戰争の準備にどんどん進んでおるということが、主婦たちのとても大きな苦労になつておりまして、もはや黙つてはおられなくなつたんでございます。さきごろの朝日新聞にも出ておりますが、朝日の声欄にも婦人の投書が多くなつて来た。それが個人的な悩みを訴えたのではなくて、社会的な問題、政治的な問題になつて来ておるというような記事が載つておりましたが、婦人たちは言わないではいられなくなりました。私たちは家庭ではみなたいへん重要な存在で、なくてはならないのでございますけれども、社会的にはたいへん無力で、みな臆病者ばかりでございます。せめて大勢が集まつて、同じ共通なこと、いろいろ不都合な生活の問題を話し合つてカを合せたならば、何とか勇気が出て、婦人なるがゆえに苦しんでおるいろいろな問題が解決され、不幸から解放されるのではないかというので、婦人たちが固まつて組織をつくり出しました。私の属しております婦人民主クラブでは、この六年間苦しい生活を何とかして切り開いて行こうといろいろお仕事をして参りました。政治的な発言をみなし出して来たのでございます。正直にいろいろなことを言い出して来たのでございます。そうして団結するいろいろな知恵もついて参りました。  ところがただいま問題にされております破壞活動防止法案というものは、この婦人をも含めた輿論の声、それを封じようといたしております。それからまた結束しようとしている者たちをくずそうとするような意図がたいへん含まれておるように存じます。戰後一旦廃止された治安維持法の復活ではないかと思います。これがもし通過したときには、再び治安維持法下の暗黒の日本に逆もどりするのではないか、たいへん心配なのでございます。私たちが知らない間に戰争に導き込まれてしまつたあの愚かさと罪深さをもう一度繰返すということになりますと、私たちはほんとうにどうしていいかわからないのでございます。平和を願つております婦人としては、たいへんむちやくちやな暴力的な悪法と思えるのでございますので、これは何とか撤回していただきたいというふうに考えております。  過般来労働組合がゼネストでこれに抗議をしたこと、それは当然なことでございますが、婦人団体でも私が属しております婦人民主クラブを初めとして、日本基督教女子青年会だの、それから矯風会だの、有権者同盟だの、日本大学婦人協会、また婦人平和協会というな婦人団体もこぞつてこれには猛反対をいたしておりまして、すでに政府に決議文を出しておりますから、皆様が御承知のことだと思います。  この法案のねらいが、共産党とその暴力的破壞活動を取締るのであつて言論を彈圧したり労働組合を圧迫するものではないと言明してございますけれども、昔治安維持法ができましたときにもその通り、国体の変革、私有財産否認の結社にだけ通用するのだ、適用するのだというふれ込みでございましたにもかかわらず、だんだん時とともに改悪に改悪を重ねまして、そうして解釈も自由に広げられまして、思想そのものを罰して、良心的な人を予防拘禁したことは、まだついこの間のことでございます。戰争中また戰前、学者だの文化人だの、それから宗教家までがつかまつておりましたことも、みんなまだ真新しい記憶として知つております。そのときに、婦選獲得同盟だの、民主的な婦人団体はみんなつぶされたり、つぶれてしまつたりして、大日本婦人会という、全体が戰争に協力する婦人団体に切りかえられてしまつたのでございます。  今再軍備を急ぐ政府にとつては、この法案を是が非でもお通しにならなければならないのでございましようけれども、それが通つたからといつて、戰争反対の輿論や運動を、この法律でもつてすつかりつぶしてしまうことは、とうていできないことだと思います。問題は、共産党や、たいへん強い団体には、この法律ができても、ほんとにかえるの顏に水をひつかけたみたいなことだろうと思いますけれども、婦人や何か、弱い者の団結というものが、ずいぶん阻害されると思うのでございます。この法案の解釈次第、それから認定の仕方次第で、ずいぶん広い範囲に圧迫が加えられるということを考えますと、ほんとに心配でございます。それは、思想言論、集会、結社の自由も奪つてしまうだろうと思います。民主憲法というものに、ずいぶん反した法律ではないか。ともかくも漏れ聞いておりますと、二十何回も修正されたそうでございますから、ずいぶん無理な法律で、政府としても自信があんまりおありにならないのではないかしらと思いますので、一層愼重にお考えになつていただきたいと思うのでございます。  この法案の提出についての政治的意図に反対なのでございますので、内容に触れるまでのこともないのでございますけれども、三点ほど意見を述べさしていただきます。  第一は暴力主義的破壞活動かどうかをきめるのが、はつきり政府機関裁判所を抜きにしておきめになる、しかもさつき申し上げました通り、制裁が加えられてしまうというような、ひどい独善なやり方なので、私たちはそれに反対でございます。そして運用次第では、婦人民主クラブも新聞を出しておりまして、外国の革命や内乱の報道をしたいと思うのですけれども、その内乱を報道したということで、扇動とか、その正当性を主張しているものとみなされないものでもないのでございます。新聞の報道も非常に不自由になりまして、結局検閲制度が復活するのではないか。これはたいへん逆コースだと思います。そして私たちがビラ一枚持つていても処罰されそうでございますから、破壞活動調査ということに名をかりまして、公安調査官とかそれから警官が自由に私たちの職場だの、それから事業場へ出入りしていろいろ聞きただすとか、それから新聞記者とか雑誌記者とか、放送の記者であるとか、いろいろそういう従業員や労働組合員などが尾行されるようなことも出て来るのじやないかと思います。ただいまでもそうなのに、また近所の人にいろいろなことを問い合せたり、何かその人が権力を振つてなさいますと、ひどい思想言論の彈圧ということに落ち込むのじやないかと思います。簡單に個人が不愉快な思いをするということだけではなしに、組合だの民主団体の発展が根こそぎ破壞されるということになりますので、文化団体、社交クラブ、ひいては婦人団体なんかまでも、圧迫を受けるような、これはたいへんな暗黒時代がまた再現するのではないかと、たいへんに心配なのでございます。  第二に、団体活動として、暴力主義的破壞活動行つた団体に対して云々というふうに書いてございますけれども、団体活動としてというのが、まことにあいまいな規定でございます。団体に属しているある個人がしたとか、またはその団体の下部組織の一支部の活動というものが、団体全部に責任がかかつて参りまして、解散させるというような事態も生じるのではないかしら、やつぱりこれは反民主的なことだと、心にかかるのでございます。それから第四條に「当該団体が継続又は反覆して将来さらに団体活動として暴力主義的破壞活動を行う明らかなおれがあると認めるに足りる十分な理由があるときは、」云々と書いてあるのでございますけれども、これもたいへんに「おそれ」というのが確かじやないのを、それが「明らかなおそれがある」というふうに書いてあるのですけれども、これは人のことだから、人の意思というものはそんなにはつきりわかるものじやない、たいへん主観的で、明らかにこれは団体行動へのおそるべき彈圧でございますので、基本人権の侵害にもなると思うのでございます。  第三には、憲法第二十八條には団体行動の権利は保障すると書いてございますし、第九十七條には基本的人権が保障されておりますし、これは読み上げるまでもなく、さらに第九十九條には、天皇も大臣も国会議員も、この憲法を尊重し擁護する義務を負うというふうに明記してございます。このように尊重すべき憲法では、何よりももう戰争はしないということが宣言してあるはずでございます。私は戰争こそが最大の暴力主義的な破壞活動だと思うのでございます。戰争をたくらんだなければならないのに、事が反対でございますのを、たいへんに私は残念に思います。近く憲法記念日、五度目を迎えようとしております。あの民主憲法を出しましたときのあの精神——私は毎日いつもここに、芦田均さんが発刊の辞を書いていらつしやる、新しい憲法は明るい生活というのを、ほんとうにお礼のように持つておりますのですけれどもここには平和世界建設を本の再生の道とする。民主主義の礎の上に立つて、文化日本を築き上げるのだ云々ということが、感激をもつて芦田均氏の言葉をもつて書かれておるのでございます。この精神に私どもがちやんと帰つてつて参りますならば、この恐るべき暴力的な破壞活動防止法案などというものは、無用なものになるのではないかと思うのでございます。  新しく独立した日本が、決して警察国家であつてはならないと思います。破壞活動防止法案を、どうかひつこめていただきたい。私は幾百万の平和を望んでいる婦人を代表して、述べさせていただきました。
  83. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 次は西島芳二君にお願いいたします。西島君には言論出版の自由の問題に関する立場から、もつぱら御意見を開陳していただきたいと思います。
  84. 西島芳二

    ○西島公述人 本法案が最終的に決定いたすまでには、昨年来法務府特審局の手によりまして、団体等規正令にかわるべきものが、二十数次にわたつて練られて来たのであります。当初の団体等規正法案以来たびたび発表せられました試案に対しましては、その都度われわれの所見を新聞紙上で述べて来たのであります。当初の案が公職追放とか、特審局員の強制調査権とか、団体の届出義務とか、そのほか占領治下の政令をそのまま延長するかのような内容を包含しておりましたのに対しましては、われわれは繰返しこれに反対の意思を表明して参つたのであります。その結果でもありましようか、木村総裁の代になりまして、かなりわれわれの言い分も汲み入れて、大幅に修正した感を受けたのであります。しかしながら今回提出されました破壞活動防止法案をもつてしましても、一般の新聞報道や言論活動に従事しておりますわれわれの不安を根本的に解消することができないのを遺憾に存ずる次第であります。ここに新聞に関係する一員としまして、本案に対する見解を開陳する次第であります。  一般的に論じますれば、およそ洋の東西を問わず、治安立法に基く言論の取締りと基本的人権として保障せられております言論の自由とは、二律背反的な傾向を持つておりまして、治安立法がよくもろ刃の劍とか、劍の上に彫刻せられた法律であるとか呼ばれるゆえんであります。治安維持の立場から、時の取締り官憲が国民言論活動内容に侵入して来れば来るほど、一般的な言論の自由はそれだけ脅威を受けるものであります。人間が頭の中で何を考えようと、それは自由であります。およそ言論が国家権力によつて規制を受けます場合は、その言論が何らかの形をとつて表面に現われた場合でありまして、その当人の思想動向のいかんを問わず、またその当人の意図のいかんにかかわらず、新聞、雑誌その他に現われた文字や、集会の席上で行われました演説や、あるいは放送などに現われた有形的な言論につきまして、結果的責任を負わされるものであります。この結果的責任を問う場合には、取締り官憲の主観的な判断が大きな働きをなすものでありますから、そこには不当な言論干渉を加える余地が生れて来るものであります。従いまして治安立法は、極力言論圧迫の可能性を残さないように立案せらるべきものでありまして、その立法のどこかに言論の自由を不当に圧迫する萌芽がひそんでおりますならば、将来必ずや言論干渉の端緒を開くものであります。この点は、わが国はかつて治安維持法の運用におきまして、苦い経験をなめておりますので、言論八は特にこの点に恐怖の念を抱いておるわけであります。かかる立場からわれわれは、もし治安立法を必要とするならば、必要最小限度のぎりぎりの線にしぼり上げねばならないことを繰返して主張して参つたわけであります。  そこで本法案におきましては、われわれの危惧するものがなお多く残存しておりますので、その点を少し具体的に開陳しておきたいのであります。全国の新聞、通信社をもつて組織せられております日本新聞協会では、かねて本立法に対し研究を重ねて参りました結果、結論を得て本法案に対する声明を発表しましたことは御承知通りでありまして、またあわせて研究の結論も報告されております。その結論は、要するに言論活動に対し、広汎あいまいな制限を加え、かつその規制を行政機関にゆだねることは、国民の正しい言論を萎縮させ、国政を危うくするおそれがある、との一句に盡きるのでありますが、次に多少の私見を加えまして、新聞人が今日危惧している諸点に、ついて意見を開陳してみたいと思うのであります。  その第一点は、何といいましても、この法案の第三條にうたわれております暴力主義的破壞活動の定義がきわめて広汎でありまして、一般的な言論活動に、不当に干渉を加えるおそれがあるという点であります。この点につきましては、すでに本委員会におきまして、各委員政府当局との間に質問応答が重ねられましたことを新聞紙上で拜見しおりますが、なおわれわれの危惧を解消せしめるに至つてはおらないのであります。それは言うまでもなく、第三條第一項一号のロに規定せられておりますところの、内乱の予備、陰謀、幇助などの行為の教唆もしくは扇動規定、同じくこれらの行為の実現を容易ならしめるため、その実現の正当性もしくは必要性を主張した文書もしくは図画を印刷、頒布、公然掲示、あるいは頒布または公然掲示の目的のための所持を暴力主義的破壞活動の中に入れていることであります。  一口に内乱の扇動危險であるといいますが何が内乱の予備、陰謀、幇助などの行為の教唆、扇動であるかということになりますと、具体的には必ずしも明確ではないのであります。社会改革の必然性を立証する理論の研究や発表、あるいはマルクス主義文献の所持などが、ただちにこの條項に触れるとは思いませんが、かかる革命理論は実踐行動と結びつく可能性が多いわけでありまして、ある新聞や雑誌に、マルクス主義の立場から社会革命の必然性を説いた論文が掲載されまして、それに影響を受けた青年が、革命の実踐活動を行つたという場合に、もし本法の扇動罪の容疑にひつかかるというようなことになりますと、社会科学の探究や、その発表の上に、不測の圧迫を投げかける結果となるわけであります。  さらに本法第三條第一項第二号のイからリまでに列挙されております行為を「政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対するため、」に行つた場合や、またそれらの行為の予備、陰謀、教唆、扇動を行つた場合も、暴力主義的破壞活動の中に入れておりますが、ここへ参りますと、一層言論取締りの範囲が広汎であることを痛感するのであります。ここで用いられている「政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対するため、」という言葉は、政治資金規正法中に政党その他の政治団体の定義に使われた言葉でありますから、その用語法から連想すると、本條項では政党の活動や労働組合その他の団体政治的意図のもとにある行為を行つた場合の取締り規定というふうに受取れます。もちろん新聞、雑誌なども団体の組織で運営されていますから、それが政治的意思をもつて活動する以上、本條項の適用を受けます。もちろん合法的に存在する団体であります以上、いずれの団体もその表面に騒擾罪を目的とする団体であるとか、殺人強盗を目的とする団体であるとか、公務執行妨害を専門とする団体であるとかを公然に名乗る団体がありようはずはありません。表面は他の名前に隠れて、実質はかかる暴力行為を目的とする団体であるとするならば、これは別問題ですが、ある種の政党なり、組合なり、団体なりが、その政治意思を実現する途上におきまして、不幸にして、本條項に並べてあるような行為を伴つた場合にどうなるのか。偶発的な暴力行為を引起した場合は、本法の対象とはならない、と当局は説明しておるようでありますが、要するに、結果的責任を負うものでありますから、時と場合によつては、その団体員の行動に団体が責任を負わねばならないはめに陷らないとは限らないのであります。たとえば、ある全国的な公共機関にストライキが起つたとします。勢いの激するところ、警官と組合員との衝突も起るでありましようし、騒擾罪の様相を呈することも起りましよう。かかる場合に、そのストライキの合法性を支持し、ストライキの敢行をやむなしと是認し、あるいはそのストライキを起すことを妥当とみなし、それによつて内閣が倒れることをむしろ歓迎するような言論がある新聞の社説に現われたといたします。社説というものは、新聞社という団体の代表的な意思であります。そこでかかる社説は、本條項のヌの扇動行為に該当するものとして、その新聞社は解散せられ、執筆者は扇動罪に問われるというような危險性が、絶対にないとは言えないと思うのであります。  これはほんの一例でありまするが、このような危惧が生れるのも、本法第三條に規定せられておりまする「暴力主義的破壞活動」の定義が、きわめて広汎、かつあいまいなところにあるといつても決して過言ではないのであります。立法者は、本條項の適用にあたりましては、もつぱら具体的な外面的行動を基準とするのであつて、観念の明確を期し、拡張濫用の危險を避け、特に言論の取締りには必要最少限度にとどめるといつておりますが、拡張解釈の弊を避けるためには、一片の濫用防止の宣言的規定では満足することはできないのであります。それには本法の実体規定の中から、拡張濫用されるような字句を削ることが何よりも肝要であります。  そのほか、このように破壞活動が行動をまたずとも、言論そのものの形で行われた場合にも、団体規制または処罰の対象となつたり、あるいは公開の集会の席上で行われた場合にも同様に規制せられることは、言論集会の自由に著しい制約を加えるものであります。またこのような破壞活動を将来さらに行うという明らかなおそれがあると認めるに足りる十分な理由があると行政機関が認定した場合には、団体規制処分が行われるという点にも多大の言論圧迫のおそれがあるわけであります。あるいはまた公安審査委員会と公安調査庁の関係も、ちようど検察庁と裁判所の関係に似ておるようでありまするが、それならば準司法機能を営むところの公安審査委員会が、直接審理も行わず、書面審理だけで審査に当るというような簡略な仕組みになつておりますることは、迅速に事案を処理する必要から出ておるといつておりまするが、これはむしろ逆に、準司法機能を営む公安審査委員会の方の審理を公開にし、直接審理を行い、愼重な手続をふむべきではないかと思います。しかもその処分に対する行政訴訟の道が開かれておるといいましても、行政事件訴訟特例法第十條第二項但書の規定によりまして、執行の停止に対し内閣総理大臣が異議を述べたときは、停止の申立てもできないようになつておることも、言論干渉の余地を残しておるものといわなければならぬのであります。  さらに公安一調査官の調査権の行使や、司法警察官の行う押收、捜索、検証に立ち会う権利の行使などが、公安調査官をして言論圧迫に道を開くものではないでありましようか、この危險性はきわめて大きいのであります。およそ法律というものは一旦成立いたしますると、立法者の意図を離れてひとり歩きをいたしまするし、また公安調査庁の機構が確立いたしますると、旧特高的な活動を開始するおそれがあるのでありまして、役人といいますものは仕事がなくなりますと新たに仕事をつくる弊害に陷りやすいのであります。それはこれまでの経験から見ましても十分に予想されるところであります。結局末端の公安調査官の手によつて本法のような、言論圧迫に重大なおそれのある法律が運用されるというところに多大の危惧があるということを最後につけ加えておくものであります。
  85. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 次は大森眞一郎君にお願いします。主として農民組合の立場から本法案に対する御意見を承りたいと思います。
  86. 大森眞一郎

    ○大森公述人 日本農民組合総本部の事務局長をいたしております大森であります。私は法律上の問題は専門でありませんから、農民運動の立場からいたしまして、本法案が施行された場合に受ける影響を主として申し述べたいと存ずる次第であります。  時間の関係で結論から申し上げまするが、私は、この法案につきましては、農民団体がこぞつて反対いたしておりまして、これは單に修正という意見でなく、立法そのものに反対するという態度をとつておりまするので、その点を申し上げておきまするが、大ざつぱに申し上げまして、これは私ども運動を続けておりまする者にとりましては、かつての治安維持法によつてわれわれが不当な犠牲を払わせられて参りまして、正しい民主的な運動がこれによつて規制されたあの事実から見まして、法理論上はいろいろな差異があるとは思いまするけれども、大衆運動に與える影響という点では、やはり治安維持法のあの弊害が再び来るというふうに解釈されるのであります。  第二点といたしましては、これは治安立法そのものに本質的に備わるものでありますが、常にときの政府の、あるいは一つ政治的な情勢によりまして、法の運用が左右されやすい性格のものであります。ことに現在のように、わが国事態が国際的な影響を非常に負うような状態にある際におきましては、ことにそういう点について政治的な解釈によつて、この法案が運用される危險があるということを、われわれ農民運動者といたしましては、自分の経験からいたしましても感ぜられる点であります。  第三点といたしましては、このような治安立法ができますると、單にこれは最小限度にとどめると言うておりますけれども、実際におきましては、治安維持法が次々に改悪されましたように、次々に拡張解釈、あるいは法の適用範囲を拡大されて、運動が彈圧される結果になるということを、私どもは非常に危惧しておるものであります。  第四点といたしまして、現在すでに終戰後の運動を通じて見まして、最近に至りましては、ことに再軍備論が問題になつて来ましてから、われわれの運動の内部にも、現実にある種の圧迫が来つつあるということを感ぜられるのであります。従つてこういう広い解釈のできる法案が通過するといたしますれば、現在すでに禁止されておりながらもなおわれわれの基本人権が圧迫されるような形で、たとえば言論の自由が漸次拘束されるような形が現われておる傾向がさらに強められる、以上のような大ざつぱな見地からも、私どもは本法案については、反対の立場をとらざるを得ないのであります。  次に若干内容に触れて申し上げたいと思うのでありまするが、この暴力主義的破壞活動という解釈につきましては、先般来公述人が申しておられるように、非常に広い解釈がとられるのでありまして、私どもはこういう漠然とした、あるいは言い過ぎかもしれませんが、非常に広く解釈される暴力主義的破壞活動というようなものによつて規制されることについては、非常に疑義を持つものであります。次にこの規制の基準となりまする第二條関係につきましては、いろいろ訓辞的規定がございまするが、実際上は書いても書かぬでもよろしいことでありまして、実際上の適用には、いわゆる国内の情勢がさらに緊迫するような形になりますれば、どうにでもこれは解釈されるものでありますから、決してこういう思想、信教、集会、結社その他云々というような制限規定、あるいは労働組合その他の団体の正当な活動を制限しないということが言われておりましても、これは実際上には何ら役に立たないものであるというふうに解釈されるのであります。  第三條関係につきまして、特に私どもが実際の運動の面から非常に恐れを抱くのは、いわゆる扇動という言葉であります。この扇動は、これでは明確な規定がありませんので、どの範囲までを扇動と見るかということが考えられるのでありますが、これは一つの例をとつてみますと、大体大衆運動において、時の政府の政策に対して批判的な立場が多くの場合とられるのでありまして、現在では吉田内閣でありますから、吉田内閣打倒というようなスローガンが掲げられる場合が多いのであります。しかしこのスローガンは非常に抽象的でありまして、全国的なスーローガンとしては一応そういう形になりますが、これが実際運動で大衆運動の宣伝技術の関係から申しますと、末端のじかに大衆と結びつくときのスローガンとしましては「吉田内閣をやつつけろ」というような表現になるのであります。さらにもつと端的に行きますと「吉田をやつつけろ」というようなスローガンにまで発展するのでありますが、その際もしこの団体の構成が——団体自体は決して破壞行動をやるものでありませんけれども、団体に所属する構成員というものは、政治的な意見はいろいろ異なつた人たち、思想的にも異なつた人たちを農民団体のような大衆団体では包容しておるのでありますから、もし末端の個人が、何らかの暴力的な行動を現わしたと仮定いたしました際に、このスローガンを決定しました執行部が全員、扇動あるいは教唆というような條項によつて彈圧を受ける危險が多いと思われるのであります。でありまするから、私どもはこういう解釈が、しかもこれは正当にあるいは裁判によつて十分審理されて判断されるのでなく、後に規定されておりますように、公安審査委員会において一方的な判断、また委員会にかける前に、すでに行政官によつて一方的に判断されて、そしてそれがただちに行政処分になるというような形がとられるのでありますから、しかもその解釈が、公安委員会にいたしましても、公安調査庁にいたしましても、どちらも法務総裁の直轄下にある行政機関でありまして、政府に対する批判的な行動に対しましては、その反対の側からの解釈がとられる。そういう意味から言いまして、非常に一方的な解釈で行政処分が実施されるという危險があろうと思うのであります。その点が私どもの非常に不安に感ずるところであります。ことにこれは文書、ポスターにまでその範囲が拡張するのであります。こういう点から申しますと、私どものような農民運動——特に意識の水準が低いといわれる、また非常におとなしいといわれる農民運動のごときは、非常に脅威を感ずるのでありまして、正しい民主的な農民運動が破壞されることになるわけであります。  次に同じ点でありますが、これが捜査の面で、あるいは調査に名をかりる司法官なり、あるいは調査官なりの行動が、結局この法案内容から見てみますと、やはり特高警察を復活するような形が出て来ると思われるのであります。現にわれわれの演説会におきましても、このごろは地方の末端に行くと警察官が必ず立ち会うというような事態が出て来ておるのでありますが、これがこの法案が実施されることになりますれば、かれらはほんとうに自信を持つて各家庭を訪問し、農民の組織を破壞するということは、今までの経験上からはつきり申し上げることができるのであります。こういう点に私は問題があろうかと存じます。  それから第四條に参りますと、さらに暴力主義的破壞活動を行う明らかなおそれがあるというような形で表現されておりますが、これは先ほど申し上げました公安審査委員会にせよ、あるいは調査庁にいたしましても、その解釈がどうにでもとり得る。われわれの運動を破壞あるいは制限しようとすれば、どうにでも解釈のできることであるというふうに考えられるわけであります。  次に第三條の第二号について若干申し上げたいと思います。この第二号のイのいわゆる騒擾に対する行為でありますが、これはストライキなどの場合にはこういう解釈が非常にとられやすい危險であろうかと存ずるのであります。私ども農民運動の場合ではストライキ権がありませんので、農民は大衆的な要請運動を今日でもやつておるのであります。後ほど若干申し上げます。が、米の供出の問題等においても大衆行動によらざるを得ないような事態に最近ではなつて来ております。税金の問題にいたしましても、合法、合理的な幹部だけの折衝ではわれわれの意思が反映できないというような形が随所に見られるのでありまして、どうしても大衆的な要請運動が起り、これを拒否する税務署との間に、あるいは警察との間に、若干の摩擦を生ずることも考えられるのでありまして、そうした場合にただちにこれが騒擾というような判定で団体支部の解散あるいは団体自体解散というような形が行政処分として行われる場合には、われわれの運動は継続できないというふうに考えるのであります。ことに行政処分でやつた場合、たとえば私どもがいろいろな要請運動をやる場合、あるいは労働者のストライキの場合には最もはつきりしておるのでありますが、もしストライキの際に、この行政処分を受けて労働組合が解散されてしまうならば、ストライキに敗れるということは当然なのでありますから、こういう点からしましても、行政処分によつてまず解散させる、あるいは団体活動規制する、あるいは出版物を押えるというようなことは、非常に一方的でありまして、正しい運動を抑圧することになると考えられるのであります。  なお二号のトの項などにいわゆる強盗というような規定がありますが、現在では労働組合で生産管理をやれば、これを強盗というような解釈を警察あたりでは盛んにやつておるのでありまして、これも非常に拡張された解釈であり、それが行政処分の基礎になるというふうに考えられます。この各項は私どもの経験上から見まして非常に危險をはらんでおるように解釈されるのであります。ことにリにおきましての公務執行妨害、こういう問題につきましては、たとえば各地の供米の場合でも、ほとんど割当自体に無理があるにもかかわらず、農民が自分の飯米までも押えられるような事態が発生した場合、自分の生活防衛のために大衆行動に移ることがあるのであります、こうした際警官との間に衝突が起るやむを得ない事態も発生するのでありますが、これが公務執行妨害に該当することになり、ただちに行政処分に移されるというような形を考えますと、本法案の通過することは、農民運動あるいは労働運動が正しい姿で発展しなくて、かえつてある意味では暴力主義的な行動に余儀なく追い込められる危險がある。これは私ども戰前に運動をやつておりました関係から、そういう危險がこの破防法を通じて現われて来るのでありまして、結局民主的な運動をむしろ破壞する結果になりはせぬかという点を危惧いたす次第であります。  要するに農民組合の立場からいたしますると、現在政府は私どもに団体権あるいは団体交渉権というものを與えないばかりでなく、一方ではこの治安立法によつてわれわれの任意組合の運動すらが多くの制限を受けるような形になつて参りますことにつきまして、私ども非常に疑念を持つておるものであります。  以上簡單でありまするが、大体本案の内容を見まして、治安維持法当時のあの運動に対する抑圧が再び来るのではなかろうかという不安を、農民自体あるいは労働者の間で強く持たれておるということをお考えいただきまして、十分審査せられると同時に、私どもの希望では、本案を撤回していただきたいというふうに考える次第であります。
  87. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 最後に河原亮三郎君にお願いいたします。河原君には特に労働争議の体験を中心にして御意見を承りたいと思います。
  88. 河原亮三郎

    ○河原公述人 東京芝浦電気の勤労部長であります。  現在のこの困難な国際環境の中における日本を考え、また昨今の国内治安情勢に関心を寄せておる者はたれでも、この問題の破防法は、こうした不安を釀成する団体とか、またはこういう団体に対抗する反動団体といつたようなものを対象としておるのであろうと、簡單にきめてかかるのが常識ではないかと思います。ところが破防法が世に問われるに及んで、これに最も大きく反対したのは労働組合であります。しかも幾年かの苦い経験を重ねて、大きく立ち直つたと労資双方から信頼されておる多くの民主的な労働組合が、内部のいろいろの事情はありますでしよううが、未曽有のゼネストをかけてこの法案に抗議したということは、まことにゆるがせにできない問題であると思います。  私は経営者の側にあつて、身近な具体的な労働問題について、日常労働組合と接触し、労資関係の調整と改善のために心魂を傾けておる関係から、特にこの事実を重視しておるのであります。法律にはしろうとではありますが、きようはこの立場から所見を述べ、みたいと思うのであります。  破防法の第一條規定するこの法律の目的、または第二條にうたつているとの法律規制の基準等は、抽象的でありまして、先ほどからいろいろ不明確であるというお話がありましたが、われわれすなおに読む者にとつては、この法律の基本的な考え方を十分明示しておるのであつて政府がこの法案国会に提出する前に、労働組合の誤解を解くためだということで追加したといわれる「いやしくもこれを濫用し、労働組合その他の団体の正当な活動」云々という第二條第二項をまつまでもなく、この法案の持つ性格、使命というものを十分表わしているように思います。さらに第三條に定義しております暴力主義的破壞活動内容について見てみますと、内乱関係でありますとか、政治的目的のいわゆる暴力行為というようなものでありまして、民主的な議会主義の憲法を肯定する以上、まことに当然のことばかりでありまして、少くとも現在の法律で保護されている労働組合運動の目的とは何ら関係のないものであります。またかりに組合活動に関連してこれらの行為がなされることを予想したとしましても、それはたまたま組合活動の名によつてなされたにすぎないもので、それぞれ單独の違法行為として、一般市民と同様の立場で当然法の適用を受けなければならないものであつて、正当な組合活動そのものとは無関係であると考えるのであります。  かつて世相がこんとんとしておつた当時、尖鋭化した組合活動は往々にして刑事犯罪を伴い、しかも一部にはその正当性を主張するように考えられる表現をされる者も現れて、識者をして健全な組合運動の将来を憂えしめたのであります。これは外から與えられた急激な民主的変革の濫膓期に犯した一つの誤謬であります。幸いに占領軍の機宜の措置と、労働組合内部からほうはいとして起つた組合民主化運動の結果、もはや今日では労働組合の行為ならば、たといここに掲げられるような行為があつたとしても、何ら取締りの対象とならないと考える者はあり得なくなつたと思うのであります。われわれは現在のわが国の常識的な大衆が組織するまことの労働組合であるならば、まさかこの法律で定められておるような行為をなすものであるとは考えませんし、また将来もこの種行為をなす危險があるものとも思わないのであります。  伝えられるところによりますと、世上往々第三條に規定する文書、図画等の印刷、頒布、掲示等に関することが、組合活動としての機関活動と微妙な関係があるように言われておるのでありますが、これらの行為には、内乱その他の予備、陰謀、幇助といつたような問題に関し、その実現の正当性もしくは必要性を主張する内容を持つおる文書だという限定があるように思いますし、また所持についても「頒布若しくは公然掲示する目的」のもとにおける所持という意味で、これまた條件がつけられているのでありますかり、およそ正常な労働組合運動には関係がないものと思うのであります。  一部組合関係者が法案内容にすなおに触れることをせずに、または自分で非常な拡張解釈をして、組合機関紙などに関連して、破防法反対を宣伝する向きがあつたり、またこの法律の対象となる団体として極右とか極左とか叶いうことを明確に示していないので、労働組合や生活協同組合のようなものでもうかうかしておると容易にこの法律の対象となるような印象を持つような説明をして、故意にこれら善良な組合に恐怖感を與えるようなことを宣伝しておる向きもあるように思うのでありますが、労働組合や協同組合が本来の目的をはずれて反覆的にこの法律に定めるような破壞活動をする場合があるとすれば、それはもはや労働組合や協同組合ではなく、特殊の……。     〔「どんなのが組合だ」と呼ぶ者あり〕
  89. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 御静粛に願います。
  90. 河原亮三郎

    ○河原公述人 人物や集団がその組合の名によつて特殊の目的を達しようとするのが真相ではないかと思います。私の体験よつても労働組合が時の世間の常識からかけ離れた暴力を振うようなときはたいていその指導層に不純な面がある、結局例外なく常識的な大衆から葬り去られているのであります。この意味において、世間並に組織され、運営されている団体は、この法律の対象となることはとうてい想像ができないと思うのであります。この間の十八日の破防法反対ストのとき、私の知つている範囲に、上部機関からスト指示を受けた甲、乙二つの労働組合がありました。甲は幾多の鬪争経歴を持ち、労働組合的には十分成育したものであり、乙は、その構成員はおおむね実直であつて、組合としてはなお形式的な域を脱していないたぐいのものでありましたが、甲は熱へ心な、白熱的な論戰の結果ストに対しては過半数を制することができないで中止をしました。かえつて乙は指示に従つてストを行つておるのであります。これは特殊な例ではなく、今度の破防法反対ストの一断面を示しておるものとして軽視できないのであります。  本法案内容をすなおに検討すれば、本法案そのものを否定することはできないのではないかと思うのであります。さすがに責任ある中央組合の発表した公文書でありますが、それによりますと、われわれの見るところでは、この法律の目的を否定するものではないという立場をとつているのはしごくごもつともで、ただ同一目的が現在の刑法及び取締り法規の適用によつて達し得るという理由で反対しているようであります。政府が現在の法律で十分目的を達し得るのに、好んで屋上屋をつくるというようなことは、われわれには考えられないことであり、現在の法律だけでは、占領軍によつて補強せられていたこの種取締りの目的を達し得られないという、責任ある政府の懸念を不当とする根拠はないように思うのであります。ともかくも破防法が忽然として今われわれの社会につくり出されるというものではなく、占領解除によつて生ずる事態に必要最小限の規制措置であり、実質的にはこの関係におけるきのうまでの秩序を最小限度において日本のものとして再現しようとするものにすぎないじやないかというぐあいにも考えられるのであります。  なおこの法案中に含まれる扇動ということが大分問題になつているようでありますが、私は過去に扇動によつて大いに悩まされた経験を持つております。法律でいう扇動というのはどういうものであるかということはしばらくおきまして、一般に暴力主義的大衆運動家といいますか、そういうのはいわゆる扇動技術に長じておるもののようであります。かつて労働組合運動の中に持ち込んだ扇動の結果として、労使双方に回復しがたい損害を強制した事例は決して少くないのであります。最近の洗練された労働組合は、骨の折れる宣伝に力を入れ、扇動による直接的な効果をねらう行き方がだんだん少くなつておるのでありますが、もちろんこれらのわれわれの言う扇動は、本法律にいう扇動とは無関係ではありましようが、計画せられた扇動は、実際的な組織せられた暴力主義的破壞活動の前触れであり、またその源となる点において重視せられるのは当然だと思います。ただ巧妙な扇動は概して判定の困難な場合が多いと思いますが、この法律規制の対象となる扇動というのは、われわれ常識者をもつて議論余地がないほどのものをさすであろうということを、私は信じて疑わないのであります。  また労働組合方面で破防法はかつての治安維持法にまさる悪法であると言つて反対する向きもあり、先ほどからもそういうお話がありましたが、かつて治安維持法が悪用された当時に比して、現在ははるかにデモクラシーが実質的に浸透していることはもはや争う余地がなく、憲法の基本的人権の保障について国民の意識が著しく高度のものとなつていること、及び政府もこれについては最大の関心を払わねばならないこと等から考えて、この法律がかつての治安維持法のように悪用される機会はあり得ないのではないかというふうに考えるのであります。現在将来を杞憂して、一応現在肯定し得る最小限の制度自体を否認することは、平和をこいねがう国民として適当ではないのじやないかと考えます。  以上で私の公述を終ります。
  91. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 先ほど團藤教授から、行政的処分と刑罰規定とを一つ法律の中に規定するも、法体系としては論理的に矛盾するものではないという趣旨の御意見の開陳があつたように拜聴しましたが、本法案のように、行政機関が行う行政的保安処分と、裁判所が適用する刑罰規定とを並列する場合でもそうであるのか、あるいはまたしからずして、刑罰規定により裁判があり、その裁判に付随して裁判所が行政的保安処分をなす場合にその矛盾がないという意味であるか、この点をあらかじめ明らかにしておきたいと思いますので、團藤教授の御意見を承りたいと思います。
  92. 團藤重光

    團藤公述人 問題はやはり根本的なものに触れて来ると思うのでありますが、この法案規定されておりますところは、犯罪の面、罰則の面をも相当技術的に取上げようとしているように見受けられるのであります。これは団体に対する規制の見地と相関連して来るからであると思われるのでありまして、そのように技術的に規定を設けるということになりますと、これは勢い刑法の改正として、刑法典の中に組み入れるということが困難になつて来ると思うのであります。先ほど私が申し上げました趣旨は、この法案における罰則は、その技術性にもかかわらず広過ぎるということを申し上げたのでありまして、なるべく刑法典の規定に近づけるべきではないか、またなるべく現行刑法における規定でもつてまかなつて行く方針をとるべきではないか、かように申し上げたわけであります。そのような立場をとるといたしますと、これは本法の中に規定するのはおかしいのであつて、罰則はやはり刑法の改正、刑法典そのものに手をつけるということに持つて行くべきであろうと思うのであります。  ただ一点つけ加えて申し上げます。と、こういう特別法の形でありますと、刑法のようないわゆる基本法典と違いまして、立案の過程におきましても、たとえば法務府にありますところの法制審議会にはかけないというようなことになりますので、そういう立案の手続の面から申しますならば、実質的に刑法の改正、しかも相当重要な改正と目さるべきこの法案の罰則のごときは、これは当然に刑法の改正と同じ扱いをすべきではないか、こういう点をつけ加えて申し上げたいのであります。法律の体裁としましては、委員長が仰せられましたどちらの道をとるといたしましても、これはやはり便宜の問題でありまして、必ずしもこだわる必要はないと思うのであります。
  93. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 御意見のほどはよく了承いたしました。以上をもつて一応各公述人の供述は終了いたしました。  これより各公述人に対する質疑を順次許しますから、質疑は大体において五分以内にお願いすることにいたします。また御答弁は努めて簡單にお願いいたしたいと思います。なお清瀬一郎君と西島芳二君はやむを得ない事情のために退席されましたので、他の公述人に対して御質疑を願います。田嶋好文君。
  94. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員 時間が制限せられておりますので、質問の要綱だけ簡略にお伺いいたします。  まず團藤先生にお尋ねをいたしますが、先ほどのお言葉で非常に参考になる点が多かつたのであります。まず第  一点といたしまして、扇動が本国会において問題になつておりますのは御承知通りであります。われわれも扇動に対して問題視しておるのでございますけれども、扇動にかわるべき何かの処置、何かの方法はこの法案に見つからないものか。第二点は、この法案からは全然扇動を抹消する必要があると断定的にお考えであるか。第三点は、先生はこの処分を司法処分とすべきものであるというお説のように承りましたが、これも一応本国会において問題になつておる点でございますが、政府の考えは答弁されておるところで御承知でありましようが、われわれといたしましても、こうした破壞活動団体に対する解散機関紙の発刊停止というものは、行政行為であつて裁判行為ではないのじやないかというような考えを持つものであります。先生が司法処分にすべきであるといつた場合のようなものが多かつたと思いますが、司法処分とすべきものという根拠をひとつ伺つておきたい。この三点であります。  次に櫛田さんに率直にお伺いいたします。非常にいいお説を承りましたが、日本国民は女の方ばかりでなしに戰争を好む者は一人もないと思う。みんなが平和を念願しておる。国会にいる者で戰争を好む者はいない。ただ戰争を好む者があるとすれば、国際的なつながりを持つ破壞活動分子です。それ以外の政党で戰争を好む政党はないのです。それでお聞きするのですが、破壞活動を事とする団体があるとお考えになつておるのか、ないとお考えになつておるのか。
  95. 團藤重光

    團藤公述人 第一点、扇動にかわるものとしましては、私は教唆を独立罪とする点で相当まかなえるのではないかと考えております。教唆は必ずしも特定少数の者に対する場合に限らないのではないか。相手方に決意を生ぜしめることがあれば、教唆行為が特定多数の者に向けられました場合においても、これを教唆とすることができるのではないか。但し教唆を独立罪とすること自体につきましても、若干の疑問を持つことは先ほど申し上げた通りであります。従つて第二点、扇動は抹消するのが至当であると存じます。第三点、司法処分としなければならないという根拠といたしましては、言論、集会の自由を制限するということはきわめて重大なことでありまして、これは団体活動犯罪を構成するという程度の場合に至つて初めてなし得ることではないか。そういたしますならば、裁判所においてまず有罪判決があつた場合に、その裁判所においてその措置をとるのが適当ではないか。これは旧新聞紙法においても、有罪判決の言渡しと同時に新聞紙の発刊停止の処分をする規定があつたのでありますが、少くともその線で行くべきであると考えます。
  96. 櫛田フキ

    ○櫛田公述人 お答えいたします。暴力主義破壞活動を目的としている団体はないと存じます。
  97. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 大西正男君。
  98. 大西正男

    ○大西(正)委員 團藤教授にお尋ね申し上げます。教授は、扇動、教唆などは削除しろ、また団体規制も本来司法処分で行くべきであるという御意見でありまして、私どもはその御意見に対しましてまことに敬意を表して拜聴した次第であります。つきましては、第一点は、この破防法が対象とするその対象を明確化する必要があるかどうか、ありとすれば、どの程度明確化したならばよいであろうか。第二点は、この司法処分を裁判所が行います際に、その手続は行政事件訴訟特例法の弟一條による公法上の権利関係に関する訴訟ということで、民訴の適用を受けるものでありましようか、またそうでなくて、何らかの訴訟手続を必要とするものでありましようか、その点を伺いたいと思います。
  99. 團藤重光

    團藤公述人 第一点は、やはり第三條をもう少し整理すべきではないかということであります。こまかくなりますと非常に問題かと思いますが、大体そういうことを考えております。  第二点、司法処分とすることを考えるにつきましては、もし現行法のままで司法処分とすれば、仰せのようなことになると思うのであります。しかしながら、そのようなことにいたしますならば、治安維持という面から見まして、はたして十分に効果を上げ得るかどうかという問題になると思うのでありまして、これは別個の手続を考えるということが必要ではなかろうかと存じます。そして場合によりましては、一種の仮執行のようなことを考えまして、第一審の判決がありました際に、まだ上訴の余地がある未確定の状態でありましても、一定の措置をとることができるという道を設けるべきではないか。これは現在の二十四條第二項及び特例法第十條二項但書の運用によりますよりもはるかに当事者に対する保護になるのではないかと存ずるのであります。
  100. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 ただいま第三條の條文の整理の問題があげられたようでありますが、この「せん動」に次いで「又は」以下の文書活動は「せん動」の範疇に入るものではないかという疑念があるようでありますが、この点に対する教授の御意見はいかがでありますか。
  101. 團藤重光

    團藤公述人 おそらく私も同様に考えるのでありますが、この規定ではおそらく明確を期する意味で特に明示したものであろうと存じます。なるべくならば「せん動」と同時に「又は」以下も同時に削るべきではないか、かように存ずるのであります。
  102. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 よくわかりました。
  103. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 関連してお伺いしたいのですが、第一に、特別の刑罰規定を設けているから、その刑罰に関するものは刑法でまかなうことが至当である。こう言われる。われわれもそう考えるが、この点に関することを一つ。それからかような国民の自由言論を抑圧するものは、司法処置として裁判所で審判させることがよろしいということ、これももちろんわれわれも考えおります。それから急迫なる場合に仮処分でやれるのではないか、この三点について承りたいと存じます。  かりにあなたのお説のように、特別の刑罰を持つたものを、刑法規定するのはよいといたしましても、そのときにこの規定を全部刑法に持つてつて、そして団体規制に関しても刑法の中に入れていいという議論は立つまいと思います。この点はそうするとこの刑罰に関するものは刑法に入れて、規制に関するものは行政行為であるがゆえに別個に定むべきものであると、こういう御見解じやないかと思います。が、まずその点からひとつ承つておきたい。
  104. 團藤重光

    團藤公述人 御意見通りと存じます。
  105. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そういたしますると、団体規制に関することは行政行為なるがゆえに別個の法律でやる。それに関する審判といえども私は行政行為であると見ることが至当でないかと思うのですが、この点が一番問題になる。われわれも理論として、これは司法機関にやらせることはいいとはもちろん考えるのでありまするが、はたしてその審判は司法行為であろうか行政行為であるか、ここで根本の議論のわかれが出て来るのだと考えるのであります。あなたは司法行為としてさしつかえないものであるとお考えになるか。そうしますればその論拠をひとつ承りたい、かように存じます。
  106. 團藤重光

    團藤公述人 純理論的に申しますと、これはいわゆる純粹法学の立場では、司法と行政との間における理論的なあるいは論理的な区別がないのであります。法の適用によつてある行為をするというのが司法処分であり、また行政処分であるわけでありまして、従つて純粋法学の代表者であるところのケーゼルによりますと、司法処分あるいは司法行為と区別するところの行政行為としては、これは法の適用でないところの直接行政行為だけを意味することになる。どうも論理的に考えると突き詰めれば、そういうことになると思うのであります。従つて問題はやはり実質的にどちらに持つて来るのがより妥当であるかという実質論にどうしても落ちつくと思うのであります。形式論としまして、これが本質上行政処分であるか、あるいは本質上司法処分であるかといいますよりも、どちらに持つて行くのが憲法を十分に行つていてために妥当であるかという問題に私は帰着すると思うのであります。その見地からしまして、私はやはりこれは司法処分とするべきであるという考えを持つわけであります。
  107. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 私は学者に承るから論理的なことを聞きたかつたのですが、まあこれはこれ以上は……。  その次は、今ちよつと團藤先生の言われたこと及び先ほど清瀬先生が主張せられたと思いますが、なるほど行政処分を下した、いわゆる審査委員会が判定をして行政処分を下した、それが司法裁判所に行つて無罪になつたときにはどうするか これはもちろんわれわれも考えるところであります。そこでその意味からして裁判に行つた方がよろしいということが出て来るのだと思います。ところが現実に危險のある場合は、今日の裁判所の裁判を待つているわけには行きません。ことにかようなめんどうなものを裁判するときには、おそらく今までの経験からしまして一年や二年はかかるものと思います。そこで先ほど言われた、それならば仮処分によつてやる道があるだろう、こういう議論になりますが、この仮処分をかりによいといたしますならば、司法裁判所に対して行政措置をとることのよしあしを判定させることになるわけであります。ことに御説のようにすれば、これは刑事裁判であるから刑事裁判所に対して行政上の措置の良否を判断させてそうして仮処分でやる、このようなことが適当なものであるかどうか、ここに私は大きな疑問が出て来ると思いますが、これに対してあなたの御所見を承つておきたい。
  108. 團藤重光

    團藤公述人 裁判所であとで無罪になつたら困るではないかということは、確かに今申したことの論拠になるわけであります。その点をさらに補充して申し上げますと、たとえば第四條の第二項あるいは第七條の違反でありますが、これは決定が効力を生じた後に一定行為をすることを罪としているのであります。第四十二條、第四十一條によつてそれぞれ罪となつているのであります。ところでこの決定が効力を生じた後裁判所で、これはたとえば鍛冶委員の仰せられた無罪の判決ではなくして、その決定が行政訴訟によつて取消されたという場合に、はたしてさかのぼつて第四條第二項の違反あるいは第七條の違反の罪でなくなるのか。この点については非常にこまかい技術的な問題でありますけれども、私はこの立案者の御趣旨がどうも理解しかねるのであります。非常にわけのわからない関係になつて来るように思うのであります。これらはいずれもやはりすべてを裁判所にまかせることによつてはつきりと一義的な解決ができるのでありまして、最初に行政処分をやつたあとで別に司法処分による救済を認める。また刑事については別に裁判所によるところの処分を認める、かようなことになつておりますために、行政処分司法処分とが非常にちぐはぐになつて来て、またその行政処分に対する違反を罪としておりますために、その矛盾がますます混乱して現われて来るように思うのであります。これらを一義的に解決するのは、どうしても裁判所ですべてを判断するというのが適当ではないか、これは先ほど申しました憲法上の基本的人権を制限する重大なことである。だから、ともかくも行政官庁よりはよほど信頼のおける裁判所にやらせるべきではないか、かような見地と相まつて、私はやはり司法処分で行くべきである、かように考えるわけであります。
  109. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 その点はわれわれもまず第一番に考えたところでありますが、その議論は別といたしまして私の申しましたのは、裁判をまつてそれで処分する。こうしておつたら現実の問題として現在の危險に対処するわけに行きません。清瀬さんは強く言われたが、その点はあるが、それならば裁判をやつておるときに、内閣なら内閣の責任で仮処分申請をして、そして行政措置と同様なことをさす、こういうことで、それに対する疑問を持つて質問しておるわけです。要するに行政措置を求むる仮処分、さようなことを司法裁判所へ仮処分の申請をすることがはたして司法処分と相いれるのかどうか、これが第一点。その次に、かような行政処分の要否、しかもこの裁判は刑事裁判所である。刑事裁判と同一にやれという議論であつて、本裁判は刑事である。刑事裁判所に対してさような行政処分の要否の判断を求めることが適当であるかどうか、これが第二点。その次は、かような重大なることを、しかも司法裁判所でやらなければならぬという議論が立つときに、仮処分の手続によつてかようなことをやることがいいかどうか、この三つの重大なる疑問が出て来るのでありますが、これに対する御所見を伺いたい、こういうのです。
  110. 團藤重光

    團藤公述人 多少御質問を誤解したのでありますが、第一点は、先ほど私が申し上げたところによつて、これは本質的に行政処分であるというようなものはないのじやないかと思うのであります。先ほど私が申し上げましたのは、仮処分を申請するという形を考えたのではありませんで、裁判所行政処分を行うものではなくして、裁判所が自分の権限として司法処分を行うのだというように考えているのであります。従つて第三点も、そういう点から私はお答え申し上げたいのであります。そこで最も問題になりますのは第二点でありまして、これは刑事の裁判所で行つていいかどうかということであろうと思うのであります。しかしながら、このような処分は、いわゆる合目的性の判断によるということははなはだ適当でないのではないか。法律で十分に厳重な要件を定めまして、第一この法律規定する罰則に触れる。しかもまた将来同じような活動を継続するだけの明らかなおそれが十分にある。しかもその明らかなおそれが十分にあると申しましても、ただそういう一般的な文句ではおそらく不十分だと思うのでありまして、もう少しその内容を明確に、個別的に、具体的に規定すべきではないか。法の規定するそれぞれの要件に合致する場合には、これは団体に対する措置をとることができる、かようにいたしましても、これはまつたく法の適用でありまして、むろんそこに若干の裁量が入るかと思いますが、主としては法の適用によつて当然に出て来ることであつて、必ずしも裁判所機能と相いれないものではないのではないか。裁判所機能はむろん法の適用であつて、合目的性、どつちが都合がよいかということの裁量ではないわけでありますけれども、現在の裁判所権限の中にも、ある程度の裁量の余地のあるものはいろいろ入つていると思います。そういうものに比べまして、別に裁判所機能と相いれないものではないではないか。またその合目的性の判断につきましても、行政機関にその判断をさせるよりははるかに適正な判断ができるのではないか。場合によつてははがゆいことも行政官庁の方面から見れば出て来るかもしれませんが、むしろそれによつてこそ国民の自由というものが保護されるのではなかろうか。問題は、そういう手続をとることによつて手続が非常に長引くという点にあるかと思うのでありますが、それはこういう根本方針でもつてもう少し検討すれば、いろいろ道があるのではないかと思うのであります。一概に裁判所で処分することによつて不都合を生ずるとは思えないのでありまして、むしろその得るところの方がはるかに大きいではないかというように考えるのであります。
  111. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 鍛冶君の今の質疑は、訴訟法上適正にできると思うからこの程度に止めて、もし他の問題があるならば続行願います。
  112. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 清瀬さんがおられればなおお聞きしたがつたのですが、これはこの程度にしておきます。  もう一つ私の聞きたいのは、なるほどかような問題が起るときには、前提として刑事事件があるであろうとは思いますが、私訴のように必然的刑事事件ではないではないか。理論上から、今ただちには言われませんが、刑事事件が起らぬで第四條の処分を行つても至当な場合が考えられぬでもないと思いますので、もしそういう理論が立つとすれば、刑事事件があるとすれば、刑事裁判所でやらせればよいという理論は立たなくなつて来ると思いますが、この点はいかがですか。
  113. 團藤重光

    團藤公述人 私は、刑事事件が先行すべきものであつて、まず有罪判決があるという場合でなければこのような重大な措置をとるべきではない、かように考えるものであります。
  114. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 田中堯平君。
  115. 田中堯平

    ○田中(堯)委員 團藤さんにお尋ねいたします。この法案では、団体活動としていわゆる暴力主義的破壞活動をした場合に、団体に対する規制規定されているわけです。そこで一体団体が暴力主義的破壞活動をするというのは、これはどういうことになるのでありましようか。実際の運用において予想されることを説明願いたい。
  116. 團藤重光

    團藤公述人 これはちようど民事における団体の不法行為と同じことでありまして、団体機関一定行為をすることによつて、これを団体活動と見るということになろうと存じます。ただどのような場合に具体的にそういう場合が生じて来るか、またその判定の標準はどういうことになるかということは、私実は刑事の専門でありまして、私から申し上げるのは適当でない事柄ではないかと存じますので、今申し上げましたのは、むしろ私としましてはしろうと論でございます。
  117. 田中堯平

    ○田中(堯)委員 民事の団体ですと、ちやんと機関が法定されておりますので、団体の意思表示であるか、それとも団体の一部のものが不法行為を行つたのであつて団体の不法行為じやないということは、明確に区別できると思うわけなのです。ところが労働組合とか農民組倉か、その他のいろいろな集団につきましては、そういうふうな規定は必ずしもないわけなのです。そこで大会を開くとかあるいは執行委員会を開くとかいうふうな、まちまちな規定、内規があるわけですが、そういうことによつて、今度はストライキをやろうとか、あるいはデモをやろうというような意思が決定されるわけなのです。ところで何十万あるいは何百万というような全国的な労働組合なら労働組合におきまして、あるいは四、五人あるいは十人程度の執行機関といいましようか、そういう人たちが、今度はこれこれの行為をやるのだといつて、それが破壞活動になつておるというような場合には、結局これは五、六人、七、八人の意思決定に従つて、何万、何十万、あるいは何百万というような人がえらい被害を受けなければならないわけです。その点はどう考えますか。もう少しつけ加えますと、刑事責任は個人責任ということが鉄則のようなことになつているのですが、これは団体全体から言うならば、ごく少数の人々の意思決定によつて全体の行動が起されるということは、大衆行動にはあり得ることなので、そういう場合に少数の個人の責任が全団体に転稼され、おおいかぶせられてしまうということになるのでありますが、そういうことが一体近代の法理念として許されるかどうかという点であります。
  118. 團藤重光

    團藤公述人 御心配のような点は私も同感に存ずるのであります。最初の法案にはありませんでしたところの「団体活動として」という文句が、第四條なりその他の規定に入りましたのは、おそらく今のような点を考慮した上のことと思うのでありますが、「団体活動として」という文句が入つただけではまだ問題ははつきりしないのでありまして、ただ問題が提示されただけであつて、でき得べくんば、いかなる場合に団体活動と見るかという標準を明文を持つて定めるのが適当であると存じます。
  119. 田中堯平

    ○田中(堯)委員 そこでもう一つお伺いしたいのですが、先ほどのあなたの御意見によりますと、教唆、扇動というようなものはこれは排除すべきである。この法文から削除すべきである。それからまた団体規制については、これは司法裁判所に持つて行くべきであるという御意見のようでありましたが、そうしますと、この三條から教唆、扇動というものを除きますと、あとはただ、若干のずれはあるけれども、大体において刑法が明定しておる犯罪だけが残るたけであつて、ここはもはや空文にひとしい、意味がないということになるわけなのです。ただ内乱やあるいは騒擾その他放火、殺人、強盗あるいは公務執行妨害というようなもろもろの犯罪を並列的に並べて、その上に左に掲げるものが暴力主義的破壞活動であるぞという帽子を一つかぶせたという結果にすぎないものなので、これでは意味がないことになると思います。そこでこれは全部やめてもよろしいという結論になると思いますが、その次に今度は団体規制、本法案の半分、あるいはそれ以上の意味を持つ団体規制について、これもまた司法処分でやればよろしいということであり、また団体行為としてこれを処罰するような場合には共犯規定刑法にありますので、あえて特別法を設ける必要もないということになる、結論としまして、このような法案は必要がないから撤回すべしというりくつにはならぬのでありましようか。
  120. 團藤重光

    團藤公述人 ただいま二点お尋ねになつたと思いますが、第一点につきましては、第三條にその程度の修正を加えましても、これは見方によりましては骨抜きになるとも言えましようし、また見方によつてはそれだけでも、それこそが最小限度の必要があるということにもなると思います。私はこの種の法案自体が必要だということは認めるのであります。ただこの法案の構想につきましては根本的に疑問を持つのでありまして、この構想による限りはそれは撤回してほしいという言葉を使えば使つても私はかまわないのであります。  次の点の共犯規定でよくないかという点でありますが、これはこまかい学説の問題になりますけれども、共犯規定だけでは不十分ではないかと存じます。理由専門的にわたり過ぎますので省略いたします。
  121. 田中堯平

    ○田中(堯)委員 もう一つ、教唆、扇動、ことに扇動のごときは刑法に罰しておらぬものを新たにここに罰しておる、えらい刑法改正の企てと思いますが、それにもまして教唆なるものを独立罪としておる、こういうふうなことはこれは單に刑法規定では間に合わぬから、臨時にこの特別法で刑事規定を設けたということでなしに、まつたく刑法の大原則に大修正を加えるということになるのでありますが、そこでお伺いしたいのは、このような大修正を加えるような場合に、各国の立法例なりあるいは日本の過去の刑事立法の歴史からいつて、これは單に單行法でこそこそとやつてのけるということがあり得るのかどうかということをお伺いしたい。
  122. 團藤重光

    團藤公述人 先ほども申しましたように、この立案については、立案の経過においてもう少し愼重な手続をとつてほしかつたと思います。
  123. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 古島義英君。
  124. 古島義英

    ○古島委員 私は清瀬君が帰られたのでまことに残念に思うのでありますが、大体御意見團藤さんの御意見と清瀬さんと同じようなことであります。ので、團藤さんにお尋ねをいたします。  これを行政処分でやることはまずい、司法処分になすべきものだということは、私も同感でありまして、まつたくその通りに考えております。ただ方法論が問題で、司法処分にする根拠はわかりますが、方法がなかなか困難だと思うのであります。そこで方法には二つあるように思うのです。一つ審理官というものをやめてしまつて、公安調査庁長官が処分を要求しようというときには、公安審査委員会に請求する。公安審査委員会はこれを証拠調べをした上、調査をいたして検察庁にまわして、検事をして起訴させるというやり方があるじやないか。一つは、公安審査委員会が起訴官になつて、これをただちに裁判所に持ち込むという方法もあるわけであります。もし公安審査委員会が起訴官になるというならば、この辺の法規の改正もしなければなりません。検事にそのことを申告して、検事をして起訴させるということになれば、きわめて都合がよいようにも思うのであります。私はもしそれをさようにやるというならば、この法案の全体をかえなければならぬから、政府はひとまず撤回したらどうかという要求までやつたのでありますが、法務総裁がいなくてこの答弁は得られなかつた。かように考えてみますと、ただ司法処分と申しましても、司法処分でやる方法がありません。しかしながらわれわれはこの法案に頭から反対するものではありません。また櫛田さんのように不必要論を唱えるものでもありません。この法案を生かしつつ、民主的な立法にいたしたい。そして憲法の保障する基本的人権を十分に尊重してもらいたいという希望がありますので、その方法を承りたいのですが、何か團藤教授はこれに向つてこうすればいいのじやないかという腹案でもありましたらば、率直に御知らせを願いたい。
  125. 團藤重光

    團藤公述人 大体先刻鍛冶委員にお答え申し上げましたところがお答えになるかと思うのでありますが、鍛冶委員にお答え申し上げましたところも私のほんとうのひとつの試案でございます。もし司法処分でやつて行くという根本の構想をとりますならば、これはよほど愼重にいろいろの道を考えることができると思うのであります。古島委員のただいま御指摘になりましたような方法も考えられると思うのでありますが、それにつきましては、私はむしろ現在の捜査機関の拡充によつて捜査を行わせる、刑事の訴追は検察官による——これは刑事処分だけの関係でございますが、そのように考えております。お答えにならないと思いますが、これは根本的に御研究いただきたい問題であると存じます。
  126. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 第三條の教唆及び扇動を独立罪としたことにつきましては先般来いろいろ応答がありました。私どもは、こういう扇動なんという刑法にない言葉を持ち出したことは、これはナチスの拡張正犯論の亜流だと考えて反対なのでありますが、なお昭和二年に司法省で刑法改正予備草案というものが発表されて、その二十八條には「人ヲ教唆シテ罪ヲ犯サシメムトシタル者ハ被教唆者共ノ罪ヲ犯スニ至ラサルトキト錐之ヲ罰ス但シ未違犯ヲ罰セサル罪二付テハ此ノ限二在ラス」とありましたが、それもものにならなかつたのであります。そこで教唆をしたけれども、被教唆者が実際行動をやらなかつたのは一種の未遂みたいな考え方だと思うのでありますが、それを独立罪として処罰してしまうということに相なるかと思いまするので、その調和点といたしましては、司法省で立案されましたように、教唆犯を独立罪として処罰しますが、未遂罪を処罰しないように、正犯を教唆した場合には、その正犯を実行行為せざる場合はこれを罰しないということで、非常に用意周到に考えられたと思う。今の官僚よりよほどこの時分の人の方が頭がよく人権問題を考えたと思う。しかるに本法を見ますると、たとえば刑法の七十八條、七十九條、九十五條、百六條、百十七條いずれもこれは未遂罪を罰しておらないにかかわらず、この破防法からいいますと、教唆したというだけで罰せられるようになつております。こういうことにつきましては教授はどういうふうにお考えになりますか。これが第一点。  それから第二点といたしましては、第三條の二号でありますが、「政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対する」、これが私は非常に問題だと思う。で、政治上の主義というようなこと、あるいはその政治上の施策というようなこと、こういうことが刑罰法令の中に織り込まれておるような法令がありましようかどうか。そうしてあるとするならば、刑法学者としての團藤さんはどういう定義をされるか。政治上の主義というのはどういうことを言うのか、政治上の施策というものはどういうことを言うのか、しかもそれを推進することは何のことか、支持することは何のことか。私はこれは犯罪の構成要件目的としての新しい言葉じやないかと考えております。従つてこの解釈は非常にあいまいであると思う。そこで、もしそういう法令がありましたならば、それについての定義のようなものをお聞かせ願いたい。これが第二点であります。  第三点といたしましては、団体の暴力主義的破壞活動の「団体の」というところでありますが、ここに十人の執行委員会があつて、その執行委員会が業務を執行しているという組合があつたといたしまして、その執行委員のうちの六人は賛成、四人が反対であつたが、多数決で騒擾罪を引起したというような場合におきまして、この反対した四人を賛成した六人とはいかなる関係に立つのが至当であるか。なお同じことですが、総会でもつてある騒動を起すようなことをかりにきめたといたしまして、五百人の大会のうち三百人が賛成をして二百人は反対をしたけれども、多数決でその組合の決議となつてそれが実行に移されたというような場合に、反対いたしました二百人と賛成した三百人はどういうふうな取扱いになるべきが刑法上正当であるかということについても承りたいと存じます。
  127. 團藤重光

    團藤公述人 第一点に御指摘になりました刑法予備草案では、教唆の未遂を広く罰することにしておるのでありますが、あれは猪俣委員も御承知通りに、当時の泉二局長が立案されたのでありまして、これは大体いわゆる刑法の近代派の立場でこの規定をつくられたものと思われるのであります。私どもは、刑法理論としましてちようどそれと正反対の立場にあるわけでありまして、教唆の未遂について一般的な規定を設けるということにはとうてい賛成しがたいのでありますが、ただ予備草案では、そういう一般的な規定を設けましたために、未遂を罰しない点についてはこの限りでないということを特に断つていたものと思われるのであります。それに対してこの法案では、特に一定のものを取上げて、たとえば内乱の予備、陰謀、幇助等についても、その教唆、扇動を特に罰しようという趣旨であつて、立案者としては、おそらく今の予備草案の規定なども御存じの上で、特にこういう規定を設けられたものと想像されるのでありますが、しかしながら、予備、陰謀の扇動、教唆ということは一体どういうことなんであるかと突き詰めて考えますと、これはなはだわかりにくいことなのであります。内乱の扇動ということはわかるのですが、内乱の予備をやれといつてあおる、陰謀をやれといつてあおる、それは結局は内乱そのものをあおることになるのではないか丙乱そのものを教唆扇動するというところまで行つて、初めてこれを罰するということにしたらいいのではないか。そういう意味において私は猪俣委員の御意見に同感でございます。  第二点の、第三條第一項第二号の定義でございますが、これは私もはなはだむずかしいことであると思いますので、私は、すぐにはつきりした定義を申し上げることができないということを申し上げたいと思います。(「こういうことは何か普通の法令にありましようか」と呼ぶ者あり)今の政治上の目的をもつてする殺人その他の規定は、これは御存じの戰時刑事特別法の規定の中に多少現われておりましたが、但し言葉は大分違つていたように記憶いたしております。今正確には覚えておりません。  第三点の、この団体活動ということが何を意味するか、特に団体に対する規則の関係において団体活動が何を意味するかという点は、先ほど田中委員にお答え申し上げたところをここに採用いたしたく存じます。ただいまの猪俣委員の御質問は、刑事の面から一見てどう考えるかというお尋ねのように承つたのでありますが、これは罰則においては団体を罰する形ではないのでありまして、従つて反対した者が罰則に触れないことはむろんであろうと存じます。ただその点は、先ほど古島委員その他から御質問がありました、団体に対する措置を司法処分とする場合に、有罪判決とその団体に対する司法処分との関係をどうするかという点で、こまかい技術的な問題として相当に問題になつて来ることであると存じます。
  128. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 第三條の第二号の「政治上の主義若しくは施策」という意味が、犯罪の構成要件として非常に概念が広過ぎるという説もあるようでありますが、政治上の主義、施策と行上の施策というものの概念的な区別が明確にできるかどうか、刑法学者としての見解を承つておきたいと思います。
  129. 團藤重光

    團藤公述人 十分に自信がないのでありますが、おそらくその限界はきめてあいまいであろうと存じます。従つて刑法の構成要件の要素としましては不適当であるように存じます。
  130. 山口好一

    ○山口(好)委員 團藤さんは学者的な御良心からこの法案自体も御尊重なすつていろいろお答えになつたと思うのですが、この法案を通すとすれば、規制の基準を設けたように、やはり調査の点について基準を示す、それから行政処分司法処分として立てかえる、こういうような二つの点を注意して行けばいいのではないかという最初御意見があつたように思うのでございます。その後にいろいろと扇動という言葉を除くとか、それ以下の点を除くとかいう委員からの質問もありまして、さようなふうにだんだんかわつたようでございまするが、現下の国情から見まして、些少な言論の自由や出版の自由は不便を忍びましても、国民がまくらを高くして寝られるように一般の治安をぜひとも実質的に守つて行かなければならない。そういう骨抜きでないしつかりとした法案が必要なりとすれば、最初團藤さんがお考えになられたように、本法案についてその欠点というべき調査の規則を示し、及びその規制の点は司法機関によつてこれを行うという考え方で進んだ方がいいのではないかと思うのでございますが、その点についてお伺いいたしたいと思います。
  131. 團藤重光

    團藤公述人 ただいま山口委員から私の見解が多少この席で動いて来たように申されたのでありますが、これはそうではないのでありまして、速記録をお調べいただきたいと存じます。調査について基準を設けるというだけでは非常に不十分でありまして、やはり根本的に考え直すべきではないかという考えなのであります。先ほどからたびたび申したのでありますが、この種の法律は必要であろう、しかし構想を新しくしなければならないのではないかというのが私の根本的な立場でございます。
  132. 山口好一

    ○山口(好)委員 それではもう一点伺います。團藤さんの構想を改めて行くという考え方としましては、今までの御答弁の中に——これは間違つておるかもしれませんが、やはり行為者の行為につきましての処罰を主にして考えて行つて、そういう行為団体行為として行われたる場合に次に団体規制して行く。この法案では、団体規制ということを先にいたし、そうして個人の刑罰的な規定をあとにいたしておりますが、あなたのお考えは個人の行為を処罰するという建前を先にして、そうしてそれが団体の構成員としてなされたという場合に、団体規制して行くという行政処分的な措置を第二段に考えて行くというようなお考えでございましようか。
  133. 團藤重光

    團藤公述人 仰せの通りでございます。
  134. 山口好一

    ○山口(好)委員 團藤さんの御意見はわかりました。次に、櫛田さんが先ほど来たいへん御熱心に御説明になつたのでありましたが、櫛田さんとしましては、やはり御婦人の立場としましても、治安関係でまずまくらを高くして寝られるという状態でなければ、ほんとう皆さんの幸福はあり得ないのだ、こういうことには御反対はないですか。
  135. 櫛田フキ

    ○櫛田公述人 もちろん私たちはまくらを高くして眠りたいと思つておりますが、今婦人が一番まくらを高くして眠られないのは戰争への不安でございます。私は、二、三日前の講和発効の特集の毎日新聞か何かで経済とか世相とかいろいろなもの誓いてございましたが、早稻田の戸川行男先生が講和発効後の世相について憂えていらつしやる文章を引用させていただきまする防犯施設が強化されるとどうしても犯罪は凶悪の傾向を帶びて来るものだ、こういうふうに言つていらつしやいますが、私も同様に心配いたすものであります。
  136. 山口好一

    ○山口(好)委員 それではもう一つ。失礼ながら櫛田さんには、何か治安の問題と戰争の問題を混乱いたしているのではないかと思うのでございますが、われわれとても戰争については反対であります。かような法律をつくるということは、われわれとしてもまことに望ましくないのでありまするが、しかし例をもつていたしますれば、共産党の一部の諸君のごとき、列車の妨害をして多数の人をあやめんとするというような疑いを抱かれる行為をいたしております。そうした場合においては、そういう人々がいるためにやむなくかような法律をつくらなければならないので、これは戰争とは別であります。国内的なまつたく治安の問題であります。これをしも櫛田さんは戰争行為と何か同じように取扱いまして、こういう法案は何かわれわれの言論を彈圧するのだ、あるいは尾行がつくようになりやしないか、事務所の家宅捜索がただちに行われることになるのではないか、戰々きようきようたる状態にわれわれ婦人の人を追い込むものである、こういうふうに申しますのは、少しく思い過ごしであり、この法案の目ざすところをはずれておりはしないかと思うのでありますが、さようにお考えですか。
  137. 櫛田フキ

    ○櫛田公述人 今おつしやいました破壞活動とおつしやるのは松川事件なんかと思いますけれども、これはまだはつきりきまつた問題ではございません。私たちは公正な裁判を要求いたしております。そしてもう一つ、きようの朝日新聞に、皇居前広場の使用について総評側が提訴いたしましたことについて、皇居前広場の使用を禁止することは違法だということにきまつたのでございます。学習院大学の教授の清水幾太郎氏は、社会がかわつて行くのは自然の法則だから、それを無理に押えつけようとばかりしていれば、今に自分が一番恐れているような重大事態が起つて来るかもしれないというようなことを述べていらつしやいますが、もしか皆さんが心配なさいますような破壞活動が起つたとしたならば、それは不当に押えるから、これは物理的な、動あれば反動ありというので、強い圧迫があれば強いはね返りがあることは物理的にも証明されているのでございまして、私はそういうふうに受取つております。
  138. 佐瀬昌三

  139. 梨木作次郎

    ○梨木委員 團藤さんに質問いたします。先ほど来の質疑応答を伺つておりますと、団体解散させる権限裁判所に與えるか、行政官庁に與えるかというような問題の論議がなされておりました。しかしその点について、いろいろ疑義も出、いろいろ説明にも困難されているようでありますが、一体団体解散させ、結社禁止するというようなことは、これは憲法第二十一條によつて法律によつてもこれは禁止することができないはずであります。二十一條では「集会、結社及び言論出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」といつて、旧憲法下においては、あるいは法律によつてこれを制限しあるいは禁止することができたかもしれませんが、現行憲法においては、これは法律によつてでもできない、そもそも支配者というものは、昔は人民が徒党を組むということさえ非常に大それたことだということで、これを取締つております。ところがそれは時の権力者が、自分の権力を維持するために、被支配者が団結していろいろな行動要求を起す、このことを恐れるがゆえに、こういう徒党を罰して来たということは、歴史の証明するところであります。それゆえに歴史的な発展を保障をするためには、人類の進化を保障するためには、どうしても結社団結権、このようなものを憲法によつて保障しなければならぬ、またその保障することなくしては、被支配者の基本的な人権が保障されないという建前から、この憲法というものは、無制限に結社、集会、言論出版、その他表現の一切の自由を保障しているのだと思うのであります。でありますから、そもそもこういう法律をつくろうということ自体が、まつたく憲法違反していることであるというように私は思うのであります。その点についてひとつ御意見を承りたいと思います。
  140. 團藤重光

    團藤公述人 仰せのように、旧憲法には法律によつて言論、集会等を制限することができたのに対して、新憲法では法律によつてもその制限ができないことになつているわけであります。その点は、旧憲法と非常に違う点であると存じます。しかしながらそれでは全然、言論、集会、結社の自由というものは無制限なものであるかというと、これはそうではないのでありまして、たとえば言論の自由に例をとりますというと、他人の名誉を毀損するということ、これは言論には違いありませんけれども、これは許されない、犯罪になることはいうまでもないのであります。集会、結社になりますと、事柄はもう少し微妙になつて参りますけれども、根本の考え方としては同じであろうと思うのであります。ただ従来の考え方において、憲法十二條の規定を援用いたしまして、公共の副祉ということによつて集会、言論等の自由も制限できるというふうな見解がかなり広く行われておるのでありますが、これは非常に疑問であると思います。御承知通り憲法第三章の中には、特に「公共の福祉に反しない限り、」という文句を入れておる規定があるのでありまして、それとの関係から申しましても、公共の福祉ということだけをたてにとつて言論、集会の自由を制限することはできないと思います。そのような意味合いにおいて言論、集会の自由も無制限ではないのでありますが、しかしその制限には十二分に愼重であるべきである、かような気持から先ほど来いろいろ申し上げているわけであります。
  141. 梨木作次郎

    ○梨木委員 先ほど来自由党の委員諸君の発言や、それから先ほど帰られた清瀬一郎公述人、この公述人はわれわれから言えばまことに不可解な、どうしても質問しておかなければならない発言をしておられたのでありますが、しやべるだけしやべつてつてしまつた。また帰ることを許すような委員長の扱い方についても、非常な国会を無視した運営の仕方に、私は不満を持つておるのでありますが、今日私はこういう破壞活動防止法案なるものを出して来た日本の現在の政治情勢、国際情勢というものを無視しては、われわれはこの問題を論議することはできないのであります。ところで今日におきましては、二十八日に講和が発効した。そしてこれについて三日には式典をやるなどといつておる。しかしながら現実にはアメリカと軍事同盟を結んで、日本言論機関の中には中ソ両国を敵視して、これに対して攻勢をとれというような言論さえ公然と行われておる、戰争するということを公然と宣伝している、こういう情勢の中におきまして、しかもこの破壞活動防止法案というものは、共産党を目標にしておるのだというようなことを言つておりますが、現在の日本の政党の中で、こういうような日本の独立を放棄し、日本アメリカの植民地にするような、このような二つの條約を結んで、行政協定を結んで来ておる。この状態のもとにおいて、われわれは全世界と平和な日本を、今後の国際的なあり方を規定して行く場合におきましては、どうしてもこの二つの條約と行政協定を破棄しなければならぬ。これが日本国民の今後断固としてやらなければならない国民的な課題であります。この二つの條約の破棄、行政協定の破棄を公然と主張している政党は、日本共産党以外にありません。その他の政党の中にはあいまいな形で出しておるものがあります、これが現実です。これが日本国民の公共の福祉にまつたく合致しているのです。これなくしては、世界の平和もなければ日本の平和もない。現に講和発効後における言論機関を見ましても、日本の今後の課題は未調印国との国交の調整をいかにはかつて行くかということ、これは言うまでもなく中ソ両国ではありませんか。こういうときにおきまして、私ども共産党はこの單独講和と安保條約と行政協定を破棄して、全面講和をしなければならぬというような主張をしている。この共産党に対して今の政府はあらゆる彈圧を加えて来ている、われわれが全面講和の集会を持つ、あるいは平和を語る集会を持つと、ピストルやこん棒でこの集会を禁止している、これが現実だ。こういうような憲法違反した行動を政府自体がやつている。こういう政府自体が行動をとつておるときに、この政府の彈圧、暴虐に抗議することは、憲法上許されているはずですね。許されているこのことを、こういう行動を取締ろうということは、これはいかなる法律をつくつてもできないし、憲法にも違反している。憲法自体はかかる結社、行動の自由を——あなたの今おつしやつた公共の福祉という、そういう今言われたような制限は、私はこれはまつたくそういうところに当てはまらないと思うのでありますが、かりに公共の福祉というわくをはめるにいたしましても、これは共産党の現在の行動には絶対に該当するものではない、私はこう思う。しかもそれは、現実にそれを行動しておるのは共産党だけだ、こういう現状におきまして、この法律というものは、公共の福祉をたてにとつても、現在の日本にはまつたくこれに該当するような団体、政党というものはないということを私は確信しておるのでありますが、この観点について、こういう私の見解につきまして、あなたが現在の国内、国際情勢から見まして、こういう法律必要性があるかどうかということについて、あなたは必要だとおつしやるのは、どこにそういう必要性があるかをもう少し具体的に説明してもらいたい。
  142. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 梨木君に申し上げますが、団藤君その他公述人は、長時間にわたつておるので疲労されておりますから、政策や意見の発表は他の機会にお願いいたしまして、刑法学者としての團藤君に要点的に簡潔に御質疑を願いたいと思います。
  143. 團藤重光

    團藤公述人 私は公共の福祉ということによつて言論、集会の自由を制限するということはできないのじやないかということを申し上げたのであります。しかし言論、集会の自由にもおのずから限度があるということを申し上げるのでありまして、そのほかいろいろ伺いました点につきましては、なお私一個といたしまして、いろいろ考えさしていただきたいと思います。
  144. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 世耕弘一君。
  145. 世耕弘一

    世耕委員 本日は十数名の公述人の中に、紅一点として櫛田さんが御出席になつておられるのでありますが、婦人代表という意味から一応お尋ねしておきたいと思うのであります。それは第一に、日本の現在ははたして社会公安が無事平穏に維持されておるかどうかということの見解です。
  146. 櫛田フキ

    ○櫛田公述人 たいへんによく維持されておるとも申し上げられませんけれども、まつたく維持されていないとも言えないのでございます。
  147. 世耕弘一

    世耕委員 世間で、新聞あるいはラジオ等で、日本はねらわれているという言葉をよく聞くのでありますが、あなたはねらわれていると思いますか、それともねらわれていないと思いますか。
  148. 櫛田フキ

    ○櫛田公述人 日本はねらわれていないと思います。
  149. 世耕弘一

    世耕委員 それではお尋ねいたしますが、あなたは今どんなお仕事に御関係していらつしやいますか。
  150. 櫛田フキ

    ○櫛田公述人 私は婦人団体に属して働いております。
  151. 世耕弘一

    世耕委員 婦人団体でどういう御調査や御指導をなさつていらつしやるのですか。
  152. 櫛田フキ

    ○櫛田公述人 婦人団体政治団体ではございませんから、いろいろ婦人の解放の問題について調査も研究も活動もいたしております。
  153. 世耕弘一

    世耕委員 毎日の新聞記事、あるいはラジオ等に報道されているのだが、あちこちで税務署が襲撃を受け、あるいは交番は火炎びんを投げ込まれ、汽車が顛覆される、電車はひつくり返つて死傷者を出す、あるいは学校においては学生と警察力が正面衝突をしている。これはただごとじやないと私は見ているのですが、あなたはこれをただ一時的な現象とごらんになりますか、それとも大したことはない、こう御判断になりますか、
  154. 櫛田フキ

    ○櫛田公述人 それはたいへんに困つた事態だと思います。けれども新聞に載つかつていない二百万からの未亡人が生活に困つている状態とか、毎日の新聞が伝えている一家心中をするような状態、その方がむしろ私たちは一般的にたいへん苦労な問題だと思つております。
  155. 世耕弘一

    世耕委員 私がお尋ねしたい線にも触れて御返答願つたと思うのですが、実際は火炎びんを投げたり、あるいは税務署を襲撃したりする、そういうような過激な気持を持つその人情がどこから原因を発して来たか、その感情の激発する原因はどこにあるかということを、あなたに掘り下げて説明していただけば非常にいいと思いますが、御説明願います。
  156. 櫛田フキ

    ○櫛田公述人 私はそういう事実に対してお答えできませんけれども、それは今後あるかないかということがはつきりとわかつている事態ではなくて、それよりも今度の法律によつて、権力でもつて私たちがみないろいろ圧迫されるということは、たしかに現実の問題でございます。不確かな心配よりも、確かに起つて来る事態の方を私は心配いたします。
  157. 世耕弘一

    世耕委員 たとえ話を申し上げて失礼でございますが、おなかが痛い、ところがあなたは、それはほおつておいたらしまいになおるだろう、私は薬を飲まなくちやならぬ、手当をしなくちやならぬというのが、今の問題のわかれになるだろうと思うのです。不十分ではあるが、非難をされる法案ではあるが、一応通しておかなければ大事に至るのじやないか、医者を呼ぶほどの腹痛じやなかろうけれども、万一盲腸であつたり、腸捻転であつたらたいへんだから、一応医者を呼ぼうじやないか、こういう程度でこの破防法を取扱うということも、時局柄必要じやないか、こう常識的に私は考えるのです。ところがあなたは初めから頭ごなしにこれはいらないのだとおつしやるところから見ると、何か深いお考えがあろうかと実は想像されるのであります。私といたしましては、かような破防法なしに、何かいい方法がおありであれば、婦人としての立場から御説明願うことがわれわれ審議する上において大切じやないか。私はこの機会に最後のお尋ねとしてお尋ねいたしたいのは、大事な時局に到来しているから、万一の場合を予想して実はお尋ねするのです。だから不十分ではあるが、適当ではないとは思いますが、まあひとつ強心剤だけ一応飲んでおけ、そのうちに次の手当をしようじやないか、こうも申し上げたいのであります。だから曲りなりにもこの法案は、一応そういう危險性を防止する意味において通しておいて、第二段に新たな考案をしたりつぱな処置をとろう、こういうようなことが一応常識的に考えられるのじやないかと思うのでありますが、婦人の立場としてどういうお考えか、お聞かせ願えればけつこうだと思います。
  158. 櫛田フキ

    ○櫛田公述人 それは私の公述の初めにも申し上げまして、ちようど同じたとえを引いたのでございます。いま病人があつて、それに手当をしなければならないとおつしやいましたけれども、実は病人がおなかが痛い、頭が痛いことを訴えておりますのを、ろくに診察もしないで、治療もしないで、お前たちは默つておれ、腹が痛くても默つておれ、ほおつておけばいまに死んでしまう、死ぬ者は死ねというような、乱暴なやり方が、今度の破防法じやないかしらんと思うのです。やはりおなかが痛いならその原因はどこから来るのか、頭が痛いならその原因はどこにあるか、病気の原因を突きとめて、それを直してやるのが政治じやないかと思うのであります。破防法を出す前に、もつといい政治が行われて、私どもが不当な税金をとられたり、物価の高さにあえいだり、失業したり、生活に困るようなことのないようにしてくださる方が大事じやないかと思うのでございます。
  159. 世耕弘一

    世耕委員 なお一点お尋ねしておきますが、ほつといただけでは病気は直らない、手当をしなければならぬ。しからば婦人としての立場から、この不安な社会情勢であれば、どう切り抜けて行くかということをまじめに考えていただきたい。それからもう一点は平和という言葉をおつしやつたが、われわれも平和論者の一人であります。けれども平和は消極的では守れない、積極的に平和を守つた後、初めてわれわれの平和が持ち来されるのである。それに対しても賛成しない人はおそらくどなたもないだろうと私は思う。戰争反対だけではわれわれの平和は来ない、戰争を防止する対策をいかにするか、それはまず内輪から守つて行かなくちやならぬ、そうして外からあばれて来る者を食いとめるということに、国民の協力一致の観念が出て来なくてはならぬ、御婦人の方々の常に考える平和論は、往々にして消極論に流れるきらいがある。ぐちに終るきらいがあるのであります。かようなことのないように私は希望いたすのでありますが、御同感得られましようか。
  160. 櫛田フキ

    ○櫛田公述人 同感いたしません。それは平和論にわたるのでございますけれども、私たちは今再軍備に絶対に反対いたしております。それで、外から攻めて来ると思うかとおつしやいましたときに、私は攻めて来る者はないと申し上げました。しかし日本が再軍備をいたしますことは、第三次世界大戰への導火線となる以外の何ものでもないということをお考えいただきたいのでございます。今二つの異る思想政治形態を備えている国が、両方でもつて軍拡をいたしておりますことは私たちも知つております。日本はどつちかへついてしまつて、そうして再軍備をするということは、世界の平和を破る一番大きな危險だと思うのでございます。それで私たちは、世界中の国が戰争をしないように、日本はそのために一生懸命骨を折る、それが平和憲法にはつきりと示されたところのものでございまして、日本がどんな再軍備——百万、二百万、三百万の再軍備をいたしましようとも、原爆や細菌爆彈で襲われましたときに、私たちは一体どうしたらよろしいのでございますか。日本はふつ飛んでしまいます。私たちはみんな——こんな議論をしている者同士が、みんな死んでしまわなければならぬでございましよう。そのことをお考えくださいまして、今どんなに世界的規模で戰争が準備されているかということを考えれば、こんな貧弱な日本の財政で、どんな再軍備が私たちを救うことができるのでありましようか。どうかそのことをお考え願いたいのでございます。
  161. 世耕弘一

    世耕委員 櫛田さんと御議論をするつもりでは実はなかつたのでございますが、重ねてお話を申し上げておかなければ誤解があると存じますが、私は再軍備必要論者ではないのです。再軍備の必要がないことを望むのです。ところが世界の大国が、双方ともにしのぎを削つておる、軍備拡張をやつておる、スパイを放しておる、そうして日本の国内まで双方の勢力が侵入して来ておるというこの事実は、無視するわけに行かない。さような世界的な情勢下に置かれて、日本がはたしてただ安閑としてこのままで平和が維持できるであろうかということに、一つの心配があるのです。だからわれわれは安価な平和論を今日考えることは、少し虫がよ過ぎるのではないか、かりに一例を申しますと、あなたのところへ暴漢が現われ侵入して来た、そんなことはないと思つたところへやつて来る場合があつたときに、あなたはどうしてそれをお防ぎになるか、さような場合には無抵抗主義で行くか、これも一つの方法です。そういうときはあきらめを持つて、両手をあげて降伏するか、それともかなわぬまでもあなたの貞操を守るべく格闘をやるか、これがやはり人間の持つ感情であります。われわれは今日独立国として存在する以上、われわれの貞操を守らなくちやならぬ、いかにして守るか、それはただ平和論を論ずることのみによつてよいか、かなわぬまでも短刀一つでもふところに入れて、その暴漢が現われたときに刺し違えて死ぬ、倒すというくらいの気魄は、日本の婦人にあつてしかるべきじやないか、私はかように思うのです。この点についてもう一ぺん聞かしてくたさい。
  162. 櫛田フキ

    ○櫛田公述人 私はもうお答えする必要はないように思いますけれども、一心お答えいたします。そういう暴力に襲われましたときに、私は言葉で説得いたします。私の弱い力で刀を持つことは、むしろ逆にあぶないことだと思つております。そして婦人として貞操は大事でございますけれども、今私たちが見ております政治は、もうほんとうに貞操観念はございません。日本の何百万の婦人をパンパンにしたのはたれでございますか。私はこの。ハン。ハンの問題について、これはどうしても民族の独立運動以外にはパンパンを救う道はないと思つております。日本の国は決して無節操ではなかつたはずでございます。どう男の方にわれわれ婦人を守るだけの節操をお持ちいただきたいのでございます。婦人を売つたのはたれか。外貨獲得の第二位を占めておりますのはパンパンの收入であると言われていますが、そういう政治をしているのはたれであるか、お考えを承りたいと思つているくらいであります。
  163. 世耕弘一

    世耕委員 パンパンが出現したのはどういうわけかとおつしやるのでありますが、この説明を私にしろということはちよつと私も心苦しいのでありますが、敗戰の結果と申し上げるより仕方がない。しかしながら私はこれについても……。言申し上げたい。もしあなたがそうおつしやるならば、敗戰後のドイツの婦人の節操と、敗戰後の日本の婦人の節操と比較対照してみますと、日本の婦人の節操は案外安価に取扱われておるのじやないかということを私は考える。これは私の判断でありますから、あるいはさようなことがないとおつしやれば私はそれも承服いたします。結局問題はこれ以上議論を申し上げることは避けたいと思いますが、われわれは独立国としてその祖国に生きている以上、やはり感情的にも独立国らしい態度と外部からの不正な圧迫並びに侵入を防ぐだけの心構えが必要じやないか、それについてどうしたらいいか、婦人の方々のお考えはそれについてどんな積極的な考えがあるか、もちろん男子に奮起を促す政治的改革をあなた方が要求する、そして今日起つている社会不安を一掃することにあなた方も協力する、亭主を教育する、こういうふうな点が私はまずさしあたつて平和論を確立する上において必要じやないかと思うのでありますが、これ以上は私はあなたにお疲れのところお尋ねすることは悪いと思いますが、御意見があれば承つておきます。これで終りたいと思います。
  164. 櫛田フキ

    ○櫛田公述人 最後に申し上げさせていただきます。きようの朝日新聞をごらんになりますと、トーヤというアメリカの牧師が、日本の行政協定のあまりにも国辱的な問題についてたいへんに憤慨しております。日本の男の人たちにせめてあの何万分の一かの気概があつたならば、日本がこのように国辱的な行政協定を結ばないでも済んだであろうと思いますし、全面講和を結べなかつた、それから安全保障條約というあの軍事協定を結ばなければいられなかつたということを、私は非常に残念に思う。男の方たちが、昔から言われたやまと魂というものを、どこへやつておしまいになつたかしらと思つて疑いたくなるのでございます。日本の真の独立のために、政治家たちはほんとうに結束していただきたいと心からお願いするのでございます。
  165. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 本日の議事はこの程度にいたします。公述人各位は、長時間、かつ熱心に有益な御意見を賜わりまして、まことにありがとうございました。次会は五月二日午前十時より公聴会を開会いたします。  これをもつて散会いたします。     午後五時二十分散会